【東京】カトリック吉祥寺教会【吉祥寺】 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net

1神も仏も名無しさん2017/08/28(月) 17:58:16.48ID:j/6yxgLp
カトリック教会の中でも、大きな教会。スレッドがないことが不思議なぐらい。

未信者の方でもカトリックに興味のある方、大歓迎です。

四谷のイグナチオ教会ほどではないものの、交通の便が非常に良いことや、近隣の方も多いかと思います。吉祥寺教会について、いろいろ語り合いましょう。

14神も仏も名無しさん2017/11/20(月) 17:53:07.72ID:VMk/AEBt
キリスト教やヤーウェ(ユダヤ教)は不動明王に非常にだまされやすい。
西洋の分析では見抜けない所から、嘘おおげさ紛らわしい術他を不動は仕掛けてくる。
だから西洋が東洋の術を見破るにはKSAから東洋のよくよく仏陀になったものを何体もつれてこなくてはならない。
東洋でもアマテラスみたいに浅知恵だとだまされている。(例えば今まであたった霊媒師達が私のことを
こぞってわるくいってるのにひっかかていたが、それらは全員不動の術中にはめられてる者たちだった。)
釈迦もだまされていた?ことがある。
過去にキリストはだまされて神戸の地震をおこしてると霊媒師に何件も聞いたし、
ヤーウェは不動にだまされたまんま豊田にいやがらせをした。そしてだまされたまんま
どちらもこっちの邪魔をしてくる。だから不動はみんなおがんじゃいけないし
不動はもはや悪い方へ行ってしまったのではやく上の神仏が弁償大きくとって抹消しきらなきゃいけない。
まずは一番だましの術中にはめてくる不動のおでこのチャクラは絶対は解すべきだ。2度とさいせいしないように。
イルミナティも不動のわけ御霊だといっていた霊媒師がいたので同じ。
今後もこんなことが続くようならクリスマスも祝って栄えるに値しないし、
もちろん初詣も不動関係の神社には絶対いってはいけない。みんなひがみでつぶしあいになって
ダメにされてしまう。

15神も仏も名無しさん2017/12/02(土) 23:37:28.30ID:NLYGAWBo
ここの教会に限った話ではないが、毎週ミサに参加してる20〜30代でまともなやつはいない。

16神も仏も名無しさん2017/12/03(日) 08:12:26.11ID:ibRaj/Rz
 現代のカトリック教会は霊性が失われて
いて俗化しているから
 俺は教会通いは止めました

17神も仏も名無しさん2017/12/17(日) 10:52:09.90ID:urv3CHlF
クリスマスミサだと以前は入口からあふれるほど、
人が参加していましたが、昨年は参列者がかなり少ないように見受けられました。

恐らく今年もそんなもんだとおもいます。

一部の頭のおかしい人種の暴走。神父のレベル低下。
建物の老朽化。

いいところがまったくありません。
人が離れていくのも当然かと思います。

18神も仏も名無しさん2018/01/24(水) 15:30:51.77ID:Vv2RgBU+
神言会に期待しちゃだめだよ。

19神も仏も名無しさん2018/03/06(火) 14:44:42.19ID:HUs+jodg
悪質ブロガー杉本徳久は2月23日に刑事告訴だってよ!

20神も仏も名無しさん2018/03/06(火) 15:08:13.68ID:0ibKbjPD
聖体奉仕会の歌を発見した。


百一度の涙 - 秋田の聖母 Hymn for Our Lady of Akita

https://www.youtube.com/watch?v=nqoyfbUwp8Y

21神も仏も名無しさん2018/04/20(金) 15:05:41.32ID:D2lYQC++
             /          ヽ
            ( /(  ( /\    |
             `mn mn   ヽ⌒ i
             l l l l l l l !、∩  _ノ⌒\
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              u  |  |  ヽ  |//^ヽ
             u |  |7`|   |/   .l
                 |  l´., |     / ノ
               ヽ__ ノ ヽ_ / ./
                 ,/           i
                 ,/          {  
            ,/ /            ヽ
            i             ヽ
                | φ             ヽ
             l                  l.
               `.           ,        |    自己満足の見栄張り焼肉大会…つまらない
                 \.      /        |    日本で成果を上げなければ後が無いおじちゃんの自己マン性会って…意味あるのかしら
               ` 、_t_ ■■        l    ライバル教会が賑やかなのを嫉妬して空元気に嘘だらけの酒池肉林、不祥事を隠す卑劣な性会
                    |`■■■ ̄´|  l
                   l   l      l
金ちゃんに、こんな体にされました ・・・ひどい  
チン学校に入れてやるから堕胎(おろ)してくれと言われました・・・○○○担ぐの疲れました、もうイヤ
ライバルの他の教会の僕氏さんの子供が自殺したからって笑って罪の報いだと言わないで下さい・・・卑劣だわ

22神も仏も名無しさん2018/04/21(土) 15:05:41.51ID:Z/VSpbaS
     ■■■■■■■■■■■■■■■
    ■■                  ■■ 頭悪いんだから素直に注卒でええやろ!滑稽な偽学位で騙さんても!
    iiiiiii                    iiiiiii
    iiii     __        __    iii 数々の不祥事、 パワハラや強姦紛いの宗教を騙った暴力!
    ii    /               \   ii    
   |                        | 金銭トラブルに嘘の総会、反抗する者には83で恫喝!
   |                         | 虚偽宣伝、自意識過剰な虚栄心!
   |      \          /      |  やり直し出来るなんて真っ赤な嘘、何人の人を神から遠ざけましたか?    
  /   _ _                   _ _  \ 
  |                           | 神学的知識も自慢するが間違いだらけとある牧師が笑ってました!
  |                           |  
  |            |  |           |  教会員を追い出し自殺に追いやって惚けてる!
  \                           /  
   |   __/   ●  ●   \__   |       
   |        ______        |  
   |        \       /        |  
   |         \    /         |  周囲の牧師と異常な競争心を燃やす♪ 
    |            \/          |  下らない自己顕示欲が幼稚♪
    \_______________/ それも年下の牧師に嫉妬ばかり♪ 若い牧師から嫌われている♪
牧師金ちゃん、まだしゃぶって末世!目的は自分の名を挙げ上座に座ることや♪
今も元◎X△を強調しそれをひけらかせては周囲を恫喝!
教会を離れた信徒の悪口に陰口、自己正当化を謀る様々な愚行!
日本の教会の未来はまるで自分の肩にかかってるかのようにかっこ良く語るが、とても尊敬できるような人ではない!

23老クリスチャン2018/05/19(土) 14:07:11.71ID:hdWbP92D
久しぶりに書き込ませていただきます。
>>17 「クリスマスミサだと以前は入口からあふれるほど、人が参加していましたが、昨年は参列者がかなり少ないように見受けられました。」

質問ですが、ミサに 「参列する」 という言葉は、カトリックの信者さんたちが昔から使っていた表現ですか?
現代のカトリック教会では公式には、ミサを 「ささげる」 という表現を使っているようです。
私はこの表現は、とても大切なもののように思います。

プロテスタントでは礼拝に 「出席する」 という表現が使われるのが普通ですが、ほんとうは少しおかしい。
「授業や講義に出席する」 みたいな感じではありませんか?

日本の昔からの表現では、「神社に参拝する、お参りする」 などと言われてきました。
「参列する」 では、何か義理を果たしに行くみたいに感じませんか?

24神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 08:35:10.07ID:N8qEqzWJ
うっとおしい長文コピペをカトリックスレに貼りつけている老クリスチャンか。
お前はカトリックスレに来るなよ。

25神も仏も名無しさん2018/05/24(木) 05:44:15.52ID:rt3UaKwq
>>23
「ミサをささげる」というのは司祭の立場の表現。
(「ミサを立てる」という表現もある。)
信徒の立場では、「ミサにあずかる」と言う。

無知な部外者は誤った情報を語らないように。

26老クリスチャン2018/05/24(木) 10:45:12.29ID:QzIAM6dn
ローマ・ミサ典礼書の総則は第一章の冒頭で、「」ミサの祭儀は、キリストの行為であり、位階によって秩序づけられている神の民の行為であって ・ ・ ・」(暫定版 16)と述べています。
これは典礼憲章に 「典礼行為は個人的な行為ではなく、教会の祭儀である」(26)と書かれていることの説明です。
この理解を明確に理解して、多くの教会で使われているミサ式次第のサンパウロ版は 「キリストと我等のミサ」、オリエンス宗教研究所版は 「ともにささげるミサ」 と表題が書かれています。
カトリック教会のミサに参加する皆さんは、典礼憲章 48 の呼びかけに正しく応えることを期待されているのです。
「教会は、キリスト信者が、部外者あるいは無言の傍観者としてこの信仰の神秘に列席するのではなく、・ ・ ・ よく理解して、意識的に、敬虔に、行動的に聖なる行為に参加(することを期待している)。」

数年前に 2チャンネル時代に、わたしが一度書き込んだ 「典礼憲章に学ぶ」 を、今回再書込させていただきます。

27老クリスチャン2018/05/24(木) 10:46:14.27ID:QzIAM6dn
【典礼憲章に学ぶ @】
「神父さまが白と言えば白、黒と言えば黒。 信徒は自分で考えたり、意見を言ったりしない」 というのが、カトリックの信仰だと思っている人たち、特にそういう高齢の信者が多いことを、私も知っています。

皆さんよくご存じの 「聖書と典礼」 が発行されて、多くの教会で一般に利用されるようになったのは、1970年代の終わり頃からでありました。
「ローマ・ミサ典礼書の総則」 と 「典礼暦年に関する一般原則」 の二文書だけをまとめた別冊本が、一般向けに初めて出版されたのは1980年のことす。
私が本格的にカトリックのミサについて学び始めたのは、その頃からでありました。
やがてほぼ一年に亘って、毎週司祭館をお訪ねして神父さまのご指導をいただいた後、2000年1月から主日のミサに参加させていただくようになりました。
その頃の私の心には、カトリックの神学と信仰への深い尊敬と共に、カトリックの信者の皆さんへの大きな期待がありました。
そして、第二バチカン公会議の公文書集を真剣に学ぶようになったのです。

しかしその結果は、信徒だけではなくて司祭たちまでもが、事実上まるでほとんど典礼憲章と典礼刷新を理解していないという実態を、嫌というほど知らされたことでした。
私はそれ以来、「不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べ」(ロマ 10:21)ておられる主の愛に、ひたすら信頼して祈ることを学ぶようになりました。
私が15年間、私の WebSite に掲載し続けた 「聖書の学び」 は、このような状況の中で書かれたものだったのです。

28老クリスチャン2018/05/24(木) 10:47:16.59ID:QzIAM6dn
【典礼憲章に学ぶ A】
(22 典礼に関する聖職位階の管轄権) 「§1 聖なる典礼の規制は、教会の権威によってのみ行われる。 この権威は使徒座のもとにあり、かつ法の規定に従い司教のもとにある。」
「§3 したがって、他の何人も、たとえ司祭であっても、自己の考えで何かを加えたり、削除したり、変更したりしてはならない。」

カトリック教会ではたいてい、「キリストと我等のミサ」(サンパウロ)か、「ともにささげるミサ〔ミサ式次第 会衆用〕」(オリエンス宗教研究所)を使って、主日のミサを行っています。
誤解してならないのは、これはみんなが自分たち独自のミサを工夫したり作り出すための資料ではないということです。
決してミサに独自の解釈や工夫を加えてはなりません。
そうではなくてこれは、「ローマ・ミサ典礼書の総則」 に沿って実際にミサがささげられるための要約書、ないしガイドブックなのです。

意図的にせよ、無知によるにせよ、ミサが 「勝手気ままな」 仕方で行われている実状を嘆いて、ラッツィンガー枢機卿は2002年にその著書の中で次のように書きました。
「このことに関して、率直に言って典礼への養成は今日、司祭に対しても信徒に対しても、悲しくなるほどに欠けています。」(典礼の精神 p.189)

29老クリスチャン2018/05/24(木) 10:48:21.07ID:QzIAM6dn
【典礼憲章に学ぶ B】
(14 典礼教育と行動的参加の推進) 「母なる教会は、すべての信者が、十全に、意識的かつ行動的に典礼祭儀に参加するよう導かれることを切に望んでいる。」
(26 位階的・共同体的行為としての典礼固有の性格に基づく基準) 「典礼行為は個人的な行為ではなく、教会の祭儀である。」

この、もっとも基本的なミサ理解のために、我が国の司教協議会も 「ミサ典礼書の総則」 によって特に強調して指導して来ました。
しかし、ここ 2ch でも、「教会の祭儀」 よりも 「個人の信心」 を優先させるような主張が、繰り返し書き込まれています。

(ローマ・ミサ典礼書の総則 42) 「 ・ ・ ・ 会衆の動作と姿勢は、・ ・ ・ 個人の好みや自由裁量に対してよりも、・ ・ ・ 神の民の霊的共通善に寄与することに対して注意が向けられなければならない。
すべての参加者が共通の姿勢を守ることは、聖なる典礼のために集まったキリスト者共同体の成員の一致のしるしである。」

30老クリスチャン2018/05/24(木) 10:49:39.24ID:QzIAM6dn
【典礼憲章に学ぶ C】
(56 ミサは一つ) 「ミサをいわば構成している二つの部分、すなわちことばの典礼と感謝の典礼は、一つの礼拝行為となるように相互に固く結ばれている。」

かつてプロテスタントの連中に非難されたように、現在でもなおカトリックの信者自身が 「ことばの典礼」 を軽んじて、聖書の朗読と司祭の説教から神の言葉を聞くという熱意に欠けている傾向があります。

(7 典礼におけるキリストの現存) 「キリストはご自身のことばのうちに現存しておられる。 聖書が教会で読まれるとき、キリストご自身が語られるからである。」

次の主日ミサへの参加の備えとして、私の 「聖書の学びからの抜粋」 を活かして用いようとする人々だけではなくて、かえって目障りに感じる人がいるのも、「ことばの典礼」 への無理解と軽視によるものだと思われます。

31老クリスチャン2018/05/24(木) 10:51:08.89ID:QzIAM6dn
【典礼憲章に学ぶ D】
司祭の主要な任務は、「キリストの名によって人々のために過越の食事を整えて、救いのいけにえをささげ、
ことばと秘跡によって神の民を力づける」 ことであると言われています(聖木曜日の聖香油のミサの叙唱から)。
ですから、通常の主日のミサにおいては、「ことばの典礼」 の中で説教(Homily)をすることと、「感謝の典礼」 で 「神の民全員の名において、いのちに満ちた、とうといいけにえをささげる」 ことが司祭の任務です。

カトリック教会では、「必要な場合は信徒が教会で教話 (Predigt) をすることが認められる」 と定められています(新教会法典 766-767)が、これは Homily とは別のものと理解されています。

私は以上の事情をよく理解した上で、15年間に亘って 「聖書の学び」 を、毎週 WebSite に掲載して来ました。
しかもそれは、教会の活動の一部としてではなくて、(Web 上の)純粋に私的な活動として、区別して行って来たものです。
ですから 2ch で、ある人たちがこれを 「神父ごっこ」 と呼んで非難するのは、全く見当外れなことなのです。

32老クリスチャン2018/05/24(木) 17:57:43.74ID:QzIAM6dn
2003年(主日B年) 6月15日 三位一体の主日
申 4:32〜40  ロマ 8:14〜17  マタ 28:16〜20

初代教会以来今日に至るまで洗礼式は、受洗者と教会が信仰宣言を用いて共に信仰を告白する場であります。
人は洗礼によって 「神の霊に導かれる者」(ロマ v.14)たちの共同体に迎え入れられます。
ですから当初から、聖霊は洗礼を有効にし、受洗者を神の国の相続人とするものと理解されていました。
イエス・キリストの名による洗礼は父なる神の愛から発した秘跡であり(ロマ v.15)、聖霊の導きによって歩み始めることであるとの力強いメッセージを、私たちはこのテキストから聞かされています。

形式としての三位一体という表現は、聖書の時代よりも後になって出現したのですが、それはキリストの福音を総合的にまた正確に述べ、そのことによって今日に至るまでの福音の伝承の不変性を守ることとなった、古代教会の重要な神学的所産でありました。

私たちのミサの開祭は入祭の歌で始まり、それに続いて司祭と会衆があいさつを交わします。
   「父と子と聖霊のみ名によって。」  「アーメン。」
   「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに。」  「また司祭とともに。」

主日の朝に神によって呼び集められた会衆は、三位一体の神との交わりの中で一つになり、共にミサをささげる民としてのあいさつを交わすのです。(土屋吉正著「ミサがわかる」 p.31 参照)
洗礼の秘跡がそうであるように、教会のその他のすべての働きも父と子と聖霊の名によって行われることによって、キリストの体は造り上げられて行きます。
実に私たちにとって今も 「主は生きておられる」 のです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

33老クリスチャン2018/05/25(金) 11:45:32.72ID:qiXNz3BD
2006年(主日B年) 6月11日 三位一体の主日
申 4:32〜40  ロマ 8:14〜17  マタ 28:16〜20

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ロマ v.14)

使徒たちが語り、原始キリスト教が体験したような力強い聖霊の臨在感は、恐らくその時代独特のものでありました。
しかし使徒後の教会は、使徒たちの体験ではなくて彼らが伝えた聖霊への信仰を、特にその典礼の中で表現しました。

私たちがミサごとに歌う栄光の賛歌は、「主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、イエス・キリストよ。 聖霊と共に、父なる神の栄光のうちに。 アーメン」 と、聖霊を父と子への礼拝と結びつけています。
公式祈願の結びが、「聖霊の交わりの中で、あなたと共に世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン」 となっているのも同様の理由によるものです。
それは “祈りの法”(lex orandi)は “信仰の法”(lex credendi)と一致する ・・・・・、すなわち教会の典礼は常に教会の信仰に基づいているからです(ミサ典礼書の総則 前文 2 参照)。

私たちが洗礼の秘跡によって、私たちを 「神の子とする霊を受けた」(ロマ v.15)のであれば、私たちは神の国の相続人、「しかもキリストと共同の相続人です」(ロマ v.17)。
私たちは主日のミサをささげるごとに、この使徒継承の信仰を共に宣言しているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

34神も仏も名無しさん2018/05/25(金) 11:49:30.47ID:djwpm+75
 
       / ̄ ̄ ̄\
      /ノ / ̄ ̄ ̄\
     /ノ / /       ヽ
     |  /  | __ /| | |__  |         ―┼‐        
     |  |  LL/ |__L ハL |           」    ┼,
     \L/ (・ヽ /・) V        (__   (|フ)    このスレも
     /(リ  ⌒ ●●⌒ )  
     | 0|    __   ノ!     ー┐1 o              ヽ
     |  \   ヽ_ノ /ノ        | |ー  ,ヘ o  ┼ ナカ キΞ⊥、 /Τヽ
     ノ   /\__ノ 丶   .  −┘└― /   \ / (_,  」 ロ 人 ヽノ  ノ
    ( ( /  | V Y V | i |
     )ノ |  | ___| | |           ナ,ム  土  l | ナ ヽヽ
                           × ロ  α  ノ   こ

35神も仏も名無しさん2018/05/25(金) 14:37:36.89ID:+RxGAlkz
嘘つき日本大学

36老クリスチャン2018/05/26(土) 10:51:41.04ID:ssbx42v5
2009年(主日B年) 6月7日 三位一体の主日
申 4:32〜40  ロマ 8:14〜17  マタ 28:16〜20

「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け ・・・・・ なさい。」(マタ v.19)

私たちが聖書を通して知る初期のキリスト教は、明らかにキリストを言い表す宣言をその信仰の本質と考えていました。
キリスト教の中心点を主張するのに、キリストへの信仰を宣言すれば十分であると考えられていたのです(使 16:31、フィリ 2:6-11)。

マタイ福音書のこの三位一体定式は、信仰宣言が洗礼の際に用いられるうちに発展して行った2世紀頃の形であろうと思われます。
しかしそれは変化ではなくて、原始教会が初めから持っていた信仰の、より総合的な宣言形式であったと言うことが出来ます。

ローマ・ミサの解説書の中で、ユンクマンは開祭のあいさつについて次のように述べています。
“けれどもこれは、世間の会合で行われるような、ありきたりのあいさつなどではない。 私たちは神のもとに集まるのである。 それは宗教的なあいさつであり、神からの祝福のことばに外ならない。
つまり使徒の手紙の中に見られるものや、すでに典礼の中で広く慣用になったものである。 開祭は宗教的なものである。
そのことは、初めに十字架のしるしをすることでも、そのしるしをしながら 「父と子と聖霊のみ名によって」 と唱える古くからの三位一体の式文によっても、強調されている。”(ミサ pp.200-201)

ミサの “集会祈願” の結びのことばも、この三位一体定式になっています。
“聖霊の交わりの中で、あなたと共に世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。”
全世界のカトリック教会は、復活節後の最初の主日に心を一つにして、“唯一の神を礼拝するわたしたちが、三位の栄光をたたえることが出来ますように” と祈ります。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

37神も仏も名無しさん2018/05/26(土) 11:23:25.26ID:iTB/Uqf4
老くそジジイ

早く クタバレや !

38神も仏も名無しさん2018/05/26(土) 21:57:09.24ID:4KlFGf99
 

             ○________
              .||            |
              .||   侵   略    |
              .||            |
              .||  老 ≼ⓞ≽ 栗   |
              .||             |
              .|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          / ¨>.||  今ここに
         厶/ww ||   侵略の旗を
         ノリ ^ヮ^ ||     立てるでゲソ
          ヽ  つ0  
           し―-J

39神も仏も名無しさん2018/05/30(水) 11:46:05.38ID:XD9xEY8f
「老クリスチャン」はプロテスタントなので間違った内容も書かれている。
読まないほうがいい。

40神も仏も名無しさん2018/06/07(木) 16:46:36.08ID:wIzodQ3s
>>19



山口民雄くん! おつかれ!  
2002年 KGK夏合宿は楽しかった?

ID:HUs+jodg
ID:Q2TeGteB
ID:4hnMzDsB
ID:r/ACKTIu 
ID:e9qF2rXt 
ID:LWEJYByl  
ID:yHXUzCha 


http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/6030/natugasshuku.htm

2002年 KGK夏合宿  準備委員長  山口民雄
元明治学院大学 ヘボン研究会OB
元KGK(キリスト教学生会)OB

41神も仏も名無しさん2018/06/15(金) 00:30:17.32ID:WBw6NumJ
いつまで経っても、下手くそな日本語しか話せない外国人神父は、母国に帰れ。
調子こいてる、童貞お山の大将である、日本人神父も辞めてくれ。
お前ら居なくても、教会は、十分回る。
叙階の秘跡、笑わすな。
童貞〜♫ 童貞〜♪ くそくそ童貞〜🎶
精神的にも、肉体的にも、未熟♡🎵

42神も仏も名無しさん2018/06/18(月) 23:20:43.20ID:M2EYYd/u
有名ブロガーの杉本徳久氏、民事提訴と刑事告訴されたようで誠に残念です。
罪の赦しは罪の自覚が必要です。

43神も仏も名無しさん2018/06/18(月) 23:57:18.63ID:C2Klhr4O


山口民雄くん! おつかれ!  
2002年 KGK夏合宿は楽しかった?

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http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/6030/natugasshuku.htm

2002年 KGK夏合宿  準備委員長  山口民雄
元明治学院大学 ヘボン研究会OB
元KGK(キリスト教学生会)OB

44神も仏も名無しさん2018/06/20(水) 08:39:16.47ID:LLTQ3UwQ
カトリック吉祥寺教会の皆様
警察に出向いて必死に罪を免れようとしている有名ブロガーの杉本徳久氏によろしく

45神も仏も名無しさん2018/06/20(水) 23:04:52.65ID:iTmJzjTp


宗教板でキリスト教会案内を自演するのと同様
こんなスレで騒いだって世間は見向きもしないだろうに?

どこぞの勘違いブログ主の方がよほど立派だし、潔いと思うよ

46老クリスチャン2018/06/29(金) 14:53:50.14ID:MFqXj7lG
2006年(主日B年) 7月2日 年間第13主日
知 1:13〜15,2:23〜24  IIコリ 8:7〜15  マコ 5:21〜43

マケドニアとアカイアの教会は、当時窮乏の中にあったエルサレムの教会の信者たちを援助するために、自発的な募金を始めていました。
ここで 「慈善の業」(IIコリ v.7)と呼ばれているものは、教会が事業として行う外の世界への施しではなくて、救われたキリスト者たちの間での相互扶助として捉えられています。

エジプトを出たイスラエルの人々の共同体は、荒れ野で天からのパンを与えられて、約束の地に到着するまで養われました。
朝ごとに人々は宿営の周りに出て、ある者は多く集め、ある者は少なく集めました。
使徒パウロはここで、それをみんなで分け合ったので、「多く集めた者も余ることなく、わずかしか集めなかった者も不足することはなかった」(IIコリ v.15)と解釈しています。

各地の教会の信者たちは、共にキリストの血によって贖われ罪赦された民であって、御国を受け継ぐキリストの再臨の日に向かって旅しているのだという仲間意識を強く持っていました。
「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。 だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」(IIコリ 11:29)とは、そのことでした。

現代の教会が、現代のキリスト者が、自分たちは神の国の約束と復活の希望を共有している民なのだという信仰に、再び目覚めることを、天上のキリストは今朝の朗読配分を通して呼びかけておられます。
どうか私たちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、私たちに知恵と啓示との霊を与えて、心の目を開いてくださいますように(エフェ 1:17-18)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

47老クリスチャン2018/06/30(土) 14:09:52.53ID:gc6P7dVY
2012年(主日B年) 7月1日 年間第13主日
知 1:13-15, 2:23-24  IIコリ 8:7〜15  マコ 5:21〜43

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。 それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(IIコリ v.9)

これはエルサレム教会の窮乏を助けるための異邦人教会からの援助について、パウロが奨めている手紙の一節ですが、私たちはこれを世間一般の慈善と同じように理解してはなりません。
聖書のイエスを、ただの気前の良い太っ腹な主人のように考えるのと、「主イエス・キリストの恵みを知る」(IIコリ v.9)こととは、全く別のことなのです。
これはキリストの受肉の出来事を指していて、“神の身分でありながら、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられたこと”(フィリ 2:6-7)、
“わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったこと”(ロマ 5:8)、“父なる神がわたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡されたこと”(ロマ 8:32)だからです。
エルサレム教会から始まった福音の宣教によって、異邦人はその霊的なものにあずかったのだから、今彼らの窮乏を助ける義務があるとパウロは言ったのです(ロマ 15:26-27)。

現代の私たちがミサのことばの典礼で、聖書を通して使徒たちと原始教会の宣教者の説教の片鱗に触れることが出来る幸いを、感謝しましょう。
私たち信者は、ことばの典礼を通して、善意と慈愛に満ちた美しいイエス物語りではなくて、そのために命をかけた使徒と殉教者の宣教を、確かに聞いているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

48神も仏も名無しさん2018/06/30(土) 14:20:41.24ID:jczRCx0l
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/

49老クリスチャン2018/07/05(木) 12:12:23.17ID:wHP0d82v
2000年(主日B年) 7月9日 年間第14主日
エゼ 2:2〜5  IIコリ 12:7b〜10  マコ 6:1〜6a

主イエスが神の国の福音を宣べ伝えてその公の活動を始められて間もなくの頃、ある安息日に弟子たちを連れて故郷の町にお帰りになりました。
既にイエスはガリラヤ方面ではかなり有名な存在であり、神の力によって多くの悪霊を追い出しておられました。
イエスを救い主として信じる信仰が人々の間に生まれつつありました。

しかし、故郷の町ナザレでは事情が違いました。
人々はあまりにもよくイエスを知り過ぎていました。
人々にとってイエスは同郷の仲間であり、彼ら同郷人の中の一人に過ぎませんでした。
イエスについて知らないことは殆ど何もないはずでした。

「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。 この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 この人は、 ・・・・・ 、 ・・・・・ ではないか。」(マコ vv.2-3)

故郷の人々は、イエスについて既に十分に知っていると思っていたために、神の子としての主イエスを理解することが出来ませんでした。
福音書はその有様を次のように報告しています。

「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 そして、人々の不信仰に驚かれた。」(マコ vv.5-6)

50老クリスチャン2018/07/05(木) 12:13:28.85ID:wHP0d82v
(つづき)
このような情況を “不信仰” という言葉で表現をするなら、この言葉が当てはまるような場面は私たち現代人にとっても決して無縁ではないばかりか、むしろ日常的でどこにでもあることのように思えます。
人々の不信仰が、神の国の福音を “理解出来ないもの” にしてしまっています。
不信仰という世俗の力が支配しているので、現代人には主イエス・キリストの死と復活が理解できない ・・・=E・ 。

聖書を、それが書かれているとおりに読み、語っているとおりに聞くということが、現代人には困難に思える ・・・・・ 。
この “不信仰” という現実はあまりにも強力で、この現実の壁の前で現代の教会は妥協を強いられて来たというのが事実に近いのではないでしょうか。

今朝の朗読聖書の他の二つのテキストは、このような現代の教会に向かって、情況を全く別の面から見ることを教えてくれるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

51神も仏も名無しさん2018/07/06(金) 11:47:57.69ID:SkWLrVjf
杉本徳久とかもうとっくにいろんな意味で死んでいる人間のことを話題に出すとか、お前こそ頭おかしいだろ??

52老クリスチャン2018/07/06(金) 12:00:34.34ID:OI+DOT30
2003年(主日B年) 7月6日 年間第14主日
エゼ 2:2〜5  IIコリ 12:7〜10  マコ 6:1〜6

「すると主は、“わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ” と言われました。 だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(IIコリ v.9)

使徒パウロが自らの弱さの中で、否その弱さの中でこそ、「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりもずっと多く働きました。
しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」(Iコリ 15:10)と語ることが出来たその感謝に、私たち現代のキリスト者は共感を覚えるべきです。
それは独り使徒パウロの問題ではなくて、危機的な状況にある現代の教会にそのまま当てはまることだからです。

すべて洗礼の秘跡によって救われたキリスト者は神の国の相続人であって、
「選ばれた者たち」(ロマ 8:33)と呼ばれ、「死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(ロマ 8:34)
現代の教会は 「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(IIコリ v.9)
これこそがキリストの福音なのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

53老クリスチャン2018/07/07(土) 12:07:41.09ID:/iIRmbBz
2006年(主日B年) 7月9日 年間第14主日
エゼ 2:2〜5  IIコリ 12:7b〜10  マコ 6:1〜6

「彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。」(エゼ v.5)

預言者がいたとは、彼を遣わされた神自らが、イスラエルに向かって確かに語っておられたということでありました。
その時代の人々がそのことを理解しなかったとしても、「神の言葉はとこしえに立つ」(イザ 40:8,55:11)のです。

ロマ・カトリック教会は、神の啓示の源泉が聖伝と聖書であることを明確に宣言して来ました。
確かに現代の教会に向かっても、聖霊の交わりの中で父と共に生きて支配しておられる天上のキリストは、聖伝と聖書を通して 「神の秘められた計画」(Iコリ 2:1)を語り続けておられます。
たとえ多くの雑音と共にであっても、間違いなくキリストの福音は私たちのところに届いているのです。

十字架に掛けられたイエスを見たユダヤ人たちも、ローマの兵士たちも、イエスが神の子であるとは知りませんでしたが、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」(ヨハ 19:37)という聖書の言葉は実現していました。
そのように、多くの人々の心に不信仰の覆いが掛かっているとしても(IIコリ 3:15)、キリストの福音は全地に響き渡っています(ロマ 10:18)。

この “聖書の学び” から、聖書に関する知識ではなくて、キリストの福音を聞く人は幸いです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

54神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 17:52:37.73ID:RZC47u9q
信徒数減った?

55神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 19:03:03.11ID:3/zTIkbx
カトリック吉祥寺教会の杉本徳久氏が
どうも民事提訴され、刑事告訴されたそうです

詳細はこちらまで
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1520380042/l50

56神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 22:14:20.74ID:ir3Vyeyq
杉本徳久ってカトリック吉祥寺教会の信徒?

57老クリスチャン2018/07/12(木) 11:32:00.10ID:FaNwE8YX
2000年(主日B年) 7月16日 年間第15主日
アモ 7:12〜15  エフェ 1:3〜14  マコ 6:6b〜13

私たちは12人の派遣の物語りに、初代教会で活躍した多くの福音宣教者たちの姿の原形を見ることが出来ます。
使徒たちを中心としてこれを取り囲む福音宣教者たちが、復活の主イエスによって召し出されて、当時の地中海世界の各地に遣わされて行きました。

マコ vv.8-9
これは福音のための奉仕の働きの職業化への拒否であって、この考え方は今日に至るまで教会のすべての奉仕の働きの基本的な考え方となっています。

マコ vv.12-13
私たちは代々の時代の司教および司祭たちが、この12人と同じ働きのために召し出され遣わされ続けて来たということを考えたいと思います。
現代の私たちの教会においても、それは同様であるはずです。
“復活の主によって召し出され遣わされている” という理解が、私たちが司教や司祭を見る場合の視点でなければなりません。

58老クリスチャン2018/07/12(木) 11:33:07.73ID:FaNwE8YX
(つづき)
預言者アモスの証言も、同様のことを証ししています。

「主は家畜の群を追っているところからわたしを取り、“行って、わが民イスラエルに預言せよ” と言われた。」(アモ v.15)

イスラエルの王国時代において、一般に預言者と呼ばれる人々はいわゆる職業預言者たちでした。
しかしこれは決して特殊事情ではないのです。
いつの時代でも、その時代の国家の宗教に関係する祭司たちや預言者たちは、それを職業とするのが一般的でした。
しかしヤーウェの預言者には同時にもう一つの面、彼らがヤーウェによって召し出され遣わされたという面がありました。
そしてこの事実が、彼らの預言を力あるものにしたのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

59神も仏も名無しさん2018/07/12(木) 12:33:10.54ID:P9A2v3yi
元日本キリスト教団の老クリスチャン(桑栄一)と杉本徳久は、二人つるんでパンツ一枚だけで何も持たず、アレフに宣教の旅に行ってこい!
戻ってこなくていいぞ、アレフに骨を埋めてくれ❗

60老クリスチャン2018/07/13(金) 17:27:56.14ID:3JZk6i/Q
2006年(主日B年) 7月16日 年間第15主日
アモ 7:12〜15  エフェ 1:3〜14  マコ 6:7〜13

「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。」(マコ v.12)

このマルコ福音書が書かれた時代背景には、使徒たちに続く第二世代のキリスト者による宣教があることを、理解しましょう。
初代教会が “宣教” というものをどのように理解していたかを、聖書から正しく聞き取ることが大切です。
それは使徒パウロの言葉を借りれば、「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」(使 20:21)でありました。

その時代の宣教には、昇天の主が共に働いておられる “しるし” が伴うことがありましたが(マコ v.13,16:20 参照)、それは近代以降のキリスト教が海外伝道の効果的な手段の一つとして取り入れた教育や医療とは、本質的に異なるものでした。
そのような事業が宣教の一部であるとか、まして宣教に代替する役割を持ち得るという理解は、新約聖書にとっては異質なものです。

“悔い改め” とは、主イエス・キリストに対する信仰に伴うものであって、従ってキリスト信者の行為です。
決して教会が外の世界の人々を教育する、道徳的目標のようなものではありません。
教会の宣教は、「信じる者すべてに救いをもたらす」(ロマ 1:16)ための、使徒たちによる “悔い改めさせる宣教” の継続だからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

61老クリスチャン2018/07/14(土) 14:33:09.70ID:zBZBCmKF
2009年(主日B年) 7月12日 年間第15主日
アモ 7:12〜15  エフェ 1:3〜14  マコ 6:7〜13

イエスによる十二人の派遣の物語りは、言うまでもなく、原始教会における使徒たちの宣教活動の指針となったに違いありません。
そして、それが使徒後の教会にも受け継がれるように、福音書の中に大切に保存されました。
ですから私たちは、現代における教会の宣教活動の指針としても、この物語りに耳を傾けるのです。

「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」(マコ vv.12-13)

しばしば誤解されるように、第一に、これは人々に “正しい人間になりなさい” という道徳を教えたのでもなく、また第二に、医療奉仕によって多くの苦しんでいる人たちを助けたということでもありません。
イエスの場合と同様に、使徒たちの宣教にも、奇跡やいやしという不思議な業が伴ったことを聖書は語っています。
そしてそれらは、神の国が近づいたという終末の時のしるしでありました。

62老クリスチャン2018/07/14(土) 14:34:14.32ID:zBZBCmKF
(つづき)
「悔い改めさせるために宣教した」 という新共同訳聖書の率直な翻訳は、たいへん好感の持てるものです。
教会の宣教とは、それを聞く人々の悔い改めを目的としているのだという、もっとも基本的な事実を、私たち現代のキリスト者は再確認する必要があります。
そしてその宣教は、悔い改めて信じる者に罪の赦しと永遠の命を与える神の力である、という確証を聖書から読み取ることが大切です(ロマ 1:16 参照)。

現代の教会は、また現代のキリスト者である私たち一人一人は、この主イエスに起源する宣教命令を自分たちへの命令として理解し、受け継いでいるでしょうか。
もしかすると、全く似て非なる “良いお話” や “良い世の中作り” で、自己満足してしまっている可能性が大いにあるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

63神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 16:18:45.76ID:M5geUtxd
キリスト教はカルトの源流。
異教徒は殺せ❗殺せ❗殺せ❗殺せ❗殺せ❗殺せ❗

キリスト教は、イエスの命令だと信じる老クリスチャンは、オウム麻原と同一。
老クリスチャンはカルト教祖。

64神も仏も名無しさん2018/07/20(金) 00:09:01.81ID:JN2I+epx
>>63
キリスト教徒を殺したら世界人口が12億減るよ(笑)?

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