真約聖書
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旧約、新約、コーランに続く新しい神の教え
真約聖書のスレです
真約聖書
https://promisedland999.fc2.net/ 聖霊なる神が言われる。
なぜ、聖書において神の名を呼ぶことが忌避されているのかを、あなた方は知らない。
わたし、聖霊なる神の名は、『愛』である。
この世のあらゆる言語で「愛」という意味を持つ言葉はみな、わたしの名である。
また、YHVHなるアブラハムの神の名の意味は『正しさ』である。
この世のあらゆる言語で「正しい」「正義」を意味する言葉はアブラハムの神の名である。
だから、みだりに正しい、とか正義、とか、愛しているとは言ってはならないのである。 八条の神の教え
聖霊なる神のみ使い、ラファエルが言われる。
神の八条の教えである。
あなたがわたしであるならば、わたしもあなたであろう。だがわたしはあなただが、あなたは決してわたしではない。
だからわたしの言いなりにならなくてよい。
わたしに悪いところがあるなら言って欲しい。
あなたに罪を犯した人が心から悔い改めたなら、「わたしはあなたの罪を見なかった」といい彼らの罪を全て赦しなさい。
あなたが人に罪を犯したならば、ただちに「わたしはあなたに罪を犯した。だから罰を定めてもらいたい」といい彼の言う罰を受けなさい。
あなたに一つでもなにか頼むものがあれば、あなたは彼が求めるもの全てを与えなさい。
あなたが助けを求めるべきは、まずは人であって、神やみ使いや主ではない。
あなたが助けるべきは、全ての人であって、悪ではない。
あなたに悪を誘惑するものがあれば、彼らの名前も顔も忘れて彼らから言われたことを忘れ、彼らからもらったものを返し、また、彼の罪をただ嘆いてこう言いなさい「あなたはなぜいばらの道を行くのか? 破滅がその先にあるのに」
あらゆる苦難を救いうるは神ではなく人である。神やみ使いはこの世に肉を得て生きるものではなく、霊で生きるものだからである。 み使いラファエルが言われる。
神を見たいならば、晴天の日に太陽を瞬きせずに見つめなさい。
黄金のように輝く姿は愛の神、白銀の十字の姿を見たならばそれは父なる神。
太陽が黒く見えていたならそれはサタン。
太陽を阻むように八条の赤い光を見たならそれはベリアル。
主なる神は全てのものの幸福のさわやかな笑顔の中にあなたは主、イエス・キリストを見るであろう。 み使いガブリエルが言われる。
聖霊なる神へのミサを開きたいなら、朝日に向かって「おはようございます」と笑顔で言いなさい。
それから大きく息を吸い込んで、一瞬止めてからこう言いなさい。
「。これなるは神の肉。あなたも悲しみと苦しみのために。これをいただきます」
そしてコップ一杯の水を飲み干して、こう言いなさい。
「これなるはあなたの血。あなたは水の霊であらせられるから。あなたの愛をいただきます」
これだけで十分です。 御使いラファエルは言われる
聖書の十戒にも、主の聖句にもない罪があります。
それは人の心を傷つけることです。
肉体の傷は癒せますが、心の傷はそうたやすく癒える事はありません。
わたしはこの罪を十戒の前に置きます。 み使いラファエルが言われる。
断罪は罪です。
断罪というのは本来、罪なき人を情報の錯誤や印象によって罪ありとしたり、真実を確かめずにあたかもその人が悪いかのようなデマを流すことです。
人がそう言っているから、だとか他人のせいにしても断罪の罪は消えません。
言動には常々気を付けましょう。 わたしはあなた
真理の一条目である、わたしはあなた、あなたはわたし。わたしはあなたであるけれど、あなたは決してわたしではない。について説明します。
まず、わたしはあなたですが、これの意味はわたしはあなたも自分のように扱うということです。
次のあなたはわたし、ですが、これはあなたもわたしのように善良な罪を犯さず、人に良くしてあげる人間であってほしいという願望です。
その次の、わたしはあなたであるけれど、あなたは決してわたしではない、ですが、これはわたしとあなたは別々の個性や心を持つ人間だから、わたしはあなたを尊重するが、あなたはあなたの心に従ってよい、という意味です。
要約すると相互理解と相互尊重です。 み使いガブリエルが言われる。
数ある罪のなかで最も重い罪、それは憎悪です。
憎悪は激しい怒りからくる思い。
相手を否定したい。
無視したい。
傷つけてやりたい。
殺してやりたい。
憎悪とはすなわち相手を否定し付くこと。
実行しなくとも上記の思いがあるならあなたは既に罪を犯したのです。 み使いガブリエルが言われる。
数ある罪のなかで最も重い罪、それは憎悪です。
憎悪は激しい怒りからくる思い。
相手を否定したい。
無視したい。
傷つけてやりたい。
殺してやりたい。
憎悪とはすなわち相手を否定し付くこと。
実行しなくとも上記の思いがあるならあなたは既に罪を犯したのです。 み使いラファエルが言われる。
人は死んでも無にはなりません。
死後の世界はあります。
尊い良い行いを沢山、人や動物、植物などに与えた人には天国へ。
悪い行いをしたのなら無限の荒野が広がり食べるものもない地獄で飢え乾きます。
地獄に落ちた人間は、その荒野でさまよい、今までの悪事で被害者が受けた苦しみと痛みに耐えなければなりません。
人を殺したならその被害者の痛みと、そしてその被害者の家族、友人たちが受けた苦しみと悲しみの分だけ苦しみます。
もし彼らが心から悔い改めたなら、神はその罪を赦し、地上に再転生させて、彼らが本当に悔い改めたかどうかを試します。
現実世界こそが実は死後の世界なのであり、真実の現実世界は神の国、天国だけなのです。 み使いウリエルが言われる。
土曜日は神が定めた安息日です。
ユダヤ教では日曜日ではなく土曜日です。
土曜日にはできればエルサレムの方角の壁に目を閉じ額を壁に押し当てて、こう祈ってください。
「アブラハムの神よ、わたしたちの神の家が壊されてかなりの歳月が流れました。その悲しみのために祈ります」 日曜日 主日のミサ
主、イエス・キリストの弟子、悔い改めたユダが言われる。
キリスト教の安息日、主日のミサはキリスト教徒でないなら、家長を牧師として行ってください。
霊的な問題はユダが代理で取り仕切ります。
ユダは悔い改めて天国にいますので問題ありません。
無論、キリスト教の教えを理解し、十戒も守る誠実な人間がです。
種入れぬパンを用意するのは一般家庭では難しいですから、食パン、ロールパンなどで代用してください。
それとワインとグラスを用意してください。
まず家長がパンを割き、家族に分け、こう言ってから食べてください。
「これは主なる神の肉。その苦しみのために、これをいただきます」
次に家長がワインを取り、こう言ってから一口飲んでください。
これは主なる神の血。あなたの悲しみの涙であるこれをいただきます。
これで終了です。 み使いラファエルが言われる。
人の心を傷付けるのは殺人に匹敵する大きな罪です。
陰口、良くない噂、無視、暴力的な言動。
全て罪です。
そうして人を傷つけ、痛めつけて死に至らしめたならあなたは地獄の枯れ木に首を吊るされ、死ぬこともなく苦しむでしょう み使いラファエルが言われる。
裏切りもまた大きな罪です。
ですが、主人が不実な人間ならば、その罪を主は数えず、「わたしはあなたに罪を見なかった」として主が赦すでしょう。 み使いガブリエルが言われる。
人は時として優しさから嘘をつきます。
これを言ったらこの人が傷つく、という時の嘘です。
たとえそれがあなたの優しさからくる嘘だったとしても、それは罪です。
その優しい嘘を言われた人に真実をいつか話してあげてください。
それでその罪は悔い改めたことになります。
相手の心の状態をよく見てから判断してください。
本人が耐えかねる真実であるなら、うち開けない方が良いでしょう。
慎重に時期を見極めて下さい。 み使いサタンが言われる。
疑うということも罪ではあるが、ここは邪悪な人間も多い世界であるので疑うのも肝心であろう。
信じるということは善であり、疑うよりは信じて騙された方があなたにとっては良いのだが、信じた挙句にわが身の破滅を招いては元も子もないであろう。
わたしは試す者であり、これにもまた疑いを持つがよい。 み使いガブリエルが言われる。
怒りは憎悪につながりかねない罪であり、できるだけこらえるのが良いでしょう。
あなたのこころが狭いから、人に怒りを抱くのです。
特に子供を叱るときは注意してください。
なにか悪さをしても、自分がいま、子供に怒りを燃やしていないか確認してからしかって下さい。
もちろん暴力は厳禁です。
相手が大人であっても同様です。 み使いラファエルは言われる。
強欲はやがてあなたを滅ぼすだろう。
金は所詮概念でしかない。
物質的にはただの紙である。
将来に備えてできるだけ貯めておくのはよい。
物を買うときはそれが本当に自分にとって必要なのか?
それが本当に良いものなのかをよく考えてから物を買いなさい。 色欲は罪である。
婚姻関係、恋人ではない相手と交わす契りは無論、自慰もまた罪である。
いやらしいアダルトビデをを見ても罪である。
女を欲情を持って見てはいないか気をつけなさい。
無分別に女を犯す男は地獄で悪魔に犯され、無分別に抱かれる女は性行為に痛みしか感じない状態で地獄の亡者に犯されるだろう
。 天使長ミカエルが言われる。
サタンが疑うということを罪だといったが、わたしはそれを否定する。
あなたを騙しているのかもしれない。
霊と語れるほどの者であるこの男でさえ悪魔に騙されることもある。
だから私たちの神、YHVHはこの男がまだ幼かったときにこう言い含めておいた。
疑え、と。
その言葉があってこそこの者は罪多き者でありながら、あらゆるサタンの試しを跳ね除けて、ついに三位一体の神と対面して語るまでになった。
だから、あなたは悪への誘惑、罪に誘う甘言ではないか?
その人が神の御心、愛と正しさに適うものであるかどうかをよく見極めてから信じなさい。
この世はあなたが思うよりも地獄に近く、悪人もまた多いのだから。 父なる神は言われる。
主の安息日、日曜日にはこう祈りなさい。
エルサレムの方に座っててを握りしめた主が十字架で処刑された苦しみのためにこう祈りなさい、
「主よ、あなたの美位心が成されんことを。美国が来たらんことを」 父なる神は言われる。
主の安息日、日曜日にはこう祈りなさい。
エルサレムの方に座っててを握りしめた主が十字架で処刑された苦しみのためにこう祈りなさい、
「主よ、あなたの御心が成されんことを。み国が来たらんことを」 み使いガブリエルが言われる。
神は決して天罰をくだしたり、罪なき人を裁くことはしません。
ではなぜ地獄があるのか?
地獄は人の魂の悔い改めの場所です。
そこで悪人、罪人は主なるイエス・キリストによって裁かれ、それぞれにふさわしい悔い改めのための罰を与えます
地獄の神の代理人として、ユダやアングリマーラなどといいった、過去に罪を犯したが悔い改めて神に赦された者たちを彼ら悪人、罪人の悔い改めを促します。
罪が主によって赦されれば、(あるいはブッダ、モーセ、マホメッドなども)彼らは再びこの地球に転生できるでしょう。 聖なる神の使いベルゼブブが言われる。
意志薄弱は乗り越えねばななない。
優柔不断も克服せねばならない。
なぜなら非常の事態にものをいうのは強い意志の決意力だからである。
まず何事にも動じずに務めて平静であれ。
また、わたしは蠅の王、もはやカナンの神ではなく便所の神である 主なるイエス・キリストは改めて言われる。
罪の償いには言葉だけの悔い改めでは不十分である。
あなたが誰か他人の物を奪ったなら、それを七倍にして返しなさい。
あなたが一人人を殺したなら、未来の転生において七度殺されるだろう。
改めてこう言うのはキリスト教の懺悔の意味が薄れ、また新薬聖書には、わたしが残した言葉の欠落があるからである。
例えて例を出そう。
ローマのピラトはわたしにこう訊いた。
「真理とはなにか?」
わたしはこう言った。
「それは愛である。愛とは全てを与えることである」
わたしが残したピラトへのの聖句である。
エリ・エリ・サバクダニ、の意味は「神よ、神よ、ありがとうございます」であった。
全ての苦難と喜びと愛の日々への感謝であった。 あなたが誰かに苦しみを与えられ、それが耐えかねるなら、だれかあなたの家族や友人に打ち明けて話を聞いてください。
あるいはその苦しみを、書き綴るのもよいでしょう。
神は人に苦しみを与えはしません。 歌は天上におられる神や主の霊によるこころをいやす効果があります。
苦しい時や困難にあったときはあなたのこころにしっくりくる歌詞の歌を歌いましょう。 悲しみはこらえるとあなたを絶望へといざないます。
悲しい時には涙枯れるまで泣きましょう。 真理とは何でしょうか?
それは愛です。
生きとし生けるもの、これまでに出会ったすべての人や出来事、仕事道具への感謝。
では愛とは何でしょう?
愛とは全てを与えること。
愛とは別れの日まで添い遂げる覚悟。
愛とは従いあい分かち合う決意。
それが愛であり、それが真理です。 宗教というものが大いなる罪を犯すこともある。
だからあなたは信じる宗教や宗派、教団には気を付けて、宗教など信じないでただ神の愛と人の愛を信じなさい。 食事への感謝
食事の前には食べ物と料理しくれた方への感謝を込めていただきますと言いましょう。
食後にごちそうさまといって今日の糧を得たことに感謝しましょう。 悪人を見ても決して裁かず、そして恐れずそのものに罪を犯していることを指摘してください。
なぜ裁いてはならないのか?
あなたは神ではありませんから、本当の正しさを知りません。
本当の正しさは誰も傷つけず、全てのものを愛する和のこころです。 あなたは悪人になにか求められたら全て与えなさい。
あるものが一億要求したら、二億与えなさい。
あなたを打つものがあれば抵抗せずに殺されなさい。
あなたの子をを殺す者にはまよわず笑ってあなたも殺されなさい。
ただし、悪人の誘惑には乗らず、罪を犯してはなりません。 み使いベリアルが言われる。
地獄の霊を恐れるな。
我らの天国は地獄であり、そこで地獄に落ちたものを庇護するだろう。
悪には悪の矜持があり、悪人なりに理由が必ずあるからだ。
だができることなら地獄に落ちる前に地上で罪を償え。 主は言われた。わたしは罪人を救いにきたと。
ではわたしは何と言おう。
わたしは悪に平和をもたらすために来た。
平和な国家に戦争はない。
悪ある国家の悪人が戦争と略奪を行い不幸な歴史を積み上げてきた。
だから、わたしはシャルルマーニュもウサマ・ビンラディンも等しく悪の王とし、彼らに愛を解き、愛を守るのが唯一の天の法であると彼らに語ろう 愛のために生きるのはよい。
愛のために死ぬことはもっとよい。 天の戒律は一つです。
愛を守れ。
これだけで十分なのです。 欲望を抑えて生きるのは難しい。
だが欲望のない人間になにが成しえよう。
欲望を希望に変えて、身の丈に合うものだけを求めなさい。 いわゆる人の原罪は全部で13あります。
欺瞞
憤怒
色欲
強欲
大食
嫉妬
傲慢
不忠
不実
無視
雑言
野望
憎悪
これが人の持つ罪のほぼすべてでしょう。 あなたが手に入れるべきものは、必ずあなたの手に入ります。 自分で蒔いた種は、最終的にあなたが刈り取りあなたのものになります。
良い種を蒔けばあなたの世界は良くなり、悪い種を蒔けば、あなたの世界は地獄に近づきます。 み使いラファエルが言われる。
あなたが病める時、苦しい時に助けてくれる者を親友としなさい。 偽善は罪です
偽善とは人を助けたいという思いではなく見返りを求めて行うこころの伴わない他者での奉仕です。 何かをあきらめたり、誰かに未練をのこしたりすると、あなたはあなた自身の想念によって呪われます。 み使いガブリエルは言われる。
聖霊なる神のミサは苦しい時や辛い時に行ってください。 神は人の運命を決めません。
全てを決定するのはあなたです。 明日からやろう、というのはよくありません。
常に今からです。
明日は無限のように来るし、あなたが死ねば明日は来ません。
あしたがくる保証もありません。
まず今を生きてください。 歴史にイエスがいた。
それだけでいいじゃないですか。
何を追及する必要があるんでしょうか?
愛は人をひがみません
良くこんな嘘をついたものだと思いますね。
僻まない人もいるが僻む人間が多くいるのがまごうことなき真実じゃないですか。
愛と価値を持ち得た人間に向けて
不届きものが良く言ったものだと感じますよ。
食堂で堂々と言いますね。
イエスは嘘つきだったと私は言いますね。 何を勘違いしているのかわかりませんがここはキリスト教のスレじゃありません。 想いは言葉にせずとも伝わります。
こころにも目や耳はあるし、人は心を黙らせることはできません。 5 神も仏も名無しさん sage 2020/05/04(月) 00:20:16.16
以下があればカルト新興宗教です。危険ですのですみやかに離れてください。
・什一献金
・進化論否定
・聖日礼拝厳守
・終末思想(再臨/携挙)
・仏事/焼香/墓参/仏壇に手を合わせる/神棚の世話等の拒否
・地元の行事や祭礼に否定的な態度
・医療拒否
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1588518661/5 このスレは宗教のスレではありません
無償で得たものを無償で差し上げるスレです あなたがたは、いつまでも神の子であってはいけません。
この地上で苦しみや悲しみに耐え、怒りを堪えて自制のすべを学んでいるのは、あなたが神の子、人ではなく、神そのものになるための勉強です。
日々人生を反省し、理想の自分自身を探してその心を磨いてください。
父なる神はあなたの戻るのを待っています。 >>29
あなたの知恵はいりません。
その結果を刈り取るのは、あなたです。
聖霊によって書かれた聖書だけを私は信じます。 >>57
僕がこれらの言葉をガブリエル、あるいはラファエルから訊いていないとでもいうのか?
僕はあくまでも預言としてこれを書く
途中から天使の名前を省いているのはガブリエルから天使崇拝につながるとしてきを受けてだ >>57
ガブリエルの霊にわたしは訊ね、ガブリエルが答えて言われる
私がガブリエルであると言ってもあなたは信じないであろう
私がサタンだと言ったら、あなたは真吾をサタニストだと迫害するだろう
そして、現にこうして迫害の言葉を吐いている
知恵に基づく言葉は悪であり、聡き人は神に尋ねる
あなたも不明瞭なことは神に尋ねているではないか? >>57
あなたは神ではなく聖書を信じたのですから聖書で裁かれます
ユダヤ人でないあなたは死ぬという意味です 心は何のためにあるのでしょう?
心は他人の心を知るためにあるのです。
例えていうなら水鏡です。
心が穢れている人間は心の本来の働きである『他人の心を写す』ことができずに人を傷つけてしまいます。
心を美しく保つにはストレスのかからない健康な生活を送ることです。
宗教は死後の世界を教えてきました。
ですがこうして当たり前に『生きる』ことは教えていません。
イエス・キリストの失敗は多くの人間が肉体の欲に心を支配され、正常に働かないということを軽視したことにあります。
だからキリスト教は世界単一宗教にならなかったのです。
これはイスラム、仏教でも同じことが言えます。
死後のことではなく、生きることをまず彼らは人に問うべきだったのです。 時には人を頼ることも必要です。
身近に霊能者がおらず、悪霊や悪夢に悩まされているなら「南無阿弥陀仏」か「南無妙法蓮華経」と唱えてください。
ここは日本ですから大乗仏教の霊は働きやすいのです。
わざわざキリスト教の悪魔だからとキリスト教のエクソシストに会いに行かなくてよいのです。
悪夢、金縛り、幻視、幻聴が激しいなら南無妙法蓮華教と唱えて精神科医に相談してください。
蓮華教の知識も仏門を叩く必要もありません。 サタンは特定個人の人格のある霊ではなく、人の悪感情、罪を喰らって大きくなった霊を指す仮の名で、サタンという天使、あるいは堕天使はいないのです。
ですからサタンに目的はありません。
結果として悪感情に染まり、人に害をなす想念を生み出すものとなります。
キリスト教で大食が罪に数えられてるのは、そうした悪感情を食べすぎ自我を失うぞということのたとえです。 あなたかもし悪人、罪人を見ても、決してこれを裁いたり、侮辱してはなりません。
あなたが悪人を裁き、侮辱するなら、あなたもまたその者に裁かれ、侮辱されるでしょう。 神ははあなたの行いを見ています。
あなたが善人であるなら善人が生きるべき道を、悪に染まるなら悪人にふさわしい道を示し、悔い改めのチャンスを与えます。
また、人はあなたの行いを見ています。
あなたが悪しき人であれば悪人が群れ、あなたを破滅させるでしょう。 この世の命は限りがあります。
その命が神からの贈り物です。
心臓を動かすのは神からのあなたへの祝福です。
命ある限り、学び続け求め続けてください。
決して自殺をしないでください。
神がまた泣いてしまいます。 人が罪を犯し、自殺あるいは死刑になっても罪を償ったことにはなりません。
それは現実からの逃避です。
現実からさらに過酷な真実の世界での償いはここで限りある命で罪を償うよりもさらに過酷です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています