大乗非仏説が正しいと確定したのに大乗仏教信じてる奴ってキチガイだよな☆5 [無断転載禁止]©2ch.net
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>985 返信:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 15:19:02.53 ID:g/wZ9WEb [1/4]
>>>984
>戒名の善悪をあなたが論じているので、法的視座から愚見を
>申し上げたまでですが?
君の頭の中ではアメリカ黒人が奴隷であることは違法でなかったから奴隷制度廃止運動に正統性はなかったというわけだね
話にならないな この国では一日に三千数百名もの方がお亡くなりになっております。
年間にして100万人は超えてるでしょう。
そのうち80%が仏式で葬儀を上げ80%が戒名を付けたとして何件になりますか?
少なくとも60万件余はあるでしょう。
愚生は寡聞にして知りませんが、戒名をめぐるトラブルは殆ど聞きませんが? 前スレ>>993
>相変わらず具体的な指摘もなく、ひたすら相手にレッテルを貼って優越感に浸る感情論か……
>そんな事してて虚しくならないのか?
楽しいけど?
>まあ、議論なんか関係なく大乗が偽物だと決めつけたいだけなんでしょ?
壷や絵画を偽物と鑑定した鑑定士にも同じこというの?w
>むしろなんでスッタニパータを出すと言うんだい??
>まさか、スッタニパータと大乗が同時期に成立したと言いたいの???
スッタニパータとそれ以外の成立年を比べる以外は無意味だよwww
文化的背景?嘘をつかなくてはいけないやむにやまれぬ事情があったとてそれが何だっていうのかwww
仮に当時嘘をつく正当性があったとて今嘘をついていい理由にはならないよwww
>その様な事例が多数報告されているのかい?
戒名そのものが嘘。ゆえにそれを取り扱う全ての宗教団体がその事例だよ?
>オウムの洗脳については道義的に問題があると私も言ったはずだが?
オウムはだめで自分たちはいいというのはただのダブルスタンダードだね
>はいはい、じゃあ「偽物に価値はない」と言う君の発言は間違ってたと言うことで決着だね。
少なくとも仏教的価値はないね。
>犬の糞を食べると言う社会的に医学的に問題がある行為に対して、社会的に医学的に対処するって話が、なんで「価値観の押し付け」になるんだい?
>むしろ設定として相応しいのは、好きで青汁を飲んでる人間に「それは不味いから飲むな」と言ってるようなもんだ。
ほら犬の糞だって気づいてない。お前が食べてるのは犬の糞だよ。
>「レスがスレ違いだ」と言う君のレスに対して、そういう論点で行くなら「そもそもスレが板違いだ」と反論しただけだよ。
どう考えても真仏教の正当なスレじゃないか板違いなのは仏教じゃないくせに仏教を名乗る大乗のほうだ >>6(続き)
つまり、戒名は何ら違法性なく、また、強制性もなく、祖先を敬う良俗の一環として
この国の社会では広く認知されている事に他なりません。 >>6
オウムの信者が麻原に金を取られているわけではないと主張するのと同じだね
ちゃんと戒名という商品の説明をしてそれでも平均30万円とかの金額を払う人がいるなら私は何も言わないよ 日本テーラワーダ協会=スマラサーナ=スリランカのプロパガンダ機関
日本の上座部受容は酷く歪められてしまった >>8
祖先とは関係ないよね?
嘘をついてはいけないって幼稚園で習わなかった? テーラワーダ仏教と名乗る自称スマラサーナ教を排さなければならない >>11
日本的死生観に基づいた先祖供養の一環です。 >>14
戒名は、仏教において受戒した者に与えられる名前でです。
仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられるものです。 >>15
そういって騙してるんだよね知ってる
民衆にとっては江戸幕府に強制されていたものだよ
>>16
仏教じゃないよ >>17
何度も言いますが、江戸時代の寺受制度の話はしてません。
現代における戒名の話をしています。
そして、戒名は何ら違法性なく、また、強制性もなく、祖先を敬う良俗の一環として
この国の社会では広く認知されております。 >>17
>仏教じゃないよ
仏教の儀礼として上座・大乗に関わらず定着しております。 >>18
騙して売りつけてるからな
>>19
かりに定着していようが仏教ではないよw >>20
>騙して売りつけてるからな
それ以前に選択の自由を侵害していませんよwww
買わなきゃいいじゃないですかwww
>かりに定着していようが仏教ではないよw
概念は時代とともに変化するものです。
余談ですがそれも仏教の教義です。 >>21
> それ以前に選択の自由を侵害していませんよwww
> 買わなきゃいいじゃないですかwww
まともに商品説明をしてないから詐欺なんだよ
> 概念は時代とともに変化するものです。
> 余談ですがそれも仏教の教義です。
悪意から生まれて現在もなお悪意でしかないものは仏教ではないよ >>22
>まともに商品説明をしてないから詐欺なんだよ
詐欺罪の構成要件
1.一般社会通念上、相手方を錯誤に陥らせて財物ないし財産上の利益の処分させるよ
うな行為をすること(欺罔行為又は詐欺行為)
2.相手方が錯誤に陥ること(錯誤)
3.錯誤に陥った相手方が、その意思に基づいて財物ないし財産上の利益の処分をする
こと(処分行為)
4.財物の占有又は財産上の利益が行為者ないし第三者に移転すること(占有移転、利
益の移転)上記1〜4の間に因果関係が認められ、また、行為者に行為時においてその故
意及び不法領得の意思があったと認められること
該当しませんよ?
また、言うまでもなく商品ではありませんの消費者契約法にも該当せず、説明義務もあ
りません。 >>23(つづき)
何度も言いますが、そもそも申し込まなければいいでしょwww
戒名については社会通念上考えられる範囲での知識で十分でしょうし、
申し込むにあたっては下調べ位するのが常識というものです。 >>22
>悪意から生まれて現在もなお悪意でしかないものは仏教ではないよ
どちらの意味でしょうか?
悪意
1.他人や物事に対していだく悪い感情、または見方。
2.法律法律関係の発生・消滅・効力に影響するような、ある事実を知っていること。
▷ ⑵は道徳的な意味ではなく、「知りつつ」の意。フランス mauvaise foi の直訳。 >>25
公序良俗に反しないことについては先に証明済です。 >>26
法律の話はしてないって何度も言ってるよね? >>27
ああ、長い期間うまく騙してるよね
それで? >>25
余談ですが、先祖や肉親に対する畏敬の念は仏教でいうところの慈悲に通じます。 >>28
詐欺云々と仰ったのは貴方ですが?
詐欺は法律上の問題ですから法的視座に乗っ取って見解を示したまでです。 >>29
意味が解りません。
法的に問題なし、公序良俗(道義)にも反しない。
それのどこが騙していることとなるのですか?
そもそも選択の自由はあるのだし。
出発点から論理崩壊していますよ? >>31
詐欺が法律だけの用語だとでも?
>>30
坊主を憎んでいた江戸時代のご先祖様のために坊主に従わせるとはたいした慈悲ですね >>32
法に違反しないことが悪ではないことにはならないし道義上の問題があると何度も説明しているわけだが?
脱法ハーブと同じだよ >>33
>詐欺が法律だけの用語だとでも?
【詐欺】さぎ
他人をだまして金や品物を奪ったり、損害を与えたりすること。
基本的には法律用語ですが?(刑法246条)(民法96条) >>33
>坊主を憎んでいた江戸時代のご先祖様のために坊主に従わせるとは
>たいした慈悲ですね
話の本筋には関係ないのでコメントしません。 >>34
公序良俗(≒道義)に反していないことは証明済です。
脱法ハーブは戒名の問題とは関係ありません。
因みに、法で規制される前のいわゆる脱法ハーブは嗜好品の一種とみなされて
おりました。
使用者が他者に実害を及ぼすにあたり道義的責任→法的責任に昇華したものです。
脱法ハーブについて遡及して違法性や道義性を論ずるのは論理破綻(法の不遡及)です。 >>35
基本的にはも何も法律だけの用語ではないよね
>>36
筋の通らないことだというのはわかるよね
>>37
君が思うだけでは証明にならないよ そもそも信教の自由があり、選択の自由があるんですよ。
戒名が嫌なら申し込まなければ済むことです。
たったこれだけの事なのに戒名は悪だの…
理解に苦しみますね。 >>38
>基本的にはも何も法律だけの用語ではないよね
基本的には法律「用語」です。
語として用いるのは自由ですが?
>筋の通らないことだというのはわかるよね
話の本筋に関係ありませんし証明しようがないのでコメントしませんの意味です。
>君が思うだけでは証明にならないよ
前スレにもあります、>>6にもあります。
数字は誤魔化せませんが? >>39
俺はそんな偽物いらないけど今現在も騙して暴利を貪ってるんだから批判するよ >>40
仏教でもない低レベルの偽物を騙して売りつけるのは悪だよ >>41
勿論、騙して暴利を貪っていればそれは批判の対象足りうるでしょうし、法的な
制裁を受けて然るべきでしょう。
然し、戒名に関しては>>6やその他のレスで示した通り、批判の対象足りうるもの
ではないので愚見を申しているのです。 >>42
>仏教でもない低レベルの偽物を騙して売りつけるのは悪だよ
1.仏教に帰依するための仏教儀礼とし大・上関係なく定着しています(数千年に亘り?)。
2.衆生を導くための方便にレベルの高低はありません(それは分別です)。
3.信教の自由や買わない自由は保障されております。
4.詐欺罪としての構成を満たしておりません。 戒名は日本人アイデンティティや死生観の一部を構成する重要な要素であり、
また良俗ですよ。 >>44
数千年?在家に売りつけてるのは日本だけなのに?
>>45
悪習だよ >>46
>数千年?在家に売りつけてるのは日本だけなのに?
死後戒名は日本独自ですが、戒名自体はそうですが?
>悪習だよ
理由は? そもそも信教の自由があり、選択の自由があるんですよ。
戒名が嫌なら申し込まなければ済むことです。
たったこれだけの事なのに戒名は悪だの悪習だの… >>47
在家に売りつけるなら名前が同じだけの別の宗教商品だろう・・・・・・
そんな簡単なことにも気づけないのか・・・・・・ >>49
いや、だから、何度も言うけど買わない自由があるでしょ?
違いますか? >>51
へえ、大乗の出家とは大乗宗教団体に大金を払うことなんだ 何度も言いますが、出家に対しての費用が発生したところで、社会通念上考えられる
範囲内であれば問題ない事は話した通りですが? >>55
仏教として筋が通らないことは理解できるかい? これで何度目でしょうか?
そもそも選択しない自由があるんですよ。
当然に選択しなければ問題も生じないんですよ。
貴殿も仏教となら下記の言葉はご存知ですよね?
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。」
選択しなければそもそも問題も生じないんですよ。
そして選択しない自由は保障されているんですよ。 >>56
出家に当たって私財を教団に布施するのは釈迦在世時から見られた事ですが?
出家修行者は六物以外は所持しないのが原則ですから。
不要になった私財を教団に寄付するか家族等に譲渡するかは自由でしょ? >>58
偽物しか知らない君にはわからないだろうけど
在家を騙して金を毟ろうなんて教えはないよwww >>59
>偽物しか知らない君にはわからないだろうけど
侮辱するのですか?
>在家を騙して金を毟ろうなんて教えはないよwww
>>16、>>23、>>43
>>44、>>55、>>58
何度も言いますが選択しない自由とその保障がある事です。 >>59
>在家を騙して金を毟ろうなんて教えはないよwww
当然でしょうがwwwwwwwwwwwwwwwww >>60
大乗が仏陀への侮辱、戒名を在家に売るのも仏陀への侮辱だ >>62
戒名は上座・大乗に関わらず出家をするもの(=在家)に付されるけど?
大乗の戒名は釈迦への侮辱で上座の戒名はそうでないと言うのかなwww >>63
今は出家と関係なく売りつけている「戒名」とかいう日本大乗の商品について話しているんだよ? >>64
在家が出家と同時に戒名を付されるんだが? >>66
死後得度は(推定)相続人の意志でしょ?
・・・遺された遺族の気持ちも汲もうな。 >>67
騙されて大金払わされている遺族の気持ちを汲めよ 日本人の自然感情として、祖先や肉親の冥福を念ずるのは普通だけどね。 >>68
だから、社会通念上許容された範囲で戒名の付与が行われているでしょ?
詐欺行為もないでしょ?
>>6にある通り。 >>69
ならば神社に行けばいい。
>>70
仏教ではない。筋が通らない。詐欺である。 >>72
>ならば神社に行けばいい。
ご自由に。
>仏教ではない。筋が通らない。詐欺である。
既に論証済。
>>16、>>23、>>43
>>44、>>55、>>58
>何度も言いますが選択しない自由とその保障
>がある事です。 >>73
騙して売ってるのに選択しない自由とは何事か
在家に仏教的正当性があると誤認させて売っている
全く筋が通っていない
君の理屈ならリフォーム詐欺も存在しない >>74
いやいやw
先ず有形物と無形物は別だから、その比喩は当て嵌まらないね。
だいたいリフォーム詐欺は詐欺というより債務不履行ではないのかな? >>74
>在家に仏教的正当性があると誤認させて売っている
いや、上・大とも戒名制度はあるし、出家時の仏教儀礼として(数千年?)確立されてますが? >>75
>各家庭を直接訪問して「床下に湿気がこもり、シロアリに食われている」などと言葉巧みに住宅損壊の不安を煽って不要なリフォーム工事と称するものを売り付ける詐欺行為。
戒名商売に瓜二つだな >>76
在家に売りつけて死後出家できるとかほざく噴飯物の商品がかwww >>77
戒名の付与と詐欺罪の成立要件は>>23で論証済。
該当しませんが? >>79
法律の話はしてないよ。リフォーム詐欺と似た手段で人を騙しているカルトの話をしているんだよwww >>78
仏教では諸行無常を説き、生死もその中での変化の
様相の言葉の表現に過ぎませんが?
教義上の問題でしたら根拠を出して下さい。
遺された遺族の気持ちも汲もうな。 >>80
だから、有形物と無形物は違うと言ってます。
その比喩は当て嵌まらないのです。 >>81
教義上?金を騙し取る教えなんてないよwww
騙された人間の気持ちは汲まないのかい?
君に言わせれば今騙されているなら正当性があるということだったね
それのどこが仏説なんだい?
>>82
ありもしない不安をあおって金を騙し取っていることは同じだが ああ、最初から偽物は偽物であり正統性はないことは決まっているからな >>83
だから、騙しているという基準を満たしてない事は、法律の事例(公序良俗、道義も含めて)を持って論証済です。
断れば済む事です。
違いますか? >>86
仏陀と関係ないものを仏陀と関係あるかのように見せて売っている
これが騙してないというならどういうのが騙しているということになるんだい? >>89
名前が同じなだけで死後それがないと困るかのように騙して売りつけているのは日本だけだよ >>88
断れば済む事です?
違いますか?
ゴウタマ在世時に戒名があったかはわかりませんが、戒名制度は出家時の儀礼として(数千年?亘って)仏教に定着したものです。 >>90
断れば済む事です?
違いますか?
騙しているかどうかは、形而上の問題で証明不能ですが? >>91
シロアリがわいてて工事しないと家が潰れると脅されているのにどうやって断るの?
戒名がいつ出来たかに関係なく死後に金払って出家なんて集金以外の目的はないよ >>93
シロアリは形而下の問題、死後云々は形而上の問題。
寝落ちしますので、お先に。 >>94
不安を煽って金を騙していることは一緒
形があるかないか云々なら御祓いしないと悪霊に取り付かれて死ぬと脅しているのと一緒だ >>16
破戒者もしくはそもそも戒律を受けていない者が死者に戒律を授けることは可能なんですか? 戒(シーラ)と律(ヴィナヤ)との違いがあるとか、大乗仏教には戒体という
考え方があるとかいろいろと議論はあるけど、持戒をも出来ないとする
真宗では戒名はなくて法名になっているな。
仏教各宗派にある死後戒名は「没後作僧」という考え方に基づいており、
宗派によって作法は異なるが葬送儀礼の中に授戒作法が組み込まれている。
坊主の側もそれをちゃんと説明すれば良いのにと思うことしばしば。 生前授戒は各宗派で行われているが、ネットで見る限り地元の寺で
受戒するよりも本山で行われている授戒会に参加する方が敷居が
低そうに感じる。特に宿泊費や交通費を除いた費用面では。
それでもうちの地域は地元の寺の授戒会で受けるのが一般的。
そういう地域もあるということ。
また授戒のない真宗では帰敬式によって法名を授与する。
そして戒名や法名を受けずに葬儀をするという選択肢もあるから。 >>95
断れば済む事です?
違いますか?
また、
1.形而上の問題は証明不能です、従って騙しているか否かは判定がつきません。
2.不安を煽る云々についても先にも話した様に、詐欺罪の適用例で判示した様に該当しません。
憶測で判断するのはやめましょうよ? >>95
>形があるかないか云々なら御祓いしないと悪霊に
>取り付かれて死ぬと脅しているのと一緒だ
断れば済む事です、違いますか?
次から次へと例を引き合いに出しますが、結論はでていますが?
悪霊とか、形而上のものが生きてる人体に被害を及ぼす事は証明不能ですが?
いわんや、亡くなられた方が戒名が無い事で被害が及ぶ事をば。 (脅迫)
第222条 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。 >>95
貴方の理屈だと、ビジネストーク(営業)は全て不安を煽ってお金を騙し取ることになりそうですね。
戒名は宗教行為である事をお忘れなく。 戒名の仏教的根拠は?
どの経論あるいは宗祖の著作に説かれているのか >>100
君の頭の中でしか結論は出ていないよ
ところで君には悪霊が取り付いているようだ。
私が除霊しなきゃ君と家族に不幸なことが起きるだろう
なに心配はいらない
除霊代はたったの30万円だ >>105
無我なのにその悪霊は何に取り憑いたの? >>105
刹那に消滅するのに、いつ何に取り憑いたの? >>7
>>相変わらず具体的な指摘もなく、ひたすら相手にレッテルを貼って優越感に浸る感情論か……
>>そんな事してて虚しくならないのか?
>楽しいけど?
この人、自分のやってることが「具体的な指摘もなく、ひたすら相手にレッテルを貼って優越感に浸る感情論を楽しむこと」だって認めちゃったよ。
>壷や絵画を偽物と鑑定した鑑定士にも同じこというの?w
「根拠も何もなく偽物と鑑定した鑑定士」には同じ事言うだろうね。
>スッタニパータとそれ以外の成立年を比べる以外は無意味だよwww
>文化的背景?嘘をつかなくてはいけないやむにやまれぬ事情があったとてそれが何だっていうのかwww
>仮に当時嘘をつく正当性があったとて今嘘をついていい理由にはならないよwww
最初に論点をずらして、大乗仏典の成立過程における文化的背景の話をしだしたのは君の方なんだが、
それすら追い詰められて、再度論点をずらしにかかるの?
>戒名そのものが嘘。ゆえにそれを取り扱う全ての宗教団体がその事例だよ?
だから、戒名が道義的に悪であるという実例を自分が体験したのかい?
或いは、多数の報告があるのかい?
あるというなら、具体的に、具体的に、具・体・的・に、示してね?
まあ、昨日今日とこれだけ追い詰められても具体例が出てこないってことは、無いんだろうね。 >>7 つづき
>オウムはだめで自分たちはいいというのはただのダブルスタンダードだね
何処が「ダブルスタンダード」なんだい?
オウムの洗脳については道義的に問題があるから、道義的に悪だとしただけ。
仮に大乗仏教の教義に道義的な問題があると論証されたなら、もちろん大乗仏教は道義的に悪になる。
終始一貫した論理だと思うがね?
で、「大乗仏教の教義が道義的に悪である」という、「具体的な証拠」は何時になったら提示されるんだい?
>少なくとも仏教的価値はないね。
君の「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」の価値観では無いんだろうね。
なんにせよ、君の発言の一部が間違っていた事は確定したね。
>ほら犬の糞だって気づいてない。お前が食べてるのは犬の糞だよ。
では、大乗仏教が犬の糞であり、医学的、社会的に害悪であることを、具体的に論証してね?
まあ、君の中では「大乗仏教は犬の糞だから、大乗仏教は犬の糞である!」という論理的誤謬が成立しているんだろうけどね。
あ、まさか「誤謬」と言う単語自体が分からなかったりするのかな?
>どう考えても真仏教の正当なスレじゃないか板違いなのは仏教じゃないくせに仏教を名乗る大乗のほうだ
心と宗教板なのに、学問である文献学を振りかざして、宗教的価値観をぶんなぐるのが、板違いじゃないと?
いずれにせよ、今の議論が板違いか否かという論点であって、君の前のレスの発言が頓珍漢な間違いであったことはハッキリしたね。 >>109
>学問である文献学を振りかざして
「学問である文献学を振りかざして」釈尊の真の教説などない、
だから原始仏教も大乗仏教も同じ偽者だから〜とか平気で言ってる人たちの言葉とも思えぬ >>110
相手が文献学と言う武器でぶん殴ってきたんで、同じ武器でぶん殴りかえしただけだが?
もちろん、宗教と言う価値観の土俵で文献学でぶん殴ることはおかしいと分かった上で、相手の土俵に乗ったまで。
相手の仕掛けた土俵の上にわざわざ乗ってあげて戦ってるのに、なぜ私が非難されなけりゃいけないんだ?
そしてここでの議論は、俺の扱う武器がスレ違いだという非難をしてきたから、それを言うなら相手の武器が板違いだと指摘しただけ。
武器の不適格を非難すると言うなら、そもそも板違いの武器で最初にぶん殴ってきた方を非難すべきだと思わんかね?
(スレと板の包含関係は分かってるよね?)
あと一応突っ込んどくと、「原始仏教も大乗仏教も同じ偽者」と言っているんではなく、「本物がどうなのかは(文献学的には)誰にもわからない」と言っているだけで。
語弊を恐れずに言えば、「原始仏教も、大乗仏教も、(その信仰者たちにとっては)本物」と言っていると言ってもいいかな? 学問があると他人を軽蔑して優劣を争い、主我的な迷いを深め、地獄行きの業を増長する。
善星比丘などは、釈尊の説法を全部理解していたが、生きながらにして地獄に堕ち、この広い大地に身の置場すらなかった。
(臨済録)
言霊(ことたま)のたすくる国と云いながら その言霊を乱す人のみ
言霊の天照る国に生れあいて いかで濁さん清き身魂を
身に魂(たま)に曇りかかるは今までの 言葉に汚れありし故なり
昨日まで人の事よと思いしを 今日はわが身にふりかかりける
神の世の裁きに今やあう坂の 人は知らずに日を送りをり
世の人を罵るものは必ずや わが身の悪を晒すものなり かつての真人はかかとでゆったりと呼吸していたが、今の世俗の人間は浅はかな議論にうつつをぬかして、
あえぐようにのどで呼吸している。
(荘子) 迷える者どもは 感覚の世界を追い求め、人をそしり教えをそしって、
それが目覚めた境地になる可能性を 焼き滅ぼすことをかえりみない
いたずらに酒色や言い争いに夢中となり
あとでどのような報いを受けるか ということを知っていない とにかく、人の悪口をいったり、自分が過去に犯した過ちを反省せずに、
自分がすべて正しいとする考え方は、国のなかでも外でも通用しない。
そういう考えの人には一人で山の中に住んでもらうことだよ。
田中角栄 >>105
大先生!
ご高説を賜りたく、>>106と>>107の返事はまだですか?
仏教入門者レベルの簡単な質問で大変恐縮ですが、是非、大先生の御見解をwwwwww
大先生⁉︎
大先生⁉︎
大先生! >>120
刹那に消滅するからご先祖様もないよねwww
だから仏教を名乗り先祖供養で金取るのはまさに騙していることになるわけだwww >>108
よかったなかなかレスがないから乱暴に扱いすぎて玩具が壊れたのかと心配してたんだよ
> 「根拠も何もなく偽物と鑑定した鑑定士」には同じ事言うだろうね。
君も大乗は500年後に出来たって自分で書いてたよね?今500年前の人物の名義で何かを捏造したら偽物なのは言うまでもないw
> 最初に論点をずらして、大乗仏典の成立過程における文化的背景の話をしだしたのは君の方なんだが、
してないけど?こちらにとってはどうでもいいことだ。捏造した当時関係なく今嘘をつく必要性がないことには反論できる?w
> だから、戒名が道義的に悪であるという実例を自分が体験したのかい?
> あるというなら、具体的に、具体的に、具・体・的・に、示してね?
仏陀の教えに反している以上の具体例があるのかい?仏陀を重視しないのに仏教を名乗るんだ?
> オウムの洗脳については道義的に問題があるから、道義的に悪だとしただけ。
> で、「大乗仏教の教義が道義的に悪である」という、「具体的な証拠」は何時になったら提示されるんだい?
仏陀の説を捏造しただろう?仏陀は嘘をつくなと説かれた。
> 君の「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」の価値観では無いんだろうね。
何度も使ってるようだが君に言ったその言葉よっぽど気に入ったのかい?
それとも同じ言葉で言い返さなきゃすまないほど悔しかったのかい?
後発の偽仏教が真仏教にたいして使える言葉ではないよw
今スーパーキリスト教を作って既存のキリスト教に僕の考えた最強の〜なんて煽ってたら滑稽だろ?君みたいに
> では、大乗仏教が犬の糞であり、医学的、社会的に害悪であることを、具体的に論証してね?
かわいそうに犬の糞とかりんとうの違いすらわからないんだ。
> 心と宗教板なのに、学問である文献学を振りかざして、宗教的価値観をぶんなぐるのが、板違いじゃないと?
歴史的にずっと本物の仏説は何かを議論してきたのに?本物がわかったら本物を重視するのが筋だろう?
> 語弊を恐れずに言えば、「原始仏教も、大乗仏教も、(その信仰者たちにとっては)本物」と言っていると言ってもいいかな?
オウムの信者にとっては麻原は本物だね。それで? 有名な二次創作作品の登場人物としてメアリースーというキャラがいる
これは「スタートレック」シリーズのファンが作った非公式小説「A Trekkie's Tale」に出てくるものだ
別にその非公式キャラや小説を愛するのは自由だが、それを本物だの原作を超えたなどと言うのは筋が通らない話
君たちが言ってるのはそういうことだ >>121
ハハハハ w
解答じゃないじゃありませんか。
それが貴方の仏教に対する理解度の限界なんですよ。
まぁ真空妙有(用)と言っても貴方には理解不能だし、一生掛けて修行してもそこまでいけるかどうか。
ま、仏教以前に人としての道を説きまさょう。
貴方にも肉親先祖おり、畏敬や感謝の念はあるでしょう。先祖供養は自然感情の発露ですから。
(言うまでも無く、行わない自由がありますがw) >>124
> それが貴方の仏教に対する理解度の限界なんですよ。
君は偽物しか知らないのに?
> まぁ真空妙有(用)と言っても貴方には理解不能だし、一生掛けて修行してもそこまでいけるかどうか
非仏説です。麻原レベルに到達できないと言ってる様なもんです。
> 貴方にも肉親先祖おり、畏敬や感謝の念はあるでしょう。先祖供養は自然感情の発露ですから。
先祖供養と仏陀に何の関係が?
君は洗脳されているようだから教えてあげるけど、先祖を大事にしたいと思うなら俺に金をよこせと言ってるカルトに搾取されているだけだよ
はっきり言ってまったく整合性が取れていない。仏陀でなくてもイエスやプラトンでも成立する。 >>124(続き)
まぁ、貴方のレベルより少し高いレベルの話をさせていただきますね。
さて、仏教では常見や断見を二見として排するんですよ。
>刹那に消滅するからご先祖様もないよねwww
貴方のように「ない」というのは断見で(難しいかな)、また、「ある」というのも常見として共に排されるんです。
非有、非無、その両方に非ず、その両方に非ずに非ず。すなわち、仏教は縁起を説いているのです。
此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
分かりますか? >>125
>非仏説です。麻原レベルに到達できないと
>言ってる様なもんです。
真空妙有(用)は縁起説ですからw
貴方の仏教に対する理解度の限界なんです。 >>125
断る自由の話はもう何十回もしてますよ? >>128
所詮偽物は偽物
>>129
洗脳は解けないようですね >>127
此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
は?
仏説の根本を為す金言ですが? >>130
結局貴方の仏教に対する理解度の限界なんですよ。
戒名然り、悪霊然り、先祖供養然り。
仮に貴方が上座仏教の方でも、無我説では大乗と同じ視座にあるはずです。
貴方は無我や縁起を理解していない、断見に堕ちている。
それ故、虚無論的な視野でそれらの問題を観ているんですよ? >>133
え?
此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
貴方、正気ですか? >>134
君のは仏教ではない
仏教ではない理屈で仏教を語っても無意味だ >>137
否定もなにも後から付け足されたものは根本になりようがない >>139
根拠は?
私の根拠は以下です。
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
― 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品) >>140
最古のものでないなら付けたしたものだってこともわからない?
君はそんな付けたしが仏教の根本だと言ったわけだ >>126
四句分別の構成がちょっとおかしくない?
@あるAないBあると同時にないCあるのでもなく、ないのでもない >>141
>最古のものでないなら付けたしたものだって
>こともわからない?
論理破綻していますね。
物語じゃないんですから。
経典は編纂されているのです。
つまり、順を追って完成に至るまで作成されているのですよ。
最初に編纂されたからと言って、後から追加されたものが付け足しとは限りませんよ >>143
最初に編纂したときになかった仏説がいったいどこから現れると思ってるのwww
そしてそれが現れるまでは君の言葉を借りるなら仏教は根本がなかったわけだwww >>145
大乗の人間であり偽物だね
麻原の言葉を引用するのと変わらん >>144
分からない方ですねw
スッパニタータの4.5章でさえ諸説ある内の最古層説なんですよ。
それ以外は仏説でないと言うのですね? >>146
普遍的な論理ですが?
貴方はいつもカルトと無理矢理関連付けますね? >>146
大乗の者がダイヤモンドは硬いと言えば嘘になるのですか? >>146
結局貴方の仏教に対する理解度の限界なんですよ。
戒名然り、悪霊然り、先祖供養然り、仏説然り。
貴方が言う事はみな論理破綻してるじゃないですか? >>147
仏説かもしれないしそうでないかもしれない
でも君は最古説がないものを仏教の根本だと言ったわけだ
それをおかしいとは理解できないかい?
>>148-149
君にわかりやすいように麻原君を使ってるだけだ
私にとっては大乗の人間と麻原は同じ偽物だがね
ダイヤモンドの例えは本気で言ってるのかい?
麻原でも正しいことも言うだろうが君は麻原が言ったから○○は正しいというようなことを言いたかったのだろう?
まったく別の話だ
>>150
ならば仏教を根拠に戒名と先祖供養の正統性を説明してごらん 話を戻しましょう。
戒名については信教の自由、契約の自由が保障されているのと言う事で結論してよろしいですね? >でも君は最古説がないものを仏教の根本
>だと言ったわけだ
は?
縁起説は仏教の根本ではないと?
古ければ根本というのは論理破綻ですね。 >>152
麻原を信じていいように戒名を信じるのは勝手だよ?
でも仏教ではない >>153
君の中では仏陀は自らの教えの根本を知らずに説いていたんだ
君面白いね >>151
>君にわかりやすいように麻原君を使ってるだけだ
>私にとっては大乗の人間と麻原は同じ偽物だがね
>ダイヤモンドの例えは本気で言ってるのかい?
>麻原でも正しいことも言うだろうが君は麻原が言ったから○○は正しいというようなことを言いたかったのだろう?
>まったく別の話だ
大乗だから龍樹が偽物というのは誤謬というのを認めたのですね。 >>154
仏教であるか否かは後から論じましょう。
信教の自由や契約の自由が守られているなら、戒名は問題ないという事で問題はないですね? しかし、通常の理解能力を有する一般人なら直ぐに理解する問題を数日かけないと理解出来ないとか。
遍計所執性か? >>155
何度も書くけど、結局貴方の仏教に対する理解度の限界が問題となって話が進まないんだよ。
だから関係のない例えに話が飛躍する。
結局、真空妙有(用)は分からなくても仕方ないけど、縁起も無我も分からないんでしょ?
縁起も無我も上・大共通でしょ。
仏教での当然知識である縁起や無我がわからなくては大乗の批判は戯論だから。
貴方は上座部?
話のレベルを合わせるから教えて欲しい。 すごいな大乗がキチガイってのをこれ以上ないほど証明している良スレだ >>156
龍樹と麻原が大差ないことを理解できたんだね
>>157
> 信教の自由や契約の自由が守られているなら、戒名は問題ないという事で問題はないですね?
信教の自由があるから何?
仏陀の教えと関係のないものを騙して売っているのは事実
つまり仏教的に問題があるということ
>>158
> >>140を読みなさいw
ひょっとして大乗非仏説の内容を理解していない?
スッタニパータ以外は直説でなく後から付け足されたものということ
>>140がまさにそれであり、君の理解力のなさに私は愕然としている
>>159
> しかし、通常の理解能力を有する一般人なら直ぐに理解する問題を数日かけないと理解出来ないとか。
> 遍計所執性か?
偽物だといつ気がつくのですか?
>>160
> 何度も書くけど、結局貴方の仏教に対する理解度の限界が問題となって話が進まないんだよ。
どう理解したら戒名を擁護できるのか説明できますか?出来ませんよね?
> だから関係のない例えに話が飛躍する。
> 結局、真空妙有(用)は分からなくても仕方ないけど、縁起も無我も分からないんでしょ?
> 縁起も無我も上・大共通でしょ。
無我はともかく縁起は後世の付けたしだと今日何度か説明したよね?
> 仏教での当然知識である縁起や無我がわからなくては大乗の批判は戯論だから。
君の知識はほとんどが偽物である。本物を教えて欲しいというなら1から教えてあげてもいいぞ。 >>163
>龍樹と麻原が大差ないことを理解できたんだね
→はい、却下w
理由/大乗に属する≒その人の見解は間違っている → 論理破綻
>仏陀の教えと関係のないものを騙して売っているのは事実
>つまり仏教的に問題があるということ
→はい、却下w
理由/仏教に視座を抜きに論じようという前提で話しているので
>偽物だといつ気がつくのですか?
→却下
理由/話の筋に関係なし
>どう理解したら戒名を擁護できるのか説明できますか?出来ませんよね?
→これから一緒に論じましょう。
>無我はともかく縁起は後世の付けたしだと今日何度か説明したよね?
→ スッタニパータには縁起説は見られてますが?
>君の知識はほとんどが偽物である。(以下略)
→はい、却下wwwww
理由/根拠なし >>164
君は仏陀が嘘をついてはいけないと説いたこともわからないのだろう?
まるで幼稚園児に言い聞かせているような気分になるが何度でも言ってあげよう
嘘をつくのは悪いことだ >>165
戒名の話をしております。
関係のない話を論ずる気はありません。
今迄のおさらいをしますが、仏教的な視座から戒名を論ずるのは一旦おいて、
社会一般的常識から論じてきましたが、「社会通念上相当の範囲内であれば」
問題ないと結論が出てます。
それに対してのあなたの反証は潰えてますが?
(いい加減ぶり返すのは止めてください、単なる感情論にしか見えませんから)
なお、仏教的な視座からはこれから論じますので。 >>166
へえ、じゃあ戒名の正当性を主張してごらんwww >>167
あなたは論難され行き詰まると振出しに戻ろうとするので先に確認しておきます。
それから先は仏教的な視座から戒名を論ずる事で良いのですね? >>169
いいでしょう。
「社会通念上相当の範囲内であれば」 戒名は問題ないと今此処に結論付けました。 >>170(続き)
資料等を確認しますので、一旦オチます。
議論については明日以降参加いたします、ヨロ。 >>122
>よかったなかなかレスがないから乱暴に扱いすぎて玩具が壊れたのかと心配してたんだよ
君のような「壊れたおもちゃ」に飽きてきただけだよ。
君は、都合の悪い論点は全部スルーするし、非論理的な感情論に固執するばかりで議論が成立せず、駄々っ子そのものだね。
忙しい大人は、君みたいなおこちゃまの相手をいつまでもしてられないってことさ。
>君も大乗は500年後に出来たって自分で書いてたよね?
だから、「文献学的には」そうだって何度も言ってるだろ?
>今500年前の人物の名義で何かを捏造したら偽物なのは言うまでもないw
だから、500年前の大乗経典成立時点の文化的背景の話をするのかい?
そして私は、それとは別の議論として、大乗仏教徒の価値観では本物なんだといっているだけ。
そもそもここが何板なのかを、忘れちゃったのかな?
>してないけど?
また都合の悪い事は忘却の彼方か・・・・・・。
具体的に君が書いたレスを張ろうか?
特徴的な書き方だから、まず間違いなく君だと思うんだが、別人だと言い張るつもりかな?
>こちらにとってはどうでもいいことだ。捏造した当時関係なく今嘘をつく必要性がないことには反論できる?w
だから、なぜ「嘘」だと決めつけるんだい?
君の「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」では嘘なんだろうけど、
大乗仏教の価値観のなかでは全く持って嘘でもなんでもない訳だが? >>122 つづき
>仏陀の教えに反している以上の具体例があるのかい?仏陀を重視しないのに仏教を名乗るんだ?
そもそも、仏陀の教えが何かと言う議論を君がスルーしてて終わってないのはとりあえず置いておくとしたとしてもだな、
仮に「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょうのおしえ」に反していたところで、
なんでそれが「道義的に悪」になるんだい?
「君の考えた教義的に異端」ならわかるが、それなら結局教義論争に過ぎず、道義的か否かは全く関係ない話になるが?
>仏陀の説を捏造しただろう?
だから、なぜ「捏造」だと決めつけるんだい?
君は仏教の歴史について全く無知なようだが、2500年の歴史を聞きたいのかい?
>仏陀は嘘をつくなと説かれた。
だから、仮に嘘をついたのだとしても、それがなぜ「道義的問題」になるのかね?
君が言っているのは、「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょうに違反する!」と言ってるだけ。
論理的な誤謬を犯しているよ。
>何度も使ってるようだが君に言ったその言葉よっぽど気に入ったのかい?
>それとも同じ言葉で言い返さなきゃすまないほど悔しかったのかい?
>後発の偽仏教が真仏教にたいして使える言葉ではないよw
君が先に「偽仏教」と何度も使って居る訳だが?
君はよっぽど気に入っているようで、何度も同じ言葉で言いかえす事でしか反論できなくなってて、
君が悔しい思いをしているようなんで、それを揶揄して言っているんだが?
よっぽど痛いとこ突いちゃった? >>122 つづき
>かわいそうに犬の糞とかりんとうの違いすらわからないんだ。
だから、大乗仏教が犬の糞であり、医学的、社会的に害悪であることを、「具体的に論証」してね?
まあ君としては、具体例も出せず、反論も出来ないから、
きっと「偽仏教」「犬の糞」と同じ言葉で何度も言い返さなきゃすまないほど悔しいんだろうね。
>歴史的にずっと本物の仏説は何かを議論してきたのに?本物がわかったら本物を重視するのが筋だろう?
心と宗教板の土俵で、「心と宗教」の問題として扱うなら、それは信仰・価値観の問題になるから、
文献学的どうであろうと、本人がどう信仰するかが「本物か否か」の判断基準になる訳だが?
大乗仏教徒は、大乗仏教の価値観で、大乗仏教が本物だとわかったから、本物の大乗仏教を重視しているだけだよ。
なんでそこに、君は文献学と言う別次元の武器で殴りかかっているんだい?
君は、相撲の土俵で「伝統の武器だから!」といって日本刀を振り回して、自分が場違いだと思わないのかい?
相撲の土俵で張り手をかましてくる相手に、「日本刀で戦わずに相撲で掛ってくるとは卑怯だ!」と言うのかい?
99%は100%と同じだと思ってるようなキチガイには普通の事なのかな?
>オウムの信者にとっては麻原は本物だね。それで?
話の流れが理解できないのは相変わらずか。 >>127
おいwww
基本的に他人の議論には口を出さないスタンスなんだが、これはwwww
> >>126
>非仏説です。
「真仏教」とか言っている人間が、縁起が非仏説とか、何の冗談だ?
お茶ふいたじゃねえかwwww
例えて言えば「麺や汁の入ったラーメンは偽ラーメン!」と言っているレベルの話だぞ?
麺や汁が無いと言うなら、一体何がラーメンになると言うんだ?
>>163
>スッタニパータ以外は直説でなく後から付け足されたものということ
まさかと思うが、文献学的には、スッタニパータですら後世の付加部分があるとされている事ぐらいは知って居るよね?
スッタニパータの第四章が最古層ではないかと言う説が、文献学では有力だ。
つまり、君の言い方だと「スッタニパータの大部分は後から付け足された非仏説」ということになる。
今後、君が「すったにぱーた」と言うたびに、笑いがこみあげ来そうで困るんだが。
そもそも文献学的には、「スッタニパータの第四章が最古層」と言うだけで、それが釈迦の直説かどうかまでは保証してないんだぜ?
ほんと、「他人をバカにして笑いに来た本物の馬鹿」を見るのは面白いな。 >>175
> 大乗仏教徒は、大乗仏教の価値観で、大乗仏教が本物だとわかったから、本物の大乗仏教を重視しているだけだよ。
違うよね?大乗経典が本物であり仏陀の新しい教えだと考察したから重視していたんだよ?
特に日蓮なんて法華経が最新だと偉い人が結論付けたからそれを重視していた
それは当時の調査の限界で残念ながら間違った結論になったかもしれないが君はそんな彼らも侮辱するんだねw
> なんでそこに、君は文献学と言う別次元の武器で殴りかかっているんだい?
> 君は、相撲の土俵で「伝統の武器だから!」といって日本刀を振り回して、自分が場違いだと思わないのかい?
ああ、まともな道具すら持たない君には私の持つ伝説の剣は卑怯なほどだろうねwww
> >オウムの信者にとっては麻原は本物だね。それで?
> 話の流れが理解できないのは相変わらずか。
オウムが麻原を仏陀だと思うのも君が自分を仏陀だと思い込んだ精神異常者である大乗の作者を仏陀だと思うのも自由だよ。よかったね
> 「真仏教」とか言っている人間が、縁起が非仏説とか、何の冗談だ?
後から追加されたとされるものをスッタニパータと同列に語るのは筋が通らないからね
君達とは違って私は筋を通す人間なんだよ
> まさかと思うが、文献学的には、スッタニパータですら後世の付加部分があるとされている事ぐらいは知って居るよね?
それが大乗非仏説の内容だからね
> スッタニパータの第四章が最古層ではないかと言う説が、文献学では有力だ。
> そもそも文献学的には、「スッタニパータの第四章が最古層」と言うだけで、それが釈迦の直説かどうかまでは保証してないんだぜ?
君は本当に頭が悪い。スッタニパータも直説とは限らないがそれ以外は直説ではないという説が大乗非仏説だ
もちろん直説でないとされるものも大乗経典のように程度の低いものから縁起のようなものまで玉石混交だがね
> ほんと、「他人をバカにして笑いに来た本物の馬鹿」を見るのは面白いな。
どんな気持ちでしたか?仏陀だと思ってきたものが仏陀だと思い込んでる精神異常者でしかないと知ったときは? >>176
こんなことを書いている人もいますよ
>ひょっとして大乗非仏説の内容を理解していない?
>スッタニパータ以外は直説でなく後から付け足されたものということ
(>>163)
上の文章を読む限りにおいて>>163さんはスッタニパータは釈迦の直説だと
主張しているように思えるけど違うのかな?
中村元先生にしてもさすがにそんな説は説いておられていないような・・・ 直説=仏説というのは、直説が不明である以上当然に成り立たない。
最古層の思想=仏説というのは、
最古層には仏陀が複数表現されているから、仏陀の説く説が仏説と受け止められるが、仏陀である事の証明方法は・・・
元さんが釈迦が舎利子に説いてた膨大であろう仏説の欠落を指摘されてたが、最古層に説かれている思想=仏陀の思想の全てとするにはいかないだろう。 最古層の思想≒仏説であれば、最古層の思想が何であり、それと上座や大乗思想の整合性の照合が問題となる。 >>176
>もちろん直説でないとされるものも大乗経典のように程度の低いものから縁起のようなものまで玉石混交だがね
縁起説に対する見方も中村元博士の時代と現代とではずいぶん違う。
近年の研究成果が一般向けの概説書に反映されるのはまだまだ先のこと
だろうけど、「文献学的には〜」という限りはなるべく新しい道具(研究成果)を
参照して欲しいかな。信仰の立場はそういうのとは違うけど。
『縁起説の原型』 中村元(著)
印度学仏教学研究 5(1), 59-68, 1957-01
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/5/1/5_1_59/_article/-char/ja/
中村元博士の論文から半世紀以上後の最新の研究はこちらをどうぞ
文部科学省 科学研究補助金 基礎研究(B) 平成25〜27年度
仏典における認識機序記述の研究
活動報告
http://www.classics.jp/ninshiki/report.html 戒名は釈迦が在世時には存在しなかったと推定される。
つまり、容認されていないとは言えないが容認されているとも言えない。
釈迦が在世時にはなかったタバコや麻薬を視座に置いてみる。
タバコは容認されているようだけど、麻薬は容認されていないようである。
戒律で禁止されていない事を行っても戒律を破った事にはならないが・・・
(続く) >>145
龍樹はC以降は使ってないと思うけど
「その両方に非ずに非ず」みたいなことを言うのは吉蔵とか中国の論師だと思う >>177
君は本当に愚かだ
「スッタニパータ以外は偽物」と「スッタニパータは本物」は同じではない >>178
スッタニパータが本物かどうかをはわからないが
それ以外は後で出来た偽物という事は言える >>181(続き)
戒名も戒律で禁じられてないから戒律を破った事にはならない、も一見解であると。
当時なかった事については仏説云々は論じようがない、と。
上・大ともに戒律は使用されている、と。
釈迦は在家と出家に分けた、と。
慣習として仏教に定着した制度である事は疑いようがないと思うけど。 >>183
>>163にあるのは「スッタニパータ以外は直説でなく」という文章ですよ。
同じく>>163にある
「無我はともかく縁起は後世の付けたしだと今日何度か説明したよね?」
は、中村元博士の学説を根拠にしているように推察されますが、
中村説に対する異論、再検討が>>180のリンク先にある中谷英明氏の研究や
「仏教は縁起である」として如来像思想批判を提起した松本史朗氏によって
なされているので、安易に断定してしまうのは危険だと思いますよ。
仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
「仏教の批判的考察」、溝口雄三他編『世界像の形成』(アジアから考える〔7〕)、
東京大学出版会、1994年、pp. 132-141、pp. 155-157
http://fallibilism.web.fc2.com/082.html >>182
↑
またまた御免!
