>>91
そうした像を造るからには、それにふさわしい重要人物であったはずです。
人物というより、神、そのものです。
シュウさんも、その点に触れ、法隆寺側が説明しているように、ただの侍像というのは、おかしい、と。
たしかにおかしいです。
法隆寺の侍像は、鎌倉時代の運慶、快慶の彫った像と、たいへんよく似た衣服を身にまとっています。
衣服といっても、古来より、日本にはない衣服です。
で、法隆寺の像の顔は、シュメールの神、女神のそれと一致します。
似ているとか似ていないとかいうレベルの話ではありません。
一致します。
法隆寺の像がシュメールから運ばれてきたということも考えられますが、法隆寺の像は、正座しています。
日本人には当たり前の座り方ですが、世界的に見ると、たいへん珍しい座り方です。
私が知る限り、日本人のような正座をしている姿は、ミトラ教の神事での様子を描いた絵の中だけです。
状況証拠は真っ黒です。
つまりシュメールから日本へきたとは、考えられません。
が、顔は一致しています。
となると考えられる可能性は、シュメールの神々が日本へやってきて、日本流に正座をしてみせた。
あるいは日本の神々が、シュメールへ渡った。
ほかにもいろいろ考えられますが、事実はひとつ。
法隆寺の像と、シュメールの像が一致しているということです。
これが事実です。
動かしがたい事実です。
つまりこの事実を、どう考えるか。
それが今日の謎解きということになります。