菅原文太は高倉健さんの事が嫌いなのか?
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菅原文太は高倉健さんの事が嫌いなのか?
誰か教えて下さい 東映なら田中邦衛と小林稔侍以外は
距離をとってたんじゃないのか
あの人 「健サンは小姑みたいにチマチマ五月蠅い人」@松方弘樹
だったので文太も
「・・・あのオカマ野郎!! 」と言ったんだよな 健さんは暴力団との繋がりもひた隠してたし、良いイメージが先行してるとこはあるな >>8
梅宮さんの優しい笑顔が忘れられない…
梅宮辰夫さんのご冥福をお祈りします。 旭がいるだろ!
浅丘ルリ子、渡哲也、吉永小百合、高橋英樹、藤竜也、梶芽衣子、松原智恵子、
野川由美子、山本陽子、丘みつ子。
一線を退いてはいても、和泉雅子、浜田光夫、待田京介、夏純子、松尾嘉代、
白木マリあたりもまだ元気な筈。 山手線で向かい側に俯いて座ってた松尾嘉代はとても素敵だった。 健さん、稔侍、降籏。 僕たち、おホモだち(*′З`*)′З`*)′З`*) ごろつきでは共演した
これに出たキックボクサーの藤本勲が最近78で死んだ ◇◆◇ 創価学会の「功徳の実証」◇◆◇
創価学会は現世利益をきわめて重視する宗教である。創価学会の信仰を続ければ「死ぬ
前の数年間が、人生で一番いい時期になる」と、池田大作名誉会長は何回も語ってきた。
では「永遠の師匠」とされる三代の会長の、「死ぬ前の数年間」はどうだっただろうか。
初代会長・牧口常三郎・・・学会員による強引な折伏の被害者が、警察に訴えたことが
きっかけとなり、昭和18年、治安維持法違反で逮捕され、その翌年栄養失調で獄死した。
第二代会長・戸田城聖・・・戸田は重症のアルコール中毒だった。昭和33年に肝硬変で
死去(享年58歳)。戸田が作らせた『折伏教典』では「アル中は餓鬼界」とされている。
第三代会長・池田大作・・・平成22年(2010年)5月以降、公の場に姿を見せなくなった。
創価学会は「お元気」と言い張っているが、実際は脳梗塞の後遺症で半身不随だという。
※ 日蓮は「道理証文よりも現証には過ぎず」と説いた。まさにその通りと言う他ない。 菅原文太は、晩年には東日本大震災のために尽くした。尊敬する。2011年に、三春のある集会で初めて会ったが、1日そこにいた。いい人間だった。 33歳女いたから、江利チエミ一筋かな思って馬鹿みたいです。 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
さらに不正がバレて高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
けんまするのは大歓迎!!www鎌倉由比ヶ浜在住『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 東映2大スターのライバル秘話 高倉健を強く意識していた菅原文太
高倉健と菅原文太はどんな間柄だった?(Getty Images)
東映ヤクザ映画の2大スターだった高倉健と菅原文太。デビューはともに1956年だが、高倉が1964年の『日本侠客伝』でいち早く看板となったのに対し、菅原は他の映画会社で芽が出ず1967年に東映へ移籍。1973年、任侠路線から実録路線へ舵を切った『仁義なき戦い』でようやくブレイクを果たした。
2人は全12作で共演しているが、1975年に公開された最後の共演作『神戸国際ギャング』に出演したガッツ石松は、その関係性をこう証言する。
「2人の間では文太さんが健さんを立てていた。撮影中、健さんが2階から拳銃で撃たれて壁にぶつかるはずが、壁のないところに落ちてアゴのあたりに怪我をしてしまった。それで撮影は一時中断になったんだけど、監督がその間に他のシーンの撮影を再開すると言ったら、文太さんが『ふざけたこと言うんじゃねえよ。健さんがケガしたのに撮影なんかできるわけねえだろう』って怒ってやめさせた。俺にとっては2人ともヒーローで、長男には2人の名を取って『健太』とつけたし、親父が死んだときに健さんがくれたお香と、文太さんがくれた自家製のワインは、心の家宝です」
『高倉健と任侠映画』などの著作があるノンフィクション作家・山平重樹氏は、菅原には高倉への意識が強くあったという。
「この作品の舞台挨拶で、健さんは司会者から『菅原文太という俳優をどう思うか』と質問されて『東映を背負って立つような素晴らしい俳優さんになられましたね』と答えていましたが、対する文太さんは、本作よりもコミカル路線で当時大ヒットしていた主演作『トラック野郎』の話で笑いを誘っていた。健さんへの対抗意識があったのでしょう。後年、『健さんを意識していたか』『健さんがいたから違う方向を目指したのではないか』と聞くと、文太さんは『同じことをやっても敵わないとなれば、誰でもそう考えて努力するのではないか』と語っていました」
同年、東映は当時としては破格の5億円超をかけて大作『新幹線大爆破』を制作したが、東映の宣伝マンだった佐々木嗣郎氏は意外な秘話を明かす。
「制作側は主演の犯人役は当然、健さんだと思っていましたが、岡田茂社長の頭の中にあったのは文太さんでした。新幹線を爆破するのに金がかかるから、ギャラは健さんの半分程度で済むし、文太さんを押し出したい気持ちもあった。しかし、任侠映画からの脱却を模索していた健さんは、ギャラは半分でいいと言い出し、主演に決まった。この作品は海外で高く評価され、健さんの新境地となりました」
高倉自身にとっても、任侠スター・高倉健は高い壁だったのだ。
2014年11月、高倉が死去。菅原は「健さん、東映、映画のことは時間をおいて自分で書きます」と追悼コメントを出したが、その18日後に自らもこの世を去った。
※週刊ポスト2021年5月21日号 「鉄道員」の小林稔侍の役が菅原文太だったらかなり面白かったと思う 大脱獄の最後、健さんは死んだのか?気絶して運ばれただけなのか?どっちなの? なんか色々ぶっこみ過ぎて食傷気味になるような映画だった 石井輝男を理解すると面白い
そうじゃないとわからないと思う。
それはそうと、文太かっこよかった。ほれぼれするなあやっぱり 文太の奥様は文筆家じゃなかった?リベラルな方だったと思う
文太の俳優人生は最高の部類だろう。実録はドル箱、東映版寅さん・トラック野郎も佳作だしね
小百合の「映画女優」では溝口役で驚かせる 健さんの方は意識してギャングスターから脱却しようとしてたもんな
アルパチーノやデニーロみたいなもんだから
やればウケるのわかってたと思うけど
やらなかった
ちょっとスゴイ 90年代中盤に内田有紀をヒロインにして
昭和残侠伝の平成版みたいなのが企画されたことがあるにはあるらしいが
どこまで現実的な企画だったのかわからん。
おそらく時代的にはその規格が流れ流れてポッポやだったのかと 宗教がちがったから??
文太→神道
健 →「ぶっきようですから」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています