こんなん?

日本人の墓は建築資材に
http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/anaba/20091102_2087.shtml
西日本新聞
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建材として余ってしまい路上に放置された墓石

 韓国釜山市西区峨嵋洞地区。足元に目を落とすと、「国分治之墓」「西山家之墓」などと刻まれた
日本人の墓石が、塀や家の基礎など、至る所に使われている。日本統治時代(1910-45年)、ここに住
んでいた日本人の墓石だ。

 塀に埋め込まれた墓石、プロパンガスや植木鉢の台にされた墓石、階段の一部と化した墓石。中に
は欠けて路上に放置されたままのものもある。

 日本人の墓は墓石を囲む3メートル四方ほどの囲いがあるものが多く、囲いを柱にして屋根を張ると
小さな家ができたというのだ。家族が暮らすには中心部の墓石が邪魔になるので取り払い、階段や塀
などに使った。

 西区の峨嵋洞事務所長も務めた金課長によると、同地区には300基ほど墓があったらしい。現在、
目で確認できるのは100基ほど。共同墓地の管理人が持っていたという全5巻の名簿も墓地移転で
紛失し、全体像はつかめない。