大学再受験を目指す Part2
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僭越ながら、スレがなくなっていたので立てました。
猶、前スレが見当たらないのでご存じの方はURLを貼っていただければ幸いです。 39歳全財産100円
「恥ずかしながらこれが私の全財産でして」
4月15日夜、東京・飯田橋近くのNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」。
男性(39)は財布の中身を見せて、うなだれた。
財布には小銭ばかりで100円ほど。前日に古本屋で本を売った400円の残りだ。
飯田橋までの電車賃もぎりぎりだった。
都内の電気工事会社の下請けで働くこの男性は、生活困窮者を支援する「もやい」
に助けをを求めていた。
「いつお金が入りますか」
「4月18日です」
「いくらぐらい?」
「たぶん3〜4万円」
「その額でいつまで」
「次の給料日は5月20日」
「それじゃあ苦しいですねえ。どうしますか。」
「18日までしのげれば、アルバイトでなんとか・・・・」
1万円を工面してもらい、米5キロと缶詰5個をもらってしのぐことになった。
両親は年金暮らしで頼れない。
「本当にお恥ずかしい。仕事を探しながら働く繰り返しで、失業保険も貯金も
ないものですから・・・・」。何度も頭を下げてはお礼を言った。
男性は99年、都内の有名私立大学を卒業した。浪人と留年を重ね、この時30歳。就職氷河期
まっただ中だった。
派遣労働者として働きながら、就職活動を続けたが決まらない。派遣会社10社以上に登録
し、契約が切れると清掃業務や建設作業などで食いつないだ。たまに採用されても契約社員
扱い。細切れ雇用の全部は本人も思い出せない。
そのうち面接で「どうしてそんなに職を転々としているのか」と聞かれるようになった。
これまで60社以上の面接を受けたが、正社員への壁は高くなるばかりだ。
いまは工事で余った廃材の片づけなどをする仕事。正社員を希望したが、半年間の契約社
員。日給1万円。翌月20日払いだ。3月下旬に入社し3月は5日間働いた。
ところが4月18日の給料日、給与明細を見てがくぜんとした。手取りはたったの21814円。
健康保険料9456円、厚生年金保険料17995円、雇用保険料735円が天引きされていた。
これでは家賃30200円にも足りない。日雇い派遣大手のフルキャストを通じ、夜も仕事を
始めた。
午後5時に仕事が終わると、すぐ派遣先の倉庫へ。6時半から10時まで、ベルトコンベヤー
に追われながら荷物の積み込み作業。時給は1000円。一晩で3500円にしかならない。
くたくたでアパートに帰る。倉庫の仕事を始めた初日、1回430円の銭湯は高いのであきらめた。
部屋は4畳半一間の風呂無し共同便所。布団はなく、2枚の毛布の間に入って眠る。
2日続けたが、3日目に会社を休んだ。ダブルワークで疲れ切った。数少ない楽しみの携帯電
話代1万1千円の支払期限で憂うつでもあった。
翌日が、会社に昼の弁当代の3月分2千円を支払う日だったことも気をめいらせた。
翌朝。通勤途中、スーツ姿のサラリーマンたちが足早に彼を追いぬいていく。まもなく40歳に
なる。その数ヶ月後には、雇用契約の更新時期がまたやってくる。
「やっぱり、私のような人間では駄目なんです。ピシッとスーツを着て、ライフステージを踏
んできましたって胸を張れないと、正社員にはなれない。そういう厚い壁を感じてしまいます」
男性はたびたび、自分のことを「私のような人間」と呼んだ。まじめに働いても30歳で大学を出
たというだけで貧困から抜け出せない。広がる「ワーキングプア(働く貧困層)」
1年間働いても200万円以下しか収入がない人は06年に1千万人を超えた。
2008年4月30日朝日新聞朝刊 第1面
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