(続き)

ハスルの「Let Me In」にしても

私はあなたになっていくの
少女は少年の少女

と歌われているのは、自分の中の性を意識する年齢の極短い時期の心理だ。
それまでは、男でも女でもなかった「少女」から、ただ一方の「女」を否応なしに選択せざるを得なくなる。
だからこそ、自分の中の男性性に戦くと同時に、それはもう失われてしまうものなのだという愛惜がある。なくしてしまうこと
で自分はどうなっていくのかの不安もあり、揺らめく感情の中で現実から少し浮き上がったような夢想に身を委ねる気持ち。

この時期を通過してしまってから、客観で振り返って「技術」で再現するのがプロだが、やはりそこには「観察」の距離感が生じ
てしまって、生々しい感性表現とは違う「作品」になってしまう。

凍りついたようなアイスランドの風景の中、自分で自分の中の「少年」を殺すという感覚は、ハスルの素人くさい硬さと無表情が
あってこそリアルなものになる。多分、彼女がこの先キャリアを積んでいった後でこの歌を歌うのでは全く違ってくるだろうと
思う生々しい情感が、PVに刻み込まれていると思うし、そうでなければ、俺はこの曲やLOONAにこれほどまでに惹きつけられる
ことはなかったのではないかなと思ってる。

季節商品でしか無いし、その先のキャリアを考えた時にその稚拙さは彼女たちの黒歴史になってしまうかもしれないけど。今の高
度に管理されたK-POPアイドルビジネスの盲点というかなーー最低限「ヘタウマ」にはならないように調整された上で、当人たち
の持っている空気感を最優先して商品にパックしようとしたこのBBCの手法は、すごく新鮮だなあと思うわけ。

この先彼女たちが、プロフェッショナルとして場数を踏み、技術を身に着けていく過程で、これらの作品を再演する時には「自己
模倣」ーー「かつての自分」を演じることになっていくとも思うんだけど、その当時の自分の感性をリアルに作品化してもらって
いることで、何度でもその時点の心理に立ち戻ることができるだろうし、その上に深化した表現力が重なることで、作品はより深
身を増すのではないかな。

完全なプロレベルに達してしまってから、どこかに居る十代の少女像の「あるある」を演じるのか、かつての自分を思い返しなが
ら再現するのとでは、意味合いが完全に違うと思うし、そこがTwiceやBlack PinkとLOONAのコンセプトの違いなんだと思う。

どっちが優れているとかではなく、LOONAの狙いは前衛的で面白いし、この先どう変化するか見届けたい気持ちがある。