神君家康公
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勝つことばかり知って
負くることを知らざれば害その身にいたる
人生は勝負の社会ともいえる。常に勝ってばかりいて負けることを知らなければ心驕って
身を亡ぼすに至るものだ。負けるのは勝ちの真理を知るがよい。 人の基は慈悲あるべきなり
人の本性の中には慈悲の心即ち思いやりの心がなくてはならぬ。此の心の無いものは人間ではない。
世の中は助けたり、助けられたりして行くものだから。 身を全うしてこそ事の本をとぐるなれば
望ある身は一日の命をも大切の事なり
人は、身体が健康であってこそ使命を達成できるものであるから大望を抱いている者は一日の生命をも大切にしなければならない。 先日、映画『ブレイブ ―群青戦記―』のヒット祈願イベントが行われ、出演する渡邊圭祐さんが自身の性格をじっくり待つ徳川家康タイプと分析していた。
実際に、家康は辛抱強い性格だったのか、考えることにしよう。
■天下人の性格
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康については、その性格を言い表した有名な狂句がある。次に示しておこう。
織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」
信長は気性が激しく短気なので、鳴かないホトトギスを殺せと命じた。秀吉は知恵者なので、鳴かないホトトギスを鳴かせようと工夫した。
家康は若い頃からの苦労人で辛抱強かったので、鳴かないホトトギスを鳴くまで待ったのである。それぞれの性格をあらわしていて興味深い。
この3つの狂句は、第9代平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』に書かれたものである。
『甲子夜話』は文政4年(1821)から書かれ、静山が亡くなる天保12年(1841)に完成した。正編100巻、続編100巻、第3編78巻に及ぶ浩瀚な著作である。
この3句は「詠み人知らず」となっており、いつ誰が詠んだのかは不明である。
3人の天下人の性格が実際にこの狂句のとおりなのか不明であるが、江戸時代末期にはすでに定着していた可能性がある。
では、なぜ家康は辛抱強い性格になってしまったのだろうか。もう少し考えてみよう。 ■苦労人だった家康
天文11年(1542)、徳川家康は松平広忠の嫡男として誕生した。
松平氏は三河を領していたが、その威勢は弱体化しており、駿河今川氏に従属していた。幼かった家康は、今川氏の人質になっていたほどだ。
永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、家康は信長の配下に加わった。
天正10年(1582)に信長が本能寺の変で横死すると、家康は羽柴(豊臣)秀吉に従った。
慶長3年(1598)に秀吉が病没し、その2年後の関ヶ原合戦で家康は西軍に勝利したが、
家康の完全な天下取りは慶長20年(1615)の大坂夏の陣における豊臣氏の滅亡を待たねばならなかった。
つまり、家康は信長と秀吉という2人の天下人に仕え、なかなかチャンスに恵まれず、辛抱強く待たねばならなかったということになろう。
その事実が先の狂句に反映されたようだ。
また、江戸時代には「織田が搗き 羽柴が捏ねし天下餅 座りしままに食うは徳川」なる狂歌も広まった。
これは家康が辛抱強いというよりも、棚からぼた餅で天下を取ったことを揶揄したものである。
■有名な家康の遺訓
ほかにも、家康が辛抱強いとされた根拠としては、以下に示す家康の有名な遺訓がある。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり。 しかし、この家康の遺訓とされるものは、後世の偽作であると指摘されている。
明治になって、幕臣の池田松之介が『人のいましめ』(伝徳川光圀作)をもとにして、創作したものにすぎない。家康の花押まで似せていたのだから、手の込んだ偽造である。
この偽作を「幕末の三舟」の1人である高橋泥舟(ほかは勝海舟、山岡鉄舟)らが日光東照宮(栃木県日光市)をはじめ、各地の東照宮に奉納した。
これにより爆発的に世間に広まったのだ。
つまり、家康が辛抱強かったというのは、江戸時代に広まった伝承や偽作のようなものが根拠にすぎず、実際はどうだったのかよくわからないのである。
家康が辛抱強い性格だったというのは、今後の検討を要しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210216-00222815/
★1が立った時間:2021/02/16(火) 15:22:15.79
※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1613456535/ 味噌は擂木でするものである
味噌を擂るにはその擂りための擂木を使うのが一番よろしい。他の物で代用してはうまくは行かない。物には各使命があるのだ。この道理をわきまへよ。
久能山東照宮
https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php 天下太平治世長久は 上たる人の慈悲にあるぞ
世の中が長く平和である事は政治を行う者が国民を愛する心の有無によるものである。
故に上に立つものはこのことをよく心得て政治を行うがよい。 味噌は擂木でするものである
味噌を擂るにはその擂りための擂木を使うのが一番よろしい。他の物で代用してはうまくは行かない。物には各使命があるのだ。この道理をわきまへよ。 いかりは敵と思へ
怒りたい事も時々あるが、決しておこるな、いかりは百失あっても一得もないのみならず
遂には我が身を亡ぼすものだ、修養を積んで怒らぬ様にするのが身を大切にする事だ
長生きして社会公共に貢献するがよい。 常に天道を恐れる事を以て第一の慎みとする
人間の第一の慎みは自分の行いが天の道にそむいているか、どうかという事で、
この慎みを怠る時は天罰の有る事を思わなければならない。 人は凡てに賢からず 一事に愚にして一事に優れたるものあり
人は万能ではない、或る事には長じているが他のことには劣っている事もある故にお互い
助け合って行くべきものだ。これがあって世の中は進歩するものだ。 何事も我身に競べてなすときは
ひがむことなし
何事も自分の才能を標準にして考えれば他人の成功をうらやむ事はない。
成功した人は立派な才能があったからだ。成功を望む者は充分才能を働かし一段と努力を
重ねなければならない。 よく我身を省み
我心にて 心に意見せよ
人間は自己反省をしなければ完成はむずかしい。自分で自分を省み、悪いことは自ら直して行けよ、立派な人間になるぞ。何事にも反省は大事だ。 人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
人の一生は重い荷物を背負って遠い道のりを行く様なものだ、よくあたりに気を配って
一歩一歩ふみしめて行け、急ぐと失敗するから急がぬがよい。 人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
人の一生は重い荷物を背負って遠い道のりを行く様なものだ、よくあたりに気を配って
一歩一歩ふみしめて行け、急ぐと失敗するから急がぬがよい。 先ず己が好む所を避けて
己が嫌う所を務むべきこと
自己を完成するには自分の得意とする所はさけて不得手な所を得意とする様に努力するがよい。
か様にして立派な人格者となるものだ。 人は凡てに賢からず 一事に愚にして一事に優れたるものあり
人は万能ではない、或る事には長じているが他のことには劣っている事もある故にお互い
助け合って行くべきものだ。これがあって世の中は進歩するものだ。 人の基は慈悲あるべきなり
人の本性の中には慈悲の心即ち思いやりの心がなくてはならぬ。此の心の無いものは人間ではない。
世の中は助けたり、助けられたりして行くものだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています