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カレン・ホーナイの人間分析理論 第3巻 [転載禁止]©2ch.net
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0001名無しさんの主張
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2015/08/02(日) 13:07:44.44ID:???
カレン・ホーナイは、精神分析学創始者ジークムント・フロイト(1856〜1939)の研究理論に大きく修正を
加えて発展させ、人間心理、精神病理について、非常に優れた包括的な理論体系を完成させました。
彼女の鋭い洞察・分析は、より良い人間、人間関係、教育、社会などを考える場合の基礎、指標とするに
値するのではないでしょうか?。
ホーナイの研究は、現代日本社会においても、もっと評価、注目、活用されるべきではないでしょうか?

●カレン・ホーナイ Karen Horney(1885〜1952)
ドイツのハンブルク近郊生まれの精神分析学者、分析医。1932年に渡米し、その後は、アメリカを
本拠地として精神分析学の研究を行った。
1950年に出版された「Neurosis and Human Growth」には、集大成として、彼女の理論、考察の
到達点が記述されている。
0003 ◆4otEyhoCdw
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2015/08/02(日) 13:31:50.21ID:OY0sVHBk
 
/// 精神分析療法の道 80 ///////////

カレン・ホーナイ(Karen Horney)著
原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行
邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修
藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より

・・・・

 こうして成長していく間に、患者はまた、遅かれ早かれ、自分の単なる個人的な興味を
超えた一歩を踏み出していく。彼は神経症的自己中心性を克服し、自分個人の生活や世間
一般に関してもっと幅広い問題を意識するようになる。これまでは類稀な重要な例外だと
思っていた自分も、大きな全体の一部であると、しだいに感じるようになってくる。そして、
彼は自分から進んで全体のなかでの自己の責任を分担し、自分にできる限りの仕方で建設的な
貢献をしようと努め、またそれができるようにもなる。それは、若い実業家の例における
ように、同じ職場で働いている人々全体の問題を意識することである場合も、また、家庭や
地域社会や政治的な場における自分の地位に関することの場合もある。この一歩が重要で
あるのは、それによって彼の個人的な視野が広められるからだけではない。彼は社会における
自分の地位を見出し、それを受け入れることで、社会に積極的に参加しているという所属感から
生じる心の安定を得ることができるのである。

・・・・

///// The Struggle Toward Self-Realization ///
0004 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/02(日) 19:45:51.73ID:OY0sVHBk
 
/// KAREN HORNEY ////////////

カレン・ホーナイ(Karen Horney)著
NEUROSIS AND HUMAN GROWTH: The Struggle Towards Self-Realization 1950年出版

邦訳:神経症と人間の成長 (ホーナイ全集)、 誠信書房 (1998/06) 、榎本 譲 (翻訳), 丹治 竜郎 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4414420067/

邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』(叢書・人間なるもの)
アカデミア出版会(1986/10) 対馬忠監修、藤沢みほ子、対馬ユキ子訳
http://honto.jp/netstore/pd-book_00428165.html
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/04250698/
http://www.keibundo.co.jp/search/detail/0100000000000004250698

////// NEUROSIS AND HUMAN GROWTH ///


 
0005 ◆4otEyhoCdw
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2015/08/03(月) 20:37:08.65ID:/gE8rglu
 
/// 理論的考察 1 ///////////

カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:1950年発行
Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization
邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修
藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より

・・・・

第15章 理論的考察

 本書で述べられている神経症の理論は、私が以前の著作で論じた概念から徐々に発展してきた
ものである。この発展が治療にとってどのような意味をもつかについては前章で既に述べたので、
あとは神経症についての全般的な見通しや個々の概念に関して、私の考えに生じた理論的な
変化を吟味するだけである。

///// アカデミア出版会 ///
0006 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/04(火) 06:39:50.80ID:bt/gmo9y
 
/// 理論的考察 2 ///////////

 フロイトの本能説を捨てた多くの人々と同じく、私も当初は神経症の核心が人間関係にあると
見ていた。この人間関係は、一般的に言えば文化的条件によって、個別的にはその子どもの
精神発達を妨げる環境要因によってもたらされると私は指摘した。子どもは自己や他人に対して
基本的信頼を発達させる代わりに、基本的不安を抱くようになる。基本的不安とは、敵意を
秘めた世間に対する孤立感や無力感と、私が定義したものである。この基本的不安を最小限に
抑えるために、他人に対する自発的な接近、対抗、逃避の動きが強迫的性質を帯びるように
なった。こうした動きは、自発的なうちは並存することができたが、強迫的になると互いに
ぶつかり合った。こうして発生した葛藤は、私が基本的葛藤と名づけたものであるが、他の
人々に関して葛藤する欲求や態度をもった結果生じたものである。この葛藤を解決しようとして
まず最初に試みるのは、主に、これらの欲求や態度のあるものをまったく自由に任せ、他の
ものを抑制することによって、統合を得ようとするものであった。

