【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 256
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
このスレに書き込む際は必ず名前欄を記入してください。
名前欄の記入が無ければ、その人の過去の発言を追跡できなくなり話を続けられません。
この但し書きがあるにも関わらず名前欄の記入無しで書き込む場合、それは話をする気の無い人で、このスレを荒らす人です。
荒らしは無視するようにしましょう。
「◆tZZfT7L/3w」「◆L2ew5aH3E3Qf」等の成りすましも過去の発言を追跡できないようにする荒らしなので無視しましょう。
類似スレで利用者を迷わせないために、次スレは>>970以降に立てましょう。
※前スレ
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 255
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1613791339/ >>1
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スレ立て、ありがとうございます。m(_ _)m ✝神の約束はことごとく、この方において、「しかり。」となりました。
それで私たちは、この方によって、「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。(第二コリント1:20) 僕の願いは永遠の中で生きたい
こんな有限な不自由で限られた
くだらない
みなさんくだらないことをやってますよ
もっと永遠のいのちを信じてください
イエス様の言葉を信じてください
毎日が迷いばかりで苦しいですよね?
それから救われるために聖書はあるんです >>1
スレ立てありがとうございます。m(_ _)m
まちこさん、そして皆さまと出会えましたこと、
神様に感謝いたします。 >>7
くだらないと思えることの中にも、
真理はあるかもしれません。
人は弁証法的に発展していくものなのかも
しれません。 幸福の科学さんが幾らがんばっても
幸福の科学がキリスト教のように世界宗教になることは無いと思いますよ
無駄な努力はやめてください >>7
イエス様のお名前で神様にください、と言えば、永遠の命をくださいますので、もらってください。
✝ その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。
まことにまことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが父に求めることは何でも、父はわたしの名によって、それをあなたがたにお与えになります。(ヨハネ16:23)
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。
求めなさい。
そうすれば受けるのです。
それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるからです。(ヨハネ16:24)
☆良かったですね。 僕が何故に新興宗教を嫌うのか?
それは仏典に書いてありますからね
お釈迦さまの預言です
新興宗教は基本的には伝統宗教の敵みたいなものです
残念ながら相容れない
ウィルスに対する抗体みたいなものです
新興宗教は人を惑わすだけです
正しい真理にとっては敵ですね >>8
いえいえ、幸福さんに会えたこと、主に感謝します! >>10
まあ、それはここでは言わないことにしています。
大事なことは、多くの方々が神様と出会い、
そして信じて、全ての人が素晴らしくなっていき、
お互いに愛し合って生きていくことなのだと
思います。
すべての人が幸せになること、
それが神様の御心。
それは神様を信じる人が地上に満ちて実現されます。
こうして主の栄光が地上に現れてきます。 幸福氏、老子を読んでください
老子は続くもの、長さについて考えた本なのです
それは寿命であり命であり社会、伝統であるのです >>13
キリスト教もユダヤ教から見れば、
新興宗教でしょう。 他人を騙して儲けてやろう精神があるから
新興宗教なんか立てるんですよ
それが正しい真理であると納得してるなら
普通なら信徒で生きます
私はイエス様やお釈迦さまを超えた存在であると
強烈な我があるから新興宗教なんか出来るんですよ
5ちゃんなら希美さんが強烈な我がありますよね
あんなタイプです >>16
そうでしたね。
ふんじゃいさんも、老子の思想を詩にして
書いてみませんか? 本当にね
幸福の科学信者だとアピールするなら
幸福の科学スレに書き込んでください
それが訳わからない
良い印象はまるでないですね 言葉に出さず、身振り、手ぶりによらず
伝わる事、それを信じる事
それこそが知者、先駆者
見るだけでそれと分かり、
思う事でそれが成る
為さぬ事
思う事
それが私の仕事である
・・・なんじゃこりゃ みなさま、こんばんは〜。
キリスト教信仰の基本だと思いましたので、
まちこ師のスレをお借りしての発言をお許しください。^^;
キリスト教では、人が救われるのは信仰であって、
律法を守ることにはよらない、と教えます。
なぜそうなのか、考えてみたいと思います。
まず信仰とはなんであり、律法を守るとはなんであるかを理解しましょう。
1)信仰とは、未だ実現していない未来の希望を確信し、
それが事実であることを信じる姿勢です。
つまり、もし実際の行いが達成されていなくても、
信じるものは救われるとなります。
2)律法とは、この世界で実際に行われ達成された事実だけで、
人や物事の善悪を判断しようとする姿勢です。
つまり、もし実際に行いがなされ、かつ達成されていなければ、
救われないことになります。
3)さて、この世界とその中に住む人は神様によって完全に良きものとして作られました。
4)しかし神様の意図する完全な世界(天の御国)は、
最初から完成された世界ではなく、
最初はからし種のように小さく、後に大樹となる、
成長する過程を踏まえての完全な世界でした。
5)4)のため現在の世界は未成熟な部分をもち、
死が存在し、苦しみや悲しみが人を襲い、
サタンが働くことが可能な世界となっており、
人も未だ完成されてはいません。
6)5)であるため律法によって、現状で達成された行いだけを判断された場合、
どのような人・事物であっても、罪ありとみなされ、
成長の希望の道が絶たれます。
7)しかし5)であっても、信仰によって未来の完成を事実として信じることで、
罪なきものとされるならば、そこから成長の道を進むことができます。
8)結論として、人は律法によってではなく、信仰によってのみ、
救われる、となります。 >>23
ふんじゃいさん
すごい!
良い詩が書けましたね。
以心伝心、のことでしょうか? 伝わるにしても利己的ではだめだし
以心伝心とはちょっと違うかなー
為政者の心得みたいなもんなんだが 人はその身を強く保ち
世は人によって畑となる
その功は天へと帰り
人はお互いに「お疲れ様と言う」
幸福氏が変な事吹き込むから楽しくなってきてしまったw 自我がある以上
相手がいても孤独感は一時的にしか埋まらない
だって元々孤独なんだから
それを心の底から自覚した時
孤独感は消える 伝えるとか
人対人で何を伝えるんですか?
キリスト教はイエス様の教えは
神対人です
聖霊が全ての真理を伝えるからキリスト教なんです
別に人の称賛なんか要らない
神様から認められた
創造主から認められた
それがイエス様だから偉大なんです
あなた達に認められた
それで死から復活できるのですか?
何の役にも立たない ふんじゃいさんも、カムイさんも詩人ですね!
詩はいいですよね〜♪ >>29
和紙さんは、ちょっと深刻すぎです。
もう少し気楽にいきましょう!
神様も、寄り道くらい許してくださいます。 永遠の今があるだけ
永遠の今は愛で満ち溢れている
愛と対立するものはない
今と対立するものもない
善悪を超えたところに愛がある 勝手に気楽に行ってください
僕は知ってるから
その限りでは無い
あなた達と同じ生き方なら救われないのを知ってますから
日本中からの書き込みだから残念でならない
孤独なのは変わらない 人は生きることの意味を見出そうとする
人生にはなんの意味もない
人生になんの意味もないと心の底から自覚するとき
なんの意味もない人生が輝きだす 一般の愛は転じると憎しみにかわる
真実の愛は転じるものがないから
なにがあっても愛のまま >>34
なんの意味もない、と思っていた人生が、
神様の愛に触れた時、輝き出す。
こんなにも神様に愛されていた自分に、
気づかなかった私の馬鹿馬鹿。 男はタフでなければ生きて行けない
優しくなんて当たり前
エロくなければ生きている資格がない >>37
真実の愛は、ただただ、人を愛していくこと。
神様が、
あの太陽のように、なんら見返りを求めずに、
愛を与えてくださるように。 愛は総てを許す力
愛するときは身をも捨てることさえ出来る
愛有るが故に戦うことが出来るし
愛有るが故に戦いを止めることも出来る >>41
神様に赦されて、涙した時、人は生まれ変わる。
生まれ変わった自分であるならば、
人を愛して生きていこう。
愛は全てを変える力。
全てを良きものに変えていく力。
全ての全て。 坐禅の仕方
一息を離さないようにして念が入る隙を与えないようにします。
しかし、いつのまにか一息から離れて念を追っかけてますので、気がつけば一息に戻ります。
吸う息と吐く息と両方意識します。
スゥーハァースゥーハァーと息になり切って行きます。
また念が出ても次の念、次の念が出る度に前の念が忘れて行きます、そして坐禅が終わったら何も残ってない感じになるのもいいです。
そして、念が認識出来ない、時折り念が出なくなる事もあります。
念が出る前のところにいる感じです。
これが正念相続です。
また、坐禅をして楽になってもそこに安住する事なしに楽に流されないよう息を離さないようにして楽を切って行きます。
こうやって皮一枚中身がらんどう空っぽになって行きます。 >>42
ボツ賛成!^^;
ついでに、幸福さん、毎行に一行空けて書き込みされていますが、
私としては、毎行に一行空けないで、段落ごとだけ一行空けてくださったほうが、
レスを追うときの、スクロール量が減って助かるんですが。^^; 動中の工夫
何もしてない時は坐禅と同じで息に意識を置き余念の入る隙を与えない。
歩いてる時は息ではなくメインの歩いてる事だけに意識を置き歩くに成り切ります。
ご飯を食べる時はご飯を食べるだけ。
他ごとを考えながら歩いたり食べたりしない。
つまり動作によって余念が入る隙を与えないようにします。
動作はゆっくりと丁寧なほうが良い。
動作に隙を作らない油断しない。
真剣に命がけでする。
今やってる事を一心不乱にやればいい。
自分から目を離さない。
こうやって余念が入る隙を絶えず与えないようにして行きます。
そうすると四六時中、禅になります。
禅とは単を示す。
これだけをやって行く事が禅です。
徹し切った姿が只なんです。
菩提心を持ってやって行く、菩提心とは努力、忍耐、求道。
これが仏道の一本道です。
この道は 単を練る他 道は無し
単を練るとは今だけのことを真剣にやる。 >>45
コズモさん、こんばんは!
いつも勉強になります。m(_ _)m
1行開けスタイルが自分にとって一番しっくり
くるんですが… >>48
ああ、そうでしたか、事情を知らず、すみませんでした。
強制できる立場でありませんしそうしたいわけでなく、
しっくりされるほうがいいと思います。^^; >>50
2ちゃんねるで 慰めあってるって
余程 不幸な人達なのよ >>52
まちこさんに出会えて、すごく幸せです。
この幸せを、お裾分けしてあげたい。 一般市民達がこの宗教板の皆様のような人間だったなら 自○してるわ >>54
どう見ても境界線だよ
それしか見えません❗ _,.--‐‐=二三 ̄\ヽ
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ヽ|: : ,: : :≧ .. __ . イ|: : :. 文書の整いは、心の整いを示すんじゃなイカ?
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みなさんお久しぶりです。
>>17
よくわかっていらっしゃいますね
素晴らしいです
>>24
やっぱり律法がなければ罪はないじゃないですか。
律法下にないのに罪人とか言うからおかしいんですよ。 . / / _,,. ....,,,__ ヽ \
/ / ,.ィ:´ : : : : : : : ::.: : :>.、 V \
,.' ,' /: : : /: :ト; : : : : .:::ハ: : : : :\ V /
\ /: : :i : / l: :l V: : ::::/ V: i、: : :.ヽ', ./
. \ /: : :‐-!:/ .,,_V! V: :/ V:l_L: .:::.: V /
. `Y: : : :/ l/ ,. - キ ∨ - ,.ニV '; :::::;、.:V
レ^i、:/: l / 勹iハ ` ' 勹ハ ヽ i::/:l iV!
l: i: : l/ ト.イzj } l_ノi! .} V: : !:l ヾ
. /:V : : ! ヽ辷ソ Vz。ソ / : :l: i1.
/: _;' : : i. -‐ァ ァ‐, i: : : i :'
,.': //: : :.∧//,.ィ  ̄ `ヽ//U∧: : :i: ハ 何事も悔い改めて
/: : i/: : :/li 丶、i ),,. < i',: : '; : ', 悔い改めながら行うでゲソ!
/: : : /: : :/ l:i > ‐--‐ < ', 〃ヽ: :V: ヽ
,': : /: : :/ l:i / ',__// i、: ヽ: :',
; / : : /i ヽ/ ___ / ノ⌒) /!:\: ',:ハ
i/: : : /l : :i ', ,ィ´ l`丶, 〉 /:l :l: : '; i :ハ、
l: : : :{ : :l : : i ', / ヽ._,ノ _ ', j /: l: :i : ;' :!ヽ: ヽ
. i: : : :ヽ: l: : :i', V ,' f`i 「', l ヽi___ノ ,' : i : l/ : :i V :',
ヽ: : : L_l: : :i ', '´ ̄i __ l i i. l.l ∨i / : ;': /: : :/i i: : l
. V : : :`ヽ: i:.', ヽl i_i U l! ハ/:r‐-:' : : /: :l ,': :/
',: : :_: : :\_', ,\ /: :ヽ!: : : : :/ : : l /: :/
..  ̄ 〉: : : : /ヽ‐ ¨´ l:`:ー---‐': : : : l: :/¨7: : : ;': :/ 一行明けは異端カルトの特徴やね
幸福といい、りんごといい >>60
ヤハウェ教徒さん、お久しぶりです!
キリスト教は、信仰によって義とされるとのこと
でした。 >>63
キリスト教を名乗っていないなら異端にはなりませんよ。
幸福の科学は異端じゃないでしょ。
キリスト教を名乗っていないので >>66
いや、アダムとエバの原罪はあるようです。
ユダヤ教は動物で贖っていたが、
イエス・キリストが全てを贖われたので、
それを信じることによって、義とされ、
罪は赦される、ということでした。 >>63
> 一行明けは異端カルトの特徴やね
> 幸福といい、りんごといい
宗教じゃなく、ネットワークビジネス、マルチ商法、詐欺がよくやる一行空けコメント。
幸福の科学もネットワークビジネスの一種。
書籍販売などで。 >>67
原罪は理解できます。
原罪ではなく自分で犯す罪の話をしています。 >>69
律法を守れなかった罪ある人をも、
イエス・キリストを信じ、悔い改めることによって、
救われるのです。 >>71
律法下にないのなら、「律法を守れなかった罪ある人」っておかしいと思いませんか? >>73
テンプレより
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
キリスト教にも、御言葉の中に戒めが入っています。
イエス・キリストによって罪が赦され、聖霊を
受ければ、これら悪いものから遠ざかることが
できるのです。
御言葉とともに生きるのがクリスチャンなのです。
(と思います。) >>73
理屈だけの言葉遊びではなく、現実問題として、いまの不完全な現状に置かれているものが、
いかに未来の希望を得れるかが、問題の本質です。
神の律法の要求が有ることを否定していのではないと、何度も言いました。
その神の律法の要求には、現状の人では完全に答えられないでしょう?
なぜなら、未だに世界は未完成なのだから、という主張です。
そして、神の律法の要求を形だけで答えて満足してしまったのが、律法主義者です。
そうするほかないでしょう。
なぜなら神の律法の要求に完全に答えようとしたら、
人はこのまだ不完全な世では生きていけないでしょう。
神の律法の要求には、今の世と人は完全には答えられないのです。
律法があるだけでは、この不完全な世では人は救われないのです。
そこでこの世にあっては、信仰によってのみ救われると主張するのです。
信仰とは、今はまだ成されていない希望を確信し事実として認めることだからです。
この信仰の力なくしては、この不完全な世の中において、人は希望を得ることができません。 >>74
この聖句ってパウロが勝手に作った所謂「キリストの律法」ですよね。
モーセの律法のパクリですし >>75
>神の律法の要求が有ることを否定していのではないと、何度も言いました。
つまり私たちは律法下にあるという事でしょうか? >>71
2ちゃんねるで救われる救われる言うてても 意味無いよ >>73
✝神は人を分け隔てなさいません。
律法を知らないで罪を犯したものは皆、この律法と関係なく滅び、また律法の下にあって罪を犯したものは皆、律法によって裁かれます。
律法を聞くものが神の前で正しいのではなく、これを実行するものが、義とされるからです。
たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。
彼らの良心もこれを証しており、また心の思いも、互いに責めたり弁明しあって、同じことを示しています。
その事は、神が、私の福音の告げる通り、人々の隠れた事柄をキリストイエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。(ローマ2:11から16) >>79
何言っているのか理解できません。
結局私たちは律法下にあるのかないのかはっきりして欲しいですね。 >>77
そうです、神の律法の要求下にあり、
かつイエス・キリストの霊による信仰の下にもあります。
ヤハウエさんは、神の律法の要求に完全に答えられていると思われますか? >>82
>ヤハウエさんは、神の律法の要求に完全に答えられていると思われますか?
思いません
なので私は罪人である事を自覚しています
しかし、私が律法の話をすると、クリスチャンの人は「律法下にない」とか言うからおかしいと感じている次第です。
「そうです、神の律法の要求下にあり、」なら理解できますし、納得できます。 >>80
✝ ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに価なしに義と認められるのです。(ローマ3:24)
他はみな罪の下にいるということです。 >>84
私たちは律法下にあるのですか?ないのですか? >>80
罪の基準は律法にある
その意味でひとは誰しも律法下にある
そしてひとはだれしも罪を犯すので律法によって裁かれ、救われない
これが律法の呪い
しかしキリストの信仰、及びキリストへの信仰によって
ひとは律法による罪人の地位を超えて、救われる
律法の呪いは、自らをキリストともに十字架に掛けることによって、解かれる
これが信仰の実質的な意味であり、ゆえにクリスチャンは「罪人にして、義人」と言われる
つまり、律法下にありながら、律法下にない
ということでは? >>85
律法の下にいる人はその律法により罪となります。 >>86
>つまり、律法下にありながら、律法下にない
はい、理解できません。
>>87
律法下にいない人は罪人ではないのですか? >>83
ヤハウェ教徒さんは、律法によって自分の罪を
知ることができるわけですが、
では、罪を犯した人はどのように救われる
のでしたでしょうか? >>89
ファリサイ派の律法運用に問題が有った時代背景を考慮しましょう。 >>89
律法基準では罪人、しかし信仰基準では義人
クリスチャンは信仰によって律法基準の罪人でありながら
なお信仰基準で救われる
これでも理解できないですか? >>90
動物の贖いによって救われます。
私たちが普段食べている肉は、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださった動物なのですよ
動物だって命があり、生きているのですから >>89
律法下にいなくても罪人となります。
その人の良心が明かしすると >>79に書いてあります。
イエス・キリストを信じる信仰だけは、今は義となります。 >>93
ヤハウェ教徒さんは、今も動物の贖いをしておられる
のですか? >>92
そういえば罪人で同時に義人とか言ってましたね。
基準が二つあるのですか
なんとなく理解できますが、二つの基準って変な感じがしますね。 >>83
ですから、律法の元では罪の自覚が生じるだけで、なんの解決にもいたらない、
と主張したのがパウロです。
このまだ不完全な世界で、罪を全く犯さない人間なんていません。
しかし律法は、罪を犯すなと主張し、犯すものを罪人だと断定するだけです。
そこで救済策として、動物の血を流すことでの許しの儀式を取り入れたわけです。
しかし動物の血を流すことでの贖罪の儀式は、完全に人を義人と変えれるわけでありません。
罪を犯し、贖罪の儀式によって許される、この繰り返しをしてきたのが、旧約の世界です。
そこで動物の血に変え、イエス・キリストの血を流させ、イエス・キリストの霊に触れることで、
人は不完全な状態であったとしても、未来においては完全に點せられる事実を今信じることで、
義人とされるとしたのが、新約の救いです。 >>93
その犠牲の動物をキリストに置き換えたのがキリスト教
ユダヤ教の犠牲と異なるのは、キリストは神の子として究極の犠牲であり
過去から未来に渡るすべての犠牲をキリストのたった一度の犠牲によって終了させた
とキリスト教では考えるのでは?
ともに律法下にありながら
かたや動物の犠牲で救われるなら、キリストの犠牲で救われてもなにも問題ないでしょ? >>94
律法ではなく人の良心が基準という事ですか?
>>95
肉を食べる度に、自分の罪の身代わりとなって死んでくださった動物に感謝しています。
それが動物の贖いです。
動物だって命があり、生きているのですから。 >>99
肉を食べないと駄目ですか?
野菜だけを食べて生きている人は、動物で贖えない
のではないでしょうか? >>97>>98
はい、律法下にあるのなら、その事は理解できますし、お二人の言う事は理解できます。
ただ、動物の贖罪を置き換えてしまうと動物の肉が食べれなくなる気もしますが・・・
動物だって命があって生きているのに >>100
本質としては、「動物が自分の罪の身代わりとなって血を流した」事を信じるかどうかです。
なので血は神に捧げられるものなので血は食べることはできません。
肉を食べるのはついでみたいなものです >>101
肉食はなにも宗教的犠牲の意味だけではないので
そこは別にいいのでは?
そもそも生物は一般的に生物を食さなければ生きていけないので
命を奪うのは生物としてのデフォルトのあり方です >>102
キリスト教も一緒ですよ。
イエス・キリストが身代わりとなったことを
信じるかどうかです。 >>103
>命を奪うのは生物としてのデフォルトのあり方です
全くその通りなのですが、命を奪っておきながら道徳を語るのは偽善ぽくて嫌なんですよね
命を頂く理由をちゃんと説明しないと駄目な気がします >>104
はい、その事は知っていますが、
動物の贖いがあるのだからキリストは特に必要ないのと、
キリストの贖いに取って代ってしまうと、動物の命を奪う理由を説明できなくなるところが問題なんですよね 仏教にも罪の概念はあるが生贄で罪赦されるなんて野蛮な発想はないよ。
やはり日本人には仏教が馴染むのだね。 ( 生贄宗教は忌避される >>102
ノアの洪水の後で、動物を食べても良い、と神様が言ったのですが、そこを今調べています。 >>109
仏教も動物の命を奪う理由を説明できないので微妙です
やはりユダヤ教が最古で最高ですね。
最古で最高! >>105
でもそれを言ったら、自分が救われるために動物を犠牲にして食うなんて理屈は
偽善どころか人間側の身勝手極まりない屁理屈になりませんか?
むしろ食わなきゃ生きていけないから食う、のほうが偽善がないと思います >>111
動物を犠牲にして生きている私たちは、
神様を信じ、神様の御心を行なっていくのが
義だと思います。
その神様が、ヤハウェであったりイエス・キリスト
であったりブッダであったりしますが、本質的には、
神様を信じること、だと思います。 人殺しの船戸雄大は牛五十頭羊百頭を生贄にすればそれなりに減刑されるという狂った発想がユダヤ人だろう。
キリスト教も発想としては同じ線上に成立していると思うが。
一方、グノーシス派は決定的に異なっている。 >>108
えー!?ヤハウェさん!?動物の〜からそれは驚きモモノキなのです。
美味しいよね!私は吉野家派
七味、紅ショウガ、生たまごもいれるといいよね〜好みによるけど ここにも書いてあります。
レビ記11の2〜
イスラエル人に告げてい言え。
地上のすべての動物の家で、あなた方が食べても良い生き物は次のとおりである。
☆そして、その後に、動物を食べて良いものといけないものが書いてあります。 >>112
人間の屁理屈ではなくて神の律法です
>>113
まあ、神への信仰なしに動物犠牲の理由を説明できませんから、その辺りは共通認識ですね。
ただ、仏教は基本的に神はいませんから。幸福の科学は特殊です。 >>115
私はなか卯派です。
卵と一緒に食べると美味しいですよね。 >>117
仏教は仏様って呼びますが、それは呼び方の違いと
教え方の違いで、仏様も神様も一緒です。 >>118
なか卯は、シイタケが無くなったのが残念; >>117
それが神様の律法ということで肯定されるなら
生きるために食うも自然の律法として肯定されてもなんらおかしくないと思います
単に基準が違うだけで >>117
>>まあ、神への信仰なしに動物犠牲の理由を説明できませんから
それ「神」じゃなくって【悪魔】って云うのだよ。
因みに、仏教には神は居るよ。 >>119
幸福の科学では神も仏も同じでしたよね
熱心な仏教徒の父は全然違うと怒ってましたけど
>>120
ハラールではなく律法で大丈夫です
>>121
牛丼にシイタケは入れない派です
>>122
それだと道徳が語れなくなります なか卯は少数派だけどいるんだね。まあ美味しかったけど。あららシイタケ消えたんだ
最近いってないから知らなかった >>123
>それ「神」じゃなくって【悪魔】って云うのだよ。
>因みに、仏教には神は居るよ。
日本仏教を知らないと難しいかもね〜 >>119 >>123
これは私の理解になりますが、
神とは「崇拝の対象」
仏とは「悟りを開いたもの」ですかね。
信者がいれば何でも神になりますが、聖書ではヤハウェを神とするように教えられています。
信者がいなければ神はいません。
仏は信者がいてもいなくても仏ですかね。 >>97
ですから、キリスト教信仰とは、
1)イエス・キリストの犠牲による贖罪の業が、罪ある人も、神の御前に罪なき人とされることを信じることであり、
2)また、現在は未だ罪を犯さなくては生きていけない私達が、後の世界では完全なる義人とされるという、
キリストの約束を信じる信仰によって、今義人とされていることを信じることでもあります。 >>124
> それだと道徳が語れなくなります
なぜ?
自然という観点からであれば、道徳も社会的存在としての人間に備わった性質です
語り方は様々でしょうが、神の存在なしに道徳も十分語れます >>127
法華経では、久遠実成の仏陀ということを
説かれています。
釈迦が、今世はじめて生まれて仏陀になったのではなく、
永遠の昔から、永遠の未来まで仏陀として存在し、
その魂が地上に生まれて、悟りを開き教えを
説くのだということです。
こうなると天の父と一緒です。 >>129
道徳は「神の目」を利用してますね〜
児童教育の神を引きづっていると、この話題は難しいでしょう。 >>129
神の存在なしにも、道徳は語れると思いますが、
神の存在なくして、道徳は発生しない、
ということでしょう。
(横槍すいません) >>129
「動物は殺していいのにどうして人を殺してはいけないのか」
って質問にどう答えるのかですね。
>>130
仏陀を神として崇拝すれば仏はその人の神になりますかね >>131
神の目を利用するのは、行き過ぎると抑圧に転じることがあっても
社会統合のひとつの知恵だからいいんだけどね
>>132
それも信仰の違いだと思います
私は神の存在なくして道徳は発生すると考えますが
有神論者は道徳の起源を神に帰して考えるだけだと思います >>133
>>>130
>仏陀を神として崇拝すれば仏はその人の神になりますかね
なると思います。奈良の大仏を観たら拝みたくなる
でしょう。 手塚治虫のブッダにブラフマンと言う神様が出てくるね
なんかバラモン教とか言うのが根底にあるらしい >>135
私にとっての神はヤハウェだけですが、人それぞれでしょうね。 人間(よそ者や他部族を)を殺して肉を食らう人「食い人種」もいるから恐ろしいことだ。 >>135-137
大人になってからの神様は形而上に誰にでも居られます。 >>134
信仰の違いはあるかもしれませんが、
人間は「創られた存在」ということは
否定できないと思います。
創られたからには、創った存在の「意思」
があるはずです。
それが律法として示されたり、教えとして
説かれるものだと思います。
それが源流となって道徳が出来上がってきます。 >>132
人間は生まれ持って道徳を超えた尊いものをもってるんです。 ヤハウェ教徒さん
律法には、人を食べてはならない、
というのはありますか?
未開の種族は人を食う人種もいますので。 >>133
私個人の考えでよければ、人間は様々な存在に対して価値付けをするので
人間に対する動物の価値付けが低い、というだけのことだと思います
そのため動物の殺害は例えば食事という生存手段のために正当化されます
ただし一般には殺害そのものの快楽のための殺害は正当化されません
それに対し人間の殺害は食事という生存手段ではありませんから正当化されません
さらに人間には共感能力が一般に備わっているので、他人と自分を置換して考えることができます
他人の痛みを自分の痛みとして感じることができるだけでなく
他人を殺すことと自分を殺すことを等価として考えることができるので
他人を殺すことが正当化されれば、逆に自分が殺されることも正当化されることになります
「万人の万人に対する戦い」を惹起するこの正当化を避けるために
殺人は直観的に把握された禁忌となったのでしょう >>141
仏性ですね。
すべての人の心の奥にある、
仏になれる性質。
仏教ではその通りだと思います。 >>142
人を殺してはならないとあります。
食べると必然的に死にますし、
食べていい動物は律法で規定されています。
>>143
道徳というより、なぜ殺人罪があるのかという法律の説明に近いですね。 >>140
なんらかの知的存在によって創られた、というのであれば
それもひとつの考えでしょうが、私はそう考えません
生命は自生し得るからです
一般に物質はエントロピーの法則により熱的死に至ると言われますが
非平衡開放系では秩序が自己組織されることがあります
(実際に実証されています)
つまり条件によっては秩序は自生します
生命(正確には生命と言われる物理化学的特性を持った秩序)も経緯ははるかに複雑になるでしょうが
科学的には自生が可能であると考えられています(ここはまだ仮説の段階です)
こういったものの見方に従えば、「人間はなんらかの知的存在によって創造された」という考え方は
否定されます >>145
ユダヤ教徒は戦争はしないんでしたっけ? >>145
いえ、道徳です
先に説明したような共感によって引き起こされる感情と思考だからです
このように道徳の起源を説明することも可能だろうということです >>148
しますよ
正当防衛です
>>149
共感によって引き起こされる感情ですか
なら、動物を殺すのは可哀そうという共感によって引き起こされる感情によって動物を殺すのは道徳違反になる事もありますね。
菜食主義者がそうでしょうが >>151
正当防衛であっても人を殺しますよね。
律法の例外規定があったりするのでしょうか? >>144
真理は一つですから仏教ではこう、キリスト教ではこうと二つはありえないんです。 >>150
そうです
>>151
もちろんそうです
人間はことば(正確には分節言語)を獲得したことによって
周囲の様々な存在を分節し、価値付することができます
ひとによっては動物も人間と類似した感情を持つ存在とみなします
(科学的には実際に動物、特に研究の進んでいる哺乳類には感情があると言われています)
よってその共感は拡張され、動物を殺すことも道徳違反と考えるようになる人もいます
どこまでがよくて、どこからが悪いのか、は個々人の考え方・感じ方によるでしょう >>153
はい。それで喧嘩するんです。
お互いにお互いを理解しようとしなくなります。
真理は確かに一つですが、それは人間の認識力を
超えているので、色んな説明の仕方が
あるのです。 >>154
では、なぜキリストスレにいらっしゃるんですか? >>156
あなたがクリスチャンではないのにキリスト教スレにいるのと同じ理由だと思います
キリスト教に興味があり、また信仰者から学ぶことがあるからです >>152
例外ですね。
死刑執行とかも人を殺しますし
>>156
ブーメランで笑いました
私も人の事笑えませんけど >>155
認識はできませんが知覚はできますけどね >>159
カムイさんは出来るかもしれないですが、
そうでない方もいらっしゃるわけでして。
(私も知覚出来ません。) >>158
ヤハウェ教徒さん
いつも、ありがとうございます。
律法のことなど、前にも聞いたのに忘れてしまう
ことが多いです。
私はキリスト教も信じますが、ヤハウェ教徒さんの
おっしゃることも分かります。
目的は一緒で、神様を信じ、人々が愛し合って
生きていくことなんだと思います。
ですので、今後ともよろしくです。 >>162
人の心はなかなか分からないものです。
だからこそ、学びがあると言えますが。 グノーシスさん
注文した本、今日発送されたみたいなので、
明日届くかどうかというところです。
いよいよ、異端と言われた神秘の扉を開きます。 >>163
キリスト教はユダヤ教から来てますからね
目的は一緒というより、起源は一緒ですかね。
全ての起源はユダヤ教にあります。
最古で最高です >>165
そうでしたか^^
奥の深い思想ですよ。 >>166
>>全ての起源はユダヤ教にあります。
違うと思うよ。
仏教の起源はユダヤ教とは全然関係ない。
グノーシス派はユダヤ教の延長線上にはありません。
どちらかといえば仏教と親和性が高いですね。 >>152
君ってバカか?
イスラエルに軍隊あるでしょ。
大川隆法の教えに宗教国家は軍隊ないとでもあるわけ?
あほくさ。 >>170
質量(物質)世界の「罠(わな)」と考えるからね。 >>171
ありがと♪グノーさん♪
ずっと気になってたんだよ。
質量と罠にゃかそうにゃのか・・・ >>169
まなみさんには感謝していますよ!
ありがとう。 人間(動物)の「本能」なんて案外いい加減なものだよ。
ヒットラーやスターリンやルーズベルトの大量虐殺なんて、どう理解しろと(笑) >>174
ふむ・・・本能・・・難しいテーマですね。
たしかに難しい・・・・ >>175
そう。 「本能」ね。
人間は「真善美」を求めるが、それはヒトという生き物の本能と呼べるだろうか?
人間の歴史の真実はあまりにも惨たらしい殺し合いなのだよね。
一見平和な社会に見えても、内実は嫉妬と偽善・そしてイジメや不条理な差別に満ちている。
道徳の源泉はどこにあるのか?
社会における競争それ自体が緩やかな殺し合いに見えるのは俺だけだろうか? >>176
旧約聖書も新約聖書も・・・まあね・・・
踏み台、なすりつけあいの責任転換、社会はそうだね・・・
そうして人の屍の上をのりこえて頂点に立つ
仕組みはね・・・
ありがとう!色々と!ためになったよ! 「真善美」を求める心よりも、「優越感」を求める方が、より人間としての本能に忠実なのだろう。
そういう本能に忠実な動物的な人間は死んだら無に帰するのではないか。 ( 動物は動物として
彼の心魂は常に優越感に飢え乾いて居るだけなのだ。
彼は「霊」を見つめようとはしないのだ。
実際、そんな人間ばかりで社会は成り立っている。
彼は弱い人間を本心ではゴミだと思っているのだ。
「死ねばいい」・・・本気でそう思えるのは彼が優越感の虜に過ぎないからだ。
キリスト教徒の(信仰という名のもとの)優越感とコンプレックスとしての偽善にはウンザリさせられるものがある。
本当に必要なのはグノーシス(霊知)なのに・・・ >>179
グノーさんありがとう。ただ難しい言葉になる思考停止
グノーさんが祝福されよりより方向、道、人生になることを願う。 >>154
道徳的とは
神様が そう 仰るからという理由なら
他律的なので自律的ではなく 道徳的ではありません。
また 困った人を助けるのに よく思われたい。見返りを求めるのも道徳的ではありません。
道徳的とは 神様からや誰かからや命令を受けた訳でもなく見返り求めるでもなく
ただそうあるべきだと自ら行うことこそ道徳でしゅ
人としてあるべき姿のことです 例えば困ってる人を助けるのに理由はいらない。とか >>154
まだ分節言語言うてるのか。
少しはその足りない頭でも考える癖つけろよ。 分節言語の問題は二番目の分節や
本当に独立した単位として考えてもいいのか?
音声言語のシニフィアン間の差異はあくまでシーニュが基本だ
単位としてしまったら離散性の原則に反する
それと
手話に関しては 無い。 >>157
何故2ちゃんねる全体からもここは底辺で
きちがいの集まりで 本当のクリスチャン居ないと20年前から今も言われてるここで何故学べるとか思うのかな、自分でもここは半分は痴呆だから。と言ってて サティみたいなやつだな
君は正常ではないのだよ✨
学びたい、話したいなら 普通のクリスチャンや普通の人は 外に他におるだろう。
ここは あくまで 「便所の落書き」と言われてる全国から言われてる2ちゃんねるなんだぞ。つまり
君のレベルが2ちゃんねるレベルなのだよ。
所詮は便所の落書きなのよ >>179
そういう「自分は何か知っている」という思い込みが間違いなんだよ
「無知の知」、グノーシス主義者に足りないのはこれ
つまり、哲学がたらん、教養が圧倒的に足らん
人間に神のことは不可知である
預言者たる私でさえそうなのだ いくら宗教をやろうが賢者には勝てん
一発逆転などないんだよ
地道に本を読んで学問をする、これしか知に至る道はない
バカはカルトにすがるから救われない おはようございます。
地層が古いと、水晶や硬くて様々に使われてきたダイヤモンド、
そして色とりどりの鉱物が出てきます。
植物が変化して、そこまでいくようなのですが、すごいですよね。
刃物を研ぐ、砥石も、最も良質なものは、古い地層からようやく調達できるらしい。
石と石をぶつけて、石と硬い木で火をおこす。
日本画の絵の具も鉱物、植物から頂戴いたしましてふる〜い洞窟の壁画にも
用いられました。
食べ物だけでなく、自然界からの恩恵は計り知れません。
鉱物、植物、動物、一体彼らは何なのでしょう。
ものすごく、逞しくて強い。
私たちは、それがなくては、一時も生存できない。 おはようございます。
✝ もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解されられた私たちが彼のいのちによって救いに預かるのは、なおさらのことです。
(ローマ5:10) 生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)は、江戸時代前期、第5代将軍徳川綱吉が、
自分の子供を幼くして亡くしたのが、きっかけだそうです。
いまブームのような、動物による癒しですが、人間の精神の負担まで、
癒すような、そんな事までしてくれます。
生類を憐れむというよりも、綱吉も自分達を憐れんで、動物に癒してもらうという、
頼りなさが本当はあったと私は思います。
動物さん、ありがとう。
お花も癒してくれます。華道もとても精神状態が楽しくキリッと清潔にさせます。
一体、彼らは何者なのでしょう。
この前、関東から所用で来て、寄ってくれた友人にお土産を贈ったのですが、
宇治茶にしました。
お茶も癒しです。
買いに行ったお店に飾ってあった言葉なのですが、
「水は喉の渇きを潤し、お茶は心の渇きを潤す」見たいなことが
書かれてありました。
植物さん、ありがとうです。 >>193
「水は喉の渇きを潤し、お茶は心の渇きを潤す」
イエスの泉は涸れない、喉が渇かない、
その精神は、茶道にあるかもしれません。 Dragon Ash /Life Goes On live ver.
ドランゴンとは、日本列島の形が竜だと言われているからです。
アッシュは、土の事です。
ユリを紋章にしています。
大きな十字の上で、唄っています。
彼は小さい時から青山学院だったそうです。
おませなので、十代半ばで学校でなく活動に飛び出たようですが。
改めてよければ見て、聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=N82XvQ9njSI 生類憐れみ令は戦国の世とは思えない発想、いやだからそうなったのか、5代目将軍の母方の影響が大きい
大麻の有効利用はだから私も、俺もとなっていく、日本も世界も宗教もそんな国
それが文化として発展したのが京都
ローマ
三国同盟でユーロが日本に味方したのは凄いことだと言える 私は偽キリスト=ダッジャール=反キリストと、断固として戦う所存です
私は決して悪魔に妥協しない
サタンを殺すのが私です >>147
科学の単なる仮説や
仮説なのに 旦那様がアホだから
科学の言うてるのことは90%正しい思い込んでるのだろうアホだから。
本当にサティとよく似てるわ。
アホだから。
科学で分かってることは5%だけ >>182
181
旦那様がF ランレベルだから私はいつも優越感に浸れるのだ。 >147
自己組織の例として
過飽和溶液の中で結晶が成長して個体となって析出する自然現象や
思考や学習に伴って脳内等で起こる神経回路の構築とか
ダーゥインの自然選択説よりも自己組織化と熱平衡状態から大きく離れた系に由来するとする主張や
散逸構造論とか
また 製造業の分野でも
材料の作製等でも研究されてます
あと進化経済学の分野でも一部だけ言うてて
技術や市場経済そのものが自己組織化の結果だとする考えがあるくらいだ。 >>203旦那様がいつも
この程度で実証されてるとかいう
旦那様は健常者違うから感覚がズレテルノダ 健常者の感覚と才能を持ちましょう。 また検索して劣化コピペするしか能のない人工無能コピペマシーンが発狂してるが
お前に学問は無理だから、はよ医者行って自己愛性人格障害の治療に専念しろ >>205
名前欄は、これを入れたらいいでしょう。
↓
■JmSbZpDnkn6F ことさんとまちこさんは癒やしスレの良心て感じしますよね ことさんは独特の文章を書きますよね
絵ハガキ的というか
まあね
5ちゃんは文章でしか意思表示は出来ないんだから
文才は必要かも知れないですよね
聖書のイエス様は独特な芸術的な表現をしてたような気はしてるんですよね
それにしても
空の鳥は明日のことなんか何も考えて無いのですね
イエス様が言ってるんだから間違いないでしょう
明日のことなんか考えるな
今だけを生きなさいか
仏教と相通じるものはあるなあ 神様は全てをご用意してくださっている
それが僕の結論ですね 理解できてないから
話が長くなる
他人の痛みがわからないなら
それを説明するのは難しい
まあ、つまるところ
コミニュケーションは大切ですけど
それでも伝わりきらなかったのが
ヨハネ福音書ですよね
しかし、神様なら全てをご用意することは可能
それが僕の結論ですね イエス様は言ってますからね
人間には不可能でも神様なら何でも出来ると
そうハッキリ弟子たちに伝えてる
聖書にもそう書いてある
それを理解出来てないから
今のキリスト教の現状なんだという気はしますね
つまるところ他人の痛みはわからない
それが二千年続いてるだけですよ 他人にハッキリと物事を伝えるのは大切ですよね
宇宙に行けば善人でも悪人でも宙を浮く
それを聖書時代に言ったら大激論になるじゃないですか?
今では誰も疑ってないから何の議論も起きない
そのように何かを正解に伝えるのは大事だなと思う訳です
ありもしない話をして他人を惑わす
正しい真理を語る者の邪魔をする
僕はそれは罪だと思うのですね
たぶん裁かれると思います
異端というかカルト宗教とかは関わるだけで罪がある気はするんです
間接的ですけど他人を騙してることに協力してる訳だから 宇宙に行ったら誰でも浮く
信じきれて無い
知らない人達が大激論してるに過ぎない
知れば何の議論も起きない
それを二千年繰り返してるに過ぎない
これで終わりじゃない
万年単位で続くんじゃないかな? 宇宙に行ったら誰でも浮く
それも仕組みは粒子とか誰もわかってる訳じゃなくて
ただ見たから信じてるだけ
それで何の議論も起きていない
人というのはつくづくそうなんですよね
見たら信じる
他人の痛みはわからないけど
自分の痛みは非常に理解できる 他人の痛みは万年我慢できる
神とはそういう生き物だ これから万年経っても
こういった議論は終わらない
だって世は選別の場だからね
選別するには必要なんだよな
されが神様の意図なんだよ
律法学者が祈るふりをして先生と呼ばれたい
それを選別するためにこの世はある
悪しき者は裁かれる
僕も大嫌いですよ
彼らは >>221
和紙さん、こんばんは!
はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、
迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを
喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が
一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の
御心ではない。」
マタイ18:13〜14
これが神様の御心。決して選別ではありません。 絶対におすわりをしなかったうちの二軒隣の芝犬、今は、見事にするようになりました。
おすわりは、毎日行って5年かかったかな。
その犬の主人も驚いている。
やはり根気ですよね。
その犬の良いところは、人が来ると、よく吠えてくれるので、助かります。
本当に犬のお巡りさんです。
柴犬って、表情があって可愛いですね、 >>193
ことさん、こんばんは!
美しい鉱物の神秘、
私たちを癒やしてくれる
かわいい動物たち、綺麗なお花、
心を潤すお茶、感謝ですね。
そして華道に見る、
ことさんの凛としたお姿を想像しました。 >>223
まちこさん、こんばんは!
いつもお騒がせして、すいません。m(_ _)m
柴犬、可愛いですね。🐕 私も根気よく、みことばで、自分を躾けています。
✝みことばを行う人になりなさい。
自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
みことばを聞くだけで行なわない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。
このような人はその行いによって幸せになります。
(ヤコブ1-22から25) >>226
これが、心の美しさを保つ秘訣なんですね。
いつも、みことばを唱え、
いつも、みことばとともにある。
みことばとともにある人は、
御心のうちにあり、
そして、愛にあふれ、限りなく優しい。
それに触れる私は、とても嬉しい。 >>223それ
きっと
よく言われてるような
頭が悪い犬ですよ >>228
心の綺麗な人は2ちゃんねる しません
貴方は本当は偽善者なのです。自分でも気が付いてないだけです >>232
そんなことないですよ。
まちこさんの心は、
限りなく透き通った水晶のようで、
永遠の理想そのものです。 >>232
> 心の綺麗な人は2ちゃんねる しません
> 貴方は本当は偽善者なのです。自分でも気が付いてないだけです
こういうバカがいる幸福支部は哀れね。
誰か幸福の科学にアドレス送ってみたら。
幸福の科学信者の名前で、キリスト教スレを荒らしてるって。 >>234
まなみさん、こんばんは! (*'▽'*)
荒らしてしまい、申し訳ないです。。。 優しさ親切さだけでは人間的な本当の深いものはありません。
キリスト教とは神を神とし
あらゆる偶像を避ける(自分の心も自分の思い通りも)
ことの十戒の第一戒に基づいているのです >>235
他の人にも言われたじゃないか!
謝っても直さないなら意味はない!
コテハン変えなさい!
命名しよう、君のコテハンは『大川宏洋』だ。
大川宏洋に変えなさい。 >>236
でも、まちこさんのレスを読ませて頂くと、
なんかすごく癒されますよ。
そして、すごく嬉しくなる。
なんだろうね、この感覚。
私は、愛と表現していますが。 >>237
他人の名前を使ったら駄目でしょう。。。 >>239
同姓同名たくさんいる。
今の君は、宗教まちこ教の科学だから、大川宏洋のコテハンで大丈夫。 >>240
せっかく付けた名前なので、これでいいです。。。 一番マヌケに見える名前は爆死愛好家の『 777 』だろうな。 >>241
それって宣伝でしょ、他宗教に幸福宣伝。
君のやってることは道場破りみたいなもの。 >>242
グノーシスさん
本、届いたんで、読みましたよ。
まさに霊知なんですね。 >>246
わたしは、あんた大嫌い。
コテハンから幸福信者を外さない限り。 >>247
私は、まなみさんには感謝の気持ちでいっぱいです! 輝く雲の中で、
十二のアイオーンが七十二に分かれてく描写は
圧巻ですね。
さらに三百六十に分かれて、一年の日数のイデアに
なっている。 >>248
君はどこの支部?
今度機会あったら、さりげなく支部長さんに話しておくから、ディスプレイ見せて。
迷惑だって。 >>251
とにかく幸福の科学で話しておく。
高輪だっけ、そちらに連絡してもいいし。 >>252
その節には、どうかお伝えください。
私は、クリスチャンと仲良くさせて頂いて
感謝しています、と。 あと、ユダヤ教の方、グノーシス主義者の方、
禅宗の方とも仲良くさせて頂いて、
とても感謝しています、と。 お座りしない柴犬なんた見た事がない。
まちこはお手もできないけどな >>243
単細胞な点で似てはいるもののセブン君の方が根暗な性格だね。
>>245
読むのが早い! ( 速読なのですね。 犬も、撫でてもらうと、嬉しそうにしますよね。
叱ると、しゅんとなる。お鍋の春菊のように。
やはり、愛なんだと思う。
犬もなついてくれば、人も嬉しい。
愛情を注げば、忠犬ハチ公になる。
帰らぬご主人を、信じて待つ。
犬もまた、信じる心を持っている。 >>256
なるほどねw
絶対神は程よくキレてましたからねw >>256
まなみさんほどではありませんが。。。
あれですね、グノーシス主義は、
キリスト教と完全裏表のような感じ。
キリスト教の弱いところが、グノーシスの良いところで、
キリスト教の良いところが、グノーシスの弱いところ。
なので、お互いに補完しあえれば、
最高だったのに、と思います。 セブンさんもグノーシスさんも、
私とお話ししてくださるので、ありがたいです。
哲学という共通点があるから、
仲良くケンカして頂きたいです。 仏教も、上座部と大衆部、小乗と大乗がありますが、
キリスト教に置き換えると、
上座部、小乗がグノーシスで、大衆部、大乗がキリスト教。 >>261
それはちょっと誤解があるままみたいだね。
パウロ神学に乗っかってるキリスト教主流派と、彼らに異端として滅ぼされたキリスト教グノーシス派は決して相容れない
真逆な主張なのですよ。
神観・世界観・人間観 ・・・これら全てに於いて真逆なのです。 >>262
はい。完全裏表という感じを受けました。
仏教も一緒ですよ。 >>263
>261 は、流石に見当違いです。
表裏でもありません。
スレチなので書きませんが。 仏教には、浄土宗系の完全他力の教えがありますが、
これは釈迦の説いた教えとは真逆です。
釈迦は、南無阿弥陀仏と唱えれば救われる、
なんて教えは説いていないです。 まずは「人は皆、罪びとである」といったまちがった価値観から離れるべきです。
こういった思想は自分を自己縮小させ、罪の意識にさいなまれ、ロクな方向に行きません。
おそらくこのような思想に囚われたがために、己れの財産を失ったのでしょうね。
非真理とは「人間は罪びとなり」ということです。
イエスは聖書ですべての民は神の子である、と教えているのにもかかわらず
このような「人間=罪びと」というようにのちの宗教学者や弟子が聖書を
改竄したことでまちがいが生じたわけです。
人間すべて罪びとだということにより、人は皆、おのれを低き者だと蔑み
それにより、窃盗や殺し合い、戦争を犯すようになり
この世は阿修羅の世界、カオスの世界となってしまったのです。
そうではなくて、人間は、すべて神の子だという事実を悟ることで、人は皆
自分を尊び、他人を尊び、助け合い、大調和しあうようになり
平和で平穏な神の国、の住人となるのです。
人間神の子を悟れば、その場で神の国なのです
何年先、何十年先が神の国なのではなく、
今この瞬間で、神の国の住人となるなのです >>265
仏教も預言者を輩出してますからね。
そのたびにUpdateされてるだけです。
釈迦の教えが何だったのか、もう追えないぐらいに。
貴方にもそれは解りません。
慎みましょう。 >>266
その考えはプロテスタントが強く保持してますね。 >>266
光一元、生長の家のような教えだと思います。 グノーシスさん
霊知というのは、悟りと一緒で、個人的な資質に
頼るところが大きいので、難しいんだと思います。
初期の仏教が、苦しみ多き地上世界へ生まれ変わる
輪廻から解脱したいと願ったように、
グノーシスも、邪悪なものが支配する物質世界から
逃れたい、という教えのように思います。
でも、この世にも素晴らしいものがあったはずです。
まちこさんがおっしゃってた、神のご計画の通り、
グノーシスさんも、今現在において、
神の御国にいるような幸せを手にして頂きたいです。 グノーシスさん
私は、この部分がとてもいいと思いました。
***
さあ、これでお前にはすべてを語ったことになる。
目を上げ、雲とその中の光、それを囲む
星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ >>270
此の世と神に対して諦観を得たと言うところでしょう。 ( 私は異邦人だったのです
そして異界の神秘は神秘のままでよいのです。 >>272
私はグノーシスさんから伺った、
カトリック時代の、信仰を語り合った喜びの
お話しがとても印象的で、いいなあ、と思いました。
グノーシス主義の、真実の世界の神秘もとても良いと
思います。
なんとか、統合できないものでしょうか? >>273
無理だと思います。
教える側に回るか、探求の旅に出るか。
グノしゃんは探求の旅を選んだのです。 >>273
>教える側に回るか、探求の旅に出るか。
これは仏教でも行が進めば行き当たる問題です。 >>273
>>なんとか、統合できないものでしょうか?
無理だと思います。
カトリックでの信仰は無意味ではありませんでしたよ。
「信仰」と、一言で言うけれど、信仰には木の根の様な深さと構造があるのです。
それは実際に信仰を持った者にしか分からないことです。
なんの信仰の経験のない人が「信仰」を語ると独特の違和感があるから直感的に偽者を見抜けます。
信仰に留まる者は、それはそれでよいのだろうと思う。(神は彼をそのように成立させたのだから)
信仰を知らない者がグノーシスを語ってもほとんど心には響かない。 探究の旅も大切だと思います。
でも、信仰の世界は、懐かしい故郷のような
暖かさがあるものです。
なぜなら、そこに愛があるからです。
離れ離れになってた愛する人との再会にも似て、
それは、とても嬉しいものだと思うのです。 >>277
主の愛は信仰の範囲に留まりません。
第一の法皇が誰であるか、知りなさい。 >>276
分かります。教えていただいた本の中に書いてありました。
祈っていたけど、弟子たちは別なものを見ていた、
というお話し。神殿のところでしたっけ。
おっしゃる通りだと思います。 和歌を詠んで頭がゆんゆんしてますが、床に就きます。
おやすみ〜ノシ >>280
隣り人を愛するんです。
見返りを求めずに、人を愛していく。
愛の人になる。
人のために自分に何が出来るか考え、実践する。
そうすれば、現実から逃避しなくても、
実は今、生かされているこの場所こそ、
神の御国であったと思うはずです。
なぜなら、神は愛だからです。 >>282
和歌、いいですね!
おやすみなさ〜い。 >>268
プロテスタントでは人は皆神の子であるとか言ってないと想う
シャロンとかだって自分は神だとか言わないからね
ただ名前は忘れたがキリ教の一派では我は神の子と言ってるところもある
要は生長の家が世界最強の宗教だということだ
なぜならばキリ教や仏教で治らない難病が生長の家の機関紙である生命の実相を
読んだり甘露の法雨を読んだだけで数日で治っているし貧困など経済苦も解決している
人間神の子が真理であるというまぎれもないエビデンス(証拠)がここにあるわけだ 義雄は好きに好きなようにして自由の何が悪いんや!と私に全力で絡んできますが
私は1➕1=50000とか言うてるアホに好きなように自由にする権利がないだろう。さっさと精神科行けよ。って話し >>287
神は内なる存在ですか?外に居られますか? >>285
>まずは「人は皆、罪びとである」
ココをプロテスタントは強調していますね・。 >>290
頭がゆんゆんしててねー
薬飲んだんだけど…コンビニ弁当も久しぶりに買ったw >>291
私は意識飛んでた中
鬼子様は活発だったのね。オナの件はごめんなさい完全に酔ってた
コンビニ弁当か・・・揚げ物は控えてね>< みんな悟った経験が無いのが
全てなんだよな
イエス様の弟子たちですら
そんか経験は無かったらしいし
みんな文章を読んでたら
凄く中には良い人は居そうなんだけど
悟った経験が無いのが全てなんだよな
悟りは誤魔化しが効かない
本物の善人しか味わえない
体験できない境地だからね 悟るのは間違いなく
神様の選別だと思います
実相と表現した人が居ましたけど
生きることは夢なんだと気付くこと
本当の自分に気付くことが悟ることなんですよね
永遠のいのちであり
アブラハムが生まれるまえから意識はあったのです というか
自分で経験したからわかる
十代くらいの純粋な頃に
悟ることを知らなかったら
その後はかなり厳しいと思います
長生きすればするほど
疑い深くなり心は汚くなる気はする
どうしようもない悪人に
僕も出会ったことはあります
世は選別の場だと思う たしかに歳とれば腐ってゆくというか純粋さウブな心が消えますよね 結局
見捨てるか
見捨てないかなんですよね
イエス様の弟子たちは逃げ出したけど
あれは何を学ばせたかったか?
悟った経験があれば理解できると思います
神様はそれを望んでいるということですね 気持ちの問題ですね
意識の問題です
自分の危険を顧みずに
他人を思いやれることが出来るか
見捨てて逃げた後に
後になって助けるつもりだったとかは
神様はお見通しですよ とにかく僕が選別する訳では無いからね
我々の世界では
悟ったと言えば悟ったになる
非常に薄っぺらくても
人は欺けますから おはようございます。
✝ ただし、恵みには違反の場合とは違う点があります。
もしひとりの違反によって、多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ち溢れるのです。(ローマ5:15) まちこさん
御言葉をいつもありがとう
ほんの少しだけど元気が出ます 私は、自分のことは変えられないです。
すべてイエス様のお名前で私を変えてくださいました。
そのように祈るように、と聖書に書いてありますし、祈りが聞かれる方法も書いてあります。
私は、ただ、それを実行しているのです。
そして、知ったことは、イエスを主とした人は、イエス様の中に入ったこと。
罪赦され、イエス様の中にいるので、罪は隠され(赦され)聖い体になったので、神様と交わりが持てるようになりました。 >>309
まちこさん、こんにちは!
まちこさんは、何か変わろうとされているのですか? 気持ちの良い青空のもと、
ブックオフで本を買ってきました。
「ソフィーの世界」
ヨースタイン・ゴルデル著
「老子」無知無欲のすすめ
金谷治著
マリンブルーに輝く哲学の光と、
老子の無為自然の道を学んでいきます。
すべては、神様の愛です。 おはようございます。
>>266
>まずは「人は皆、罪びとである」といったまちがった価値観から離れるべきです。
>こういった思想は自分を自己縮小させ、罪の意識にさいなまれ、ロクな方向に行きません。
>おそらくこのような思想に囚われたがために、己れの財産を失ったのでしょうね。
この世に生をうけて、「お前は悪い子」「お前はバカだ」「親に愛されていない」
とか、負の意識を植え付けられて、すくすく元気に育つと思えませんよね。
命の誕生を、祝福し、「守り給え咲き映え(幸きはえ)給え」が、
先ですよ。
罪人がまた一人生まれたというような、視線は、病気です。
シャロンさんのせいではないけれど、キリスト教によって人は生まれた時から
罪人だ、赤ん坊は夜泣きや、自分で自分の事が出来ないので、
人(親)に負担をかけるので、罪人だと、シャロンさんは、
キリスト教の教えに筋を通そうとして、言いました。
シャロンさんとその時も、私はドンパチしました。
現在は、赤ん坊に関しては考えが変わられたようなのですが、
それでも「罪人」が頭から離れないようで、
その反動で、ご自分が窒息しそうになり、着飾りのような表面の話ばかりで、
他者と意見交換する普通の対話が出来なくなったのではと思いました。
苦しさを他者に転嫁してしまう。 幸福氏は良きサマリア人やー
5chでタオについて語っておくれ >>314
> シャロンさんのせいではないけれど、キリスト教によって人は生まれた時から
> 罪人だ、赤ん坊は夜泣きや、自分で自分の事が出来ないので、
> 人(親)に負担をかけるので、罪人だと、シャロンさんは、
> キリスト教の教えに筋を通そうとして、言いました。
> シャロンさんとその時も、私はドンパチしました。
あれ、シャロンさんってそんなこと言ってましたっけ?
シャロンさんが言ってたかどうかはともかく
キリスト教が赤ん坊の夜泣きまであげつらって罪人認定することはあまりないのでは?
キリスト教の「罪人」という観念は、人を裁く局面で使用されると抑圧的・攻撃的に機能するけど
もとは律法(新約時代にはイエスの言動)に照らした内省からくる意識のような気がする
もちろん個々の信者によって罪意識のあり方は違うんだろうけどね 真璃子さんの「愛ってなぁーに?」より
いいこと教えてもらったんだ、
知らないこと。
「ねえ、ママ、愛ってなあに?」
にっこり笑って、
ぎゅっと抱きしめられた。 幼い我が子が、どこで覚えてきたのか、
ねえ、ママ、愛ってなあに?
と聞いてくる。
ママは、我が子を抱きしめるしかなかった。
ママも嬉しいし、子供も嬉しい。
愛の原点。 >>315
タオを語りましょう!
少し読んでみたのですが、老子道徳教は、
そのまま、詩ですね。 グノーシスさんの記憶のことを思うと、
胸が痛くなりますが。
でも、愛には、罪をも清める神秘の力があると
思えてなりません。
愛の力、それをこそ、私は信じたい。
なぜなら、神は愛だからです。 >>266
>非真理とは「人間は罪びとなり」ということです。
罪を犯すことと、人間の根底が罪びとであるというのは違いますからね。
>イエスは聖書ですべての民は神の子である、と教えているのにもかかわらず
>このような「人間=罪びと」というようにのちの宗教学者や弟子が聖書を
>改竄したことでまちがいが生じたわけです。
神の子であるというのは、その通りであるのですが、
キリスト教は、神の子側と、そうでないものを分けてしまうのです。
キリスト教から思い込みを植え付けられた、真面目なシャロンさんから言わせれば、
私は、悪魔で、悪霊で、無知で・・・・となる。
自分(シャロンさん)に逆らうのは、
言い換えればイエスキリストにある自分に逆らっており、
私はシャロンさんに意見するので、
シャロン=イエスキリストに逆らっているのと同じであり、
私は悪魔だそうです。
>人間すべて罪びとだということにより、人は皆、おのれを低き者だと蔑み
>それにより、窃盗や殺し合い、戦争を犯すようになり
>この世は阿修羅の世界、カオスの世界となってしまったのです。
イスラエルの歴史的な特殊な人生解釈を、理解もできていないのに・・・・
そこが、問題ありですね。 >>316
>あれ、シャロンさんってそんなこと言ってましたっけ?
>シャロンさんが言ってたかどうかはともかく
>キリスト教が赤ん坊の夜泣きまであげつらって罪人認定することはあまりないのでは?
エイシストさんは、読んだり、書き込みを読む時間が、間があり過ぎて、
ご存じないのです。
何度も、シャロンさんは、自分が子供を産んだとき、夜泣きで苦しめられたとか、
イタズラをするので、自分が苦しめられたので、産まれた時から罪人だと言いまして、
私は、そうではないと、説明するのに大変でした。 >>322
ことさん、こんにちは! (*゚▽゚*)
赤ん坊は、かつて自分も辿ってきた道
だと思うんですけどね。 >>323
言い得て妙、かもしれません。
努力精進の果てに老子に入れば最高ですが、
最初から老子だったら、クラゲになってしまいます。 あまたの文盲の中識字するぐらいのインテリですから学はあったのでしょうよ 子ども社会は大人社会の縮図です
原罪がなければ贖罪もありませんでした
人間の始まりに罪がなければさまざまな罪も恥も歪みも生じてません 夜泣きした おねしょした おかずしか食べない お菓子しか食べない
それは後になって罪と認める人もいれば
大人になっても同じことを続ける人もいる
それと認識しない人が罪を認める事は無い
その限りでは罪など無い
現実世界に謙虚に向き合い、自分の非を考えるのが一番大事
君等が原罪、贖罪だのを真に受けてるとは一切考えていない 土壌が悪ければ作物も悪くなるし、タネが汚染されていたら成長してもキケンです
生まれたてのベビーリーフは可愛いですね
どんな形でどんな花でどんな実でも命は命ですから、それらすべてを命の証しとして尊ぶ世界観もあるでしょう
しかし悪さするとわかっている有害なものを放置していいでしょうか?
神様には最初からのご計画があるのです
人間にはユニバーサルデザインの社会を目指して障害範囲を小さくするくらいしかできませんが、キリストはこの世界を根本から変えようとしておられるのです
悲哀が深い人ほどご自身へ頼るよう呼んでおられます
それが復活の希望です 神様による選別は悟ることですね
体験すれば無重力のように実在する
生きている今より明らかな実在の世界です
何故にそれを疑うのか信じられないのかわからない
イエス様もお釈迦さかなにまもそれを言ってるのに お悟りの境地は神様の選別ですね
本当の自己に気付くことですよ
悪しき者はけして立ち入れない境地です
神様は欺けませんね
人間同士は欺けても 、
>>312
クリスチャンになって、イエス様のお名前をいただいて、自分ではできない、と思っていたことが、できるようになったことに感謝します。
すぐに悪く考える自分の性質をも、イエス様のお名前で変えてくれたことが言いたかったのです。
✝ あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい。
そうすれば、あなたがたのためにそれが叶えられます。(ヨハネ15:7) 本当の自己に気付くこと
それがアブラハムが生まれる前から私は在る
イエス様はそれが伝えたかったんだなと
まさしく永遠のいのちです >>314
シャロンさんは、イエス様に行けば答えがでるので問題はないと思います。
人に求めている時は、彼女は迷っている時だと思います。
その苦しい時ほど、強くイエス様についていれば、彼女の問題は解決していきます。
その心が中途半端な時ほど、口を閉ざして、イエス様(みことば)に委ねることですね。
これは、イエス様についている人、みんなに言えます。
誰しもがここを通るはずです。
何度も通って、最後には安息の地に入ります。 お悟りの境地は無重力のように広がる実在の境地です
生きてる今より何倍もリアルな意識だけの世界です
何故に語られないのだろうか?
それだけの事柄を
みんな知らないから目指そうともしない
僕は孤立しているのが残念でならない 本当にみんな知らないのでしょうね
知ってたら気付いてたら
100 % 目指すから
文章だけ読んでたらみなさん凄くいい人に見えますよ
金持ちの青年も見た目は凄くいい人に見えたでしょうね
しかし、神様であるイエス様は欺けなかった
何かしら欠点があるから悟れないんですよね >>335
和紙氏よ、あなたはヨハネしか読まんから知らんのだ
イエスは悔改めよ、と言った クリスチャンの私たちが求めるものは、神様の御心です。
病気も貧乏も神様の御心と思っている人とは段違いに違います。
「盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするために他ならない。」(ヨハネ10:10)
神様の御心は、ここにあります。
✝私(イエス)が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。(ヨハネ10:10) キリスト教は世界宗教であるキリスト教も
イエス様は一人になって
私は神様が認めてくれているから
世の中の誰にも認められなくても救われてる
そう断言したんです
何億人クリスチャンがいようと
神様に認められるほうが比較にならないくらい値打ちがある
つまるところキリスト教は神と人の関係なんですよね
僕も誰に認められなくても孤立しててもいいかも知れない とにかく
お悟りの境地をみなさん知らないのが全てなんですよね
みなさんは凄く良い人に見えます
僕より全然に幸福さんとかも善人に見えますよ
ことさんとかも
それでも悟りを知らないのが全てなんですよね
人間は欺けても神様は欺けないからなんです
これだけ多くの書き込みが何年も前から
ずっと見てきてそんなに悟りを知らない人達ばかりなのに僕は驚きます 和紙氏よ、顔真っ赤にしてギャンギャンほえて
うるせえやつだなーぐらいの感想しかないぞ >>337
>生きてる今より何倍もリアルな意識だけの世界です
和紙さん、もしかして明晰夢に近いでしょうか?
私も、すごいリアルな夢を見たことがあります。
私は、夢の中では空も飛べますよ。
とても気分がいいです。 とにかくね
イエス様に直接に関わったピラトには
なーんにも起こらなかった
何にもね
しかし、その妻は悪夢に魘された
そのようにこの世は万事がそのように出来ている
ヨハネ福音書を読んで
あなたたちは意味がわからない
それが全てなんですよね
人は欺けても神様は欺けないのですから 和紙さん
あなたは神様から孤立していないのですから、喜んでいてください。 ハッキリいいますけど
どうせ信じないのでしょうけど
悟った経験の後は聖書に書いてある奇跡が
身の回りで連発しましたね
日常のように
完全に神様に魅入られる感じです
僕が独り言のように連投するのは
それだけの事が起きて何も感じない人なんか
絶対に居ないと思う
まあ、仕方ない
わからないみたいだから 老子の無為とは精神疾患などではない
それはガンジーのハンストのような
セクシーコマンドーのような
その場を覆す異質な信念なのだよ >>351
今、老子道徳経を読んでいますが、
ふんじゃいさんが見えてきましたよ。
名前を老子道徳経信者にしましょう! 老子の次はフィロソフィー、
その後は墨子の兼愛を学ぼうと思っています。 >>329
また、赤ん坊の話を一からしなければならないのは、面倒ですから。
ご自分で、考えてください。
シャロンさんとそれで、はじめドンパチしましたが、
現在は、シャロンさんも赤ん坊は罪があるとは言われなくなりました。
あれもこれも、一緒くたの話にして、混乱しないで
整理して考えてみて下さればと思います。 >>350
✝目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神はご自分を愛する者たちに準備された。
(第一コリント2:9) >>322
そうでしたか
俺がシャロンさんの書き込みとして読んだのは
クリスチャンは救われているのだからもう罪人ではない、という主旨の書き込みあたりからなので
そういうことがあったとは知りませんでした
キリスト教のロジックに従えば、人間は誰しも原罪を持って生まれてくるので
赤ん坊にも原罪はある、つまりは赤ん坊も罪人だ、ということにはなるんでしょうが
おそらく赤ん坊はその原罪(罪への不可避の傾向)が自罪(actual sin 現実の罪)として
発現される前の段階なので、通常は夜泣き等を罪とは考えないんだと思います
東方教会を含む伝統的な教会の多くが幼児洗礼を行うのは
幼児洗礼という形で赤ちゃんの「無垢な」性質を形式的に担保する面もあるんだろうと思います
自覚的な悔い改めを伴わないので、洗礼としてどうなのかとは思いますが >>350
私は、旧約で起きたことが同じことが起き、後で聖書を読んで、一致したことに驚きました。
起きたことを主人に話したら、どこの箇所に書いてあるかを教えたくれました。
もう終わりの時代に入ってます。
神様は、私たちに何かを伝えたいのでしょう。 とりあえず世界中でも
悟りを知ってる人は凄く少ないのは確かだと思う
だってこれだけのことが誰にでもかれにでも
身の回りで起こっているならもっと話題になる
まるで蟻の世界に人間が割り込んで来たような
ましてや宇宙がどれだけ広いか
僕もテレビとか見てるから知ってる訳ですからね
なんかすげえ違和感しかない
談話室でもトランプさんがどうとか熱く語ってるけど
この人達は知ってる風を装ってるけど
何にもわかってないからそんな生き方をするんだろうなと
イエス様は創造主を父と呼んだのです >>360
これは一、二回ではありません。
いろんな形で何度も神様の栄光が現れました。
きっと、和紙さんも同じところにいたんですね。
しかし、そこにとどまっていてはいけないと思います。
私たちは、これからが始まりです。
神様の栄光を見るのを楽しみにしています。 神様は人間を完全に導くために
高い精神性をもたせるために
わざわざこんな大宇宙に地球に
40 億もかけて生物を進化させた
この世界を創造したのですからね
その創造主に大変に愛されたのがイエス様です
悟ることはそれらと一つになることなんですよね
我々はこんなちっぽけな存在で終わってはいけない >>362
神様の栄光ならとっくに現れてますよ
映画のスクリーンの向こう側には神様しか居ないのだから
イエス様も言っていたでは無いですか?
神の国はどこにあるともいえない
只中に広がっていると 和紙くんの身に起きた奇跡って具体的にはどんなもの? >>364
私たちは栄光から栄光へと変えられるのです。 以前も話したけど
イエス様の幻視を観ました
目覚めで外は明るくて
カーテン越しに目を閉じてたら
ハッキリと人の顔が瞼の裏に見えるんです
すぐ消えたとかでなく
割と十秒くらいかな
長い間
それも1例ですけど
キリスト教の本が眩しく光ったこともあります >>368
和紙くん自身も言っているように、それはただの幻視だったという可能性はない?
一定の条件はあっても、脳は実際にリアルな幻視を再現できるので
そのへんをもう少し詰めて考察してみると、また違った解釈になるかもよ? そういった見間違いみたいなのはいいです
残念ですけど
前も言いましたけど
あおり運転とかも罰則化されたのは
ドライブレコーダーがあるからですよね
無いと証明のやりようが無いですからね ドライブレコーダーによって、罰則が出来た。
宇宙に行けたから、人は無重力を知った。
それまでは、それがあるのにもかかわらず、
分からなかった、ということですね。
分からないものを霊知すること、それがお悟り。 何度も繰り返すが罪とは
「うわやべえついカッとなって母親刺しちゃったよ!」
と、それと見て取れるものなのだよ
「うわやべえかれこれ2000年前、俺生まれてないけどさ、
神の子イエスをロンギヌスで刺したんだよ!
でもこれで20000年前アダムとエバが知恵の実を食べた罪からから救われたな!」
と前者とを同義に扱う、これがキリスト教の教義となるが
理解できる人挙手を頼む
お前ら絶対ウソ付いてるだろ? なに、あれだよ
私自身の不信仰を悲しんでレスをしているのだよ イエス様がアブラハムよりも前からおられた。
イエス様は創造主を父と呼んだ。
イエス様に関わったピラトは何もなかった。
金持ちの青年は、イエス様についていけなかった。
一事が万事、人は真実を知らない。
知ろうともしない。
さすれば、知らないということを知り、
知ろうとすることが大事である。
求めよ、さらば与えられん。 ふんじゃいさんに贈る詩。
道とは何か。
それは空っぽで役に立たないようでありながら、
無尽であり、満たされることはない。
満たされることがないから、使い果たすこともない。
使い果たすことがないから、無限の働きが出てくる。
空っぽであるからこそ、満たすことができるのだ。
ゆえに道とは、万物の根源であるのだ。 老子は、頓悟禅、一転語のように、
喝を入れて、弁証法的に、反から止揚して、
真実の合へと誘う思想とみました。
その意味で、非常に霊的であり、
キリスト教にグノーシス、
孔孟に老荘、という感じがします。 >>375
うおー幸福氏!
私がその句に思うのは人体、筋肉です
適切に扱えば重いものを持ち上げ、速く走る
燃料はわずかな有機物、食物であり、時宜に合わせてのみ存在する
そして二酸化炭素は微量、驚くべきエコエネルギーです
このように理解していました
太極拳とかそのようなインナーマッスルを鍛える動きだと思います >>378
老子道徳経は、一事が万事、この調子でした。
これは努力精進して、理想を追い続ける中で
何か肝心なこと忘れてはいませんか?
ということを気づかせるための電気ショックの
ようなもので、これで、はっ!と何か悟るんだと
思います。
それでこそ、成功が持続的に長く続くのだと思います。 >>379
幸福氏は理解が早いですね
自分はすぐに追い越されそうだ 理想を追い求めるから、理想に近づけないんだ。
理想を捨てれば、そこに理想が現れてくる。
あるがまま、無為自然、ゆったりとリラックス
しようじゃないか。
そうしたら理想に縛られていた自分に気が付いた。
理想を追い求めることに執着しすぎて、
逆に理想を見失っていたのだった。
そんな私の馬鹿馬鹿。
こんな感じでしょうか。 うーん、老子はあくまで人、社会、「治」と言う物を重んじる
確か無私という言葉がなかったかな 手元に老子がないのよね
上善は水の如し、です
幸福氏も善そのものになるべきです >>382
老子は春秋戦国時代の方でしたから、
どうしたら、為政者が良い政治を行なって
平和になるかを考えておられたのではないでしょうか。
天は長く地は久し(無私のすすめ)
がありますね。
天も地も無心で、自分で生き続けようとしないから
長く生き続けることができるのだ。
道を弁えた聖人は、私利私欲を持たないから、
かえって自分をつらぬけるのだ、と。 若い頃女の子とバスケをしていたんですが
ボールの取り合いになったんです
で、私はあくまでボールを掴み、
女の子が手を滑らせるのを待つ作戦に出ました
そしたら女の子、一メートルぐらい吹き飛ばされました
なんかそれ以来「不動は強い」と言うか、
なんか不思議な力を信じるようになった >>385
それは気功ではないですか?
ふんじゃいさん、なんかパワーお持ちなのでは?
ここのスレの方はみんな、聖霊パワーを
お持ちなので。 老子道徳経は、
〜しようとするからだめなんだ。
〜しようとしなければ、〜が出来るんだ。
無為自然、ありのままでよいのだ。
便利な道具を捨て、自然に還れば、
それで幸せなんだ、
こんな感じです。 無為自然
幸せになろうとするから、不幸なんだ。
幸せを追い求めなければ、それが幸せなんだ。
すぐれた戸締りは、鍵もないのに、
それでいて、開けることは出来ず、
すぐれた結び合わせは、縄も紐もないのに、
それでいて、ほどくことはできない。
それが奥深い真理なのだ。 >>383
上善は水の如し
キリスト教の山上の垂訓と、オーバーラップしました。
内容は全然違いますが、善とは何かを、
詩的に語っている感じがよく似ています。 いまだかつて存在し得なかった味王が口から波動拳撃つぐらいの善 >>391
上善とは、最高のまことの善、と書いてありました。
上善は水の如し
水は、万物の成長を立派に助け、競い争うことなく、
人が蔑む低い場所にとどまる。
住居としては土地の上がが善く、
心の働きは奥深いのが善く、
人との交わりでは情け深いのが善く、
ことばでは信義を守るのが善く、
政治は平和に治まるのが善く、
事業としては有能なのが善く、
行動は時にかなっているのが善い。
すべては水を規範として争わないことが善いのだ。
競い合うようなことをしないから、間違いもないのだ。 老子はあれですよ。
アイデアを必死に考えて、ウンウン唸っても出てこない。
考え抜いた末に、ちょっと風呂に入るか、
と言って、湯船に浸かった時、はっ!と
アイデアが浮かぶような。
無為自然は、リラックスすることと見つけたり! 例えば今やってるNHKのプラスチックゴミの番組に興味を持つのも
水の様な働きと言えるのではなかろうか 老子道徳経は、
がむしゃらになっている人の動きを止めるために、
一読して、なにそれ!?ってことが書いてある。
それで、少し考え直す余裕を作るんだと思います。
そうすると、ん?待てよ!この手があるのでは!
と気づかせることであって、内容そのものは
実用性はないと思います。
老子様、ごめんなさい。。。 >>398
いや、そんなことはありません。
がんじがらめになっている自分に気づくための
ヒントとして、とても良いと思います。 >>396
発展、繁栄こそ善である、と思い込んでいる
場合に、老子の思想は、少し余裕を持って、
周りを見渡してみよ、と教えてくださるんだと
思います。
プラスティックゴミ問題も、利便性を追求しすぎて
大事なことを見落としていませんか?
という気づきを与えてくれます。 ふんじゃいさん、気功を使えるのかもしれないから、
能力を開発させてみてはいかがでしょうか。
太極拳とか、心と体の健康にも良さそうです。 昔封神演義という漫画を全巻読みましてな
そこに老子が出てくる
えらい漫画家さんが持ち上げるので興味を持ったわけです
ラスボスを倒すのが太極図と言う武器なのですが
色々調べるとキョンシーの陰陽マークである事が分かりました
たしかに周富徳の太極拳には永遠への祈りを感じた >>403
道教には霊的パワーがあるのだと思います。
極めてみると、何かが観えてくるかもしれません。
ふんじゃいさんは、何でキリストスレなんでしたっけ? そう、この流れおかしいな、キリスト教の話何もしてないな、と思ったけど
よくよく考えたら糖質ですがさんが延々と荒らしみたいなレス垂れ流してる時期とかあって
まあいいや、と思った ふんじゃいさんは、キリスト教、いかがですか?
まちこさんに、お祈りしてもらえますが。 いや、自分は聖書全部読みました
一周読んだけど福音氏には一周じゃわからねえと言われた
モルモン教会に通ってたけど人間関係で嫌になりました
モルモン教会で洗礼も受けた
イエスを慕って まちこさんは優しいから、大丈夫だと思います。
まちこさん、ぜひ、お導きをお願いします。 聖書の話って難しいわけですよ
イスラエルの祖ヤコブは兄の長子の権限を掠め取るダークヒーローだし
ダビデは他人の妻を奪うために旦那を徴兵してどさくさ紛れに殺すし
サムソンはただの殺人鬼だし
そういうのをイエスが浄化したとか言うけどお前それ本気で言ってんのか?と思う >>409
> まちこさんに、お祈りしてもらえますが。
不幸の始まり。 >>412
新約聖書から入った方がいいと思います。
旧約聖書は私もちょっと難しいです。 老子のほうがいいでしょう。
老子とは、こうこうだ、とはならないから。
翻訳次第、老子の一言で、解説はできない。
老子は異なる翻訳を10冊読み、2冊ぐらい選ぶほうが聖書や、まちこよりよほど良い。 いや、ふんじゃいさんは、まちこさんを
慕っておられるから、これも何かのご縁です。 ちなみに、うちには老子は異なる翻訳で4冊ぐらいある。
でも良いのは2冊、万人に薦められるのは1冊。
老子を解説しちゃいけないよ。
翻訳で違うから。 >>416
キリスト者でない、おまえには関係ない。
アホ、生意気いうな! >>417
すごいですね。私は今日、はじめて読みましたよ。 道とは空っぽであり、満たされないから、
使い果たすことがなく、
決して枯れることのない、
とこしえのいのちに至る水だそうです。 幸福さん、ふんじゃいしゃいさん、こんばんは。
ふんじゃいしゃいさんが知りたいことがあれば言ってください。
是非、お役に立てれば、と思っています。 幸福信者は、わたしが幸福スレや幸福の科学の質問した時だけ教えてくれればいい。
キリスト教、キリスト教スレ内について、幸福信者があれこれ言うのは生意気。
黙って人の話を読んでればいい。
幸福スレで、人のために書いて役立ちなさい。 こう、直線のベクトルを万物の根源へとまっすぐ伸ばすわけです
それは自分が産まれて意識が始まった瞬間かも知れない
いや、世界の根源、ビッグバンの事かもしれない
そして始まりと終わりをまっすぐ結ぶ
そうすることで自分の立ち位置がわかるとか、そんな解釈をしていた >>422
まちこさんスレの皆さんと仲良くしたいのです。。。 自分がレスするとキリスト教に対して攻撃的になってしまうのが悩みかも知れない >>423
おそらく聖霊が教えてくださると思います。
イエス・キリストの御名により、
聖霊を与えてくださるので、
きっと、腑におちる時が来ると思います。 >>425
疑問から、みな始まりますよね。
是非、その疑問を解決してください。 >>425
愛の気持ちを持つことで、それは克服できます。
むしろ、穏やかで優しい気持ちになれます。
キリスト教は愛の教えですので。 434 さぁばんと Serpent ◆bjckDZNOKs [] 2021/02/28(日) 22:20:10.91 ID:tzdp2+0m
すみません 聖書が気持ち悪くて 吐き気がして読めないんですけど どうしたらいいでしょうか ?
聖書だけなんですよ。
435 さぁばんと Serpent ◆bjckDZNOKs [] 2021/02/28(日) 22:22:47.63 ID:tzdp2+0m
だから 5chでも カテキズムとか書くのやめて 吐き消して来るから バカチョン。
もう充分勉強しているから こんなところで読む必要ないの。 >>314
この世の万物生物すべてにおいて罪などないのです
この世とは大宇宙全体であり、大宇宙全体=神であります。
あらゆる恒星惑星含め、そこにおける生物も宇宙のかけらのひとつにすぎません。
つまり大宇宙を構成するその一部の人間の行為すべては神によって造られたのであり
人間の行為(善行悪行含め)神がお見通しということです。
たとえアダムが蛇に騙され、禁断の知恵の実を食べたと言っても
全知全能の神は。その行為すらもお見通しのはずです。
ならばアダムが知恵の実を食べたことすら神の仕組んだ事であるがゆえに
罪ではなく、ただ神の手のひらで遊ばされていたことにすぎません。
つまりはアダムの行為すらも原罪にすらなりません。
ユダヤ教の勝手に造られた教えにすぎないのです。
いわゆる茶番というやつです。
そんなものに惑わされず、人間の実相はすべて完全円満である!
という真理に目覚めることが大切なのです。
これこそ光明思想の根本であり、我こそ神、我こそ如来、自分の中にイエスや仏陀が
在らせられる、ということ絶対的真理を悟るということです。 仏教を例にして言うと、
法華経は宇宙の真理を説いた尊い教えなのですが、
層化や日蓮系の新興宗教団体が金儲けのために他宗を排斥し、信者獲得にあくせくし過ぎたのが
そもそものまちがいの始まりということなのです。
これはある意味キリスト教にも同じことが言えるわけで、
イエスが説いたこと以外の教えを弟子が付け加えて聖書を改竄して
あたかも人間は生まれながらにして「罪びと」であるといったデマを吹聴し
信者を罪の押し付けで、罪で縛り、窮屈極まりない戒律でプレッシャーを与える
といったことがなされてきてしまったのです。
本来、宗教とは天空快活自由無碍であらねばなりません。
したがってこのような、のちの似非牧師や似非神父の洗脳から脱マインドコントロールを図り、
真に純粋なイエス信仰を貫くことこそ真のキリスト者といえるわけなのです
人は皆 罪びとというのは明らかな間違いです
これはイエスの弟子が考えて捏造した虚言なのです
イエスは
「人は皆 神の子である 直接、汝らの父に直々に祈りなさい」
と おっしゃられているのです
つまりは、わざわざイエスを仲介するまでもなく、直接、汝の内にいる神を祈りなさい
ということなのです。
これこそが、真理そのものであり
自分は神の子という認識が強くなるつれ
病いが癒され 貧困が解決し 無限供給の境遇に成るのです 本来宗教とは自分の意思というよりも自己の内なる魂で判断するものなので
押し付けられても受け入れられるものではありません。
また罪を押し付けるような教えもいけないです。
本来宗教とは自由無碍であるべきなので。
やたらと戒律で縛る宗教は基本的に避けるべきかと想います。
基本的に聖書はイエスが書いたものではありません。
弟子による改竄が成されておりほとんど誰が書いたかわかりません。
キリスト教では原罪なる罪の概念がありますが仏教その他の宗教では罪は本来ないことになってます。
なので聖書の教えを100%信じているクリスチャンは自分で信じている分には
まだいいのですが、その教えを基準に他宗教を裁こうとしてます。
よってそこからまちがいや争いが生じるわけです。
他宗教を批判する宗教はいけない、という批判は
批判ではなくて、いわば天の声です。
なので愛による叱責であり、愛の鞭なのです。
日本には罪概念の宗教など根付かないからこそ、日本におけるキリスト教人口は
1%にも満たないというデータが出ているといいた現実があるのです。
日本神道には、こういった罪概念などかけらもございません。
ただひたすら太陽、空気、水、山川草木、万物、天照大神への感謝みです。
これが大和民族における最高の精神です。 法華経は仏教における真理の教えを説いており
物質は無い、病も老いも死も無い、ゆえに、
生老病死は幻想である、といった最高の教えなのです。
層化や顕正会とは、また別のものと考えるべきです。 法華経は宇宙の真理を説いた尊い教えなのですが、
層化や日蓮系の新興宗教団体が金儲けのために他宗を排斥し、信者獲得にあくせくし過ぎたのが
そもそものまちがいの始まりということなのです。
進化論はこじつけのデタラメです。
唯物論者による単なる虚言にすぎません。
この世界のあらゆる物質や生命はすべて神がお造りになられました。
ものが造られるまでには誰かが脳で設計しなければなりません
その設計者が神ということになります。
すべての人間は神の子です。
神は人間を神の似姿に造られたからです。
もちろんあらゆる動物植物も神の子であるといった考え方もできるのですが
人間とは根本的に性質がちがうのです。
人間には脳で思考設計しながらものを造る技術がありますが動植物にはそれがありません
神としての特権は思考設計してものを造るということ
大宇宙や恒星惑星などすべてを造るのが神である証拠
神は人間にのみ神の分け御霊を与えたのです。
これが人は皆神の子という所以なのです。 >>429
おまえの事情など知ったことではない
しかし誰のレスを相手にしてるかさえわからなかった
さあ坊かなり病んでるんちゃうの おはようございます。
>>359
>キリスト教のロジックに従えば、人間は誰しも原罪を持って生まれてくるので
>赤ん坊にも原罪はある、つまりは赤ん坊も罪人だ、ということにはなるんでしょうが
>おそらく赤ん坊はその原罪(罪への不可避の傾向)が自罪(actual sin 現実の罪)として
>.発現される前の段階なので、通常は夜泣き等を罪とは考えないんだと思います
未成熟状態で産まれ、お乳や排せつなどを夜中でも訴えるのは、
赤ん坊側にすれば、親も大変かもしれませんが、本人も必死、大変な
はずで、大声で泣くことは、誰かに知らせるコミュの言語のはじまりであり、
また、肺を大きく育て、歩けないので全身運動に必要な事です。
罪であるわけがないのです。
>東方教会を含む伝統的な教会の多くが幼児洗礼を行うのは
>幼児洗礼という形で赤ちゃんの「無垢な」性質を形式的に担保する面もあるんだろうと思います
>自覚的な悔い改めを伴わないので、洗礼としてどうなのかとは思いますが
ユダヤ教は、神殿奉献といって、
はじめての男の子を神に捧げる風習から、山鳩か家鳩の赤ちゃんを、
捧げるに変化し、イエスもエルサレム神殿に連れていかれました。
動物犠牲により、命が助かるようになりました。
そしてそれをしておくと、「聖別」されると信じられていました。
キリスト教の洗礼とにていませんか。 おはようございます。
✝ もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、
恵みと義の賜物とを豊かに受け取っている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって王として支配するのです。(ローマ5:17〜18) イエスの思いなどよく分からん
ペトロが罪人であり愚か者であるように言われがちだが
私はそうは思わん
十字架にかかり私は死ぬのだとイエスが言うなら
やはり私も止めただろう
それでサタンと呼ばれたのは何故だろう
罪人イエスの弟子ではないと公言し、鶏が鳴く姿を見たのもやはり私の姿だと思う
まちこさんならどうしただろうか なんか最近激しくイエスと食事をしたいと思うようになった
イエスと食卓を共にした徴税人たちはさぞや満足であっただろう
イエスの割いたパンはさぞうまかったであろう
裁きも救いも贖いもいらん
ただ人間イエスを愛したい 十字架に掛けられた他の罪人を祝福する描写もよくわからんな
なぜ裁かれた罪人はイエスによって許されただろう ふんじゃいさんの思いは、クリスチャンなら
誰もが一度は通過する思いなのでは、と感じます。
その内容が「最後の誘惑」という映画にまでなっています。
ですので、私はまちこさんのお答えを待つことにします。 >>442
イエス・キリストは、数多くの病気を癒やされましたが、
それは、イエス様を信じることによって起きました。
「あなたの信仰があなたを救った」
「信じたとおりになるように」
ですので、十字架にかかった他の罪人のうち、
イエス様に罪はないと信じていた罪人は、
イエス様を信じたことで救われたのだと思います。 イエス様を信じる人は、いつもイエス様と共にあります。
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように
教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつも
あなたがたと共にいる。
マタイ28:20 >>1
>あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
>(マタイ 28:10)
マタイ28:20のようです。 私はキリスト教について分からないことがあったら、
いつも、このスレのテンプレを確認しています。
そうすると答えがそこにあります。 こんにちは、幸福さんにふんじゃいしゃいさん。
今、忙しいので、夜には出られると思います。
宜しく^_^! >>431
本当に悟った経験があれば
宇宙に行けば誰でも浮くのを知っているように
それが正しい神様の選別であることはわかるはずですよね?
ここで何を書いても
それは選別だから試練な訳です
個々がおのおのの魂の成長過程において
導きだす答えだから
それが進化な訳ですよ
実際に体験しないと
聖書と変わらないただの本です
非常に安っぽいただの文章です バンジージャンプやスカイダイビングでさえ
そうなんですからね
やったら怖かった
でも楽しかった
それで行動したことになるのだから
文章がいかに安っぽいものなのか
考えさせられますよね
それが我々のコミニュケーションなんだから
詐欺もまかり通るのは当たり前ですよね
それでは駄目だから
わざわざ神様はこの世を創造したのです
実際に体験することです 神様は祈るふりして
先生と呼ばれたい
そんな詐欺師が大嫌いな訳ですよ
そういった輩をあぶりだしたいから
わざわざ
この世界を創造した
本当に嫌いなんでしょうね
僕も大嫌いですけど そんな奴らが兄弟と呼べるのか?
笑わすなと言いたい
そんな奴らは知らない
兄弟でも何でも無い
イエス様もそういってましたよね イエス様はすべてをお赦しになられました。
ゆえに救いの主なのです。
〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らを
お赦しください。自分が何をしているのか
知らないのです。」〕人々はくじを引いて、
イエスの服を分け合った。
ルカ23:34 それは別にイエス様の偉大な境地の話で
別に我々の罪が許された訳では無いと思います
我々は世に属する罪人ですよ >>457
和紙さんは、グノーシスさんと気が合うかもしれない。 それでも
良くも悪くも
幸福さんもクリスチャンぽくなってますよ
聖書を元に反論してきてますから
僕はグノーシスさんとは相容れません
あの人は聖書を信じてないですからね >>459
でも、グノーシスさんは、
イエス・キリストを愛しておられます。
真実のイエス・キリストを。 愛してたら聖書信者になりますよ?
グノーシスなんか斜めに行かない
というかそんな話すらどうでもいい
幸福さんも変わってますよね
あなたも変わっている人なんだと思います >>461
イエス・キリストを誰よりも愛するがゆえに、
聖書を信じることができない方もいる、
ということは知っておいて頂きたいと思います。 >>461
和紙さんもそうじゃないですか?
イエス・キリストを愛しておられるなら、
クリスチャンになればいいです。 >>463
和紙さんはグノーシス主義を学んでおられないし、
ふんじゃいさんの気持ちを理解していません。 幸福さんは変わってますよね
あなたは変わってる
首を傾げる 愛するがゆえに、聖書を信じることができない、
イエスを知らないと言って、鶏を見てしまった、
そんな方をも、すべてを愛してくださり、
生かしてくださり、赦してくださっているのが、
真実のイエス・キリストです。 変わり者は変わり者なんですよね
目の付け所が普通とは変わってる
イエス様も貧しいやもめが多額の献金をしたことが
立派だと褒めてました
世の法則と違うから選別の場であり正しい真理なのです >>468
和紙さんも充分、変わり者だと思いますよ。
ですので、変わり者同士、仲良くしましょう! アブラハムより前に、わたしはある。
聖書より前から、わたしはある。
ありて有るもの、
それが、真実のイエス・キリスト。
御父のひとり子。 >>470
とりあえず
ポエムにする
幸福さんは変わり者です
詩人ですね! 聖書の中にイエス・キリストの御言葉と
御心が入っているのは間違いのないことです。
それを信じることができれば、
きっと、クリスチャンになれるはずです。 人間に生まれるのは
クリスチャンであり
洗礼を受けたことだと思いますよ?
本当に可能性が無いなら人間にすら生まれない >>474
和紙さんはクリスチャンなんでしたっけ? 幸福さんは面白いな
僕にずんずん関わってくるから
悪いことは言わないから僕に関わってこないほうがいい
イエス様に逆らったユダヤ教徒のように
流れに逆らうなら
ろくなことが無い
僕はそういった力がある
自覚は無いけど今までがそうだった >>476
和紙さんも、そのような祟り神みたいなことは
おっしゃらずに、みんなと仲良くしましょう。
なぜなら、イエス・キリストは愛の光そのもの
なのですから。 幸福さんは悟った経験が無いみたいだから
それが全てですよ
神様の目は誤魔化せない
何かしら欠点があるからそうなのです 僕は悟りを開いとない者は認めない
それは神様の目は誤魔化せないからです
それは将棋の一手のように
手を誤れば
悟れてないのは見破れます 将棋でさえ
人間の作ったゲームでさえ
あれだけ
よく知らないけど深いのですから
宗教なんかもっとですよ
手を謝れば知らないのは丸わかりです
祈るふりして先生と呼ばれたい
間抜けな猿しかそんなことはやらない 悟っている者も、悟っていない者も、
お互いに支え合いながら生きている。
すべての人は、イエス・キリストの愛のうちに
生きている。
だから、お互いに愛し合いなさい、と
イエス様はおっしゃっている。
愛に生きるとき、
イエス・キリストとともにある。 聖書はファイナルファンタジーとかドラクエみたいな
ちょっと長めの文章の書いてある本
これがただのハリーポッターだったら
「ごめん俺ファンタジーとか読むの時間の無駄だと思うわ」といちべつしてしまうのだが
2000年かそこらずーっと有識者の目に止まり
世には聖書に関する芸術がたくさん残り
アメリカ人はミドルネームなんてよくわからん風習を作ったり
大変な事になっている
何故だろう?
普通はこの辺から入るのかな
キリスト教に 人間の世界でも
試験があって
それに受かってないのが全てですからね
何のかんの言っても
悟ってないのが全てなんですよね
神様が定めた試験です >>485
試験は何度でもやり直せます。
人生も一緒です。
何度でもやり直せるし、
何度でも生まれ変われるのです。
これが神様の愛であり、救いなのです。 >>484
ふんじゃいさん
聖書をすべて知ってから、クリスチャンになる
ということだったら、誰もクリスチャンに
なれないと思います。(その前に歳をとってしまう)
私ももちろん、聖書のすべてを知っているわけもなくて、
好きな御言葉一つから、入っていけばいいと思うのです。
だんだん、慣れてきます。 やはり私が着目するのは
「悔改めよ、天の国は近づいた」という箇所
ことに人類存亡の危機を唱えられる昨今、
人は変わらなければならない、
そう思うべきだ、と自分は考える
この言葉を発した異星に住む人物ファーザー、
またの名をイエス、彼はこう言った
十戒を守れ、と
これが十戒の記された旧約聖書と言う書物である
パウロのバーカ >>489
パウロは、イエス・キリストの弟子を迫害していた方
なんですよね。
それで、イエス・キリストに怒られて目が見えなくなった。
それを癒やしてくれたのがイエス様の弟子だった。
それでパウロは、悔い改めたんです。
パウロなくして、現在のキリスト教も無かった。
まちこさんもいなかったかもしれない。
すべては悔い改めなんです。 それで、パウロは大伝道者になったのですが、
その道のりは険しかった。
それまで仲間だった律法学者からは裏切り者と呼ばれ、
イエスの弟子からは、スパイではないかと疑われ、
信用されなかった。
そんな中で伝道を成し遂げ、最後は殉教した。
なので、すごい方なのです。 >>440
イエスは、神のご計画で、この地上で、やるべきことがあったからです。
それを遂行しなくては、いけないのですが、そこにサタンがペテロの考えと口を通して、邪魔しようとしていました。
サタンは、イエスがこの十字架の贖いを遂行されたらどうなるか知っているからです。
イエスは神様のご計画を実行しました。 >>491
いやーなんか文章がさ・・・
あんだけ日本語ヘタな物書きいませんて
何書いてるのかわかんないんだもん >>495
そのうち慣れますって。
まちこさん、ふんじゃいさんの洗礼をお願いします。 ん、幸福氏は5chでまちこさんから洗礼を受けたんです? 私の一日の始まりは、まちこさんの御言葉で
始まりますから。 >>500
まちこまちこってそんな好きなら
まちこになっちゃえよ >>497
幸福さん、あまり急がせないほうが良いですよ。 >>438
洗礼と似ているかどうかは、捉え方によると思います
本来キリスト教の洗礼は悔い改めを形にし
キリストを主として信仰の道に入ることを画するものであるはずです
ですが、そこに選別の意識が入り込み、非洗礼者を蔑むような動機を持ってなされるなら
単に歪んだ選民意識を制度化したものとなってしまうでしょう
第二のアダム論に見られるように、キリストを新たな人類の初穂とし
その十字架を人類の身代わりと捉えるなら、この点は似ていると思いますが
洗礼自体は悔い改めを形として表したものなので神殿奉献とは別だと思います atheistさんの名前コピペしてググったらとんでもない言葉が出て来たw >>504
あー「無神論者」ねw
これには経緯があって、むかしご隠居という徹底した反キリスト教論者がいて
俺のことを何度もクリスチャンだと言って聞かないから、名前欄に入れたの
「無神論者」と入れると、その時点で有神論者たちから先入観を持って見られるから
ご隠居にだけすぐ分かるように英語にした
ご隠居は英語が達者な人だったからね
一応小文字にしているのも one among many atheists という意味を込めて >>506
私も最初は、神を信じられなかったですが、
それも昔の話で、今は毎日神様のことを考えて
いるので、無神論者とか唯物論者の気持ちが
もう、分からなくなりつつあります。
自分もかつては信じられなかったのに。
一生懸命、お祈りをしている人を見て、
信心深いんだなあ、どうしてそこまで信じられるんだろう、
と思っていたことを、ふと思い出しました。 >>507
信じられるようになったきっかけってあったの? >>508
幸福の科学です。
今、地球上にある、すべての宗教、思想、信条、
考え方のすべてが、唯一なる神の御心から
プリズムのように分かれてきたものであることを
学びました。 >>509
幸福の科学で教えられたことを疑わなかったの? >>510
疑うとか信じる、ということ以前に、
自分が知りたかったことが説かれていて、
それを学んだということです。 >>512
一番は、人間死んだらどうなるか、
ということですね。
昔話のように言われている天国、地獄があるのか、
あるとしたら、それを分けるものは何か、
ということです。 死の瞬間に物凄い痛みが体に走ると言われていますね
私はあれが永遠に続くのだと考えています
だから死ぬの嫌です >>513
ああ。なるほどね。
でも、その手の話は証明不能なものばかりだけどね。
俺はね。
キリスト教の神を信じて信仰したら何か心に見えて来るものがあるだろうか?
現状の困難を乗り越える心の力が得られるだろうか?
そう思って非常に模範的なクリスチャンを大真面目にやってたのだよ。
結果は残念なものだったからやめたけど・・・。 >>514
人間いつかは死にますからね。
何を信じるかが大事です。
ふんじゃいさんは、イエス様を愛しておられる
ことがよく分かりましたので、キリスト教がいいです。
死ぬときに痛かったとしても、イエス様が
救ってくださいます。 >>515
信仰に見返りを求めたら、その信仰は御心に
届きません。
信仰とは、良いこと悪いこと、自分に起こる
すべてのことを、神様の御心のままに、心を開いて
受け入れる、ということです。
すべてを神様に委ねることです。 >>514
交通事故で死に掛けた同級生から聞いた話だけど、
死ぬ瞬間は「気持ちいい」のだそうです。
たぶん脳内麻薬が出るのでしょうね。
数日後に意識を取り戻した瞬間、「イテテテ」だったと言ってましたよ。 >>517
俺の場合、信仰によって自分の心が目暗になっていることに、ある時、気付いたのだよ。
それをはっきり自覚した時に信仰を捨てる決心を固めた。 生まれる時も死ぬ時も一緒だよ
何一つ持っていけない
だから悔いなき生きること
納得出来ればあの世にいけるよ
宗教は全部嘘だよ >>519
それは多分、信仰ではありません。
教義上の何かを盲信していたんだと思います。
本物の信仰は、心を神様に向けることです。
心を神様に向けることで、霊知が与えられるのです。 >>520
死後の世界がどうなっているのか分からない時、
誰に聞くんですか?
その、誰に聞くのか、というところが宗教なのです。 >>521
いや。純粋に信仰していたよ。
そうしたら良くなるどころか自分の霊性が劣化してメクラになってしまった。
「これはいけない」と、ある時、明晰に認識したから信仰を捨てたのだよ。 創造主は恐ろしい程に
気長だから
弟子たちは救いの日は近いと
思ってたらしいけど
それから軽く二千年だからな
ヨハネ福音書の言葉は
そういった意味だったんだよ ただ世がある事
それに自分の神経、機関をシンクロさせる事
それが祈り、太極拳
なんかこのスレで過去に読んだが脳がどの筋肉を動かすのかを決めるのは
だいぶ前の時間軸なのだそうな
2秒前だったかな タラントンの例えを知ってるかな
フロントミッションオルタナティブって言うマイナーなゲームの軍の偉い人が言うのよ
「勘違いするな!お前たちのゆりかごには高い金がかかっている!これぐらいの事は出来て当然だ!」
と 悟らない限り
解脱しない限り
人は何回も生まれ変わる
加えて
人間にうまれないと
悟れる好機はないくらいだ
動物のような一生を送るなら
別に動物でもいいだろう
お釈迦様いわく
更に下の世界
地獄すらあるらしいよ >>523
霊性が劣化する前はどういう状態だったんですか? >>530
今現在の特殊な話をして回答に変えようと思う。
俺の寝室(和室)に変なモノ(この世のものじゃない何か)が居付いてしまって迷惑している。
そいつは決まって俺が寝ている右側に一緒に寝ている。
だから、しょっちゅう奴が起き上がる気配がしたり、襖の開閉音がしたり、
数日前には俺の寝てる目の前に手の平を開いて見せたりするのだよ。
健常者に言わせるなら、気のせいだとか精神病とかで説明するのだろうね。
でもあれは此の世のモノではない。
別に悪さはしないから無視して放ってある。
君はこんな話を信じるかね(笑)? >>531
信じるかどうか、というよりも、
事実なんだろうな、と思います。
宗教を学ぶ以上、霊的なものに関する知識の
習得は避けて通れないので。
私は良くも悪くも霊道が開いていないので、
そういうものは感じませんが、
良く聞く話ではあります。 >>532
真言宗のお寺に先生(いわゆる霊能力者)が居てね、
俺がカトリック信者だった頃の昔、縁があって対話する機会を得た。
「結果」 → 圧倒されました。そして「俺は何をやって来たのだ」と痛感させられた。
驚くべき話が幾つもあるのだが、今語るつもりはない。
俺はいつの間にかメクラになっていたのだよ。
寝るわ ( おやすみ^^ >>533
その結果、なぜグノーシス主義になったのかに
興味があります。
機会があれば教えてください。
おやすみなさい。 >>522
死んだ瞬間にあの世の事を
全て思い出す
それがルール
この世に未練を持つと地縛霊になる >>452
肉体の人間は、肉体という仮面をかぶった「神の子」なのである
そして肉体の頭脳を通して仮に「もの」を考える
頭脳は一種のカメラ的役割をしているのであって、その人が立っている
意識の観点ーカメラに例えればカメラ角度によって、自己に映ってくる形が変わってくる
したがって、その人には観る角度にしたがって人生が色々の形に見えるのであり、
生活苦多き世界にも見えれば、順調に事が運ぶ世界にも見え、
人間が病気するのが当たり前にも見えれば、人間は本来健康なのが当たり前にも見え、
この世界が調和せる世界にも見えれば、争いに満ちた世界にも見えるのである
こうして、各人は各人の人生を撮影する「心のカメラ」を持ちながら、常に魂は向上しつつ
あるのである
各人には各人の人生の生き方があり、色々の姿を自分の心に映しながら、最後には
神の国を存在の根源に見出すのである
そして、その「神の国」が自己の内に内在することを見出すのだ atheistさん
>>503
仰る事は分かります。
似ていると思ったのは「聖別」にこだわる思想信仰観が
他民族と感覚的に違って、神殿奉献が乳児への洗礼に引き継がれている
のではないかという点です。
両方、罪意識から出ており、ユダヤ教からユダヤ教キリスト派へ、
そこからキリスト教へと、人間観が似ている。
旧約から新約へと言いましても、別だとして切り離した意識にならないのも、
思想の枠組みとしては、同じになっていると感じたのです。
わたしは、聖書を学んで信仰を持つという形でなかったので、
一般的な入信者の信仰と学びの枠組みが、かえって見えたりします。
「罪」 「聖別」 >>538
悟ったり、霊眼が開くというのは、
はじまりから、「罪」 「聖別」 といった思考回路にはいかないし、
そのような囚われがあると、感性が閉じてしまい、まずいのではないか。 >>539
>ですが、そこに選別の意識が入り込み、非洗礼者を蔑むような動機を持ってなされるなら
>単に歪んだ選民意識を制度化したものとなってしまうでしょう
感性が閉じると、結局、こんな事になってしまい、
グノさんが心配されている、人生がおかしくなって、
そのような思考の罪深さからだ脱せなくなり、
でも神様は、ゆるしてくださるとか、
不必要なところを、グルグルと落下しながら廻るっているのが見えます。 >>540
ユダヤ・キリスト教を知らなければ、原罪はない。
イエスキリストが、ユダヤ教の原罪を取り除いてくれた。
在るものは在るのだから、取り除くことはできない。
原罪は無いから、在るという思い込みを取り除いてくれた。
無いから取り除くことが出来るのです。
日本人の私たちが、わざわざ、一旦ユダヤ人になって、
そういう事をしてもらう必要は、ありますか?
しかし、私たちは完璧ではないのと、生きていくのにどうしても
知らず知らずでも罪を犯しているとして、
そんな自己責任の個別事情まで、イエスキリストは取り除いてくれません。
在るものまで取り除けませんのに、変質させてイエスを欲深く利用する事を
恥ずかしく感じるぐらいの、心はもっていましょう。
こんな自分でも、支え、愛してくれている周りの鉱物、植物、動物、
人々が周りにいて、地球があって、自分もその仲間になっていたいと思うなら、
神様も応援して下さる。
マリアやイエスを守護した大天使や聖霊が、時には優しく、時には厳しく
見守り援助して下さるので、安心して、温泉につかるように身をゆだねましょう。 >>536
色々と昨日も考えてたけど
創造主はガチですね
真面目に人類を第2第3のイエス様にお釈迦さまに
育てるつもりですよ
科学が発達して我々はプランクトンから進化した
それを考えれば
あと100 万年かかってもやるつもりですよ?
だから今日明日の話では無い
イエス様もやんわりと焼かれるとか一つとか語ってますけど
二千年何も起こらないのが答えですよ
覚悟を決めるしか無いですよ
我々も解脱しない限り
生まれ変わりは終わらない 僕が悟りたいのは身内や迷惑をかけたであろう
周囲の人達を救いたいからですね
そんな人類を救いたいとか壮大なテーマは無い
狭い人間関係の生まれ変わりのソウルメイトでいいです
もちろん自分が救われるのが第一ですけどね ちなみに天国というのは誰でも行くらしい
ハッキリとした情報では無い
インドに伝わる言い伝えですけど
死んだらしばらくは幽界というか
この世とあの世の堺に居る
その後にカルマによって地獄に行く
その後に天国に登った後に魂は洗われて
記憶を失ってまた生まれ変わるらしい
しかし、悟れば生まれ変わりからは自由になるんです 科学が発達したことで
認めざるを得ないんですよね
救いは今日明日の話では無い
あと100 万年は軽く必要でしょうね
悟りを知っている人達は先駆者です
そうやって生物は進化していく ちなみに幸福さんは何回生まれ変わっても救われると
考えてるみたいですけど
イエス様は焼かれると表現したのですから
僕はその意味を考えると心底に怖いです
イエス様でさえ
そう表現したのです
あの優しいイエス様が 結局は色々と詰め込んでも知識だけでは悟れないです
長い進化の歴史
それが創造主の答えですよ
聖書の歴史を見ても争いばかりです
イエス様でさえそうだったのです
もっと、じっくりと時間は必要
悟ることだけがこの世から自由になるのだからね
深い眠りの中では意識が無いように
本当に悟りを開いた人達はまるで時間にも気付かない お釈迦さまの神通力は異常ですよね
イエス様は奇跡が凄いから特別視をされがちですけど
お釈迦さまの神通力も凄いですよ
悟りを開いた人が意思したら
それだけの事が出来るんだなと
つまるところ
救いは自己なる平安しかない
それが答えです
まあ、こんな事で共感を得られるのは
何万年も先か?
進化の頂点に居られる方の言葉ですね おはようございます。
✝ 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。
それ、キリストが御父の栄光によって、死者の中からよみがえられたように、私たちもいのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6:40)
☆この聖句が、イエス・キリストを信じた人に、ここから始まるのです。
私たちも新しい歩みをするようになります。
なぜなら、私たちの国籍は天にあるからです。
天のことを思うようになります。
そう、成長させてくださるのは神です。
イエス様を主とし、感謝し、福音を読み、いつも、この中にいる者こそが、神様が導くのではないですか?
イエス様を主としても、前の考えの中にいれば、この世の霊が前と同じ所へと案内してしまいます。
そこから抜け出し、天のこと(福音にかいてある)をいつも思って実行していきましょう。 >>546
罪を犯して、悔い改めの機会を得ずに人生が
終わってしまった場合、身が焼かれるような
地獄に堕ちるでしょう。
でも、悔い改めれば、導かれて、本来の世界に
還るでしょう。
怖いのは、悔い改める、ということができないこと。
生前、宗教に縁があれば、悔い改めのきっかけが
得られるかもしれない。その宗教を指導している
方が導いてくれる可能性があるから。 >>543
和紙さんにも愛の気持ちがあることが
分かりました。
私も、ご縁があった方が苦しんでおられるならば、
神様の力をお借りしてでも、助けてあげたいと
願っています。 >>552
これのどこが"愛の気持ち"なのよ?
"執着の気持ち"じゃないの? >>553
善いサマリア人でありたい、
ということです。 >>533
@カトリック信者以前 霊性が高い状態?
Aカトリック信者時代 信仰心→疑問
B真言宗・霊能力者 疑問解消→霊性劣化に気づき棄教
Cキリスト教グノーシス派
D霊に迷惑している
***
Cは真言宗に帰依、Dは霊能者の先生のご指導で解消
し、霊性回復、であれば理論的に繋がりますが。
私の感じですが、そうではないところから
理論的に推測すると、
Aの疑の結果、霊性が劣化した。
それがB信仰のせいだと考え棄教するも、
キリスト教への思い断ち難く、Cグノーシス派になるが
信仰を取り戻すことができないため、
結果Dになっている。と感じます。 >>550
幸福さんは霊感ゼロなんですよね?
グノーシスさんはそういった何かと恐ろしく波長合うらしいけど
わからないならそれがどれくらい地獄か?
知らないから
まあ、いいんじゃないですか?
霊感ゼロで話を合わしてるだけでも
それでも信じてないなら飽きたらどこかに行きますよね 成仏してない霊たちでも
あれくらい地獄的なんですから
お互いの不幸を願ってる気がする
そこから行く地獄はどんな所なんだ?という
つくづく人間に生まれて悟る意義を
それは大切な時間なのだと思う訳ですよね 信じてないなら
自分の身に起きないなら
やっぱり考えなくなりますよね?
そして飽きたらどこかに行く
幸福さんは唯物的な方なんじゃないでしょうか?
それは持って生まれたものですからね 自分の身に起きないなら考えなくなる
ピラトのように直接にイエス様くらいの聖者に関わっても
何も起こらない人は起こらないのだから
つくづくこの世はそのように創られてるのだと
僕は感じる訳ですよね
人間同士でもそうなのですから
動物とか更にわからないですよね 今
現在に人間に生まれてるなら
それは事実でしかない
動物に生まれたら
また、その時はその時
みたいな感じになるのは致し方ないですよね
別に選べる訳では無い
万事はそんな感じなのでしょう
僕はピラトに直接的には何も起こらなかったのは
そうなんだって感じです
何も起こらないなら
伝わる訳が無いし
信じる訳が無いですよね? 信仰のかたち。祈り、賛美し、塗油し、告白し合う。
ヤコブの手紙
5:13 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。
その人は、祈るがよい。
喜んでいる者があるか。
その人は、さんびするがよい。
5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。
その人は、教会の長老たちを招き、
主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、
そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。
かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16 だから、互に罪を告白し合い、
また、いやされるようにお互のために祈りなさい。
義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 >>556
私は霊感ほぼゼロです。
和紙さんやグノーシスさんは、町を歩いていると、
浮遊霊とか、地縛霊とか、不成仏霊とかが
見えちゃったりするんですか?
あと、地獄霊に憑依されている場合、
その人とオーバーラップする感じで、黒い人影の
ようなものが見えると聞きます。 >>558
霊感はゼロですが、霊的知識は豊富だと思います。
私の宗教はそういうものなので。 >>563
ゼロならそれが全てですよね
人は自分の意識しか信じない
今、現在に人間に生まれた
自分が人間であることを疑う人なんか居ないですよね?
痛みは同じ経験をした者でしか共有できない
結局は自分の身に起こらないことは考えないですよ?
でも、それが幸福さんの持って生まれた人生なんでしょう
僕的には幽霊とか気にしても仕方ない
5ちゃんの書き込みみたいなもんですよ
過ぎ去れば気にしない
過ぎ去る光景です 幸福の科学信者さん、こんばんは。ひとつ質問して良いですか? 仮に人類の完成まで
あと100 万年は優に必要だとしても
それがイエス様の説く救いの日だとしても
我々は100 年も生きない有限な命でありますから
空の鳥のようにその日を生きるしかない
日々を生きるしかないのです 仮に人殺しに殺すぞ!と脅されたとしても
ハンマーを持って追いかけられたとしても
恐ろしい幽霊が足元に立ってたとしても
深い眠りの意識ではそんなことは忘れてますよね?
そのように万事は流転するのですよね
実際にプランクトンから進化した意識の記憶なんか
今、現在に無い
あと100 万年かかってもおそらく同じですよ でおーって、お寺や教会から出禁にされてんだろ😂
高野山の金堂で魔法陣回したとか、教会の信徒を隠密に支援したとか、物を壊したりストーカーとかしてたんじゃないのか😞
でおーの様な知障ならやりかねない😔
坊さんや牧師さんから激おこされて出禁にされても不思議じゃないだろう😩 >>565
私は霊感がないので、和紙さんと同じ体験は
できません。
ですので、色々と教えて頂けると嬉しいです。 >>566
ふぃりぽさん
何でも聞いてください!(^-^) >>572
そもそも意識が霊感みたいなものですからね
自己の意識は究極の霊性ですよ
まず自己があるから世界が現れる
凄い奇跡を毎日見てる訳です
見慣れたら何も感じなくなる
仮に幽霊を見たとかも同じだと思いますよ
見慣れたら何も感じない
平凡な日常が続くだけです >>574
和紙氏は素直に神に感謝するのか
私はすごい迷惑に思っているな
劣等感など微塵もないイワシに生まれたかったよ >>575
自分を生きるという使命に気づくべきですね〜 まあ色々あるがわかりやすいのはヨサクかな
私の試練 >>575
迷惑に感じるのは自己が問題なのです
今、現在の状態は自分が望んだ結果らしいです
暗闇で目が見えないと不安になるように
肉体を求めた結果に生まれ変わるらしいですね
それが自分だと勘違いしてるからです いや和紙氏が私に安価をつけるとは…
珍しい事もあるものだな こんばんは〜。和紙さんに、質問があります。
和紙さんがよく言われる悟るとは、
1)何を悟り、悟った結果人はどうなるのか?
2)神は全ての人が悟ることを望んでおられ、悟ることは天国に入れる条件なのか?
3)一度悟った人は、そこからまた悟らない状態には後戻りすることはないのか?
をなど教えてほしいのですが。^^ 何も変わらんよ
肉の欲と己の才能に縛られ
不満に満ちるのが人生じゃないか >>581
今日はネガネガですが、何かありました? >>582
え、若干話題が違うだけで
俺こんなキャラだが? >>583
そうでしたっけ〜?
建設的な話題が多かった印象ありましたね〜 >>580
それはクリスチャンなら聖書に書いてあります
イエス様は創造主と一つになりました
この大宇宙と一つになったのです
弟子たちにもそれを望みました
この広い宇宙と一つになったのなら
人間の想像などは遥かに超えてることだとは思いませんか?
人間の能力では理解は不可能なのは容易に想像できますよね?
つまり悟らない限りは説明は不可能ですよね?
イエス様でさえ無理だったのですから僕に説明できる訳がない >>588
(^ω^)ノ
生活道路(市道)が車走行の限界です。
雪にぬかるんで酷い。 仏教も聖書も悟るための修行法は教えてますけど
悟りの境地はそこまで行かないと
無重力を体験するには
それなりの手間をかけないと体験は出来無いのと同じですよね?
まあ、人間に生まれたのは自覚は無いけど
40 億かかってるんですから
それだけの手間があるから今の我々が体験できたのです >>585
悟るとは創造主と一つであることを悟ること、ということですね。
それはすなわち、聖書に書かれていること全てであり、
悟らない人には説明不可能ということですね。
なんとなく理解できました。ありがとうございました。
和紙さんは、ご自分が悟っていると思われますか? >>587
仁義礼智
優しくなければ始まらないんです♪ >>591
一般レベルよりは進化した人類だとは思ってます >>593
悟りにも段階があるということですね。了解しました。^^
悟りは自分の力で悟るものですか?神に求めて得られるものですか? >>594
雪を捨てるスペースというか容積が確保できないのです。
これ以上降ったら都市機能がブラックアウトする状態ですよ。
幸い、雪解けの季節は近いです (^ω^) >>596
冬将軍の最後のあがきですね〜
大変な冬ももう少しです!がんば! >>595
どちらも必要でしょうね
心技体が全て揃わないと難しいでしょう
長い進化の歴史が答えですよ
二千年
何も起こってないのが答えです
それが創造主の意思です
万年規模の戦いになるでしょうね >>507
私の場合は信じられる、られないというより、「神を信じる」という現象を含め
現象の説明は現象内の根拠と論理で考える、という感じですね
神という形而上の存在を現象の説明因にしてしまえば何でもありになってしまうからです
要は、どうとでも説明がつくし、どうとでも説明がつくものは反証不能なので
神という項を現象の理解に導入しない、ということです
神の存在は反証不能なので、逆に神の存在を否定することもありません
ですから神を信じている人を否定することもありません
現象の説明の際に「神を否定する」というのは単に「神を理論に導入しない」という意味です
一方キリスト教の教理内の問題を考える際はキリスト教の信仰の前提に立って考えます
それはキリスト教という公理系内の問題だからです
また理論とは別に現実に生きるという実践の局面に関しては
神を信じることで現実に充実した生を経験しているのなら
それを否定する理由もありません
キリスト教スレにいるのは、キリスト教を外部から客観的に考察するためというのもありますが
信仰者の内的経験、生きられた信仰のあり方に学ばせていただくためでもあります 聖書にもイエス様が弟子に『悟りなさい』と言われる箇所がありますが、
イエス様が褒めているのは、あなたの信仰は立派です、ですが、
あなたの悟りは立派ですとは言いませんでした。
和紙さんは、悟りの境地は、信仰の救いとは違うのと思われますか? >>601
>>和紙さんは、悟りの境地は、信仰の救いとは違うのと思われますか?
俺は違うと思うのだが、和紙君はどう思うだろうね? >>602
グノさんにとって、悟りの境地とはどういうものですか?^^ >>603
俺にとっての悟りとは「気づき」だね。
その気づきとは「直感」して見て取ることだね。 >>538
聖と俗という二分法はほとんどの宗教に見られると思います
犠牲も多くの宗教に見られます
罪意識という点は、ユダヤキリスト教に限ったことではないけど
キリスト教においては特に非常に大きな要素にはなってますね
私個人はクリスチャンではないので、キリスト教的な罪意識はないし
それに囚われることもないのですが、前も書いたようにキリスト教の罪意識は
信仰者に悔い改めという形で人格の陶冶と自己の規律をもたらすこともあるでしょう
また逆に抑圧的に機能し信仰者の健全な精神的成長を阻害したり
その罪の教理が他者に向けられると他者を裁断する道具と化すこともあるでしょう
ものごとはたいていそうですが、これもまた功罪両面があると思います 確かに悟りの境地はあると思います。
それは、パウロが第三の天にまで引き上げられ、
人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした。
ような体験だと思うのです。
しかしパウロはこの経験ですら、イエス・キリストの贖いを知ることに比べたら、
誇ることではないと、言ってています。 >>606
パウロは夢でも見たのだと思うよ。 ( 正気ではないからね 信仰において、人が悟りの境地に至ることは、必然なことなのかもしれません。
しかし、では、悟ったからなんのメリットがあるのか?
悟りの境地に達したなら、奇跡的な出来事が頻発するのは、
神に認められていることを実感できてすごい?人に自慢できる?
悟りの境地は、神様からの秘められたプレゼントとして、
自他の信仰の前進に活かすことでのメリットなのでは?
やはり、悟りの境地でさえ、目的ではなく、道具なのでは?
和紙さんにはこのへんを悟っていただけたらと思うのです。^^ 和紙君は沈黙しちゃったね
>>606
俺はね、逆に信仰不要論者なのですよ。
必要なのは理性による判断なのであって信仰は邪魔なだけ(理性の光を曇らせてしまうから)
例えば、俺に言わせれば原罪なんてものはそもそも存在してない。
洗礼を受けようがイエスキリストに祈ろうが何も変わらない。
人は日々に老いて死に行く存在だと悟った。
老いた先にあるのは「死」という厳然たる現実だけです。
死後の復活も亦然り (そんにものはない)
人格神(創造主)が人間世界に良きにつけ悪しきにつけ常に関与してるっていう聖書史観も嘘だと考えている。
・・・・そう悟りました。 コレ、やばい薬をやりながら書いてるだろ😱
↓
あと、相手してくれない真言宗御室派の末寺の魔法陣プレイ成功笑。
今まで、本堂中に入ろうが、まったくマックスジャンピングしないくせに、本堂中に入らずに気合い入れずに魔法陣ぶちかましたら、マックスジャンピングしました笑。いったい何なんだ笑?
来る理由は「神の奇跡のマジックを覗きにきている」なんて告白はできねえなww
よし、スシロースレに進出じゃ笑。
霊的、イエスとの関係の濃さなんだろう、と。
天地創造の風光が見えるような笑。
余りにも逝っちゃっているので、その内容を説明しないが、朝のインスピレーションから(当然仏教の表現がこうなら・・・という最近パターンだが。
行きついた聖句をアップしておく、5ch向きの逝っちゃっていない解説も笑、 >>609
理性による判断って随分抽象的じゃないか
理性の意味がよくわからんが
法だの医療だのが整備されるまでに物凄い数の中国人が…漢民族?
犠牲になっている事を知らん訳ではあるまい
そんなものサバンナではなんの役にも立たんぞ >>611
新型コロナに感染したら病院で治療を受けますか? それとも教会に行って神に祈りますか?
その判断基準は? ・・・・考えるまでもあるまい 人類には大きな脳と言う強みがあるねえ
でもそれに従うのもまた
マグロが分厚いガラスに時速100キロでぶつかるのと大差ないと自分は考えているんだ
全く信用ならないのだよ >>613
>>全く信用ならないのだよ
でも電車や飛行機に乗るでしょ? ( 脱線したり墜落して死ぬかもしれないよ・・(笑) コロナ感染に関してはみな教会より病院を選ぶだろう
いや、聖書には目に塗る薬を買え、と黙示録に書いてある
その句を牧師が紹介すれば彼は病院に行くだろう
君の言う理性とはこの程度のものか >>615
癌になって、新興宗教に頼って、脚に油縫って、癌が進行して、手遅れになって死んだ人、実際に居るよ。
・・・ 取り返しが付かないよね。 ・・その程度のものだよ(笑) 人の学習と言う物もまた非常に野性的であると私は考えているよ
赤い餌をむさぼるフラミンゴのようではないか 昨今においてはコロナ感染により集団思想の恐ろしさが垣間見えてしまったねえ
キリスト教国から先に人が沢山死んで行った
「コロナはただの風邪だ!」なんて叫んでた人誰だっけ?
彼はこの板では理性の代名詞となっているがはたして テーブルの上に、りんごが5個ある。
ある人はそれを見て、りんごが5個あると言い、
ある人は、いや、りんごはりんご、りんごという
理念において一つなのだ、と言い、
またある人は、あれはりんごに見えるが、騙されるな、
あれは、見本用の作り物だ、と言い、
別な人は、りんごなど無い、あるのは素粒子の
集合体だ、と言う。
また別な人は、目を閉じて、りんごなど心の迷いだ、
と言う。
それをご覧になった神様は、微笑まれた。
神様を信じましょう。 >>619
そのりんごは私だよ、幸福氏
私は宇宙全体と一つになっているからな >>620
いや、そのりんごは、まちこさんです。🍎 >>621
そのリンゴに対する認識を一つに絞って(判断して)、何らかの行動を取らねばならぬ場合はどうするの?
やはり、神に祈るの? テーブルの上にりんごが5個ある、
などという客観的事実もなければ、
理性による判断もない。
あると思うからこそ、迷うのである。
あると思わなければ、自然とそこにあるのだ。
信仰とは、まことに、かようなものであり、
信じるからこそ、そこに現れるのである。
すべては神様の御心の現れなのである。
これを、老子は、タオと呼んだのである。 >>624
せっかく学んだ老子道徳経を実践で使ってみたのに… >>623
>>あると思うからこそ、迷うのである。
>>あると思わなければ、自然とそこにあるのだ。
べつに迷わないけど・・・。
妥当な観察を経てリンゴの存在を認識する。
それが毒リンゴであったことを見抜けずに、食べて死んだ場合。
人間(自分)の識別能力の限界を超えていたのだから事実を受け入れて死ぬほかあるまい。 >>625
>>619で、神様は多様性を喜んだのではないですか? >>626
グノーシスさん、こんばんは〜♪
イエス・キリストを信じましょう。 >>628
そうなんですよ、それを言いたかったのです。
だから神様を信じましょう、と言いたかったのです。 >>629
>>イエス・キリストを信じましょう。
いや。
悪いけど、俺は信じない。 >>630
なら、>>623 は、あんまりでしょう? >>631
グノーシス主義でも、イエス・キリストだけは
信じるでしょう。 >>633
おれは老子を失格者だと思ってるから良いけど… >>634
ちょっと「>>信じる」の意味が違ってると思う。
「イエスの言葉を咀嚼して自らの理性が解釈したことに従う」と厳密に言った方が正しいだろうね。
クリスチャンの様に信仰したりはしませんよ(笑) >>636
自らの理性をも与えてくださった
イエス・キリストを信じ、そして感謝するのです。
アーメン! 訓戒は別として、信仰は「心に留め置く」感じかな。
新興宗教に悪用されないようにね〜 >>637
>>自らの理性をも与えてくださった
>>イエス・キリストを信じ、そして感謝するのです。
それも違うと思う。
理性は自らに備わった自己自身なのであって、
親の教育と社会での学びで訓練されて開花しているものと思う。 人は、信じることによって救われるのだと
思いますよ。
信仰なき人生は、愛なき人生であり、
砂漠の中をさまよい、喉が渇いて苦しい旅路。
そこに、オアシスがあった。
汲めども汲めども尽きない井戸の水があった。
そんな時、人は神様に感謝するのである。
決して渇くことのない水。
それがイエス・キリストのみことばなのです。 >>640
>>決して渇くことのない水。
グノーシス派的な表現だね(笑)
「霊」のことを言っているのだよ(グノーシス派では) >>639
その親を教育したのは、そのまた親、
そのまた親を教育したのは、そのまた親。
遡っていくと、神様に到達するのです。
社会もまた、歴史とともにあるもの。
歴史を遡れば、やはり神様に行き着きます。
すべては神様の御心であり、みことばによりて
世界はあり、歴史は滔々と流れていくのです。
神様を信じましょう。 >>641
肉体はこの世のものですが、人間は霊です。
人間をして、霊となさしめるものこそ、
信仰なのです。
神様を信じましょう。 >>642
それっぽくは書けるけど、自分の書いてる事わかってない感じだね〜 >>642
>>神様に到達するのです。
>>やはり神様に行き着きます。
神様じゃなくて「因縁」に到達(行き着く)のだと思うよ。
だから今生の自分が(人間)が存在している。
言うまでもないことだろうが人間は神ではない。 ( 異論があるのは承知しているが 僕の祈りでも落としましょうかね?
不公平な気もするし。 http://lasttimer.
blog130.fc2.com/blog-category-16.html >>645
グノーシスさんは、ニワトリと卵、
どっちが先だと思いますか? 個人的な祈り
----------
慈悲深い父なる神よ
私を戒めて下さい
それは行動の前に、言葉の前に、思いの前に
御子イエス・キリスト
貴方は今なお湧き続ける泉
又、淀み無く流れる川でもあります。
私達は貴方という川に寄り添う草木。
彼方から此方まで、そして永久に続くささやかな草木の賑わいを、
今なお生き続ける御子に捧げます。 個人的な祈り2
-----------
父なる神の前に、偽りの従順は意味を成さない。
慈悲深い父の前に、告解の恐れは無い。
偽りのために、偽りは生まれ
罪のために、また罪を犯す
それらは、父なる神の祭壇へ。
愛に生を見い出し、愛に殉じた方
御子イエス・キリスト
風に謳う優しい木陰。
私達の宣教は日常にこそ。
ただ御子に殉じた当たり前の生活
偽り無く自らを証すだけの生活 心の治癒と魂の覚醒 『地球卒業者「18人」の過去生』の研究
で検索して読みなさい 5つのりんごなど根源の意思は意にも介しない
俺は今日は寿司の気分なんだ >>650
六道を離れればもう人間に生まれることは無い(便宜上理に適った認識だと思う)
死に至る時に全て問われる
七層の天の門衛の意地悪な問い掛けを欺くならば此の世を離れるだろう。
それは罠であるから罠であると知らねばならない。
霊知を求めるならば与えられるであろうが、求めない者に与えられる道理はない。
イエスキリストの名によりて神に祈りし者は災いである。
彼は悪魔と神の区別さえない者なのだから、死ねば終わり(無)だよ。
もう寝ます ( おやすみ^^ >>656
寿司を知らない人は、ご飯の上に刺身がのせてある
と思うでしょうね。
食べやすくていいかも、これ、なんて呼ぼうか?
寿司と呼ぼう。
ゆえに、寿司があるのではない。
あると思うから、無くなるのだ。
ないと思えば、無くなることもまたないのだ。
空っぽでありつつ、無限の働きをするもの、
それをタオと呼ぶ。 >>659
なんですかその寿司知ってて食べ慣れてる人を無視したんですか そこですよ
私は余計なことを考えず気がついたら寿司を食ってた
幸福氏はあれこれ考えてりんご5個で大喜利していた
その差がタオの奥深さなのです >>601
ハチと花の関係だと表現した人は居ました
イエス様は悟りを開いてるから
ハチと花の関係のように相手に尽くしてるだけだったのです
相手は褒められたら悪い気はしないでは無いですか?
イエス様は自分を愛するように周囲の人達を愛しただけだったみたいです
そのようにして人は成長していく
見本を示したのでしょうね >>657
死ねば終わりでないことを実体験として
ご存知でしょうに。
信仰は愛となり、祈りによりて完成するのです。
おやすみなさい。 >>610
これは でおー です
これはヤバイ
ヤバイ ショッカーに脳みそ食べられたのですね
これはヤバイ >>608
思考は感情は人間の有限な限られた能力に依存してるでは無いですか?
悟るとは目覚めながらの深い眠りと表現した人は居ます
自身の存在すら忘れて至福しか無い世界みたいですよ
ただ意識しかないから永遠のいのちだと
イエス様は表現されたのだと思われます
悟るとは神様を体験することなんですよね
だから一つになると まあ、ヨハネ福音書です
悟りの境地をイエス様が必死に弟子たちに説明してます
イエスはまことのぶどうの木は
僕は上手い表現だなと思う訳です おはようございます。
>>605
atheistさん
ええ、聖と俗に関しては、民族学(文化人類学)や派生としてジョルジュ・バタイユ、
の考察は面白いし、日本でも「祭り」がその分野で際立っていますね。
それらは、人間観を含む自然観であり、
おおかたの人類に共通する意識だと思いますし、
その聖と俗は、むしろ差別をこえるパワーの源であり、
キリスト教のような、黒人だめ、黄色人種だめ、だとかの方向にはいきません。 >>670
割礼をすると、ユダヤ人で、また産まれて40日以内に神殿奉献で
鳩に犠牲になってもらい、人間の赤ん坊は「聖別」されました。
それだけでなく、毎年の過越し祭で、小動物の無垢な赤ちゃんたちの泣き声が、
遠くの地にも響き渡るほどの数で、犠牲にし、罪を背負らせ被せて、
強い山羊は、荒野に放ち、罪を運んでもらう。
自分達は「聖」であることに、何が何でもしたい。
イエスキリストは、そんなもの「聖」であるわけがないと、本当の事を
言われました。
ところが、キリスト教は、その悪いクセから抜けられず、
形ばかりの洗礼や告白で「聖」なる者になり、他を蔑視する。
イエスキリストがそういう身勝手を潰した意味がないばかりか、
それを世界中に拡大汚染させて、
自分達は神の子側だとか、「聖別」して、いまだにそんな事を言って平気な
クリスチャンは、病気なんだで、すまされません。
イエスキリストは、病気を治すために来られたのですから。 >>671
他スレに書きましたが、関連していますので。
459こと2021/03/02(火) 08:58:19.60ID:jml2V3QC
>457
>悔い改めのしるしである洗礼を受け、
イエスはヨハネから洗礼を受けました。
洗礼とは、聖霊が舞い降りて、自己の霊と一体になって生きる事だと、
人々に見せて、知らしめました。
悔い改めるとは、そういう内実を持ちます。
(幼子から遠のいた人の病を回復させる)
イエスはイエスを信じる人を救いますが、もう罪を犯してはなりません、
以前よりももっと悪くなると言われましたのは、
愛(神)を知って(回復)、救われたのに、
愛を裏切るような生き方を、その後するのなら、
救いようがないところまで落ちるといわれているのです。
イエスの洗礼は、聖霊の洗礼であることを、ヨハネからの洗礼でも
示されましたし、イエスはご存命中、人に洗礼をされていません。
錯覚してはならないからです。 おはようございます〜。今朝もまちこ師のスレをお借りすることをお許しください。
>>667
>悟りの境地をイエス様が必死に弟子たちに説明してます
和紙さん、たしかにイエス様は悟りの境地を弟子たちに説明したと考えることもできます。
では、そこせ悟らせたかった境地とはなんだったのでしょうか?
それは、聖書の示すところの、神の被造物への愛、被造物がそれを信じることの大切さであり、
それ以外ではなかったでしょう。
人は神の愛と、それを信じることの大切さ、以外のものを崇めようとします。
それを聖書では、偶像崇拝といって、それに陥らないように注意しています。
天使も奇跡も高い境地にいたったという高揚感も、偶像崇拝に陥る危険性があります。
悟りの境地もです。
まちこ師も度々引用する箇所ですが、パウロは次のように語っています。
ガラテヤ人への手紙6章
14しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。
要は偶像崇拝に陥ってはならないです。 >>673
悟りの境地というか
我々がここまで来るまでに40 億の歴史があるんですよね
プランクトンに魂があったとして
プランクトンの器を上手に乗りこなす魂が
これまで長い時間をかけて共に進化してきたのでは無いのかな?と
ピアノを弾くとか歩くだけでも
それをどう動かすか?とかいちいち考えないじゃないですか?
思考や感情だって同じですよ
人間という器、乗り物を上手に乗りこなしてるんじゃないですか?
悟るとはその究極のような気はしますね
イエス様の定めた掟を守って痛みに耐えるのは
乗りこなしてるということなんじゃないのかな?
痛みに耐えるのは理屈じゃないですよね >>664
>>死ねば終わりでないことを実体験として
>>ご存知でしょうに。
普通の人は前世の記憶なんか持っていないよ。(君は持っているだろうか?)
自我の連続性とは記憶の連続性によって担保されている。
どんな人でも前世はあったのだが、その記憶を今に留めていないから前世の自我は無に帰したのだよ。
しかし前世の因縁(業)は現生に持ち越されていることも確かなのだが、
殆どの人は残念ながらそれさえも自覚出来ずに居るのが現状だろうね。 まあ
とりあえず
僕は100 万年とか
まだまだ
それくらいの進化の歴史はゆうにあると考えている
だからね
すぐに答えが明日に出る訳では無い
こんなやりとりは不毛だと考えます
聖書においても二千年は何も無かった
それは事実なんだから認めるしかないですよね? 聖書には救われるにはどうすべきか?
その修行法が書いてあります
石打の刑とか言って
殺人を公然と行う野蛮人を
汝の敵を愛せとか言ってるんだから
それは困難な道ではあると思いますよ?
それは聖書に書いてあることだから
僕のことを偶像崇拝と疑う前に
救われたいなら試してみることですよね?
僕より聖書を信じてくださいとしか言えない
僕は別に聖職者じゃ無いのだから
何かを押し付ける気持ちはない
僕は自分が救われたいからやってるのですから >>573
おはようございます。
聖書との出会いはイツ?という質問です。
キリスト教会の聖書勉強会で、でしょうか?
それとも本屋さんで聖書を見かけた時とか。 キリスト教は偶像崇拝ですよ
イエス像やマリア像に祈ってますからね フリーメイソンは左目悪魔という偶像崇拝でしょ
馬鹿な大衆どもには偶像崇拝しかできんのです
形のない神を理解できない >>673
コズモさん、おはようございます。
でた〜偶像崇拝、(*''▽'')
キリスト教は、他宗教を偶像崇拝と言っちゃうのです。
仏教の悟りのどこが、偶像崇拝なのですか?
イエスは悟ったから、愛の事や罪の事や聖の事やその他もろもろは、
ついてくるようにして、全部わかるのです。
キリスト教のように、その逆で、形から入るから抑圧になり
傲慢になり、
精神を、霊性まで歪める場合が頻発するのです。
そっちを、偶像崇拝というんですぅ〜。
と思いませんか。 >>679
>イエス像やマリア像に祈ってますからね
いえ、偶像崇拝は、仏像も含め、像の事ではありませんよ。 私からすると「イエスすごい」とか言っている人はまだ悟ってない
すごいのは神だけです イェスは神ですから「悟った」という次元ではないよ
ここが信者と非信者の違いでしょうか >>683
なるほど、そういう意味ですか。
でも、イエスもマリアもすごいですよ。
イエスはユダヤ人(イスラエル)の多くが、神がわからなくなっていた状態を
回復させるのに、光と愛で、命を投げ出したのです。
イエスが、神と人との仲介者と言われているのは、
感性麻痺状態に陥った人たち達の病を治すために、命をかけたからです。
けれど、それはユダヤ人に起きた事であり、
パウロは宣教で、あれまっ、
異邦人はすでに知っているとつぶやいたりしているのです。
それでもイエスキリストの偉大さは、異邦人でもユダヤ人でも、解る人は解っている、
解っていない人は解っていないので、
全世界に伝えよとは、神(愛)目線の光視野からです。 >>684
>信者と非信者の違い
そうでしょうね
私はイエスが神だと思わないので
イエスが神なら私も神だろう、そう思ってしまうのです >>678
ふぃりぽさん
おはようございます。
私は幸福の科学に出会う前、聖書を読もうと志し、
途中で挫折したのです。
最初から(旧約聖書から)読もうとしたのが
いけなかったように思います。
理解不能でした。ただ、神様って優しいのかと思ったら、
すごい怖い存在なんだ、というのが印象的でした。 >>675
グノーシスさん
その通りだと思います。
ですので、私たちは神様を信じるのです。
信じることで神様と繋がるのです。
神様を信じなければ、記憶の連続性を失った人は、
水面を漂う浮き草のように、流されるしかありません。
神様を信じることで神様と繋がり、連続した記憶、
永遠の命を与えられるのです。 おはようございます。
✝ 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは罪のからだ滅びて、私たちが、もはや、これからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。(ローマ6:6)
もし、私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなると信じます。
は死者の中から蘇って、もはや死ぬことはなく、死は、もはやキリストを支配しないことに、私たちは知っています。
(ローマ6:8)
☆これはイエス・キリストを信じると、私たちはイエス様の中にいれられます。
そしてイエス様がしてきたことをイエス様の中に入ったとわかった人、信じた人は、イエス様のして来たこと、父からの相続財産を受け継ぐのです。
そしてイエス様のように生きるようになります。
ですので、それがどういうものか、福音を読まないとわかりません。
イエス様によって、何ができて何が神様からいただいたかを、楽しみにして、福音をお読みください。
神様に繋がるため、イエス様は、私たちの為に恵みとなりました。 >>687
幸福の科学信者さん、あらためて、おはようございます。
たしかに旧約から読み始めたら、ユダヤの父なる神ヤハウェは
怖いでしょうね。特に士師記で。
私の場合は、聖書との出会いがプロテスタント高校の時で、
教会礼拝の前時間の中高会で、
ユダヤの神は軍神ですよね、と言ったのを思い出しました。
サムエル記から始まった呼び名ですが、
ユダヤの神は「万軍の神なるヤハウェ(主)」ですから、
いくさの神です。
パウロの語る「平和の神」とは違うなと、今も考える事があります。 旧約の神=真の神ですよ
イエスは神ではない
また旧約の神=アッラーです
コーランも読めばそれがわかる
キリスト教徒だけが、キリストを神と思っている
そしてイエスの像を拝んでいる
ヤハウェ=アッラーです
旧約新約外典偽典コーランハディース、ぜんぶ読みましょう >>691
777さん、おはようございます。
エホバの証人の教えを受けた方かなと思うのですが、どうなんでしょうか。 >>692
いや、読めばわかることですよ
つまりイエスを神とすると、イエスだけ浮いてるんですよ性格的に
端的に言えば、イエスの性格は、旧約聖書の神の性格と一致しない
あまりに違うので同一の神であるとは考えられないわけです
↓の動画では神や生の意味についておもしろいことを語っています
https://www.youtube.com/watch?v=h6fcK_fRYaI
この種のでっち上げストーリーを信じるのが宗教です
人間は自分の好きなことを信じる
知りもしないことを、あたかも知っているかのように思っている
超越的なことは誰も知りえない
知りえないことについてストーリー(物語)を与えて安心させるのが宗教です
宗教とはそれ以上のものではありません
宗教をあまり大きく考えるべきではないですよ
けっきょく人間には何もわからないのですから
もし知りうることなら、すべての宗教が同じことを語っているはずですが、そうではないですからね >>693
私は個人的には、イエス様は人間であって神とは思ってないですよ。
ただ、教会の信者を相手には、神という前提で会話はしたいですけど。
新約聖書の各巻の記者が、神格化していったんです。 >>695
私もそう思います
イエスは神格化された
ユダヤ教とは異なる新しい宗教の神として
しかし「神は唯一」ということと整合性をとらないといけない
そこでアウグスティヌス等の天才たちの力を借りて、三位一体の教義が生み出された
神はなぜ終末にダッジャール(偽キリスト)の試練を用意されたか
その理由がこの辺りにあると思います 昨日の、5個のりんごのお話し、
今思い出しましたが、
「群盲評象」というたとえ話がありましたね。
古来より、真実の多面性については
語り継がれてきたということです。
以下、ウィキペディアより
その経緯ゆえに、『木を見て森を見ず』 と同様の
意味で用いられることがある。 また、『物事や人物の
一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解した
と錯覚してしまう』 ことの、例えとしても
用いられる。
さまざまな思想を背景にして改作されており、
ジャイナ教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などで
教訓として使われている。 多様性が多様性のままでは、喧嘩がはじまり、
戦争にまで発展するのです。
ですので、神様を信じることで、
お互いがお互いを理解し合い、
仲良く生きていけるのです。
神様を信じましょう。
そして、お互いに学び合いましょう! 老子曰く
真理があると思うから、喧嘩が始まるのである。
真理などないと思えば、真理が見えてくるのである。
道は空っぽでありながら、尽きることがない。
満たされないから、使い果たすことがない。
決して渇くことのない水、それがタオであるのだ。 >>689
まちこさん、おはようございます。
>私たちが、もはや、これからは罪の奴隷でなくなるためであることを、
>私たちは知っています。(ローマ6:6)
やはりそうなんです。
ユダヤ人(イスラエル)は、罪意識が特殊で、罪の奴隷であったから、
それが苦しくて、無垢な赤ん坊を捧げたり、その後無垢な動物の赤ちゃんを
捧て、自分たちには罪がないとし、
律法主義で外見を装ったりと、教育ママに育てられた子の
抑圧反動と同じような事を、制度化するほどにまで、
ユダヤ民族が集団催眠ともいえる「罪の奴隷」にあったことが、
この記述で常態化していたのだとわかりますよね。
そこを充分気をつけて、新約聖書も読んだ方がいいと思います。
異邦人も、そういう事は起こり得るのですが、
長い年月、集団でそのようであるというその異常性をサンプルとして
学びとるとしても、背景をしっかり捉えておかないと、
信仰という名のもとで、意味不明なままなんとなく無理やり自他に押し付けて、
おかしくなると思います。
パウロは、ユダヤ民族の異常性に気づいて、脱出しようと言っているのですから。 神性と人性の違いです
イエスの中に父なる神性と血と肉をまとった人性があるのです
肉は食欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲すべての我欲に引っ張られる性質を持っています
イエスには奇跡を起こせる力がありましたが、それをご自身のためにお使いになったことはありません
またむやみやたらにも使われてないのです
人になられた神イエスは、人としての本分を生きられました
それは神への徹底的従順です
神と人とが分離しているのではなく、人として生きられた神なのです >>703
徴税人との食事をイエスは楽しんだだろうか?
それは苦しみに満ちていただろうか? そもそも自分が何をやりたいか?ですよね
やりたい結果に汝の敵を愛せるなら最高なんじゃないですかね?
イエス様の嫌ってた律法学者とかは
もう本当にそういったことは絶対にやりたくない
やらない人種でしょう
過去の預言者と敵対して先生と呼ばれたいのが
彼らの生き甲斐の全てなんでしょうね 性格なんでしょう
サドカイ派とかのユダヤ教徒は
イエス様が人気あるから
生活がかかってるから
気に食わなかったんですよ
あの世的では無い
生きるために宗教をやってたんでしょうね >>704
イエスは花婿です
花婿が一緒にいるのに婚礼の客は断食するだろうかと仰いました
ご馳走を振舞って祝い喜ぶのではないですか 生きるために生活するために
宗教を仕事にする
それをイエス様は怒ってましたよね?
神殿で暴れたり
イエス様の説く教えは
この世的では無い
あの世的ですから
この世で成功したい
褒められたい人達は
イエス様の弟子とは言えないと思いますよ 本当に難しい
無償で行動するのは難しいですよ
創造主は無償で悪人にも善人にも
平等に太陽を登らせて雨を降らせる
難しいことを言ってます
世の生きることに逆らってますよね?
生活がかかってたら
それはサドカイ派も必死になるのは
生きてたら理解はできます この世的か?
あの世的か?
それは深いテーマですよ
ヨハネ福音書でイエス様は
それを世に属するか?
属さないか?と表現しています
僕は大変に深い言葉だと感じるのですけど
世の中の聖書を読んでる人達は
何も感じてないみたいですね 山本彩加NMB看護師に転向ってまじか
居る事に地を良しとしって感じやな
ちょっと真似できんわー >>710
☆この世的
ギブアンドテイク
自己中心
人は人、自分は自分
自分の幸せを願う
敵は許さない
神を試す
☆あの世的
見返りを求めない与えきりの愛
無私、利他、自己犠牲
自分よりも人
人の幸福を願う
迫害する人のために祈る
神を信じる
>>712
そうではなく
本当にあの世的か?この世的か?を
僕はイエス様は言ってたのだと思いますよ
我々にとっては重い物も
無重力では軽いでは無いですか?
死刑になっても蘇るのはそういった意味だと思います >>713
☆この世的
ギブアンドテイク
自己中心
人は人、自分は自分
自分の幸せを願う
敵は許さない
神を試す
☆あの世的
見返りを求めない与えきりの愛
無私、利他、自己犠牲
自分よりも人
人の幸福を願う
迫害する人のために祈る
神を信じる
☆和紙さんの考えるあの世的
愛は無い、悟りがすべて
人は人、自分は悟った
すべては霊的覚醒
敵は選別される
ヨハネの福音書にすべて書いてある
???よく分からないです。 だってイエス様は神様と一つになったのですから
普通と同じではおかしいでしょう?
我々が想像するあの世とは違って当たり前だと思いますよ
よくわからない存在なのは当たり前なんですよね あと100 万年とか
まだまだ人類は進化するでしょうね
二千年でこれなら万年規模です
今日明日に理解できました
そんな話では無いことは確かでしょうね
無償で誰かを愛す
花とミツバチのように
お互いの信頼のみで成り立つ
そのような進化を神様は人類に望んでるんでしょう
お金とか生活のためとかそんな話では無いのでしょうね
金持ちの青年は今の世の中では当たり前ですからね
むしろ蓄えを他人に差し出すほうがありえない
それはわかりますよ
人間にはエゴがありますから 捨て猫を保護したり
そういうの人間しかやらないでは無いですか?
高等により高等に進化するというのはそうじゃないのかなあ
他人の痛みが理解できるというのはそうですよね
100 万年後の人類はそうかも知れないですよ
何とも言えないけど
より進化するのは間違いないですよね? >>690
正しく生きていれば、怖くないです。
>>691
イエス様は神ですよ。
イエス様は、私たちを救うために、この地上に来られました。
✝だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。
あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、又メシアとなさったのです。(使徒2:36) はいまちこさん質問です
神様がバベルの塔を建造不能にしてしまったのは何故でしょうか イエスは神だと信じています、と最初に聞いたのは日本基督教団の牧師の口からでした
十字架にイエスがついているのがカトリックで、何にもない十字架だけのところがプロテスタントだということもその牧師から聞いたことです
けれど神秘主義にはまっていた頃、父なる神とイエス様が別々の存在者として語られているのを読んでいたので、長いこと引きずって苦労しました 死後の世界って完全に空想の世界だよね
丹波哲郎は臨死体験したんだっけ
でも信じるか信じないかはあなた次第だと思う
イエスも神は黄泉の国であなたを見つけて滅ぼし去るとか言ってたけど
想像つかないわー >>722
滅ぼされるのは悪い部分よ
命は永遠だから消滅しない >>723
うん、安価くれてありがとうだが
それもイメージだと思う まあ考えてて楽しいのは輪廻転生ってやつか
狐とかミジンコとかコロナウイルスとかに生まれ変わるの >>723
名無しさんではもったいないお方ですね。
出来ればお名前を入れて頂きたいですね! >>720
それは、神を信じなくても、人間はなんでもできてしまうので、人間達をバラバラに散らばされたと読みました。 >>727
すげえかまってちゃんなんですね
あーバビル2世ってそういうことだったんだ… イエス様は救われるために
色々な新しい掟
完成された律法を定められました
それはそんな実践は難しくても
理解するのはそんなに困難な話では無いと思います
しかしながら聖書の話で
奇跡とかそういった人間の能力では
理解が困難な話ばかりに陥りがちなのは
残念な事ですよね
まあ、僕は僕でやるしかない
仮に僕が教会に行ったとしても
僕が1番あまり居ないくらい
イエス様の言葉を理解できている自信はある >>728
かまってちゃんと言うより、
人間が天にも届く塔を作って、神になりかわろう
としたから、神様がちょっとお仕置きしたんだと
思います。
やり直し!って感じで。
バラバラにされて言葉も通じなくなってしまった。 >>729
それくらいイエス・キリストを理解したかは、
その人がどれだけ愛と慈しみが深いかで
判断されると思います。
なぜなら、イエス・キリストは愛だからです。
愛に生きるとき、イエス様はそばにおられるのです。
慈しみはとこしえに。 別に神に成り代わってもいいじゃない
昭和天皇は鬼畜米英に恐怖を植え付けたと思う こんばんは〜。またまた、まちこ師のスレをお借りすることをお許しください。
いろいろな方の意見を読んで、まだまだ皆様のキリスト教理解が、
プロテスタント教会での教理理解からかけ離れているのを見かけましたので、
今は大雑把に、頭ごなしの大柄な態度で掲げてみます。^^;
(後で時間をかけて個々に説明したいと思います。)
1)イエス様が神であり、かつ人であることはキリスト教会の一般の理解です。
イエス様が人であったが、神ではないと主張する教会は異端になります。
2)キリスト教の救いはイエス・キリストの十字架の贖罪の業を信じて救われるのであって、
人が修行し悟って救われるのではありません。
3)キリスト教は、人はみな生まれながらの罪人であることを認めることから出発します。
人に罪がないとの主張する人は偽り者とみなされます。
1)〜3)を見てたぶん同意できない人もいると思います。
1)〜3)の故にキリスト教を受け入れられない人もいるでしょうし、
キリスト教の修正すべき欠点だと思う人もいるでしょう。
しかし聖書の理解と、人生の中での自分や他の人々の理解が増すことで、
1)〜3)が真理であることが徐々に理解されてゆきます。
皆様が理解できるよう、時間をかけて説明させていただきたいと願っています。^^; >>733
それは、神になりかわるのではなくて、
神の、地上世界における代理という感じだと思います。 イエスも限界修行してます!
断食して幻覚見て竜王に世界の半分をやろうって言われたんだっけ >>738
幻覚じゃないですよ。
イエス様は天使も悪魔も、はっきりと
見えるのだと思います。 >>734
それは間違ってますね
イエス様は聖霊が全ての真理を授けると断言したのです
教会が全ての真理を授けるなんか言ってない
ヨハネ福音書を読んでみてください
間違いなくそのように語ってますから >>741
教会というのは、神殿ですよ。
イエス様のお体です。
ヨハネの福音書に書いてありましたね。
三日で建て直す、と。 クリスチャンが悪い訳では無くて
教会の教えが悪い訳でもなく
イエス様が逸脱しすぎてて
誰も理解できなかったところに
問題があるんじゃないでしょうかね?
そこに関しては
その人の信仰だから
あれこれ言うのはおかしいかも知れないですけど
誰のせいでも無いかもしれないから >>743
出鱈目言う前に、まちこに尋ねましょうね? イエス様は救われるには
どのように生きたらいいか
これは現実的な理解不可能なことは
何にも語っていない
そういった生き方を実践していたら
神様に選ばれて聖霊によって救われると
そのような事を言ってたのです
だからクリスチャンはイエス様の教えを守って
救いの日を待つしかないみたいな話ですよね?
人間には出来ないが神様なら何でも出来ると キリスト教では教会は神殿ではないのかな?
違っていたらすみません。 >>ピッピ
キリスト教から離れなさい ( 破滅するぞ >>746
救いを待つっていう感じではないと思います。
イエス・キリストを信じる人は、
聖霊を与えられるから、悪を離れて、
正しく生きることができるから、
それで救われるのではないでしょうか。 今日見つけた肩こりの治し方
筋肉ではなく、皮膚の方をぎゅーっとつねる >>748
グノーシスさんも、福音書をお持ちじゃないですか。 >>751
もちろん持ってますよ。 ( バルパロ訳とフランシスコ会訳、塚本虎二訳、新共同訳、 >>752
グノーシスさんは立派なクリスチャンです。
イエス・キリストは不死の王国バルベーローから
来たのですから。 >>753
クリスチャンではありませんよ ( やめましたので >>754
明るく輝くグノーシスの雲の中に光る
星々をご覧になり、言われた。
見よ、あれが、お前の星である、
お前は皆を導く希望の星なのだ、と。 幸福さんイエスを信じるって何回も言ってるけどさ、
対象があると認識するには対象を深く考察しないとだめなのよ
聖書を読まないとだめなのよ
まちこさんは名前に力があるとか言ってたっけ?
名前に力があるの?
なんであるの? 日本の選挙の方式は変だって外人が言うらしいね
あんなもんなの? 名前に力があるなら和紙さん方式でいいじゃない
何も間違ってない >>756
私は、イエス・キリストが、愛の根源の方であることを
信じているのです。 別スレで義男って人に説教したんだけど
イエスって言う言葉と愛って言う言葉は
生まれた時間も作った人も作られた目的も違うのよ
それを同一視するってのはすごい困った人だなあと思う 唯一の神に屈しなさい
イエスは預言者であり、神ではありません
神に同位者を配してはなりません >>671
いわゆる「宮清め」(神殿での暴動)のことかな?
イエスの意図は福音記者たちの神学的な眼鏡を通してしか窺い知ることができないので
断定はできませんが、イエスは動物犠牲そのものに反対していたわけではないと思います
犠牲そのものよりも、形骸化し世俗化した神殿の有様に憤ったのだと思います
共観福音書とヨハネ福音書では記述が異なりますが
「強盗の巣」とか「商売の家」といった表現にそれが見て取れます
キリスト教において動物犠牲が過去のものとなったのは
イエス自身が once and for all(この一度きりの犠牲を最後にすべての犠牲を代替する)の犠牲と
なったからで、犠牲の意義はユダヤ教からキリスト教に至るまで貫徹しています
罪があるから贖罪が成立するのです
少なくともそれが伝統的なキリスト教の考えです
イエス自身が本当に贖罪を意図していたか、ということについては分かりません
私はイエスは自分自身を第2イザヤで語られる「苦難の僕」と同一視していたと思っていますが
仮にそうだとすると、イエス自身にも贖罪の意図があったと推測されます >>762
第2イザヤ書もイザヤの書いたものではなく
複数の人の創作と編集
救われるためにイエス様の定めた掟を守ろうみたいな話は殆ど出ない
イエス様は神様であったのか?
神学から見てどうだったのか?とか
受肉とか死後の世界とか
もう結論なんか出る訳が無い
だって人間の能力では創造主を理解するのは
不可能ですからね
銀河系とか超新星爆発とか太陽の寿命に
生命の起源とかに聖書のみで立ち向かうのは無茶ですよ?
信仰とはそうではない
ただ、信じるのみだから信仰なのです
飼い主を待つペットのように
救いを信じて待つしかないのです まあ
待つというか僕は仏教も入ってるから
修行完成者になるなんですけど
それには人は何回も生まれ変わらないといけない
いきなりは悟れないですよ イエス様の定めた掟を守ってたら
何時かは救われると信じて
ユダヤ教徒が律法を守るように実践するのがクリスチャンで
受肉がどうとかイエス様は神様であったのか?
そんなことばかり終わらない議論ばかりするのが
クリスチャンであるのか?
僕は他人の信仰はよくわからないけど
そのような違和感は感じます おはようございます。
コズモさんが、説明してくださるにあたり、
私の意見をたたき台にしてください。
ひとつづついきます。
>>734
1)イエス様が神であり、かつ人であるこだとはキリスト教会の一般の理解です。
イエス様が人であったが、神ではないと主張する教会は異端になります。
人は、○○教でなく、神を感じますが、各人の体験や想像力で
神とは何かが、違っているのではないかと思われます。
たとえば、創造主だ、飛びぬけている人物であり人々の苦しみや悩みを
解決してくれる存在だ、森羅万象が神だとか。
イエスは救世の主であるのなら、飛びぬけた具体的な人物として、
神に匹敵するとされるのでしょうが、イエス自身が父と呼ばれました主とは
違うのではないかと思いますよね。
どれほど、計り知れない神のような存在だとしても、
この世での働きに目を据えた多神教になります。 おはようございます。
✝ 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。
それは、キリストが御父の栄光によって、死者の中からよみがえられたように、私たちもいのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6:4)
私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは罪のからだが滅びて、私たちが、もはや、これからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。(ローマ6:6)
もし、私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなると信じます。
キリストは死者の中から蘇って、もはや死ぬことはなく、死は、もはやキリストを支配しないことに、私たちは知っています。
(ローマ6:8)
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリストにあって生きた者だと思いなさい。(ローマ6:11)
罪から来る報酬は死です。
しかし賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)
私たちの兄弟達よ。
それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。
それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
(ローマ7:4)
こういうわけで、今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ8〜1)
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したのです。(ローマ8:2)
☆ローマ8:2に、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理、、、と書いてありますが、この御霊の原理が働くのは、イエス・キリストを信じてイエスキリストに入っている者だけに働くのです。
イエス・キリストに入っている者とは、イエス・キリストをあなたの主とし、みことばを信じて告白している者だけです。 >>766
>この世の人は、何回も生まれ変わらなければいけない。
☆イエス様を主としたら、永遠に主と共に生きることは知っています。
だから、永遠の命を持つ、とイエス様は仰っています。 不可知なことばかり話し合っても結論は出ないと思います
超新星爆発に太陽の寿命
生命の進化に聖書のみで立ち向かうのは無謀でしょう?
しかし、汝の敵を愛せというのは実践は難しいけど
理解は可能だし現実の話をしてると思います
やれることをやるほうが地に足着いてると思いますよ
弟子たちも誰が1番に救いに近いのか?議論していて
イエス様が叱る場面ありますよね >>768
2)キリスト教の救いはイエス・キリストの十字架の贖罪の業を信じて救われるのであって、
人が修行し悟って救われるのではありません。
贖罪の業を信じるとはどういうことですか?
赤ちゃん動物の犠牲の延長で、罪のない者に罪を被せ続けて、
2000年ですか?
そのような事をして、自分に罪穢れがなくなったと身勝手な事を
どうして思えるのですか?
ユダヤ教の、原罪の奴隷からの解放ならわかりますが。
外見で戒めていく、形の律法主義を修行と考えるなら、
悟りとは別です。 キリスト教@質問箱
424ふぃりぽ ◆7dBIFY.Wqw 2020/05/05(火) 16:42:59.28ID:ra6FeE6F >425
>423
> イエスは、寿命が尽きたら繰り返し胎に入る輪廻転生を、否定していると思う。
ヘブル人への手紙/ 09章
27節
そして、一度だけ死ぬことと、
死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
28節
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、
一度だけご自身をささげられた後、
彼を待ち望んでいる人々に、
罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会
福音書のイエスだけでなく、ヘブル人への手紙の著者も輪廻転生を否定している。
425ふぃりぽ ◆7dBIFY.Wqw 2020/05/05(火) 16:45:41.97ID:ra6FeE6F
>424
> 罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。
「イエスの再臨」による生きている信者への救いの事を言っているわけですね。 本日の「毎日のミサ」から
日ごとの福音 四旬節 第2木曜日 任意 聖カシミロ
ttps://www.higotonofukuin.org/spip.php?page=quotidien&date=2021-03-04
第一朗読 エレミヤ17・5-10
それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。
答唱詩編 詩編1・1ac+2、3
流れのほとりの木のように、神に従う人は実を結ぶ。
詠唱 ルカ8・15
よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。
福音朗読 ルカ16・19-31
お前は生きている間に良いものをもらっていたが、
ラザロは反対に悪いものをもらっていた。
信仰の糧... 今日のために! カトリック教会より よくわからないけど不可知な
人間の能力で理解できない
犬や猫に聖書が理解できるのか?
我々も理解できてないのに
そんなことはいいから
有限な限られた人生
イエス様は正しい生き方をしなさいと
実践可能な掟しか定められてないと思います
それを信じて守るのがクリスチャンですよ
もとはユダヤ教徒ですからね
掟は守るべきです ローマの信徒への手紙 13章
8節 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。
人を愛する者は、律法を全うしているのです。
9節 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、
そのほかどんな掟があっても、
「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
10節 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会 >>773
3)キリスト教は、人はみな生まれながらの罪人であることを認めることから出発します。
人に罪がないとの主張する人は偽り者とみなされます。
それは、イエスの教えではありません。
原罪はないとされたからです。
自罪に苦しむのなら、完璧でない自分、どうしようもない自分を
頭をたれるようにして直視し、自分が出来る事を神に祈りながら=元気を頂いて
生きるしかありません。
信仰は支えになります。
けれど、自分の課題=自分の十字架は、誰も替わってくれません。
まったく個性的なものです。
だからこその、信仰であり、祈りであり、イエスの示した光の道を
羅針盤にして、各人が気持ちを切り替えて、歩むのです。 僕はイエス様の言葉より
弟子たちの言葉を優先するのがよくわからないんですけどね
聖書は全て神様の言葉とか言いますけど
明らかな優先順位はあるように感じます マルコによる福音書/ 12章
29節 イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、
『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
30節 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。
31節 第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これより大事ないましめは、ほかにない」。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会
マタイによる福音書/ 19章
17節 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。
よいかたはただひとりだけである。
もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
18節 彼は言った、「どのいましめですか」。
イエスは言われた、
「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
19節 父と母とを敬え』。
また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 教会の教えよりことさんの考え方が正しいと思うなら、教会の外へ出てなさい >>780
僕はそこに関しては異論があるんですよね
イエス様は弟子たちを試すために
捕らえられた
弟子たちはみな逃げ出しましたよね?
イエス様の説く隣人愛と弟子たちの想像する隣人愛は違う訳です マタイによる福音書/ 16章 21節
このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、
長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会
ルカによる福音書/ 16章
29節 アブラハムは言った、
『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
30節 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、
もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、
彼らは悔い改めるでしょう』。
31節 アブラハムは言った、
『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、
死人の中からよみがえってくる者があっても、
彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 ヨハネによる福音書/ 21章
17節 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、
悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。
わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18節 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、
行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、
他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
19節 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、
イエスはこう言われたのである。このように話してから、
ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会
ヨハネによる福音書/ 13章 14節
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、
あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。
新共同訳 口語訳 日本聖書協会
ヨハネによる福音書/ 13章 34節
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会 キリスト教@質問箱280
948ふぃりぽ ◆7dBIFY.Wqw 2021/02/03(水) 09:23:52.68ID:UbLSeIgC
>933
>> 3.イエスの十字架は、原罪を贖罪、神の国を保証。
福音書に、愛として、贖罪として
イエスは身代金として命を献げに来たとあります。
ヨハネによる福音書/ 15章 13節
友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。
マルコによる福音書/ 10章 45節
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献げるために来たのである。」
コリントの信徒への手紙一/ 07章 23節
あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。
人の奴隷となってはいけません。
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会 確かに弟子たちは変わったのでしょう
別に異論は無いです
でも、このスレ
受肉とか神学とか死後の世界とか
そういった議論は多いですよね
地に足が着いた信仰とは思えませんよね
個人的にはですけど
イエス様の語る隣人愛は深すぎて
一般人には理解は不可能なんじゃないですかね? >>782
> イエス様は弟子たちを試すために
> 捕らえられた
>>784 に、あるように、十字架の死は、復活の為に必要で、
また、復活によってモーセと預言者の戒めを証明しています。
また、>>786 に、あるように、十字架にかかった意味は、
愛として、贖罪として イエスは身代金として命を献げに来た
という意味なのです。
> イエス様の説く隣人愛と弟子たちの想像する隣人愛は違う訳です
そして、>>785 に、あるように
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
と、イエスは弟子たちに教えを説いて、愛の理解をすすめています。 まちこさん、愛の定義がわりと曖昧だなーと思いますがそれはさておき
キリスト教においては愛と神どちらが率先されるでしょうか?
愛があれば神はいらない? 聖書には、人生の色々なテーマお題というのがあります。
その一つに、父と子との関係があります。
たとえば、隣人愛の一つで「父母を敬え」という掟があります。
ユダヤ人にとって神様は、父であり、お頭であり、ご主人さまです。
それで、神様を父と見立てて、
助けて貰う時には祈りをし、助かったら感謝として讃美するという、
そういった愛する行動を、子である信者は取ります。
父としても、子を助けたら、子から感謝されると嬉しいでしょうし、
親子の愛情が沸くというものです。
教会だと、神父様も教会にあって「父」なので、
教会にいる信者である「子」たちを、愛をもって指導する事でしょう。
一応、建前を言っているのであって、現実は違うかもしれませんが。 >>789
愛は神様からしか来ません。
神を愛して、愛があらわれるのです。
なぜなら、神は愛だからです。 確かにイエスは世に愛を現しました
しかしその事が逆に『神』を『愛』の下位互換にしてしまっていると感じるのは私だけでしょうか?
このままではユダヤ教ではなく愛教になってしまいます >>762
聖書の イエスの言葉が全て
イエスの本当に 言った言葉では
ござんせん。
その辺になってくると もう
イエスの本当に言った言葉では
ござんせん。
しかし よく こんな 偏差値40以下の
宗教板で 会話とか
出来るものですね
それ自体が私には 不思議でして。 皆様 働きなさい。コールセンターでも行って働きなさい❗ >>792
神の御心が「愛」なんです。
神は預言者を通じて律法を与えたり、
神のひとり子が地上に降りると、
全人類を罪から救う愛になります。
私たちは、主なる神を信じて
神のひとり子のみわざに悔い改めて感謝し、
私たちもまた、御心のうちにあるように
主を信じ、主を愛し、隣り人を愛するんです。
それが御心にかなっているがゆえに、
私たちは救われるのです。 >>799
こんにちは、幸福さん。
いつもフォロー。ありがとうございます。 宮清めについて『ナザレのイエス』ラッツィンガー名誉教皇 著のいずれかで言及されていましたが、意外にもあの行動は正しいのですって
だから偉い人たちは何も言えず、むしろ代わりにやってくれて助かったくらいの出来事だったらしいです
お偉い方々が問題としたのはイエスの神殿崩壊の予告だそうです キリスト教は色々な種類の秘議や密教や色々な本能とか
生け贄とか、禁欲主義とか、二つのような世界を解く哲学とか光と闇の対決とか、
現実世界に対する批判とか
普通の生きることの没落とか神様無しで生きることの没落とか
の小さな現象とかも全て取り入れた。
それとキリスト教は
ライバルだったミトラ教に対して
実際は内容を取り入れてしまって
ミトラ教を圧倒的に倒すことで
キリスト教はミトラ教を克服した。
キリスト教がこういうようになったのは
歴史に起源があります。
つまりそれは キリスト教が直接に
ユダヤ教から生まれたことによるものなのです。
キリスト教のは全て分析すると
何れも ユダヤ的なものばかりです。 >>800
まちこさん、こんにちは!
間違っていませんでしたでしょうか? イザヤ書の後半はイザヤの弟子グループが書いたそうですよ イザヤが生前、遺しておいたものをもとに弟子たちが書き起こしたのかもしれませんね >>803
いえいえ、神の教えを守ることが神から愛されることなので、私たちに愛が確立されます。 >>788
ふぃりぽさんの言いたいことはわかります
非常に理解はできるのですけど
それを完全に理解するには神様の技では無いですか?
人間には真似は出来無い
ふぃりぽさんの信仰はそれを信じてるんだから立派だと思います それでも僕は
そういった人間の能力を大きく超えたことを考察するなら
それだけで一生そんなことの繰り返しですよ
それよりも出来ることをやっていく
隣人愛のみに生きるならそれもいいです
そういった出来ることをやっていくのが
地に足が着いた信仰のように感じますよね
人生は有限ですからね >>807
和紙さん、ありがとうございます。
キリスト教的には、
聖霊によってとか、聖霊に満たされて、
聖書勉強会の集会などで、ある聖句を理解したり、参加者に読み解き、
また、
願いを祈ったり(祈願や祝祷などしたり)、感謝の祈り(讃美)を捧げるのです。
そして比喩的ですが、
神にささげている、その熱心な祈りを、
立ち上る香(こう)に、なぞらえたりします。 >>809
> 立ち上る香(こう)に、なぞらえたりします。
ヨハネの黙示録/ 05章 08節
巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、
おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。
この香は聖徒の祈である。
ヨハネの黙示録/ 08章 04節
香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 >>808
和紙さん、人生は有限です。
無限の神との約束を破った、
有限のアダムは、自分では、破った罪をつぐなえないのです。
( ヘブライ語で「アダム」という単語は「人間」という意味 )
それで、無限の神としての永遠の命を持った、
人間の肉として現れた、神の御子キリスト・イエス、の十字架の死をもって、
人間の原罪をつぐなったのです。
父なる神が、神の子を犠牲にして、人間を救ったとして、
それを、神の愛といっています。 >>811
> 有限のアダムは、自分では、破った罪をつぐなえないのです。
聖書は、アダムの破った罪、それを、責めて不利におとしいれる証書と表現しています。
> 人間の肉として現れた、神の御子キリスト・イエス、の十字架の死をもって、
ヨハネによる福音書/ 01章 14節
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父のひとり子としての栄光であって、
めぐみとまこととに満ちていた。
コロサイ人への手紙/ 02章 14節
神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、
その規定もろともぬり消し、
これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 プロテスタント福音派教会の入信時のカタチを紹介します。
イラスト 早わかり聖書ガイドブック フォレストブックス
定価(本体一五〇〇円+税)
p320
神に手紙を書きましょう
愛する神様
私は、あなたが私のことをとても愛してくだ
さっていることを信じます。私は、イエス・キ
リストが私の救い主として、私のために死んで
くださったことを信じます。私は罪を犯してき
ました。神様、ごめんなさい。でも私は、イエ
ス様が死んでくださったので、あなたが私の罪
を赦してくださったことを知っています。
そして、私があなたの家族の一員であること
も知っています。私は、イエス様が私の救い主
であると信じます。
神様、ほんとうにありがとう。
愛をこめて
______________年__月__日
_____________________
もしあなたが神の家族の一員なら、ここにサ
インをしてください。 プロテスタント福音派教会の入信時のカタチを紹介します。
信仰生活の基本(全10課)アフター・バプテスマ・クラス(ABC)
日本同盟キリスト教団牧師 広瀬 薫
ttps://www.imcj.org/bible/abc/index.html
第1課 私達の救いについて
ttps://www.imcj.org/bible/abc/l1.html
※決心の祈りの例
天の父なる神様。私は、罪人です。
今まであなたに背を向けて、
自分勝手に生きてきましたことを赦して下さい。
私は、今、そんな私の罪を身代りに負って、十字架にかかり、
そして三日目に復活して下さったイエス様を、
私の救い主、また人生の主として、心にお迎え致します。
どうぞ私の全ての罪を赦して下さい。
また、私を罪から解放して、
イエス様にある新しい人生を私の生活の中に実現して下さい。
イエス様の救いを感謝致します。
このお祈りを、
救い主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。 旦那様はキリスト教に対して体験として真実性や道徳に対する経験はしているけれど
キリスト教的な内容とか客観的な行いとか
キリスト教的な権威とか云うものは旦那様には幼い頃から現実性を持つものではなかった。
アトになって 棄てないといけない物語さえもなかった。
信仰内容とか教義とかでの意味でのキリスト教は旦那様には初めから縁はなかった。
象徴を借りて表現された人間的な真理という意味でのキリスト教を肯定するにしか過ぎない。
キリスト教の教理は人間の心の根本的な真理を
表現しているにしか過ぎないというように。 ふぃりぽさんは福音派なんですね
ちょっと引くくらい熱い信仰をお持ちの方なんですね
5ちゃんにそんな方が居るとは知りませんでした
ちょっとびっくりしました >>813
少し違和感がありますので、修正しました。
私を愛してくださる神様へ
私は、あなたが私のことをとても愛してくだ
さっていることを信じます。私は、イエス・キ
リストが私の救い主として、私の罪を赦して
くださったことを信じます。私は罪を犯してき
ました。神様、ごめんなさい。でも私は、イエ
ス様が十字架を背負われたように、私もまた、
自分の十字架を背負ってあなたについていきます。
そして、私があなたの家族の一員でありたいと
願っています。私は、イエス様が私の救い主
であると信じます。
神様、ほんとうにありがとう。
御心のうちにあって光の中を生きていきます。
______________年__月__日
_____________________
もしあなたが神の家族の一員なら、ここにサ
インをしてください。 >>804
いえいえ
反対ですよ✨
第一イザヤ書は前八世紀以前のイザヤが書いたものではないようですが
後半の
第2イザヤ書と第3イザヤ書も
著者は
不明だとされていますの。 それと
第2イザヤ書の
「苦難の僕」とは誰か?キリスト教教会では勿論 イエスとしますが
注解書には
苦難の僕とは
イエスではなく イスラエルのことか
或いは
イザヤが書いたのでは無いけども、苦難の僕とはイザヤのことか。
なのです。 >>814
こちらも違和感がありましたので、修正しました。
※決心の祈りの例
天の父なる神様。私は、罪ある者です。
今まであなたに背を向けて、
自分勝手に生きてきましたことを赦して下さい。
私は、今、そんな私の罪によって、十字架にかかり、
そして三日目に復活して下さったイエス様を、
私の救い主、また人生の主として、心にお迎え致します。
どうぞ私の罪をお赦し下さい。
また、私がいつもイエス様とともにあって、
御心のうちにある新しい人生を私の生活の中に実現して下さい。
イエス様の救いに心より感謝致します。
このお祈りを、
救い主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。 ちなみに僕はどこかの宗教団体に属する気は無いですね
田舎ですから
東京ならキリスト教会に行ったら多数いるんでしょうけど
田舎だから創価学会が最大勢力くらいじゃないですか?
そのようなわずわらしい人間関係に自ら進んで関わる気は無いですね
一人が好きなんですよね
一人で居る平安が好きなんです
ふぃりぽさんには悪いですけど 僕は隣人愛というのは
歩くのにも困難な年寄りを助けてあげる
そういうのを隣人愛というと思うんですよね
福音派にスカウトするというのは何か違う気するんですよね
それで救ってあげたいみたいな気持ちはあるのかも知れないけど
隣人愛というのは喉が乾いた時に出してくれる一杯の水だと思う
何か違う気はします >>822
罪を犯し、そして罪を赦された人にしか
分からない境地はあると思います。
パウロとか。
はらはらと流す涙に、神に罪を赦された
自分であるならば、
残りの人生、神を愛し、そして自分を愛するように
人を愛していこうと思うのでしょう。 >>823
それはいいんじゃないですか?
僕はイエス様の説く隣人愛は
ズバリ進化だと思います
人類がより知性も感情も豊かになって
非常に気が利く
他人や周囲の人達に同情できる
そんな人は生きてたら居ますよね?
社長になるタイプというか
面倒見が良い人
まあ、そういったことの積み重ねでしょう >>822
和紙さん、そのこころ救われますよ。
マルコによる福音書/ 09章 41節
だれでも、キリストについている者だというので、
あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、
よく言っておくが、
決してその報いからもれることはないであろう。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 まあ
人類は進化する
それは神様の意思で
それまで疑う人達なんか居ないように思います
あと万年規模かかろうと
僕にとってはそれは嬉しいことかも知れない
だって
これで終わりならくだらないですよ
みんな出しきってない
エゴだらけの人類ですからね >>821
わたしも一人でいる方が安心しますね。
福音派の信仰の型を紹介しているので、
必ずその教会に入信しなさいという訳ではないです。
回心の手紙を紹介したが為に、
入信の強要に誤解させたのであれば、
お詫びします。 >>827
すみませんけど
僕にとっての救いとは
今日明日の話では無いのです
二千年でこれなら万年規模の話になる
そういった確信があるのです
イエス様が語ってた
かの日とはとんでもなく先の話をしてたのだなと
科学が進めば進むほど
クリスチャンも覚悟しないといけないんじゃないですかね?
生まれ変わりはあると思います >>817 と >>820 それと >>823 幸福の科学信者さんらしいですね。 >>812
コロサイ2:14は、律法違反と、違反した場合のイケニエによるつぐない、
或いは罪祭の、あがないの規定を指すとも言えます。
律法違反は、呪われるという報い、或いは不幸が起こるという、
神による罰が伴うので、
その不利な律法の規定もろとも、十字架につけて無効にしたんです。
つまり、律法の呪いを十字架につけて、呪いを解いた聖句の箇所に、
同じ理解が並行していると思います。
ガラテヤ人への手紙/ 03章
10節 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。
「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、
これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。
13節 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、
わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。
聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
新約聖書 口語訳 日本聖書協会 >>829
イエス様が贖って下さったから、
未来永劫、全ての罪から解放された、
もう何しても大丈夫、などとは思いませんし、
罪人という言い方はあまり好きではありません。
病人という人種がいないように、
罪人ではなく、罪ある者、です。
せっかくふぃりぽさんが引用して下さったのですが、
どうにも気になるので修正しちゃいました。。。 >>798
神の愛と人の愛をはっきり分けたのですね
私は愛に愛以外の意味を一切認めませんが
私が小学生の頃漫画で知ったのですが
ヨナのような経験をした少女が居たそうです
彼女はなんかの理由で海のど真ん中に溺れてしまったそうです
しかし、イルカの背に揺られ何日も海を漂流した後、命を救われたのだそうです
この事実をどう受け止めるでしょう
私は一切神の愛など感じません
これはイルカの愛です >>833
イルカの愛であって、神の愛でしょうね。
不思議な救いは、神の御心であることが多いと
思います。
玄奘三蔵も、インドに経典を求めて旅する途中、
砂漠で死にかけましたが、ラクダが道を覚えていた
みたいで、ラクダに導かれて命拾いしたといいます。 なんか燃料でも投下します?
幸福氏、まちこ教において人の愛は存在しないのです
良い物は全て神から来るのです
預言者の預言は神から来ていて、人としての才覚など何も無く、ただ神にのみ感謝するのだと言っていました >>836
大丈夫です。
日差しが徐々に強くなってきているので、これから積雪量は減ってゆくと思います。
春が一歩ずつ近づいてますね。 >>837
まちこさんは優しいですよ。
柴犬に5年かけて、おすわりを教えたみたいですし。
よく吠える犬だけど、とても可愛いって
おっしゃってました。 >>838
春はいいですね。
暖かくて、花が咲いてきて、生命が躍動します。 ・エクセレント美魔女さん → 元気
・主なる暇人さん → 人事不省
・愛の予言者ナルミさん → 投身自殺
・ひとりぽっちのピッピ → 自殺念慮
※ グノーシス派関係者で元気なのは美魔女さんだけになりました。
== 日本の神々に祈ります ==
日本国大和民族の宝である美魔女さんを守り給いますように >>840
こちら(北海道旭川市)の三月は美しいです。
日中の気温がプラス気温になって日の光が強くなり雪景色の街の空気は穏やかに澄み渡ります。
それは「光の春」とでもいうべき喜びに満ちた季節の到来なのです。
花の季節は五月まで待たなくてはなりません。 >>842
積もった雪はもう何年も見てないですね。
北の大地は、冬は厳しいですが、
大自然は美しいのでしょう。
日中にやっとプラス温度になるのは驚異です。
こちらは最低気温がマイナスにいくかいかないか
ですので。 >>833
✝愛は神から出るもので、愛するものは皆、神から生まれ、神を知っているからです。
愛することのないものは神を知りません。
(第一ヨハネ4-7) >>845
無いわけないです
鎖国中の日本に愛が無く
終戦後アメリカから高い香辛料のごとく
愛が届いたみたいな言い方はやめてもらいたい >>846
神に繋がっているという意味ではなく、
愛がある人は、神がおられることを知っていると思います。 >>847
動物の愛は、幸福さんが仰ったように、その方に神が働いていると思われます。 神が、地上のものを創られたので、それらのものに愛があるはずです。 こんばんは。
神が鉱物、動植物も人間もつくったので、愛の性質=神の霊を持っているけれど、
何かの原因で、それが開花できない事があり、
それを病というのだと思います。
何かの原因は、人さまざまだけれど、イエスはそれを治す特効薬として、
神への愛、隣人への愛を実践しなさいと言われたのです。
愛されていないと感じて、開花できないのではなく、
愛されていないに、意識を持って行くのでなく、そんなことはもう置いておいて、
自分が愛する方へ立ち位置を変えることで、一瞬にしてその薬は効くのだと
言われているのです。
その立場を変えられない、愛されていないに執着することが
罪の連鎖を引き起こし、闇に入ってしまう。
けれど、神への愛、隣人への愛と言いましても、自分の損得や相互依存ではなく、
そのような外的な方法でなく、病を治すのは、根本治療であり
それができなければ、勘違いによりもっと悪くなり、
救いようがなくなると、警告されています。 >>850
加害者なのに被害者のように、話を作り変えてしまう等、
話をすりかえ、いいがかりをするチンピラは、もう気狂いの重症であり、
医者であるイエスの特効薬が、無効化されて悪化しています。
この薬は、物質でないし、重症化するほど取り返しがつかなくなり、
効き難くなるのでしょう。
それぞれ原因があったとしても、柔軟な若いうちというのも、
効きめと関係していると思います。 おはようございます。
✝ なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したのです。(ローマ8:2)
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして御子と一緒にすべてのものを私たちに望んでくださらないことがありましょうか。(ローマ8:32)
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:37)
大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ12:5)
コリントにある神の教会へ。
すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。
主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。(第一コリント1:2) まちこと こと はシャロンたそに謝罪しろ!わかったか!!!!! 本日の「毎日のミサ」
日ごとの福音 四旬節 第2金曜日
ttps://www.higotonofukuin.org/spip.php?page=quotidien&date=2021-03-05
第一朗読 創世記37・3-4、12-13a、17b-28
弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。
答唱詩編 詩編30・2b+4、11+12
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。
詠唱 ヨハネ3・16
神はひとり子をお与えになるほど、世を愛してくださった。
神を信じる人は永遠の命に生きる。
福音朗読 マタイ21・33-43、45-46
これは跡取りだ。
さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。
信仰の糧... 今日のために! カトリック教会より >>857
またシャロンさんは、変なことを言っているのですか?
すべて明らかにするので、シャロンさんが何を話したか、ここに貼り付けてください。 だから、ことさん、今朝、
>>852で言っていたのですね。 変なのはお前だろまちこ君
謝罪すれば済む話だ
それだけだ俺の言いたいことわ!
じゃあな! >>861
だから、彼女が何を言ったか、ここに貼り付けてください。
ことの様子は、みなさんご存知です。
知らないのはあなただけです。 ロゼさん、こんにちは。
私は、キリスト教スレでは、あなたを知らなかったのですが、
仏教スレに以前からおられたの? シャロンさんとロゼさんのやり取りは野の花スレでずっと見てました
シャロンさんはロゼさんの悩みを一日中親身になって
まるで母親のように聞いてあげていたようです
ロゼさんは何かシャロンさんに恩返しをしたかったのでしょうか
よくわかりません >>864
そうだったのですか。
シャロンさんは、彼女を味方してくれる仲間が欲しかったのだと思います。
ロゼさんもことの成り行きが分かれば、落ち着くでしょう。 自分に自信が無いと、どうしても人間を頼るようになってしまいます。
まだ、シャロンさんは、そこが弱いのだと思います。
早く神様に頼れるように祈ります。 561ロゼ ◆s8LBHeL.io 2021/03/05(金) 13:31:52.59ID:k0GIagQs>>563
シャロンごめん。癒しスレでシャロンに謝罪しろと言って暴れてしまった。ごめん
563シャロン2021/03/05(金) 13:50:56.24ID:hUewiVIG
>561
うん、お酒のせいね^^;)
あの人達には何を言てもダメ。
黒い牧師の噂のあるへー○の受け売りをしないで、と何回言っても悪口で片付けて
逆恨みをしているのよ。何を言うか分からないから相手をしないで、あなたが傷つくだけ。
◆ 今見たら、こんな事を言っていました。 ヨハネ福音書には
世に属する
世に属さない
しかもこれは最後まで付いてきた弟子たちの前で語った言葉です
イエス様と創造主の関係のように一つに
弟子たちにも一つになってほしい
僕は凄く凄く
重要な言葉に聞こえる
というかキリスト教の救いの全てだと思います
これを聖書に書いてある
この言葉を世界中のクリスチャンの数億人が読んで
何も感じてないのか?
重要視していないのが残念というか
悟るということを知らないんですよね >>869
クリスチャンは、一つになっていますよ。
異なる教派のクリスチャンが集まっても、みんなで、ハレルヤ!とか、主を褒め称えます!と一緒になって喜びます。 >>870
それはたぶん知らないのでしょうね
知ってたらイエス様が言いたい意味がわかるから
知ってるなら宇宙に行けば誰でも浮くと断言する
疑うなら知らないからです
行ったことが無いからです
そこは世の中の人間の殆どです
悟ることは神様の選別だと思う
残念な限りです 聖書の言葉が直接にリアルを持ってるのに対し
哲学の言葉とは 概念の追考に過ぎません。
キリスト教に於ける神の現象を哲学は発見することはなかった。
なので、
哲学よりも信仰は常に優位な立場なのです。 私を見た者は父を見たのだ
キリスト教における真理の全てですよね
本当に値打ちがあることにはみんな気付かない
神の国はどこにあるともいえない >>867
毎度のパターン。
ご自分の言動が無茶苦茶で責任が持てなくて、
その場その場の誤魔化しになると、
突然、ヘーゲン氏を出して、すり替える。
聞いている者に錯覚を与える。
イエスキリストに対しても、ある意味ほぼ同じで、
ご自分のおかしさを、誤魔化すために利用する。
何年、これを繰り返したら、気が休まるのかな。
ご自分の問題に向き合えるのかな。 >>872
なのですから
進化論、大自然の慈しみ好き好き症候群の
唯物論哲学の旦那様は悔い改められますように❇
聖書のに語りかけの言葉の意義とは
人間を召する力を持ってるのでしゅ
聖書の言葉の三様態の第三は
啓示する言葉なのです。
つまり
イエスキリストが人間世界に 現象として入ってきた言葉
それが つまり 神自身なのであったのでしゅ。
科学、進化論、唯物論哲学、大自然好き好き症候群の、日本に生まれて良かった日本人最高主義の旦那様は
空論の旦那様は悔い改められますように❇
旦那様は本間に大学行ったん?値打ち無いし
素人やん。 >>869
>受け売りをしないで
ほんとに、こういう言い回しで悪印象操作することだけに
長けているのですが、内容もないし、おばさん以上の対話もできない。
その場その場で、お愛想と、悪口、皮肉だけで、人間関係をつくってくれば、
近所の3メートル以内だと、家族に保護されつつなんとかなっても、
もう少し広がった社会関係性になると、通用しないしトラブルおばさんになります。
和紙さんが言われますように、みんなひとつに成れたら、いいのですが、
イエスキリストとか以前に、何かよくわかりません、シャロンさんに関しては。 >>877
クリスチャンは、神様についているから、安心なんですけどね。 スレタイは良いのですがね
ロゼ氏が5chで平安を得られればよいのですが >>876
・・・だ、旦那様、振られたの?
"失って 初めて知った 素敵さを 貴女(きみ)の面影 求めて彷徨い"
(・・・の心の一句?)
・・・どうでもいいけど。
ただの独り言 わたしを見た者は父を見たのだ
本当に値打ちのある聖書の言葉には
何故か世界中の億単位のクリスチャンは反応しない
これに関しては僕は戦いは万年規模だと覚悟せざるを得ない
孤独な戦いは続きます
でもまあいいかも知れない
それはリアルの人達の中には本当に酷い人達は居ますからね 天の、おとうさま。
日々の守りに感謝します。
み心でしたなら、願いを叶えて下さい。
どうか、憐れんで下さい。
主・イエス・キリストの、み名によって。
アーメン。
ttps://previews.123rf.com/images/vladj55/vladj551202/vladj55120200554/12227944-キリスト聖パントクラトール。大聖堂、チェファルーのチェファルー、シチリア島、南イタリアのローマ-カトリック教会。.jpg >>877
本当は一つだと思いますよ
本当に才能というか素質が無いなら人間にすら生まれない
僕はそのように考えてます
一つに感じれないのは
自覚が無いから
じゃあないとイエス様も説得はしないです イエス様の弟子たちはあの時代でも
選りすぐりの善人でしょうね
ヨハネ福音書とかイエス様が語った意味がわからなくても
そのままを書いてると思いますからね
イエス様の死刑が見世物だった時代に
心が汚れてない純粋な
だからこそイエス様も救いたかったんでしょうね 当スレの皆様に、真面目な話です。
既に御存じとは申し上げますが、
ローマ・カトリック教会なら「カトリック教会のカテキズム」で、
英語圏の改革派教会なら「ウェストミンスター信仰基準」で、学んで下さい。
【 教派 信仰告白 信仰基準 信仰問答 信条 】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1587793418/342n
こちらは、教会の教えではなく、聖句に基づく私的考察の紹介です。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1603657684/584n キリスト教は神様と人との関係ですよ?
人と人との関係ならイエス様の復活は無かった
神様と知り合いなら何の心配も要らないではないですか?
ましてや神様と一つなら
それは永遠の幸福を保証される
僕はそのように考えます >>890
あるけど
辞めましたね
だって僕は直接に神様から
教えを授かれてたからです
5ちゃんだって一緒ですよ
誰も僕が言いたいことを理解できない
ふぃりぽさんは
イエス様が
私を見た者は父を見たのだ
それをどのように解釈してるのですか?
何故にイエス様の言葉より
教会の言葉を優先順位で上にするのか?
それは意味がわからないですね
僕には みなさんは水を飲んで
それをコーラであるとか
甘いとか辛いとか表現しないですよね?
水だから水なんだとそのままを伝えますよね?
イエス様は
私を見た者は父を見たのだ
それは僕はそのままをありのままを伝えてると解釈してるんです
それを甘いだとか辛いだとか
誤ったことを伝えたい
それで知った風を装いたい
先生と呼ばれたい
そんな神様と離れた世俗的な事柄に意味があるとは
僕は思えないんですよね >>892
和紙氏の精霊と一つになったという発言も
相当胡散臭いぞ ユダヤの神ヤハウェを父と仰ぎ、御子キリスト・イエスの名によって祈りをなす。
それがキリスト教です。
ユダヤの神様とは、契約によって、神様の民族として教会の信者になります。
まず、信仰告白して洗礼を受け、契約のパンとブドウの杯を頂きます。
日本の神仏とか、中国の儒教とか、朝鮮の巫檀とか、放棄しなければなりません。
ユダヤの神様は、自分以外を神様とするのを、偶像崇拝として嫌われます。
最低限、知っておかなければ、ならない事は、教会の勉強会で教わるものです。
教会に通っていないとなれば、教会が教える書物から、勉強をする事になります。
祈り方も教わります。聖書の読み方も教わります。
教会の人脈につながるとは、教会の頭であるイエス様の、肢体になる為なのです。
日本人は聖書を読むが、教会を通してユダヤの神様につながらないで、信者と偽る。
そういった意味で、殆どの日本人は理解がないし、神様に失礼だと、思います。 いい
胡散臭くて
僕は僕が救われたくてやってますから
ふんじゃいさんは自分が救われることをやってください 本当の信仰とは極端な方へ持つことを否定します。
神とは 色々なそれぞれの思い方があり、大きく分けて二つあり、一つは万人的に「空を見上げて 自然を見上げて 生きてるって不思議だな。生きてるって神秘だな。キリスト教ではない一般的な神様って存在するよねきっと」
という感じ、
またもうひとつの面はキリスト教であり
人間が神となった。というキリストの神です。
しかし
万人にとって値するのは自分の心で純粋に素直に 例えば生命の不思議を感じ神様って居る。という立場です。
なので、キリスト教の一方的な全面的な神様って極端な方向なのです。
聖書の解釈とは全ての時代で 思考が挑発されてきました。
教会により 神人とされ全ての理解が歪められ統一されてしまいました。
教会信仰の制限内で置かれた訳です。
なので、人間が神となった。というキリスト教教会の神学のドグマは
聖書からの 脱線なのです。
それと キリスト教の立場からすると
新しい契約により古い契約が成就した訳ですが
私から見たら
新約聖書は
旧約聖書からの
脱線なのです。
皆様
天才の私を信じなさい❗
でわ、焼き肉大盛り >>891
和紙さんの答えを残念に思います。私は教会から遠のいています。 >>896
今回のコピペは面白かったです
ありがとう >>894
ユダヤ教徒はそんな性格はしてないですよ
黒いものは黒い
そのままを伝えるのを好む性格してますよ
イエス様が自身を肉に例えたらブチ切れてましたよね? みんな文章が長いですよ
聖書のユダヤ教徒はそんな性格はしてないと思います
僕も実際にそんな物事はハッキリ言う性格はしてます >>899
キリスト教の話をしています。ユダヤ教徒の話ではありません。 文章が無駄に長いとか
暇人さんとかもギリシャ語持ちだしたり
本当は自信が無いからじゃないですか?
本当に自信があるならそんな長い文章にはならないですよ
極端な話
イエス様のように
私は救われてるでいい >>900
なぜ、ユダヤ人に帰化しないのですか?キリスト教を否定するのに? >>901
イエス様はユダヤ教徒ですよ?
しかも聖書の始まりに血統図まで書いてある
ガチガチのユダヤ教徒です
勘弁してください
我々みたいな異教徒では無いですよ >>903
それはユダヤ教徒になるより
創造主に認められるほうが遥かに上ですから >>895
私は中国道教、万古の道をゆく
自らの死体を太陽と月、地面に変え
人々の喜ぶ様を妄想して死んでゆくのだよ >>904
イエスはユダヤ教徒じゃねぇよ。
だからユダヤ教徒に殺されたのだよ。 僕は長谷川さんも言ってましたけど
聖職者では無い
洗礼を受けたクリスチャンでも無い
だからサロメさんのいうようにメンヘラポジションでいいです
僕は僕が救われたいからやってるだけで
本当にどうでもいいです
何となく川の流れを見るようにスレを見てるだけです
僕は川の中の様子見たりが好きなんです
ナマズいるなあ〜とか
何となくです 和紙よ、神様はギリシア語で喋っているんだぞ
日本語なんて通じんぞ
まちこなんてお手すらできんのだぞ >>898
ビックリした。コピペなんて出てきません❗
大学院卒の博士課程の人から 全て教わったのにそんなものは出てきません。似てる単語や用語は出てきますが。
また 旦那様が 鬼の首を取ろうと必死に探すじゃないかあ!
知恵遅れの寝区座みたいにアホだから >>911
少しやったけど、今は、いい。
むしろ、アメリカから来ているCDを聞いている方が勉強になる。 当たり前じゃないですか?
僕は5ちゃんであなたくらい立派な信仰は居ないとか認められたい
そんな世間体とか匿名で気にする馬鹿は居ないですよ
そんなの死んだら書き込みなくなった
忘れ去られるオチですよ
もっともっと偉大な何かを僕は求めてるんです
真面目に一日で忘れ去られますよね >>911
夢の中では、イエス様が話す時は日本語になっていますよ。 和紙も町子も 知能計りなさい。知的障害の境界線必ず出ますから >>912
で、ふんじゃいしゃいを分析すると
君は統合失調あり、ですが やはり皆様がおかしいおかしい言われてますから
君は やはり 根本には発達を持ってるのですよ
ふんじゃいしゃいも 発達だからここに集められているのですよ
君は
変なオジサンであり世間でも変なオジサンであり 正体は発達なのです そうだねえ、なんか地球温暖化が世に知られる辺りから
なんか世界を救いたいとかよくわからん思考基準になってしまったねえ
独りよがりの正義感から逃れられなくなってしまった
世間一般へものすごい懐疑的になっている >>904
> 勘弁してください
>>905
> 創造主に認められるほうが遥かに上ですから
教会で傷ついて、教会を離れたんですから、自分教でいいと思いますよ。
勘弁しますよ。 カトリックの信者が、他人の性被害が、言えない事になっている。
カトリック教会の、性被害が日本でもあって、これからドウなるのか? >>922
君も発達なんだから 健常者にだけ 全て教えを受けなさい。私の話を全て素直に従いなさい。発達なんだからお前 も >>918
僕も悟ったアピールして上からだから
長谷川さんも不愉快に感じてたみたいだし
偏差値低い奴がオカルトを理由に上からは
そんな風に思われてるなら腹立つのはわかります
あなたの気持ちは本当は理解できるのです
我々が生きてる世界はそのように争いは避けられませんよね >>908
グノーシスさん
私は思ったのですが、グノーシス主義の言う
デミウルゴスって、バアル、悪魔ベルゼブル
ではないでしょうか?
悪魔は、教えを混ぜくりかえして、真理を巧妙に
ひっくり返していくと言われています。
本来、物質的なものを否定して霊知に目覚めよ、
という教えだったグノーシス主義が、
物質世界はデミウルゴスの支配する邪悪な世界、と
真実の神を邪神にすり替えているような気がします。 こぬばんは〜。
>>734 の3つのキリスト教信条の基本に対する説明は、
まちこ師のスレにお邪魔し、貴重なスペースをお借りするのでなく、
わたしの用意したスレのほうでしますので、
興味ある方は覗いてみてください。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1611923853/l50
(肝心の説明はまだしてません。もう少しお待ち下さい。^^;)
>>888
ふぃりぽさん、キリスト教信条の検索結果上げてくださってありがとうございます。
ここを読めば、キリスト教信条が何を主張しているかよく分かると思います。
ふぃりぽさんのようにまめに整理整頓できるようになるのが、私の目標です。^^; ソロモンの悪魔って
新約外典かなんかで出てくるんだっけ? >>927
「反宇宙的二元論」はグノーシス派の基本中の基本なのでしっかり押さえてください。
ユダヤ・キリスト教は「唯一宇宙的一元論」です。 俺ブラックラグーンのレヴィ大好きです
ユーチューブで見れるだけ見ました
彼女は神に祈ってすら救われないので人殺しになってしまったそうです >>930
真実の宇宙と、反宇宙があるのは分かります。
それで、真実の宇宙が、反宇宙の干渉を受けて
混ぜくりかえされて、表と裏をひっくり返そうと
しているわけです。
これが古来から言われてきた神と悪魔との闘いです。
悪魔の巧妙な罠に騙されるな、と教えているのが
グノーシス主義とみました。
唯一宇宙的一元論に対して、
それは違う、反宇宙が存在するので、霊知を持って、
真実をひっくり返されるな、と教えているのだと思います。 神の愛を受けるってそう簡単じゃないと思います
スーパーカミオカンデでニュートリノを観測したり
電子顕微鏡でコロナウィルスの形状を観測したりしますが
ここにおいて神の愛は完全ではありません
対してイエスはどうかと言うと
2000年も前に「信仰の無い者よ」とか「信仰が無いからだ」とか「山を動かせ」とか
科学技術の科の字も知らんような時代の人に等身大の人間を求めます ここにおいて愛は人の模倣であり
神も人の模倣ではないかと言う話をしたかったのだが
難しすぎて昨日まとまらなかった >>926
和紙さんは悟りの境地に至って、キリストや創造主と一つになった自覚があるのですね。
それであるのに、なぜか和紙さんの発言からは、
和紙さんがキリストや創造主の霊で語っていると感じられません。
創造主は愛の神であり、その証としてキリストが遣わされました。
>僕は僕が救われたいからやってるだけで
>本当にどうでもいいです
のような発言は愛の創造主や一人子イエス様とひとつになった悟りの境地からの
言葉とはとても思えないのです。
今一度、ご自分の悟りの境地が真にイエス様と一つになったことの証であるのか
自問されてみることをおすすめします。 >>928
コズモさん、恐れ入ります。神に感謝です。 グノさん、UPしておきます。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 254
936グノーシス派2021/02/19(金) 22:11:10.64ID:jwaJZxsj
>925
グノーシス派では唯一神論ではなく多神論です。(因みに語り得ぬ至高神は唯一です)
此の世界(宇宙)の主催者はデミウルゴス(旧約聖書の造物主ヤハウェ)と呼びます。
デミウルゴス(愚劣なる神)を始め典型的には「七層の天」を支配する邪悪な諸権力をアルコーンと呼ぶ。(方便としてそう想定する)
七層の天の外側には境界があって、その彼方をプレーローマと呼び、そこを神界と呼びならわす。
本来、邪悪なデミウルゴスの支配する質量(物質=肉体)と心魂裡の「霊(プレーローマに由来する)」は別世界(次元)の存在です。
肉体はどの様な肉体であれデミウルゴスに属する。(だからグノーシス的に「霊の身体」は矛盾そのもの)
ごく簡単に言えば、これがグノーシス派の前提(仮に想定)する存在様態なのであって、
救済の目標は心魂裡の霊を心魂が神界へと回復せしめることなのであって、所謂復活とは相反する。
此の世は悲惨・苦痛と不条理に満ちたままで変わり得ない。
イエスの再臨とは此の世のパラダイス化を意味していない。(そういう意味でイエスは再臨しない) >>936
イエス様は預言者の祈りを聞いて無念を晴らしたくて
神様に遣わされてユダヤ教徒に正しい真理を説いたらしいですよね
イエス様自身は子だから遣わされた立場だった訳ですよね?
僕は別に修行の身である半端者でありますから
遣わされるような高尚な存在では無いですからね
ただあるがままのように漂ってるだけです
ライトに向かう虫のようにあまり意味は無いことをやってる自覚はあります >>933
ユダヤ・キリスト教では善(聖霊 or 天使 or 愛)も悪(悪霊 or 悪魔 or 妬み嫉み)も、全能神(創造主)から送られるとする唯一の神観世界観です。
グノーシス派では、この全能神(ヤハウェ)の正体を愚劣な神デミウルゴス(ヤルダバオートorサクラスとも呼ばれる)と理解する。
デミウルゴスは我々の生きる世界の邪悪な支配神なのであって、神界(プレローマ)は此の世界と隔絶されている。
人間の善性(愛や理性&真善美)とは人間の心魂裡に閉じ込められている(それは神界に由来している)「霊」の声ならざる声なのです。
つまり人間の善を希求する欲求は愚劣な宇宙支配神(デミウルゴス)に由来(つまり肉体に由来)しては居ません。 >>939
あるがままに漂うのもありかとおもいますが、
イエス様は神様の被造物への愛の実現のために、
使命を与えられ成すために、強い意思を持って来られました。
悟りの境地でイエス様と一つ心になれたのであったら、
イエス様の心を継ぐものになったはずです。 >>940
>>>933
>ユダヤ・キリスト教では善(聖霊 or 天使 or 愛)も悪(悪霊 or 悪魔 or 妬み嫉み)も、全能神(創造主)から送られるとする唯一の神観世界観です。
そうですね。
>グノーシス派では、この全能神(ヤハウェ)の正体を愚劣な神デミウルゴス(ヤルダバオートorサクラスとも呼ばれる)と理解する。
ここが違う気がします。
デミウルゴスは、反宇宙存在によって、真実の神が
裏返された状態であると思います。
それを認めることは、反宇宙存在に対する敗北です。
>デミウルゴスは我々の生きる世界の邪悪な支配神なのであって、神界(プレローマ)は此の世界と隔絶されている。
反宇宙存在の狙いは、そのように思わせることです。
>人間の善性(愛や理性&真善美)とは人間の心魂裡に閉じ込められている(それは神界に由来している)「霊」の声ならざる声なのです。
閉じ込められたものを解き放つのが、悔い改めと
信仰です。
>つまり人間の善を希求する欲求は愚劣な宇宙支配神(デミウルゴス)に由来(つまり肉体に由来)しては居ません。
そうですね。 ですので、グノーシス主義というのは、
大宇宙生成の秘密が説かれた秘教と言えます。
そして、真実の宇宙も、反宇宙もまた、
私たちの心の中にあります。
私たちの心は常に、真実まことの心と、
反宇宙的な心とが反発し合っています。
前者は生長、繁栄、後者は衰退、消滅です。
反宇宙を知り、真実の宇宙に目覚めよ、
これがグノーシスの本心だと思います。 >>943
それは単にキリスト教的観点からグノーシス主義を解釈しているだけであって
キリスト教とグノーシス派は寄って立つ信仰が異なるので
ある特定の信仰から別の信仰体系を否定しても、その逆もまた可能となってしまい平行線
あとグノーシス主義を多神教と言ってしまっていいんだろうか
新プラトン主義と同様、一者の流出という枠組みを取るなら
一元論的多神教とでも言えるような体系だと思う
二元論と言われるのは霊肉(霊と物質)の対立構造があるからで
物質はあくまでも一者の流出過程における劣化された存在様式ということなんじゃないかと思う
まあグノーシス主義にもいろいろあるようだから、新プラトン主義的な枠組みを取らないものは
この限りじゃないんだろうけどね >>943
我々の世界は、苦痛と悲惨に満ちている。我々は無慈悲な現実の中で生きているのである。
自然は本当に美しいだろうか?
生き物は他の生き物を殺して食べ、かつ弱者を淘汰抹殺することで成立しているではないか。
人間は絶えず疫病や災害に脅かされつつ、一生命種としてほかの生き物を殺すことで食べ物を得て、
更には利益と自我の優越感を満たす目的で人殺しである戦争を続けて来たのだ。
こんな世界が本当に美しくて完成された世界と言い得るだろうか。
創造主とは何者であるか?
アダムとエバの「原罪」のゆえに現実世界の苦痛と悲惨がもたらされ、人間と全ての生き物に「死」が及んだ。
・・・こんな創造主の呪いを原罪と呼んで現実を説明しようとするのがキリスト教であるが、本当に正しい認識と言い得るか?
グノーシス派では、上記の現実を直視して馬鹿馬鹿しいキリスト教正統派の屁理屈(原罪による説明)を非難する。
確かに雪の結晶は美しい。満開の桜を見ても美しいと感じる。
そして「美」は、雪の結晶や満開の桜という「モノ」が美しいのではなくて「美」がそれらモノを通じて心に響くから美しいことに気付かされる。
質量存在自体に美があるのではなく美が先在していて質量存在に現れるから、そしてその抽出される美に心魂が共鳴するから「美しい」と感じる。
つまり「美」こそがより本質的存在なのであって、美を宿すモノそれ自体は儚く虚ろでしかないことに気付かされる。
モノ(物質)だけの我々の世界を直視するなら、そこにあるのは目に余る殺虐性である。
調和と秩序が質量世界に観察されるとき人は「美」を感じのだが、
それは霊の故郷に由来しているから心魂は霊によって美共鳴するのである。
そこに五感では直接感知出来ない霊知の入り口を見付けなければならない。
同時に五感で直接感知される現実(質量世界の存在)の忌まわしい本質は「殺しと死」であることを見抜いて、
心魂の救済とは何かを考え求めなければならない。 >>946
モルモン教の教えなんだけどさ
原罪なんて始めから無くて
目が開けた事で人が死ぬ事が分かったんだってさ >>946
>>>943
>こんな世界が本当に美しくて完成された世界と言い得るだろうか。
闇なくして光もまた無いのです。
光しかない世界において、どうやって光を光として
認識できるか、ということだと思います。
ですので、私たちは闇の中にあって光を見つける
のです。
>・・・こんな創造主の呪いを原罪と呼んで現実を説明しようとするのがキリスト教であるが、本当に正しい認識と言い得るか?
原罪というのは反宇宙そのものを言っているのだと
思います。
>そして「美」は、雪の結晶や満開の桜という「モノ」が美しいのではなくて「美」がそれらモノを通じて心に響くから美しいことに気付かされる。
その通りだと思います。美とは目に映った画像で
認識するのではなく、心がそれを霊知している。
>つまり「美」こそがより本質的存在なのであって、美を宿すモノそれ自体は儚く虚ろでしかないことに気付かされる。
「美」を「信仰」に置き替えてみてみましょう。
通じるものがあると思います。
信仰は美しいからです。
>それは霊の故郷に由来しているから心魂は霊によって美共鳴するのである。
>そこに五感では直接感知出来ない霊知の入り口を見付けなければならない。
真実の神への信仰ですね。
>同時に五感で直接感知される現実(質量世界の存在)の忌まわしい本質は「殺しと死」であることを見抜いて、
>心魂の救済とは何かを考え求めなければならない。
悔い改めですね。
悔い改めよ、天の国は近づいた。 >>946
>質量存在自体に美があるのではなく美が先在していて質量存在に現れるから、そしてその抽出される美に心魂が共鳴するから「美しい」と感じる。
>つまり「美」こそがより本質的存在なのであって、美を宿すモノそれ自体は儚く虚ろでしかないことに気付かされる。
>モノ(物質)だけの我々の世界を直視するなら、そこにあるのは目に余る殺虐性である。
先行する美は本質的であり、質量存在に現れていますから、
それを捉えればいいのです。
世界中を回りながら、美しい景色を収めてくる、カメラマンは、
本質を映し出そうとされています。
戦場カメラマンは、泪と子供たちの心にシャッターをきっていきます。
神がしているのではでなく、人間同士がしている暴力による悲しみです。
慟哭が深すぎるにしろ、そこもまた、
私たちは間違っているという悲しみから、気付く美が浮かび上がっています。
美意識こそが、愛と光の別名であると思います。
真実の美には、嘘がなく、澄みきっていて、重力(質量)がありません。 Ken Ishii 'Extra' - Music Video (HD)
https://www.youtube.com/watch?v=t6maVVFs0As
なぜみんなずっと正義のヒーローでいられるのだろう?
全く理解できない
需要と供給には色んな形がある
グロ注意 長文書き込むと疲れるね。
まあ >>946 で、キリスト教(正統派)が創世記から解釈する「原罪」をグノーシス派の立場からディスってみたけど、
この話には先があって「人間の自由意志」についても疑問が及ぶのですよ。
本当に我々は自由意志を持っているだろうか? ・・・てね。
長文は書かないけど、
人間は三日三晩眠らなかっただけで人事不省に陥るよ(笑)
砂漠で飢え乾いても自由意志なのですね ( へぇ〜
砂漠で飢え乾くとまでは言わなくても日々生きる為の苦しさは大抵は感じるはずだよ。
今の仕事が嫌だからと言って簡単に辞められるのかな!?
給料を貰えなくなるよ。
でも自由意志なんですよね(皮肉) んーとなんだっけ
人は自由に行動できる故に罪と神に叶う善行を選ぶ事が出来て
罪を犯した人を滅ぼすんだっけか まあ神だの法だのはいちべつしますよ
一瞥しますが結局好きな事しかやらないのが人間ではなかろうか
と言うか神とか法に全振りした所でこの句が炸裂します
21:マタイによる福音書/ 07章 21節
「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。
22:マタイによる福音書/ 07章 22節
その日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか』と言うであろう。
23:マタイによる福音書/ 07章 23節
その時、私は彼らにこう宣告しよう。『あなたがたのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ。』」 >>953
格闘技の世界でも、強さを極めていった先に
あったのは、自分よりも強いものに出会わないこと、
であったという。
人生の達人は、信仰によって神と一体となり、
聖霊を授かって、苦しみや不安、悩み、それから
様々な悪いものから離れることができる。
心は常に愛に満たされて、人々を愛していくことが
できる。
自由意志をどう使っていくか、ということです。 >>955
この部分がグノーシス主義的なところなんでしょうね。 >>956
そもそも十全な自由意志が本当に人間にあるだろうか? ・・と言う、根本的な疑問ですよ。
親は子を選べず、子も親を選べない。
スタートからしてそうなのです。
親の立場もこの立場も、子が成人する時満ちるまで与えられた環境からは逃げ出せませんからね。
親子の関係に限らずとも人間は「因縁」に支配されている中で本当に自由意志が成立するだろうか?
キリスト教信者は「因縁」という視点がほとんど欠落しているのではないのかなぁ〜 >>958
自分の神様をイエス・キリストと定めてくる
因縁と自由意志はあると思いますね。
聖書を読んで、すっと理解できる、というのは、
そういうことだと思いますよ。 >>959
義理人情や、場合によっては契約や更には脅迫されて、そんな中でも自由意志はあるだろうか?
他人との関係ばかりじゃなくて、親子や契約(会社)、借金や病気、あるいは脅迫されてとかね。
そういうしがらみから抜け出して、人間が完全に自由意志を行使出来る環境なんて此の世界(社会)に
いったいどれほどあると言えるだろうか?
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この様にグノーシス派の立場とは、正統派が決して疑わない「原罪」と「自由意志」という認識の基礎を根底から疑う者なのです。 エヴァ見た事無いんかな
本当の自由とは自分の形も他に存在する意思もそもそも空間がどう存在するかも自由で
とりあえず全て想像する前だから背景が真っ白で
どうしていいのかわからない物なのだそうです エヴァは途中まで面白かったのに
後半のあの自己啓発セミナーみたいな展開はなんだったのか >>960
環境を言い訳にする自由もあれば、
環境を言い訳にせず、道を切り開く勇気を持つ
自由もあります。
疑問を探究する自由もあれば、
すべてを疑ってかかる自由もあります。
心には、何人も奪うことができない、
思いの自由があります。
そして私たちは、神様を信じることができるのです。
ありがたいことです。 >>961
エヴァはグノーシスをヒントにしていますよね。 自由意志があると思うから、
幸せになれないのだ。
すべては神の御心であると知った時、
そこに自由意志が現れてくるのだ。
道とは、空っぽであるからこそ、
使い果たすことはないのである。
満たされることがないから、
尽きることもないのである。
神様を信じましょう。 創造主はこの立場にあって「光あれ!」と世界を始めたわけです
意志薄弱なシンジ君とはちょっと異質な存在なわけです >>966
レイを救おうとしたシンジ君は強かった。 >>942
無理、無理
勘弁してください
僕はあのような眩しき者の
足元にも及ばない
眠りや痛みに簡単に負ける半端者です 何処の国でも キリスト教教会に真面目に通っている人は国民の 3%から5%なのですから
皆様も 先ずは95%側の一般平均の 頭を先ずは目指すことを 考えることが一番皆様の人生の一番大事な課題なのではないでしょうか。
皆様
知恵遅れのままで人生終わってもいいのでしょうか。
妖怪から早く
人間に戻りましょう✨
皆様悔い改められますように❇ カトリックの
知恵遅れのサティ
ピ
リド
大学院卒の博士課程卒の人に聞いたらやはり
カトリックは キリスト教の中でも最低ライン以下だそうです。 >>936
コズモさん、こんばんは。
まず、入信してイエスを主だと告白しても、水の洗礼をしても、
それは、聖霊に直結しているという保証ではないですよね。
ある料理本で一律全員が、おいしい料理をつくることができるかどうかは、
保証されないのと同じです。
40人のクラスで、同じ授業を受けているのに、
全員が100点で、同じ成績ではない。 >>973
私はそんな事は構わないと思っていて、それは当たり前に起こるはずなのです。
仕方ないことに、くよくよする必要はない。
アインシュタインも勉強できなかった。
ジッドゥ・クリシュナムルも授業中、窓の外を眺めていたという。
霊性的領域は、東大に受からなくても、灯台に受かるとよい!
というチャンスが誰にでも開かれているのです。
東大は、受験さえしないでおこうと思いますよね。
そうじゃない、灯台は、みんなが船をこぎ、進むことができるのです。 >>973-974
話を戻しますと、
私は聖霊にあって、歩んでいるというのは、
律法主義や、新律法主義のお受験ではなく、
聖霊の導くままに、身を任せながら灯台を見ながら、
暗い夜の大海原を超えていくような、唄なのです。
正直な唄は、自分はイエスキリストではない、和紙なんだけれど
聖霊にあっても、まだまだ救いの遥か彼方の星をみあげる、
歌を唄う者です。
コズモさん、救いという言葉を狭めては、分からなくなるかもしれません。 >>974
東大に行くなら東大専門塾鉄緑会に入りましょう✨ 意識があるから世界は立ち上がるんですよね
深い眠りでは世界は消える
起きている時の研ぎ澄まされた意識のみが
痛みや眠りに負けない精神力を鍛えられる
重力に負けない精神力を持つ者だけが無重力を体感できる
それが悟りの境地だと思われます
例えイエス様ほど研ぎ澄まされてなくとも
世には属してはいない
ですけど
無重力に到達してもレベルがあるのは確かですね それでも神様と一つになるなら
そこから得る物は本の知識とかで無い
あらゆることを得ることは出来るでしょうね 救世主(メシア)を待つ、ばかりでなく、みずからが救世主になる、これが大事だと思うのです
おそらくイエスもそう考えて、メシアになられたのでしょう
われわれも一人ひとりがメシアになりましょう
迷えるこの世を救うのです 本日の「毎日のミサ」
日ごとの福音 四旬節 第2土曜日
ttps://www.higotonofukuin.org/spip.php?page=quotidien&date=2021-03-06
第一朗読 ミカ7・14-15、18-20
主は再び我らを憐れみ、すべての罪を海の深みに投げ込まれる。
答唱詩編 詩編103・3+4、11+12
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。
詠唱 ルカ15・18
父のもとに帰って言おう。
「わたしは神にもあなたにも罪を犯しました。」
福音朗読 ルカ15・1-3、11-32
お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。
信仰の糧... 今日のために! カトリック教会より みなさん、おはようございます。
毎度の事ですが「日ごとの福音」で、今日も元気を頂いて下さい。
聖霊の交わりが皆さんと共に。主イエス・キリストの御名によって。 おはようございます。
✝ 私はキリスト・イエスによって、あなたたちに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神様に感謝しています。(第一コリント1:4)
主イエス・キリストの御名と私たちの神の御業によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(第一コリント6:11)
あなたがたは、神によってキリスト・イエスの内にあるのです。
キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また義と聖めと、贖いとなられました。(第一コリント1:30)
あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。(第一コリント1:5) 使徒信条
天地の創造主、
全能の父である神を信じます。
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
十字架につけられて死に、葬られ、
陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、
天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、
聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。
(ローマ・カトリック教会より) 主の祈り
( 司祭の先唱 )
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を 今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
( 司祭の祈祷 副文 )
国と力と栄光は、限りなくあなたのもの。
( 司祭の祈祷 教会に平和を願う祈り )
アーメン。
(ローマ・カトリック教会より) 日本キリスト教団 礼拝式次第( 色々な礼拝順序 )
磐上教会 礼拝式次第(大阪府 枚方市)
http://banjoukyoukai.com/top/entry5.html
礼拝式次第 _ ようこそ マラナ・タ教会のページへ(大阪府 枚方市)
ttps://maranathahirakata.com/ようこそマラナ・タ教会へ/礼拝式次第/
礼拝式次第 洗足教会(東京都 品川区)
http://www.senzoku.org/reihai.htm
聖日礼拝式次第 生田教会(川崎市 多摩区)
http://www2.odn.ne.jp/second_tenor/weekly.htm おはようございます〜。^^
>>982 まちこ師の挙げられた聖書箇所にアーメンです。
>>983
>>984 ふぃりぽさんの挙げられた主の祈りと使徒信条がキリスト教の根幹です。
これらについても、疑問がある方がいるとおもいます。
そのへんは、私の方のスレで説明させていただきたいと思います。 >>985
礼拝の順番は違えども、交読文・使徒信条・主の祈りが、決まって唱えられます。
先唱者と会衆の両者が読みかわす交読文は、
出エジプト記と申命記にある十戒や、
ダビデの懺悔で有名な詩編51編など、様々な文面があります。
日本キリスト教団ですと、礼拝内容の主要項目が上記のようになっています。 >>986
コズモさん、おはようございます。
機会があったらスレに行くかもしれません。
その時は宜しくお願い申し上げます。 >>982
まちこさん、こんにちは。
最近、聖句の後に、コメントがないので、残念に思います。
礼拝のように、聖書朗読の後に、説教のような形式が、欲しい所です。 ことさん、おはようございます〜。^^
>>975
>正直な唄は、自分はイエスキリストではない、和紙なんだけれど
>聖霊にあっても、まだまだ救いの遥か彼方の星をみあげる、
>歌を唄う者です。
和紙さんのことを的確に捉えていらっしゃるのではと思いました。
さて私は和紙さんを全面否定しているわけでなく、
和紙さんの信仰を追い求める姿勢から、学ぶところも多いです。
ただキリスト教理解の上での聖書の独自解釈と独自用語の範囲を、
脱していないのが残念だと思いレスをつけさせてもらっています。
私が和紙さんに気をつけていただきたいと思うのは次の2点です。
1)キリスト教では『悟りの境地に至るべき』という教理はありません。
仏教の教理とごっちゃになっていると思われます。
次のサイトにわかりやすく書かれていましたので参考にしてください。
https://shibuya-michael.com/kozo/archives/192
2)創造主・イエス様と一緒になることが人の目的なのは教会でも同じです。
そうであるからこそ、いまだ救われていない人のために祈り行動します。
和紙さんも同じ思いなら、人の救いはどうでもいい、とはならないはずです。
3)信じた結果奇跡的な出来事は起こるでしょうし、教会でも祈ります。
しかし奇跡出来事は、神の御心ならば今すぐにでも起こるでしょうが、
神の御心で、後になる出来事もあると理解する必要があります。
たとえば、私の愛する人が永遠に生きられますようにとの祈りは、
今すぐには叶えられないでしょうが、後には必ず叶えられます。
奇跡的な出来事が今起こる不思議さだけに囚われてはいけないと言うことです。
次の聖句を参照してください。
コロサイ人への手紙2章
18あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
19キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。 >>989
すいません、時間が無いと聖句だけになってしまいます。
では、これからコメントを入れて行きます。 >>990
アーメンです。
こんにちは、コズモさん。 >>991
強ごしで言って、済みませんでした。
聖句コメント、楽しみにしています。 さて
もう世界では殆ど常識となっています
キリストは神ではなく人間だったのでしゅ。
聖書は信頼性の薄い書物です。
キリストがキリスト教を創ったの出始めありません
旧約聖書は信和ばかり集めたものになっております。
モーゼの出エジプトの道筋は未だに判明されておりません
モーゼの十戒の山は未だに分からない。
ヨハネの手紙はヨハネの手紙ではない。
その他の手紙も 。
福音書は 誰が書いたか分からない
ヨハネの黙示録もヨハネが書いたものではない。
テモテの手紙やコリントの手紙や偽名の作者が書いてる可能性は高い
君達皆様はそもそもその殆ど刷り込まれた思い込みと思い出や経験で生きる。都合の悪いことは全て判断停止をしている。
そこから出ようとはしない頑固者。
さて聖書は原本がなく写本も誤字脱字やイトテキ改竄されたりマルキオン派、グノーシス派
正統派それぞれの意図的に思想にとって
都合の良いように写本の一部が改竄されてたりの証拠があり、
それらの結果 集めてひとつの本になりましたの。
聖書は元々間違いだらけ、更に4つの福音書ですら、それぞれの考えや、思想が違う。
つまり とても人間的な書物なのです。
君達皆様は2ちゃんねるに書くだけで自分では現実に何もできない無能。自分は何も持っていないのにプライドだけが高いのです。
君達皆様はタニンガ変わってると思うだろうけど世間知らずでは100%君達は異常な人なのです。
勝手に皆様の頭の中で肯定している。
また糖質やアスペが湧いている
自分の妄想を書きなぐるべき
ここがメンヘラ板であることを忘れてはいけません。
旧約聖書の元ネタは民話やおとぎ話の集めてあるもの、
今の新約聖書が成立したのはイエスの死後数百年立ってから意図的編集
イエスは新約聖書もキリスト教も知らない。
ユダヤ教の反逆ラビ
キリスト教とは盟主争いに勝った一宗派
この一宗派が認めたエヴンゲリオンだけが新約聖書となりました、
その他の文章は異端となりました、
マルコの福音書は改竄の痕跡も多くて
三位一体に絡む記述は捏造が証明されました、
皆様悔い改められますように❇ >>995
あなたは、完全にスレ違いなので、他所へ行った早いですよ。 >>982説明です。
✝ 私はキリスト・イエスによって、あなたたちに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神様に感謝しています。(第一コリント1:4)
主イエス・キリストの御名と私たちの神の御業によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(第一コリント6:11)
☆イエス様をあなたの主となったとき、あなたの主人は、イエス・キリストです。
イエス様の贖いにより、イエス様を信じた者は、罪赦され、聖なる者とされました。
たとえ、あなたが理解できなくても、そのようになっています。
時が来て、それが本当だと分かる時がきます。
それが早くわかれば、神への働き方が変わってきます。
✝あなたがたは、神によってキリスト・イエスの内にあるのです。
キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また義と聖めと、贖いとなられました。(第一コリント1:30)
☆イエスを信じた者がイエス・キリストの内にいることが分かれば、知恵がどこからくるか、わかりますか?
✝あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。(第一コリント1:5)
☆イエス・キリストの内にいるとわかった者は、愛によって働く知恵、知識、を汲み出すことは、イエス様から来るので、とても私たちは豊かになっていやす。 このスレッドは1000を超えました。
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