観自在菩薩って何者? [無断転載禁止]©2ch.net
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いったいどこから来たの?
釈迦の弟子なの?
イーシュヴァラってことはシヴァ神? ゾロアスター教? キリストの弟子がインドで伝道してたから少しは影響受けたか? なんかいきなり出てきた菩薩って印象だけど、キリスト教の影響あるのかな? >>7
是非教えてほしいからブログか何か解説して書き連ねていて下さい! 「観察する自在なる者」ということと、般若心経の冒頭に登場することから、
観察が得意だったのではないだろうか。
観察というのは、ありのままに見る、ということで、八正道でいえば、正見にあたる。
般若心経も空観という観察について書いてあるものなので、
観察の得意な観自在菩薩が登場するのも当然ではないかと思う。
シヴァは何故自在と訳されるんだろうか 「アヴァロキテーシュヴァラ」=「観自在菩薩」が
「アヴァローキタ」と「イーシュヴァラ」の合成語で
「アヴァローキタ」が「観」
「イーシュヴァラ」が「自在」
と訳されている。
イーシュヴァラはシヴァ神の別名と言われていているから自在と訳されているのではないだろうか。 第六天魔王(マーラ)をシヴァ神とするのは誤りだよね 確かメソポタミア辺りの地母神が起源
といった話を、かなり以前、観音図像
事典(題名は定かではない)とかいう
本で読んだ覚えがある。
また、これに関連して、アスタロトと
いう地母神、ソロモンの鍵(西洋魔術)
に出てくる悪魔という説もある。 西洋系の神だか悪魔だかが発祥という説が多いのは面白いよね
なんでそんな神様が仏教で般若心経を説こうと思ったのか 文献…
般若心経が伝わった経緯について書かれた文献あったような 〒320-0043 栃木県宇都宮市桜5丁目1−3の明治屋。
お前の従業員の珍走族バイクがうるせーんだよ!住宅街だぞここは!
お前のとこの爆音でうちの寝ていた祖母が動悸や息切れをおこし大変だった、絶対に許さない!
そんな事ばっかやってるから食中毒出して営業停止になるんだよ!そこにもと住んでた○○さんから脅迫まがいで格安で土地を奪い取ったこともここら辺りじゃ有名だからな?田舎の糞チンピラがっ! メソポタミアよりペルシャのほうずっと近いし影響受けた古代宗教も多いので 観音菩薩や観世音菩薩という訳もあるが
どっちが正しい訳なんだろう? 観音菩薩はブッダの慈悲の現れだと、ダライラマ法王が説法で述べれていたのを聞いた記憶がある。
因みに文殊菩薩はブッダの智恵の現れだそう。 >>1
フォッフォッフォッフォッ・・・
ワタシ ノ コトダ >>26 どちらが正しいとかはないよね 二人の高僧が別の時代に翻訳しました >>30
世音と音と自在では意味が変わってくるでそ?
そもそも翻訳するときに区切ってる場所が違うから意味が変わってる >>12
古い形は「アヴァローキタ・スヴァラ」=観音
だからシヴァ関係ないんじゃないの? >>34
古いというか訳した人が違うだけ
スヴァラだと少し発音違うくないか? >>35
漢訳じゃなくて写本で一番古い形はAvalokitasvaraだよ 中国語圏に来て漢字の観世音菩薩(観自在菩薩)になる時に中国の女神の霊格と合体した集合霊格になったのかもしれない それありやばろきていぼうじさとばといっぱ、大乗の諸経にて大力の菩薩として説かれたるは周知のところなり。
或が彼は何者ぞと問う。
この問は何を以ての故か。
もし童子ありて、ドラえもんは何者なりや?と問うならば、或は漫画のキャラと答え、或は未来のネコ型ロボットと答え、或は玩具をモデルにした架空のタヌキと答えるや?
良識的社会人ならば、童子が問の生じたる縁起を問わざるや?
仮に観自在菩薩の記されたる経典の作者らがアフラマズダやその他の諸天から着想を得たとして、その解に何の意義ありや?
所謂宗教学的知見と宗教的見識は松茸別と知るべし。
やはり庶民的には松茸よりも椎茸です。(笑)
香り云々よりもお腹いっぱい食べたいんです。(笑)
えーと、何の話してたっけか?
(^。^)腹へったなう。(笑) 般若心経で、観自在菩薩を、自分のことだ、解釈したものがあるとか。 42.
般若心経の解説で読んだ。
臨済宗の関係者かも。 釈迦には欠点があり7か37道品の最後の八正道は中道を軸に作っているが。
中道でいいところはいいが、裏目に出ると肝心のところで中道ではなく中途半端に
(中途挫折)に物事が終わってしまう。しかも釈迦は自分がそれで失敗すると、なんでも
正当化して、しかも本当に成功してる者を二面性屁理屈などをつかってけなして騙し
全部中途半端に引きずり落としてしまう、そうしておいてそのダメ達の中では自分が勝った
と錯覚しようとする。これでは悟り以外なんともならなくなる。少なくとも釈迦が表意したと
霊感タロット師が言う内田順久(アニメーター)は完全そうだったのと、後で別の日に霊媒師
から釈迦を下ろしてもらったとき、しゃべってるセリフの内容がまったく釈迦と内田と同じだった。
ここはどうにか改良、改善して使わなければならない。どうにか静と動になるようにしたい。
下の弟子のアーナンダや三蔵法師もこのまちがいにおそらく気づいてるにもかかわらず
仏教は縦社会だからか、黒いものも上が白と言ったら白にしてしまうのか、そのまずい釈迦に
なぞって、物事正しいほうへ取り替えそうとする人の邪魔をしてくる。
舎利ほつにいたってはもっとひどく、人が正しいほうへとりかえそうとするのを邪魔する
だけでなく、屁理屈くっつけて横取りドロボウしようとして、上の神々からとがめられている。
だから、アーナンダ、三蔵法師、舎利ほつも拝んではいけない 観自在菩薩も観世音菩薩も同じ神様。当時日本を徳を持って統治していたイズノメの大神と言う神様
が素戔嗚尊が朝鮮から攻めてきたためにインドに落ち延びられた。その当時インドを支配していたのが
自在天(シヴァ神)であり自在天の世を観る神様なので観自在菩薩となった。 因みに当時は朝鮮がかなり勢力を伸ばしていて素戔嗚尊の妻神の音姫、乙姫と言う男勝りな神が朝鮮半島を中心に辺りを支配していた。
音姫の世を観るで観世音菩薩。そして幼い釈迦に教えを垂れたのが仏教の始まり。なので仏教の初めは日本のイズノメ神になる。元々仏に化けられた日本の神様の教えなのですんなりと日本人は受け入れる事が出来たし未だに日本に残っている。インドには残ってないと言うのに! >>41
弘法大師の著作である「般若心経秘鍵」に「観在薩た(土へんに垂)は諸乗の行人を挙げ」とあり、仏教修行者という意味だとされています。但し、密教事典では「観在は観自在の意に非ず」とされてますので真言宗教学的には違うらしいです。
お大師さん以前の伝統的な解釈としては「大般若経の心要が般若心経であり、観自在菩薩が深く般若を行じた時にこの様なことを観じた、とシャーリプトラ尊者に説かれた経」だとされていますが、
お大師さんは秘鍵で更に様々な密教的解釈を記されてます。
もちろん、誰が最初にこの様な解釈をされたかは解りませんが、お大師様が云々というのは有名な話ではあります。
有名なお経ですので、真面目な解釈から馬鹿げた与太話まで色んな人が色んな説を唱えてますが、漢文をそのまま読めば、先の「観自在の感得した内容がシャーリプトラ尊者に対して説かれた経」であると読めます。だと
すなわち、十大弟子で知恵第一とされたシャーリプトラ尊者に釈尊が観自在菩薩の境地を説かれた、という形で般若波羅密の心要が説かれた経ということですね。
よくある解釈本はやたら空を強調しますが主題は般若などの上座部教学です。
この上座部教学という独自なパラダイムを踏まえないと「空とは最新物理学の〜」とか「空とは波動の〜」なんて珍妙な妄想をするみたいです。(笑)
(^。^)虎の威を借る狐さんのなんと多いことか。(笑) 南無南無観世音菩薩と祈ればそれは礼拝の対象だが、
観自在菩薩となれば、今の今、菩薩として成仏を目指して
修行する人のこと。
般若心経の冒頭に 観ずるに自在を得ようとする菩薩 とある意味は其れ。
既に凡夫の境涯を離れている。 >>48
こういう訳の分からない妄想をする奴がつまり、仏教という権威を借りて自己の妄執を正当化しようとする狐な訳だ。(笑)
このケースは「修行者と詐称している自分たちは偉いんだ!」という増長慢で
よく有るパターンの一つですね。(笑)
バカカルトスレとかこんな連中ばかりです。(笑)
(^。^)こういう漢文一つまともに読めない連中は、だいたい日本語もまともに理解出来ないみたいですね。(笑) ペルシャに近ければアケメネス朝がそうだったようにアラム語も話していたでしょうね北インドでも イエスも観自在菩薩だよ人間の最終目標さ
如来界に棲んでいる人達のことだよ
般若心経を読みなさい
アヌクタラサンミャクサンボーダイの心境に達せられた人のことを言う 基本的に上座も大乗も男尊女卑。
釈尊から本当は女性は参加させたくなかったが、弟子からの要請で折れた。
大乗初期にはシヨウマンやユイマの様な女性の立場擁護の経典もできたが、東洋社会の構造上、一時期なものでしかなかった。
現行の仏教で女性の菩薩や如来が図像として信仰されているのは密教のみ、というかチベット密教のみだろう。
日本では様々な観音様が信仰されてるが、女性はなかったと思う。
ちなみに中国では色々だが、あそこは道教と混在しているから向こうが「観音様だ」と言ってても、中身は道教の神様だったりする。(笑)
あと、布袋様みたいなデブのオッサンな観音様も流布している。
(^。^)てか、シナは文革で完全に途絶えましたからねぇ。(笑) 観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、観世音菩薩、
と観自在菩薩との違いを教えてください。
実在の人物で、そう呼ばれた人はいますかね? すべてわたしのことです。
またすべてあなたのことでもあります。 世尊、観世音菩薩は何の因縁によって、観世音と名づけるのですか。
仏は、無尽意菩薩にお告げになった。
善男子よ。もしも、無量百千万億の生命のあるものすべてが、諸々の苦悩を受けているならば、
この観世音菩薩の名を聞いて、一心に名を唱えれば、観世音菩産は、即時にその音声を観じて、
皆、悩みや迷いなど煩悩の束縛から解き放ち自由の境地に到達することを得させるであろう。
この観世音菩薩の名を銘記して忘れない者は、たとえ大火に入ったとしても、火も焼くことは出来ない。
この悟りを求める修行者の霊妙不可思議な力による故に、
もしも、大水に流され漂わされても、その名号を唱えたならば、すぐに浅い所を得るであろう。
もしも、百千万億の生命のあるものすべてが、金・銀・ラピスラズリ・シャコガイ・メノウ・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求めて大海に乗り出し、
たとえば、暴風がその船を吹いて、大力で足が速く人を食うといわれる羅刹鬼の国に標着したとしよう。
その中で、もしも、一人でも観世音菩薩の名を唱えたならば、この諸々の人々は皆、羅刹鬼の難から逃れることを得るだろう。
この因縁によって、観世音と名づけるのである。 バランスを欠くマスコミ情報を、どう見て、どう判断するか
バランスの取れた見方ということで、一つ気をつけておくべきこととしては、マスコミの人々の一部、もしくは半分以上かもしれませんが、小さなものを取り上げて大きくし、大きなものは小さくする傾向があるところです。
力があるものや大きな影響力のあるものは小さな記事にし、小さなことは大きく取り上げる癖があるので、気をつけなければいけません。
例えば、「北陸で鹿が多く出現するようになった」というようなことでもニュースになりましたし、「ツキノワグマが温泉街に現れた」ということでもニュースになるのです。
また、パンダがよだれを垂らしている写真が取り上げられた時には、『「パンダ学」入門』という本を出している私の家内(大川紫央)も、「ああ、パンダになると、よだれを垂らしただけでもニュースになる。大したものだ」などと言って喜んでいました。
ただ、そういうことはいろいろな新聞によく取り上げられたりするのに、肝心なことは取り上げられない場合が多いのです。
そして、取り上げられないうちに、さまざまなものが静かに進んでいき、事態が大きくなったときに、突如として表に出てくるようなことがよくあるので、初めのうちは見落としてしまいがちです。
それは、「小さなことを大きく取り上げると珍しく見える」ということもあるのでしょうし、「大きなものを取り扱うと、世間と同調、あるいは追随しているようにしか見えない」ということもあるのでしょうが、もう少し気をつけて見ていってほしいものです。
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https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1503953697/456 私は虚空蔵菩薩を信仰する
仏は信者に超人的な力を与えるものではない
世界のありのままを説く尊い存在である
だから語る内容や聞く者で姿が変わる
名前も変わる
しかし元は全てひとつの仏さま
その中心が大日如来
極論をいえば他の全ての如来も菩薩もこの大日さんの別名でありあだ名である
根源は大日如来
その大日さんがインテリぶったバカに教えを諭すときに「わい、虚空蔵菩薩言います」と、
接する者の知的好奇心やプライドを守り育みながら諭してくれる
観自在菩薩も大日さんの別の姿
まあ大日さんになる前でもあり大日さんが「大日やと恐れおおのく奴もいるか」で、
もっと大衆が信仰しやすいようにとフランクな雰囲気で、
「わい、まだ修行中ですねん。あんたらと似たようなものですねん」と暖かいまなざしを向けるのが、
観自在菩薩、まあ観音様ってやつだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています