Thelema(セレマ)とかいう宗教wwwwww
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法の書よんだらちゃんとpdfは削除しよう
アレイスター兄貴との約束だぞ? 何でこの近くの空き地で犬のおしっこさせるかな・・・
空き地の隣の家は嫌がるだろう
で、うちの家の庭は覗き放題
家庭菜園で何を作ってるのかも一目でわかる
覗くな!不潔だ!!
隣の馬鹿女! 何故「兄貴」を敬称に選んだか
それは彼が神や預言者として崇拝者されることを望んでいないから。
しかし彼の思想は見直されるべき
だから尊敬される人間につけられる
「様」よりポピュラーな言葉である
「兄貴」を選んだ。 >>4
神仏を拒否してるはずなのに、これは何なん?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%9E
クロウリーのセレマの主要な神々は古代エジプトの宗教から来ている。
セレマの宇宙論における至高の神格は女神ヌイトである。
彼女は大地の上に架かる夜空であり、裸の女性の形に象徴される。
彼女は偉大なる母、万物の究極の源と考えられている[55]。 >>5
多分彼の言うことを聞かず
法の書を「学んだ」人達が書いたんでしょう >私は群れを作り出したり、愚者や狂信者の崇拝物になったり、
>信者が私の意見をおうむ返しすることで満足する信仰の創始者になったりすることを望んでいない。
>私はそれぞれの人がジャングルの中で自分の道を切り開くことを望んでいる。 >>6
『法の書』においてハディートという神について書かれているらしいが、
これはウィキを書いた人間の誤りなのか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%9E
セレマの第二の主神は無限小の点であり、ヌイトの補完者にして配偶者とされる神、ハディートである。
ハディートは顕現、運動、時間を象徴する[55]。
彼は『法の書』において
「あらゆる人間の心の内、そしてあらゆる星の中心核にて燃える炎なり」[56]とも表現されている。 >>8
そりゃ法の書にはそう書いてあるよ
だけどアレイスター兄貴自身としては
別にどうでも良かったんじゃないのかい
法の書pdfの最後のページ読めよ >>9
法の書の注釈を信仰しているのですね?
私は信仰していないので、法の書を学びたいのですが、
よろしいか? 日本弁護士連合会のサイトの中に
「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html
という日弁連が出したPDFファイルがある
(1999年3月26日)
内容は、法律家の立場から、今なお問題が多い霊感商法に対して一つの意見を提言するというもの
なかなか興味深い資料ですな >>9
「法の書pdfの最後のページ」が、独特の言い回しになっているのは、
法の書が、「キリスト教棄教希望者のマニュアル」的な性格のものだったのだろうね。
だから、1度読んだら捨てろ・・と指南しているのだろう たぶんアレイスター兄貴はキリスト教徒達に虐められた事で
キリストやYHVHが信用できなくなった。
だから兄貴は「神に頼らない生き方」を異教に求めた。
そういう性格の宗教の神格が
人を奴隷扱いしたら本末転倒だろ? 結局兄貴の思想そのものは時代を先取りしすぎていたんだ。
異教の儀式を「科学」して真理を求める姿勢はよかったものの
結局理論が追いつかなかったんだ。
(兄貴は望んで居ないだろうが)
仮に彼が現代に再臨する事があるならば、
おそらくライフハックに取りかかっていただろう。 >>16
「再臨」とか書いていること自体、
キリスト教から完全に脱却している様子には見えないのだが? >>17
アニメのアンチガチ勢って
下手なファンより詳しいだろ? >>18
アニメのアンチガチって、
俺みたいな奴の例えかい? 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
さらに不正がバレて高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
けんまするのは大歓迎!!www鎌倉由比ヶ浜在住『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています