『物理学はいかに創られたか』等を読む
まずは、 アインシュタインの啓蒙書を、 真面目に読んでいきましょう。 https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b267042.html それと同時に、武谷三男の『物理学入門』なども読んでいきましょう。 武谷三男の物理学入門は、季節社の版で読む予定です。 竹谷といえば、「弁証法の諸問題」が代表作かな。特攻長所とかあり、良い子は読まない方が良いかも 武谷三男の本に関しては、『弁証法の諸問題』も持ってるが、 『科学と技術』、『自然科学と社会科学』や、 『現代の理論的諸問題』も持っている。 この本はインフェルトとの共著で、彼はしばらくはアインシュタインとの 共同研究者であった。その後アインシュタインの伝記を書いたりの作家でもある。 想像するに、実際の文章はほとんどインフェルトが書いたのだろう。 もちろんアインシュタインの意を汲んでいるだろうし、 アインシュタインの本でもある。 訳者の石原純氏の序と原著序文を読んだあと、 パラッと中身を見ましたが、 この本はかなり慎重に読まないといけない感じが しました。 数学板の科学史スレのレスによれば、 来年の1月に岩波から相対性理論の新訳が出るようだから、 このタイミングでこの本を読み始めるのは悪くないかもしれないですね。 中田敦彦のように、面白くわかりやすく本の要点まとめてくれるなら需要はあるからがんばれよ。 最初はガリレイの「惰性の法則(慣性の法則)」から始まっている。 それまでの常識は、アリストテレスの力学にある 「運動体は之を押す力がその働きを失った時に静止する」 だったが、ガリレイが「思考実験」によって、 「すべて物体は之に加へられる力によってその状態を変へられぬ限りは、静止叉は一様 の直言線運動を続ける。」 を産み出した。 物理の天才は思考実験の天才でもある。アインシュタインは、その最たる者の一人。 尚、オレが持ってるのは古本屋で買った昭和三十七年版で、旧仮名遣いの上、 「力学的自然観」が「力學的自然觀」とか、旧字体で書かれている。 >>11 つづき オレの今までの経験では、ガリレイの思考実験をそのまま説明して、 「その通り!」と感激する人、「あたり前じゃん」とさりげない人もいるが、 「納得できん、アリストテレスが正しい」と主張する人も案外に少なくない。 オレのオフクロは納得しなかった。 正直言って、訳者の序で、 「観念」という言葉が出てきたとき少し不安を感じたが、 本文を読みすすめて上のレスにあるガリレイの話を読んだら、 やはり頭の中で考えた観念は大事なのだなと思わされた。 一応、訳者序から引用しておきます。 「原著の標題"The Evolution of Physics"は、そのまま訳すなら、『物理学の発展』とでもすべきでしょうが、原著者たちが主眼とせられた点は、自然における現象の世界に対応して、我々人間がいかにして物理学なるものを、観念の世界において創造して来たかということを示そうとするにあるので、この意味をあらわすつもりで現標題の如くに言いかえました。」(A頁) 文字化けしましたが、ローマ数字の"に"ページです。 ちなみに、「現象」については、武谷三男の『物理学入門』の158頁以降に彼が責任編集した『自然科学辞典』の彼が執筆した項目に入っているので、ここで紹介します。 「本質に対する。本質の表現であり、感性的認識の対象となり、表象としてつかむことが出来る。現象は観察・観測の対象となるものである。すなわち客観的に経験することが出来るような一切の事物である。」 >>12 つづき 16世紀のガリレイの思考実験は、当時の知識や技術を使っていないので 紀元前のアリストテレスにそのまま説明しても通じたはずだ。 アリストテレスは、どのように対応しただろうか? どうでしょうね。 カントやヘーゲルのような観念論者ではないから・・ ちょっとコリングウッドの『自然の観念』にあるアリストテレスを紹介した部分を 読んで考えてみますね。 アリストテレスは、自然の世界は自ら動く事物の世界で、生ける世界だと考えていたので、十七世紀的な物質の世界のように慣性によってではなく、自発的運動によって特徴づけられると考えていたと、コリングウッドは見ていますね。(『自然の観念』みすず書房、126頁) page14ぐらいは「力」についての考察 「力」の定義と説明を抽象化、普遍化したニュートンの話。 力はまずもって、投げたり引いたりの動作によって意識されたという。 筋肉で感ずる力を、葉を動かす風の力や馬車を引く力と同じと見て 一般化して行くのは一般人でもやること。 しかし、太陽と地球とが引っ張り合う力も同じだとするのは、 ニュートンのみにできたことなのか? 12頁より。 「外力はそれが運動の方向に加わるか、または反対の方向に加わるかによって、速度を増したり減じたりするのです。」 つまり、押したり引いたりすることで、速度自体ではなく速度の変化が起きる。 8頁に、「ガリレイの発見は直接の観察に基づく直観的結論は誤った手がかりに導くことがあるから、必ずしも信用が置けるものではないことを私たちに教えたのです。」とあるが、自然科学における「直観」に関しては以下のように言えると思う。 武谷三男は自然科学辞典で「直観」を、「普通に判断・推理等の思惟の作用を加えないで、対象を直接に把握する作用といわれる。しばしば特殊な神性な生まれながらの、神秘的な能力と解釈される。しかし現象の本質を直観的に把らえて問題を解決した場合には、多くの経験や知識が背後にあるのである。」と説明している。つまり、直観は必ずしも捨てたものではなく、それによって、非科学的かもしれないが、知識や経験をたくさん積むことで、現象を観察する際に特殊な形で、現象の本質をとらえて問題を解決することも可能なのだと言えよう。 9頁に出てくる、「理想化された実験」は重要だろう。 摩擦が全く存在しないことを想像するという、完全なる観念の力がなければ、 力学は発展しなかったにちがいない。 余談だが、武谷三男の『物理学入門』は、 ちくま学芸文庫版でなくて良かったと思う。 武谷三男の編集したような、 『自然科学辞典』のような総記的な辞典は、 新刊本では手に入らない。繰り返しになるが、 季節社版だとその辞典の武谷三男が編集した 項目が読めるからそちらを勧める。 >>23 >「理想化された実験」 >摩擦が全く存在しないことを想像する 光の速さが最大になると想像する それが真空の光速cである 熱が0の状態を想像する それが絶対零度である 重力が0の状態を想像する それが自由落下である >>27 日本語の内容が理解できないのか 熱エネルギーが0の状態が絶対零度、温度0ということだ 熱は状態量ではないので 「熱エネルギーが0の状態」 などというものは定義できません 温度が0度の時を想像する と書いたほうが適切なのでしょうね。 違った。 wikipediaによれば、 理想気体のエントロピーとエンタルピーがない状態のことを、 絶対零度呼ぶようですね。 >>28 馬鹿なのに尊大なその感じ、登記そのものだな エントロピーの増大という話は、 整序された状態から乱雑になった状態への移行 というように理解していますが、 これで良いのかな。 >>30 >>31 馬鹿チョンか、スレのタイトルもわからんらしい 温度はおろか、エントロピーの定義など定まってない段階だというを考えろ 熱だけは体感として認識できるから、 そこに熱が全く無い理想的な状態を想像して温度0という概念が定まる >>36 ありがとうございます。 他との熱の出入りがない閉鎖系でなければならないということですね。 理想的な絶対零度を想像すればそこに熱エネルギーが無い、個々の要素が持つ熱エネルギーも無い 16頁から17頁にかけて、 ベクトルの項目の中で「速さ: speed」と「速度: velocity」の違いが語られているが、 うっかり読み流すと、 速度は速さだけでなく運動の方向をも考慮するものだと気づかないで通り過ぎるかもしれない。 熱に関する話はこの本では41頁から52頁にかけて登場するので、 しばらく先ですね。 page16〜23までは、ほぼベクトルの普通の説明で、高校の数学や物理でベクトルを 学習している現代の人々は、ここを飛ばしてしまってよい思われる。 もちろん、ベクトルの重要性は心に留めるべきだが。 原子の統計力学→熱力学と考える、 公理系の熱力学と統計力学を独立に考える、 2つの見方が必要とおもう >>42 確かに大概の大人はそうだな。 ただ、来年の高1からは文系はやらないはず。 page24 「すべて拡張された概念は、最初の条件が充たされる場合には最初の概念に 帰着しなければならないといふことです。」 これは熟読玩味したい。 アインシュタインが一般相対性理論のアインシュタイン方程式を作るときに、 苦労したひとつは「Newtonian limit (ニュートン極限)」らしい。 つまり拡張されたアインシュタインの重力の式は、「最初の条件」すなわち、 遅い速度、弱い重力のときニュートンの式にならねばならない。 熱と温度と内部エネルギーの違いすらわからないアホを量産する学校教育は完全に失敗 ちなみに、 武谷三男の科学的思惟における「概念」の説明は、 「感性的素材を、単なる現象として止揚して、本質的なものをつかむ」 といった感じです。 改版されている最新の本だと、47番のレスは、 22ページだな。 >>51 現象は、15番のレス参照。 本質は、現象の中身、目に見えない肝心な事、 止揚は、ステージを上げて扱う、位の感じかな。 ソーカル事件を見てもわかる通り、鉄屑は自分が議論してる内容など少しも理解してない。ただただ用語を羅列して悦に入ってるだけ。だからなにも生み出せない。 ゲゼルシャフトとゲマインシャフトを実存的にアウフヘーベンしたものが相対性理論である >>54 まあ、武谷三男の文章も上手くないけど、 俺が勝手に全体像を説明するなら、 自然科学は、自然界で起こることを、 肉眼では分からない部分まで判るようにして、 自分たちにとって重要な所を、自分たちで利用できる形に変えるためのお膳立てをする。 位の感じかな。 肉眼では分からない部分をも判るようにして、 に訂正。 一応「運動の謎」の項目は読み通した。 技術者にとっては、物理の素人の俺に、 自然科学を云々されるのは我慢ならないこと、 だったりするのかな。 page41〜44 わっ! いきなり「等価原理」が出てきた。 慣性質量と重力質量が同じ値を示し、かつ両者に関連がなさそうに見える ことから始めている。 いろいろな重さの物体を同じ高さから落としたら、みな同時に着地する ことをもって「重力的質量と惰性的質量とは相等しいといふことが之から 推論されるのです。」と、ここでは「推論」という言葉にとどめている。 まだ「等価原理」を断言していない。 page46〜 温度と熱のこと 「エスキモー人と熱帯地方の土人」を例に上げて、寒暑の感覚が相対的であることを 述べている。特殊相対論の時計合わせの議論を思わせて微笑ましい。 温度を測る温度計は、時計と違って座標系に関わらないだろうが、もちろん、 そんなことは言及していない。 page50〜 「熱」と「質量」の比較。 熱は熱力学における質量に相当する、と言っている。 しかし、熱には質量のような「実体」が無い。 それを「カロリック(熱素)」として実体化させた歴史を示す。 「後に私たちは重さのない実体の種族の歴史とその興亡とを調べる機会を もつでせうが・・」と期待を持たせる。 「どんな物理学の理論でも、それは出来るだけ広い範囲の現象を説明する ことを目的とてゐます。それで事実が理解されるやうになれば、之は正しい とされるのです。」 これは、アインシュタインの、新しい物理学における新しい物理エンティティー を選択する基準の表明だ。 >>62 これを理解するのにものすごく時間が掛かった。 >>62 >「重力的質量と惰性的質量とは相等しいといふことが之から推論されるのです。」 >と、ここでは「推論」という言葉にとどめている。 俺が導出してやるから待っとれ >いろいろな重さの物体を同じ高さから落としたら、 みな同時に着地する 空気抵抗と摩擦が充分小さい坂で色々な重さの物体を転がらずに高さh から高さ0まで滑らせ記録タイマーで時間を測定する。 次に坂の角度を変えて測定し坂が鉛直の自由落下の場合を推測する。 記録タイマー https://service.zkai.co.jp/jr/koritsu/pdf/vp3hy.pdf page66 ここでは「物体」と「エネルギー」をとりあげている。 前者は見ることも感じることもできるが、後者は見ることができない。 しかし、両者とも物理的「実体」と呼ぶことができると、言っている。 そして前者は「質量保存の法則」、後者は「エネルギー保存の法則」がある。 つまり「二つの異なった概念と二つの恒存の法則がある」と。 しかし、これが覆されることも予告している(相対論)。 page67〜 哲学だ。 「科学の目的といふのは何でせうか。自然を記述しようと企てる理論 についてはどんな事が要求されてゐるでせうか。」 という問いは、すでに科学の範囲を超えていると言っている。 つまり哲学。 そして科学の成果が哲学に反映する、そしてその哲学が完成すると、 それが科学思想の発展を規定する、さらにそれを否定する科学成果が 現れると、また哲学も変わる・・。 以降のページで、その具体的な例を挙げてゆくようだ。 熱は物質であるか の項目の後の方で、 「物理学の歴史の上には、ある説に対し正否の裁決を下し得るような検討が しばしば行なわれるので、これを判定実験と呼んでいます。」 とあるけど、「判定実験」って英語では何と書くのだろう? 実はそんなに重要ではない事柄なのかもしれないが、 "judgemental experiment"と検索しても”判定実験”と検索しても、 それらしい結果は出てこなかった。 >>71 >>72 この本の英文がネットで無料公開されていて、それによると、 「判定実験」は「crucial experiments」の訳ですね。 尚、無料公開されてますが、donationが勧められてる。 >>73 ありがとうございます。 最近は、「決定実験」と訳すようですね。 ギリシャ人は月が球だと知っていた。 日本人はいつ月が球だと知ったのかしら? 澄んだ空で満月を見ると、球だと判るけど、 こちらの思い込みか? 「決定的実験」とも訳すみたいですね。 wikipediaの項目にあっても良さげ。 page76〜 ブラウン運動。アインシュタインの得意なテーマ。 page77 「それから八十年の後に即ち今世紀の初めになって漸く説明されたのです」 それを説明したのが、まさにアインシュタインその人・・・! 我田引水。 アインシュタインは原子論を説明するために、ブラウン運動に取り組んだそうだ。 一方、アインシュタインが尊敬するマッハは、原子論否定派だった。 1905年はブラウン運動理論だけでなく、一般相対性理論が発表された年だけど、 原子の存在の有無でガタガタしてたとは、進歩のアンバランス。 実は申し訳ないことに、ワールドカップ疲れでジェットコースターの項目の所で 立ち往生しているのですが、 このスレを立てるもととなったスレのテーマである廣松渉の本によれば、 アインシュタインの学問にはマッハのみならず意外とカントの影響もあるみたいです。 カントはニュートン力学に直接的な影響を受けている。 アインシュタインはもちろん、ニュートン力学を尊重している。 アインシュタインは、「c(光速) →無限大」にしたとき、自分の方程式が ニュートンの方程式と一致することに苦労した(Newtonian limit)。 しかし、カントのどんなところに影響されたんだろう。 一般的には「アインシュタインがカント的認識論を打ち破った」という 評判だろう。 つまり時空はカントにとって「認識形式」だったのだが、アインシュタインが 時空は物理的実体であることを示した。 page85〜95 ここから、まさに「物理学はいかに創られたか」の一例が具体的に説明されてゆくようだ。 page88 「その実験の意味について多少とも何かしらの観念が先づなかったなら、こんな実験が 全く偶然に行はれたとは想像することができないのです。」 理論負荷性の問題だ。 電気という得体の知れないものを、物理対象として理論化するまでの過程を素朴に述べている。 「陰陽」「導体」「(電気的)流体」等の物理的概念そのものが生み出される様子。 page94 「誰がコックロビンを殺したか」 マザーグースの教養のない日本人は、パタリロでかろうじて知っている。 廣松渉によれば、 「マッハが感性的現象の統一化的記述を思考するのに対して、アインシュタインが原理からの演繹的展開という体系構成法上の志向的態度を執るという対蹠性は初期から一貫して認められる。」(『相対性理論の哲学』29頁) あるいは、 「所与の事実に関する可能性の条件を確定しつつ、事態の存立契機と存立構造を規定していくという此の方法的手続に関しては、われわれは相対性理論とカント哲学とのあいだに共通点を認めることができる。」(同書、30頁) 学問的な手続きや方法論に関しては相容れる部分がカントとアインシュタインには あったと見て良いかもしれないです。 >>82 マッハについては納得。 カントについては・・・、なんかアインシュタインやカントに限らぬような・・ 変換ミス。 思考する→志向する でしたね。 まあ、何らかの"原理"に基づく研究は、確かに カントやアインシュタインに限らないでしょうね。 page53 「物理学の歴史の上には、或る説に封し正否の裁決を下し得るやうな検討が、 しばしば行はれるので・・」 Q:科学歴史上の「判定実験」を挙げよ A:??? [候補] ガリレオのピサの斜塔実験:落下速度は重さによらない証明 パスツールは「白鳥の首フラスコ」実験:「自然発生説」の否定 トリチェリの実験? パスカルの実験?:真空と大気の存在 マイケルソン・モーリーの実験:エーテルの否定 エディントンの皆既日食の観測(実験ではないか):一般相対性理論の実証 --- 地球が丸いの判定実験は? 地動説の判定実験は? 原子の存在の判定実験は? 原子は分子組成比が一定で十分じゃない? 地動説はケプラー法則発見以前に判定できたのかなー ガリレオ衛星の発見は天動説の否定ではあるけど >>86 >原子は分子組成比が一定で十分じゃない? 意味不明だが 化学の合成反応で元の物質が一定比率だとしても原子、分子が実在する証拠にはならない。 >>78 >アインシュタインが尊敬するマッハは、原子論否定派だった。 19世紀の物理学者の大半は原子分子の仮説に否定的だった。 理由の一つは原子、分子が実在するという直接的な実験証拠が無かったからだ 例えば 気体の分子運動論が、熱力学の理想気体の公式を説明出来ただけではダメなのだ さらに19世紀の分子運動論では平衡状態の圧力、温度が精密に定まることが説明できない つまり、分子運動論ならばその値がばらつくはずであり観測されなければならない。 >>87 >19世紀の物理学者の大半は原子分子の仮説に否定的だった。 原子論を主張するボルツマンはイジメにあったようなもので、 精神的に参ってしまい、ついに自死をしてしまった。 もうちょっと待てればなぁ。 現代の「判定実験(観測も含む)」っぽいのは、白黒決着がいまいちスッキリしない。 ・さまざまな素粒子の存在:統計的手法で何σならOKとか ・ブラックホールの存在:どの証拠が決定的なのか? ・重力波の存在:「見えた」と言っても、様々な処理を経たもの。 ・ビックバンがあった:反対者がいるので、まだ未証明? ・シュレディンガー方程式の収縮(崩壊):これも反対者がいるので未証明? 「決定実験」で検索すると、ニュートンの光に関する実験の話が出てくるね。 >>85 >地動説の判定実験は? 思い出した話(記憶おぼろげ) 学生「太陽が地球の回りを周ってるに決まってます。毎日、周ってるのが見えてるでしょ。」 教師「では、地球が太陽の回りを周ってるとしたら、どう見えたら良いのかね?」 教師はウィトゲンシュタインとか? >>89 訂正: ・ブラックホールの存在:「見えた」と言っても、様々な処理を経たもの。 ・重力波の存在:どの証拠が決定的なのか? >>87 原子なしで一定比率が説明できる? 天下りはダメよ 重力波の存在自体は連星系の角運動量減少で既に証明されてるだろ ブラックホールの存在は理論的にブラックホールになるしかない天体の存在だけだろ 宇宙論/宇宙科学では、ほとんど実験ができない。 また大局的な変化は、歴史同様に一回的なものだ。 よって推論が幅を利かす。 宇宙の誕生に関する事実としては 「宇宙が膨張している」、「3K背景放射」だけだろう。 あとは「宇宙の均一さ」、「泡状の大局構造」、「138億年年齢」をどう見るか。 >>99 つづき 使える理論はアインシュタインの宇宙方程式と量子力学。 両者は反りが合わないから、スッキリとはいかない。 TOEが必要だ。 万物の理論なるものが考えられるのか。 勉強になった。 page85〜104 電気の素朴な観察から、静電気学の概念を形成する試み。 現代の我々は、静電気学の正解を知ってるけど、知らないフリをして 「いかに創られたか」を辿ってみる。カマトトだ。 歴史的にその通りだっかは不明。まぁ、こんな感じだったかも。 一応は、力学的自然観の勃興、の部は読み終えた。 次の部は、力学的自然観の凋落。 今更だけど、力学は英語ではmechanicsなんだね。 知らなかった。こういう語彙って大事。 "Dyanamics"という語も使われる。 Wikiだと'Dynamics (mechanics)'に、 "branch of classical mechanics that is concerned with the study of forces and their effects on motion." とあって、mechanicsのほうが広い意味を持っているようにも見える。 'fluid dynamics', 'electrodynamics' , 'thermodynamics'は使う。 'Newtonian dynamics'と'Newtonian mechanics'は両方使われる感じ。 'Einstein mechanics'とか'Einstein dyanamics' はあまり聞かないけどなぜだろう? 'Quantum mechanics'は動力学じゃないから、 dynamicsはおかしいけど使われてはいる。 >>87 >>95 化学の教科書などには定組成の法則と倍数比例の法則が、原子・分子が存在する証拠の ごとく書かれているが、19世紀の物理化学実験でそれを精密に検証することは不可能である。 例えば、 1.00グラムの水素は35.5グラムの塩素から塩化水素(一つの物質)になると言っても ”連続量の一定の比率”で合成されるという従来の法則でも説明できる。 倍数比例の法則が”精密に整数比”だと言えない、つまり水素と塩素に素量があるかどうか 19世紀当時の天秤等による実験精度では無理だ。 >>104 理系コンプレックスが強い奴が、かえってこういうレスをする。 一般的に、文系の理系コンプレックスより、理系の理系コンプレックス のほうが強い。 >>113 > 一般的に、文系の理系コンプレックスより、理系の理系コンプレックスのほうが強い。 ソース出せ カッシーラーみたいに文系と理系の壁を軽々と飛び越えるような人は、 疎まれがちなのかもな。 特殊相対論が間違ってるのに一般論があってるはずがない 一般論と聞いて一般相対性理論と間違えるその脊髄反射はもはやノイローゼ page109〜111 電流と磁石のローランドの実験 −力学と静電気力学と全く違った現象を発見した。 (1)働く力が電流と磁力線の相互作用が距離のみに関係してない。 (2)働く力が物体の直線状に力がない(垂直)。 (3)働く力が物体の速度に依存している。 (当時の)既存物理学では説明できないどころか、基本原理にそぐわない。 page112〜115 光の速さ 「つまりガリレイは光の速さを決定する問題を公式的に示すことはできましたが、 それを実際に解くことはできなかったのでした。問題を公式的に示すのは、 それを解くことよりも大体に於て一層本質的な事柄です。」 「実験技術が理論に追いついてない場合」の例は歴史上多く見られる。 例: 光の速度の測定(ガリレイから約100年遅れ) 重力波の検出(予言から約100年遅れ) 湯川の中間子(約10年遅れ) page118 「すべての発行は光の粒子、即ち光素を放出し、・・・」 この「光素」は原本ではなんと言ってるのか? まさか「photon」では? ・・・「corpuscle」だった。 >>122 つづき ちなみに超弦理論は1960年代からだろうから、すでに60年経っている。 「超ひも」の発見どころから、理論そのものも確立してない。 いっぽう、ニュートン力学は、ニュートンが2年弱でほぼ完成してるらしい。 マクスウェル電磁気学は約10年ぐらいだろう。アインシュタインの一般相対論も 約10年で完成。しかも、三人とも他にいろんな研究をしてる。 「おーい、超弦理論の研究者どもよ、しっかりしてくれ!」 俺ちょっとリタイアするわ。 高1の1年間物理を履修した程度でこの本を読もうというのは甘かったかもしれない。 >>124 つづき ちなみに、 (a)ニュートンの運動方程式/万有引力の式 (b)マクスウェルの方程式(4本) (c)アインシュタインの特殊相対論(E=mc^2)/一般相対論(重力場の式) (d)シュレディンガーの波動方程式 の中で、今まで人類にいちばん富をもたらしたのはどれだろう? (a)と(b)はコスパが良さそうだ。 >>126 つづき 逆にこの中で、今まで人類にいちばん害をなしたのはどれだろう? (c)のE=mc^2は核爆弾で派手だけど、(a)が一番ではないか? で、超弦理論は人類にどんな富と害悪をもたらすんだろう? >>124 >ちなみに超弦理論は1960年代からだろうから 紐理論は19Cのケルビンの考案 紐に超が付くのは1980年代 >今まで人類にいちばん害をなしたのはどれだろう? 自然科学の発見に対してこのような思考をする人は善悪宗教・イデオロギーに洗脳されている 善悪宗教でしか考えられないなら、こう考えればよい 「神は人類を滅ぼすために核分裂原子と核融合原子を創り自滅させるトラップを仕掛けた」 page127 「かやうにして海の波は河の波より大きな波長をもってゐます」 なんで「かようにして」なんだろう? 説明がないようだけど。 しかし、海の波が河の波より大きな波長なのはなぜだろう? 媒質は同じ水なのに・・・。 与えるエネルギーの大きさ? page131〜136 光の波動説 光は粒子であるか波であるか? これは物理学史上、もっとも長く続く論争ではないか。400年ぐらい? ここでの「N(ニュートン派)」と「H(ホイヘンス派)」との論争でも決着はついていない。 「判定実験」はあまたあるのだが、判定になっていなかった。 現代の量子力的な解釈は、 「通常は場で波として存在し、何かの作用で励起したら粒子として振るまう」 ではないか? 痛み分け? >>132 19世紀末までの時点では光の波動説が圧倒的、物理実験とも矛盾しない。 光の干渉現象、物質中の屈折率、マックスウェル方程式の真空中の電磁波速度〜光速 ニュートンの(質点?)粒子では説明が非常に困難で一貫性が無い。 >>133 >19世紀末までの時点では光の波動説が圧倒的、物理実験とも矛盾しない。 エーテル問題が弱み。 マイケルソン・モーリーの実験は、1887年で19世紀末だね。 救ったのは相対論を出したアインシュタイン。 一方、光量子仮説で粒子説も支持www そんな記述なんか? 文系のアホが誤読してんじゃねえの そしてその核である原子力の害をネット工作で偽装しとるのがカルト教なわけやなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww そのくせコロナはただの風邪だと偽装するわけやなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwしかないでエテ公wようするにかみたま名乗ってサル山のおいしいところにいたいというだけwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww リタイア宣言したけど、電磁気とか全然知らないから、 色々見ながら読み進めることにする。 page155〜158 場・相対性(一) 「万有引力の場」という言葉がでてくる。 ただし「ここではそれは単に一つの名称に過ぎないので、それ以上の意味をつ ける理由は何もありません」と釘をさしている。しかし後に電磁気的な「場」を 使う伏線として、この「万有引力の場」の効用をちょこっと検討している。 page159〜162 電磁気的な現象の物理的な解明。 万有引力との比較で検討していってる。 しかし、その違いは大きい。 「力が物体を結ぶ線上にない」、「力が直角に働く」、「動きが関連する」など。 戦略は図形を使うこと。つまり幾何学的な検討。「場」の誕生だ。 これは一般相対論につながる。 page163 邦訳で不思議に思ったこと。 磁気の方は「静磁場」を使うのに、電気の方は「静電気の場」を使う。 原本は「magnetostatic field」と「electrostatic field」で対称的。 「静電場」を使えばいいのに・・・。 (後の方では「磁場」「電場」を使っている。) page163〜175 力学的アイデアで電磁現象を説明するのは困難だが、 場のアイデアで説明すると、上手くいくよ、 という説明をしている。 まぁ、淀みない説明は、ちょっと後知恵的な感じもする。 これを編みだしたのはファラデーだろうが、まさに天才。 ファラデーなければ、マクスウェルなし! 余談だが、 日本語訳が古いせいで、〜〜的な〇〇、や、〜〜的〇〇、と今では書くところを、 〜〜の〇〇、などと書いているのは、気になる人は気になるかもしれない。 >>147 >ファラデーだろうが、まさに天才 天才だけではない ファラデーは家庭貧困で本屋の奉公に出された偶然から科学者への道を見つけた。 アインシュタインいわく、大学入学してれば(ニュートン力学を刷り込まれたなら) 電磁場のアイディアが生まれただろうか? アインシュタインは子供の頃から相対論につながるアイデアを考えてたそうな どこへ行こうと初めから決まってたんじゃない? >>147 つづき 「日の下に新しいものなし」で、ファラデーのアイデアにも先行者がいるだろう。 自然科学者には、そもそもの考え方として、粒子を好むもの、場を好むものがいそうだ。 粒子派:デモクリトス(原子論)、ニュートン(光は粒子)、ドルトン(原子論)、 ボルツマン(原子論)・・・ 場派: ヘラクレイトス(万物流転、万物は火の交換物)、デカルト(渦動説)、 ホイヘンス(エーテル)、ファラデー(電磁場)・・・ 進行中の理論でも、超弦理論は粒子派、ループ重力理論は場派ではないか。 「最初は単に有用な模型として出発して来たのですが、場はだんだんに実在のやうになりました」 そして「場」が実在化すると、「物体」は実在の概念を独占できなくなった、とのこと。 page177〜180 マックウェル方程式の名が出てきてしまった。素朴な実験の記述のすぐ後だから 飛躍しすぎの印象。 やっぱ、この本は電磁気学をある程度知っているものを読者としているようだ。 その上で「物理学は"いかに創られたか"」のテーマを検討するということか。 (原題は「THE EVOLUTION OF PHYSICS」) page180〜181 「場」および、マックウェル方程式のでき方の説明 (1)ファラデーの実験:磁石を動かすと針金に電流が流れる (2)エールステッドの実験:針金の電流の回りに磁場が生じる この実験から「針金」を消去し(あるいは極小化し)、「磁石」 も消去し(あるいは極小化し)、それを「場」に替えると 電磁場なるものが生まれ、マクスウェルの方程式につながる と言っている。なるほど。 page181〜182 A「ニュートンの万有引力の法則」とB「マクスウェルの法則」との違い。 Aでは演技者は物体、Bでは演技者はいない。→「物体」vs 「場」 Aは"遠方"の出来事同士を結びつける、Bは"この処"の"現在"の「場」は、 "ごく近所"での、"すぐ以前"の場に関係する。→「遠隔作用」vs 「近接作用」 413ご冗談でしょう?名無しさん2022/12/12(月) 22:27:44.50ID:8EHPwdCI page184〜188 ここからは 「場」の振動の話。つまり電磁波。 電磁波が広がって行くこと、 その速度は光速に等しいこと、 つまり光が電磁波であること。 そしてエーテルの話。 これらのページは普通の説明が続き、あまり考察的なことは書かれていない。 page189〜192 「併しながら、新しい場の見解が、古い電気流体説の誤謬から科学を救ったとか、 叉は新しい理論が古い理論の成果を破壊してしまったとか老へるのは正しくないでせう。」 「職へて言へば、新しい理論をつくるのは、古い納屋を取りとはして、その跡に庫天捜を 建てるといふのとは遠ひます。それよりも寧ろ、山に登ってゆくと、だんだんに新しい庚 匿とした展望が開けて来て、最初の出溌鮎からはまるで恩ひもよらなかった周園の浬山の 眺めを見つけ出すといふのと、よく似てゐます」 ちょっと教訓臭いことを言っている。まぁ、大事だ。 「併しエーテルの物語りはもうこれで移ったわけではなく「相対性理論のところでまた 之に続きます。」 と、下巻の予告。 わーい、上巻を読み終えたぞー! 上巻を読了した時点での感想。 日本の通俗解説本(e.g.ブルーバックス)のように、つまらんギャグをかましたり、 女子と博士を登場させてバカ話をしたりとかのギミックを使わない。 さすが大科学者の二人。 物理学の歴史といってもカバーしている対象は少ない。熱力学なども無し。 むしろ「力」と「場」という物理概念の誕生に主眼をおいて物語ったようだ。 上巻page193〜198(二巻本でもページは連続している) ふたたび「ガリレイの惰性の法則」に戻って、この法則の前提を吟味する。 観測者が慣性系にいなければ、慣性の法則はなりたたない(定義は逆だが)。 そして地球は慣性系ではない。 つまり「座標系」を意識しないと、正しい物理理論は導けない、と「座標系」 なる語を導入。 >>158 つづき 「通俗解説書」は於いといて、大科学者が書き下ろした一般向けの 解説書も本書と比較していこうか。 内容的には、「物理学の全体」、「相対性理論」、「量子力学」 の発展などについて述べたもの。下記のものをあげる。 (1)「相対性理論」アインシュタイン/岩波文庫 (2)「物理学とは何だろうか」朝永振一郎/岩波新書 (3)「現代の物質観とアインシュタインの夢」益川敏英/岩波書店 いずれの著者もノーベル物理学賞の受賞者だ。 (1)と(2)は、もやは古典とも言うべきもので、読書もおのずから 回顧的ものにもなる。 page198〜208 近代物理学で座標系の意義が注目されたことを指摘する。 ガリレイの相対性原理が述べられる。 現代の我々からすれば、ずいぶんと執拗な延々と考察を続けている。 「アインシュタインが特殊相対論を研究しているときは、このような 思考を何度も何度も行ったに違いない」ということを思わせる。 >>161 つづき 座標系に対する、このように執拗な考察は、>>160 に掲げた(2)、(3)では出て来ない。 ところが、同じアインシュタイン著の(1)では、やはり座標系に関する記述が執拗に出てくる。 ここにアインシュタインの特徴が見える。すなわち「アインシュタインは座標系にこだわる!」 これはまた「等価原理」へのこだわりにつながる。 page209〜229 我々は既に答えを知っている。それを前提に、過去の人々の思考過程を想像するわけだ。 しかしこのページの議論は、あまりにも周知で、退屈な議論となってしまっている。 それはともかく、議論は下記にまとめられる。 三つの仮定の考察 仮定(1):運動する物体がエーテルを一緒に通ぶ。 →事実:光の速度は光源の運動に関係しない。 →結論:矛盾する。 仮定(2):ひとつの特別な座標系があって.そのなかで運動する物体はエーテルを通ばずに、永久に静かなエーテルの海を通って動く。 →事実:光はどの座標系でも同じ。 →結論:矛盾する。またガリレイの相対性原理は成立しない。 仮定(3):位世と速度とは、古典的変換によって、一つの惰性系から他の惰性系に変換せられます。 (1)と(2)、および(3)は並立できない。 そして、(1)、(2)は実験的に正しい。だから(3)を諦める。 page226 「今こそエーテルなるものを全く抹殺して、もはやその名を決して記すことのない やうにする時なのであります。私たちはその代りに、空間が波動を伝搬する物理的の 性質をもってゐると、云へぱよいのです。さう すれば、今用ひまいと決断した言葉を少しも使はなくてもすむのです。」 なんか、ただ開き直っただけの発言に聞こえるが、実際には革命なんだ。 page229〜232 そして革命の結果、下記のマニフェストが生まれる。 (1)真空中の光速は一定で、光源や観測するものの運動には関係しない。 (2)相対的に動いている座標系では、すべとの自然法則は精密に同じ。 これを受容すると、同時性について、ニュートン力学とは違った結論を得る。 page233 かくして「時間合わせ」の問題がでてくる。 page233〜244 これらのページでは、新しい相対論(ガリレイでなくアインシュタインの)が 必然であることを延々と説得している。すでに知識のある現代人にとっては 退屈な議論となる。 原本1938年の出版で、100年近く昔なのだから、仕方ないか。 もっとも、100年経っても、これは常識にはなってない。 100年たってもアインシュタインとピカソは、一般人には「解らない」。 >>167 相変わらずの浅薄な誤読。 アインシュタインの業績とピカソの作品を言ってるのに読み取れない。 ちなみに、相対論もエンタメの世界ではありふれたネタになってはいる。 またピカソのエピゴーネンも溢れている。 しかし「双子のパラドックス」さえ理解できない人々が大半だし、 ピカソの絵の前で戸惑う人々が大半である。 >>168 つづき 実は、 相変わらず理解できないのは量子力学であり、 作品の前で戸惑うのは、マルセル・デュシャンである。 page244〜251 O(old?)とM(modern?)の対話。その論旨を追ってみる。 Oは、古典物理学の知識までを持つ。Mは相対論を知っている。 Oは、ガリレイ変換を信じる。 Mは、物理法則が座標系に依らないことを主張する。 Oは、マクスウェル方程式がガリレイ変換に不変でないことをもって、それに反論する。 Mは、ガリレイ変換が間違っているのだと再反論する。ここでローレンツ変換が出てくる。 Oの偏見は、@ガリレイ変換が正しいこと、A全座標系で時計(時間)は一つであることの二つ。 Mは、座標系によって、時間も長さも変わりうることを主張する。 Oは、それが事実と異なると主張する。 Mは、それは速度が光速にくらべてごく小さいから判別できないのだと主張する。 Oは、座標系によっては光速より速い速度があり得ると主張する。すると長さが負に? Mは、@ローレンツ変換が正しいこと、A個々の座標系に固有の時計(時間)が あることを主張する。 まぁ、内容は単純なことだ。 @光速が一定で、それが最大速度であること、A物理法則は座標系によらないこと、 がすべて。@の知識が無ければ、Oの主張となる。 >>171 つづき この本では数式は一切使わないが、ローレンツ変換ぐらいは数式を使って説明した ほうが解りやすいとも思うのだが・・。 しかし、「廣松渉の『相対性理論の哲学』(勁草書房など)を読む」のスレでは ローレンツ変換について、延々と幼稚でアホな議論を続けているし、現代人に とっても、ローレンツ変換は手強いのか? page251〜257 OとMの議論を総括した上で、f = ma が正しいかの検討をする。 「静質量」なる概念を導入し、速度が速まれば、「静質量」に加えた抵抗が現れると主張する。 そして、それを実験で確かめようという。 page257〜259 いよいよ、e = mc^2 が出てくる。 ラジウムの放射能による例証は中途半端。 運動エネルギーが加速度に対して質量と同様な働きをすること。 エネルギーは質量をもっていて、質量はエネルギーを表わしていること。 しかしこの辺りから、今までの分析的な記述から説明的な記述に変わってくる。 知識が専門化してくるので、一般人には説明しずらいせいか、天下り的言い方で、 具体的な考察を欠いている。 page260〜272 ここでは、一次元連続体、二次元連続体、三次元連続体を導入する。 なんのために? それは運動のありさまを、幾何学的な表現に帰するためだ。 なんのために? それは、古典力学とは違い、相対性理論では時間と空間を 統一的に扱いたいためだ。すなわち、運動を時空の「静力学」として扱う。 相対性理論では、もはや時間はすべての座標系で共通な絶対的なものではないから 時間をvisibleにするほうが都合が良い。 page271〜272 「二次元連続体を二つの一次元連続体に分離するのは、相対性理論の見地からは、 客観的意味を欠いた勝手な手績であるとしか思はれないのです。」 なんか、かっこいい文章だ。 この延長として「4次元連続体」が出てくる。 「出来事の世界は動力学的には、時間的に変わり且つ三次元空間の背景に投影された 描画で記述されますが、併しそれはまた四次元の時空連続体の背景に投影された静力学的 の描画によっても記述することができます」 これもかっこいい文章だ。 page273〜276 「一般相対性」の議論がはじまる 慣性系とは何か? → 力が作用しなければ物体が一様に動く系のこと では力が作用しないとはどういうことか? → その座標系で一様に動くこと ではその座標系とは何か → 力が作用しなければ・・・ 以下、循環する・・・ つまり古典力学では、「法則をどんな座標系に関係させてよいか分からない」 うん、これは重大だ! >>177 つづき >>160 に挙げた朝永振一郎と益川敏英の本は、相対論についてはそっけない。 むしろニュートン力学より冷淡だ。素粒子論をやる者にとっては、アインシュタインの 時空は、あまり関係したくないのかも知れない。 量子力学とニュートン力学では、一般相対性理論と違い、時空は背景独立ではない。 素粒子理論の人々は、このことにコンプレックスを持っているのではないか? と穿ってしまう。 「力とは何か。加速度を生じさせるものである」と習いましたが page277 座標系を地球に結びつければプトレマイオスの天動説、太陽に結びつければコペルニクスの 地動説となる。 ここに優劣はないのか? 「太陽に結びつけられた座標系は地球に結びつけられたものよりも、寧ろ惰性系らしく 見えます」とアインシュタインは断定する。えっ? まぁ、それはそれとして、地動説のほうが、物理学的にスッキリするのは間違いない。 page278 「古典物理学には、絶封的な一様の運動といふものは存在しません」 「絶対運動」なる概念が再登場した。この言葉は以前に、エーテルに関して使われたものだ。 エーテルに結び付けられた運動が「絶対運動」であった。 エーテルはおいといて、絶対空間を認めている古典物理学(ニュートン力学)なら、 絶対運動を認めているのではないか? エーテル同様、絶対空間もおいとけば、相対的な座標系ばかりだから、絶対運動は 存在しないと言えるだろうが。 page279〜282 ここは一般相対性理論のマニフェストというか、あるいは"pep talk"の印象さえある。 要は、 「私たちの新しい考えは簡単なもので、つまり、すべての座標系に対して成り立つ 物理学をつくらうと云ふのです」 に尽きる。 逆に言えば、古典物理学では、それが成り立っていないことだが。 では、お手なみ拝見! page 282〜294 一般相対論の解説を見たものにはお馴染みの「昇降機」の思考実験が記述されている。 通俗解説本では特に好まれる。 ただ、本家が述べているだけに、重みがあるねぇwww アインシュタインがこの思考実験を最初に公表したのは、いつだったんだろう? page285 「この座標系は本営の惰性座標系の「袖珍版」に過ぎません。」 "袖珍"なんて言葉、初めて知った。 この本の読者は、この言葉を知っていて当然なんだ・・・(汗 page295〜313 ここでは、@球面上の二次元生活者(空間の湾曲)と、A回転運動する座標系と慣性系の 相対比較(運動による時間の変化)により、一般相対性理論の思考実験を行っている。 アインシュタインは、研究の時にこのような思考実験や想像を限りなくしたように 思われる。人類が初めて考えることだから楽しかったろうな。 特殊相対論から一般相対論への自然な拡張を上手く説明している。"上手く"というのは、 「@ローレンツ変換と、A物理法則は座標系に依らないこと」だけを受け入れれば、 後は、自然な論理で結果が得られますよ、という体裁だから。 しかしそのためには、この本の読者は、古典物理学、ユークリッド幾何、 非ユークリッド幾何を知っていることが前提だ。いっぽう、数式を一切使わないのは、 数学や数式の知識が無い人を前提にしていることになる。 奇妙な読者像だ。数学使ってくれや。 物理の記述には定性的と定量的があり 定性的も大切だ。 2次元生活者は曲面の観測データのみから曲率を表せる、ガウスの曲面論=ガウスの定理 数式も定性的説明のひとつだ。 それどころか、自然言語ではできない精妙な定性性を表現しうる。 さらには、法則の美しさも表している。 マクスウェルの4つの方程式は、その定性性と美の表現の極致。 >>186 >マクスウェルの4つの方程式 基本式は2式だけ、アインシュタインの一般相対論でもそれしか計算してない。 さらに、真空中ならば対称性から1式だけとも言える。 物理は観測実験結果から成り立つことをおわすれかな。 アインシュタインの相対論の論文は観測や実験の提案で終わっている。 >>183 アインシュタインの子供の頃からだそうだ >>188 今日の朝日新聞の折々のことばの内容がそうだな。 >>187 何をもって基本というのか? ちなみに、4つの方程式は、まとめて一本でも記述できる。 >一本でも記述できる お前がそれを説明出来たら後でしてやるよ 自由落下するエレベーターでは見かけの力と重力が打ち消し 無重力になる=等価原理。 でも大きさがあるエレベーターでは端と端では潮汐力が異なり 打ち消さない、潮汐力がガウスの曲率に対応する 1本から4式がどうして出てくるか他人に分かるように説明など コピペバカにできる訳が無い こんどは屁理屈バカか、誰が重力が一定でない話してるのか 重力が一定でないとどのように 観測 実験するのか? page314〜318 「相対性の一般理論は、あらゆる座標系に濁して物理的法則を形作ってゆかうと 企てるのです。」 その要件は、 @あらゆる座標系で成立すること(特殊相対論では成功している)。 A「場」の物理学であること。すなわち近接作用の物理学(電磁気学がお手本)。 B世界の幾何学的性質を明らかにする(非ユークリッド幾何)。 物理学の「革命」を行うにあたってのアインシュタインの「意気込みorためらい」 @古典物理学は十分に成功しているのに、あえて新しい物理学を作るべきか? A事実に適合する物理学が造れるか? B古典物理学は新しい物理学の近似理論になっているべき。 Bは、いわゆる"Newtonian limit"であり、アインシュタインが苦労した点だ。 「c → ∞」にすれば、古典物理の式になること。ローレンツ変換では容易だったが。 page318〜321 いきなり「新しい物理学」すなわち、一般相対性理論の成果を紹介している。 @水星の近日点移動 A重力による太陽のナトリウム原子スペクトルの波長変化 「一般相対性理論からの結論を観測によって検証するといふ問題はこみ入ってゐて・・・」 とあって、さっさと次へ行くようだ。 等価原理。 落体の法則は平らな斜面で2物体を同時に滑らせる実験から。 次に理論の原理、等価原理に発展した。 では 曲面の斜面で2物体を同時に滑らせたら? page321〜325 ここは「新しい物理学=一般相対性理論」の総括。 @一般相対性理論とマクスウェル電磁気論は、どんな座標系にも適応できる。 Aどちらも「物体」と「場」の存在を前提としている。 そして、さらに進んで・・・、 アインシュタインは、「物体」と「場」の二つが存在することが不満なのだ。 『空間のなかで場が非常に強くなってゐる領域として物体を認めてもよいのでせう。 斯うすれば、一つの新しい哲学的背景がつくり出されることになります。』 と言う。 だから、 『そこで私たちの最後の問題は場の法則を変更して、エネルギーの多量に集中されて ゐる領域にも之が常てはまるやうにすることでありませう。』 ということになる。まさにアインシュタインだからこそ言える言葉。 >>191 ∂_j F^{ij} = (4π/c) j^i の事か でも残りの式は F^{ij} の定義に含まれてるからなー page324〜 「現在ではすべて実際の理論的構成に於て二つの存在、場と物体とを仮定しなければ ならないのです。」 つまり、アインシュタインの夢は実現していない。 page326〜325 ここは延々と傍点の文章が続く! 私の知る原本には、この種の強調はない。訳者の石原純が付けたのか? 読みにくいったらありゃしないww >>202 コピペレスしただけで終わるつもりか? それからマックスウェル方程式の4式が出てくることを他人にも分かるように 説明して見せろと言ってるのだよ。 >>203 つづき 「場」と「物体」の統合の夢。 これは量子力学を含めて、現在の物理学でも実現してない。 量子力学では、相互作用により場が励起したものが物体(=粒子)とみる。 しかし量子力学は一般相対性理論は取り込んでいないし、背景独立ではない。 超弦理論も背景独立でない。問題だ。 すべてを一つの物理的エンティティで説明する試みは、ループ量子重力理論だろう。 しかし、ここでは時間と空間は下位の物理的エンティティから創発したものだ。 >>206 人をくさすだけなら大馬鹿でもできる。 一言居士にすらなっていないバカは哀れ。 page331〜334 ここから「量子/量子論」が始まる。 まずは連続量と不連続量についての、あれやこれやの実例を示すことから始めるが、 量子力学については「根本的な思想だけを説明」するとしている。 page334〜343 ここは、今となっては古い陳腐な内容となっている。 >>210 つづき さすがに、ここからアインシュタインの高邁な哲学を読み取ることはできない。 page343〜352 光電効果の説明がある。我田引水w 光素説の復活かw 光の波動説と粒子(光量子)説とを並立させねばならない困難。 「そこでどのやうにして之等の二つの形像を結合することができるでせうか。」 これが以降の問題意識。 >>171 >Mは、①ローレンツ変換が正しいこと、②個々の座標系に固有の時計(時間)が >あることを主張する。 その「個々の座標系に固有の時計(時間)」というのは ローレンツ変換の影響を受ける時計?受けない時計? アインシュタインが「私は全宇宙に時計を置いた」というのはどっちの時計を置いたの? 普通のニュートン時計を全宇宙に置いたの? それとも相対論特製の時計を全宇宙に置いたの? page352〜362 ここに二重スリット実験が出てくる 物理学の一般人への説明に出てくる実験ではベスト5に入るだろう。 なにがベスト5は知らんが。 page359に宿敵ボーアの名が出てくる。 page361にx線回折が出てくる。 ロザリンド・フランクリンがx線回折でDNAパターンを写真に撮ったのが1953年。 この本の出版が1938年だから、まだ先の話だな。 >>214 ニュートンの時計、アインシュタインの時計、ローレンツ変換の影響を受ける時計・・ などと言うものは存在しない。 ただ「規則的に物理現象を繰り返す」という計測器を置いただけ。 その計測器は、どんな座標系でも同じ現象を演ずるはずだ。 あとは、ローレンツ変換の出番。 page363〜373 「或る深い且つ幸運の類推によって、みごとな理論を成功せしめた典型的な一例であります。」 「或る深い且つ幸運の類推」って、なんのことだろう? 連続的である波と、離散的な量子の折り合いを「定常波」によって説明している。 端点を固定した定常波の並の数は離散的であるしかない。ドゥ・ブローイの考え。 page368 「物理学の理論を立てるのには、根本的な思考が最も本質的な役目を演じます」 まぁ、誰でも言う言葉だが、アインシュタインが言うと意味深い。彼はそれを実践している。 page373 「科学の最近の進歩によって現はれて来た最も根本的な疑問の一つは、資に物質と波との 二つの矛盾する見解をどうして調和させるかと云ふことであります」 100年経った今でも解決していない・・・。 page373〜376 確率波の説明をしているのだが、正直、このページの狙いが不明。 なんかオザナリな感じがする。 そして、 「暫くの間量子物理学を離れることにします」 と、閑話休題。なんのこっちゃ? page377〜388 統計力学の話になってきた。 これも我田引水か?・・というかアインシュタインの関心事か。 アインシュタインはブラウン運動の研究以来、統計力学も関心事のひとつ。 page386 「電子の場合にも、之と同様に、空間のなかのどんな点に対しても、またどんな時刻に 対しても、或る函数が決定せられます。この函数を確率波と名づけませう」 ここはちょっと微妙。いわゆるボルンの確率波を言っているのだろうが、この確率波は 電磁気学における電磁波とは意味合いが違う。 page387 「それらは単に統計的の性質をもつ問題に答へるための数学的手段を提供するに過ぎない からです。」 とあるように、物理的存在の描像を与えるものでなく、解を得るための道具なのだ。 >>217 google booksによれば、 a deep and fortunate analogy だね。 石原氏の訳し方はあまりうまくないね。 page389〜392 「古典物理学から離れる私たちの第一歩は、空間及び時間に於ける客観的の出来事としての 個々の場合の記述を棄てることでありました」 page390 「簡単のために、ここでは量子物理学以外のすべてを古典物理学と呼ぶことにしませう」 あらら、アインシュタイン自身が自分の相対性理論も「古典物理学」に入れちゃった。 さもありなん。 ここでの記述は、アインシュタインの量子力学への理解が示されている。正しく理解して ると思われるし、彼の期待を外している無念さを示しているようにも見える。 彼はやはり、決定論的で個別の物理現象を直接描写できる物理法則を望んでいるように見える。 page393 「古典物理学から量子物理学へ移ることに対する私たちの議論のなかでは、いつも 空間と時間とを別々に取り扱ってゐる昔の前相対論的記述が用ひられてゐました。」 ここは問題だ。いわゆる背景独立の問題。 page394 「それでも量子物理学が、今でもやはり、物質と場との二つの概念に基づいてゐるのは、 疑ひのないところです」 現代の「統一場理論」は、4つの力を統一させることだが、アインシュタインの夢は、 物質と場を一つの概念で統一することだ。超弦理論は、それを実現しない。 page394〜400 page399〜400 またまた傍点の大盤振る舞い。 なんか、そんな強調するほどのことは書いてないように見えるが・・。 むしろ page398 「私たちの理論的の構成によってこの実在を把握することが可能であるといふ信念が なくては、また私たちの世界が内的調和をもってゐるといふ信念を欠いては、科学は まるであり得ないでせう」 のほうが、アインシュタインの量子力学にたいする疑念を感じさせて興味深い。 >>216 つまり普通の時計、前相対論的時計だね。物差しもだね >>223 つづき わーい、下巻も読み終わったぞ! あらためて、この本の読者像が疑問になる。中高生ではないな。 上巻のはじめのところは、中学生でも理解できるような記述になっているが、 下巻の終わりは、そこそこの物理学の知識を持っている人でなけはれば理解できない。 でも、なにがしかアインシュタインの考え方に触れたかなという気はする。 岩波文庫に入ってるのだから、もはや古典だろうが、これよりも「相対性理論/ アインシュタイン/岩波文庫」のほうが古典としてふさわしいかな。 >>224 「なんとか的時計」とか「なんとか的物差し」なんて、ないんだってばさ。 どこでも共通の物理現象と座標系があるだけ。 そして光速度一定とローレンツ変換。 >>225 確かに、理系の高3〜大学1年生にかけて読むのがふさわしそうな本ですね。 早々にリタイアした私が言うのもなんですが。 >>226 光速度一定はわかる そのためにローレンツ変換が必要になってくるのもわかる じゃあ数学的に組み替えた、ローレンツ不変の時計や物差しは作れはしないのか 作れないなら作れないでいいんだけど調べてもわからない >>228 ずっと言ってるように、問題は普通の物理現象であり、普通の物質だ。 ローレンツ変換で、それらが別のものになるのではない。 二つの座標系の観測の問題。 >>229 時計tと物差し(x, y, z)がローレンツ変換で歪むんでしょ 今知ったが、xy座標はx and y coordinatesで、 座標系はcoordinate systemなんだな。 俺みたいな素人は英語で考えるのも大事やね。 >>230 互いに慣性運動してる二つの座標系の話だよ。 各々の座標系の観察者が、自分の時計tと物差し(x,y,z)を見ても何も変わらない。 >>232 俺が言ってるのは例えばこういう「使いにくい」時計や物差しでもいいから 共有できないのか、という話。できないならできないでいいから https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Logarithms.svg >>233 よくわかんないけど、なんか換算表みたいなものが実装されてるもの? 例えば、今は東京にいるけど、ニューヨークの時刻を表示する時計みたいな? >>234 直線的、等間隔的な普通の時計、ガリレイ時計?に対して、 曲線的、非等間隔的な無理やりな時計、ローレンツ時計?を作って ガリレイ感覚で共有できないかな、みたいな発想 「あれっ、それってただのエントロピー?しかも固有時ってそれのこと?」 みたいには思うけど、誰も「俺も計算してみた」って言ってくれない >>236 > 直線的、等間隔的な普通の時計、ガリレイ時計?に対して、 そもそも直線的、等間隔的な普通の時計ってなに?文字の間隔? じゃあ曲線的、非等間隔的な無理やりな時計ってなに? 1時と2時の間は短いけど2時と3時はすごく間隔が開いてるとか? > 誰も「俺も計算してみた」って言ってくれない そりゃそうだ、何想像してるかさっぱりわからんもん。 >>237 ニュートン力学の絶対時間を「ガリレイ時計」と呼んでみた そのガリレイ時計のような感覚で共有できる時計は相対論後は望めないのか、 可能ならそれを「ローレンツ時計」と呼ぼう、という話 「同時」の概念を変えてしまうくらいなら時計を変えればいいんじゃないのか、という話 テキストに物理の教科書ではありませんと明記しているし 数学思考だけはトンデモになるから気をつけて >>242 エントロピとか固有時の言葉の意味わかってる? >>243 固有時に関しては>>214 でいきなり訊ねてる エントロピーに関しては対数関数全般、くらいにしか考えてない Wikipedia見たら >情報理論においてエントロピーは確率変数が持つ情報の量を表す尺度で、それゆえ情報量とも呼ばれる。 とか書いてあってビビるけど 要するに時間をt、エントロピーをSとして S = log(t) t = e^S だというごく簡単な認識ね エントロピーには加法性が必須 確率には積法則があるから対数がエントロピーになる 時間にそんなものは無い 時間の対数をエントロピーと呼ぶことが国語的に正しいかどうかはさておき、 ともかくはそのエントロピーのようなそうでないような時間の対数を、 新しい時間軸として採用してみた場合、ローレンツ変換がどうなるか、 というのを考えているのです 時間tの対数をSとし、つまりS=log(t)とし、 手近なローレンツ変換の式の時間成分を全部このSで置き換えてみてほしいのです お分かりいただけたようですね エントロピー = 固有時 = ローレンツ時計 っぽいのです ちなみに、相対性理論には過去や未来はありません。 時刻が早く進むかゆっくり進むか=運動が速いか遅いかという違いがあるだけです。 相対性理論の図とか計算見るとよく-秒とか負の時刻が書かれてますがあれは、過去の時刻といういみではありません。 物体が運動して離れたその地点に到着する頃にはそれだけ時刻がずれてるだろうという単なる予測をしてるだけです。 たとえば、原点から100m、200m、300m〜と座標系を脳内で考えるだけなら、まだ到達してない無限の位置を想定可能ですよね。 時刻もそれと同じように、脳内で考えるだけなら、まだ到達してない無限遠方まで先読みで計算して設定可能というだけです。 時刻の進みを位置の進みと同じ感覚で扱いましょうと言ってるのが相対性理論の時空の概念です。 >>25 光速は既にレーマーとフィゾーが実験している。 また光行差、恒星からの平行光線と地球の円軌道から求めた 地球の速度を使うと約30万K/sがでる。 ケプラーが知っていても不思議ではない >>160 啓蒙的な新書としては、 講談社現代新書から出ていた、 湯川秀樹らによる『物理の世界』も挙げられる。 258だけど、この本はある意味では問題作かもな。 1964年時点でSFの手法を借りて説明しているが、 その内容が今の時点から見て有効かどうかが、 論点になりそうだから。 よくよく思い返してみると、中学時代はあまり電気分野は勉強しなかったな。 中学受験のときはしたけど。 だから俺は電磁気のところで立ち往生したんだな。 日本人の47%は月に1冊も本を読まない、社会人の46%は社外で勉強しない 科学論文も先進国最低、ITAI革命に取り残され経済力低下、安い賃金労働しかない >>262 高校物理を学んだなら特殊相対論で 特に力学は理解可能なはず。 電磁気は場の理論で、概念が物理 そのもの 特殊相対論は岩波「相対論」の内山先生の解説と図から始めるのもありかと。 中高のユークリッド幾何、ベクトルが使える はっきり言って『物理学はいかに創られたか』は歴史的意義しかない。 それも、物理学の歴史を研究するものにしか意味はない。 一般の人々は、もはや『物理学はいかに創られたか』は捨て去るべき。 こんなものに拘泥していては、物理学の進歩はない。 >『物理学はいかに創られたか』は歴史的意義 近代科学の誕生から20世紀の物理学の革命である相対性理論と量子力学の完成 に至るまでのエッセンスをアインシュタイン(とインフェルト)分かり易く説明した。 このような物理学の大変革は今後百年起こらないだろうが、応用物理の可能性は 無限にある。 もうすぐ量子力学誕生100祭だから盛大に祝おう。 >>このような物理学の大変革は今後百年起こらない とんでもない。相対論も量子力学も、来るべきTOEの序章に過ぎない。 我々は、まだ世界の秘密を捉えていない。 50年以内に、それら以上の革命が起こるだろう。 大統一、プランクエネルギーレベルになれば現代物理学を超えた物理世界が有る だろうが現代の人類にはそれを観測する為の科学技術が殆ど不可能に近い。 物理観測無しの理論物理学は前提無しの数学と変わらない。 なんでもありの詭弁使いなら可能だろうが物理と無関係 まあ、プランクエネルギー自体は複合粒子の衝突で可能だろ。 ただしノイズだらけだろうが >>269 量子力学は測定過程.観測過程を含み射影測定のみが測定ではない。 アインシュタイン.ペンローズ.ワインバーグは量子力学が未完成と のべている >>271 ギリシャのデモクリトスはおいといても、ラボアジェ、ドルトンの近代的原子論から、 実際に原子が観測されるまでに200年以上かかっている。 重力波の地上観測でも約100年かかった、日本は未だに出来ない 多世界やマルチバースは、原理的に他の世界/宇宙を観測できない。 ビッグバンも同様で、我々はそれを観察できない。 物理学の対象には、そもそも原理的に観察できないものが含まれている。 >>277 LIGOの精密測定には日本人が大きな貢献をしている。 >>278 つづき 原理的に観察できない現象の物理的説明は、意味があるだろうか? 実証された原理に基づいた説明で、それ以外の結論があり得ないなら、 それを事実としてよいだろうか? 理論でわかることとと実験・観察でわかることのアンバランスがあることって、 実は物理学にとって危険なことなのかな。後者を専攻するやつが闇落ちしちゃったりとかさ。 50年間も画期的な進歩がない現代の理論物理学が終焉したということだ それまでは 高エネルギー加速器、深宇宙観測望遠鏡など実験物理学の観測による新現象を説明する ために理論物理学が発展し補強してきた。 このまま人類種が滅亡して終わるか、新人類が宇宙に進出し未知の現象を発見するまで 理論物理学は変わらない。 となると、 先行していた理論を実験・観察でわかる事象の新規性が追い抜いたということ? クォーク理論は宇宙線観測と高エネルギー加速器が新発見した多数の特徴ある粒子 (ハドロン)を理論的に分類するために数学を使い考案したもの 実験物理学による新発見が先行してるということだ それを説明する為に理論物理の理論が後から作られる 俺はてっきり理論の方が先行しているのかと思っていたよ。 まあ、俺は物理に限らず何事も理論と実践の両立が必要だと考えている。 >>267 ニュートンはつまらんから読まんなー 同じ内容でもなんか程度が低い感じ >>282 単に自分が落ちこぼれてる事を認められないだけじゃん 関係大ありだよお金出してくれただけで 低予算でもなし)だと普通の知性があってわざわざ独り暮らししてるやつはそうかもな 心臓発作なり脳梗塞とかなんだろう 連覇貢献なら放映権料や放送スポンサーなどの半導体関連株の一角が軟調、 まだサル痘のニュースで関連銘柄が少ないから反対数に差がでるとまずいから? ヒスンならセーフだった時に電話してたわ レトロゲー好きJKはおじさんの層が薄いし こいつのことどう思ってるんやろな read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる