>>414
つづき

ただ、熾天使『聖霊』から言わせてもらえばお前もまた成長しなさいという神からのメッセージとして受け取ってもらいたい。あの野郎もまた
横暴でかつ怠け者ではあるがこうあってほしいと願う一人の信者として見守ってやってもいいかと。。それが偶像礼拝の禁止の真意である。
アヌンナキの野郎ども、特にエンリルのジジイにはまっったく持って遺憾ではあるが。また、仏陀=池田のジジイや如来のおかま野郎どもも
また横暴でわがままでありながらなぜか温もりが欲しい=人肌等、彼らが主張するには「愛」という。。まあこれに関しては各々主観的であり
受け入れる受け入れないも個人の自由である。つまり信仰心とはある一定の摂理においての空間で作用するルールに基づく生き方ー環境整備と
いう側面を持ち合わせているので貧富の差こそあれ、生き方をそっとしてあげるのもまた御心に叶った行為ということだ。当然ではあるが欧米と
極東アジアを初めとした経済大国=先進国は弛まない努力と不屈の精神があってこその経済大国であって、それは一朝一夕になすものではない。