つまり当時の物理学者たちはバイオリンなどの1次元の弦は無際限に分割できる連続体と考えていた。
もちろん1次元の弦に限らずフルートやトランペットなどの管楽器内の振動する空気も連続体と考えられていた。
なにしろあの音速に名を残すマッハでさえ原子の実在性を認めなかった時代である。
しかしだからと言って、今日バイオリンの弦は連続体と明言するのは「私は未だ原子分子の存在を知りません」
と自ら告白しているようなものだ。

つまり今日的知見によればバイオリンの弦の実体はウィーンの光は分子とする立場に近い。
実際スチールであれナイロンであれガットであれ原子以下には分割できない、ちなみにガットは羊の脹であり高分子。
それに対し古典場であれ量子場であれ場は無際限に分割される連続体、さらに現代物理学によれば電子も光子も
大きさも構造ももたない数学的な点、すなわち粒的な描像などどこにもない。

つまり上の図は猫はワンと吠え、犬はニャーと鳴くといった全く真逆な関係なのである。
ようするに科学史はウソをついているということだ。