X



トップページ心と宗教
764コメント723KB
外道の独り言 8
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/10(日) 16:35:46.20ID:QdzHGF9T
☆彡
「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです

自由に書き込みしたい方は↓こちらへ
ひだ =^・ ・^= まり
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1500265524

前スレ
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1491547539
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
0002宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2017/12/10(日) 16:53:44.00ID:qOfTsAYN
>>前スレ998
>宝珠バカが達成できたのかや。バカ丸出しであるよ。
>自分ができないことを宣伝しているのかや。
>それとも迷信で宣伝しとるのか。バカ丸出しであるよ。

この私は理論的に理解するが故に肯定するが、
馬鹿というのは、体験しない限りは信じられないんだな。
尚、物質科学がまだ認めていない超常現象が事実としてあることくらいは、
この私も自らの体験に拠って確認済だ!!

迷信は嫌いだが事実は認める。
真実は一つだからだ。

>>1
おじゃるさん、乙
0003神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/10(日) 17:07:30.43ID:u1CKmoBF
馬鹿に限らず、その人が信じられる納得できる、特定の形が重要で、その形を通してじゃないとダメな人がいるね
0004亀和尚
垢版 |
2017/12/10(日) 17:14:17.13ID:gmlUkheY
此処でアドリブが利かない 
奴は悟りとは無縁じゃ!渇
0005おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/10(日) 17:43:46.91ID:QdzHGF9T
>おじゃるさん、乙

いえ、こちらこそいつもお世話になっております

パーピマン殿
セブン僧侶どの
宝珠殿
バカ丸出の?123タソ
そして、その他の先生の方々

これからも ヨロ m(_ _)m

外部リンクへの↓まとめ

JKなんだけど親でどうしたらいいなわからない
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1442810043

悟ったからみんなを悟りに近づける
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1338589938

大乗非仏説知っているのに大乗仏教信仰する人って
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1487683949

仏教哲学総合スレ3
ttp://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1497619233

なあ、生きる意味ってなんだ?
ttp://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1487755076

今、世界は無宗教が増えてる
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1507854163
0006パーピマン
垢版 |
2017/12/11(月) 14:30:33.64ID:iu3Lc+Cy
スレ立て乙
0007神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/11(月) 15:19:29.39ID:8QKL3pi9
覚者になれないバカの集まり、ご苦労様である。
0008神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/11(月) 15:20:27.42ID:8QKL3pi9
覚者になれないバカの集まり、ご苦労様である。
0009宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2017/12/12(火) 15:26:41.24ID:fYxjjHI6
>>7-8
意味不明。
自ら触込んでくる自称覚者なるものの99.9%は偽物だ。
覚者になれないのではなくて、
その厳しい道に歩み出してからも更に幾生涯かかるもの。
0010神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/12(火) 15:43:16.17ID:C/NjBYOg
9.
幾生涯かかるもの、か。
バカは大変であるなー。
AIで簡単に悟れる時代が来ているよ。
0011パーピマン
垢版 |
2017/12/14(木) 02:34:03.25ID:KPurGImx
今まで、宗教者たちの中に、それこそ、箸にも棒にも掛からぬクズを見てきたが、
宗教アンチの中にも、それに引けを取らないクズがいるなあと 改めて再認識したww

結局は、宗教を信じる、信じないとは無関係な個人の資質の問題なんだよなw
0012亀和尚
垢版 |
2017/12/14(木) 04:02:09.00ID:+v2Cf+wc
>>11

今一度六道輪廻の意味を考え

てみるべきじゃのう!渇 (‐人‐)
0015神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/14(木) 23:21:32.48ID:eUcMnXZ/
おじゃるの仏教は、所詮文字仏教。
国会図書館の蔵書と同じ。

倉庫の奥にしまわれている仏法に、何の意味があろうか?  >>ALL
0016神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/14(木) 23:33:44.00ID:65WUNWrx
11.
覚者になれないところのバービマンの資質の問題であるよ。
そのバカさぶりを、改めて再認識した、よ。
0017宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2017/12/17(日) 14:19:47.01ID:/MkEu1LP
奈良氏が遷化された。
ご苦労様でした-そして、ありがとうございました。
『NHK市民大学』拝聴していました。

奈良康明氏(元駒澤大総長、東京都台東区・曹洞宗法清寺東堂)
2017年12月15日付 中外日報(訃報)
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/obituaries/20171215-001.html
0018パーピマン
垢版 |
2017/12/17(日) 14:36:23.45ID:gfba5Tnw
なんと!

それは残念。

この人は、現代の仏教学者でも、最も好きな学者の一人だったのだが。

(´;ω;`)
0019神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/17(日) 14:37:43.48ID:zxkllu5/
17.
奈良康明、の学説批判が出来ないバカが多い。
0020宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2017/12/17(日) 15:06:13.45ID:/MkEu1LP
>>19
エッ、何が??
その奈良氏の学説とは何よ?
0021宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2017/12/17(日) 17:42:51.53ID:/MkEu1LP
>>19
バカ扱いするんだから、当然、
その奈良氏の学説とやらを列挙できるんだよな?
0022おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/17(日) 18:45:50.93ID:55YboQ5w
 
>>13>>14>>15
円成実性の意味がわからないと
『円成実性としての慈悲の実践ができないでしょ?』という意味でつ

遍計所執性している → おじゃるには
『円成実性を見ずして → 依他起性を見る(正見する)ことはできない』という意味でつ

>>17 >訃報 − 哀悼の意を表します m(_ _)m

仏教の話とは関係ないけど↓とりあえず
ttp://www.2nn.jp/test/read.cgi/refuge/1508946009/68-
69 2017/12/16(土) 以降から〜
アメリカ・サンフランシスコにある? 5ちゃんねる鯖が重量動作

サイバー攻撃可視化マップ
ttps://blog.halpas.com/archives/9453
ttp://map.norsecorp.com/#/
とりあえずはアメリカが攻撃されている感じ?

ID:zxkllu5/の123師匠は
奈良康明氏とかの解説も読んだことないのに
奈良康明氏の学説批判が〜なんちゃらかんちゃら 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:8ab2431905831dacf8b4fc1cebc2f355)
0023おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/17(日) 19:34:26.85ID:55YboQ5w
 
鯖が重量動作になっているようなので
とりあえずの
緊急避難として↓ご利用くださいませ

super2ch BBS
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ひだ =^・ ・^= まり

書き込み規制対象の人も↑書き込みできるかも?

ちなみに、なんちゃって覚者タソとかの場合は
…心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて…
この勝義諦そのものなので、それゆえに
『経典・論書・解説書は邪悪なるものである』という感じなのかしらん?

 − これに対して −
おじゃるの場合は ← 無明に依存しているので、それゆえに
…心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて…
この勝義諦そのものに戻り帰り
この勝義諦から → 依他起性している世界を観照する

どこかへ飛んでいってしまう心の働きを集中対象である呼吸に戻して
無明している世界を手放して → 般若の智慧と慈悲の世界に戻る帰る
0024神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/17(日) 22:38:49.55ID:GK37n/BF
そうか、亡くなられたか・・・

仮にもゼミ生だった身としては、読経の一巻でもせなならんかな・・・ 
0025おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/17(日) 23:44:40.18ID:55YboQ5w
 
法界体性智の世界からの観照によって
…心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて…

般若の智慧と慈悲の
平等性智の世界からの観照によって
実相般若として

如来の大悲・大智によって → 衆生に応じて
衆生が → 如来の大悲・大智を受け入れて

準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば、一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し、この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん

聞是観世音菩薩。一心名称
是の観世音菩薩を聞いて一心に名を称せば

観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱
観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得せしめん

説般若波羅蜜多呪即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経

願わくば、この功徳をもって、あまねく一切に及ぼし
われらと衆生とみなともに、仏道を成ぜんことを

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0026神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/18(月) 17:04:21.24ID:BR3kWbQH
奈良時代の弓削道鏡というお坊さんは法相宗(唯識)の坊さんなのに何故密教僧のように加持祈祷が出来たのであろうか?

平安時代の仏教は国家鎮守・護国が目的とされたので真言のみならず天台でも密教一色になっていったというが
道鏡が平安時代に生まれていたら高僧と言われてたんだろうな
女帝ももう誕生しなかったしなw
0027おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/18(月) 18:27:46.73ID:U2SgogwC
 
↓リンクの貼り付けができない

↓間違ってたら スマソ m(_ _)m

道鏡は誰から密教を学んだか?
道鏡が密教を学んだのは、玄ムからだったかも?

玄ム
…唯識教学を中心に
雑密を含む他宗派の教学や広範囲な…
初期密教経典関連…
密教経典の善無畏の「大日経」「蘇悉地経」、金剛智の「金剛頂経」等が含まれていた

…玄ムと空海は母方でつながっており…
…空海は玄ムの影響を受けており…
…密教が当時最先端の仏教であり
いわばトレンディー(豪華絢爛・華やか)な教えであった…

金剛智・善無畏から
 → 不空から金剛頂系、玄超から『大日経』系と『蘇悉地経』系
 → 恵果
 → 空海へ

 → 縁起一代阿闍梨師匠から → おじゃるへ?
0028神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/19(火) 00:21:53.45ID:g1XdHuHa
道鏡や行基のような法相宗僧侶は五姓格別という思想を持つ差別主義者
0029おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/19(火) 03:26:34.01ID:MlJlckit
 
『法華経』などの説く一乗は
人々の心に合わせて導く
各人の宗教的能力を考えて導く
方便であるとし
誰もが成仏するわけではない。五性各別

たとえば
仮設としての
無明している世界の中で
無明に依存している
おじゃるには
無明に依存しているゆえに
『解脱すれば仏だ』ということに ← 気づくまでは、気づくことは難しい

青目(ピンガラ)の中論  觀如來品  第二十二
無明に依存して → おじゃるは
戯論して慧眼を破れば、仏を見ることはない
0030神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/19(火) 07:34:56.33ID:QYos7Es7
29.
バカおじゃる、は西田哲学を理解すれば、少しは利口になれるのだが。
バカでいるほうが楽かいな。
何が無明で、何が解脱なのか、を説明できないバカであることになる。
0031神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/19(火) 08:07:28.60ID:K2KFrWAU
一二三は、
ケチつけるしか能が無い。

しかも、語彙がバカの繰り返しのみ。

馬鹿の典型。
0032パーピマン
垢版 |
2017/12/19(火) 11:54:21.69ID:cN0Ss6Dk
禅宗史のどれかを買おうと思っていたのに

宮崎と佐々木の対談本が目に入り、つい買ってしまったw

どうも奴らの著作は買ってしまうw
0033おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/19(火) 15:11:03.04ID:MlJlckit
 
↓これかしらん?

ttp://www.shinchosha.co.jp/book/603818/
ごまかさない仏教  仏・法・僧から問い直す  佐々木閑・宮崎哲弥

どのお経が「正典」なのか?
「梵天勧請」はなぜ決定的瞬間なのか?
釈迦が悟ったのは本当に「十二支縁起」なのか?
「無我」と「輪廻」はなぜ両立するのか?
日本仏教にはなぜ「サンガ」がないのか?
日本の仏教理解における数々の盲点を、二人の仏教者が、
ブッダの教えに立ち返り、根本から問い直す「最強の仏教入門」

↑金銭的に余裕があれば買って読んで見たいと思いまつ
  _  _  _

>倉庫の奥にしまわれている仏法に、何の意味があろうか?

おじゃるの場合は
無明に取り憑かれているからこそ
倉庫の奥にしまわれているような
現代語訳で初心者向けの、わかりやすい解説書も読んで見たいでつ m(_ _)m
0034神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/19(火) 15:16:55.70ID:JKXxsVmj
33.
学説批判のできないバカが読んでも、どうなるのかや。
0035おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/19(火) 17:05:43.69ID:MlJlckit
 
学説批判をするためにも
現代語訳で初心者向けの、わかりやすい解説書も読んで
その学説を理解した上で
批判した方が良いんジャマイカ?

理解することもなしに
どのように批判するのかや?

たとえば
なんちゃって覚者タソとかは
理解するのが面倒なので、それゆえに
『解説書とかは邪悪なものである』と掴もうとしている感じがする

 − これに対して −

縁起一代阿闍梨師匠は
チベット・ニンマ派を受け容れよと、ご教示してたので

おじゃるの場合は
チベット・ニンマ派とかも
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす
瀉瓶のように受け継いでいきたい。という感じでつ
ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
0036パーピマン
垢版 |
2017/12/20(水) 01:01:27.50ID:CB011R94
>↓これかしらん?

そうだよw
0037神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/20(水) 02:15:23.94ID:8SgAYoy2
>>29
五蘊皆空、一切皆空なのに何故機根には先天的な差があると言えるのか?
前世からのカルマだというのなら過去を悔いて菩薩道を歩んでいけば阿僧祇劫の転生の末には成仏するであろう
仏の慈悲と方便は衆生をもれなく救いとり火宅の外に連れ出して一乗仏道という牛車を与え衆生にカルマを清算させる機会を与えてくれるのである

無性有情の者は悟りを得ることができる無漏種子がないという思想は五蘊皆空からも間違っているし仏の慈悲を侮っているともいえる
0038おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/20(水) 03:04:44.30ID:49TlFF0d
>>36 その書籍は、上座部系?それとも大乗系?

>>37
おじゃるの場合は
『仮設としての』という意味で
仮の現れ(そして滅)として
輪廻肯定なので

それゆえに
今この現世においては

五性各別として
『誰もが成仏するわけではない』と掴もうとしている想いがあったとしても

来世においては↓
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳  第一義空経

無明滅するが故に → 行滅するが故に → 識滅す
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
密集を看破した時には、無常であり、そして無我への領悟、了解が生まれて
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
仮設としての
(我癡・我見・我慢・我愛が依存している)無明している世界を手放して
無我行を実践することができる(かもしれない?)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
般若の智慧によって観照された → 実相般若そのものとして

とりあえず今現世においては『遍計所執性している』ということでつ スマソ m(_ _)m
0039パーピマン
垢版 |
2017/12/23(土) 11:31:59.41ID:ANAXvxWQ
上記の本・・・・

まだ最初の方しか読んでいないが・・・
初めから、パーリの訳本紹介やら、位置づけ、評価などから入って
とても初心者向けとは言い難いなあw

だが、基礎を一通りやってるなら、その話題は面白いのが多いw
0040神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/23(土) 17:09:20.80ID:9ahIZGYi
2017/11/28(火)ザ・ボイス 宮崎哲弥×佐々木閑 「知っているようで知らない仏教の基本・現代における仏教の意義」

https://www.youtube.com/watch?v=FJADy9Z0X2o

9:00ころから・・

う〜〜ん^^

浅いな^^
0041因縁果 ◆d........o
垢版 |
2017/12/23(土) 17:23:26.41ID:9ahIZGYi
浅いな^^

というより嘘を言っておる^^
0042おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/23(土) 19:47:42.15ID:r1gJJUc8
 
>>39 >パーリの訳本紹介やら

とりあえずは
上座部系という雰囲気でつね?
ご教示ありがとうございます スマソ m(_ _)m
  _  _  _

>>41 因縁果師匠へ

レスをたくさん使うと
パーピマン殿に怒られるので

現代語訳で初心者向けの、わかりやすい説明で

ひとつのレス内に収めて下さいませ ヨロ m(_ _)m

一応 9:00のところから拝聴させて頂きました

おじゃるの場合は
唯識も。後期大乗密教も。肯定派だけど

上座部系も肯定なので
それゆえに、かなり勉強させて頂きました アリガト m(_ _)m
0043基地子菩薩
垢版 |
2017/12/23(土) 23:10:26.54ID:EqrCvnPG
>>42
               ,ィ升ハ
             _,ィ升圭圭}        ┼
          ,ィ升圭圭圭圭圭`ヽ
         /レ'´    。   `マ ハ
          |:!  _ __    _  マ圭!
   +.       リ ´        `  }/j}   ほほほほほほほほっほほ・・・
          fl -=≠= Y  ,≦=ミ !ル
         ||     :|   ´ ̄`   | :}    \/
         ||     :|_      ル1    /\
        从    _ __      !  |
     X     人   乂__フ    ノ__ノ
            \      . イ {\
    __ ..  --  「  ̄    j |   ̄ ̄ ー ..
  /´           | |      | |  /
0044神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/25(月) 03:49:10.38ID:vTacNk5F
富岡八幡宮、初詣は例年通り…「お祓いの儀式をすでに行った。祟りなど抑え込んでいける」
http://mona-news.com/archives/74176101.html
0045神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/25(月) 09:07:14.75ID:Vg8rxV0o
余談ですが、これも一種の宗教みたいなところがあるので書きますと、アミューズメントメディア
総合学院のアニメータ科の内田順久のいうことは絶対聞いてはいけません。
学べるのは本当に一部分の技術だけです。内田は過去にアダルト作品を作っていますが
どれもインポみたいな作品になり失敗しています。内田は潔癖症ではありません、インポです。
その上モテません。
アダルト作品を作ろうと考えてる人は特にこいつの言うことにしたがってはいけません。
インポにされます。
0046神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/28(木) 23:27:25.15ID:WEv14tl7
仏教の外野は勿論、仏教好きやマニアも、
当然、今回の大相撲騒動は、世界中のどんな重大ニュースより注目し、
人によっては貴乃花に、人によっては協会に、「人によっては若乃花に」シンクロしてるよな?w
0047おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2017/12/29(金) 03:39:25.68ID:CnpR0rNP
 
↓この記事が正しいのか?わからないけど、とりあえず

ttp://diamond.jp/articles/-/154602
2017.12.28
貴乃花親方バッシングに見る相撲協会とマスコミの「狂気」

おじゃるは
テレビがないので
わからなかったけど
このような事件?事故?が起きてたんでつね?
知りませんでした m(_ _)m

とりあえずは
『マスコミ情報が正しいとは限らない!』
ということに気をつけまする m(_ _)m
  _  _  _

仏教とは関係ないけど、とりあえず
ttp://www.sankei.com/life/news/171228/lif1712280026-n1.html
インフルエンザ集団感染

お気をつけて下さいませ m(_ _)m

喉(のど)が痛い、おじゃる
0048パーピマン
垢版 |
2017/12/29(金) 10:59:41.06ID:JJVxII0B
今年も残すところ、あと僅かとなりました。

周りでは、インフルが流行りだしたとの話も聞きます。

皆さま、ご自愛のほどを。
0050神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/29(金) 14:12:08.75ID:zKPWdRSF
薬師如来は、その名の示すとおり医薬を司る仏であり、左手に薬壺を持ち、病気を治す仏さまとして有名です。
薬壺の中には、身体の病、心の病、社会の病など、病という名のものはどんなものでも治してしまう霊薬が入っているのです。

真言は、「オン コロコロ センダマリ マトウギ ソワカ」です。
真言(マントラ)とは、仏に守護を願い、直接呼びかける、謂わば「パワーコール」なのです。
ですから特に訳す必要はありません。その言葉自体に意味があるのです。

薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏さまです。
人間にとって一番恐ろしいのが死を招く病気です。
病気には体の病気から心の病気までいろいろあります。
欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これらも実は皆病気なのです。

薬師如来は応病与楽の法薬で、苦を抜き楽を与えてくださる抜苦与楽の仏さまです。
サンスクリット語で思い通りにいかないことを「苦」といいます。
その四苦八苦のなかで「病」ほど大きな苦はありません。
どんなに地位名誉や財産があっても病に苦しんでいたら幸せとはとてもいえません。

人類にとって健康は永遠のテーマであり、幸福の担保はまさに健康にあると言っても過言ではありません。
どんな宗教にも多くの御利益が謳われていますが、「無病息災」こそ万人がこぞって求める最大の御利益だといえるでしょう。
0051神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/30(土) 15:12:03.45ID:NN8X8OR/
139神も仏も名無しさん2017/12/30(土) 15:10:35.54ID:NN8X8OR/

【弾いてみた】『RE:I AM』by Aimer インスト - nicozon
0052神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/01(月) 08:00:46.73ID:3QA/b/DC
  梅一朶
     竿の頭に掛けおきて
    空手で下る
      網の裡かな

  欽奉慶新春爽気候      
0054神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/01(月) 16:33:20.72ID:MQszd8mY
門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし

一休宗純
https://stamp.bokete.jp/17581600.png
0055因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/01(月) 16:52:52.83ID:7ulZ5ytT
門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし


悟りには程遠いな・・・^^

愚作
0057因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/01(月) 17:41:55.30ID:7ulZ5ytT
うん^^

動画見たが・・・^^

かわらん^^

愚作
0059おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/03(水) 04:58:45.49ID:LHLjyrWh
 
隠居師匠は何を主張したかったのか?わからなかったけど、とりあえず

法(dha a)と存在(bhava)と存在しているもの(sat)
(仮設としての?)
3.恒常性論証?
…今眼の前に見る花瓶は以前に見た花瓶の記憶と照らして推理すると同じものだと判断できる
仮に汚染の有無などの相違や,光線の加減や
見る際の気分の違いで,色調が違っても,それは無視されるか,意識もされない

これがウダヤナの解釈であり,我々の常識でもある
ここに瓶は実体として物体,物品として見られる
ここには眼に一瞬に知覚した色=属性は
一瞬後には違うという繊細極まりない視点がない,常識的な粗雑な見方である

ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
(仮設としての?)
中観自立派
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相(自性)として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存している?
0060因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 17:49:14.59ID:jlpkNqJa
色受想行識はまさしく空やな・・・
0061因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 17:57:31.74ID:jlpkNqJa
虚妄の執著・・・

色即是空

理解するものは少ない・・
0062因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:00:47.88ID:jlpkNqJa
みんな虚妄の世界に住んでいるからな・・

そこから抜け出すには解脱するしかない・・

つまり・・
0063因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:04:27.86ID:jlpkNqJa
まずは・・

無我すなわち我に対する執着を断ち切ることからはじめなければならん
0064因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:10:40.19ID:jlpkNqJa
無常を観ずるは即ち是れ空(=人の無我と法の無我〉を観ずるの因縁なり。
色は念々に無常なりと観ずれば即ち空たるを知るがごとし。

「智度論」
0065因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:14:16.66ID:jlpkNqJa
「無常→苦→無我といわれるようにこの順序は不動で,苦や無我が無常より先に説
かれることはない。」

まさしくそうやな・・

無常がまず先やな・・
0066因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:18:37.09ID:jlpkNqJa
無常を根拠に苦法が存立し,苦法に依って無我法が成立する。
0067因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:26:23.14ID:jlpkNqJa
「諸行無常 是生滅法 生滅滅己 涅槃寂静」

と,読まれているように無常とは,現象が生滅変化していく法の性質をいう


万物が流転すれば,人は現象のうつろいゆく姿を痛感させられる。したがって,
法の無常性を契機として無我の道理も成り立つことになる。
0068因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:28:57.60ID:jlpkNqJa
う〜〜ん^^

悟りの世界やな・・・
0069因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:33:19.01ID:jlpkNqJa
喜怒哀楽の虚妄の世界に住んでいるおまいら・・

理解した?^^
0070因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:39:29.39ID:jlpkNqJa
無常の故に直ちに無我が導かれるのではない。凡夫にとっては,
まず無常法によって苦法が導かれる。
凡夫はすべてのものが無常であるという真理を,生来の無知(無明)の故に
自覚することができず,わが身に執着(五執蘊〉し,さらにわが身が頼りと
するところのものを永遠でありたいと望み,執着する。しかし無常の法は,
絶対的であって凡夫の願いを容赦なく打ち砕く。
ここに苦の法(一切皆苦〉が生じて来る。したがって,苦の法は,無常の法に
依存する二次的根拠であるが,凡夫の無常なものに固執するこの習性は,
無始時来生と仏教では説明する。


凡夫すなわちおまえら^^
この世界に生命が誕生したときすでに,自
0071因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 18:41:03.55ID:jlpkNqJa
無常→苦→無我か・・・^^

まさしく^^
0072おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/03(水) 18:46:55.86ID:LHLjyrWh
 
仏性からの真如縁起からの観照によって
  ↓
空即是色

ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
ついにの頂点に達して
さらに無の世界も超えて

大円鏡智からの → 阿頼耶識を観照して
平等性智からの → 末那識  を観照して

(移り行く世界の様を)ありのまま見つめている

円成実性から → 依他起性を観照する

(色即是空してから?そして → )空即是色?
  _  _  _

仮設としての
依他起性している世界の中で
地水火風空識に依存している
色受想行識の仮和合

ということに気づくことなく

一休さんに石を投げつけている?
>>56のリンク先を参照
0073因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 19:07:09.35ID:jlpkNqJa
一休宗純 - Wikipedia
正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。

文明13年(1481年)、酬恩庵(京都府京田辺市の薪地区)おいてマラリアにより死去
享年88。臨終に際し「死にとうない」と述べたと伝わる。

臨済宗か・・
0074因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 19:14:45.31ID:jlpkNqJa
臨済宗は坐禅を修行の根本に位置付けながらも、同時に師から受けた公案について考え尽くし、師と問答を繰り返すことで悟りを目指す宗派である。

なるほどね^^
0075因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 19:49:11.68ID:jlpkNqJa
一切衆生は本より涅槃常楽の体にして、法身般若の智身なれども、此(この)五蘊の色心に迷ひ、ゆえに凡夫となり三界に流浪するなり。

この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり

かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。

これ一重の、凡夫のまよいなり。
0076神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/03(水) 19:49:33.76ID:8grsGd2E
神智学などにおいての各段階(イニシエーション)は、非常に非常に非常に簡単にいうと

第1段階:魂による肉体の統御
第2段階:魂によるアストラル体の統御

第3段階:魂によるメンタル体の統御(ここで、肉体・アストラル体・メンタル体の低位3諸体が統御される)

第4段階:磔(コーザル体の死)

以下略(人間が肉体を持ったままうけられる最高段階は第5段階とされています)

イエス・キリストは第4段階、臨済宗の栄西で2.2段階だったとされています。
0078神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/03(水) 19:59:16.29ID:jlpkNqJa
第五に、識というは、これすなち色受想行の四つのもといとなりて、三界六道を生じて人々の身より森羅万象、天地虚空までを生ずるまよいの根本なり。

この識は全体本心にて、体には差別なしといえども、無明のわずらいある故に識という。

http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110606/1307368476

なかなかやな^^
0079因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 20:12:44.89ID:jlpkNqJa
心経にいはく、五蘊みな空なりと照見すれば、一切の苦厄を度すと。

この意は、五蘊本より空にして、なきものなる事をさとりて、
その理をあきらかにてらし見れば、一切もろもろの、生死の苦患厄難を
度脱して、法身般若の体にかなふという意なり。


う〜〜ん^^

すんばらしい^^
0080因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/01/03(水) 22:03:06.29ID:jlpkNqJa
三界は虚妄にしてただ一心の作なり
0083おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/06(土) 16:48:05.55ID:q4M5Bh/L
 
ttps://www.youtube.com/watch?v=03FQLJNq5Sw
NHKスペシャル
キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ

ttp://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス
…何か雑念が出てきたことに気づいても
その辺りに漂わせておくようにして
自然に消えていくのを見届けます

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
…まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
…胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95
認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)
マインドフルネス認知療法(MBCT)
弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Therapy:DBT)
マインドフルネス
呼吸や、感情が生じては去っていくまでを観察する

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
第一禅定 ヴィタッカ(尋)
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
呼吸(を観照すること)に戻してくる要素があります
(仏性からの真如縁起からの観照に ← 戻る帰る要素があります)
0084パーピマン
垢版 |
2018/01/07(日) 02:34:20.40ID:Imi5SlZy
>>82

まあ、何ていうか、止観 の簡易版みたいなw
0085おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/08(月) 18:29:36.97ID:+HCmKj3W
 
ttp://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1491547539/361
(たとえば
  上座部系とかの
  止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)とかの)
様々な手法で、治療や改善を試み、効果が出たとしても
その後再び、(ダイエットに於けるリバウンドの如く)
うつ病が再発する際の理由は何だと思う?

 − この問いに対して −
ttp://www.onedhamma.com/?p=6455
2018/01/07のPodcast法話
仮設としての
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
『(精神的な状態が?)以前よりも悪化する場合もある』ということであるらしい

止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)とかの実践をする場合は
たとえば
パオ・セヤドーとかの師匠のもとで実践しないと
(精神的に?)危険な場合もあるらしい

(これは↑おじゃるの個人的な見解ではないでつ。一応、念の為… スマソ m(_ _)m )

余念を交えず、ただひたすら只管打坐も
只管打坐の師匠のもとで実践した方がよいかも?
0086おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/08(月) 19:07:36.06ID:+HCmKj3W
 
仮設としての
無明している世界の中での
頼耶縁起、前提の
我癡・我見・我慢・我愛、前提の

第六意識からの観察は
(精神的な状態が?)悪化する場合がある

 − これを対処するために −

仏性そのものからの観照によって

上座部系の場合は
どこかへ飛んでいってしまう心の働きが → 呼吸(を観照すること)に戻る帰る
(仏性そのものからの観照に ← 戻る帰る)

禅宗系の場合は
余念を交えず、ただひたすら只管打坐 『仏性そのもの』
  _  _  _

師匠のもとにつくこともなく
一人だけで実践するのは危険な場合もあるらしい スマソ m(_ _)m
0087パーピマン
垢版 |
2018/01/09(火) 15:35:49.19ID:e927kYH5
佐々木閑氏・・・・彼は大方の見解は賛同できるのだが、無我輪廻論だけはどうもねえww

宮崎氏に激しく突っ込まれていたがw

この無我輪廻論をいう奴は結構いるけど、彼らは決して、「業報論」の話はしないんだよねw
一対一対応の業報(悪因悪果)の話になると、無我と矛盾ししてしまうからw
(決まって、「五蘊によって形成される『我』という仮設されたものは業のエネルギーによるものであって
それが継承されるのあり、それは不定形で、なんちゃらと・・・・」www というだけで、
業の対応関係、即ち、三世に跨る自業自得の話はしないww)

・・・・・仏教が内包する最大の矛盾の一つなんだから、いい加減論理的整合性をつけろとw
仏教学者たちはw
0088おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/09(火) 18:01:15.76ID:CQdaGEpH
 
金銭的な余裕がないので、まだ読んでないけど、とりあえず
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/603818/
ごまかさない仏教
仏・法・僧から問い直す 佐々木閑・宮崎哲弥

「無我」と「輪廻」はなぜ両立するのか?

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
仏教内における輪廻思想の否定
現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中に
『ブッダは輪廻を否定した』という主張が少なくない

『ブッダは輪廻を否定していたが
  その当時の人々が輪廻の観念に縛られていたために
  仮に是認した』
だからこそ
『輪廻という想念に留まるべきではないと導いていた』

輪廻否定派の場合は↑これでよいんジャマイカ?

たとえば輪廻否定の場合でも↓この現世において
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて → 『苦しい!』が現れる
無明滅する  → 行滅する  → 識滅する  → 『苦しい!』が滅する
0089おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/09(火) 18:29:10.33ID:CQdaGEpH
 
(輪廻否定派にとっては…)
バラモン(ヒンドゥー)
…人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

この段階で↑すでに論理的整合性は破綻している。と思われる

この論理的整合性が破綻している。と思われる
輪廻を
とりあえず仮の前提として
その当時の人々の心の働きに合わせて導いているので

今、現在の輪廻否定派にとって
完璧に納得できるような
論理的整合性による導きは難しいのかも?

縁起一代師匠なら、どのように答えたのでしょうか?

セブン僧侶なら、どのように答えまつか? ヨロ m(_ _)m
0091神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/13(土) 01:41:57.05ID:J8ERxpPy
ラマナ・マハルシ師は『あるがままに』の中で輪廻転生の問題を以下のように説明している。

質問者  輪廻転生は真実でしょうか。
マハルシ 無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。
本当は輪廻転生など全く存在しない。今も、今までも、そしてこれからも。これが真理である。

ということで、ラマナ・マハルシ師は輪廻転生すら無知(即ち、自身の肉体や心を真我と思いこむこと)に基づいた現象であり、
真我の立場からは存在しないと一刀両断にしている。
以下、魂やサンスカーラとの関連で次のように応じている。

質問者  ・・・魂とはヒンズー教の教義が示すように、何度も何度も生まれ変わる実体なのでしょうか、
それともそれは単なるサンスカーラ、精神的傾向の集合体にすぎないのでしょうか?

マハルシ 真我は永遠に存在し、影響を受けない。
転生する自我はより低い次元、つまり想念の次元に属している。
それは真我実現によって超越されるのである。
0092亀和尚
垢版 |
2018/01/13(土) 09:03:51.36ID:vSiNSnAO
>>90
徴兵制が無いからじゃよ。
0093神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/13(土) 09:51:41.50ID:J8ERxpPy
>>92
インドや中国にも徴兵制はないぞ
0094亀和尚
垢版 |
2018/01/13(土) 10:45:56.05ID:vSiNSnAO
>>93

どちらも不正と貧困の生き地獄じゃな。

南無南無 (‐人‐)
0095123師
垢版 |
2018/01/13(土) 14:40:45.25ID:qaFPGfo2
91.
輪廻は存在の問題である。
宗教は存在の問題ではない。倫理、生活の問題ではない。
だからして、輪廻を問題とすることは、宗教以外の問題を、問題としていることになる。
0096神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/14(日) 01:27:55.50ID:a2F6HanT
他化自在天(たけじざいてん、Skt:Paranirmitavasavarti-d.)
三界における欲界の最高位、且つ六道の天道(天上界)の最下部である、六欲天の第六天。
欲界の天主大魔王である第六天魔王波旬(はじゅん、Papiyas、パーピマン、パーピヤス)の住処。

六欲天は天界の最下部だが六欲天にも六欲とあるとおり六つの段階があり、最上位が波旬が住む他化自在天、最下部が四天王の住む四天王衆天である。
四天王衆天は須弥山の中腹に位置する。
四天王衆天は俗に下天といわれ、その一昼夜は人間界の五十年に相当する。

敦盛の一節
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
とは「四天王の住む下天では一昼夜しか過ぎない間に人間界では五十年も過ぎている、下天と比べれば儚い夢のようなものだ」
という意味である。
0098おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/14(日) 12:22:13.07ID:/KSQRegg
サンスカーラ
形成力、形成されたもの、有為
意志作用
志向作用
例えば
桜を見て、その「枝を切って苗木を植えてみよう」と思い巡らすこと

大乗仏教(諸行無常)
現象世界の生滅変化している全存在を意味する

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
人は欲よりなる
欲にしたがって意志を形成し
意志の向かうところにしたがって業を実現する
その業にしたがって、その相応する結果がある
ブリハド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド

中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて、人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った、三種類の行為を行う(カルマを積む)

無明に依存して
渇愛(タンハー)が現れて
誤ったあり方を掴んで離さないような固執も現れて、そして

常見派の場合は
(無明に依存して)
『輪廻している!』という想いが現れ(そして滅し)ている
0101パーピマン
垢版 |
2018/01/19(金) 22:35:56.65ID:WV2XOEou
佐々木と宮崎の対談本・・・・・・まあ、初心者向けの本とは言い難いなw

しかし、仏教の論点、争点などがまとめられていて、初期から部派仏教までの
問題点をざっとおさらい人にはいいかな?

・・・・今は、がらっと変わって禅宗・・・・臨済録から碧巌録までをもう一度ww
0103パーピマン
垢版 |
2018/01/20(土) 00:59:15.09ID:30KKAQB2
>>102
う〜〜〜んw

あれだけでは判断しかねるなあw
確かに一代っぽいがw
0104おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/20(土) 14:23:11.79ID:achiX2Aw
 
密教系の越法罪(おっぽうざい)?

404

できる人でも普通は口外しないと思う
特に出家は戒律で禁じられてる
2ちゃんだからたまたま運良く聞けてる、と思った方が正解
  _  _  _

↑縁起一代師匠みたいな感じがする?
0105神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/21(日) 09:59:28.74ID:PmIWM2XS
>>104
越法罪
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E6%B3%95%E7%BD%AA

灌頂や印可を受けてない者、得てない者が真言陀羅尼を唱えたり梵字を書いたりしてはいけないとある

般若心経の羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 という呪文の箇所は真言陀羅尼になるのかな?
大悲心陀羅尼や光明真言や十三仏真言は読んだり唱えたりして大丈夫?

あと一般大衆の梵字での写経とかも本来はNG?
0106宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/21(日) 15:13:58.23ID:6FrnNRPt
>>105
般若心経中の真言陀羅尼、大悲心陀羅尼や光明真言や十三仏真言、
そして、梵字写経...の実践については、全然、大丈夫ですよ。
基本的に寺院から唱えるよう推奨されているもののすべては、
当然、憶えて唱えた方がいいに決まっています。
写経はお絵かきではないので、正しい作法に乗っ取って行うならば良い修行になるでしょう。
梵字も問題ないです(尚、書き損じをゴミ箱へポンなどは絶対に慎むこと)。

ただし、
できるだけ間違うことなく行うべきものなのでできれば直接、寺院(僧侶)に足を運んで修得したほうがいい。
でなければ、真言陀羅尼CDを入手して、繰り返し練習をして正しく身につけることです。
特に、大悲心陀羅尼などについては深遠にして霊験あらたかとされているので、
これはより注意すべきものと思われます。うまくできないのならば清く諦めて辞めた方がいいです。
あと理趣経だけはハッキリいって止めといた方がいい。これは後期密教へと繋がる最奥秘教的な経であるので、
元々、素人が唱えるようなものではないからです。

あなたが危惧されるように、
まるですべてがダメかのように喧しく戒める的な風潮が真言宗や天台宗、
特に伝統を背負う本家であるところの高野山真言宗(他に本家を謳うのは東寺)にはあるのですが、
真言宗とて中期密教の伝承諸派に過ぎないのであって、密教の創始などではありません。
0107宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/21(日) 15:14:50.18ID:6FrnNRPt
もしも、本当にすべてダメだというならば真言宗の始祖である弘法大師/空海その人自身が、
密教の正式な灌頂と三昧耶を受けずに何者かにより虚空蔵求聞持法を教授されて、
これを修習したなどということが自体が歴史的にあり得ないこととなる。
当時の空海ならば、たとえ己れがそのことでもしも地獄に堕ちると聞いたとしても、
それでも本望だといって密教の法を求めて自ら修得したに違いない。

【『摂真実経』下では、「越法罪は五逆罪よりも重く、
地獄に堕して出期(しゅつご)することがない」とまで説いている。】(wikipedia)

こういうのはあくまでも脅しです。
仏教を説かれたブッダ御自身の教えには真言陀羅尼の指導などはもちろんのこと、
それを教えたり唱えただけで地獄に堕ちるなどというものはぜ接待にありませんから。
それはつまり、誰でも安易な気持ちで手を出すことなく、
こうして法が誤って流布されていくことを防ぐための方便として密教が説いたもの。
密教は確かに深遠なものとして挑むべきものであるし、その中には誤解を招くような難解かつ高度な教えもあり、
また伝承されてきた真言陀羅尼の中には、自身や周囲に霊的な危険を及ぶ類のものもあるので、
準備とその資格に達した者でなければ破滅を招くからです。

よくある何でもダメ的な風潮はすべて間違っています。
以下のリンクをよく読んで正しく理解すべきです。

参考:■越三昧耶(越法罪)について
http://www.horakuji.hello-net.info/lecture/sila/samaya-sila.htm
0108宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/21(日) 15:20:44.71ID:6FrnNRPt
>>107
訂正
 ×「ぜ接待にありませんから」
 ○「絶対にありませんから。」
0109神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/21(日) 18:13:17.06ID:FayTd4VX
>>106
>あと理趣経だけはハッキリいって止めといた方がいい。これは後期密教へと繋がる最奥秘教的な経であるので、
>元々、素人が唱えるようなものではないからです。

https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13163816383
>『般若理趣経』皆さんも読経してみませんか?
>私自身、よく読みますし、思想・信条の根本となる経典 なんです。お勧めいたします。

>漢音で発音する経文は、かなり心地よく、脳波をα波に導き、ストレス社会を生きる現代人に、仏とチャネリングが可能な、有効的手段でもあります。

と主張している方もいますが、どうなんでしょ?
0110パーピマン
垢版 |
2018/01/21(日) 19:02:29.90ID:0wtn9Y9G
理趣経ねえw

確か、空海と最澄もそれでもめたよな?w

まあ、左道に繋がる部分があり、きちんと師匠について学ばなければ
誤解が生じやすいことは、その通りなんでしょう?w

空海よりで解釈すると、決して意地悪で貸出拒否ではなくて、誤解を恐れたとw

・・・・・さて、門外漢が読んでいいものか?

どうなんだ?  >承狂
0111亀和尚
垢版 |
2018/01/21(日) 19:45:22.94ID:inNUwK8S
>>110

仏教の本質が綺麗事では無い
事を理解しているなら読む巾
じゃな。 南無南無(‐人‐)
0113宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/21(日) 22:21:39.52ID:6FrnNRPt
>>109
その人のいうような、
「α波に導く」、「仏とチャネリングが可能」、「トランス状態に入りやすい」といった問題ではなくて、
理趣経というのは師匠から伝授を受けて「理趣経加行」という行を終えてから初めて読誦が許される経典なので、
要するに在家のままでは読誦することは認められていません。
地獄には堕ちませんけれども、理由としてはやはり内容的に後期密教へと流れるタントリズムの教えが説かれていて、
教えが誤解されて流布していくことを避けたいがためでしょう。
また、実際にこの経の読誦というのは、その節回しと息継ぎと音程の使い方がかなり難しいです。
私はお薦めしません。
0114宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/21(日) 22:26:03.86ID:6FrnNRPt
>>107
リンク訂正:

エーと、すみません。
参考サイトのリンクが変更されていましたので、訂正リンクすると共に一部のみ抜粋しておきます。
この問題に関心を持つ者であるならば、必ずこの解説の全文すべて(相当量あり)に目を通されておくことをお薦めします。
これほど深く熟考されて、的確に解説されたものは他にはなかなかないと思います。

§三昧耶戒(発菩提心戒)
■越三昧耶(越法罪)について
 『ところで、密教において厳重に戒められる行為があり、今の真言や天台でもやかましく言われることがあります。
 それは、先に示した『大日経疏』に云われる「所有祕密之法無三昧耶者。不應爲説(この秘密之法を、三昧耶なき者には、決して説いてはならない)」
という点。すなわち、三昧耶を受持していない者に対し、密教(の具体的修道法)を決して説いてはならないということです。
 これを犯すことを、特に越三昧耶法[おつさんまやほう]あるいは単に越三昧耶、もしくは「有部律」の用語を流用して、越法罪[おっぽうざい]などと
言いいます。---中略---

 この越三昧耶あるいは越法罪ということについて、これは近世からのことなのでしょうか、今の密教徒にもひどく拡大解釈して用いる者がしばしば見
られます。
 例えば、「三昧耶戒(ひいては灌頂)を受けていない者に対しては、どのような真言であれ一語たりとも教えてはいけない。解説してはいけない」であ
るとか、「それが書かれている経典や論疏・儀軌はもとより、内容を解説している書物をすら見せてはいけない」、あるいは「三昧耶戒を受けていない者
が真言・陀羅尼を唱えることも禁止されている」などと、ただ単純に言う者が比較的多くあるのです。
 笑うべし。まったく愚かな謬見であると言わざるを得ません。
0115宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/21(日) 22:26:36.67ID:6FrnNRPt
 もし、であるとするならば、三昧耶戒を受けていない者に『般若心経』を読誦させると越三昧耶だということになるのでしょうか。なんとなれば、空海
の『般若心経秘鍵』によれば、『般若心経』(特に最後の真言)は密教経典であると理解されているためです。まぁ、これは我ながら少々極端な物言いであ
りましょうか。
 あるいは、空海自身、唐に渡って正式に密教を受法する以前、吉野の何者かより虚空蔵求聞持法[こくうぞうぐもんじほう]を習い、これを修習してい
ます。このとき空海がすでに三昧耶を、ましてや灌頂を受けていたなどとは到底思えず、まずありえないことです。
 また近いところで言えば、偉大なる行跡をのこした大戦前の碩学、長谷宝秀師など、悩める学生時代を送っていた上山春平に、出家だの灌頂を受けさせ
てどうこうだのすることなく求聞持法を授け、行わせています。
 (すなわち、虚空蔵求聞持法を引き合いに出して言えば、それは今いわれるような意味での秘法などではなく、灌頂を受けていないものに教えてはいけ
ないなどといったものでもない。)
 そもそも、顕教の諸経典にも広く様々に真言・陀羅尼は説かれているので、そのような単純な物言いは全く妥当性を欠いたものです。

 そもそも、そのような妥当性や根拠を欠いてではなく、越三昧耶ということを上掲の『大日経疏』ならびに『秘密三昧耶仏戒儀』に正しく従って言った
ならば、現在の日本の密教を標榜する僧尼はほとんどすべて越三昧耶に該当することになるでしょう。』
http://www.horakuji.com/lecture/sila/samaya-sila.htm
0116神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/22(月) 01:44:13.96ID:T2wjw7YT
般若理趣経

第一章

この正しい法門をただ聞くだけでなく、よく身に受持し、日に日に読誦し、よく心に思惟すれば、
この世において、父母によって生まれたこの身体のままで、すべてのものの片寄らぬ本質を見極め、
金剛のごとく不壊で安らかな境地になるであろう。

第二章

金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの四つの悟りを生み出す法を聞いて、これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、
たとえ今ここで数えきれない重い罪をなしたとしても、必ず一切の地獄に墮ちるという報いを超えて、そのままで無上正等覚(さとり)を証することであろう。

以下の章でも経典読誦の功徳で締められているのだが
この功徳は灌頂を受けた僧侶にのみ与えられた特権で在家の信者には無縁なものなのかな?
https://piicats.net/risukyou.htm
0117宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/22(月) 04:21:08.23ID:oqTQR3dr
>>116
>以下の章でも経典読誦の功徳で締められているのだが
>この功徳は灌頂を受けた僧侶にのみ与えられた特権で在家の信者には無縁なものなのかな?

当たり前の話ですが、密教のすべてを在家のままで修得することは不可能です。
では、どこまでが在家のまま可能であり、或いは許されたものであり、
また或いは、できれば身につけた方が得策といえるものなのでしょうか?
これはあくまでも個人的な私の見解にしか過ぎないものなのですが、正直なところを述べさせてもらうと、
そもそも経の読誦によって謳われる功徳や霊験というものについては、私などは話ソコソコの話半分程度のものとして受けています。
経に書かれた意味であるとかその読誦の霊験功徳というものはすべて似たり寄ったりが多くて、
ただ唱えるだけで罪障消滅し、五逆罪も救われるだとか、殆どそんな文句ばかりです。
私はそういう文句などは殆ど信用していません。
要するに、ゴータマの説かれた基本的な真理であるところの縁起と業報の教えに反する在り得ない内容でしょう。
だから、この私は大乗諸経の意味などには最初から殆ど価値をみていないのです。
それと読誦による功徳霊験でいうならば、経文ではなくて真言陀羅尼のほうでしょう。そのためのマントラ(呪文)なのだから
0118宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/22(月) 04:21:41.75ID:oqTQR3dr
経文というものは、そもそも読誦による功徳霊験などではなくて、そこに書かれてある意味を解すべきものだからです。

なので、
僧侶でなければダメだといってる理趣経の読誦なんかにそこまで拘るよりも、
私的には、伝授してくれる僧侶を見つけて正しく三部被甲の護身法を修得してきたほうが
自身の密教在家修行には役立つのではないかと思います。まっ、これも在家は一切ダメだとする僧侶も多いけれども・・・(苦笑)。

私自身は、密教の世界に身を置いてドンドン深く入っていく...といった考え方は持っていない。
けれども、護身法くらいは身につけないと密教修行としては話にならないという考え方はしています。
ただし、これを授けてくれる密教僧を見つけなければならないことが難点です...。

まずは、五体投地の礼拝と金剛合掌、
そして、光明真言などの各種真言読誦を続けることで、普通は在家修行としては殆ど問題ないものと思う。
ただし、これも考え方一つなので、どうしても理趣経の読誦したいならば自宅で大いにやればいい(寺院でやったら驚かれる...)
0119宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/22(月) 20:00:29.25ID:oqTQR3dr
追記:

私が護身法の修得を推奨する理由は、
これが密教独自の三密加持の修行形態を見事なまでに一纏めにしたものであり、、
尚且つ、その名の通りあらゆる不浄と魔から身を守る護身の秘法にして、
密教修行における何よりも最初に修するべき作法だからです。

そもそも密教の三密加持は、
真言(マントラ)+手印(ムドラー)+観想(ディヤーナ)の三つが同時に揃わないことには成立しない。
それぞれ単独だけでも非成立であるのに、ましてやただの経文読誦だけでは...。
私は、この三密加持の修行を僧侶だけの専売特許にしようとしているところに敷居の高さをみてしまう。
密教は三密加持によって即身成仏が可能だと謳いつつも、それは信者獲得のための餅絵であって、
実際には在家信者がこれに預かれることはなく、ただひたすら僧侶が行う祈願の加持祈祷にすがるのみというのが実態。

一度、護身法の修得にさえ成功すれば、
あとはこれだけでも三密加持の奥深い世界へと参入することが十分に可能。
0120おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/22(月) 20:43:08.83ID:+ieCMZyo
 
護身法
戒、定、慧、解脱、解脱知見の五分法身を磨瑩す

オン・ソワハンバ・シュダサラバタラマ・ソワハンバ・シュドカン
オン・タタギャト・ドハンバヤ・ソワカ
オン・ハンドボ・ドハンバヤ・ソワカ
オン・バゾロ・ドハンバヤ・ソワカ
オン・バザラギニ・ハラチハタヤ・ソワカ

九字護身法
臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前

準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば
一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し
この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん

准胝観音
ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ
  ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0121宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/23(火) 01:03:43.12ID:uR3b5sUG
>>120
そそう! 
三部被甲の護身法のことです。
九字護身法じゃない...
(これは解き方も知らねばならない)。
0122承狂 ◆WyNTTSCMWEIu
垢版 |
2018/01/23(火) 03:03:20.09ID:Cp8+ZPMR
>>110
(^。^)俺に聞くなよ、大先生。(笑)

ちなみにだが、お大師様が天台のアレに貸さなかったのは理趣釈経で、理趣経の解説本。
一応間借りなりにもカンジョウ受けた俺でも理趣経の内容はとんでもない話だが、(笑)
大日如来の説法であるこの道場である以上、一切は確かに清浄なんだろうし、平等なんだろう。
内容が得心いかんのは俺にあるガシュウの故なんだろう。
何せ大日如来が直接説いたという設定の密教で常用されてる経典なんだからな。
まぁ、世俗的にはテキエツが誤解され易いんだが、他の段だって相当随分なことが書いてある経典だが、確かな帰依という芯さえあれば、執着に引きずられないだろう。
師弟というマンツーマンのシステムもあるから、(あったから、)こういうかなり踏み込んだ経典を常用とすることができたってことじゃないかな。
ちなみに、当時から在家でもケギョウしてカンジョウ受けられてたはず。
師が許せば。
密教、というか大乗自体が在家の為の運動だからね。
こういう密教という構造上必要なステップを無視して華厳的な視点のまま押し入ろうとしたから、「ちゃんと手順踏めよ」って返事されたんだと思うよ。
あと、乙秋刀魚や会に関しては、こういうステップを無視して咒法的なことが拡散しないようにって話がメインだろうから、経典読むだけなら問題ないと思う。
素人にディープな内容を垂れ流すのはアウトだと思うけど、現代だはマトモな師弟関係なんて出来ないからギリギリセーフ?(笑)

(^。^)まぁ、俺の勝手な妄想だから教学的なことは現職の連中にでも聞いてみてね?(笑)
0124パーピマン
垢版 |
2018/01/23(火) 10:34:10.06ID:+82jpfFT
まあ、なんというかw

心底、其の経の教えに感銘し、読経せずにはいられない・・・・・というのならば、わかるがw
それを読誦することによる見返り・・・・功徳を積んだとか、それによってなんかいいことがあるw
みたいなことを期待してるんだったら、初めから読誦なんてやめた方が良いと思うが?ww
(まあ、一遍は生涯で一度でも念仏唱えたら極楽行き間違いなし・・なんて言ってるがw)

密教は師承が基本だし、マジで密教やるなら、理趣経読んでる暇に師匠探した方がいいかも?

そんなじゃなくて、ただ理趣経が好きで毎日、読誦したいんだああ〜〜〜
というだけなら、OKだそうですぜw

まあ、オレはマントラの効力も全く信じていないがwww
ある坊主に教えられた ノウマクサンマンダボダナンバク ・・・・・

何故か、これだけはもう、二十年になるかww
0125神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 11:11:44.00ID:e3avd9hS
>>124

>それを読誦することによる見返り・・・・功徳を積んだとか、それによってなんかいいことがあるw
みたいなことを期待してるんだったら、初めから読誦なんてやめた方が良いと思うが?ww


末法思想の発生源でしょう。
空海以降の悟りの仏教よりも呪術現世利益オンリーの仏教、大寺院の貴族皇族の自動的トップ就任など・・・。
そういう歴史が日本で生まれたのでしょう。
一応、現在の真言密教の坊主によると、
煩悩の癒しが重要なので、そういう功徳方式でしょうな。

いい話だろ笑。バービー、
日本仏教に詳しいだろお?笑。
0126神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 11:16:26.30ID:e3avd9hS
>>124

読経はなかなかいいもんだぞ笑。
8年ぐらい昔に、真言系各宗派の三昧狙って般若心経ブチかましていたな笑、
たまに、きまぐれに神社で神前読経、1,2回ブチかましたことがある。神社で三昧狙ってな笑。
0127神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 12:02:26.77ID:rQsyxD2q
経典読誦の功徳は経典に関心を持たせるための方便でそ
0128亀和尚
垢版 |
2018/01/23(火) 14:37:29.49ID:dyJj6xK/
薬の効能書きを読んで唱えて
効果が有るなら誰も苦労はせ
んわな。

南無南無 (‐人‐)
0129神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:09:41.09ID:FR8NXnrP
けど、
何も読まずに学ばずに、到達できるなら、
学校、義務教育すら要らんわなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0130神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:13:55.53ID:FR8NXnrP
つか、
そういう人材もいるかもしれん、という話でしかないなら、
1000人中1人でしかないなら、
あと999人の誤解や勘違いを防止する爲に、効能書きの熟読は必要だよw
0131神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:19:33.05ID:FR8NXnrP
禅が不立文字なら、
語録祖録を残し続けている弟子たちは愚か者の極みで、
その愚か者に指導されていながら、あれこれ言ってる誰かさんも、また愚か、とw
0132亀和尚
垢版 |
2018/01/23(火) 21:49:34.49ID:dyJj6xK/
>>130

知識をいくら積み重ねても
苦痛からは解放されんぞ。

南無南無 (‐人‐)
0133神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 22:07:52.15ID:FR8NXnrP
>>132
たとえ、君が999人でなくても、
君以外の999人の爲に、効能書きは必要なの。


もし、それがわからないなら、児孫と称することも許されんよw
0134神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 22:10:23.15ID:FR8NXnrP
つーか、

>>132のような人物が出て来ないように(出てきた時のために(リトマス試験紙の如く))、
効能書き(≒三蔵、祖録、諸疏)が存在するわけでね・・・w  ┐(´ー`)┌
0135独白
垢版 |
2018/01/23(火) 22:16:25.40ID:FR8NXnrP
居士禅・在家禅を、許容し後押しした明治近代禅の罪は
結構でかいかもしれんな・・・





もっとも、現代日本仏教(近代禅宗)自体が、在家仏教(在家禅)であると指摘されたらそれまでだが・・・www
0136亀和尚
垢版 |
2018/01/23(火) 22:20:04.85ID:dyJj6xK/
>>134

縁無き衆生は救い難し。

南無南無 (‐人‐)
0138神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 22:33:33.37ID:FR8NXnrP
そうか、仕様変わったんだっけか



自身が、その考えに至った経緯の中で、
一度も祖録や禅語に触れていないなら、多少の説得力も生じ得るだろうが・・・

誰しも、何かしらを読み齧ってる筈でね・・・
0139神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 03:31:34.07ID:Y/whiyL9
禅は危険だよ

0013 junkie-ooyama 2017/12/29 10:39:50
俺のオキニは美人だけど愛想よくサービスも良い 
ディープキスもしてくれるし乳舐めもクンニもさせてくれるけど 
全ての客にそうさせてるんだろうなと思うと少し萎えてきた




こんなんなってまうでw
0140神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 03:34:12.01ID:Y/whiyL9
鶯谷で立ちんぼ買ってるらしいよw

0160 じゃんきーおおやま 2018/01/23 21:16:45
中出し二発にアナル一発 
立ちんぼ遊びはやめれませんな。
返信 ID:ZqR4QHVa0(1/2)

0162 じゃんきーおおやま 2018/01/23 23:05:03
坐禅して 
立ちんぼに中出しして 
俺の仏教は完成したのさ。

でおーや
コピペでまた荒らす気かいw
返信 ID:ZqR4QHVa0(2/2)
0141神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 03:37:35.47ID:CY+O50Km
>>124
>(まあ、一遍は生涯で一度でも念仏唱えたら極楽行き間違いなし・・なんて言ってるがw)

少し違う

南無阿弥陀仏には、臨終もなく、平生もなし。
三世常恒の法なり。
出る息いる息をまたがる故に、当体の一念を臨終とさだむるなり。
しかれば念々臨終なり、念々往生なり。故に「回心念々生安楽」と釈せり。
おほよそ仏法は、当体の一念の外には談ぜざるなり。
三世すなはち一念なり。
(一遍聖人語録)
0142神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 09:35:28.43ID:1b/DnIA5
ジャンキー人気者過ぎだろ笑。
俺の知らない処で成長しているんだなあ笑。
0143神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 09:37:49.99ID:1b/DnIA5
ジャンキー君も気の毒だな。成りすまし攻撃には、さすがに同情するよ、
人気あり過ぎなんだろうな、きっと・・・・・。
修行の内と思って、頑張ってね・・・・。♪
0145パーピマン
垢版 |
2018/01/25(木) 01:19:08.08ID:8/RYfWjh
>>144
2013年・・・ざっと5年前か?w

あの頃は、よく色んな奴に噛みついてたww
0146神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 10:45:43.58ID:vgVssdHC
余談ですが、私は今までに四八方の宗派や会社バラバラの霊媒師や占い師にあたってきましたが、そ
の人々は邪神不動明王やシヴァ、阿含宗や桐山に非常にだまされやすい!あなた方が吹き込まれて悪だと思ってるものは
善人で不動明王(シヴァ)などが実は本当の古代から続いてる古代から騙してる悪なのです。善人のほうの邪魔他をしている。
よく東洋系の不動や阿含宗や桐山の術を見破るものを同伴させること。
その洗脳をさっさとどけ、自主的によくよく弁償してくること。そして不動や阿含宗や桐山こそいみきらい何万年分
も弁償とって抹消する対象とすること。
さもなくば強制的に3倍〜7倍ぐらい弁償を取られてひどい目にあい抹消されるでしょう。
0148パーピマン
垢版 |
2018/01/25(木) 23:17:31.14ID:8/RYfWjh
>>147 ww

流石に変換ミスでしょ?w

道中⇒動中
0149神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/26(金) 14:28:39.06ID:cL+7QClQ
曖昧検索なのか両字とも拾っているが、42万件はなかなかの数字w
0150パーピマン
垢版 |
2018/01/27(土) 05:04:19.64ID:RPcWehmr
閑話

あの不動明王の姿のモデルは一体何なのか?

・・・・・ある作家によると、

「アーリア人が北西インドから侵入し、土着民族であるドラヴィダ人を支配した。
密教は元々、インドの土着信仰、呪術がもとになって出来たものである。

そして、当時、支配者が他方に何かしらの連絡をする必要が出来たとき、使者を派遣する。
(電話などなかったしねw)

その使者に選ばれたのが、ドラヴィダ人の少年だったらしい。若くて体力があり、
敵や害獣、毒蛇などにも怯まない勇敢な少年が選ばれたらしい。

不動明王のもつ剣は、それらを倒すためのもので、山を登り、谷に降りるために必要な
ロープを肩にかける。
そして、あの独特なヘアースタイル(髪を小さく、いくつにも束ねた形)は、
当時のドラヴィダ人の風俗らしい。」

・・・・さて、真相は?ww
0153神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/29(月) 01:13:09.74ID:6torNZhK
原始アーリア人(原始インドーヨーロッパ人)が牛、馬、犬などの家畜の群れを引き連れて、一つの草原から他の草原へと移動して遊牧の生活を送っていたことだけは確かである。
なぜそのように断定できるかというと、インドーヨーロッパ語族を通じて家畜の名は類似したものが多いが、農耕物の名は各民族によって異なっているからである。
石器、銅器を長らく使用していたが、ある時期以降は鉄器を扱うようになっていく。

彼らの宗教は原始民族の悪霊崇拝をすでに脱しており、自然崇拝を行なっていた。
空、太陽、月、曙、風、水、雷鳴が彼らには神と映った。神々は天空にあり、明るく輝くものと考えられていた。
アーリア人はある時期(前1700年頃)に人口の増加、旱魃あるいは他の事情にうながされて、原住地の草原を出て他の地方への定住を開始した。
(私はこの時期の移動は3000年前から始まった西洋、中東での寒冷化に端を発していると見ている)

若干の部族は西方へ向かい、この時期にヨーロッパに定住し現在のヨーロッパ諸民族、すなわちケルト人、チュートン人、ゲルマン人、スラヴ人、イタリア人、ギリシャ人などとなった。
若干の集団はアナトリアに現れ、そこの先住民と混血してヒッタイト族の大帝国を建設した。

また、他の諸部族は当方に向かって移住を開始、アジアに入り、カスピ海(裏側)の南東に当たる西トルキスタンのステップ地帯に数世紀定住して共同生活を送っていたらしい。
ここの諸部族を総称してインドーイラン人という。彼らは半ば遊牧、半ば農耕の生活形態を送っていたと考えられる。

(中村元)
0154神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/29(月) 19:30:30.02ID:ntaDzSwW
今見たNHK7時のニュース
ブタの受精卵に、ヒトの細胞を注入し、子宮に戻し、
生まれた生物の臓器をヒトに使えないか?という研究

《脳細胞はやめよう》という日本の委員会の流れ

人間の爲に切り刻まれる運命の生物(哺乳類)を、大量生産するという倫理的問題はともかく、
(グリンピースやシーシェパードは、鯨ばっかり追っかけてないで、
 こういう分野での生命倫理を、なぜ言わないのか? 鯨と豚の違いは何だ?
 ま、それがキ教的世界観ヒエラルキーであり、また、神智学へ繋がる人間至上主義、とw)
どの細胞を入れるかで変わるのかどうかしらんが、

いずれ、ブタからヒトが生まれる時代がきたりしてなw
「若卵生若胎生・・・」とか、「そのような”ことわり”は無いからです・・」とか
仏語の真実性が揺らいでしまう!!!?w
0155神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/30(火) 08:37:07.26ID:e1AJhWup
age
0156宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/30(火) 14:43:56.42ID:8mvSFTVe
>>154
キリスト教などと一緒にされては困るけれども、
人類が生物界におけるヒエラルキーの頂点にあるという事実と、
だからといって、諸動物たちに対して人間の勝手な自己都合で虐待していいということではありません。
神智学的立場からは、魂と精神的倫理の問題を無視した度の過ぎた生体的エクノロジーには反対します。
臓器交換、および輸血などに関しても、生体臓器ではなく人工臓器と人工血液の開発の方を支持しています。
魂の問題を無視したクローン製造にも賛成しません。

世界中の神智学徒らは自己に見合ったそれぞれの奉仕の分野を自分自身で見出して活動しています。
もちろん、動物愛護や保護活動といった分野にも多くのメンバーたちが関与しています。
0157宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/31(水) 12:02:29.58ID:6hhcCuaG
>>156
追記:

ここであらぬ誤解を招くといけないので言っておきますが、
“臓器交換や輸血を支持しない”とはいっても、
その時には死の方を選択するという『エホバの証人』などとは異なり、
それは寸分たりとも迷うことなく命の存続の方を選びます。彼らは聖書の言葉を誤読しています。
あくまでも医療の方向性と科学の発展については人工臓器と人工血液の開発に向かうべきであり、
臓器の生体間移植や倫理無きバイオ技術の乱用には警鐘を鳴らします。
これは神智学徒にしか分からぬことですが、これらの出来事にはカルマの不自然性をもたらします。

>鯨ばっかり追っかけてないで、
>鯨と豚の違いは何だ?

彼らの理由は明白です。
それは、より人間に近い動物に対する愛護活動だということ。
神智学徒も彼らと同様、もちろんその他の諸動物に対しても必要以上の乱獲は認めませんが、
やはり、特に人間に近い動物たちには温情的に接します。
当然、生き物の中で一番大切にすべき生命とは人間の命以外にはありません。

ベジタリアンなどの中に割といそうなものとして、
“すべての生命は平等”などという理想を掲げては、
生きた野菜を茹でることも生きた人間を熱湯風呂で釜茹での処刑にするも同じであり、
そのどちらを助けるかを決めることはできない、などという基地外すらもいます。
しかし、そんなものはただ単に、「生命は平等」という美しい言葉に洗脳されただけの机上の空論に過ぎない。
健全な精神を持った当たり前の人間ならば、そんなこと迷うことなく人間の側を救う。
当然、人間と動物であればこれも人間の方を救うし、
他人と家族であれば、通常は家族の側を助けたいものと思う。
これがごく当たり前の人としての健全で自然な心と意識の状態です。
そして、動物であれば、より人間に近い存在を救うし、
下等生命と高等生物では意識の発達と痛覚の度合いから圧倒的に高等生命の側を救うべきであるし、
動物と植物であれば、これも当然、通常は動物の側を死から救い出す。
これに異を唱えるような基地外とは私は話す気がない...。
0158神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/31(水) 13:12:30.36ID:8D1c0oaR
>>157
もしも人間を超えた霊的存在がいるとしたら、その高等生物も同じように考えるでしょうかねえ
神仏や天使悪魔の方々からすれば、人間は下等たが我々に近いから救おう、しかし、猫は殺してもよいなどと
0159宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/01/31(水) 14:01:31.86ID:6hhcCuaG
>>158
ニュアンスは大切ですよ!!

「殺していい」ではなくて、
いずれかしか助けられないとした場合の話です。
もしくは助ける場合の優先順位のことです。
どちらも助けたいが、いずか一方しか無理な場合には人間の方を救うでしょう。
高次の意識存在においても実際、そうなっていると私は思いますけれど...。

根底においては、
「殺してもいい」という生物はこの世に一つもないから。
であるから、不殺生が守れることが人間生活の理想とされているのです。
つまり、食事も肉食よりはベジタブルであり、究極的理想は不食ということになる。
0160神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/31(水) 14:32:09.85ID:wdCJI/lE
>>159
>つまり、食事も肉食よりはベジタブルであり、究極的理想は不食ということになる。

ジャイナ教のバルダマーナはそういう思想で餓死をえらんだんじゃなかったっけ?
0161神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/31(水) 18:48:13.35ID:8D1c0oaR
理想だけど自分が死んじゃうし、他の生物も全滅する世界にかるかもね
生命を助けるために全生命を滅亡させよう
0162承狂 ◆SUeLFTIJmwWB
垢版 |
2018/01/31(水) 22:38:43.21ID:N88Zq6R1
戒律ってのは戒め律するためにあるものだよ。(笑)
戒律は仏法の一部に過ぎず、従って、不殺生戒もまた、彼岸に至る為の方便の一つに過ぎない。(笑)

(^。^)神様からの命令でもないし、絶対死守すべきオキテでもないし、仏たる条件でも有り得ないんだよ。(笑)
設えば世間の一切の有情を〜、なんて文言が経典にあるのはそういう事。(笑)
0163神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/31(水) 22:59:26.58ID:akdPxwFy
けれども、
「調える」という形でのルーティーンとして
効果絶大なのは事実だからねぇ・・・

不摂生で好成績なアスリートって少ないしね・・
最近話題の相撲界も、
結局は、自己の心身を制御し切った者が結果をつかむわけでね・・。


制御なんて不要だ〜と言って結果を残してる人間が果たしてどれだけいることか・・・  ┐(´ー‘)┌
0164神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/01(木) 01:02:22.02ID:9YsWRiic
余談ですが、この間ランク王国で御朱印を見たら、まだ不動明王が一番とっていた。あれだけ注意したのに
馬鹿どもがまだ買ってる。もう一度述べると不動は何万年と前から人類や上の神仏をだましてきていて
それが神仏にばれて抹消対象となっている。人間界側も馬鹿みたいに唱えちゃダメだ。不動は裏で
もとは裕福で借金地獄になる運命じゃなかった者を借金地獄にしたり、徳を積んであり障害者になる運命
じゃなかった者を障害者にして不正にからかわれるようにしたり、仕事他にさしつかえるようにしたり
もしている。東大震災も裏で不動が一番中心になって支持をだし起こしているとの情報があった。
要するに、嫉妬とひがみの因縁がきれてない、オーム真理教のシヴァと読み方変えただけで同じものだと言う説
もあり、また悪の出方かえただけでイルミナティとも同じだとする説もある。唱えてるといずれ正しい神仏
から罰を食う。真言宗もさっさと中心になる明王を降三世明王、大元帥明王、愛染明王などにかえよ。
0166宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/01(木) 09:40:09.16ID:qS+qiPnS
追記:

殺人と昆虫を殺生するのとでは、
その罪の大きさと業(カルマ)の深さがまったく違うということ。
どんなことがあっても人間を殺すことは絶対にしてはいけない。

>>160-161
マハーヴィーラはそうだったかもしれませんが、
私がいってる「不食」とは自ら死を選択した断食などではなく
(日本の高僧にも、最後は五穀絶ちや断食によって死んでいったミイラ化即身成仏というのがある)、
食事を採る必要がない高度な技術のことをいっています。つまり、食べる必要がないから食べないということ。
インドのギリバラをはじめ、幾人かの不食の聖者の存在が確認されています。
また、神智学を授けた大師方も皆、その殆どが不食だということ。
0167神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/01(木) 10:04:02.84ID:X/bXe8jx
そもそもの誕生から、他の命(栄養素・エネルギー)を摂取することによって
成長し発展してきた生物(生命)にとって、(だからこそ?)
「他の命を摂取することなく生きること」 が、
最終的な向かう(≒進化の)行く先・ゴールということだろうか?

神は、なぜ最初から、自己完結型の生命としなかったのだろうか?
試練や成長のための手段としてならば、他にも色々あるし、それで十分ではなかろうか。
0168神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/01(木) 10:27:42.83ID:0fapxlmY
修行完成者の「自殺」をめぐる仏教徒とジャイナ教徒の態度のちがいについて
https://togetter.com/li/186822
0169神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/01(木) 11:22:26.20ID:VVEpH7FJ
ヨガナンダさんは大変に素晴らしい宗教家、思想家であると思うが、「あるヨギの自叙伝」は流石に書いてあることをそのまま鵜呑みには出来ないw
0170宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/01(木) 15:40:19.09ID:qS+qiPnS
>>168
完成者というのは、
その自身の使命を全うしたと判断したときに自ら肉体を脱ぎ捨てるのです。
必要という場合には肉体を維持するから寿命を維持し、中には肉体の不老不死の状態を示します。
すでに老化してる肉体の場合は無理にその肉体を保持するのではなく、一度、肉体死によって放棄してから、
再び新しい肉体を得て再生誕をする。その場合は、意識的に自ら母胎へと入るか(インドのアヴァターラの場合はこれが多い)<
自己の大いなる意志力によって肉体を自由に創造してその中に入っていく、という手段を採る。
神智学のマスター方の多くは母胎から産まれたものではなく、創造された完全不滅の不老不死の肉体を纏っている。

>>169
わたし個人は圧倒的な支持者であり、
否定する理由は何も持っていません。
否定する理由がない。

もちろん、人それぞれの受け取り方があっていい...。
0171承狂 ◆SUeLFTIJmwWB
垢版 |
2018/02/01(木) 23:01:50.82ID:KnN/PUar
>>165
(^。^)や!(笑)
0172パーピマン
垢版 |
2018/02/01(木) 23:23:42.05ID:wze2cetx
>(^。^)や!(笑)

うん、実に承狂らしい。

そこで、ホイホイついて行って、ご高説たれるのは承狂らしくないw

お前はいつまでも天邪鬼でいるのがいいww
0173宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/02(金) 08:28:14.27ID:b62IPC0i
投稿忘れ...

>>167
>「他の命を摂取することなく生きること」 が、
> 最終的な向かう(≒進化の)行く先・ゴールということだろうか?

それが目的ではなくて(承狂の意見はそういう意味では正しい...)、
結果としての状態のことだろうと思う。
尚、ゴータマ同様、インドのアヴァターラ方の多くは人間生活の模範となるべく食事も普通に採る。

>神は、なぜ最初から、自己完結型の生命としなかったのだろうか?
>試練や成長のための手段としてならば、他にも色々あるし、それで十分ではなかろうか。

それは神のみぞ知る部分なので、我々のレベルでは不可知です。
ただ言えることは、人類の進化とは生物界における掟であるところの“食物連鎖からの脱出”でもあるということ。
まずは、相互の「食べて」「食べられる」関係から、一方的にただ相手を「食べる」だけの側へと進化し、
最終的には何も生物を食べる必要すらもなくなる「不食」へと至る。

それから、神智学的には神もまた進化しつつある未完成者であって、
我々の主であるところのこの惑星の地球ロゴス(惑星ロゴスは太陽ロゴスに仕え、また太陽ロゴスは銀河系ロゴスに仕えている。
以降〜繰り返し関係...)は、まだ惑星ロゴスとしては神聖なレベルには達していないので、
それ故に、人間から見て様々に理不純な状態が生じているのだという。
0174神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/02(金) 10:49:20.22ID:i7PU//n2
https://i.imgur.com/4G57EAN.jpg

うーん、般若理趣経は自性清浄論、一切法平等も貴重だが、この如来蔵思想も誠に尊い。
曼荼羅の外側に描かれている外教の神々(諸天)も如来蔵を持つ仏であることを知り歓喜の声「チリ」を唱えるところ、
続いて神々の妻(だったかな)の妻である七天母も元々は羅刹の類いだったのが如来蔵に目覚めてからはその力を悪いことではなく仏道に捧げることに使うようにするところ、
これらの話は本当に尊く、現実の社会においてもパワハラ恫喝するような上司も尊い思想に目覚めさせてその恫喝を悪を調伏するための公憤として使うように転向できれば素晴らしいだろう。
0175神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/02(金) 10:56:04.97ID:i7PU//n2
>>173
プラーナを食べよう!
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/194108/169720/64704059

このブログではプラーナが豊富に含まれている食べ物からプラーナを摂取しエネルギーを得て生命力を満たすことが書いてある。
但し、文末に「食べ物以外でプラーナを摂る方法があります。」とも書いてある。
さて、その食べ物以外からプラーナを摂った場合には、それだけで生きることができるのでしょうか?
0176宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/02(金) 12:55:33.45ID:b62IPC0i
>>175
はい。
不食のキーポイントはプラーナの摂取であるといわれています。
ヨーギたちは特殊なプラーナヤーマ(呼吸法)と瞑想法により、大気中のプラーナを効果的に摂取します。
そして、ヨーガの究極的な熟達者はプラーナの発生源である太陽からの直接的な摂取に成功し、
奇跡的な不食の生活を達成するようです。
0177神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/02(金) 13:53:42.93ID:Cj5q4IAA
>>176
大気中のプラーナは、どこから補充されるの?

もっと言えば、大気中のプラーナは、どうやって生じたの?
大気の誕生と同時に生成されていた?(大気が、その構成要素として最初から含有していた?)

また、その前段階のクエスチョンとしては、
プラーナをたくさん含む「食物」(動物か植物か鉱物かしらんけどw)は、
なぜ、プラーナを含有しているの?
0178神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/02(金) 22:32:06.38ID:E93EYSCZ
>>175
>このプラーナ不足の人を、元気のない人と呼び、オーラが少ない人で自分のガードが小さい人です。
>プラーナが自分に少ないと人が恐くなることもあります。

>プラーナ豊富な人を、オーラ輝く元気な人と呼び、病気になりにくい人です。
>活発な人で友人が多く、異性にもモテやすい人です。


これは良いことを聞いた
プラーナを食べる
プラーナが豊富な食材を摂ったり水は湧き水とかがいいのかな?あとよく噛んで食べる、と

それとプラーナヤーマは規則正しいリズムでの丹田呼吸やウジャイ呼吸でとりあえすいいのかな?
実践してみよ

それとプラーナって昔の科学で観念としてあったエーテルに似ている感じがする
宇宙全体に満ち渡っているエネルギーみたいなものかな
0180宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/04(日) 17:56:56.21ID:NKWyDdAc
>>177
(もしも、詳しい方からみて間違いが在りましたらご指摘下さい)

それは太陽エネルギーの一つとして生じて、
それがこの大気中に遍満(充満)するということだと思います。
そして、このプラーナを植物は光合成によって自身の内部に取り込んで蓄積します。
効果的なプラーナの摂取に成功している彼ら植物たちが、驚異的な寿命を示すことができるのはご存じの通りです。
樹齢数千年という樹木もいれば、蓮の種ともなれば億年単位でも水さえ吸収できれば芽を出すことができます。
また、草食獣は植物を食することでプラーナを取り込み、
これを更に肉食獣たちは草食動物を食することで間接的にプラーナを体内に取り込んでいます。
人間は当然、これらの野菜や肉を食することで間接的にプラーナを摂取しているということ。
この意識することなく日常生活を過ごすやり方から、
呼吸と瞑想とによってプラーナを意識的に取り込もうということ

また、プラーナは大気中に遍満しているだけでなく、水にも蓄積しているとあり、
特に大地のエネルギーと化して、温泉中には特に豊富で効果的なプラーナの濃度が高いそうです。
場所的には癒しスポットよろしく、森林、海岸、水場(特に滝場)はお薦めだということ。
食事的には、ビタミンがプラーナと結びついているので、
ビタミンの摂取に気を付ければ効果が上がります。
尚、ビタミンは熱に弱いので注意が必要です。
0181宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/04(日) 18:11:13.04ID:NKWyDdAc
>>178
湧き水、地下水といった天然のミネラルウオーター(非加熱)の飲料は効果があると思います。
プラーナを取り込む呼吸と瞑想においてはイメージ化と意志の力がキーポイントとなるので、
眉間のアジュナー・チャクラに自己の意識を保持しながら、
自分に活力が漲ってきて元気になるようプラーナ粒子が呼吸と共に流入していく様をイメージしつつ、
自分が元気になれるように祈りながら実践すると良いと思います。

不食を実現するともいわれる過激な行としては、
太陽を凝視する瞑想でトラタックという修行法があります。
日没とはいえ太陽を凝視し続けるというもので、視神経を傷付け失明する可能性もあります。
私は若い頃、これに準ずる荒行として暗闇の中の1メートル先にある蝋燭の炎を1時間の間、
まったく瞬きすることなく凝視続けるという修行を毎日、3ヵ月ほどやったことがあります。
これをやると涙が止まることなく流れ続けて、最後は涙すらも枯れて出なくなります。
そして炎を見つめている目玉は恐ろしいくらい焼けたように熱くなる...。
尚、これも肉体破壊を意に介さない覚悟が必要です。

おっしゃる通りで、
プラーナ(活力小球)はこ惑星のエーテル次元にあって、
我々のエーテル体内の各チャクラと経絡の中を循環しつつ、上位のアストラル体へと流れていきます。
また、通常は不可視ですが割と霊的には見ることのできやすいものの一つであり、
大気中にオタマジャクシのような蠢く生物のような粒子として視覚されます。
これが神道における勾玉の形のアイディアとなったとみなす人もいます。
0182宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/04(日) 18:13:03.02ID:NKWyDdAc
>>179
ゴータマは、
すべてを予め知りつつも自ら中毒死を選択したのです。
その気であれば、その危機は最初から回避もできるし、
中毒症状についても緩和して延命すらもできた。
完成者は、もし望むならばそのまま数百歳でも生存可能。

しかし、奇跡をまったく信じない唯物主義者らは、
ゴータマ最後の旅の延命可能の話についてもあり得ないこととして、
それは神格化すべく後代の不可挿入などと決めつけたりします。
しかし、そういう決め付けこそが無知の為せる愚か者の発想なのであって、
自然科学では一般的に認められていない超常現象について、
それらが実在することを実際に何度も体験してきたこの私からすれば、
笑止千万ですよ。

まっ、そういう人間たちとは話しても無駄。
つまり、その人はまだ時期がきていないということ。
0183神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/06(火) 20:50:24.01ID:SLvLDYi7
「チェンダよ。あなたの用意したきのこの料理をわたしにください。また用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧に上げてください。
残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。世の中で、修行完成者のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」
岩波文庫『ブッダ最後の旅』

と言いつつも、結局はそのきのこ料理を食べて死んでしまった釈迦…。

いくら
「わたしには忘れがたい供養があり、一つは悟りを開いた直後のスジャータの食物と、チェンダの供養を受けた食物だ。それは、最高の功徳である。」
との言葉をチェンダに伝えさせても後の祭り。
チェンダは釈迦を結果殺してしまった料理を振る舞ったことを死ぬまで後悔したであろう…。
0184神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/06(火) 23:50:57.57ID:diZfcPt3
>>183
心底崇拝する聖者から(―しかも、その人物は嘘を言わない!―)、
「最高の供養・功徳である」とお墨付きをもらって、
懼れの解消、安堵こそあれ、どうしてそこに後悔が生じようかw

もっとも、
子供にとっての、
見ず知らずの人の痛いの痛いの飛んでけと、母親の痛いの痛いの飛んでけの違いと似てるかも知らんがw
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/07(水) 01:36:03.28ID:Qn8D6MkS
「残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。世の中で、修行完成者のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」

この言葉は嘘には当たらないのかな??
釈迦は如来、仏陀、一切智者と自称していたが
0187宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/08(木) 00:23:57.23ID:QniibLD9
>>183
>チェンダは釈迦を結果殺してしまった料理を振る舞ったことを死ぬまで後悔したであろう…。

使命を全うした完成者は肉体を放棄する手段を自ら選択するのです。
ちょうど食中毒を起こすと見られる料理に気付いたゴータマは、
これをそのまま頂いて自分の肉体死のための引き金としたということ
(もしかしたら、調理過程のすべてにおいてゴータマの意図した神通が発揮されていた、
という可能性すらも私はあると思っている)。

>「わたしには忘れがたい供養があり、一つは悟りを開いた直後のスジャータの食物と、チェンダの供養を受けた食物だ。
>それは、最高の功徳である。」これは、大いなる完成者の肉体放棄のためのキッカケ作りに寄与した食事なのだから、

これは間違いなく最高の功徳となる供養に値する料理だった...。
そしてまた、この言葉はチェンダの自責の念を払い、
尚且つ、周囲からの咎めを止めるためにもとても効果的な言葉だった。

これに対して、
十字架上の死(磔刑)へと繋がることになった祭司長らにイエスを売り渡した裏切者のイスカリオテのユダの場合は、
その真実においては、伝統クリスチャンらが信じるような単純な裏切などではなくて、
すべてはイエスの命令(計画)にそのまま従った結果のことだった。
ユダは、イエスの力ならば(そして神の御力により)捕らわれから簡単に逃れることができるからこそ
自分へ裏切りを命令したものと思い込んだけれども、
ところがしかし、結果はあえなくイエスがそのまま処刑されてしまったので、このあまりの展開に驚いて、
そのキッカケを作ってしまったという自責の念に強く駆られて首を吊って死んでしまった(他伝では事故死だが...)。
0188宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/08(木) 00:24:57.84ID:QniibLD9
>>185
そのように言わないと、
他の弟子たちが食べてしまったら困るわけなんだから、
自分以外には食べさせないためには最適の発言でしょうよ。

それとも、
もしも、このときゴータマがこのような発言をせずにいて
これを一緒に食べて弟子たちも中毒を起こしたり、死んだリしてしまっていたとしたのなら、
また、あなたはこれについてどのような悪評を垂れるのですか?

>>186
貴重な情報をありがとうございました。
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 10:48:59.41ID:Xapt4hTV
ブッダ最期の旅でアーナンダの罪と過失を厳しく咎めているのはパーリ涅槃経だけ
https://i.imgur.com/S3BR5EV.jpg
0191神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 10:50:54.34ID:7zPI1lYf
>>188
釈迦を滅尽させたのだ
しかし、カッサバ?
以外の弟子はそのとき、釈迦は涅槃に入られたと述べた
そこで、弟子代表、そのときは、サーリープッタも、モッガーナもいないから、仕方なく、代表となったと言えども、非常に優れた男
だいかしょうは、
世尊は、
滅尽定に入られたのだ
涅槃ではない
0192宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/10(土) 17:45:39.18ID:hCIbS2cw
>>191
通常、ゴータマの“大いなる死”のことを
一般的には「涅槃」(無余依涅槃/肉体死の状態にあるニルヴァーナ)に入ったという。
しかし、このことをマハーカッサパが
“滅尽定(外見上は肉体死と類似の究極的瞑想状態)に入られた”
と述べたとするのならば、

その考えられる理由としては、
 @ブッダである師には、不慮の肉体死など訪れることがないという思いがあった。
か、もしくは、
 A不慮の肉体死による弟子たちの深い悲しみの心を少しでも軽減したいとする思いがあった。
といったものが上げられるのではないかと、私は思う。

例えば、
このことと非常に酷似している話としては、真言宗/空海における場合の、
大師は今もなお“瞑想状態にて生存を続けている”(祈りと救済の活動をされている)
という信仰が高野山にはある。
0193宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/10(土) 17:56:37.23ID:hCIbS2cw
追記:

また、修行完成者や熟達者の場合には、
その肉体死は瞑想状態にて迎えるというのもよく知られていることです。
尚、ゴータマの最後は滅尽定からの涅槃(肉体死)ではなく、第四禅からの涅槃(肉体死)入りだったともいう。
http://meditationultimate.web.fc2.com/meisou/metuzinn.html
0194パーピマン
垢版 |
2018/02/14(水) 10:57:47.57ID:d8ulMj09
最近は特に忙しくて、ゆっくり2ちゃんを見る暇がないw

とりあえず上げw
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/14(水) 15:10:46.67ID:uVDpCmei
>>194
彼女が出来たかな?Www
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/14(水) 15:20:23.21ID:569xZKPw
まことって、よく、朝鮮人の悪口を書くだろ?
あれも、人に認められるのが不可能なやつのやることなんだってよ
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/16(金) 09:55:32.14ID:f/WZfllF
★★★【お経好き集まれ】★★★ P35
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1321994135/

625 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/14(月) 10:33:35.98
読誦するのが好きな人いませんか。
どんなの読んでます?
私は阿弥陀経、観音経、大般若理趣分、般若心経など。

他にお薦めあったら教えてくんろ。

630 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/15(火) 23:31:47.91
>>625
大悲心陀羅尼はいかがですか。
まさに読誦向きだと思いますが。

632 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/16(水) 20:32:01.08
読むと金持ちに成れる現世利益のお経はないかね。

633 名前:名無しさん@京都板じゃないよ [sage] :2013/01/16(水) 20:33:47.80
>>632
大般若理趣分には得財の功徳があると言われている。

634 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/17(木) 11:18:20.51
超人になりたいのだが読むと神通力が得られるお経はないかね。

635 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/17(木) 13:05:11.35
大般若経おすすめ
0198神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/16(金) 11:33:27.86ID:53y2VTuE
お坊さんQ& Aサイト

般若心経を素人が唱えると、成仏出来ない霊が寄って来る、取り付かれると聞きましたが本当ですか?

後、寝る前に聞いたり唱えたりすると悪夢を見るとも聞きました、、

写経や坐禅に興味があるのですがこの事を聞いて恐くなり始める勇気がありません。
https://hasunoha.jp/questions/4622
0200宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/17(土) 17:15:25.42ID:h4LZ55zm
>>197
読経については、
基本的には自分の好きなものを好きなだけやればいいのです。

読経の習慣というのは、
元々はゴータマの教えを口授によって伝承してきた習慣がそのまま継承された行為で、
確かに、真剣な態度で読経に対して取り組むのならば、これも一つの立派な修行にはなるでしょう。
でも、5分やそこらのものじゃとても話にならないので、一回に最低20分とか、
できれば30分以上〜を毎日することが必要でしょう(やれる人なら1時間位とか)。
何故なら、自分自身で“大変だなぁ〜”と感じられるものでなれば修行にはならないからです。

あと、>>117-118でも述べたように、
私個人は、読経(或いは所持)による霊験であるとか、経文中に書かれてある功徳(利益)というものは
大乗が信者集めを目的にして勝手に書いたデタラメと見ているので、まったく信用しません。
ただし、真言陀羅尼(日本のものは原語からかなり掛離れた日本語訛りでしかないが...)については
古代インドの梵語によるマントラ(バラモン呪法)がベースなので、
これについてはある程度は期待できるものと見なしています。
0201宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/17(土) 17:42:41.69ID:h4LZ55zm
>>198
まず、
どういう意図が在ってこの投稿をしたのか? ということ...。

つまり、
 ・私も解答やアドバイスを得たいから、ここで参考意見を投稿して欲しいからか
 ・そのサイトで解答している僧侶の教えがためになるものなので、
   同じような不安を持たれている皆さんへ読まれることを奨めたい
って、ことなのかな??

ハッキリいうと、
そのサイトで解答している僧侶の話というのは、パッと見では見事な解説ではあるけれども、
しかし実際上、彼らはゴータマ(原始経典上にて)が霊の存在を認めている、
という基本的な事実すらも知らない無知な人々だということ。

尚且つ、
仏教は「無我」を説く教えだから霊魂を否定するものなので、当然も霊存在なるものもないだとか...
同じようにして、仏教ではこの世に実体のあるものは一つも存在しないと説くから、
霊などというものも実体のあるものではない、だから気にする必要なし。
といった、ゴータマの無我の教えについての勘違い者ばかり。

まっ、ここでも精々、
殆どこれに毛の生えた見解しか得られないでしょう。

この私、以外には。
0202神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/18(日) 00:44:35.18ID:G/RZXLvh
>>200
大悲心陀羅尼などは神秘的で不思議な霊力を確かに感じますね
言葉の響きからでしょうか?
https://youtu.be/9hlu-FNtZwc

しかしそれは日本の禅宗で読まれる場合だけであって
YouTubeでサンスクリット大悲心陀羅尼やら他の陀羅尼やら聞いても伴奏付きの歌になってしまってます(笑)

パーリ語のお経の読経も伴奏こそないですがまた然り
歌を歌ってるが如くは浄土真宗の正信偈といい勝負です
https://youtu.be/DC3sHntlIxE
0204宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/19(月) 01:27:22.40ID:nu/X4o3o
>>203
まず、
あまりにも基本的な認識不足と間違いが随所に散見されていて話にならないと思う。
何故、投稿者はこの画像の書籍名と著者名を明らかにしないのかな?
そういった常識からしてどうなのかな??
印象から、この私の推測としてはスマナサーラ長老の訳著ではないか、
という感じがしていますが...。

取りあえず、一言だけいっておくとすると、
たとえ南伝仏教のテーラワーダといえども、
ゴータマの教えをそのまま正しく継承したものではないということ。
これもその実態としては、部派仏教の生き残りが伝承したものに過ぎないのです。
そして残念ながら、現存する仏教教団にはゴータマの教えを
そのまま正しく継承したところは一つも存在していないようだということ。

今のところ、我々のレベルにおいては、
“間違った信仰”(伝統だから正しいものと信じること/つまり「迷信」)を打ち破るものは、
唯一にして、信仰に拠らないものであるところの「学問」以外にはない。
0205おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/20(火) 00:25:23.46ID:H8qRhb/p
 
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
近代の文献学上は
原始経典さえも
(意図的に?)編纂されたものなので
釈迦の言説が記録されているか明らかでない

それは、さておき
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E4%B8%80%E5%88%87%E6%9C%89%E9%83%A8
未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていく
映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験している

ttp://d.hatena.ne.jp/shi3z/20141222/1419203377
宇宙が
『時間軸を持った三次元空間である』というのは
(2次元の情報をもとにした)
スクリーン上に映し出された幻想のようなものである

青目(ピンガラ)中論 觀如來品 第二十二

人は戯論を生じている
戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆
仏を見ることはない

如来は戯論を超えている
0206神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/20(火) 10:05:44.02ID:kUh30IV9
外道バービーちゅわん&宝珠にネタ笑。

最澄に貸したらがらなかった、「理趣釈」の現代語チラ読みしてやると笑。
強烈なエネルギーがワイてくる笑。
俺って、頭オカシイわ笑。
0207神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/20(火) 10:16:46.67ID:IKe/KOFi
https://i.imgur.com/JTSTmvR.jpg

>現象の世界が実際の世界であって、現象の背後に隠れて「実体」の世界があるわけではないのです。

実体を空に入れ替えても同じこと
仏教では現象の世界こそが全てである
仏教は二諦を説くというパーピちゃんの決まり文句は間違い
0208神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/20(火) 11:49:52.84ID:fxE0eGGU
>>205
刹那滅の思想はテーラワーダもそうじゃん
テーラワーダでは法有の法(無為法)はニルバーナだけけという違いはあるが

しかし刹那滅は観察して実証されるものなのかねえ?
それこそ観念論じゃないのかなあ
禅でも刹那滅を説くけどこのルーツは何なんだろう?

>>207
二諦は古代バラモン教以来の伝統
バラモン教では私(アートマン)は認識出来ないものとされた(非らず、非らず
しかしその認識できない私を世俗のなかでは私がという主語で使っていた
ヴェーダに精通しているバラモン僧がそのように「私」を使い分けていた
0209おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/20(火) 19:30:01.59ID:H8qRhb/p
 
>刹那滅は観察して実証されるものなのかねえ?

刹那滅
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%82%BA
未来の領域から現在の時点に生起し、次の瞬間には過去の領域に滅し去る
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
最終的には心にも実体はない
このような識の転変は無常であり
一瞬のうちに生滅を繰り返す(刹那滅)ものであり
その瞬間が終わると過去に消えてゆく
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B9%E9%82%A3
刹那と仏教思想
説一切有部では
人間の意識は一刹那の間に
生成消滅(刹那消滅)を繰り返す
心の相続運動である
www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.chienohikari.pdf
刹那定
四界分別観
大念処経
この身には地界、水界、火界、風界がある

「実証すること」ではなくて
「般若の智慧と慈悲によって観照すること」かもしれない?
0210おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/20(火) 19:47:36.45ID:H8qRhb/p
 
刹那滅も
バラモン(ヒンドゥー)から → 仏教へ?

ttps://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-11J08097/
「刹那滅性に対する論駁はないことの証明」の章のサンスクリット原典写本の
ディプロマティック・エディション(写本を書写されたその通りにローマ字に起こしたもの)を作成した。
今年度は、アメリカ合衆国-ハーヴァード大学・教養学部・南アジア学科(受入 : Parimal G.Pati1教授)に約11カ月間研究滞在し、
前年度の研究成果をもとに、同著作のサンスクリット校訂テキスト、並びに、その暫定的な翻訳を作成した。
その文献学的基礎研究の成果として、シャンカラナンダナが対論者としていたと推測される、
正統派バラモン教哲学学派に属する幾人かの思想家クマーリラやウッドヨータカラなどを同定することが出来たほか、
『ダルマ・アランカーラ』第3章の章の構成、成り立ちについて、幾つかの興味深い知見を得ることができた。
また本年度は、昨年度に引き続き、『ダルマ・アランカーラ』第3章に対する文献学的基礎研究と並行して、
7世紀以降の刹那滅論を中心としたインド仏教思想史を再構築するべく、
ダルモーッタラ(ca.740-800)の刹那滅論に関する研究を更に推し進めた。
この研究では、刹那滅論証で使用される論証因「存在性」の成立をめぐるダルモーッタラの理論を明らかにし、
また、その理論が、後代の思想家ジュニャーナシュリーミトラ(ca-980-1030)にある程度の影響を与えたことを実証した。
ダルモーッタラやシャンカラナンダナなど、カシュミール系の思想家たちが、ジュニャーナシュリーミトラなど、
いわゆるヴィクラマシラー系の思想家たちの思想形成に与えた影響を具体的な事例のレヴェルで明らかにして行くことは、
7世紀以降のインド仏教思想史を再構築する上で、極めて重要な作業と言える。
0211宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/21(水) 02:02:19.21ID:3PX0XAs0
>>207
うーん.違う。

我々に認識可能なのは現象界のみであるから、
一切法だけが仏法の実践項目だということ。
ただし、有為としての現象界だけが知覚対象であるからといって、
この現象界を実体視する勘違いを起こすことのないように、
有為に対する無為法(有為を超越した世界)があることを説くのです。
であるから、その結果して二諦となる。
中には、無為法だけを説く連中(修行無用を説くナンチャッテ覚者たち)がいるが、
そういう一方通行の勘違いは実践に役立たない無用の長物。

>https://i.imgur.com/JTSTmvR.jpg

説一切有部の最大主張とは、恒常の存在を認めない上座部に対して、
一切法の法則そのものは永遠であるからこれこそが唯一の実在だとしたことです。


>>208
>バラモン教では私(アートマン)は認識出来ないものとされた(非らず、非らず

ただし、
それは仏教でいう凡夫、及び、未完成者についての場合です。
完成者はアートマンを知覚する。当たり前のことですが...。
0212神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/21(水) 02:36:32.12ID:sf1af/5m
>>211
>中には、無為法だけを説く連中(修行無用を説くナンチャッテ覚者たち)がいる

これって誰のこと?
0213宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/21(水) 03:34:39.11ID:3PX0XAs0
>>212
誰ということではありませんが、
龍樹の「第一義諦(勝義諦、真諦)」を読んで勘違いを起こし、
業報輪廻や縁起を否定して、更には、修行の必要すらないなどとする一部の禅者たちのこと。
失礼。無為法というよりは、第一義/勝義諦です。
0214おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 08:14:41.54ID:/Qt7esAQ
 
>無為法だけを説く(修行無用を説くナンチャッテ覚者たち)

机師匠とか
閻魔師匠とか
禅宗系のナンチャッテ覚者師匠の方々とか

道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもない

仏そのもの
それゆえに
無苦集滅道

机師匠とかは
「(仏そのものなので)只管打坐も必要がない!」とか逝ってた

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%8B%90%E7%A6%85
仮設としての
無明している世界の中で
我癡・我見・我慢・我愛に依存している

野狐禅
ナンチャッテ覚者師匠の方々
0215おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 08:44:07.47ID:/Qt7esAQ
 
ナンチャッテ覚者師匠の方々の場合は
無明している世界は
仮設としての
仮の現れで
(縁起に依存して?)滅するものなので
「無明している世界を手放しする!」という方法も必要がないらしい

 − これに対して −

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
上座部  パオ・セヤドー
第一禅定
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
呼吸の観察に戻してくる要素があります
(仏そのものに戻る帰る要素があります)
  _  _  _

ちなみに
おじゃるは
ヒンドゥー外道でつ スマソ m(_ _)m

(『永遠に変化することのないプルシャがある!』みたいな?)
0216おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 09:12:11.14ID:/Qt7esAQ
 
(縁起に依存して?)滅するもの

ttps://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス

何か雑念が出てきたことに気づいても
その辺りに漂わせておくようにして
縁起(を超えたもの)に依存して
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じて
衆生が ← 仏が大悲・大智を受け入れて
そして
(雑念が)自然に消えていくのを見届けます

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
縁起(を超えたもの)に依存して
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じて
衆生が ← 仏が大悲・大智を受け入れて
そして
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ
  _  _  _

ナンチャッテ覚者師匠の方々にとっては、このような
「認知行動療法のようなものも不要である!」ということであるらしい
0217おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 10:14:58.59ID:/Qt7esAQ
 
×衆生が ← 仏が大悲・大智を受け入れて
〇衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れて
  _  _  _

(優等生も劣等生も)
すべて仏そのもの

 − これに対して −

極端な優等生・極端な劣等生
ttp://gno.blog.jp/izumi/21601008.html
リトルウィッチアカデミア 第20話
ttp://gno.blog.jp/izumi/29664591.html
ブラッククローバー 第20話

たとえば
第一禅定から → 第二禅定へというように
「少しずつでも段階を超えていく」というところは
上座部的な感じがする

ナンチャッテ覚者師匠の方々にとっては
無明している世界の中で
『段階を進めていく。というところが間違いである!』ということであるらしい
それゆえに
『仏の世界から → 縁起している世界を観照せよ!』ということであるらしい
0218神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/21(水) 23:19:22.25ID:oHiaWbMu
上座部仏教の長老、スマナサーラ師の著書をいくつか読んでみた。
「釈迦の瞑想法」シリーズの3『自分につよくなる――サティ瞑想法』と『ついに悟りをひらく――七覚支瞑想法』、それに『死後はどうなるの?』、『ブッダの実践心理学』である。

(略)

これらの本に優れた点は多々あるのだが、一宗一派的だといったのは、自分の教団の教えが一番優れていることを不動の前提として、何とかその価値観の正しさを説得しようという動機が読み取れるということ。
つまりやっぱり「坊さんの説法」になっている。
それと、大乗仏教やキリスト教、ヒンドゥー教などの他宗教を、深く理解しようという欲求もなしに、あからさまにバカにしたりちくちくと嫌みを言ったりするところがところどころに出てくるので、どうもそれが気になった
(つまり、各宗教を「その最高の高み」においてつかまえた上で比較するのではなく、ごく低次レベルでつかまえて批判している)。
「この人は師匠としてはどうだろうか」という目で見るときには、その論の展開の正しさということよりも、むしろそういった「気になり方」が重要な要素になってくるものである。

(略)

というわけで、他にもいろいろそう判断する理由はあるのだが、要するにスマナサーラ師は、ある一定の境地には達しているんだろうが、決して悟ってはいないと思う(おっと、抗議メールが恐い・・)。
彼は、唯識で言う阿頼耶識なんてあるかどうかわからないのだからそんなもの空論だと断定しているが、ヴァスバンドゥとか唯識思想をつくった祖師たちは、瞑想の深みにおいて阿頼耶識を実際に直覚し、その経験をもとに書いていたのだと思う
(玉城康四郎も阿頼耶識を直覚していたらしいが)。
スマナサーラ師にはそのような経験がないのでわからないというだけの話ではないだろうか。
というか、上座部仏教にはそうした経験を促すような修行法はないし、そういう経験が出たとしてもその意味を否定していくだろう。
(なお、私が魂といっているのはほぼ阿頼耶識に相当する。それはもちろん究極的見地から言えば実体ではない。
しかし阿頼耶識が存立している次元より低次の世界から見れば、それは個別的実体と錯視されるものである)。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/20316/21924/10175383
0219神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/22(木) 01:52:15.91ID:p7HidkbA
阿頼耶識とはコザール体のことなるぞ
末那識がアストラル体
0220神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/22(木) 07:41:02.47ID:2wfULcaq
217.
ナンチャッテ覚者が正しい。
バカおじゃる、は救いようがないよ。
0222宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/23(金) 03:14:44.62ID:pING1c03
>>214-215
>机師匠とか
>閻魔師匠とか
>禅宗系のナンチャッテ覚者師匠の方々とか
>
>修行したり、悟り証したりすることもない

そだねー.そだねー..

ブッダの教え(と最後の遺言)は「修行しなさい」であって、
「しなくていい」などとは述べたことは一度もないから。
よって、彼らの言説(勝手デタラメ)は仏教を破壊するものです。
0223宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/23(金) 04:49:32.60ID:pING1c03
>>218
全文に同意。

>(なお、私が魂といっているのはほぼ阿頼耶識に相当する。それはもちろん究極的見地から言えば実体ではない。
>しかし阿頼耶識が存立している次元より低次の世界から見れば、それは個別的実体と錯視されるものである)。

正解。
0224神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/23(金) 07:38:00.98ID:Aes4L/E+
218.
心理学をやっている場合ではないよ。
0225神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/23(金) 07:40:50.32ID:Aes4L/E+
222.
修行しなさい、か。
それは生活の問題であるよ。
それは宗教の問題ではないよ。
その両者の区別ができないからして、バカ丸出しであるよ。
0226宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 10:11:43.36ID:1B/EOksL
>>225
何が、「バカ丸出し」だ。
その言葉、そっくりそのままおまえに返してやるから!
それとも何か? おまえは、「修行」が宗教とは無関係の普通生活だとでもいいたいのか?

いいか。
親切に教えてやるから、よーく覚えとけ!!
「修行」というのはだな.つまりは「仏道生活」ということをいってるわけだ。
仏道生活とは、「仏教」の教えに乗っ取った生き方であり、
自らが意識的に“仏教の説く境地”を目指して自己の向上に努める生活のことをいう。
そして、その仏教というのは、「宗教」の一つなんだという単純、かつ基本的な事実すらもおまえは知らないのか???
仏典の説く通り、物質科学、自然科学の説く常識を超えた超常的な部分を必ず持つというのが宗教としての一大特徴だ。
その仏教は、「世界三大宗教」だと学校でも習うだろ。辞書くらいは見とけ!!
従って、つまり修行を伴う仏道生活は、無宗教/無信仰者らの生活とは
根本的に(生きる目的と、そして行為の数々が)異なる。

 『世界三大宗教(せかいさんだいしゅうきょう)とは、仏教、キリスト教、イスラム教の三つを指した言葉。
三大宗教ともいう。また、これにユダヤ教、ヒンドゥー教を加え、五大宗教[1]とする場合もある。』(Wikipedia)

 『宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、
また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。』(Wikipedia)
 『神または、なんらかの超越的な絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰、行事。
又それらの関連的体系。』(広辞苑)
0227宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 10:16:26.96ID:1B/EOksL
『ブッダは超一流の科学者なのです。その態度は徹底して客観的なのです。』>>203
というのはいいと思う。

確かに、
ゴータマの態度というのはまさに徹底して科学的!!
ただし、勘違いしてはならないのは、ゴータマがどれほど科学的であろうとも、
その教えの根拠となっているのはゴータマ自身が実体験した内的経験に基くものであるということです。
その体験は自然科学では認められていない超越性を伴ったものです。

また、中には「仏教」は哲学であって、宗教ではないという人もいる。
一昔前の西洋の宗教哲学者らもそう見なした時期もありました。
5ちゃんに巣食う唯物者たちも同様のことをいうのです。
仏典に記載されている超常部分はすべて、神格化と迷信に過ぎない、と。
しかし、こういう主張こそ愚かの極みであって、修行者は修業が進んでいくことで
段階的に仏典に在るその超常的な教えを本物の事実として経験する。
未経験ららよる机上の空論などは何も的を得たものではない。

また神智学のように、崇拝せず、礼拝行為を説かず、
読誦のお勤めをせず、聖典を持たず、仏像神像を造らず、お祀りをせず...といった
諸宗教の“信仰の次元”を超えたものとなって初めて常識的なカテゴリーを逸脱する。
何故ならば、超常的な世界への信仰(心)に拠らずともただ説かれた通りに実践すれば、
その通りの結果を得る科学的なものだからだ。

そして、万人すべてがそれら(超常的)が事実であると知り、
そのことが常識となった時代には、“それは宗教の話に過ぎない”といった枠は取れて、
非宗教/唯物論は間違った過去の思想(迷信)だとして扱われることとなる。
0228DJ学術 
垢版 |
2018/02/25(日) 10:38:06.99ID:wJ/p8hTx
ゴータマは座されたよねえ。
0229宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 11:31:05.63ID:1B/EOksL
>>198
ここの僧侶の解説の中には、
「病人が医師の元へと行くように迷える霊がいたとしても頼るのは素人のところではない」といった説明がある。
けれども実態からいうと、浮遊霊というものは相手が誰かを確認してから行くのではなくて、
空中に放射されている電波から周波数を合わせたチャンネルのラジオやTV番組を受信するのと同じように、
意識の波長の合った人間によって感知されるのだということ。
そして、意図せず望むことなしに、これが頻繁に起こってしまうような人間のことをを霊媒体質という。

霊媒体質者は基本的に、
読経(経の読誦)や瞑想は合わない。
死者のための読経を意識した途端にチャンネルが繋がる構図(体質)であり、
また、彼らは死者とは無関係に行う瞑想行為ですらも霊界と結びつきやすいので無理な場合が多いと思う。
霊媒体質者が行うべきは、まずはその体質改善です。
そうでなければ、彼らにとっては読経や瞑想などの修行は
益々、霊達とのコンタクトを増長するものとなるので寧ろしない方がいいだろうと思う。
彼ら霊媒体質というのは全員、みぞおちにある丹田、マニピューラ・チャクラが活性化しているので、
ここの暴走を制御すべく、眉間にあるアジュナー・チャクラに意識を保つ訓練をして、
習慣化できるようになる必要がある。
これが有る程度、無意識に維持できるようになったときマニピューラは制御下に置かれて、
望まぬ死霊達とのコンタクトを遮断できる。
もし、本気で体質改善に取り組みたい人は、他に食事などについても調べてみることをお薦めする。

尚、私の勉強不足にて般若心経が他の読誦経文よりも霊を呼びやすいのかどうかについては分からない。
それは本人にそういう認識(死者供養に重宝されてきたという歴史的経緯)
があるから霊と繋がり易くなるということなのか、
或いは、後半のギャティの呪文と何か関係あるのかどうか...


以上
0230神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/25(日) 16:56:34.08ID:zKcXBeBp
226.
仏道生活、か。
バカ丸出しであるよ。
生活の問題ではないよ。
数学の生活修行をすれば、数学の答え、が出るのかや。
それはバカの考えることである。
0231宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 17:24:38.68ID:1B/EOksL
>>230
仏教の教えは、
もし定めらた通りに実践を続けるならば、
当然、その言われた通りの結果が出る。
その為に皆、仏道生活を過ごす。
当たり前の話だろ。

でなければその意味がない。
誰もこの道を歩むことなく、ただ好き放題に生きることになるだろう。
数学は定めれた方程式を正しく用いれば、
一つの正しい解答を引き出せることになっている。

バカ丸出しはおまえだ!
0232神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/25(日) 17:36:42.98ID:zKcXBeBp
231.
仏道生活でもってして、当然、その言われた通りの結果が出る、か。
バカ丸出し、の言い分であるよ。
その結果が出ることはない。
それならば、バカでも結果が出ることになる。
そんなに簡単なことではない。
それは迷信であるよ。バカのやることであるよ。
0233神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/25(日) 17:52:46.79ID:fv3KixQr
釈迦ももうダメです。不動と同じです。悪い部分があったらKSAの薬師如来に事前になおしてもらうと言っているのに
いつまでも善人の邪魔をしてきたり、もはや悪いほうへ行ってしまい上の神々仏々に抹消されることになりました。
おまいりしてると、中道ではなく中途半端になるところからやる気をなくしダメになるよううながされます。
「おまえを助けると悪いほうへ言ってしまい怖い」といいわけしていたが、単に自分をこえられるのがこわいだけという
個人的な理由だったりします。どうか仏教徒はこれからは、これからはしゃかをおまいりしないように。
KSA(月読神、アポロン神、ガブリエル神、降三世明王神、アルテミス神、如意輪観音神、他元仏教からKSAに移動してきた
ブッダ、他もと違うところからKSAにきた西洋の神々などでこうせいされている神仏のグループ)を拝むようにしてください。
0234宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 17:58:27.54ID:1B/EOksL
>>232
>それならば、バカでも結果が出ることになる。

バカでもバカなりの結果が出る。
やった分だけの進歩がある。それが仏教。
その意味すらも分からないのがバカ!
0236神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 00:59:06.13ID:lculIPhJ
情熱大陸、若き日本人のヨガ行者。


本来、
比丘(→行者→遊行者→≒僧侶)のあるべき姿かもな・・・w
 >年一は本場の研修会に参加し、その他日々は各地で指導、定住定職とは程遠い。
妹さんの心配も、よくわかる・・・w
0237神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 01:11:52.46ID:lculIPhJ
けど、
ヨガ行で、
どれだけ鍛錬しても、どれだけテクニカルに上達して指導し得るスキルを得たとしても、
たぶん、「お悟り」へのベクトルではないのだろう・・。
心身の健康・調整には絶大な効果はあろうが、
お釈迦さんの立ち位置へ向かう道標にはならないのかも・・。

とするなら、
釈子の採るべき「ベクトル」は何か?どの方向をどの角度で向いているか?
が、問われるべきであり、
なぜ「出家」でなければならないか?ということを、暗に示す部分かもしれない・・・。
0238神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 01:15:41.16ID:lculIPhJ
>>237

勿論、お釈迦さんの向かった先に 《真我》 なぞある筈もないわけだがw
0239神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 06:35:24.52ID:NqXb98gQ
宗教は基本的に超常的な事柄に関する憧れを内包していると思います
創造主、太陽、仏(釈迦)のような、または、自然神や霊魂をそこに持ってくる場合もありますが、何らかの現実を超えたものへの到達を目指すものではないでしょうか?
0240神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 06:50:43.75ID:LQ2Fuxpo
靖国神社はアメリカ建国記念神社。

http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/n/1/8/6/9/n1869_8_06J.html

やってられません。

(個人の意見)

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p042.html#page278
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p036.html#page245
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p034.html#page225
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p037.html#page256
http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p046.html#page302
http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p044.html#page295
0241神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 08:14:20.45ID:Ekps3V7l
234.
迷信をやっているか、否かも判断できないのがバカ宝珠であるよ。
0242おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/26(月) 09:15:30.48ID:fJmNLW1b
 
>超えたもの

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
宇宙に満ちている根源的エネルギー

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6
神智学
神あるいは超越者が叡智的性格をもち
宇宙や自然もこのような叡智からつくられ
人間の智も神の智に通ずる性格をもっており…

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている

ttps://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%A6%82%E7%B8%81%E8%B5%B7-538672
(光り輝いている)
仏性からの真如縁起

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
釈迦
菩提樹の下に坐して
戒律・禅定(サマタ)・智慧(ヴィパッサナー)とかをもって
悟りに達して仏陀となった(成道)

ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観帰謬派
仮設としての
縁起している世界は
空性なので
変化しないものではない

ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
すべての事象は独立してではなく
原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
0243おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/26(月) 09:47:30.13ID:fJmNLW1b
 
おじゃるの場合は
手放し出来てないけど

もし
色受想行識の
想いが依存している
無明している世界を
手放し出来ているのなら

>お釈迦さんの向かった先に 《真我》 なぞある筈もないわけだ

手放し出来てないのなら
仮設としての
無明している世界の中で
「我はあるはずだ!」と掴もうとしている想いが現れ(そして滅し)ている

(それ自体、単独で成立してる我は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立してる我が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性が現れ(そして滅し)ている

青目(ピンガラ)中論 觀如來品 第二十二

人(おじゃる)は戯論を生じている
戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆
仏を見ることはない

如来は戯論を超えている
0244神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 21:43:50.78ID:ZkL1AZF5
スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk

ヴィパッサナーは一体感で気持ちよくなる実践ではなく、身体、感覚、心などの動きを観察して無執着に至ること。
ヨーガなどで「魂」にしがみつくことは、億万長者よりも激しい執着です。

9月23日@jtba_talk
スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk

Q ヨガや気功と瞑想の関係は?

A 基本的にヨガや気功は肉体中心の訓練なんですね。
シンプルな動きをしていると肉体の激しい波は落ち着いてくる。それで終わり。心の成長というものはないんです。
ヨガはそこから魂論を説く。仏教から見ると無知はそのまま。煩悩はそのまま。幻覚はそのままです。
http://twilog.org/jtba_talk/month-1509 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
0245神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 23:26:03.46ID:nbnqEp3B
心理学をやっている、のがバカおじゃる、であるよ。
0246宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:00:48.69ID:6ufSQlP8
>>238
必死だな...

しかし、すでに古くてお役に立たなくなったもの、
間違った従来の常識はいつか必ず捨て去られる時がやってくる。
その時に必要なものは、強い勇気です。

『(師ブッダが現れていった)、
 ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去った
 ように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。』(スッタニパータ.1146)
0247宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:03:58.33ID:6ufSQlP8
>>244
どうやら、テーラワーダだけが唯一の真理であって、
それ以外の仏教諸派やその他すべての諸宗教は間違いだとして、もう悪口が止まらないという感じ...。
印象としては、他教団/他宗教すべてを邪視する日本の日蓮系諸団体と何ら変わらず同レベルの印象を受けます。

偉そうな割に、
とにかくこの方はピンからキリまで、何もかもすべてがまるで分かってない。
これから簡単に説明するのでよく勉強するように。

まず、アートマンというのは今日、「真我」と訳されるのが通例で、文字通り“真実の自己”だという意味です。
この真実の自己についてはおじゃるさんが度々、取り上げているように、
 『比丘らよ、この心は浄潔である。そしてそ〔の心〕は外来の諸随煩悩によって染汚されている。』
(パーリ増支部1.5/水野 弘元訳)として、この私はゴータマが本来、
大乗の採った最重要テーマとしての仏性(如来蔵思想)についても説いたものだと見ています。
経典というものは、編纂と発展の歴史の中でしだいに付加増大したり、或いはまた、都合の悪いものについては意図的に削除されたりして伝えられてきた。
「縁起」を根幹に据えた場合には誤解を生みやすく不都合とされたものは削除されたが、この経文ついては残ったということでしょう。
そして、真実の自己の追求こそが我々のしなければならない最重要目的であることについてはこうある。
 『“アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ”“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ』
〈Vinaya, Mahavagga 1.13.p.23/attanam gaveseti.〉”

また、注目すべきは、
 『自己こそ自己の主である。一体、他の誰が主であろうか? 自己がよく調御されたならば、彼は得難い主を得る。』(Dhp.160)
さて、自己の主であるところの自己とは何か? よく考えてみよう。
そしてズバリ、一切を超越し縁起にも拠らない境地であるところのニルヴァーナについて語った経文『ウダーナ』には、こうある。
0248宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:06:34.65ID:6ufSQlP8
 【「比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく
『形成されたもの』でないもの(涅槃)が存在することから、それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』
『形成されたもの』からの出離が覚知される」と。】(ウダーナ8.3)

つまり、一切である現象界の有為と涅槃である無為とはまったく異なるものであるからこそ、
その違いを認識できるということを述べているのだけれども、重要なのはこの“有為からの出離”
(すなわち、一切からの完全な解脱)を覚知しているのは誰(何)なのか?ということ。
縁起に拠らない永遠なる恒常世界としてのニルヴァーナにおいて、そのことを覚知している存在であるのだから当然、
現象界における仮和合の自己や煩悩に塗れた自己である筈はないのであって、
これこそが必然的に本来、清浄にして真実の自己であるところのアートマン、
恒常にして不滅のアートマン以外にはないということになる。

だから、確かにゴータマは「アートマンは在る」などという言い方はしなかったけれども、
理解できる人間、分かる者だけには分かる教えを残されたのだということ。
分からない者は所詮、それだけの者に過ぎないということ。
ただの幽霊レベルのこと一つすらも理解できず「在り得ない!」などと言ってるよう者などには到底、永遠に無理だから。
0249宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:08:22.87ID:6ufSQlP8
それから、「魂」はアートマンではないので勘違いしないように。
これも時空を超越した深層域の自己存在ではあるけれども、しかし、これは究極のアートマンのことではないから。
この魂については、ゴータマは五蘊の「識」のことであるとして明確に説いている。この識こそが母胎に宿る転生の主体です。
大乗の唯識派は、人間の心の奥底に潜むこの深層域部分を細かく分析し、かつ八つの識として分類。彼らは、これを「阿頼耶識」だとした。
これはつまり、我々の日常言葉でいうと転生の主体である「魂」だということであって、
転生毎において経験した記憶とデータのすべては魂の鞘であるコーザル体に蓄積されており、
修行者は魂との連結が次第に強固なものとなり、第四段階のアールハットのイニシエーションにおいてコーザル体は破壊され、
過去一切におけるあらゆる転生の記憶が蘇り、獲得した経験の記録データを自在に引き出せるようになる。
これがブッダの宿命智通です。

尚、これを究極のアートマンと誤認する間違いを犯しやすいので注意しなければならないのであって、
そのような勘違いのバラモン聖者たちについて間違いを指摘した教説がパーリ『梵網経』です。
0250宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:10:51.80ID:6ufSQlP8
 『「識に縁って名色がある」と、このようにすでに説いた。どのように識に縁って名色があるかというこのことは、アーナンダよ、この
ような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入ってから消失するとすれば、いったい名色はそのようなものとして現起するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が男児あるいは女児にせよ幼児の時に断たれるとすれば、いったい名色は増大し、成長し、発達するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがす
なわち識である。「名色に縁って識がある」と、このようにすでに説いた。どのように名色に縁って識
があるかというこのことは、アーナンダよ、このような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が名色のもとに依り処をうることがないとすれば、いったい未来に生老死苦の生起の存在が知られるであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが識の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすな
わち名色である。
 アーナンダよ、この限りにおいて、あるいは生まれ、あるいは老い、あるいは死に、あるいは逝去し、あるいは生処に達するのであり、
この限りにおいて言葉の通路があり、この限りにおいて語義解釈の通路があり、この限りにおいて定立の通路があり、この限りにおいて
慧の領域があり、この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起
するのである。(ディーガ・ニカーヤ 15, Mahānidānasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0251宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:18:16.80ID:6ufSQlP8
 『atmanという言葉は必ずしも否定の対象となっていないのである。以上のように、古い経典ではatmanやattaと言われた我の否定ではなく、
atmanでないものをatmanの如くみることを斥ける意味で無我を説き、atmanをatmanとして正しくみ、“真実の自己をたずねよ”といっている
のである。非我なるものを我とみてはならないというのである。この意味で、佛陀の教えは必ずしもインド的なものから全く別であったといっ
てはならないであろう。ところが、やがて此の“アートマンでないもの”ということが“アートマンを有しない”という形容詞として用いられ、
我の存在の否定の意味をもつようになり、これが、部派佛教の考え方となったのである。我を常一主宰と規定して、そのような何者かがあると
するのが、輪廻転生を説くバラモン教のおしえであり、其にたいしてそのような我はないというのが釈尊の教えであると考えたのである。この
ように、古い経典に用いられた「我」の理解がどうして解釈の違いをおこすことになったのであろうか。恐らく、かの『ミリンダ王問経』に見
られるような、ギリシャ的な思想の影響をうけて形成された説一切有部の教学の性格によるのであろう。』
(武邑尚邦著『東西思潮と仏教思想』)

「アートマンは無い」が無我の教えであるなどというのは、
部派時代に生じた誤解がそのまま今日まで継承されてしまったものです。
それが近代仏教学の常識なのです。
0252宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:20:59.65ID:6ufSQlP8
それから締め括りにいっておくけれども。
スリランカ仏教の出身者ならば、恩をアダで返すような真似は止めなさい!
テーラワーダでは、人の恩というものついては説かないのかな???

今日、あなた方(長老)のように悠々と日本で布教できる余裕が持てるようになったのは、
消滅の危機に苦しんだスリランカ仏教を復興すべく自分の残りの全生涯を捧げた英雄、
神智学協会初代会長オルコット大佐の尽力の賜物であることに感謝しなさい!
神智学協会は、国家や人種や宗教の違いを超えて全人類にとっての共通する有益財産を守る奉仕活動をしている。
インド独立運動の支援もスリランカ仏教の復興などもその一つです。

http://barc.ryukoku.ac.jp/research/upload_file/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E2%85%A2_web.pdf
(第T部 報告U-スリランカ仏教におけるオルコットの業績/龍谷大学アジア仏教文化研究センター2012年度 第1回 国内シンポジウム)
http://www.j-theravada.net/gallery/bukki.html
(仏教旗の制定・ウェーサクの祝日化)
0253神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 16:54:53.24ID:ZsN30tYn
誰が気づくって普段の自己でしょうがw
0254神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 16:58:29.40ID:ZsN30tYn
真実の自己なら、自己なんでしょうw
そのようなものを仮定すると認識が動いて見失うから、そのようなものはないと説いたのでしょう
一切法の内にないものを、あるよー
と言ってみても仕方ないからでしょう
わからんけど
0255神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 20:48:51.44ID:aXuRGX+p
各画像とも読み方は下のツイートから上のツイートへ
https://i.imgur.com/HFNJXGH.jpg
https://i.imgur.com/sb7kgZG.jpg
https://i.imgur.com/Xm6iGWn.jpg
https://i.imgur.com/xkLwr9T.jpg

さらに

ヨガのブラフマンやアートマンはニルバーナか?
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/12/04/050000
の特に冒頭と結び

スマ長老の恩知らずは残念かもしれないが、バラモン教ヒンドゥー教への指摘は正論に思える
0256神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/28(水) 07:46:04.35ID:YRq823wR
https://i.imgur.com/sb7kgZG.jpg

こういう考えよりも

パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ・2
罪とは無知
http://mandalaya.com/pa-yo.html

こちらの考え(思想)の方が好きだな

「犯した間違いと自分自身を、決して同一視してはなりません。
 あなたは神の子です。神との永遠の絆を結ぶ権利を主張しなさい。」

この短い言葉一つにでも目覚めることができれば罪は自制される
0257宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:50:11.96ID:JghjPGMn
>>255
>バラモン教ヒンドゥー教への指摘は正論に思える

指摘が正論ね...
まっ、一般的な論調としては確かにそうかもしれない。
池上 彰先生だったら、或いは『いい質問ですね〜』ときたでしょうかね。
けれども正直、この私から見ればただの小学生といった感じでしかない。
或いは、ただの「駄々っ子」ってところかな...。
たぶん批判したくてウズウズしてるから、こういった感じの論調なのかもしれませんが...、

>『ブッダは古代インドにあった創造神(ブラフマー)のような屁理屈を認めていたわけではない』

細かい話ですが、「ブラフマー」とは後代のヒンドゥー教の人格神なので、
古代バラモン教時代であれば「ブラフマン」とすべきでしょう。
まずいえることは、ゴータマが創造神について馬鹿にする筈はないのであって、
実際、当時のバラモンたちはゴータマのことをブラフマンと呼称して褒め讃えていたのであり(『Sn.508』)、
そのこと自体をゴータマ自身が否定(「わたしはブラフマンなどではない」と)したこともなければ、
「そのような呼称は不適切なので止めるべきである」などと相手を諭したこともないのだということ。
まさか長老は、ゴータマが「創造神などはない」として否定していたものだと誤認してるわけじゃないでしょうね。
確かに、“原始仏教において創造神は説かれておらず、寧ろ、そのようなものはない”
という立場にあるものと見なしている人も多いのも事実です。
しかしながら、実際に原始経典を読むならば、ゴータマは創造神の存在を当然のごとく認めているのであり、
そのことが当たり前過ぎることだからこそ、敢えて態々、このことを説く必要がないものだとしていたことが分かる。
自分で確認することなしにただ信じている人々と一緒にするな、ということ、

『「本当に、神は、この世に存在しているのですか。」
「私は、神が居ることを、自ら確めている。故に、居るのかと問われたら、居ると答える。
しかし、問われないならば、答えることはない。」
「ゴータマよ、その訳は、如何してですか。」
「人々は、神が居ることを、徒に信じている。確めることなく、信じられている、からである。」』
(パーリ中部.第100経/サンガーラヴァ経.第4章)
0258宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:52:31.39ID:JghjPGMn
>『人間の感情(貪瞋痴)が強ければ強いほど、永遠の魂について考えたりする。』

「魂」とは阿頼耶識のことであり、
先にも述べた通り、ゴータマ自らが母胎へと宿る転生の主体であるところの「識」として説かれたものです。
また、“永遠の意識(生命) ”についての希求という意味合いにおいては、あらゆる人々が当然のごとくそれを望むのみならず、
これは仏教においても、その目指すところの目標であるニルヴァーナこそが“究極の不滅の境地”だとしているのであるから、
これこそが真実の不滅の意識だということになる。
ある意味ではこれを「ニルヴァーナ」と呼ぼうが、または「アートマン」と呼ぼうが、
キリスト教が「永遠の生命」だと呼ぼうが、実際にはそれは大した問題ではない。

 『ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、
不滅のニルヴァーナの境地である。』(Sn.1086)
 『これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。』
(ウダーナヴァルガ26-29)

 『涅槃の語は仏教以前から存在したらしく、---中略---しかし涅槃と同じく生死輪廻を超えた悟りの境地として、
パラモン教では古くから不死(amrta甘露)の語があり、仏教でも不死は涅槃の同義語とされた。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』p170-171新版第1刷/春秋社刊)
0259宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:53:26.96ID:JghjPGMn
>『不変の我は在り得ないが』

だからそれは、この現象世界であるところの“一切(有為) ”においては、ということ。
そのことが「諸行無常」(現象界におけるあらゆる諸々の物質的存在のすべては流転変滅を続ける)であり、
「諸法無我」(同じくこの一切には不変不滅の存在はない)です。仏教における一切とは無為を含めない限定意です
(勝手に一切内にも「無為」を含めたのは部派であり、その結果が『阿毘達磨』だということ)。

>『(汚れない魂があるなら、)人は罪を犯してもいい事になる。絶対的な我が在るなら、悪を犯しても善を行っても、我に与える影響がない。』

汚れない魂があるなら影響しない筈だから、だったら悪事を行っても何をしてもいいということではないのであって、
我々は本来、その清浄なる魂(真我)であるということを自覚することができないから誰しも過ちを犯すし、悪事すらも働いてしまうのだということ。
であるから、我々はこの意識に目覚める必要があり、それを可能にするには修行が必要だということ。
修行によって煩悩という汚れが除去されるならば、当然、本来の清浄なる自己に目覚めることになる。
そうすれば、もちろん悪事を働くことはないし、二度と苦悩することもない。

>『我はアートマンのこと。無我はアートマンがないという意味』

違います。ゴータマはそんなことを言ったことは一度もない。
ゴータマが説いたのは、「それらはアートマンではない(非我)」、
「アートマンでないものをアートマンとして見ることなかれ(つまり、アートマンであるものをアートマンとして正しく見よ!)です。
先にも述べたように(>>251)、無我を「アートマンではない」などという間違った解釈をしたのは部派仏教であって、
これがそのまま間違って今日の仏教教団へと継承されました。つまりは伝承ミスです。
世の中には100%完全無欠のものはないというのが仏教の見方ですが、
そのことはブッダの教説の伝承においてすらも例外ではなかったということ。
悲しいことですが、これが近代仏教学における現在の統一的な見解です。
0260宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:54:57.84ID:JghjPGMn
 『anattan(無我、我ならざるもの)の語は、ブッダも使います。ブッダの教えの中で重要な用語です。 これは、「主語+述語」の文の、
述語に置かれます。「苦であるものは、我ならざるものである(=我 ではない)」ということで、「無我」は「我がない」という意味では
ありません。「我ではない」という意味 です。
 ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は作ることはできないのです。『ブッダ論理学
』の【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅するものだけを扱うからです。しかし、生じ滅する「色」が、我ならざるものであること
は、述べることができます。述語には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」という言葉も出てきます。
 ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな) これは、経典を作りかえ
たとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入ってくるということです。』
(石飛道子ヴェブサイト『マニカナ掲示板過去ログ2739.』)

この点、同じ南方上座部でもタイのテーラワーダ高僧プッタタート比丘の場合は、
「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」と述べたらしい。
それが本当ならば、実に素直で正直な僧侶です。これこそ本物の高僧ですね。
0261宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:56:45.18ID:JghjPGMn
>http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2016/11/17/040000
> (覚りをひらいたと長老が思われる人は、どれくらいの頻度で現れますか? 回答(スマナサーラ長老))

たまたま、関連リンクを開いたところ、とても気になってしまった長老の小学生レベルの解説があったので取り上げておきます。
長老によれば、覚りというのはたったの1日で十分だそうです。
できる人は午前中にも覚れるとのこと。ただし、“心が素直”ならばということらしい。
しかし、この心が素直という部分が曲者であり、そんな人間がいるはずはない? のだから、
結果的には簡単に覚れる者などはいない、ということになるのかどうか?
いや、そうではなくて、やっぱり覚りは誰でも簡単にすぐできるもの、ということをいいたいのか否か?

とにかく何れにせよ、こういった日本の禅的な発想は話にならないので止めてもらいたいものです。
非常によく見られるパターンなのですが、“コンダンニャの悟り”を
まるで最終解脱した一切智者と混同するかのような同一表現で以て、「悟り」「覚り」と呼ぶ人があまりにも多い。
正しく、「悟り」というものは多様かつ段階的なものであって、
それはクイズや数学の解答がわかったようなレベルから、究極のニルヴァーナに達するレベルまでピンキリだということ。
コンダンニャの場合には、四沙門果(修行者が得る四つの結果)の、
つまり「預流果(須陀洹)」、「一来果(斯陀含)」、「不還果(阿那含)」、「阿羅漢果」の四段階における預流果のレベルです。
この四沙門果をみれば分かるように、ニルヴァーナに達するには修行を始めてから何生涯もかかるものだということ。
そして、本来的には仏教のいう「悟り」というのは、最終段階の解脱においてのみ該当するもの。これ以外を指すものではない。
だから、安易に自分は「悟った」だの、これこれしかじかで「悟れる」だのと軽々しく喋るべきじゃないから。
これは、とても恥ずかしいことです...。

>http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/12/04/050000
>(ヨガのブラフマンやアートマンはニルバーナか?)

次、これはまた後でやります...。
0262宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 15:09:32.66ID:JghjPGMn
>>259
訂正:
 ×「無我を「アートマンではない」などという間違った解釈をしたのは部派仏教であって、」
 ○「無我を「アートマンはない」などという間違った解釈をしたのは部派仏教であって、」
0263神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/02(金) 00:46:05.18ID:qyHSFcwn
>>262
色々お詳しいですね
仏教においてコレだけを読んでおけば大体のことは理解できるっていう書物ってありますか?
0264神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/02(金) 21:50:45.43ID:dUAjjc97
スマナサーラ長老の仏教法話

>ですから「我」説と悪の存在は両立できません。
>(汚れない魂があるなら、)人は罪を犯してもいい事になる。
>絶対的な我があるなら、悪を犯しても善を行っても、我に与える影響がない。
>無常だから(無我)、道徳が成り立つ。つねに改良しないといけなくなる。
http://twilog.org/jtba_talk/month-1106

これはバラモン教ーヒンドゥー教よりもむしろ、六師外道の一人、道徳否定論者のプーラナ・カッサパの思想そのものかな?

プーラナ・カッサパ

>その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。
>人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
>したがって、行為自体は魂に影響を与えず、
>どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%91

六師外道についてはスマナサーラ長老も詳しく解説してたはずと思って調べたらあった
沙門果経への解説の中に
http://www.j-theravada.net/explain/index.html
0265神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/03(土) 09:16:09.97ID:6ygDAt8L
【悲報】仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明! 僧侶のイメージ完全崩壊… 全宗教で断トツの俗物
http://tocana.jp/2018/03/post_16177_entry.html
0266神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/03(土) 09:38:28.29ID:q/DaS+xX
261.
悟りの心理学である。
宗教は心理学ではないよ。
0267宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/03(土) 12:54:55.21ID:CkacnKX3
>>262
・田上 太秀(著)『図解 ブッダの教え』歴史がおもしろいシリーズ Kindle版/西東社
・水野 弘元(著)『仏教要語の基礎知識』春秋社刊

今は、様々に分かり易い良い書籍が出てるので自分でアレコレ手に取ってみるといいです。
ただし、“超訳ブッダ”とかの仏典訳書はダメです。あれでは変質し過ぎていて意味が正しく伝わらないから。
私からは、入門書として強くお薦めできるのは田上氏のこの本です。
一つ一つについてはさすがに深い処までは掘り下げていませんが、
しかし、仏教の教えについての殆どすべての事柄について丁寧に網羅してある。
そして、深く調べるためのヒントも提供してくれている。まさに持ち歩き向きのミニ辞典といった感じ。
それから、内容はかなり難しいですけれど、仏教を学ぶならば絶対的に必読必携すべき辞書としてお薦めしたいのが、
水野『---要語』です。とりあえずは、この二冊かな。

それと、
「無我」の正しい意味は「我ではない(非我)」ということであり、
決して、「我はない(我がない)」という意味ではないことについては、
最近の書籍を開いても、あまり明確には触れられてはいないと思います(石飛氏くらいかな)。
何故ならば、著名な仏教学者の多くがいずれかの宗門に属している僧侶でもあるからです。
つまり、それがどんなに素晴らしい研究であり、真実であろうとも決してしてはならないのが、
宗門の教えに反する内容や宗門の権威を傷つけるような内容を書くことなのです。
これをすると、最悪の場合には破門されて除籍となります。
つまり、どうしても書きたいのであれば門外漢の部外者として勝手にやれ!ということ。
だから、差し障りない程度のものしか書けないのです。

また、基本的にはすべての僧侶が、「我は無い」と教わっているので、
それはダライラマも例外ではなりませんが、けれどもこの方は実に頭がイイです。キレキレ!! 
なので、法王猊下の書籍はとても良いと思います。
0268宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/03(土) 13:03:29.13ID:CkacnKX3
>>264
すでに>>259にも述べたように、
魂そのものは清浄であるから何をしてもいい、悪事を働いてもいいということにはならない。
魂自体が清浄のままであってもその周囲には煩悩の汚れが纏わりつき、
悪しき行為による業作用を受けて魂が留まる環境が悪化するから。
魂が清浄なのに、それは何故? などと言われても困るのであって、「だから、そうなっているからそうなんだ」としか言いようはない。
何故、魂は在る? 何故、それは最初から清浄なのか? といったものはそもそも愚問だということ。
地球があるのは何故か? 空気は何故、見えないのか? 見えたら、どうしてダメなのか? といった愚問と同じです。
もしも、それが科学だったならば無意味ではないでしょうが...。
「そんなことは分かり得ないし、もしも分かったところでどうなる?」(毒矢の譬え)というのが仏教の採る姿勢だから。
そして、現実問題としては、煩悩という汚れを取り去って悪しき業を積まないようにしなければ、
結果的に苦しみを受け続けるのは自分自身(魂ではないが)なのだということ。
この本来、清浄そのものの真実の自己に目覚めるためには修行が必要なのです。
一度、すべての汚れが取り払われて本来の自己に目覚めたならば、二度とその状態が失われることはない。

>魂は永久に存在し続けることを

それから、
勘違い者があまりにも多いので少しだけ細かな話をしておくと、
「魂」(ジーヴァ)というのは永久不滅ではないから。
これは転生のための主体であり、要するに転生が止めばその役目を終えて消滅するもの。
正確には、元々の本体であるところの真我(アートマン)へと吸収されて消滅する。
それが完全解脱の本当の意味。

まっ、仏教圏にはそのことを知る術はないでしょう。
そもそも仏教はそういったメカニズム的なものや理論値を解説するような教えの性質ではない。
だから、経典にも書かれていないし、歴代の僧侶たちもそのことを分からない。
0269宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/03(土) 13:05:29.71ID:CkacnKX3
レス番ミス
>>267は、>>263宛てのレスです。
0270神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/03(土) 18:09:28.80ID:3YcTkeyd
268.
完全解脱、か。
転生、か。
バカ丸出しであるよ。
そんなものは存在しないよ。
迷信である。
0272262
垢版 |
2018/03/03(土) 21:45:34.45ID:6eJWFV+M
>>269
ありがとう
0273パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 09:34:14.43ID:VZkRmQHA
>>265
>仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明!

うん、これぞまさに道の人の理想形w

仏教僧の鏡だねwww
0274パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 09:49:06.09ID:VZkRmQHA
鏡・・・・・・変換間違えたw

鑑 ねw
0275神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/04(日) 10:27:21.26ID:cgP1AOda
末尾のまとめは、よくできてるじゃないかw  >>265
(見出しは煽る気満満としか思えないがw)



>研究チームは、30人の仏教学者に仏教の教義に照らして最適な回答を聞いて 『 >仏教学者に 』

>実験に参加した修行僧の瞑想レベルを考慮していない

>ここから反照的に明らかにされることは、「仏教僧は無我で利他的な聖人君子」という極めて東洋趣味的なイメージを持つアメリカ人研究者
0276パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 12:10:39.84ID:VZkRmQHA
>末尾のまとめは、よくできてるじゃないかw  >>265
>(見出しは煽る気満満としか思えないがw)

そだねーーーww

見出しで煽って読ませる作戦ww
0277DJ学術 
垢版 |
2018/03/04(日) 12:24:49.38ID:xZ3E/ah9
外道路。
0278承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/04(日) 14:03:36.44ID:juHYUncI
鏡には虚像が写るっつー、猿でも知ってる常識を教えられて喜ぶ悪魔の図。(笑)

(^。^)面白いよ、うん。(笑)
0279パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 14:43:58.38ID:VZkRmQHA
なんだ? 珍しく承狂がきてるじゃないかw

せっかく来たんだw  宝珠に密教について教えてもらいなさい。

最近、彼は頑張ってるからww
0280承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/04(日) 15:11:09.09ID:fHf9nY0f
>279
密教は師子相承の法ですので、資格のない人に教えてもらえと奨めるのもアウト。(笑)

(^。^)良かったな、故郷に帰れるぞ?(笑)
0281神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/04(日) 17:10:00.22ID:nplr6MfC
主治医と話をして
反応から妊娠は嘘
だと感じてるけど
ね…
0283おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/03/04(日) 20:37:24.02ID:TeauBeqN
 
>資格のない人に教えてもらえと奨めるのもアウト

灌頂を受けていない者に灌頂の大事を明かしたり
非器(器量・資格のない者)に灌頂や聖教
口訣(くけつ、口伝のこと)・真言陀羅尼を授けたり
阿闍梨より印可を得ずして聖教
口訣・真言陀羅尼を唱えたり
印契を結んだり梵字を書いたりする
これらの非法行為
越法罪?

おじゃるにも
ヒンドゥー
瑜伽行
密教とかも
ご教示願います

ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
仏法を聞くにあたって、どのような動機を持てばよいのでしょう
まず空のように無限に存在する衆生たちは
自分の前世で一度は父であり、母であったことがあると想起します
彼らは私の両親であったとき、私のためにあまたの苦労をしのび、私を養うために悪業をなし
その結果、八熱地獄や八寒地獄に落ちて暑さ寒さの苦しみや
あるいは餓鬼の世界に落ちて、飢えや渇きの苦しみを味わっています
動物に生まれたなら、無知におかされているゆえに、人に使役される苦しみを味わいます
六道輪廻の中の…
  _  _  _

そういえば承狂師匠も輪廻否定派でつね。失礼いたしました スマソ m(_ _)m
0284承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/04(日) 21:28:23.57ID:ADML3jj3
>283
密教は先に書いたように師匠から弟子に相対して伝える秘密の教えだから、ネットじゃあ無理ですよ。
多分イメージ的には呪文を唱えれば何か起こるみたいなアニメチックな想像をしてるんでしょうが、(笑)
サンポウに帰依して所定の所作をこなして、漸くスタートラインですからね。
顕教の何処か好きなところの方が在家向きだと思いますよ。

ちなみに、俺は「輪廻」を否定なんかしてませんよ。(笑)
漫画みたいな「輪廻転生」を否定しているだけ。(笑)
サンサーラが嘘っぱちだなんてダンケンハでも言わんだろうし、俺は昔はオガミヤ手伝ってた男だからね。(笑)
神々も生き霊も死霊もアヤカシも全肯定ですから。(笑)

(^。^)例えばダライ・ラマの魂が輪廻転生して肉体から肉体に寄生して回ってる、なんてバカな与太話を否定しているだけ。(笑)
0285おじゃる?(わからなくなってもた!)
垢版 |
2018/03/05(月) 03:56:31.99ID:ChJuCp9v
 
(外部ハードディスクが壊れたのでトリップが、わからなくなってしもた)

承狂師匠へ
ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m

>呪文を唱えれば何か起こるみたいなアニメチックな想像をしてる

おじゃるの場合は
アニメチックな
呪文を唱えれば何か起こる
肯定派でつ
(面白いので…)

大日如来からの真如縁起をもって
大日如来が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 大日如来の大悲・大智を受け入れる

>ダライ・ラマの魂が輪廻転生して…

そうでつか
それは残念でつ
チベット ニンマ派とかの
布教活動でもしようと思ったのでつが…
ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
0286宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 15:56:17.41ID:OXimJmM/
>>270
“超常”が迷信などではなくて、古くて間違った概念こそが迷信。
私は親切で優しいから繰り返しいっておくよ!
「バカ」はお・ま・え・だ!!!

>>265
コレは、まさに衝撃的な話。
私も、そのことを当たり前として日々、
厳しい修行に明け暮れる彼らにとっては平然としたものだろうと思っていたが...。
自分らで勝手に、「無我だから何も無くなる」などといっておきながら、
その日が来るのを強く恐れているとな...なるほどね。

尚、神智学によれば、
アルハットの第四段階イニシエーションにおいては、
自己の魂すらも失う究極の恐怖(場合によってはイエスのように肉体死も含める)を味わい
これを克服した者だけが成就できるという。
0287宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 15:58:54.56ID:OXimJmM/
>>282
はい.正論。

すべてはブッダ自身の心の葛藤のこと。
ブッダに葛藤?とピンとこない人も多いとは思いますが、
それはもちろん我々のレベルを超えたところの心の葛藤だということ。
当然、「梵天」が人格神として現れて嘆願したなどというのは後代の作り話です(「悪魔」の誘惑も同様の神格化)です。
こうした手法を用いてバラモン・ヒンドゥー教を仏教の下位へと位置付けていきます。

>>279-280
普通に良識内において私に分かる範囲内では大いに語ります。
“地獄行き”などという馬鹿げた迷信(越法罪)をこの私は信じていません。
尚、伝授する資格はないので特定部分の事相の内容 (灌頂無しでは身につけられない事柄)にbツいては口外しbワせん。
試рフ護身法を見bス僧侶から最近bスった一度だけ=A
「それbヘ僧侶だけしか麹sじてはならなb「ことを知らなb「のか?」といわれたことがあります。
私は、「自分は地獄行きを覚悟でしてるから」といい放つと、「いやいやそれは〜!!(汗)」といって慌てていましたねw

あっ、昨日さっそく『空海 -KU-KAI- 美しき王妃の謎』行ってきました。
150億の巨費と東京ドーム8個分のセットで造られただけあって映像がとても美しくて壮大。
開始前トイレ必須の約二時間半もの大娯楽なのでした。評価については語らず(笑)
http://ku-kai-movie.jp/

私が好きなのは、北大路欣也さまの『空海』。
https://www.youtube.com/watch?v=V7xvJsCGEkU
0288宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:26:44.55ID:OXimJmM/
>>203
消化不良を少しでもなくすべく、こちらからコメントいきます。
正直、仏教的には考えても仕方のない愚問の類なのですが、
けれども、長老によるヒンドゥー教の不備についての指摘だということなので、
仕方ないのでそれに付き合います。

長老の説明はこういうことです。
ヒンドゥー教の説く人間が輪廻転生する原因としては、
 @真我が旅をさせる(大本の神様に「お前、出ていけ」と追い出されたということ)
 A個我が自分で旅をする(「何の変化もなくて、つまらない」と思って真我から離れて輪廻転生することになった)
の二つがあるけれども、こうしたヒンドゥー教の考え方は論理矛盾している。
簡単に言ってしまえば、梵我一如から現象世界へと出た後に、再び梵我一如に戻っても、それはただ振り出しに戻っただけ。
永久不滅で変化しない神が心変わりするわけはないから、また、再び追い出されることになる。
つまり、同じことをただ繰り返すだけに過ぎない、と。
0289宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:29:08.72ID:OXimJmM/
 ここで長老はヒンドゥー教における肝心要な部分をまったく忘れてると思う...。長老のこの指摘というのは、あくまでも「神」対「個我」
(輪廻主体)という二極の単なる「二元論」になってしまっているということ。ハッキリいって、こういった二元論というのは、「神と人間」、
「光と闇」、「善と悪」などといった、確かにあらゆる宗教の持つ低レベルな神学部分です。しかしながら、ヒンドゥー教の神髄というのはそ
うではなくて、実は「一元論」(アドヴァイタ一元論)にこそ本当の真骨頂があるのだということを絶対に無視してはならないのです。
 一元論(分離しない)だということは、つまり、これは神に追い出されたのでも個我が勝手に出ていったものでもなくて、「神」自らが己れの
意志で現象界へと下っていって転生しているということを意味します。
0290宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:31:09.97ID:OXimJmM/
 一般的に神を全知全能だとするのは、これは人間を尺度とした場合の相対的な話なのであって、けれども、本当のところ神というものは、実
は完全無欠などではないのだということを知っておく必要があります。完全無欠で全知全能というのは進歩のない停滞を意味しますが、それは
在り得ないこと。神とて実は、成長を続け進化しつつある意識存在であり、その神が御自身の更なる発展と進化を求めつつ、自らが波動を下げ
て物質を創造してその中へと自らが下って行った...。何故ならば、“無限的な世界”においては進化の度合いを計る尺度が持てないからであり、
敢えて“有限的な世界”である物質界を生じさせることで初めて、己れ自身の進化の度合いを計る尺度が持てるからです。輪廻転生する神の姿
とは実に物質(有限性)を体験している状態のことをいい、これを繰り返すことで経験を獲得しているということ。経験ということは、つまり、
進歩を得られることを意味するから。であるから、振り出しに戻るということは絶対にないのであって、神は物質を経験することで絶えず進化
を続けているのです。要するに我々、人間というのは神御自身が進化のために経験を積んでいる姿だということになり、一人一人の人間が苦悩
を味わいながら解脱して、転生を止むまでに獲得した経験値データのすべてが本源である神へと還元されるのです。これ以上、何故を続けること
は意味の無い愚問でしかない。
 であるから、「我々の本質は神そのもの、その偉大な力が眠っている。そのことに勇気を得て如何なる困難と苦しみにも耐えてゆこう。」仏教
的には、「自分の奥底に潜在する仏性により、いつ日か必ず解脱成仏できることを信じて、決して諦めることなく努力精進していこう!」と。
0291宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:33:25.35ID:OXimJmM/
>『神の機嫌が変わったらどうなるでしょうか? 怒るわ、嫉妬するわ、大量に殺すわ、そんなやりたい放題の気まぐれな神が、
>「ずっと君は天国でよろしい」ということがあるでしょうか? 天国ごと壊さないという保証もないでしょう。』

キリスト教などについては、これは良い指摘です。まっ、ヒンドゥー教の神話体系もこんなものです。
こういうアプローチのことを「人格神」といいます。これはレベルの低い者の理解に応じるために神そのものを大衆レベルに合わせたものです。
つまり、大衆というものは、神を自分たちのお父さんやお母さんのような存在に置き換えないと理解できないからです。
けれども本当のところは違う。神の本質というのはこのような類の人格神などではないから。
人格神を描いた話のすべてはただの神話にしか過ぎない。

>『説一切有部は〜』

「(それらは)我ではない」というゴータマ・ブッダ本来の無我を、
勝手に「我は無い(我が無い)」へと変質させたのも、一部ではあなた方の嫌いな彼ら説一切有部だったとも言われています。

>『哲学的な大乗仏教は、「--略--本来すべて空だ。何もないのだ」と考えて、
>ブッダの説いた教え、解脱まで「空」にして否定します。ブッダの教えを骨抜きにするのですよ。

これについてもナイスな指摘です。
正確には、「何も無い」のではなくて「実体がない」と。実体がないものには「価値がない」ということです。
そうやって、実際にはゴータマの教えそのものまで無価値にしてるということすらも自分たちで分かってない人たちです。
大乗、彼らの根本的な間違いは、部派仏教の間違いを真に受けて「無為」までも空にしてるからです。
「如来も空」、「涅槃も空」などというのは馬鹿のやることです。仏教の説く“一切は空(一切行空) ”には元々、無為は入らないから。
ゴータマは明言を避けたけれども、古代インドの宗教における正しい伝統では、永久不滅のもの(アートマン)だけが唯一なる実体だと説く。
仏教の立場では不生不滅の無為であるニルヴァーナを説き、アートマンについては無記(「無い」ではなくて説かず)でした。
0292宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:34:43.10ID:OXimJmM/
>『大乗仏教には「阿頼耶識」という思想もあります。--略--「認識不可能なものをどやって発見、認識したのだろうか?」
>という疑問が湧きますね。当たり前ですが、そんなことは実証できません。完全なる妄想、たんなる観念です。 』

すでに述べた通り、
ゴータマの説かれた母胎に宿って転生の主体となる五蘊の「識」を大乗が阿頼耶識として細分化して説いたといいました。
要するに、これは現象界においては認識不可であるアートマンのことではなくて、
修行段階における高い境地において誰しもが認識できる存在であるということ。
そのことがアートマンと誤認してるパーリ『梵網経』の中のバラモン聖者たちなのです。
唯識派を体系化したサンガとヴァスバンドゥほどの進化レベルであれば、
同様にして阿頼耶識の存在を知覚できていてもまったくおかしくはないでしょう。
まったく認識してないのであれば、長老がまだそこまでいってないだけの話です。
0293宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:36:19.51ID:OXimJmM/
>『「魂があるかどうか」こそ問われるべきでしょう。「永遠なる天国があるかどうか」こそ問われるべきでしょう。
>それをすっ飛ばして「○○がある」ことにしてしまうのは、どうしてですか? 誰も彼もが観念的だから、こんな失敗を犯すのです。』

お気持ちは分かりますが、
ゴータマは、「魂」については「識」として説かれました。“永遠なる境地”は「ニルヴァーナ(涅槃)である」と説かれました。
アートマンについては“真実の自己”を、“本来の清浄なる自己”(大乗の説く「自性清浄心」)を探し求めよという言い方をしました。
長老が無知なだけです。

>『このようにしてブッダは「現象が現れて消えてゆくシステム」を発見しました。
>「こうやって現れて、こうやって消えていくのだ」と。そのシステムを「因縁」というのです。』

ゴータマの“縁起の法”とほぼ同様の内容はウパニシャッドのヴェーダーンタ哲学として説かれています。
現象界の諸々の事象はすべて実体のない無自性空ということになる。ヴェーダーンタではこれをマーヤー(幻影)と呼びました。
唯一の違いは、その原理作用の根源に神を説くことです。仏教では愚論の類になるので無記だとなる。
また勘違いを起こすといけないのでいいますが、それは神がいないからではなくて(神は実在することをゴータマは説きました)、
ただ単に、ゴータマの採った方法論の中では神を取り上げる必要性などはないからです。

以上.
0294神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 16:46:26.88ID:5P62RQgA
そもそも依教って変
0295宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:47:54.52ID:OXimJmM/
>>287 文字化けにて修正し再掲載

>>279-280
普通に良識内において私に分かる範囲内では大いに語ります。
“地獄行き”などという馬鹿げた迷信(越法罪)をこの私は信じていません。
尚、伝授する資格はないので特定部分の事相の内容 (灌頂無しでは身につけられない事柄)については口外しません。
私の行じる護身法を見ていた真言僧から最近たった一度だけ、
「護身法は僧侶だけしか行ってはならないことを知らなのか?」といわれたことがあります。
私は、「自分は地獄行きを覚悟でしてるからいいのです」といい放つと、
「いやいや.それは〜!!(汗)」といって慌てていましたw
0296宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 16:53:19.42ID:OXimJmM/
>>292
訂正:
 ×「唯識派を体系化したサンガとヴァスバンドゥ」
 ○「唯識派を体系化したアサンガとヴァスバンドゥ」
0298神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 17:37:06.40ID:MaBwzMu5
>>286
記事のまとめ読んでないのか?w  読まずに勝手な推論は在家だけにしとけ。

あ、彼の場合は、読んでおいて意図的に斜め上へ向かってたかw



あのまとめ部分が理解できないとしたら、
やっぱりお花畑の住人だったってことだ。
0299宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 17:54:01.62ID:OXimJmM/
>>298
エッ、何が??

それは、
「自分が利己的だと自覚している分、その感覚にさっぱり鈍感な欺瞞的人物よりもどれだけ素晴らしいことか」ってこと?
他教徒よりも利己的ではないかという結果が正直でいいことだと??
まっ、瞑想修行の熟達レベルが考慮されてないのはデータ的には大きな不備だとは認めるけれど・・・。
では、もしも仮に瞑想の初学者ばかりが対象だったととした場合は、
その正直さが他教徒よりも評価に値するとみていいと?
0300神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 18:01:47.44ID:MaBwzMu5
>>299
その考え方は、
前科者は二度と社会へ出るべきでない、という考え方と相似した
絶対的無謬性の希求だよ。

或は、「絶対的超人ブッダ 」の希求(≒「人間釈尊」の排除)とも似てるか・・・w
0301神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 18:06:44.96ID:Xf9IMpPG
「仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明! 僧侶のイメージ完全崩壊… 全宗教で断トツの俗物 」

「死を恐れ、自己中」だから仏教僧になったんだな^^

そのうち修行してけば涅槃の境地に到るだろう^^
0302因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/05(月) 18:08:09.84ID:Xf9IMpPG
煩悩があるから悟りが開ける^^
0303因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/05(月) 18:15:19.42ID:Xf9IMpPG
生死のわずらいは煩悩なり。

煩悩なきがゆえに菩提もなし。

煩悩もなく生死もなければ、何をか衆生と名づくべき。

衆生のさとりたるを諸仏という、本より衆生にあらざるゆえに、いまさとりて、

諸仏というべき事もなし。

されば悟という事は、かくのごとく人々の、本より迷わずして、ただ本のすがたなることを

たしかに見つくるをいうなり。
0304因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/05(月) 18:16:55.74ID:Xf9IMpPG
一切衆生は本より涅槃常楽の体にして、法身般若の智身なれども、

此(この)五蘊の色心に迷ひ、ゆえに凡夫となり三界に流浪するなり。
0306宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 18:42:13.83ID:OXimJmM/
>>300
いやいや、そうでいなくて、
“絶対的超人ブッダ” の希求こそが信仰上の健全な伝統仏教の姿でしょうが。
それとは異なる対照的なものとして、神格化や迷信だとしてそれらの超常部分をすべて排除しようというのが
学問上の人間釈尊(ただの哲人の一人に過ぎない)という考え方でしょう。

記事の対象となった彼らというのは、上座部の僧侶でしょうよ!
0307神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 20:48:34.40ID:MaBwzMu5
>>306
神通力があっても「人間」なの。 ブッダは。

それを、まるで人間ではないかの如く扱う君らが異常だと言ってるだけw
0308神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 20:51:02.47ID:MaBwzMu5
まさに君がそこで言った 「人間でないブッダ」 こそ、君が嫌う大乗的ブッダ(如来)なわけだが?




って、この指摘も何年も前にしたな・・・w

自分たちが批判する大乗的なブッダ観を、実は自分たちが一番有しているというギャグw
0309承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/05(月) 23:26:06.96ID:H9fykyW6
(^。^)まるで万華鏡だな。(笑)
0310宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 23:38:07.25ID:OXimJmM/
>>286>>299
追記:

“恐怖に打ち勝つ”ことは宗教にとっての必須課題であって、
いずれの宗教においても、正しい信仰者には“死後の安楽”が与えられるものと説くことで
死を迎える当人は安らかに旅立つことができることになっている。

仏教の場合は人は死んでから僧侶が呼ばれるが、
クリスチャンの場合は臨終を迎えるに当たってまだ意識のある内に
聖職者 (カトリックの神父、プロテスタントでは牧師)を呼んで共に“臨終の祈り”を神に祈りを捧げることが重要であり、
「終油の秘蹟」や「聖体拝領」(聖餐式)といった儀式を執り行ってもらいます。
こうすることで生前の罪意識から解放され、安らかな気持ちで死を迎えることができる。
また、とある浄土系僧侶によれば、本来は自分たちも死をめとるために病院に行くべきであると考えているが、
現実には病院への僧侶の出入りは不吉で縁起が悪いものとされてタブーとなっているのだという。

ゴータマの出家も死の恐怖を克服することだったとも言われているけれども、
すべての苦悩から解放される筈の仏教の教えが、逆に死の恐怖を増長しているとしたのならば本末転倒ということになる。
そのこと一つとってみても、誤った無我論による悲劇が垣間見て取れるのではないか。
0311宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/05(月) 23:48:07.04ID:OXimJmM/
>>307-308
そんなものはただの言葉のニュアンスの問題ですよ。

当たり前の話なのですが、
ブッダは偉大な神通を発揮する人間であり、
通常の人間の意識を遥かに超えた超絶意識を持つ人であるからこそ驚異だということ。
そして、ブッダは神そのものなどではなくて、
“我々と同様の人間”でありながらも自らの努力によってその境地へと到達したということ。
だからこそ人類史上、最大の称賛に値するのです。
ブッダはその意識の高みから、人類が苦悩から解放されるための具体的な道を示したのです。
0313パーピマン
垢版 |
2018/03/06(火) 00:52:13.23ID:TWpa3KTZ
>ブッダは偉大な神通を発揮する人間であり、 ・・・・・・・

wwwwwwwwwwww

いや、その時点でもう「人間」じゃねえしww
0314宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/06(火) 01:08:19.84ID:qeZJVUW9
>>310
 ×「“恐怖に打ち勝つ”ことは」
 ○「“死の恐怖に打ち勝つ”ことは」
0315宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/06(火) 01:14:03.96ID:qeZJVUW9
>>313
もしも、そういう言い方が良いのであれば、
では、諸仏諸菩薩は人間の姿をしているがすでに人間ではない、と。
ただし、我々もその諸仏諸菩薩になることができる。
0316パーピマン
垢版 |
2018/03/06(火) 02:20:18.71ID:TWpa3KTZ
>ただし、我々もその諸仏諸菩薩になることができる。

そう、我々、人間は、仏、菩薩になれる・・・というのが仏教の大前提w
そもそもが、ブッダになることこそが仏教の目的だしw

ただし、ここでまちがえちゃいけないのが、ブッダになる ということは
あくまでもその「境地」・・即ち心的状態のことであって、人間にはない「ちょうのうりょく」
を得ることではないww  ・・・・仏教的には「神通」というか?w

あくまでも「寂静」なる境地に達することであり、空を飛びまわったり、何万年も生きたりすることではないw
であるからこそ、人間にもブッダになる可能性があるわけで、空を飛びまわりたいんなら、
何万年、仏教修行しても無理w
それよりもスズメにでも弟子入りした方がよいwww
0317神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/06(火) 05:27:31.25ID:8//cx2cd
>>311
仏陀は化城。
偉大なる悟りが陳腐な方便に見えなきゃ、
宇宙の標準レベルの真理を学べないよ。
0318神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/06(火) 06:48:16.22ID:kzJRZJGL
眼蔵なし、のバカが象、仏、をさわっているいることになる。
その答えは珍妙なものとなるよ。
0319神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/06(火) 11:54:37.32ID:vwVlX/N1
310.
恐怖に打ち勝つ、か。
それは心理学である。
心理学をやっている、のがバカ宝珠であるよ。
0320宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/07(水) 05:00:09.04ID:2f6z4tzw
>>316
>ただし、ここでまちがえちゃいけないのが、ブッダになる ということは
>あくまでもその「境地」・・即ち心的状態のことであって、人間にはない「ちょうのうりょく」
>を得ることではないww  ・・・・仏教的には「神通」というか?w

もちろん、目的ではないけれども修行過程において段階的に付随して身に付くもの。
だから単なる神通目的の徒などは、ゴータマは門前払いなんだ。
急に、そんなものはないとすっ呆ける。

>空を飛びまわりたいんなら、
>何万年、仏教修行しても無理w
>それよりもスズメにでも弟子入りした方がよいwww

いやいや.ホントに呆れる。
全然、真逆ですから。
究極のゴールである意識境のニルヴァーナこそが当然、最も困難であり、一番最後にやっと到達するもの。
神通はその過程の段階にて身に付いてくるものであって、ミラレパの空中飛行などはその典型例でしょう。
イニシエートの進化段階3.5、不還向/阿那含レベル。

>>319
心理学か、ホント笑わせる...
確かに、催眠術でも掛ければ恐怖から解放できるなw
0321神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 07:21:44.52ID:lf2SGIXJ
空海が真言密教をひろめようとしていたところ、天皇からの誘いで宮中での議論の席に呼ばれた。
しかし空海の行法は他の門徒の教えと異なり、又複雑であったため、だれも理解できず、空海を批判する声もあがった。
そこで空海は大日如来の印を結ぶと、空海の身体は金色の光を放ち、ついにはそこに大日如来が現れたとされる。
天皇はあわてて玉座から離れてひれ伏し、他宗の門徒も拝み拝したとされる。

https://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/866.amp
0322神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 07:53:42.86ID:fUUSPezj
>>321
集団催眠術かな? (^_^;)
0323おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/07(水) 20:58:35.59ID:da9TZ59c
 
ttp://tocana.jp/2018/03/post_16177_entry_3.html
【悲報】仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明
僧侶のイメージ完全崩壊… 全宗教で断トツの俗物

慈悲深いから解脱したのではない
  _  _  _

ここのところは勘違いしてる人も、いるかもしれない
ttp://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものに
仏の
智慧と慈悲をもって
悟りの光が現れますように
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
観神足
(仏の)智慧と慈悲をもって → 無明している世界を観照する
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

仏の世界から → (利己的が依存している)無明している世界を観照する

無明している世界に依存しているのなら
『利他的な精神も最低だった!』ということになるのかもしれない
(おじゃるは無明に依存してるので『利他的な精神も最低!』で おじゃる m(_ _)m )
0324おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/07(水) 22:04:21.88ID:da9TZ59c
 
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
…無の世界も超えて
仏の
智慧と慈悲をもって
(移り行く世界の様を)ありのまま見つめている
  _  _  _

仮設としての
無明している世界の中で

無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習

我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている

(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である遍計所執性

無明に依存して
「利他的な精神も最低だ!」と掴もうとしている想いも現れるかもしれない

有覆無記の我癡・我見・我慢・我愛に依存して
「利己的な想い!」も現れるかもしれない
0325神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 23:16:49.99ID:eAFNFBHL
324.
利己的な想いが現れる、か。
そんな想いが現れるか否かは問題ではないよ。
それは心理学の問題である。
心理学をやっている、のがバカおじゃる、、であるよ。
0326神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/09(金) 11:48:38.77ID:A6xcH7RS
自性清浄(プラクリティ プラバースワラー)

尚、心が自性として清浄であるか否かは、諸部派の間で意見が分かれ、説一切有部などはこれを認めない。
大乗仏教はすべてこれを承認する。
ただし、『般若経』は清浄を「空」の意味に解し、広く法が縁起、無自性、空であることを示すものと解釈した。

これに対し、如来蔵系の理論では、自性清浄心を如来蔵、仏性の名で、如来の法身と同質の無為なる存在として絶対化し、これを心性と呼んでいる。
また、『大乗起信論』はこれを本覚とも呼ぶ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84

高野山の大僧正、松長有慶氏によると、このプラバースワラー(清浄)は空のことであり、
どんどん一切のものを否定して行って最後の最後に否定しきれずに残る”光輝くもの”を意味する。
これを鵜呑みにすれば

清浄=空=光り輝くもの


大智度論では空即涅槃と説く(般若経では空即是涅槃)。

おそらくは松永氏の説を借りて

涅槃=如来像=清浄=空=光り輝くもの

とすれば分かりやすい。

真に大智度論にそうと、自性がない空は取ることができないが、取ることができないという相が涅槃である、とされる。
しかし、そこから進んで、空は無自性であるから分別がなく平等の相があるので涅槃である、というのが実際のところではないか?
0327神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/09(金) 12:27:37.54ID:vShgsZst
326.
他人の説を消化していない。
何を言いたいのか、が不明である。
0329おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/10(土) 10:50:42.40ID:sh0VXVJ1
 
>心が自性として清浄であるか否かは、諸部派の間で意見が分かれ、説一切有部などはこれを認めない

↓おじゃるは、説一切有部のことも、わからないけど、とりあえず

パーリ増支部に
「比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている」
ということであるらしい

その当時のことは、わからないけど、とりあえず
今、現状の上座部の場合は
ttp://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものに
仏の
智慧と慈悲をもって
悟りの光が現れますように

大乗のものとは意味が違うのかもしれないけど
上座部にも
仏性からの真如縁起のような側面もあるのかもしれない

観神足
智慧をもって → 思惟観察して…
   ↓
(仏の)智慧と慈悲をもって → 無明している世界を観照する
円成実性の世界から → 依他起性している世界を観照する
0330神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/10(土) 13:01:22.32ID:LLO+SZ6a
比丘たちよ、この心は光浄である(pabhassara)。そして実にそれは客なる諸随煩悩によって染汚されている。
無聞の異生はそれを如実には知らない。したがって、無聞の異生には心の修習がない、と私は言う。
比丘たちよ、この心は光浄である。そして実にそれは客なる諸随煩悩から解脱している。
有聞の聖弟子はそれを如実に知っている。したがって、有聞の聖弟子には心の修習がある、と私は言う。
(AN. I, p.10, ll. 11-18. cf. ibid. p.10, ll. 5-8)

 ここには心性の「性」(pakati/prakr・ti)は説かれていないが、「客」(a_gantuka)という語の存在によって「本性として」の意が加わっていることが示される、というのが学者の考えである。
しかしながら、この文章の直前には心の浄と染とをとを表わす二つの状態が対比的に長々と述べられており、心がいかに変化しやすく不安定であるかということに注意が促されている。
すなわち、「心光浄」の一文は前後の脈絡と関係なく現われ、この部分だけが全く浮きあがっているのである。
さらに漢訳に相当部分が欠けていることも重要であり、この一文は後世の付加であろうという疑問が生じる。
http://fallibilism.web.fc2.com/051.html
0331おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/10(土) 18:43:26.37ID:sh0VXVJ1
 
> 二つの状態

光浄(涅槃)は無為法なので『変化ではない』

仮設としての
無明している世界は
有為法なので
縁起に依存して『心の働きが変化している』
(阿頼耶識も、激流のごとく活動している『暴流の如し』)

心の働きは変化しやすく不安定なので
(無明に依存して)
我を主体としている、おじゃるには
呼吸の観察ができない(只管打坐もできない)

 − これを対処するために −

(「変化している心の働き」ではない)
仏(無為法)の世界から → 縁起している世界を観照せよ

という導きで おじゃる
(おじゃるの場合は『仏の世界から観照する』ということもできないけど…)

道元 普勧坐禅儀
仏法というものは…塵や汚れから離れたもの ← 仏(光浄)の世界
(真如に + 無明薫習が取り憑いている)
0332おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/10(土) 19:12:02.04ID:sh0VXVJ1
 
>心光浄…後世の付加であろうという疑問が生じる

にゃるほろ =^・ ・^= 了解で おじゃる

パーリ経典も(意図的に?)編纂されたものであることが明らかとなっている
最古の経典も(意図的な?)編纂とみなされているため
原始経典さえも釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない

それでも、とりあえず
スッタニパータの第4章と第5章が
もっとも古い経典だった(かもしれない)と考えられている

スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである

この明知というのは
「無明に依存して、我を主体としてるもの」ではなくて

『仏の世界の智慧と慈悲をもって → 無明を手放しする』という
大乗のような
『仏性からの真如縁起のようなもの』かもしれない

(この明知というのも、後世の付加であるかもしれないけど…)
0333神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/10(土) 20:17:49.74ID:lV1zZ91l
>>332
天空の光かもしれん
0334神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/10(土) 21:06:22.90ID:g8qr893L
>比丘たちよ、この心は光浄である(pabhassara)。
(パーリ増支部)

テーラワーダでは輝く心はpabhassara citta

自性清浄心はサンスクリット語でprakṛti-prabhāsvara- citta

prabhāsvaraは光明や勝義空と訳すこともある、と。
プラクリティやチッタはサーンキヤ学派でお馴染みかな。
0335おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/10(土) 23:20:32.27ID:sh0VXVJ1
 
ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m

ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13159260518
テーラワーダでは pabhassara citta(輝く心)
「ブッダの教え」で重視されている「正しい行為、善を為すこと」(八正道など)の
『正しい・善』とは何か?という考察からスタートしていると考えられます

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
プルシャ   世界の根源としての精神原理(神そのもの)
プラクリティ 物質原理(自性 ← 無明に依存している)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
仏教   我の存在を否定して無我説を立てた
我所見 「宇宙原理が我である」という見解

(掴もうとしている想いが依存している)無明を手放しさせるための導き
(「宇宙原理が我である」という想いを手放しせよ!という導き)

「想う」という想いも手放して
「想わない」という想いも手放して
非想非非想も依存している無明を手放して

最終的には(或いは『すべてのもの』は)?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E6%88%91%E6%B5%84
我 − 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある

みたいな感じかもしれない?
0336神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/11(日) 06:01:53.70ID:1bk80SWa
 誰もが真我を知りたいと望んでいる。
 自分自身を知るために、いったいどんな助けが必要だというのだろう?
 人びとは何か新しいものとして真我を見たいと願っている。
 だが真我は永遠不変に存在し続ける。
 彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいる。
 どうしてそうありえよう?
 真我は光ではなく、暗闇でもない。
 それはただあるがままに在る。
 それを定義することはできない。
 最もふさわしい定義は、「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)だ。
 シュルティ(聖典)は真我を親指大のもの、髪の毛の先、電気の閃光、広大
 なもの、最微小より微小なものなどと記している。
 それらには何の事実的根拠もない。
 それはただ存在なのだ。
 だが実在や非実在とは異なる。
 それは知識だ。
 だが知識や無知とは異なる。
 いったいどうやってそれを定義できるというのだろう?
 それはただ存在なのである。

ラマナ・マハルシ
http://now.ohah.net/pari/dicr/words00.html

>真我は永遠不変に存在し続ける。
>彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいる。
>どうしてそうありえよう?
>真我は光ではなく、暗闇でもない。
>それはただあるがままに在る。
>それを定義することはできない。
0337おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/11(日) 08:05:05.50ID:ePTLaiMn
 
おじゃるは実践したことないので本当なのか?わからないけど

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

智慧と慈悲の光を知覚して
智慧と慈悲の光の世界に住むこともできるらしい

もっとも
最終的には?(或いは『すべて』の?)
(掴もうとしている想いが依存している)
無明を手放しする必要もあると思うけど…

手放しする必要があると思うけど
それでも、とりあえず
智慧と慈悲の光の世界に住むことができるらしい

(止(サマタ禅定)・観(ヴィパッサナー智慧))
瞑想者の経験として…光が現れる(らしい)

体を包むような智慧と慈悲の光が
仏性からの真如縁起かもしれない?
0338因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/11(日) 08:19:39.36ID:Vvd2hs+q
人は不完全だから苦しむ・・・^^

当然だよな^^
0339おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/11(日) 08:48:22.25ID:ePTLaiMn
 
>人は不完全だから苦しむ…

ところがどっこい
道元 普勧坐禅儀
仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
全て塵や汚れから離れたものであり
その身そのままでよい
「智慧と通力をもって仏道を得た、心を明らめた」といっても
それは自らの解脱の道をふさいでしまっている

それゆえに
机師匠とかは
「苦集滅道は必要ない!すべて無苦集滅道だ!」と勘違いしている
なんちゃって覚者師匠とかも、たくさんいる?らしい

 − これに対して −

ヒンドゥー(バラモン)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

上座部系なら
無明を手放しするための苦集滅道

ちなみに、おじゃるはブードゥー教?おじゃる(冗談でつ) スマソ m(_ _)m
0340おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/11(日) 09:14:26.28ID:ePTLaiMn
 
仮設としての
無明している
縁起している世界の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない

ちなみに、おじゃるは
土着民族ブードゥー系なので

机師匠とか
なんちゃって覚者師匠とかの
『その身そのまま
  塵や汚れから離れたものであり
  仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており』

というような
究極なるものの重要性を理解することができないので、それゆえに
解脱(涅槃)は達成され得ない
という感じで おじゃる

そういえば
閻魔師匠 − 縁起一代師匠も、しょっちゅう議論を戦わせていたような気がする
0342おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/11(日) 10:19:49.56ID:ePTLaiMn
 
>机師匠への執着はいい加減捨てたほうが良いぞ

おじゃるは
まさに
執着に依存しているので

過去のことも
「実有・実体である」
と掴もうとしている想いから離れることができない
「境界性パーソナリティ障害の傾向がある」というような感じでつ

それゆえに
閻魔師匠 − 縁起一代師匠の議論も面白かったかも?
(難しくて、何いってるのか?わからなかったけど…)

たとえば
閻魔師匠    は真如縁起の立場として
縁起一代師匠 は頼耶縁起の立場として

対立して議論を戦わせていた?とか

当然
「縁起一代師匠は、真如縁起も理解している上で」ということでつ
(唯識も密教も理解している師匠なので…)
0343神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/11(日) 11:59:50.40ID:A8i9oUTK
342.
縁起、か。
それは対象の問題である。
0345おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/12(月) 18:13:44.81ID:URySsDau
 
>>344↓おじゃるは実践したことないので、わからないけど

パオ・セヤドーとかの場合は
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/18/061429
安般念ジャーナ(禅定)を成就した止観行者が
観禅を修行しようとする時
彼は先に初禅に入りますが、これは止禅です

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
第一禅定
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
集中対象である呼吸に戻してくる要素があります

たとえば仮に
無為法の世界からの観照であったとしても

932 >止を踏まえての観

究極の止(サマタ禅定)と
究極の観(ヴィパッサナー智慧)の両方をもって
『(縁起している)呼吸の観照に戻る』ということなのかもしれない?

(我を主体として戻すのではなくて)
仏の大悲・大智を受け入れて
仏の大悲・大智によって    → (縁起している)呼吸の観照に戻る。という感じ?
0346おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/12(月) 18:43:43.20ID:URySsDau
 
大乗と上座部では
たとえば
真如縁起とか
世界観が違うかもしれないけど
それでも、とりあえず

マハーシ・サヤドーとか
S.N.ゴエンカとか
パオ・セヤドーとか
ウ・ジョーティカ・セヤドーとか
(大乗の?)ティク・ナット・ハンとか

たとえば仮に
『ブッダの教えと冥想の実践スレの人』は
止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)の意味を理解できてないから

932 にレスを憑ける人がいないのかもしれない

ちなみに、おじゃるも理解できてないけど…

ちなみに、ティク・ナット・ハンは
(大乗の?)禅僧でマインドフルネスの普及活動を行なっているらしい
(日本の禅僧はマインドフルネスとかには否定的なのでは?)
0347おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/12(月) 19:23:49.04ID:URySsDau
 
ttps://www.youtube.com/watch?v=-dMF1Mld6Zc
禅僧ティク・ナット・ハン ひとりひとりがブッダとなる
7分以降のところから
自分自身(仏に)に立ち帰って
悲しみ怒り恐怖を抱けるように

ttps://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
何か雑念が出てきたことに気づいても
仏の世界に戻り帰って
仏の智慧と慈悲をもって
その辺りに漂わせておく
(悲しみ怒り恐怖を抱く)ようにして
自然に消えていくのを見届けます

それゆえに
おじゃるにとっては
やはり『上座部の第一禅定ようなものも必要である』という感じがする
(最終的には?只管打坐でよいのかもしれないけど…)

それでも日本の禅僧の場合は
『そもそも仏法というものは
  円満に全てのものにゆきわたっており
  我々が修行したり、悟り証したりすることもない』

これを前提としているので
『マインドフルネスとか、第一禅定のようなもの』とかは、やはり無理なのかしらん?
0349おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/12(月) 20:03:38.12ID:URySsDau
ヒンドゥーとか
上座部とか
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とか
密教とかは良いと思うけど

(中観帰謬そのもの?のような)日本の禅宗系は
無明に依存している
おじゃるには理解するのは難しいのかもしれない
という話は仏壇の上に置いといて

966 >「無明がどーたら」には全く関心は無い ID:Lq3OS0iW

ちなみに、おじゃるは
教学も初心者のも及ばないレベルだけど
このID:Lq3OS0iWっていう人も、どうなんでしょう?
もし、かつての仏教議論のときに、このような書き込みをしたら
『(実践も大切なことだけど)教学も勉強せよ』と𠮟咤激励されたと思われる
(ちなみに、おじゃるも縁起一代師匠とかに
  『仮設としてのもの』と、お𠮟りを受けていました)

ちなみに、上座部も
とりあえず無明薫習を前提としての苦集滅道だと思うけど?
違うのかしらん?
0350おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/12(月) 20:18:59.81ID:URySsDau
 
訂正

叱咤激励
お叱り

>>348 の写真の意味がわからないけど?

(大乗の?)禅僧のティク・ナット・ハンも
上座部の僧侶も

これから日本でも流行る(かもしれない)
「マインドフルネスとかで金儲けしようとしている」っていうことかしらん?
0351神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 22:18:25.39ID:QzIB732p
>>350
考えても分からぬ。感じるのじゃ。
0352神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 22:32:16.36ID:oyZl5xpV
351.
考えるための方法論を持っていないからであるよ。
0353おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/13(火) 00:53:02.78ID:CPpEOegt
訂正
教学も初心者にも及ばないレベルだけど
  _  _  _

>考えても分からぬ。感じるのじゃ

とりあえず了解するけど

このお布施を頂いている =^・ ・^= 猫さんは >>348
マインドフルネスとか、第一禅定のようなものに洗脳されている
僧侶とか
おじゃるのことでつね?

976 ID:ZbfGNSH+ 「このスレでよく聞く勝義視座ってやつかな?」

勝義諦だけっていうのは良くないと思うけど
一応 ID:ZbfGNSH+ っていう人の場合は「手放すのです」と書いているので

たとえば
『内山興正とかの思いの手放し』とか
『スマナサーラとかの手放すことが生きること』と近いのかもしれない?
0354神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/17(土) 20:58:51.28ID:ZIzuxlF6
最近のココの伸び具合は、何に起因するんだろうね・・w
おじゃるは影響ゼロと見ていい内容で喧々囂々なんで、なんか、別のベクトルがありそう。

ま、ワシがこっちにURL貼ったんで、危険人物を誘い込んでしまったのかもしれんけど・・・。


http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1521007589/
0355宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 04:21:02.04ID:7a0COJfn
勤務の激化で投稿が断絶してしまいました。
取りあえず、暫くぶりに書き溜めた分だけ投稿しておきます。

●スマナサーラ長老への反論関連で
 >>204>>211>>227>>247-252
 >>257-262>>268>>288-293>>296>>の続きです...

まず、あまりにも気になったので...

> 『はじめて「テーラワーダ」や「ヴィパッサナー」などという言葉を聞かれた方は、 聞き慣れない言葉なので、これらは仏教用語
>ではないような感じをもたれたかもわかりません。ところが実は、これらの言葉こそ、仏教語なのです。なぜならば、これらはパーリ
>語という言語なのですが、パーリ語はお釈迦さまが2500年前に実際に話されていた言葉だからです。
> お釈迦さまが長く滞在して教えを説かれていた国の一つにマガタ国というインドの北東に位置する王国がありました。パーリ語は、
>当時のマガタ国で話されていた言語だといわれています。』
 http://www.j-theravada.net/pali/key-pali.html
 http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2014/12/26/173000

どうも長老の説明というのは、何を題材にしても随所に不正確な部分や思い込み間違いが多々見られます。
現存するパーリ語の聖典を以てして、ゴータマがこのパーリ語で説法していたものと考えられたというのは今日では使われなくなった古い説です。
仏滅後、弟子たちの西方への布教によって西方インドの俗語だったパーリ語が用いられるようになり、パーリ語仏典が作られるようになったのであって、
当時のゴータマおよび弟子たちが使用していた原語は「マガダ語」であったというのが、今日における学術的な定説です。
0356宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 04:23:27.69ID:7a0COJfn
>>255
>『もし、ニルバーナとブラフマン・アートマンが一緒だったら、お釈迦様がそうおっしゃっているはずなんですね。
>しかし、お釈迦様は、そういうものがあった時代に、それが間違いだとおっしゃった。
>それを今更何よ、ということになっちゃうんですよ。
>お釈迦様は当時、修行しつくしました。その結果、(そうした修行の終着点は)間違いだと。
>これでは、わたしたちが探し求める安穏は成り立たないんだ、とおっしゃった。
>それから仏教が発展したところで、後になってから、ニルバーナとブラフマン・アートマンは一緒だと、言い出した人々が出てきた。
>しかし、そうじゃなんです。ブラフマン・アートマンではないんです。ニルバーナは、それらとは全く正反対なんです。』
(ヨガのブラフマンやアートマンはニルバーナか?)
 http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/12/04/050000

つまり、
ここで言いたいことは何かというと、「仏教こそが唯一の真理なので、バラモン・ヒンドゥーなどでは解脱できない」というもの。
こういう言い方は一代と全く同じもので、バラモン・ヒンドゥーではダメなんだと最初から結論在りきの姿勢しかそこにはない。
すでに先の方にて説明しているので詳しいことは省きますが、こういう仏教者による主張の根底にある根拠というのは無我説であり、
これらの人々は例外なく、部派伝承による間違った無我説によって洗脳されています。
特に長老のような方というのは、テーラワーダのスリランカ仏教(或いは、南伝パーリ仏教)が唯一の真理であって、
これこそがゴータマの教えそのものだという思い込みが非常に強くある。
しかしながら、そのスリランカ仏教とて部派時代の分派の一つにしか過ぎず、彼らは「分別説部」の継承団体だとされています。
0357宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 04:25:23.60ID:7a0COJfn
まず第一、ゴータマはヴェーダの真理そのものを否定したことは一度もない。
これについては実際、学術的に調べれば調べれるほど両者には違いがないことがドンドン浮き彫りになっていく、
というのが本当の真相なのであって、当時のバラモン行者たちの中には本物の完成者というのは皆無だったのであり、
ゴータマこそが伝説のヴェーダの真理を現実に実現してみせたブラフマンであり、ブッダとしての唯一無二の人間だった。
ゴータマは当時におけるバラモンたちの間違った見解、間違った修行法について指摘して、これを正したのです。
それが仏教と呼ばれるものとなった。

それからゴータマが行った修行のすべてはヨーガとして、元々、本来的に古代インドにはあったものばかりです。
それをゴータマが独特の天才的な素質で以てして完成、成就ならしめただけ。
それでは何故、それまでのヴェーダ伝承そのもので良しとしなかったのかについては、
ゴータマの考え方と性格をみれば分かることであって、ヴェーダの教え、ヴェーダ伝承の全体の中には随所において迷信や間違いが多々含まれていたこと。
当時の社会的なバラモン体制そのものに対する反発心と、バラモン司祭やバラモン行者たちの執り行う迷信の酷さに幻惑していたので、
それらと自分(の教え)とが同一視されてしまうことだけは絶対に避けたいが為でした。
その理由がすべてのすべてです。

ハテ? 仏教以前、ゴータマ以前にも必ずいたであろう完成者である太古の仏陀たち(ゴータマ含めて過去七仏)は、一体、何教? の教えを修業して完成したのでしょうね? 
この伝説について真面目に考察しようとする僧侶などはいないようだが、それこそが古代ヴェーダの原型を説いた太古のリシ(仙人)たちだった。
0358宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 04:29:26.71ID:7a0COJfn
 【仏教によれば、ダルマをさとった人がすなわち覚者なのであるから、覚者はいかに超人化・神化して考えられようとも、決して唯だ一人の
人格的存在者であるということはできない。ゴータマのほかにもなお覚者が存在し得るはずなのである。そこで過去未来の諸仏と現在における
一人の仏を立てて考える。特に過去七仏の観念は古く成立し、その名称はすでにガーターの中に伝えられている。
 過去七仏とはパーリ語でヴィパッシン(Vipassin)、シキン(Sikhin)、ヴェッサブ(Vessabhu)、カクサンダ(Kakusandha)、コーナーガマナ
(Kona^gamana)、カッサパ(Kassapa)および第七に釈尊をいう。そうして仏は「第七の仙人」と呼ばれている。過去七仏の観念がもとをたどれば、
『リグ・ヴェーダ』に由来することは、すでに指摘したとおりである。】
(『中村元選集・11巻・インド仏教の諸問題』春秋社P.515〜516)

「仏教だけが唯一の真理だ!」などと叫ぶのは伝統によって洗脳されている僧侶たちなのであって、
仏教とバラモン・ヒンドゥーの双方共に深く精通しているインド学の専門学者たちは両者には違いが殆どないことをよく知っている。

 『このように解釈することが許されるとすれば、原始仏教にも涅槃や如来はアートマンとする考え方があったことが判る。そうすれば、原始仏教
がアートマンが存在すると説かなかったのは、原始仏教の教えが凡夫を主題として、仏の境地を説くことがなかったまでの話ということになる。
 もしそうなら、仏教のアートマンは実はウパニシャッドが説くアートマンと同じようなものを指していたと解釈することができるかもしれない。
ウパニシャッドでもわれわれ衆生がアートマンと合一していないから輪廻を繰り返すとするのであって、構造的には仏教と共通しているということ
ができるからである。』
(森 章司著『死後・輪廻はあるか--「無記」「十二縁起」「無我」の再考--』)
0359宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 04:33:13.49ID:7a0COJfn
 『この点は、仏教以前の正統バラモン教が、ウパニシャッドにおいて、梵我一如を正しく知り、それを体験することによって、理想が達成される
としていたのに似ている。ウパニシャッドでは梵我一如の境を涅槃の語によって呼んではいないけれども、この境地は「非ず、非ず」(neti neti)
と云われているように、筆舌に尽くすことの出来ない大歓喜の自由境であるとせられているから、実際には仏教の涅槃が意味しているものと、それ
程違ったものではないであろう。(p126-127)』
(水野弘元著『原始仏教』02年第16刷/平楽寺書店)

 『私は、ブッダの涅槃の境地も、バラモンの哲人たちの梵我一如の境地も全く同じものなのだ、と確信しております。インドに於いては、仏教も
外道もない、真理は一つ、真実に実在する(と彼らが確信している)世界は一つなのです。
この点ではヴェーダーンタとかサーンキャとか、インド哲学の主要な体系も、すべて同じことなのです。彼らは皆その同一の有を、ただしそれぞれ
の視位から、それぞれの制約に於いて見ているのです。ブッダも同じなのです。』
(津田真一著「密教とブッダの根本的立場」『大法輪』88年9-10月号)

そして、仏教者らは仏教こそが唯一の真理などと主張し、実に誇らしげだけれども、
しかし、この私から見れば彼らはどうもヒンドゥーどころか、その他の諸宗教(信者たち)と比較しても仏教側の方こそが遥かにレベルが低いと思う。
私個人が知り、自分で見聞きしている範囲だけでいっても仏教徒のレベルというのは他教徒たちよりもかなり低く見える。
私は、現仏教というのはヒンドゥーの実力に遥かに及ばないものとみています。勘違いする人がいるといけないので一応、断っておきますが、
これはゴータマ・ブッダに対してということではないですから。ゴータマ仏については、私は人類史上における最高レベルの聖者だったと評価しています。
そうではなくて、現存する仏教(継承された教えや僧侶のレベル)の実態についてです。
果たして、原始仏教(原始教団)以降〜仏滅後の後代の仏教においてはどうなのか? ヒンドゥーと比較すればその違いは歴然としている。
0360宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 04:35:31.61ID:7a0COJfn
・教理の純粋性  
   【仏教】--------大乗(北伝)に代表するように変化変質が大きく、また南伝においても部派時代の伝承ミスを受けて劣化した。 
   【ヒンドゥー】--殆ど変質なく正確に伝承を続けてきた。
・完成者輩出の有無
   【仏教】--------原始仏教時代のやや誇張された多数の阿羅漢輩出の話以降〜完成者出現の具体的な事例はない。
     未来の弥勒出現までは現れない末法の世とまでいわれる始末。
   【ヒンドゥー】--太古の時代より大聖アヴァターの途切れたことがなく、この近代以降においても何人も現れた
    (ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ユクテスワ、ラヒリマハサヤ、ヨガナンダ、マハルシ、サイババ、プレマナンダ...)
・現証の事例(ごく一部)
   完成者≒神通能力者ではないけれども、しかし、完成者でありながら神通のない者というのもまたあり得ないことから、
   奇跡と神通レベルの内容というのは当然、その中身(精神性)の到達点を計る大きな目安になるのは否定することができない。
   【仏教】--------もしもいるのならば、その具体的事例について話だけでもいいから提示を願う。
   【ヒンドゥー】--死者の蘇生、瞬間移動(ババジ、サイババ)、創造物質化(ババジ、サイババ、プレマナンダ)、
     死後の肉体不朽現象(ヨガナンダ) 、滅尽定(ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ)

長老の指摘に関する話は取りあえずこれで終了。
細部に入ればいくらでもキリがなくなるので、また話が起こった際にその都度やります。
0361宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 05:07:10.44ID:7a0COJfn
---仏教を利用する唯物主義者たち---

 それから、この間違った無我説に固執するのがテーラワーダのような伝統仏教者のみならず、ここにも巣食うっている何人もの「唯物論者」
たちなのです。何故ならば、彼らにとってはこのアートマン否定の無我説というのは、とても都合がいいからです。
 彼らは、仏典にある超常部分を神格化や単なる迷信であるとして排除しようとする断滅論者(死後に続く意識の存続を完全否定)たちであり、
仏典からそのすべての超常的を排除してしまえば、彼らの信じる理想的なただの哲人であり、ただの道徳の完成者としての人間ゴータマの出
来上がりになるからです。ゴータマ自らが、「アートマンは無い」ものと教えたとして、アートマンが無いのなら当然、魂だって霊だって何も
ありゃしない..と、超常的の否定へと繋げることができるから。
 そして、彼らのたちの悪さは、自分らが如何に健全で知的で聡明な見解を採っているかについて言葉、巧みに語って(仏教について)無知な
人々を欺くところにある。しかし、彼らが如何に頭脳明晰で知的であったとしても、決してゴータマの仏弟子になることはできない。
 何故なら、誰しも研究することはまったくのご自由なので学者にはなることができるけれども、邪見(仏教の説く因果の道理を認めない見解)
を振り撒く徒が、ゴータマの弟子入りを認められることは決してないということ。それはつまり、師であるゴータマ・ブッダ(の話)に対して、
ただ懐疑の眼差しを向けているだけだからの他ならない。
 そんな意識で教えが修得できる筈はなく、疑うのならば勝手にしなさいと相手にされることがない。
0362宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 05:08:12.70ID:7a0COJfn
 なお所詮、唯物主義者というのは人類全体の中のごく少数派であって、いずれは近い内に指示者も絶えて消滅する運命にあるのでまったく取
るに値しない。今は、それまでの自分の間違った唯物論を捨てて死後の世界の実在について講演している世界的な科学者が実在するし、他にも
何人も考え方を改めるようになった著名な科学者たちがいる。しかし、その逆は皆無だということ。生まれ変わり転生を含めて、超常現象につい
て真剣に取り組んでいる科学者たちは世界中にいる。
 だから完全否定派の実権を握る長老派の年寄たちがこの世からいなくなった時にはアカデミーの常識は覆されるでしょう。
それはもう、間もなくのこと。

 『さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうちに
(最上の清浄の境地がある)と巧(たく)みに語っている。』(Sn.876)
0363宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 05:12:16.29ID:7a0COJfn
>>321
>そこで空海は大日如来の印を結ぶと、空海の身体は金色の光を放ち、ついにはそこに大日如来が現れたとされる。

これは空海が示した奇跡現象の中の有名な一つであり、
この私はこれは実際に起こった出来事だったものと見ています。
これは細部に渡って大日如来の仏像そのものと化したというよりは、
大日如来の手印である智拳印を結んで坐した姿のままで強い金色の光を発した状態が
“大日如来の出現”と表現されたものなのでしょう。

要するに、これは身体から眩いほど輝く強い光を発したということであり、
仏典やヨーガにはそのようなことは幾つも説かれています。
真我は、強く輝く光の塊であるとされ、
我々は煩悩の穢れが清められていくことで本来の輝きが取り戻されてきます。
最終的に何の障害もなくなれば、我々はその“光そのもの”となる、と。
仏典、『大パリニッバーナ経』には、まさにそのことを意味するエピソードが載っています。
ヒンドゥー・ヨーガでは、肉体が黄金の光を発するソルバ・サマディ
(「ソルバ」は「スヴァルーパ」ともいい“真の姿、あるいは純粋な性質”または、“自ら発光する顕現体”)として知られています。
仏像が黄金に施される由来がここにあり、学者はただ単純に神格化の典型として評するところですが、
これらは作りばなしなどではなくて、実際にその輝きを眼にした者がいるということ。
0364宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 05:13:41.50ID:7a0COJfn
 『「尊い方よ。不思議なことです。珍しいことです。修行完成者の皮膚の色は、きよらかで、輝かしい。そのつやつやした柔らかい
絹の一対の金色の衣を世尊のおからだに着せてあげましたが、世尊のおからだに着せられたその衣は光輝を失ったかのように見えます。」
 「アーナンダよ。そのとおりである。まことに二つの時において修行完成者の皮膚の色は、きよらかで、輝かしい。その二つの時と
はどれであるか?
 すなわち、アーナンダよ。修行完成者が無上のさとりを達成した夜と、煩悩の残りの無いニルヴァーナ(涅槃)の境地に入る夜とである。
 アーナンダよ。この二つの時において、修行完成者の皮膚の色は、極めてきよらかで、輝かしい。」
--略--プッサクは、つやつやした柔らかい金色の一対の衣をもって来させた。師はこれを身に着けて金色に輝いた。』
(マハーパリニッバーナスッタンタ4:37.38)

空海の奇蹟の場合は、密教ヨーガの神秘技法を駆使したものだったと思われ、
恐らくクンダリニー(火炎)を用いてチャクラから強烈な光線を放射したものだったのではないかと私は思います。
これはつまり、仏典におけるナーガ(竜)との戦いの際に示したゴータマの火界定のテクニックではないでしょうか。
空海は、密教の即身成仏とは何か? の理論について話しても理解を示さない者たちに対して、
密教の持つ即身成仏のための技法の一端を現実に示して見せたのです。
0365宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 05:15:59.40ID:7a0COJfn
>>326
「自性清浄(プラクリティ プラバースワラー)」についての解説は素晴らしいけれども、
しかし、「空」についての理解というのは今日の僧侶たちはすべて間違っていますから。
こういう部分についても、みんな当り前のような涼しい顔してスルーしていくけれど....。
残念なことに、自称仏教徒らはこの大きな矛盾にすら気付く者もいない、と。

>大智度論では空即涅槃と説く(般若経では空即是涅槃)。
>おそらくは松永氏の説を借りて
>涅槃=如来像=清浄=空=光り輝くもの
>とすれば分かりやすい。
>真に大智度論にそうと、自性がない空は取ることができないが、取ることができないという相が涅槃である、とされる。
>しかし、そこから進んで、空は無自性であるから分別がなく平等の相があるので涅槃である、というのが実際のところではないか?

とにかく、
「空」というのを何かとても素晴らしいものであるかのように勘違いしてる人があまりにも多い。
そもそも「空」というのは、無自性で実体を持たないものを意味しており、
これは言い換えるならば、それは本質的な“価値が無い”ということを意味しているのです。
なので、「涅槃」や「如来」を「空」などとしてしまうものなら、“涅槃や如来は価値が無い”こととなってしまう...。
だから、これは絶対にしてはならないことなのです。

何故、そんなことになってしまったのか? というと、
部派仏教の時代において間違いが生じて一切法のすべての中に無為(涅槃)をも含めてしまったからです。
原始仏教の教えでは本来、「空」は諸法(諸行)の性質を示すものであって、「一切」に限定されたものでした。
今日の南伝北伝を含めた仏教僧団のすべてはこの部派の間違いを伝承したものです。
0366宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 05:19:38.50ID:7a0COJfn
>>330
>すなわち、「心光浄」の一文は前後の脈絡と関係なく現われ、この部分だけが全く浮きあがっているのである。
>さらに漢訳に相当部分が欠けていることも重要であり、この一文は後世の付加であろうという疑問が生じる。

確かに、パーリ増支部1-6そのものの漢訳については不明ですが、
意味的に相当するものや類似しているものとしては『増一阿含経』(巻二二)の『心性極清淨斷魔邪惡念(大正二.六六三下) 』や
『雑阿含』(巻一〇)、そして、漢訳の論書として『舎利弗阿毘曇論巻二七』があります。

『舎利弗阿毘曇論を伝えた法蔵部においてもパーリ上座部と同じような阿含経の心浄説をもつていたことが知られる。それは舎利弗
阿毘曇論巻二七の仮心品に引用されている(9) 心性清浄に関する阿含経の文であつて、この文は内容的には(10) パーリ増支部
一ノ六の文と一致する。
 9 舎利弗阿毘曇論巻二七(大正二八・六九七b)。
心性清浄、為二客塵一染、凡夫未レ聞故、不レ能二如実知見一、亦無二修心幻聖人聞故、如実知見、亦有二修心幻心性清浄、離二客塵垢一、
凡夫未レ聞故、不レ能二如実知見一、亦無二修心噸聖人聞故、能如実知見、亦有二修心一。』
(水野 弘元著『心性本浄の意味』)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2_503/_pdf

逆に考えるならば、
パーリ増支部1-6の心性本浄説の記述は何故、このようにして今も残されているのか?
それはつまり、実際には他にもあったものが削除されて最終的にこれだけが残ったということなのか?
或いは、指摘のように後世の不可挿入だったとしたら、
では何故、ここにこれがどんな意図で以て不可挿入したのだろうか? ということ。

話はそんな単純ではないけれども、
大雑把にいえば漢訳は大乗グループが所蔵してきたし、パーリ聖典はテーラワーダの上座部系でしょう。
少なくとも、これがゴータマの教えだと信じる(経典編纂に加われるレベルの)弟子たちがいて、
そのことを後世に伝えようとしたということです。
0367因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 06:29:11.94ID:JXAI9J2J
「そもそも「空」というのは、無自性で実体を持たないものを意味しており」

なぜそう言えるのか??
0368因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 06:51:45.16ID:JXAI9J2J
【第5回 前半】現代へのメッセージ般若心経 解説セミナー  隠された論理式
https://www.youtube.com/watch?v=7geAIhx3big

参考動画^^
0369因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 07:57:14.26ID:JXAI9J2J
舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不摯s減
0370因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:01:54.75ID:JXAI9J2J
「空」

不生不滅

不垢不淨

不摯s減
0371因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:06:42.51ID:JXAI9J2J
不摯s減→不欠不満
0372因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:21:26.59ID:JXAI9J2J
「そもそも「空」というのは、無自性で実体を持たないもの」

「空」

不生不滅

不垢不淨

不摯s減

矛盾してないかな・・^^

どうだろう・・^^
0373因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:23:10.73ID:JXAI9J2J
まぁ「般若心経」を否定すれば問題ないかな^^
0374DJ学術 archive gemmar
垢版 |
2018/03/18(日) 08:23:23.95ID:dGDA6/he
実体を持たないからと言って能力や存在がないわけでもない。スペースがあるから
開拓したり、自由な禅運動ができる。
0375因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:25:22.69ID:JXAI9J2J
「エネルギー保存の法則」か・・^^
0376因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:26:46.45ID:JXAI9J2J
「エネルギー保存の法則」
「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」
0377DJ学術 archive gemmar
垢版 |
2018/03/18(日) 08:29:15.72ID:dGDA6/he
般若も新号がでていますよ。膨大に。
0378DJ学術 
垢版 |
2018/03/18(日) 08:29:52.99ID:dGDA6/he
セーヴ のメソッド。
0379神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/18(日) 08:34:48.11ID:JXAI9J2J
「エネルギー保存則」
「エネルギーは無から生じることも失われることもない」

なんか似てるな・・・^^
0380因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:37:44.59ID:JXAI9J2J
もしかちて・・・^^

「エネルギー保存の法則」からパクッタのか^^
0381DJ学術 archive gemmar
垢版 |
2018/03/18(日) 08:38:59.48ID:dGDA6/he
パール ハバ― ホワイト?レ エントリー?FXか。
0382因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:39:58.05ID:JXAI9J2J
例えば・・・^^

エネルギーは実体があるのか・・ないのか・・^^

それが問題である^^
0384因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 08:47:36.87ID:JXAI9J2J
う〜〜ん^^

人はエネルギー体か・・・^^
0386宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 15:53:52.96ID:7a0COJfn
>>367-385
いいセンスです。

「空」というのは「無」ではなく、
物質現象界の性質とは固定的な恒常性がないことです。
ではそこには何があるのか? 
物質の元素は自在に流転変滅する。
けれど形が変わっても不変的に存在しているのはエネルギーだけだということ。
どんなに流転変性しようともその総質料は一定して変化しないから、
“エネルギー保存の法則”を謳うことができる。
ただし、現在の宇宙が消滅してから再生された新宇宙が(輪廻宇宙論)、
前宇宙の総エネルギーと同一であるかについてはわからない。
理論上では同一変化なしと推測できるけれども、
それさえ神の意志一つでどうにでも変わり得る。

まっ、そもそも般若心経に完璧さを求めても無理だと思う。
0387宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/18(日) 17:39:45.74ID:7a0COJfn
>>383
>エネルギーは実体か?
>https://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/e/558dd8e99825b94e85a1d85148a115cf

エネルギーそのものは不変的な存在であるから、「空」ではなくて「実体」じゃないのか?
つまり、科学的事実の知らなかった時代のものである仏教が間違っている...。
と、このサイト住人は見なしているようだけれども。
これはサイト住人の方の勘違いだと思います。

その宇宙を形成し円満しているエネルギーとて永遠では在り得ない。
この宇宙の存在そのもの自体が、この膨張宇宙の状態も永遠なんかじゃない。
膨張を続けるにはその力が必要であって、やがては尽きるときが必ずくる。永遠ということはない。
いずれはこの膨張も止み、“”作用反作用の法則”宜しく、
今度は、同等の力で収縮を始めることとなる。
そして、初めのビッグバーンを再び繰り返すことになる筈です。
それが輪廻宇宙です。
0389因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/18(日) 18:42:13.61ID:JXAI9J2J
テイラーは自分の体の境界が分からなくなっているのに気がつきます。
自分がどこから始まってどこで終わっているのか分からない。
自分の腕の原子や分子が、壁の原子や分子と混じりあい、
それで自分が巨大になり広がっていくのを感じます。

すべてのエネルギーと一体になっているのを感じそれは美しいものだったと話します。

■あなたと外界に結び付けている脳の働き、そこから完全に切り離されたら、
どんな風になるの想像できますか?この空間の中で、自分自身や仕事からのストレス、
それがみんな無くなったとテイラーは言っています
。「想像して御覧なさい、37年間の感情が詰まった荷物を失ったらどんな気持ちになるか。
私は恍惚感に満たされていました。その恍惚感は美しいものでした・・・」と。

涅槃の境地やな・・・^^
0390おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 04:35:53.35ID:5W6Zijc+
 
>空・不生不滅。矛盾してないか

無為法 − 不生不滅
有為法 − 仮設としての・縁起している・空性

勝義諦・世俗諦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95%E9%96%A2%E6%95%B0
波動関数(wave function)
「波1の世界」   と「波2の世界」が同時に存在できる
「勝義諦の世界」と「世俗諦の世界」が同時に存在している
  _  _  _

因縁果師匠の
唯識としては
仏性からの真如縁起の世界の中の
(種子と現行の )頼耶縁起の世界

(手放しするのは難しいけど、それでも)
(種子と現行の )頼耶縁起の世界を手放して
仏性からの真如縁起の世界

無為法 − 仏そのもの
有為法 − (真如縁起からの)頼耶縁起
0391おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 05:02:45.49ID:5W6Zijc+
 
なぜ手放しするのは難しいのか?

無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである
無明薫習に依存して

仏道への障害がある
有覆無記の
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続けているので

掴もうとしている想いを手放しするのが難しい

仮設としての
『(種子と現行の )頼耶縁起の世界』を手放しするのが難しい
というのが
唯識の因縁果師匠には理解できると思いまつ
0392おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 05:30:47.09ID:5W6Zijc+
 
>>354 >最近のココの伸び具合は、何に起因するんだろうね

46 2018/03/17(土) 00:50:21.98

214 2018/03/19(月) 00:30:58.30

↑凄い勢いで延びている おじゃる

よくわからないけど
2.0肯定派とか
2.0否定派とかが書き込みしに来ているとか?

ちなみに
おじゃるは 3.0も 2.0も肯定派で おじゃる

3.0の立場で書き込みしても
2.0の人達には相手にされない
という感じがする おじゃる

>おじゃるは影響ゼロと見ていい

一応 3.0は(仏性からの)真如縁起、前提で おじゃる
0393因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 12:10:18.88ID:zUz8j4p7
おじるさんは難しすぎてわからん^ ^

分かりやすくたのむ^ ^
0394おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 16:14:11.69ID:5W6Zijc+
 
>分かりやすくたのむ

「勝義諦の世界」と「世俗諦の世界」が同時に存在している
無為法 − 不生不滅
有為法 − 仮設としての・縁起している・空性
それゆえに
不生不滅・空。矛盾してないでしょ?ということ

(リンクの貼り憑けができない)
だるま文庫 八宗綱要 真言宗
仮設としての
縁起している世界の中の
すべて一切の諸法にも
無為法 − 大日如来の智慧と慈悲も満ちている
有為法 − 地水火風空識の微細な粒子も満ちている

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
無為法 − 光り輝いている『仏そのもの』
有為法 − (無明に依存している)煩悩など

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
(『仏そのもの』の)
智慧と慈悲の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます
0395おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 16:38:48.39ID:5W6Zijc+
 
↓実践したことないので、わからないけど、とりあえず


四界分別観

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
(地水火風の)微細な粒子

ttps://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/135d45345210d9384075a6349cf75349
大念住経(大念処経)
仮設としての
縁起している
すべて一切の諸法は
「地の要素、水の要素、火の要素、風の要素」に依存している

そして最終的には
(地水火風空識の微細な粒子が依存している)
縁起している世界を手放して

(地水火風空識が依存している)想いを手放して

掴もうとしている想いが
自然に消えていくのを見届けます
ttps://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
0396神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/19(月) 17:20:48.98ID:gbh/QoLa
般若心経における空の意味
http://news-ssu.com/post-3230-3230

みんな「エネルギー保存の法則」を思い浮かべるか・・^^

そうだよな^^
0397因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:21:57.74ID:gbh/QoLa
日本人で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、
般若心経が中間子発見のヒントになったそうです。

はじめて聞いたぞ^^

うむ〜〜^^
0398因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:31:43.80ID:gbh/QoLa
あと、「不生不滅、不垢不浄、不増不減」てーところは、質量・エネルギー保存の法則を
現しているのだろうか。

http://www.arbk.net/weblog/2004/08/post_156.html
0399因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:35:52.24ID:gbh/QoLa
般若心経を解釈する
http://miloku.net/nannya/


おもろい^^
0400因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:37:39.48ID:gbh/QoLa
自分の本体はエネルギーだと認識して・・か・・^^

うむ^^
0401おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:41:35.78ID:5W6Zijc+
 
「エネルギー保存の法則」と意味が違うかもしれないけど

説一切有部とかの場合は
「あらゆる現象」(諸法)を構成する基体として
有法、法体(ダルマ)を想定し
主観的な我(人我)は空だが
客体的な事物の類型(法)は
三世に渡って(前世から相続して)実在する

中観帰謬派とかの場合は
世俗の次元においても
仮設としての
縁起に依存して
変化しているので
それゆえに
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経

無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて → 「苦しい」という想いが現れる
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す
縁起に依存して → 輪廻を繰り返す

無明滅して → 行滅して → 識滅して → 「苦しい」という想いが滅する
(縁起に依存している)無明している世界を手放して → 涅槃(ニルヴァーナ)
0402因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:44:08.50ID:gbh/QoLa
難しすぎてわからん^^
0403因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 17:45:26.18ID:gbh/QoLa
まじで^^
0404基地蔵
垢版 |
2018/03/19(月) 20:15:13.43ID:DCyXmFQY
枝葉末葉の事を殊更難しく
語り己の虚栄心を満たす事
は外道以下じゃ!

「生まれ落ちたら後は死ぬだけ」
この簡単な真理を理解すれば十分であるぞよ。
0405因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:40:33.42ID:gbh/QoLa
三界流浪の凡夫はそれでもいいけどさー^^
0406因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:45:16.55ID:gbh/QoLa
一切衆生は本より涅槃常楽の体にして、法身般若の智身なれども、
此(この)五蘊の色心に迷ひ、ゆえに凡夫となり三界に流浪するなり。
0407因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:47:22.36ID:gbh/QoLa
つまり・・・^^

道を極めろということだな^^
0408因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:50:14.22ID:gbh/QoLa
道を極めろば涅槃の境地に到る^^
0409因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:51:43.50ID:gbh/QoLa
その境地の心地よさは・・

彼岸にいったものしかわからん^^
0410因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:55:06.27ID:gbh/QoLa
掲帝掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶
0411因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/03/19(月) 20:57:51.17ID:gbh/QoLa
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
0412おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/19(月) 21:52:38.47ID:5W6Zijc+
>道を極めろということだ

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-akusala.html
AKUSALA−CETASKA:不善心所(アクサラチェ一タシカ)

仮設としての
縁起に依存して
無明に依存して
lobha(ローバ:貪)すべての行為に貪という心所がはたらいています
dosa(ドーサ:瞋)怒り
moha(モーハ:痴)無知
  _  _  _

純粋な canda(チャンダ)意欲。やる気
智慧と慈悲をもって
「道を極める」と掴もうとしている想いを手放すこと

最終的には?
「純粋な canda(チャンダ)意欲。やる気」も手放していく

涅槃の世界は
「道を極める」という想いでもない
「純粋な canda(チャンダ)意欲。やる気」という想いでもない
「すべて一切の諸法の滅」という想いでもないゆえに

道元 普勧坐禅儀
「道を極める」と掴もうとしている想いが
自らの解脱の道をふさいでしまっている
0413神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/20(火) 00:45:20.36ID:7FMOt0G2
*空(くう):二つの意味がある。

1.無我(むが)
あらゆる物は因縁によって四大(しだい)が和合したものにすぎず、時々刻々と変化するために、時間によらない個性は存在しないことをいう。(小乗)

2.平等(びょうどう)
物を差別あるいは区別しないことを『平等』という。
特に『我』と『彼』を区別しないことをいう。
自分と他人とを区別して意識することを顛倒(てんどう)した見解として、あらゆる苦しみの根本的な原因であると見なすことが仏教の特徴である。(大乗)


*無所得(むしょとく):一切のものは平等であり、区別できないと悟ったとき、得るという概念はもうなくなる。
何故かと言うと、その人は既に持っているからである。
人が覚るべきものは何もないと言われる理由でもある。

※所得(しょとく)とは執著し分別するの義。
無相の真理を体すれば心中に執著する所無く、分別する所も無し。これを無所得という。


*阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい):仏の覚り、あらゆる生き物が幸福になった時、または幸福になることを確信した時の心の境地。
また無上正遍知(むじょうしょうへんち)ともいい、一切の真理に通じる仏の智慧をいう。
仏とは一切衆生(すべての生き物)を既に幸福にした人、もしくはそのためのプログラムを確信して心に迷いが一切無い人。
そのような仏の心の状態を阿耨多羅三藐三菩提という。
0414おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/20(火) 01:38:31.94ID:/Xrj1ro9
 
(大乗の)平等?

ttp://suttanipata.com/aeaaayaaa/
スッタニパータ
952
苛酷なることなく、貪欲なることなく
動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である

無明している世界の中での
平等ではなくて
2.0ではなくて
3.0として解釈すれば
仏性からの智慧と慈悲の平等性智である
と観照することもできるかもしれない
0415神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/20(火) 13:26:57.71ID:xcpJAMyB
空観(密教でいう清浄)

無分別智

自他不二

慈悲(四摂法など)

テーラワーダでは慈悲の瞑想に見られるようにまず自分が救われてから親しい人、嫌いな人、嫌ってる人と慈悲の対象を広げていくが
大乗仏教では空観に基づき分別をなくすことから始め最初から有情縁無量として慈悲の対象の範囲を無限に広げていくことからスタートする
0416おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/20(火) 17:54:36.26ID:/Xrj1ro9
 
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%80%A7

仏性を開発し自由自在に発揮することで
煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく…

おじゃる意訳
仏そのものの智慧と慈悲の
自在力(神通力)
観神足をもって
仏の世界から → 縁起してる世界を観照する

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

おじゃる意訳
仏法というものは全てにゆきわたってるので
それゆえに
たとえば
上座部とかでは
呼吸の観照に戻り − 仏に戻り帰る
(「呼吸の観照に戻り − 仏に戻り帰る」という方法が必要)

ティク・ナット・ハン − マインドフルネスが必要

机師匠の場合は
「(すべて仏そのものなので)只管打坐も必要ない」
(すべて仏そのものなので − 仏に戻り帰る。という方法が必要ない)
0417神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/20(火) 17:58:56.72ID:v7eqIh2f
KINGバッファローテキサスロングホーンタイプ
http://blog.livedoor.jp/s5937b9-shitoafirieito/archives/8018064.html

シルバーペンダントのKINGバッファロースカル「テキサスロングホーン」タイプ!
インパクトあるフォルム、細部までの完璧な彫りこみ、チャプター・ワンを象徴するこだわりの仕上がり。
チェーンを通すバチカン部分表に、シルバーコンチョ裏にバッファローロゴが入っています。
0418おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/24(土) 18:11:47.12ID:AqIYPYD+
 
dat落ちしないように
何か書き込みしといた方がよいかしらん?

仏教の話とは関係がないけど

5ちゃんねる専用ブラウザ
Jane Style しょっちゅう固まる

Win10も固まる
メモ帳とか保存してないのに
勝手に再起動する場合もある

ttps://freesoft.tvbok.com/cat97/2018/2018_03_windows_update.html
Windows Update 不具合・脆弱性・その他
0419神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/25(日) 00:37:46.71ID:spg3x9ed
>>265
>【悲報】仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明! 僧侶のイメージ完全崩壊… 全宗教で断トツの俗物
http://tocana.jp/2018/03/post_16177_entry.html

仏祖の往昔(おうしゃく)は吾等(われら)なり、
吾等が当来は仏祖ならん。

とはまさにこのこと
このインドのチベット僧侶は見込みがあると思う
この恐れや自己中を乗り越えた時に名僧になりそう
正しく指導されてれば
0421宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/25(日) 11:50:34.83ID:6iUPn7f5
普段、菩提寺(真言宗智山派の不動尊本尊寺院)の行事に参加していて感じることを少し...。

一般のお参り者の殆どというのは納骨参りが目的(この寺院は外の墓はない)なので、
必然的に参拝者が多いのは春秋彼岸とお盆の三つとなっている。
あと、ここは密教寺院ということもあり、
節分においては護摩法要にて護摩(星まつり)札祈祷と御火加持(参拝者のカバン財布など希望の品々を護摩の炎にかざす)、
そして、有難い御加持済の豆撒きと御神酒の振舞いがあるので一年で最も参加人数が多く、
この人たちは他の行事のときは来ないのに?と、驚かされるくらいに大勢やって来て賑わいます。
ところが、本来的には最大行事である筈の寺院大祭には参加者はサッパリで、最近は閑古鳥が鳴く始末。
総出の六人僧侶の法要なのに、これはいずれ近い内に参拝者よりも僧侶の方が多い事態ともなりかねない...。

これは要するに、一般参拝者にとっては納骨参りの日でもなく、
また御加持した霊験あらたかな物品がもらえるわけでもないので来ないのだろう。
元々、その昔は貴族だけの特権でしかなかったという護摩の炎にあたれること自体が実に有難いことなんだ、
という密教寺院の檀信徒という参拝意識もない。
まっ、これは密教と顕教の違いや宗派を問わずどの寺院でも同じような傾向だろうと思われるけれども、
そもそも一般の檀信徒たちというのは、先祖と家族を祀る場所として寺院に関わっているだけであって、
そこの本尊が何仏だろうなどということにはまったく興味もないし、
寺院に入って来ても御本尊の諸仏は素通りでスタスタとその前を通り過ぎて真っ直ぐに納骨堂へ行って、
納骨参りが済めば、またまた御本尊の前は素通りでそのまま黙って帰っていく。
こんな失礼があるだろうか?
0422宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/25(日) 11:51:16.30ID:6iUPn7f5
まず、私たちは自分の子供にしつけする際には、
友達のヨシオ君と遊ぶために彼のお家(正しくはヨシオ君の親の家)に上がっていくようなときでも、
もしも、そのときにヨシオ君のお父さんやお母さんがお家にいて顔を合わせたら、
必ず、まず先にそのご両親やご家族にご挨拶をしてからヨシオ君の部屋へと向かうように教えなければならない。
まるで僕が用事があるのはヨシオ君だから関係がない、などという礼儀のない失礼な人間となってしまっては困る。
寺院に来たら、何よりもまず先に御本尊にご挨拶をしなければならない。
御本尊の諸仏に礼拝を捧げてから納骨堂なり、後はどこにでも自分の用事のあるところへと好きに向かうというのが最低限のマナー。
私は、自分の妻と両親家族の全員には、これらの基本マナーと基本姿勢については徹底して厳しく教えている。
優先順位としては、1.本尊 2.僧侶 3.自分の先祖などの順となる。
今はブームもあってそういうTV番組も増えてきたから、だいぶ基本マナーや基本知識が浸透しつつあるかもしれないけれども...。

それから僧侶、寺院というものは、
先祖参りと先祖供養の話ばかりでなく、そもそも仏教って何? ということを教えなければならない。
そもそも亡くなった人が「ホトケ(仏)」というわけではなく(死者に対して失礼のないよう呼ぶ際の慣例になっただけ)、
「仏陀(ブッダ)」のことがホトケであり、仏陀に成ることが「成仏陀」、略して「成仏」なんだということ。
その仏陀に成るための教えが成仏陀教、略して仏教ということ。
その方法が「成仏陀法」、略して「仏法」と呼ばれるということをまず教えなければならない。
では、その仏陀とは何か? 我々、通常の人間とは一体、どこが何が違うのか?
人はそのまま成仏しないでいるとどうなるのか? ということを説かねばならない。
そうでないと、何時まで経っても仏教とは何かを人々が知らない社会のままだ、
ということになる。
0423基地蔵
垢版 |
2018/03/25(日) 13:45:01.46ID:NN8c5M+z
本来の仏教には祈る対象など
存在しないぞ。正に外道じゃな。
0424おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/25(日) 13:45:07.06ID:JNkI1FP4
 
>そもそも仏教って何?ということ

たとえば
日本の場合は
オウム事件があったので
それまでよりも、もっと更に
(仏教も含めて)宗教離れしてるらしい

親族の方が、お亡くなりになっても
坊さんも呼ばないで
遺骨を自然に戻すとかが流行ってるらしい?

(仏教も含めて)宗教離れしている人が増えているので
(上座部由来の?)マインドフルネスとかにも
興味を持つ人も少数以下かもしれない

日本の場合は
ヒンドゥー系とか
瑜伽行派系とかに興味がある人も少数以下という感じがする

おじゃるの場合の知り合いは
創価学会の信者が多いので
密教の話をすると
真言亡国といわれて(創価教団に)折伏されそうになる

それでも(創価教団よりも)密教の方がよいという感じで おじゃる ヨロ m(_ _)m
0425おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/25(日) 14:06:13.30ID:JNkI1FP4
 
>仏教には祈る対象など存在しない

対機説法
相手の精神的能力(機根)や性質などに応じて
それにふさわしい手段で導いていく

世界悉檀
相手の心の働きに合わせて導いていく

たとえば仮に
架空の仏・如来であったとしても

(大日如来の)法界体性智をもって
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

「祈る対象などない」とかいってると
対機説法をもって
相手の心の働きに合わせて導いていくことは難しい。ということ

無為法も有為法も両方とも
『対象ではない』ということが、わかってたとしても…
0426おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/25(日) 14:43:06.76ID:JNkI1FP4
 
ちなみに基地蔵師匠は禅宗系なのかしらん?

道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは円満に
全てのものにゆきわたっており

その身そのままでよい

仏の世界は
対象するものでもなく
対象されるものでもない

たとえば
チベット ゲルク派とかの場合は
相手の心の働きに合わせて導いていく
対機説法による導きのために

中観自立派
(「仮設としての」という意味で)
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相(自性)として認められる・・・ということです
これは、私たち(有為法として)の常識的な考え方に近い立場でしょう

とりあえずは中観自立派に導いて
そして、それから中観帰謬派へと導いていく。という段階があるということでつ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
光り輝いている(仏そのもの)に → 無明が取り憑いている
0427宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/25(日) 14:48:59.21ID:6iUPn7f5
>>423
ホー、こりゃ〜随分とエラそうだな!!

南方北方を含めて現存する教団で仏像を祀らない僧院などはないから、
君から見ればすべて外道の所行ということだな。
大乗諸経は創作だから読経しないし、大乗僧侶などは仏弟子にも当たらないから彼らには礼拝しない、と。
日本式の仏壇などは道教儒教のまるパクリだし、位牌はそちらから来た紛い物ものだ。
そんなもの祀れなどという教えは説かれなかった?

君のように、
本来は何々○○だったなどとエラそうな奴ほど何もわかってない。
形式に捕らわれ過ぎて根底に在る心を見ない者、
伝統をただ軽視したり、現状現実の中で如何に有益性を見出して活用することのできない者たち。
0428おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/25(日) 15:22:32.29ID:JNkI1FP4
 
たとえば
基地蔵師匠は
閻魔師匠と同じような勝義一辺倒の勝義房みたいな?

それゆえに
>根底に在る心を見ない者?
  _  _  _

相手の心の働きに合わせて導いていく
対機説法による導きのために

根底に在る心の働きを観照する

(教学としてではなくて)
瑜伽行派の実践として

法界体性智をもって
大円鏡智の世界から → 阿頼耶識を観照する
平等性智の世界から → 末那識  を観照する
妙観察智の世界から → 第六意識を観照する

最終的には
縁起している
すべて一切の諸法も手放して『空性である』とするけど

その直前までは
仮設としての
仮の現れを観照していく

という瑜伽行派とかの実践法
0429宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/25(日) 15:35:45.35ID:6iUPn7f5
>>428
>基地蔵師匠は
>閻魔師匠と同じような勝義一辺倒の勝義房みたいな?

そういう類か?
ならばもっと最悪だね!

一番タチの悪い奴(禅かぶれ)だな。
0430おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/25(日) 15:55:30.88ID:JNkI1FP4
 
たとえば基地蔵師匠にとっては
上座部とかの第一禅定は必要ないかもしれないけど
それでも、とりあえず

(教学としてではなくて)
上座部とかの実践として
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
上座部 パオ・セヤドー

第一禅定
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
呼吸の観照に戻す要素がある

この観照をするときに
仮に架空の仏・如来であったとしても

仏の世界から → (縁起している)呼吸を観照するので

「(勝義の立場として)対象など存在しない」とかいってると
『呼吸を観照することができなくなる』ということでつ

もっとも
勝義の立場としては
仏の世界は
対象ではないけど…
0431おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/25(日) 16:40:13.85ID:JNkI1FP4
 
仮設としての
無明に依存している
渇愛(タンハー)を主体として観察するのではなくて

だるま文庫 八宗綱要 法相宗
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない

ということなので
(光り輝いている)仏の世界から → 第一禅定〜第四禅定を観照する

ttps://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス
何か雑念が出てきたことに気づいても
雑念を手放して
その辺りに漂わせておくようにして自然に消えていくのを見届けます

光り輝いている世界から → 手放した世界を観照する

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
光り輝いている(仏そのもの)に → 無明薫習が取り憑いている
0432基地蔵
垢版 |
2018/03/25(日) 18:34:10.39ID:NN8c5M+z
盛り上がって参りました!(^o^)/
0434宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/26(月) 14:39:53.33ID:iLen4RE9
>>424
>オウム事件があったので
>それまでよりも、もっと更に
>(仏教も含めて)宗教離れしてるらしい

宗教について詳しい。または何か特定の信仰があるというだけで、
周囲の人間はそれが危険なものか、如何わしいものではないかと思ってまず警戒しますね。
だから、「宗教のことはあまり分かりません」という態度が
最も相手方に対して安心感を与えるものとなる。
残念ながら、仏教に詳しいというものも同じく不安視の材料。

>親族の方が、お亡くなりになっても
>坊さんも呼ばないで

仏教僧侶に対する不信感(生臭感や金取印象...)が、
更に、仏式葬離れへと繋がってるのかな?

>日本の場合は
>ヒンドゥー系とか
>瑜伽行派系とかに興味がある人も少数以下という感じがする

癒し系、パワースポット巡り...系ぐらいかな?
支持者が確実に増大し、尚且つ、印象も悪く映らないものというのは。
今日の仏教ブームの根底にもこれらが火付け役として支えている。

>おじゃるの場合の知り合いは
>創価学会の信者が多いので
>密教の話をすると
>真言亡国といわれて(創価教団に)折伏されそうになる

彼らは信者数が多いので、知人関係の中には必ずいたりする。
自分らだけが唯一の真理(それ以外は絶対に救われないからダメ)だといってるところというのは、
まず、例外なく(他の宗教思想に対して)攻撃的となってきてカルト化してきます。
それは例え、伝統仏教といえども同じことでスマナサーラ長老のような見解のところは危険度が高いでしょう。

私から攻撃することは絶対にないけれども、
彼らが私を折伏しようとして議論に巻き込まれて、
彼らの信者自宅や活動会場などへ招待されたりした際には遠慮なく応戦してきます。
彼らはすでに化石となってる五時八教説に洗脳されていてこれを振り翳すのが戦法となってるので、
それが迷信でとっくに使い物にならない過去の遺物であることを教えてあげれば意気消沈してすぐに終わります。
教団側も嘘や間違いをそのまま何も知らない人間に教え込んでいくなどという悪質な指導はもう止めないと...。
0435おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/26(月) 15:15:15.39ID:46dFNHKt
 
今この現代においても
>五時八教説に洗脳されていて

ある意味
創価の人達も凄いかも?

洗脳されてるので
根本仏典ことかを勉強することもできないのかしらん?

悟りに至るための菩提分法のことも知らないみたいだし

自在力(神通力)
四神足のことも知らないみたいだし

ttps://www.iwanami.co.jp/book/b270312.html
法華経 上 ワイド版 岩波文庫 31ページ参照
仏の智慧と慈悲を遵奉している
(上座部由来の)
四神足の智慧と慈悲をもって
解脱するための自在力(神通力)を具えて

と法華経に書いてあっても
ヒンドゥー由来 → 上座部由来 → 瑜伽行派へ
ということが創価の人達には、わからないみたいだし
0436おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/26(月) 15:39:19.38ID:46dFNHKt
 
訂正 − 根本仏典とかを勉強することもできないのかしらん?

一応、念のために補足として
法華経は

ヒンドゥー由来の
 ↓
(瑜伽行派も含めて)上座部由来の
 ↓
神通力を具えて
身体から光輝を放ち
地獄に墜ちた衆生を救い上げ、彼らを「さとり」に導く

この『身体から光輝を放ち』というのも
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
上座部 パオ・セヤドー
智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

たぶん↑これもヒンドゥー由来かもしれない?間違ってたら スマソ m(_ _)m
0437おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/26(月) 16:16:51.63ID:46dFNHKt
 
六師外道とかも含めて
ヒンドゥーとかも受け継いで

その上で
第四禅定とかも(手放し)超えて
非想非非想とかも(手放し)超えて
想滅定とかも(手放し)超えて

涅槃の世界を知覚して
涅槃の世界に住む

バラモン(ヒンドゥー)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

部分的には
ヒンドゥーから
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす
瀉瓶のように受け継いでいるかもしれない

三十二相。白毫。チャクラ。クンダリニーとか
0439おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/28(水) 01:22:45.89ID:Pq71YsUy
 
釈迦がいた
その当時のことは、わからないけど
その後のヒンドゥーとかの場合は

粗大身
目に見える肉体は、粗い物質からできている

微細身
粗大身を支え、エネルギーを供給している
身体を構成する要素があまりにも微細で目には見えない

原因身
粗大身・微細身を大きく包む

部分的に、ヒンドゥーとかの
不可視の原因身・微細身とかを受け継いで
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
上座部 パオ・セヤドー
(「仮設としての」という意味で)
地水火風の微細な粒子の密集に依存している色受想行識

四界分別の段階においては
(「仮設としての」という意味で)
地水火風の微細な粒子の密集を観照する

(最終的には『空性である』としても…)
0440おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/28(水) 01:47:46.89ID:Pq71YsUy
 
中観自立派の段階として

四界分別の段階においては
地水火風の微細な粒子の密集を観照して
地水火風の微細な粒子の密集を知覚して

四界分別観
観(ヴィパッサナー)の世界に住む

 − そして次の段階として −

中観帰謬派の段階として

四界分別観の世界に住んで
そして
その
四界分別観の世界も手放していく
(「地水火風の微細な粒子の密集を知覚した」という想いも手放していく)

たとえば、ヒンドゥーとかの違いは
『掴もうとしている想い』を
手放しするのか?しないのか?というところが違うのかもしれない

(仏教の場合は、最終的には [ 空性 ] という想いも手放していく)
0441基地蔵
垢版 |
2018/03/28(水) 04:37:47.17ID:HgW3Ps6+
皆の衆、お早うござる!(^o^)/

宗論は誰が勝っても釈迦の恥

南無南無 人(・ω・)
0442宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/28(水) 09:13:52.26ID:8A0l526T
>>435
>洗脳されてるので
>根本仏典ことかを勉強することもできないのかしらん?

彼らは、
「根本仏典」とか「根本仏教」などとは呼びません。
必ず相手を見下す言い方をとって「小乗経典」とか「小乗仏教」と呼びます。
或いはまた、自分たちが奉ずるのが「日蓮仏法」(彼らは「仏法」という言い方を好む)であり、
本来のゴータマの教えに対しては、
わざわざ「釈迦仏教」(本来であれば、仏教とはこれ以外にないにも関わらず)
などという言い方を採ります。

自分たちは最高の経典を信奉しており、
更には、その道の大家としての最高聖者、日蓮の説いた御書などを学ぶので、
それ以外のものを学ぶ必要などはないという自信を持ちます。
小乗として見下すということは、原始経典(根本仏典)は最低レベルの次元という扱いをしているということ。
だから、真摯な姿勢で原始経典を読むということはありません。
学ぶ必要性がないばかりか...殆ど学習禁止レベルといってもいいでしょう。
0443宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/28(水) 09:14:49.59ID:8A0l526T
>『Q ヨガや気功と瞑想の関係は?
> A 基本的にヨガや気功は肉体中心の訓練なんですね。シンプルな動きをしていると肉体の激しい波は落ち着いてくる。それで終わり。
>心の成長というものはないんです。ヨガはそこから魂論を説く。仏教から見ると無知はそのまま。煩悩はそのまま。幻覚はそのままです。
>--略--- ヨーガなどで「魂」にしがみつくことは、億万長者よりも激しい執着です。』
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/09/30/050000

こういうことをいうということは何も分かってない証拠です。
 “呼吸を制する者が自己を制する”ということ。呼吸というものが精神やマインドと密接に繋がっているということを知るのがヨーガの
科学です。呼吸を制御すれば自動的に心と精神もそれに伴って制御できるようになっていく。その修錬の果てに自己の「魂との連結」が起
こる。そして、これらはすべて自動的に起こる出来事であって、何か信仰として「魂」の存在を信じるかどうかなどというのは実際には無
関係なのです。だから「しがみつく」などという必要性すらもない。これは単に技法と繰り返し修錬によって自己修得することで起こる科
学的な変化、変性だということ。
 精神と魂との連結を可能にするこの変化は当然、肉体上だけの問題などではありません。修錬によってこれを極めたヨーギは仏教でいう
滅尽定の境地に入ります。自己の呼吸も心臓の鼓動すらも自ら停止させて仮死状態をつくる。そして、魂と一体化を果たした者はそれまで
の無知が自動的にすべて消散して、そこに魂の特質であるところの「智恵」を生じさせます。
 心を制御できた者が煩悩そのままの筈はあり得ないこと。これらはすべて自己のもとに自動的に現実に起こるものであって、このヨーガ
の科学のことを「幻覚はそのまま」などというのは、自分がただ何も知らない分かってない者(無知)であるということを自ら露呈している
証拠に過ぎない。とにかく、何も分かってないことが外からは丸見えです。かなり恥ずかしいから辞めた方がいいと思う。
0444宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/28(水) 13:29:23.76ID:8A0l526T
>>443
追記:

 『実に心が統一(yoga)されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一(yoga)されないならば、豊かな知慧がほろびる。
生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。』(Dhp.20,282)

ゴータマは『ヨーガ・スートラ』成立以前の太古のヨーガを修行したのであって、
その痕跡を古い仏典(ダンマパダ)からも見て取ることができるのです。
よって本来、仏教がヨーガを馬鹿にするなどということは在り得る筈がなく、
それどころか古い時代の仏教徒たちは、ヨーガ修行という意味においては仏教外のバラモン行者たちとも互いに協力し合う親しい関係でした。
現に、ヒンドゥー・ヨーガの聖典である『ヨーガ・スートラ』の成立編纂そのものが、
実は当時の仏教徒たちがこれに加わってて一緒に作り上げたものだということからもそのことが分かります。。
仏教徒たちが『ヨーガ・スートラ』編纂に協力したことはインド学の研究においては、ほぼ常識とされています。
その後、大乗からは特にヨーガ(瑜伽)に特化した仏教の派として瑜伽行派(唯識派)が発生した。
また、チベット仏教においては無上瑜伽タントラといった最高位の修行が実践される。

参考サイト:
 (保坂俊司「仏教とヨーガ」)
 http://samten.seesaa.net/article/431687714.html
0445神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/29(木) 08:39:45.07ID:UaM/7Wei
ゾンビは存在せずゾンビの為に世界がある訳ではない
ロボットと変わらない存在が出しゃばり生意気になった バグめ
0446承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/29(木) 10:45:40.77ID:uSn3L8hf
仮にスーザン-ブラックモア氏の言ったような全人類が哲学的ゾンビであったとしても、我等仏教徒には何ら問題は生じない。(笑)
そうした下らない話に拘泥するのは、キリスト病という泥に浸かっていると知れ。(笑)

(^。^)まぁ、俗世自体が汚泥なんだから皆そうなんだけどね。(笑)
0447おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/29(木) 12:29:40.31ID:whqYXaPE
 
ウィキペディア参照

普通の人間と哲学的ゾンビの唯一の違いは
哲学的ゾンビには
議論の厄介さに対する「苛々する」という
意識も持つことがなく、“意識(クオリア)”というものがない
  _  _  _

普遍者の一種である
クオリアは
この経験においてあの経験において
何度も認識されるという意味で普遍者ではある
純粋に主観
  _  _  _

純粋な主観・普遍者というのは
永遠に変化することのない − プルシャに似てる?

宗教とは
人間の力や自然の力を超えた − クオリア?
人間の力や自然の力を超えた − プルシャ?
人間の力や自然の力を超えた − (光り輝いている)仏性?
0448おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/03/29(木) 12:52:31.65ID:whqYXaPE
 
たとえば仮に
(根源的な?)クオリアが

「第八識のようなものである」とするなら
「仏道への障害がある − 第七識」を超えている

「大円鏡智のようなものである」とするなら
「縁起している世界」も超えている

もっとも
(根源的な?)クオリアに
頼耶縁起とか
真如縁起とかのようなものがあるのか?わからないけど…
0449神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/29(木) 14:52:32.77ID:ovvHJrc8
https://i.imgur.com/ov1Po0q.jpg
https://i.imgur.com/sig8IvY.jpg
こんなチラシが入ってきたけど4000円だったら奇跡を信じてみてもいいかなとも思ってしまった
ご祈祷料と大差ない金額だしパワーストーンとかだともっと高いのもザラにあるし
0450基地蔵
垢版 |
2018/03/29(木) 17:18:32.94ID:jyYu6hu0
>>449

ペテンでごたるよ!(-。-)y-~
0451神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/30(金) 09:42:29.43ID:I5RsNfVs
【スマナサーラ:宗教と民間信仰。】

宗教はだいたい「魂浄化、罪を悔い改めること、魂の上昇」などを語る。
その方法とは、また物質に依存する事になる。
「人は洗礼を受け生まれ変わらないと天国にいけない」とは有名な話です。
宗教には儀式儀礼がたくさんある。

儀式儀礼には、たくさんの「霊的力がある」品物が必要です。
日本では、真言密教のお寺にはそういう品物がいっぱいある。
バチカン行くと聖者の骨を恭しく祀っている。
何教であっても、そういう代物には事欠かない。

宗教家も皆さんと同じで、霊的グッズ(物)に触れればOKだ!と思っている。
宗教には修行がつきもの。
目的はご利益ではなく死後の永遠の命です。
しかしヒンドゥー教、カトリック教の仕来りの半分以上、現世利益を目指している。

日本の新興宗教と真言密教の修行の主目的は現世利益のように見えます。
修行もモノに依存して、モノに関わるのです。
特別な服、食べ物、霊地巡礼、行など。すべてモノからアクセスする。

民間信仰の場合も状況は同じです。
不幸を招く品物、幸福を招く品物など信じる。
精霊が宿る場所、悪霊が住み着く場所。
風水、方位、色など。
無数の迷信がある。

清めの世界。
インドではガンジス川の沐浴が盛ん。
日本にも水を浴びる行がある。
神社はお祓いの専門所。
塩かけると悪霊が逃げるとか。
お祓いの儀式は物質論なのです。
古代インドのバラモン教では、水と火は昔から清めの洗浄薬として大活躍していました。
0452宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 03:08:21.01ID:zRhz+HgS
>>449
少しだけ言及しておくと、
要するに、これは加持塩にてつくった盛り塩ということかな。
密教寺院では、不動明王に捧げた供物には加持力が備わると考えています。
特に密教僧が日々、御法楽を捧げて供え続けた物であれば確かに力が生じるでしょう。
そして、護摩の炎にかざす御加持をしたものならば、より強力なものになります。
私も従来までの普通の塩(天然荒塩)に飽き足らず、近年は護摩の御加持をした加持塩を使用しています。

ココや仏教関係のスレには>>450のような単純な唯物主義者が多くて、
また原始経典の教えに対する原理主義者紛いなんかもいるので、
特に、「心と宗教」板にはその手の話題に対してまともに取り合ってくれる人は少ないと思う。
「神社仏閣板」ならば、そういう話題で盛り上がってることもあるのでそちらの方が相応しいですよ!

広告の体験にあるような、
「これを持つと何々が起きた..」といった過剰な期待はすべきではないけれども、
中には良いものもあるので自分が価格も含めて気に入ったのならば持ってみるのも良いと思う。
ただ気分が良いだけの縁起物レベルから、実際にパワーを放射している勝れたものもあるのでピンキリです。
本物の能力者ならパワーの有無はほぼ100%選別できます。つまり、たとえ完全に同一の品々であっても、
本物のエネルギーが磁化され放射しているものとそうではないものとを本物の能力者は見分けがつくということ。

 『加持(かじ)とは、仏教用語の1つ。元はサンスクリット語のadhisthana(アディシュターナ)の訳語で、他にも所持・護念
などと訳される場合もある。本来の意味は仏あるいは菩薩が不可思議な力によって衆生(人々)を守るという鎮加護持(ちんかごじ)
・神変加持(じんべんかじ)を指す。仏の大悲の力が衆生に加えられ、一方衆生の信心が仏に伝わることでその効果を発揮するとさ
れる。』(wikipedia)
0453宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 03:11:54.41ID:zRhz+HgS
>>451
---反論---

 ゴータマの教説というのは基本的には出家(者)を対象にしたものです。もちろん、在家信者の優婆塞/優婆夷についての教えもあ
りますけれど、しかし、すべてを網羅するような内容ではない。ましてや信仰(心)深くて真摯な姿勢の古代インドの在家信者たちと
現代日本のようなところでの一般人などとは比較にならないものがある。
 それからゴータマが説いたものだけが唯一正しいことがらであり、世の中におけるゴータマが説かなかったもののすべてが非真実
ということには決してならない。ゴータマが相対性理論を説かなかったから、相対性理論が間違いとはならない。
 ゴータマの説いたこと以外のすべてを認めない姿勢というのは原理主義であり、原理主義というのは一歩、踏み外せばカルト化す
る危険なものです。単に経典や僧侶の話に従うだけで自分の頭で考えることのできない者は、たとえそれが伝統仏教というもので
あっても洗脳と何も変わりがない。

 たとえゴータマが説かれなかったものであっても、それが真実であるか不真実であるか、そして、役に立つものか立たないものな
のかを見極める眼を持つべきです。
 現象界の存在はすべてエネルギーであり、それは波動として存在する。物質はそれぞれ固有の振動率を以て存在しており、それぞ
れが固有の波動を生じている。それらの波動の中には人間にとって、肉体の健康のために、または精神に対して有益に作用するもの
がある。それらを活用することで、在家生活における間接的な補助とすることは可能だということ。
 あくまでも間接的な補助にしか過ぎず、過剰過ぎる期待を持つべきではありませんが、けれども使い方によってはとても有益なも
のとすることができます。

 長老は単純にただすべてを迷信扱いにしているようですが、もちろん中には完全なる迷信もあるけれども、しかし、実際に効果的
に作用するものもあるのは事実です。完全否定するのならば、それはその人がただ無知で何も知らない証拠です。
0454宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 03:15:25.93ID:zRhz+HgS
>儀式儀礼には、たくさんの「霊的力がある」品物が必要です。
>日本では、真言密教のお寺にはそういう品物がいっぱいある。
>バチカン行くと聖者の骨を恭しく祀っている。

 本物の高いレベルの聖者の肉体やその方の所有物というものはその方の持つ高い波動が磁化しています。だから、それらに接する
ことはこちらの波動を共振して同調させることになるので、その恩恵に預かることができるのです。同じようにしてゴータマの遺骨、
仏舎利信仰というのも理由としてはそういうところからきている。解脱した最高聖者であれば当然、その遺骨や遺物は最高レベルの
波動を放っているからです。師匠である高僧の衣の一部を自分の衣に縫い付けるという伝統なども然り、それだけでお守り的な作用
を期待することができる(その力の強弱はピンキリ)。
 祈祷による波動の科学を使えば、ただの何でもない品物でも霊的で高い波動を磁化させることができる。だから、そういう品々が
様々にあるのです(もちろん、その力のレベルはピンキリですが)。密教はそのための効果的な独自の手法を持ちます。なので密教に
おいて修法した品々というのは絶大な奇跡的効果が生じるものがあります。

>宗教家も皆さんと同じで、霊的グッズ(物)に触れればOKだ!と思っている。
>宗教には修行がつきもの。

誰もそうなことはいってないでしょう。「役に立つ」、「援けとなる」という話をしてるだけ。
まっ、確かに一般人は修行はしない。そういう意識ではないから。ただ本当に役立つものならば欲しいと思うだけです。
けれども、それも別に何も悪いことなんかじゃないし、本物で役立つものならば別に大いに利用すればいい。
0455宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 03:17:47.59ID:zRhz+HgS
>しかしヒンドゥー教、カトリック教の仕来りの半分以上、現世利益を目指している。
>日本の新興宗教と真言密教の修行の主目的は現世利益のように見えます。

 現世利益は何も悪じゃない。迷信ではない本当に力のある援けとなる現世利益は確かに存在する。
 信仰心の大小に関わらず、一般の人々というのは“神仏に関わる現世利益で救われたという体験”を持つとそこに感謝の念を強く
心に抱くようになる。これが何よりも大切だということ。神仏に対して、感謝の念ココロを常に持つようになった人間というのは意識
が変わる。人は自分を援けてくれた神仏に対して御礼がしたいと考えるようになると、当然、その神仏の教えにも耳を傾けてその
御心に適った生き方をするようになるものだからです。
 実は現世利益の真の目的というのはそこにあるのであって、現世利益そのものが目的なんかじゃないから。現世利益を単純否定す
る人というのは現世利益のことを何もわかってない人です。

>民間信仰の場合も状況は同じです。
>不幸を招く品物、幸福を招く品物など信じる。
>精霊が宿る場所、悪霊が住み着く場所。
>風水、方位、色など。
>無数の迷信がある。

事実もたくさんある。
全否定する者はそのことを知らないだけの人です。
0456宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 03:18:44.18ID:zRhz+HgS
>清めの世界。
>インドではガンジス川の沐浴が盛ん。
>日本にも水を浴びる行がある。

 確かに、ゴータマは“人は沐浴によって清まるわけではない”と説いたけれども、それは日常における行為の正しさの重要性を
教えるためにいったものであって、沐浴そのものを全否定するものではありません。
 ゴータマの対機説法の真意が理解できずに、その場だけの言葉に捕らわれている者というのはかならず誤解を起こす。ただ沐浴
すればそれですべてOKではないけれども、その人がどんな意識で以て沐浴に臨むかによっては自分の心を清めることに大きな効果
がある。すべては行う当人の意図と意識しだいです。何でも役に立たせることもできるし、逆に無意味なものにもなる。

>お祓いの儀式は物質論なのです。

人間の精神に良くない作用を及ぼす波動というものはある。
波動は現象界の作用だから、そりゃ〜物質現象界の出来事に決まってる。
我々、普通の人間というものは実に様々な良き波動や悪い波動の中に曝されながらその影響下で生きている。
悪しき波動の影響を受けることのなくなった者というのはすでに高いレベルにいる者です。
だから、それらに対する知識を以て有効に活用する者は賢い。
ただ長老が理解できてないだけのこと。
0457基地蔵
垢版 |
2018/03/31(土) 05:46:33.35ID:y68xsGYi
>>452
単純だからこそ騙されずに
真理を見抜くでごたる。

無駄に語るは詐欺師の常と
言うべし。
0458さとりクン
垢版 |
2018/03/31(土) 10:31:03.55ID:Cg4sGDiv
ハァイ♪
さいきん悟りを開いちゃいました!(笑)
ブログやってます。
http://blog.livedoor.jp/kosokeme/
お気軽にコメントくださいねー。(´艸`*)
0459神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/31(土) 13:26:09.61ID:74QdGF6D
>>453-454
悟りへの第一歩、「無」の体験 [スマナサーラ]

「ヴィパッサナー瞑想」をすると、悟りの境地へ行けると言いましたが、では、悟りとはいったい何でしょうか? それをわかりやすく説明してみます。

悟りを理解する上では、「ものごとは実体としては存在しない。すべてのものは波動である」ということが、大きなポイントとなります。
ものごとは、実際には「もの」ではありません。

(略)

ものごとの波動は生滅(しょうめつ)という言葉で理解します。また、「有(う)」と「無(む)」という言葉で理解してもよいです。
現象は「有」の状態にいるときは認識します。

(略)

ものは「有る」けれど、魂はやっぱり「有る」けれど、神様はやっぱり「いる」のでしょうけれど、それは半分の世界です。
仏教は、そういう「有(う)」と「無(む)」の論を語りました。

それが大乗仏教では、法身(ほっしん)という概念が出てきて、大宇宙を支配している法身如来、大日如来がいると言ったりしています。
そこまで「有(う)」論は発展しました。
初期仏教の、世界は「有(う)」と「無(む)」からできているというポイントからみれば、それは正しいとは言えません。

とかく人間は「有(う)」論しか語れません。「有(う)」論しか考えることができません。
実際、「有る」ことは「有る」のです。
でも、ものには「有る」だけではなくて、「無い」状態もあるのです。
0460神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/31(土) 13:26:53.36ID:74QdGF6D
>>459続き

瞑想していると、音は波であることが身にしみてわかります。
生滅(しょうめつ)、生滅(しょうめつ)しています。自分の身体も瞬間、瞬間、生滅(しょうめつ)していることがよくみえてきます。

ずーっと瞑想を続けていくと、認識が変わってきます。
ここに音があれば、それはいつでも「有る」と「無い」とであることがわかります。耳があれば、やはり「有る」と「無い」状態があるとわかります。

(略)

妄想がほとんど消えている人は、これに気づくのです。初めて「無(む)」の存在も知るのです。初めて現象の「滅(めつ)」に気づくのです。

これこそが革命的な発見です。

今まであった実体論、魂論、自我意識…、それらが

「ただの勘違いでした」

「幻覚でした」

と瞬時にわかります。
http://100ken-1bun.blogspot.jp/2015/11/blog-post_12.html?m=1
0461宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 14:44:46.04ID:zRhz+HgS
>>459-460
(このわたしからみれば)
すべて“分かりきった話”です。
別に異論も反論もない。

ただし、
我々というものはそれらについて話としては分かっていても、
それでもこの肉体を如何にすれば健やかに維持できるか...
そして、衣服も適度に購入して買い換えなければならないし、
明日の会議の発表に向けてディスクにも座らなければならない。
会社や家族、友人や親族との交わりもある。
だから、仏教理論の「有」「無」について理解しつつも、
それでも今、こうして歯も磨かなければならない。
その時にはどの歯磨き粉が良いかも(価格と効果と好みに応じて)選択しなければならない...。

だから、
これらすべてにおいてもバランス良く対処することが賢い。

そういうこと。
0462宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 14:56:47.46ID:zRhz+HgS
>>459
あっ、やっぱり、
取りあえずこの一点だけは否定しておくから。

>神様はやっぱり「いる」のでしょうけれど、それは半分の世界です。
>仏教は、そういう「有(う)」と「無(む)」の論を語りました。
>それが大乗仏教では、法身(ほっしん)という概念が出てきて、大宇宙を支配している法身如来、大日如来がいると言ったりしています。
>そこまで「有(う)」論は発展しました。
>初期仏教の、世界は「有(う)」と「無(む)」からできているというポイントからみれば、それは正しいとは言えません。

長老はわかってないが、
万物の創造神は実在していることについてはゴータマはハッキリと是認しました
(『パーリ中部サンガーラヴァ経』>>257参照のこと)。
大乗如来蔵〜密教というのは結果的にそこに帰結してきたということ。
分かってない人たちへ

以上。
0463宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 15:16:56.05ID:zRhz+HgS
勘違いされては困るので、
やっぱり、もう一つ言っておきます。

>ものは「有る」けれど、魂はやっぱり「有る」けれど、神様はやっぱり「いる」のでしょうけれど、それは半分の世界です。
>仏教は、そういう「有(う)」と「無(む)」の論を語りました。

(アートマンではなく)「魂」も確かに非実在だけれども、
しかし、仮和合の自己における究極的存在としてはこの肉体同様にして「有る」。
ゴータマは輪廻主体が何であるかについて(魂について)は明確に説きました。
(『DN 15, Maha^nida^nasuttanta』/『増一阿含経・三宝品』など>>250参照のこと)
ただ、知らない人が多いだけです。
0464宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 19:00:15.18ID:zRhz+HgS
>>461
追記:

わかってないようだからこれもいっておく。
仏教の教えについて何も知らない人だったならば、
「有」「無」...一切行無我について知ることは確かに価値がある。
感銘を受けて、それまでの価値観が変わったという人だって出て来るでしょう。
だから、説法するに値する必要不可欠な教えだと思う。
それは認める。

けれども、もし敢えて云うとしたならば、
確かに長老はイイでしょうよ。いつも橙色や辛子色の同じ衣をただ黙って纏っていればそれで済むから。
しかし、我々はそうはいかない。季節に応じて衣服を変え、会議の時にはネクタイだって結ばなきゃならない。
場所によっては正装したり、清潔感とオシャレだって必要だ。
いつも同じ服ばかり着るわけにもいかないから、買い物にも出かけなければならない。
その時、少し奮発して良い品物を買った方がいいか、それとも辛坊して品質のレベルは低いがお手頃品にしておくか、
何処で買ったら得であるかということだってある...。

そして、家族というものもある。
自分自身は大丈夫であったとしても、母親が腰が止むといってくれば病院に車に乗せて連れて行かなきゃならないし、
或いは、どこか良い治療院がないかも探して欲しいともいわれる。
姉からは金を貸してほしいと頭を下げられる。次男は交通事故を起こして人様を曳いてしまって警察沙汰だ。
兄はガンの末期で苦しんでいる。妹は突然の行方不明で日々、その安否について夜も眠れない...。
三男は結婚どころか今だに彼女すらできずに困っている...。
などという諸問題が次から次と生じて来る(私のことではなく例えばの話です)。
それが我々、一般庶民における日常の実際的な生活ぶりなんだな。
そのような出来事の中で困って悩んでいる者に対して、
「一切は無我である」などという話などは何も問題の解決には寄与しない。
そんな話をする暇が在ったら、今日明日の命すらもわからない妹を一緒に探して欲しいというでしょう!!
それが現実の我々の暮らしというものです。
0465宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 19:00:58.17ID:zRhz+HgS
ただ話を説いて聞かせることしかできない「顕教」に対し、
「密教」には、我々の日々の生活を後押ししてくれる不可思議な力が在る。
本物の密教の持つ法力には実際に作用する力がある。
これら諸問題の対する苦しみを少しでも軽減してくれるように法(不可思議な力)が動く。
日本の密教(真言)僧侶というのは、庶民の苦しみに手を差し伸べてくれる現代に蘇った古代インドのバラモン司祭なんだ。

 『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、
その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
 『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。
施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)
『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のものである。』(Sn.568)
0466神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/31(土) 21:33:37.87ID:EVEJZwNM
波動てとこが胡散臭い
波動て何波動て(笑)
スマの故郷スリランカの坊主は黄色い袈裟着て喫煙するは、強盗するわ、暴行するわ
仏教徒どころかチンピラだろ
0467宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 22:40:42.70ID:zRhz+HgS
>>466
>波動てとこが胡散臭い
>波動て何波動て(笑)

分からない者は勝手にしてなさい!
文句がいいたいのならレス番にアンカーぐらい打てよ。
おまえの頭こそ何波動なんだぃ?(笑)

別に、
計器によって測定したγ線だの極超長波ULF波0.05Hzだの
といった話をしてるわけではないからな。
なので、話として便宜的に波動といってるだけだ。
すべては粒子の波の振動でしかないから波動だろ。
量子論的にも何も可笑しなことではない。
0468宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/31(土) 23:22:02.34ID:zRhz+HgS
それからいつも言ってるけれども、
唯物論なんてものは何一つ価値が無い。
必要、かつ役に立ってるものは唯一、メカニズムについての解説だけだ。
それ以外はすべてゴミ!!
0469神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/01(日) 00:03:26.39ID:avyEDaWB
>>463
「人のからだの内奥には不滅の魂が宿っており、 それは万物を支えているタットの火花である」と聖賢たちは明言しています。
自己の魂を自覚した人はこの真理を知っていて、こう言います ――

「わたしは有限の万物を超越している。
今わたしには、この宇宙大自然が、唯一にして常に新たな喜びである。
神の巨大なみ体であり、自己表現のみ姿であることがわかる。わたしは大空の星であり、太陽の波であり、万物を存在させている大生命である。
わたしはすべてのものの心の中にある笑いであり、すべての花々と、すべての魂の中にあるほほ笑みである。わたしは万物を支えている英知と力である」と。

あなたも、このような意識を自分の内に実現しなさい。 私の言葉は、あなたがたの内部でいつまでも鳴りつづけるでしょう。
しかし、あなたが迷妄の中で夢を見ている間はそれに気づきません。

あなたがそこから目覚めたとき、私の語った真理が魂の中で脈打っているのに気づくでしょう。
瞑想しなさい。 そして、魂を開放するこの教えを実行しなさい。
これ以上時間をむだにしてはなりません。」
http://fuu-nirvaana.blogspot.jp/2013/07/blog-post_20.html?m=1

このヨガナンダが言うタットの火花という魂も非実在ですか?
それとも不滅の魂と銘打っているのでアートマン(ブラフマン)のことを言っていると考えるのが素直な解釈ですか?
0470おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/01(日) 02:29:50.55ID:ZCX5b4Y2
 
「…万物を支えている [ タットの火花 ] である」と聖賢たちは明言しています
自己の魂を自覚した人はこの真理を知っていて、こう言います
「わたしは有限の万物を超越している…」

たとえば「仏性に導くための、たとえばなし」

あるいは「仏性そのもの」

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6
神智学(theosophy)
神あるいは超越者が叡智的性格をもち
宇宙や自然もこのような叡智からつくられ
人間の智も神の智に通ずる性格をもっており…
  _  _  _

観神足
仏の智慧をもって → (縁起している)思惟を観照する

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99
宗教(religion)
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91#%E8%B6%85%E8%87%AA%E6%88%91
フロイトは、「自我」という概念と
「『自我』による自己愛的な満足を 『 監視する 』、我々が良心と呼ぶ特別な精神的装置」
という概念との組み合わせから、この 『 超自我 』 という概念を発展させた

超自我は、イドとは反対方向に働く
イドは、その場の自己満足を求める
0471宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/01(日) 12:21:53.51ID:/FeQyElt
>>469
否定的な平均的仏教徒らに尋ねてもムダです。
彼らはヒンドゥーを馬鹿にしているのであり、彼らにとっては所詮、
ヒンドゥーの教えなどというものは“妄想の産物”という認識でしかないから。

ここでいう「魂」は文脈から、
低位のジーヴァ存在としてではなくて至高の存在「真我」と同義として使っているものと思います。
それは翻訳上の問題である場合もあるし、元々から意図して同義として使用している場合も多々あります。
これは神智学上の説明の中でも同じことが見られます。それは前後の文脈から判断する以外にはありません。
確かに、ごく普通に話す場合には「魂」も「真我」も一緒にしていることが多いです。
また、“火花”という表現については、神智学においても「モナッド(真我)は神の閃光キラメキである」
という類似する言い方が好んで頻繁に使われています。

「タット」というのは「それ」という意味で、英語では「I am」、“私はそれである”として使われます。
普通、この語は「オーム、タット、サット」(Om : 聖音、至高神、ブラフマン/Tat : それ、そのすべて/Sat : 実在、善、絶対の真理)
というマントラとして使われているもので、このマントラは三種の神のシンボルであり、至高の存在を形容するための言葉です。
私は、これほど意味深げな言葉はないものと感じています。
クリシュナはこれが神を想起させるものであるといい、すべて(万物)はこのマントラによって創造されたと説きました。
0472宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/01(日) 12:22:35.76ID:/FeQyElt
ヨガナンダはいいですよ!
ヨガナンダはヒマラヤのババジより、クリヤヨーガを西洋に紹介するようとのその使命を果たすべく選ばれた方です。
彼はその使命を果たし終えた後に自ら究極のサマーディにて肉体を脱ぎ捨てて
遺体の不朽現象(腐敗しない遺体)というヨーガの科学による奇跡を現実に我々に示して見せました。

ヨガナンダのような本物の聖者から直接に語られた言葉は凄いの一言だということ。
それは単に、仏典経典や解説書を読んでいるだけの者たちなどとはまったく違うということが、
その両者を比較することでハッキリと知ることができます。
自己の内の真我の目覚めから直接に自然と発露してくる言葉は違う。
“完成者の言葉はすべて違う”を痛感できます。

この私の見た目では、
完成者からの言葉だと感じられるものは仏教圏(から)にはない。
正しく、ブッダの教えを継承しているところも皆無です
(唯一、すでに変質してしまったブッダの言葉を示した太古の経典の他には)。
その理由こそが、この私が学修の中心的背柱を仏教からヒンドゥー、そして神智学へと変えていった決定的な部分なのでした。
0473宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/01(日) 13:13:49.07ID:/FeQyElt
否定的仏教徒らというのは例外なく、
ブッダは「無我(アートマンはない)」を説いた。
だから、アートマンを説くヒンドゥーは間違いだ。
間違ったものでは解脱できない。
ブッダは、「私の教え以外では解脱できない」と説いた。
という理解にある。

これを鵜呑みにして教え込まれたので、殆ど「洗脳状態」にある。
最初から決めつけているので、話を聞くだけでアレルギーを起こすのが彼らだ!
こういう人間というのはヒンドゥーを実際には知らない。
本当に知っている人間ならばそんなことは絶対に言わない。
両者を共に知っている者はヒンドゥーこそ完成者からの教えが今でもあることを認める。
0474神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/02(月) 01:04:14.23ID:98hhzkUW
釈迦の言葉か仏弟子の言葉かは分からないけどアーガマの合理的かつクドイ言い回しが多くまた厭世的な仏説よりは、
ヨガナンダの言葉の方が詩的な美しさと共に確固たる信念があり神の世界の美しさを説いて魅力的ではある

ヨガナンダに比べるとアーガマはやや無味乾燥気味だな、大事なことは言っているが

ただヨガナンダでも例えばギリバラの不食の話とかは流石にそのまま鵜呑みにはできないがw
0475宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/02(月) 02:00:38.23ID:AK4iYSfO
>>474
ゴータマは2500〜2600年前の方であり、すでにその教説は変質していて純粋なものは残っていません。
原始経典の中からその部分を推察しながら読み取っていくのが精一杯というところ。
けれども、ヨガナンダの場合はマハーサマーディ(肉体放棄)が1952年という近代の出来事。
つまり、教えの変質に対する心配が殆どないということ。
なので古代の教えにて変色してしまっているものと、
まだ僅か数十年前に起きたばかりの近代の話との比較です。
このことが最も決定的な違いでしよう。

【映画 予告編】永遠のヨギー/ヨガをめぐる奇跡の旅
 https://www.youtube.com/watch?v=4iBLkdQ4sxU
0476神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/04(水) 00:20:44.15ID:i9qyZeMk
ヨガナンダの言葉はブッダよりもイエスに近いかも?
ただイエス以上に寛容な感じはする
まあ人類を神の子とするからイエスっぽいのかもしれないがこの場合の神とは真我や真理を人格化したインドの神様なんだろうなあ
でもヒンドゥー教だけに万教同根的思想もありそうだね

イエスとの違いはこの世界は夢とか幻想とするところとかかな
他にもいっぱいあるだろうけどw
0477宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/04(水) 03:48:32.14ID:IYQAp8hJ
失礼、アンカー洩れでした
>>443は、>>438の投稿へのレスです。

>>476
イエスは、キリストとしての活動期間が短いために残された教えも少ないのです。
0478宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/04(水) 03:51:20.95ID:IYQAp8hJ
>>438
>肉体中心の訓練
補足: >>443-444 

よくある勘違いを長老もしている可能性があるので少し説明しておきます。

 >>475の動画の中で、『ヨガは体で行うものと思われていますが、本当は心に関するものです』とある通り、「ヨガ」というと詳しく知らない
一般の人たちというのはその殆どがハタ・ヨーガのことを連想します。
 日本などでは一般には「ヨガ」として呼ばれているもののその殆どが健康や美容のための体操であり、その大本はインドの「ハタ・ヨーガ」
から編纂してアレンジされたもの(サンスクリット語では「ヨガ」という読み方はないので、これは英語をローマ字読みした日本語固有の読み
です。「ヨガ」は、正しくは「ヨーガ/Yoga」と表記され、その発音は「ヨゥガ」の方に近い)。この複雑で様々なポーズをとるのがハタ・ヨー
ガのアーサナ(体位法)という行法です。
0479宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/04(水) 03:51:56.04ID:IYQAp8hJ
の中においてはそのごく一部でしかなく、そして、本道でもありません。最近の話だと片岡鶴太郎さんが、インド政府公認プロフェッショナル
ヨガ検定インストラクターに合格したということが話題となりました(インドのヨガ省が管轄する試験は筆記と実技からなり、本場でも2万人
が受検して1800人しか合格しない難関で、日本ではこれまでに26人しか合格していないという)。あれがハタ・ヨーガです。鶴太郎さんは、
ヨーガの修錬の中心が本当は瞑想にあることを理解しましたが、それは聖典『ヨーガ・スートラ』の説く体系の中では最終段階の第八番目に位
置するものとして受け止めました。実はここが一つの大きな落とし穴とになっており、そのために殆どのヨーガの実践者たちは『ヨーガ・スー
トラ』の体系に沿って進もうとしてハタ・ヨーガ行法の実修を永延と続けることになるのです。あれを殆どすべて修得しようとしようものなら
ば、ただそれだけで丸々、一生涯を費やしてしまうことになってしまうのだから、それでは人生の時間の無駄になる。ヨーガ修行の中心はあく
までも瞑想行にあるのであって、ハタ・ヨーガというのはあくまでもそのための準備としてあるに過ぎない。これは究極のサマーディに入る長
時間の瞑想状態にも耐えうる肉体を整えることが目的なのであり、要するに健康的な肉体にて長時間の座法に挑めるようにすることにあるので、
そのためにハタ・ヨーガの体系をすべて修得する必要などはまったくない。
0480宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/04(水) 03:53:34.72ID:IYQAp8hJ
>>479
投稿ミス

 ヨーガというと、このハタ・ヨーガを指すくらいにイメージとしては深く浸透しています。しかし実際上はハタ・ヨーガというのはヨーガ道
の中においてはそのごく一部でしかなく、そして、本道でもありません。最近の話だと片岡鶴太郎さんが、インド政府公認プロフェッショナル
ヨガ検定インストラクターに合格したということが話題となりました(インドのヨガ省が管轄する試験は筆記と実技からなり、本場でも2万人
が受検して1800人しか合格しない難関で、日本ではこれまでに26人しか合格していないという)。あれがハタ・ヨーガです。鶴太郎さんは、
ヨーガの修錬の中心が本当は瞑想にあることを理解しましたが、それは聖典『ヨーガ・スートラ』の説く体系の中では最終段階の第八番目に位
置するものとして受け止めました。実はここが一つの大きな落とし穴とになっており、そのために殆どのヨーガの実践者たちは『ヨーガ・スー
トラ』の体系に沿って進もうとしてハタ・ヨーガ行法の実修を永延と続けることになるのです。あれを殆どすべて修得しようとしようものなら
ば、ただそれだけで丸々、一生涯を費やしてしまうことになってしまうのだから、それでは人生の時間の無駄になる。ヨーガ修行の中心はあく
までも瞑想行にあるのであって、ハタ・ヨーガというのはあくまでもそのための準備としてあるに過ぎない。これは究極のサマーディに入る長
時間の瞑想状態にも耐えうる肉体を整えることが目的なのであり、要するに健康的な肉体にて長時間の座法に挑めるようにすることにあるので、
そのためにハタ・ヨーガの体系をすべて修得する必要などはまったくない。
0481宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/04(水) 03:54:35.17ID:IYQAp8hJ
 ラマナ・マハルシのようなアドヴァイタ的一元論上の実践道ジュニャーナ・マールガ(探究/非行為の道<「ジュニャーナ・ヨーガ」と呼ぶ場合
もあり>)に対し、実際はそれ以外のすべてが「ヨーガ道」(行為の道)なのです。
 よく知られているヨーガについて紹介するとその代表的なヨーガの種類には、王家のヨーガと呼ばれる瞑想中心の「ラージャ・ヨーガ」、複雑
な体位法アーサナが特徴のハタ・ヨーガ、チャクラへのエネルギーの流入出を制御する「ラヤ・ヨーガ」、タントリズムを採り入れたシャクティを扱
う秘教「タントラ・ヨーガ」、ムーラダーラ・チャクラの覚醒してサーペント・パワーを解放する「クンダリニー・ヨーガ」、ラーマ・クリシャナ
に代表されるような祈りと献身にて神との一体化を図る「バクティ・ヨーガ」、マントラの繰り返し読誦を用いる「マントラ・ヨーガ」(真言宗
における実践道の中心の一つ)、日常生活のすべてについて結果を求めることなく無執着の意識で行為していく実践道「カルマ・ヨーガ」(ゴータ
マ・ブッダの説かれた実践法)、そして、ヒマラヤのババジによって蘇った聖クリシュナの説かれた「クリヤ・ヨーガ」(ヨーガ実践のあらゆるす
べてのエッセンスがバランスよく含まれた総合ヨーガでヨガナンダによって西洋に紹介された) などがある。

 『私がお前を通して、この19世紀に全世界に与えようとしているクリヤヨガは、数千年前、クリシュナがアルジュナに与え、後にブッダ、パ
タンジャリー、キリスト、ヨハネ、パウロその他の弟子たちに知られるようになったものと同一の科学である』
(ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』の中で、ババジが弟子のラヒリ・マハサヤに述べた言葉)
0483神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/05(木) 00:17:33.14ID:6ERuHEXr
スマナサーラ長老も仏教は完成された科学と毎回言うのだったら、科学的精神に基づいて自らヒンドゥー教の瞑想やハタヨガを実践して仏教の止観と比較して、
その自らの体験でヒンドゥー教と仏教の違いを語ればいいのに、
試しもしないで教理教学の比較だけでヒンドゥー教と仏教に優越をつけようとするのは科学的ではないと思う。
ヒンドゥー教は真我信仰宗教で実相ではないという仮説を立てたら自ら実践してその瞑想の境地なりを味わってテーラワーダのサマディと比較しないとな。
その場合でも「私には◯◯での瞑想よりも××の方が向いていた」とするのが科学的だと思う。
個人の体験を一般論にするのは科学的ではない。
0484おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/05(木) 02:28:44.73ID:cOWPLnGB
 
その当時のインドの人々の
一般的な世間的な『思い』を認めて
六師外道とかヒンドゥー(バラモン)とかも認めて
その理解のうえで、仏教を理解せしめる
というやり方がとられねばならなかった

たとえば
釈迦は
六師外道とかヒンドゥー(バラモン)由来の
禅定とか
非想非非想とか実践して
そして
すべて一切を手放して
非想非非想とかも超えて
六師外道とかヒンドゥー(バラモン)とかも超えて。と
人々の心の働きに合わせて対機説法をもって導いた

そして
根本仏典とか
上座部とかは
『釈迦は、六師外道とかヒンドゥー(バラモン)とかも超えている』と導いている
(釈迦は、瑜伽行派の実践も超えている)
スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない
このように理解し
掴もうとしている想いを手放し
世界を超えた者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである
0485おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/05(木) 02:48:45.99ID:cOWPLnGB
 
「ありのままに」と掴もうとしている想い
「想いなき」と掴もうとしている想い
「想いを消滅」と掴もうとしている想い

このような
掴もうとしている想いを手放しするための
六師外道だったかもしれない
ウッダカ・ラーマプッタの

「想う」という想いも手放して
「想わない」という想いも手放して
非想非非想も手放し超えて
縁起している世界を手放し超えて
(瑜伽行派の実践も手放し超えて)
涅槃

それゆえに
『釈迦は、六師外道とかヒンドゥー(バラモン)とかも超えている』と
根本仏典とか
上座部とかは
人々の心の働きに合わせて対機説法をもって導いている
0486神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/05(木) 07:16:12.59ID:/LyTV+DC
ひとが何か或るものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである。と〈真理に達した人々〉は語る。
それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。(スッタニパータ798)


或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。
これらのうちで、どれが真実の説であるのか?
─かれらはすべて自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(スッタニパータ903)


かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。
かれらはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。(スッタニパータ904)


真のバラモン(邪悪を払いのけた人)は、他人に導かれるということがない。
また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。
それ故に、諸々の論争を超越している。(スッタニパータ907)
0487ポッタン師
垢版 |
2018/04/05(木) 07:27:13.06ID:YX6S/Zyo
485.484.
心理学をやっている場合ではない。
バカ丸出しである。
0488神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/05(木) 12:07:48.42ID:S97bxBiT
>>487


お前のポンコツは、このあたりの影響か?
日月神示 岡本天明
0489おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/05(木) 13:57:28.24ID:cOWPLnGB
 
たとえば
釈迦本人が
ヒンドゥー系を実践してたとしても
(そして手放し超えたとしても)

スマナサーラ本人が
ヒンドゥー系を実践してないのに
仏教と比較して
「仏教以外のものはつまらぬものである」と見なしている
掴もうとしている想い
こだわりである

ということで おじゃるな?

=^・ ・^= にゃるほろ了解 おじゃる

おじゃるは
第6のチャクラ 眉間のところが
くすぐったい・むずむずする。チャクラ系も肯定で おじゃる
0490おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/05(木) 14:23:48.28ID:cOWPLnGB
 
日月神示
ウィキペディアには
「身魂(心、精神、身体)を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ」
と書いてあるので

日月神示は(123師匠よりも)
ヒンドゥー・上座部・瑜伽行派とかに近い感じもする

 − これに対して −

123師匠は
仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもない
(それゆえに『心の働きを観照する』ことではない)

↑なんちゃって覚者系みたいな感じ?
0491ポッタン師
垢版 |
2018/04/05(木) 15:19:56.81ID:bhA5azy7
490.
心の働きを観照する、のは心理学である。
それでは、悟り、とは何か。
0492おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/05(木) 16:33:25.84ID:cOWPLnGB
 
エジプト、インド、チベット、中国に
日本の神道に
似たようなものがあるのか?
わからないけど、とりあえず

どこかの古代文明
 ↓
(プラトンが云う)アトランティス
 ↓
エジプト
 ↓
インド
 ↓
チベット経由?
中国経由?
 ↓
日本の
伊勢神宮系?
出雲大社系?
(どの系統なのか、わからないけど)日月神示系?

 ↑
仏教伝来の時と同じように考えるのは
間違ってるかもしれないけど、とりあえず
0493宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/06(金) 04:19:25.04ID:rsCAieo7
どうも長老の話というのは全般において、
ただ自分が教わった伝統的に云われていることをそのまま鵜呑みにしてるだけのように見えます。
そして結構、基礎となる基本的なことすらも知らないし。
ヒンドゥーの本物の大聖方の意識レベルというのは相当に高いと思う。
まず、>>486の指摘にもありますが、「これだけが唯一の真理であって、他の宗教はすべてダメだ!」
などということがない。このことが決定的な違いです。

“この宗教だけが唯一絶対”を公言するところでマトモなものを私は今まで見たことがありません。
カトリックの悍ましい歴史然り、イスラム原理主義然り、○○学会をはじめとする日本の各新興宗教然り...

また、後ほど...
0494神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/06(金) 14:59:18.05ID:7w5lxA2u
朝まで生仏教なんて番組、誰か企画せんかなw
時間帯が良くないなら、晩開板まで生仏教とか。

で、田原総一朗のポジションに宮崎哲也とかw
0495おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/06(金) 20:44:14.19ID:lcPBR0cU
 
(議論に参加することが出来るのなら)
閻魔師匠が
『議論で勝ったら、相手の頭を丸坊主にしてやる』
とか逝ってた気がする

閻魔師匠は
なんちゃって覚者系なので
何を主張してたのか?
まったく、わからなかったけど…

何を主張しるのか?
わからなくて
(閻魔師匠が)
議論に勝つことができるのか?わからないけど…
0497宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 03:49:01.92ID:V/a8tfXe
>>496
最近の禅系で聞くのはパワハラというか、
弟子の修行に対して過剰なしごきが目立つというもの。

あと、
寺院への通いサラリーマン僧侶も多いことなども関係があるのかどうか...
“僧侶の業務≒仕事”という感覚でとらえている僧侶が多い印象。
「仕事」だといってるということは、つまり、仕事をしてないoffがあるということになる。
私が菩提寺住職から直接この発言があった際には正直、大きな違和感を拭えなかった。
僧侶ってのは本来、一分一秒、24h中のすべてが僧侶なのであって、
僧侶ではない時間などというのは無い筈なのだが...。
こういう発言を直に聞いてしまうと、
あぁ...やっぱり成りたくて成ったわけじゃないんだなぁ、
ということを改めて感じてしまう。
0498宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 03:56:36.45ID:V/a8tfXe
>>493
追記:

ヒンドゥーでは異なる流派間での論争がない。
アドゥヴァイタ・サーンキャとヨーガ・マルーガ、ヨーガ各派内、六派哲学間に、そしてシヴァ派ヴィシュヌ派...、
哲学的には理論上の細かい部分で論じる部分もあるかもしれないが、基本的には争うということはない。
何故ならば、人間というものは同一の顔がないというのと同様にして、
ただ一つの方法論や道だけでは実践できる人間が限られてしまうということをすべての流派はよくわかっており、
そして、互いに相手の伝統や精神に対しては敬意を以て尊重し合っているからだ。
その精神姿勢はヒンドゥー内のみならず諸外国の異教に対しても同様であって、
各宗教というのは、それぞれの時代や地域民族に適した伝統であるとして尊重している。
であるから、ヒンドゥーの教えを布教する際においても、決して相手側の宗教を口撃したり馬鹿にすることはない。

ところが仏教(圏)ではどうだろうか?
現存主流派vs部派説一切有部の論争があり、そしてまた、大乗は上座部を小乗として罵った。
長老のところのような伝統テーラワーダではそれ以外の仏教諸派を断固として認めない。
中観派と唯識派の対立に、更に中観学派内の自立論証派と帰謬論証派、 唯識学派内の有相唯識派と無相唯識派間の対立。
顕教各派から密教は非仏教の扱いを受け、真言宗においては日蓮系から真言亡国と謗られる...。
仏教の諸派内ですらこの有様なので、当然、長老のようなところの原理主義からみれば、
ヒンドゥーなどの外道(仏教外という意)では絶対に解脱できないものとして馬鹿扱い。
もちろん、諸外国の異教においてなどは論外です。

これらのすべては、
「唯一、自分(自宗派)だけが絶対に正しくて、他はすべて間違ってる」
という意識が原因の根底になっている。そして、酷い場合には相手を「邪教」などと言って罵声する。

仏教ってのは、本来は(異なる)相手に対しても寛容的であり、
修行を積むことで口撃的な意識もなくなっていくものかと思われるのだが、
実際には、後代の弟子たちというのは自分の煩悩を鎮めるどころか、
逆に自分だけが正しいといった己の増上慢を増大するばかりだった。
これを世間一般風にいうと、つまり「俺がオレが...」という意識で“我が強い”状態にあるということ。
0499宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 06:46:23.97ID:V/a8tfXe
>>482
大変、申し訳ないけれども、
長老は(バラモン・ヒンドゥーを)何もわかっていないのでとてもお話になりません。

 無我を説く仏教に対して、ヒンドゥーはアートマン(及び梵)との合一、梵我一如を目指すものなので、それらは在りもしない妄
想にしがみつく間違ったものだから、その修行法のヨーガ瞑想もダメだといってるわけです。けれどもその基本的な前提がぜんぶ
間違ってるのです。
 何度も繰り返しになりますが、ゴータマは「アートマンはない」といった無我などは説いたことはないということ(それは部派
による間違った解釈を伝承したもので前記で詳しくやっています)。それと長老は、平均的な一般仏教徒らと同様に「神々はいる
けれども神はいない」というのが正しい仏教だという理解にありますが、これも完全な間違いです。神の実在についてはゴータマ
はハッキリと認めています。
 ゴータマというのは当たり前過ぎることは取り上げないことが多く、そして、またゴータマは、確認せずにただ鵜呑みにして信
じてるだけの大衆らと自ら確認した上で神の実在を認めているこのわたしとを同じにするな、ということをいってるのです(これも
すでに上記でやっています)。

 まず長老の認識、ヨーガ(ヨーガの瞑想)はヒンドゥー教のものであり、仏教とは異なる。つまり、「仏教はヨーガなどではない」
という理解がそもそも根本から間違っています。
 まっ、長老の話で洗脳されている信者には何をいっても無駄かもしれませんが、何も知らずにこれを読もうとする人たちのため
に私は述べています。

 ヨーガという神との一体を求める修行法というのは、その歴史は古くて確認できる物理的な根拠だけでもインダス文明にまで遡
ることができるといい、それだけでざっと4.500年以前からあったもの。その発祥となると恐らくは1-2万年か、それよりも以前
からだろうとこの私は見ています。ヨーガについての文献的記述でいうとこうあります。
0500宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 06:48:44.58ID:V/a8tfXe
 【ヨーガという語が見出される最も古い書物は、紀元前800年〜紀元前500年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッ
ティリーヤ・ウパニシャッド』です(宝珠追記:Wikiでは紀元前500年〜紀元前500年)。--略-- 
 紀元前350年〜紀元前300年頃に成立したとされる『カタ・ウパニシャッド』には、『感官の確かな制御がヨーガである(『カタ・
ウパニシャッド』6-11)』というヨーガの最古の説明が記されています。】(ヨガの歴史〜起源と始まり〜)
 http://yoga-master.net/grounding/about/origins.html

 ゴータマが修行したものというのは、ヨーガの根本聖典である『ヨーガ・スートラ』設立以前の“古代ヨーガ”なのであって、
このことはババジの言われる通りです(原始経典にはその修行はヨーガYogaであると明記されている)。あの『ヨーガ・スートラ』
すらも、当時の仏教徒たちがその成立に関与したことが研究によって明らかとなっていることからみても、“仏教(徒)がヨーガを
(それはヒンドゥーのものだ)といって馬鹿にする”ということは在り得ないことです。

 『無明が頭であると知れ。明智慧(と慈悲)が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるもので
ある。』(Sn.1026)

 これは元々は、古代インドでの教えの“悪い行いを働く者は頭が頭が避け落ちる”という脅し的意味合いのものでしたが、原始
仏教において、無知が破壊されることに当て嵌める逆の使い方をしていることから、もしかするとこれは、ヨーガにおいて説かれる、
クンダリニーが上昇して頭頂に達して突き抜ける体験のことを意味している可能性はあるかもしれない...。
 骨盤基底部のムーラダーラ・チャクラにあるクンダリニー(とぐろを巻いて眠っている蛇のパワー)が、修行によって背中のスシュ
ムナー管を上昇して頭頂のチャクラであるサハスラーラ(ブラフマランドラ)の開花に成功すると、頭頂が盛り上がる肉体的変化が起
こるものとされる。実に仏像の肉髻(にっけい)はそのことを象徴している。
 尚、ゴータマがクンダリニーを説かなかったのは、すでに完全な浄化に成功していたゴータマにはスシュムナー管を上昇するクン
ダリニーを感じなかったからだともいわれる(滞りのある者がこれを感じる)。
 https://twitter.com/kanagawa_museum/status/831778174627348481
0501宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 06:49:52.12ID:V/a8tfXe
 長老の嫌いな密教はヒンドゥーと親和性が高いので、クンダリニーの存在については認識していたものと見せられる。密教におけ
る軍荼利明王がそれであり、これは宝生如来の権化とされる明王です。サンスクリット名は「とぐろを巻く蛇」または「甘露の壷」
を意味する「Kundali(クンダリー)」そのもの。その名の通り、その姿の首や手首、足などには蛇がまとわりつくのが軍荼利明王の
外見的な特徴。
 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/811RR5K1fgL._SL1500_.jpg

 尚、長老の主張の中で正しいものといえるものは一つあります。
 ただし、ゴータマはアートマンやブラフマンを想定して、或いは、それらを直接求めてヨーガ(瞑想)を行じたわけではなかったと
いうこと。逆に、何をしても悟りには達せられず、最終的には苦行すらも放棄。何もかも求めることなく、菩提樹の下でただ坐した
ときはじめてその悟りはついに起こった。

 あと、これも長老の勘違いなのですが、確かに指摘の通りでヒンドゥーの一般的なヨーガ実践者たちはアートマンにブラフマンを
求めます。けれどもこれは科学的な変性なので、そのような信仰心がなければ同じ効果がないというものではないということ。
 「信仰心」というものは、それを続けていく上での持続力となる原動力になるものであって、それがなくても続けられる者にとっ
ては何も問題はありません。結果は実践した分だけ確実に得られます。
 また、マントラやジャパであったり、その他の各ヨーガ実践の様々というのは、本道である瞑想修行に至るための手助けとなるも
のだと見なせばいい。それらは必須事項ではありません。

 まっ、まずは“無我の教え”がわかってないことが誤解のすべてです。それが解消しないことにはどうしようもない。
 ゴータマが「アートマンはない」と説いたなどというのは部派による誤解が継承されたものです。残念ながら正しく、ゴータマ本
来の無我の教えを継承してきた仏教教団というのは、どうやら何処にも現存していないということ。
 ある意味では、大乗の説く「仏性」こそがそのことに近く、如来蔵思想〜密教というのはヒンドゥーに寛容的な面からそのことを
積極的に導入できたともいえる。
0502宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 07:09:46.50ID:V/a8tfXe
【単純図式】
           → 「ヒンドゥー・ヨーガ」(サマーディに至る様々な瞑想と体系)
 「古代ヨーガ」 →| 
           → 「仏教瞑想」(三昧に至る禅定修行)
0503おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 12:20:57.32ID:Mp5Eiflv
 
中観自立派
仮設としての
縁起している
因縁果報がある
(おじゃる系?)
  _  _  _

中観帰謬派
勝義諦の世界から → 縁起している世界を観照する
(チベット ゲルク派)
  _  _  _

なんちゃって覚者タソ
無明している世界を見てないので
『仏そのもの』というところが特徴
0504神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 13:19:42.09ID:1eZI1lIP
>>449
>神の実在についてはゴータマはハッキリと認めています。

釈迦は諸々の神とは何度も直接会っているのでその実在を認めるのは当然のことです。

9 そのとき世界の主・梵天は、尊師が心の中で考えておられることを知って、
譬えば力のある男が、屈した腕を伸ばし、あるいは伸ばした腕を屈するように、
梵天界のうちから姿を隠し、尊師の前に現われ出た。
10 さて世界の主・梵天は、一方の肩に上着をかけて、尊師に向かって合掌し、尊師に向かって次のように言った。
11 「尊いお方さま!そのとおりでございます。
過去にさとりを開き、敬われるべき人々であった尊師らも、真理を尊び、重んじて、たよっておられました。
未来にさとりを開き、敬われるべき人々である尊師らも、真理を尊び、重んじ、たよられることでしょう。
また現在さとりを開き、敬われるべき人(単数)である尊師も、真理を尊び、重んじたよるようにしてくださいませ。」
(サンユッタ・ニカーヤ第一集第Y篇第一章第二節 恭しく敬う)

 そのときサハー(老婆)世界の主・梵天は、夜半を過ぎた頃に、麗しい容色を示して、
ジェータ林を隈なく照らして、師のおられるところに赴いた。そうして師に敬礼して傍らに立った。
そこでサハー世界の王である梵天は師に告げていった。「尊いお方さま。修行僧コーカーリヤは死去しました。
修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意をいだいていたので、
死んでから紅蓮地獄に生まれました。」サハー世界の主・梵天はこのように言った。
このように言ってから、師に敬礼し、右まわりをして、その場で消え失せた。
(スッタニパータ 第3大いなる章 10、コーカーリヤ)
0505神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 13:21:40.12ID:1eZI1lIP
1.わたしは、このように聞いた。
あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。
 そのとき、〈神の子〉シヴァは、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、
尊師のおられるところにおもむいた。近づいてから、尊師に敬礼して、傍らに立った。
傍らに立った〈神の子〉シヴァは、尊師のもとで、次の詩をとなえた。−−−
((II.3.1)【シヴァ】 (第三章 種々なる異学) サンユッタ・ニカーヤ I)

1.或るとき尊師は、王舎城のうちの〈鷲の峯〉という山にとどまっておられた。
2.そのときサッカという名の神霊(ヤッカ)が尊師のところに近づいた。
  近づいてから、尊師 に向って詩を以て語りかけた。−−−
 「あらゆる束縛をのがれ、解脱して、心を落ち着けている修行者にとっては、
他人を教化するということは、善いことではない。」
3.〔尊師いわく、−−−〕
 「サッカよ。いかなる理由で、他人と共住するにしても、智慧ある人はそれをしてはならない。心を同情してはならない。
 〔しかし〕清らかな澄んだ喜びの心を以て、他人を教化することをしても、それによって束縛されることはない。
 それは同情であり、愛憐である。」
((X.1.2)【サッカ】 サンユッタ・ニカーヤII)
※サッカとは神々の王と呼ばれた帝釈天のことでありインドラ神ともいう。
0506神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 13:44:53.51ID:s8vSjZYj
503.
バカ丸出しである。なんでか。それが、わかれば悟り、だ。
0507基地蔵
垢版 |
2018/04/08(日) 14:12:58.94ID:f2WuB4SN
悟りとは脳内麻薬を思念のみで分泌して快楽を得る状態を指しているんだよ。

麻薬や金銭や財宝や性行為を
必要とせずに思念のみで快感を得られるから他人と争う必要も無い訳だ。

訳の分からぬ屁理屈や苦行を
重ねても思念による脳内麻薬の分泌は出来はしない。

南無南無 人(・ω・)
0508ポッタン師
垢版 |
2018/04/08(日) 14:16:11.55ID:s8vSjZYj
507.
脳の科学をやっているバカである。
0509基地蔵
垢版 |
2018/04/08(日) 14:20:33.97ID:f2WuB4SN
>>508
真理の探究無くして悟りも
また無し。

オカルトと悟りの区別も
つかない哀れな輩じゃな。

南無南無 人(・ω・)
0510ポッタン師
垢版 |
2018/04/08(日) 14:24:31.10ID:s8vSjZYj
509.
真理の探究、をしても、悟り、なし。
なんでか。
0511宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 14:47:13.38ID:V/a8tfXe
>>504-505
もう一度、>>257を読み直してください。
この経文が「神」ではなくて、「神々」についてのことだと読み解いた人がいるのか?
それから、梵天との会話というのはすべて私は後代の創作とみています
(同意されないならご勝手にどうぞ!!)。
0512DJgensei 学術artchive gemmar髭白紫の上 呉韻去
垢版 |
2018/04/08(日) 14:49:28.45ID:KcFulcqR
オカルト?ビトゲンシュタインは過保護だよね。過干渉なラッセル。
0513DJgensei 学術artchive gemmar髭白紫の上 呉韻去
垢版 |
2018/04/08(日) 14:50:05.98ID:KcFulcqR
脳の中かどうかわからないじゃん。怒ったことは。たぶん間違いなく違う。
0514宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 15:13:35.28ID:V/a8tfXe
>>511
補足:

この経文を読み解くならば、つまりこれで、
“神については普段は説くことがない”という意であることがハッキリとわかるのです。
あなたのいう神々(諸天や夜叉類)についてはゴータマは普段から説きまくりなのは常識です。
従って、この経文における「神」とは、それらの「神々」のことではないとしてわかるのです。
0515おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 15:19:24.09ID:Mp5Eiflv
 
梵天
オン ハラジャ ハタエイ ソワカ
ナウマク・サマンダ・ボダナン・ボラカンマネイ・ソワカ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E7%95%8C
第四禅定 − 無煩天
第三禅定 − 遍照天
第二禅定 − 光音天
第一禅定 − 大梵天

その当時のインドの人々の
世間的な一般的な『思い』を認めてその理解のうえで

『梵天の世界に逝く
  そのための第一禅定でつ』と導いて

そして
『最終的には
  第四禅定も手放し超えて
  非想非非想も手放し超えて → 涅槃へ』と導いていく
0516宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 15:20:58.08ID:V/a8tfXe
>>507
エッ!!
仏教の悟りが脳内麻薬の快楽だって???
ならば完成者の死について。
脳も無くなる肉体崩壊後の悟りはどうなる?(苦笑)
0517宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 15:27:31.75ID:V/a8tfXe
>>515
「梵天界」を低位にしたり、
梵天ちゃんと楽しく遊ぼう感覚で対話する内容などというものはすべて、
バラモン・ヒンドゥーを馬鹿にしたい後代の仏教徒らによる創作付加。

今日、仏教として知られている事柄のかなり部分が
後代において勝手に作られたものです...。
元々(ゴータマの教え)は違う。
0518ポッタン師
垢版 |
2018/04/08(日) 15:27:37.28ID:s8vSjZYj
515.
バカの言う、ことである。
それは心理学である。
それが、涅槃へ、となるか。
否である。バカには理解できない。
迷信を伝承しているだけのことである。
0519宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 15:41:11.64ID:V/a8tfXe
>>518
>バカの言う、ことである。
>バカには理解できない。

鏡はどうした?
0520おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 15:42:37.81ID:Mp5Eiflv
 
仮設としての
縁起している
無明に依存して
渇愛(タンハー)に依存して
「人々は神が居ることを徒に信じている。確めることなく信じられているからである」

 − これに対して −

シッダールタは
菩提樹の下に坐して
戒・定・慧・解脱・解脱智見をもって
(縁起している世界を超えて)悟りに達して仏陀となった

涅槃(ニルヴァーナ)
仏そのもの
(無明している世界を超えて)神そのもの
0521ポッタン師
垢版 |
2018/04/08(日) 15:55:16.08ID:s8vSjZYj
520.
バカ丸出しである。迷信である。
なんでか。答えを書いても理解されない。
0522おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 16:10:54.34ID:Mp5Eiflv
 
無為法の世界と有為法の世界
この二つの世界を前提として

中論 觀如來品 第二十二
如来は
戯論している世界を超えている
無為法の世界

涅槃(ニルヴァーナ)
仏そのもの
(無明している世界を超えて)神そのもの

 − これに対して −

仮設としての
縁起している
無明に依存して
渇愛(タンハー)に依存して

人は戯論を生じる
戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆
仏を見ることはない

(戯論して慧眼を破れば)神を観照することはできない
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない

その当時、戯論してる人々に
対機説法をもって導いている >>515 という意味でつ
0523おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 16:29:30.95ID:Mp5Eiflv
 
仮設としての
縁起している世界の中において
無明に依存して

『神がいる!』と
掴もうとした
その瞬間に

『戯論して慧眼を破っている』ということでつ

 − これに対して −

戒・定・慧・解脱・解脱智見をもって
(無明が依存している)縁起している世界を超えて

涅槃(ニルヴァーナ)
仏そのもの
神そのもの
  _  _  _

ポッタン師匠には
(無明とかの)意味が、わからないかもしれないけど…
0524基地蔵
垢版 |
2018/04/08(日) 16:35:15.19ID:f2WuB4SN
>>516

汝、妄想する事なかれ!

南無南無 人(・ω・)
0525ポッタン師
垢版 |
2018/04/08(日) 16:35:17.73ID:s8vSjZYj
523.
悟っていない、バカ、がバカ解説をしているだけのことである。
世界を超えていない、バカ、の解説である。
0526おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 16:47:32.43ID:Mp5Eiflv
 
>世界を超えていない、バカ、の解説である

そのとおり!

中観自立派
仮設としての
縁起している
因縁果報がある
(おじゃる系?)

おじゃるは
『自分が悟った!』
『仏そのものだ!』と書き込んだ記憶がない
  _  _  _

『仏そのもの』
『無明は無い』と書き込みしてるのは
(我癡・我見・我慢・我愛で満ちている)なんちゃって覚者系の方々
0527ポッタン師
垢版 |
2018/04/08(日) 16:58:05.35ID:s8vSjZYj
526.
バカである、ことを認めている、バカである。
0528宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/08(日) 17:17:05.33ID:V/a8tfXe
>>517
追記:

究極の至高存在「ブラフマン(梵)」を
諸天の一つ(その中でも更に低位)に過ぎない単なる「梵天」などしたのは、
“バラモン・ヒンドゥーを仏教の下位へと位置付けたい”とする後代の弟子たちによる策略。
ブラフマンを梵天として下位にしてしまえば、その他のすべてが仏教の下位にできるから。
0529おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 18:00:46.97ID:Mp5Eiflv
 
上座部 パオ森林僧院とかの場合は
30分〜1時間
この間に、他のことや妄想、思考が入らないように
集中する(気づく)ことを継続する
という時間の決まりがあるけど

たとえば
ヒンドゥー系の場合
30分とかいう決まりがないのなら
毎日
第6のチャクラ 眉間のところが
くすぐったい・むずむずする
(この時、妄想も同時に現れている)
これなら今すぐ簡単に実践できる
そして実践している

 − これに対して −

2年位前?から
『呼吸を観照する』の実践をしてるけど
『30分、この間に他のことや妄想、思考が入らないように』
今この瞬間も
いつも妄想しているので↑これが無理

>仏教の下位にできる

実際に実践できるのはヒンドゥー系で おじゃる
0530おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/08(日) 18:35:15.78ID:Mp5Eiflv
 
SAMMÂ SATI サンマー・サティ 正念 mindfulness

ttps://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス
何か雑念が出てきたことに気づいても
(雑念を手放して)
その辺りに漂わせておく

(30分という時間の制約がないのなら)これも実践している

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
(フェルト・センスを手放して、その辺りに漂わせておくようにして)
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ

(30分という時間の制約がないのなら)これも実践している
  _  _  _

上座部の30分〜1時間という時間制約は
おじゃるには無理だということでつ

ヒンドゥー系に
30分とかいう時間制約がないのなら
おじゃるにも実践できる場合もある
(実際に実践している)ということでつ
0531神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 19:56:35.97ID:1eZI1lIP
中部経典 梵天招待経

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ウッカッタの町の、
スバガ林にある、サーラ樹に止まられていた。
そのとき、梵天のバカに、邪なる見解が生じた。

“この世界は、常住であり、無常ではない。
生じず、老いず、死なず、滅せず、変らない。
不壊にして不滅であり、唯一にして絶対である”

この様子を、神通により見とめた、仏陀は、
あたかも、力の強い者が、腕を曲げるように、
梵天界に現れて、大梵天に対して、こう言った。

「この世界は、無常であり、常住ではない。
大梵天よ、邪なる見解を、抱いてはならない。
バカよ、悪しき無明の闇に、陥ってはならない。」

そのとき、第六天である、悪魔パーピマンは、
独りの梵衆天に取り付いて、このように言った。

「比丘よ、大梵天に、逆らってはならない。
大梵天に従うなら、善趣に生まれ変るだろう。
創造主に逆らうなら、悪趣に生まれ変るだろう。」

すると、仏陀は、パーピマンに向かって言った。

「私が見抜けないとでも、思っているのか。
悪魔よ、私は、汝のことを、良く知っている。
第六天よ、汝は、私のことを、何も見とめない。」


パーピマンの梵衆天へのそそのかしでも分かる通り、
仏教でも梵天特に大梵天は創造主であるのは変わりませんよ。
ただ仏陀に説教される悟りきれてない存在ではありますが。
0532神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 20:57:08.88ID:GX4TE+9F
>>501
> ゴータマが「アートマンはない」と説いたなどというのは部派による誤解が継承されたものです。残念ながら正しく、ゴータマ本
>来の無我の教えを継承してきた仏教教団というのは、どうやら何処にも現存していないということ。
> ある意味では、大乗の説く「仏性」こそがそのことに近く、如来蔵思想〜密教というのはヒンドゥーに寛容的な面からそのことを
>積極的に導入できたともいえる。

人は生まれながらに仏性を持っているのか
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2017/02/03/050000

仏性というのは確かにヒンドゥー教の教えであるが仏教の教えでは
「誰にでも仏性という魂のようなものがある」という考えは邪見だと否定されているようです
仏性を「悟れる可能性」とするならOKなようです
0533神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 21:04:45.36ID:CVDmCDAx
なぜ、時代によって(→各時代に記された典籍の記述毎に)、
神々の階梯や種類、レベル・スキル、等に
変容、ブレ、種類、ヴァージョンがあるのでしょう?
それは、「お悟り」の【表現・形容】【段階、次元】或は【お釈迦さんを超えない範囲での虚飾】
も同様。
残存現存する文言の正統性が担保できない以上、(→宝珠が依っている文章すら改変後の可能性が高いのに!)
いったい、誰が、釈尊の教えを伝承し得るのでしょう?
0534神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/08(日) 23:59:35.19ID:1eZI1lIP
(神霊がいった)、「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。
もしも汝がわたしに解答できないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」

(師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、
わが心を乱し、わが心臓を裂き、わか両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけ得るような人を、
実にわたしは見出さない。友よ。
汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。
(スッタニパータ 第一蛇の章 10、アーラブァカという神霊)

神々を含むあらゆる生けるものの中でも私こそが最も完成者であるというブッダの自負がここにはあります。
これ以外の神をブッダは想定していたのでしょうか?
ブラフマンは梵天として挙げていますし。
まあブッダ存命時に梵天がバラモン教で創造主とされていたのかは知りませんが。
あ、ビシュヌ神は出てきてはいませんね。
0535おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/09(月) 00:17:02.12ID:DaDXSq7K
 
「お悟り」の【表現・形容】【段階、次元】
も【お釈迦さんを超えない範囲での虚飾】

それゆえに
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を、手放し、うち破って

仮設としての
縁起している
すべて一切の諸法も、手放して
『(夢・幻・虚構であり)空性である』と観照せよ

そして
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
大乗のみならず
近代の文献学上は
原始経典さえも
(編纂されたかもしれないので)
釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない

スッタニパータ 21
師は答えた
激流を克服して
(夢・幻・虚構・虚飾も、すべて手放して)
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
(悟りに至るための『菩提分法』という虚構・虚飾?も
  すべて手放しているのなら)
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
0536おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/09(月) 00:48:09.06ID:DaDXSq7K
 
>ブッダ存命時に梵天がバラモン教で創造主とされていたのかは知りませんが

ttps://www.iwanami.co.jp/book/b270278.html
ワイド版
岩波文庫
ブッダのことば

ttp://suttanipata.com/ae-2/
註 874
『のちの教義を適用した趣がある』かもしれない。ということでつね?

ttp://www.bukkyouoshie.com/tenkai/sikikaibonten.html
「禅定」「ジャーナ」「サマーディ」
禅定が出来ていないと入ることのできない神々の世界

第一禅定 − 大梵天

↑対機説法としての導き。ということで良いんジャマイカ?
0538神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/09(月) 23:54:40.70ID:6h84Mbuf
「梵天は釈尊以前からバラモンばかりでなく、民衆によって信じられてきた宇宙の創造神であり、宇宙の本源としての絶対神である。
バラモン教の中心的信仰対象の神である。
その梵天が説法を勧請したという設定は、すでにバラモンの宗教では人々を救えないことを梵天が知って、バラモンを捨て、釈尊に世界救済を依頼したということを意味している。
つまり、新しい救世主の到来を梵天が期待していたばかりか、民衆もブッダの来臨を願っていたというように仏伝は記述している。」
(田上太秀「仏陀のいいたかたこと」)
http://hannyashingyo.web.fc2.com/arekore/bontennkanjyo.html
0539神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/10(火) 00:20:59.11ID:/RaXU+dM
パーティカ経(パーリ仏典経蔵長部の第24経)

第二章

仏陀が、マッラ国のアヌピヤーに止まると、
リッチャヴィ族の、スナカッタが遣って来た。
彼は、仏陀の傍らに坐ると、このように言った。

「これから、還俗しようと、考えています。
もはや、ここに、止まるつもりはありません。
何もしてくれなかった、あなたに非があります。」

「スナカッタよ、私の何が悪いと言うのか。」
「あなたは、起源を説いてくれませんでした。
それゆえ、私は還俗を考えざる得ませんでした。」

「起源を説こうとも、起源を説くまいとも、
苦悩を滅尽できることに、変わりは無い筈だ。」
「そうです、しかし、説いてくれませんでした。」

「スナカッタよ、梵天による創造説がある。
長い期間の後、欲界と梵天界が破壊されると、
生きとし生ける者は、極光浄天に生まれ変わる。」

「彼らは形だけを持つ、色界の神々であり、
歓喜を食べ物として、長い間、そこに止まる。
しかし、その中で独り、徳が尽きる神が現れる。」

「徳が尽きた神は、光音天から落ちて行き、
誰も生まれていない、梵天界に生まれ変わる。
彼は、他の者が生まれて来ないか、願い続ける。」

「そして、次に、梵天に落ちる神が現れる。
最初の梵天よりも、光音天に長く居たために、
彼の徳は、最初の梵天より、少なくなっている。」

「こうして、二番目に生まれた梵天を見て、
最初の梵天は、私は彼の創造をしたと考える。
二番目の梵天は、私は彼に創造されたと考える。」

「こうして、大梵天と梵衆天の差が生じる。
光音天に於いて、身分の違いが無かったのに、
梵天界に於いては、身分の違いが生まれるのだ。」

「私は、世界の起源について、知っている。
知っているばかりか、それ以上を知っている。
それでいて、なお、それに言及することはない。」
0540神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/10(火) 00:23:28.69ID:/RaXU+dM
第三章

「スナカッタよ、天人による創造説がある。
彼らは、天人界に於いて、享楽に耽っている。
楽に囚われるため、徐々に、徳が尽きてしまう。」

「徳が尽きた者は、天人界から落ちて行き、
天より苦しみが多い、人間界に生まれ変わる。
彼らは、苦しみを覚え、出家して天を思い出す。」

「天を思い出して、このように彼は考える。
楽に囚われた天人は、いつかしら地に落ちて、
楽に囚われない天人は、いつまでも天に止まる。」

「スナカッタよ、修羅による創造説がある。
彼らは、修羅界に於いて、闘争に耽っている。
苦に囚われるため、徐々に、徳が尽きてしまう。」

「徳が尽きた者は、修羅界から落ちて行き、
天より苦しみが多い、人間界に生まれ変わる。
彼らは、苦しみを覚え、出家して天を思い出す。」

「天を思い出して、このように彼は考える。
苦に囚われた修羅は、いつかしら地に落ちて、
苦に囚われない修羅は、いつまでも天に止まる。」

「スナカッタよ、無想有情の創造説がある。
彼らは、無想定を修めて、無想に陥っている。
無に囚われるため、徐々に、徳が尽きてしまう。」

「徳が尽きた者は、無想天から落ちて行き、
天より苦しみが多い、人間界に生まれ変わる。
彼らは、苦しみを覚え、出家して無を思い出す。」

「無を思い出して、このように彼は考える。
この世は、何も無い世界、無から生じている。
この世界は、必然に生じず、偶然に生じている。」

「こうして、わたしは、起源を説いている。
スナカッタよ、それでも、私に非が有るのか。
汝の還俗は、汝の非に拠るものと、知りなさい。」

「いいえ、あなたは、解脱に到達した者は、
すべてを不浄と見ると、説いた事があります。
すべてが清浄に見えると、説くのが正しいです。」

「一元に至った者は、清浄にも、不浄にも、
どちらにも見える、それが解脱の境地である。
その解脱に至るには、不浄と捉えるのが正しい。」

このように、仏陀は、様々に説き明かしたが、
スナカッタは、戒律を捨ててしまったのである。
0541基地蔵
垢版 |
2018/04/10(火) 07:16:16.31ID:wFNNy1Ec
良くも悪くもスナカッタは
自らの足で歩もうとしている。
引き止めるのは釈迦の未練
だわな。
0543基地蔵
垢版 |
2018/04/10(火) 12:49:33.51ID:ZbA7OhaF
>>542
例え地獄に落ちようとも自ら信じた道を歩むスナカッタに
悔いは有るまい。

南無南無 人(・ω・)
0544宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/10(火) 15:03:17.07ID:sEjv4o3b
>500
>頭頂のチャクラであるサハスラーラ(ブラフマランドラ)の開花に成功すると、頭頂が盛り上がる肉体的変化が起
>こるものとされる。実に仏像の肉髻(にっけい)はそのことを象徴している。

補足:

七チャクラはいずれも皿状であるが、最高度に発達したサハスラーラ・チャクラは
頭部全体に達するほど肥大化して皿状の中央部が隆起してくるというので、
このサハスラーラ・チャクラの形状変化を霊視したものが仏像の肉髻となったのかもしれない。
尚、現実として肉体外見上の頭部の隆起が起こるかどうかについては不明。


※ 「梵天」については、また後ほど
0545神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/10(火) 19:44:23.07ID:9fWBl2z3
第四章 八つの詩句の章
二、洞窟についての八つの詩句
http://hakaagari.seesaa.net/article/439683896.html

この773〜775を読めば
浄土門、他力本願、本願ぼこり
は釈迦の教えからは逸脱していることがわかる
0546おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/10(火) 21:06:22.27ID:pnw4oZi1
 
(matome naver のリンク貼り憑けできない)
浄土宗、浄土真宗どう違う?

信心ですら阿弥陀仏より授かったものであり
自力で往生などしようとしないで
一切の物事を阿弥陀仏にお任せする「絶対他力」を説いた

↑このような大乗1.0のような世界観なのかしらん?

>>545 のリンク先を読んだけど

上座部 2.0の苦集滅道という世界観という感じがするけど?

スッタニパータ 779
(上座部 2.0の場合は悟りに至るための菩提分法をもって)
想いを知り尽くして、激流を渡れ
聖者は、所有したいという執着に汚されることなく
(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、この世もかの世をも望まない
0547おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/10(火) 21:27:34.25ID:pnw4oZi1
 
仮設としての
縁起している
無明薫習に依存して

『客体もあり・主体もある』という
我を前提としているので

772
身体のうちにとどまり、執着し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人
このような人は、実に<遠ざかり離れること>(厭離)から遠く隔たっている
世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではない
773
欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい
かれらは未来をも過去をも顧慮しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪る
774
かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で
不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する
「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と

 − これを対処するために −

それゆえに
自力で往生などしようとしないで
一切の物事を阿弥陀仏にお任せする「絶対他力」を説いた

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

↑こんな感じ?
0548おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/10(火) 21:45:50.91ID:pnw4oZi1
 
仮設としての
縁起している
すべて一切の諸法
この宇宙を造りだしている
創造神
『ブラフマー』も
『仏そのもの』も同じだと思うけど

それでも
(大乗1.0も含めて)上座部 2.0の場合は
『釈迦は、ヒンドゥーの神すらも超えている』と
対機説法をもって導いている

ということで良いんジャマイカ?
0549神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/11(水) 09:32:23.47ID:1O9bfR5s
聖道門…ラージャヨガ
浄土門…バクティヨガ
0550神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/11(水) 12:11:23.01ID:1O9bfR5s
>>548
宇宙を造りだしている仏は大日如来
宇宙そのものが大日如来であり目に見えるものでも見えないものでも全ては大日如来の化身である

ブラフマーは仏教の守護神で四つの顔と四つの腕を持ち4羽の鵞鳥の上に座っている
ブラフマーも勿論大日如来の化身であり神としてだけではなく如来蔵を持つので仏でもある
0551神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/11(水) 18:48:19.56ID:H3z7M5TJ
相川圭子さんのヒマラヤ密教とクリヤヨガって教義は同じ?
0552神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/11(水) 18:50:03.27ID:H3z7M5TJ
>>551
訂正

相川圭子さんのヒマラヤ密教とババジのクリヤヨガって教義はほぼ同じ?
0553神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/13(金) 00:43:57.80ID:8LbObhu+
スッタニパータ 第四 悪意についての八つの詩句
http://suttanipata.com/aeaeaaaaaaaaeay/

782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、
自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」である、と心理に達した人は語る。

783 修行僧が平安となり、心が安静に帰して、戒律に関して「わたくしはこのようにしている」といって誇ることがないならば、
世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであるから、かれは〈高貴な人〉である、と心理に達した人々は語る。


この部分は聖書マタイ伝
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html
また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。
彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。
よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:17あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
6:18それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。
すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。


と言ってる趣旨はよく似ている
釈迦とイエスはどちらも救世主弥勒の再来と言われているがあながち嘘でもないのかもしれないw
0554宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/13(金) 13:52:09.57ID:a/FNB8r7
>>546
>浄土宗、浄土真宗どう違う?
>
>信心ですら阿弥陀仏より授かったものであり
>自力で往生などしようとしないで
>一切の物事を阿弥陀仏にお任せする「絶対他力」を説いた

両者の決定的違いは、
浄土宗は念仏(「南無阿弥陀仏」を唱える)によって死後に浄土に行けるとしたが、
浄土真宗は念仏を唱えることも不要であり、ただ阿弥陀仏を信じさえすればそれで救われるとしたこと。
真宗では、念仏は阿弥陀仏への感謝として唱えるものだという。
そして、もう一つ顕著な違いは浄土宗は他の諸菩薩天部も祀り、そしてまた寛容性があるけれども、
真宗は阿弥陀一本への絶対帰依なのであり、基本的には他の諸仏を祀ったり参拝しない。
当然、他の宗派や諸宗教に対する寛容性もまったくない。

更に、真宗の特徴を上げると、
自分たちはブッダが説いておらず、そして、認める筈もない自己修行を放棄した絶対他力なる道を主張しておきながら、
他宗派に対しては、「本来の仏教ではそんなことは説いてない...」などといってかなり偉そうにして煩いところ。
香典の表書き一つ見ても自分らは他とは違うというプライドが非常に強くて、
他宗派では四十九日までは「御霊前」を使用するにも関わらず、真宗では死後はいきなり仏と成れる意味合いとして
(つまり、「霊」という期間がない)、これを使用することは失礼でタブーとなっている。
また、他宗教に対する非寛容性では、日本人としての宗教であるところの神棚すらもゴミ箱へ捨てていいなどともいう。
他宗派に対しては非寛容性どころか強い口撃性が顕著なのが特徴であって、
その昔は、一向一揆(百姓一揆)といって農民たちの鍬すら武器に変えさせた武装派過激集団であり、
そのあまりに膨れ上がる信徒の数と勢力を警戒した家康によって、「東」「西」の二つの本願寺派に分断されました。
今でもこの二つを合わせて日本の伝統仏教としては最大勢力です。

また、最近においては、自分らが無知なくせに「清め塩は神道のものであって仏教とは無関係。
これは死者を冒涜する失礼な行為だ」などとかいっては葬儀での清め塩の伝統を廃棄しようとして熱心に運動している。
0555宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/13(金) 13:58:04.17ID:a/FNB8r7
>>551-552
広義的な視点としては
(インドの正統ヨーガの教えという意味ならば)同じだとは思いますが、
“ババジのクリヤヨガ”とどこまで同じなのかはわかりません。
あまり詳しくは知りませんけれど、私の個人的な印象としては彼女と成瀬氏は本物のような気がしています。
0556宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/13(金) 14:00:20.31ID:a/FNB8r7
>>550
特に異論を挟むというわけではないけれども、
これは私の単なる個人的な理解です。

それは、宇宙の何処かに大日如来なる仏がいるというようなものではなくて、
「大日如来」というのは至高者であるところのロゴス、
神(ブラフマン)という存在を仏教(密教)が仏として擬人化して象徴にしたものです。
そのアイディアは、恐らくイラン系(ゾロアスター教)からもってきたものでしょう。
「仏」というものはあくまでも人間でなければならない。
人間でありながらも、智恵において意識において最高の境地に到達した存在であって、それが仏です。
大日如来でもブラフマーでもそうなのですが、至高の存在を人格化した瞬間に、
それはただの架空の存在となってしまう。

※ 次回は、「神」と「梵天」について投稿します(少し長くなります)。
0557ポッタン師
垢版 |
2018/04/13(金) 16:18:06.44ID:IcVHoJUc
556.
架空の存在、か。
それは存在しない、と言うことである。
それは迷信である、ことになる。
0558宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/13(金) 16:29:33.54ID:a/FNB8r7
>>557
そう。
至高の存在である神は決して擬人化されない。
という意味において、
人格神(である至高の神)というものは存在しない。
至高の神とは人格神だというのならば、それは迷信に過ぎないから。

ただし、
天界(天部)の神々は人格神で足り得る。
彼らは、怒ったり喜んだりする。
彼らの機嫌を取ることが祭祀。

君のように、
唯物論として語る意味においての迷信じゃないから、
勘違いしないよに!!
0559ポッタン師
垢版 |
2018/04/13(金) 17:34:08.68ID:IcVHoJUc
558.
だからして、祭祀なるものは、迷信であることになる。
0560基地蔵
垢版 |
2018/04/13(金) 18:18:44.20ID:Fa9XE0fZ
脳内麻薬のコントロールこそ

が悟りの真実で有り真理であ

ると確信しているぞよ。

南無南無 人(・ω・)
0561神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/13(金) 21:30:30.00ID:7moATFPs
0264 神も仏も名無しさん 2016/07/31 09:43:13
スマナサーラってクリシュナムルティ気取ってるよね。

釈迦>クリシュナムルティ

みたいな、図式を洗脳しながら一時期スリランカで人気があった
クリシュナムルティの、やり方と説を、ご都合主義に取り入れている。

核にあるのは、スリランカ仏教を作った神智学的な選民主義思想であり
これは、オウムと系譜を同じくする。

ついでにスリランカ仏教もオウムも人を虫けらのように殺している。
クリシュナムルティも神智学出身で、生涯神智学の教学から決して
抜け出すことはなく自分を救世主の媒体だという趣旨の主張をした。
クリシュナムルティの教えは全てへの懐疑を主張しながら結局は
クリシュナムルティの教えのみが正しいという独善主義をもたらす。

スマナサーラに到っては自分の教えのみが正しいと露骨に主張する。

0265 神も仏も名無しさん 2016/07/31 19:37:13
>>264

スマナサーラは、クリシュナムルティを前世で悟っている可能性がある
と褒めてたぞ。思考がしっかりしていると。

検索してみればいい。
クリシュナムルティは、親友の奥方と何十年も不倫しながら、何食わぬ顔で親友と付き合いを続けた裏切り野郎だよ。

しかも、また別の女性とデキちまい、親友妻とのセクロス中になまえを間違えて叫ぶという馬鹿事件を起こしている。
毎回、イク時に大声で彼女の名前を叫ぶのが週間とのこと。
セクロスごときで、大興奮。バカじゃねえの。スマナサーラがこんな奴を悟ってるだとか、まじ書いた文章で悟りが分かるとでも信じてそうだ。あきメクラ野郎。
0562神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/13(金) 21:32:14.63ID:7moATFPs
0266 神も仏も名無しさん 2016/07/31 20:04:35
>>265
スマナサーラが、クリシュナムルティを高評価してるのは知ってるよ。
方法論がないって貶めることも奴は忘れていないし奴が方法論として
提示するのがポンコツの新瞑想法ヴィパッサナーだってのが笑うがな。

クリシュナムルティの不倫クズエピソードも有名だよね。

そもそもさ仏教やクリシュナムルティが主張するような悟りって
本当に存在するのかね?悟りを求めてる奴らろくな暮らししてないし
悟ったと言われる奴すら胡散臭いじゃん。

釈迦なんて実在するかどうかも怪しい始末だし、悟りを信じるのって
神の国や理想郷を信じるのと全然変わらないよ。

0267 神も仏も名無しさん 2016/07/31 20:54:58
お前らクリシュナムルティ言いたいだけやろ。
0563神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/14(土) 00:35:25.99ID:b1qiuXlS
>>504
> そのときサハー(老婆)世界の主・梵天は、夜半を過ぎた頃に、麗しい容色を示して、

スッタニパータの時点ではサハー世界(娑婆世界)の主は未だ梵天だったんだな

それが>>538の理由により大衆を救うのがすでに限界だったバラモン教から仏教に変わったことが直接的な原因かな?

それ以降は三千世界の中でも娑婆世界の主は釈迦如来となっており梵天はその役割を終えている
もちろん極楽浄土の主は阿弥陀如来だし瑠璃光浄土は薬師如来

ただ問題は真言宗だな
浄土宗では死者は極楽浄土に往生して娑婆世界よりも容易に悟りを開いて仏になれるとあり
浄土真宗では極楽浄土自体が涅槃であり往生すれば即仏になるとしている
しかし真言宗では死者が逝くのは仏国土ではなく弥勒菩薩が住する兜率天であり輪廻から解脱できないわけだがそれで良いのかな?
真言宗は天台宗や禅宗などのように阿僧祇劫転生しその都度菩薩として衆生を先に彼岸に渡し自らは此岸に留まり続けるという教えではなかったはず
しかも人間界ではなく弥勒菩薩の天界に転生する時点で菩薩行をする機会まで失わさせている
もっとも兜率天にも迷える衆生はいるのかもしれないが
仏国土(浄土)でもないしましてや涅槃でもないわけだから
0564宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 16:58:11.89ID:wg1RZZpw
珍しく、普段は殆ど日本仏教の話題が中心の宗教新聞『中外日報』において
神智学が仏教との関連で取り上げがあったので紹介しておきます。

 『神智学は主体的、実践的な関心をもって、より開かれた態度で東洋宗教に接したことは大きな違いである。
 これは仏教に限らない。神智学は、西洋社会における数少ない東洋宗教への入り口であった。東洋宗教は神智学を突破口と
して次第に受容されていき、それと同時に、西洋社会へ適応するために変容していった。禅、カバラ、ヨーガ、スーフィーな
どが世界的に広まるに至ったのは神智学が介在していなければ不可能であったろう。
 神智学と仏教の近代化も、ここ20年ほど研究されるようになっている。地域ごとに先行研究の例を挙げてみると、まずスリ
ランカについての研究がある。スリランカでの神智学の功績は特に大きく、神智学協会会長のオルコット、その弟子ダルマパー
ラ(1864〜1933)は、スリランカの仏教を復興させただけでなく、プロテスタンティズム的な倫理を織り込んで近代化させる
ことに成功した。』
(近代仏教史における神智学/舞鶴工業高等専門学校教授 吉永進一氏/中外日報)
 http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2018/0404.html
0565宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 17:08:12.41ID:wg1RZZpw
>>533
まっ、確かにそれはそうなのだろうけれど、
それを言ってしまえば“話はそれで終わり”となってしまう!

私は、私がこれまで主張してはきたゴータマの教えに関する理解については
“唯一、絶対に正しいもの”だとは主張しないけれども、それなりの自信は持っています。
基準や判断の仕方についての説明は難しいものがある...。
一ついえることは、最近は来なくなった在家さんの主張していたように、
対機説法であるゴータマが今はどんな人に向けて説いている最中であるか?
は、かなり重要な部分でしょう。

難産に苦しむ夫人の下に安産を祈願して真実語を唱えるようにとアングリマーラに指示したと思いきや、
沈んだ石は祈りによって浮き上がらせることはできないという縁起と業報の法を説いたことが、祈りの否定と受け取られたり、
また、神通獲得を目的にして近づいてきたスシーマに対しては、真実を明かすことなく神通はないと語る下りであるとか...。
ただこの部分だけを見て、ゴータマは「神通というものは無い」として否定した
などとしてしまうなどが一つの典型的な浅はかな誤読の事例であるように。
経文の文句というのはその前後と全体との関係をみて判断する必要があり、
もしも、そのどこかに矛盾が生じていればそればどこかに誤りがあるということ。
それは自分自身の理解(や解釈)の問題なのか? または経文そのものが創作付加なのか...と。

ブッダの教えというものは完璧なまでの整合性が最大特徴であると私は思っています。
たしかこのことは長老もそうのように述べていたと思いますが、
これはブッダにしか成し得ないものであって、ブッダの教えでないもの、つまり大乗諸教でも外教異教でもそうですが、
それらブッダの教説でないものの中には必ずその何処かに、或いは随所において矛盾や間違いが散見されることになる。

>いったい、誰が、釈尊の教えを伝承し得るのでしょう?

今更の感ですが...
それでも、これだけの内容を以て二千五百年間も伝承されてきたことが素直に凄いことだと感心します。
0566宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 17:09:44.30ID:wg1RZZpw
>>532
>『「誰にでも仏性がある」というのはインドのヒンドゥー教の考え方です。
>大乗仏教はインド仏教の影響を受けていますから、歴史的な理由があって、生存競争の過程で仕方がないことです。』
(人は生まれながらに仏性を持っているのか9
 http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2017/02/03/050000

>>330 >>366
「仏性」は大乗のみならず、原始経典においても“心性本浄説”として説かれています。
これは本来のゴータマの教えが僅かに残された貴重な箇所だと見ています。

>仏性を「悟れる可能性」とするならOKなようです

もちろん、その可能性のことです。
それは、人が如何にして目覚めるか?ということなのですが、
けれどもそれは、ゴータマは「アートマンは無い」などとは述べたことはないということと(>>251 >>258 >>260)。
そして、魂に相当する輪廻主体としての「識」については明確に説かれており(>>250)、
“本来の穢れの無い心”としての「心性清浄」の教えを説いたということです。
0567宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 17:12:44.17ID:wg1RZZpw
>>538
と、いうことにしたのが仏典(制作者の意図)だということです。
そういう意味においてこの田上氏の解説は正しい。

尚、誤解しないようにいっておきますが、
私はもちろん、ゴータマの悟りと成道の素晴らしさを否定しているわけではないし、
“この世にブッダが出現する(した) ”という人々によって永く待望されてきた稀有な出来事について、
そのことが神々によっても讃えられるであろうことを何も否定しません。
しかし、それが“唯一者であるところの創造神”が現れて説法を嘆願したなどというから、
あぁ..こりゃ〜創作だな!といってるわけです。
しかも、バラモン教の最高神を仏教の下位に位置付けようという意図が見え見え。
これについては、“後代の創作物”であるとして(私の知る範囲では)いずれの学者たちもそのまま素直に認めている箇所です。
理由も当然、この私とまったく同一です。まともな学者であれば当然でしょう。

>http://hannyashingyo.web.fc2.com/arekore/bontennkanjyo.html
(梵天勧請:なぜ、勧請したのは梵天なのか)

で、紹介されている梵天勧請の経文の掲載が増谷氏の翻訳著書からでしたが、
>『増谷文雄「阿含経典」第4巻 梵天相応 2勧請 (161ページ)』
増谷氏の理解は簡潔明瞭なものであって、仏典に登場する「悪魔」というのはすべて“自分(ゴータマ)の悪い心”であり、
そして、「梵天」については“自分の良い心(良い判断) ”の宗教的な文学表現だというものです。
私もこれについて大きく同意しています。
0568宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 17:37:02.78ID:wg1RZZpw
以下〜長く続きますが、「ブラフマン」や「梵天」関連です

>>531
>パーピマンの梵衆天へのそそのかしでも分かる通り、
>仏教でも梵天特に大梵天は創造主であるのは変わりませんよ。
>ただ仏陀に説教される悟りきれてない存在ではありますが。

ハッキリいっておくと、
仏典における“ブッダと梵天との会話”などというもののすべては、
後代の弟子たちによって都合よく制作された創作物のフィクションですから。
これらの経文類と『ジャータカ』経の二つが仏典中の二大創作経典。

 何故、長老のような見解、つまり、“仏教では神(至高の創造主)を認めない”などといわれているのかというのと、それは仏教
の教義の絶対的中心が「縁起」にあるからです。すべてはこの縁起の思想と照らし合わせてそれらが正しいか否かを摂取して判断
しているのです。縁起の観点からみれば、無始の初めから永遠に存在する絶対者などというものは在り得ないと見なすから、仏教
では至高の創造主としての神)などはいないと見るのです。
 しかし、果たしてこの判断は本当に正しいものといえるのかどうか....。ただ単純にこのように教え込まれてきた素直な仏教者
たちは、自分らは間違えてる筈はないと思い込んでいるので疑うことすらもしない。ところが実際、仏教においては縁起には該当
しないものが存在しているという事実がある。
0569宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 17:39:10.93ID:wg1RZZpw
 それがニルヴァーナ(涅槃)という「無為」の境地なのです。ニルヴァーナは縁起に拠らない不生不滅の恒常存在(“没することな
く、生起もなく、所縁のないもの。生まれもせず、生成もしないもの、作られもせず、形成されもしないもの”『ウダーナ』第八章)
なのです。そして、一般的には無為(反対に「有為」とは縁起の作用する現象界の性質)として説かれたものはこの涅槃だけと見な
されていますが、『サンガーラヴァ経』に説かれる神、つまり、至高者にして創造主であるところの唯一神、無始の初めより存在し
て永遠に在り続ける神が縁起に拠らないことは自明の理です。尚、ゴータマの性分というものは、必要のない事柄については普段
は説かれることがない。何故ならば、ゴータマの教える教法の中では神の実在を態々、改めて謳う必要性など特にないからです。
つまり、この経文が説く普段は説かれることのない「神」があなたが列挙したがるような仏典中においては出現しまくりで、ゴー
タマと対話しまくりの神々(夜叉やヤッカ、天界の天部ら)などのことではないことは明白です。

『「本当に、神は、この世に存在しているのですか。」
「私は、神が居ることを、自ら確めている。故に、居るのかと問われたら、居ると答える。
しかし、問われないならば、答えることはない。」
「ゴータマよ、その訳は、如何してですか。」
「人々は、神が居ることを、徒に信じている。確めることなく、信じられている、からである。」』
(パーリ中部.第100経/サンガーラヴァ経.第4章)
0570おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/14(土) 17:51:04.27ID:TyNKgant
 
  呪い・祟り
 心霊トンネル
そして、耳なし芳一
ttp://liginc.co.jp/omoshiro/went/163026
0571宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:25:03.84ID:wg1RZZpw
そして、「無為」として説かれることのなかった、もう一つの無為的存在がアートマンなのです。確かに、ゴータマはアートマン
については無記(無いとも在るとも示さず)の態度を採った。けれども、その理由についてもゴータマはハッキリと述べています。
もしもアートマンが「在る」と説けば間違ったバラモンたちとわたしゴータマの教えは同一だと受け取られてしまうし、そして、
諸法無我(この現象界にはアートマンと認識できるものはない)の理解にも寄与しない。また「無い」として説けば、唯物主義者
たちの断滅論(死後に存続する意識は皆無)として誤解されてしまうし、アートマンを信じていた者は「以前はアートマンは在った
のに、今は無くなったのか?」などとして混乱を起こすだろう、ということをいっています(『SN.44.10』)。

 それから現、仏教教団によってよく目の敵のように槍玉に上げられるのが「説一切有部」(の教義)です。これもただ言われるま
まに素直に受け取るだけの者ならぱ分からないでしょうが、「歴史は勝者が創る」などといわれています。例えば、現存している仏
教教団が勝者であり、自分たちの立場の都合のいいように話すということはないのだろうか? つまり、彼ら有部の主要教義である
「三世実有・法体恒有」(『森羅万象(サンスカーラ、梵: saṃskāra)を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体
を想定し、これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続ける』wiki)にもそれなりの正統性はある
のではないか、ということ。ただ有部はこれらを「実在」として示したことで反発を食らった。けれども、仏教で説かれる有為法
と無為法のすべて、そして、仏教では扱うことがなかった縁起の法や業報の法則はいつから存在して、どのようにして生じたのか?
という問題について問うこと...。これらは実に、“この世に如来が出現するしない如何に関わらず”無始の初めから規定されてい
た恒常的な宇宙の法則であって、これらは永遠にして絶対的なものです。
0572宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:26:22.91ID:wg1RZZpw
 話を、また「神」の方へと戻しますが、ブッダ(如来)が神を超えるということは在り得ないのであって、何故ならば、仏教の説
く永遠の法(ダンマ/ダールマ)、縁起や業報の法則を規制して、それをこの大宇宙において生じさせている根源的力そのものが神な
のだから。よって、神の力なくしては人間が仏陀に成るということすらも決してできないし、神の吐息一つで以て如来ですらも瞬
時に掻き消えてしまう...。それが神というものの持つ力です。
 ブッダが超えている神というのは天部(天界の住む神々)のことです。彼ら天部の神々は人間を遥かに超えた凄い存在ですが、決
して輪廻を脱したわけではない。だから、その徳が使い果たされれば再び下位の界へと下降してしまう(五道・六道輪廻/人間だっ
た者は再び下位の人間に戻ってしまう)。しかし、解脱した完成者であるブッダは輪廻を脱しているので、二度と下位の世界には堕
ちることがない。だからブッダは人間でありながら神(神々)を超えているといわれるのです。
0573宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:27:25.75ID:wg1RZZpw
 そして「梵天」、これは作られた空想の存在です。至高の絶対的な根本原理としての神(意識)「ブラフマン(梵)」が擬人化されて、
人格神となったものが「ブラフマー(梵天)」です(従って、私は「ブラフマン:梵天」などとはしない)。以前に述べたように、神
(究極の至高存在)は人格神などでは在り得ないのです。人格神というものは、一般人が自分たちの頭で理解できるようにと自分た
ちの父親や母親のようなものを想定して、それらと同じようにして怒ったり笑ったりするものとして描かれた空想の産物だという
こと。ちょうど欧米の聖書にあるような妬んだリ、怒って人間に対して神罰を下すといった神がそうであり、そんなものは存在し
ない。神はそういったものではない。それは作られたフィクションに過ぎない。
 神は人格神となった途端に架空の嘘となるのです。そして、仏教はこの梵天なる人格神を仏教の立場がバラモン教の上位となるこ
とを示す道具として大いに利用しました。梵天勧請の経でバラモンの神である梵天を登場させてブッダに嘆願することを示すことで、
完全に仏教の立場をバラモン教の上位に置くことにしたのです。そして更に、その後には古代バラモンの神々をすべて天部として取
り込んでいった(大乗がこれを推し進めた)。これらの神々は心を入れ換えて仏教に改宗した“仏法守護の存在”ということにした。
けれども、それは仏教が宗教間の勢力争いに中で最優位となれるよう企んで仏教徒が勝手に創作したものであって、古代の神々は
(実在するとしても)別に改宗もしないし屈服もされてなどはいない。仏教徒が信者獲得のために勝手にそういうことにしただたけ。
0574宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:31:08.63ID:wg1RZZpw
ここに、
「法」(ダールマ/ダンマ)そのものがブラフマン(法を規定した方)であり、
そしてまた、ゴータマこそがブラフマン(ブラフマンと合一した方/つまり、梵我一如の成就者)
と呼ばれる方であったことについての資料を提示します。

以上を以て、
人間が神(梵:ブラフマン)を超えることはないが、けれども融合することはできる。
という意味において、ゴータマがブラフマン(梵)を馬鹿にするなどということは決してあり得ないこと。
そしてまた、「梵天」(後のブラフマー:すでにバラモン教において主張された神ではあるが)
なる人格神などは実際には存在しないことの説明とします。
0575宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:32:07.41ID:wg1RZZpw
 『尚、〈知〉による悟りが解脱・涅槃・不死の獲得、苦の滅とされるとき、当然、無知が苦の因として大きく取り上げられることと
なる。この図式はウパニシャッドの中でもすでに現われるが、仏教でもまた無明(avijja,avidya)が苦の根元として渇愛(執着)と
ならべて挙げられ、最終的には十二支縁起の図式にみられるように、それ以上遡る原因をもたぬ、苦の究極的原因( 正確には苦集↓
苦の生起における考察可能な法の出発点) として定着する。この場合、それがajnanaといわれず、avidyaとされているのは、人間
の推理的経験知の範囲を超えた不可思議性( 例えば、「無始」、そのはじめが知られないとされるような) がそこに感得されるからで
あろうか。( 同様に、法の悟り方について、法は他から教えられるものではなく、「自内証のもの(paccattam.veditabbo)」といわれ
る時も、vid-が用いられている。自内証とは体験さるべきことの意を含む。)
 以上の仏教における〈知〉の基本構造において、「法」がウパニシャッドにおけるブラフマンの位置に代るものであることは容易に
観取されよう。ブッダは時にbrahmabhuta,dhammabhuta(ブラフマンと成れるもの、法となれるもの)、brahmakaya,dhammakaya(ブラ
フマンを身体とし、法を身体とするもの)等と表現される。これは悟ることを〔悟りの対象と〕 一体となると表現していることで、
いわば知即成の一つの変形である。ただし仏教、では、法は真理としてつねに不変である(「如来が世に出ても出なくても、法は常に
確立している」)という形でその絶対性が主張され、不死の世界( 涅槃) そのものではない。』
(高橋 直道著『インド・仏教の知』)
 http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1985_12_hikaku_03_takasaki.pdf
0576宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:33:15.68ID:wg1RZZpw
 『以上のようにブッダは(1)まったくウパニシャッドのアートマンの思想を否定し、新たな何らかの自己を説かれたのか、(2)ウパニシ
ャッドのアートマン思想は受け入れてもそれをうる方法に相違があったというのか。これら二点に解答を与えうると思われる例証を指摘
することができる。
 「私(ブッダ)は《梵となりたる(もの) 》であり、無比であり、魔軍をほろぼしすべての敵を屈服させ、おそれることなく喜ぶ。」(Sn.561)
 この例に類する詩句は、563にもあり、そこでも傍点《》の部分は同じである。これはバラモンのセーラとの対話の中で述べられたもの。
「梵となりたる<もの>」はbrahma bhu^taが原語であり、これは最高であり絶対なる存在であるブラフマンとなったものという意味である。
ブッダはこのように自称された。この部分の翻訳では学者によって異なるが、ブッダ、あるいは原始仏教の我説を考える場合には特に注意
すべき表現句であるといえる。この場合は、率直にブラフマンになったものと訳して良いと思う。かくして、ブッダは「ブラフマンとなっ
た人」である。
 また、バラモンのマーガが、どのような人が解脱し、現身をもって梵天界(Brahmaloka)に行けるか教えてくれるように、ブッダに懇願し、
さらに、
 「私(マーガ)はいま梵(brahma)に遭うことができた。あなたこそ本当に梵(brahma)と等しい方である。光明をもっている方である。どう
すれば梵天界に生まれるのか。」(Sn.508)
と尋ねた。これに対してブッダは親切に梵天界に生まれる方法を説かれる。
0577宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/14(土) 18:41:20.88ID:wg1RZZpw
 ここで注意すべきことは、マーガがブッダに対して、ブラフマンに遭えたとか、ブラフマンに等しい 方であるとか言っているのに、ブッ
ダは何の反応も示されずにその呼称・表現をそのまま受けておられることである。なぜなら、もしブッダがウパニシャッドのブラフマンを
否定されたのであれば自分自身をブラフマンと呼称されることを拒絶され、正しい呼称を教えられたに相違ないからである。考えるにブッ
ダはブラフマンの存在を認め、したがってアートマンの存在をも同時に認めておられたのではないか。前の例証のように、ブッダはブラフ
マンになった人であるから、他の人からブラフマンに等しい方、ブラフマン!と呼称されても当然だと思っておられたのではないか。かく
てブッダの自己とはまさにブラフマン即アートマンのアートマンであったと考えられる。ただこれらの二・三例でもって即断することは危
険であるが、『スッタニパータ』でこのような表現が伝えられていることは、初期の段階では、注目すべき点だといえる。
 右の考察によって前掲の仮説の(2)がブッダの立場であったのではないかという結論になる。
 ブッダはブラフマンになった人である。最高の存在者である。それはすなわちもとも一如であるアートマンとなった人をも意味する。ブッ
ダは哲学的にではなく、実践的論理的に追求しアートマンとなった人である。それは生きながらえてなった人である。事実現象界に生存して
おられる。ブッダは現象界にありながらそれを超えておられる。ブッダは現象界を超出した存在でありながら同時に自ら内在するアートマン
を見、それを帰依処としておられる。』
(田上太秀著『ブッダの自我と無我について』)
https://ci.nii.ac.jp/els/110007018898.pdf?id=ART0008940949&;type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1276049851&cp


以上.
0578神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/15(日) 01:24:16.13ID:UQthfOi+
>>568
長老のようなお坊さんばかりではなく仏教学者にも縁起を仏教の骨子として永遠不変なものは仏教ではないとする者がいる


松本(史郎)曰く
「縁起は哲学であり信条である。釈尊の悟りは、完全無欠な人間になったということではなく、縁起説で生きていこうと決意したということである。
釈尊の縁起説は自己否定にもとづっく宗教的時間を説くもの、である。

縁起説はニヒリズムの究極ともいえる。アートマンを否定し続けることをいう。
釈尊の教えそのものが自己肯定であり、涅槃や解脱を語らざるをえなかった。だれが自己否定のみを語る人物を指導者としてあおぐであろうか。

基体説は「華厳経」思想であり、大東亜共栄圏の『国体の本義』の思想であり、侵略戦争の思想である。

縁起説は「絶対他者」が必要である。超越的な「他者」がなければ、自己肯定する内在主義におちていく。
かくして仏教思想というものは、実に、楽天的で現実肯定的な、危機意識を欠いたいい加減なものとなった。
わずかに突出した思想家だけが、自己や同一性を否定して厳しい宗教性を獲得しえた」
「釈尊の縁起説、即ち、“仏教”というものは、たえず繰返し自己を否定しつづけることによって、おそらくは「神」を待ち望むような意義をもったものであったと思われる。
なぜならば、自己の否定は、「他者」の肯定を含意し暗示するというのが自然な見方だからである。
しかるに、もしそうであるとすれば、われわれもまた、たえざる自己否定を通じて、存在する筈もない「神」の出現を待ちつづける以外にないであろう。」
https://takanetosyo.jimdo.com/2011/11/05/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%9C%97%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E6%89%B9%E5%88%A4%E7%9A%84%E8%80%83%E5%AF%9F/

松本は涅槃や仏性や如来蔵や真理など常住のものは仏教が否定する「基体」であるのでこれらは仏教ではないとする
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/12c2a22ae6567df92065b7237c13b89c
0579ポッタン師
垢版 |
2018/04/15(日) 02:00:39.19ID:sucxfIoG
578.
縁起、か。
それは科学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
なんでか。
0580神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/15(日) 13:21:25.17ID:z35bo/i0
>>576
マーガがブッダを擬えているのは天部の神様としての人格神梵天(ブラフマー)であってブラフマンではないよ
それにブッダは論争が嫌いなんだよ
本当にブッダ本人の考えをマーガに伝えるのなら梵天の世界ではなくニルヴァーナを目指せと教えていたはずだよ
0581宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/15(日) 18:24:02.61ID:T3v+TT5Y
>>580
>人格神梵天(ブラフマー)であってブラフマンではないよ

とても良い指摘です。
まったくその通りで、人格神ブラフマーと呼ばれてもいい存在なのが実はゴータマ・ブッダなのです。
私はそのことを分かっていて話を述べています。

>梵天の世界ではなくニルヴァーナを目指せと教えていたはずだよ

別にゴータマは、「ニルヴァーナを目指すな」などとはいってない。
それはただ単に、梵天界に生まれるための教えを本人の質問に合わせて親切に説いたまでということでしょう。
それに、これは本人の進化レベルにもよりますが、まず殆どの者にとっては
今生だけの修行でいきなりニルヴァーナに達することができないという実際的な現実がある。
それが四向四果の教えでしょう。なので人によっては、
「まずは梵天界入りを目指す!」という言い方があっても不思議ではないのではないでしょうか。
日本仏教でも、“まずは極楽浄土を目指す”という言い方をする宗派があるのとこれは似てる。

>それにブッダは論争が嫌いなんだよ

それから、たとえ論争が嫌いではあっては違うものは違うとハッキリと明言してきたのがゴータマです。
応える気がまったくない場合には沈黙してしまうか、その人を相手しない。
0582基地蔵
垢版 |
2018/04/15(日) 23:48:45.12ID:xrPQnQak
釈迦を持ち上げ神の様に崇めている人達が居るが冷静になって釈迦の行いを見てみるが良い。
赤ん坊の息子ラフラーを足蹴にして家族を捨て流離いの旅に出た癖に晩年になって捨てた子供を教団の幹部に据えている。オウムの麻原と同じではないか?
所詮は人間なんてそのレベルを超える事は出来ないもんさ。
0583神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/16(月) 10:22:49.69ID:jxEGsz5Q
先日、東京に新しい大仏ができることを「ひるおび」で見たが、釈迦はもう一説にはブッダではなくなってる。
邪神にとられたものを正常にもどそうとしている者の邪魔ををしてダメになるようにしてくる。
もしそのものが本当にまずいほうへいってしまうならそうならないよう薬師如来にお願いしてると告げてもだ。
結局個人的ないやしいライバル意識(嫉妬)でじゃましている。釈迦からもってこれるのは阿含教の7科37道品
と三福道だけだ。(しかも、それも改良加えないと部分的にいる部分がいるときダメにされてしまう、これは釈迦自身
なやんでいた。)また、阿含宗の桐山(スサノオノミコト)ともそうだったが、邪神の不動などに自分のところへ引き寄せるために嫉妬から
釈迦とこじれるように仕組まれている。
 だから、釈迦は心の支えにはならない。
大仏を拝むなら大日如来(宇宙)として心の支えに拝むといい、釈迦抜きで。しかし宇宙と言えども、
邪神不動明王などには(もう不動は悪いほうへ行ってしまった、というよりは何万年と神仏や人類を
だましてきたことが発覚している)だまされてることがあった。ちゃんとやった善行をなかったことに思わされてたりした。
だから拝むほうも現在宇宙が正常かどうか確かめてから心の支えにおがまなければならない。
宗教を拝むならここもたまにはだまされてることもまだまだあるが、ガブリエル、アポロン、月夜、降三世明王、
如意輪観音、アルテミス、元エロヒム他たくさんの神仏で構成されてる
KSAと呼ばれてる団体をおがむのが現在一番安心させられる。もっと成長し邪神にだまされない団体へと成長するだろう。
KSAは過激派などで同じ名前のものがあるが、それとは別のものです。宗教団体などは一切つくってありません。
各々が個人的におまいりすればいいと思います。
0584神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/17(火) 15:01:56.13ID:fxR5YHCX
『法句経』は業は永遠であると、こう述べています。
「もし悪をなすならば、そは業に積まれ
もし善をなすならば、そも業に積まる
人は業を受けつぎ、業は滅びることなし」

業については宝珠さんが詳しいかと存じますが、
この法句経に書いてある
人は業を受け継ぎ業は滅びることなし
とは前世から現世へと業は受け継がれていて
現世の人の運命は業に支配されている
という意味なのでしょうか?
だとすれば業は滅びることがないのであれば来世にも受け継がれる(引き継がれる)のでしょうか?
それとも
もし善をなすならばそも業に積まれる
ともあるとおり善をなしていけば悪事の業よりも善行の業の方が優った時点で人生は好転していくのでしょうか?
0585ポッタン師
垢版 |
2018/04/17(火) 16:23:22.72ID:9QA9h6qU
584.
バカ丸出しである。
0586宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/17(火) 20:03:46.03ID:KHTCcZnP
>>585
鏡ある?..
0587宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/18(水) 05:10:34.30ID:DSwlLgwp
>>584
とてもいい質問だと思います。

業報輪廻の理解で中には勘違いしている人もいるのですが、
これは完全なる運命決定論などではないということ。
つまり、すべてがすでにガンジ絡め状態で事象が決定しているのではなくて、
生じた業報の結果に対して我々がどのように反応して、
そして、如何に対処していくかによって、
その人のその後の人生は大きく変わるということ。
将棋の先の手とそのまた先の手のように...当然、その変化は無限的に広がっています。
なので、希望は常にあるということ。

一つの業はその果報が生じればそれ自体は終結します。
それは悪い果報でも良い果報でも同じことで、
一つの結果を受けたらその業作用はそれで終了する(それまでは滅ぶことがない)。
後は、それを受けて如何に生きてゆくかです。
それから、一つの悪業を一つの善行(善業)で帳消しにはならないようで逆も然りです。
けれども、我々が善行を積むことで意識も成長していく(心も浄化する)ので、
必然的に悪業を積むことも減っていきます。
仏教に限らず、キリスト教の原罪思想と懺悔の人生のように、
宗教というのは戒めを強調するものとして出来上がっているので、
あまりそのことに過剰に反応して自分を責め過ぎたり悔いたりすることは。
逆に、自分の心を必要以上に委縮してしまうので逆効果を生じます。
ごく普通の一般的な人々の多くは、悪業などよりも善業のほうが遥かに多いのです。
だから、過剰な心配には及びません。

それから普通、仏教で扱う業報は来世に対しての作用として話されていますけれど、
もちろん、今の努力や真面目な生き方はこの今の生涯の中での前途を開くのにも必然であることは当然です。

これで質問の解答になったかどうか?
また、何かあったらいつでも気軽に聞いて下さい。
0588神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/18(水) 09:35:58.53ID:w4/32BiD
色…物質的身体
識…エーテル体
末那識…アストラル体
末那識と阿頼耶識の中間識…メンタル体
阿頼耶識…コザール体
阿摩羅識…コスモス体
涅槃寂静…ニルヴァーナ体(ブッティ体)

輪廻の主体となるのは阿頼耶識
神智学ではコザール体という
0589神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/18(水) 19:16:57.71ID:XBfi6OkQ
>>587
大変ありがとうございます。
果報を受けるまでは業はなくならないということは、今なにかを選択するとしてなぜそれを選択する理由は現世に因果がないのならば過去世からの業によるものと考えるのが正しいですか?
生まれてきてすみませんと思ってしまうような人は宿業によりそういう思いをもってしまうのでしょうか?
いくら善行を積んで悪行による業を減らそうとしても、
自分のした失敗で人に迷惑をかけたりしたことを思い出すと善行をいくら積もうとしても積み増しした実感が湧かないものです。
悪行の宿業を果報により清算して減らしていくよりもむしろ業を増やしてしまっているばかりのような、
そんな失敗ばかりの人生を送っていて人間失格といってもいい状況にあっても、
それでも何かを信じて善行を成していく努力はしなけばならないと思いつつも
神仏も法も自分も信じられなくなっているくらいの失敗人生を好転させるのが難しいです。
0591宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/19(木) 06:08:20.69ID:Sm9IORth
>>589
あくまでも物事を選択しているのは自由意志による自分自身の決定なので、
その決定自体は(業によって)定まったものではありませんが、
ただし前世からの業により生れた時から備わった気質(傾向)というものはあります。
つまり、何かを選択するにも本人の好みをある特定の方向に傾向付けるという現実はある。
これを変えることは容易ではなく自分自身の力では殆ど無理でしょう
(悪い趣向を改善するのに催眠療法は効果はありそうです)。

まず、私の以前の投稿を再読頂いて
>>452-455
>>464-465
>>117
後ほど私の実体験とこの私が実際に実践している事柄から、
“高次の力の援助”(現世利益)を得て道を切り開いて運気が好転するための話をしたいと思います。
0592神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/19(木) 10:07:27.75ID:yjB7cQI1
>>590 ID:8BCzjXx6師匠へ

根本仏典 2.0原理主義の人には、意味がわからないので
それゆえの、おじゃる意訳
ttp://www.zd.ztv.ne.jp/fanmbn8s/tera63.htm
(無明に依存している煩悩と、そして)
法界体性智からの光り輝いている心
それゆえに、その
中に仏がいるのですから、迷い苦しむ生活としての生死はないのです
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
無の世界も超えて
移り行く世界の様を
平等性智をもって
ありのまま見つめて
ただこの生まれてきてから死ぬまでの現実そのものが
不生不滅の涅槃の境地と心得たらいいのであって
円成実性の世界に住んでるのなら
いやがり、きらうべき生死という迷いの生活もなく、ねがいを求めるべき
涅槃の境地というものもありません
世界から完全に縁が切れた生き方が自分のものになります

円成実性の世界から → 依他起性している世界を見て
生を明らかにし死を明らかにする
これこそが一番大事な根本問題であるということに徹底しなさい
それゆえに
円成実性の世界に住んで
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐

↑上座部 2.0原理主義の人には、意味がわからないかも?
(ちにみに、おじゃるは上座部肯定派でつ。一応念のため…)
0593おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/19(木) 10:32:53.18ID:yjB7cQI1
>>592の続き

根本仏典 2.0原理主義の人には
上座部  2.0原理主義の人には

やはり
仮設としての
地の要素 、水の要素、火の要素、風の要素がある
という導きの方がわかりやすいかも?

上座部 パオ・セヤドー
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
密集を看破するためには
色聚(微細な粒子)を識別しなければなりません
密集を看破した時、無我への領悟、了解が生まれる
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/18/061429
通常は
(仮設としての
  地の要素 、水の要素、火の要素、風の要素がある)
四界分別観から修行を始めなければなりません

そして
第四禅定も超えて
非想非非想も超えて

頂点に達し → 無の世界
さらに無の世界も超えて
移り行く世界の様を
平等性智をもって
ありのまま見つめている
0595おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/19(木) 11:12:13.23ID:yjB7cQI1
 
根本仏典 2.0を受け継いでいる?

中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察

仮設としての
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為・言葉による行為・心による行為を行う(カルマを積む)

仮設としての
無明に依存して
渇愛(タンハー)が生じると
誤ったあり方を掴んで離さないような固執も生じる

ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
仮設としての
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相続す
仮設としての
無明に縁りて→行に縁りて→識に縁りて→『苦しい』という想いが現れて
無明滅して  →行滅して  →識滅して  →『苦しい』という想いが滅する

そして
根本仏典 2.0原理主義の場合は
>>593>>592)へと
(仮設としての)過去からの心相続をしていく。かもしれない?
0596神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/19(木) 15:01:40.80ID:APeHlN2J
牧師は、当然一週間、主日に備えて祈るんだろうけどその間お金を儲けることは難しい、、、いろんな理由をつけてお金を信徒から巻上げる算段をする牧師までもいる。
そりゃ、牧師や宣教師だって人間だから家族を支える為に必死だ。時には伝道集会や講演会などの理由・名目で献金を募りこっそりかなりな額の上前をはねる。
教会の役員をしていたので知ってるが、そのような悪事は既成教会より福音派などを謳うが実は個人商店化しカルト化した教会に多い。
宗教法人にすると公に会計書類を提出する必要も限りなく無いに等しいし(営利事業は別)、当然、有っても役員に現世的利益をちらつかせ、その目やその信徒さえ誤魔化せば良い。

これは忌々しきことだが現実で、神さまはそんなパリサイ化した指導者の状況を永遠に許すわけが無い。
少なくても牧師の衣を借るそのような教会関係者は無意味な事をしてる事に気がついていないか(気がつく義務は有る)、
気がついているとしたら、神さまは居ないから現世のうちに大胆に周囲を騙し、金を献金という名目で巻上げる、、、と腹をくくったか。
大半が後者だろう、神さまの前では言い訳は利かないのは当然だ。
キリスト教を騙り信仰を悪用した泥棒である。神殿の中で堂々と商売をしてるわけである。
自分だけは楽をして信徒には負いきれない重荷を押し付ける、自分の栄誉・宣伝のために意味の無い苦行などを強いるなど、あの手この手だ。

カトリック教会の修道士などは清貧を義務づける修道会も有るのはそういった現実的な意味も有るからだ。
現世と隔絶した生活、当然現世のままを享受するのは不適切と考える修道会が出てきてもおかしくはない。
社会的にもすばらしい業績を残すだけではなく、多くのものが信仰に導かれている。
一部の福音派と呼ばれる教会の中にはそれを非難しそんな肉的な行為で信仰に導かれるのではないと言う。
しかし、そんな戯言を言うのは、ただ、愛がないだけである。つまり、神さまから愛されていない、呪われた頭でっかちの牧師が言う事だ。

一度、献金した金品は法律的にも返還請求するのは難しい。
少しでも疑問が有るのなら、そういった牧師から離れその教会も去ることだ。
それは不信仰なことではなく、神さまに対しても素直なことである。
この日本でも、他にもすばらしい信徒の群れはたくさん有る。
0598おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/21(土) 01:13:05.65ID:+3GF+NbU
 
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E
悪魔の証明

例えば
「赤いカラスが存在しない」ということを証明するには
世界中のカラスを調べて赤いカラスが1羽もいないことを確認しなければならない
(今この現時点においては)現実的に不可能である
「赤いカラスは存在しない」という当たり前とも思える命題を証明するのは事実上不可能なのである
  _  _  _

『永遠に変化することのないプルシャはない』を証明するためには
仮設としての
縁起している
一切の諸法のすべてを調べて『プルシャはない』ことを確認しなければならない

それゆえの>>597のリンク先

正確に説明するのなら
『永遠に変化することのないプルシャ』という
掴もうとしている想いは
仮設としての
縁起に依存しているので
現れ、そして滅している

『掴もうとしている想い』は
縁起に依存して
変化しているので
それゆえに
『永遠に変化することのないプルシャ』ではない
0599おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/21(土) 01:44:18.42ID:+3GF+NbU
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
光り輝いている(仏そのもの)
これに(無明に依存している)煩悩とかが取り憑いている

無為法の世界
涅槃
法界体性智
光り輝いている(仏そのもの)
プルシャそのもの
   _

仮設としての
縁起している
有為法の世界
(無明に依存している)煩悩とか
プルシャがある。と『掴もうとしている想い』とか

 − これを対処するために −

円成実性の世界から → 依他起性している世界を見て
(仮設としての)掴もうとしている想いを手放して
手放すことができたのなら
それが
仏そのもの
プルシャそのもの
ttp://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗 内山興正
諸法無我は 『 倫理道徳の破壊に 』 つながってしまいます
0600如雲斎基地蔵
垢版 |
2018/04/21(土) 11:43:33.54ID:4kYAm5ZD
>>599

諸法無我 色身廃壊す。

南無南無 人(・ω・)
0601神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/21(土) 18:22:30.47ID:Qj+7lyK8
長文、是、即ち、駄文也。
0605おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/21(土) 23:47:41.82ID:+3GF+NbU
 
おじゃるは
400 2018/04/06(金) 20:14:37 ID:lcPBR0cU
これ以降書き込みしてないけど

↓コテ憑いてないので誰なのか?わからないけど
414 2018/04/20(金) 00:01:16 ID:euc6jBTg
唯識厨がいなくなったと思ったら、こんどは幸福の科学かよ
  _  _  _

ID:euc6jBTg この人の場合は
その当時のインドの世間的な思いを認めて
その理解のうえで
仏教を理解せしめるというやり方がとられねばならなかった
というような
対機説法とかも理解できない人なのかもしれない

その時代、その地域の、人々の心の働きに合わせて導いていく

ヒンドゥー
 ↓
釈迦
 ↓
根本仏典
 ↓
中観派
 ↓
唯識派

部分的には受け継いでいる
0607神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/22(日) 08:05:42.88ID:RPbuAU8s
レベルが低い奴は、レベルがどうの言うと評価していいな。
0608神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/22(日) 08:07:03.75ID:99pTMSQP
横レスの見分けもつかない人間が(前)2chなぞ百億年早い。
0609神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/23(月) 10:19:11.13ID:BHy8ioLO
age
0610如雲斎基地蔵
垢版 |
2018/04/23(月) 15:38:58.59ID:34Rjt+Yf
hage
0611宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/24(火) 14:26:24.39ID:gxFC9/Ex
>>591
>後ほど私の実体験とこの私が実際に実践している事柄から、
>“高次の力の援助”(現世利益)を得て道を切り開いて運気が好転するための話をしたいと思います。

もう暫く時間を頂きます。
0612如雲斎基地蔵
垢版 |
2018/04/24(火) 18:04:52.16ID:l1jye6OY
>>611

生き地獄で運気の上昇等々
無意味じゃろう? (^o^;)ノ
0614如雲斎基地蔵
垢版 |
2018/04/24(火) 18:10:56.25ID:l1jye6OY
地獄界から天上界迄の六道は
生き地獄なのだから餓鬼畜生から神天上人に至るまで悉く苦しむ為だけに転生を繰り返しているんだよ。

ただ彼岸に渡り2度とこの世に生まれて来ない事が仏教の救いなんだよ。

南無南無 人(・ω・)
0615神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/24(火) 19:05:13.70ID:Im4aIxrz
「ブッダ感興のことば」より


人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは自分のした一つ一つの業の相続者となる。
実に業は滅びないからである。


悪い事をしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。
しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。
のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起る。


生きとし生ける者どもは死ぬであろう。
生命は終には死に至る。
かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。
0616おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/24(火) 23:57:45.70ID:sO3wS5Kb
 
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E4%B8%80%E5%88%87%E6%9C%89%E9%83%A8
説一切有部

仮設としての
縁起している世界の中において

あらゆる現象(諸法)を構成する基体として
有法、法体(ダルマ)を想定し
主観的な我(人我)は空性だが
客体的な事物の類型?

