――昔、ぼくが住んでいた家――
先日、十数年ぶりに私が子供の頃住んでいた家に立ち寄る機会があった。
見知った町並みは、わずかに変化していたものの、
記憶の中のそれと大きく変わる事は無く、
別段迷う事も無く、私は進んだ。
その場所に近づくにつれ、足は自然とその歩みを速める。
最後の角を曲がり、あの小路へと入った。
そこには、見知らぬ小奇麗な家があり、
中から、楽しげな笑い声が静かに漏れ聞こえていた。 街道騒音異臭mannar原価液問題BOXNHKONE
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街道騒音異臭問題
麻婆豆腐 0〜4 おばあちゃんち
4〜11 公営団地
11〜中学卒業まで 2階建ての一軒家
15〜 ただの2dkのマンション
18〜 独り立ちし、アパート暮らし
23の時だけ実家
現在 寮生活 2年前まで敷地200坪、延べ床90坪の家に住んでた
今は建て替えて同じ敷地に賃貸併設の自宅になった
相続税なんてなかったらよかったのに… ちょっと人生疲れた40代後半オヤジです
東京の端で小学校時代を過ごした
戦後直ぐ建った平屋の汚い戸建て
明日が来るのが楽しいことだらけだった記憶と
あわせるとあの家あの部屋に一瞬でも良いから
戻りたい・・・
1975年の航空写真見つけたけど隣の家の影で
当時の自宅が隠れてよく見えない・・・
とりあえず忘れない様手帳に当時の家の間取りを
書きとめました。
スレ汚し失礼 昔を思い出しても前向きな気持ちにできる人結構おられますね。
自分は「昔はよかった」的なネガティブな思いに捕らわれてしまって、
なんかダメだわw 自宅じゃないけど、学生時代のときの友人が
住んでたアパートが更地になってたのを見たときは
言い様のない寂しさを覚えたな 高校生のときまで、戦後すぐの時期に建てたらしい木造の家で暮らしていた
廊下は薄暗くてミシミシいって、風呂も地面に掘るタイプで風呂の床が洗い場より低かった
あと、旅館の宴会場のように広い大広間があって、そこに親戚一同が集ったり、友人を呼んではしゃいだりしていた
俺が上京してしばらくした頃、建て替えようという話になってフツーの一軒家になった わずか15年しか、住んでなかった実家 年に数回帰ってたが悪い思い出ばかり 小学1年まで住んでいたボロ家。
俺には部屋がなく廊下のはじっこに机と椅子を置いて個人のスペースにしてもらっていた。
寝るのは親の部屋で。冬には庭からの隙間風が強烈で「部屋」にいても息が白くなる。
それがマンションに引っ越したらこっちは自分の部屋も確保できたし暖かいし、
新居が最高にうれしかった。
数か月後に元の家の前を偶然通った時は、やっぱり涙がこぼれてしまった。 >>447>>450
同じくらいだ、小学5年まで住んでいた家。
まだ健在で見知らぬ人が住んでいる。
訪ねてみたい。建て直される前に 自分が住んでいたのとは違うけど、祖父母の家のこと。
祖父は俺が中二の時に他界して、祖母がしばらくその家に一人で住んでいた。
我が家は歩いて数分の距離にあったから家族の誰かが必ず毎日顔を出しては様子を見ていたが、
やはり一人で住まわせるのは不安だというので、我が家に祖母に来てもらうことになる。
引越しが済んだあと、ことらに持ってきた祖父母のもののうち、
置き場がないので捨てようっていうものを俺と兄貴が二人で旧祖父母宅の庭に持っていった。
いずれ家ごと解体されるから、というので不要なものは庭に山積みになっていた。
何往復かの作業の後、兄貴は鍵の掛かっていない勝手口を開けて、「入ってみようぜ」と俺を誘った。
勝手口からすぐの部屋は茶の間だ。ここで幼少のころからテレビを見たりお菓子を食べたり。
続いて自営で祖父が事務所代わりに使っていた部屋。客間でもある。
部屋にかけてある黒板に落書きしたり。
一番奥が祖母の部屋だが、祖母は普段茶の間にいずっぱりだから、
子供の頃はここで兄貴と相撲をとったりしたっけ。
大学生の兄貴は無言で、畳を踏みしめながら感触を確かめているようだった。
俺は兄貴に背を向け、自分のプライベートスペースを貰った部屋の隅の一角で思い出に浸る。
兄貴はたぶん、俺に涙を見せたくなかったんだと思う。俺も見られたくなかったから。 小学生まで住んでた家(祖父母が建てた)二件目(親父が建てた) 小学生まで住んでた家(祖父母が建てた)二件目隣の町内(親父が建てた)
三件目(兄貴が転勤先で親を呼び寄せて二世帯)今地図アプリで見ると三件目は更地、そう福島 縁も所縁もない土地で兄一家とかーちゃんは死んだ そして二件目、自殺した親父が今も写ってる、Google更新しろよ・・・ 玉戸に有るコンクリート製のアパート
現在でも当時の写真に写っていた建物とは全然変わっていません。 おぼろげな記憶を頼りにストリートビューで探したら3歳まで住んでた家にたどり着いた
外装はリフォームされてたけど家自体はそのままだった
周辺も見て回ったらいろんな記憶が一気に蘇ったわ 共同トイレのボロアパート
今は洒落た女限定のアパートになってる
昔は朝比奈荘
今はコーポ 赤毛のアンorz >>465
すぐ特定されそうな名前だな
俺が昔契約寸前まで行った「住めば都荘」並みにキモい名前だ 小2のときまで住んでいたマンションは割と覚えているが、3歳まで住んでいたアパートはもう記憶に残っていない @祖父が建てた木造2階建て。
A父が建てた木造2階建て。夏はデカい青大将やたまにマムシが庭横断。
ヘビ嫌いに拍車がかかる。
B父が建てたRC2階建て。A売却後住んだ。設備や造りは一番よかった。
ヘビ殆ど出なかったしw
親父が返済放棄。母がローン会社に相談して売却。家族離散。
住んだ家に戻りたいって言える人が羨ましいわ。俺どの家も嫌だもん。
思い出はあるけどさ。
@なんて取り壊しゃい〜じゃん!と思うくらい古くて立地良くないのに
物心付いた頃から成人後も相続で揉めまくった。
コレがあったから家に執着しなくなった気がする。 セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
S0CWY 俺が3歳の時、500万で買ったという家が3年後に800万で売れて引っ越し
6歳の時、1000万で買ったマンションが3年後に1500万で売れて引っ越し
10歳の時、3000万で買った家はバブルの高騰やその後の暴落を経た末に、今売ると結局3000万になるらしい。
近々その家を売っぱらって夫婦で老人ホームに入るというメールが父親から来た。
これで田舎へ帰っても実家がなくなる。 1軒目は古い市営住宅。0〜3歳まで住んでいた。
近所の少し年上の男の子をお兄さんだと信じていた。(母に騙されていた?)
白黒写真が1枚残っていて赤ちゃんの自分が歩行器に入れられている。
建物も現存しない筈で場所も正確なところは今となってはわからない。
2軒目は3〜5歳のころ住んでいた祖父宅。
祖父が歯科医で、以前は自宅で開業していた時の古い家で不思議な作りをしていた。
当時祖父は東京で開業していたので殆ど自宅に居らず留守番を兼ねて住まわされていた。
3軒目は2軒目でもう一度開業するために建て替えの間、5〜6歳の頃に住んでいた借家。
この頃から記憶に登場する弟の世話をするようになった。
補助輪無しの自転車に乗れるようになったのもここでのこと。
現存しないが近所の当時は新築だったマンションがだいぶ老朽化して残っている。 4軒目は2軒目の建て替え後の新宅。
但し偏屈な祖父にすぐに追い出されたため6歳の数か月しか住んでいない。
この建物はその後も40年近く祖父、続いて呼び戻された叔父が開業していたが東日本大震災で致命傷を受け売却され、数年前に取り壊された。
5軒目は4軒目を追い出されて転居した2Kのアパート。6〜11歳の間住んでいた。
ここに移り住んで約7ヶ月で父が病死して母子家庭になった。
記憶ではここに住んでいたころが一番辛い時期で、いつも不安に怯えて暮らしていた。
実際は5年位の期間だが永遠のように長く感じた。
建物は名前を変えて現存している。たぶん築50年近い筈。
6軒目は母が無理して購入した建売住宅。11〜18歳、21〜23歳に住んでいた。
4LDKとそこそこの広さだが、安普請で壁が薄くキクイムシの沢山出る家だった。
それでも初めて落ち着いて安心して暮らせる場所となった大切な家。
一時期母の彼氏も同居していたが借金を残して出て行った。
老朽化の上、東日本大震災で被害を受けたが補修もせず今でも母が住んでいる。
7軒目以降。
高卒で社会に出て社員寮、退職して一時実家や知人宅に居候し、その後23歳から1Kのアパートで23年も生活。
アパート取り壊しにより3年前に現在のまたもお古い2DKのアパートに移る。
弟も独立しており、家族3人はバラバラになって音信も稀になってきている。
団地だったから楽しい思い出は無いなぁ
汚なくて臭くてジメジメしてて
カッパライが多くて
毎日どっかの夫婦ケンカや子供のギャン泣き声が響いて
自動車のパンクや十円パンチは当たり前
学校のグループ分けは団地の子同士固められる
問題起きたら犯人はどうせ団地の連中
今はマイホーム暮らしでも寝て見る夢の中では
あの頃の団地暮らしでうなされてしまう 一戸建ての子、社宅の子、団地の子、
そしてみんなが見て見ぬ振りをするボロアパートの子 >>26
もちろんピチピチのデニム半ズボンは穿いたままで夜逃げして来たんだろうな?おい?
まさか庭に干したまま見捨てて来たなんてとんでもないことをしてたらキミただでは済まないぞ? ↑
何、訳のわからない話題を振っているんだ、コイツは!? >>484
何が面白いのか知らんけど
そいつは少年系のスレで同じようなことばっかり書いてるよ 学生時代に一人暮らししていたアパートが、
取り壊されて駐車場になってるのを見たときは寂しかったな
当時からかなり古いアパートだったし、
大家夫婦も高齢だったので仕方ないんだろうがね
でもこういう俺みたいな人って多いんじゃね? 自分が住んでいたアパートじゃないけど、当時の友人が住んでたとこは
無くなってしまってたな。
買い物によく行ってたスーパーもパチンコ屋になってたり、仕方ないとはいえ凄い寂しかったよ。 「息子家族と同居するからアパートを辞めて2世帯住宅を建てる」
という理由で20代の中頃、築50年のボロアパートを追い出された
程なくして跡地には立派な一軒家が建ったが、最近ストリートビューで20年ぶりくらいにそこを見てみたら
その家も取り壊されて更地になってた 法事のついでに25年ぶりに団地見てきたら、八割空き部屋
汚くて臭くて長居はとても無理だった
あの頃、友達もそう思ってたんだろうと
思うと何とも切ない 小学生時代まで住んでた家は取り壊されずタンスにも当時穿いてたデニムの半ズボンがギッシリ詰め込まれたままであろう! 久しぶりに昔住んでたアパート周辺を散歩した、
小学生の頃遊んでた神社の庭とか行ったら昔と違ってすごく小さく感じてなんか泣きそうになった、
それにしても夜中に俺はいったい何やってんだろう、、、
でも行ってよかった 9歳まで団地に住んでいた。大学卒業後、偶然にもその団地の近くの企業に就職した。
シフト勤務だったので午後3時に退社することがあり、ある日の午後その団地に行った。
煤ボケて薄汚れた団地があった。子供のころはきれいで、鉄筋コンクリートの立派な建物
だったのに時代の波に取り残されたスラムのように見えた。
窓にカーテンの無い部屋がたくさんあることに気が付いた。空き部屋だろうか。
子供のころ遊んだ公園の遊具は当時のままだった。
団地のはずれの駄菓子屋さんは営業していた。子供が数人駄菓子を買っていた。店のおば
ちゃんと目が合った。俺が昔通ってた頃のおばちゃんだったが、俺だと気が付かないらしく俺
を不審者を見るような目で見つめてた。声をかけて名乗ろうかと思ったが、なぜか躊躇した。
その数年後に団地は取り壊され、普通の住宅地になった。