///// 邦訳 1986年10月発行 ///
0007 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/04(火) 19:52:01.61ID:bt/gmo9y
 
/// 理論的考察 3 ///////////

 ここに述べた要約はいくぶん簡素化されたものである。というのも、心内の過程は対人関係の
過程とあまり深く絡み合っているので、心内の過程を完全に省略することは私にはできなかった
からである。心内の過程については種々の箇所で触れてきたが、そのうち二、三のものだけを
ここに挙げよう。私は神経症者の愛情を求める欲求や、それと同様な他人に関する欲求について
論じた時、いつも神経症者がそうした欲求を充たすために自分の内部にどのような性格や態度を
育てねばならないか、考えずにはいられなかった。さらに、私が『自己分析』のなかで挙げた
「神経症的な諸傾向」のなかにも、心内的な意味をもったものがいくつかあった。例えば、
意志力や理性による統制を求める強迫的欲求や、強迫的完全欲のようなものである。その問題に
ついては、クレアが自分の病的依存を分析したことを論じた際に(それは『自己分析』でも述べて
いるが)、本書の同じ文脈で挙げている様々な心内の要因と共に、要約した形で取り扱った。
だが、その当時、私は明らかに人間関係の要因に中心を置いていた。私にとって神経症はまだ
本質的に人間関係における障害だったのである。

///////// 対馬忠監修 ///
0008 ◆4otEyhoCdw
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2015/08/05(水) 19:58:04.03ID:MhGzbseI
 
/// 理論的考察 4 ///////////

 この定義から初めてはっきりと一歩を踏み出しだのは、他人に関する葛藤が自己理想化によって
解決されうると主張した時であった。『内的葛藤』のなかで理想像という概念を表明した時には、
私はまだその意味を十分につかんでいなかった。その当時、私は理想像が内的葛藤を解決するため
の一つの試みであるとしか見ておらず、人がこの理想像に執拗に執着するのは、それが統合的な
働きをもつという、まさにそのことによるのだと思っていた。
 しかし、それに続く数年の間に、理想像の概念は私の中心的な問題になり、そこから新しい
見通しが発展してきた。理想像は事実、本書で述べた心内の過程の全領域への門戸になった。
私はフロイトの概念によって科学的にはぐくまれてきた者であるから、こうした領域が存在する
ことは知っていた。しかし、フロイトの理想像についての解釈は、私には一部分しか意味をなして
いないように思われ、したがって、それはまだ未知の状態のままだった。

///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
0009 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/05(水) 22:00:32.19ID:MhGzbseI
 
/// 理論的考察 5 ///////////

 私に今しだいに分ってきたのは、神経症者の理想像が価値や意義に関する間違った信念を
つくり上げるだけにとどまらないということである。それは怪物フランケンシュタインのような
創造物であり、神経症者のもつ最高のエネルギーをしだいに吸い取り、ついには、成長し自分の
可能性を実現しようとする欲動までも奪ってしまう。つまり、彼はもはや現実に障害に取り組み、
それを克服し、自分の可能性を実現することには関心をもたず、理想化した自己の現実化だけに
熱中する。理想像には、成功や権力や勝利によって世俗的な栄光を得ようとする強迫的欲動だけ
でなく、自分を神のような完全な存在につくり変えようとする専制的な内的体系もともなって
いる。つまり、理想像と共に、神経症的要求や神経症的誇りも発達するのである。

///// 神経症と人間的成長 ///
0010 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/06(木) 20:19:38.22ID:nQZKG3iV
 
/// 理論的考察 6 ///////////

 理想像についての初期の概念がこのように洗練されていくにつれ、もう一つの問題が出現
した。自己に対する態度に焦点を当てていた時、私は人が自分を理想化するのと同じ強さや
非合理性をもって自分を憎み軽蔑するのだということに気づいた。この二つの相反する極は
別のものであると、しばらくの間私は考えていた。が、ついには、この二つが密接に絡み合って
いるだけでなく、実は一つの過程の違った側面であることが分った。そこで本書の初稿では
次のことが主題になった。神のような存在は自分の現実の存在を必ず憎むものだ。この過程が
実在することを認めれば、両極はもっと治療しやすくなる。神経症の定義も変わってきた。
神経症は今では、自己および他人との関係における障害になった。

///// 自己実現の闘い ///
0011 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/06(木) 22:07:12.32ID:nQZKG3iV
 
/// 理論的考察 7 ///////////

 この主題が現在でも、ある程度主要な論争点であることに変わりはないが、近年それは二つの
方向に発展している。真の自己という問題は、多くの人々にとってと同じく、私にとっても常に
不可解なものであったが、その問題が私の考えの前面に出てきて、私は自己理想化に始まる心理
過程全体を、自己疎外が進行していく過程であると見るようになった。さらに重要なことは、
最近の精神分析で、自己嫌悪が真の自己に向けられるのを知ったことである。誇りの体系と真の
自己との間の葛藤を、私は中心的な内的葛藤と呼んだが、それによって神経症的葛藤の概念は
いっそう拡大した。以前、私は神経症的葛藤を二つの互いに相容れない強迫的欲動の間の葛藤と
定義したことがある。この考えは今でも変わっていないが、神経症的葛藤はそればかりではない
ことも分ってきた。中心的な内的葛藤は、真の自己のもつ建設力と誇りの体系のもつ妨害力との
間の葛藤であり、健康な成長と理想化した自己の完全さを現実に証明しようとする欲動との間の
葛藤である。それゆえに、精神分析療法が自己実現へ向かうための一つの助けになったのである。
ここに述べた心内の過程が一般に妥当であることは、われわれのグループ全体の臨床経験によって、
ますます確信されるようになった。

///// 原著 1950年発行 ///
0012 ◆4otEyhoCdw
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2015/08/07(金) 20:56:41.64ID:VIg1wtHB
 
/// 理論的考察 8 ///////////

 一般からもっと具体的な問題へと研究を進めるにつれ、われわれの知識体系も成長していった。
私の関心は、違った「種類」の神経症や神経症的性格の内部における差異へと移っていった。
当初、その差異は意識の違いとか、内的過程のどの側面が分析しやすいかの違いとかのように
見えた。ところが、それは、心内の葛藤に対して患者が様々な見せかけの解決法をとった結果
であることが分ってきた。こうした見せかけの解決法は、様々な型の神経症的性格を確立する
ための、新しい――試験的な――基礎を提供したのである。

///// Neurosis and Human Growth ///
0013 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/07(金) 22:42:06.24ID:VIg1wtHB
 
/// 理論的考察 9 ///////////

 ある理論的な定式に達すると、それを同じ分野で働く他の人々の理論と比べてみたい気持になる
ものだ。他の人々はこうした問題をどのように考えてきたであろうか。生産的に働き、しかも
良心的に文献を読むためには時間もエネルギーもあまりにも限られているという、単純だが、
どうにもならない理由から、ここでは私とフロイトの概念の類似と差異を指摘するにとどめな
ければならない。作業をそれだけに限っても大きな困難がある。個々の概念を比較するだけでは、
フロイトがある理論に到達するに至った思考の妙を正しく評価することは、ほとんど不可能に
近い。そのうえ、哲学的な観点から言えば、個々の概念をその文脈から切り離して他と比較する
ことは、許されるものではない。それゆえ、細部についての解釈にはそれぞれ驚くほどの差が
あっても、ここでそうした詳細に立ち入ることは無益である。

///// Karen Horney ///
0014 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/07(金) 22:52:34.05ID:VIg1wtHB
 
/// 理論的考察 10 ///////////

 栄光の追求に含まれる要因を概観してみると、私は以前、あまりよく知らない場所へ向かって
航海に出帆した時のような感じを受ける。フロイトの観察力には驚嘆する。彼は科学的に前人
未踏の分野で開拓者としての仕事を成し遂げ、しかも自分を束縛する理論的な前提と闘いながら
それを行なったのであるから、なおいっそう印象深い。彼が全然気がつかなかったような、
あるいは重要だと思わなかったような側面(実は問題なのだが)はほんのわずかである。その
一つは、私が神経症的要求として今まで述べてきたものに関連している。フロイトはもちろん、
多くの神経症者が他人に不当なまでに期待する傾向のあることを認めていた。また、こうした
期待が切迫したものになることがあるのも知っていた。しかし、彼はそれを口唇リビドーの
一つの現われと見たので、そうした期待が「要求」という特定の性格――すなわち、自分には
それを当然満たしてもらう権利がある請求といううような性格――をもつことがあろうとは思わ
なかった。

///// The Struggle Toward Self-Realization ///
0015 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 06:54:02.07ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 11 ///////////

その結果、彼はこの要求が神経症で中心的な役割を果たしていることも知らなかった。
フロイトはまた、いろいろな文脈で「誇り」という言葉を使っているにもかかわらず、神経症的
誇りのもつ特定の性格や意味も認めていなかった。しかし、彼は、神経症者が魔術的な力を信じ
全能という幻想を抱くこと、自分自身や自分の「理想的な自我」に熱中すること、すなわち、
自己拡大や禁止の美化などをすること、強迫的競争心や野心をもつこと、権力・完全性・尊敬・
承認を求める欲求をもつこと、を確かに観察していた。
 フロイトが観察したこれらの様々な要因は、彼にはばらばらで、お互いに関連のない現象に
見えた。それらは一つの強力な底流が様々な形で現われたものであることを、彼は見逃していた。
言葉を換えて言えば、多様性のなかに統一が存在することを、彼は見落としていた。

///// アカデミア出版会 ///
0016 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 09:17:01.28ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 12 ///////////

 栄光を求める欲動が神経症の過程に及ぼす影響とその意味をフロイトが認め損なったのには、
三つの主な理由が重なっている。第一に、彼は文化的な条件が人間の性格を形成する力をもつ
ことを認めていなかった。この知識の欠如は彼の時代のヨーロッパのほとんどの学者に共通した
ものである。この点に関して興味があるのは、簡単に言えば、フロイトが自分の周囲の至る所で
見かけた名声と成功への渇望を、普遍的な人間性であると見誤った点である。そのため、例えば、
優越や支配や勝利を求める強迫的欲動は、そうした野心が「正常」と思われる一定の枠から
はみ出る場合を除いては、調べる価値のある問題とはなりえず、事実、彼の注意をひくことも
なかった。フロイトがそうした野心を問題と考えたのは、それが明らかに障害になるほど強く
なった時か、女性の場合には、「女らしさ」という一定の通念からはみ出した時かだけであった。

///// 邦訳 1986年10月発行 ///
0017 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 11:33:13.02ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 13 ///////////

 第二の理由は、フロイトが神経症的欲動をリビドー現象と解釈する傾向をもっていたことで
ある。そこで、自己賛美は自己にリビドー的に熱中している一つの現われであると解釈された
(人は自分以外の「愛の対象」を過大評価するように、自分自身をも過大に評価する。野心的な
女性は、「ほんとうは」「男根羨望」をもっているのだ。賞讃を求める欲求は「自己性愛を
満たすもの」を求める欲求である、など)。その結果、理論や治療では過去および現在の愛情生活
(すなわち、自己や他人とのリビドー的な関係)が詳細に追求され、自己賛美や野心などの
もつ特殊な性質や機能や効果には注意が払われなかった。

///////// 対馬忠監修 ///
0018 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 14:37:29.04ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 14 ///////////

 第三の理由は、フロイトの進化論的、機械論的な考え方である。「それは、現在現われて
いるものは過去によって規定されるだけでなく、過去以外の何ものも含んでいない、という
意味をもつ。発達の過程では真に新しいものは何も創造されない。われわれが今日見るものは、
古いものが形を変えているにすぎない。」ウィリアム・ジェイムズによれば、それは「実際には、
最初から変わらぬ材料を再配分した結果以外の何ものでもない」のである。こうした哲学的な
前提に立てば、過度の競争心はまだ克服されないエディプス・コンプレックス、またはきょうだい
間の対抗意識の結果である、という説明で十分である。自分が全能であるという幻想は、
「第一次的自己性愛型」の幼児的水準に固着または退行したものと見られる。この考えは、
乳幼児期のリビドー経験と関連づけた解釈だけが「深遠で」、納得できるという見方と一貫
したものである。

///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
0019 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 16:35:25.87ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 15 ///////////

 私の観点から言えば、この種の解釈は重要な洞察を積極的に妨げることはないにしても、
限られた治療効果しかもっていない。例えば、ある患者が、自分は分析家から恥をかかされた
と感じやすいことを自覚したとしよう。彼はまた、女性に近づく時、恥をかかされはしまいかと
絶えずびくびくしていることを認める。彼には自分が他の男性のように男性的で魅力があるとは
思えないのだ。彼は、たぶん性的な行為に関連して、父親から辱められた時の光景を思い出す
のであろう。このように過去から現在にわたる多くの出来事の詳細な資料や夢に基づいて、
次のような解釈が下される。すなわち、患者にとって分析家は、他の権威ある人物と同様、
父親を表わすものである。屈辱を感じたり、それを恐れたりするのは、患者が今でもエディプス
・コンプレックスを克服していない幼児型によって反応しているからである。

///// 神経症と人間的成長 ///
0020 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 18:56:54.57ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 16 ///////////

 こうした分析の結果、患者は救われたように感じ、屈辱感は減じるであろう。一つには、
彼はこの分析から実際に利益を得ている、つまり、自分自身についていくつかのことを学び、
自分の屈辱感は不合理なものだと知ったのである。しかし、彼の誇りとの取り組みがなければ、
この変化もとうてい完全なものにはなりえないであろう。逆に言えば、表面的な改善だけに
終わったのは、主として、彼の誇りが自分の不合理性、特に「幼児性」を認めることに耐えられ
なかったからなのかもしれない。彼は一組の新しい〈べき〉を発達させたにすぎないのかも
しれない。すなわち、彼は幼児的であるべきでなく、成熟すべきである。屈辱を感じるのは
幼児的だから、感じるべきでない。そこで、彼はもはや屈辱を感じなくなる。こんなふうに
して、進歩したように見えるものが、実は患者の成長を妨げていることもある。彼の屈辱感は
心の奥深くに押し込められ、それと対決する可能性はかなり減じる。こうなると、精神分析
療法は患者の誇りを治療する代わりに、それを利用したことになる。

///// 自己実現の闘い ///
0021 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 20:57:10.10ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 17 ///////////

 前述のようなすべての理論的な理由から、フロイトは栄光の追求の与える影響を知ることが
できなかったのであろう。彼が現に観察しか自己拡張的欲動の要因は、そのようなものでは
なくて、「ほんとうは」乳幼児期のリビドー欲動からの派生物であった。彼は自分の考え方に
妨げられて、拡張的欲動がそれ自体の影響力をもち、それ自体の結果を生み出す力であることを
認めることができなかった。
 今述べたことは、フロイトをアドラーと比べてみるといっそう明らかになる。神経症において
権力や優越性を求める欲動が重要な働きをしていることを認めだのは、アドラーの大きな功績
であった。しかし、アドラーは、どのように権力を獲得し、どのように優越性を主張するかの
仕組みの方に心を奪われ、それが個人をどんなにひどく苦しめるかには気づかず、したがって、
あまりにも問題の表面にとどまりすぎることになった。

///// 原著 1950年発行 ///
0022 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/08(土) 22:37:28.22ID:Xn4VHKpa
 
/// 理論的考察 18 ///////////

 一見したところ、私の自己嫌悪の概念とフロイトの自己破壊本能、すなわち、死の本能の
仮説の方が、ずっとよく似ているような印象を受ける。少なくとも自己破壊的欲動の強さと
意味については、両者は同じ評価をしている。また、内的なタブーや自責やそこから生じた
罪悪感が自己破壊的性格をもつといった特定の細かい点に関しても、同じ見方がされている。
しかしながら、この領域でも重要な違いはある。フロイトが仮定したように、自己破壊的欲動が
本能的な性格をもっているとすれば、自己破壊的欲動は最終的なものだという烙印を押すこと
になる。本能と見られれば、それは一定の心理状態から生じるものではなくなり、したがって、
その状態を変えることにより克服できるものではなくなってしまう。

///// Neurosis and Human Growth ///
0023 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 06:55:31.90ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 19 ///////////

その時、自己破壊的欲動の存在と機能は人間性に具わる一つの属性になる。それゆえ、人は
根本的には、自分を苦しめ破壊するか、他人を苦しめ破壊するかの、どちらかを選ぶしかないのだ。
こうした欲動は、和らげ、統制されることはできても、究極的に変えられることはできない。
さらに、われわれがフロイトと同じく、自滅、自己破壊、死へ向かう一つの本能的な欲動を
もっていると仮定するならば、様々な意味をもつ自己嫌悪も、この欲動の一つの現われにすぎない
と考えねばならなくなる。人が現在かくあるがゆえに自分を憎み軽蔑する、というような考えは、
実はフロイトとは無縁のものである。
 もちろん、フロイトは――彼と同じ基本的前提をもつ人々と同様――自己嫌悪が起こることを
認めてはいたが、その様々な隠された形や効果を知ることからは程遠かった。彼の解釈では、
自己嫌悪のように見えるものは、「ほんとうは」他の何かの表われなのである。それは他の誰かに
対する無意識の憎悪であるかもしれない。そして、抑うつ状態の患者が、自分の「自己性愛を
満たすもの」を求める欲求を阻止したというので相手を無意識に憎みながら、その相手が犯した
罪に対して自分を責めるということが確かに起こりうるのだ。それは抑うつ状態であれば必ず
起こるというのではないが、フロイトの抑うつ病に関する学説の主な臨床的な基盤になったもの
である。

///// Karen Horney ///
0024 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 07:10:25.64ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 20 ///////////

要するに、抑うつ状態の人は意識的には自分を憎み責めるが、実は無意識に自分のなかに
投射した敵を憎み責めているのである(「欲求を阻止する対象に対する敵意は、自分自身の自我に
対する敵意に変わってしまっている」。あるいは、自己嫌悪のように見えるものは、「ほんとうは」
内在化された権威である超自我が罰を下す過程なのである。この場合も、自己嫌悪は対人的現象、
つまり、他の誰かに対する憎しみや、他人の憎しみを恐れる心に変わっている。最後に、
自己嫌悪は乳児リビドーをもつ肛門サディズム期へ退行した結果起こる超自我のサディズムで
あると見られる。このように、自己嫌悪について、私と全然違ったやり方で説明がされるばかり
でなく、自己嫌悪の現象そのものの性格もまるで違うのである。

///// The Struggle Toward Self-Realization ///
0025 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 11:08:31.93ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 21 ///////////

 他の点ではフロイトの考えと同じでありながら、死の本能を否定する分析家は多いが、それには
もっともな理由があると私は思う。しかし、自己破壊性が本能的な性格のものであるという考えを
捨てれば、フロイト学説の枠内で自己破壊性を説明することはむずかしい。フロイトは一つには
この点で説明が不十分だと感じたために、自己破壊本能という考えを提起したのではないだろうか。
 もう一つの明白な類似が、超自我によって起こる要求やタブーと、私が〈べき〉の専制と呼んだ
ものとの間にある。しかし、両者のもつ意味を考えれば、それらはたちまち別のものに分かれて
しまう。まず、フロイトにとって超自我は良心と道徳を表現する正常な現象であり、神経症的で
あるのは、それが特に残酷でサディズム的になった時だけである。私の考えでは、超自我に対応
する〈べき〉やタブーは、どんな種類や程度のものでもすべて、道徳や良心に似せた神経症的な
力なのである。フロイトによれば、超自我は、一部ではエディプス・コンプレックスから派生した
ものであり、一部では本能的な(破壊的でサディズム的な)諸力から生じたものである。私の見解
では、内的命令は、自分を自分でないもの(神のように完全な存在)につくり変えたいという
個人の無意識の欲動の一つの現われであり、それができないことに対して彼は自分自身を憎む
のである。こうした違いには多くの意味があるが、そのうち一つだけをここに挙げよう。

///// アカデミア出版会 ///
0026 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 11:16:44.02ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 22 ///////////

〈べき〉やタブーを特別な種類の誇りの必然的な結果と見ると、同じことがなぜある性格構造では強く
求められ、他の性格では禁じられるかが、はるかに正確に理解できる。個人が超自我の要求――
あるいは内的命令――に対してとる様々な態度についても同様に、いっそう正確な理解が可能に
なる。こうした態度のうちいくつかが、フロイト派の文献に挙げられている宥和、従属、買収、
反抗の態度である。それらは、すべての神経症に共通した一般的なものと考えられるか
(アレクサンダー)、または、抑うつ状態や強迫神経症のような、特定の感情移入的な性格だけに
関係があるとされるかの、どちらかである。他方、私の神経症理論の枠内では、そうした態度の
質は個々の性格の全体構造によって厳密に規定される。こうした両者の違いから、この点に関する
治療目的の違いも生じる。フロイトは超自我の厳しさを和らげることしか目的にできないが、
私は個人が内的命令をまったく必要とせず、自らの真の願望や信念に従って生きる方向を決められ
るようにすることを目指している。この後者の可能性はフロイトの考えのなかには存在していない
ものである。

///// 邦訳 1986年10月発行 ///
0027 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 13:31:47.99ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 23 ///////////

 これまで述べたことを要約すれば、二つのアプローチにおいて、個々の現象の観察や記述の
仕方は似ているが現象の力学や意味についての解釈はまったく異なっていると言えよう。今、
ここで個々の側面を離れ、次に本書で述べるような、側面間の相互関係という全体的な複合体
について考えれば、二つの方法の比較はすべて尽くされたことになる。
 最も重要な相互関係は、無限の完全性や権力の追求と自己嫌悪との間の関係である。この二つが
分けられないことは昔から認められている。私か思うに、このことをいちばんよく象徴している
のが悪魔の契約を扱ったいろいろな物語であり、それらの物語の本質はいつも同じであるように
見える。つまり、心理的、精神的な悩みをもった一人の人間がおり、悪の原理を象徴する何かの形
――例えば、悪魔、魔法使い、魔女、蛇(アダムとイヴの話に出てくる)、骨董屋(バルザックの
『あら皮』における)、皮肉屋のヘンリー・ワットン卿(オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイ
の肖像』における)――をとった誘惑を受ける。その時、苦しみを奇蹟的に取り除くだけでなく、
無限の権力を与えるという約束がなされる。キリストの誘惑の話に示されるように、この誘惑を
退けることができれば、それは真の偉大さの証になる。

///////// 対馬忠監修 ///
0028 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 13:38:51.78ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 24 ///////////

最後に、代価が支払われるが、それは(様々な形をとった)魂の喪失であり(例えば、アダムと
イヴは感情の無邪気さを失う)、悪の勢力に対する魂の降伏である。「汝ひざまずき我を拝せば、
このすべてを汝に与えん」と悪魔はキリストに言う。その代価は、(『あら皮』におけるような)
現世の精神的な苦痛であることも、地獄の責苦のこともある。『悪魔とダニエル・ウェブスター』
には、悪魔の集めたしなびた魂という、見事な象徴、が使われている。
 これと同じ主題は様々な形に象徴化されながらも、それがどんな基本的な善悪二元論を扱って
いようと、その意味についての解釈は変わらないまま、繰り返し民話や神話や神学に現われて
いる。それゆえ、この主題が一般の人々に意識されるようになってもう久しい。そこで、精神医学
においても、この主題のもつ心理学的な知恵をそろそろ認めてもよい時期にきているのでは
なかろうか。確かに、それと本書に述べた神経症の過程との類似は驚くべきものがある。つまり、
精神的に苦悩している人間は、自らの魂を失い、自己嫌悪で地獄の責苦を味わいながら、無限の
力をわがものにするのである。

///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
0029 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 15:35:27.81ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 25 ///////////

 問題についてこのように長々と比喩を述べるのをやめて、フロイトに戻ろう。フロイトは
この問題に気づかなかった。彼は栄光の追求が、私の言うような欲動の絡み合った複合体で
あるとは認めず、したがってその力を知ることもできなかった。それを思えば、彼がなぜこの
問題を見ることができなかったかが、いっそうよく分る。彼は自己破壊という地獄をはっきり
認めたのだが、それを一つの自律的な欲動の現われと見たので、文脈から切り離してしまった
のである。

///// 神経症と人間的成長 ///
0030 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 16:34:43.10ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 26 ///////////

 もう一つの観点から見ると、本書で論じている神経症の過程は、自己についての問題である。
それは理想化した自己のために真の自己を放棄する過程、自分に具わる人間としての可能性を
実現する代わりに理想化した自己というこの偽りの自己を現実化しようとする過程、二つの
自己の間の破壊的な闘いの過程、この闘いを最善を尽くして、とにかく自分にできる唯一の
やり方で収めようとする過程、そして最後に、生活や精神分析によって自分の建設力を動員する
ことを通して、真の自己を見出していく過程である。この意味では、フロイトは問題をほとんど
理解していない。フロイトが「自我」という概念で表わしているのは、自分の自発的なエネルギー
や真の願望から遠ざかり、自分で何かを決定し、その決定に責任をもつということをしない、
周囲とあまり摩擦を起こさないこと(「現実吟味」)ばかりに気を配っている神経症的な人の
自己である。もしこの神経症的な自己がそれに対応する健康で生き生きとした自己と取り違え
られるなら、キェルケゴールやウィリアム・ジェイムズの見たような、真の自己という複雑な
問題全体は起こりえないのである。

///// 自己実現の闘い ///
0031 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 19:42:49.38ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 27 ///////////

 最後に、われわれは道徳的、または精神的な価値という観点から、神経症の過程を見ることが
できる。この観点から見れば、神経症の過程は人間の真の悲劇のもつあらゆる要素を具えている。
人間が破壊的になる可能性がどんなに大きいとしても、人間の歴史は、自分自身や周囲の世界に
ついての知識を広め、宗教的な体験を深め、精神力や道徳的な勇気を培い、あらゆる分野で立派な
業績を上げ、より良く生きることを目指して、活発なたゆまぬ努力が続けられていることをも
示している。そして、人間のまさに最高のエネルギーがこのような努力に注がれる。人間はその
知性や想像力によって、まだ存在しないものを心に描くことができる。彼は現在のままの自分や、
現在自分にできることを超えたものを求める。彼には限界があるが、その限界は固定した最終的な
ものではない。ふつう、彼は自分自身の内外でやり遂げたいと思うレベルに到達していない。
このこと自体は悲劇的ではないが、健康な人間的な努力に相当する神経症的な内的心理過程が
とられることは、悲劇である。心の悩みに圧迫されている人は究極的なものや無限のものを
求めるが――彼に固定した限界があると言うのではないが――それに到達できないのだ。そして、
まさにこの過程で、彼は自己実現を求める最高の欲動を理想像の現実化へと振り向け、そうする
ことで自分が現実にもっている可能性を浪費し、自分自身を破壊する。

///// 原著 1950年発行 ///
0032 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/09(日) 22:16:48.96ID:diJ0IG70
 
/// 理論的考察 28 ///////////

 フロイトは人間性について悲観的な見方をしていた。彼のもつ前提に立てば当然そうなるはず
であった。フロイトの見たところでは、人間はどちらを向いても不満を感じるように運命づけ
られている。人間は自分自身や文明を破壊せずには、その原始的な本能的欲動をうまく切り抜ける
ことができない。彼は一人でも、他人と一緒にいても、幸せになることができない。彼には
自分を苦しめるか、他人を苦しめるかのどちらかの道を選ぶしかないのだ。こんなふうに物事を
見て、安易な解決で妥協しなかったことは、フロイトの功績である。実際、彼の思考の枠内では、
このような二つの悪のうちのどちらか一つから逃れる道はない。せいぜいのところ、今よりましな
力の配分や、ましな統制や、「昇華」があるにすぎないのである。

///// Neurosis and Human Growth ///
0033 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/10(月) 00:05:17.27ID:SnxuQytw
 
/// 理論的考察 29 ///////////

 フロイトは悲観的であったが、神経症のなかに人間の悲劇を見ることはなかった。われわれは、
建設的、創造的な努力がなされ、それが妨害的、破壊的な力によってつぶされる時に、初めて
人間の経験における悲劇的な浪費を見る。フロイトは人間の建設力についてはっきりした見通しを
もたなかったばかりでなく、建設力の真の性格を否定しなければならなかった。なぜなら、
フロイトの思考体系のなかには、破壊的なリビドーの力とその派生物や混合物しか存在しなかった
からである。創造性や愛(エロス)は、彼にとってはリビドー欲動の昇華された形なのだった。
ごく一般的に言えば、われわれが自己実現へ向かう健康な努力と見るものは、フロイトにとっては
自己性愛的なリビドーの一つの表現でしかなく――それ以外のものではありえなかったのである。
 アルベルト・シュヴァイツァーは、「楽観的」「悲観的」という言葉を、「世界と生の肯定」と
「世界と生の否定」という意味で使っている。フロイトの考え方は、こうした深遠な意味において、
悲観的である。一方、われわれの考えは、神経症に悲劇的な要素のあることを認めながらも、
楽観的である。

 ・・・・

///// Karen Horney ///
0034 ◆4otEyhoCdw
垢版 |
2015/08/10(月) 07:16:35.69ID:SnxuQytw
 
/// KAREN HORNEY //////////

カレン・ホーナイ(Karen Horney)著
NEUROSIS AND HUMAN GROWTH: The Struggle Towards Self-Realization 1950年出版

Neurosis and Human Growth [Paperback]
http://www.amazon.com/Neurosis-Human-Growth-Struggle-Self-Realization/dp/0393307751/
http://www.amazon.co.jp/Neurosis-Human-Growth-Struggle-Self-Realization/dp/0393307751/
http://www.amazon.co.jp/Neurosis-Human-Growth-Struggle-Self-realization/dp/0393001350/

Neurosis And Human Growth [Hardcover]
http://www.amazon.com/Neurosis-And-Human-Growth-Self-Realization/dp/B0006ASE2A/
http://www.amazon.co.jp/Neurosis-Human-Growth-SELF-REALIZATION-International/dp/041521095X/

Kindle edition
http://www.amazon.com/Neurosis-Human-Growth-SELF-REALIZATION-International-ebook/dp/B00FDR1DOM/

////// NEUROSIS AND HUMAN GROWTH ///
0035名無しさんの主張
垢版 |
2015/08/13(木) 15:17:04.13ID:???
 
日本の海水浴場に 巨大なサメが多数出没

       中国海軍が放流か

              http://goo.gl/P3noYL

 
0037名無しさんの主張
垢版 |
2017/03/05(日) 15:16:07.13ID:T9VXiuME
>大阪府三島郡島本町のイジメはいじめられた本人が悪い
>はよ死ねクズ
        ↑
 イジメの加害者を擁護し被害者を「いじめられた本人が悪い」
「早く死ねクズ」と罵倒するなんて 島本町はホントに鬼畜の町だな
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