心相続している。という法は三世に渡って実在する

それゆえに

仮設としての
>実に業は滅びない

ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
縁起している世界の中において
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す
0617神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/25(水) 00:44:40.55ID:DP4qMAzy
宿業(カルマ)は般若理趣経によって消し去らせることができます
経典(般若理趣経)が保証しています

般若理趣経には現代語訳でこう書いてあります


金剛手菩薩よ。
この清浄なる境地を生み出す真実なる知慧の理趣(みち)を聞かされたならば、すべての障りは速やかに消え去り、光り輝く菩提(さとり)の道場(にわ)に入ることであろう。

すべての障りとは、貧りや瞋りなどの煩悩の障り、法(教え)を聞きえない障り、悪業のみをなす障り等で、
これらすべての障りを積み重ねても、地獄の境涯に落ち入るようなこともなく、重い罪を作ったとしても、それを消滅することは難しいことではない。

この正しい法門をただ聞くだけでなく、よく身に受持し、日に日に読誦し、よく心に思惟すれば、
この世において、父母によって生まれたこの身体のままで、すべてのものの片寄らぬ本質を見極め、金剛のごとく不壊で安らかな境地になるであろう。
こうして、あなたたちは、なにものにおいても、拘束を受けることなく自由となり、はかり知れぬ快楽と歓喜に満ち満ちることになるであろう。
そして、十六の大菩薩によって象徴される十六の生の段階(禅定)を進んで、金剛のごとく不壊なるもの(金剛サッタ)を本質とする私「あまねくすべてを照らすもの(大日如来)」の境地を獲得することであろう。
https://piicats.net/risukyou.htm
0618神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/25(水) 00:45:06.41ID:DP4qMAzy
掻い摘むと
「この正しい法門(般若理趣経)をただ聞くだけでなく、よく身に受持し、日に日に読誦し、よく心に思惟すると、
悪業を含む全ての差し障りは消失し、なにものにおいても、拘束を受けることなく自由となり、はかり知れぬ快楽と歓喜に満ち満ちることになるであろう」
ということになります

般若理趣経を受持し、読誦し、よく心に思惟すること
またここには書かれてませんが書写(写経)も非常に功徳をもたらせてくれるそうです
書写の場合は長いお経ですが最後の方にある「百字偈」と呼ばれる漢字百字には般若理趣経十七段の内容が全て含まれているので、
百字偈を三遍写経すれば理趣経一巻全て写経したのと同じ功徳があるそうです

写経自体、体を整え、呼吸を整え、心を整え、そして身心を清浄にして行するものなので、
身、口、意の三密修行に通ずるものがあると言います

改めて、般若理趣経にはそれを受持し、読誦し、思惟し、書写することで宿業を消し去る功徳があります
0619神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/25(水) 09:00:02.76ID:o2dnRbf8
経典の功徳といえば経典の一番ポピュラーと思われる般若心経にもちゃんとあるんだよね

上来、摩訶般若波羅蜜多心経を諷誦する功徳は、
大恩教主本師釈迦牟尼仏、高祖承陽大師・太祖常済大師に供養し奉り、無上仏果菩提を荘厳す。
伏して願わくは、四恩総て報じ、三有斉しく資け、法界の有情と、同じく種智を円かにせんことを。
冀う所は、家門繁栄、子孫長久、災障消除、諸縁吉祥ならんことを。

と般若心経を読み終えた後はその功徳を回向することもできる
0620如雲斎基地蔵
垢版 |
2018/04/25(水) 12:15:01.40ID:XExVicql
寝言は寝てからぬかすにゃん🎵

ひゃっひゃっひゃ!(^o^)/☕💖
0622承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/04/25(水) 21:05:45.77ID:HhDQE9HO
「経典の功徳」というと、パーマンも笑うんだろうが、
「日々読誦作意思惟」というところが味噌で、これは「即身」についてもそうなんだが、
有り得ない理想像を示しといて、それが出来れば⚪⚪だよ、という詐術だ。(笑)
これは方便であり、「胡麻」の話と似たような当たり前の話なんだが、大体この当たり前に気がつかず極端な肯定か否定に走る。(笑)
これを業という。(笑)
縁起を見て中道を歩む、ということはこういうのから全く離れた境涯ということであり、この意味で一切意願も一切事業も可能ということなんだろうが、まぁ、我等凡夫には夢物語だぁな。(笑)

(^。^)しかし、その程度には個人差がある、というのもまた縁起な訳よ。(笑)
0623おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/26(木) 00:22:07.32ID:yRBuy5Ef
 
基地蔵師匠は
何を言いたいのか?わからないけど

承狂師匠からの導きは
たまになら、わかる場合もあるかも?
ttps://blogs.yahoo.co.jp/kyuutakug/35969013.html
金剛手よ
もしこの理趣を聞きて
受持読誦し作意思惟するならば
たとえ諸欲に住するとも
蓮華が客塵の諸垢に染まらないように
速やかに無上の悟りを得ることができる

根本仏典 2.0とかの場合なら
有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
非想非非想も手放し超えて
(仮設としての)縁起している世界も手放し超えて
(戒・)定・慧・解脱・解脱智見
(客塵の諸垢に染まらない)蓮華

般若の智慧の世界と
般若の智慧によって観照された → 縁起している世界。みたいな?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
0624如雲斎基地蔵
垢版 |
2018/04/26(木) 11:05:58.64ID:AxB8yuFJ
>>623

簡単に言うと脳内麻薬の自己

管理こそが悟りを可能にする

唯一の方法だと理解されたし。

答えは外界では無く一人一人

の内面に有りじゃよ。

お分かりかな?

南無南無(・人・)
0625おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/26(木) 11:14:41.45ID:yRBuy5Ef
 
>>624 基地蔵師匠

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E6%80%A7%E6%84%8F%E8%AD%98%E7%8A%B6%E6%85%8B
変性意識状態(altered state of consciousness, ASC)
有効な療法として
一時的にこの状態を患者に与える方法が活用されている

>脳内麻薬

縁起に依存して
肯定的な効果をもたらす場合もある
悪化する場合もある

ということなんでつね?

ご教示ありがとうございます m(_ _)m
0626神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/26(木) 23:31:39.43ID:QW7l59Ve
隠居の劣化版は、いつの時代も
キリ無く湧いてくるもんだな・・・
0628神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/27(金) 11:22:32.85ID:fVZFLatt
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1521007589/584
> 坐りたいと思った時に気軽に行って坐れるようだと


大事なのはここか・・

そういう場所が沢山あってこそ、
本当の"仏教国"というか、仏教(≒坐禅・瞑想)が根付いている浸透している国、社会
と言い得るんだろうな・・・
0629おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/27(金) 11:46:01.54ID:GmBg+FhB
 
>>628

ご教示ありがとうございます
  _  _  _

>あなたたちは科学技術という船に乗って悟りを目指しなさい

向こうスレに誤爆してしまいました スマソ m(_ _)m
0630神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/27(金) 13:38:00.97ID:5vRl15K0
https://i.imgur.com/GqDT3LK.jpg
https://i.imgur.com/Aa22cqD.jpg
https://i.imgur.com/EmLbrTI.jpg
https://i.imgur.com/TH4AHBv.jpg
https://i.imgur.com/vuokJD1.jpg

https://i.imgur.com/4Ql4UbD.jpg
https://i.imgur.com/iAn6ayX.jpg
https://i.imgur.com/3xXbDJp.jpg
https://i.imgur.com/UWihP15.jpg
https://i.imgur.com/nt5fHq1.jpg

https://i.imgur.com/NxdpjnH.jpg
https://i.imgur.com/bBTWvt1.jpg
https://i.imgur.com/QeuTA5H.jpg
https://i.imgur.com/myxtaO0.jpg
0631おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/27(金) 14:38:34.64ID:GmBg+FhB
 
>>630
にゃる =^・ ・^= ほろ

それゆえに
ttps://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DY/0071/DY00710L019.pdf
ダルマキールティとかの場合は
光が輝くとき
その輝くこと(照明)を本性とする故
自己自身を照らす
そのように
智も自己を認識する
智は光の如く
照明することを本性とし
自ら輝き現われる

 − これに対して −

カマラシーラとかの場合は
自性である。と掴もうとしている『想い』ではない

という中観帰謬派とかの導きで おじゃるな?

ご教示ありがとう おじゃる m(_ _)m
0632神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/27(金) 21:02:48.25ID:fVZFLatt
>>627
>根拠はありません。
>あくまで後世の弟子達が行ったように、「釈迦の覚ったのはこのような内容だったのではないか」
>という推論に基づいて仮説を述べる、というものです。


自身の体験(≒相似体験)が無いなら、大川・浅原の言説と変わりない。

「文献」や、「伝承者(組織(サンガ))の教説」を無視するなら、
自身の体験(→【追体験】)が、 「ああ、確かにお釈迦さんの言う通りだ」
と頷けていないとならないわけだけれど・・・。
0633宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:26:00.28ID:wxbe6+8q
>>612
>生き地獄で運気の上昇等々
>無意味じゃろう? (^o^;)ノ

---宝珠の対機説法---
“三世の業報(前世からの報いと来世の生まれの決定)などはない”という人には、
私も、『悪い事をしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。
しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。
のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起る。』(>>615)と語る。
しかし、開運の法などはないという人には、
仏教は運命決定論ではなくその人の行為(身口意の三業)によって未来は変わると説く。
現れた果報の中を生きていく上で、本人の努力(これ無しでは作用しない)を後押ししてくれる
高次からの援助を得る不思議な法やオカルト法則を用いた智恵で運気を切り開くことができるものと説く。
0634宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:29:25.92ID:wxbe6+8q
>>589
すみませんでした。
大変、遅くなりましたがやっと書き上げたので投稿します。
話は何も難しいことではなくて、誰にでもできる簡単で継続できるものであることが重要だと私は思っています。
(長文の連投で失礼します。興味ない方はスクロールして下さい)

 >>591
 >後ほど私の実体験とこの私が実際に実践している事柄から、
 >“高次の力の援助”(現世利益)を得て道を切り開いて運気が好転するための話をしたいと思います。
0635宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:39:58.87ID:wxbe6+8q
∽∽∽∽∽高次存在からの援助(守護)と霊的成長の補佐∽∽∽∽∽

この私自身も実際にしていることであり、
そして、誰にでも簡単にできることとしてお薦めしたい以下の三つのこと
 @「マイトLーヤの手形」の使用 
 A「護摩札」(不動尊の分身分霊を入魂)を祀る 
 B“パワーグッズ”の着用(a.加持済の「腕輪念珠」 b.「御守り」 c.「ルドラクシャ・ビーズ」)

@「マイトLーヤの手形」の使用(NGワード指定にて「レ」→「L」で代用)
 マイトLーヤの手形は2001年8月、スペイン・バルセロナのある家の浴室の鏡に突如として美しい立体的な3次元の手形として奇跡的に現
れました。これはマイトLーヤの実際の手の痕であり、かなり大きいなものです。マイトLーヤは援助を求める人たちに、マイトLーヤからの
癒しと援けのエネルギーを喚起するための道具としてこれを提供されました。マイトLーヤはただ私に素直に援けを求めれさえすればいいとい
われているので、助けて欲しいことがある人は心素直になってマイトLーヤに援助を求められれば良いと思います。体の病気や体調不良の癒し
とか生活の苦しい状況についてなど...は、その人のカルマの許す範囲において治癒と援助が頂けます。ただし、個人的な物欲の「高級車ベン
ツが欲しい」といったお願い事には成就に100万年かかるかもしれませんが(笑)。
 方法はこの画像(デジタルファイル映像、コピー転写した画像のいずれでも効果に違いなし)に自分の手をかざすか、ジッと見つめてあなたの
想いを念じて届けること、ただそれだけです。中には医師も奇跡として認める転移した末期ガンがたったの1日で消えたものもあるようです。
0636宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:41:24.70ID:wxbe6+8q
 これは私個人の体験についてです。当時の私は生活で困っていることをいろいろと抱えて苦しんでいました。けれど、ただ素直に求めなさい
と言われているにも関わらず、どうもあまりに恐れ多くてお願いごとをするのにも気が引けてしまい、数年間、ただ部屋に飾って手を合わせた
り、感謝を述べたりだけにしていました。6年近くも交際して結婚する気だった女性と(私のオカルト宗教好きが嫌われて) 破局。その後はどん
なに努力しても彼女すらできずに何年も経過...。とうとう途方に暮れて根負けして、後にも先にも初めとなるたった一つだけのお願い事をした
のでした。「どうか運命の女性である(恐らく過去世で繰り返し夫婦であった筈の)生涯の伴侶と出逢いたい」と。すると、なんともその効果はテ
キメンでした。何年どんなに頑張ってもダメだったのに、それから2カ月もしない内に、私の元に1枚の出会いを求めている見知らぬ女性の写
真が回ってきたのです。こんなことは初めてでした(尚且つ、それは元々、私のためのものではなかったにも関わらず)。私はその時、「コレだ!」
とピンときました。そして、その女性がその後、交際2年を経て結婚した現在の私の妻なのです。
 この女性が私の運命の伴侶だと感じるのは、いくつかの類似や偶然の重なりがサインになっているかのようだからです(重なる偶然は意味ある
必然であり、“徴”や“知らせ”であると私は理解します)。私は父が長年の炭鉱勤務だった関係にて炭鉱地での転校を転々と繰り返す少年時代
を過ごしましたが、妻は偶然にも父親が同じく炭鉱勤務で一時期、私が転出したあとの夕張市の同中学に登校していた後輩だったことが分かり
ました。妻の父親は炭鉱事故で亡くなっていますが、私の父親も炭鉱の後遺症による塵肺にて死亡。そして、その命日は私の父が5/16で妻父
が5/17、なので法事法要はいつも連チャンとなる(全くの同日でないことは幸い)。そしてまた、私の誕生日が1/26で妻が1/27のこれもまた連
チャンなのでお祝いも2日間続きです。更には、私の父も妻の父も同じく秋田県出身で単身北海道という経歴であり、両家共に秋田の菩提寺は
禅宗ですが、理由があって母方の浄土真宗の世話になっていた(私の方だけ、その後に父の逝去をキッカケに真言宗寺院を分家の菩提寺に)。
0637宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:44:03.94ID:wxbe6+8q
 そして、また何よりも有難いことは、この私の宗教的なライフワークに対して心がオープンであり、常にこの私を支えてくれて多くのことで
協力してくれることです。妻と結婚するに当たっては、私からは自分のこの宗教生活について告白して了解をお願いしました。すると妻からの
返答はこういうものでした。「あなたのしたいように好きにして下さい。ただ社会や人様の迷惑だけはかけないようにすること。そして、自分の
健康は大切にして絶対に危険なことや無理だけはしないこと。それから、やるからには徹底して真面目にやること」。
 私は度々、「君はマイトLーヤが引き合わせてくれた女性なんだよ」と言うんですが、するといつもトビっきりの笑顔で笑ってくれています。
また、妻からは「来世でも私をお嫁さんにして欲しい」と言われたときには、「こちらこそお願いします。いやきっとそうなるさ」と答えました。
ということで、いつも心優しい妻には私は心から感謝をし、そして、この妻のことを引き合わせて下さったマイトLーヤに深く感謝しています。
 (マイトLーヤからの愛は、私がもう少し若い頃に肉体にて私の眼前に突如として現れて下さり、そのお体に触れ言葉を頂けたこと。そして、
最愛の妻を引き合わせて下さったことです。)

“マイトLーヤの手形”
 http://www.share-international.org/maitreya/images/Maitreyahand2.jpg
 http://www.share-international.org/maitreya/Ma_approach.htm
石川道子講演会『桁外れの時代に突入した』[質疑応答]
 http://sharejapan.org/library/movie/17im_qa
  (31:28 ・マイトLーヤの手形について)
「徴を求める者は、それを見つけるだろう」
 http://mgz.sharejapan.org/wp-content/bn201607/sinews/magazines/si5n7k/04zpzf/cm29sj/1y51lg.html
0638宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:47:45.44ID:wxbe6+8q
マイトLーヤとは、
サンスクリット語で弥勒菩薩として仏教では呼ばれている方であり、
ゴータマ仏によってその出現が預言されてきた未来仏です
(イギリスのベンジャミン・クレーム氏の情報によれば、マイトLーヤ仏はすでに肉体にて人類社会の中に入られており、
その使命を世界に公表する奇跡の“大宣言の日”のタイミングを待っているという)。
マイトLーヤはゴータマをオーバーシャドゥされたシャンバラのブッダの兄弟であり、
過去インドにおいては弟子の肉体を通したクリシュナとして、シャンカラとして、
また、西洋ではイエス・キリストとしてご自身の教えを説かれた。
イエスの時代にメシアとして認知できなかったユダヤ教徒たちの過ちと同様にして
(現代においてもユダヤ教徒はイエスをメシアと認めていない)、
今日、部派から継承した間違った無我の理解や唯物化した志向などによって、
このマイトLーヤの認知に失敗する可能性が危惧されるのが現仏教徒です。
「仏教だけが唯一の真理であって...それら○○は仏教ではない」といった硬直した古いドグマに呪縛された感覚などでは、
決してこのマイトLーヤを認知できないでしょう。
今度は、仏教徒たちが試されるときがきたのです。

「神智学の説く、“マイトLーヤと世界五大宗教の関係”」
 http://houjugusya.web.fc2.com/world5.htm
「キリストの再来と奇跡の水」(94年頃放映/日本テレビ『スーパーテレビ』)
 http://www.youtube.com/watch?v=ajp5p0b0-6E
特命リサーチ200X /病気を治す「奇跡の水」トラコテの水
 https://www.youtube.com/watch?v=hjQPnqb-Jl8&;t=0s&list=PLdTuL9vR0CUY7aoPWg1iiEiYOHHVvkQmi&index=65
0639宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:53:20.54ID:wxbe6+8q
A「護摩札」(不動尊の分身分霊を入魂)を祀る
  『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、
   その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
  『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。
   施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)
  『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
   王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のものである。』(Sn.568)

 伝統密教の寺院(密教には東密<真言>と台密<天台>があるが、できれば密教を専門とする由緒ある正統な真言宗寺院を推奨する)による不動
護摩(仏教よりも更に古いバラモン・ゾロアスター教を起源に持ち、現代まで連綿の継承された儀礼修法のホーマhoma)の浄化にて祈祷された
「護摩札」をお祀りすること。お祀りの仕方は難しいことはなく、家庭のお仏壇(宗派や考え方の相違によっては適さない場合あり)か神棚で、
もしくは、清浄なできれば高い場所にて綺麗な白い布などを敷いたその上で祀ること。方位は南向きか東向きがベスト(また、できれば東北/
西南の鬼門/裏鬼門は避けた方がいいが止む得ない場合はお祀りを優先のこと)。普段は最小限、燈明とお水を毎日あげて、できれば不動真言
を(7回)唱えて念ずれば良い(供物については任意)。もちろん、更にもっと良いのは開眼した不動明王の尊像(仏像または掛軸)をしっかりと
祀ることです。ただし、この場合には御給仕は徹底すべきであり、燈明、香(塗香もあれば尚可)、花、水(茶)は必須で欠かせない。そして仏
飯、供物もなるべくあげるようにしたい。また、可能であれば毎日、不動真言だけでなくて一通りの御法楽(勤行/経読誦)を捧げられればより
効果的です。尚、尊像の開眼は必ず正統密教の由緒あると東密寺院をお薦めします(私は、その他すべての顕教寺院での開眼をパワーの観点か
らまったく信用していません)。
0640宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:55:45.72ID:wxbe6+8q
 私の場合は、父が亡くなって新たに仏教寺院にお世話になる関係上、ご縁あって現在の真言宗智山派の不動明王本尊の成田系寺院を菩提寺と
した経緯があり、これを良い機会に自己の向上を図る修行の一つとして本格的な真言式の祭祀と勤行に取り組みました。その結果、あらゆる方
面において抱えていた苦悩が僅か数年ですべてが好転。私自身の仕事関係と健康状態をはじめとするあらゆる事柄が当初では考えられないほど
向上して安泰。今では何一つの悩み事というものが私自身に対してはなくなりました(人生において初めてのこと)。家族関係もこの信仰の下で
一つに行動するようになり(実家と私のところと姉夫婦のそれぞれの家で不動尊を祭祀)、こうして初めて家族が明るい一つのものに纏まること
ができました。これは不動明王の祭祀による開運、不動尊信仰による御加護の賜物であると私は確信しています。あとはまだ母親の健康面と実
姉に関しては少し心配がありますが、今後も欠かさずに継続してお祈りを続けたいと思います。
0641宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 03:56:51.61ID:wxbe6+8q
 (体験エピソード-----とある評判の占い師に、私がお祀りしている不動尊についてお伺いをしてみたところ、「あなたは時折、無理を強いる
ところがあるからお不動さんがあなたのことをとても心配されている」というものでした。何か心当たりがないかといわれてハッとしたのです。
ちょうどその頃、悪天候の中を無理して不動尊霊場の札所巡りへとマイカーで向かう準備をしていて、さぁいざ出発だという時になってなんと
突如、これまで過去に体験したことのない強烈な睡魔に襲われて動けなくなってしまったのです(そういう出来事は自分の人生で初めて)。
 私が爆睡から目覚めると、なんとTVニュースでは私が向かおうとしていた峠の道路が大規模な土砂崩れで崩壊したことを報道していました。
これには私も仰天して顔が青ざめました。もしも、そのとき無理して行っていれば崩落の中に巻き込まれたか、または豪雨の中で確実に途方に
暮れて立往生していたことは確実なのでした。占い師にそのように話すと、「うむ、そのことに間違いないでしょう。不動尊があなたのことを
とても心配しているので、今後は絶対に無理をしないで気を付けるように」と言われました。私はこの不動尊の心優しい慈悲の御加護と不可思
議な力に対して、ただただ感謝しています)

 勤行にて唱えるものは何でも構いませんが、できれば「般若心経」と「光明真言」は含めたほうがいいでしょう。もちろん、「不動真言」は
必須です。私自身は真言宗智山勤行式をベースに自分でアレンジして増補したものを読誦しています。
0642宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 04:04:35.50ID:wxbe6+8q
 ※ 尚、天部(諸天の神々)信仰は、私個人的にはお薦めしません。諸天は解脱した仏ではなく自我意識が強いので、現世利益の即効性は優れ
ていても見返りを要求したり、また意に反すれば障りを受けることすらあります。

B“パワーグッズ”やアイテム(a.加持済の「腕輪念珠」、 b.「御守り」、 c.「ルドラクシャ・ビーズ」)
 「腕輪念珠」や「御守り」については特に説明は不要かと思います。「腕輪念珠」の材質は好みで何でも構いません。そのままの念珠タイプ
でもいいし、いわゆるパワーストーン型でもいい。いずれにせよ、こちらも必ず真言寺院で加持祈祷済のものを着けられようお薦めします(祈
祷の有無でエネルギーの強さに雲泥の差があり、最初の内は慣れるまではイズくて着けているのが辛いほどパワーを感じたりします)。そして、
必ず左手首の方に着用するようにすることです(空間のエネルギーが流入する側が左手なので、こちらに祈祷済の腕輪念珠をして不浄の流入を
遮断し、尚且つ、腕輪のエネルギーをこちらから取り込むため)。それから、パワーストーンは肌に接するよう直接、着けないとストーンとし
ての効果は期待できません。
 「御守り」も同様、密教による本物の加持祈祷をしたお守りの霊験話にはまったく事を欠きません。私の知っている範囲だけでも、交通事故
に遭ったけれど無事に助かって帰宅すると家においてあって誰も触れていない身代わり守りが割れていた。部隊の兵隊たち全員に御守りを持た
せたところ、戦地にて幾度となく戦闘してきても全員が奇跡的に無事生還を果たし、その部隊の快進撃に対しては昭和天皇から表彰がされた。
サラシの中に身代わり守りを入れていたところ、銃弾に打たれても御守りに当たって無傷で済んだ(証拠の銃弾の穴が空いたサラシの公開があっ
た)。等々...。
0643宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 04:06:09.95ID:wxbe6+8q
 「ルドラクシャ・ビーズ」(金剛菩提樹の実による珠数)はお守りというよりは、自己の霊的成長を促進する修行の援けとなる凄いアイテムと
してお薦めします。ヒンドゥー・ヨーギであれば、まず必ずといっていいほどほぼ全員が首に掛けて長く垂らしているのを見かけますが、これ
を掛けていると不浄から身を守り、自己のチャクラを刺激して活性化させる絶大な作用があります。敏感な人ならば熱のように感じるその強い
パワーに圧倒される筈です。こちらもできるだけ肌に直接着けられることをお薦めします。また、ルドラクシャ・ビーズの説明にはシヴァ神が
うんぬん...のヒンドゥー的な長い話が付いて回るのですが、特にヒンドゥー教に関心ない方はそこはスルーしていいです。ヒンドゥー教のプロ
の司祭には細かな規定が沢山あるようですが、一般人はそこまで気にする必要はない。ただ、トイレに行く際には外すこと、夜寝る時には祭壇
やケースにしまって下さい(浄化用水晶に置くなどもとても良い)。これを使用する人にはその人が何教徒であろうと無信仰者であろうと同様の
効果が得られます。

ルドラークシャ(ルドラクシャ)について
 https://sitarama.jp/?mode=f5
 https://sitarama.jp/?mode=f8

 インドの哲学者にて密教学者のアミヤ・クマール・バッタチャリア博士(1887〜1964)が古代アーユルヴェーダを元に研究して開発した「宝
石光線療法」という医術が確立しています。これは臨床実験によってその著しい治癒が確認されている科学であり、これも鉱石の持つパワーを
証明したものです。

息吹なブログ: アーユルヴェーダ gem therapy{宝石光線療法}の導入 2
 http://osteopathy-ibuki.blogspot.jp/2008/12/gem-therapy_25.html
0644宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 05:05:48.99ID:wxbe6+8q
以上.


>>628
おおっ!! 
おじゃるさんがそれほどパワフルに実行動してるとはとても感心しました...
私も、初めて密教瞑想「阿字観」の指導を受けて通って見ようかと思っていたけれど、
車で2H先の阿字観道場の開催日が月1回だけの第3日曜日と限定があり、
尚且つ、私の勤める会社の受注が増大して工場も拡大。
当然、勤務(交代勤務で夜勤が日曜から開始される)も激化して未だに実現しません。
なので、更に禅系寺院の開催についてもチェックしてみたいと思います。

また、テーラワーダにも関心ないわけではないので、
その内、スマナサーラ長老とも会える日がくるかもしれません
(車で行ける距離にある小さな研究サークルが時折、講演依頼で長老を招いている)

あっ、来月20日〜二泊三日で、
母親を連れて成田山新勝寺へ参拝と見学の旅行に行ってきます
成田山開基1080年祭中の記念大開帳(10年に一度)です。
0645おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/29(日) 05:20:30.95ID:qArQMAIU
 
>パワフルに実行動してる

パワフル言うても13秒でつ
(「13秒間だけしかできない」という意味でつ)

「そして雑念に押し流されて逝く」と言うことでつ

フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ

今のところは↑これを13秒くらいまで おじゃる

(フォーカシングは心理療法 おじゃる)

たとえば
上座部 2.0とかの場合は
ttp://pao.hamazo.tv/c601110.html
呼吸を見るときに
30分〜1時間
この間に、他のことや妄想、思考が入らないように

というような決まりごとがある。と云うことでつ m(_ _)m
0646宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 05:53:00.95ID:wxbe6+8q
>>645
いや、実際に開催会場へと足を運ぶ行動力が大切でしょう。
修得の度合いについては個人差があるのは必然なので、
けれども体験することそのものが重要で意味がある。
実践するその意欲が素晴らしいと思う。

私も瞑想の集中は実際に苦手です。
ヨーガのテクニックとして眉間のアジュナー・チャクラに意識を留めるようにして、
聖音「オーム」を唱えるならば(心に想うだけでもよい)、
思考(雑念)の影響を受けなくなります(思考している空間とは別の空間に入るので無影響になる)。
これの旨い人はいいけれど...私は無影響状態に入るのに時間を要します。
この状態になると時間が分からなくなるので、
終了した時には驚くほどの時間が経過しています。
つまり、軽いサマーディの状態。

とにかくお互い不得意同士ですが、
これからもメゲズに頑張りましょう!
0647おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/29(日) 06:41:41.77ID:qArQMAIU
 
>思考している空間とは別の空間に入る

この「別の空間から見る」ことを
大乗1.0とか3.0とかは
『仏の世界から観照する』と説明してるようでつ

↓仏の世界から「何を観照するのか?」

上座部 2.0とかの場合は
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
第一禅定
五禅支の一番目
ヴィタッカ(尋)

[仏の世界から観照して]
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを手放して
>思考している空間とは別の空間に入って
呼吸の観照に戻してくる

五禅支の一番目の世界に戻る
(仏の世界に戻り帰る)

元々は
仏の世界から → 縁起している世界へ
縁起している世界から → (元の)仏の世界へ戻り帰る

これが
大乗1.0とか3.0とかの世界観である(らしい?)
0648宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 07:07:14.25ID:wxbe6+8q
>>639
訂正:
 「浄化にて祈祷された」→「浄火にて祈祷された」
0649おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/29(日) 07:11:14.68ID:qArQMAIU
 
[仏の世界から観照して]
>思考している空間を
  空間すべて手放して → 別の空間に入って

呼吸を観照して
五禅支の一番目の世界に戻る
(仏の世界に戻り帰る)

仏性からの真如縁起をもって
 → 頼耶縁起を観照する

頼耶縁起を観照して
真如縁起をもって
(元の)仏の世界へ戻り帰る

戒・定・慧・解脱・解脱智見
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧も慈悲も)

慈悲の冥想
生きとし生けるものに
光り輝いている智慧と慈悲をもって
悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
(この場合の如来は「生きとし生けるもの」という意味でつ)

酒は呑んでないけど
蚊とかを滅殺してるので。戒律は守ってないでつ スマソ m(_ _)m
0650ポッタン師
垢版 |
2018/04/29(日) 10:08:33.38ID:n8jB+7bZ
智慧と慈悲を持っていない、バカおじゃる、の登場である。
宣伝隊長に任命する。
0651神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/29(日) 14:34:16.63ID:7Udt/dR4
宝珠氏が弥勒や不動明王の加護を受けたりまたそれらの仏や真言宗を信じるようになったのもそういうカルマを生得的に持っていたからです
全てはカルマです
0652宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 15:31:59.77ID:wxbe6+8q
>>638
補足:
 
神智学上で知られているオーバーシャドウ(弟子の肉体を用いる手法)によるマイトLーヤ直の教えは、
バガヴァッド・ギーターのシュリ・クリシュナ、不二一元論(アドヴァイタ)のシャンカラチャリア、
新約聖書のイエス・キリスト、そして、二十世紀最高の哲人/ジッドゥ・クリシュナムルティから発せられたもの。
クリシュナムルティは14歳のときに神智学協会の幹部にして最強のオカルト能力者レッドビーターにより、
巨大で神々しい特別なオーラを放つ少年として見出され、
世界教師マイトLーヤの乗船となるべく協会により引き取られて徹底した英才教育を受けた。
当時の彼は実際にマイトLーヤのオーバーシャドウにあったが、
当時の協会の在り方(腐敗した幹部たち)に反発して34歳のときに人間宣言をして脱退した。

>>650
あなたが馬鹿にできるものではない。
彼は真理を知るための勉強に熱心であり、
そして、瞑想にも挑戦している。
0653宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/29(日) 17:51:01.00ID:wxbe6+8q
>>651
確かにそうかもしれませんが、
しかし、カルマは新たにつられるものでもある。
0654神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/29(日) 19:53:35.76ID:qM8yHspz
カルマは常に作られるけど今生において誰もが悪業を浄化し清算できるというわけでもありません
カルマを清算できるのは生まれながらにカルマを清算できるカルマを持っている人です
五姓各別の無性(無種性、無姓有情)として生まれてきたものは善行の果を善業として積むことはできないというカルマを持っています
0655神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/29(日) 22:25:43.75ID:XO2U52s2
「業」の考え方を運命論にしてはいけない。

『自覚と反省と償いによってフォローし得る』というのが、
お釈迦さんが示された、他あらゆる宗教に無く、勝る、最大のポイントなのに。
0656神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/29(日) 22:36:17.90ID:XO2U52s2
ああ、質問箱スレ消失したか・・・。


ま、2ch自体、(5chになったしw)古き良き姿は失われて久しいか・・・。
同時に、(マインドフルネスの流行も後押しして)
「(伝統)仏教」の魅力は薄れる一方か・・・w

そうかといって「神智学、スピリチュアル系」が評価されるようになるか、
といえば、んなことはなかろうがwww
0657神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/29(日) 23:59:11.14ID:kizrrVyf
>>641
曹洞宗で不動明王を拝んでもいいんだったかな?
菩提寺には釈迦牟尼仏と観音菩薩と地蔵菩薩の仏像と仁王像はあるが不動明王像はないしなあ
しかし甘露門という曹洞宗で読むお経には光明真言とかもあるから大日如来の教令輪身の不動を拝んでも罰は当たるまい
ご利益があるかも分からないけど
0658宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/30(月) 00:23:35.20ID:JtuP1Dqt
>>657
こちら地元には曹洞宗でその名もそのまま「明王寺」というのがあり、
炭鉱会社が安全祈願のために招来したという成田不動(成田山開眼の不動尊)が
閉山後にこちらで今も大切に祀られています。
なので宗派的には何も問題なしでしょう。
ただ、菩提寺の僧侶が月参りなどでお仏壇を拝したときに、
急に、新たにお不動さんがあると驚かれるかもしれません。

宗派的には真言宗を嫌うのは、浄土真宗と日蓮宗でしょう。
それ以外は特に問題はない筈です。
(事情あってお仏壇で一緒にお祀りできない場合は、
別場所にお不動さん専用の祀所を設けるしかありません)
0659宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/30(月) 00:28:59.06ID:JtuP1Dqt
>>657
追記:
 禅系は意外や真言陀羅尼を多用しています。
 まっ、ご専門の方がおりますが...。

>>655
同意
0660神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/30(月) 00:49:18.96ID:yggW5Jxr
ミラレパというチベット密教の僧侶は若い頃に呪術で何十人も呪詛して殺したためにその悪業を恐れた

業を浄めるべく師を求めマルパという聖者と出会い
浄めるための過酷な労働といった苦行や殴る蹴るの虐待の末についに悪業は消失し
最高の悟りを得て灌頂(密教版の洗礼)を授けられた
悟りの果報として空を飛ぶなどの神通を得たとされる

しかし悪業は苦行や虐待で浄められて完全に消えてはいなかったようである
その後も質素な生活をしつつ壮大な寺院で贅沢に暮らしていた学僧を批判していたりしたが
最後は彼の名声に嫉妬した学僧に殺されてしまったのだから
0661宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/04/30(月) 01:32:45.46ID:JtuP1Dqt
それは、
まだまだ完成者(覚者)ではないということ。
神智学情報ではミラレパの進化段階は3.5にて、阿那含前後のレベルということ。
その師マルパは覚者にほぼ近い4.5段階でした(覚者は5.0)。
0662神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/30(月) 19:35:28.47ID:SlBPfnP0
>>655
「業」の考え方を運命論として決定づけたのはシャンカラというヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派の哲学者。

シャンカラは、究極の真理を知って最高の境地(解脱)に至ることができるのは、上位3ヴァルナ、すなわち再生族のみであるとする。
シュードラ以下の者たちは真理を悟る資格がないというのである。
この考え方は、ヴェーダ以来のバラモン中心主義的な伝統的・保守的観念を継承したものである。
元来ヴェーダの祭式は上位ヴァルナが行うものとされ、またヴェーダを学習し真理に到達できるのも再生族に限られるとされていた。
シャンカラはこの正統派の哲学的伝統を立て直すことを意識するあまり宿業論も復活させてしまうのだが、このような立場に基づく限り、すべての者が至福に至ることはできないことになる。

このような教義に対する一種のアンチテーゼとして、万民の救いに可能性をひらく方法が模索されるようになる。
「バクティ」がそれである。
0664おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/04/30(月) 20:00:12.29ID:e5Png5cZ
 
にゃる =^・ ・^= ほろ

掴もうとしている想いを手放して

バクティ
絶対的、献身的な拝礼、信仰を特徴とする
神の名を一心に称え

大日如来も、そして
一切の如来の御足を礼拝し奉り

思考している空間とは → 別の空間に入り

解脱を知覚して
涅槃に住む

安心(あんじん)
仏法の功徳によって、迷いがなくなった安らぎの世界

ヒンドゥー
 → 釈迦
 → 根本仏典
 → 中観派
 → 瑜伽行派
 → 密教にも受け継がれているのでつね?
0665神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/04/30(月) 23:03:17.91ID:kQcHNORr
>>658
ありがとうこざいます
これからは不動明王も信仰します

曹洞宗では道元は真言宗についてどう思ってたかは知らないけど
常済大師瑩山紹瑾禅師が密教を積極的に取り入れたので少なくともそれ以降は色々な仏を当たり前に敬うようにはなってるようです

甘露門陀羅尼
http://jyosokuan.hatenablog.com/entry/2017/06/19/

しかし明王寺とは曹洞宗らしからぬ名前ですなw
と思ってたら自分の地域の不動尊講の取りまとめは菩提寺の曹洞宗寺院でしていることを今日知ったw
うちのところでもそうだったのか…
0666神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 00:40:24.09ID:p/wI5MSq
>>663
神智学という学派?ではシャンカラの教義を取り扱うのかな?
私は知らない。

ちなみに業と輪廻について、神智学によると今のキリスト教では復活の日の審判を説くが、本来の聖書には輪廻転生の教えがあり、その後それが削除されてしまっているらしいよ。

近代神智学における「ルシファー」と陰謀論者からの悪魔崇拝認定の原因
https://togetter.com/li/965169

>>662について補足すると、ヴァルナとは色という意味で、インドでは社会の階層を分けるのに四つのヴァルナに分けている。
これを四色というが、この場合のヴァルナとは皮膚の色のこと。
一方で金色はス(優れている、妙なる)ヴァルナと呼ばれ、永遠不変・常住であることを意味し、無常である凡夫のヴァルナとの対比で仏陀(如来)のヴァルナはスヴァルナつまり金色であるとされる。
それを示す一つのエピソードがある。
「孔雀経音義」や「五輪九字秘釈」に記されているのだが、空海が即身成仏の教えを大勢の人々に示す必要が生じたとき、
空海は宮中の清涼殿において天皇と百官その他の人々の見ている前で、まばゆいばかりの金色の毘盧遮那仏(大日如来)の姿に変わったとされる。
日本においては空海が唯一無二の仏陀であったとされ、それを示す代表的なエピソードである。
0667神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 00:50:19.03ID:p/wI5MSq
>>664
四色の最下層のシュードラのみならずその更に下層の不可触民までもが救済されるとされるバクティの普及によりヒンドゥー教は仏教やジャイナ教を駆逐していくことになる。
しかしバクティにおいては不可触民の献身的な信愛がしきりに讃えられ、身分が救済の妨げにはならないことは強調されるが、身分制度そのものは否認されているわけではない、ここに注意が必要。

バクティ以前のシャンカラの教えだと、シュードラや不可触民は仏教で言えば一闡提とか無種姓と言われることになる。
もちろん仏教では身分差別はしないのでシュードラや不可触民でも求道すれば悟れるとする。
0668神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 09:11:02.73ID:Iw6sGAJV
>>665
宜しくどうぞ(^-^)ゝ゛
旅先から失礼します。
0669神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:43:31.20ID:kjcJs8/6
クムダセヤドーの合宿に参加したとき、釈迦族が滅んだのは、永きに渡って川に毒を流して魚を獲って食べたのが原因であると、セヤドーは話していました。
このセヤドーのお話から、魚を食べた人たちは確実に殺生のカルマを背負い、殺される運命にあるということです。
http://www.shinzenho.org/shinzenho/top.php
0671神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 16:40:37.36ID:2s/MNMFK
>>670
釈迦族の場合は毒を流していた川に何の因果か釈迦族を服属させていたコーサラ国の琉璃王の過去世の魚がいたのが運の尽きでした
この琉璃王が過去世の恨みを晴らすべく釈迦族を滅亡させることになります
0672宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 16:41:43.94ID:xrHyXgUJ
>>662 >>666-667
まずは、
誤解を避けるために二つの点について説明しておきます。

通常、私たちが“マイトLーヤ(から)の教え”という場合には、
厳密にはこれは「近代神智学」(普段は単に「神智学」と呼ぶ)のことを指してはいません。
近代神智学はブラヴァツキーを通して世に初めて提供されたものであり、
それはジュワル・クール覚者を中心にしてクート・フーミ覚者やモリヤ覚者など
数名のハイアラキーの覚者方からの教示のことです(彼らはすべてマイトLーヤの高弟です)。
それから、歴史上において弟子の肉体を通して顕現する手法であるオーバーシャドウの場合、
オーバーシャドウ以前の弟子当人の言動とオーバーシャドウによるマイトLーヤの顕現中の場合とでは、
当然、その言動と発せられる教えには個性の違いとレベルの高低に違いが生じるということ(これがオーバーシャドウによる二重性質)。
また、その聖者の生涯においていつからマイトLーヤのオーバーシャドウであったのかは各自で異なります。

それから神智学の学習においては、
特にシャンカラの教義を扱うといったことはありません(同じく仏教を詳細に扱うということもない)。
『バガヴァッド・ギーター』ならば随所で取り上げられたりはしています。
0673宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 16:43:30.16ID:xrHyXgUJ
そのシャンカラの差別思想というものについて。
これは私自身の勉強不足のためでしょうか、ちょっとよく分かりません
(シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』はこの私も所持しています)。
その理解の根拠となるソースで良いサイトや参考書籍があれば提示して頂ければ助かります。
私の知るところでは、シャンカラの説くアートマンというのは万人平等というものですから、
当然、それは身分や肩書によってはまったく左右されるものではないというもの。
そのシャンカラにカースト差別の意識があるとは思えないのですが...。

 『いったい、サンニャーシン(遊行僧)にとって、カーストの違いや浄、不浄にどんな意味があるのだ?」
--中略--バラモンや、チャンダーラなどというような違いは、ただ単に、狭い心が生み出すものである』
(シャンカラ物語)
http://www.ne.jp/asahi/hindu/vedanta/sankara/s_s_08.html

 『インド最大の哲学者といわれるヴェーダーンタ学派のシャンカラ(A.D.700〜750)の著作『ウパデーシャ・サーハスリー』(『教説百頬』)であった。
シャンカラが、その門を叩く者にまず発する質問は、「あなたは誰ですか?」であった。そのように訊ねられたら、おそらく誰でも「私は前田です」
などと自分の名前を告げるに違いない。それに所属やら、肩書きなどを付けることもあるであろう。シャンカラの弟子も自分の名前・カースト(階級)
・家系などをシャンカラに告げたのである。しかしシャンカラにとっては、これはとんでもない間違いなのであった。何故それが間違いなのであろう
か。シャンカラは、「私」、すなわちわれわれの内にある真実の自己が、名前やカーストや家系などとまったく関係がないことを解き明かしていく。常
識的自己理解の徹底的な否定を通して、弟子を真実の自己理解へと誘うのである。』
(前田專學著『インド哲学-真実の自己を求めて』)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/9/6/9_6_82/_pdf
0674宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 16:45:49.36ID:xrHyXgUJ
そして、ヴァルナとカースト制度についてですが、
「ヴァルナ」とはご存じの通り「色」ということであり、肌の色の違いが階級差別にも関わっているものとして説明されています。
しかしながら、私の理解ではこれはすでに形骸化して間違った概念による支配のことであって、
けれども、本来的にはその人の霊的成長を示すチャクラの輝きと発するオーラの色の違いを示すものでした。
覚者や高度に発達したイニシエートであれば、弟子の発達具体はこれらを霊視することによって正確に知るのです。
そして、個人の霊的成長の度合いに応じて、その人に適した生活と相応しい職業があるという意味なのであり、
またその人の意識からくる行為の如何によって人は評価されるということであって、
ただ単に生まれの境遇に拠って尊敬すべきものでも卑しむものでもないのです。
現代に続くインドのカーストは本来の教えが誤用された結果です。
0675宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 16:46:32.72ID:xrHyXgUJ
 『偉大な立法者マヌによって制定されたカースト制度は、その起源においては真に賞賛すべきものであった。マヌは、人間が、その性質の進化程度に
よって四つの種別カーストに分けられると観た。すなわち、肉体労働によって社会に奉仕できる人々(シュードラ)、知力、技能、農業、商業、交易、その他
実業によって奉仕する人々(ヴァイシャ)、管理、統制、保護等の能力をもつ人々―政治家、軍人など(クシャトリヤ)、および、瞑想的性格をもち、霊
感に恵まれ、他人にも霊的鼓舞を与えることのできる人々(バラモン)、の四種別である。「人が“天上界に目覚めた者”(すなわちバラモン)であるかど
うかは、その人の血統や家柄や、宗教儀礼や学問によって決められるものではなく、性格と行状のみがこれを決定する」とマハーバーラタは宣言している
(注-「インドのカースト制度において、人が四つの段階のいずれに属するかは、本来、その人の血統や家柄によるものではなく、その人が人生の目標をど
こに選ぶかという生来の性質によって決められるものなのである」)。マヌは人々に、人は智恵、徳、年齢、親族関係、そして最後に財産、のいずれかで
も持っている限り、社会的尊敬を受ける資格があると教えている。ただし、ヴェーダを信奉していた社会では、どんなに財産を持っていても、それをただ
無益にたくわえたり、公益や慈善のために使うことを知らない者は卑しい者とさげすまされた。したがって、りんしょくな金持ちに与えられる社会的地位
は、ごく低いものだったのである。
 だが、このカースト制度も、数世紀の内にしだいに形式化して世襲制となったため、そこから深刻な弊害が生ずるようになった。1947年の自治回復以来、
インドは、門閥によらず各人の個性や能力のみを基準とする古代カースト制度の真価を再認識してこれを復活する運動を、遅々とはしているが着実に進め
ている。地球上の国はすべて、自らの手で敢然と処理解決しなければならない、その国特有の困難なカルマを背負っている。インドは今、このカースト制
度改革の大事業を、柔軟なしかも不屈の精神をもって完成するために奮闘しているのである。』
(パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』森北出版p403-404)
0676宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 16:48:41.41ID:xrHyXgUJ
>本来の聖書には輪廻転生の教えがあり、その後それが削除されてしまっているらしいよ。

そこで紹介されているものは、
元々、すべて私が投稿したものです。

>仏陀(如来)のヴァルナはスヴァルナつまり金色であるとされる。--中略--
>空海は宮中の清涼殿において天皇と百官その他の人々の見ている前で、
>まばゆいばかりの金色の毘盧遮那仏(大日如来)の姿に変わったとされる。

>>363-364を参照のこと
0677宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 16:55:31.66ID:xrHyXgUJ
>>669
過去世(釈迦族滅亡の話での琉璃王)が魚だったためにその人に復讐されたとか...
そのサイトにあるような肉(動物)をたべれば人肉を食べてるのと同じだの... 。
というのは、すべて戒め(脅し)ですね。
そのまま本気で信じてしまえば迷信となる。
もちろん、菜食のほうが良いことは認めますが...。

経典の記述を一句一句ただそのままに受け取るのを原理主義といいます。
まっ、好きで信じている人を私は止めませんが...
(他者に危害がない限りは信じるのは自由ですから)
0678宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 17:16:12.64ID:xrHyXgUJ
>>639-641
私は大乗の説く諸仏諸菩薩の中で、
庶民(及び仏修行)の援けとなる信仰対象としては、
「不動明王」「観音」「地蔵」の三尊をあげています。
(如来は直に救済してくれる対象存在ではなく、その他、教義と霊験事例などの印象から直感的にこの三尊を推奨)

中でも特に、私が「不動明王」を押しているのは、
これは顕教にはない空海が導入した密教独自のホトケだからであり、
そもそも空海が唐からの航海において嵐からの奇跡的な生還が
この不動明王の守護力であったといわれているからです(これを波切不動という)。
0679ポッタン師
垢版 |
2018/05/03(木) 17:37:03.19ID:xU7qHnPB
678.
それらは妄想の産物である。
0680神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 17:56:07.63ID:dzes9CRh
>>677
>経典の記述を一句一句ただそのままに受け取るのを原理主義といいます。

https://i.imgur.com/oDDSYWk.jpg
https://i.imgur.com/7vbAfW9.jpg
https://i.imgur.com/5ga7JFS.jpg
https://i.imgur.com/7TMO6ol.jpg
https://i.imgur.com/Uq6gJnc.jpg

仏教においては原理主義でいたほうが基本いいという話
特に5枚目の画像にその理由が端的にまとめられているよ
0681宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/03(木) 18:39:48.80ID:xrHyXgUJ
>>680
確かに、
大乗の諸仏諸菩薩が架空上の設定であったり、
外道外教に由来するものであったりすることは認めます。

しかしながら、
原始仏教の世界がそのまま現代日本に相応しいとはとても思えない以上、
そしてまた、原始経典の記述がそのまま“ブッダの生の教え”だとはとても思われない以上、
その中身をよく精査しながら摂取し、また大乗からも役立てられるものとして選択利用する智恵があっても良い。
まっ、---自分で考えることを放棄する人---にはできない話ですが...。

“ただ伝統だからと、ただ経典の記述だからといって、
そのまま信じてはならない”(カラマスッタ)というのが
ゴータマの指導方針の根幹であると思いますが〜
なのに原理主義の正統性を主張するとは、果たしてこれ如何に?

原理主義というものは、
エホバの証人たちのように聖書に書いてあるからという理由で輸血否定で死を選ぶのとまったく変わらない。
そんなものは、【自分たちの未熟に拠る誤読に過ぎない】というのに...。

『どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、
  多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。』
『昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。』
 http://hachisu-net.com/issei/kiso.html
0682神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 20:31:38.95ID:rkRv0QIb
>>681
リンク先

>善良な生を送っているのに不運なことばかり起きる、と言う人がたくさんいます。
>仏教の師達は、それは過去生の悪いカルマを今生で刈り入れているのであって、調度、植物を植えたらそれを刈り入れるには熟すまで待たなくてはならないのと同じだと言っています。
>カルマもそれと同じです。時には熟すのに長い時間がかかって、今生でしたことが来生で実を結ぶのです。


>先ずカルマの法則がどのように働くか分かっていなければ、生まれ変わりに関わる教えを理解することはできません。
>生まれ変わりはカルマに依存しています。
>今生で良いことを思い良い行いだけをするならば、今ここで良い結果を得るだけでなく、この世の生を終えた時により良い生まれ変わりを得るでしょう。

>人のカルマは、それが良いカルマであろうと悪いものであろうと、実はその人自身であり、カルマこそが別の生に生まれ変わるのであり、天国や地獄、あるいは再びこの世に生まれ変わるのです。
>時には、もしその人が極端に悪いカルマを持っていた場合、動物として生まれ変わるかもしれません。
>とても残酷で血に飢えていて、考えも行動もすべて虎のような人を想像してみましょう。
>このような人が虎として生まれ変わる可能性は充分あります。
>また別の場合を想像してみましょう。
>癖が豚にとてもよく似ている人の場合です。
>このような人が神々しい存在として、あるいは普通の良識的で立派な人としてでさえ、生まれ変わることを期待できるでしょうか。

実に素晴らしい教えが書いてありますね
ありがとうございます
0683神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/04(金) 00:51:28.08ID:4rBQc+0J
>>673
>その理解の根拠となるソースで良いサイトや参考書籍があれば提示して頂ければ助かります。

山下 博司
ヒンドゥー教とインド社会 (世界史リブレット (5))
39ページ
0684宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/04(金) 01:33:47.11ID:5xEcTcig
>>683
ありがとうごさいます。
早速、取り寄せて確認します。
0685神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/04(金) 22:45:07.24ID:Fc/xy0Th
客塵煩悩の否定に繋がる禅語

―本来無一物―(『六祖壇経』)

 「この身体は菩提樹、心は明るい鏡のようなもの。常に拭き清めて塵の溜らぬようにせよ」とトップクラスの神秀上座が言う。
これを聞いた寺男の盧行者(後の六祖慧能)は「身体も心もそのように立派なものではない。もともと実体など無い(本来無一物)のだ。どうして無いものの上に塵の溜ることがあろう」と、自分の心境を吐露した偈の一句。
http://rinnou.net/cont_04/zengo/1610.html

↑サイトには続きとして更に詳しい解説が書かれているが、文中の「空」を「大日如来」に置き換えてもそのまま読めてしまう
禅の本質は密教と同じである
ヒンドゥー教の一元論の焼き直しである
空は大日如来同様にブラフマンアートマンと変わらない基体となっている
基体を認めるのは仏教ではない
ゆえに禅は仏教ではない
0686宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/05(土) 01:56:33.98ID:andNoF3N
>>685
そういうのは、
クリスチャン・サイエンス(キリスト教系の新宗教)系の愚に至る恐れがあるので要注意。
彼らは、「病気というものは実在ではない。病気だと思うのは信仰心が足りない証拠だ」といって医療を受けずに、
結果的に次々と病気で死んでいく...。

実体でなかろうとも、
賢明な我らは毎日お風呂にも入って体を清潔にし、
時にウィルスにかかれば医療も受けよう。

理解の誤った人間にはロクなことはない。
0687おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/05(土) 03:23:36.49ID:EiEnbKjs
 
>>685のリンク先
われわれの身体や心も
「一切を超えた根源」から現われ出ている
 − これに対して −
それを「清浄なもの」だと考え
煩悩のような「不浄なもの」を避けようとするのは
「小乗仏教的」な二元論に過ぎない

 − これに対して −
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
光り輝いている(仏そのもの)
これに煩悩とかが取り憑いている

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99
宗教(religion)
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6
神智学(theosophy)
神あるいは超越者が叡智的性格をもち
宇宙や自然もこのような叡智からつくられ
人間の智も神の智に通ずる性格をもって…
ttps://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%A6%82%E7%B8%81%E8%B5%B7-538672
『仏そのもの』からの真如縁起

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
第一禅定
五禅支の一番目
どこかへ飛んでいってしまう心の働きの世界から
(思考している空間から → 別の空間へ)

呼吸を観照する世界に戻してくる要素がある
(『仏そのもの』の世界に戻し帰す要素がある)
0688おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/05(土) 04:09:08.11ID:EiEnbKjs
 
縁起を超えた世界から見る
縁起している世界を観照する

『仏そのもの』からの真如縁起をもって
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れ
プラクリティから様々な原理が展開(流出)して

仮設としての
縁起に依存して
無明薫習に依存して

おじゃるの場合は
(それ自体、単独で成立してる色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立してる色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存している

 − これを対処するために −
『仏そのもの』の世界に戻り帰る。そのために
おじゃるにとっては

思考している空間から → 仏の世界に戻って
仏の世界から観照して
雑念が出てきても ← その辺りに漂わせておく

まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ
0689神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/05(土) 14:45:10.23ID:9XpG/gC0
原始仏教(釈尊在世の時)に注目すべき人物の中に、弥勒という名の人がいたことをわれわれは忘れてはなりません。
これについては、かつて渡辺照宏博士が「弥勒経」という書物の中に書いておられます。
釈尊在世当時弥勒という仏弟子がいました。
この場合は、「スッタニパータ(経集)」という書物の中ででてくるために、その原語はサンスクリット語ではなく、パーリ語で示されるのですが、メッテーヤといいます。
このメッテーヤは舎利弗、目連はもとより、阿難、迦葉にもまさって、釈尊の事実上の一番弟子であったようです。
釈尊の弟子としては、舎利弗、目連は最も古く(この二人は釈尊より先にこの世を去るのですが)この二人に遡って先に亡くなったのが弥勒尊者でありました。
釈尊は、弥勒尊者の亡くなられたことを非常に嘆かれて、この弥勒尊者がその名前のしるしより、兜率天に
もどって死後の自分を待つであろうといったことも伝えられています。
その嘆き悲しんだありさまは、ちょうど、孔子が一番弟子顔回を亡くして、論語の中で繰り返し嘆いておられたことを思いださせます。
このように見てきますと、釈尊の周囲、あるいはより広くいうと仏教の周囲には、(唯識瑜伽行の弥勒論師など)ときどき、弥勒という名前の実在の人物が顔をだし、
その実在性があいまい、希薄になるにつれて、抽象的ではあるが熱心に考えられる、ついに弥勒菩薩という仏が徐々に像を結んでくるということがわかります。
伝説によりますと、釈尊を生んです虐亡くなられた摩耶夫사は、そのまま兜率天に(この世
に生を受けられた釈尊のもとの住処、あるいは弥勒菩薩の住んでおられたところ)に戻られたということになります。
たとえば、釈尊の死後のよみがえりを書いた経典として「摩訶摩耶経(大マヤ夫人経)」というのがあります。
この経典は釈尊のよみがえり後、兜率天にある母、摩耶夫人が釈尊のよみがえりを喜ぶという筋になっています。
この摩訶摩耶経は、偽経(中国でできたお経)と見られていますが、こういう信仰の生じたところに、大きな一つの信仰の流れを見ることができます。
釈尊は兜率天でお生まれになり、この地上に降りられてまた兜率天に戻られた。
あるいは後に釈尊の母である摩耶夫人、または弥勒菩薩が兜率天に戻っておられたという信仰があったといって差し支えないと思います。
0690神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/05(土) 14:53:42.40ID:9XpG/gC0
釈尊はその母とともに天上の兜率天においでになりました。
兜率天はのちになると弥勒仏という未来において現れる仏の浄土とされるようになりますが、その当時すでに兜率天は天の住処として、最も普遍的なものの一つでした。
釈尊の生涯をまとめた伝説にいろいろな形ででてきますが、釈尊の生涯を、成道、すなわち、道を成し遂げる一生といい、これを八つに分け八相道といいます。
その最初は、この兜率天が舞台でした。
この八相をたどることで成道するーー八相成道という釈尊生涯の一代期において、お生まれになる前につ、お生まれになった後に四つというきわめて対称的な展開をみせます。
釈尊がまず永遠の生命をもちながらこの地上に姿を現した、兜率天から下ってくることを「降兜率」といいます。
この降兜率という因縁によって、釈尊の八相成道は始まります。
生まれてからはじめてというのではなく、生まれる前の因縁を辿るというところに、釈尊の出生がその後の生涯に非常に大きな影響を与えるとみます。
0691神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/05(土) 15:02:42.29ID:9XpG/gC0
では、弥勒というのはいったいどういう意味でしょうか。
弥勒とはインドの言葉の音写です。サンスクリット語ではマイトLーヤ、パーリ語ではメッテーヤといいます。
マイトLーヤのもとの言葉はマイトリーという女性名詞です。マイトリーは仏教の重要な語句の一つで、慈悲の慈がマイトリーの訳語です。
ではマイトリーはどこからきているかというと、ミトラという一言葉の変化したものです。
このミトラから遡ることはちょっと難しいのですが、ミトラとは何かというと友達・友人ということです。
インド人の名前でよくミトラー、あるいは何々ミトラというのがありますが、このミトラこそ弥勒の原語として最ももとになるものとして考えてよいと思います。
ミトラは友達という意味で、このミトラからでた言葉がマイトリー(友の気持ち、友達である心)となります。
さらにマイトリーからできた言葉が、マイトLーヤ(常に友達の心をもっている人)となります。
ですから、マイトLーヤを訳すと慈悲の人で、中国の人たちはその意味をとって慈の人、慈氏と訳しました。
しかし、重要な言葉は漢訳しないで音訳するという中国人の習慣に従って、慈氏菩薩というより弥勒菩薩というほうが多いわけです。
あいまいなところはなく、慈悲の心を失わない仏ーーということがここではっきりでてきます。
0692神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/05(土) 15:18:19.42ID:9XpG/gC0
このような慈悲の心を常にもち続ける仏が常時おられる場所が兜率天であるとしたなら、兜率天は慈悲の場所であるといって差し支えありません。
その慈悲を如実に表す人として、釈尊をこの地上につかわす役割をもった摩耶夫人、弟子として釈尊を助け、師よりも先に生命を全うした弥勒菩薩、
そうした人びとすべてを含んでわれわれの地上を暖かく見守る場所が兜率天です。
釈尊自身もこの兜率天からお生まれになったという信仰は、われわれにもう一度仏教の本質、
ここには表れていませんが、最も重要な本質として釈尊の教えないしは人格、さらに仏教の基本的性格は慈悲であるということを強く考えさせるのです。
そしてこの慈悲は天上にあっては、永久に人間にとっての救いの約束として存在し続けました。
しかし、その約束が現実化するには仏陀の出現という因縁がはたらかなくてはならなかったのです。
この因縁のはたらきとして釈尊が地上に現れて、そしてまたこの因縁を終えて戻っていく場所として弥勒信仰、兜率天の信仰が仏教において定着してきます。

のちに仏教において、弥勒菩薩は清い天上の兜率天から地上を見守っている、この地上に仏がいなくなるーー無仏の世が来ると地上に降りてきて、無仏の世を無からしめるという信仰を生じたのも、
すでにこの釈尊の出生にまつわる、おそらく釈尊の死後ただちに生じた信仰と関係があると考えられています。
さらに弥勒が兜率天から地上に降りておいでになるまでのわずかな間でも無仏の世があってはいけないというところから、
当来仏、現成仏(当来仏は弥勒のことで、現成仏とは現在成仏している仏釈尊です)とのすきまを埋めるものとして、慈悲の仏である菩薩が生まれたことで仏教徒の危惧が払拭されるのです。

このように考えてきますと、釈尊の出生伝説の中で最も重要なものは、釈尊は慈悲の場所から生まれて地上にお降りになり、
さらに滅後は慈悲の場所である兜率天にお帰りになって、慈悲の場所からわれわれを一人ずつ守りくださっているということです。
仏教の基本的性格は慈悲であり、これが釈尊の出生伝説の中に表れているということができると思います。
0693ポッタン師
垢版 |
2018/05/05(土) 18:51:30.73ID:UqP1QTQt
692.
慈悲、か。
それは迷信である。
慈悲の場所なんてものは存在しないからである。
0694神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/05(土) 20:11:03.87ID:OMh+P31I
.
 「場所がないと存在できない」

なんて言ってると、史朗ちゃんに笑われるぞwwwww
0695神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/05(土) 22:10:26.95ID:IWaTEGj5
>>691
>マイトLーヤのもとの言葉はマイトリーという女性名詞です。マイトリーは仏教の重要な語句の一つで、慈悲の慈がマイトリーの訳語です。

慈、それはサンスクリットMaitra[マイトラ]、またパーリ語Metta[メッタ]あるいはMettā[メッター]の伝統的な漢訳語です。
http://www.horakuji.com/BuddhaSasana/Theravada/paritta/Metta_sutta.htm

真言宗では弥勒菩薩真言は
おん まいたれいや そわか
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1311206023
0696神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/06(日) 00:49:52.37ID:T7vsMADW
ウパニシャッドの哲人で聖仙(リシ)と呼ばれたヤージュニャヴァルキヤの妻の名前はマイトレーイーだが慈と関係があるのかな?


ヤージュニャヴァルキヤには二人の妻がいた。
一人は普通の女性だったが、もう一人はマイトレーイーという極めて教養の高い、好学の女性であった。
彼が家を捨てて遊行に出るために、財産を分与しようとした際、マイトレーイーは財産ではなく真理を求めたのだ。
それに対して彼は、我々が経験するあらゆるものはアートマンであるとし、「夫を愛するが故に夫が愛しいのではない。アートマンを愛するために夫が愛しいのである」という教えを説いたという。
(ヒンドゥー教の本―インド神話が語る宇宙的覚醒への道)


ヤージュニャヴァルキヤ
  「非らず。非らず」 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』 4.5.6
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/yajnav.htm
0697宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/06(日) 04:37:20.69ID:KNHhDI+5
>>689-696
神智学の情報によれば、
世界における諸宗教の発生を決定されているのはこのマイトLーヤであるとされます。
世界教徒であるマイトLーヤが、いつ何処にどんな宗教の発生が望ましいかを判断されて、
その任務に最も適した弟子をそこへ派遣します(つまり、その弟子がその宗教の祖になる)。
尚、詳しい内容については不明...。

世界の歴史上における諸宗教とマイトLーヤとの関係について窺い知れるものとしては、
“ミトラ教(ミトラ神信仰) ”について研究する手法を特に奨めることができます。
尚、個人的には仏典などに登場する実在したとされる人物たちは、
ただの同名(名前としては珍しくないもの?)に過ぎない別存在だろうと私は見ています。

また、弥勒菩薩と再臨するキリストの同一説を裏付ける根拠の一つに上げられる情報としては、
弥勒半跏思惟像とイエスの画の右手で示されたフィンガーサインの奇妙な一致というものがあります。
これはキリスト教による仏教への影響の研究の中ではよく知られているもののようです。
半跏思惟像側の理解としては、ただ単に人類救済について思惟にある最中の姿とされていますが
(密教の弥勒菩薩印はまったく別のもの)、キリスト教におけるイエスのこの手の形は、
立てている指と合わせている親指・薬指とで形成されるトライアングル(父と子と聖霊の三位一体)を象徴したものです。
 http://millnm.holy.jp/img/1537377848437251470350158.gif
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1058536292.html
0698宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/06(日) 05:14:55.43ID:KNHhDI+5
>>697
訂正:
 ×「世界教徒であるマイトLーヤが」
 ○「世界教師であるマイトLーヤが」
0699ポッタン師
垢版 |
2018/05/06(日) 10:30:55.33ID:zW+IM7Ul
697.
真理は一である。
その真理の変形が問題となる。
まず、その一、を知れば良い。
0700神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/06(日) 20:52:44.66ID:jvZBmAIP
>>699
慈悲の場所なんぞを気にしている人間が何を言っても滑稽でしかないわな。
0701ポッタン師
垢版 |
2018/05/07(月) 00:05:36.66ID:mx0UpDXR
700.
慈悲の迷信バカである。
0702神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 00:42:41.33ID:vQoHf1M6
693 ポッタン師 ▼ New! 2018/05/05(土) 18:51:30.73 ID:UqP1QTQt [1回目]
692.
慈悲、か。
それは迷信である。
慈悲の場所なんてものは存在しないからである。



場所がないから迷信とかwwwwwwwww

何も見えてないじゃないか ┐(´ー‘)┌
0703神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 00:55:27.64ID:4u64m1VY
>>697
>世界における諸宗教の発生を決定されているのはこのマイトLーヤであるとされます。

こういった仮説を立てるのは一向に構わないのです
ただ仮説を真実とするためにはお釈迦様は実践して確認しなさいと言っています
神智学では仮説を確認しているのでしょうか?
してないのならそれは真実ではなく信仰です
信仰は信じる人にとってのみ真であり科学的ではありません
本来の仏教は科学的なものなのです
それに科学的真実、事実以外の信仰は悟りへの妨げとなりますので確認できないのならきっぱりと棄てた方が彼岸へ至る道と言えます
お釈迦様は梵天勧請の時に「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。〔おのが〕信仰を捨てよ」と言っています

それと半跏思惟像の弥勒菩薩は広隆寺の弥勒菩薩像だけではないのですか?
いくつもある弥勒菩薩像からたまたまイエスと同じ印を結んでいた像があることにる気づいただけ
それのみに特化して弥勒菩薩とイエスは同一であるとするのは極論ですし観察で確かめられた事実でもありません
0704ポッタン師
垢版 |
2018/05/07(月) 00:59:24.21ID:mx0UpDXR
702.
慈悲の場所、がある、と言ってるバカである。
0705神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 07:55:11.17ID:vQoHf1M6
別に史朗ちゃんの肩を持つわけじゃないが
場所があったら仏教じゃねーよw           >>704
0706神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 11:00:33.06ID:eBh4hxrv
龍樹の空論と空即是色

困ったことに『般若心経』は、仏教用語を使いながら仏教用語の意味をわかっていないのです。
それは「色即是空。空即是色」のくだりからも明らです。
「色即是空」は正しいのです。
「色は空であると観なさい」とパーリ語経典にもあります。
では、「空即是色」ってなんでしょうか?
これはどうしても、大乗仏教の世界からみたって成り立たない話です。
大乗仏教で一般的に言われている「空」とは、真理そのものであって、超越した何かの存在なのです。
大日如来とか久遠佛とか、法身如来とか、宇宙全体の実体たる真理で、そこからすべてが流出してくる。
ヒンドゥー教のアートマン、ブラフマンという観念と大乗仏教の「空」の観念はかなり似通った、区別できないものになっています。
しかしそれは、大乗仏教のカリスマ·龍樹が発見した「空」ですらないのです。
龍樹はただ、「ものごとは相対的であって実体は成り立たない」と論理的に緻密な哲学を構築しただけで、「空たる真理が存在する」とはけっして言わなかったのです。
大乗仏教が発展していく上で、空は真理·実体そのものになっていったのです。
しかし、龍樹の「空」は言うまでもなく、そういう実体化された「空」の立場から見たとしても、『般若心経』に書いてあることは間違っています。
「リンゴは果物である」というのは正しいのですが、「したがって果物はリンゴである」というのはおかしいのです。そういうふうに言葉を使ってはいけないのですが、『般若心経』の作者はそれも理解していないのです。
それだけではありません。「色即是空」と言ったのは正しいのに、自分でそれを理解していない。
「色受想行識は空である」と言ったのは正しいのに、やはり理解していない。
理解していないから、「空と色は同じもので全然変わりはない」などと言うのです。しかも何度も言うのです。これはすごく滑稽です。間違ったことを何度も発表できるのは、わかっていないからなのです。
0707神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 11:07:56.69ID:eBh4hxrv
無を使ったら空論は成り立たない

「空論」を語る人は「na 無」という言葉を使いません。
それは「無」と「空」がまるで違うからです。
「無」は「何もない」ということだから、もう話にならないのです。
たとえば「私に角がない」という場合は「無」です。
無いのだから、論ずる必要はまったくない。
無いものについて言及すること自体、バカバカしいのです。
「空」というのは、そういうことではないのです。
蜃気楼は空です。
蜃気楼について、私たちは語らなければいけないのです。
「あれは水のように見えるけれど、ホントはそちらに水も何もないんだよ」と。
「これはこういう働きで水のように見えるのだと。それは空なる現象であって、「無」ではないのです。
蜃気楼を見て「あれは無だよ」と言ったところで、蜃気楼はあるように見えるのですから無じゃないでしょう。
私に苦しみが「無い」と 言ったって、実際には現象として苦しみがあるのだから無ではないのです。
空と無はまったく違うもので、無を使った時点で空論は成り立たないのです。
空を語るなら、「こういう過程で苦しみが現れるのであって、本当は苦しみ自体は空なのです」と説明するべきなのです。
0708神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 11:11:37.72ID:eBh4hxrv
仏教経典は修行の方法を語るべき

観自在菩薩が修行をして悟ったと言いながら、次のセクションの「是故空中無色無受想行識」と続く流れで、ブッダの説かれたすべての教えを無にしてしまう。
大乗仏教であっても空思想を説く場合、有無の概念は使えないのですが、作者は大乗仏教の基本論理さえも、あまりわかっていなかったのでしょう。
このくだりについて、「この『無』は有無の無ではなくて、無自性という意味だ。無自性というのは空の同義語だから、虚無主義ではないんだ」というような注釈をして、なんとかしてつじつまを合わせようとする場合もあります。
仏教徒が仏教の教えに基づいて不完全な経典を仏教的に修正してくれるのは尊いありがたい話ですが、やはりもとの経典に重大な欠陥があることは否めないのです。
次に「菩薩たちは般若波羅蜜多で心をきれいにする。ブッダたちも般若波羅蜜多で解脱したんだ」とのたまう。
だったら次に、「般若波羅蜜多はどのように修行すべきか」という方法論が示されるのでしょうか?
方法論がないものは、ただの観念です。
『般若心経』が仏教経典であるならば、ここから修行の方法論が説かれなければならないのです。
0709神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 11:18:43.16ID:eBh4hxrv
バランスがよい立派な人格者を作ることが、ブッダの教えです。
『般若心経』をみると、観自在菩薩が五つの波羅蜜を完成して、最後に般若波羅蜜を完成した、と読めないこともないのですが、それならばそうと一行入れてお
いてほしいのですね。
「最後に般若の波羅蜜だけ残っていて、それに取り掛
かったのだ」と。
それならすごくカッコいいのですよ。

(以上 「アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?」より)
0710神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 15:07:42.70ID:Wu0s6V9S
>理解していないから、「空と色は同じもので全然変わりはない」などと言うのです。
>しかも何度も言うのです。これはすごく滑稽です。間違ったことを何度も発表できるのは、
>わかっていないからなのです。

「色即是空」で180度
「空即是色」で360度 www
0711パーピマン
垢版 |
2018/05/07(月) 15:09:16.28ID:Wu0s6V9S
ん???

コテが入らんw
0713おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/07(月) 17:57:08.43ID:FUpfOx8P
 
>「色即是空」で180度 - 「空即是色」で360度

ttp://www.zen-essay.com/entry/sikisokuzeku
禅の視点?
色即是空の意味を知ったなら、次は空即是色の視点を持とう
「空だからこそ色が存在する」という、空即是色の視点を加えたい

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84
魂魄(こんぱく)
魂(こん)は陽に属して天に帰し(魂銷)
魄(はく)は陰に属して地に帰す

ttps://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%A6%82%E7%B8%81%E8%B5%B7-538672
(天の世界も超えた)仏の世界からの真如縁起
魂(こん)は陽に属して天(仏の世界)に戻り帰る

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92
無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習に依存して
魄(はく)は陰に属して地に帰り、そして輪廻へ
  _  _  _

無為法の世界から → 有為法の世界へ
有為法の世界から → 無為法の世界へ戻り帰る
0714承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/05/07(月) 18:12:57.74ID:by3W4K8b
大乗仏教と密教で言われる空とは、龍樹菩薩所説の空であり、真理そのものではないし、超越した何かの存在でもないよ。(笑)

(^。^)そんなバカな話は、バカカルト内部だけで言われてる与太。(笑)

それと、「行深般若波羅密多」って書いてあるのに、行法が書いてないとか言い張るマヌケ。(笑)
お前は日本語が理解出来ないのか、それとも朝鮮人なのか?なら仕方ないな。(笑)

(^。^)でも、あんまりバカなことばかり書いてると、パーマンがまた火病るぞ?(笑)
0715神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/07(月) 23:52:35.04ID:eBh4hxrv
空即是色は間違い

「色即是空」、すなわち「肉体は空である」というのは仏教的に正しいのです。肉体には実体がなくて空なのです。
しかし『般若心経』は、次に「空即是色」、すなわち
「空は肉体である」と言ってしまうのです。これは間違いです。
わかりやすい例をあげましょう。
「リンゴは果物である」というのは正しいのですが、「したがって、果物はリンゴである」というのは間違いなのです。
「人は死ぬべきものである」というのは正しいのですが、「したがって、死ぬべきものは皆人である」というのは間違いなのです。
同様に「肉体は空である。実体がない」というのは正しいのですが、「したがって、空は肉体である」とは言えないのです。
だから「色即是空」で止まるべきなのです。「空」を知っている人なら、空即是色とは言いません。
「1+1=2」なら、ひっくりかえして「2=1+1」でも同じです。「A=B」なら「B=A」なのです。
それはいいのですが、何にでもこの式を使うべきではありません。そのことを『般若心経』の作者は、わかっていないのですね。
これは実践的な経験·能力のない人が犯す失敗です。
そもそも空は、実践するものなのです。
瞑想して無常を発見して因果法則を発見して、現象が現れて消えることを発見してどんどん発見して実体がないということを発見すると、心が無執着状態になって、解脱涅槃に達するという実践なのです。
実践論は哲学になりません。哲学というのは観念的なもので、哲学をやってもあまり役に立たないのです。
0716神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 00:10:32.35ID:H3H4X9IN
◾舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不摯s減
◾舍利子よ、この諸法は空を相とし、生ぜず、滅せず、垢つかず浄からず、増さず、減らず。

空をもてあそんで実践が置き去り

「諸法空相」は「すべての法(もの·こと)は空相である」ということです。
これに異論はありません。
パーリ経典にsabbe dhammā anatta. (諸法無我)とあって、「無我 anatta アナッター」は「実体がない」ということで「空」の同義語ですから「諸法空相」も正しいのです。
ただし「不生不滅。不垢不浄。不摯s減」という文章は、観念的な遊びです。
確かに「諸法空相」は正しいのです。「すべてのものに実体はないのです。
それを観念的に考えて論理だけを引き伸ばすなら、「すべてのものは実体がないから現れることも消えることもない、すべてのものは実体がないから汚れることも清らかになることもない、すべてのものは実体がないから増えることも減ることもない」と言うことはできるでしょう。
しかしそれは本当でしょうか?
人は現れたり消えたりするでしょう?
赤ちゃんから大人になると、体積も体重も増えていくのは当たり前でしょう?色は現れたり消えたりするでしょう?
赤ちゃんは大きくなるにつれて想(概念)が増えていくでしょう? 年老いるとボケてきて、想が減っていくでしょう? 受想行識は生滅するでしょう?
一切の現象に実体はなく、因縁によって現れては消えているのです。
現象の世界には、生滅も増減も明らかにあるのです。
それをまとめて否定してしまうと、「何もないなら, べつに実践しなくてもいいじゃないか」となる恐れがあります。
その点で『般若心経』の作者は、相当な間違いを犯しているのです。
私たちは夢を見て驚いたり怖くなったりします。
それも一つの現象です。
目が覚めて「夢だった」と言うことはできますが、だからといって「夢なんかない」と言えるのでしょか?
現に夢を見ている人は、怖がったり驚いたりするでしょう。だったら私たちには、なかったことにはできない問題なのです。
ただ「夢なんかない」言っただけで私たちの心が悟りに達するわけではないのです。


( 「アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?」より引用)
0717神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 00:50:45.99ID:H3H4X9IN
>>716の続き

無常を否定する愚

初期仏教では、あくまでも「一切の現象は生じて滅するものである」「一切は無常である」という立場です。お釈迦さまは生滅説なのですね。
これに対して『般若心経』は、「生滅がない」と言っているのです。
このひと言で『般若心経』は、せっかくお釈迦さまが発見された「無常」という真理を否定してしまうのです。
「不生不滅。不垢不浄。不増不減」というのは、論理的に、理屈では成り立ちます。
しかし理屈は実際とは食い違ったものであって、ただの観念であって、頭の遊びなのです。
だから初期仏教ではこの一連のセクションは使いません。
諸法空相(諸法無我)ということで話を終えて、あとは悟るために実践するのです。
観音菩薩はサーリプッタ尊者に、空について一生懸命説明していたようですが、たぶんサーリプッタ尊者はこの辺でさじを投げて、諦めて帰ったと思います。
0718神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 01:16:37.37ID:H3H4X9IN
『般若心経』の作者も真剣ではなかった?

最後まで読んできましたが、「『般若心経』はあまり勉強してない人が作った経典ではないかな」というのが私の感想です。
『般若心経』は仏教用語をたくさん並べていますが、パーリ経典を読んで学ぶ人からみると、経典に値しないダラダラした作品で、欠点がたくさんあります。
作者はただ適当に短くまとめてみようと思っただけで、そんなに真剣ではなかったようです。
本人は「空」ということをわかっていないし、空の思想を理解してもいませんでした。
そのことは、空を理解していたら使えない「na無しという言葉を使ってしまっていることからもわかります。
作者は、龍樹(ナーガルジュナ) のように空論を詳しく知っていた人ではないのです。
龍樹さんなら空論はちゃんと知っていますから、そんな曖昧な言葉は絶対に使いません。
きちっと責任を持って語るのです。
この経典の作者はそれほど能力がなくて、何も立証せずにただ言葉を羅列したのです。
おそらく『般若心経』は、もともと呪文を信仰している占い師,祈祷師のような人が書いたのでしょう。
知識人のお坊さんが相手にしなかった、なんの立場もない祈祷師程度だと思います。
呪文は誰でもありがたく信仰するので、書き写されて、書き写されて残っただけのことなのです。
0719神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 01:16:58.76ID:H3H4X9IN
中身の勉強は不要

ということで結論です。
中身の勉強は不要ということで結論です。
『般若心経』は中身を勉強しなくてもいい経典です。
そもそも中身がないし、論理的でもない。
だから、意味がわからないことで困らなくてもいいのです。
意味がわからないのは私たちの頭が悪いのではなくて、先生の頭が悪いからです。
先生が私たちに教えるならば、「わかりやすく教えてくださいよ」と文句を言う権利が生徒たちにもあります。
生徒たちが苦労して、できの悪い先生を守る必要はないのです。
ですから『般若心経』がわからないのは、恥ずかしいことではありません。
真剣に考えないことです。文化的な楽しみとして付き合うのが、害がなくて適切だと思います。
デザインとして使ったり、写経するなら意味を考えずに一文字一文字写経するのがいいでしょう。
『般若心経』は、仏典ほど古くないけれど、長い間みんなが大事にしてきた経典というくらいのことです。
大事に守られた理由は、短いことと、理解できないことですね。
理解できなかったのは、中身がなかったからです。
『般若心経』は大乗仏教の空思想とは関係がありません。
龍樹が確立した空思想は大乗仏教の大事な教えで、それは別のところでそれなりに頑張って成立させています。
0720パーピマン
垢版 |
2018/05/08(火) 01:28:24.66ID:06y888qv
思うに・・・・

スマさんの功績は、「日本仏教とは異なる仏教というものがあるんだ」と言う事実の
認知を広めたこと

対して罪科は、「おかしなトンでも論で、テラワダを貶めたこと」・・・・・

だと思うのだが、どうだろう?w
0721神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 01:33:02.04ID:H3H4X9IN
理論、実践、向上への躾が必要

ただ『般若心経』が広まることで起きた困った現象、弊害については、もう一度しっかり触れておきたいと思います。
ブッダの説かれたパーリ経典の立場からみれば、『般若心経』には「これが真理です」という理論、メッセージがないのです。
「このようにしなさい」という実践論もありません。「私たちは確実に、人間として成長しなくてはいけないのだ」という向上への躾も欠けています。
それは先に紹介した『慈経(Metta-suta)』と比べれば歴然としているでしょう。
「向上するための躾が欠けているならば、それはブッダの生の教えではない」
これは私たちが経典をチェックする重要なポイントです。
ブッダの生の教えなら、たとえ四行であっても、「頑張りなさいよ」という一言が、成長するための方法が、必ず入っているのです。
「すべての現象は無常であると智慧によって知る人は、すべての苦しみから解放される(『ダンマパダ』二七七)
一偈の経典であっても、ここには「やはり智慧で知らなくてはいけないのだ」という実践論があります。
理論も向上への躾も示されています。
理論と実践は切り離せないというのがブッダの立場です。
『般若心経』にはそれが入っていないことは、かなり大きな欠点です。
『般若心経』はブッダの言葉を軽々と「無·ない」と処理します。
それではブッダの言葉はそんな真剣に学ばなくてもいいということになってしまいます。
ブッダから人々の気持ちを遠ざけてしまうのです。
挙句の果てに、お釈迦さまが完全に否定した呪文をハイライトして終わってしまうのです。
唯一残った実践が呪文なのです。正しい仏道から離れてもらって、「では、やることないから、呪文でも唱えなさい」となっているのです。

( 「アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?」より引用)
0722神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 01:42:03.71ID:H3H4X9IN
まあ、長老の本を引用した自分も
>>716
をなどを読むと「空即是色」を入れた(六百巻の大般若経から抜粋して般若心経を作成するときにはずさなかった)のは正解だったとは思うw

>しかしそれは本当でしょうか?
>人は現れたり消えたりするでしょう?
>赤ちゃんから大人になると、体積も体重も増えていくのは当たり前でしょう?色は現れたり消えたりするでしょう?
>赤ちゃんは大きくなるにつれて想(概念)が増えていくでしょう? 年老いるとボケてきて、想が減っていくでしょう? 受想行識は生滅するでしょう?
>一切の現象に実体はなく、因縁によって現れては消えているのです。
>現象の世界には、生滅も増減も明らかにあるのです。

これが空即是色ということw
長老は気づいていないのかな?
あるいは自分の解釈が間違ってる可能性もあるけどw

しかし>>709などはかなり同意
「最後に般若の波羅蜜だけ残っていて、それに取り掛
かったのだ」と入れてれば「大乗は最初から無苦集滅道なので」と勘違いされないだろうしw
0723おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/08(火) 01:54:20.98ID:8n1zQ4u7
 
ttp://tkj.jp/book/?cd=70722301
宝島SUGOI文庫
般若心経は間違い?
アルボムッレ・スマナサーラ

この書籍を読んだことあるけど
『大乗をコテンパンにやっつけてる』という感じで面白かった

そして今は
ttp://www.onedhamma.com/
毎週
最新の
podcast法話が出てるので聴いちょります

大乗1.0の世界観をもって
根本仏典2.0(上座部2.0)を実践する
3.0

この法話を聴いて、やっと意味がわかった(ような気がする)

無為法の世界から観照する → 有為法の世界を見る
(縁起している世界も超えた)仏の世界からの真如縁起をもって
空即是色
仮設としての
空性であるからこそ色蘊が現れ(そして滅す)る

円成実性の世界から観照する → 依他起性している世界を見る
(円成実性を見ずして - 依他起性を見ることはできない)
0724おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/08(火) 02:36:25.44ID:8n1zQ4u7
 
たとえば
中国経由の日本の禅宗とかの場合は
一切の諸法すべて ← 仏そのもの(の現れ)なので
それゆえに
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐
という感じがするけど、とりあえず

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
光り輝いている(仏そのもの)
これに
仮設としての
煩悩とかが取り憑いている

それゆえに
ttp://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗 内山興正 思い手放し

坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません

ところが今
(仏の世界からの真如縁起をもって)
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです
すなわち思いの手放しです
実際には
((仮設としての)無明薫習に依存して)
何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし
(仏の世界からの真如縁起をもって)
それをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
0725宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/08(火) 04:47:30.37ID:C/CK3cQ+
>>703
>こういった仮説を立てるのは一向に構わないのです
>ただ仮説を真実とするためにはお釈迦様は実践して確認しなさいと言っています
>神智学では仮説を確認しているのでしょうか?

神智学は仮説ではなく、
覚者(すべてを知り賜える存在)より教示されたものです。

 『神智学は神々のもちたもう知識であるから、それは決して憶測でもなければ学説でもなく、また、些少の人間の知恵が造り出した神学や教
学でもない。それは宇宙の生成と人間の生成と両者の関係(一言でいえば神の経綸とその行程)等の全事実に関する体系である。言い換えれば、
それは神々の側より啓示された、かつ不可視の世界より人類を霊導される、高位の存在方みずからが直接体験によって直知された、宇宙生成学
と人間生成学とである。故にそれは信仰ではなく信仰の次元を超えた知識である。』
(H・P・ブラバツキー著『神智学への鍵』)

ただし、その多くの部分においては確かに未確認であり、
その内容について認めなければならないものは何もありません(摂取は各人の自由です)。
ジュワル・クール覚者(チベット人)の教えを著したA・ベイリー著の全巻の巻頭には、
以下のごとくただし書きが附せられています。
0726宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/08(火) 04:48:25.02ID:C/CK3cQ+
『―「チベット人」の言葉からの抜粋 ―
 私が書いた書物は、それが受け入れられることを全く求めずに提供される。正しく真であり、役に立つものであるかもしれないし、そうで
ないかもしれない。正しい実践と直観の働きによって、諸君自身がその真理を確かめることである。私も、A・A・Bも、これらが神の啓示
を受けた者の書であると評価されたり、覚者による作品であると人が(かたずを飲みながら)言うことに全く関心がない。
 これらの書物が、すでに世に出ている教えの上に積み重ねられるかたちで真理を紹介し、もし提供された情報が志向と奉仕の思いを感情界
から識心界(覚者たちを見つけることのできる次元)へと向上させる役に立つならば、目的を達したことになろう。もし伝えられた教えが、
世にいる奉仕者の啓発された知性の反応を呼び、直観のひらめきを招くならば、教えを受け入れるがよい。然らずば、受け入れるでない。
 もし主張が、やがて確証を得たり、相応関係の法に基づくテストの下で真であると見なされれば、それは良い。しかしそうでなければ、学
徒は書かれていることを受け入れることはない。-----1934年8月』
(http://www.sjsh.co.jp/Pages/christ.html)
0727宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/08(火) 04:49:23.94ID:C/CK3cQ+
>本来の仏教は科学的なものなのです --中略--
>〔おのが〕信仰を捨てよ」と言っています

確かに、長老の“仏教は科学的”は私も良い言葉だと思います。
尚、ご存じとは思いますが、ここでいう「信仰を捨てよ」とは、ただ文字通りの信仰に対する完全否定のことではなくて、
それまでの間違った価値観、すでに古くて役に立たなくなった迷信、ヴェーダ祭儀の至上主義...等々を捨てよということをいっています。
同じ旨の言葉がスッタニパータのこの言葉です。 
 『(師ブッダが現れていった)、ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた
信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。ピンギヤよ。』(Sn.1146)

普通の正しき良い信仰については以下のように説かれています。
そして、持つべき最高の信仰はブッダの説いた理法に対する信頼という意味での信仰です。

 『「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。知慧によって生き
るのが最高の生活であるという。」』(Sn.182)
 『「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」』(Sn.184)
 『信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。』(Sn.188)
 『尊敬さるべき真人たちに対する信仰を財とし、安らぎに至るための教えを聞こうと願うならば、聡明な人は(ついには)いろいろのこ
とについて明らかな智慧を得る。』(ウダーナヴァルガ.4)
 『信仰心の深い人は、人生の旅路の糧を手に入れる。』(同.11)
 『生きとし生ける者どものあいだにあって、信仰と知慧とを得た賢い人にとっては、それが実に最上の宝である。そのほかの宝はつま
らぬものである。』(同.9)
 『好きな人だからといってなじんではならない。ひとはそこで砕かれてしまう。清い信仰心の無い人を遠ざけて、清い信仰心のある人
に近づく。』(同.16)
0728宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/08(火) 05:02:24.95ID:C/CK3cQ+
>それと半跏思惟像の弥勒菩薩は広隆寺の弥勒菩薩像だけではないのですか?
>いくつもある弥勒菩薩像からたまたまイエスと同じ印を結んでいた像があることに気づいただけ

中宮寺の菩薩半跏像(『寺伝では如意輪観音だが、これは平安時代以降の名称で、
当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる。』Wiki)も同じです。
http://d.hatena.ne.jp/popoya/20100727/p1
ですが、そうでもない微妙な手の形のほうが確かに圧倒的ではある...。
まっ、これは神智学情報からではないので、「同一説を裏付ける根拠の一つに上げられる情報」(>>697)という言い方は取り下げます。
単に、一部の巷で噂されている都市伝説ということで失礼しました。、

>それのみに特化して弥勒菩薩とイエスは同一であるとするのは極論ですし観察で確かめられた事実でもありません

「イエス」とではなく、イエスをオーバーシャドウされたキリスト(役職「世界教師」の意)であるマイトLーヤです。
イエス覚者(当時のイエスは4.0段階イニシエートでした)とマイトLーヤはまったくの別存在であり、
イエス覚者はマイトLーヤの高弟であり、現在、6段階イニシエート(チョハン)です。
確かに一般的な確認としては、イエスの説いた教えと仏教の類似性の研究くらいしかできないかもしれません。
0729宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/08(火) 05:05:28.89ID:C/CK3cQ+
>>706-722
それら、『般若心経』についての説明の殆どが長老による勝手な誤った理解です。
あまりにもデタラメと勘違いが甚だしいので、ここに切りがないので“少しだけ”指摘しておきます。

“リンゴは果実”は正しいけれど“果実がすべてリンゴである”筈がないのだから、
この逆を述べている「空即是色」はダメだという長老の話はかなり笑えてしまう誤解の典型です。
まず、「色即是空」の色と「空即是色」での色というのは完全同一の色ではありません。
「色即是空」の色はそのまま単純に物質のことと理解していいですが、「空即是色」での色というのは単なる物質ということではなくて、
仏教の説く法則であるところの「有為法」、つまり、サンスカーラ(造作されたもの)と諸行無常の行としての
「一切法」(名色・十二処・十八界)のことを指しています
要するにこれは、“一切法の修行を実体験することによって現象界が「空」であることを体感する”という意味です。
それから、大乗でも「空」が大日如来とか久遠佛とか、法身如来、アートマン、ブラフマン...などとはいってはいません。
ただし、如来も涅槃もすべてが「空」だという馬鹿な僧侶が多いのは事実ですが
(これはまったくの間違いであり、如来も涅槃は空ではない)。

般若心経の中で繰り返し使われている「無」は、
「空」とは異なる意味の“何も無い”ということをいっているのではありません。そのように理解している大乗徒はいません。
これは“それら(色受想行識。眼耳鼻舌身意。色声香味触法...)には実体は無い”という意味として使われているのです。
この空についての説明でこのようにして「無」の文字を当てる漢訳というのは玄奘三蔵によるものであり、
大乗徒はこの三蔵による漢訳最初期の経文に対して強い敬意を示しつつ、今日までこれをそのまま受け継いできたのです。
0730宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/08(火) 05:07:34.71ID:C/CK3cQ+
>「般若波羅蜜多はどのように修行すべきか」という方法論が示されるのでしょうか? 方法論がないものは、ただの観念です。
>『般若心経』が仏教経典であるならば、ここから修行の方法論が説かれなければならないのです。

これはただの“要約”ということ。
つまり、ただ「空」について述べたいとするものであって、何もここで修行(六波羅蜜)の詳細について解説するというわけではない。
大乗徒の誰もそんな風には読んではいないから、余計な心配はご無用。

>これに対して『般若心経』は、「生滅がない」と言っているのです。
>このひと言で『般若心経』は、せっかくお釈迦さまが発見された「無常」という真理を否定してしまうのです。

いやいや..そうではなくて、
現象界の事象(眼に見える生滅の変化)そのものには実体は無いということをいっているだけであって、
結果として、それらは「縁起」であるということになるのです。だから何も問題はない。

まっ、私も般若心経が完璧な文句であるとはみていないが...。
0731神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 06:55:10.53ID:A7E4oaOi
730.
修行の方法論、か。
バカ丸出しである。
修行の結果を表現したものであるからである。
修行は過程論である。それは結果論とはならないからである。
道元がバカであるのは、その区別ができない、ことである。
0732神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/08(火) 09:21:24.08ID:LKap9yEG
>>729
>まず、「色即是空」の色と「空即是色」での色というのは完全同一の色ではありません。
>「色即是空」の色はそのまま単純に物質のことと理解していいですが、「空即是色」での色というのは単なる物質ということではなくて、
>仏教の説く法則であるところの「有為法」、つまり、サンスカーラ(造作されたもの)と諸行無常の行としての
>「一切法」(名色・十二処・十八界)のことを指しています

いや、空即是色においても色は肉体とか物質の方であって色即是空の色と変わりはないでしょ
十八界では六根六境までが色
六識は五蘊の識を六つに分別したものでそちらは受想行識亦復如是の方に含まれます
0735おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/08(火) 22:47:55.92ID:8n1zQ4u7
>>732
>空即是色においても色は肉体とか物質の方であって色即是空の色と変わりはないでしょ

色即是空
色受想行識は空性なので
それゆえに
仮設としての
遍計所執性とかが依存している
無明薫習している世界を
手放して
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
さらに無の世界も超えて
仏の世界からの真如縁起をもって
移り行く世界の様を
ありのまま見つめている

仏の世界から観照して
空即是色

それゆえに
色即是空と
空即是色は
意味が違う。という対機説法
たぶん大乗1.0も、そして3.0も

(大乗1.0、3.0の世界観としては
  色受想行識の意味が違う。という対機説法)
0736宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/09(水) 04:48:27.91ID:QNNBxrqU
>>732
>いや、空即是色においても色は肉体とか物質の方であって色即是空の色と変わりはないでしょ

 『体験を示したものは同一用語でも、低い立場や高い立場に使用されているから、同一単語であっても場合によっては、
その概念内容に雲泥の相違があることがある。たとえば般若心経の色即是空、空即是色などがそれである。まず空の意味に
も種々のものがあってこれを正しく把握することが必要であり、次に色即是空の色と空即是色の色とは、同一文字ではあっ
ても、そこに表現されている色は、第一の場合には通俗的な色であるが、第二の場合には空を理解体得した高い悟りの境地
から見られた色であって、両者は決して同視されてはならない。そこには心境の進みによる次元の相違が現れているから、
このような立体的な表現は三段論法による形式論理の対象となり得ないことが知られるであろう。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊p3-4)

色即是空の色は有為法における有為という概念を示しているものでしょう。
有為が空であり、空であるのは有為だけなのです。そして、この有為だけが仏教の説く「一切」ということ。
であるのに、勝手に無為も一切の中にぶち込んだのが部派仏教なのです。
長老のテーラワーダは部派なので、この間違いをそのまま継承しています。
涅槃も涅槃の住する如来も空などというのは、この部派の間違いの影響をすべて受けています。

 『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関するかぎり、それは生滅変化す
る現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界などとした場合、それらはすべて時間と空間の中にあってわれ
われに認識され得る現象界だけを意味した。(p112)
 原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しな
い常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、
原始仏教とは違った性格のものとなった。(p143) 』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
0737宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/09(水) 05:37:19.05ID:QNNBxrqU
追記:

なので、
「空」は一切法(有為法)としての現象界に限られるものなので(無為は生起しないから)、
敢えて、ここで「空即是色」と述べているのは非常に賢いということになる。
般若心経の中で特筆すべき記述は、実はこの「空即是色」です。
0738神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/09(水) 07:04:28.72ID:Pu6QVgkL
空即是色の方の空が一切法を示しているのだったらその後に続く受想行識亦復如是はいらないでしょう
そうではないから受想行識亦復如是とわざわざ書いているのです

般若心経の原本となった大般若波羅蜜多経を見ればそのことは明らか

舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識不異空。空不異受想行識。受想行識即是空。空即是受想行識。

ちゃんと名(受想行識)と色(色)を分けて書いています

身体(や物資)や心を実体視しないことが般若心経の教えであり
そこをぼやかして空即是色の空には心などの一切が含まれているとしたら教えが混乱するだけです
0739神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/09(水) 07:32:51.14ID:Pu6QVgkL
比丘たちよ、では、✽名色(五蘊)とはなんであろうか。
受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名というのである。
また、四大種(地・水・火・風)およびそれによりて成れるもの、これを色というのである。
つまり、そのような名とそのような色とを、名色というのである。

比丘たちよ、では、識(識別する作用)とはなんであろうか。
比丘たちよ、それには六つの識がある。すなわち、眼識と耳識と舌識と鼻識と舌識と身識と意識とがそれである。
比丘たちよ、これを識というのである。

比丘たちよ、では、行(意志のうごき)とはなんであろうか。
比丘たちよ、それには三つの行がある。
すなわち、身における行と、口における行と、心における行とがそれである。
比丘たちよ、これを行というのである。

比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。
比丘たちよ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および苦の滅尽にいたる道についての無智である。
比丘たちよ、これを無明というのである。

比丘たちよ、かくのごとくにして、無明によりて行がある。
・・・これがこのすべての苦の集積のよりてなるところである。また、無明をあますところなく滅することによって行は滅する。
行を滅することによって識は滅する。
・・・これがこのすべての苦の集積のよりて滅するところである。
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7050602.html
0740おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/09(水) 09:02:55.09ID:MV9wOEOm
 
>>738
>空即是色の空には心などの一切が含まれているとしたら教えが混乱する

仮設としての
縁起している
一切の諸法すべて

スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解をうち破って

仮設としての
縁起している
「一切の諸法すべてを(夢・幻の如く)空性である」と観照せよ

チベット ゲルク派
中観帰謬派
世俗の次元でも自相(自性)を否定する

仮設としての
有為法の世界の
「一切すべて(夢・幻の如く)空性である」という意味

(心の働きも含めて、すべて)
0741神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/09(水) 09:25:57.17ID:Pu6QVgkL
>>740
違う経典を引用するのもどうかとは思いますが
そのブッダのことばも「世界(一切の諸法)を空と観ぜよ」と言ってるのであって「色が世界の全てで一切の諸法である」とはは説いてはいません

般若心経にしても五蘊皆空と照見したのであって色蘊のみを空と照見したわけではありません
0742おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/09(水) 09:57:50.06ID:MV9wOEOm
 
>色蘊のみを空と照見したわけではありません

ttps://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/135d45345210d9384075a6349cf75349
大念住経(大念処経)

縁起している世界においては
縁起に依存して

この身に
地の要素、水の要素、火の要素、風の要素がある

地水火風の微細な粒子に分解して
最終的には?
微細な粒子も手放して、そして滅

色蘊だけではなく
受想行識も
一切の諸法すべても
微細な粒子に分解して
そして滅

我所ではない
我でもない

という観察法
0743神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/09(水) 16:16:09.86ID:J+qlw6zd
>>716
「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解
(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/052.html

まあこの人の主張もスマさんと同じだね
中国の老荘思想が入って空をウパニシャッドの梵と同じように実体視するようになってしまった
それは龍樹の空とは違うと
0744神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/09(水) 19:50:48.92ID:8Uhki2Ez
今日のガッテンは、  心頭滅却すれば云々   w
0745神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/10(木) 01:47:31.30ID:cEfzn7zC
>スマナサーラ:ブッダは古代インドにあった創造神(ブラフマー)のような屁理屈を認めていたわけではない。
>人間が生命を慈しむならば、それが梵天の境地であると言葉の意味を変えてしまった。
(スマナサーラのTwitterより)

確かにそうなのだ
慈経(メッタスッタ)ではこう説いてある

立っている時も、歩いている時も、坐っている時も、
あるいは横になっていても眠っていない限り、
この [慈悲の] 念をしっかり保つものである。
これが梵天(崇高なもの) の生き方であると言われています。

[このように実践する人は] 邪見を乗り越え、常に戒を保ち、正見を得て、
諸々もろもろの欲望に対する執着をなくし、
もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。
http://www.j-theravada.net/sutta/Metta_Suttam.html

慈悲というのは崇高な梵天の生き方であり実践すれば輪廻の輪から解脱できるから慈悲を行うべきであると?
結局は慈悲といいながら目的は自分のためかいと思いつつも道元も「利行は一法なり」と言ってるしまあ良いのか!?
0746おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/10(木) 02:10:51.32ID:bXBkkh0l
 
>梵天の境地であると言葉の意味を変えてしまった

ttp://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%9C%9F%E4%BF%97%E4%BA%8C%E8%AB%A6
真俗二諦

その当時のインドの人々にとって
仏教を理解せしめるためには
その当時のインドの世間的な考えも認めて
その理解のうえで
仏教を
その時代の
その地域の
人々に理解せしめるというやり方がとられねばならなかった

それゆえに
梵天の境地であると言葉の意味を変えても良いんジャマイカ?
という対機説法

ttp://www.bukkyouoshie.com/tenkai/sikikaibonten.html
第一禅定をもって
梵天の世界に戻り帰る
という対機説法
0747宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/10(木) 05:29:16.82ID:T1utZrbV
>>736
訂正:
 ×「色即是空の色は有為法における有為という概念を示しているものでしょう。」
 ○「空即是色の色は有為法における有為という概念を示しているものでしょう。」

>>738
>ちゃんと名(受想行識)と色(色)を分けて書いています

通俗的で物理的な濃密物質という意味での五蘊の「色」(色即是空の色)と
それとは別に、心などの心理作用(受想行識)を含めたあらゆる現象界の事象のすべて、
つまり、仏教の説く一切としての有為法という意味での「色」(空即是色)を
一応、それぞれを区別して分けて示して、尚且つ、ただしそのいずれのすべても「空」なのだということをいっています。
なので、「したがって、果物はリンゴである」といった可笑しなことにはならない。
もしも、これがまったく同じ意味としての色であったならばそのまま続けて繰り返す必要などはない。
では何故、わざわざ有為法としての色即是空としてこれを敢えて説くのかについては、
空というのは有為法に限定されるということを明確にするがためです。
「空即是色」というのは、「空」というものは「色」(この場合は物質のみならず現象界のすべての事象としての有為)に限定されることを示すものです。
このことにより、部派の犯したような一切(空)/法処法界の中に無為(涅槃及び涅槃に住する如来)も含めてしまうという愚に陥ることがなくなる。
生起きすることなく消滅変化しない無為を一切皆空(縁起している諸行)に含めることはできないからです。
ここが混乱しているからヒンドゥー側からは、
仏教の説く“縁起/空の教えそのものも所詮はただの空でしかないのだろう”として馬鹿にされるのです。
(「涅槃」と涅槃に住する「如来)も空であるなどという愚を語ってる人はもう止めにしましょうね)
0748神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/10(木) 09:27:53.67ID:vgrg3ICR
釈迦は、サトリをひらいてから、みずからを如来と称したが、べつにえらぶってそう自称したわけでもなく、また当時"如来"ということばもそのような(崇拝の対象になるような)神秘的意味はなかった。
単に法(真理)と一体化した人、という意味で、げんにこの人は、死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬称をつかったそうである。
(「この国のかたちA」司馬遼太郎)


さて、悟りを開いてからの釈迦であるが、如来になったとはいえ他から独立して生きていたわけではなく、
托鉢をして食べていたし、病老死から逃れることもできなかった。
「全てのものは相互関連し合って存在しており、独立した絶対的な存在はない」という縁起説(や諸法無我の教え)から釈迦如来が外れていたわけではない。
なので釈迦如来とてやはり空性である。
0749神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/10(木) 09:29:22.94ID:vgrg3ICR
身も心も、因縁によってできているものであるから、この身には実体はない。この身は因縁の集まりであり、だから、無常なものである。

もしも、この身に実体があるならば、わが身は、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、その思いのままになし得るはずである。

王はその国において、罰すべきを罰し、賞すべきを賞し、自分の思うとおりにすることができる。
それなのに、願わないのに病み、望まないのに老い、一つとしてわが身については思うようになるものはない。

それと同じく、この心にもまた実体はない。心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。

もしも、心に実体があるならば、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、そのとおりにできるはずであるのに、
心は欲しないのに悪を思い、願わないのに善から遠ざかり、一つとして自分の思うようにはならない。

この身は永遠に変わらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だれも無常であると答えるに違いない。

無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問うならば、
生まれた者はだれでもやがて老い、病み、死ぬと気づいたとき、だれでも、苦しみであると答えるに違いない。

このように無常であってうつり変わり、苦しみであるものを、実体である、わがものである、と思うのは間違っている。

心もまた、そのように、無常であり、苦しみであり、実体ではない。

だから、この自分を組み立てている身と心や、それをとりまくものは、我とかわがものとかという観念を離れたものである。

智慧のない心が、我である、わがものであると執着するにすぎない。

身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わって、しばらくもとどまることがない。

流れる水のように、また灯火のようにうつり変わっている。
また、心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も、静かにとどまることがない。

智慧あるものは、このように見、このように聞いて、身と心とに対する執着を去らなければならない。
心身ともに執着を離れたとき、さとりが得られる。
(パーリ中部 密丸経)
0750神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/10(木) 10:12:23.29ID:a7OKh2Di
大日如来

大乗仏教の信仰対象である如来の一尊。
大日如来の体・言葉・意識は虚空に存在し、かつ、万物の内に存在するという。

宇宙の真理を体現する象徴的な法身の仏であり、大日経などの密教経典の説き手とされる。
不動明王を化身、あるいは使者とする。それにとどまらず全ての仏菩薩の本体とも言われている。こうした壮大な教義のせいで超越神・ブラフマン的なものと誤解されることも
あるが、誤りである。密教の伝統によれば大日如来もまた一切皆空に外れる存在ではない。
https://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5
0751神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/10(木) 10:26:28.06ID:a7OKh2Di
>>748
正覚後の釈迦を一番最初に崇拝したのは仏典では梵天とされています。
世界の主梵天は釈迦に向かって合掌し「尊いお方様」と敬意を込めて語りかけたとされています(相応部6-1-1 懇請)。
0752神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/10(木) 13:07:52.04ID:arp7VQgJ
般若波羅蜜多には般若波羅蜜による智慧の完成を指す場合と般若波羅蜜の完全同意語の場合があるようです
いずれにせよ般若心経にあるように諸法を空相と見極めることが般若波羅蜜多の最終段階でそれができたら阿耨多羅三藐三菩提を得るということになります

しかしその最終段階には突然に至れるわけではなく龍樹作と言われる大智度論によると般若波羅蜜には声聞、辟支仏の修行である三十七品〜〜四念処、四正懃、四如意足、五根、五力、七覚分、八聖道〜〜の修養を必要とするとあります
『菩薩摩訶薩』は、一切の、『善法』と、『道』とを、『学ばねばならないからである!』、従って三十七品も学ばなければならないとしています
http://www.geocities.jp/tubamedou/Daichidoron/Daichidoron11-20/Daichidoronn19a.htm

日本では空海や道元は三十七品を重視していました

観自在菩薩はそう言った諸々の修行をした上での行深般若波羅蜜多だったわけであります
0753おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/10(木) 14:06:41.15ID:bXBkkh0l
 
>四念処、四正懃、四如意足、五根、五力、七覚分、八聖道

おじゃるの場合は
上座部(根本仏典)2.0も肯定派なので
縁起している世界を手放しする
その直前までは
悟りに至るための菩提分法は必要だ。と思うけど

ところがどっこい
 − これに対して −
たとえば
中国経由の日本の禅宗とかの場合は
一切の諸法すべて ← 仏そのもの(の現れ)なので

それゆえに
普勧坐禅儀 道元禅師著
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
(悟りに至るための)修行したり、悟り証したりすることもない

仏法がゆきわたっているので
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐。という感じらしい

空海
三十七菩提分法是れ法宝なり

道元
三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり
仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり
0754神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/11(金) 00:15:38.51ID:aDcjeK0J
釈尊は「我」を認めた?    


ある学者の人々は、それでも我があってほしいから、「お釈迦様は、『我はどこにもない』とは言っていない。我でないものを我と受け取るのが嫌で無我と言っただけで、真我そのものを否定してはいない」と言うのです。
「自我は否定しても自己は否定していないぞ」とも言います。
言葉で遊んでいますが、ピント外れには変わりありません。
お釈迦様の鋭さが見つかっていないというか、それを感じていないのです。
お釈迦様は人にショックを与えないで丁寧に智慧の方向に導くのです。
私たちが何かを付け加えることも、解釈を拡げることも不可能です。
遺された教えの中のほんの僅かのものを説明することしかできません。


アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第2巻 心の分析)
0755宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/11(金) 02:28:57.78ID:xr/NoVE8
>>748
>托鉢をして食べていたし、病老死から逃れることもできなかった。
>--中略--なので釈迦如来とてやはり空性である。

そういった外的な事柄や肉体(濃密物質そのもの)上のことというのは
涅槃とは直接的にはまったくの無関係なのであって、それらが如来を示すものなどではないですから。
涅槃は縁起のない世界では在るから、空性では在り得ない。
涅槃とは意識としての境地のことであって、その意識に到達しているのが如来ということ。
であるから、如来も空などとしては仏教理論は成り立ちません。
空とは、苦のある世界(一切皆空)のことです。
そこに如来が住する筈がない。

>>750
>密教の伝統によれば大日如来もまた一切皆空に外れる存在ではない。

いえ違いますから。
そのような理解(涅槃および涅槃に住する如来もすべて空)はすべて部派からの伝承による後遺症なのです。
間違ったものを自分自身で見ぬくことができないのならば、ただ伝統を信奉しているだけにしか過ぎない。
それでは意味がない...。
0756宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/11(金) 02:40:37.04ID:xr/NoVE8
>>755
訂正:
 ×「空とは、苦のある世界(一切皆空)のことです。そこに如来が住する筈がない。」
 ○「空とは、苦のある世界(一切皆空/一切皆苦)のことです。そこに如来が住する筈がない。」
0757宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/11(金) 02:42:21.38ID:xr/NoVE8
>>754
>言葉で遊んでいますが、ピント外れには変わりありません。

ピント外れは長老のほうです。
(まっ、これは長老だけに限らないが...)

まずは、
仏教においては実は、“恒常世界については認められている”
(『ウダーナ』において説かれる)ということをあなた方は知らねばなりません。
それ(恒常世界)が無為法(無為)です。
あなた方は、ただ否定しているという話(一切についての教え)しか知らないだけ。

無為とは恒常の領域であり、
そこは生じることなく滅することもなく(無常ではない)、生起しない(縁起していない)。
そこは生滅変化しない常住不変の境地であるから不死であり不滅(没することがない)。故に恒常(永遠)な世界なのです。
従って、無為に該当するものはニルヴァーナ涅槃であり、
そして、また至高の意識((唯一者である創造神)であるところのブラフマンとアートマンも同様ということになる。
ゴータマの説いた否定意とは、一切における有為(現象界)ではアートマンは認識できないということ(無為だから当然です)。
ということは、つまり、一切を超越すれば認識できることを意味する(一切を超越している領域が無為)。

 『ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、
不滅のニルヴァーナの境地である。』(Sn.1086)

 『これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。』
(ウダーナヴァルガ26-29)

 『涅槃の語は仏教以前から存在したらしく、---中略---しかし涅槃と同じく生死輪廻を超えた悟りの境地として、
パラモン教では古くから不死(amrta甘露)の語があり、仏教でも不死は涅槃の同義語とされた。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』p171新版第1刷/春秋社刊)
0758宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/11(金) 02:49:53.79ID:xr/NoVE8
〜これでも解らない人には、
私からもこれ以上のことを述べようはない...。
「認めたくない」というのもその人の自由ですから、好きにしてもらう以外にはない。
0759宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/05/11(金) 03:01:12.83ID:xr/NoVE8
>>743
これらは、
一切についての正しい理解なく、
『ウダーナ』も読んでいない誤解した人たち同士の対話です。

取り上げる価値が無い...
0761神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/11(金) 11:43:57.03ID:LMZGQGXu
8.1 第一の涅槃に関することの経

「比丘たちよ、その場所(処)は存在する
――そこにおいては、まさしく、地なく、水なく、火なく、風なく、
虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処:虚空のように終わりはない、という瞑想の境地)なく、
識別無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処:心意識に終わりはない、という瞑想の境地)なく、
無所有なる〔認識の〕場所(無所有処:いかなるものも断片的対象物として存在しない、という瞑想の境地)なく、
表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処:表象があるでもなく表象がないでもない、という瞑想の境地)なく、
この世なく、他世なく、月と日の両者はない。
比丘たちよ、そこにおいて、また、わたしは、まさしく、帰る所(現世)を説かず、赴く所(来世)を〔説か〕ず、止住を〔説か〕ず、死滅を〔説か〕ず、再生を〔説か〕ず、
これ(涅槃)を、依って立つところなきものと〔説き〕、〔対象として〕転起されることなきものと〔説き〕、まさしく、〔転起された〕対象ならざるものと〔説く〕。
これこそは、苦しみの終極“おわり”である」と。
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html

ここまで無を連続させるのは般若心経と同じです
つまりどういうことか
般若心経の作者(あるいは元の大般若経の該当箇所の作者)は空を涅槃とか法身の意味で使用しているということ
般若波羅蜜多によって一切の苦厄を度して到達した彼岸は空であって空即涅槃ということになります
空も涅槃も無分別の世界であるということです
0762おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/05/11(金) 20:29:39.08ID:MaaFPeBR
>空即涅槃?

現代語訳
ttp://www.geocities.jp/tubamedou/Tandoku/Shinngyou2.htm
般若心経
般若の智慧と慈悲をもって
般若波羅蜜多を深く極め
六波羅蜜を行って
仮設としての
縁起している
一切の諸法も
仮和合の五蘊も
すべて
『空性である』と観照してる

智慧と慈悲をもって
戒・定・慧・解脱・解脱智見
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(智慧も慈悲も)

ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html

さらに無の世界も超えて
般若の智慧と慈悲をもって
移り行く世界の様を
ありのまま見つめている

円成実性の世界から → 依他起性している世界を見つめてる
0763神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/12(土) 00:39:08.45ID:yIp2CHvG
>>757
【諸行無常·諸法無我、涅槃もまた無我】

そうすると、愚か者たちはこう言います。「木が無常だということは、子供でもわかります。私の身体も命も無常だということは、子供だってわかるでしょう。そんな偉そうな話ではありません」
「大切なのはそんなありきたりの世界ではなく、永遠の実体の世界、真理の世界、ありのままの個我を真我へと昇華させることでしょう」と。
永遠の実体などはじめからないのに勝手な結論を出すのです。

そこでお釈迦さまは、サッベーサンカーラーアニッチャー「sabbe sankhārā anicca(諸行無常」と説きます。
「諸行」とは、世の中にあるすべての現象、森羅万象のことです。それは無常であると
そして、サッベー ダンマー アナッター「sabbe dhammā anatta (諸法無我) 」と説かれるのです。

ここで注意してほしいのは、「諸法」と「諸行」は違うということです。
「諸法」には、現象だけでなく、すべてのものが含まれています。
「法」の場合は、何も抜けていないのです。そして、すべてまとめて無我である、とお釈迦さまは説くのです。
無我という概念を使う場合は、「法」という言葉をわざと使います。
「諸行無我」という言葉はありません。あくまでも、「諸法無我」なのです。
では、なぜ「諸法無常」と言わないのでしょうか。「ウサギの角」という言葉を考えてみましょう。
これは、人間が頭の中でつくった言葉で、実際のウサギには角はありません。
ウサギの角は、無常でしょうか。
はじめからないものですから、無常とはいえません。しかし、「ウサギの角」という概念は「法」に入ります。
存在はしませんが、頭の中で組み立てた思考としては存在します。
それが無常だとは言えませんね。
たとえば、目の前にあるペットボトルは、無常です。実際にあるのですから。
ペットボトルは、同時に無我です。永遠に変わることがない「実体」などありません。
そういうわけで、無我という単語を使う場合は、「諸法」と言わなければならないのです。
0764神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/12(土) 00:46:00.40ID:yIp2CHvG
こうまとめてもよいでしょう。
行..因縁によって起こる現象
法..涅槃も含むすべて
「法」と言えば、「涅槃」も「ウサギの角」も「亀の毛も「空華(虚空に浮かぶ実在しない花。凡夫が、実体の無い存在を実体が有るかのように誤ることのたとえ) 」も全部入っています。
それらはすべてが無我です。
ですから、涅槃もまた無我なのです。
「涅槃もまた無我」と言うと、誤解するでしょう。
仏教では究極の幸福の境地として涅槃を説かれています。
無我を発見していない一般の方々は、涅槃の境地に達したら永遠の幸福の命を獲得したようなものだと推測します。
しかし、涅槃という境地は、認識概念では説明不可能です。
すべての概念は現象の世界を指しています。
現象を乗り越えた世界に対して、言葉も概念もありません。
強いて言えば、生き続けることは苦であり、それを乗り越えられたならば、幸福である、という程度の話です。
最初から自我はなかったのです。
自我があるとは人間の錯覚·幻覚です。
覚りに達する人には、自我の錯覚が消えます。
幻覚が無くなるのです。それだけです。
覚った人に、今までなかったアートマン (自我)が突然現れるはずはないのです。
涅槃も無我です。
ですから、諸行無常で諸法無我なのです。

(無我の見方 (「私」から自由になる生き方) アルボムッレ・スマナサーラ)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況