素粒子の自由意志
「実在性の状況依存性」、コンウェイ-コッヘンの自由意志定理、あらゆる実験にある自由意志は、排除できるのだろうか。できないのなら全ての実験は意味をなくしてしまうのだろうか? 私たちは常に実験主義者の自由を暗黙的に仮定している…この基本的な仮定は科学を行うために不可欠である。 もしこれが真実でなければ、実験で自然の問いかけをすることは全く意味がない。なぜなら、自然は私たちの問いかけが何であるかを決定し、それが私たちの質問を導き、誤った自然の姿に到達する可能性があるからです[5] 実験者は宇宙が始まった時点で作成された相関を排除することは決してできないため、選択の自由の抜け穴を完全に排除することはできなかった [1]。
1980年代にジョン・スチュワート・ベルで超決定論を論じた際のBBCのインタビューで語った[2] [3]。
「遠距離での超光速と不気味な行動の推測から逃れる方法がある。しかし、それは宇宙が完全に決定論的であり自由意志の完全なる欠如を伴う。 世界が超決定論的であるなるば、舞台裏の時計仕掛けで動いている無生物の振る舞いだけでなく、私達の行動もまた、事前に全て決められていることになる。 (中略) 粒子Aを含む宇宙は、その測定とその結果が何であるかを既に「知っている」ため、粒子Bで行われた測定を粒子Aに伝えるために、光速よりも速い必要はない。
彼は抜け穴を認めたが、それは信じがたいと主張した。 アントン・ツァイリンガーは、超決定論の意味はもしそれが真実ならば、反証可能性を破壊することによって科学自体の価値を疑問視するとコメントした。 うーん、なんか微妙な…
情報伝わってるわけじゃなくて共通原因あるだけだから光速越えて因果関係あってもセーフ!っていうのはわかったけど、
そういう決定論的な世界観で情報伝達とか定義できるもんなん?セーフじゃないケースはちゃんとあるの? もしわからなくても、ベル不等式の発明者自身が抜け穴があることを認めていることで察しろ
超決定論的な世界観なら必ずセーフにできる(局所的隠れた変数理論でも相対論的因果性を守れる) 例えば俺と月の居る奴がリアルタイムでしりとりしててたら相対論者がやってきて
「おい!超光速通信なんてできないはずだろ!おかしい!」って言って来たら
俺が「いやこれしりとりしてるように見えてお互い言いそうな単語がたまたま連なってるだけだからw」って答えたとする
そんな言い訳されたら何でもアリになっちゃわんか? たまたまかたまたまじゃないかは統計的分析で峻別できる たまたま→1/2の確率(+統計的分散の範囲)でしか起こらない
たまたまじゃない→1/2の確率(+統計的分散の範囲)外の確率で起こる たまたまって言い方が悪かったなら、
例えば俺と月の居る奴がリアルタイムでしりとりしててたら相対論者がやってきて
「おい!超光速通信なんてできないはずだろ!おかしい!」って言って来たら
俺が「いやこれしりとりしてるように見えて過去の何らかの原因で必然的にそうなってるだけだからw」って答えたとする
そんな言い訳されたら何でもアリになっちゃわんか?
だとどうなるん? ただしベルの不等式による排除は実験車の自由選択を仮定している
実験車も含めて「過去の何らかの原因で必然的にそうなってる」可能性=自由選択の仮定を排除する
と、ベルの不等式の論証が有効でない
なので、おっしゃるとおり何でもアリになってしまう
これがベルの認めた自由意思の抜け穴 >>15
「いやこれしりとりしてるように見えて過去の何らかの原因で必然的にそうなってるだけだからw」 >>16-17
何でもアリなのかアリでないのかどっちなんだ >>17
超決定論というのは「いや因果関係があるように見えて過去の何らかの原因で必然的にそうなってるだけだからw」というものではないの? >>18
自由意思を仮定として受け入れる→何でもアリじゃない
自由意思を仮定として受け入れない→何でもアリ(物理法則すら偽造できる) 失礼、「いやこれ超光速の情報伝達があるように見えて過去の何らかの原因で必然的にそうなってるだけだからw」だった >>19
因果関係は原因と結果を定義しないと議論できないが
2津の測定間に因果関係はない
過去の何らかの原因で2つの測定間に生じる相関は過去の原因と因果関係がある >>23
因果関係って物理的に定義できるもんなん? >>22
その設定はアプリオリに与えられるものではない
初めに自分のスタンスを明らかにしないと、君のスタンスなど知る由もない
因果関係からね >>25
言い方が悪かったか
超決定論とは自由意志の不在を前提にした考え方ではないの? >>24
物理から離れてない?
知らんけど、2つのイベントが空間的距離にあって、相関関係が認められるのであれば、因果関係があるんじゃないの? >>28
ということは超決定論の立場では>>18の答えは何でもアリということでいいのか? 単なる質問はおしまい
質問するのならまず自分の考え方を説明してからしろ
楽するなよ >>30
「2つの測定間に因果関係はない」
「因果関係って何?」
「相関関係のことだよ」
「じゃあ2つの測定間に相関関係はないってこと?」 >>32
聞きたいことがあったら何でも聞いてくれ
俺のどういう考えを聞きたい >>31
ただ、
「過去の何らかの原因で必然的にそうなってる」
は、観測もそうなってるかもという疑問があればの話
そんなことあり得ないだろといって排除するのが自由意思の仮定 >>36
俺は超決定論について知りたいだけなので超決定論が自由意志を前提としないなら自由意志は割とどうでもいい 質問はきりがないので自分で調べろ
調べたことが正しいかどうかの確認ならOK
君の考えに全く興味はないので聞きたくない >>38
俺は特に何らかの考えを披露した覚えは無いぞ >>39
君が意味不明な質問だと言うから>>34で説明したのに答えないのか >>42
今んとこスレには俺とお前しかおらん
まあ人が増えるようなら出すわ >>41
説明になってないから無視したよ
無視されないようにがんばれ
楽することを考えるな >>44
主張の中のある部分の説明を要求して、得られた説明で置き換えてもちゃんと元の主張は成り立ちますかって聞くの物凄く妥当な会話の運びに見えるけど…
ちょっと論理は苦手なのかな? >>14
それはベルの不等式によって排除されたのではなくて、アスペの実験に要請された条件じゃない。
それでアスペは2度の実験を行なってる。
それで実験結果が変わった訳でもないし。 あ、言ってる間に人増えたね
>>46は俺じゃないよ
続くようならID出そうかな >>24
因果関係は定義できないよね。発見した法則が正しいということしか言えないと思う。 >>45
言い訳はいいから
コピペで伝わると思うなんてコミュ障害?
ちゃんと伝える努力はしましょうね
そういう書物もたくさん出てるでしょ >>48
だよね
少なくとも自由意志無しでは難しいんじゃないかな? >>49
コピペなんてしてないけどw
藁人形に陥っちゃった、残念 >>46
これも何を言いたいのか伝わらないけどアスペが行った改良実験はフェアサンプリングに関する改良だったはず
自由意思があることはベル同様仮定していますね >>51
因果関係のあるイベントは、時間を無視すれば相関関係に見えますよ
これに時間関係を取り入れて、もうひとつ大事なこととしてそのイベントが過去においてローカルに
相互作用を行った履歴がある場合に因果関係があるといえるでしょう
無関係ではありません
相関関係は因果関係の部分要素ですね >>51
だよね
で、決定論絡みの話で因果関係は避けて通れないように思うけどその辺の理解が甘そうなの見ると
やっぱりちょっと眉唾なんかなあって思っちゃう >>47
続くかどうかは、俺には分からない。
話の流れによる。
でもそれも超決定論で決まってるのかな? >>52
コピペと変わりありません
ちゃんと文章を補って論理的に説明してくださいね
こちらに文の間を補って読ませる負担を負わせるのが間違ってるでしょ >>54
>相互作用を行った履歴がある場合
幾らでも遡っていいならどっかしらにはあるんとちゃう? >>55
理解が甘いのは君だけのことだと思うけど
ベルの考えが甘いとか言ってる? >>57
それへのレス>>45で足りるんとちゃう? >>58
そう思うなら、超決定論は否定できないよね
そういうもの >>61
ならば、ちゃんと説明しなおしてくださいね
他人に負担をかけることを申し訳ないと思えるなら 相関関係というのは統計的なもの
因果関係は認知的なもの >>60
俺を否定するなんて○○を否定する気か!ってよくある論法だねw
そういうこと言う人大抵違うこと言ってるだけだけど
ベルさんは有名な人だし甘いことは言ってないんじゃない? あと疑問があるならのそポイントを整理してくださいな >>65
だったら、君の考え方が甘いだけんじゃないかね?
全員が甘いとは思ってないわけで >>62
じゃあやっぱり>>13みたいな言い訳できちゃうんだ >>67
特にどこが甘いとは言えないけどお前の考えは甘いんだ、か
論理的な反論ありがとうございますw >>34
想像するに
「2つの測定間に因果関係はない」→
「一方の測定結果が(原因)他方の測定結果を制御するような(結果)類の直接の因果関係はない」
これは一方から他方に伝わる情報
でOKかな?
相関はこれとは違って過去に共有された情報 >>69
君も理解が甘そうとか論理的な考察してるからね >>70
ありがとう
でも自由意志の不在下で制御か単に推移関係にあるかって区別できるもんかな? >>71
ごめんね!
でもこうして君が答えてくれていくことで実はそれは誤解で君は甘くなんてなかったってことが明かされてくと思う! >>72
できないでしょう
何でもアリだから
検証する方法もない
仮定として受け入れるしか方法がない
それでいいんじゃない?ベルもツアィリンガーもそう言ってる思うが >>74
なるほど
であれば因果関係そのものが定義できないわけだ
確かに超光速の因果関係は無いという法則に違反はしないかもしれないけどなんだかな〜 科学とは、人間がきっかけとなる原因を自由に設定して、自然が返してくる応答を結果と認識して
その因果関係を記述するシミュレーションだと思うと
自由に設定していると思っている原因が自由ではなくて、原因と結果と思っている2つのイベントが
過去に共有された情報に基づく相関であるという可能性が排除できない
こうなるともはや科学そのものに対する疑問につながってくる
だからツアイリンガーは>>3のように言った
自由意思の仮定なしに因果関係と相関関係を峻別可能かという問いに対してはNoであると言えよう 「超光速の因果関係は無い」という経験則があって
でも自由意志の無い超決定論下では因果関係が定義できない以上
「超光速の因果関係は無い」という主張も病的定義になってしまうわけで
でも依然として経験則は存在することを考えるとちょっと怪しいなーと思えてしまう ベルの不等式は観測基底の自由選択という仮定と相対論的因果律を通じて、2つの測定が直接の因果
関係を持ちえないようにしている
観測基底の自由選択は(対象系ではなく)観測装置間に一切の相関がないことも保証していて、この仮定
を外すと、観測装置間に過去の情報共有に基づく相関を許してしまう
これは観測基底の選択に対してベルが想定していない隠れた変数の存在を認めることになる
これを認めるともはや何でもアリで量子系でなくてもベル不等式を破る結果をシミュレーションできてしまう もうそのうち超光速通信もできちゃうかもね
「自分が何か電話口に話そうとすることは相手の電話口から同じ音が生じることが決まってた」ってすればいいわけだから 補足
ベルの不等式は観測基底の自由選択という仮定と相対論的因果律を通じて、2つの測定が直接の因果
関係を持ちえないようにしている
この条件下で、古典系を用いて過去の情報共有による相関に基づいて観測結果にどれほどの相関関係を
作り出すことができるかを議論したのがベルの不等式
観測基底の自由選択は(対象系ではなく)観測装置間に一切の相関がないことも保証していて、この仮定
を外すと、観測装置間に過去の情報共有に基づく相関を許してしまう
これは観測基底の選択に対してベルが想定していない隠れた変数の存在を認めることになる
これを認めるともはや何でもアリで量子系でなくてもベル不等式を破る結果をシミュレーションできてしまう とすると超決定論のやったことって自由意志や因果関係の否定というよりは、
因果関係を切り離して光速上限を狭義の相互作用に限定したわけで、
むしろ因果関係は自由になったんだよな
であれば「超光速の因果関係」たる超光速通信も別に否定されないわけで、
なんか可能性広がってきたw 別に超光速で電話してても「相互作用は光速を越えてないから物理的には辻褄があってる」でいいわけだもんね
光速以上に隔たった何らかの法則を超光速通信と見做しうる 意味不明
仮定を外せば実際にできるって?
SFだけのせかいでしょう 仮定を外すって何の仮定のこっちゃw
君人には説明足りないって怒るけど割と自分は説明足りないよね 自由意思の仮定を外せば何でもアリになる→超光速通信すら可能
って言ってるんじゃないの?
何でもアリというのはそううことじゃありませんよ
何も分析も説明できなくなる
ルールが何もなくなる
って話ですよ 俺が超光速で電話してて、旧来の頭の固い奴が「超光速の因果関係なんてあり得ない!」って文句つけてきても
超決定論者が「何言ってるんですか因果関係なんて存在しませんよ。単に電話していると見做せる現象が同時に起こっているだけでしょう?
超光速の相互作用が無いことに何も違反しません」って擁護してくれるから大助かり 数学で言えば公理をなくせば公理系自体考える意味がなくなる
それと同じ コロナ禍が起こったのも神の思し召し
何があっても神の思し召し
ですまそうって言ってるんですよね >>88
意味不明過ぎるw
選択公理の不在下で選択公理について考えるのはおかしなことではないでしょう >>90
何を言ってるのかちょっとわからんけど、超決定性を神に喩えてるのかな? >>91
そんなに意味不明ですか?
自由意思の仮定って数学で言えば公理に相当するものだと思いますが >>93
公理って既に定義された述語を用いて定義するもんでしょ?
定義そのものをどうするかって話に関係ある? >>92
神にたとえているのはラプラスの魔です
超決定論を背後でコントロールする神
神のみぞ知る >>95
数学的定義は良く知りませんが、証明不要(することができない)仮定という意味で言ってます >>97
公理ってのは証明不要なんじゃなくて仕方無しに導入するもんよ
初期は公理使わずに論理だけから導けないか試みられてたし、今でも論理から出せるなら出したいだろうよ 別にそんな難しいこと言ってるわけじゃなくて「超決定論下では因果関係を定義できないから超光速の因果関係が存在することも否定できない」ってだけなんだけどな
超光速の因果関係が存在するかどうかなんて話は因果関係の存在しない超決定論からしたら意味不明な命題だからな >>98
仕方なしに導入するのも証明なしに導入するのも同じことでしょ
違いがわからないですね >>99
で、世界は超決定論的だからと未解決の問題を理由にして言い訳できるとでも?
1.事実に対して仮定を持ち出す >>102
世界は超決定論的だなんて言った覚えないけどw
藁人形論法だな >>104
与太話だってことですね
あたりまえだけど >>106
もう駄目っぽいね
核心突いちゃってごめんね >>105
仕方なしに導入するのも証明なしに導入するの違いを定義できると
>>101
で書いたでしょ
それをですよ
自分で今書いたことも記憶してないの? >>107
何が核心と言ってるのかわからないけど
駄目な話を書いたのは君ですからね >>108
>>101で書いたのは公理は定義可能だって主張だな
んでもって例えば選択公理なら選択公理の論理式書けばいいだけなんちゃう?
定義するだけなら
別にそれは選択公理の不採用下でもできるよね >>110
仕方なしに導入するのも証明なしに導入するのも同じことでしょ
に対する答えではないですね
自由意思や超決定論が論理式で定義できないから、仕方なしに導入するのと証明なしに導入するのは
違いがあると言っているのかな? >>111
そもそも定義できなかったら論理的に出て来る可能性さえないでしょ 公理みたいなものだといったのは数学に例えたのですが、なにか決定的不都合があるのなら固執はしません
私にはその不都合はよくわかりませんが 俺もおかしな喩えするからつっこんだだけで撤回するならそれで構わんぞ
本題は>>99だしな 公理とは数学的に論理式で定義できる仮定である
とかいう定義があるのなら、自由意思の仮定はそんなものではありません
物理的仮定ですからね
証明なしの仮定という共通部分を有するたとえ話と思ってもらえばよいです 自由意思の仮定がなければ因果関係を定義することすら困難になる
という話ならその通りで、それ以上言うことはありません まだ引っ張るんだw
まあ論理式でなくても定義はできて貰わないと困るな >>116
なるほど、ありがとうございます!
ということは超決定論では超光速の因果関係は否定できないってことですね
そう考えると個人的には怪しく思えちゃうかなあ
超光速の因果関係が存在しないって経験則には割と説得力があるので… >>118
できないけど、それじゃぁ科学的議論の基盤がなくなっちゃうじゃないですか
だから>>3と言ってるわけで >>119
いやまあ別に何も法則無いなら無いでいいんだけど今んとこありそうだからちょっと眉唾だなぁと思った 超決定論の立場に立つと超光速通信も否定できないけど超光速通信はできなそうな気がするしね 例えば実験をやっていると、わかりやすい実験結果を得たいがために、自分の思うような結果が出るように
パラメーターを可変したり、都合の良い実験結果だけピックアップして他を捨てるなんてことやっちゃう可能性
があるわけです
これはもはや自由意思とは言えません
実験結果には実験者の意思が反映されています
自由意思というのは公平性や客観性の担保にもなっているわけです 超光速通信装置が発明されて、物理学者は「そんなのあり得ない!まさか相対論は間違っていたのか!」なんて大騒ぎするんだけど、
よくよく調べてみると「人間はこの装置で発信すると遠隔地で受信したかのように振る舞うようにできてるだけ」ってことが発覚して
「ああ良かった。光速の規律は守られていたんだな」と一安心するのであった
一般人はそれを見て「その規律に意味あるのか…?」と思うのであった 自由意思=あらゆる作為を排除した
と考えてよいでしょう >>120
>ちょっと眉唾だなぁ
穴をふさぐ説を主張しても、その栓を説明する必要があるから何処までも終わらない。 そういう意味で循環論法は避けられません
ベルの不等式も同じ 俺は循環論法は必然ではなく自由意思は論理的に解決し得る問題だと思う
論理学の発展を待とう よく知らんけど認識論理とかそういうのでないの?
この話もその辺に統合されてくんでないの >>88
これ、やば過ぎね〜か。公理がなかったら数学になんねーぞ このスレのタイトルに「素粒子の」とありますが、量子論の文脈ではこれは「観測者の」「実験者の」と書くべきでしょう
一般的な超決定論の文脈では「非生物の」も間違いとは言えませんが
物理ではありませんが、岩波から出ているこのシリーズは興味を引きます
https://www.iwanami.co.jp/search/?search_menu=keyword&tab=3&search_word=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%88
因果性
自由意思
確率
などのタイトルの本があります こちらも
https://www.iwanami.co.jp/search/?search_menu=keyword&tab=3&search_word=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%8C%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B コッペパンバーゲン解釈によるとどうやら挟み撃ちの定理の有効生は有り 観測者は自由意思に基づいて観測基底を選択できる=あらゆる作為を取り除いてランダムに観測基底を選択できる >観測者は自由意思に基づいて.........選択できる
言葉悪戯
選択できるー>選択できたかどうか不明 ラインでやり尽くした感ある
だから潰れるんでしょ? そんなニュースあったんだよ確かに。
おばさんでもよくて