リンク貼れんかった。
龍樹 四句否定
ウィキアーク(WikiArc.wikidharma.org)
でご検索を。 >>184
>スッタニパータが本物かどうかをはわからないが
>それ以外は後で出来た偽物という事は言える
ということは釈迦の直説はスッタニパータの中にしか存在しないということ?
そんなことを主張している学者がいるの?
それともやっぱり「ぼくのかんがえたさいきょうのがくせつ」? >>184
>スッタニパータが本物かどうかをはわからないが
>それ以外は後で出来た偽物という事は言える
馬鹿なの、こいつwww >>187
「その両方に非ずに非ず」は四句否定じゃないでしょ
本当に手抜きやね >>191
下記参照
有でなく、無でなく、有無でなく、両者の否定なるものでもない、四句を越えた真実を中観者は知る」
(プラジュニャーカラマティ『入菩提行論注』第九章引用) 両方に非ずだったね〜、
両方に非ず非ずになってたw
非ずがひとつ多かったw
御免! >>189
少しは論理的に考えれば?
他に仏陀の言葉として伝わっているものがあったなら最初に編纂した時にそれを記載しなかったか説明できないでしょう?
単純な優先順位の話
それとも誰も会ったことのない人間の言葉が突然どっかからわいてきたと思うの?
新興宗教団体は「秘匿されていた仏説」とやらをどこからか発見してくるけどねw >>194
え?
後から編纂された方が事実だったとか往々にしてよく有る事だけどw
文献史学なら常識だよ?
だから史料批判を厳密に行うんだけど。 続き
君、もしかしてそんな低次元で自論を展開していたの? 「天台教学は仏教学から見れば明らかに邪説」のスレが立った!
行ってくる >>194
論点を整理してみようか。
A.歴史上の人物である釈迦の言葉はスッタニパータの中にのみ見いだすことが出来る。
B.歴史上の人物である釈迦の言葉はスッタニパータに加えてスッタニパータ以後に
成立した経典の中にも含まれている可能性がある。
「スッタニパータ以外は直説でなく後から付け足されたものということ」(>>163)
「それ以外は後で出来た偽物という事は言える」(>>184)
>>164、>>184はAの主張をされていると読み取れるのだが、どんなもんでしょ?
私はBだと考えているけれど、>>164、>>184の中の人がAという信仰をお持ちなのであれば
話が噛み合わないのは仕方がないね。 >>198
間違いを訂正
上のレスで>>164とある部分は全て>>163になります。
>>164さん、ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。 >>192
ありがとう
原文は確認できないしチベット語だったら読めないけど、
とりあえず龍樹が述べるテトラレンマとは異なる、ということが確認できただけでも良かったです >>195
> 後から編纂された方が事実だったとか往々にしてよく有る事だけどw
> 文献史学なら常識だよ?
>
> だから史料批判を厳密に行うんだけど。
直弟子の後継者の中の偉い人が集まって話し合い編纂した中になかったなら
その仏陀の言行録はどこからやってきたものだと思うの?
最初に編纂した偉い人より仏陀について詳しい人とはどんな存在?
少しは頭使えよw
>>198
何度も言ってるじゃないか。スッタニパータ以外は偽物の可能性が高くスッタニパータも本物とは限らないと >>201
第一回目の編纂は伝承。
2回目以降の編纂では既に直弟子は皆亡くなってる。
>直弟子の後継者の中の偉い人が集まって
>話し合い編纂した中になかったなら
文字化はいつの頃かタイムラグも考えましょうw
引用のソース宜しく。 君の主張の全てが否定される訳ではないから。
しかじ、文献批判は下記の要素等も鑑み厳密にされないとね〜
伝承自体が漏れていた可能性。
編纂時に取捨選択され一度は捨てられた伝承がその後復活した可能性。
編纂時に歪曲された伝承が後に正された可能性。
第ニ回目の結集時には、既に教団の分裂が始まっていたからね。 >>201
>何度も言ってるじゃないか。
>>163と掲示板IDが同じのレス4つ、>>184と掲示板IDが同じレス2つの
どこを見たところで
「スッタニパータ以外は偽物の可能性が高くスッタニパータも本物とは限らない」
という意味を表す文言は出てこないのですが、>>201さんがそうおっしゃるのならば
そうなのでしょう。
ところで>>201さんはスッタニパータの中に釈迦の言葉があるとお考えなのでしょうが、
ア.歴史上の人物である釈迦の言葉はスッタニパータにのみ見いだすことが出来、
それ以外の文献には存在し得ない。
イ.歴史上の人物である釈迦の言葉はスッタニパータ以外の文献においても
見いだすことが出来る。
ウ、その他
これらのうち、どの立場でしょうか? >>204
私自身は“ウ”になるかな。
昔の人の言葉を借りればこんな感じ。
結局予のいふ仏陀の説又は根本仏教の説は吾々の論理的推論の上に
構成せらるゝものであって、其外には到底判らないといふことに帰着する
のである。
宇井伯寿『印度哲学研究 第二』(岩波書店、1965年)324ページ
スッタニパータ各章の成立時期とスッタニパータの中に見いだされる
縁起説の原型については、>>180のリンク先にある中谷英明氏の研究が
大変参考になる。 >>176
>違うよね?大乗経典が本物であり仏陀の新しい教えだと考察したから重視していたんだよ?
>特に日蓮なんて法華経が最新だと偉い人が結論付けたからそれを重視していた
>それは当時の調査の限界で残念ながら間違った結論になったかもしれないが君はそんな彼らも侮辱するんだねw
なぜ、現代日本人の信仰の話をしているのに、鎌倉時代の人間の話が出てくるんだ?
日蓮系のことを言うなら、現代人のは「日蓮がそう結論付けたから」と言う「信仰」だろ?
何が問題あると言うんだい?
それこそ君自身が「本に書いてあったから、wikiに書いてあったから、偉い先生が言ってたから」大乗は非仏説だと信じてるってだけで、
ある意味その二者に本質的な違いはないと思うがね?
あと、細かいとこ突っ込んどくと、日蓮の解釈では、最新なのは涅槃経だったと思うが?
最新ではなく、仏陀の真意が説かれているから信仰していたんだったと記憶してるが?
>ああ、まともな道具すら持たない君には私の持つ伝説の剣は卑怯なほどだろうねwww
何を仰る兎さん、私が同じ武器もって君をぶん殴ってみたら、君は逃げまわってるじゃんw
それのうえで、自分が土俵で「でんせつのけん」で殴り掛かっておいて、素手の力士に負けそうになったら、
「剣を相手に素手で殴りかかるとは!!」と訳のわからないことを先に言い出したのは君の方だろ?w
>オウムが麻原を仏陀だと思うのも君が自分を仏陀だと思い込んだ精神異常者である大乗の作者を仏陀だと思うのも自由だよ。よかったね
相変わらず、話の流れが理解できてないのに、他人の議論に頓珍漢な口出しするんだな。
>後から追加されたとされるものをスッタニパータと同列に語るのは筋が通らないからね
>君達とは違って私は筋を通す人間なんだよ
じゃあ、スッタニパータの大部分も後から追加されたものだから、スッタニパータの大部分も同じ扱いしてね?w
それに、スッタニパータ自体、釈尊在世中には書かれてなくて、死んでからずいぶん経って書籍化されたものなんで、
ある意味「後から追加された」ものだね。
あら、じゃあスッタニパータ全体も同じ扱いしないとね!w >>176 つづき
>それが大乗非仏説の内容だからね
質問と答えがあってないんだが?
誤魔化しているつもりかい?
>君は本当に頭が悪い。スッタニパータも直説とは限らないがそれ以外は直説ではないという説が大乗非仏説だ
>もちろん直説でないとされるものも大乗経典のように程度の低いものから縁起のようなものまで玉石混交だがね
全然違う。君は本当に頭が悪いね。
「文献学的には、釈迦の直説だと言う証拠はない」と言うだけの話で、
「スッタニパータ以外は釈迦の真意を説かれた教えではない」とは言ってない。
それ以前に、「大乗仏典は仏陀が説かれた教えであるという信仰」とは全く関係ない話なんだがな。
そもそも、なぜスッタニパータの一部が最古層であると言われているか、その論理展開を理解しているのか?
まあ少しでも理解してれば、「何を根拠に、何を主張してて、何を主張してなくて、どこに穴があるか」が分かるから、
君みたいな頓珍漢な主張にはならんかw
>どんな気持ちでしたか?仏陀だと思ってきたものが仏陀だと思い込んでる精神異常者でしかないと知ったときは?
うわー、頭悪い質問だわw
自分がやっているのが、論理的誤謬による詭弁的質問だと自覚が無いのかな?
しかし、君もこれだけフルボッコにされて少しは気が付いたと思うけど、
君が思いつく程度のことは、既に誰かが思いついてて、そして既に反論がなされているレベルのものでしかないんだよ。
ほんと、「他人をバカにして笑いに来た本物の馬鹿」を見るのは面白いな。 >>206
> それこそ君自身が「本に書いてあったから、wikiに書いてあったから、偉い先生が言ってたから」大乗は非仏説だと信じてるってだけで、
> ある意味その二者に本質的な違いはないと思うがね?
君にとっては論理的に導き出されたものと誰かの妄想が同じなんだね可哀想に
> じゃあ、スッタニパータの大部分も後から追加されたものだから、スッタニパータの大部分も同じ扱いしてね?w
> それに、スッタニパータ自体、釈尊在世中には書かれてなくて、死んでからずいぶん経って書籍化されたものなんで、
> ある意味「後から追加された」ものだね。
> あら、じゃあスッタニパータ全体も同じ扱いしないとね!w
ああ、大乗は昔からスッタニパータも偽物の可能性があるから大乗も上座部も変わらないという阿呆な主張をするよねwww
大乗の主張はウォルト・ディズニー社が作った新アニメと中国産偽ミッキーがディズニー本人のものではないから同じだといってるようなもの
君のように中国モッキーマウスを好きだというのは勝手さ、でも偽物でないとか本物のディズニーの商品だと騙すのは悪だと思えるだろう?
> 「文献学的には、釈迦の直説だと言う証拠はない」と言うだけの話で、
> 「スッタニパータ以外は釈迦の真意を説かれた教えではない」とは言ってない。
> それ以前に、「大乗仏典は仏陀が説かれた教えであるという信仰」とは全く関係ない話なんだがな。
うん、キリストの教えと正反対のものをキリストの教えとして信仰するのは自由だよ
先制攻撃で殴れとか隣人を憎めとかヤハウェを無視しろとかね
キリストを例にすれば客観的に見えそれが聖人への侮辱だと理解できるだろう?
> しかし、君もこれだけフルボッコにされて少しは気が付いたと思うけど、
> 君が思いつく程度のことは、既に誰かが思いついてて、そして既に反論がなされているレベルのものでしかないんだよ。
> ほんと、「他人をバカにして笑いに来た本物の馬鹿」を見るのは面白いな。
うん、大乗は完璧に論破されて尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた歴史があるよねwww
そして最終的には大乗非仏説なんてなかったことにした考えないようにした
惨めな連中だよねえ?そう思わない? >>208
>君にとっては論理的に導き出されたものと誰かの妄想が同じなんだね可哀想に
相変わらず頓珍漢なレスを返してくるねw
大乗非仏説が非論理的な信仰だと言っているのではなく、
大乗非仏説の成立過程の論理を理解していない「君が」非論理的な信仰をしているに過ぎないのではないかと指摘しているんだよ。
>ああ、大乗は昔からスッタニパータも偽物の可能性があるから大乗も上座部も変わらないという阿呆な主張をするよねwww
>大乗の主張はウォルト・ディズニー社が作った新アニメと中国産偽ミッキーがディズニー本人のものではないから同じだといってるようなもの
>君のように中国モッキーマウスを好きだというのは勝手さ、でも偽物でないとか本物のディズニーの商品だと騙すのは悪だと思えるだろう?
そうじゃないよ。
「君の判断基準に従えば」スッタニパータですら「偽物」にされてしまうって指摘だよ。
君は気が付いてないかもしれないが、君は「ウォルト・ディズニー自身が描いてないミッキーは全部偽物」と定義しているから、
「ウォルト・ディズニー『社』が描いた新作のミッキーですらすべて偽物」ということになると指摘しているんだよ。
君にも分かり易く言えば、「君の定義はおかしい」、「ダブルスタンダートになってる」と言ってるんだよ。
>うん、キリストの教えと正反対のものをキリストの教えとして信仰するのは自由だよ
>先制攻撃で殴れとか隣人を憎めとかヤハウェを無視しろとかね
>キリストを例にすれば客観的に見えそれが聖人への侮辱だと理解できるだろう?
いやだから、信仰の問題に文献学で殴り掛かってきて、それで負けそうになると今度は信仰の問題に逃げ込むのやいい加減やめないか?
せめて、どの土俵で、どの武器で戦うかを明示してから、一貫して同じ土俵と武器で戦ってくれよ。
一々こっちがそれに合わせて土俵と武器を変えるのが面倒なんだが。
で、信仰の問題にするなら、それは単なる宗教戦争に過ぎないから、「勝手にしろ」で終わりだね。 >>208 つづき
>うん、大乗は完璧に論破されて尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた歴史があるよねwww
>そして最終的には大乗非仏説なんてなかったことにした考えないようにした
>惨めな連中だよねえ?そう思わない?
ああ、君の中ではそうなんだろうね、君ん中では。
少なくとも、このスレで「完璧に論破されて尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた」のは君の方なんだが?
そして「最終的にそんな反論なんて無かった事にして考えないようにした」のも君だし。
惨めな人間だよねえ、君は?そう思わない? >>209
> 大乗非仏説が非論理的な信仰だと言っているのではなく、
> 大乗非仏説の成立過程の論理を理解していない「君が」非論理的な信仰をしているに過ぎないのではないかと指摘しているんだよ。
大乗の信仰が一番非論理的だろう?
> 「君の判断基準に従えば」スッタニパータですら「偽物」にされてしまうって指摘だよ。
> 君は気が付いてないかもしれないが、君は「ウォルト・ディズニー自身が描いてないミッキーは全部偽物」と定義しているから、
> 「ウォルト・ディズニー『社』が描いた新作のミッキーですらすべて偽物」ということになると指摘しているんだよ。
> 君にも分かり易く言えば、「君の定義はおかしい」、「ダブルスタンダートになってる」と言ってるんだよ。
その仮定でもディズニー社のミッキーと中国の偽物に雲泥の差があることもわからないのか・・・・・・
> いやだから、信仰の問題に文献学で殴り掛かってきて、それで負けそうになると今度は信仰の問題に逃げ込むのやいい加減やめないか?
> せめて、どの土俵で、どの武器で戦うかを明示してから、一貫して同じ土俵と武器で戦ってくれよ。
> 一々こっちがそれに合わせて土俵と武器を変えるのが面倒なんだが。
> で、信仰の問題にするなら、それは単なる宗教戦争に過ぎないから、「勝手にしろ」で終わりだね。
負けそうになるって君のしょうもない戯言に?
君の理屈って「久遠のディズニーとかいう中国人が作ったモッキーでもファンがいるから偽物じゃない」だけだろう?
それで自分では筋が通っているつもりなの?w
> >うん、大乗は完璧に論破されて尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた歴史があるよねwww
> >そして最終的には大乗非仏説なんてなかったことにした考えないようにした
> ああ、君の中ではそうなんだろうね、君ん中では。
え?君の世界では大乗非仏説は論破された学説なんだwwwww
だったら出し惜しみしてないでその理屈を出してごらんwwwww
「久遠のディズニーという中国人が作ったモッキーでもファンがいるから偽物じゃない」以外の理屈をwwwww >>211
相変わらず頓珍漢なレスを付けるね〜
>大乗の信仰が一番非論理的だろう?
また、「他にも窃盗犯が居るから、俺様の窃盗罪は無罪」理論かい?
それに、私は「大乗の信仰は論理的」だなんて一言も言ってないんだが?
むしろ信仰なんてものは非論理的なものに決まってるだろうに。
で、(一般的な大乗非仏説ではなく)「君の」「ぼくのかんがえただいじょうひぶっせつ」が単なる非論理的な信仰にすぎないって事は認めたのかな?
>その仮定でもディズニー社のミッキーと中国の偽物に雲泥の差があることもわからないのか・・・・・・
私は一言も「ディズニー社のミッキーと中国の偽物に差はない」なんて言ってないんだが?
「君の定義に従えば」、「ディズニー社のミッキーと中国の偽物」も「どっちも偽物」になってしまうと言っているんだよ。
むしろ、差を無くすような定義をしているのは君の方だね。
>負けそうになるって君のしょうもない戯言に?
おや、では君がスルーしてきた諸々の論点に、再反論してくれよw
出来ないってことは、「君が負けそうになって逃走した」って事が確定するだけだよ。
>君の理屈って「久遠のディズニーとかいう中国人が作ったモッキーでもファンがいるから偽物じゃない」だけだろう?
>それで自分では筋が通っているつもりなの?w
例えば、君が普段食ってる「カレー」ってのは、イギリスの「カリー」ともインドの「カリ」とも別物だが、
それをもって「日本のカレーは偽物!不味い!」と言う結論になるのかい?
君は、価値観の問題に、社会性や道義性やオリジナリティやら、終いには版権問題まで持ち出してきているが、
それらは全部別問題だっていつになったら気が付くんだい? >>211 つづき
>え?君の世界では大乗非仏説は論破された学説なんだwwwww
>だったら出し惜しみしてないでその理屈を出してごらんwwwww
>「久遠のディズニーという中国人が作ったモッキーでもファンがいるから偽物じゃない」以外の理屈をwwwww
はあ?
いつ私が「大乗非仏説は論破された学説」だなんて言った?
むしろ、君の世界では「大乗が論破」されたことになっているらしいが、
なぜ大乗非仏説が成り立つと、「大乗が論破」されることになるんだい?
両者は別次元の問題だと散々指摘されてるのに、それに対する再反論が未だに無い訳だが?
そして、「尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた歴史」とか、
「最終的には大乗非仏説なんてなかったことにした考えないようにした」というのは、
君の妄想以外にどういう論拠があるんだい?
具体的に例を挙げて指摘してみてくれよ。
むしろ、このスレの言動を見る限りでは、
「尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた」のは、
「都合の悪いスレを無視して逃げたり相手の事をキチガイ扱いする個人攻撃をしてきた」君の方だし、
「なかったことにした考えないようにした」のも、
「反論が無かったことにして『大乗は偽物だから、大乗は偽物』」と論理的誤謬を犯して思考停止している君の方だろ?
一々具体的にレスを貼らないと納得しないのかい?
まあ、君の中では論破したことになってるんだろうね、君ん中では。
まったく、惨めな人間だよねえ、君は?そう思わない? >>213
> また、「他にも窃盗犯が居るから、俺様の窃盗罪は無罪」理論かい?
> むしろ信仰なんてものは非論理的なものに決まってるだろうに。
お、大乗以外も非論理的だから大乗が非論理的でも問題ない理論かい?
大乗が特に非論理的だといってるんだがね?
> 「君の定義に従えば」、「ディズニー社のミッキーと中国の偽物」も「どっちも偽物」になってしまうと言っているんだよ。
> むしろ、差を無くすような定義をしているのは君の方だね。
おいおい君は本当に頭が悪いな。その両者には正当性において決して越えられない壁があるんだよ
> おや、では君がスルーしてきた諸々の論点に、再反論してくれよw
> 出来ないってことは、「君が負けそうになって逃走した」って事が確定するだけだよ。
君が論を語っているのは見たことがないが?w ああ、感情論はあるかもね
> 君は、価値観の問題に、社会性や道義性やオリジナリティやら、終いには版権問題まで持ち出してきているが、
> それらは全部別問題だっていつになったら気が付くんだい?
こちらの価値観で偽物だといってるだけなのに突っかかってきたのは君のほうだろう?w
> なぜ大乗非仏説が成り立つと、「大乗が論破」されることになるんだい?
天動説や創造論は論破されていないのかい?
> 両者は別次元の問題だと散々指摘されてるのに、それに対する再反論が未だに無い訳だが?
それは君がそう言っているだけだろう?w
> そして、「尻尾巻いて逃げたり発狂したり個人攻撃してきた歴史」とか、
> 「最終的には大乗非仏説なんてなかったことにした考えないようにした」というのは、
> 君の妄想以外にどういう論拠があるんだい?
> 具体的に例を挙げて指摘してみてくれよ。
富永仲基や平田篤胤を君みたいに感情論で攻撃した事実があるよね?w
> まあ、君の中では論破したことになってるんだろうね、君ん中では。
> まったく、惨めな人間だよねえ、君は?そう思わない?
そのレスよっぽど悔しかったんだねw悔しがるってことは自身が惨めだって心のそこでは認めてるってことなんだよwww >>215
>お、大乗以外も非論理的だから大乗が非論理的でも問題ない理論かい?
そもそも「理論」ではなくて、「信仰」だと何度言えば。
そして、そもそも大乗が非論理的な信仰なんだから、大乗以外が非論理的であると指摘する必要性なんか「私の方には」欠片も無いんだが?
むしろ、非論理的であることを指摘されて「大乗も非論理的なんだから俺様が非論理的でも問題ない理論」を展開したいのは、君の方だろ?
>大乗が特に非論理的だといってるんだがね?
だから?
そもそも最初から、大乗は宗教であり信仰であるから、非論理的ものだけど?
で、それと、「大乗非仏説の成立過程の論理を理解していない『君が』非論理的な信仰をしているに過ぎない」ことに何の関係があると?
>おいおい君は本当に頭が悪いな。その両者には正当性において決して越えられない壁があるんだよ
おや、「君の定義に従えば、ディズニー社のミッキーと中国の偽物もどっちも偽物になってしまうこと」は認めるんだw
そもそも、偽物になるか否かを議論していたんであって、「両者が同じだ」とは言ってないんで、君の反論は的外れだね。
結局のところ、「君の定義に従えば」、「ぼくのかんがえたさいきょうのすったにぱーた」も偽物になるって事で決着だね。
>君が論を語っているのは見たことがないが?w ああ、感情論はあるかもね
へ〜じゃあ、具体的に指摘しようか?
「君の価値観に反する事がなぜ道義的に悪になるのか」とか、
「大乗仏教が道義的に悪であるという具体的証拠はあるのか?」とか、
「戒名が道義的に悪であるという実例を自分が体験したのか?」とか、
「道義的に悪だからといってなぜ偽物と言うことになるのか」とか、
「大乗仏教が犬の糞であり、医学的、社会的に害悪であるというなら、それを具体的に論証してみろ」とか、
「スレ違いと板違い論争」とか、
このスレだけに限定しても、君が途中で放り投げた論点は山ほどあるけど?
ああ、「ぼくがそうおもうんだからぼくがただしいんだい!」って感情論で、「君の中では」決着がついてるのかな? >>215 つづき
>こちらの価値観で偽物だといってるだけなのに突っかかってきたのは君のほうだろう?w
いやだから、他人が勝手に信仰している価値観に、板違いにも文献学で「先に」突っかかってきたのは君の方なわけだが?
で、君は、価値観の問題に、社会性や道義性やオリジナリティやら、終いには版権問題まで持ち出してきているが、
それらは全部別問題だっていつになったら気が付くんだい?
>天動説や創造論は論破されていないのかい?
自然科学の分野で議論するならば、自然現象の観測という論拠が存在するからね。
その論拠の反証となる実験事実が示されれば論破されるに決まってるだろ。
で、一体、宗教という価値観の分野で、何が論拠となると言うのかね?
まさかまた「ぼくちんのかちかんでは〜〜」とか言い出すのかい?
それで話は戻るが、なぜ大乗非仏説が成り立つと、「大乗が論破」されることになるんだい?
>それは君がそう言っているだけだろう?w
ほう、では、私のレスで「再反論が未だに無い」レスを具体的に示してくれるかな?
こちらは前レスで具体的に示したんで、それを示せないと言うなら、再反論できてないのは君の方だって事で決着だね。
>富永仲基や平田篤胤を君みたいに感情論で攻撃した事実があるよね?w
はあ? このスレの話をしていたんだが?
つまり歴史上の人物でしかそのような事例はなく、私が「感情論で攻撃した」具体例は示せないって事だね。
と言う訳で、「感情論で攻撃した事実がある」のは君の方って事で決着だね。
>そのレスよっぽど悔しかったんだねw悔しがるってことは自身が惨めだって心のそこでは認めてるってことなんだよwww
おやおや、自分のレスを鏡で返されたのがよっぽど悔しかったんだね。
悔しがるってことは自身が惨めだって心のそこでは認めてるってことらしいよ。 >>215 つづき
結局君は、具体例に基づく理論を展開するのではなく、感情論に終始するんだね。
ほんと、「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」というAAが似合う人物だよ、君は。
まあ、そもそも>>7の時点で
>>相変わらず具体的な指摘もなく、ひたすら相手にレッテルを貼って優越感に浸る感情論か……
>>そんな事してて虚しくならないのか?
>楽しいけど?
なんて言って、自分のやってることが「具体的な指摘もなく、ひたすら相手にレッテルを貼って優越感に浸る感情論」だって認めちゃってるから、正論を説いても無駄なんだろうがね。 パーリ経典には、釈尊が天界で天神たちに説法した内容も載ってるでしょう。
それをサーリプッタ長老が記録したと伝えられている。
三昧(正定)に入れる菩薩が、仏陀の法身や報身から、直接に仏法を授かったと
しても、別におかしくはないと思うよ。
この辺になると、サマーディ体験がある人なら分かるだろうけど、瞑想しない人は、永遠に分からん話ではある。 もともと、仏法というのは人智を超えた話をしているのだから、
人間が頭で考えて成否を判断できるもんと違う。 仏陀や菩薩には慈悲と方便力があるから、人間にもわかるようにお話しして下さるけど。 禅定力があって、その禅定力に支えられた智慧があれば
大乗仏教も分かるようになると思う。
逆にいうと、禅定の修行をしないままだと、たとえ大乗仏教徒を自負していても
本当の慈悲や智慧は分からないままじゃないかなぁ。
で、その禅定を教えられるところが、テーラワーダ仏教にはまだある。
日本仏教界にも、教えられる場所や師僧がいるのかもしれないが、わたしは
まだ知り合えていない。 いま、NHKの100分de名著という番組で、維摩経のことをやってるけど
話の始まりからして「我というのは四大(地水火風)の集合体でしかなく、
もともと空である。(そこは分かるよね)。」というところから始まってる。
つまり、すでに五蘊無我を悟ってることがお話の前提になってる。
それは、四諦八正道の修行を悟るまでやり遂げた人じゃないと、分からんのではないかなぁ。 しかし、大乗経典のサーリプッタ尊者は、毎回ひどい役回りをさせられてるな(笑)
彼はぜんぶ分かってると思うよ。
阿羅漢の智慧を舐めすぎだと思う。
まぁ、方便なんだろうけど。 大乗菩薩を自認する人のほとんどは、52位のかなり下の方をうろうろしてるだけに見える。
真面目に禅定波羅蜜の修行をやってください。 生老病死に苦しむ衆生を、死から救い出すことができますか。
阿羅漢は、その背中で解脱を示すことができますよ。
自分一人、輪廻から救い出すことができなくて、何が大乗なのでしょうか。 無我はなにもないということではない。
断見の人が多すぎる。 もしかして、身体が生きているあいだは我があって、死んだら無我になると思ってるのではないか。
それは有身見といって、この身体が我で、身体こそが本体で、身体が意識の発生源で、
従って身体が死んだら我も、我という意識も消えてなくなる。
それが無我だ、みたいな。
そういう受け取り方をしてませんか。 あるいは、浄土系の如来蔵思想だとしても、真如が本来清浄という場合でも
やっぱり臨終に際しては正念を保てないと、極楽往生できないと教えてますでしょ。
現代日本の仏教徒は、修道を軽視しすぎのきらいがある。
勉強ばっかりしてても、心のコントロールは訓練によるから、いざとなると貪瞋痴に
対抗できずに流される。 >>233
それは空理空論でしかない。
何の役にも立たない。 >>235
いやいや、これが大乗仏教の禅、いわゆる祖師禅なんですよ。
私の問いに答えられずに悩む「それ」は何か?
命懸けで修行するんですわ。 無我が分かってないから答えられない。
水泳理論を学んだ金槌と同じ。 テラワダの禅修行は公案禅じゃなくて、数息観や安般念から入って思考は止めてしまう。
それができれば、実際に体験として自我は消える。
感覚や思考が自我の実感を生みだしているので、思考も感覚もなければ、自我は瓦解してしまう。
思考をしているうちは、体験智の智慧は出てこないと思うよ。
瞑想できないから、次善の策として思惟をしているのでしょうけど。 無論、止禅による自我の放下は一時的なものに過ぎないし、それが悟りでもなければ、解脱でもない。
仏教の悟り、解脱はもっと先にある。
それは分かっている。
わたしが問題として指摘しているのは、現代の大乗仏教の人たちの多くは、それさえできない、できたことすらない。
そういう人が多いということ。
次に伝えておきたいことは、あなたたち大乗仏教の人たちが「小乗」と見下している、根本仏教には、実は
大乗仏教の高度な教えが最初から含まれているということ。
言葉や思考ではなく、体験として伝えているものだから、パーリ経典に遺った言葉は、大乗経典のように美麗では
ないが、言葉が美麗になるということは、それだけ体験できる人、実際に智慧に到達できる人が少なくなっていった
その反動だと思う。 どれが無我かといえば、五蘊はもともと無我だし
無我だからこそ無常であって、生老病死に流される。
無我ならざるものはパラマッタ、漢訳語で勝義諦のみ。
つまり名色と涅槃しかない。
大乗教学においては空性の開悟、あるいは如来蔵の感得を目指すのだろうが、
それを机上の学問と思考によってではなくて、禅で掴んでいる人がどれだけいるのかね。 成果に達していないなら、象法といわれても仕方ないでしょう。
つまり絵に画いた餅。
泳げない水泳理論家。 何か無理して話題を創りたいのか、煽りたいのか分からんが、今時小乗仏教などと見下す輩は俺の周りにはおらん。
また、大乗の禅で見性した奴なんざ腐る程おる。
あと、誤解しているけど、公案禅は思考じゃない、例えば無字の公案なら、「ムー」って思考(我)を殺す。
いい加減な知識で上座と大乗の間に対立を煽るような馬鹿な事はやめとけ。 >無我なのに何を救い出すの?
>無我なのに何が受け取るの?
お年寄りや妊婦さんに電車やバスで席を譲るよな?
迷ったら道を尋ねるよな?
>無我が分かってないから答えられない。
>水泳理論を学んだ金槌と同じ。 席を譲る、道を尋ねる。
上座も大乗もあるか、ボケ! 日本で見性体験した後、解脱までいけた人っているのかね。
あるいは、そこまで指導できる師僧がいるのだろうか。 >>248
他人の解脱が気になるんだw
それは自身の道心の至らなさの問題。 >>249
現代日本に、正法を伝持する正統なサンガがあるのか、ということね。
>>250
わたしが悟るわけじゃないと思うよ。
わたしは止禅の段階でとっくに消えちまうからな。 問答を通して、お勉強もして、思考概念を通して無我を納得するのも
別に悪くないんだけどさ。
ほとんどの皆さん、そこの段階で止まってませんか。
概念智としての無我を頭で知っているだけで、
体験智がない人が大勢を占めていて、それだから輪廻転生はないとか
ブッダは輪廻など説かなかったとか、そういうトンデモ仏教解釈が
大手を振ってまかり通っている。 >>251
>現代日本に、正法を伝持する正統なサンガ
>があるのか、ということね。
何を言いたいの?
宣伝したいの?
>わたしが悟るわけじゃないと思うよ。
>わたしは止禅の段階でとっくに消えちまうからな。
んで、何が解脱するの? 解脱したら分かるんじゃないの。
解脱してないのに答えだけ知っていても、それは言葉に過ぎない。 >>216
> 結局のところ、「君の定義に従えば」、「ぼくのかんがえたさいきょうのすったにぱーた」も偽物になるって事で決着だね。
ああ、それだと自動的に法華経も偽物の偽物になるけどねw
> 「君の価値観に反する事がなぜ道義的に悪になるのか」とか、
ゴータマは嘘をつくなと説いたと教えてあげたよね?
> 「大乗仏教が道義的に悪であるという具体的証拠はあるのか?」とか、
ゴータマの教えをレベルの低い嘘だとしたり、ゴータマより遥かに上の存在を設定して侮辱してるよね?
> 「戒名が道義的に悪であるという実例を自分が体験したのか?」とか、
大乗では騙して金を毟る行為が悪ではないのかい?
> 「道義的に悪だからといってなぜ偽物と言うことになるのか」とか、
道義的に悪で仏陀の考えと正反対ならどんな擁護もできない偽物だね
> いやだから、他人が勝手に信仰している価値観に、板違いにも文献学で「先に」突っかかってきたのは君の方なわけだが?
大乗の存在自体が仏陀への侮辱なんだから批判は甘んじて受け、影でこそこそ信仰すべきではないかね?
> で、一体、宗教という価値観の分野で、何が論拠となると言うのかね?
ゴータマ説ではない以上の論拠と価値観があるのかい?
> ほう、では、私のレスで「再反論が未だに無い」レスを具体的に示してくれるかな?
> こちらは前レスで具体的に示したんで、それを示せないと言うなら、再反論できてないのは君の方だって事で決着だね。
で、仏説だと嘘をつくのが悪くないと思うのかい?
> つまり歴史上の人物でしかそのような事例はなく、私が「感情論で攻撃した」具体例は示せないって事だね。
> と言う訳で、「感情論で攻撃した事実がある」のは君の方って事で決着だね。
君のは感情論しかないのにどれが感情論だと言われても困るんだがね。言うなれば全部だよ。
> おやおや、自分のレスを鏡で返されたのがよっぽど悔しかったんだね。
> 悔しがるってことは自身が惨めだって心のそこでは認めてるってことらしいよ。
どうやら図星だったようだね。あとスレタイのキチガイという言葉も気にしてるようでw >>255
だから、分かるそれは「なにもの」かと。 本来の面目とか、真如とか言えば納得するのか?
観禅もできてないのに、そんなに深い意識まで見えるかよ。
それが正直な答えだし、お前さんたちが答えるべき答えもそうだよ。
かっこつけてないで、修行の階梯を前に進めろよ(苦笑 >>258
>本来の面目とか、真如とか言えば納得するのか?
違う。
貴方のその「我という思い」でしょ? そこを調伏するのは、もちろん重要な修行課題なのだけど、
思考と五感の感覚が消えたところには、その我自体がないんだよ。
無我を体験智として知ってることは、とても重要だと思う。 道心が足りない奴程、宗や経の優劣を論じる。
迷ってるから。 密教で教えてることのうち、少なくとも一部は、小乗と蔑まれて切り捨てられたものが
名前を変え、伝え方を変えているだけで、中身は同じものだと思ってる。
結局、人間的な価値観に重きをおく中国以東の儒教文化圏においては、仏教の説く
解脱や悟りは、そのままでは理解されなかったため、ラッピングを代えて同じものを
再提供したのではないかと思っている。
何が言いたいかというと、南伝上座部仏教には、大乗仏教を再興するための重要な
鍵があると思っている。 筏の喩えがありながら筏にしがみつく。
飛び込めや? >>261
部派の優劣を語っているわけじゃない。
そのなかの人間のことを言っている。
仏道という道において、道の最初にいる人、真ん中にいる人、後ろの方にいる人がいる。
大とか小とかいう分別は、実はあまり実体に則していないと思う。 お経を勉強してつく智慧は、経般若。分別智。思考。
瞑想を通して現れる智慧は、なんとか般若。無分別智。体験。思考はしてない。できない。
両方が大事だが、体験智が決定的に大事。
これがないと、輪廻の海においては金槌。 >>260
>無我を体験智として知ってることは、とても重要だと思う。
それ、見性体験。 おれが知らないだけなんだろうけど、見性より先に行けてる人が、国内でなかなか見当たらん。
南方上座部には何人か見つけた。 やっぱ悟ってない師匠についてても、悟れないと思うよ。
悟った師匠のもとで修行して、悟ってから菩薩行なり、大乗なりやれば?ってこと。
悟ってないと慈悲じゃなくて、人情。
功徳じゃなくて、福徳。
解脱に向かうベクトルじゃなくて、天界とか人界になっちゃうでしょ。 >>268
まぁ、少ないでしょうね。
そりゃ仕方ないかと。
でもまぁ、禅宗の嗣法の老師や久参底の居士を実際にご覧あれ。
坐禅を組んでても立ち振る舞いをみても定力というか道力というか、別次元な人もいるから。 谷藤裕明盛岡市長、谷藤文明株式会社橋市社長・盛岡剣道協会会長、谷藤文明の伜・谷藤大樹
倍加、お祝い金(上納金)→借金漬け→家庭崩壊→精神崩壊→精神病院
これも剣道。
谷藤裕明盛岡市市長の実家は、橋市という包装資材、不動産屋などの会社を営んでいる。
また、橋市道場という剣道場もやっているが、道場の2階で朝起き会、実践倫理宏正会という社団法人の体裁のカルト宗教をやっている。
この朝起き会の実態は、信者を洗脳し、信者に莫大な借金を背負わせ、実践倫理宏正会に寄付を強要する悪徳団体なのである。
やっていることは、暴力団も真っ青な集金システムと言えるだろう。
剣道は人殺し、即刻廃止へ。
https://m.facebook.com/daiju.tanifuji
http://s.webry.info/sp/58807828.at.webry.info/200910/article_28.html
http://m.webry.info/at/58807828/201109/article_18.htm?i=&p=&c=l&guid=o
http://kansindo.mods.jp/blog/?p=11198
http://www.geocities.jp/sonomama_da/asaoki2.html 前スレのレスだけどさ
仏ってすべての害意や欲望などの煩悩を乗り越えた存在だからシヴァと比べるのもおかしいんだよなぁ
いわば究極の人格者みたいなもんでしょ
崇めて何か罪になるのかね?
765 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/05/28(日) 23:10:47.07 ID:idpaBaZ4 [2/2]
>>764
そもそもオウムは大乗どころか仏教ですらない。本尊はヒンドゥー教のシバ神で聖書由来のハルマゲドンをも教義に盛り込んだごたまぜ集団
766 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/05/28(日) 23:46:09.94 ID:v51gYyJz [4/4]
>>765
じゃあ何とか仏を崇めてる大乗も仏教じゃないね 過去仏の話は、パーリ仏典にも出てくるけどね。
ゴータマ王子が過去世で菩薩だった頃、ディーカンカラ仏に授記を受けた話から始まって、ひとつ前のカッサパ仏まで出てくる。
過去仏のお弟子さんが、菩薩として転生を繰り返してても、別に話は矛盾しないと思うのだが。 輪廻転生にリアリティが持てないのは、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜が足りてない証拠じゃないかなー。
それでどうやって抜苦与楽すんだよー。
頑張れー 記憶を維持できないなら輪廻とかの生まれ変わりがあってもアミダの世界に行けても意味ない
それは存在しないのと同じ >>256
>ああ、それだと自動的に法華経も偽物の偽物になるけどねw
相変わらず頓珍漢なレスを返してくるね。
「君の定義に従えば、君の主張が崩壊する」と指摘しているのに、
「俺様の定義に従えば、お前の主張は崩壊する」とレスを返しても、何の反論にもなってないよ?
それ以前に、君の主張が単なる誤謬に堕して、「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」で終わる話になってしまう。
>ゴータマは嘘をつくなと説いたと教えてあげたよね?
質問と答えが一致してないんだが?
君の「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」の教えに従って、君の「ぼくのかんがえたさいきょうのブッタ」に違反することが、なぜ「道義的に悪」になるのかね?
「君の価値観に反する事がなぜ道義的に悪になるのか」について論証してくれよ。
>ゴータマの教えをレベルの低い嘘だとしたり、ゴータマより遥かに上の存在を設定して侮辱してるよね?
まずもって、大乗の教えについて誤解がある点は横に置いておくとして、仮にそうだったとしても、
なぜそれが「大乗仏教が道義的に悪であるという具体的証拠」になると言うんだね?
オウムの浅原彰晃の教えをレベルの低い嘘だとしたり、浅原彰晃より遥かに上の存在を設定して侮辱したら、
それはオウム真理教の教義的に異端ではあるだろうが、それが「道義的に悪」になるのかい?
斯様に、君のレスでは単に、君の「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」の教えに反していると言うだけの異端審問、価値観の押し付けに過ぎないよ。
これも既に指摘したと思ったが、再反論なかったよね?
で、「大乗仏教が道義的に悪であるという具体的証拠」は何時になったら出るんだい?
このままでは、具体的論拠が提示できないので、君の主張は間違いって事で決着だね。
>大乗では騙して金を毟る行為が悪ではないのかい?
だから、「騙しても居ないし、金を毟っても居ない。なぜならそのような事をしたという具体的証拠が無い」と反論したのに、
君が再反論としての具体的証拠を提示しないで逃げたんだろ?
で、「戒名が道義的に悪であるという実例を自分が体験したの?」
具体的証拠が提示できないってことは、「悪とする根拠が無い」って事で、そもそも君の主張が成立してないって既に指摘したと思うが? >>256 つづき
>道義的に悪で仏陀の考えと正反対ならどんな擁護もできない偽物だね
また論点ずらしで「仏陀の考えと正反対」とかぶち込んできたのは横に置いておくとして、
君は、論拠を聞いているのに「明白だから証明する必要はない!」と言う誤謬を犯しているよ。
君のその屁理屈が成り立つというなら、「道義的に悪でもどんな擁護もする必要もない本物だね」と言う「屁理屈」が成り立つよ。
で、なぜ、「道義的に悪なら、どんな擁護も出来ない偽物」なんだい?
>大乗の存在自体が仏陀への侮辱なんだから批判は甘んじて受け、影でこそこそ信仰すべきではないかね?
また勝手に「大乗の存在自体が仏陀への侮辱」と決めつけていることは横に置いておくとして。
このレスのように「君の価値観で他人の価値観を否定すること」自体を非難されてるのに、
それを「俺の価値観が絶対的に正しいんだから、お前らは陰でこそこそしてろ!」と開き直るというのが、反論になると思うのかね?
だとしたら、君の方こそ「道義的に悪」と見做されかねんぞ?
(そして「君の理論に従えば」、道義的に悪なら偽物らしいので、君のは偽物って事になるなw)
>ゴータマ説ではない以上の論拠と価値観があるのかい?
相変わらず論旨が支離滅裂だね。
「天動説や創造論」を君が引き合いに出してきたから、
私が「それらは自然科学の分野で自然現象の観測という論拠が存在するが、価値観の分野で何が論拠となるのか」と指摘したのに、
それに対するレスが「ゴータマ説ではない以上の論拠と価値観」かね?
まず、価値観の分野で価値観を論拠とするなら、それは単なる価値観の押し付け合いに過ぎないということは、既に指摘したよね?
次に、「ゴータマ説ではない」という文献学上の論拠は、宗教板という価値観の分野では板違いだと、既に指摘したよね?
なんで君はすでに指摘・反論済みの事を壊れたレコードのように繰り返すのかい? >>256
>で、仏説だと嘘をつくのが悪くないと思うのかい?
君は本当に日本語話者かい?
「私のレスで「再反論が未だに無い」レスを具体的に示してくれるかな?」と聞かれて、
「仏説だと嘘をつくのが悪くないと思うのかい?」というレスが答えになっていると思うなら、
ちょっと小学校からやり直した方が良いと思うが?
一応聞いておくが、「具体的(ぐたいてき)」って日本語、知ってるよね?
>君のは感情論しかないのにどれが感情論だと言われても困るんだがね。言うなれば全部だよ。
はいはい、具体的に論拠を一つも示せないって事で、君の主張は間違いだってことで決着だね。
君は具体的な論拠も提示せずに、君の感情だけを論拠に感情論を展開するばかりだから、議論が成立しないんだよ。
>どうやら図星だったようだね。あとスレタイのキチガイという言葉も気にしてるようでw
おやおや、どうやら図星だったようだね。あと君の方こそがキチガイという言葉も気にしてるようでw
レッテル張りによる論拠のない感情論は、こうやって鏡反射されるっていい加減学習したらどうだい?w
ところで、他の論点は都合が悪いからスルーかい?
議論を途中で放り投げてると指摘されてる端から放り投げかい? >>285
食用の団子と毒入りホウ酸団子を同じ団子だみたいな屁理屈だなぁ >>286
ぜんぜん屁理屈には思えんがな。
>>285の方が、むしろ話に筋が通っていると思うよ。
議論の質という観点からみれば、まるで大人と子どもの対話ぐらいに差がありすぎる。
私なら「分かった、もういいよ。」と投げ出したくなるんだろうけど、慈悲深いね、この御方は。 変な西欧哲学と劣化したキリスト教の発想主義がスレ主の特徴なんだろうな。 >>283
> 「君の定義に従えば、君の主張が崩壊する」と指摘しているのに、
> 「俺様の定義に従えば、お前の主張は崩壊する」とレスを返しても、何の反論にもなってないよ?
君は本当に愚かだね。スッタニパータが偽物だったとしても大乗は偽物であり真偽は関係ないってことだ。論点そらしかい?
> で、「大乗仏教が道義的に悪であるという具体的証拠」は何時になったら出るんだい?
何度も言ってるよね?わけのわからない説を仏陀説として騙し金を巻き上げてるって、君は何度言えばわかるんだい?
君の定義だと息子を騙るオレオレ詐欺も道義的に問題ないことになる
> >大乗では騙して金を毟る行為が悪ではないのかい?
> だから、「騙しても居ないし、金を毟っても居ない。なぜならそのような事をしたという具体的証拠が無い」と反論したのに、
戒名を販売してるのがその証拠だけど?騙してないならどこの経典に名前を売りつけろって書いてるか言ってごらん?
> 君は、論拠を聞いているのに「明白だから証明する必要はない!」と言う誤謬を犯しているよ。
君こそ大乗を仏説とする根拠を俺がそう思うから正しいしか言ってないよね?
> このレスのように「君の価値観で他人の価値観を否定すること」自体を非難されてるのに、
え?君の価値観でスレの大乗信者キチガイ説を否定してるのは無視かい? >>283
> 次に、「ゴータマ説ではない」という文献学上の論拠は、宗教板という価値観の分野では板違いだと、既に指摘したよね?
> なんで君はすでに指摘・反論済みの事を壊れたレコードのように繰り返すのかい?
いつの時代もどの宗派でもどれが仏説かイエスの言葉か、そこに正統性があるかを議論してきたのが既存の宗教だ
文献学が宗教と関係ないというのはただの君がただそう言っているだけだよ?
> 「私のレスで「再反論が未だに無い」レスを具体的に示してくれるかな?」と聞かれて、
> 「仏説だと嘘をつくのが悪くないと思うのかい?」というレスが答えになっていると思うなら、
一番わかりやすく何度も無視されてきた問いかけをしてあげたんだよ?
大乗が嘘でない理由と嘘をつくことの善悪についてを一度もまともに答えてないよね?
> 君は具体的な論拠も提示せずに、君の感情だけを論拠に感情論を展開するばかりだから、議論が成立しないんだよ。
君はモッキーマウスは偽物じゃないという根拠を自分が偽物じゃないと思うからしか言ってないんだが?
> おやおや、どうやら図星だったようだね。あと君の方こそがキチガイという言葉も気にしてるようでw
> レッテル張りによる論拠のない感情論は、こうやって鏡反射されるっていい加減学習したらどうだい?w
君が多用してる言葉なのに?
> ところで、他の論点は都合が悪いからスルーかい?
> 議論を途中で放り投げてると指摘されてる端から放り投げかい?
だから感情論だけで何の論にもなってないんだよ ここにいるということは大乗非仏説を知っているということであり大乗はゴータマの教えとはかけ離れているということを知っているということ
それでいて戒名やその他の商品をあたかもお釈迦様ことゴータマ縁のものであるかのようにして売っている日本大乗の現状を見て
悪だと思えないというのは正気で言ってるのかい?
ならばそのへんに落ちていた石をお釈迦様縁のパワーストーンだとして売るのも手羽先の骨をお釈迦様の骨だとして売るのも君たちの定義なら問題ないということ >それでいて戒名やその他の商品をあたかもお釈迦様ことゴータマ縁のものであるかのようにして売っている日本大乗の現状を見て
悪だと思えないというのは正気で言ってるのかい?
論点飛び過ぎ。
大乗=日本の葬式仏教ではない。
仏教史を、お勉強し直したほうがいいな、横レス。
俺は、戒名などのの歴史を知っているけどな・・・。 291君の空想を指摘するなら、
291の空想の大乗仏教は日本に仏教が来たものが、戒名があったという空想なんだろうな・・・。
空想で評論する虚しさを気づくべきだな。 大乗仏教は、三昧の定力をもった菩薩が、天界や色界、無色界で仏陀から授かった教えらしい。
テーラワーダのアビダルマも、ゴータマ仏陀が第二天界で説いたものと伝わっている。
大乗仏教と言っても、いろいろ混ざってて、単純に論評できないのが難しいところなのだけど。 無色界はないか。
天界か色界か、どっちかのはず。
あるいは、唯識的には他の答えがあるのかも知れないが。 いずれにせよ、南方上座部仏教は、まっすぐ解脱に向かう智慧の道。
おおかたの凡人には理解できない。
人情に執着している多くの凡人にとって、理解しやすいのは慈悲の道。
慈悲と智慧は、究極的には同じことなので、慈悲から入って、結果的に
自我執着を手放せれば、いずれ智慧に達するはず。
だから大乗仏教という方便は、それはそれで仏教として有益だと思う。 釈尊が蓮の花をねじったのを見て、大カッサパが微笑したという捻華微笑のエピソードは
そういうことじゃないかな。 >大乗仏教と言っても、いろいろ混ざってて、単純に論評できないのが難しいところなのだけど。
ま、そんなところやろな、批判は正確に行うべきだな。
> 大乗仏教は、三昧の定力をもった菩薩が、天界や色界、無色界で仏陀から授かった教えらしい。
それぽいのは世親以降じゃないの?
竜樹は、それに該当するかは疑問がある。
真言密教なんかは竜樹よりもテーラワーダーに回帰している感がある。
物質、存在の構成要素など・・・・。 泥の中に清く白く咲く蓮華 = 初期仏教
ひとひねり捻っても、それでも蓮華 = 大乗仏教
理解できる方便から入ればいい。
智慧がでてくれば、どちらも智慧からでてきた同じ仏教だと分かる。 >釈尊が蓮の花をねじったのを見て、大カッサパが微笑したという捻華微笑のエピソードは
そういうことじゃないかな。
それはむしろ、原始仏典、仏伝の最後の近くに釈迦が言った、
どこどこが美しいだの、ていうのと同義と思うけどな・・・。 真言密教の経典にある修法は、三昧に入れることが前提になってるけど
三昧(正定、禅定)をちゃんと教えているところって、テーラワーダ(得に
ミャンマー)にはあるけど、いまの日本仏教だと絶滅危惧種だもんね。
真言宗から、テラワダの森林派に禅定の修行に来てる人、何人もいるよ。 >>300
その指摘は面白いね。
如来の目からみたら、すべてがすでに涅槃の大楽だったのかもしれない。 >いまの日本仏教だと絶滅危惧種だもんね。
空海死後、絶滅に近い、祈祷仏教に堕した、
それが、大乗非仏説を説いたと勘違いされている富永の批判(大乗側の仏伝に反しているという批判が、いつのまにか大乗非仏説の立役者となるw)
ま、仏伝に反する、神秘主義すぎる、真言、戒名を行う、土着仏教批判したのが本筋なんだろうけどな。
高野山で当人の本、現在語訳を読んだら、そういう感じだ。 スレ主の大乗批判の空想の始まりの対象は、
空海死後に増殖する神仏習合と阿弥陀信仰から、構築されていく・・・。
五来重なんか読むと日本土着仏教のイメージが深く理解できる。 日本土着仏教は、「信」の要素で三昧を狙う気配があるな。
なかなか、五来重の示す、日本土着仏教信仰者の気分が解りにくく、捕らえるのに苦労したわ。 五根五力の信、勤、念、定、慧。
信を足がかりに正念が持続できれば、定が生じる。
定が生じれば、慧が現れる。
別に間違ってないよな。 >>306
死後の阿弥陀の浄土転生やら、
地獄に落ちた仲介者の神社の神、地蔵菩薩、
と、まあ、「信」のオプションが増加して、
富永も批判憤懣になったんやろう。
俺的には日本土着仏教愛があるほうだ、たまに趣味的に日本土着仏教三昧をw 安般念や数息観の方が、即効性があって効果がはっきり出るから
自分はそっちの方がやりやすいけどね。
テラワダの三学(戒定慧)は、説明もしっかりしてくれるので分かりやすい。 地蔵信仰、地蔵経典も日本偽作の経典が多いが。
変態趣味がある俺様は、その三昧を狙う趣味があるw。
小堂の不動明王で三昧狙うと、異界の違和感セットで、何とも言えねえ・・・魔境ぽくてw >テラワダの三学(戒定慧)は、説明もしっかりしてくれるので分かりやすい。
んだ、圧倒的、
大乗で頑張ってんのはマインドフルネス、ベトナム産の。 俺、優秀らしいでw
生滅智、余裕っすw高野山のビルマ仏像ある寺で余裕だべw
テラワダw 正確に富永仲基を学ぼうスレw
スレ主に再勉強勧めるスレw 俺はマハーシシステムだった、
マハーシの翻訳本で三昧昇天w
生滅智と呼ぶらしい、それw 生滅智で、真言密教と近似値を知る・・・・。
ということは・・・・・w 書いているだけで。マハーシシステムの生滅智、リロードしているぞwナウw
クレイジーやなあw俺w
最近、まったく無関与なんだが・・・・。 おれもそれ持ってる。
根本テキストはあくまで三蔵経だから、流派の違いは表面上のことに過ぎないと思ってる。 ただまぁ、色界四禅(禅定波羅蜜)があるのと無いのとでは、見えてくる世界の次元が違ってくる。 スマナサーラ長老の日本テーラワーダ仏教協会や地橋秀雄氏の本は、
マハーシよりもパワーが低い感じだな。
本家にはかなわん、ちゅうやつか・・・。 この、変な俺様の能力は良く解らんw
前世論で解釈する気すら起きんが。
前世論好きなヤシからしたら、説明するんだろうなあ・・・・・・。 久しぶりにライトに生滅智のゾーンに入って、
テーラワーダの感触が好みなんだなあ・・・と久しぶりに気付いたw
日本土着仏教三昧研究に狂っていたがw 前世があってもなくても、前世があるのかないのか分かってても、分からなくても
因果応報には変わりないでしょう。
善因善果、悪因悪果。
過去世については、色界四禅の三昧に入ってから、縁起の瞑想をすると、ちゃんと
思い出せるらしい。
ヴィパッサナー16観智の2つ目、縁摂受智かな。
さっきの本にも出てくる。マハーシ長老は、ちゃんとできてたと思いますよ。
参考資料
http://www.horakuji.hello-net.info/dhyana/sikan/samatha_vipassana.htm >>324
どうも、俺様はこっちの好みに反して、真言密教系のドラフト指名されていた気配があるから。
密教系僧かもwなーんて空想しちまうw
チベット部隊に最初に濃厚に引き込まれたんだがw
外国だぞw 日本で、勝手に引き込まれるw
まったく・・・・。我流ていうんだからなあ・・・・・。 >真言密教系のドラフト指名
中学時の遠足に、心霊写真ならぬ、仏霊?w写真が。
その後、その仏姿が家の近所に真言密教の外に観音像の建った寺院が出来上がる、
こっちは、関心薄かったんだが、
俺は、大乗非仏論のスレ主みたいな精神構造だったんだけどなあ・・・・・・w 輪廻転生とか、前世とか、
頭脳による想像上の産物に過ぎん。
解脱すると輪廻しなくなるとさ。アホクサ。
それを肯定し主張している人自身が、
自分で確かめたわけではないくせに。
全部 お経からのコピペじゃん。 >>328
俺は今でも、そういう気分のノリがあるんだがなw
変な才能があるからなあw
この才能、基本重要視してねえけどな。 >>328
自分で確かめられるんだよ。
瞑想で雑念思考に流されないように訓練するのは、そのため。
思考の産物が妄想なら、実は瞑想していない状態で考えたことの方が妄想の産物なのです。 >>329
自分でそのような才能有りという主張はOK。
俺は無いけど。
>>330
そのやり方で、
お宅自身がお宅の前世を確かめたの? >>331
サマタ瞑想は、成功すると思考は止まる。
その時、思考や感覚はなくて、明瞭な意識だけがある。
身体や五感、思考に規定されない意識というのがあって、その時に一瞬だけ思い出したよ。
過去世の因縁を見るのは、経典どおりのちゃんとしたやり方があるけど、まだそこまで瞑想
に上達していない。
その為には、たまに三昧に入れたというのではなく、毎回いつでも三昧に入れるという、禅定
といわれる状態まで達しないといけないのだけど、それは今後の課題。 過去世の記憶は、脳みそのなかにあるわけじゃないからね。
過去世の時点で、いま使ってるこの脳みそ自体がないからね。
そんなところに記憶の本体があるわけじゃない。 >その時、思考や感覚はなくて、明瞭な意識だけがある。
身体や五感、思考に規定されない意識というのがあって、その時に一瞬だけ思い出したよ。
最初の坐禅で一発やったなあw
ニュータイプかw?俺はw? 思考が止まるというのは、考えるべきことについて考えられないという意味ではなくて、
雑念や妄想に流されないで、意識を一点に集中したまま留まっていられるという意味。 戒定慧の定の部分。
定ができると、慧が現れる。
慧でもって色んな事がわかる。
慧がないと分からない。
慧について話すと、慧がない人は、それが真実なのか妄想なのか判別できない。
だから、禅の修行者は、基本的に禅の修行者同士でしか禅の内容を話さないの。 >定ができると、慧が現れる。
ま、こいつが難関やな。今んところ順調やけどな。 仏教でいう定とは、正定のこと。
原語はサンマー・サマーディで、要するに三昧のことだけど、これが結構幅広い。
幅広いサマーディのうち、仏陀が仏教的に正しい三昧(正定)と定義したものは、
四つの色界禅と、四つの無色界禅。
それぞれの禅にも、明確に定義があって、すくなくとも心に五蓋がなく、禅支だけ
があることが確認できないと、それは(ある種の三昧ではあるかもしれないが)
禅定とは言わない。
ちゃんと禅定に入れるように修行するのが、禅定波羅蜜。
師匠につかないと無理だと思う。 >定ができると、慧が現れる。
オタッキー趣味でいえば、
浄土宗、真宗、日蓮宗など、連続念仏、連続題目で可能かどうか、という変態的探究心hがあるが・・・・・。
如来蔵の劣化バージョンにやるにしろ・・・どこまで慧が可能か、どうか?
神通力は出たという人物は歴史上あったが・・・。
興味津々ではあるが…未だ知らない世界・・・・。w 末法の時代は、解脱できる人はいないし、禅定(正しい三昧)に入れる人もいないので
ほとんどの一般人にとっては、仏法僧への信だけが突破口になる。 >師匠につかないと無理だと思う。
ついていないともいえるが、ついているともいえる、
俺は微妙だが、一流の人物との付き合いはあるので、ついている、といえるのか?
指導はサイキック的?な要素が全く無いわけでもなく・・・・・w
ここでは言わないぞ、ある種異常だからなあ・・・・・。そういう想定は・・・説明不可能すぎて言う気になれんw
とはいえ、プロセスは特殊でもなく、アナログ的苦労してんなあ・・・・・w >>341
カルトチックな創価の日蓮文章を読んだだけで、禅定ゾーンwクレイジーやなあw
皮膚から光が出る感触。
日蓮ですら非仏教的人物の典型なはずだがなあ・・・・w 禅定と三昧は区別できる。
禅定にしっかり入ってる時は、思考と五感の感覚はない。
意識が、瞑想対象のみに集中して、思考と感覚を無視している状態なので
思考と感覚を認識できない。
思考や感覚がまだあるなら、また、意識に禅支しかないのを確認できなければ、
それはまだ禅定とはいわない。
ただし、ある種の三昧ではあるかもしれない。 私はまだ修行中なので、間違ったことや不適切なことを言ってるかもしれないので、
仏典にあたるか、正師に聞いて確認して下さいね。
間違いや不適切があれば、速やかに訂正されますように。
三宝のご加護がありますように。 >ある種の三昧
そうだな、そういう意味では。念仏、日連系は三昧だろうな・・・。密教も含めて、
他の大乗仏教と、禅仏教との違いはそこだろうなあ・・・・・。 禅仏教が中国に来たときに上座部寺院に住み込んだ理由は、そういう側面だったんだなあ・・・・と。 となると・・・問題は、世親以降の唯識論だ、
あれは、微妙なんだよな・・・・。
俺的には三昧に見えるようで・・・・。
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
から、想定すると・・・・。
>第三禅定では、スカ(楽)とエーカガター(一境性)の要素だけが残っており、より一層平安な状態になっています。
に入るか微妙。
修行できた坊主が残っているか、既に怪しい、俺が唯識瞑想の第一人者という馬鹿げた状態である可能性があるw
何者かは残っていて、俺的には第四禅定まで行かない感触がある。
過去の唯識成就者入っていたのかもしれんが・・・。これも未知の世界やなw 大乗仏教の主だった経典を読んでいると、上座部系の悟りがある程度得られていることが
お話の前提になってるとは感じる。
例えば、最近 NHK 100分de名著で維摩経を取り上げているが、身体が四大の集積に
過ぎないという認識が前提になってる。
少なくとも名色識別智以上の観智がないと、この一分の意味は、本当には分からないはず。
大乗仏教・唯識派の人たちで、これが出来ている人が、いったいどれだけいるのか疑問。
また、自らの悟りに安住することなく、というのも、悟っていることが前提なのだが、これも
ふんわりスルーされているに違いない
悟ってない人が、悟ってないまま世俗にまみれてても、それただの凡人じゃないかと
突っ込みたくなる。 >大乗仏教・唯識派の人たちで、これが出来ている人が、いったいどれだけいるのか疑問。
そう、そこが、
が唯識瞑想の第一人者という馬鹿げた状態である可能性と思う所、
平安中期の密教ブームで唯識瞑想は崩壊している可能性が・・・。
瞑想の修行システムがみることができない。今や。
明治以降に復興、薬師寺にて、
天台の坐禅系瞑想体系システムすら、平安中期から、戦後まで崩壊していたらしいからな。
天台は坐禅修行が復興しているので、何人かいる可能性はあるが・・・。 >俺が唯識瞑想の第一人者という馬鹿げた状態である可能性
これもサイキック的な把握だったからなあ・・・・・w
説明しないぞw異常すぎる・・・・・。
その感触からの・・・イメージな。 今日は、これまで、いい勉強になったぜ・・・。
それでは・・・・・。 >>328
それでも2500年前の時点で他の迷信の類を否定したんだ
今だに迷信にとらわれてぶつぶつ言ってる21世紀の人間よりもずっと賢い >>354
>それでも2500年前の時点で他の迷信の類を否定したんだ
「文献学が〜」とか言うのであれば、ちゃんと論拠を示さないとね。
それで>>354さんの言うところの釈迦が否定した迷信って何?
ちなみにスッタニパータ第四章927はこんな感じ。
確かに占いや医術は仏教とは関係ないね。
中村訳(岩波文庫『ブッダのことば スッタニパータ』 201ページ)より
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行ってはならない。
鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行なったりしてはならぬ。 >>354
それともスッタニパータ第五章1146かな?
これも信仰(saddham)の扱いが色々と難しいんだけどね。
中村訳(岩波文庫『ブッダのことば スッタニパータ』 202ページ)より
(師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが
信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の
彼岸に至るであろうピンギヤよ。」
>>354さんの言うところの釈迦が否定した迷信って何? >>356
202ページじゃなくて241ページでしたね。訂正します。
そしてここで「捨て去れ」と言われている信仰は第五章で出てくるヴェーダの
教条に対する信仰じゃないかな。 >>356
pamuJcatiは「発せよ」とも訳せるよね(村上真完「信を発こせ」再考--Pamuncantu saddham)
ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが
信を(私に)寄せたように、そのようにあなたもまた信を(我に)発せよ。あなたは死の領域の
向こうに行くであろうピンギヤよ。
(1146)
yathA ahU vakkali muttasaddho
bhadrAvudho ALvi-gotamo ca,
evam eva tvam pi pamuJcassu saddhaM :
gamissasi tvaM piGgiya maccudheyyapAraM >>358
荒巻典俊訳はこんな感じ。
『スッタニパータ [釈尊のことば]』 講談社学術文庫 307ページ
(世尊がサーヴァッティーにいますままに出現してきて、説きたまう。)
「あたかもヴァッガリやバドラーヴァダやアーラヴィ・ゴータマが清らかな信心を
確定して(疑惑から)自由になったように、まったく同様にきみも信心を確定して
(疑惑から)自由になるがよいぞ。ピンギヤよ、きみは、死神の跳梁する領域を
超越した彼岸へと到るであろう」(1146)
信(saddhaa)に関しては様々な議論がありますね。
「文献学では〜」は信仰とは違う価値観だけどそれはそれで面白い。 上で出てくる富永仲基に対する仏教護法側からの反論も、その価値観の違いから
議論が噛み合っていないのが現代人からすると良くわかって面白い。
当時は大変だったんだろうな。
釈文雄著『非出定後語』について
伊藤 文昭(著)
印度学仏教学研究 通号54 1979-03-31
http://tripitaka.l.u-tokyo.ac.jp/INBUDS/search.php?m=trdd&usid=4945&a= >>289
>君は本当に愚かだね。スッタニパータが偽物だったとしても大乗は偽物であり真偽は関係ないってことだ。論点そらしかい?
君は本当に愚かだね。
スッタニパータが偽物だったとしても『大乗の真偽』は関係ないってことだ。
論点そらしかい?
で、反論が無いようだが、「君の定義に従えば君の主張が崩壊する」って指摘は正しいって事でいいのかな?
>何度も言ってるよね?わけのわからない説を仏陀説として騙し金を巻き上げてるって、君は何度言えばわかるんだい?
だから、何度も言っているよね?
その「具体的事例」があるのかと聞いているんだけど?
具体的に君が体験したとでも言うのかい?
君は何度言えばわかるんだい?
>君の定義だと息子を騙るオレオレ詐欺も道義的に問題ないことになる
なぜそうなるんだい?
私の定義に従って、「息子を騙るオレオレ詐欺も道義的に問題ないことになる」という理屈を論証してみてくれよ。
出来ないと言うなら、単なる君の言い掛かり、君の感情論に過ぎないって事になる。
>戒名を販売してるのがその証拠だけど?騙してないならどこの経典に名前を売りつけろって書いてるか言ってごらん?
戒名の「販売」なんてしてないけど?
そもそもそのような事例が具体的にあるのかい?
君自身が体験したのかい?
「具体的」と言う日本語は分かるよね?
>騙してないならどこの経典に名前を売りつけろって書いてるか言ってごらん?
それについて上の方で別の人と議論してて、君が論破されて逃げ出したと記憶してるが、君にとっては全部無かった事になったのかな? >>289 つづき
>君こそ大乗を仏説とする根拠を俺がそう思うから正しいしか言ってないよね?
だから、「宗教」という価値観では、「信じているから」で済むだろ?
それに何の問題があると言うんだね?
一方、もし君も「俺様がそう信じているからだ!」と言う事を根拠にするならば、それは君の価値観の問題に帰着し、
それを他人に押し付けることは単なる価値観の押し付け、異端審問、宗教戦争に堕すと言う事は既に指摘したよね?
で、君は異端審問がしたいのかい?
>え?君の価値観でスレの大乗信者キチガイ説を否定してるのは無視かい?
「君がそう思っていること」自体を非難した事は一度もないと思うがね?
君が自分でそう思っているだけじゃなくて、わざわざ板違いの心と宗教板にまで押しかけて自分の価値観を押し付けようとしている事を非難している訳だが?
>>290
>いつの時代もどの宗派でもどれが仏説かイエスの言葉か、そこに正統性があるかを議論してきたのが既存の宗教だ
>文献学が宗教と関係ないというのはただの君がただそう言っているだけだよ?
じゃあ、文献学を根拠に「いつの時代もどの宗派でも」自分が信じるものを決めていたと言う証拠をどうぞ?
もちろん、君みたいに聞きかじりのネット情報を元に「大乗はキチガイ」と「信じる」ように、
文献学の成果を元に信仰を決める人間は一定層いただろうが、
それこそ文献学とは程遠い「宗教」そのものの考え方だろうよ。
>一番わかりやすく何度も無視されてきた問いかけをしてあげたんだよ?
>大乗が嘘でない理由と嘘をつくことの善悪についてを一度もまともに答えてないよね?
君が「具体的」という日本語を全く理解できないってことはよくわかったよ。
まず、君がどこでその質問をして、私がそれをスルーしたというレスを、「具体的」に示してくれないかね?
形式は、前スレならURLを、このスレならアンカーを付け、原文をそのまま引用してくれ。 >>290 つづき
>君はモッキーマウスは偽物じゃないという根拠を自分が偽物じゃないと思うからしか言ってないんだが?
また「俺以外にも窃盗犯が居るから、俺は窃盗犯じゃない」理論かい?
で、君が感情論以外を言っていないと言うことについては同意したと言う事でいいのかな?
そもそも、「なにをもって偽物とするか」という議論から逃げ出したのは君の方だったと記憶しているが?
>君が多用してる言葉なのに?
私は、君が使った後に、鏡として使ってるだけなので、使った回数的には君の方が多いたはずだが?
>だから感情論だけで何の論にもなってないんだよ
だから、感情論と言うなら、どのレスが感情論なのかを具体的に指摘してくれよ。
>>291
>ここにいるということは大乗非仏説を知っているということであり大乗はゴータマの教えとはかけ離れているということを知っているということ
だから、文献学的には、大乗も、君の言ってる「すったにぱーた」の大部分も、スッタニパータの最古層と言われる部分ですら、
ゴータマの直説じゃない事は、このスレのほぼ全員が認めている事だが?
>それでいて戒名やその他の商品をあたかもお釈迦様ことゴータマ縁のものであるかのようにして売っている日本大乗の現状を見て
>悪だと思えないというのは正気で言ってるのかい?
だから、なぜ、大乗が仏陀の教えだと信じる「信仰」が「悪」になるのかを、具体的に論述してくれと何度も言っているだろ?
君は、「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」の教えに反するから異端だと、異端審問にかけてるだけじゃないか。
君がそう信じるのは勝手だが、君の価値観を他人に押し付けるのは止めてくれないかい? >>290 つづき
>ならばそのへんに落ちていた石をお釈迦様縁のパワーストーンだとして売るのも手羽先の骨をお釈迦様の骨だとして売るのも君たちの定義なら問題ないということ
本人がそれで納得しているなら、何が問題だと言うんだ?
例えば、君の好きな上座部仏教だって、明らかにゴータマの歯ではない「宝石」を「仏歯」だと言って信仰している寺院がある訳だが?
そもそも、信教の自由を侵害して、「この石ころは仏の骨だから買わなければいけない」と「強制的に買わせた」という具体的事例があると言うのかい?
君の妄想を論拠にして、空想上の大乗仏教を非難したところで、何の意味もない事は理解できるよね? >>358
残念ながら村上真完氏の論文は未読ですが、以下の論文で内容が
紹介されているのを確認しました。なるほどな。おもしろいな。
信の仏教の系譜--『スッタニパータ』「アーラーヴァカ経」と「ヴァンギーサ経」に描かれる「信」の原風景
井上 尚美(著)
大谷学報 89(2), 1-45, 2010-07
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005755836 349神も仏も名無しさん2017/06/23(金) 16:36:18.00ID:dkBGS2Wr
昨日のやり取りで得るものがあった。
第四禅定w。
エスパー的にw?
その感覚、息が止まったようなゾーン、あれは、なかなか使えるわwていうことで。
禅定のトリガーの集中手法(純粋な第四禅定の意味でない)として、
第四禅定的、風というべきか・・・wそれを応用してやろう(当然何者かの仏教流派上の応用w大乗的w?)
しかし、生滅智を狙う気がないんだが・・・。
この感覚を応用すると、結構、生滅智の感覚がでてくるなあ・・・・・。
随分、俺様の脳もテーラワーダーに占拠されかているのかw、という気分だな。こりゃ。 >>361
> スッタニパータが偽物だったとしても『大乗の真偽』は関係ないってことだ。
どういう理屈でそう考えるのか言ってごらん?君には自分がそう思うからそうなんだという理屈だけしかないよ
> 戒名の「販売」なんてしてないけど?
ああ、「販売」はしてないんだったね。まさに詐欺師の詭弁だね。
> それについて上の方で別の人と議論してて、君が論破されて逃げ出したと記憶してるが、君にとっては全部無かった事になったのかな?
論破?大乗に?例えば僕の考えた最強のオリジナルウルトラマンを使ってウルトラマンスレの誰かを論破できると思う?
できるわけないよね?10秒考えればわかることだと思うけど
> 君が自分でそう思っているだけじゃなくて、わざわざ板違いの心と宗教板にまで押しかけて自分の価値観を押し付けようとしている事を非難している訳だが?
板違い?君の宗教は偽物だと批判することこそ宗教の伝統的な姿じゃないか。君は何を言っているんだ?
> じゃあ、文献学を根拠に「いつの時代もどの宗派でも」自分が信じるものを決めていたと言う証拠をどうぞ?
中国で作られた経典を偽経としていたのをご存知でない?その当時の論理的な手法で真偽を分類していた歴史がある
> ゴータマの直説じゃない事は、このスレのほぼ全員が認めている事だが?
だからゴータマの教えに近いものと正反対のものが同格だと言いたいのかい?
> だから、「宗教」という価値観では、「信じているから」で済むだろ?
> それに何の問題があると言うんだね?
> 君がそう信じるのは勝手だが、君の価値観を他人に押し付けるのは止めてくれないかい?
押し付けてないよね?信仰するのはアホだけど勝手にしろと何度もいってる。でも詐欺行為は批判するよ。
> 本人がそれで納得しているなら、何が問題だと言うんだ?
オレオレ詐欺の電話をかけてきたのは息子だと信じているなら問題ないわけでそれを刑事事件にする警察が問題だというんだね
> 例えば、君の好きな上座部仏教だって、明らかにゴータマの歯ではない「宝石」を「仏歯」だと言って信仰している寺院がある訳だが?
じゃあそれも偽物だね >「宝石」を「仏歯」だと言って信仰している寺院がある訳だが
それ日本も同じやんけ 悟りの体験がなければ何を言っても無意味。
悟りの体験があれば上座部仏教、大乗仏教、密教を超えて直ぐに釈尊の真意がわかる。
仏教文献学などと言うものは「仏教文化」の話であって「仏教」そのものではないのだ。
「大乗非仏説」に意味があるように思うのは悟りを知らない門外漢だけなのだ。
悟りがわかれば、虫の音も、風の音も、小川のせせらぎも、すべて釈尊の説法で
あることがわかる。 それが人の幸福を願ってのものならいいけど
お金目的が透けて見えるのはねぇ >>367
>どういう理屈でそう考えるのか言ってごらん?君には自分がそう思うからそうなんだという理屈だけしかないよ
論理の世界ではね、「悪魔の証明」といって、「有る」と主張する方に立証責任があって、それが立証できないなら「無い」物として扱うんだよ。
よって、君が「すったにぱーたと大乗の真偽に関係有る」事を論証していないので、「無い」ものとして扱って何の問題もない。 Q.E.D.
というわけで、どういう理屈で「すったにぱーたと大乗の真偽に関係有る」と考えるのか言ってごらん?
君には自分がそう思うからそうなんだという理屈だけしかないよ。
一応、論理学が全く理解できない君の為に言っておくと、
「すったにぱーたが真であるなら、大乗も真。すったにぱーたが偽であるなら、大乗も偽」と言う関係性か、
「すったにぱーたが真であるなら、大乗は偽。すったにぱーたが偽であるなら、大乗は真」を証明する必要があるよ。
もちろん、君の主張みたいに、
「すったにぱーたが真であるなら、大乗は偽。すったにぱーたが偽であっても、大乗は偽」だと、「関係性は無い」って事になるね。
で、論点ずらしに必死で反論が無いようだが、「君の定義に従えば君の主張が崩壊する」って指摘は正しいって事でいいみたいだね。
>ああ、「販売」はしてないんだったね。まさに詐欺師の詭弁だね。
おや、君の論拠の一つが、君の「嘘」だったと認める訳だ。
正に詐欺師の詭弁だね。
そういえば、誰かさんの主張によれば、「嘘」は「偽物」らしいから、君は偽物って事だね。
>論破?大乗に?例えば僕の考えた最強のオリジナルウルトラマンを使ってウルトラマンスレの誰かを論破できると思う?
君にとっては、2スレに渡った議論は全部無かった事になってるようだね。
それとも君は、同じことを大声で何度も主張し続ければ、それが通るとでも思ってるのかい?
できるわけないよね?10秒考えればわかることだと思うけど >>367 つづき
>板違い?君の宗教は偽物だと批判することこそ宗教の伝統的な姿じゃないか。君は何を言っているんだ?
おや、じゃあ君がやってることは、君の「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教で、他宗教を異端審問にかけると言う行為に過ぎないと認める訳で?
てっきり君は、「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょうはぶんけんがくにもとづくしんりだからしゅうきょうじゃない!」と主張していると思ってたんだけど、それでいいのかい?
そして、君の主張が異端審問に過ぎないと言うなら、「自分の価値観を押し付けようとしている事を非難している」私の主張は間違いじゃなかったと言うことになるね。
>中国で作られた経典を偽経としていたのをご存知でない?その当時の論理的な手法で真偽を分類していた歴史がある
君は一体どの時代のどの場所でのどの立場での何に対する誰の主張の話をしているんだい?
具体的に書いてくれよ。
もちろん、君みたいに聞きかじりのネット情報を元に「大乗はキチガイ」と「信じる」ように、
文献学の成果を元に信仰を決める人間は一定層いただろうが、
それこそ文献学とは程遠い「宗教」そのものの考え方だろうよ。
>だからゴータマの教えに近いものと正反対のものが同格だと言いたいのかい?
誰もそんな話はしていないが?
そして、相変わらず「正反対のもの」とか決めつけてくる詭弁が得意だな。
>押し付けてないよね?信仰するのはアホだけど勝手にしろと何度もいってる。
だから、何で他人が「勝手に信仰しているもの」に対して、その人の土俵で、別の武器を使ってイチャモンを付けてくるんだい?
>でも詐欺行為は批判するよ。
だから、「詐欺行為」だと言うなら、その具体的証拠を提示してくれと何度言ったら分かるのかい?
2スレに渡って要求し続けているのに、一向に出ないと言う事は、そんなものは存在しないと見なされて仕方ないよ? >>367 つづき
>オレオレ詐欺の電話をかけてきたのは息子だと信じているなら問題ないわけでそれを刑事事件にする警察が問題だというんだね
オレオレ詐欺は、法的に問題があるから、法的に対処すべきものだけど、それが何か?
で、「大乗の教義から生じた、法的に問題のある行為の、具体的な実例」は何時になったら出てくるんだい?
>じゃあそれも偽物だね
おや、「君の定義によれば」上座部仏教も偽物ってことになるのか。
結局、君の「信仰」している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」の実態は一体なんなんだい?
「すったにぱーた」も君の定義によれば偽物になるし、依って立つべきなにもかもが無くなってしまって、「仏教」の要素が欠片も残ってないようなんだが?
そんなレベルの「ぶっきょう」を元に、他の宗派を異端審問にかけるなんて、麻原彰晃も真っ青のカルト的信仰だね。 >>368
>それ日本も同じやんけ
だから?
私の主張としては、上座部の仏歯寺も、日本の仏歯を祀る寺も、本物だと「信仰」して納得しているんだから、何が問題なんだと言う立場なんだが? 仏教思想は悟りを基にして出来上がった思想なのであるから、悟りを離れては
単なる物語としての意味しかないと言える。
原始経典であろうが大乗経典であろうが、悟りを知らない者が文字に書かれたもの
だけを見て、「これは本物、これは作り物」などと言うのはナンセンスの極みである
と言ってよい。
仏教において何が本物で何が偽物であるかを判断できるのは、お釈迦様の悟りの
追体験をした者だけなのだ。
キリスト教の信仰によって救われた人はお釈迦様の悟りを追体験したとは思わないが、
親鸞聖人が「如来と等しき悟り」と言われたように大乗の教えで救われた人は釈迦と
同じ世界を知ったことが自覚できるものなのだ。
悟りの体験を持たない浅はかな原始経典至上主義者たちの想像が及ぶ世界ではないのだ。 心苦は依然として生じる?
「悟り体験」ということは、それは一時的な体験であって、日常生活のなかでの持続性はないわけだね。 一瞬でも体験すれば、認識の一大転換はるだろうけど。 >>377-378
持続性のない「宗教体験モドキ」は多くの人々に体験されています。
「一時的に宇宙そのものになった・・・」とかいう体験ですね。
しかし、それは時間の経過とともに薄れて行き、やがて意識も元の木阿弥に戻ります。
本当の宗教体験というのは自我と外界への認識のあり方が根本的に変わってしまう
ので必ず持続性があります。
一時的な宗教体験は爆発的な衝撃を伴うことが多いですが、持続する本当の宗教体験
というのは、深い洞察を伴ったもので非常に穏やかな現われ方をすることが多いです。 >>376
大いに賛同して異論がないですが それでは大乗は現在年間地球上で何人悟りに導いているかという問題があります
それに悟りを求めて大乗に救いを求めた場合 どこに行けば良いのか 悟りを得た指導者はいるのか 376.378.
悟りの体験、か。
それは体験主義のバカが言うことである。
なんでか。
悟りは体験ではないからである。 経を読んで身につく般若は、経般若。
聞思修における聞と思に相当し、思惟や分別思考の段階。
これは般若そのものというより、般若“について”の知識や概念、そしてそれ“に関する理解”。
概念智ともいう。
修によって身につく般若は、般若そのもの。
戒定慧の三学における慧。
分別思考や概念である概念智に対して、こちらは体験智。直接体験による体験智。
般若“について”ではなく、般若そのもの。
より正確には、パーリ語でパンニャッティ(知識)。
パンニャー(智慧)とは別。 仏陀が菩提樹の下で無上正等覚を開悟した、その智慧は、
知識や概念ではなくて智慧そのもの。 ただし、経般若を否定しているわけではない。
きちんと両方とも修学するのが良いはず。 383.
智慧そのもの、か。
バカ丸出しである。
智慧そのものが、あることはない。
382.
体験智、か。
バカ丸出しである。
体験智そのものが、あることはない。 仏陀 「一切は虚妄である」
凡夫 「一切は虚妄である」
全く同じ言葉で、同じことを語っていても
言っている人が違うと意味内容はぜんぜん違っている。
言葉や、言葉に基づく人間の思考には、構造的にそういう限界がある。 仏教とは要するに智慧と慈悲のことであるが、智慧と慈悲は
不貪、不瞋、そして無害という特徴がある。
身口意の行いを見れば、その人に智慧や慈悲が備わっているか
ある程度は判別できるでしょう。 386.。387.。
書いてる奴がバカであることが、わかる。判別できる。 言葉と思考には、構造的に限界がある。
また、動物の理性には動物の限界があるように、人間の理性には人間の限界がある。
それを越えたものが智慧。
人智を超えた智慧は、自我(人智)のなかから出てくるわけではない。
自我を捨てた時、人智を越えた智慧があらわれる。
自我を捨てているから、自他の区別を越えた慈悲になる。
頭で考えて、わたしが誰某に慈悲を施そうというのは、まだ自他の区別がある。 389.
自我を捨てる、か。
バカ丸出しである。
人智を超えた智慧、か。
自他の区別を超えた慈悲、か。
それは単なる神秘化である。
それは自我のものではなくして、他のものであることになる。
それは自己喪失の表現である。
それは精神病である。 391.
実在していない、か。
バカ代表の言うことである。
それが智慧、か。
それをバカ智慧と言う。 自我は幻であって、もともと実在していない。
自我が存在していると観るのが最大の妄想。 393.
自我が存在しているか否かを問題とするのがバカの代表である。
実在しないから、との結論を出すのがバカの代表者である。 >>380
昭和の中期までは本物の指導者が沢山いたのですが、確かに最近は
少なくなっているようですね。ただ、禅でも浄土真宗でも本物は
ちらほら出てはいるようです。浄土真宗では昔から北陸地方にすぐれた
人が出る傾向があります。(そのような人は身近な人々に話をするだけ
なので、世間には知られないのが普通です。)
>悟りを求めて大乗に救いを求めた場合 どこに行けば良いのか
昔から真の求道者たちは本物の善智識を求めて日本中を探し回ったものです。
「求めよ、さらば与えられん」ですね。 んだ、
349神も仏も名無しさん2017/06/23(金) 16:36:18.00ID:dkBGS2Wr
は優秀だ。
彼との会話で、禅定に関して不足していた分を、やり取りを通じて見つけることができた。
感謝や。もう一度。 >>376
唯仏与仏だな。法華経の!あさはかな法華経至上主義者の想像の及ぶ世界ではないが >>376
>悟りの体験を持たない浅はかな原始経典至上主義者たちの想像が及ぶ世界ではないのだ。
(体験智の)智慧まで達してない人たちは、まだ○○仏教と、□□仏教という別々のものがあると思ってる。
そこの事情は、どこの部派でも同じだと思う。 >>372
> 論理の世界ではね、「悪魔の証明」といって、「有る」と主張する方に立証責任があって、それが立証できないなら「無い」物として扱うんだよ。
> よって、君が「すったにぱーたと大乗の真偽に関係有る」事を論証していないので、「無い」ものとして扱って何の問題もない。 Q.E.D.
本物をぱくっても偽物をぱくってもぱくったものは偽物だよwそんなことも理解できないのかい?w
何度も君でもわかるようにプラトン教や中国偽ミッキーの例え話で説明してあげたよね?
> >ああ、「販売」はしてないんだったね。まさに詐欺師の詭弁だね。
> おや、君の論拠の一つが、君の「嘘」だったと認める訳だ。
本当に頭が悪いね。販売してないと言い張っているが実質的に誰が見ても戒名を販売しているだろうw
> それとも君は、同じことを大声で何度も主張し続ければ、それが通るとでも思ってるのかい?
ああ大乗が2000年本物だと主張を続けても偽物のままだね。まさに君が今言ってる様なことだw
> そして、君の主張が異端審問に過ぎないと言うなら、「自分の価値観を押し付けようとしている事を非難している」私の主張は間違いじゃなかったと言うことになるね。
君の価値観を押し付けないでくれるかい? >>372
> もちろん、君みたいに聞きかじりのネット情報を元に「大乗はキチガイ」と「信じる」ように、
まさに目の前にキチガイがいるからネット情報じゃないよw
> そして、相変わらず「正反対のもの」とか決めつけてくる詭弁が得意だな。
ぶつくさ呪文唱えてわけのわからない宗教儀式やってるのが正反対じゃないといいたいんだねw
> だから、何で他人が「勝手に信仰しているもの」に対して、その人の土俵で、別の武器を使ってイチャモンを付けてくるんだい?
ああ、だったら君と同じレベルの主張をしてあげるよw「スーパー法華経」に法華経はキチガイ向けの冗談だと書いてあるwイチャモンつけるなよw
> 2スレに渡って要求し続けているのに、一向に出ないと言う事は、そんなものは存在しないと見なされて仕方ないよ?
戒名があると何度も書いたよね?まともに返答できてないようだが?
> オレオレ詐欺は、法的に問題があるから、法的に対処すべきものだけど、それが何か?
ああ、大乗は法律に違反しないようにうまく悪事をやってるね、それで?
> おや、「君の定義によれば」上座部仏教も偽物ってことになるのか。
> 「すったにぱーた」も君の定義によれば偽物になるし、依って立つべきなにもかもが無くなってしまって、「仏教」の要素が欠片も残ってないようなんだが?
おいおい君は本当に頭が悪いな。大乗に仏教要素があるかはおいといて君の主張は法華経が偽物であろうと信じているから価値があるんだろう?
何故スッタニパータが偽物だったらこちらだけ依って立つべきなにもかもがなくなるんだい?
そんなことを言うということはつまり偽物に価値はないという理屈を認めてるってことだw 悟りを知らない者が(悪い)頭で何を考えても意味はありません。
自分自身の日常生活が煩悩まみれであることを自覚すれば、
そんな自分が考えることが真実だなどと思うのは滑稽だという
ことは自分でわかるはず。 >>401
>本物をぱくっても偽物をぱくってもぱくったものは偽物だよwそんなことも理解できないのかい?w
おや、君の論理に従うと、「スッタニパータが偽物だったとしても『大乗の真偽』は関係ないってことだ。」と言う私の主張は正しいって事になるね。
今、自分が何を議論していたのか忘れちゃったのかい?
で、大乗が偽物か否かはすったにぱーたの真偽とは関係ないとなると、君の主張に従えば「大乗は偽物である」という君の主張の論拠が無くなるわけだが?
と言う訳で、論点ずらしに必死になってたようだが、「君の定義に従えば君の主張が崩壊する」って指摘は正しいって事でいいみたいだね。
>本当に頭が悪いね。販売してないと言い張っているが実質的に誰が見ても戒名を販売しているだろうw
本当に頭が悪いね。その実例を具体的に提示してくれと何度言ったら分かるんだい?
>ああ大乗が2000年本物だと主張を続けても偽物のままだね。まさに君が今言ってる様なことだw
だから、「本物」と「偽物」の定義が、文献学と宗教と言う価値観では違うと何度言ったらわかるんだい?
君は文献学を宗教に貶めたいのかい?
そしてそれは文献学とは程遠い宗教的な異端審問に過ぎないと何度指摘したら分かるんだい?
それから、「君が、同じことを大声で何度も主張し続ければ、それが通ると思ってる」事には反論は無いようだね。
>君の価値観を押し付けないでくれるかい?
君自身がやってることが「価値観の押し付け」という異端審問に過ぎず、「先に」君が価値観を押し付けようとしたことは認めるのか。
君が価値観の押し付けを止めるなら、私の方から価値観論争を吹っ掛けることは無いよ。 >>402
>まさに目の前にキチガイがいるからネット情報じゃないよw
ほう、目の前に鏡があるようだね。
何しろ君は99%は100%と一緒だと言っちゃうようなキチガイだからね。
そもそも、「ネット情報じゃない」という事は、ネットを介して議論している私は除外されるわけだしな。
で、君は一体どの時代のどの場所でのどの立場での何に対する誰の主張の話をしているんだい?
具体的に書いてくれよ。
>ぶつくさ呪文唱えてわけのわからない宗教儀式やってるのが正反対じゃないといいたいんだねw
だから、「正反対だ」と言うなら、まず元となるものがどういうものであって、大乗のどこがそれとどう正反対なのかを論じなければいけない訳だが?
「具体的に」論証してくれるかい?
ちなみに、君の大好きな上座部系だって、「ぶつくさ呪文を唱えてわけのわからない宗教儀式」をやってる訳だが?
>ああ、だったら君と同じレベルの主張をしてあげるよw「スーパー法華経」に法華経はキチガイ向けの冗談だと書いてあるwイチャモンつけるなよw
だから、君自身が「スーパー法華経」を信仰するのは勝手だが、それを押し付けてくるなと言ってるんだよ。
こっちはこっちで勝手に大乗経典を信仰してるんだから、君は君で勝手に「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」を信仰してればいいじゃないか。
ああ、君と同じレベルで書かないと理解できない?「2chに書き込まずにチラシの裏にでも書いてろ。イチャモンつけるなよ。」
>戒名があると何度も書いたよね?まともに返答できてないようだが?
「具体的に」と何度も書いたよね?まともに返答できてないようだが?
>ああ、大乗は法律に違反しないようにうまく悪事をやってるね、それで?
はい、「オレオレ詐欺」と大乗は「法律に違反しているか否か」と言う点で違うと言うことで結論が出たので、
「君の比喩は間違ってた」と言う結論になるね。
そして相変わらず「大乗は悪事をやってる」と、具体的論拠もないのに感情論で決めつけてるね。
はやく「具体的な論拠」を提示してくれよ。 >>402 つづき
>何故スッタニパータが偽物だったらこちらだけ依って立つべきなにもかもがなくなるんだい?
おいおい君は本当に頭が悪いな。
「何故」って、君が「ぼくのかんがえたさいきょうのすったにぱーた以外は全部偽物だ」と主張してたのに、
その「すったにぱーた」ですら、「君の定義に従えば」偽物になるからだが?
君が唯一本物だと認定して論拠にしていたモノすら、君の定義によって偽物となるならば、
残るものは何もない事になるのが、「1-1=0」並みのごく簡単な論理的帰結だが、
一体全体どこがおかしいと言うんだい?(ああ、君の頭がおかしいのか)
で結局、君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は一体なんなんだい?
>そんなことを言うということはつまり偽物に価値はないという理屈を認めてるってことだw
そもそも「偽物に価値があるか否か」と言う論争は、君が再反論しないで逃げ出した論点だが、再開するという意思表示かい?
だったら、全部無かった事にして最初からやり直さないで、君が逃げ出した時点の再反論から始めてくれないか? >>406
自分の苦しみの原因を知り、それを滅する。
それが仏教 >>404
> おや、君の論理に従うと、「スッタニパータが偽物だったとしても『大乗の真偽』は関係ないってことだ。」と言う私の主張は正しいって事になるね。
> で、大乗が偽物か否かはすったにぱーたの真偽とは関係ないとなると、君の主張に従えば「大乗は偽物である」という君の主張の論拠が無くなるわけだが?
何度も説明してあげたよね。中国ミッキーをさらにぱくってキャラを作ったとしても中国ミッキーの真偽にかかわらず偽物だ
理解できるかな?
> >本当に頭が悪いね。販売してないと言い張っているが実質的に誰が見ても戒名を販売しているだろうw
> 本当に頭が悪いね。その実例を具体的に提示してくれと何度言ったら分かるんだい?
> >戒名があると何度も書いたよね?まともに返答できてないようだが?
> 「具体的に」と何度も書いたよね?まともに返答できてないようだが?
ああ、つまり日本大乗仏教は戒名を販売してないといいたいわけだ。実際は販売の実態はいくらでも出てくるから悪で決定だね。
> だから、「本物」と「偽物」の定義が、文献学と宗教と言う価値観では違うと何度言ったらわかるんだい?
> だから、君自身が「スーパー法華経」を信仰するのは勝手だが、それを押し付けてくるなと言ってるんだよ。
> 君が価値観の押し付けを止めるなら、私の方から価値観論争を吹っ掛けることは無いよ。
だからわけのわからない偽物を信仰するのは勝手だと言っているだろう?仏教じゃないと言ってるだけで
何がそんなに不満なの?世界中の全ての人間が大乗は仏説と言ってくれなきゃ不安で死にそうになるの?
> だから、「正反対だ」と言うなら、まず元となるものがどういうものであって、大乗のどこがそれとどう正反対なのかを論じなければいけない訳だが?
かけ離れすぎていて一々指摘するのも面倒だがほとんど全部正反対だと教えてあげるよ。
> ちなみに、君の大好きな上座部系だって、「ぶつくさ呪文を唱えてわけのわからない宗教儀式」をやってる訳だが?
じゃあそれも偽物だね。それで? >>404
> ああ、君と同じレベルで書かないと理解できない?「2chに書き込まずにチラシの裏にでも書いてろ。イチャモンつけるなよ。」
何がそんなに君を不安にさせるの?私には理解できない。法華経は君の心に安寧をもたらしてくれないのかい?
> >ああ、大乗は法律に違反しないようにうまく悪事をやってるね、それで?
> はい、「オレオレ詐欺」と大乗は「法律に違反しているか否か」と言う点で違うと言うことで結論が出たので、
法に違反しなければ人を騙してもいいという理屈なんだね。
> その「すったにぱーた」ですら、「君の定義に従えば」偽物になるからだが?
> 君が唯一本物だと認定して論拠にしていたモノすら、君の定義によって偽物となるならば、
> 残るものは何もない事になるのが、「1-1=0」並みのごく簡単な論理的帰結だが、
おいおいスッタニパータが偽物だろうとゴータマが架空の人間だろうと有名人の教えだと捏造した怪文書は偽物だよw
何度言えば理解できるのかな?
仮にウォルトディズニーがミッキーを盗作してた事実が判明した場合でも中国偽ミッキーの真偽に関係ないようにね
> そもそも「偽物に価値があるか否か」と言う論争は、君が再反論しないで逃げ出した論点だが、再開するという意思表示かい?
だから君が幼稚園児がろくろ教室で作ったような茶碗を国宝だと信じるのは勝手だって言ってあげたじゃん
いったい何が不満なの? >>404
この板は特定宗教団体批判スレもざっと見ただけでも結構あるけど
君ほど一人で発狂している奴はいないぜ
君はこのスレの何が板違いだと主張していたんだい?
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>何度も説明してあげたよね。中国ミッキーをさらにぱくってキャラを作ったとしても中国ミッキーの真偽にかかわらず偽物だ
>理解できるかな?
何度も説明してあげたよね。
君の主張に従って「中国ミッキーの真偽にかかわらず偽物だ」とするなら、
論理的に「中国のミッキーの真偽は、その更にぱくったキャラの真偽に関係ない」ということになる。
よって、「スッタニパータが偽物だったとしても、大乗の真偽は関係ないってことだ。」と言う私の主張は正しいって事になる。
そして同時に、君の「すったにぱーたが本物だから、大乗は偽物」という論理も成り立たない事になる。
以上、「君の主張に従えば、君の主張は成り立たない」ことが証明された。Q.E.D
理解できるかな?
>ああ、つまり日本大乗仏教は戒名を販売してないといいたいわけだ。実際は販売の実態はいくらでも出てくるから悪で決定だね。
だから、「販売の実態はいくらでも出てくる」というなら、その「いくらでも出てくる実体」を「具体的に」示してくれと何度言えば。
「ぼくがそうおもうんだからそうなんだい!!」が通用するのは幼稚園までだよ?
>だからわけのわからない偽物を信仰するのは勝手だと言っているだろう?仏教じゃないと言ってるだけで
>何がそんなに不満なの?世界中の全ての人間が大乗は仏説と言ってくれなきゃ不安で死にそうになるの?
だから、「君が」そう思うのは勝手だが、わざわざ心と宗教板に来てまで、自分の価値観をぶちまけて押し付けようとするなって言ってるんだよ。
チラシの裏にでも書いてろよ。
それとも、皆に見てもらわないと、君の「信仰」が揺らいで不安で死にそうになるの?
>かけ離れすぎていて一々指摘するのも面倒だがほとんど全部正反対だと教えてあげるよ。
じゃあ、具体的に一つ指摘してくれよ。
もちろん、「元になるものはこうであって、大乗はこうだから、正反対だ」という形式でね。
>じゃあそれも偽物だね。それで?
だから、あれも偽物、これも偽物、それも偽物で、君の言う「本物」は一体なんなんだい?
君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は一体なんなんだい? >>410
>何がそんなに君を不安にさせるの?私には理解できない。
何がそんなに君を不安にさせるの?私には理解できない。
>法華経は君の心に安寧をもたらしてくれないのかい?
君が2chに書き込んでいないと不安で死にそうになる事と、私の心の安寧が、なぜ関係するというんだい?
>法に違反しなければ人を騙してもいいという理屈なんだね
おや、ようやく「大乗は法に違反してない」ってことを認めたんだ。
では、次に「大乗が人を騙している」って事の具体的証拠を出してね?
>おいおいスッタニパータが偽物だろうとゴータマが架空の人間だろうと有名人の教えだと捏造した怪文書は偽物だよw
>何度言えば理解できるのかな?
>仮にウォルトディズニーがミッキーを盗作してた事実が判明した場合でも中国偽ミッキーの真偽に関係ないようにね
何度言えば理解できるのかな?
もともと大乗は「仏陀」が説いたと言う形式になっていると言う論争から逃げ出したのは君の方だと思うが?
再反論したいというなら、全部無かった事にして最初からやり直さないで、君が逃げ出した時点の再反論から始めてくれないか?
>だから君が幼稚園児がろくろ教室で作ったような茶碗を国宝だと信じるのは勝手だって言ってあげたじゃん
いったい何が不満なの?
おや、では「偽物には価値が無い」という君の主張は間違いだったと言うことで結論だね。 >>411
>この板は特定宗教団体批判スレもざっと見ただけでも結構あるけど
>君ほど一人で発狂している奴はいないぜ
鏡に向かってなにを呟いているんだ?
>君はこのスレの何が板違いだと主張していたんだい?
宗教と言う価値観の土俵で、文献学と言う学問を武器に殴り掛かってるのが板違いだと指摘しているんだが?
そしてまた、「他にも窃盗犯はいるから、ぼくは泥棒じゃない」理論かい? >>412
> 論理的に「中国のミッキーの真偽は、その更にぱくったキャラの真偽に関係ない」ということになる。
君は本当に愚かだね。ぱくった事実があればそれは偽物なんだよ。本当に理解できないかい?
> だから、「販売の実態はいくらでも出てくる」というなら、その「いくらでも出てくる実体」を「具体的に」示してくれと何度言えば。
?戒名の相場でいくらでも出てくるがそれらは全部嘘情報だと主張するかい?
> だから、「君が」そう思うのは勝手だが、わざわざ心と宗教板に来てまで、自分の価値観をぶちまけて押し付けようとするなって言ってるんだよ。
見なきゃいいじゃないか。他にも特定宗教批判スレがあると教えてあげただろう。君だけが発狂してる。
> じゃあ、具体的に一つ指摘してくれよ。
オウムのどこが仏教じゃないか説明してくれって言われたらどうする?馬鹿馬鹿しくて説明する気にもならない。
> だから、あれも偽物、これも偽物、それも偽物で、君の言う「本物」は一体なんなんだい?
今は大乗が偽物であるという話をしてるんだよ?
> >法に違反しなければ人を騙してもいいという理屈なんだね
> おや、ようやく「大乗は法に違反してない」ってことを認めたんだ。
お、脱法ハーブの売人みたいなこと言い出したね。
> もともと大乗は「仏陀」が説いたと言う形式になっていると言う論争から逃げ出したのは君の方だと思うが?
> 再反論したいというなら、全部無かった事にして最初からやり直さないで、君が逃げ出した時点の再反論から始めてくれないか?
おいおい反論できないからってわけのわからないこと言うなよw
> おや、では「偽物には価値が無い」という君の主張は間違いだったと言うことで結論だね。
うん、君がゴミみたいな焼き物を国宝級だと思うのは自由だよ。
> 宗教と言う価値観の土俵で、文献学と言う学問を武器に殴り掛かってるのが板違いだと指摘しているんだが?
文献学が宗教と関係ないという価値観を押し付けないでくれよw 横レスですが、
文献学自体はは宗教の本質とは関係がありません。
宗教体験のある人がその根拠を求めて文献学に関わることには意味があります。
しかし、宗教体験のない人が文献学を基に何を論じようと、宗教の本質とは無関係です。
病気になった時に、薬を飲まないでその薬についてのさまざまな論文を読み比べて、それによって病気が治るのを待っているような間の抜けた行為だと言えるでしょう。 >>415
>君は本当に愚かだね。ぱくった事実があればそれは偽物なんだよ。本当に理解できないかい?
君は本当に愚かだね。
自分がさっきまで何を主張してたかも忘却したのかい?
君は、私の「スッタニパータが偽物だったとしても、大乗の真偽は関係ないってことだ。」と言う私の主張に対して、
「スッタニパータの真偽に関わらず、大乗は偽物である」と主張したんだから、私の主張の方が正しかった事になる。
よって、この議論は君の方が間違ってて、私の方が正しかったと言うことで決着。
次に、君の「大乗は偽物」という主張の論拠としていた「スッタニパータが唯一の本物だから、それ以外の大乗は偽物」について、
君の主張によれば「すったにぱーたも偽物」となるので、君の論拠は無くなる事になる。
よって、君の「大乗は偽物」という主張は論拠不在で成立しなくなる。
本当に理解できないかい?
以上から、「ぱくった事実があればそれは偽物」かどうかについて、君は論拠もなく決めつけている事になるわけだが、
一体何をもって、「ぱくった」とし、「偽物」とするのか、論証してもらえるかな?
>?戒名の相場でいくらでも出てくるがそれらは全部嘘情報だと主張するかい?
だから、「具体的に」その「情報」とやらを提示してくれないかい?
君が「あるある」というだけで、一向に出てこないんだが?
>見なきゃいいじゃないか。
だったら、チラシの裏にでも書いてろよ。
君が公園でチンチンを放り出して猥褻物陳列罪で捕まった時にも、「見なきゃいいじゃないか」と警察に言うのかい?
何がそんなに君を不安にさせるの?
2chに書き込んでいないと不安で死にそうになるの?
>他にも特定宗教批判スレがあると教えてあげただろう。
また、「他にも窃盗犯はいるから、ぼくは泥棒じゃない」理論かい?
>君だけが発狂してる。
鏡に向かって何を呟いているんだい? >>415 続き
>オウムのどこが仏教じゃないか説明してくれって言われたらどうする?馬鹿馬鹿しくて説明する気にもならない。
私は以前から、広義の意味ではオウムも仏教だと主張していたと思うが?
その上で、オウムは社会的にも法律的にも悪であるから、社会的、法律的に悪として処断されているにすぎないと述べたはずだが?
そしたら君が、「大乗も社会的にも法律的にも悪だ」と根拠もなく言いだしたわけだ。
それに対して私が「その具体的な論拠はあるのか?」と聞くたびに逃げ出しているのは君の方だが?
>今は大乗が偽物であるという話をしてるんだよ?
だから、「偽物だ!偽物だ!」というなら、君の言う「本物」は一体なんなんだと聞いているんだよ。
偽物とは、本物があって初めて成立しうる概念だ。
例えば、「君はチンピョロスポーンの偽物だから、君は悪である」と言われて納得するのかね?
だから、君が「偽物」だというなら、それを偽物たらしめる「本物」の存在が必要になる訳だが、一向にその実態が明らかにされない。
君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は一体なんなんだい?
>お、脱法ハーブの売人みたいなこと言い出したね。
脱法ハーブは、「現時点の法律で規定されてない」だけで、社会的に害悪であり、「法改正によってすぐに違法になる」訳だが、
「大乗も同様に、社会的に悪であり、法改正ですぐに違法になる要素がある」と言うなら、「具体的に」指摘してくれないかい?
それが指摘できないと言うなら、君の例えば誤りだね。 >>415 続き
>おいおい反論できないからってわけのわからないこと言うなよw
おいおい再反論したいというなら、全部無かった事にして最初からやり直さないで、君が逃げ出した時点の再反論から始めてくれないか?
反論できないからってわけのわからないこと言うなよw
>うん、君がゴミみたいな焼き物を国宝級だと思うのは自由だよ。
「偽物には価値が無い」という君の主張は間違いだったと言うことには異論がないようだね。
もう二度と、全てを無かった事にして同じ論点を蒸し返さないでもらいたいもんだ。
そして、「自由だ」と言うなら、2chに書き込まないで、チラシの裏にでも書いてろよ。
>文献学が宗教と関係ないという価値観を押し付けないでくれよw
「先に」価値観を押し付けてきたのは君の方なんだが?
君が押し付けを止めるなら、こちらから押し付けるようなことは無いよ。 >>417
> 君は、私の「スッタニパータが偽物だったとしても、大乗の真偽は関係ないってことだ。」と言う私の主張に対して、
> 「スッタニパータの真偽に関わらず、大乗は偽物である」と主張したんだから、私の主張の方が正しかった事になる。
> 次に、君の「大乗は偽物」という主張の論拠としていた「スッタニパータが唯一の本物だから、それ以外の大乗は偽物」について、
> 君の主張によれば「すったにぱーたも偽物」となるので、君の論拠は無くなる事になる。
> 偽物とは、本物があって初めて成立しうる概念だ。
> だから、君が「偽物」だというなら、それを偽物たらしめる「本物」の存在が必要になる訳だが、一向にその実態が明らかにされない。
頭の悪い君にもわかりやすく教えてあげようか。
例えば私が描いたオリジナルの落書きを数百年前の架空の画家の絵として売る、これは偽物だってわかるよね?
そして何故かそれの贋作が作られた、これも偽物だね
本物なんて存在しないね。あるいは最初の絵がオリジナルと考えることもできるが贋作はどうあっても偽物だね
スッタニパータが偽物だったり仏陀が存在しなかったとしても、大乗の作者の執筆時点で昔から伝わってきたゴータマの名前をぱくって経典を捏造したのは事実
だから大乗は偽物なんだよ >>417
> >?戒名の相場でいくらでも出てくるがそれらは全部嘘情報だと主張するかい?
> だから、「具体的に」その「情報」とやらを提示してくれないかい?
> それに対して私が「その具体的な論拠はあるのか?」と聞くたびに逃げ出しているのは君の方だが?
わけのわからないことを言って逃げてるね。いくらでも事例なんて出てくるだろう。
戒名には宗派ごとに、いくつかのランクがあり、戒名のランクを高くするほどに金額も高くなります。
http://www.osohshiki.jp/column/article/96/ (葬儀・葬式なら【小さなお葬式】公式サイト)
> また、「他にも窃盗犯はいるから、ぼくは泥棒じゃない」理論かい?
お、板違い云々は間違いだったと認めるんだね。
だが板のルールにも傾向にも反してないのに君の考える板のルールを押し付けるのは感心しないな。
> 脱法ハーブは、「現時点の法律で規定されてない」だけで、社会的に害悪であり、「法改正によってすぐに違法になる」訳だが、
> 「大乗も同様に、社会的に悪であり、法改正ですぐに違法になる要素がある」と言うなら、「具体的に」指摘してくれないかい?
法で禁止できないのをいいことにメチャクチャ言ってるね。法で禁止されないことと正しさは関係がないんだよ。
> >おいおい反論できないからってわけのわからないこと言うなよw
> おいおい再反論したいというなら、全部無かった事にして最初からやり直さないで、君が逃げ出した時点の再反論から始めてくれないか?
> 反論できないからってわけのわからないこと言うなよw
君の感情論を無視したことを言ってるのかい?
> 「先に」価値観を押し付けてきたのは君の方なんだが?
> 君が押し付けを止めるなら、こちらから押し付けるようなことは無いよ。
押し付けてないよ?君はなんでも鑑定団とかいう番組で古物商が偽物判定するのも押し付けだと主張するのかい? >>421
おや、ここまでの議論に再反論が無いと言う事は、この論点については私が正しかったと言うことでいいみたいだね。
それなのに、また全部無かった事にして、議論をスタート地点に戻して、話を蒸し返すんだな。
>頭の悪い君にもわかりやすく教えてあげようか。
>例えば私が描いたオリジナルの落書きを数百年前の架空の画家の絵として売る、これは偽物だってわかるよね?
>そして何故かそれの贋作が作られた、これも偽物だね
>本物なんて存在しないね。あるいは最初の絵がオリジナルと考えることもできるが贋作はどうあっても偽物だね
>スッタニパータが偽物だったり仏陀が存在しなかったとしても、大乗の作者の執筆時点で昔から伝わってきたゴータマの名前をぱくって経典を捏造したのは事実
>だから大乗は偽物なんだよ
ほら、君だって「数百年前の架空の画家」という「本物」を想定しなければ、それは「オリジナルの落書き」という「本物」になってしまい、「偽物」を定義できていないじゃないか。
つまり、「本物なんて存在しない」という君の主張は間違いだね。
よって「君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は一体なんなんだい?」という疑問は正統な理由がある事になるね。
次に、君の喩えから導き出すと、君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は、
君が考え出した「空想上の釈迦が説いた教え」のことだということになる。
そして君は、その「空想上の釈迦」が説いた教えじゃないから大乗は「偽物」だと主張していることになる。
一方、私の主張は、ある意味、「空想上の仏陀」が説いた教えなんだから「本物」だと言っていることになる。
つまり、君の主張の理屈が通るなら、私の主張も同じ理屈によって認められることになる。
よって、君の非難は間違いだと言うことが、君の主張から導かれるね。
そして、この理屈が通らないと言うなら、それは単に「俺様の宗教の教えに従っていない」という単なる異端審問・宗教戦争に過ぎない事は何度も指摘したよね?
異端審問がしたいなら、2chじゃなくて、チラシの裏にでも書いてなよ。 >>422
>わけのわからないことを言って逃げてるね。いくらでも事例なんて出てくるだろう。
> 戒名には宗派ごとに、いくつかのランクがあり、戒名のランクを高くするほどに金額も高くなります。
> http://www.osohshiki.jp/column/article/96/ (葬儀・葬式なら【小さなお葬式】公式サイト)
おや、2スレに渡ってようやく探し当てた「具体的論拠」がこれかい?w
まず、そのHPは「商業的に葬儀を行っている葬儀屋側の都合で書かれたもの」であって、「大乗の教義」を元に書かれたものではないので、君の主張の論拠にはならないね。
精々言えるのは、「商業的に活動している葬儀屋が、商業的に値段を決めようとしている」と言う事であって、「大乗が戒名を販売している」証拠ではない。
と言う訳で、「大乗が戒名を販売している」という具体的な証拠をどうぞ?
そもそも、商業的商社である葬儀屋が「相場」という言葉を使っているが、戒名に値段はついていない。
宗派によって例外があるかは知らないが、戒名とは「二文字」に過ぎず、それは全員が同じであり、お布施の額で変動する訳がない。
(一文字の戒名があると言うなら、具体的に実例を示してね?)
その二文字に、生前の貢献に従って、「院号」や「道号」や「位号」が付くことがあるが、それは別の話。
そして、生前に貢献してこなかった人に対して、施主が代わりに布施を積むことで院号などが付くことがあるが、これも「販売」している訳ではない。
そもそも、全日本仏教会が「戒名料というような、戒名を販売しているかのように思われる行為は止めましょう」といって、二十年ぐらい前に無くなったはずだよ。
もちろん、ロリコン殺人者PTA会長が居たように、坊さんの中にもろくでもない奴が居ることは事実。
ただ、それをもってPTA全員がロリコン殺人者だと言うのなら、君の方がキチガイだと言わざるを得ないね。
(ああ、「99%も100%も同じだ」という君としては、「1%も100%も同じだ」と思ってたりするのかな?)
仮に100%の坊さんが戒名を売っていたとしても、それは現代の坊さんが堕落したと言うだけの話であって「大乗が悪である」事にはならない。
だから、再反論したいなら「大乗の教義に戒名を販売しろと書いてある」などと論証してね? >>422 つづき
>お、板違い云々は間違いだったと認めるんだね。
日本語が理解できないのかい?
「他に板違いの奴らが居るから、俺が板違いでも問題ない!」というなら、
それは「他に窃盗犯がいるから、俺の窃盗は無罪」と言っているのに等しく、
「板違いではない」と言う事の論証にはなっていないと言ったんだが?
>法で禁止できないのをいいことにメチャクチャ言ってるね。
はい、具体的再反論が無いので、「大乗が法に違反もしてないし、社会的にも害悪ではないこと」は納得したようだね。
よって、君の言い掛かりは間違いだったね。
何度も同じ議論を蒸し返さないで欲しいものだ。
>法で禁止されないことと正しさは関係がないんだよ。
だから、大乗が正しくない事の論拠として法律を「先に」持ち出したのは、君の方なんだが?
正しく君に言い聞かせたい言葉だね。
「法で禁止されるか否かと正しさは『関係がない』んだよ。」
>君の感情論を無視したことを言ってるのかい?
ほう、どのレスが「感情論」だったのかを、「具体的」に示してくれよ。
示せないと言うなら、君のこのレスこそ根拠のない感情論だったって事になるね。
>押し付けてないよ?君はなんでも鑑定団とかいう番組で古物商が偽物判定するのも押し付けだと主張するのかい?
とりあえずスレタイを100回読もうかい? >>421 つづき
同じ事を繰り返してもどうせまた君が逃げ出すだけだから、別の切り口で議論しようか?
そもそも「絵」に譬えるのがまちがってる。
仏典とは、ある意味「人生の操作マニュアル」なんだ。
マニュアルだからこそ「それがマニュアルとして機能するか」が重要なんだよ。
例えば、筏の喩えにもあるように、聖書などと違って、悟ってしまえば用が無くなる程度の存在に過ぎない。
故に、ぶっちゃけそれが「誰が書いたか」は全く重要ではない。
例えば、原始仏教の経典に「なんであれ善説されたものはすべて世尊・応供・正等覚者の語である」なんて説かれていたり、
そもそも釈迦が喋らずに、弟子だけが語っている経典があったりするようにね。
(ちなみに、この切り口で再反論したいなら、「大乗は人生の操作マニュアルとして欠陥がある」という方向性の指摘をするしかないぞ。)
また当時のインドの風習として、如是我聞と始めるのが文化だったと言うに過ぎない。
それを「捏造」と悪意を持ってレッテル張りするのなら、当時のインドの文化論を始めるかい?
(君はこの議論からも逃げ出したっけねw)
そもそも、教えを説いているのはゴータマではなく、仏陀であるという議論も散々したよね?
あるいは、「当時悟って仏陀となった方々が書いた」という切り口もある。
ぶっちゃけ、大乗非仏説というのは百年以上前から議論されてるんで、君が思いつく程度のことは既に反論され尽くしてると言ってもいい位だったりするわけだ。
「仏教とは○○である」という定義すら曖昧な君では、議論の端緒につく事すら難しいと思うよ。 いい教えなら偽物でもかまわないかなあ。盗作作って選らそうにしちゃうアート会社もあるけど、それは人が悪いのであって作品は悪くないからね。盗人は態度次第で罰が待ってるかもだけど。人への非難と作品への批判はわけないと。AIが霊性を持つのを待ちましょう。 お釈迦様の教えはお釈迦様が作ったものではないということがわかりさえすれば、
大乗非仏説論などは何の意味もないことが直ぐにわかるはずなのです。
大乗非仏説論に意味があると考える人達はお釈迦様の教えはお釈迦様が作ったもの
だという根本的に間違った認識を持っているのです。 >>426
> ほら、君だって「数百年前の架空の画家」という「本物」を想定しなければ、それは「オリジナルの落書き」という「本物」になってしまい、「偽物」を定義できていないじゃないか。
> つまり、「本物なんて存在しない」という君の主張は間違いだね。
ああ、スッタニパータとゴータマが初期仏教教団が作った神話だとしてもそれを盗作した大乗が偽物だってやっとわかってくれたか
> そして君は、その「空想上の釈迦」が説いた教えじゃないから大乗は「偽物」だと主張していることになる。
> 一方、私の主張は、ある意味、「空想上の仏陀」が説いた教えなんだから「本物」だと言っていることになる。
だから何度も言ってるだろ。君が素人の落書きをスーパーピカソの絵だと考えるのは勝手だと
ただしそれは一般的なピカソとは違うんだ
> まず、そのHPは「商業的に葬儀を行っている葬儀屋側の都合で書かれたもの」であって、「大乗の教義」を元に書かれたものではないので、君の主張の論拠にはならないね。
> 精々言えるのは、「商業的に活動している葬儀屋が、商業的に値段を決めようとしている」と言う事であって、「大乗が戒名を販売している」証拠ではない。
違うよ?戒名代として坊主に払う金額の目安を書いてるんだよ?
> そもそも、商業的商社である葬儀屋が「相場」という言葉を使っているが、戒名に値段はついていない。
> そもそも、全日本仏教会が「戒名料というような、戒名を販売しているかのように思われる行為は止めましょう」といって、二十年ぐらい前に無くなったはずだよ。
「無くなったはず」だろ?なくなってないから戒名代相場なんてサイトがいっぱい出てくるんだ。
> だから、再反論したいなら「大乗の教義に戒名を販売しろと書いてある」などと論証してね?
経典にすらないものを販売しているんだからもっと大事なんだけど >>426
> 「板違いではない」と言う事の論証にはなっていないと言ったんだが?
そもそも板違いではあるというのが君個人の考えに過ぎない
> だから、大乗が正しくない事の論拠として法律を「先に」持ち出したのは、君の方なんだが?
君がオレオレ詐欺は法に違反するから大乗の仏陀仏陀詐欺とは違うとか言い出したんだがwww
> ほう、どのレスが「感情論」だったのかを、「具体的」に示してくれよ。
> 示せないと言うなら、君のこのレスこそ根拠のない感情論だったって事になるね。
ほう、君のどのレスが「感情論でない論」だったのかを、「具体的」に示してくれよ。
示せないと言うなら、君のレスは根拠のない感情論だけだったって事になるね。
> >押し付けてないよ?君はなんでも鑑定団とかいう番組で古物商が偽物判定するのも押し付けだと主張するのかい?
> とりあえずスレタイを100回読もうかい?
個人の感想だろ?何でそんなに気になるんだい? >>426
> 仏典とは、ある意味「人生の操作マニュアル」なんだ。
> マニュアルだからこそ「それがマニュアルとして機能するか」が重要なんだよ。
それは君の考えだね
> 例えば、筏の喩えにもあるように、聖書などと違って、悟ってしまえば用が無くなる程度の存在に過ぎない。
> 故に、ぶっちゃけそれが「誰が書いたか」は全く重要ではない。
それも君の考えだね
> 例えば、原始仏教の経典に「なんであれ善説されたものはすべて世尊・応供・正等覚者の語である」なんて説かれていたり、
ああ、悪説されたものだから大乗は偽物だね
> また当時のインドの風習として、如是我聞と始めるのが文化だったと言うに過ぎない。
> それを「捏造」と悪意を持ってレッテル張りするのなら、当時のインドの文化論を始めるかい?
アショーカ王が解釈の違う仏教教団同士で争わないようにいろんな解釈があっていいというルールを作った
そのルールができてから何百年もたってわけのわからない経典を作るものが現れた
しかし現在はどの解釈が真の仏説か、またはそれに近いかがはっきりしているのだからそんなルールに縛られる必要はない
> そもそも、教えを説いているのはゴータマではなく、仏陀であるという議論も散々したよね?
> あるいは、「当時悟って仏陀となった方々が書いた」という切り口もある。
当時仏教教団においてはゴータマのみの代名詞としていた事実があるんだがご存じない?
それに仏陀がゴータマでない別人としたら矛盾も出てくるだろう?
> ぶっちゃけ、大乗非仏説というのは百年以上前から議論されてるんで、君が思いつく程度のことは既に反論され尽くしてると言ってもいい位だったりするわけだ。
> 「仏教とは○○である」という定義すら曖昧な君では、議論の端緒につく事すら難しいと思うよ。
いや大乗側が反論できなくなって無かったことにしただけなんだが 無意味な議論はもうやめた方がいいでしょう。
悟りの体験があればすべてわかることなのですから。
悟りの体験なく仏教について議論することほど空しいものはありません。 >しかし現在はどの解釈が真の仏説か、またはそれに近いかがはっきりしているのだから
そこんとこ詳しくね。 ももちがきたーーーーーーW
日蓮の謎全体像を把握したぞW衝撃の・・・。 すげう、ダブルデパスマンだw
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマン、ありがとうございもす。 >>440
悟り(救い)を体験すればよいでしょう。
大乗非仏説論はヨーロッパの学者達が最初に言い出したんですね。
その当時、日本人の大乗仏教者の中でも悟り(救い)を得ていた人達は、それが重要なことであるとは思わなかったのです。(言葉を離れた世界を知っていたのだから当然のことですね。)
大騒ぎをしたのは門外漢と悟り(救い)を得ていない仏教学者・僧侶だけだったのです。
今も全く同じですね。
悟りも救いも体験していない人達だけが大乗非仏説論に意味があるように思ってしまうのです。
(釈尊は、もともと言葉で理解できるようなことを説いたのではなかったということです。
それを通して苦悩を離れた世界に人々を導くことが目的だったのですから、手段としての表現
そのものに捉われるのは間違いだということです。) つまりほとんどの日本人にとっては大乗非仏説を信じて寺を否定するほうが金銭と時間のメリットがあるということ >>441
>日本人の大乗仏教者の中でも悟り(救い)を得ていた人達
一概に悟りと言っても、様々だろうね。
小乗教の悟り、権大乗教の悟り、実大乗教の悟り。
法華経では、十界互具を説き、一切衆生の成仏を解き明かしたのです。
自身の成仏(小乗教)という小さな殻を破って、一切衆生の成仏を願う究極の仏道(大乗教)菩薩道を示したのです。
釈尊はこの教えの中で、これまでの(救われる自分)から、(救う側の自分)へと大転換の教えを示されたのです。
弟子は仏の教えに導かれ、仏になろうとひたすら修行に明け暮れていたが、この法華経を聞いて
実はこの自分こそが一切衆生を苦悩から救うことの出来る(釈尊となんら変わることの無い仏の生命)を本来持っていたのだと悟ったのです。
そして、この仏の生命は自分のみならず、すべての境涯の衆生の中に本来備わっていることを理解したのです。
この事は、法華経七譬喩の「衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品) 」に詳しい。
仏といっても、超人のようなものではありません。
仏の振る舞いは「菩薩道です」。煩悩を断ち切り、六道の世界から永遠に離脱して娑婆世界にオサラバするような無慈悲な仏などいません。
そうした教えは、あくまでも衆生に機根に応じて説いた方便です。
随自意の法華経こそが、仏の真の教えなのです。 法華経は以前の教え(爾前教)とは随分違っているので、なかなか信じられません。ゆえに難信難解の教えなのです。
釈尊はいきなり法華経を説けば必ず反発し謗法を犯し地獄に堕ちてしまうので、すぐには説きませんでした。
バラモンが隆盛していた時代に、一切衆生が皆平等であり、悪人も女人も仏になれるなんて説いても誰も信じないし、むしろ法華経を誹謗したことでしょう。
ゆえに釈尊は仏の智慧をもって随他意の爾前教をもって衆生を法華経へよ誘引したのです。
そのことは法華経七譬喩の「三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)」に詳しい。
この譬喩を聞いて悟った弟子が正しく理解したことを例え話で示したのが長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品) の例えなのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9
<ビデオで分かりやすい>
http://www.totetu.org/hokekyo_movie.html >>443-444
「未だし」じゃな。
法華経は立派な経典であるが。法華経至上主義は間違いを犯しやすいのじゃ。
日蓮がその典型であるが、創価学会などはもう悪臭を放つほどに真理からそれてしまっているのじゃ。
法華経は天台宗の根本聖典であり、多くの鎌倉仏教の祖師に影響を与えた重要経典であるが、それがすべてであると考えると真理からそれてしまうのじゃ。
真理は形がないものであるから、一つの表現だけが真理だと思ってはいかんのじゃ。 >>447
ニュー日蓮の法華経解釈ルーツ、
http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/2983/1/05%e8%bf%bd%e5%a1%a9%e5%85%88%e7%94%9f.pdf
。『三宝絵』において阿弥陀や浄土の事が中心的に語られなかったのは、現世からの厭離に傾きがちであ
った尊子内親王への配慮からであったとする藤村安芸子氏の説明は説得的である(2)。ただ、『三』は
為憲の熱烈な釈迦信仰の所産というものとは異なり、仏教は釈迦から始まることを当然の前提としてそ
の展開が淡々と叙述されている、という感が強い書といえる。
一、『三宝絵』における釈迦と下巻の仏事
さて、以上の『三宝絵』の構成を踏まえて釈迦仏教の問題に戻るなら、在世中の釈迦は中巻の序や下巻の
あちこちに経典等を通じて間接的に登場する。釈迦は印度編では直接語られず、むしろ日本編で大いに
語られているのである。そのことは、釈迦は日本において息づいていることが強調されていることに他
ならないであろう。 >>448
その場合の釈迦は歴史的実在としての釈迦ではなく漢訳経典と中国や日本の祖師たちが加工した釈迦だな >>449
漢訳の誤差が10なら、
中国天台と三宝絵の誤差は1000、
日蓮の問題を正確にして期する必要性を感じるべきだ。 >>433
相変わらず感情論で論点ずらしか
>ああ、スッタニパータとゴータマが初期仏教教団が作った神話だとしてもそれを盗作した大乗が偽物だってやっとわかってくれたか
なぜ、私の発言からそういう結論になるのか「具体的」に論証してごらん
出来ないなら、君の言い掛かりだね。
そして、「本物なんて存在しない」という君の主張は間違いってことで良いようだね。
よって「君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は一体なんなんだい?」という疑問は正統な理由がある事になるね。
で、君の信仰している「ぼくのかんがえたさいきょうのぶっきょう」という宗教の実態は一体なんなんだい?
>だから何度も言ってるだろ。君が素人の落書きをスーパーピカソの絵だと考えるのは勝手だと
>ただしそれは一般的なピカソとは違うんだ
だから何度も言ってるだろ。
人が勝手に信仰してるものに、「先に」イチャモンをつけて君の価値観を押し付けてきたのは君の方だと。
まあなんにせよ、「君の非難は間違いだと言うことが、君の主張から導かれる。」事には反論が無いようだね。
>違うよ?戒名代として坊主に払う金額の目安を書いてるんだよ?
ほら、「払う金額の目安」だと自分で言っちゃってるじゃないか。
それでは、「葬儀社と言う商業組織が勝手に決めてる価格」であって、
「大乗が戒名を価格を決めて販売している証拠」にはなってないよ。
君の主張の論拠とするなら、「大乗が『販売価格』として要求している」という証拠じゃないと意味が無いよ?
よって、君の主張には具体的論拠が無いって事で結論だね。
>「無くなったはず」だろ?なくなってないから戒名代相場なんてサイトがいっぱい出てくるんだ。
だから、「有る」というなら、「具体的証拠」を提示してくれと何度言えば分かるんだい?
>経典にすらないものを販売しているんだからもっと大事なんだけど
それについては、私とは別の人と散々やりあって君が逃走したはずだが?
再反論したいなら、その人と、君が逃走した時点から再開してね? >>434
>そもそも板違いではあるというのが君個人の考えに過ぎない
君の「反論」が反論になってない事には納得したようだね。
>君がオレオレ詐欺は法に違反するから大乗の仏陀仏陀詐欺とは違うとか言い出したんだがwww
いやだから、大乗をオレオレ詐欺に譬えて大乗が法に違反すると言い出したのは君の方が先なわけだが?
で、「大乗が法に違反もしてないし、社会的にも害悪ではないこと」については反論がないようなので、納得したようだね。
よって、君の言い掛かりは間違いだったね。
何度も同じ議論を蒸し返さないで欲しいものだ。
>ほう、君のどのレスが「感情論でない論」だったのかを、「具体的」に示してくれよ。
>示せないと言うなら、君のレスは根拠のない感情論だけだったって事になるね。
何度も言うが、論理的には、「悪魔の証明」といって、「ある」と主張する方に立証責任があるんだよ。
よいって、君が具体的に「ある」事を証明できないので、私の感情論は存在しないことになる。Q.E.D.
ちなみに、君の感情論が「ある」ことについては、既に具体的に指摘したんで、こちらの立証責任は果たしてるんで悪しからず。
>個人の感想だろ?何でそんなに気になるんだい?
ほう、心と宗教板に押しかけて、宗教を信仰している人間を「キチガイ」呼ばわりするのが、「押し付け」でないというなら、
ちょっと精神病院に行ってきた方が良いよ思うよ、キチガイ君。 >>435
>それは君の考えだね
だから?
>ああ、悪説されたものだから大乗は偽物だね
「大乗が悪説である」事を先に証明しようね。
それが出来ないなら、君の主張は成立しないよ。
>アショーカ王が解釈の違う仏教教団同士で争わないようにいろんな解釈があっていいというルールを作った
>そのルールができてから何百年もたってわけのわからない経典を作るものが現れた
「当時の人間」が悪意をもって作成したものではないと言う事は理解できたようだね。
よって、君の主張は間違いだったって事で結論だね。
>しかし現在はどの解釈が真の仏説か、またはそれに近いかがはっきりしているのだからそんなルールに縛られる必要はない
なぜ、「縛られる必要が無い」から、「それを信仰する事が悪、キチガイ」になるのかが意味不明だね。
そして、「現在はどの解釈が真の仏説か、またはそれに近いかがはっきりしている」というが、是非その「真の仏説」について御講義賜りたいものだが。
>当時仏教教団においてはゴータマのみの代名詞としていた事実があるんだがご存じない?
ゴータマ以前のインドの文化を知らないのかい?
そして、大乗経典における仏陀の意味も知らないのかい?
そもそも君の言う「当時仏教教団」と言うのは、具体的に、どの時代の、どの地方の、どの教団の事を言っているんだい?
>それに仏陀がゴータマでない別人としたら矛盾も出てくるだろう?
一体どういう「矛盾」が出てくると言うんだい?
「具体的に」矛盾を指摘してくれないかい?
>いや大乗側が反論できなくなって無かったことにしただけなんだが
じゃあ、その「反論できなかった主張」をどうぞ?
これまで君が言ってきたことにはことごとく反論してあって、それについて君が再反論できない事ばかりだが? 歴史的釈迦に膠着し過ぎると日本の思想文化自体を否定する事に成りかねない。
飛鳥時代以降は日本仏教無しに日本の思想や文化伝統はあり得ないから
非仏説は日本の伝統思想を否定してる自覚がない そもそも歴史的釈尊像って文献学者がパーリ仏典とか漢訳仏典から妄想してるだけのものでしょ? あのオショー(ラジニーシ)でさえ「大乗非仏説などは仏教の本質とは何の関係もない」と言っているのだからね。 >>457
関係大ありだよ。
欧米人の中にはオショーの本によって仏教に関心を持った人も多いからね。
尚、オショーの仏教の理解は鈴木大拙博士の理解に基づいている部分が多いが、
それはオショーが自分自身の宗教体験と照らし合わせて、鈴木大拙博士の理解が
正しいことがわかるからだと言っている。
(オショーは欧米人の仏教学者の仏教理解について「コイツは何もわかっていない」
と徹底的にこき下ろすことが多かった。) >>458
オショーは高校時代凝ったけどね
なんか自我を落としなさい落としなさいばかりで飽きたけど オショーの後凝ったのが規定路線で鈴木大拙と西田きたろうだったな。西田からジェームス行った >>454
>飛鳥時代以降は日本仏教無しに日本の思想や文化伝統はあり得ないから
非仏説は日本の伝統思想を否定してる自覚がない
仲冨の文章の拡大解釈、あの過剰評価は非仏説なんだろうが。
仲冨当人は仏伝の内容に反する仏教を批判しただけなんだが、
後世の拡大解釈学者、大乗非仏説と思い込んだのさ。
日本の仏教の伝統は、インド中国の仏教と比較して、確かに、仏伝に反する仏教が多いのも確か。
恐らく、インド中国に対応できる悟りの仏教は、禅と比叡山僧の内でのごく少数だろう。
後は、三宝絵の影響の受けた、日本的土着仏教、メイドインジャパン。が多い。
http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/2983/1/05%e8%bf%bd%e5%a1%a9%e5%85%88%e7%94%9f.pdf
。『三宝絵』 このスレで富永仲基の名前があがることがあったが、まともに彼の思想が語られる
ことはなかった。
Wikipediaの“富永仲基”や“加上説”の項目をみてもいまいちよくわからなかったので、
こちらを読んでみるとなかなか面白かった。
富永仲基と平田篤胤の仏教批判
菅野 博史(著)
国際哲学研究 = Journal of International Philosophy (別冊6), 29-43, 2015-03-10
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005832805
富永仲基は仏教・儒教・神道をそれぞれ、仏教、儒教は外国の思想であるので
日本の道としては不適格であり、神道は国の点では問題はないが、昔の思想
であり、今の思想として不適格であると批判している。
それをふまえた上で、今の日本において行われるべき「誠の道」を『翁の文』に
おいて説いている。
富永の大乗非仏説にしても「加上説」によって導き出されているものだから、
そこはちゃんと理解しておかないと。 >実は、富永仲基の代表的著作である『出定後語』の内容は、大乗非仏説論に尽きるわけでは
なく、小乗の説も多くは釈尊滅後の成立であることをも論じ、さらに、仏教の諸思想・概念の
展開をあとづけるなど、いわば仏教思想の発達変遷に対する歴史的研究とでも呼ぶべきもので
ある。
小乗と決めるのは問題だろうな。
漢訳は大乗側の仏伝だからな。
仏伝に反する経典教義だったものの批判が、小乗となる評価するのは問題ありだろう。 >、仲基の母方の菩提寺、黄檗宗善福寺での法話聴聞の可能性を示唆する学者もいる。
禅系だから、天台法華、密教、あと堕落した日本土着仏教、三宝絵仏教。は批判するだろうから。
そこから、小乗が正しいと評価するのは論理の飛躍しすぎだろ。 天台、真言ですら、開祖の教義崩壊状態。
天台の本来の修行体系を回復したのは戦後。
真言は、空海に回復したかどうか、相当怪しい。秘密にしているだけ、かもしれんが。
なにせ、三宝絵の時代の時点で、天台、真言の修行体系は崩壊しており。
教義もめちゃくちゃといっていい。
江戸期の仲冨が既存仏教が怪しいというのも当然。 >文中の幻と文は、インドの仏教の幻術好みと中国の儒教の文辞好みを意味する。富永仲基は
これらに対して、日本の神道の特徴として、神秘・秘伝・伝授好みを挙げている8。
仏伝と異なる日本仏教だろう。幻術好み、三宝絵から主流になった日本仏教。
>インドの仏教の幻術好み
恐らく、法華経、浄土三部経、密教経典、華厳経、がと、思ったんだろう。
過剰な神秘主義。
禅においては、幻術不要。
で
>、仲基の母方の菩提寺、黄檗宗善福寺での法話聴聞の可能性を示唆する学者もいる。 >A合理的、科学的な研究方法を推進する多くの儒学者が、各自の個性的な学問を生み出すとともに、
仏教を思想的な面から批判したこと。これは、大阪尼崎の懐徳堂一派の人々に多いとされ、仏
教の宇宙観、須弥山説、地獄極楽説、輪廻転生説、因果応報説、霊験効験説などを合理主義に
よって否定した。その代表的な人物として富永仲基が挙げられている。
仏伝(大乗系漢訳の)に照らし合わせてだろう。
別に、小乗が正しいといったのではない。
そして日本仏教の主流は三宝絵影響下の仏教が主流だから。 >>463
ここであまり「小乗」という文言に反応する必要は無いと思うよ。
富永の主張は先行する思想を克服、凌駕しようとして、他の思想が生まれ、
ここに思想の反転が生まれるとする「加上説」だから。
大乗仏教経典よりも阿含経典の方が優れていると主張しているわけでも
またその逆でもないから。
あくまでも「加上説」に基づき、仏教思想の発展変遷について解き明かそうと
していただけだから。
それも最終的には彼の「誠の道」を説くための前提となったわけだけど。 >篤胤が、仏教は人情の自然に
反するものであることを強調している点である。
現在の大乗仏教のイメージで考えるとズレル。
現在の日本に無い、三宝絵影響下の仏教と想定すべき。 >>469
富永の時代の仏教=現在日本の仏教ではないし、この前提で学者の論自体もずれているというべきで。
現在の日本仏教の形は、明治政府の神仏習合の日本仏教の主流派を壊して、開祖思想に回帰した仏教だし。
富永の視点の大乗仏教の問題点。
>仏 教の宇宙観、須弥山説、地獄極楽説、輪廻転生説、因果応報説、霊験効験説
は明治以前の日本仏教の主流派、多数は、非合理主義という側面しかない、といえる。
正式な開祖の真言、天台の教義書ですら、一部の僧でしか見れなかった、
多くの僧は、三宝絵影響下の土着神仏習合、空海当人以上の非合理性があった。 >>469
>あくまでも「加上説」に基づき、仏教思想の発展変遷について解き明かそうと
していただけだから。
江戸期の主流派は三宝絵影響下の神仏習合など土着仏教だし。
開祖の正式仏教を知っていたのは少数派でしょう。禅以外。
禅ですら、インテリ向きでしょうし。
仏教思想の発展変遷を解き明かすのは無理だろう。 この説も重んじたのも、恐らく、三宝絵影響下だろう。
>(3) 釈迦の家系、釈迦の誕生について以下のように記している。生まれて7 歩歩み、「天上
天下唯我独尊」といったこと、母の脇から生まれたこと、梵天にお参りに行ったときに、梵天
が釈迦を天人の中の尊であるから自分を拝ませてはならないと父の浄飯王にいったこと、釈迦
が7 歳のとき、あらゆる学問を自然に知っていたとされること、釈迦が16、7 歳のとき、老人、
病人を見て無常を感じたが、これは浄居天が釈迦に菩提心を生じさせるために、老人、病人に
化けたとされることなどは、みな偽りであると批判している。要するに、篤胤は、仏典に記さ
れている釈迦の神格化に関する部分を批判しているのである。 >(10) 大乗経典の中では、とくに『法華経』について「みな能書ばかりで、かんじんの丸薬
がありやせぬもの」26と痛烈に批判している。いわゆる『法華経』無内容説である。これに関
連して、『法華経』の価値を高めた中国の天台大師智が智者大師と称されるのに対し、「智者
ではなくて愚者大師とも云ふべきものでござる」27と悪口を言っている。
ま、このあたりは、恐らく仏伝との対比で評価したんだろうな。 >>461で紹介されている論文にざっと目を通してみたのだけれども、
とりあえずはじめの部分を引用してみると
『三』において日本仏教は尊子内親王という若き女性出家者への配慮
という基準を中核にして、釈迦仏教の展開として語られている、という
ことであった。仏教は釈迦によって開かれた宗教であるから、その展開が
釈迦を中心として語られるのはきわめて当然といえる。
〜中略〜
ただ、『三』は為憲の熱烈な釈迦信仰の所産というものとは異なり、仏教は
釈迦から始まることを当然の前提としてその展開が淡々と叙述されている、
という感が強い書といえる。 三宝絵文化から生まれ宗派だから、当然だろう。
>4.1 『出定笑語附録』二巻(別名『神敵二宗論』)
本書は文化8 年から10 年にかけての成立と推定されている。「一之巻」が仏教全体の批判に
当てられ、「一之下」が浄土真宗の批判に当てられ、「二」が日蓮宗の批判に当てられている。
なお、類似のテーマを扱った著作に『釈氏根元記』がある。 >>476
末法思想だからな下巻は。関与するだろう。
末法までの釈迦の神秘的輪廻論、因果論、などがあり。
>仏 教の宇宙観、須弥山説、地獄極楽説、輪廻転生説、因果応報説、霊験効験説
>(3) 釈迦の家系、釈迦の誕生について以下のように記している。生まれて7 歩歩み、「天上
天下唯我独尊」といったこと、母の脇から生まれたこと、 >>476のつづき
そしておわりの部分から引用してみると
下巻の仏事の解説で取り上げられていた仏事は、通寺院的なものが
半数以上を占めていた。そして下巻の仏事の解説を通じて、釈迦は
滅してはおらず仏事の中で存続していること、仏事は年間を通して
間断なく行われていること、仏事を営む僧侶への結縁が重視されている
こと、などが知られた。
なかなか面白い論文ですね。日本仏教の中心には釈迦がいるという
話ですね。
浄土教にしても浄土経典を釈尊が説いたと信じるからこそ成り立つわけだし。 恐らく、日蓮のルーツは三宝絵だろう。
三宝絵は、浄土教否定なんだが、浄土教よりも、土着仏教的様相の神秘主義がある、山伏、神仏習合の仏教の方に影響があるような。
三宝絵は開祖の仏教も無縁だからなあ。(比叡山)当然、比叡山の修行体系は、この時期崩壊。 三宝絵は、最近注目された。仏教民俗学、日本の明治以前の土着仏教の主流を掴む研究論文で、
恐らく・・・。富永の見た非合理的な仏教という多くは・・・。
大乗経典の多くの問題のみならず・・・。 三宝絵仏教が日本仏教に多大な影響を与えたのは、江戸初期だろうと。
天台宗、天海。
三宝絵は比叡山天台系、
江戸中期まで、天台教学は正常に戻らなかったらしい。
葬式仏教含め、土着仏教、仏教儀式の宗派無関係の儀式は、恐らく・・・・。三宝絵では?と思っている。
天海は、徳川家康、日光の先祖崇拝土着仏教完成させ、家康を神として、天台のみならず、
高野山でも、神として祭らせたらしいから、
当然、仏教排斥論、富永も出てくるわな。 >>480
田中智学などの在家中心主義の近代日蓮主義は日蓮の土俗的部分をアク抜きして教学近代化を図った。学会始め日蓮系教団は大抵近代日蓮主義の影響下にある >>483
江戸初期に読ませなかった日蓮当人の書物を読ませたから、
日蓮正宗やら、創価が出てきているし。
日蓮自体が、本来の悟りの仏教ではない、日本土着仏教三宝絵の産物ですよ。 >>474
>>475
そこであげられているのは平田篤胤の『出定笑語』ですね。
富永と平田とでは立場も考え方もずいぶん違いますからね。
他にもいろいろと>>462出紹介した論文から引用をされていますが、
富永の考えなのか平田の考えなのか、その他の誰の考えなのか
しっかりと区別して論じた方が良いですよ。
『三宝絵』に関する論文は面白かったです。ご紹介ありがとうございます。 富永仲基というのは悟りの体験もないのに大乗を誹謗した罪によって31歳で若死した男だな。
悟りの体験のない者は「仏教も思想の一つである」という勘違いをするものだ。
それは印度でも中国・朝鮮でも日本でも、必ず現われる「愚か者の系譜」と言ってよいだろう。 デパスマンだ!
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デパスマンすごいなあ! いい感じの議論になってきましたな 大乗非ゴーダマ説には皆異論はないと 大乗名もない仏陀説は議論は別れるところだろうけど その時代の人に合わせた視点を変えた教え 方便を駆使して衆生を導き他人を第一とした優しさの教えと表現できると
さて 前にも書いたけれど日本ではどの組織がそれに当たるのか?ある探求者が求めた場合 どうすれば どこに行けば良いのか? >>490
そう 私は実際そうではないかと思っている 各組織 グループにも意思あるもの 自分で勝手に探求するものが少数いて 組織に属さず探求する者もいる 例えば創価学会でも伝統寺院でも何かがしっくりこないと感じて探求するものがいるだろうと思う
ただ道は険しいね 色んな経典が現代語訳され誰でも読める素晴らしい時代だけれど 慈悲に溢れた先生がやっぱり必要だわ 甘え過ぎかな? >>491
>先生がやっぱり必要だわ 甘え過ぎかな
いや、何にしてもそうだけど、その道を極めるには優れた「師匠」が絶対に必要だよ。
われらのような愚かな凡夫とは次元の異なるような智慧をもった釈迦在世の弟子ですら、釈尊という師匠の存在がなければ、
仏の悟りなど得られなかったのだから。
たかだか、数十年の人生で、師匠も無しに私達が仏法を極められるなんて慢心にも程があるし、愚かな考えだね。
ただ、善知識となる仏法の師匠に巡り合えることは至難だと思う。
巡り合えても、悪業の深い人間は素直に信じることが出来ないと法華経には説かれてある。
釈迦は、無量義経に於いて爾前教の教えを「正直捨方便」(しょうじきしゃほうべん)といって、素直に捨てなさい。
そして、今から説く法華経を素直に信じなさい。と説いているにもかかわらず、釈迦在世の慢心の弟子は信じることが出来なかった。
ましてや末法の荒凡夫はなかなか信ずることができない。
不信のみならず、かえって法華経(正法)を誹謗し、さらに悪業を積み、その結果、生々世々に仏に巡り合う事も仏法を聞くことすら出来ず、
苦悩にまみれた流浪の人生をきわめて長い間(数百万年以上)繰り返すことになると仏法では説かれてある。
言うまでも無く、この法華経とは末法に於いては日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」に他ならない。 >>493
善知識が池田大作ではねえ。レイプ魔で贅沢三昧の犯罪者 >>493
法華経が一番ということが、法華経自身に書かれているって、
あほくさ。
私は最高の人格者だ。
なぜならその私が言っているのだから、信じなさい。
>>493
そこで上で聞いたんです どの組織 グループがそれに当たるのかと 具体的に あそこは良いんじゃないかな?ってありますか? >>497
桃太郎に聞くと創価学会と答えるし一般人は創価学会は止めとけというだろ
一般的にはやりたい事によるな >>497
禅に興味あるなら各地の禅寺で参禅会してる所から入ると良い
チベット仏教に興味あるならチベット仏教運営のポタラガレッジ
上座部に興味あるなら色々批判はあるがヴィパッサナー協会がある
これらは一応伝統教団の系統
新宗教はリスクが大きいから止めた方が良い >>497
>桃太郎に聞くと創価学会と答えるし一般人は創価学会は止めとけというだろ。
まぁ、この通りでしょね。(笑
もう少し付け加えるならば、
「一般人は創価学会は止めとけというだろ。そして宗教は自分の趣味や興味で選ぶものだ。」と答える事でしょう。
そこで、>>499 のような回答となる。
しかし、私の考えはまったく違いますね。
「宗教の自由」であり、どれを選択しようと自由ではありますが、決して宗教は「趣味や興味で選ぶもの」では無いと言うことです。
あなたが真剣に人生のあり方を模索し、宗教を人生の羅針盤として悔いのない尊き人生を歩みたいと思っていらっしゃるのなら、趣味や興味でなく真剣に選択するべきです。
なぜなら、宗教は良くも悪くもあなたの人生に大きな影響を及ぼすからです。 宗教を「趣味や興味で選ぶ」というのは、所詮、宗教を「精神の修養」程度の浅い次元で捉えているからにほかなりません。
今の日本人の宗教感覚というのは、ほとんどがそうした考えです。一神教の西洋人に理解しがたい「なんでもかんでもイイジャナイカ教」と言われるゆえんです。
彼らは深い信仰心は無く形式的な信仰形態ために、誤った教えであっても、さほど人生に影響は及びません。
所詮、何不自由なく生活し、「生老病死」を真剣に考えたことも無く、とくに大した悩みも無い人にとっては、「少しでも心の支えになれば」という軽い考えで神仏を敬っているに過ぎません。
ところが、人生の絶望的な困難に直面した時には、この「なんでもかんでもイイジャナイカ教」を崇拝する方々は大抵、宗教に救いを求める事はありません。
なぜなら、心の奥底では宗教の利益は死んでから先の事であって、現状を打開する力は無いと、なにげに理解しているからです。
そうして、人生を左右するような重要な局面にあって、自分の「趣味や興味」で信じた宗教がいかに無力であるか思い知らされるのです。
このように苦悩に打ち沈む人々をたんなる観念論ではなく現実のうえで救済し蘇生させる事の出来る宗教は日蓮仏法以外にありません。
ここに、現実主義、「現証」をもっとも重視した日蓮大聖人の仏法の偉大さがあるのです。
なので、宗教を真剣に学ぶのであれば、日蓮仏法と創価学会について学ぶことをお勧めします。
※こう言うと、また、お子ちゃまレベルの中傷レスがどこからともなくワラワラと沸いてくるんだよね。(笑
当然、お子ちゃまスルーなんだけど。(笑 創価学会は「一人よがり仏教」なので普遍性に欠ける信仰だと言えます。
創価大学に仏教学科を作ることができないという事実が、それを端的に表わしています。
仏教というものを厳密に追求していくと創価学会の教えとは矛盾が出て来るので、大学で
創価学会の信仰を教えることが出来ないのです。
他の仏教の宗派が作っている大学では、どこでも宗学と仏教学の両方を矛盾なく教えることが出来ているのですが、創価学会はそれが出来ないのです。
「一人よがり仏教」だと言われる所以です。 >>502
創価学会は仏教教団?
アホですか?
あそこは、日蓮教教団です。 >>503
創価学会は仏教教団の一つですよ。(どんなに偏ってはいてもw)
仏教の法華経を根本聖典としているのだから。(解釈がどんなに偏ってはいてもw) >>504
日蓮が本仏で釈迦は過去の遺物扱いだから仏教とは言えないよ学会は >>500
学会の人間何人か心当たりあるけど宗教を人生に生かした尊い生き方してるのとは程遠いけどなあ
なんとか支部がどうこうとか変だし >>504
ユダヤ教とイスラム教が別の扱いをされるように、仏教と日蓮教は別です。
寄って、日蓮教は仏教から分裂し独立した宗教と考える方が正しい。 >>505
その通りです。
御書を勉強して仏壇に向かって御書を読誦しろ!って感じ。
奴等の話を聞いて思うのは仏教の流れを組まないと宗教として存在出来ないから釈迦の仏教を利用しているだけ。
創価学会の曼荼羅には『南無妙法蓮華経』の周りには『十如是』が書かれているそうで…
サッダルマ・プンダリカ・スートラには十如是はありません。なので、宗教の本尊の曼荼羅から怪しい。 釈迦はひがみのきれていない不動に洗脳されているのか普通以下の状態で生活している者に
「お前のみかたをすると世の中全部超人にしなくては帳尻があわなくなってしまうのだ」ととんでも
なく見当違いなことを言っています。 >>508
その通りだと思う。仏法じゃないのに仏教のおいしいところ取りや仏教の信頼性に乗っかる為に仏法と自称してる感じを受ける 君達の理解はおかしい。
創価学会の二代目(実質的には初代)の戸田城聖は法華経を読むことによって
宗教体験を持ったのですから仏教そのものであって、仏教から離れたものでは
ありません。
ところが、三代目からは池田教と呼ばれるように徐々に理解に偏りが大きくなって
行って現在のようになってしまったのです。
まあ、もともと日蓮上人が法華経への偏った理解を持っていたことが土台にあるので
仕方がないのですが、法華経が大もとなので仏教の一派であることは確かなことなの
です。
法華経は天台宗の根本聖典であり、禅の道元禅師も非常に大切にされた大乗経典なの
ですから法華経に偏りがあるのではなく、日蓮系の人達だけが偏った理解を持っている
ということなのです。 >>511
戸田が宗教体験したというのははじめて聞いた
仮にそうだとしても全く同じ神を信じ同じモーセ五書を聖典に仰いでも宗教体験の違いでユダヤ教とキリスト教とイスラムは違う宗教になってる
創価学会はアメリカキリスト教でいうモルモン教みたいな位置だろ
キリスト教では異端と見られ迫害から独自の独立性持ってる
平和主義実践異端という意味ではエホバみたいな位置かもだが
エホバは政治に関わらず良心的徴兵拒否を認められた異端で学会なんかより世界的影響力強いが >>511
天台の聖典だから、有名宗祖だから、すべて鵜呑み盲信の先入観なわけでしょ
学者はそのルーツに疑義があり、根拠がないことを分析した
電車と観覧車は同じ機械だが、目的地に行ける前者が仏説、後者が非仏説と
分けたのが学者だし
創価は呆れるレベルだが、けど世界の学者がヒンドゥー化だと批判する日本独自の
鈴木大拙乗に被れたのが鵜呑み盲信な一元論の日本大乗勘違い信者でしょうが >>513
君は何の宗教体験もなく、ただ仏教に関心があるだけの若者だね。
>電車と観覧車は同じ機械だが、目的地に行ける前者が仏説、後者が非仏説と
分けたのが学者だし
宗教体験がなく頭で仏教を理解できると思っている「学者」の言うことなどを
信じていたら、死ぬまで仏教はわかりませんよ。
大乗非仏説に意味があるように思うのは宗教体験がない人間だけなのですから。 >>514
それはその通りだろうな
自分も宗教体験してからは非仏説云々とかどの教義が優れてるとかが如何にも幼稚に思われた >>501
日本人でありながらインド仏教一億人のトップになった佐々井秀嶺氏は念仏も唱えるし題目も唱え真言も唱えると言ってた
何でも教に見えるがインドの被差別民解放からブッダガヤ奪還運動まで幅広い実践をしその実践性故に暗殺未遂までされた人らしく風格あった >>514
体験、境地に囚われ固執して自我強化して失敗したのが貴方なわけ
宇宙根源意識と一体になるのが悟りとか、馬鹿の一つ覚えが一元論信者でしょ
そういうのはプロト根本仏教で否定しているし、
なぜだか分からないのが一元論信者
そして煩悩あるがまま、禅宗の僧侶に毎年犯罪者が生まれている
彼らに慧の修習が欠けている、それは中国産改造仏教だから欠けてるわけ >>517
君の仏教知識はネットの知恵袋だけだったことが以前にバレてしまったよね。
君は師匠に就いたこともなく、仏教の専門書などは一冊も読んだことがないのだから、
仏教について口を出さない方がよいでしょう。 >>517
あれ?
とっくの昔に否定された事なのに、まだそんな事言ってるの?
未だに答えを聞いてないが「それ」はなんだよ? >>514
学者と言っても一時流行った松本史郎や袴谷当たりでしょ。一時凝ったがあれは間違いだ >>517
>そして煩悩あるがまま、禅宗の僧侶に毎年犯罪者
>が生まれている
>彼らに慧の修習が欠けている、それは中国産改造
>仏教だから欠けてるわけ
アホかw
お前も含めて日本人の大半が慧の修習なんかしてねーだろうが?
日本は犯罪大国か? >>522
おい、でおーや?
お前は本当にコンドームにラーメンのゲロを吐いて詰めたような奴だなw
このスレで論ずる程もないw
あっちのスレで待っておる。
はよ返事せいwww >>514
仏教において宗教体験ですか…w
一体、『仏』を何だと思ってるん?
西洋の宗教は始めに『神』があって、
次にその神の存在を明らかにする『預言者』があり、その神に従う為の書物『聖典、聖書』などと流れがある。
人類の英知を超えた神という存在が前提にある以上、西洋の宗教に於いては『奇跡』や『宗教体験』の事を批判するつもりはない。
だけど、仏教は『神』という前提が無い。
開祖である釈迦が瞑想や考察を繰り返し『空』という世界観に到達し後に経典として纏められた。
『神』とは別の形、即ち道理でもって人々の悩みや苦しみに対応した。
寄って、仏教に於いて『不思議体験』や『宗教体験』は要りません。
西洋は『神』と表現し、東洋では『仏』と表現するとでも?
なので、宗教体験は必要と?
『仏』とは何ぞや? >>514
創価学会は仏教では無いので、そもそも大乗非仏とかは関係無いです。
『法華経』自体がこの経典に書かれていることは正しいと書かれているから、法華経に人格を待たせたら『神』と解釈する事が出来るでしょう?
法華経の正しさを豪語して居た日蓮は『預言者』の様な解釈が出来るでしょう?
日蓮が書いた手紙文、即ち御書が西洋で言うところの『聖典』と表現出来るでしょう?
ニュアンスは違うけど、西洋の一神教に近い流れがある。
でも、法華経は書物なので一応、辻褄合わせとして釈迦ぎ必要なだけ。
現に奴等の信仰の対象の曼荼羅は『南無妙法蓮華経』なのだから… >>524
仏すなわちブッダとは本来「悟った人」という意味
悟りという宗教体験に裏付けられたのが仏教 >>526
>悟りという宗教体験に裏付けられたのが仏教
全然違う。 w
敢えて、『哲学的瞑想』と表現します。その哲学的瞑想で考察を繰り返して色々な世間の繋がりが深く分かった事が宗教体験であるなら、小学、中学、高校、大学と頭を悩ませる問題を解いたら宗教体験ですか?
理科や物理の実験で考察する事もあるでしょう…それらが解ったら宗教体験ですか?
大体、ブッダを『悟った人』と訳した時点で考え方のズレを感じるわ。
お前も仏教の書物を読んで無いだろう…
宗教体験♪ w
個人の主観が強すぎて第三者には何のことやら♪w
お仲間で「宗教体験とはこれこれこうだよね♪」「あっ♪そうそう♪」
仏教には必要無いわ♪w
し・ゅ・う・き・ょ・う・た・い・け・ん♪w
要らん♪
要らん♪
お宅は、何処のカルト教団の信者さんよ? >>526 が正しい。
>>527 は間違い。宗教体験を知らない者のたわごと。
>その哲学的瞑想で考察を繰り返して色々な世間の繋がりが深く分かった事が宗教体験であるなら、
↑ そんなことを書くのは宗教体験がない証拠。 >>526
仏教で大切な事は、チョットした『気付き』により疑問に思い観察し『道理』をもって考え解決し、解決した点と点が線に成り、網目の様に複雑に知恵が増す。
この過程が大切なんです。
宗教体験ではありません。
『悟った人』と訳しゴールを設定した時点で、網目の広さがどの位広ければ悟ったと言えるのか?とこの様な議論が巻き起こる。
なので、到達点がある様な表現の『悟った人』と訳すのは賢明では無い。 >>528
>↑ そんなことを書くのは宗教体験がない証拠。
普通に暮らせれば色んな経験や体験をするものです。
わざわざ、『宗教体験』とくくって、貴方には経験が無いという事は…
宗教体験とは、『不思議』や『奇跡』な体験の事なのでしょう!?
その体験をしたら自信がつく!?
只の思い込みですわ♪w
オウム真理教も薬を使って不思議体験をさせていたくらいだから、『宗教体験』が拠り所になるとは弱い人というか…騙され易い人なんですね。 >>529 >>530
>網目の広さがどの位広ければ悟ったと言えるのか?とこの様な議論が巻き起こる。
↑ そんなことを書くことが、もう宗教体験がない証拠なのです。
(オウムのは不思議体験・神秘体験であって、宗教体験ではありません。) >>531
左様でございますか♪w
大昔の唯識派と中観派は宗教体験が無いから議論し合っていた。という事ね。
大乗非仏以前の話ですね♪w
やっぱり、仏教に宗教体験は必要無い。 >>529
悟りは結果ではなく悟ってそれが終わりでもない
白隠は大悟18回小悟その数を知らずと言ってる >>533
何というかなあ。一般に魔境と言われるオカルト的な体験の後何か全てがつながってるのがはっきり分かる感覚というか…
人により表現が違う
宗教体験について詳しい本にウィリアムジェイムスの「宗教的経験の諸相」がある
古典だから読むと良い。ちょっとした図書館なら置いてる >>532
唯識と中観のことも知らないのですか?
唯識と中観は「悟り」に至る根拠を、前者は心理学として、後者は哲学として
説明したものであって、両方とも論者たちは悟った人々だったのです。
悟りを知らない学者たちが理屈を言っていたのではないのですよ。 >>534
知ってますよ。
『ブッダ』の訳し方を問うてます。
物知りな人でも良かったのでは?
知識人でも良かったのでは?
頭の良い人でも良かったのでは?
そちら側が『悟った人』と選んだ訳ですから何故ですか?と問うてます。 >>533
>逆に宗教体験とは?
宗教体験は「冷暖自知」ですから、各自が体験しなければ知ることができません。
言葉で説明できるものではなく、また、だからこそ無限に説明できるとも言えます。
つまり、一つの表現で説明できるようなものではないということですね。 >>537
ブッダは目覚めたという意味のサンスクリットブドゥが語源だから覚者と訳すのが適当だけど一般に悟りという言葉使ってそのニュアンス伝えるからね >>535
ありふれた幻覚を仏教の宗教体験にするとはね
古層仏典はスゴいよ、君のためにちゃんと教えを残している
それは、「色受想行識の範疇の接触を縁としていて、
かれらが接触もなく感知できるという、この道理は存在しない」と説かれ、
それは「渇愛に囚われた者たち」と説かれています
またサマタ三昧は一時的かつ作為的で壊滅するものと説かれ、これのみで解脱には
至らないとあり、自覚的なサティが解脱に必須と慧の修習が説かれてます
ヒンドゥー化した似非仏教にはない教えですね
観行瞑想だけでも禅定に入れてるわけで、禅定の宗教体験で「境地に執着」する
ことに陥って、慧の修習になってないわけです
結局、それら体験の実体視は意識誘導によるもので、最初に創作哲学ありで、
思い込みを強めるものでしかないです
けどそんなに害になる教えでないから、煩いこと言われないだけです
おお、ヘーゲル哲学の同一性と同じで、そんなの古代ヴェーダーンタにもあるし、
別に釈迦仏教でなくてもよかったわけねって なにかしらの体験をしたためたのが、経であり論だとおもいます。
現代みたいに、観測機が無い時代に、自分だけの体験で、言い表しているのだから、
少々の知識の上乗せはあったでしょうね。
一切の認識のするところのもの、それを何によって認識し得るべき。
仏教ではありませんが。 >>540
いや別に何と言われてもいいけどね
それはそれでそんなに執着するほどのもんでもないから >>540
49ID:UzEnW1P5 = ID:gPLAzHvi かな?
>古層仏典はスゴいよ、
宗教体験がなければ、古層仏典も新層仏典(?)も意味はないのです。
単に言葉の上で知識を整理して、何かわかったような気になっているだけなのです。
自分自身の日常生活の煩悩を省みれば、「慧の修習」などと言ってみても単に言葉を
覚えただけのことだということは自分自身でわかるはずです。
宗教体験のない仏教知識ほど空しいものはありません。 自分にとっては瞑想で重要なのは認識はするけど判断はしないというのを心がける事。
結構瞑想深くなると色んなものを判断して色付けしてるんだなあってことに気付く
平凡だし判断や色付けが完全になくなる訳でもないけどそれが自分には大切 >>546
合気道や太極拳趣味にしてると分かるけどわりと自分の手足を自分でコントロールするのさえ意識しないと難しい事に気がついたりする
いきなり手を掴まれると手から体が反射的に固まったりして
例えば手が上がる時手が上がる上がるというのだけを認識して判断しないとうまくいったりする
このコツは座禅してる時も役に立つ
あくまでも個人的な経験で一般化するつもりはないが >>547
546は、オナニーマルキスト123であるから、っスルー推奨。
相手すると、粘着的に居つくw 悟りは宗教体験などではない。初期仏教において悟りとは、煩悩を滅して輪廻を脱出したと自覚出来たら悟りである。初期大乗仏教になると空を会得することが悟りだとされた。中期後期大乗仏教になると、煩悩即菩提、輪廻即涅槃、というように、悟りの定義が変質した。 >>549 煩悩を滅して輪廻を脱出したと自覚出来たら悟りである。
煩悩とは意味不明。
輪廻とは意味不明。
自覚とは意味不明。
意味不明を滅して、意味不明を脱出したと、意味不明出来たら悟りである。
馬鹿か? >>550 その通りです。
>>549 の文章を読むと、>>549 の人が知識だけで仏教をとらえていて、何の体験
も持っていない人だということがわかる。
「輪廻」と言い、「空」と言っても単に言葉をいじくっているだけで、その意味
など全く解っていないのだ。しかも、自分が解らずにそれらの言葉を使っている
ということすら自覚できていないのだから、滑稽と言えよう。
この人のような仏教への取り組み方をしていると、ゴミのような知識を頭に詰め
込んでいくだけで、死ぬまで「宗教体験」を持つことはないだろう。 多分ウィリアムジェイムスのいう純粋経験というのが認識して判断しない意識の適切に近い表現じゃないだろうか?
彼はプラグマチズムの哲学者で有名だが大心理学者で宗教学者でもある
精神を病んで克服したりしてる
多分何らかの体験はあったのだと思う
西田きたろう当たりが参禅しつつジェイムスの純粋経験に着目したのも共通する何かを見出だしたからじゃなかろうか?
あくまで憶測でしかないが >>549
良いね♪
その通り♪
哲学者にウェトゲンシュタインという方が居て、たまに釈迦や龍樹と比較される。
又、その様な本も出ている。
仮に、ウェトゲンシュタインの到達した事が仏教の『悟り』と同じであるならば、哲学的瞑想による『考察』まではよしとしても、『宗教体験』や『精神統一の瞑想』も不要となる。
もし、ウェトゲンシュタインの到達した事が仏教の『悟り』とは別のものと云うなら、悟りとは何かすら分からない人達がどうして区別する事が出来るのであろう。
以上の事からも『悟り』に於いて宗教体験は不要であると私も思う。
宗教体験は必要でありその経験が無いと頭でわかって居ても体でわかって居ないというのなら『悟り』とは何ぞや?と思う。
人間の感情(怒り・悲しみ・苦しみ)対してどう向き合うのか?
一神教は『神』に頼り、仏教は『悟り』に寄ってその感情から離れれる。
言葉で表現出来ない何かと一体感が『悟り』な訳もないし、仮に分かったところでその感情から離れれる事はない。
後、上座部経典にも釈迦は苦行で悟りは得られなかった。と記されているしね。
やっぱり、宗教体験は不要。 552.
純粋経験、か。
551、は、宗教体験、派であるか。
549、は、宗教知識、派であるか。
そこで純粋経験、派、は上記のどちらであるか。
それは当然に体験、派である。
では正解は、どこにあるのかや。 >>553
言語の問題を徹底的に考え抜いたという点で禅なんかと一見共通する結論導いてるように見えるけどちょっと違うと思う
専門外なのでアレだが >>553
>哲学者にウェトゲンシュタインという方が居て、たまに釈迦や龍樹と比較される。
そのような比較をするのは愚の骨頂。
算数や理科が得意な小学生をニュートンやアインシュタインと比較するようなもの。
ウェトゲンシュタインの私生活を調べれば明白になる。
それは、君自身の私生活を考察すれば、君が仏教の「ぶ」の字も解っていないことが
自覚できるのと同じ。 wwwwwwwwww
何かね? 宗教体験ってw
認知システムがショートして、変なもんが見えちゃうとか?w
それとも、「わかったぞ〜〜〜〜〜」w ってなった、なんちゃって覚者さんの
ことかい?ww >>551
>死ぬまで「宗教体験」を持つことはないだろう。
…という表現をするという事は、>>551自身は何らかの宗教体験を経験しているという事ですね。
でも、その宗教体験をしても、>>549の書き込みに対して『ゴミのような知識を頭に詰め …』と表現する人格になるなら宗教体験は要らない。 >>557
パーピマンが「宗教体験」をできるようになるには、まだ20年早いだろう。 >>558
『ゴミのような知識を頭に詰め …』というのは事実だから仕方がないのですよ。
間違った仏教の取り組み方をしている人には、厳しくても事実を書かなければいけないのです。 >パーピマンが「宗教体験」をできるようになるには、まだ20年早いだろう。
wwwwwwwwwwww
だからあw その「しゅうきょうたいけん」ってのが何なの?ww
「すっげえ〜〜〜〜〜、おれ、すっごい体験しちゃった。もう、今までのオレじゃないもんね」
って、思い込んじゃうこと?ww
それとも、「霊魂」や「背後霊」でも、見れるようになったのか?www >>550
お宅は大丈夫か?
549の意見は『悟りは宗教体験などではない。』ですよ。分かる?
549が何故そう思ったのか?の拠り所となり、一般的に言われているところの
『初期仏教において悟りとは、煩悩を滅して輪廻を脱出したと自覚出来たら悟りである。初期大乗仏教になると空を会得することが悟りだとされた。中期後期大乗仏教になると、煩悩即菩提、輪廻即涅槃、というように、悟りの定義が変質した。』ですよ。分かる?
それを、『意味不明を滅して、意味不明を脱出したと、意味不明出来たら悟りである。
馬鹿か?』は無いだろう?
相手の思いが通じないなら悪戯な書き込みはしない方が良いのでは? >ID:Qaaojvp9
この人はね、某スレで、こんな人に成りたくないって、叩かれてたからね
大乗の悟りを語りながら皆からねw
属性、属性言いながら、宗教体験の私という、その属性は棚上げなんだな
貴方にとって、単に悟り仏教が心の穴埋めなんだよね
正当化しに、このスレにずっとしがみついているよね、自我を満たしに
あれ、悟ってませんって自分で言いながら、悟りを語るなんておかしくないかい ここは極端だなぁw
スレタイからして極端だからなぁ・・
井筒俊彦氏「事事無礙・理理無礙ーー存在解体のあと」 要約
事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますが
ーーを取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
「畛」的枠組みをはずして事物を見る。
ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。
ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。
限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。
この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ。
しかし、それよりもっと大事なことは、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、
そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。
つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。
そうすると、当然、千差万別の事物が再び現われてくる。
外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。
はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕になる、と考えるのでありまして、
この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人たちをして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。 主客同一、一如ですか?w
>そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。
昔、「閻魔」っていうコテがいて、しきりとこれを言ってたなw
還滅後のリターンってやつw >>560
>『ゴミのような知識を頭に詰め …』というのは事実だから仕方がないのですよ。
面白い♪w
仮に>>560自身が正しい仏教の取り組み方をして宗教体験をしても、『真実は言語表現を超える。』という感覚に到達して無い訳ですか?
到達した人は、言語表現をした時に真実は事実に変わる事を知っているし事実は幾通りの表現がある事を知っているので、敢えて汚ない表現は避けますよ。
寄って、>>560の仏教の取り組み方は正しいのでしょうか?
でも、貴方は自分の仏教に対して正しい取り組み方をしていると思えるから、相対する>>549は間違った仏教の取り組み方をしていると書き込めれるんですよね!?
>間違った仏教の取り組み方をしている人には、厳しくても事実を書かなければいけないのです。
↑『間違った…』ですか… そうですか… >>564
ごめんw
スレ違いな事を書き込み過ぎました。
ちょっとここから離れて自分の勉強するわ。
お休みな。w >>563
きみは2号と言われて、神経症が治ってもいないのに治ったと嘘をついて
神経症の人達を指導しようとしていた性格異常の人だったね。
その嘘を私に見破られてから、君は私の悪口を言うようになったんだね。
私を叩いていた人達はもういなくなりましたよ。それはもとのスレを見れば
わかるはずです。私を叩いていた人達は、私が教える神経症克服法を疑って
いたからだったが、だんだんと私の言うことが正しいとわかって来たんだね。
逆に、君は嘘ばかりついていたから、もう彼らの誰も君の言うことは信じて
いないでしょう。
君は師匠に就いたこともなく、一人よがりの仏教理解に固執しているから、
いつまで経っても神経症が治らないのですよ。 >>566
そうです。間違っているのです。
大乗非仏説論に意味があると思うような間違った考え方をしている限り、
決して仏教というものは解らず、「宗教体験」も現れないのです。 569.
宗教体験の内容が問題となる。
宗教知識の内容が問題となる。
宗教知識の内容には宗教体験の問題が包含されている。
よってして、その内容の個別具体論が必要となる。 宗教体験というか宗教経験というか、まぁそれは必要でしょw
その宗教体験を乗り越えるために。
筏の例えの筏としてね。 煩悩も輪廻も意味は仏教辞典に書いてある。
自覚の意味は国語辞典に書いてある。
悟りと空の意味は仏教辞典に書いてある。
先ず、言葉の意味を、言葉で覚えてから、その内容を理解出来るように務めることです。宗教体験の意味の定義はない、意味がないからだ。 >>572
>悟りと空の意味は仏教辞典に書いてある。
そこまで程度が低いのなら、もう論外。
君は自転車に乗って宇宙旅行に出かけなさい。
昔から悟りや空の意味を知る為に命懸けの修行をして来た人々が
どれだけいるか考えてみなさい。 林檎🍎は辞書には書いてあるが、林檎の味や食感は表現出来てもそれは頭の中の理解ってかw
絵に描いた餅じゃ腹は満たされんなw 悟り=解脱=滅=成仏=涅槃=菩提=アノクタラサンミャクサンボダイ。という具合に、仏教用語は多様だ。先ず言葉の意味を、言葉で覚えてから、その内容を理解、体得するように務めることだ。林檎の形と味を辞典で調べて覚えたら、実際に林檎を見つけて食べたら良いのだ。 悟りの定義にしても、宗派によって違いがあるから、先ず仏教辞典によって偏りのない意味を知ることです。それから自分が求めるものを、得る道へ進めば良いでしょう。 悟りを宗教体験と呼ぶ必要はない。
成長を宗教体験と呼ぶ必要はないのです。
子供は玩具や人形が大切で執着する。
大人になるにつれて、玩具は玩具と知り、玩具に執着しなくなる。これが小さな悟りだ、宗教体験と呼ぶ必要はない。 言葉の意味を知ることは、毒矢がどこから飛んできたか訪ねているのではない。
言葉の正しい意味を知ることは、
毒矢を抜くために必須なのです。 579.
悟りは宗教体験、か。
悟りは論理学である。
悟りは頭の中での理解である。
現物のリンゴを食べることではない。
体験派はりんごをたべて、悟った、と言ってるバカである。
坐禅を体験して悟った、と言ってるバカである。 宗教体験という思いに束縛され、それも自我構築させ
自己特別視になり、そういう思いから手放せず、
思いの衝突が起こるわけ
思いに没入し固執した思いから離れられず、束縛から解脱できず
そんなことは基礎の基礎でしょ
実践者は以前の生き方より、変化があったことは自覚実感できる
明らかに以前より、生きやすい、周りからの評価もいい
非仏説は、根拠を元に学術的研究の結果として仏教学会の主流を占めている
ここには洗脳束縛された思いをぶつけにくる、大乗宗教患者しか来ない >>580
抜きゃいいだろw
言葉はそこにあるか? 言葉で説明出来ないものはどう理解するんだ?
言葉の意味を知るという事は、即ち体験する事だろがw >>576
>先ず言葉の意味を、言葉で覚えてから、その内容を理解、体得するように務めることだ。
体得って体験して得る事だよな? 林檎の形状や味を知識と知ってから、実際に林檎を探して見つけて食べて、味を味わうこと。
それが体得。
宗派によっては、林檎として玉ねぎの説明をしていることもあるから、言葉の正しい意味を調べて知ることが最初でしょう。 たい‐とく【体得】
[名](スル)体験を通して知ること。理解して自分のものにすること。「技を体得する」 悟りを得ることが仏教の目的ですね。だが、悟りの定義が宗派によって違うのが問題だ。だから、悟りの正しい意味を知ることが、先ず最初に必要なことでしょう。正しい意味を知れば、どの宗派の教えが正しいのか、自分で探すことも出来ますね。 >>588
>宗派によっては、林檎として玉ねぎの説明を
>していることもあるから、言葉の正しい意味を
>調べて知ることが最初でしょう。
詭弁だな。
そもそも言葉の正しい意味は、体験無しには得られない(確認出来ない)だろ?
でなければ、何を基準に「正しい」と判別するんだ?
あなたは「正しいもの有りき」という前提で話を進めている。
要するに実践経験がないのでは?
空想家なのでは? 一番偏りがなくて、悟りの正しい意味の説明をしているのはやはり仏教辞典でしょう。学者は悟りを体得していなくても、言葉としての悟りなら正しい知識を持っている。だから先ず仏教辞典で悟りの意味を知ることが先決でしょう。それから宗派を探せば良いのです。 >>590
違うわwww
そもそも正しいか正しくないかが分からないから仏道を歩んで確かめるんだろうがwww >>588
>林檎の形状や味を知識と知ってから、
林檎の味を知識で知る? もう、頭がまともに働いていないということですね。
「味」は知識で知ることはできません。
「味」は <悟り> や <空> と同じで、自ら体験して初めてわかることであって、
知識として知ることは不可能です。
それが可能だというのなら、「林檎の味」を言葉で説明してみて下さい。
また、「桃の味」「スイカの味」「イチゴの味」も言葉で説明してみて下さい。 悟りの意味として、悟り=解脱=滅=成仏=涅槃=アノクタラサンミヤクサンボダイ、などがある。すべてその意味は仏教経典に書いてある。それをまとめたのが仏教辞典です。学者は悟りを得ていなくても、経典からその意味を辞典としてまとめることが出来るのです。 >>592
>悟りを得ることが仏教の目的ですね。
何で? 語りえぬものについては、沈黙しなければならない
ウィトゲンシュタイン 林檎を全く知らない人も、辞典に写真が出ていたらその形状を知ることが出来ます。味の説明として、食べたら甘味と酸っぱ味が混じっている、とあれば、ヒントを元に想像が出来ます。
それが言葉の知識です。体得ではない。 だが,林檎の説明としてバナナの写真を出している宗派があるから問題なのです。
仏教経典には、林檎として林檎の写真が出ているから、先ず正しい形状を知ることです。
あとは林檎を探して見つけて実際に食べたら良いのです。 >>599
んー⁈
あなた、何かトラウマでも抱えてる?
その想像とやらが仏教では問題とされるんだが?
むしろそうした知識が先入観となり体得の妨げとなり得るから、俺のところじゃ徹底して否定されてくんだが? >>600
だ・か・ら!
生まれて初めて林檎の写真を見た奴に「これはバナナです」と説明されたらどうすんだよwwww 仏道をラッキョの皮剥に喩える奴もいるけど、皮を重ねてどうすんの? 釈迦は悟りを得たと公言した。あなたも悟りを得なさいと教えた、それが仏教です。だから仏教の目的は悟りなのです。涅槃、解脱、成仏、悟りを得た状態がいろいろな言葉で説かれている。だから仏教の目的を見失っている人もいるのですね。 「それが仏道です」って、そう言う「それ」は何者かな?
頭の中で概念化された仏教は仏教じゃねーだろ。
頭の中で概念化された林檎が本物の林檎じゃねーように。 そもそもよぉ?
言葉の正しい意味って言っても、別の言葉で表現するだけだろうが。 >>599 >>600
>>572 では「仏教辞典」と書きながら、>>600 では「仏教経典」と書き換えて
ゴマカしていますね。
仏教経典と仏教辞典は全然違いますよ。
仏教経典は悟った人達が書いたもので、仏教辞典は悟っていない人達が書いたものです。
悟りは言葉では表わせないので、仏教経典は膨大な量になってしまったのです。
ところが、その言葉では表わせないものを仏教辞典ではわずかな言葉で定義しているのだから
「お笑い」なのです。嘘なのです。
その嘘を信じてしまっているのがあなたなのです。 609.
悟りは言葉で表せない、か。
悟りは体験で表せられるのか。
どちらでも同じである。
悟りが逃げて行くことはない。
言葉とか体験とかは消えてしまう。が。 >>610
全然わかっていませんね。
消えてしまうようなものは本当の「宗教体験」ではありません。
それは単なる神秘体験です。
消えないからこそ「宗教体験」なのです。 613.
消えないから、宗教体験、か。
宗教体験は個人のものである。
その個人のものが永続することはない。
体験などは個人のものである。
その体験の到達点が悟りである。
山の頂上は到達しなくても存在している。
その山登り体験をしているバカがいる。
到達しないバカがいる。
到達していれば体験などとは言わない。 >>615
( ´,_ゝ`)y―-~~ フハハハ!! >>615
>宗教体験は個人のものである。
全然わかっていないね。
個人のものは本当の「宗教体験」ではありません。
それは単なる神秘体験です。
個人のものではないからこそ「宗教体験」なのです。
これは体験して初めてわかることなのです。
君は、もっと知性を鍛えることが大切です。
知性の足りない人達だけが「大乗非仏説」に意味があると
考えてしまうのです。 619.
個人のものは、宗教体験ではない、か。
個人と仏とが一如とか言う以外にはない。が。
それは迷信である。
それは知性の足りないバカの言うことである。 >>619
自分が宗教患者である認識ないのかな
体験に しがみつき、アイデンティティを構成させ強固な自我の出来上がり
道半ばの宗教患者なわけ
学者先生の説に対抗するには、体験しかないと主張しても、
その体験もインド仏教にないヒンドゥーだし、あるある幻覚の類で真実在に触れたと、
サマタ三昧か、修行不要論のどっちかなだけで、
それでは解脱できず智慧は生まれないと仏典で示している通り、
見事、束縛されているよな そこにサティが入らないのも似非仏教だよな 釈迦が悟りを得なさい、と説いているのは釈迦仏教(初期仏教)も大乗仏教も同じななわけです。ただ、悟りの意味が違ってきます。釈迦は、苦滅を得なさい、涅槃を得なさい、解脱しなさい、煩悩を無くしなさい、とも説いていますね。これらは同じ意味です。 釈迦仏は誰でも仏に成れると説いた
これが大乗仏教
その一方で、後世の弟子が
選ばれたセンスのある者しか仏に成れないと主張する
これが小乗仏教
原始仏教は大乗にある 仏教の目的は悟りを得ることです。悟りは、苦滅のことです。苦滅とは涅槃のことです。涅槃を得ることを解脱といいます。解脱とは煩悩を滅することです。それを成仏といいます。成仏とは輪廻を脱出した存在です。これらの意味は仏教辞典に書いてあります。 いや後世の弟子に限らないな
釈迦仏在世でも小乗の勢力はあった
選民思想というか…そこに釈迦の本意は無かったけど
弟子の中には特別感が欲しくて大乗を否定する者も中にはいた 仏教とは悟りを得ることです、と聞けば、
え、そうなの?抜苦与楽が目的なのでは?
とか疑問が生じる人もあるでしょう。だから先ず仏教辞典で、用語の意味を知る必要があるのです。悟り=苦滅=解脱=煩悩滅=涅槃=輪廻滅、なのです。言葉の意味を知ることが基本 例えば、一輪車に乗れなくても、一輪車がなぜバランスを取れて転ばずに前に進めるのかを、学者は説明出来ます。体得していなくても言葉で説明は出来るのです。だから宗教体験などなくても、悟りや解脱や涅槃など、体得がなくても仏教経典から引用して説明は出来るのです。 悟りを得たことを成仏というのです。
だから、先ず言葉の意味を知ることなのです。 仏教辞典を読めば、悟り=成仏=解脱=涅槃=苦滅=煩悩滅=輪廻滅=彼岸、であることが分かります。これが分かると、各宗派で説いている仏教の目的の判別が可能になるわけです。 >>621
君は病気なのだから、先ず自分の病気を治しなさい。
君のように仏教の入門書だけを読んで一人よがりの仏教理解を
作り上げてみても、自分の神経症が全く治っていないことは
君自身が一番よくわかっているはずです。(だから、いつまでも
エックハルト・トールのようなスピリチュアル系の本を読み続け
なければならないのです。仏教が本当にわかっているなら、そんな
スピリチュアル系の指導者などに興味を持つ必要は感じないのです。)
>>628-630
学者には悟りを知っている学者と悟りを知らない学者の二種類いる
のですよ。あなたが読んだ本や辞典は悟りを知らない学者たちが
書いたものなのです。
その結果として、今の間違った理解を持っているあなたがいるのです。 >>632
エックハルトが悟っていると認めたのは貴方なんだよ、ボケたか
私は彼の本はヒンドゥー要素があるが、核心的な教えも含まれ、
そして素人でも分かりやすいから勧めていた
確か50代なんだよね、頭大丈夫か、認知症入ってないか
宗門の師だからと鵜呑みせず信じることなかれだ、このことは仏典にも
示されている その宗門のルーツを探求してみろ >>633
エックハルト・トールも一応は悟りと呼べる段階に入っているということに過ぎないのです。
君は仏教がわかっているとホラを吹きながら、実際は仏教入門書とネットの知恵袋からの知識
ぐらいしか持っていないので、仏教によって神経症を治す方法など到底理解出来るはずもなく、
質問者に対してエックハルト・トールを紹介して誤魔化す以外にはなかったのです。
そんな誤魔化しに周りが気が付かないと思うのは、あまりにも君は間が抜けているのです。
何よりも、自分自身が治ってもいないのに他人を指導しようなどという馬鹿げた思いを持っては
いけません。他の人の迷惑になりますからね。 >>633
マイスターエックハルトじゃなくてエックハルトトール?変なニューエイジ崩れかなんかか? >>634
毎回ワンパターンな返しだな、自分に神経症はない
まずは何も知らない人に読んでもらった方が早いでしょ
そしてそこの人たちは、実践もせず、質問もなくなったから去った
今そこの人たちは、貴方の説明は、オカルトだって話になってる
そして無責任に放置して、こっちで自我を満たそうとしているのは何なの >>635
エックハルトトール、老荘、仏教とかごちゃまぜね、ニューアースに核心の教えがありますが >>636
YouTube見たがエックハルトトールってそんなに嵌まる程の事言ってるか?
どっかで聞いたような話ばっかという印象 >>638
知らない人には新鮮なんだよ、いきなり自分の思考は、本当の自分ではないとか
はじまるからね、えっ?どういうことってなるでしょ >>636 >>637
何も知らない他人を欺くのは自由だが、私と君自身を欺くことは出来ないでしょう。
君は神経症で苦しんでいて、何とか自由になりたくて仏教やスピリチュアル系を
彷徨い歩いているよね。(君の過去のレスからも明らか。)
仏教が解っているのなら神経症などとっくに解決しているはずなのだが、君は仏教
が解っていると言いながら、スピリチュアル系の指導者を求め続けているのだから、
君は仏教の教えなど全く解っていないということなのです。
(安っぽい仏教入門書で得た君の仏教知識はガラクタだったことに気付くことが大切です。
いつまでも虚勢を張っていては、君の神経症は永久に治ることはありませんよ。) このスレのみなさんに良いことを教えてあげましょう。
それは、日本中にある伝統仏教のお寺の住職さん達に、
「大乗非仏説論は重要なことですか?」 と聞いてみることです。
「そんなものは大した意味はありません」 と断言する住職さんは悟っている(救われている)
人達です。 ところが、
「それについては私も興味があります。」とか、「それは難しい問題なので・・・・」 など
という人は宗教体験を持っていないボンクラ坊さんです。
これは非常に良いメルクマールになるので、お寺に行った時は使ってみて下さい。 >>563
分かるわ。
>>560と>>569のやり取りをして…
ID:Qaaojvp9とID:znDhQVitは同じ人ね。
書き込みの流れを見てたら支離滅裂だもん。 >>642
君たちは愚か者同士ということなのです。 >>511
>創価学会の二代目(実質的には初代)の戸田城聖は法華経を読むことによって
宗教体験を持ったのですから仏教そのものであって、仏教から離れたものでは
ありません。
なっ!何と…
法華経は仏教から離れたものではないと主張する拠り所が宗教体験とは…
んでもって、法華経読んで宗教体験って…
そんな宗教体験は要らん。 >>564
私はジェイムスの純粋経験と井筒俊彦の「存在の0ポイント」が同じ認識領域を指してると思ってるが実際どうなんだろ? >>582
>宗教体験という思いに束縛され、それも自我構築させ …
この下りは正にそれ。
私も『体験』や『経験』は否定してないんですよ。
体験という言葉に『宗教』という限定的な言葉を組み合わせ、その『宗教体験』が無いと悟れないという表現で相手の意見を切る。もう既に執着心丸出しで、それに気付けないという…
然も、『悟り』というキーワードを出して仏教を語るという…
何とも…な話です。 >>584
法華経系の団体ではそう教わるのか?
筏の喩えの筏は法ですよ。
川の向こう岸へ渡ったら筏は必要無いから捨てろって意味ですよ。
なので、法に対して執着心を起こすな。
という話ですよ。
>宗教体験は筏の喩えの筏だろがw
ならば、丁度良かった♪
宗教体験も捨てれば?w >>646
君達は知性がない者同士だから共感し合っているだけなのだよ。
二人とも大学に行って何かをきちんと勉強した経験もないのだろう。
上座部仏教は知性がなくても理解しやすいが、大乗仏教はある程度の
知性がないと(信者になるのは簡単でも)理解することが難しいからね。
昔から「大乗非仏説」に意味があるように思ったのは知能の低い人が
多かったのだから、君たちが「大乗非仏説」で騒ぎたくなるのは当然の
ことなのかも知れない。 >>632
>学者には悟りを知っている学者と悟りを知らない学者の二種類いる…
滅茶苦茶面白い♪w
学者って悟りを知らなくても良いと思いますよ。だって、学者なんですもの♪w
ところで、悟りを知っている学者って…どういう意味?w
その人は学者なのか?それとも覚者である仏か?もしかして学者と覚者の駄洒落か?
序でに、前者の学者は宗教体験をしているのか?w
もう、訳わかめ♪ W >>643
ありがとうございます♪
貴方様と別のタイプに分類されて光栄です。 >>649 >>650
相手の言うことを理解出来ないで議論しようとしても無理なのだよ。
君は中学の国語から勉強し直す方がよいでしょう。
では、もう寝るとしよう。 >>640
えっ?
仏教とスピリチュアルは接点を持ってはいけないの?
精神修養の為にヨガってあるよね!?
ヨガにはこういう歴史的流れがあるそうで…
祭儀をつかさどる司祭たちが神々と交信するための神通力を得ようと様々に開発した思想と実践法は、4-5世紀頃に六派哲学のヨーガ学派の教典『ヨーガ・スートラ』として、現在の形にまとめられたと考えられている。 だってさ♪w
法華経にもある神通力もありますよ♪w >>645
心作用がないとは言っても、「諸根は浄静である」というから、眼耳鼻舌身などの働きは、破壊されていない。
心作用は主観といってよいから、浄静な諸根と客観がある、という状態である。諸根がありながら、「想」の作用がないのである。
物のみ心にある。物が心になっている。見る主体、聞く主体はない。
井筒俊彦氏の
事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますが
ーーを取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
わたしは、この二つの文章が重なっただけですので、詳しいことはわかりません。
でも、本当に、100%知識だけというものが、ありうるのか?
経験があり、知識があり、想像があり、相互に連携しながら、今を形作っているのだろうと。
経験というのも、まぁ、志向性がありますので、純粋とは言えないかもしれませんが。
純粋経験というものが、見るもの見られるものの境がなくなったというのを
0ポイントというのか、
もしくは、事に戻ることを言うのか。
客観というからには、主観もあるわけで、
赤とんぼは、誰が見ても、赤とんぼであるが、その赤とんぼは、その人だけの赤とんぼある。
とおもう・・
一つ疑問におもうのは、客観主観の定義が、今一わからないことです。枠をのりこえて、定義の上にさらなる定義がのっているような。 多くの善男子よ、わたしと阿難とは、ひとしく、空王仏のところにおいて、
同時に、最高の完全なさとりを得ようという心をおこした。
それから阿難はつねにつとめて精進努力した。
このゆえに、わたしはすでに最高の完全なさとりを成就することができた。
しかるに阿難は、わが法を護って受持し、またこれから先の多くの仏の法の蔵をも護って、
多くのボサツたちを教化し成就させるであろう。その本来もっている願いはこのようであった。
ゆえにこの予言を得たのであると。
阿難は、こうして、仏の眼前において、自分自身が未来に仏と成るという予言が授けられるということ、
およびその国土がおごそかにかざられるということを聞いて、自分の願っていたところをが充分にかない
満足させられたので、その心は大いに喜び、未だかつてないことを得た。
そのときすぐに阿難は、過去の無量の千万億の多くの仏の法の蔵のとを思い返してみると、
それらにすっかり通達しており、自由自在であることが、たったいまきくように容易であった。
また自分の本来もっている願いをも識ったのである。
*わたしたちは、釈尊の徒であると同時に、阿難の徒でもあるのだなぁと。
法華経 授学無学人記品の一節から抜粋 現代語訳
この文章が、なぜかあたまにのこってしまった・・
暗記できませんが。 釈迦はパーリ、というか、マガダ語で説いたわけです。だから日本語しか知らない人は、どうしても学者の翻訳を必要とするわけです。そして、仏教経典を日本語に翻訳し、まとめたものが仏教辞典なのです。それは日本の宗派を超えた、仏教の基礎知識なのです。 だから、仏教辞典を読めば、宗派を超えた仏教の基礎知識を得ることが出来ます。仏教の目的なり、その成就の方法論などです。すると、各宗派の特徴なりを、判別することが出来ます。
だから、いきなり経典や各宗派に入るよりも、仏教辞典で基礎知識を得ることが先決ですね。 >>658
指月という言葉がある
文字は月(真理)を指す指でしかないという仏教の言葉
知識を仏教だと思う事は月を指す指を月そのものと同じというに等しい 釈迦の言葉は、月を指さす指であって、月そのものではないわけです。だが、その指がどの方向を指し示しているのか、知る必要があるのです。釈迦は、悟りを得ていない人々に教えを説いたのです。その言葉を翻訳し、伝えるのに宗教体験など必要ないのです。 釈迦は、無上安穏涅槃、と説いていますね。この上なく安穏であるから涅槃を得なさい、とね。悟りを得た状態が涅槃ですよと、それが解脱ですよと。煩悩をなくさねば涅槃を得られませんよと。涅槃を得ない限り苦の人生が輪廻するのですよと。釈迦はそのように話しています。 大乗仏教にも色々あって、釈迦の教えを発展させた大乗仏教なら問題なしと思うが、釈迦の教えをねじ曲げた教えの大乗仏教なら問題です。
だから、仏教辞典で基礎知識を得ることが必要なわけです。基礎知識は理論であって実践ではないが、理論なき実践は危ないわけです。 あのなーw
その仏教辞典自体、新興宗教も含めた各宗派の学者が集まって編集されてるのよw 法華経に関しては、むしろ新興宗教の方が著名な学者を抱えてたし、研究資金も潤沢だったぜ? 589ジャンキー大山2017/07/18(火) 14:17:07.60ID:NiVOUei9
たい‐とく【体得】
[名](スル)体験を通して知ること。理解して自分のものにすること。「技を体得する」
,,,,,..ー彡彡ミミ))))ミノ、、、、
彡彡///ミミミ)))))))ノノ)))ヽ
//////ゞゞヾノノノノ//ノヾヽ
////////////゙ヾ、ノノノノ"~///ミミミミミミ
r//////////// ミミミヾ)))))
ノノノ///////// ミヾ)))))))))
ノノノノ////////,, _、 ミ)))))))))ノ
((////////// `ヽ i ; ,/ ヾノノノノノノ
ノノノ.((((/////ノ.;; __ \ ,, ,; ./ __ ノノ((((((ノヾ
ノノノ///////ノノ´、●ヽ, /●`ゝ ((ヾヾヾヾ).
((((((((((///.  ̄ ` .i |  ̄ |ヾヾミミヽ
((((((((((/ r.| .,,./ ;⌒`、 .|^/))))))))
((((((((((.\_| / ( ._ )\ |/)))))))))
((((ヾヾヾヾ .l .f ,,,-===.v===-、ヽ .iノノノノノノノ
λヾヾヾヾヾヽ l.`、.LlLlLlLlLl 7´.l ./ノノノノノノノ 違うだろっ! 違うだろっっ!!
((ノノノノノノノノ.ヽ ゝ ゝ 二二二ノ ./ ./ノノノノ
λヾヾヾ| ヽ\ /./ノノノノ
\\.| ヽ.ヽ、 ノ/ \
/ ヾヽ \```ー.´´/ \..
豊田ジャンキー真由子様 、「私より頭の良い人間がこの中にいるの?」
68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。
華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
一念三千の世界をリアルで体感して来いや?
何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ?
https://www.youtube.com/watch?v=lJcyoGJ_tx8
豊田ジャンキー真由子様へ贈る歌 まぁ、好きにすればいいさw
仏教史から学ぶのもいいかもな。 その通り、ジャンキー様から、豊田真由子を学ぶのじゃ。 >>664
>新興宗教も含めた各宗派の学者が集まって編集されてるのよw
お前達が嫌うであろう新興宗教寄りの学者が… と言いたいのであろうが…
個人其々ではあるが、仏教を学ぶ上で自分自身の知力解釈力に合った学者がいたらその人の名前が入った辞典を買う。
何か問題でも?
そこに新興宗教の >>663
そういう捉え方もある。
自己陶酔側から観ればそちら側は思い込みの激しい頭の固い輩共。…となる。 う〜〜〜〜ん、・・・・
オレのスレに、「ジャンキーと絡めよ」的な書き込みがあったがw(多分、でお〜w)
・・・・・・正直、このスレは拾い読みくらいしかしてないので、住人のスタンスが
今一わからんw
はっきりしてるのは、「桃太郎」の創価狂いくらいか?w
あと名無しで、「体験重視」のがふたりくらい?
(多分、どっちかはあの「龍神くん」だと思うがwww)
できれば、コテいれて、論点はっきりさせてやってくれると面白いんだがw >>665
だからか…
色んな経典の現代語訳が再版含め出版され始めた辺りから大乗非仏説がネットで色濃く言われ出したのは…
法華経と新興宗教…
嫌われてるね。 ここんとこ、あの「大乗(というより、現代日本仏教)クソ」と言い続けるやつと、
それを叩くやつ。書き込みないねw
飽きたか?w でおーが煽ってるのかw
あいつのレスはNGワードにしたから読めない。
そんな姑息な事してるんだw
立場も糞も無いが、知識も体験も筏の喩えの筏だろ。
放っておきゃ自(おの)ずから忘れるわw >>675
まぁバブルの頃の話だからいまは知らない。
新興宗教の潤沢な研究資金が羨ましいと言ってた先生もいたし、実際に法華経の研究については新興宗教の方が先を行ってるよ、という先生もいた。 >>678
悪い。 w
早とちりした。w
忘れてくれ。 >>679
>実際に法華経の研究については新興宗教の方が先を行ってるよ、という先生もいた。
『』 なぁ、糞でおーや?
お前が何役やってるかいちいち数えちゃいねーが、パーピマンとか煽ってないで、キャラ外してお前が直に来いや?
お前一人位居なくなったって、どーって事ねーがなw >>679
>>実際に法華経の研究については新興宗教の方が先を行ってるよ、という先生もいた。
潤沢資金で人を集め、その人数分の解釈でもって其々が主張してきたんだから、
バブルの頃は先を行っていた様に思えたのかもね。
大変申し訳ないけど、ここからは私個人的な意見として…
時を得てその結果、先を行っていたとされる内容は沢山の解釈でどっち付かずとなり停滞していた様に感じられる。
先を行っていた結果、前向き且つ建設的で分かりやすい研究内容ならもっと法華経は一般に指示をされていたはずなので… >>679
681はミスをした。w
683でよろしく。 >>660
スタンスとして
それいけ!アンポンタン♪はその意見に乗ります。
宗教体験は要らない♪ 聞思修のサイクル回してりゃ良いと思う。
回してりゃ、ね。 >>686
良いのではないですか?
どうぞ、どうぞ、存分に。
その経験は貴方のものですから否定すらしませんよ。
ただ…
>>526 の>悟りという宗教体験に裏付けられたのが仏教
↑この様な話の流れでは別ですけど。 >>688
宗教体験が必要あるだのないだの、そんなのは戯論だろうね。
聞思修のサイクル回してりゃ宗教体験なんざ大なり小なり誰でもしちまうもんだから。
んなもん、筏の喩えの筏でしょ? 仏道は中道を説くんだから、宗教知識に偏るのも宗教体験に偏るのもよくねーって事だろうね。 まことのばあい、片寄りすぎて、悟りから遠ざかっている デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ! 宗教というものは宗教体験に始まり、宗教体験に終わるのです。
宗教体験なく仏教を語ることはすべて戯論と言われます。
宗教の議論というものは宗教体験の説明の為にしていることなのですから、
宗教体験がなければ、本来は議論の土俵に上がることさえ出来ないのです。
宗教体験なく仏教の議論をしようとするのは、大相撲で観客が勝手に土俵に
上がって「相撲もどき」をすることと同じなのです。
その「相撲もどき」のよい例が「大乗非仏説論」だと言ってよいでしょう。 >>689
お〜っと?
>>687で
『聞思修のサイクル回してりゃ良いと思う。回してりゃ、ね。』
…って、「お前は勝手に『気付き』や『考察』の哲学的瞑想でもしてれば?」的な他人事の様に書き込んどいて…
次は↓この様な書き込みですか!?
>>688
>聞思修のサイクル回してりゃ宗教体験なんざ大なり小なり誰でもしちまうもんだから。
支離滅裂だけど大丈夫か?
聞思修のサイクル回してりゃ宗教体験が出来る方向性に変わったのか?
昨日、宗教体験をあれはどキチンと説明できなかったのに!?
だとしても、体験に『宗教』という言葉を組み合わせた体験は要らんわ。
>んなもん、筏の喩えの筏でしょ?
まぁ、喩えの対象は違いますが、いいたい事は共通しているから良しとした上で…
数名?の名無しさんは『宗教体験』等という経験は不要と、書き込んでるでしょ?
捨てれば良いんです。
執着しなければ良いんです。
そうすれば、
>宗教体験が必要あるだのないだの、そんなのは戯論だろうね。
↑の結果に導かれるから♪ w >>690
>仏道は中道を説くんだから、宗教知識に偏るのも宗教体験に偏るのもよくねーって事だろうね。
あ…あのね?
知識の点と知識の点が線で結びやがて網目の様に複雑に知恵が増す。
知恵の大切さを書き込みましたが、知識又は知識の前に『宗教』という言葉を組み合わせ勝手に『宗教知識』として思い込んだのは其方様ですが…
更に、『宗教体験』と『宗教知識』を両極端に設定して中道語られても…
私を通して、貴方自身の頭の中で相対する私の何かを設定して論を展開し挙げ句の果てに『中道』を持ち込んで勝手に解決されても、恥ずかしいんです。w うーん 体験というか実感というか直接認知というか まあ言葉でどう表すかは別にして それまでの認識をガラッと変えられる出来事は起こると思うよ 私の見性の時でさえ花を見たら花だけになった あー これのことね!と思った瞬間それは終わってしまった 『宗教というものは宗教体験に始まり、宗教体験に終わるのです。』
昨日のピーマン頭やん♪ w
しかし、後からドンドン、ドンドン、ピーマン頭が湧いて来られたら堪らんな。コレ♪ w
肉詰めピーマンの様に何か詰まってれば良いが…
空洞では話にならん。w >>697
>あー これのことね!と思った瞬間それは終わってしまった
真の宗教体験は持続する洞察なのですから、そのように一時的にわかった
だけで消えてしまうものは本当の「宗教体験」ではありません。
それは「宗教体験の入り口」を見た体験だと言えるでしょう。 >>698
君はまだ仏教の議論をするレベルまで来ていないのです。
土俵に上がるのは無理なのです。 『真の宗教体験は持続する洞察なのですから、そのように一時的にわかった …』
昨日あれだけ宗教体験とは何ぞ?とはっきり答えられなかったのに…
持続する洞察ってか!?
辻褄合わせに成功したらドヤ顔で書き込みですか!?
ピーマン頭は空洞に何かしらを詰めてからにしてくれ♪ w >>699
あなた、先日からそうだけど、支離滅裂な事言っては、間違って悪かっただの、早とちりしただの、ミスしただの・・・
会話が成立してないぜ? なんだか、パラレルワールドに来ちまったようだなw
二人とも頭がピヨピヨの様だなw >>700
刹那に生滅するのに「なに」が持続するの? >>696
考えすぎ。
あなた頭が空回りしている。
疲れませんか? >>694
れいの宗教患者さん来たか
貴方:一時的な忘我を経験して、記憶に残り、宗教体験した
いえいえ、トランスは生理現象ですので
貴方:そして私は心身脱落したんだ
いえいえ、宗教体験の私という物語の心を抱いて自我強化してますよね
貴方:宇宙根源真実在と一体になった感じ
いえいえ、よくある幻覚で、推測、解釈してはいけません
なぜなら色受想行識五蘊の範疇の接触を縁としてる感知です
しかもそれ言うのは、ウパニシャッド、ヒンドゥーです
実体視でなく空なりと観ぜよで、不生不滅の法性の誤解もありますね
貴方:そうだ、この宗教体験で非仏説に抵抗しよう
いえいえ、なんちゃって宗教体験で根拠がありません
思考と自己が強固に同一化していますし、過去の発言からして智慧が
生まれてません 偏見で語り、その心の癖、バイアス、色メガネが外れてない
ですよね 貴方が大乗の悟りを某スレで説いても、こんな人に成りたくないと
叩かれていたのはなぜでしょう 主張するほど大乗の恥になりませんか そういう事ね。
例の龍神馬鹿かなwwww
ゴーディカの話でも聴いて反省・・・なんざねーだろなwww
しかし、宗教患者って面白いなーw >>707
>刹那に生滅するのに「なに」が持続するの?
理屈を丸覚えしているだけで、全く解っていないね。
無始より未来永劫まで持続するのです。(それは時間がない世界と言っても同じなのです。)
その意識があるから刹那がわかるのです。刹那しか分からないのなら単なる痴呆者なのです。 >>709
2号クンは神経症を治すことが先決だね。
君の神経症がいつまでも治らないのは、君の仏教理解が間違っているからなのだよ。
君が仏教を本当に理解出来ているなら、君の神経症はとっくに治っているはずだと
いうことに気付かなければいけないよ。
君は運悪く最初に読んだ仏教入門書がデタラメだった為に、間違った理解が頭に
浸み込んでしまったのですから、本物の仏教専門書を読んでいくことが大切です。 >>712
「意識」というべきだろうな。
臨済録で言う「無位の真人」の自覚と同じだ。
これは時間と空間を超えた「意識」で、
体験しなければ、頭でいくら考えてもわからんよ。 >>714
ギャハハハwww
おかしい、腹いてぇ
お前、まさかポタ公みたいに参禅してねーくせに初関抜いたとかほざいてねーだろうな?
なら聞こうか?
その「無位の真人」と自覚するのは「なにもの」だ? コンコンチキだねぇw
本当に見性体験してれば、お前の様に擬似見性の記憶をただ引きずって「宗教体験云々」ほざく馬鹿なんざ一目瞭然よw >>715
お前こそ何もわかっていないのだよ。
「無位の真人」を自覚するのは「個」なのだ。
臨済録でも「無位の真人を看よ」と言っているだろう。
「個」が「無位の真人」を自覚することが宗教体験であって、
真理は「個」においてしか把握できないのだ。
この「差別」と「平等」の関係が臨済録における重要なテーマの一つで、
私は若い頃に複数の師匠に鍛えられたものだ。
>>716
馬鹿なのか? お前のいうその「意識」さえ空であり戯論としてポイだよ。
無位の真人なんの糞掻き箆ってなw >>717
どこの門下だよw
見性しても見性を捨てろと教わらなんだか?
その「個」とはなんぞや? >>718-719
もう、馬鹿は黙っとけ。
ジャンキー大山は、このスレに多くいる「大乗非仏説有意義論」」を否定しているから、
多少はみどころのある奴だと思っていたのだが、とんでもない間違いだったようだ。
まあ、何度も言うことだが、「大乗非仏説」を肯定しても否定しても、宗教体験がなければ
どちらも「戯論」ということだ。 >>720
あのなー?
宗教体験の有無と大乗非仏説の是非を関連付ける事自体、事を泥沼化さてるんだよ、この馬鹿が。
お前のミスリードなの。
スレが埋まりゃいいのか?
こうした馬鹿がカルトを助長させるんだよ。 宗教体験はともかく、「個」などと嘯いてる様じゃお里が知れるわ。
そんな糞掻き箆に染み付いた糞尿の染み程度の「宗教体験」で
大乗非仏説を肯定しても否定しても、宗教体験がなければどちらも「戯論」ということだ。
など、説得力ゼロだな。
もっと真剣になってそいつらに噛み付けよ? 熱出して頭がコンコンチキだから、罵詈雑言悪しからず。 >>719 >>722
>見性しても見性を捨てろと教わらなんだか?
その捨てる者は「何者」なんだね?
もう、馬鹿は当分書き込むな。
>>721
頭は大丈夫かな?
宗教体験の有無と大乗非仏説の是非論が密接に関係しているのは昔から常識だよ。 >>724
>その捨てる者は「何者」なんだね?
はぁ?
んなもん何時迄も抱え込んで「宗教体験」云々騙るから「捨てろ!」と言われるんだよw
抱え込んでいない奴に「捨てろ!」て言わんわw >>724
>宗教体験の有無と大乗非仏説の是非論が密接に関係しているのは昔から常識だよ。
初耳だなぁw
まぁ、そこに視座を置いてる限り、お前も富永某や平田某と同じ次元に堕ちてるね。
比叡山の宗教サミットでも少し調べて見たらw >ID:+Ae0LuYq
その意識に属性の心が強固にくっついている貴方が、何言うのかな
宗教体験の結果が、偏見、差別、怒り、暴言、憶測の思考で語る貴方が、
その意識を持続してない、それは自分の心のフィルターを通していることも
認識できてないのかな
今も持続しているという思い込みでしかなく、解脱不能が持続している
智慧の生まれない宗教体験なら仏教でも何でもない
だから貴方は、人格がダメと某スレでも叩かれ支持されなかった
書けば書くほどボロが出て大乗の恥になりますよ
自己特別視、宗教体験絶対視、麻原絶対視、カルト教祖絶対視、その執着の性質は同じ
宗教体験以前に、自己愛性人格障害の疑いありの宗教患者 あーアホくさw
婆説だw
なにをどう足掻こうが無位の真人なのに、無位の真人と自覚する事自体妄想と知れ、だわ。
無位の真人は無位の真人なぞ知らんがなwww
知らぬが仏www
ある、というから何がある?と突っ込まれる。
ない、というから何がない?と突っ込まれる。
どうすれば突っ込まれないか考えろやwww 上堂云く、
赤肉団上に一無位の真人有り。
常に汝等諸人の面門より出入す。
未だ証拠せざる者は、看よ看よ
時に、僧有り出でて問う。
如何なるか是れ無位の真人。
師、禅床を下って把住して云く、
道え道え。
其の僧擬議す。
師托開して云く、
無位の真人是れなんの乾屎橛ぞ。
便ち方丈に帰る。
乾いた糞の様にカチカチになった無位の真人w >>727
2号クンは心だけではなく頭も病気のようだね。
自分の心の病気を治してくれないような仏教の理解の仕方に
固執していたら、一生そのままの状態が続きますよ。
しかも、その間違った理解を神経症の人に教えようとしていたから、
私は君を叱ったのだよ。
(君はそれを根に持っているのは分からないでもないが、君が間違った
ことをしたのだから、それは仕方がないのですよ。)
>>728 >>731
>なにをどう足掻こうが無位の真人なのに、・・・
馬鹿はもう書き込むな、と言っただろう。
「本来ほとけである」などと言ってみたところで仕方がないんだよ。
お前は「野狐禅」ですらない「野狐禅見習い」のレベルだ。 >>732
あ?
何を言いたい?
何一人で壁打ちしてるんだよw
言いたい事があるならハッキリ言わんか? ガンガン書き込んでやらぁw
どんどん突っ込み入れてやらぁなw
んで、その「個」とはなんぞや?
まだ返事聞いてねーなぁ? >>733
>言いたい事があるならハッキリ言わんか?
お前の禅の理解は野狐禅のレベルにも達していないということだ。 >>734
>んで、その「個」とはなんぞや?
その答えはとっくに書いてあるよ。
小学生レベルの国語力しかないのか? >>735
ほー、禅を理解ねーwww
お前は禅の何を理解したんだい?
一文字で示してくれないかwww 禅云々ってことは、あんた禅宗かい?
なら挨拶代わりだ。
あんたの隻手を見せてくれ。 >>737
>お前は禅の何を理解したんだい?
それだよ。その言い方が「野狐禅見習い」のレベルだということだ。
禅を学び始めたばかりの青二才たちの好きな表現だ。
>>738
今日の私の君に対するレスをよ〜く読み直してごらん。
ちゃ〜んと書いてあるから。
>>739
よし、今、「念」で送ってやったぞ。
お前に受け取れる能力があれば分かったはずだ。 >>741
悠久に響く鈴じゃな。
もう寝るので、以下を最後の書き込みにする。 オヤスミなのじゃ。
大乗経典によって悟ったり救われたりした人が原始経典を読んだ場合、
原始経典の教えは大乗経典に含まれているとわかるものだが、その逆は
起こらない。原始経典によって悟りを得た人は大乗経典を読んでも理解
できないのだ。南伝仏教の人達にとって大乗経典はチンプンカンプンで
あることが多い。
これによっても、大乗経典と原始経典の思想としての包含関係や深浅の
関係がわかると言える。
釈尊の教えは言葉そのものではなかったことが理解できるようになれば、
原始経典も大乗経典も本質は同じであることがわかるようになるのだが、
それは宗教体験があって初めて可能になる。宗教体験がなく言葉だけで
仏教を考えている間は、両者が別の教えであるように思えてしまうのだ。 いやはや、鈴振りも知らんとはwww
ま、本当に何があったかどうかは、こうした突っ込みを入れると直ぐに分かっちまうもんだ。
偽物は瞬殺されちまうからな。
此奴は騙りだったな。
宗教体験もただの妄想。
以上w てか、こいつデパスマンじゃねーかwww
↓
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンだ! なんか、悟りはスレになってきたw
>>695
>宗教体験は要らない♪
>宗教体験が必要あるだのないだの、そんなのは戯論だろうね。
>↑の結果に導かれるから♪ w
たしかにそうなのですが、無求ですから。
一方で学知学解で、禅が得られように聞こえたり、見性もしたことがないものが悟りの話をしてみたがる。
真実から遠ざかる。と、いっておりました。
悟り終わって悟り無し。悟りはいらない。
結局、自分が納得しないから、修行し、経典をよむのですから。
なれば、仏教そのものが、いらないとなります。
体験だ、知識だ、も必要なくなります。 745.
体験、知識を持って、所有して、生まれて来たのではない。
仏教を求めて生まれて来たのではない。
よってして、バカ志向が発生することになる。
それが楽であるからである。寂滅為楽。 ,,,,,..ー彡彡ミミ))))ミノ、、、、
彡彡///ミミミ)))))))ノノ)))ヽ
//////ゞゞヾノノノノ//ノヾヽ
////////////゙ヾ、ノノノノ"~///ミミミミミミ
r//////////// ミミミヾ)))))
ノノノ///////// ミヾ)))))))))
ノノノノ////////,, _、 ミ)))))))))ノ
((////////// `ヽ i ; ,/ ヾノノノノノノ
ノノノ.((((/////ノ.;; __ \ ,, ,; ./ __ ノノ((((((ノヾ
ノノノ///////ノノ´、●ヽ, /●`ゝ ((ヾヾヾヾ).
((((((((((///.  ̄ ` .i |  ̄ |ヾヾミミヽ
((((((((((/ r.| .,,./ ;⌒`、 .|^/))))))))
((((((((((.\_| / ( ._ )\ |/)))))))))
((((ヾヾヾヾ .l .f ,,,-===.v===-、ヽ .iノノノノノノノ
λヾヾヾヾヾヽ l.`、.LlLlLlLlLl 7´.l ./ノノノノノノノ 違うだろっ! 違うだろっっ!!
((ノノノノノノノノ.ヽ ゝ ゝ 二二二ノ ./ ./ノノノノ
λヾヾヾ| ヽ\ /./ノノノノ
\\.| ヽ.ヽ、 ノ/ \
/ ヾヽ \```ー.´´/ \..
豊田ジャンキー真由子様 、「私より頭の良い人間がこの中にいるの?」
68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。
華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
一念三千の世界をリアルで体感して来いや?
何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ?
https://www.youtube.com/watch?v=lJcyoGJ_tx8
豊田ジャンキー真由子様へ贈る歌 ジャンキーと。その相手のポンコツ問答おもしろかったw
「無位の真人」で問答する時点で、空想だろw
出たり入ったりする、まででやるべきものだが。
俺様が最近、強化できえたもんだがw
これでも、まだ未完部分があるかもしれん、日常生活でガッチリキメて、やっとだろうし。
ジャンキーなど、空想説明問答の陳腐さに笑えたな。
なかなjかのいい漫才やった。 知識も体験も筏の喩えの筏。
大乗非仏説も筏の喩えの筏。 六根汚染がジャンキー様の基本、
根が汚染され放題なんで、
ジャンキー様の糞尿で汚染された手で握った松茸ではとても食えない。 クリティカル・ヒット食らいまくりのジャンキー様の弱犬の遠吠えが減ったなあ・・・・最近。 山崎弁栄は「大乗は非仏説だろう。それでも良い」と言う趣旨の事言ったらしいが
一切経読破して行も積んだ人で弟子には浄土宗から禅宗、日蓮宗、真言宗からキリスト教牧師までいた人だが >>755
ソースは山崎弁栄の伝記「日本の光」
昔読んだので前後は覚えてないが印象的だった 山崎弁栄の場合浄土宗とか仏教の枠組み越えて宗教そのものの本質に迫る所があるからね
それは一切経を読破して行を積んで宗教体験を経た人ならではだろうけど。
若松英輔が山崎弁栄とやはり宗教の枠組み越えて本質に迫ろうとした井筒俊彦が共振すると述べてるが 山崎弁栄の言葉を紹介しているサイトは色々あって、ちょっと検索すると
こんなのが出てきました。
「飲んで効く薬ならば何でもよい。自分も大乗非仏説と思う。」
またこんなのも。
「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。名に迷ふて
真理を失うなかれ。若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。
又大乗非仏説の如きは今の所論にあらず。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)
山崎弁栄がどんな人物であったかはこちらが参考になるかも。
一般財団法人 山崎弁栄記念館
http://www.yamazakibennei-museum.com/
宗教法人 光明園
http://www.koumyoen.or.jp/principle.html 山崎弁栄の言うところの「大乗非仏説」は、
「大乗仏教は歴史上の人物である釈迦の言葉ではない」という意味であって
「大乗仏教は仏教に非ず」という意味ではないことは山崎自身の信仰からして
明らかだが、このスレには両者の区別をつけずに語る人がいるから
とりあえず指摘だけはしておこうか。 誤解受ける書き方したかな?
山崎弁栄の思想はカトリックのクザヌスや正教のへシカズム、多分イスラムスーフィズムとも比較され得る思想だからね
勿論僧侶である自分の祖父の師匠が山崎弁栄の高弟だったから当然仏教、念仏を徹底するところから来た普遍思想なのは知ってる 流し読みだけど。
453頁か433頁あたりのことを
>「大乗は非仏説だろう。それでも良い」
と読んだのけ?
もtっとはっきりした記述あんかな。速読のやつよろ そもそも、原始経典が本当の仏説だと思うことが妄想なのじゃ。
原始経典は基本的に初心者向けの教えであって、奥深い教えは含まれていないのじゃ。
数学者が小学生に算数を教えた時に、小学生達がノートに書き留めたことはその数学者が
言ったことであることは確かであるが、それがその数学者の数学理解だと思うお馬鹿さん
はいないじゃろう。
原始経典が仏説だと思うのは、そのお馬鹿さんと同じ間違いをしているのじゃ。 基本というのは、それを発見した人たちいるのであって、そこまでの道のりは、手探りもの、偶然のものもあったでしょう。
長い時間かけて、出来上がったものが、基礎でしょ。それをわかりやすくまとめたもの。
はやいはなし、基礎やると、憶えるのが速い。また、独自にやるよりは、師について、学んだほうが速い。
ということだと思います。釈迦は本当に自分だけの思考と修行で、法を唱えたのか。それなりに土台はあったのでしょ。
確かに、疑問は彼のものだし、また、他の人も、考えていたかもしれない。
なんか、OWP0i303さんと同じこと言っているなぁw ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
パーリ経典の大部分も釈迦の死後数百年にわたり
編纂されたものであることが明らかになっているけど、それでも、とりあえず
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF
スッタニパータ 4〜5章がもっとも古い経典だったと考えられている
スッタニパータ 21
師は答えた
色即是空で
わが筏(苦集滅道)はすでに組まれて、よくつくられていたが
☆
仏の智慧の世界から観察して
激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着して
涅槃の世界に住んでいる
もはや筏(苦集滅道)の必要はない
それゆえに
最終的には無苦集滅道で
空即是色で
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
十牛図
九
…無の世界も超えて、童子は
仏の智慧の世界から観察して
空即是色で
菩提心を起こし以前の世界に戻ってきて
分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている
生きとし生けるものにも仏の智慧の光が現れますように m(_ _)m どれだけ釈迦の教えを理解していたかどうか分からん者によって、
翻訳された文章を、
読んでどうなるの?
話半分に解釈していくならいいけれど。
晃みたいなホッケ狂いにはならんから。 どこまで行っても主観しかありえないのだとおもいます。
境を離れた世界を垣間見たからと言っても、それを知るのはやはり主観。
根は正常であっても、その根すら、千差万別。
釈迦が言葉を吐いた瞬間、受け取り側の根によって、新たなものが生まれてくる。
なおさら、思考が混ざれば・・ 767.
どんな方法論を使用して理解するか、の問題である。
バカは方法論を持っていない。
それで何とかなる、と思っている。
坐禅などは方法論とならない。それは単なる身体の状態である。 たわいもないw
知らなきゃいいし、理解しなきゃいい。 無関心なものには、知りもしないし、理解もしない。
自分のことだから、関心があるんだろう。
関心持っても、実は無いって。たまらんなぁw >>767
井筒俊彦は宗教的真理追求には徹底的に主観的になる事が重要だと言うが
徹底的な主観の奥底にある主客未分の純粋経験というか井筒のいう「存在の0ポイント」体験を前提にしてるんだろうが >>767
井筒は言語の不可共訳性という言葉を使って様々に分節された言葉は共訳不能だという意味の事を言ってる 徹底した主観に成り切ればそこには主観も客観もないわな。
消えちまうw えっ!?
ジャンキー様は常に豊田真由子様を飼育していますやん。 ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である
実体をもって(単独で成立して)存在していると信じ込んでいたからです
(単独で成立してる我は)存在しないにも関わらず
(単独で成立してる我が)有ると思う虚妄の執著である☆遍計所執性
しかし
すべての事象は単独ではなく
色即是空で
原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは無常という理に自らの心を馴らしていかなければなりません
縁起してる世界の中で
仮設としての
地水火風空識に依存してる、色受想行識の仮和合☆依他起性
…無の世界も超えて、童子は
仏の智慧の世界から観察して
空即是色で
菩提心を起こし以前の世界に戻ってきて
分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている☆円成実性
生きとし生けるものにも仏の智慧の光が現れますように
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m >>771
主客未分という言葉を、わたしは客観と言っています。確かに、見るもの主観であり、見られるものは客観であります。
その主客未分なったとき、それを知るのもまた主観だと思います。
つまり、言葉の枠をさらなる枠で、はめなおすといいますか。
主客未分が「存在の0ポイント」かといいますと、早い話いつもそうなのです。
ただ、気づくのです。
すると主観の世界では、常に0ポイントにするにはどうすればいいのか?
余計なことは考えない。山は山ですので。一切法一心 一心一切法
かわらをかわらとなす。仏の家業なり。まぁ、衆生の家業でもあり。
>>772
不可共訳性 共訳不能 また、難し言葉をw
よく、話し合えば分かり合える。ということばがありますが。まぁ、むずかしいでしょうね。
だからこそ、毎回はなしあうのですから、それでも分かり合えない。でも、話すしかない。
個人と個人ですら、これなのですから、団体では、さぞかし難しいでしょう。
たしかに、共通認識というのもありますが、環境等でかわるでしょうね。
インド人はインド人の、中国人は中国人の、日本人は日本人の。
仏教の認識も、その根強い地域性によって、変化するのも当然だと思います。東洋と一口にいっても、なんですね。
主観での話wまちがっているかもしれません。
こういう話はわたしより、アナグサさんの方が得意でしょう。
わたしは、アナグサさんの語る井筒氏を興味持っていましたので、私の知ったことが、たまたま、重なっただけですので。 >徹底した主観に成り切ればそこには主観も客観もないわな。
>消えちまうw
いつもそんなこと考えてないさ。意識するから、分別するんじゃない? >>763
執着した宗教を正当化するのに、宗教患者は必死だ
そもそも哲学化するなという教えを哲学化したのが大乗
結局、ヒンドゥーと同じになってしまった
特に日本に変容似非仏教をもたらした原因の主犯は、日本の宗祖ではなく、
鳩摩羅什、嘉祥大師吉蔵、天台大師智、、中国での影響は大きい
人の思考は 何かにしがみつきやすい、
〇〇哲学、自分が支持する宗門の師、麻原カルト教祖への絶対視もそう
しがみついた精神的な見解、認識の立ち位置に執着,同化させるから、
その自己フィルターを通し異なるものに排他的、差別、敵対的にもなる
特に宗教患者はそれが顕著で、宗教戦争も起こる
不二、一如、一即多多即一からは智慧が生まれず道徳も成り立たない
ブッダの道徳の説法、慈悲の説法は一元論からは導いてない
善法と不善法、そして仏典の釈迦は、解脱、悟りに役立つ教えと、
そうでないもの、また利益となる教えと有害となる教えを分別していた
それは択法覚支、智慧によって、ものごとの正邪真偽を実際に判別していた
そうでないものがその中国仏教に該当していて、注意喚起していた経もある >>778
でも上座部は生天を目指し利益を祈る在家と解脱目指してる出家の二重構造やん
かなり迷信も入るし >>745
>なんか、悟りはスレになってきたw
申し訳ない。
そういうつもりではなかった。
大乗非仏説の意見交換が目的だったのだが、某法華経系教団の『宗教体験』というキーワードに対し、「このキーワードに無意味感を持たせないと大乗非仏説の意見交換が出来ないのか?」と思って、ちと自分を見失ったりしながら突っ走ってしまいました。(照れ笑
>一方で学知学解で、禅が得られように聞こえたり、見性もしたことがないものが悟りの話をしてみたがる。
真実から遠ざかる。と、いっておりました。
これはその通りだと思います。…と言いたいのですが、私自身は3割仏教、7割自己流の哲学的思想なので、『深く理解出来ます。』に留めます。
私の思想も自分を見失って『個』の世界観丸出しで『流動』の世界観を語ると同じ様になります。
今回の様に?(苦笑。
>悟り終わって悟り無し。悟りはいらない。
結局、自分が納得しないから、修行し、経典をよむのですから。
多分、そうなのでしょうね。
私は、自分の経験?自己の制御?や知恵が仏教経典に対し何処まで理解ができ何処まで共感でき何処まで融合出来るのか?が今のところのテーマです。
『悟り』とは一切関係ありません。
>なれば、仏教そのものが、いらないとなります。
>体験だ、知識だ、も必要なくなります。
これは、反省してます。
『個』の世界観でこの様に解釈してしまうと『個』の世界観から外れ『影』の虚無世界観に入るので、駄目でしたね。
〔仏教〕、〔体験〕、〔知識〕の『個』の世界観も、『流動』の世界観で解釈すると必要性は気にならなくなるんですけど…
忘れて下さい。
しかし、お釈迦様は凄いね。
私の思想は、今の所3段階しか区切れていませんが、仏教は『法』を設定した上で4段階、彼岸を含めると5段階位区切れている様に思います。
お釈迦様は人とは争わないとされている訳が分かりますわ。(苦笑
長文、失礼。
暫くは、仕事が忙しくなりますので又のご縁があればです。 「大乗非仏説論」は、かつて多くの浄土宗・浄土真宗のお寺で僧侶たちの信心の試金石に
なったと言われている。阿弥陀仏への信仰によって大安心(だいあんじん)を得ていた僧侶
たちは、親鸞聖人と同じように「如来と等しきひと」の自覚があったので何の動揺もなかった
のだが、信心が確立していなかった僧侶の中には「もっと正しい教えがあったのではないか?」
と考える者が現われ、中には宗旨替えをする僧侶もいたそうだ。
今でも、浄土宗・浄土真宗の僧侶でありながら信心が得られていない者の中には、上座部仏教の
修行を始める不心得者がいると聞く。宗教体験によって言葉を超えた安心(あんじん)が得られ
ない限り、死ぬまで言葉による表現の違いに振り回され続けることだろう。 ぶっw
擬似宗教体験という妄想から早く卒業しようなw
ぽったんみたいに脳が萎縮したら手遅れだぜw >>781
>暫くは、仕事が忙しくなりますので又のご縁があればです。
そのときは、支店長にも声をかけますw
まぁ、支店長はそういうのは、あまり興味ないと思いますが。
またの機会を・・ >>783
宗教体験のない者は<ひがみ>から他人の宗教体験を擬似宗教体験と呼びたがるが、
どんなに理屈を言ってみても、宗教体験がなければ宗教は解らないのです。
宗教が宗教体験に始まり宗教体験に終わるのは、古今東西普遍の真理なのです。
宗教体験のない者だけが「大乗非仏説論」に意味があるように思ってしまうのです。 >>785
はw
お前、無位の真人とか臨済宗ぽいこと言ってたけど、公案に瞬殺されたじゃんw
禅宗じゃそういうのは無眼子と言って、修行者以前の扱いなんだよwww
まぁ、本当に何を体験してれば、別に禅宗じゃなくとも初歩の公案はスラスラだけどね。
はい!
やり直し! >>785
鈍いんだよ。
数値化不可能な宗教体験を視座に置いて、大乗非仏説の意義を測るとかw
とどのつまり、俺の宗教体験が上だから俺の言う事の方が正しいという、数値化不可能な宗教体験のインフレーションの戯論の掛け合いに堕ちる愚に気づかないのかねー?
自分の宗教体験を俺にコケにされてどう思う?
馬鹿だの、野狐だの、ヒガミだの擁護に必死じゃないかw
まぁ、その程度なんだけどなw >>786 >>787
だめだめ。
キミの禅の理解は「野狐禅見習い」だということが
もうバレてしまったのだからね。
キミは隻手の公案についてどう答えられるのか書いてごらん。
(「野狐禅見習い」であることがはっきりするだろう。) >>786
また、ジャンキー様は臭い糞尿禅を撒き散らしてい狂っているなあ・・・・。
恥知らずがw ,,,,,..ー彡彡ミミ))))ミノ、、、、
彡彡///ミミミ)))))))ノノ)))ヽ
//////ゞゞヾノノノノ//ノヾヽ
////////////゙ヾ、ノノノノ"~///ミミミミミミ
r//////////// ミミミヾ)))))
ノノノ///////// ミヾ)))))))))
ノノノノ////////,, _、 ミ)))))))))ノ
((////////// `ヽ i ; ,/ ヾノノノノノノ
ノノノ.((((/////ノ.;; __ \ ,, ,; ./ __ ノノ((((((ノヾ
ノノノ///////ノノ´、●ヽ, /●`ゝ ((ヾヾヾヾ).
((((((((((///.  ̄ ` .i |  ̄ |ヾヾミミヽ
((((((((((/ r.| .,,./ ;⌒`、 .|^/))))))))
((((((((((.\_| / ( ._ )\ |/)))))))))
((((ヾヾヾヾ .l .f ,,,-===.v===-、ヽ .iノノノノノノノ
λヾヾヾヾヾヽ l.`、.LlLlLlLlLl 7´.l ./ノノノノノノノ 違うだろっ! 違うだろっっ!!
((ノノノノノノノノ.ヽ ゝ ゝ 二二二ノ ./ ./ノノノノ
λヾヾヾ| ヽ\ /./ノノノノ
\\.| ヽ.ヽ、 ノ/ \
/ ヾヽ \```ー.´´/ \..
豊田ジャンキー真由子様 、、「私より頭の良い人間がこの中にいるの?」
違うよ!違うよと教えてやったんだよね、あたしねえ!
それを何?
豊田真由子様に向かって、お前のやってることは違うというわけ?
あたしに?
あたしが違うって言ったら違うんだよ!
786神も仏も名無しさん2017/07/21(金) 08:14:48.13ID:tNn0Ok6T>>788>>789
>>785
はw
お前、無位の真人とか臨済宗ぽいこと言ってたけど、公案に瞬殺されたじゃんw
禅宗じゃそういうのは無眼子と言って、修行者以前の扱いなんだよwww
まぁ、本当に何を体験してれば、別に禅宗じゃなくとも初歩の公案はスラスラだけどね。
はい!
やり直し! ジャンキー様の体験は豊田真由子体験であろう・・・w
豊田ジャンキー真由子様 、、「私より頭の良い人間がこの中にいるの?」
違うよ!違うよと教えてやったんだよね、あたしねえ!
それを何?
豊田真由子様に向かって、お前のやってることは違うというわけ?
あたしに?
あたしが違うって言ったら違うんだよ! >>790(続き)
>>788
さぁ、今度はお前だよ、これで二度目だ。
「禅を理解する」とはなんぞや?
お前の禅の理解を見せてくれや? >>794
、、「私より頭の良い人間がこの中にいるの?」
違うよ!違うよと教えてやったんだよね、あたしねえ!
それを何?
豊田真由子様に向かって、お前のやってることは違うというわけ?
あたしに?
あたしが違うって言ったら違うんだよ! >>790
>隻手は隻手だろwww
馬鹿か?
公案は「片手の音を聞け」だ。
さあ、「野狐禅見習い」のジャンキーの答えは何だ?
その音を示してみろ。
>>794
>「禅を理解する」とはなんぞや?
禅は理解するものではないとでも言いたいのか? 馬鹿者が。
前にも言っただろう。それは禅を学び始めた青二才の常套句なんだよ。
(お前はまだ禅学び始めてさえいないようだがな) しかしまぁw
すでに答えは示してあるとか、まるででおーの口振りそのものなんだがwww
婆説してやらぁw
すでに答えは示してあるとか、示したそのまま、ありのままが仏教だの禅だの無字だのとでも言いたいんだろう?
そりゃ、馬鹿ありのままだわなw
ありのままというそれはナンジャラホイ?
www 798はジャンキーの我丸出し=禅=隻手だそうである。ジャンキー我が突出させるのが重要。 くさあああああーーーーーいいいいいw
猛烈な臭さ・・・・・・・・・・・・・w (_):___::|_
(_)〔座〕(_)この紋所が目に入らないアルか!
(_)〔禅〕 :::| ∧∧
( )::: ̄ ̄::|ヽ : ∧_∧ /瞋\ ∧_∧
 ̄ ̄(  ̄`\\<`∀´; > (`ハ´ #) (@∀@ ∩
) ヽ 貪 ) (~__((__~) (つ癡 丿
● //( ( /__ \ ( ヽノ
巛 <_) <__)(_) (_) し(_)
25ジャンキー大山2017/07/02(日) 12:55:00.90ID:DsWF7uhH>>26
暑いなぁwww
坐禅だろ。
戦闘力判定、貪・瞋・癡(信長の野望の武将才能数値風w)
ぼったん、三毒力、むさぼり、貪、100
愚かさ、癡、100
怒り、瞋、80
ジャンキー大山、三毒力、むさぼり、貪、80
愚かさ、癡、100
怒り、瞋、100 (豊田真由子議員レベル) ジャンキーは恥ずかしい自分の姿を直視する重要性を忘れているなあ・・・。 ぼったんクラスの攻撃時マックス時代を思い出してきたぜw >>796
俺はジャンキーなどと書いてないぞw
しかしまぁ、でおーと登場時間が重なるとか今更言わんがw
まぁ、公案の事はこれ以上は知らさんからなw んで、お前の返事まだぁ〜www.
禅を理解するとはなんぞや?
これ公案よ?
ほれ、ほれ!
どーしたwなんも出んのか〜? おい⁈
✋✋✋✋✋✋
✋✋✋✋✋✋
✋✋✋✋✋✋
聴こえねーのか? お前のガラクタは掌の絵文字も写らんのかw
おいw
どーしたw
ほれwほれw >>808
>禅を理解するとはなんぞや?
すでにこれまでのレスで答えている。
読解力がないのか?
>>790 >>799 >>810
お前の師匠は「隻手の音声」の公案に対して、
「隻手は隻手だ」と答えたら通してくれたのか?
「隻手になり切りました」と答えたら通してくれたのか?
そんなボンクラ師匠に就いていたら100年修行しても
何の宗教体験も出て来ないぞ。
悪いが、ジャンキーという男はもう相手にする気がなくなった。
「野狐禅見習い」と話をしても意味はないからのう。 >>813
宗教体験の結果が、偏見、差別、暴言、怒り、憶測、決め付けで語り、
強迫的な思考でオウムカルトのように宗教体験と繰り返し、
宗教やって こんな人に成りたくないと某スレで皆から叩かれ、
私の宗教体験という物語を心に抱き自我強化し、自己特別視、
ボクの宗教絶対視、スレタイのような人になってなければいいけど
こんだけ指摘されても、自分マンセーって人格障害の疑い濃厚では >>813
鈴w(いや、棒喝だわ、この馬鹿もんw)
お前なぁwwww
参禅さえした事ないくせに、公案云々とかぽったんと同じナンチャッテ禅公案マニアだなwwww
隻手の公案⁉︎!
んなもん老師に隻手見せりゃ終わるだろがw
ネットじゃできねーから✋の絵文字見せたんだろうがwww(鈍いんだよw)
・・・てか、言ってみたところで分からないか。
何故それが隻手かさえも。
まぁ、それは仕方ないだろうな。
ともあれ、宗教体験とかそんな糞掻き箆を担いでるのはダメだよ。そんな糞掻き箆に染み付いた糞尿みたい妄想は捨てないとね。
出直して来なさい! >>813
>すでにこれまでのレスで答えている。
>読解力がないのか?
ふーん。ならダメだな。
何にかすってもないなぁ。 >>813
>そんなボンクラ師匠に就いていたら100年
>修行しても何の宗教体験も出て来ないぞ。
ありがとなw
そんな宗教体験は出来る様な怪しい老師なんざにゃ、金を出されても付きたくないわw >>813
>悪いが、ジャンキーという男はもう相手に
>する気がなくなった。
>「野狐禅見習い」と話をしても意味はない
>からのう。
また瞬殺されたなw デパスマンをいじめるな!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいんだぞ! >>781
>〔仏教〕、〔体験〕、〔知識〕の『個』の世界観も、『流動』の世界観で解釈すると必要性は気にならなくなるんですけど…
縮めれば、無常を理解すれば、我の必要性は気にならないと?
確かにそうでしょうね。私がそう思っているだけですから。
でも、山は山です。 その辺が、修証なのでしょう。
無明もなく、無明も尽くること無し >>814
2号クンは私に叱られたことをずっと根に持っているようだが、それは何度も書いたように
君が間違ったことをしたからなのだよ。
君は自分の神経症が治っていないにも関わらず、治ったとウソをついて神経症で悩んでいる
人たちにデタラメな仏教理解を教えようとしていたから、私は君を諌めたのです。
君はまともに仏教を勉強したことがなく、仏教入門書やネットの知恵袋で仕入れたデタラメな
知識しか持っていなかったので、初期の書き込みでは大乗仏教はインドではなく中国で起こった
などと馬鹿なことを書いていたね。(その愚かな書き込みはネットにちゃんと残っている。)
何度も言うように、君の仏教理解が正しければ、君の神経症は治っているはずなのです。
ところが仏教理解がデタラメだったから今も神経症が治らず、仏教とは別にスピリチュアル系の
指導者を探し求めてさまよわざるを得ないのです。
「大乗非仏説論」に何か意味があると勘違いをして、大乗仏教は本当の仏教ではないなどという
浅はかな仏教観を持ち続けて行くなら、君の神経症は死ぬまで治ることはないでしょう。 >>822
過去の書き込みの読解力ないし、数年、貴方とやり取りしたけど、
あなた こだわり強い性質だし814と合わせて、アスペルガーでないかな
気づかないで大人になっている人、多いらしいよ
インド仏教にない無情のあり方を目指す中国産のことかい、すでに仏は中国産
利己的な性質はそのまま、煩悩あるがままで、毎年曹洞宗の僧侶に犯罪者が
生まれているという事実 宗門の教えを鵜呑み束縛された自我のままね
仏を確認する禅、そのものになる行だけで、慧の修習がないからね
無我夢中で傷害、スカート内盗撮、窃盗、ストーカー、君の好きな宗門らしい行為 >>814=>>823
2号クン、君は基礎から仏教を勉強し直しなさい。 仏教の誕生と大乗仏教の成立、派生、日本への伝播と展開については
高校の世界史や日本史レベルで学ぶこと。
さらに倫理を加えると「学問としての宗教研究」と「信仰としての宗教を学ぶこと」
の違いくらいは知ることになると思うのだが、
>>825で紹介されているサイトを見た限り、信仰という立場を理解せずに
「僕の知り得た学説」を開陳しているだけのように思える。
それならな学者が名前を出して解説しているサイトを読んだ方がずっと為になる。
例えばこちらとか
東京大学仏教青年会 > 青少年のための仏教入門 仏教へのいざない
http://todaibussei.or.jp/izanai/izanai_index.html また学説は新しい事実が発見されたり、より説得力のある学説が出てくれば、
それまで定説とされていたものでも改められる。
例えば「非我」「無我」説や「縁起説」など、現在なお議論が続けられているように。
そしてこのスレで「大乗非仏説」を語る人は、「本物の仏教」「それ以外の偽物」
というように二項対立を煽るけれども、結局のところ「本物の仏教」とは何か
については答えてくれないんだよな。
上でも「縁起」は釈迦の教えかについて話題になった際には逃げ出しちゃったし。 そりゃそうだよw
2号はただの(大乗非仏説)依存性だからwww
核心の部分について議論したら大乗非仏説の矛盾がバカスカ出てくるわけで、そんな事になったら此処での議論が終わっちまうからね。
そんな事になったら二号は依存するものが無くなっちまうから、それだけは絶対に避けたいのさw 答えたら素性がバレちまうから、スルーしたり先に答えたとか言って誤魔化す奴っているだろ。
ぽったんの様な騙りを見りゃ分かるじゃんw
人には聞いても自分は答えない(答えられない)。
二号もぽったんも実は狡猾だよ。
(その点体験くんは純情だな。)
彼らは実は仏教なんてどうでもいいんだから。 求道者としての書き込みが感じられない奴を相手に議論をしてもストレスがたまるだろ?www
んな奴らは、逆にストレス解消の捌け口にしちまえばいいんだよwww >>827
整理しようか
まず非仏説は、仏教学会の主流を占めている事実がある
で、その学者先生たちが、古層仏典が根本で仏説だと主張する
端から端まで分析研究した結果、富永の加上説が合っていたと主張する
で、その古層仏典には、外道を示している箇所がある
それが大乗経にもあり、また中国で変質した仏教にもある
「非我無我」「縁起」も別々の、それぞれが全く関係ないものではない
本筋の教えがあり、それらは関連したもの >>831
まず整理しようか
大乗仏教経典が歴史上の人物である釈迦が実際に説いた言葉ではないことは
歴史学上、文献学上において誰も否定する人はいない。
それに対して大乗仏教が仏教ではないとする場合、仏教の定義をはっきりさせる
必要が生じる。
袴谷憲昭氏の『本覚思想批判』や松本史朗氏の『如来蔵思想批判』がそれに
あたります。
>>831さんにとって「本物の仏教」とは何ですか?
中村元の学説であっても異論や批判が出てきていることは、ちょっと仏教学を
囓ったことがある人ならば普通に知っていることなんだけどね。
>>831さんは「縁起」説は釈迦の教えだと思われますか、それとも後世の付加だと
思われますか、どちらでしょうか?
出来ることならばその根拠もお教えいただけると幸いです。 >>828-829
登場人物を混同している
ここに来るのは、大乗依存症の宗教患者しかいない
禅に被れた人に、やめろとも言ってない、すべてが紛い物とも言ってない
私は大乗を全否定している者でもない、また上座部でもない
洗脳束縛された人に、指摘しているだけ >>825
そのサイトに書かれていることは、仏教の修行をしたことのない馬鹿者のたわ言と言って
よいものですね。。
宗教体験のない者が仏教について語ると、そのようなナンセンスな内容になってしまうのです。
そのようなものを読んで信じてしまう人も、修行をしたことのない知性の低い人だけでしょう。
>当時の中国人にとって高級だとされた思想は老子の「無」でした。老子の「無」を借りて仏教の
>「空」の概念を暫時の方便として説きました。般若経や般若心経にある「空」を老子の思想に
>置き換えました。仏教の老子化です。
↑
このような自分勝手な妄想を土台にして議論を進めているのですから、反証も何もありません。
韮澤さんのUFO理論と同じレベルの妄想理論です。
ヨーロッパの仏教学者の中にもクリスマス・ハンフリーで代表されるような悟りを知らない
仏教学者がいて似たようなことを書いていますが、まともな仏教者から相手にされることはなく、
インド人のオショー(ラジニーシ)までが「クリスマス・ハンフリーのような馬鹿者(fool)が
ヨーロッパでデタラメな仏教を解説してる」と言っていたのです。
何の宗教体験もない者が頭だけで考えると、禅と浄土真宗は全く別の宗教だと思うことでしょう。
しかし、禅の鈴木大拙博士が晩年に 「浄土真宗は大乗仏教の極致である」 と言われたように、
宗教体験があれば言葉の表現の奥にある真実諦を見抜くことができるようになるので、表現の
違いに惑わされることはなくなるのです。
>>827
>結局のところ「本物の仏教」とは何か については答えてくれないんだよな。
そのような根本的なことが言葉で説明できるのなら、昔から命懸けで修行して悟りを得て来た
人達がバカみたいでしょう。その為に修行があるのです。
言葉による表現というのは、立体の投影図のようなものに過ぎません。投影する角度によって
さまざまな投影図が得られます。宗教体験がなくて仏教を議論する人達は三次元を観ることが
出来ず、二次元の投影図だけを掻き集めて「ああではない、こうではない」と言っているのに
過ぎないのです。 >>833
了解しました。私の間違いであったようです。
しかしながら「大乗非仏説」については、
1.大乗仏教経典は歴史上の人物である釈迦の言葉ではない
2.大乗仏教は仏教ではない
上の二つをはっきりと区別して語る必要があると思います。
1については高校の世界史レベルであり、現在において大乗仏教を信仰する人に
とっても、そこから大乗仏教経典をどのように受け止めるかという信仰の立場が
求められる話だと思うのです。
それ故に「大乗非仏説」が仏教学会の主流と言われても困惑してしまう訳です。
単純に高校の世界レベルの知識がない人なのか、信仰の立場を理解していない
人なのか、上座部マンセーでそれ以外を否定したいだけなのか等々・・・ >>832
古層仏典に、外道を示している箇所があります
その外道を袴谷、松本氏が指摘しているわけでしょ
縁起は、最古層にもその元となるものがあり、後に体系化されても
関連したものです
インド仏教にない山川草木悉有仏性と実体視、無情仏性(自然界のモノ)が
煩悩なく優れていると、土着思想に飲み込まれ、ウパニシャッド、ヴェーダーンタと
同じになってしまった、本来の仏教から変質しましたよね 肝心な慧の修習もない
「中国僧侶の手にかかると、まったく無関係な理論の組み立てに応用される
のだから空恐ろしい」とまで学者は批判しています >>836
袴谷氏や松本氏に対する異論や批判もいろいろあるのだけどね。
学問としてならそれらの議論を知ることも楽しいが、信仰という立場だと
「自分には関係ない話だな」くらいの感想しか持てない。
松本氏の著作『禅思想の批判的研究』に対する禅宗史学者・石井修道氏
による書評は大変興味深く読めた。あくまでも学問として。
書評 松本史朗著『禅思想の批判的研究』
石井 修道(著)
駒澤大学佛教学部論集 25, 273-312, 1994-10
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005489506 仏教修行の基本は「信・行・学」です。
信ずる、行ずる、学ぶ
その中でも、最も大切なのは「信」です。(以信代慧)
仏の智慧(悟り)は、甚深して無量無辺です。
等覚の菩薩でさえ仏の智慧には遠く及ばない。仏と仏のみが理解できる悟りなのです。
ましてや、我ら凡夫が仏教の解説書を多少読んだところで、分かろう筈も無い。
自身の全人格をかけて仏の教えを信じ、経文どおりに実践する以外に、悟りの道は開けないのです。
「りんごは食べて見なければ分からない。」実に分かりやすい例えです。
りんごの味を食べて実感する事を「悟り」とすれば、りんごの味を解説した研究論文は「方便」と言えるのではないでしょうか。
ところが、釈迦の教えでは、観心の「りんご」を秘し隠しているのです。(随他意、爾前経)
ゆえに、弟子らは、観念観法によってその実態を理解する以外に無かったのです。ただし、禅宗のごとく座して瞑想にふけるというよりも、常に師(釈尊)と共に居て教えを聞き、時には人のために法を説きながら、
教えのつじつまや、整合性を理解し、師弟共に修行する中で、師(釈尊)の振る舞いの中に仏の実像を見ることによって、その奥に秘された仏の智慧を僅かに悟ることが出来たのでしょう。
理屈で考えれば、りんごを食べたことの無いものは、いかにその解説書を何万冊も学んだとしても、その味を永久に理解できません。
ところが、釈迦滅後、正法時代、弟子によって説かれた教えは、小乗教、権大乗教であり、その教えを聞いて得脱する弟子も多く居たのです。 りんごを食べた事もない者が、どうして法華経以外の教えで得脱できたのか?
このりんごの実体は実に法華経に於いて、初めてその片鱗を説きあらわします。(随自意、法華経)
仏はその教え(如来寿量品)の中で、久遠実成の仏の姿を説きます。すなわち、「お前たち(弟子)は私(釈尊)が今世に於いて、修行を重ねて初めて成仏した(始成正覚)と思っている。
しかし、そうではない。私(釈尊)は久遠の昔より、多くの仏に仕えて成仏した(久遠実成 応仏昇進の仏)のである。
しかも、常にこの娑婆世界にあって法を説いてきた。過去遠々劫よりお前たち(弟子)を教化し続けてきたのだ。」と。(趣意)
つまり、釈尊と結縁のある弟子らは、遠い過去世に於いて、すでに釈尊に教えを受け(下種)され熟益(修行)を得て、再び師と共に在世に生まれ合わせ、仏の教えを聞いて得脱(脱益(だっちゃく))するのです。
つまり、りんごは遠い昔に食べたことがある(本已有善)。
ところが過去世の謗法によって亡失してしまった。弟子は釈尊の教えを受け(種々の因縁、種々の方便によって)「それを思い出したのです。」
だから、末法以前の仏弟子に於いては、観念観法でも意味があったのです。(この流れを分かりやすく説明したのが、寿量品に説かれる「良医の喩え」です。)
結論から言えば、妙法蓮華経如来寿量品の文底に秘された「りんご」とは「南無妙法蓮華経」の事なのです。
この事は、竜樹、天神、天台、伝教も内証では分かっていましたが、釈尊はむやみに「南無妙法蓮華経」と説いてはならんと戒められていましたし、
また「時」と「法を説く資格」が無かったので、広まる事はありませんでした。(末法に於いて「南無妙法蓮華経」を広宣流布する資格を持つものは「地涌の菩薩」に限られていたからです。)
これが法華経が最上第一と言われるゆえんなのです。 話は変わりますが、日蓮大聖人の仏法に於いては、末法に於いては(釈迦の)法華経も余経(爾前経)もまったく衆生を救う力を失っており、
ただ、「南無妙法蓮華経」のみが末法「本未有善の衆生」を救うことが出来ると説きます。その理由は以下の通り。
本未有善の衆生とは、過去世に釈迦の説法を受けたことの無い(つまり下種されていない)衆生のことを言います。
ゆえに、「釈迦とは縁の無い衆生」が末法の衆生なのです。
なので、りんごを食べた経験ない衆生に、いかに釈迦仏法を説いても、意味が無いのです。永遠に分からないのです。
では、どうやって末法の衆生を仏にするのか?
「りんご」を直接食べさせるのです。すなわち、「南無妙法蓮華経」を直に説いて聞かせるのです。それが末法の折伏というのです。
ところが、末法の折伏はそう簡単ではない。
なんたって、釈迦在世の弟子とは比べ物にならないくらい、末法の衆生は心が穢れ捻じ曲がっている。
なかなか正法を素直に聞けない。仏法によらずとも普通に道理で考えてもわかりそうな事でさえも、素直に理解することが出来ないのです。
しかし、この事は、今初めて驚くべき事ではありません。すでに2500年も昔に法華経の教えの中に、末法に法華経(南無妙法蓮華経)を説くことが如何に至難であるか、六難九易の喩えで予言されています。
しかも、その教えが正しいならば、その説く者に三類の強敵が必ず競って来るであろうと予言されております。
その予言どおりに「南無妙法蓮華経」を説き、難に遭いながら法を広められたのは、日蓮大聖人ただ御一人であり、現代に於いては「創価学会」以外にありません。
さらに、法華経には「それにもめげず、三類の強敵を打ち破って死身弘法の戦いを進めるならば、必ず諸天が加護する」と説かれています。
諸天善神とは、法華経を広宣流布する行者を守護する働きです。今日、生命尊厳の大哲学として日蓮仏法は世界の人権学者、平和哲学者、宗教学者に注目され、尊重されています。
まさに、諸天善神が日蓮仏法の正しさを証明していると言えるでしょう。 デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ! >>834
禅と浄土真宗、どっちもウパニシャッド哲学で共通している
真宗の表現では、それが仏凡一体
オショー(ラジニーシ)はヒンドゥー系、後世仏教のバイアスがある
そしてこいつは、海外ではカルト教まがいな罪を犯している、ググれ
鈴木大拙は、世界の学者がインド仏教でない独自の大拙乗、ヒンドゥ化と批判
プロト仏教は、宇宙根源真実在と一体という宗教体験を否定している
貴方の真実諦なんて知れてるし目新しいこともない、そこに没入執着しているわけね
なんちゃって宗教体験なる幻覚で、先にある哲学に合わせ意識誘導解釈したわけ
けどそれがそれほど有害になるものでないから、あまり批判はないの
ヒンドゥー化しただけなのに、釈迦仏教を貶めてるのが、おかしな話なわけ デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ!
デパスマンあたまいいなー >>838->>840
前半は正しいことを書かれていますが、後半は法華経至上主義になっていますね。
(日蓮至上主義かな?)
しかし、あなたがさらに奥の「言葉を超えた世界」に入れば、真理の表現の仕方は
幾通りもあるのだということが解るでしょう。
そうすれば、法華経至上主義・日蓮至上主義からも自由になれますよ。
禅でも理解が浅い人は浄土や法華が理解できませんが、晩年の鈴木大拙博士のように
境地が深まれば、禅も浄土も法華も同じ源から出ていることが解るようになるのです。
禅で有名になった大拙博士も晩年は浄土真宗の話をすることが多かったと身近に居た
お弟子さんが言っていることが「真実の仏教」というものを示唆していると言えるで
しょう。 >>836 >>842
2号クンは何の為に下らない書き込みを続けているんだい?
その君のデタラメ仏教は君の大問題である神経症を全然解決してくれないんだろ?
そんなものにしがみついている意味があるのかい?
君は立体を見ることが出来ず投影図しか見ることが出来ないので、同じ物を別の物
だと思っているだけなんだよ。
宗教体験のある仏教学者が書いた本物の仏教書を最初に読んでいれば、君も少しは
マシになっていたのだろうが、宗教体験のないエセ仏教学者の本を最初に読んで信じ
てしまった為に現在のように狂ってしまったんだね。 ,,,,,..ー彡彡ミミ))))ミノ、、、、
彡彡///ミミミ)))))))ノノ)))ヽ
//////ゞゞヾノノノノ//ノヾヽ
////////////゙ヾ、ノノノノ"~///ミミミミミミ
r//////////// ミミミヾ)))))
ノノノ///////// ミヾ)))))))))
ノノノノ////////,, _、 ミ)))))))))ノ
((////////// `ヽ i ; ,/ ヾノノノノノノ
ノノノ.((((/////ノ.;; __ \ ,, ,; ./ __ ノノ((((((ノヾ
ノノノ///////ノノ´、●ヽ, /●`ゝ ((ヾヾヾヾ).
((((((((((///.  ̄ ` .i |  ̄ |ヾヾミミヽ
((((((((((/ r.| .,,./ ;⌒`、 .|^/))))))))
((((((((((.\_| / ( ._ )\ |/)))))))))
((((ヾヾヾヾ .l .f ,,,-===.v===-、ヽ .iノノノノノノノ
λヾヾヾヾヾヽ l.`、.LlLlLlLlLl 7´.l ./ノノノノノノノ 違うだろっ! 違うだろっっ!!
((ノノノノノノノノ.ヽ ゝ ゝ 二二二ノ ./ ./ノノノノ
λヾヾヾ| ヽ\ /./ノノノノ
\\.| ヽ.ヽ、 ノ/ \
/ ヾヽ \```ー.´´/ \..
豊田ジャンキー真由子様 、、「私より頭の良い人間がこの中にいるの?」
それを何? 豊田真由子様に向かって、お前のやってることは違うというわけ? あたしに? あたしが違うって言ったら違うんだよ!
815神も仏も名無しさん2017/07/21(金) 23:38:16.76ID:tNn0Ok6T
>>813
鈴w(いや、棒喝だわ、この馬鹿もんw) お前なぁwwww
参禅さえした事ないくせに、公案云々とかぽったんと同じナンチャッテ禅公案マニアだなwwww
隻手の公案⁉︎! んなもん老師に隻手見せりゃ終わるだろがw
ネットじゃできねーから✋の絵文字見せたんだろうがwww(鈍いんだよw)
・・・てか、言ってみたところで分からないか。 何故それが隻手かさえも。 まぁ、それは仕方ないだろうな。
ともあれ、宗教体験とかそんな糞掻き箆を担いでるのはダメだよ。そんな糞掻き箆に染み付いた糞尿みたい妄想は捨てないとね。 出直して来なさい! 今日もサルくさあーーーい禅問答をするんだろうなあw デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ! >>840
釈迦在世時代はインドは戦乱の世で釈迦一族は殲滅されてる
末法とか言うが今の日本の方が余程平和で幸せ
釈迦在世時はアジャセックス >>840
日蓮宗の人間が学会のような外道が日蓮名乗るのは迷惑だと言ってたぞ >>820と>>821は同じ
I.D.なのでまとめて返事し立ち去ります。
し‐ねんじょ【四念処】
仏語。三十七道品 (ほん) の最初の修行法。身を不浄とする身念処、感受するものすべて苦とする受念処、心は無常とする心念処、法は無我であるとする法念処の四つをいう。 ←らしいです。
『一段階目 : 身念処』『二段階目 : 受念処』『三段階目 : 心念処』『四段階目 : 法念』
一段階目と二段階目が『個の世界観』三段階目が『流動の世界観』に似ています。勿論、『不浄』や『感受』と表面上の言葉は違いますが解釈があれば他に置き換えが可能という意味で似ています。
さて、もし貴方の心の状態が三段階目であり『我』がテーマなら、「無我を理解すれば、我の必要性は気にならないと? 」あたかも、四段階目に対して投げ掛けるような表現となり、
又『無常』がテーマなら、「無常を理解すれば、恒常の必要性は気になりませんね。」で書き込みは終わっていたと思います。
ですが三段階目や四段階目の知識が豊富なあまり、頭の整理がつかないまま混乱して『無常を理解すれば、我の必要性は気にならないと? 』と書き込んでしまったように思えます。
三段階目の心の状態なら想像つかないのですが…
もし貴方の心の状態が二段階目なら『でも』としながらも『山は山です。』と固定するかのような表現をしてしまった事に理解出来ます。
そしてその心の状態が二段階目と思われる貴方が三段階目(無常)や四段階目(無我)を語り又は、『無明もなく、無明も尽くること無し。』と書き込むなら…
私も『一方で学知学解で、禅が得られように聞こえたり、見性もしたことがないものが悟りの話をしてみたがる。
真実から遠ざかる。と、いっておりました。 』を貴方にお返しします。
大乗非仏説と大乗非釈迦説と分けた上で、金剛般若経、維摩経、華厳経や法華経のこの品は仏説として成り立っているのではないか?とか非仏ではないか?の意見交換がしたかったのですが…
容認と否定ではなく、否定と否定の羅列になっているように感じられるので、このスレは諦める事にしました。
では、さいなら。 >>852
解説どうもありがとございます。
でも、ずいぶんと切り上げるのが速いように存じます。
『無明もなく、無明も尽くること無し。』
たぶん、あなたの解釈と私の解釈が、違うようにおもいます。
私は道元側の禅的解釈をしております。
修証一等を念頭にいれ、書き込んでいます。その解釈も未熟な者であり、みなさんと話ができればという思いで、書き込んでいる次第です。
無明もなく、これを主客未分とし 無明も尽くること無し、主観と解釈しております。
また、全体像をこのようにみています。
主客未分という言葉を、わたしは客観と言っています。確かに、見るもの主観であり、見られるものは客観であります。
その主客未分なったとき、それを知るのもまた主観だと思います。
つまり、言葉の枠をさらなる枠で、はめなおすといいますか。
主客未分が「存在の0ポイント」かといいますと、早い話いつもそうなのです。
ただ、気づくのです。
すると主観の世界では、常に0ポイントにするにはどうすればいいのか?
余計なことは考えない。山は山ですので。一切法一心 一心一切法
>大乗非仏説と大乗非釈迦説と分けた上で、金剛般若経、維摩経、華厳経や法華経のこの品は仏説として成り立っているのではないか?とか非仏ではないか?の意見交換がしたかったのですが…
きがつきませんでした。ごめんなさい。
私はこのように考えています。
どこまで行っても主観しかありえないのだとおもいます。
境を離れた世界を垣間見たからと言っても、それを知るのはやはり主観。
根は正常であっても、その根すら、千差万別。
釈迦が言葉を吐いた瞬間、受け取り側の根によって、新たなものが生まれてくる。
なおさら、思考が混ざれば・・
歴史的には、パーピマンさんに沿います。
たぶん、あなたの意見とは、沿わないかもしれません。 >早い話いつもそうなのです。
これは、ちょっと突っ込まれそうですねw 大乗批判に際して、必ず起こる「葬式仏教」に関して、過去に書き込んだ資料があったので・・・
とりあえず、仏教と葬式について簡単に話しましょうww
それでは、舎利の話がでてたので、その周辺からww
まず、仏教と葬祭について、・・・・
釈迦は、アナンに対して、「お前たちは、修行完成者の遺骨の供養に
かかずらうな。」 と、はっきり言明してますな。
そういうことは、世俗の信篤き賢者に任せておいて、自分たちは修行に
専念せよ・・・こういうことらしいですね。また、日本でも、
親鸞聖人、一遍上人も自分が死んだら、遺体は山か川に捨てよ・・と遺言
してるそうです。(勿論、実際には当然、そのようなことになるはずもなく
釈迦の場合も摩訶迦葉が火を点じ、仏弟子たちも葬儀に参加してます。)
インドでは、比丘が死ぬとその仲間の僧侶が葬式を行っていたようです。
(これは日本でも同様です)
しかし、「その信者の葬式」を執り行った証拠はないそうです。では、仏教の
信者が死んだとき、その葬儀はどうしていたのでしょか?
葬儀というのは、そもそも、人生における通過儀礼の一つであり、それらは
その土地の習慣、文化に深く根ざしたものです。土地土地で独自の文化を形成し
それらを担当する階層も出来上がっていきます。
インドではそれらの儀礼の担当者がバラモン僧であり、彼らが葬祭を担当し、
釈迦も仏弟子たちも、信者のための葬祭は彼らに委ねていたのです。
しかし、インド以外では例外なく、僧侶が信者に葬祭を行います。
テラワダ、チベット、中国、朝鮮、日本の大乗仏教(これについては後述)
・・・・すべてそうです。 これは何故か? @インドでは僧侶の生活が確立されているので、収入を得る道を講ずる必要がなかった。
しかし、それ以外の国では、何らかの収入を得る方策が必要であった。
A信者から身内の死について相談された時に、無常を説いて心を和らげてやれるのは
まさに出家者。そういう意味で僧侶も信者の葬祭に関わるようになっていった。
(以上、渡邊照宏説)
B仏教というのは、(バラモンのような)それ独自の日常儀礼というものをもっていなかった。
もし、そのようなものがあったならば、却って土地土地の民族文化、習慣と軋轢を生じ、
受け入れられることはなく、普遍宗教としての発展もなかった。何もないことが幸いし、
その土地土地の文化的習俗を吸収し、「仏教的葬祭」というものが形成され、定着することが
出来た。 (奈良説)
・・・・というようなことが考えられます。
では、日本では?
比丘の葬祭は勿論、仲間の僧侶が行っていましたが、信者の葬儀は、国家公認の正式僧侶ではない
民間僧侶が行っていた模様です。 それも僧侶が民衆の葬儀に関わってくるのは室町時代に入って
からだと思われます。 当時、いわゆる「高野聖」というのがいまして、彼らは表向きは僧侶ですが
実体は「商人」なわけです。彼らは商売で日本全国を歩き回る傍ら、高野山のお札を売って回りました。
そして、身内に不幸があった家などがあると、「遺骨を高野山に持っていって供養してやる」と、持ち掛け
一般民衆の葬儀に入りこんでいったわけです。 江戸時代になりますと、よく知られた「檀家制度」が
確立され、仏教と葬儀は深く結びついていきます。
・・・・・・このように信者の死と深く関わりあうことになった、現状日本仏教の僧侶たちは、どのように
信者の死と向き合うか? 遺族に対して、どのように接するべきか?
このあたりは、曹洞宗の僧侶、恐山の南直哉氏が深く考察してますなww では、次に(修行完成者の)遺体は、どのように扱えばよいのか? これについて釈迦は、
一言でいえば、 「転輪聖王にするが如くせよ」 と言ってますな。
・・・「新しい布で包み、其れを綿で包む。五百重に包んだら、それを鉄の油槽に入れて・・・
そして最後に火葬にして、「ストゥーパ」を作る」・・と。
まあ、大変な作業ですが、釈迦は実際にこのようになされたのか?・・・
これについては、奈良氏は「実際に行われたとは思いません、神格化の一種です。」と言っています。w
問題はこの「ストゥーパ」です。
釈迦はストゥーパを作るべき四種の者をあげていますが、実際は「仏舎利」が殆どだそうです。
西インドには、何人かの仏弟子のストゥーパもあるそうですが。
では、「なぜストゥーパを作るのか?」・・・・ここが肝心ですなw
釈迦は、「ストゥーパを拝むと、(これが悟りを開いた人の塔なのだと思い) →「多くの人が」
『心が浄まる。』彼らはそこで『心が浄まって』死後に善いところ、天界に生まれる」・・と、こう言ってますね。
つまり、心を浄める ことが目的なわけです。 「心を浄める」とはどういうことか? 漢訳では「浄信」と
訳されてる語彙で、実際の用例では、
→「釈迦の姿を見たり、説法を聞いたりして浄信を起こす。」
→「布施して心が浄まる」
→「両親を仏法僧の三宝に対して浄信をおこさせる・・」 というような使われ方をしてるとこからも
⇒『信の心を起こす』・・・という意味らしいです。
即ち、(在家信徒が)信を呼び覚ますトリガー的なものだったわけです。
少なくとも最初期は、「在家信徒」用に想定されたものであり、悟りを目指す「出家者の梵行」ではなかった。
あくまでも在家信徒が功徳をつむ ことのためのものであった。それは、経典中の「多くのもの」⇒これは
在家信徒を指している、また、「悟りよりも下位の」天界への転生について言っていることからも分かります。 しかし時代が下るにつれ、出家修行者たちも仏塔に関わっていきます。
これは、全ての修行者が悟れるわけではない⇒なら、せめて天界にいきたい⇒在家信者でさえ天界に行けるのなら
出家者は言うに及ばず・・・・・という流れだったのでしょう。
(紀元前二世紀以降、西インドにある仏塔には出家者が石畳や階段を寄進し、自分の名前を銘文に刻んでいます)
・・・・・さて、これは「仏教の堕落」といえるのでしょうか?
「何かを拝む」・・・・これは確かに「拝む対象を設定することであり、」さらには「単なる偶像崇拝」
に陥ってしまう危険性大です。
仏像などもその典型ですねw 「あんなもん、ただの木彫り人形だろ? あんなもん拝んで何か良いことあると
思ってのか?ww」 という批判がしょっちゅうなされるわけです。
確かに、このような批判もわかりますが、・・・・・そこで終了してしまうのも、ちょっと・・と思うわけです。
確かに「自己の欲望を充足させるために」拝んでいるのであれば、「アホかww」となるでしょう。
しかし、釈迦の死後は、信仰の対象が見出せません。 勿論、「信仰の対象など仏教にとって不要」という達観した
人にとってはそうかもしれませんが、「多くの凡夫」にとっては、信仰の具現化というのは重要なファクターなのです。
仏塔、仏像に手を合わせることにより、「心が浄まる」のであれば、あえてそれを批判することもないと思いますが?
如何かな?w
(ただねw 倶舎論にあるらしいがw 「仏塔は仏の身体である。だから、仏塔を傷つけることは仏様から血を
流させることと同じだ」・・・・ここまで行ってしまうと、「仏塔の神格化」でしょ?
仏塔を敬うことは良いとしても、それ自体は「ただの物質であり、それに神秘的何かを期待するのは筋違い」でしょ?
・・・要は、「拝む者に心ひとつ」・・こういうことでしょ?w
余談ww
大乗仏教の起源をこの仏塔崇拝する在家信者グループに求めるのか?
あるいは、部派仏教の出家者が大乗を形成したのか?
前者は平川彰氏の説だけど、色々、問題点も多く現在では否定的論者が優勢らしい。
(ま、オレ個人としては、どちらか一方のみ・・ってんじゃんなくて、相互に影響しあったのでは?
と推測してるんだけどw) 大乗非仏説 について論じるとき、「何が仏説か?」・・・・が常に問題となるわけでw
これは確かに難しい問題なんだが、仏教を特徴づけるもの、即ち、他教にはない教説の一つが
『無我』でしょう?
・・・・・これを外してしまうと、それこそ、ヒンドゥーとの差別化が困難になるw
仏教にとって、「これだけは外せない」 というものを確認していくことが必要なのでは?w
よって・・・
仏教を全く理解していない超初心者のための「無我」解説ww
(五蘊の仮和合・・・という、言い回しは、ちと分かりずらいと思われるので、
少し現代風にアレンジしてw)
さて、仏教における「無我」というのは、一体、何なのか?
まず最初に理解しておかなければならないことは、これは一つの
「特殊な視座、視点」であるということである。
例えば、ここに「Aさん」という人がいたとする。
一般的に言えば、この人は「Aさんという『人』」である。
もう少し厳密にいえば、「Aという名前の人間」である。
通常、我々はこのように認識する。
そして、そのことについて何ら疑問を感じない。勿論、それはそれで
何らおかしいところはなく、「世俗的認識」としては十分である。 wwwwwwwwww
まあ、ひまだったからなw
昔の書き込みはってみたw
どうやら不評みたいなんで、無我論の続きは止めとこうw 全ての煩悩は我に対する執着から生じる・・^^
ただこれだけ^^
簡単明瞭である^^ 五蘊・・色、受、想、行、識が我であるならば・・^^ まっ・・^^
常に変化し続けているものが我であるわけないか・・^^ 無我
「 あらゆる事物は現象として生成しているだけで,それ自体を根拠づける
不変的な本質は存在しないとする仏教の根本的な思想。」
こうなるわな^^ で・・・^^
そこで問題になるのが・・^^
アートマンなんだか・・・^^ 「 あらゆる事物は現象として生成しているだけで,
それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しない」
そのようなものに執着しているおまいらは・・・^^
一体何者なんだと^^ つまり・・・^^
「すべておまいらが悪い」と・・^^
こうなるんだよな^^ 結論的には・・^^
実体の無い空なるものに執着しているおまいらは・・^^
いったいなにものなんだと^^
その執着から解脱せよと・・^^
そうすれば涅槃の境地に到ると・・^^
こうなるんだよな^^ う〜〜〜ん^^
温泉瞑想に行くしかないか・・^^
では行って来る^^ うーん^ ^
温泉瞑想癒される^ ^
他の人もみんな瞑想しとる^ ^ 全ての執着から解き放たれれば^ ^
寂滅為楽の境地に至る^ ^
真理やな^ ^ >>844
>あなたがさらに奥の「言葉を超えた世界」に入れば、...
あなたは禅宗の方なんですかね?
>真理の表現の仕方は幾通りもあるのだということが解るでしょう。
以前、私が指摘したように、結局「なんでもいいじゃないか、仏の教えはなんでも尊いものだから、どの教えから入るかは本人の自由だ」と言いたい訳でしょ?
それは、間違っていると思いますよ。
鈴木大拙博士がどんな有名な学者だか知りませんが、「何でもエエジャナイカ」説を主張するところを見ると、大して仏法を理解してないんじゃないかと思われます。
所詮、仏でも無いし、学者ですから仕方の無いことですが。
「何でもエエジャナイカ」説は確かに万人受けするでしょうね。しかし、それが真実かどうかは別問題です。有名人だから正しいとは限らないのです。
涅槃経に「依法不依人」という教えがあります。
日蓮大聖人曰く
涅槃経に「法に依って人に依らざれ、智に依って識に依らざれ」とある。「法に依る」というのは法華経・涅槃経の常住の法に依れということである。
「人に依らざれ」とは法華経・涅槃経に基づかない人に依ってはならないということである。
たとえ仏・菩薩であっても法華経・涅槃経に依らない仏・菩薩は善知識ではない。まして法華経・涅槃経に依らない論師・訳者・人師はなおさらである。
「智に依る」とは仏の智慧に依れということである。「識に依らざれ」とは等覚の菩薩以下の識に依ってはならないということである。
私たち凡夫は、どうも権威に弱い。有名人の説だから正しいと簡単に受け止めてしまう。参考程度なら問題ないが、仏説を蔑ろにして、学者の説を依経としてしまったら、もはや「仏法」ですらありません。
もはや「鈴木大拙博士」経です。その事を良くわきまえて仏法を学ぶべきです。 >禅も浄土も法華も同じ源から出ていることが解るようになるのです。(つまり「鈴木大拙博士」経によって、あなたは解ったという訳ですね。)
仏の教えは「不妄語」と言って、一切ウソは無いのです。
従って、原始仏教であろうと、爾前経の教えであろうと、法華経であろうと、一切ウソは無く、仏は真実を説いているのです。
その意味に於いては「大乗非仏説」などは愚論と言えるでしょう。
但し、仏の悟りは「言語道断」して、言葉や文字ではその悟りの実体を説きわらわせないので、一切経は「方便」と言えます。
方便は衆生の機根にあわせ、一仏乗(法華経)へ誘引するための説法と言えるでしょう。また、方便にも「法用方便」「能通方便」(爾前経)、「秘妙方便」(法華経)とありますが、詳細は省略します。
この「仏の悟りは「言語道断」して」を勘違いして、「だから「経文は不要」」としたのが、禅宗です。仏の経文を投げ捨てたのですから、もはや「仏教」ですらありません。
※禅宗の教えは「教外別伝・不立文字」といい、あるいは「仏祖不伝」といい、「修多羅の教は月をさす指のようなものである」ともいい、
あるいは「即身即仏」ともいって、文字を立てず、仏祖にもよらず、教法を修学せず。 さて浄土宗に至っては、念仏以外の一切の教えは「千中無一」(千人に一人も得道することは無い)と言い。その他の教え(法華経を含めて)を「投げ捨てよ」という教えです。
日本における浄土宗の高僧法然はもとは比叡山天台宗の碩学で、法華経が最上第一(聖道門)と理解したうえで、末法の衆生には法華経の修行は耐えがたい、修行しても一人も得道出来ないと。
そこで、(浄土門)を立てて、あらゆる境涯の衆生であっても、念仏を唱えることによって、極楽浄土へ行くことが出来、
世俗の悩みの無い清浄な世界で「法華経」を修行することによって成仏出来るという邪説を展開したのです。
日蓮大聖人曰く
「念仏はこれまた権教のなかの権教である。たとえば夢のなかの夢のようなものである。」と。
浄土宗については、過去レスで如何に誤った教えであるか証明しているので、参照して下さい。
この様に、律宗(阿含経)、禅宗、浄土宗、真言宗、法華経、何れも天地水火のごとく主張が異なっているのに、「なんでも、ええんだよ」という学者の説は、まったく信用に値しませんね。 ーーー全ての執着から解き放たれれば^-----
そんな人は、空想の世界にしか存在しない。
釈迦がいらんことを言うもんだから。
本気にする輩が後を絶たない。 お前も子供も石ころも何もかも解き放たれているじゃないか?w
誰かが縛ってるのか?w
空想の世界にしかにしか縛られている者はいない。 >>878
自分が敬意を持つのは佐々井秀嶺師だが念仏も題目も真言も何でも唱える
学者じゃなくバリバリの実践者だけど ☆
>「なんでもいいじゃないか、仏の教えはなんでも尊いものだから、どの教えから入るかは本人の自由だ」と言いたい訳でしょ?
>それは、間違っていると思いますよ
ttps://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E6%A9%9F%E8%AA%AC%E6%B3%95-90970
対機説法(たいきせっぽう)
仏陀が教えを説示する場合
その相手の精神的能力(機根)や性質などに応じてそれにふさわしい手段で説法する
ttps://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E6%82%89%E6%AA%80-281469
四悉檀(ししつだん)
世界悉檀(人々の心に合わせて説く)
各々為人悉檀(各人の宗教的能力を考えて説く)
_ _ _
一応、法華経の解説書?も持っているけど
おじゃるの場合は、やはり
初心者向けの
現代語訳の、わかりやすい
上座部系?唯識系?チベット密教系?の解説書とかがよいでつ
というわけで
ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index4.html
チベット ニンマ派
(意味が、わからないけど、とりあえず)
仏の智慧 − 法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智 話はかわりますが、どうも、これまでの議論をみていると、小乗教寄り、禅宗よりの議論が多いようです。
煩悩や、執着心から解脱せよ?
禅定、無我、見性?
おそらく、一般人には何のことやらサッパリでしょうね。w
このサッパリな内容を大慈悲の仏教にも関わらず、お互いに罵詈雑言で罵り合っている、仏教の精神がサッパリさんどうしが議論しあい、泥沼化している。
その結果、最強の「サッパリわからん仏教」が完成してしまうのです。
この娑婆世界は、いろんな悩みや解決すべき問題がたくさんあります。
病気の悩み、家庭の悩み、仕事の悩み、世界に目を向ければ、戦争や紛争、環境問題、人権問題等々
仕事が倒産しかかっている人に「欲に執着するな」とか言っても仕方ないし、不治の病に苦しんでいる人に「無我」を説いても仕方が無いでしょう。
それぞれ、会社を立て直したい、病気を治したいと思っているのに、
結局、何一つ現実を変えることは出来ないからです。宗教をたんなる精神的(心の持ちよう)な問題で片付けてしまうのなら、変な薬をやって「現実逃避」しているのと何ら変わりはありません。
そうした問題に背を向けて、一人成仏の願う、独善的な教え(小乗教)が仏の教えであるわけが無い!
(一般的な道理として理解できると思うのですが、小乗教に執着する者たちはこれが理解できないのです。) もし、北朝鮮が核ミサイルを日本に落としたら、「禅定、無我」とか言ってる場合ではないでしょう。
世俗を離れ、山林で修行している「チンコ丸出し仙人」も修行半ばで、炭素化してしまうことでしょう。
大乗仏教の菩薩精神は、自分の事は後回しにして、不幸の人々救っていこう、人々が安心して暮らせる平和な社会の建設にこの仏法を通して貢献していこうと言うものです。
友の悲しみ自分の事のように悲しみ(同苦の精神)、友の喜びを自分の事の様に喜ぶ。この人間同士の心と心の深い絆の上に大乗の悟りの一分を理解することが出来るのです。
他人だけの不幸は無いし、自分だけの幸福も無い。自他共の幸福こそ仏法の精神です。
仏のイメージは仏像に見るように、悟り澄まして瞑想にふけるイメージがありますが、仏の実像はまったくそうではありません。
仏の実像は「如蓮華在水」と言って、泥沼のような娑婆世界に於いて真実の姿を映し出すのです。これはまた次の機会にでも。
面倒なので
輪廻はある!輪廻はない!
という議論をするつもりはないけど
>佐々井秀嶺師
って輪廻否定の人でつか?
(面倒なので、議論をするつもりはないけど)
おじゃるの場合は
『 仮設としての 』 という意味で
無明している世界の中で、輪廻肯定派でつ
(無明している世界を手放すことができたのなら、そのときは輪廻から解脱する)
参照資料として
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
カースト差別に反発してインドにおける
仏教復興を主導したビームラーオ・アンベードカルは
独自のパーリ仏典研究の結果
「ブッダは輪廻転生を否定した」という見解を得た
この解釈はアンベードカルの死後
インド新仏教の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている >>887
結構はっちゃけた人で般若心経唱えてると戸がカタカタ鳴って亡霊が喜んでるのが解ると言ってた
竜樹の夢見て今の道進んだしあれは本当に竜樹菩薩だったと信じてるし >>885
何かつらつら見ていると別に法華経も仏教すら持ち出す必要のない退屈な一般的道徳言ってるようにしか見えないが。他を貶す為に 全ての執着から解き放たれれば・・・^^
これが仏教の教えと言っても過言ではない^^
輪廻からの解脱もこの範疇にある^^ ではどのようにしたら全ての執着から解き放たれるのか・・^^
>大慈悲の仏教にも関わらず、お互いに罵詈雑言で罵り合っている…議論しあい、泥沼化している
[ 大乗非仏説が正しいと確定したのに大乗仏教信じてる奴ってキチガイだ ]
このスレが
上座部系 − 大乗系の叩き合いみたいな感じになっている
たとえば
おじゃるの場合は
意味が、わからなくても、とりあえず
上座部系?唯識系?チベット密教系?の解説書とかを読んでいるけど
禅宗系のこととか
余念を交えず、ただひたすら只管打坐とか、まったく、わからないでつ
おじゃるの場合は
禅宗系の人とかとは相性が悪い?かもしれない スマソ m(_ _)m 全ての執着を解き放つためには・・^^
ここから無我・非我の考えがでてきたかもしれん^^ 「○○のために」っつう意義思考を落とすのに坐禅が一役買うんやがな。
意義思考を落とすためにと言うんじゃないぞ。
不足を思うのも思考ゆえ。 >病気の悩み、家庭の悩み、仕事の悩み、世界に目を向ければ、戦争や紛争、環境問題、人権問題等々
> 仕事が倒産しかかっている人に「欲に執着するな」とか言っても仕方ないし、不治の病に苦しんでいる人に「無我」を説いても仕方が無いでしょう。
>それぞれ、会社を立て直したい、病気を治したいと思っているのに、
>結局、何一つ現実を変えることは出来ないからです。宗教をたんなる精神的(心の持ちよう)な問題で片付けてしまうのなら、変な薬をやって「現実逃避」しているのと何ら変わりはありません。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
環境問題?、戦争?、病気?会社を立て直す???
もう、仏教でも何でもないw 誰かが言ってたが、まさに池田大作教ww
そこに書いてなかったけど、「恋愛成就」は?
宝くじで一等当てることも頼める?ww
ミサイルが飛んできて、「チンコ丸出し」でw 死んでも、全然OKなのが仏教なんだよww
>>888
> 結構はっちゃけた人で
> 般若心経唱えてると戸がカタカタ鳴って亡霊が喜んでるのが解ると言ってた
> 竜樹の夢見て今の道進んだしあれは本当に竜樹菩薩だったと信じてるし
にゃるほろ
実際の人物像としては
たぶん結構、面白そうな人なんでつね?
おじゃるだったら
空海とかも夢の中で会いたいでつ
もっとも会ったとしても
その人が空海なのか?誰なのか?わからないと思うけど…
とりあえず
ttps://www.google.co.jp/#q=%E5%87%86%E8%83%9D%E8%A6%B3%E9%9F%B3
準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば、一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し、この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m 煩悩の執着から解き放たれたものは輪廻しない^^
煩悩に執着しているものは輪廻する^^ キング牧師の親友だったベトナム臨済宗のティクナットハンは確かに世界的な平和、人権活動家でもあるが基本は禅定瞑想にある 無我・非我を真に理解すれば・・^^
我執はなくなる^^ >・・・不治の病に苦しんでいる人に「無我」を説いても仕方が無いでしょう。
wwwwwwwwwwww
その不治の病に苦しんでる人に説くのが、まさに、「無我」なんだがww
まあ、真宗のように一心不乱に念仏唱えて、浄土を願うのも道。
キリスト教徒のように、死後、先だった身内と天国で再開できるように祈るのも道。
・・・・・・宗教者が、左巻きのパヨクのまねして、「社会をもっとすみやすく〜〜〜〜」とか
「世界平和を実現しよう〜〜〜」 なんてやりだすと胡散臭さMAXなんだがw
仏教は、社会運動じゃねえぞwww 1.我執とは
元来人間には執着するという観念はなく、周囲からいろいろの観念を受けて執着する観念がつくられる。
怒り・憎しみ・対立・反目などの元にあるものは執着する観念である。
執着という言葉は、何か対象となるものに執着するという意味で用いられているが、
執着しているのはまぎれもなく自分自身であるから、執着とは全て自己に対する執着である。
厳密にいうと、自己の観念への執着である。
この自己(の観念)に対する執着を我執という。
ほほう^^ >>899
>空海とかも夢の中で会いたいでつ
いや、そういうことをずーっと考えて、としをとって、ボケ一歩手前、夢と現実の境界がなくなり、
いかにも、ここに空海さんがいたと錯覚します。絶対します。
おじゃるさんは、私にこう言うのです。
空海さんが昨日を会いに来て、私に秘儀をおしえてくれたんだ。
で、私は、おじゃるさんに、こういうのです。それは夢ですよ、
おじゃるさん、でも、ここにいましたよ。
わたし、でも、空海さんは、何百年前にお亡くなりになっています。
おじゃるさん、でもここにいたんです。
わたし、夢です。
おじゃるさん、そうかなと?
ここで覚めるか否かが問題であると思う・・
おじゃるさん、ごめんなさい・・ 自分の意に沿わないものに怒りや対立感情を抱くのは我執があるからである。
意に沿っている間はそういう感情が生じないのは当然で、それはそれだけのこと
であり、我執が有ることには変わりない。
怒りや憎しみのほか、頑固・強情・キメつけ・非難・自惚れ・高慢・排他・卑屈・
忍従・遠慮・虚栄・侮辱・自信等々対立感・差別感・優越感・劣等感等、
人と人とが楽しく仲よくしていこうとするのを妨げる原因をなすものは我執であり
、これらはみな我執の現れである。
旧来より、これらは人間には当然あるものとされている。
無くすることは出来ないとか、無くなったら人間ではない、とまで云う人もいる
だろう。これに対する議論は別の機会にすることとして、ここで繰り返し確認して
おきたいのは、我執とは自己の観念への執着であり、それは後天的なものだ
ということである。
無我執とはこれらが一切ない状態のことである。
人間には我執は不要で、無我執が人間本来の当り前の姿である。
ふむふむ^^ 怒りや憎しみなどは、幼ければ幼いほど無いのは衆知のことだが、
これを世間を知らないからとか、知能が低いからという理由だけでは済ませたく
ない。執着する観念やそれにに伴う感情を知らない、つまり周囲からまだ植え
付けられていないからである。
知能が成長し、社会のことを知ったからといって必ずしも我執が生じるわけ
ではない。
執着する観念が植え付けられなければ、人間は生まれたままの無我執状態で
成長し、生涯を全するだろう。それでこそ正常な人生だと思う。
そして、我執の多く着いた観念の人でも、それは方法を以てすれば、
我執を除去することができる。
う〜〜ん^^ 我執とやら、除去しなくていいんやで。24時間同じこと人は考えんでな。
眼に入ったり聞こえたりでその都度変わる。
捕われなんぞ、執着なんぞ初めからないw >>910
無ってこったな。
名称と形態を離れている実際ってこった。 >>907
説法なの、
説法じゃないさ、w
おじゃるさんの言葉をかりただけさ。
おたくもひとごとじゃないとおもうけどw >全ての執着から解き放たれれば
それはすなわち「死」ですよ。
>輪廻からの解脱
もし、仏が輪廻の世界に再び生じないとしたら、釈尊は「始成正覚の仏」と言う事になります。
仏法には煩悩即菩提と言う教えがあります。詳しくはネットで調べてください。
人間の日常生活において「煩悩」(執着心)を滅することなど不可能です。
※普通に考えれば解る事ですが、小乗教の低い教えに執着しているものは、この非現実的な理屈を理解できないのです。
そもそも、「一人仏の悟りを得たい」という心も、立派な執着心です。
仏の真意は「執着を明らめる」事です。
自身の無明に引きずられる事無く、正しい執着心をもって生活をすれば良いのです。
仏法は端的に言えば生活法です。世間の法とかけ離れたものではありません。
諸法実相なのです。 生存のためには我執が必要とされる・・^^
ニルバーナの境地に到るにはそれが不要とされる^^
つまり・・^^
生存のためには煩悩への執着が必要であるからして・・^^
一切皆苦・・なのである^^ >全ての執着から解き放たれれば
それはすなわち「死」ですよ。
即身成仏の発想はここからでてきたかもしれん^^ 執着が観念であれば・・^^
空も観念であり・・^^
空の観念から執着の観念が滅するかもしれん^^ >>917
観念が観念により滅することは絶対に無い。
どこまでいっても観念を堂々巡る。輪廻を続ける。だからこそ凡夫と言う。
観念の堕ちきったところを仮に空と言っている。堂々巡りの観念、思考を抜けてるって事。
記憶、体験から形作っているものが入らないのが実際の「今」
今の実際が、諸行無常、諸法無我って話。終わり閉廷。 そうですか。君の周りにはいないのかね。それは喜ばしいことで。 「行動する仏教」のティクナットハンや佐々井秀嶺は他宗を否定しないしむしろ包含しようとする
前者は禅で後者は真言だが 只管に成りきれていないのがよく分かるw余物交えぬってだけなのに。
>君の周りにはいないのかね。
さーて思考働かせて探すかね〜wその必要がないんだからそれは喜ばしいことだねw >>918
支店長、頭抱えてるだろうなw眼に浮かぶw
かれですか、そんなこと考えてもいませんよ。
そういうのを、思い過ごしというのでしょうね。
頑張ってください。 >かれですか、そんなこと考えてもいませんよ。
考えてもいないし誰も知れないわなw支店長本人すらな。 >>923
わらう、何かおたくの文章は、あおっているわりには、矛盾がありますね。
>支店長、頭抱えてるだろうなw眼に浮かぶw
典型的ですね。
>さーて思考働かせて探すかね〜wその必要がないんだからそれは喜ばしいことだねw
はい、はい。 頭抱えてるだろうなw眼に浮かぶw
これは思ったこと言っただけw絶対そうだわwお前さんトロいものw >>927
はい、はい。
たいしたもんだ。こんだは、人物評価ですかw >>922
感覚ってのは、眼で見、耳で聞、鼻で嗅、舌で味わい、身で感じ、で終わる。
意ってのは感覚から起こるもので、一時的なもの。
一時的な心自体に問題は無い。が、二次的な後から考えることによって問題になる。してしまう。
我々の価値判断認識っていうのは、今まで頭で学んだ知識や感じた事で上下聖凡を生み出している。
その都度の経験と自ら作り出した観念を照らし合わせて、不足を感じたり、苦しむってだけ。
人は知った分で悩み、知った分で苦しむ。
それを免れるのが余物を交えない坐禅って事。座るという形にすら囚われない。
坐禅とは、
外、一切善悪の境界に於いて、心念の起らざるを、名づけて坐と為す。
世間で覚えた価値判断交えず感覚に生きるって事です。
内、自性を見て動ぜざるを、名づけて禅と為す。
自らの実際に気付いた(見性した)ならば、名称や形態に囚われず感覚に生きろって事。
道元禅にも悟りはある。悟りのないもんは仏教じゃない。
無所悟、無所得つうのは、現成公案でいう悟上に得悟する漢ありっつう馬鹿らしいもんに言ったモン。
宗門主流の座ればイインダー!これが悟りの姿ダー!!!とは坐禅は無関係って事だ。 で、それがどうかしたんですか?
もういいや、じゃあね・・ >>930
>癪に障っちゃったかな?
はい、w
頭がわるいもんで、理解できないんです・・
誰だか知らないが、そういうの好きだねw ただいま・・
こういうやりとりも、久しぶりだなぁ
悪くない・・
病気なおせよw >>929
自分のはそんな複雑なものじゃなく例えば手が上がる時に上がる上がるとだけ認識して判断や無意識の動きまじえないだけ
合気道や太極拳やってて自分の体の動きをコントロールするのすら難しいと気がついて >仏法は端的に言えば生活法です。世間の法とかけ離れたものではありません。
全く違うww 少なくとも釈迦の説いた仏法とはねw
釈迦は、自分の弟子たちに、明確に
生活の糧を自ら生み出すようなことを禁じた。
商売も農業もねw (ただし、釈迦死後は、短期間のうちにその原則が崩れたことは
仏教寺院遺跡の発掘からも分かっているw)
釈迦仏教の基本は、あくまで「乞食」なんだよw
世俗からの布施によって命を保つ。布施がなければ死ねばいいだけw
その覚悟なくして何が出家者か? というのが、釈迦仏教のスタンスw
(ただし、道元などは、それを踏まえつつも少し緩めたww)
・・・・・・っていうかw こいつ、ダニヤの章も読んだことねえだろ?www >>914
だからって煩悩を肯定するのか
傷害、盗撮、窃盗、ストーカー等の迷惑行為する慧の修習のない禅宗僧侶が
毎年、犯罪者が多く生まれている反社会的あるがままでいいのか
無、無、言いながら、日常では無我夢中に犯罪を犯す
だからと言って、何かを唱えれば救われると原始人のマネごとに乗っかる
洗脳される現代人も少数で、根拠はって聞くと、魔訶不思議な力では説得力
ないよ こっちにも貼っておきます。
>考えてもいないし誰も知れないわな
いい例題がありますね。これは、中観自立派か中観帰謬派か? 937.
乞食、か。
それは生活の問題である。
生活法、か。
それは生活の問題である。
宗教は生活の問題ではない。
バカ丸出しである。 自分のトラウマで人を罵るのが癖のようだが
傷つくのは、おまえなんだそ デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ!
デパスマンあたまがいいなー >>937
今の時代に、チンコ丸出し仙人となって「乞食行」に勤しむ行者は、あまり見らんな。
それが、本当に正しい仏法と思っているのなら、「パーピマン」宗を立ち上げて、世界に広宣流布すべきだ。
だれも相手にされないと、容易に想像はつくが。(笑
ところで、君は将来「チンコ丸出し仙人」を目指しているのかね? まぁ、頑張りたまえ。徒労に終わることは間違いないと保証しよう。(笑
言っとくけど、人を軽々しく「こいつ」呼ばわりするような、世間的の常識の欠片も無いような、ネットチンピラと議論する気は毛頭ない。
最も、仏教の精神からかけ離れている者が、ドヤ顔で仏法を語るな!と言いたい。
おまけに「釈迦は、繰り返し、「他宗と論争するな。」と説いているがなw 」と自分で書いておきながら、
自語相違していることすらも気づかない者が語る仏教など大した価値も無い。まったくつまらん。
>>916
そう、その勘違いの「即身成仏」の坊さんのことだよ。
生きながら埋められて、ミイラになって「ああ、即身成仏されました」とか言われている、気の毒なお坊さんですよ。
しかし、この坊さんは意外と頭が良いと思いますね。
つまり、生きている以上は、どう考えたって煩悩を完全に滅することは出来ないと気づいたんですからね。
ただ、残念なのは、低い教えに執着しすぎて、他の教えに道を求めなかったこと。
法華経を学べば、別にミイラになる事も無かっただろうにと思います。
♪Yo「君も私もレッツ!ミイラ」、皆で仲良く成仏しようYo♪
こんなものは今後一切流行りません。(笑 >>938
煩悩を否定できないでしょ。って話ですよ。
煩悩を肯定することが、犯罪を肯定するという話の持って行き方は論理の飛躍ですよ。
もっと、わかりやすく言うと、人は悩みがあるから人間的な成長があるんですよ。
そもそも、悩みの無い人生なんてありあえないわけですから。
それを、ひとつひとつ乗り越えていく中に自身の生命が金剛のように鍛え上げられていくのです。
だから、苦労をしてそれを乗り越え(勝利して)鍛え上げられた人格は会話をするだけでも良くわかるんです。
苦労を乗り越えた人間の言葉は重いし、苦労避けてきた人間の言葉は軽いのはその為です。 >>944
それもちょっとなあ。苦労しても精神年齢10歳みたいな人いるしなあ。
老人ホームで幼稚でワガママで嫌われてる人とかいて聞くと戦争でシベリア抑留されて戦後に事業してたとか経歴は苦労人なんだが実際接する人はドン引きしてるとか
似たような事例たくさんあるよ 四苦八苦等の全てのとらわれ、縛られているところを超越するという意味では、ほどけた状態、全て
の縛がほどけた状態、それを仏というんだ、と聞いたことがありますけれども、意味合いはそういうことだろうと思
います。それこそが、真に安穏の境地、安らかで穏やかな境地であり、時間や空間に、時や場所に左右されない、ゆ
るぎない幸の境地とも言っていいんではないかと私は考えているんです。譬喩品では、「如来は已に三界の火宅を離
れて寂然として閑居し林野に安処せり」、また寿量品では、「衆生劫つきて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安
穏にして天人常に充満せり」、そういう所を読ませて、拝読させていただいて、 現在社会には、殺人、盗み、嘘が横行してお
ります。それに対して末法の世の為に説かれたといわれる法華経の教えには、相手の仏性を拝むこと、与え合うこ
と、質素で正直に生きること、等が説かれております。殺してはならない、盗んではならない、嘘をついてはならな
い、という五戒に基づいた禁止事項と共に、それらを止揚した拝み合い、与え合い、質素で正直に生きることがそれ
らを積極的に克服し、超越するための大切な要件であると思われます。、素直に聞く、真面目に考える、真剣に行
う。三慧、聞思修。現代的に言うならば、情報の収集、整理分析、正しい情報に基づく実践とも言えよう
、貪ら
ず、瞋らず、愚痴らず。心身を苦しめる三つの毒、貪瞋痴は自らを苦しめるばかりでなく、回りの人々をも苦しめる
害毒であるから、心に思うことを、自ら抑制しなければならない。三毒とは、善根に害毒を与える三つの煩悩のこと
で、貪瞋痴をいい三不善根とも称する。『観心本尊抄』に「瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴かは畜生」と、人界所具の
余界を説示される中に、その意味を述べられている。『開目抄』には貪瞋痴の三毒は仏の種となるべし、等と釈され
ている。以上、日蓮宗電子聖典より。七番目は、自分自身を生きる主体とせよ、その自分を真理と一体化せよ。自灯
明、法灯明、これは自帰依・法帰依とも表すようでありますけれども、自らが判断し、自らが歩む、その自分は真理
真実を愛し尊びそれと一体となって歩む、それが成仏の姿であろうと思います。 末代初心の行者の修行方法、ひたすらに南無妙法蓮華経とお題目を
唱えることが大切である、初心の行者は助縁の法を修行するとかえってそれに紛れてしまい、正しい修行の業法を妨
げてしまうことになるのを恐れるものである。」「初心の行者が、兼ねて五度を修行することは、正業の信行を妨げる
ことになるのである。」「初心の行者は題目のみを唱えて信行すれば利益は弘く多いが、他の雑行を交えると利益は全
く失われてしまうということである。」「初心の者の戒は経をたもつだけでよいのであり、修行が進んで上の段階に
至った者については、さらに持戒をすすめているのである。 >>944
あくまでも、一般論だよ。
確かに、宗教的信念の無い者は、方向性を見失い自己中でわがままになる人もいるだろうね。
苦労してきた経験を、人の為、世のために活かせれば良いのだけれどね。
だからこそ、煩悩の悪い側面に引き込まれない為にも、自制と自律のうえでも正しい宗教は人生の羅針盤となりうるのだと思うよ。 http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-kansoubun18.html
次に述べるのは、戸田が敗戦後まもなく全国を遊説してまわっていたとき、当時は別の宗教団体に属していた女性が、戸田をかこむ座談会(学会でいうところの集会)に出席したときのエピソードである。
「その頃、属していた団体の“先生”は、座談会の壇上にのぼると、それまで先生の方を向いていた扇風機を聴衆に向けて、皆さんもどうぞ涼んで下さいとおっしゃるのです。しかし、戸田先生の集会に出ると、
先生は扇風機を自分のほうに向けて、『見ましたか。皆さんひとりひとりが、こうならなくちゃいけないんですよ』とおっしゃる。そのとき思いました。これは戸田先生の勝ちだ」(中略)
しかも、戸田の布教の対象を“ロー・シーリング・クラス”、言い換えれば何をやっても上にあがれないと自らの頭打ち状態を諦めきった、“ロー・シーリング・クラス=天井が低い”な未組織労働者や、
産業ベルト地域の中小商工業で働く若者などの貧困層にしぼっていた。
(「お笑い創価学会 信じる者は救われない」p44)
つまり、欲望の全面肯定というテーゼは、この「ロー・シーリング・クラス」にとって、まばゆい光だったのです。
944桃太郎2017/07/23(日) 19:39:35.15ID:QI7BN49R>>945>>949
>>938
煩悩を否定できないでしょ。って話ですよ。
煩悩を肯定することが、犯罪を肯定するという話の持って行き方は論理の飛躍ですよ。 <征伐、桃太郎>とか言って、ま〜たわけのわからんものが出てきたなと思っていたら
普通にまともな事言ってるし。
何か「征伐」なのか意味不明だよ!わけわからんよ。
おもしろい人だなぁ。ほんとに。
ただ、あと少しで1000レスになっちゃうね。残念。 >今の時代に、チンコ丸出し仙人となって「乞食行」に勤しむ行者は、あまり見らんな。
wwwwwwwwww
森林派くらい、知っとけよw
>言っとくけど、人を軽々しく「こいつ」呼ばわりするような、世間的の常識の欠片も無いような、ネットチンピラと議論する気は毛頭ない。
まるっとブーメランw 今まで散々、他宗をディスってたアホがよくいうわww
>おまけに「釈迦は、繰り返し、「他宗と論争するな。」と説いているがなw 」と自分で書いておきながら、
> 自語相違していることすらも気づかない者が語る仏教など大した価値も無い。まったくつまらん。
wwwwwwwww
論争?? 誰が?w
オレは、ただ日蓮バカをおちょくって遊んでるだけなんだけどw
さらに言っておくが、オレははなから「仏教徒」でもなんでもないんでw
戒律は勿論、教説にも拘束されませんww >>954
日蓮宗及び日蓮系で学会と一緒にされたいと言うのは皆無。平均はもっと融和的 >>955 wwwwwwww
そうなのかい?w
日蓮系といえば、真っ先に出てくるのが創価なんでなw >>956
学会は日蓮系でも特殊。日蓮宗及び日蓮系団体を全て敵に回してる 皆、最も大切な部分を見落としているわな。
結局、大乗でも小乗でもなんでもいいのさ。問題は、
「ど う す れ ば 人 間 と し て 向 上 し 悩 み を 超 越 出 来 る か」
という点にあるんだよ。ようするに修道論が問題なわけで、
重箱の隅を突いたような議論は学者の暇つぶしよ。
仏教の教えや修行の中に、人生に役立つ部分はあるのか?
一般人にとって大切なのはここに尽きる。
お念仏でも御真言でも、お題目でも坐禅でも、はてまたなんちゃら瞑想でも何でもいいよ。
何をどう実践すれば、悩みを克服し、人生を豊かなものに出来るんだ?
TVで禅宗のお寺に泊まり込みで修行しているという人がいたけど、
悪いが悩みを克服出来ているようにはとても思えなかった。
人間が変化するという「結果」を出せる仏教はあるのか? この世の生き物のほとんどは、他の生命を取り込むため大なり小なり殺生してるわけよ
故に因果の法則に乗っとれば、辛いことや苦しいことを100%無くすことは出来ない
問題はそれらを排除することではなく、どう受け止めるかじゃないのかね
ちなみに、おじゃるの場合は
中観自立派?なので
『仮設としての』という意味で
「自性(自と他の分別)あり!」みたいな感じだけど
中観帰謬派?の場合は
「無明に依存している
一般的な。という意味で
人と し て 向 上 していく」と掴もうとしている想いを手放していくこと
なのかもしれない
ちなみに、おじゃるの場合は
上座部系も、チベット密教系も良いと思いまつ m(_ _)m
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
八正道 正見
…現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として、真実の認識(如実知見)?に至る…
ttp://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
仮設としての
無明している世界の中で
自らが夢幻を作りだしている幻術師のようなものである
無明している世界の中の
すべて一切の
諸法は 『(夢幻の如く)空性である 』 と観察せよ >>958
そう!そこが一番肝心なところですよ。
但し、「人間としての向上」と言ったって、目には見えない。
禅や念仏をやって「人間的として向上を得た」と言っても、自己申告であり、何をもってそれが言えるのかが問題です。
自己申告ならば何とでも言えるのです。
日蓮大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いにて候いけるぞ」と仰せです。
仏法は、「人間としての勝利」を教えた宗教です。
釈尊がこの世に生まれて仏法を説いた、その根本の目的(出世の本懐)は、特別なことではなく、人間として、どう生きるべきかを示すことにあったとの仰せです。
すなわち、人間社会にあって良識ある振る舞いを貫き、人格の輝きをもって、職場・地域などの身近な人々から信頼され、尊敬される存在となっていくことが、信心の証です。
最高の「人の振る舞い」とは、「人を敬う」行動です。
すなわち、万人の生命の中に仏の生命があると捉えて、その仏の生命を尊重し、万人を敬っていく行動です。
根本は、万人を仏にしていこうとする誓願の生き方です。具体的には、目の前の「一人」を大切にしていく実践となって表れます。 >仏教の教えや修行の中に、人生に役立つ部分はあるのか?一般人にとって大切なのはここに尽きる。
まさに、その通り!
中には、仏教は自分以外のことには役に立たないと主張する人もいますが、仏法は自他共の幸福を実現する教えです。
小さな殻に閉じこもって修行すると言うよりは、泥沼のような娑婆世界に自ら飛び込んで、悩める人々に勇気と希望を与え続ける、まさに菩薩行に中に自身の境涯と人格の向上があるのです。
歴史に名を残すような偉大な人間というのは、波風の立たない平坦な人生など歩んでいません。大抵は波瀾万丈な人生を自ら望んで歩んでいるのです。
釈迦ですら、その人生は波瀾万丈でした、座禅を組んでただ瞑想に耽っていたないのです。
日蓮大聖人は仰せであります。
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」云々
仏法は観念論ではありません。精神修養のごときものでもありません。
端的に言えば、結果が全てです。結果を出せない宗教は、所詮、観念論です。自身を向上変革させ、周囲をも変えていく、力ある宗教
それが、日蓮大聖人の仏法であり、創価学会の運動なのです。 仏教を生活の中で役立てる・・・・これ自体は、悪いことではない。
釈迦も世俗における仏法について、きちんと説いている。
(ただし、それはあくまでも「世俗において」という付帯条件づきの話で、仏教の本道は
出家であると明確に示したうえでのことだがね。
・・・・・・だが、釈迦の良いところは、他教のように「無理に勧めない」ところ。
⇒「それを望む者は」 来て観よ・・・・と言うこと なんだよなw
世俗には世俗の行きかたがあり、それも同時に認めている。
そこが二諦を立てる所以で、仏法のダブスタのところ。(これは決して否定的な意味ではなくてねw)
・・・・・世俗での指針として仏教を活用するのも良しさw
ただし、その際は慎重に選択しようやw
間違って学会なんぞに入ってしまったら、人生台無しさw
ネットでもちょっとググれば、学会のとんでもなさが山ほどでてくるw
あ〜、怖い怖いwww 創価学会な〜 俺はトウカンはまだ所属していることになってるが 非学会員との付き合いで色々実体験として聞いている 父の会社は創価だったらしいけど 倒産前に全て学会員が持ち逃げしたとか
創価大学の教授(非学会員)が学生時代に創価の友人から非常識なことされて未だに傷ついてるとか それを聞いてしまうとね...昔は教が功徳に振り過ぎてたんかなとは思うけど >>964
学会は悪い噂絶えないしね。火のない所に煙は立たない >>962 桃太郎 自身を向上変革させ、周囲をも変えていく、力ある宗教
それが、日蓮大聖人の仏法であり、創価学会の運動なのです。」
2ch上での桃太郎の振る舞いを見てると、
自身の反省力もなく、歯の浮くような偽善一色。
結果が全て=「自身を傲慢に変革させ、周囲をも閉口させる宗教、
それが、創価学会の運動」という結果になっている。
結果が全てだろ。
>>958
>人間が変化するという「結果」を出せる仏教
>はあるのか?
結果かでたところで人間だよw 変革を目指すとか、力強いとかを看板に掲げる宗教の時代は団塊の世代と共に終わるんじゃねーのかw
いや、 いや、終わってねーか?
んなもん、高度経済成長期の残滓だよ。
少子化の時代に相応しい看板にしねーと廃れるぜw >>961
>釈尊がこの世に生まれて仏法を説いた、その根本の目的(出世の本懐)は、特別なことではなく、人間として、どう生きるべきかを示すことにあったとの仰せです。
すなわち、人間社会にあって良識ある振る舞いを貫き、人格の輝きをもって、職場・地域などの身近な人々から信頼され、尊敬される存在となっていくことが、信心の証です。
それは根本的に間違っています。
そもそも社会性の問題は宗教の本質ではありません。
そのような考えであれば孔子の教えも宗教になってしまいますが、孔子の教えに宗教性は全く
含まれていません。
宗教の本質は <個人と個人性意識> が幻であることに目覚めることにあります。
個人の夢幻性に気付かずに自己の人格を立派なものにしようという考えはすべてのニセ宗教
に共通する大誤謬であると言えます。
先ず、自らが自己の夢幻性に目覚め、そして、周囲のまだ目覚めていない人々を目覚めさせる
ことに生きるのが大乗仏教です。禅では「自覚覚他 覚行円満」と言います。 970.
自己の夢幻性、か。
そこに目覚める、か。
その方法論が問題となる。 仏法は自他共の幸福を実現する教えです。
ばかか・・と・・^^
あふぉか・・と・・^^
小一時間説教せんとあかん^^ 何か俗諦と聖諦がごっちゃになったような書き込み目立つなぁ
二諦に分けた意味ないやん >>974->>975
「俗諦と聖諦」ではなく、「俗諦と真諦」ですよ。 成実論巻十一では、仮に名が与えられるだけで実体のないものを俗諦とし、
色などの法と涅槃とを真諦とする
これが気に入った^^ 【成実論】
訶梨跋摩(かりばつま)著。鳩摩羅什(くまらじゆう)訳。
この世界全体は仮の現象にすぎず,すべては空であることを強調する。
ん? 「この世界全体は仮の現象にすぎず,すべては空であることを強調する。」
鋭いとこついてるな^^
これが真諦と言っても過言ではない^^ >>986
「空」を体験的に知らないで「空」という言葉を使うことの空しさに気付きましょう。
俗諦は言葉で表わせますが、真諦は言葉を超えています。
言葉を超えた世界だから、逆にさまざまな表現が可能にもなります。
ですから、どれか一つの表現だけが正しいと思うと間違うことになります。 うん?
訶梨跋摩ちゃんに言ってんの?
凄いね〜〜^^ 第四節 成実論の宗
それでは「諸宗派の勝れた点を選んで一宗を立てた」とはどのような意味か。
成実宗では詳しく我空と法空という二空を論じている。
そして、一切を観察するため二つの立場を設定している。
⒈人空観。花瓶の中に水が無く、空っぽであるように、人間の構成要素(五蘊)にも
私自身(我)というものはどこにも存在しない。
⒉法空観。花瓶の中に水が無いだけでなく、花瓶自体も存在しない。
人間の構成要素(五蘊)自体も仮のもので、実体は存在しない。
このように二つの空を論じているところが、「最も勝れた」と言うのである。 問い。もし、二空を論じているなら、我(アートマン)と法(ダルマ)に対する執着から
離れることができるのではないか。
答え。そうはならない。二空を論じているが、感情的な煩悩(煩悩障)は離れること
ができても知的な煩悩(所知障)を離れることはできない。
理論として真実を知っていても、体得している事とは別であるから。 第七節 成実宗の特色
成実宗は、大乗ではないと言っても、小乗の中で最も優れたものである。
これは大乗ではないのか?と怪訝に思う。
一切諸法はみな滅せられる。空の理が証明され、すべてはその上に成り立つ。
万物に実体があるというとらわれは氷のように溶け、すべては仮に組み合わされた
存在が、林のように立っている。
空と有が一体となったその理論は深い。 問い。もし、二空を論じているなら、我(アートマン)と法(ダルマ)に対する
執着から離れることができるのではないか。
前にも書いたが・・^^
これなんだよな^^ 917因縁果 ◆d........o 2017/07/23(日) 15:27:54.65ID:XmZ5L5uL>>919
執着が観念であれば・・^^
空も観念であり・・^^
空の観念から執着の観念が滅するかもしれん^^
観念はどうだかしらんが^^
空から執着から離れることができるのではないか・・^^
ということは仏教通じてる人はだれでもそう思う^^
し・・それが仏教の核心でもある^^ ゆえに・・^^
917因縁果 ◆d........o 2017/07/23(日) 15:27:54.65ID:XmZ5L5uL>>919
執着が観念であれば・・^^
空も観念であり・・^^
空の観念から執着の観念が滅するかもしれん^^
の答えは・・^^
そうはならない。二空を論じているが、感情的な煩悩(煩悩障)は離れること
ができても知的な煩悩(所知障)を離れることはできない。
であり・・^^
そうかもしれん^^
・・となる^^
理論として真実を知っていても、体得している事とは別であるから。 う〜〜ん^^
訶梨跋摩ちゃんとは友だちになれそうだ^^ 空だの、無我だの、仮想現実だの、いったい日常生活のうえで、何の役にも立たない事を議論しても仕方がないでしょ。
どうしても、無我になりたいんだったら、さっさとミイラになって即身成仏すれば良いではないか。(まぁ、ミイラになっても、行き先は地獄かもしれないけどね。(笑)
結局、修行もしたこともない仏教オタクが自分の言葉に酔いしれて悦に入っているだけの、空しい姿ではないか。
まさに、こうした議論の内容が「空」(カラッポ)なんだよ。
人間の実生活という現実や、社会に根ざしてこそ、仏法の本当の価値は生まれる。
そこが、君たちには、まだ良くわからないんだろうね。 社会や国といっても、それを構成しているのは人間なのです。
その人間に焦点を当て、どうすれば、その人間を仏にすることが出来るのかを教えたのが仏法なんだよ。
依正不二という仏法上の原理がある。
正法(人)と依法(環境)は不二と説く。
すなわち、環境(国、社会、地域)とそこに住む人間のとの間には極めて密接な関係があるんだよ。
悪人の住む(或いは悪王が支配する)世界は、荒れ果て衰退するし、仏が住む世界は寂光土となる。
仏法を学ぶものにとっては、誰でも知っている当たり前の原理だよ。 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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