☆★ 猫と犬のたまり場 ★☆
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
アニマルセラピーのスレです。
動物とのふれあいは精神的な健康の質を向上させるといわれていますが、
アトピーはアレルギーも発症しやすく、動物とのふれあいは思うようになりません。
そんな方たちのためにここが癒しの場となることを願っています。
,== ,===,====、
||_||___|_____||_
0,,0 / ___|^l 0,,0
(,・_・,,)// |口| |(・_・,,)
./(^(^// |口| |c )
0,,0 ././ |口| ||し
(,・_・,,)././ |口| ||
/(^(^ / / |口| ||
"" :::'' |/ ..|/ '' " ::: '' :: ⌒⌒⌒ :: "" `
:: ,, :::: ,, " ̄ ̄ ̄ "、 :::: " ,, , ::: " :: " :::: "
また〜り ゆく〜り くつろいでいってください。
どなたでも気軽に参加してくださいね。 金がない、自信がない、好きなことがない…そう思い込むとき、本当に自分が貧しく感じます。
なぜなら、お金も自信も好きなことも、実は自分で創り出せるものであるからです。
たとえ状況を変えることができなくとも、「〜だからダメ」ではなく、「〜だからこそ」と、自分の心の状態を楽しませることはできるのです。
悲しいときは、オロオロしている自分を楽しめばいいのです。
極端に言えば、どんな自分でも、楽しむことはできるはずなのです お金を持っているからといって偉いわけじゃない、お金の遣い方を知っている人、
その品格・態度を持っている人が偉いと思います。
豊かさとは、人と比べた相対的なものでなく、自分の中にある“絶対的”なもので決まります。
私は、内面からにじみ出る外面の“豊かさ”を求めていきたいと思います。 ロンドン在住、元国連職員の著者が見た
「日本は世界で"かわいそうな国"だと思われている」衝撃の現実。
若者の自殺、「社畜」的働き方、「人付き合い地獄」の社会、
「みんなで不幸になろう」という足の引っ張り合い、
グローバルな人材なんて育つはずもないおかしな教育、何でも人任せで自分で考えない「クレクレ詐欺」。
空気を読み過ぎて「セルフ洗脳」に陥る日本人たち。
こんな日本人の「貧しさ」を、世界の現実と対比させながら問いかける。
『自分が日本でかかっていた洗脳。
競争しなくてはいけない、
家族や友より仕事、進歩は偉い、田舎はださい、自販機とコンビニは重要、電車とバスは定時でなければいけない、
痩せてなければいけない、
群れなければいけない、流行は追わないといけない。どれも自分を不幸にしていた。』 人の幸せは、心の持ち方次第です。もし物質文明が幸せをもたらすなら、私達はとっくに幸せになっていなくてはなりません。
しかし物質文明が進んだ今日、かえって心の不安が高まっているではありませんか?。
後進国の人達が物質文明に取り込まれるに従い、精神的苦しみや自殺や鬱、
ストレスが増大しているのはその良い証です。
心の病が多くなっているということは、その文明が誤った方向へ進んでいる証しなのです
勿論、物質文明にも意味はあります。でもその意味を知った暁は、一日も早く物質文明から卒業しなければならないのです。
キンピカ、キラキラ、天にも届く高層ビルが建ち並び、その間を縫うように高速道路が走るといった文明は、
その限りであることを知って下さい。 幼いうちは、どうしても華やかなものに目が行きがちですので、物質文明が栄えるのも止むえぬことかも知れません。
しかし大人になってくると、感性や本性が騒ぎ出しますので、科学や、哲学や、宗教など、精神的なものを求めたくなってくるのです。
人類は今物質文明に浸っていますが、やがてその儚さに気付き、精神文明に大きく舵を切るようになるでしょう。 精神文明とは、人の本質、精神、幸せ、宇宙の本質を詳らかにして真の喜びを発見し、
その喜びに少しでも近づこうとする文明です。つまり天の利を地に降ろし、天の幸せに劣らぬ幸せを地に開花させる文明です。
私達は幸せを勘違いして捕らえています。幸せは肉体が感じるのでしょうか?、
心が感じるのでしょうか?。心ですね。
ならば心に平安をもたらす文明こそ、真の文明ではないでしょうか?。
確かに便利さや快適さをもたらす物質文明は、心を喜ばす条件の一つではあります。でもいかに良い条件が整っても、
心に悩みがあっては真の幸せを掴むことはできないのです 物質文明は幸せを獲得する一手段ではありますが、目的では無いのです。
それに対して精神文明(真の自分を知る文明)は、幸せ得る目的そのものなのです。
なぜなら、真の人間を知らずして精神文明はあり得ないし、真の幸せもあり得ないからです。 今の物質社会が幸せなら昔の人は不幸だったのでしょうか?
そうではありません
今の時代の方が精神的に病んでる人
自殺者などは圧倒的に多いのです
物質社会では他人と自分を比べた時から
不幸は生まれます
人は他者と比べた時から劣等感が生まれるのです
http://lightworking.mobi/archives/71 私達の心は本来
思いやり 気遣い 優しさ 愛などにより
幸福を感じるのです
これが精神的な豊かさです 幸せになるために必要なのは、物質的豊かさではありません。
精神的豊かさです。
精神的豊かさが大切だということは、あることがきっかけで気づきました。
私の家庭は、比較的裕福です。
私が留学できたことも両親のおかげです。
別の言い方をすれば、お金のおかげです。
私は日頃から、高価な物を買っていました。
それもたくさんです。
物がたくさんあるほど、裕福だと思っていたのです。
そのため、以前の私の部屋には、物がたくさんありました。
しかし、違うことに気づき始めました。
高価な物がたくさんあっても、心からの満足感がないのです。
日常に困ることがないはずなのに、心の中は満たされていませんでした。 しかし、たくさん物を持たなくても、親しい友達が1人いるだけで変わりました。
すぐ心の中が満たされ、幸せを感じることができたのです。
もちろん物を持つことで幸せを感じることもあるでしょう。
しかし、精神的豊かさは、友達や家族など、人が大切です。
そうした経験があり、私は幸運にも幸せに気づけました。
大切なことは、精神的豊かさです。
本当は目に見えません。
もちろん買うこともできません。
幸せとは、当たり前のことです。 友達が優しく話しかけてくれたこと
両親からの教育
友達が誕生日を覚えてくれていたこと
自分のことを心配してくれること
誰かが助けてくれたこと
どれもささいなことですが、大きな幸せです。
自分の周りには、すでにたくさんの幸せがあることに気づきます。
それらは精神的なことですから、お金で買えるものではないし、見えるものでもありません。 しかし、生きるために大切なことです。
幸せになるために大切なことです。
それに気づきましょう。
幸せとは、手に入れることではなく、気づくことなのです。
幸せはそこから始まります。
今、置かれている状態がどれだけ幸せであるかということに、気づくことが大切なのです 古から自然を大切にし
自然との共生を大切にしてきたのが
昔の日本人達です
彼等の中にあったのが神道という理念です
自然は神が創ったものであり
人と自然 人と人との調和を大切にしてきました
精神文明の最もたるもので調和の国 和の国です
日本は戦前までそういう精神は根底にありました 「1」 メーソンというアメリカ人――1879-1914
彼は神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的、哲学的、かつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれていると言いました。
「2」 イギリス貴族のポンソンビー1878−1937
皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。
「3」 元フランス大使のクルーデル
私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと。
「4」 米国のウエスト博士
日本の天皇を憧れ「私は絶海の孤島の漁師でもいい、山間僻地の百姓でも いい、日本人になり天皇陛下にお仕えしたいと。
「5」東京裁判のウエップ裁判長は
「天皇は神だ、あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなくてはできない」 「6」オーエンラチモア
「日本が立派にやりとげたことは、アジアに於ける欧米植民地の十九世紀的構造を破壊したことであった」と。
大東亜戦争の意義を讃えました。太平洋戦争とは私もいいません。
これはアメリカに都合のいい言い方なのです。
「7」オランダ国 アムステルダム市長
「日本は各地で侵略戦争をしたとペコペコ謝罪していますが、間違いです。
あなた方こそ、血を流して、アジア民族を解放し、人類最高のよいことをしたのです。
本当は白人が悪いのです。日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。日本軍は欧米諸国すべてをアジアから追放しました。その結果、アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきです。」 「8」英国人ビッケン名古屋商科大学教授
「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だが、
ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。
これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。
自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」
「9」 韓国人 金ワンソプ氏--親日派のための弁明より
「私の個人的な意見を言うなら、日本の神道は人類が作り出した、
もっとも理想的なたかちの宗教だ。」
「10」 フランスのエリート
「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。
他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」 「11」 アメリカ女性歴史学者 ヘレン・ミアーズ
「日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、
精神的満足を齎す(もたらす)自然美への感謝の儀式だ。」
「12」 日本に宣教師ザビエルが来たのは足利時代
ザビエルは記録に残している。
「日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています
それは武士たちがいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、
大変貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されています---。
武士以外の人々は武士を大変尊敬し---。そして、日本に来るなら、真の謙遜が必要」。
「13」小泉八雲
「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、
山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。
日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。
神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える」 14」 ポルトガル人・モラエス 1854年--1929年
「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。
平和で優美な日本の環境のとりことなった。」
「15」 フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ
「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。
私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、
滝の中にアマテラスを見た、と。神聖とは何かを日本でつかんだと話された。
神道の中に神聖を体感されたのである。」
「16」 米国オハイオ州 コーイチ・パリッシュ氏 ワシントン州 「神ながら神社宮司」
「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、
深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。
神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」と確信する。」 17」アーノルド・トインビー
トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。
「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。
それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。
日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、
実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」。
物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。
「18」アーノルド・トインビー
昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、
「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。
「19」社会学者エマーソン
「日本の神社、鎮守の森の中に神聖がある・・・・・」 20」ドイツ植物学者ヒューセン博士
「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、
また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、
日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、
現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。
ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。
日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。
「21」アルベルト・アインシュタイン博士
1933年来日した時の発言、「世界を驚かせた近代日本の発展は、
一系の天皇を頂いていることにある」と分析し「戦いに疲れた世界が求める未来の盟主は、武力や金力ではなく、
あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古くて尊い家柄である天皇家を頂くアジアの高峰、日本である。我々は神に感謝する。
我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と絶賛した 日本人の道とはなにか?
神道
武士道
空手道
合気道
柔道
剣道
茶道
弓道
華道
北海道(笑) 日本人の道とはなにか?
日本人は本来のあるべき道を
外してしまったが為に
現在の世の中のように歪んでしまっているような気がします。
いまの世の中は隠されている部分の方が実体としては大きいのです。
あらゆる分野を多角的に見極めて、初めて見え てくるものがあります。
全体をとらえる事で、新しい未来を描 ける事があります。
私たちは細分化時代に生きているとも 言えます。
極度に専門性が高くなり、「木を見て 森を見ず」となってしまい、
バラバラ に社会を組み立ててしまっている事が 社会のひずみを生んでしまっています 地球全体、社会全体を見つめる事を失 ってしまっているからこそ、多くの対 立が存在するのです。
これからの新しい未来や社会を残して 行く為には、広い視野が必要です。
広い視野により本当の自分の使命や役 割に気づく事もあります。
右や左の政治思想に偏る事無く、
スピリチュアルや自然派だけにも偏る事無 く、
または目先の生活や経済ばかりで もなく、
表面的な情報や裏情報に惑わ される事無く、
その為にも日本人の本来のあるべき道に戻らなければいけない気がします 道の大元は結局のところ
神道になるわけです。
いま一度
縁のある 誠の日本人の方と
地球レベルで地球をよくする実践を
していけたらと思います ちなみに
神道とは
一神教ではなく
教典をもたず
押しつけがましくなく
誰もが気軽に(神社に)お参りできる
これだけで
すでに
既存の宗教の枠組みには
存在しないことが
日本人には
理解できます。 外国は教え
日本は道
今の時代、人間が説いた教えでは駄目なようです。
誰かに教えられそれに従順に従う宗教ではなくて
それぞれが互いに
内在する神性を認め合い
尊重し
生かし合いながら
ともに栄える
【道】
でなくては
これからの混沌とした時代は乗り切れない 神道とはもっとも古く
かつもっとも新しい理念であると言われる。
思想や哲学がないと海外から指摘される今の日本は
ともすれば破滅の方向に向かわんとしている
人類社会を根底から
救済する偉大なる理念が
巌(いわお)として存在している 上西議員にサポーターらから非難の声が殺到したほか現役選手まで参戦する騒動になっている。
上西氏はここで我慢の限界を迎えたのか、
「サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。
他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」と暴言を吐いてしまった 騒動を念頭にしてか、スポーツ番組でキャスターを務めた経験もある小島は
「SNS上で品のない汚い言葉使いをしたり、ひとを傷つける発言をしちゃうひと。
心が満ち足りてないのかなあ」と切り出すと、上西氏を名指し「
北海道旅行してみるのはどうかな」
「サクラマスが滝を登る姿、健気でしたよ」と笑顔の絵文字付きで勧めていた 「まちに関わりたい」。少しでもそんな気持ちがあるのなら、
あなたのまちの商店街に、ふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか。
元気の良い魚屋さん、健康に気を遣ってくれる八百屋のおばちゃん、
自分の店を開く若者。きっと「また、会いたいな」と思える人に出会えるはず。
その出会いが、あなたが自分のまちに関わり、自分らしい生き方を見つけるきっかけになるかもしれません 京都に住むメリット デメリット
https://www.reviews-tower.jp/chie/2680
デメリットは夏とても暑い
冬とても寒い
交通の便がやや不便といったところでしょうか 国内、国外問わず、憧れの地といわれる『京都』。
どんな不便な田舎(環境)でも、住み慣れてしまえば、住みやすい都のように、住み心地の良い土地と思える…
どこかで聞いたことのある「ことわざ」ですよね。
そう『住めば都』です。改まっていうことでもありませんが
でもよく考えてください。京都にはこの言葉は全く当てはまりません なぜなら、このことわざにある「都」そのものだからです。
住めば都?いいえ、住む前から都。
「1000年の都」といわれる京都こそ、真の都の名に相応しいのです。
そんな京都ですが、住んでみないと分からないこともあります。 世界で最も影響力のある米大手旅行雑誌「トラベル+レジャー」の読者投票による2015年の世界の人気観光都市ランキングで、京都市が2年連続で1位に選ばれています(2015年時点)。
これは、日本の京都市が世界一訪れたい場所ということです。
地球規模で京都市という場所は『地上最強のホットスポット』ということになります。 ・ネコ科の一番小さな動物は最高傑作である。 ―レオナルド・ダ・ヴィンチ
・ネコは人が思っているよりずっと利口である。そしていつでも犯罪を習得させることができる。 ―マーク・トウェイン
・犬を飼うことは出来る。だがネコの場合はネコが人を飼う。なぜならネコは人を役に立つペットだと思っているからだ。 ―ジョルジュ・ミケシュ
・ネコを嫌う人には気をつけろ ―アイルランドのことわざ
・人が拒絶を理解するには、ネコに無視されればよい。 ―アノン
・自分の家が大好きだからネコが好きだ。しばらくしたらその二つは見える魂になる。 ―ジャン・コクトー
・惨めさから抜け出す慰めは2つある。音楽とネコだ。 ―アルベルト・シュバイツァー
・ネコに迎え入れられることより心が暖まることは、人生にはそうない。 ―テイ・ホホフ
・トラを抱きしめる喜びを知りたがる人間のために、神はネコをお創りになった。 ―フェルナンド・メリー ・ネコは犬よりも利口だ。雪の上でそりを引いてくれるネコを8匹も集められない。 ―ジェフ・ヴァルデス
・我々は心の奥深くに同じ欲望がある。ネコはそれに沿って生活している。 ―ジム・デイヴィス
・ネコの目には、全てのものはネコに属していると映っている。 ―英語のことわざ
・この世でどうネコに接するかが、天国でのステータスを決める。 ―ロバート・A・ハインライン
・どれだけ多くの時間をかけても、猫との良き思い出は消えない。どれだけ多くのテープを使おうと、ソファに残されたネコの毛は取り除けない。 ―レオ・ドウォーケン
・一匹のネコから次へと広がる。 ―アーネスト・ヘミングウェイ
・ネコの飼い主が知っているように、誰もネコを所有していない。 ―エレン・ペリー・バークリー
・ネコを嫌いな人は、来世ではネズミとして戻ってくる。 ―フェイス・レズニック ・ネコも当然男の親友になれるが、ネコはそれを認めてはくれない。 ―ルイス・J・カミュティ
・ネコはどこに座れば不便になってしまうか、その正確な場所を数学的に計算できる。 ―パム・ブラウン
・ネコは気にかけてくれる。例えば本能的に、我々が何時に仕事に行かないといけないのかを知っており、目覚まし時計がなる20分前に起こしてくれる。 ―マイケル・ネルソン
・ネコは床が水であるかのように体を投げだす。 ―ウィリアムス・リオン・フェルプス
・ネコは人間に対する意見を持っている。ほとんど何も言わないが、全部を聞かないほうがいいのは確かである。 ―ジェローム・K・ジェローム
・ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。 ―エドガー・アラン・ポー
・ネコの愛より偉大なギフトがあろうか。 ―チャールズ・ディケンズ ・ネコは絶対的な正直さを持っている。 ―アーネスト・ヘミングウェイ
・僕は家にいるどの猫とも喜んで立場を変えていい。 ―ジョージ・ネイ
・イスタンブールで会った男が、絶対に神はネコだと言った。どうしてそれがわかるのかを尋ねたらこう言った。「神に祈っても、無視されるから」 ―ローウェル・トーマス
・犬は自分を人間だと思っている。猫は自分を神だと思っている ―不詳
・犬は呼ばれたら、すぐに来てくれる。猫はメッセージを取って去り、あとになって帰ってくる。 ―メアリ・ブライ
・猫の持つ清潔さ、愛情、忍耐力、尊厳さ、勇気の質を考えると、何人が猫になる能力を持っているだろうか ―フェルナンド・メリー 5000年の歴史は、文明の興亡の歴史でもある。シュメール、アレクサンドロス王国、ローマ帝国、モンゴル帝国、
清帝国 ・・・ その全盛期を思えば「滅亡」など想像もできない。
ところが、現実は ・・・ みんな滅んでしまった。建国以来、「万世一系(一つの皇統が続く)」を貫いているのは、日本のみ。
つまるところ、
文明は、生まれ、栄え、滅ぶのである。
では、あらためて ・・・ 文明はなぜ滅ぶのか?
異民族の侵入、内乱・革命、自然災害、気候変動、原因はいろいろあるが、行き着くところ、
「問題の複雑さ > 人間の問題解決能力 古代文明にとって、「塩害」は天敵だった。
ところが、「塩害」を防ぐのは現代の技術でも難しい。
石灰系の資材を土壌に入れ、真水を散布すれば、塩分は洗い流せる。
ところが、真水を得るのが難しい。塩水を真水に変える「淡水化技術」は現代でもハイテク。しかも、莫大なコストがかかる。
というわけで、「塩害」は、4000年前のシュメール人にとって、とてつもない難問だった。 マヤ文明は、紀元前2600年前に興り、紀元300年〜750年にピークを迎えた。
ユカタン半島(現在のメキシコ、グアテマラ、ベリーズ)に位置し、70の都市を包含し、人口は1500万人に達した。
この時代、世界有数の文明圏である。さらに、貯水場、運河、ダム、堤防など大規模な水利事業にも長けていた。
つまり、ハイテク文明。
ただし ・・・
マヤ文明のカリスマはそこではない。
まずは、異常な自然環境 文明が発生する場所は、四大文明をみるまでもなく、河川沿いの平野と決まっている。
ところが、マヤ文明が興ったのは、熱帯雨林のジャングル地帯。高温多湿で蒸し暑く、怪獣(野獣)がウロつく危険地帯、
しかも、文明に欠かせない「河川」もない。
なんで、よりによってこんな場所に?
ジャングルの方が、存在を隠せるし、他国から侵入されにくいから。
それに、ハイテクで環境を改造すれば、快適に過ごせる。だから、悪環境の方がむしろ都合がいいわけだ。
マヤ人は、どんだけハイテク? 空飛ぶ円盤飛んでけぇ〜、と言い放つ前に、動かしがたい証拠もある。
マヤ人の暦(こよみ)が”人間ばなれ”しているのだ。地球の文明の暦は、太陰暦、太陽暦、グレゴリオ暦、いろいろあるが、
それぞれ、暦は1つしかない(あたりまえ)。そして、日付は「年・月・日」で特定される。
ところが ・・・
マヤ暦は、複数の暦が複合したハイブリッド暦。
面倒臭ぁ〜、でも ・・・ 構造はチューリングマシンのように異形で、
とてもセクシーなのだ。
それがどうした?
原理にしろ、テクノロジーにしろ、
セクシーなものほど真実に近い!(言い切ったぞ) マヤ人は、このハイブリッド暦を気象予測に利用した。
雨期を予測し、雨水を最後の一滴まで利用するために。というのも、マヤ地域は水源になる河川がなかった。
そこで、貯水場、運河、ダム、堤防を駆使して、雨水を徹底利用したのである。結果、土木工事の技術が発達した。
さらに、マヤ人は天文学に取り憑かれていた。国中に天文台(望遠鏡はない)を設置し、星々の運行を観測し、
データ収集に没頭したのである。その集大成が、あの精緻なマヤ暦だったわけだ。
一方、大規模な土木工事や天文学には、高度な数学が欠かせない。その結果、生まれたのが「0(ゼロ)」の概念だった。「0」があれば、桁上がりが使えるので、
少ない記号で数を表現できる。たとえば、2進数なら「0」と「1」、10進数なら「0」〜「9」の記号を使って、どんな大きな数でも表せる。 こうして、マヤ文明の繁栄は永遠に続くかと思われたが、紀元750年を境に衰退が始まる。そして、紀元850年頃には誰もいなくなった。国が廃棄されたのである。
わずか100年の間に、何が起こったのか?
外敵(メキシコ)の侵入、内乱、疫病、気候変動など諸説あるが、最も有力なのは水不足。
じつは、これには強力な証拠がある。
気象地質学者のゲラルト・ハウクは、べネズエラ沖のカリアコ海盆の堆積物を調査した。その結果、
マヤ人が国をすてた時期、3度の大干ばつが確認されたという さらに ・・・
この時期の骨を調べると、みんな栄養失調 ・・・
つまり ・・・
紀元750年〜850年頃、マヤ地域に深刻な干ばつが襲い、主食のトウモロコシの収穫が激減し、食うにも事欠くようになった。そして、努力の甲斐もなく、
この問題を解決することができなかった。だから、国を捨てるしかなかったのである。
とはいえ、マヤの「水不足」はシュメールの「塩害」よりもマシに思える たとえば、
1.貯水地を増やす。
2.新たな水源を見つける。
ところが、こんな正攻法で解決できるほど、マヤの問題は単純ではなかった。
「大干ばつ→水不足→トウモロコシの収穫量激減→食糧不足」
ここまでは想定内。
ところが、食糧不足がマヤの問題を複雑にした。食糧不足が続けば、
民衆の不満が高まり、暴動や反乱が起こりやすくなる。さらに、限られた食糧資源をめぐって、地域間の戦争も頻発するだろう。
つまり、事の発端は「水不足」だったが、そこから様々な問題が派生し、からみ合って、問題が複雑化したのである。
こうして、マヤ文明は、「問題の複雑さ > 問題解決能力」が起こり、
レベッカ・コスタの言う「認知閾」を超えたのである。 人間のDNAには、2つの問題解決方法が実装されている。
科学と宗教、つまり、「疑う」と「信じる」。
これは誇張ではない。
科学の基本は「疑う」。ルネ・デカルトが「西洋合理主義」の父として尊敬されるのは、それまでの常識をすべて疑ったから。
「疑う」こそが、科学を進化させる源泉なのである。
一方、宗教は「信じる」で始まり、「信じる」で終わる。
一神教の場合、「信じる」の対象はもちろん聖書。そして、聖書に書かれたこと以外は、すべて異端として切り捨てられる。
つまり、宗教とは聖書で自己完結した世界なのだ。 昔、ここはえる嬢の拠点だったので、私は積極的には書き込みしませんが
読んでますよ〜 暦についてですが、日本では明治になるまでは太陰暦(旧暦)を使用していました。
現在の暦は太陽暦です。
太陰暦は、月の満ち欠けを基本としており、昔は日本語では暦を読むことを
「月を読む」「ツキヨミ(ツクヨミ)」「月読」と言ったのです。
暦と言えば近代まで太陰暦であったため、暦を読むとはすなわち月を読む
ことであったのですね あまりなじみがありませんが、月読神という神様がおります。
月読神は伊邪那岐神の三貴神の一です。天照大神、須佐之男神と兄弟になります。
月は地球と同様に自転しており、なおかつ地球の周りを公転しています。
でも、地球からは常に止まっているように見えます。
月の自転周期と公転周期がともに27日7時間42.2分とピッタリ一緒だからです。
また、月が地球に対して常に同じ位置しか見せないのですね。
何故かお月様は裏側を地球に見せないようにしてるのね。
不思議ですね 因みに猫ちゃんの波動は
とっても高くて強いです
ワンちゃんの波動と全然違うのです
ワンちゃんの波動の方が人間に近い
ほんわりとしたオーロラのようなクライアント様の波動の中に
突然宝石質のルビーがキラキラ!と輝いているような感じです
こういったエネルギーの高さや強さが猫を「霊的な動物」として見る方が多い原因かも知れませんね 「路線」がシンプルなのねw
確かに東京行ったとき渋谷とか新宿で泣きそうになった。 ポーター教授は英紙「DailyMail」の取材に対し、「人間の認識能力は限られています。
しかし都市の交通網の複雑性はどんどん成長しており、人間の限界を超えてしまいました」と話す。 馬鹿(*´・ω・`)dsよねぇ
自分達で物事を複雑にしてしまってるんですよ
そしてその事に誰も気付かないし誰も直そうとしない 神道にはイエス・キリストや釈迦のようなカリスマ創唱者が存在せず日本の風土や生活習慣から自然に発生しました。
要するにエスキモーやインディアンと同じくシャーマニズムなのです。
神道において「神」は自然そのものであり、恩恵を与えるのも 「神」、天変地異を引き起こすのも「神」でした。
そして「神」と「人々」を繋ぐのが卑弥呼のようなシャーマンの存在だったのです。
シャーマンは「神」の言葉を代弁することで血縁や地縁で結ばれた部族の行く末を示す存在でした。
神道はシャーマンを中心とした地方共同体の要の役割を果たしてきたのです。 ひ・み・こ
男性が戦う仕事が有ったように、女性には神の声を聞く大切な仕事がありました。
その神様の声を聞く仕事をする女性が巫女です。
ひみこは、おそらく【陽巫女】だと思われます。
征夷大将軍が、将軍の中でも一番力があるのと同じように、あまたいる巫女にも、
通信できる神様が違っていても不思議はありません。 現代でもそうですが、その人の格に応じて、聞こえる神の声には差があるのが普通のことです。
つまり【陽巫女】は特別な巫女ということになります。
おそらく、【太陽意識】の声を聞くことができた巫女さんなのでしょう。
その当時は、自然信仰が普通であり、その中でも最も太陽信仰が強かったでしょう。
現在のように銀河と言っても理解できない人たちに銀河意識の言葉を伝えても意味がありません。 それであれば、根源神や銀河意識なども、太陽神の言葉として伝えるのが良いということになります。
ただし、誰もが、そのレベルで神降ろしができるわけではありません。
その時代に一人いるかいないかでしょう。
それだけ稀有な存在であるから、国の統治もまかされても自然なことです。
これが【ひみこ】が女王であることの理由でしょう。
つまり、【陽巫女】は、太陽意識以上の存在と意思疎通ができた、優秀な巫女だということです。 シャーマンとは、神や精霊からその力を得て、神や精霊との直接交流によって託宣、予言、治病、祭儀などを行う呪術−宗教的職能者である。
日本ではシャーマンを巫者、巫師、巫術師と呼び、
シャーマニズムを巫術、巫道、巫教と称している 陽巫女はおばあさんでしたね
1発ギャグを伝授しました(*´∀`) 後世の人達により
陽巫女は太陽神 天照大御神の化身
として神格化されたのです 日本人は一貫して争いを好まず、出来るだけ話し合いで物事を解決しようとしてきた民族である。しかし同時に「武の国」として、不正を許さない国でもあった。この「武の国」の側面は次回に述べる。
然からば聖徳太子は何故一七条の憲法の冒頭に「和を以て尊しとなす」と書いたのであろうか。私は日本古来の神と伝来の仏教との和解だったと思う。
欽明天皇時仏教が伝来し、仏教を信じる蘇我氏と、在来の神道を信じる物部氏の対立が始まった。遂に587年蘇我氏は物部氏を攻め滅ぼした。
この物部攻めに太子は蘇我の一門として加わっている。 聖徳太子は仏教に深く帰依していた。
しかし五九九年の大地震、602年の征新羅軍将軍木目皇子の病死とそれに伴う新羅征討軍の派遣中止等、何らかの理由により、神道との和解が必要となったのであろう。 聖徳太子は「日本の神々を幹として、仏教を枝として延ばし、日本を豊かな国にしていこう」と諭されたとのことである。
この結果日本の神仏は混淆し、神社と寺院が同居するようになった。
そしてあらゆる神に敬虔な「神の国」が出来たのである。森元首相の「神の国」発言が非難されたが、神様も仏様も、キリストにもマホメットにもそれぞれの素晴らしさを認め、
それぞれの神に敬虔である。森羅万象すべてに神が宿ると考える。まさに「神の国」だと思う。
無実の罪で筑紫に流された菅原道真は天神様と崇められ、国に反乱した平将門も将門神社や神田明神に祀られる。
戦争が終われば敵方の戦死者を含め、厚く葬る。死者に鞭打つより、死者の呪いを解放しようと言う意味もあるように思う。
世界の各地で宗教をめぐって戦争が起きているが、日本では考えられないことである。 日本における「宗教に対する政治の優越」を確立したのは、織田信長である。比叡山の焼き討ち、石山本願寺攻めで、宗教の呪縛を解き放った。
豊臣秀吉のバテレン追放、徳川幕府の鎖国も「神の絶対優位」を求めるキリスト教を危険宗教と認識したからであろう。
秀吉・家康は信長の武将として比叡山・本願寺と戦った。特に家康は今川から独立直後の青年時代、一向一揆に大変苦しんだ。
恐らく鎖国しなければ、キリスト教信者の大名が各地に出来、
ヨーロッパの宗教戦争の余波を受けた可能性が高い。この信長から家康に至る決断こそ徳川300年の平和を作ったと考える まあ、日本は、西洋の民主主義を、それをそのまま、取り入れても、うまく機能せんわね。
それは、ヨーロッパや米国では、当てはまるかもしれんが、日本では、日本的な民主主義を作り上げんといかん。
そういう努力をこれから日本人は取り組み、つくり上げんとね。でないと、国民に根付かんね。
聖徳太子さんのな、あの『十七条の憲法』の第一条に“和をもって貴し”とあるね。
人間は、お互いに仲良くすることが大切であって、争いや戦争などしてはならない、
和の精神を貴び、平和を愛好しなくてはならないということだと思う。
そういうことをいろいろ考えてみると、日本人には、知らず知らずのうちに、和の心というか、精神が培われていると 日本人は、もともと、そうした和の精神を民族の伝統として持っているのであり、
そのことを忘れてはならんな。長い歴史を通じて受け継がれてきた”和を貴ぶ精神”、それをはっきり認識し、
その上に立って、平和というものを求めていくことが、きわめて大切ではないかと思うな。 ●多くの欧米人がいろいろ観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。
だからこそアメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。
欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、
この国では全くそうでないことに驚いたのである。
●イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で、日本についてこうまで言っている。
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。…その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
その神のようにやさしい性質はさらに美しく、
その魅力的な態度、その礼儀正しさは、
謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、
あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである」 ●ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。
「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、
そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」 見ざる 聞かざる 言わざる
ちょっとした仕草に奥ゆかしさを感じます
http://heaaart.com/post/13997/3 白人は日本に原爆落として
戦争を終結させましたよね
悪魔ですよね白人は(^_^;) インディアン、日本人、黒人,インド人などたくさんの人を殺し、
アフリカの国境をわざと適当に引いて、内戦をやらせて、日本をアメ
ポチにして、
中国を煽り、韓国を煽り、日韓中は絶対仲良くならないように仕組み(
彼らの国民性もあると思います),相変わらず戦争ばかりです。 当時、世界は△白人たちによる…、
「白人至上主義、有色人種差別」が蔓延していた…。
欧米諸国によるアジア侵略と、植民地化という時代が続き…、
有色人種(アジア諸国)は△白人により搾取され、奴隷として支配されていた…。 この支配が未来永劫続くかも知れない、世界背景の中…、
世界最強と謳われた「超大国」ロシアを破り…、
「白人優位、白人不敗」の神話を崩壊せしめ…、
有色人種国家で唯一「列強国」となった、アジアの小さな国があった…。
その小さな国は…、
「人種差別・人種平等」を、世界に訴え続けた…。 1919年、国際連盟に人種差別撤廃条項を盛り込むよう提出…。
欧米列強によって分割・植民地支配されていたアジア・アフリカ地域の民衆も…、
その提案を支持した…。
閣議では11対5と賛成多数となったが…、
呆気なく否決された…。
議長のアメリカがこれを採用しなかった…。 1933年、常任理事国だったその国は…、
国際連盟を脱退…。
国内世論は拍手喝采で迎えた…。
その国 日出ずる国
日 本 -JAPAN- 日本は、大東亜共栄圏のスローガンのもと…、
欧米の苛烈な植民地支配から、アジアを開放していった…。
これは有色人種の△白人種に対する、壮絶な巻き返しであり…、
当時その力と気迫を持っていたのは日本だけだった…。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています