カトリックの洗礼を受けたいんだけど [無断転載禁止]©2ch.net

1神も仏も名無しさん2017/03/22(水) 15:14:34.58ID:9kYs/gVF
詳しい人います?
教会行って申し込めばいいんですか?

384老クリスチャン2018/04/19(木) 12:45:01.43ID:zR40Q/g9
(つづき)
地上でミサをささげている群は、また同時に将来の神の国への復活を待ち望んでいる群です。

「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。 しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。」(Iヨハ v.2)

私たちはキリストの復活の命に与かるようになることを信じているのです。
“永遠の命” とは、このような将来への期待を約束するものなのです。

「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。 その羊をも導かなければならない」(ヨハ 10:16)とイエスは言われました。
これは異邦人のことを指しているのですが、正にその異邦人教会こそが、今日の私たちの教会であることを思って、感謝しようではありませんか。

「すべてを治められる父よ、あなたの民を牧し、養ってください。 御独り子の血によってあがなわれたわたしたちが、永遠のまきばに入ることができますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。」(今朝の拝領祈願)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

385髪の粉2018/04/19(木) 13:42:57.49ID:8EU3vwOg
ふりふり
 
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386神も仏も名無しさん2018/04/19(木) 15:00:01.90ID:APeHlN2J
牧師は、当然一週間、主日に備えて祈るんだろうけどその間お金を儲けることは難しい、、、いろんな理由をつけてお金を信徒から巻上げる算段をする牧師までもいる。
そりゃ、牧師や宣教師だって人間だから家族を支える為に必死だ。時には伝道集会や講演会などの理由・名目で献金を募りこっそりかなりな額の上前をはねる。
教会の役員をしていたので知ってるが、そのような悪事は既成教会より福音派などを謳うが実は個人商店化しカルト化した教会に多い。
宗教法人にすると公に会計書類を提出する必要も限りなく無いに等しいし(営利事業は別)、当然、有っても役員に現世的利益をちらつかせ、その目やその信徒さえ誤魔化せば良い。

これは忌々しきことだが現実で、神さまはそんなパリサイ化した指導者の状況を永遠に許すわけが無い。
少なくても牧師の衣を借るそのような教会関係者は無意味な事をしてる事に気がついていないか(気がつく義務は有る)、
気がついているとしたら、神さまは居ないから現世のうちに大胆に周囲を騙し、金を献金という名目で巻上げる、、、と腹をくくったか。
大半が後者だろう、神さまの前では言い訳は利かないのは当然だ。
キリスト教を騙り信仰を悪用した泥棒である。神殿の中で堂々と商売をしてるわけである。
自分だけは楽をして信徒には負いきれない重荷を押し付ける、自分の栄誉・宣伝のために意味の無い苦行などを強いるなど、あの手この手だ。

カトリック教会の修道士などは清貧を義務づける修道会も有るのはそういった現実的な意味も有るからだ。
現世と隔絶した生活、当然現世のままを享受するのは不適切と考える修道会が出てきてもおかしくはない。
社会的にもすばらしい業績を残すだけではなく、多くのものが信仰に導かれている。
一部の福音派と呼ばれる教会の中にはそれを非難しそんな肉的な行為で信仰に導かれるのではないと言う。
しかし、そんな戯言を言うのは、ただ、愛がないだけである。つまり、神さまから愛されていない、呪われた頭でっかちの牧師が言う事だ。

一度、献金した金品は法律的にも返還請求するのは難しい。
少しでも疑問が有るのなら、そういった牧師から離れその教会も去ることだ。
それは不信仰なことではなく、神さまに対しても素直なことである。
この日本でも、他にもすばらしい信徒の群れはたくさん有る。

387老クリスチャン2018/04/20(金) 11:57:04.49ID:FHCDoFL7
2006年(主日B年) 5月7日 復活節第4主日
使 4:8〜12  Iヨハ 3:1〜2  ヨハ 10:11〜18

「わたしは良い羊飼いである。 わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」(ヨハ v.14)
「わたしは ・・・・・ 羊のために命を捨てる。」(ヨハ v.11)

イエス・キリストは、御自分の羊のために命を捨ててくださった救い主であることを、正しく理解することが大切です。
通俗的な説明の中には、イエスの十字架の死は甚だ不本意なことであったけれども、父なる神の憐れみによってその死をも克服して復活した ・・・・・ 、それこそが神の勝利であるというようなものがあります。
そのように考える人にとっては、受難と復活に至るイエスの生涯の物語りを、聴衆がはらはらどきどきしながら聴くようにリアルに語ってみせるのが、良い説教であるということになります。

しかし、御子イエスは御父の御旨に従って御自身を 「信じる者のために罪を償う供え物」(ロマ 3:25)として献げられたのであって、決して誰かに命を奪われたのではありませんでした。

388老クリスチャン2018/04/20(金) 11:58:09.21ID:FHCDoFL7
(つづき)
ここで私たちは、イエスが “自分の羊のために” 死んでくださったということに注目しましょう。
ヨハネ福音書は、イエスの羊(神の子とされた人々)とその他の羊(救われていない人々)とを区別しているのです。

私たちもかつては “さまよえるその他の羊”(Iペト 2:25)であり、“神の怒りを受けるべき者”(エフェ 2:3)でありましたが、信じて “イエスの羊” となるために洗礼の秘跡を受けて救われました。
洗礼の秘跡を通して救いを受けるためには、信仰が必要です。
そして、キリストの福音を 「聞き分ける」(ヨハ v.16)ことは、信仰の原点です。

「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ロマ 4:25)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

389まむし酒ーマムシは人のために命をすてる2018/04/20(金) 16:29:12.10ID:UrCwsKkI
 

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チロチロ

390神も仏も名無しさん2018/04/20(金) 16:39:27.70ID:NGEdlIMZ
>>386
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/

391老クリスチャン2018/04/21(土) 11:19:55.89ID:mmnOirS3
2012年(主日B年) 4月29日 復活節第4主日
使 4:8〜12  Iヨハ 3:1〜2  ヨハ 10:11〜18

“あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリスト” 以外の “ほかのだれによっても、救いは得られません” という使徒ペトロの説教は、
新約聖書の中の一つの物語りではなくて、現代の私たちに向かって語られている “現在の神のことば” であります。

WCC(世界教会協議会)が、プロテスタントのほとんどの教派と、東方教会およびローマカトリック教会の合意によって、1983年に正式に承認した “リマ文書(Baptism, Eucharist and Ministry)” は、教会の聖職位階制度に関して次のように述べています。
“教会はその使命を達成するために、教会が根本的にイエス・キリストに依り頼む存在であるということを公に示し続ける責任を担う人を必要とする。” 歴史の教会はそのような “特定の権威と責任を負う人物を欠いたままで存在したことは決してなかった。”

ローマ・カトリック教会は、ペトロの後継者であるローマ教皇と使徒たちの後継者である司教たちが、このような牧者として司教団を構成しているという教理を、公に宣言しています(教会憲章 第3章)。

392老クリスチャン2018/04/21(土) 11:21:02.47ID:mmnOirS3
(つづき)
しかしこの司教団は、キリストが天に上げられて見えなくなった(使 1:9)後の教会で、キリストに代わって “留守番役をする” 代理者になった訳ではありません。
キリストは現在も教会の大牧者であって、教皇と司教たちはこのキリストから委ねられた務め(κλῆρος)に奉仕し、羊の群れの世話をしているのです(Iペト 5:1-4)。
私たちは天上のキリストこそが群れの羊の真の牧者(ποιμήν)、監督者(ἐπίσκοπος)であることを決して忘れてはなりません(Iペト 2:25)。
そして私たち一人一人は、自らキリストの声を聞き分ける羊になりましょう。

「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子です ・・・・・ 」(Iヨハ v.2)

「ミサが神によって呼び集められた人間同士のことばとしるしによる奉仕であり、その人間の行為を通して神ご自身がわたしたちに語りかけ、働きかけておられる」 と、圡屋吉正神父はその著 “ミサがわかる/序” で書いておられます。
実に教会は “ことばの典礼” と “感謝の典礼” を通して神が私たちに語りかけ、私たちがそこで神のことばを聞くという一事によって、基礎づけられ、支えられているということを、真剣に考えていただきたい。

私たち一人一人が感謝と喜びのうちに、「御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています」(Iヨハ v.2)と、本当に言うことが出来ますように。
そのために司教団とこれに従属する司祭たちは、神の教会に奉仕しているのですから。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

393マムシの群の世話人2018/04/21(土) 17:51:35.29ID:lxJUz62a
 
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394既に紙の粉2018/04/21(土) 17:53:27.80ID:lxJUz62a
 
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395永遠に現れそうにない神鋸2018/04/21(土) 17:55:47.27ID:lxJUz62a
 
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396神も仏も名無しさん2018/04/23(月) 03:10:26.45ID:fFjAWIh7
「さらば青春、されど青春。」の映画上映を中止するように、日活にメールや手紙を送りましょう。

https://jyakyoukohukunokagaku.wordpress.com/2018/04/22/%E3%80%8C%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E9%9D%92%E6%98%A5%E3%80%81%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A9%E9%9D%92%E6%98%A5%E3%80%82%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E4%B8%8A%E6%98%A0%E3%82%92%E4%B8%AD%E6%AD%A2/

https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12370339664.html

東京南部支部でノルマを苦にした信者の飛び降り自殺がありました(幸福の科学)。

在家総代の奥さんです。

尊い命が、常軌を逸した集金活動によって奪われました。

幸福の科学からは、何一つ、説明がありません。

人命を何だと思っているのか?

教祖は、複数の愛人たちに年間、数千万円の小遣を与えています。

https://togetter.com/li/1187342

あまりの布施の強要により、東京南部支部の在家総代夫人がノルマを苦に、飛び降り自殺されました。

(幸せな家庭を築きたい。子供を一人でいいから産みたい。

でも、お金がない。ノルマ達成出来ない。そう悩んだ末の自殺だったそうです。)

397老クリスチャン2018/04/26(木) 12:17:06.74ID:wFCTNRxJ
2000年(主日B年) 5月21日 復活節第5主日
使 9:26〜31  Iヨハ 3:18〜24  ヨハ 15:1〜8

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。 人がわたしにつながっており、わたしもそのひとにつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。 わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハ v.5)

今朝も福音書の朗読の後に、私たちは互いに呼び交わしました。 “キリストに賛美” “キリストに賛美”、(これは唱えるよりも歌うほうが、もっと良いと思いますが ・・・・・ )。
福音書の朗読を聞く会衆のただ中に、復活された主イエス・キリストが来てくださっていることを覚えて、私たちはその御名をほめたたえます。

人はミサに参加することによって、キリストにつながっています。
キリストは私たちのミサに来てくださって、その祭壇に与かる群の一同とつながってくださいます。
このように、ミサを抜きにしては、私たちは “キリストにつながる” ということを考えることが出来ないし、“豊かに実を結ぶ” ということもミサから切り離しては正しい意味を持たなくなってしまいます。

聖書の朗読がミサの中で行われるということは、教会にとってとても大切な、いわば基本的な事柄です。
主イエス・キリストの死と復活が記念され、十字架のいけにえが再現される感謝の祭儀の中でこそ、聖書は “神のことば” として会衆に語りかけ、聞かれ、正しく理解されるからです。

398老クリスチャン2018/04/26(木) 12:18:10.75ID:wFCTNRxJ
(つづき)
既に16世紀以来、聖書が庶民のものとなったことは、一面ではたいへん良いことでした。
このことに大いに貢献したのが、宗教改革で誕生したプロテスタントというキリスト教の新しい陣営の活動でありました。
そのことによって他面、人々は教会に行かなくても、あるいは洗礼の秘跡を受けていなくても、自由に母国語で聖書を読んで、自己流にこれを解釈することが容易に出来るようになったのです。

現在私たちが使っている “新共同訳聖書” は、カトリックとプロテスタントの共同作業によって翻訳されたもので、
第二バチカン公会議の 「信者に神のことばの食卓の富を豊かに与えるために、聖書の宝庫を今まで以上に広く開かなければならない」(典礼憲章 51)という方針にしたがって、全世界で同時進行した新しい翻訳出版活動の成果の一つです。
世界中で、過去の歴史にないすばらしい母国語の聖書を人々が読むことの出来る時代が来たのだ ・・・・・ ということを、お伝えしておきたいと思います。

その聖書の朗読を、私たちがミサの中で聞くことが出来ることの大切さを覚えましょう。
いろいろな人々が、いろいろな雑誌や書籍の中で、いろいろな聖書の解説をしているのに出会うとき、その語られている解説がもし教会ともミサとも何の関係もない話であったら、それはちょっと用心した方が良いかもしれません。
私たちは、復活のキリストにつながって豊かに実を結ぶために、聖書に耳を傾けたいと思います。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

399さよか2018/04/26(木) 13:43:21.85ID:WKxcBZUO
 
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400老クリスチャン2018/04/27(金) 12:26:31.25ID:D06xcABM
2003年(主日B年) 5月18日 復活節第5主日
使 9:26〜31  Iヨハ 3:18〜24  ヨハ 15:1〜8

使徒パウロは他の使徒たちとは違って、生前のイエスによってではなくて、復活のキリストに出会って使徒として召されました。
使徒とは主イエス・キリストによって直接に召され、福音の宣教と教会造りのために遣わされた人々であります。
この使徒たちに委ねられた福音宣教は、決して 「人から受けたのでも教えられたのでもなく」(ガラ 1:12)、十字架と復活の主に由来していました。
ですから一人一人の使徒はそれぞれの個性と特質を持った別々の人たちではあっても、その宣教する福音は使徒たち全員に共通するもの、そして使徒たち全員で共有するものでなければなりませんでした。

パウロが復活の主から使徒として召されて数年後に、エルサレムの使徒たちのもとを訪ねて滞在したのは、このためでありました。
使徒言行録に記録されているパウロの異邦人伝道における大きな働きが、他の使徒たちと異なる 「別の福音」(ガラ 1:7)を宣教することとならないための、いわば準備的な作業であったと言うことが出来ます。

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」(使 v.31)

代々の時代の教会の信仰は、それが使徒たちの宣教の上に固く立つものである限り、正統的なものであると主張することが出来ます。
いつの時代でも、教会にせよ信者個人にせよ、その信仰がいかに自発的主体的であっても、使徒たちの宣教とは別に独立して直接にキリストと繋がっていると主張するとき、それは正統的なものではあり得ないのです。
現代の教会も、使徒たちの宣教を通してその源泉である復活のキリストに出会い、聞き、その枝として連なることによってだけ、正統的な教会であると主張出来るのだということを理解しなければなりません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

401小夜香2018/04/27(金) 12:50:16.95ID:3Si3jwX/
 
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402老クリスチャン2018/04/28(土) 11:43:44.26ID:UjKyhJzE
2006年(主日B年) 5月14日 復活節第5主日
使 9:26〜31  Iヨハ 3:18〜24  ヨハ 15:1〜8

「神の子イエス・キリストの名を信じ、 ・・・・・ 互いに愛し合うこと」(Iヨハ v.23)とは、
共にミサをささげるために集まる会衆が、「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました」(エフェ 1:7)という信仰と感謝のうちに一致団結することを意味しています。
そのような福音理解と信仰を、使徒たちは今も聖書を通して現代の教会に語り続けているのです。
この使徒たちの福音が際立って証言される場がミサ典礼であります。

昨年閉幕した “聖体年” は、故ヨハネ・パウロ2世の “教会生活の中心にある聖体(ユーカリスティア = ミサ)を見つめ、キリストから再出発しよう” という呼びかけで始まりました。
6年ごとに米国で行われているギャロップ調査の昨年の集計によると、信者が何をかトリックの中心と考えているかは、前回はサクラメント(秘跡)が第一であり、貧しい人々の救済が第二であったが、
今回は貧しい人々の救済が第一となり、第二はサクラメント(秘跡)ではなく、復活のイエスへの信仰となったと報告されています。

現代のカトリック教会はいわば末期症状の中にありますが、その原因の第一はミサ典礼が久しく使徒たちの福音が証言される場ではなくなっていたことであると言わなければなりません。
人々、特に現代の若者たちが、キリストの言葉(ロマ 10:17)を聞くことの出来ないミサに見切りをつけたと言うべきでしょう。

403老クリスチャン2018/04/28(土) 11:44:48.33ID:UjKyhJzE
(つづき)
使徒パウロがその回心から間もない頃にエルサレムの使徒を訪ね(ガラ 1:18-19 参照)、さらにそれから14年後に再びエルサレムに上ったのは(ガラ 2:1-10)、彼もまた復活の主の直接的啓示を担う使徒の一人として召されていたからでありました。

もしパウロをただの偉大な神学者としてしか理解しないなら、彼は結局はヘレニズム的西欧的キリスト教の開祖でしかありません。
しかし、彼は使徒たちの一人でありました。
使徒であるならば、その証言である新約聖書の諸文書がミサ典礼で朗読され、その証言に支えられてミサ典礼がささげられるとき、今もそこで福音を宣教されるのは復活の主キリスト御自身であります。

昨年語られた教皇ベネディクト16世の言葉は、教導職だけでなくて、私たちすべての信者への聖書への招きです。
「神のみことばに注意深く耳を傾ける者だけが、真の意味で神のみことばを伝える者となることが出来るのです。 キリスト者は自分の知識を人に教えるのではなく、世間の目には愚かなことにさえ映る(Iコリ 1:18-25)神御自身の知恵(同 2:6-9)を伝えなければなりません。」

信者一人一人が聖書に親しみ、聖書を学ぶことこそは、21世紀の教会の “道の光”、“歩みを照らす灯”(詩 119:105)でなくて何でしょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

404ラッツィンガーZ2018/04/28(土) 12:35:09.71ID:/WFx2ixx
 
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405老魔法王2018/04/28(土) 12:36:14.48ID:/WFx2ixx
 
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406Catholic2018/04/28(土) 12:43:04.46ID:/WFx2ixx
 
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  <*`∀´> にゃ〜ん
C/   l
 し−しJ

407老クリスチャン2018/05/03(木) 21:43:45.54ID:8R9xcsvv
2003年(主日B年) 5月25日 復活節第6主日
使 10:34〜48  Iヨハ 4:7〜10  ヨハ 15:9〜17

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である。 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハ vv.12-13)

これはキリスト教がこの世に向かって誇らしげに教える道徳の理想のように、ある人々には考えられて来ました。
しかし、復活して今も天におられるキリストは、この聖句を通して他ならぬ現代の教会に向かって語っておられるのです。

私たちのために命を捨ててくださったのは、他の誰でもなくて、御子イエス・キリストであであり、そしてこのキリストが、私たち教会に 「互いに愛し合いなさい」 と命じておられるのです。

使徒たちの宣教した福音を自ら聞く教会だけが、またこの世に対する使徒たちの使命にも与かることが出来ることでしょう。
使徒たちの使命は、その宣教によって救われる人々を日々教会に加えて一つにする(使 2:47)ことに他ならないからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

408ホコラシイホコラシイニダ2018/05/04(金) 00:40:33.52ID:ywfnEIYz
 
ニダーニダーニダーウェーハァッハァッハァッホコラシーニダーホコラシーニダーチョパーリホコラシーニダー
ウェーハァッハァッハァッウェーハァッハァッハァッウェーハァッハァッハァッチョパーリ
ウェーハァッハァッハァッウェーハァッハァッハァッウェーハァッハァッハァッ
ホルホル
  
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409老クリスチャン2018/05/04(金) 09:57:53.22ID:zXBE9hF1
2006年(主日B年) 5月21日 復活節第6主日
使 10:44〜48  Iヨハ 4:7〜10  ヨハ 15:9〜17

福音が語られ、聞く者に信仰が生まれて救いを受けるのは、聖霊の働きであることを理解しましょう。
この福音、信仰、聖霊という三つの密接な結びつきを、使 10:44〜48 の物語りは見事に描いています。

私たちは自分が洗礼の秘跡を受けたことを、決して単なる自分の決断のように考えてはなりません。
それは聖霊の御業であって、「恵みにより、信仰によって」 与えられた 「神の賜物」(エフェ 2:8)です。
ですから “洗礼は、カトリック教会とまだ完全に一致していない人々をも含めて、すべてのキリスト者間の一致の土台を成しています”(カトリック教会のカテキズム 1271)。
また聖霊の御業であればこそ、“洗礼は一回限りのもので、繰り返すことは出来ないのです”(同 1272)。

ですから、キリスト教の他派から信者がカトリック教会に移る場合にも、“すでに洗礼を受けたという事実、またはその有効性が真に疑わしい場合” 以外には、再洗礼は禁じられています(儀式書/成人のためのキリスト教入信式 p.155)。
救いが信仰と切り離せないのであれば、そして信仰が福音から切り離し得ないのであれば、私たち一人一人は正しく福音に耳を傾けなければなりません。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉(使徒たちが伝えた福音)を聞くことによって始まるのです」(ロマ 10:17)。
洗礼は、決してペーパードライバーの免許証のようなものであってはなりません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

410老クリスチャン2018/05/05(土) 14:41:09.84ID:0uLdfoiP
2000年(主日B年) 5月28日 復活節第6主日
使 10:23b〜48  Iヨハ 4:7〜10  ヨハ 15:9〜17

私たちがミサにおいて、特にその祭壇においてお会いするキリストは、復活のキリストです。
私たちがミサに集まるとき、復活のキリストはそこに天から降って来られます。
そして司祭の手を通して、御自身のいけにえを会衆の一人一人に与えてくださいます。

「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。 ここに愛があります。」(Iヨハ v.10)

ですから、「互いに愛し合いましょう」(Iヨハ v.7)とは、“みんなで共に御聖体に与かりましょう” という呼びかけを意味しているのです。
会衆がキリストの祭壇のもとに集まって、司祭の手を通して御聖体に与かっているとき、彼らは 「愛する者たち」(Iヨハ v.7)であり、“互いに愛し合っている群” なのです。

そのような “愛し合う群” を育て導くことを、主は弟子たちに委ねられました。
使徒と、その後の時代の後継者である教父たち、また司教とこれに従属する司祭たちは、このような教会を育て導く “弟子の務め”を果たすために、復活の主によって遣わされて来たのです。
彼らは主に選ばれて、「行って実を結び、その実が残るように」(ヨハ v.16)任命された人々です。
司祭と会衆はミサを通して互いに愛し合い、そのようにして会衆も共に御聖体に与かって “互いに愛し合う群” へと育って行きます。

復活のキリストを賛美しましょう。
「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう。」(拝領前の信仰告白)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

 
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チロチロ

新薬で薬価高いけどいいですか?

412老クリスチャン2018/05/08(火) 18:11:09.20ID:PykgrjBv
今年の 「聖書講義」 に、<2018-2> を追加しました。
今回は、ユダヤ教の聖書とキリスト教の旧約聖書の違いについて、基礎的な紹介をしています。
http://www.kuwaei2000.com/Study/2018/2018.html

413神も仏も名無しさん2018/05/08(火) 21:17:46.14ID:Hypob/6L
>>412
カスタマーレビュー

カスタマートーマス
★★★★★★5つ星のうち6.0 最高傑作

2018年5月8日
カトリック教徒になるためには、大変素晴らしい内容です。
キリスト教に興味がある方、カトリック教徒として幸せな人生をおくりたい方には必読書になります。
絶対オススメです。機会があれば、是非是非ご一読を。


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414老クリスチャン2018/05/10(木) 11:53:54.90ID:hhpNuoWU
2000年(主日B年) 6月4日 主の昇天
使 1:1〜11  エフェ 4:1〜13  マコ 16:15〜20

「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 ・・・・・ 」(エフェ v.12)

この “造り上げる” という言葉は、元来は家を建築するという場合に用いられるギリシア語 “オイコドメオー” です。
使徒パウロはそれをミサを守る群を育てることに当てはめて、彼の手紙の中で使いました。
代々の教会に使徒たちの後継者である司教たちがいて、それに従属する司祭たちと共にその務めを果たしているのは、この “教会を造り上げてゆく” ためです。
これらの人々は、父なる神の右に座したもう復活のキリストから送られて来る聖霊によって、育てられ用いられているのです。

同様に、教会のいろいろな働きのために奉仕している信徒たちも、その奉仕が “教会を造り上げて行く” ことになるのは、復活のキリストから送られて来る聖霊の働きによるのです。

415老クリスチャン2018/05/10(木) 11:55:02.10ID:hhpNuoWU
(つづき)
地上に受肉して、御自身を十字架のいけにえとして献げられた主イエス・キリストは、墓から復活して父なる神のもとに昇天されました。

「この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。」(エフェ v.10)

この天上のイエス・キリストが父なる神のもとから聖霊を送ってくださるとき、私たちの教会は “造り上げられてゆく” ことになります。
20世紀の私たちの教会は、聖霊の働きの希薄な教会であったと認めざるを得ないかも知れません。
しかしそれならば、私たちは21世紀の教会のために聖霊を送ってくださるように、天に昇って父なる神の右におられる復活のキリストに向かって、目を上げたいと思うのです。
このキリストは、「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使 1:11)方です。

既に1956年、当時の教皇ピオ12世は典礼刷新に当たって、「聖霊が人々を恵みの泉に近づけようと、現代の教会を訪れてくださったのです」 と述べられました。
21世紀の私たちの教会を、来たるべき神の国を受け継ぐ “キリストの体”" に造り上げて行くために、天のキリストが父なる神のもとから聖霊を送ってくださるように、目を上げようではありませんか。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

416性霊2018/05/10(木) 21:00:21.26ID:vdDQB/66
 
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417老クリスチャン2018/05/11(金) 11:56:12.34ID:GEXN52tl
2012年(主日B年) 5月20日 主の昇天
使 1:1〜11  エフェ 4:1〜13  マコ 16:15〜20

「あなたがたは ・・・・・ 、わたしの証人となる。」(使 v.8)

キリストが弟子たちから離れて天に上げられたことは、決してイエスが地上の教会を留守にされたのではありませんでした。
そうではなくて、今や昇天のキリストは全世界のどこででも支配し、特に教会をその御業の中心とされたのであり、使徒とその後継者はこの “現在のキリスト” の証人とされたということなのです。

代々の時代の教会を支配し、その御業を進めておられるのは神の右の座に着いておられるキリスト御自身でありますから、教会憲章 21 は次のように宣言しました。
「したがって、大祭司である主イエス・キリストは、司祭たちに補佐されている司教の中に、信ずる者たちの間に現存する。 事実、神である父の右にすわっている主は、自分の司教たちの間にいないことは(あり得)ない。」

そのようなわけで、私たちは今朝の拝領祈願で心を一つにして祈ります。
「天に上げられたキリストに結ばれて、いつも永遠の国を目指すことができますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。」

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

418神も仏も名無しさん2018/05/11(金) 11:56:32.10ID:x8D3RfhD
プロテスタントに籍がある老クリスチャン タイトル読め

ここはプロテスタントのスレじゃないぞ

タイトル無視しの「説教」は アラシ

初心者(未信者)を惑わすな!

419嵐 老クリスチャンメンバー2018/05/11(金) 12:18:54.31ID:ez/45qam
 
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420老クリスチャン2018/05/11(金) 18:21:23.65ID:GEXN52tl
2003年(主日B年) 6月1日 主の昇天
使 1:1〜11  エフェ 4:1〜13  マコ 16:15〜20

エフェ vv.9-11
この天に上げられた(昇った)キリストが、使徒たちとその協力者である数々の奉仕者を通して福音の宣教を導き、教会を成長させ造り上げて行かれました。
ですから教会は一つ(体は一つ)であって、いくつもの主、いくつもの信仰、いくつもの洗礼というものは存在しません。

現実には世界中に多くの教派に分裂したキリスト教会があり、互いにその相違を強調して他を非難するという歴史が、すでに初期の頃から今日に至るまで続いて来ました。
第二バチカン公会議はこの分裂の克服を目指して、“エキュメニズムに関する教令” を布告しました。
カトリック教会の信者が今朝の聖書の日課に促されて、今一度これを重く受け止めることは大切なことであります。

「 ・・・・ それにもかかわらず、信仰によって洗礼において義とされた者は、キリストに合体され、それゆえに正当にキリスト信者の名を受けているのであり、カトリック教会の子らから主における兄弟として当然認められるのである。」(エキュメニズムに関する教令 3)

421老クリスチャン2018/05/11(金) 18:22:28.76ID:GEXN52tl
(つづき)
現代の教会にも使徒の後継者である司教たち、その協力者である司祭および各種の奉仕者がいます。
そして教会は、父の右におられる天上のキリストがこれらの人々をお立てになり、今もその働きを導いておられると信じています。

しかし誤解を避けるために注意しなければならないことは、今も教会を導き支え担い続けておられる天上のキリストは、最初の使徒たちを選んでこれを世に遣わし、一・聖・公の教会をお立てになった方と同一のキリストであるということです。
後の教会が使徒の後継者たちを選任することによって、最初の使徒たちが立てた教会と常に同一の教会であろうとして来たことは、正しいことでした。
それで “一・聖・公” に加えて “使徒継承の教会” と告白されて来たのです。

現代の司教や司祭、現代の教師や預言者が立てられるのは、最初の使徒やその協力者、最初の教師や預言者が排除されたり否定されることによってではなく、同じ信仰、同じ洗礼、同じ教会が受け継がれて行くためであることを理解しましょう。
時代は変わり、この世は移り行きますが、教会を導き支え担い続けておられる方は同じ昇天のキリストであり、この方はかつての使徒たちが 「見たのと同じ有り様で、またおいでになる」(使 1:11)終末の王なのですから。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

422神も仏も名無しさん2018/05/11(金) 19:41:12.43ID:PBQQo4xT
>>420-421
『老クリスチャンの長文コピペについて』
  
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
   そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
   どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
   老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。

【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/

423老クリスチャン2018/05/12(土) 10:45:38.33ID:bfI75KIr
2012年(主日B年) 5月20日 主の昇天
使 1:1〜11  エフェ 4:1〜13  マコ 16:15〜20

「体(教会)は一つ、霊は一つです。 それは、あなたがたが、一つの希望(将来の神の国)にあずかるようにと招かれているのと同じです。 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ。 すべてのものの父である神は唯一であって、 ・・・・・ 」(エフェ vv.4-6)

私たちの教会は、“ただ一度成し遂げられたキリストの贖い” の果実であって、昇天のキリスト御自身の御業の継続、その御業が現在行われている場所なのです(エフェ 1:22-23 参照)。
ですから、本来キリスト者の希望は一つである筈なのですが、実際には現代の教会の信者のほとんどが “秘められた計画”(エフェ 1:8-14)に無知であって、このためミサにおける “キリストの現存” を実感をもって理解していません。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」(エフェ 1:17-18)

昇天のキリストは、代々の時代の教会に指導者や奉仕者をお立てになりますが、それは私たちが皆 「神の子に対する信仰と知識において一つになる」(エフェ v.13)ためです。
先月日本語訳が発売された教皇ベネディクトXVIの使徒的勧告 “主のことば” は、キリスト信者の聖書教育の項で、「すべてのキリスト信者、とくにカテキスタは適切な養成を受けることが必要です」(p.131)と述べ、
聖なる叙階の志願者については、「聖書を神学養成の魂としなければなりません」(p.137)と語っています。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

424洗脳は一つ2018/05/12(土) 12:15:41.13ID:yRU//6Vk
 
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425神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 10:56:55.10ID:jnfUc7RI
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426老クリスチャン2018/05/17(木) 10:59:30.85ID:izSNtzjl
2000年(主日B年) 6月11日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  ガラ 5:16〜25  ヨハ 15:26-27, 16:12-15

今年も聖霊降臨の主日を迎えました。 主イエス・キリストの受難と復活によって始まった教会の誕生と成長が、今も信じる民を通して前進し、よい実りをもたらすように祈りましょう。

最初の聖霊降臨の日の出来事について、聖書はそのイメージを非常に象徴的な話法で伝えてくれています。
その第一は、使徒たち一同が “聖霊によって語り始めた” ということであり、第二には人々が “めいめいが生まれた故郷の言葉を聞く” ように、使徒たちの語る “神の偉大な業についての宣教” を理解したということです。
私たち教会にとって、宣教とは “使徒たちの宣教” であり、その内容は “キリストの福音” であることを、ご一緒に再確認したいと思います。

20世紀の私たちの教会は、聖霊の働きの希薄な教会であったと認めざるを得ない ・・・・・ と、先週の聖書の学びで話しました。
そこでは使徒継承ということが一般の信者にとって実感の湧かない事柄となり、教会の教えは “使徒たちの宣教” とは何の関係もないもののように理解されて来ました。
十字架と復活の主であるキリストと何の関係もないような “ほかの福音”(ガラ 1:7)が、信者たちの心を支配して来ました。
初代教会の宣教とその成長の原動力であったその同じ聖霊が、再び21世紀に向かう現代の教会に訪れてくださって、その司教と司祭たちによって “使徒たちの宣教” を継続させてくださるように、ご一緒に祈りたいと思います。

427老クリスチャン2018/05/17(木) 11:00:40.52ID:izSNtzjl
(つづき)
聖霊は神であって、父と子と共に私たち教会の礼拝の対象であります。
この方は 「父のもとから出る真理の霊」(ヨハ v.26)であって、“イエス・キリストによって実現した救い” について証しし、初代教会の “使徒たちの宣教” を支え導かれました。
現代の教会における使徒継承を支え導かれるのも、この同じ聖霊なる神なのです。

この世にはもろもろの霊が働いていて、人々はそれらの中に生活していますが、
キリストの祭壇を囲んでミサをささげる群である教会には、「その方、すなわち、真理の霊」(ヨハ v.13)が来てくださって、キリストの福音の真理へとこれを導いてくださることを、今朝の福音書のテキストは語っているのです。

私たちは一方では過去の教会のありのままの姿を直視しなければなりません。
20世紀の教会は聖霊の働きの希薄な教会であったと認めざるを得ない現実がそこにあります。
しかし同時に、21世紀に向かう将来の私たちの教会に 「その方、すなわち、真理の霊」 が来てくださって、これをキリストの福音によって “造り上げて”(エフェ 4:12 )くださることを祈り求めることは、
今朝ミサをささげている私たち一同にとって、「まことにとうとい大切な務め」(奉献文/叙唱)なのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

428キリストの幅員2018/05/17(木) 18:50:02.19ID:FbPD8PuB
 
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429老クリスチャン2018/05/18(金) 12:35:39.05ID:/ET+daGJ
2006年(主日B年) 6月4日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  ガラ 5:16〜25  ヨハ 15:26-27, 16:12-15

「霊の導きに従って歩む」(ガラ v.16)という用語を、使徒たちが宣教した福音から切り離して理解することを、新約聖書は全く知りません。
ところが残念なことに、これまで通俗的なキリスト教理解では、「愛、喜び、平和、・・・ 親切、善意」(ガラ v.22)があれば “霊に従って歩んでいる” ことになり、
「姦淫、わいせつ、好色、・・・ 敵意、争い」(ガラ vv.19-20)を避けていれば “肉に従って歩んではいない” ことになるという具合に説明されて来ました。
しかし、聖霊は生きて働いておられる神であって、決して人間の道徳規準のことではないのです。

「わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊” により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです」(ガラ 5:5)という訴えに続いて、使徒パウロは今朝のこのテキストにある勧告を語ったのでした。
私たちは使徒の伝える福音を受け入れるために、霊に従って歩みましょう。

「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に宿っているなら、
キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの中に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも(終末の復活の日に)生かしてくださるでしょう。」(ロマ 8:11)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

430ちちのもとから出る真理ちゃん2018/05/18(金) 22:24:45.01ID:2LCaLSZn
 
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431天と地と真理ちゃん2018/05/18(金) 22:28:44.88ID:2LCaLSZn
 
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真理ちゃ〜ん

432老クリスチャン2018/05/19(土) 12:57:01.86ID:hdWbP92D
2009年(主日B年) 5月31日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  ガラ 5:16〜25  ヨハ 15:26-27, 16:12-15

聖霊は、父と子から出て(ニケア・コンスタンチノープル信条)、教会共同体という群れに働くと同時に、信者一人一人に(Iコリ 12:7)送られる “天よりの力”(ルカ 24:49)です。
この聖霊について、通常は教会で教えられることが極めて少なく、そのために信者はしばしば自己流の、あるいは主観的な理解に陥る傾向があります。

聖書がいわば自明なこととして伝えている第一のことは、聖霊と使徒たちの証しとの固い結びつきです。

「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しするのである。」(ヨハ v.27)

使徒たちから伝えられたこと(神の啓示に関する教義憲章 8)とは無関係に、何か新しい働きをしたり、新しい教えを与えてくれるなどと期待してはなりません。
ですから、そもそも聖伝と聖書を自ら学ぶことなしに、聖霊に何かを期待することは間違っているのです。

第二は、“イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられた”(ロマ 4:25)という、十字架と復活の出来事との深い結びつきです。

「その方はわたしに栄光を与える。 わたしのものをうけて、あなたがたに告げるからである。」(ヨハ v.14)

十字架の福音を自ら学ぶことによって、信者一人一人が神が成し遂げられた贖いに信頼し、キリストによる罪の赦しと救いへの信仰を確信し、それ故に神の民である教会共同体と共に歩むということと、
聖霊の働きは連動していると言っても過言ではありません。
自分は聖霊の働きの外にいて、誰か他の人に聖霊が働きますようになどと無責任な祈りをする人は、何も分かっていないのだし、現代における聖霊の働きも “新しいぶどう酒に酔っている”(使 2:13)ようにしか見えないことでしょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

433神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 13:03:19.97ID:rNwAN/At
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434神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 22:32:53.94ID:IpgoVQfp
 
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