昭和と平成 ここが変わった宗教界
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たとえば入信する動機
【昭和】日常生活に直結した悩みを解決したい(いわゆる貧、病、争)
【平成】死後の事に不安を抱くか終末思想への傾倒 桐山及び阿含宗は悪い方向へ行ってしまったとの情報を得てるのでダメだが原始仏教である阿含経の7科37道品は
具体的にたとえばここで足に縄をつけてファンジージャンプ見たく飛び降りるとか、ここでは心による行そくを具体的にはどう覚智
するのかなどを早く解明したほうがいい。阿含宗も完全には解明できてないんではないかと思う。
そしてネットなどでも載せ、コースももうけることが大事。密教では金剛界の曼荼羅に37に分けた絵をのせてそれを観想するだけ
になってしまっており具体的な修行をやっておらず本当の力や悟りがひらけない。やれるようになると密教の苦行してきた坊さんよりも
何倍もの、いやもっと?力がつくし本当の悟りがえられるだろう。その阿含教をやったところからは密教の方法をとると本当に力
を発揮する。ただし不動はやはり悪いほうへいってしまい上神仏界では抹消対象となってるので唱えないほうがいい。
そこは降三世明王などに変える必要がある。また阿含教をやって悟ると、悟りはえられるかもしれないが、後でこんなことをやりたい
と俗世間的なものごとをやろうとしたときまったくやれなくなってしまう。これ自体には当の釈迦さえも悩んでいる。
だから、引き出しを分けるなどしてそこに煩悩はやすとか、新たな改良が必要。両立できるようになんとかしたい。
たとえば、西洋は文明、東洋は無文明(どちらかといえば)にわかれてしまってるがこれも両立したい。また社会的にもダメになってしまうこれもなんとかしたい。
社会がまずいところは社会も変わるようにしたい。 >>1
おいらなんか信者の女の子を引っ掛けることが目的で宗教に入ってたんだけど、
こればかりは昭和・平成を言わず、いや、いつの時代を取っても変わりがない動機なのかも知れないね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています