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宗教団体って信者のお布施で成り立ってるの? [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん垢版2017/01/08(日) 14:16:09.17ID:ABWfIHtj
0002神も仏も名無しさん垢版2017/01/08(日) 15:03:30.53ID:u2xCvF+P
基本的にはそうだろうね
お布施をためて資金運用とか
広い敷地を生かした駐車場経営や物件賃貸などの副業もある
0003神も仏も名無しさん垢版2017/01/08(日) 20:22:38.47ID:3zVOFBQL
信者が減ったら倒産してしまうのね
0004神も仏も名無しさん垢版2017/01/09(月) 10:32:56.38ID:qTygS8hv
法外な金銭を要求する宗教は「カルト」と呼ばれる
0005神も仏も名無しさん垢版2017/01/10(火) 23:59:04.14ID:TS7rp8DI
集団ストーカーは精神科の医師も多数参加していると噂されていますが、病院のカルテが似ている被害者
に関しては、本当に理解ある精神科医は統合失調症を誤診ととらえます。
今後、日本でも集団ストーカーの真実の報道があれば、統合失調症と誤診された被害者たちに裁判を
起こされる可能性は十分あります。医師も大きく信用を失い、患者も減るでしょう。その場合は、措置入院に携わった関係者たちも加害者とみなされます。
措置入院には法律により厳しい条件が多数ありますが、集団ストーカーはその法律を簡単にかいくぐるほどの悪質さです。
全くの無実の多くの被害者が統合失調症と誤診され、強制入院させられているのです。自殺者もいるんですから。
絶対にニュースにはならないと言い張りますが、現実はネットの蔓延化、リアルにデモ活動、ビラ配り、証拠写真や証拠動画
まだ、「統合失調症」による被害妄想と言い張りますか?
0006神も仏も名無しさん垢版2017/01/10(火) 23:59:38.16ID:TS7rp8DI
実際に精神科医から、同じ内容の被害を訴えている患者は多数いると聞いてます。
同じ内容を多数の患者が言っているのに、その患者が全員統合失調症の妄想ととらえれますか?!
本来カルテは第三者に見せてはいけないですし、精神科の薬は正しい診断の元で服用しないといけない。しかし、集団ストーカーは工作活動で患者のカルテを作り上げます。入院までさせます。
これって、大犯罪ですよ?!全くの正常な人間を精神科の薬で破壊しますから。
さらには、精神病院の電子カルテには、一生残る病院もあります。つまり、被害者が今後何かあった時には、電子カルテを第三者が見ます。
そこには、事実無根のカルテを第三者が知ることになります。消せないんです!
統合失調症の被害妄想だと一生残ります!
だから、被害者達が訴えているんです。

最近の記事を見ると、安倍総理が共謀罪を制定しようとしていますね。
これが成立すれば、集団ストーカーも立派な犯罪になります。いよいよ、集団ストーカーも世間に大々的に知られる日が来てますね。
カルテがどうなるか、裁判はどうなるか、逮捕者が出るか、本当に見ものです。
0007神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:34:33.43ID:iI4Py5Fl
スレッドが立てられないので、多分、誰も使ってないここを使わせてもらいます。
0008神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:37:05.52ID:iI4Py5Fl
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0009神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:37:31.26ID:iI4Py5Fl
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0010神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:38:00.97ID:iI4Py5Fl
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0011神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:38:22.81ID:iI4Py5Fl
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0012神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:38:46.31ID:iI4Py5Fl
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0013神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:39:08.45ID:iI4Py5Fl
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0014神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:39:31.24ID:iI4Py5Fl
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0015神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:39:54.01ID:iI4Py5Fl
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0016神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:40:17.87ID:iI4Py5Fl
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0017神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:40:45.82ID:iI4Py5Fl
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0018神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:41:12.51ID:iI4Py5Fl
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0019神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:41:39.13ID:iI4Py5Fl
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0020神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:42:06.29ID:iI4Py5Fl
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0021神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:42:48.48ID:iI4Py5Fl
e
0022神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:43:41.25ID:iI4Py5Fl
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0023神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:44:07.91ID:iI4Py5Fl
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0024神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:44:33.16ID:iI4Py5Fl
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0025神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:44:57.61ID:iI4Py5Fl
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0026神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:45:25.98ID:iI4Py5Fl
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0027神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:45:51.36ID:iI4Py5Fl
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0028神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:46:14.46ID:iI4Py5Fl
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0029神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:47:47.28ID:iI4Py5Fl
k
0030神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:49:24.45ID:iI4Py5Fl
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0031神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:49:47.50ID:iI4Py5Fl
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0032神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:50:12.28ID:iI4Py5Fl
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0033神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:50:35.57ID:iI4Py5Fl
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは二重らせん構造になっていて、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0034神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:50:58.52ID:iI4Py5Fl
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0035神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 21:53:31.86ID:iI4Py5Fl
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0036神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:03:23.18ID:8DtJ1C+V
それは、既に説かれている通りです。なんの新味もありません。宗教、特に古典的なものはあなたの疑問に全て答えています。それは抽象度の違いこそあれ科学とリンクしています。無駄な説法はおやめ下さい。
0037神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:09:12.13ID:iI4Py5Fl
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0038神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:09:43.13ID:iI4Py5Fl
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0039神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:10:08.46ID:iI4Py5Fl
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0040神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:10:31.87ID:iI4Py5Fl
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0041神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:10:53.86ID:iI4Py5Fl
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0042神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:11:30.86ID:iI4Py5Fl
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0043神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:11:46.26ID:iI4Py5Fl
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0044神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:12:08.37ID:iI4Py5Fl
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0045神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:12:31.15ID:iI4Py5Fl
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0046神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:13:06.18ID:iI4Py5Fl
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0047神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:14:27.38ID:iI4Py5Fl
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0048神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:14:52.68ID:iI4Py5Fl
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0049神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:15:27.53ID:iI4Py5Fl
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0050神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:16:15.97ID:iI4Py5Fl
c
0051神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:17:19.00ID:iI4Py5Fl
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0052神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:17:46.60ID:iI4Py5Fl
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0053神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:18:08.95ID:iI4Py5Fl
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0054神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:18:33.30ID:iI4Py5Fl
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0055神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:18:58.54ID:iI4Py5Fl
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0056神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:19:23.44ID:iI4Py5Fl
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0057神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:19:51.42ID:iI4Py5Fl
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0058神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:21:02.32ID:iI4Py5Fl
a
0059神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:22:15.26ID:iI4Py5Fl
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0060神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:23:09.22ID:iI4Py5Fl
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0061神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:23:31.93ID:iI4Py5Fl
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0062神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:23:55.01ID:iI4Py5Fl
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0063神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:24:20.20ID:iI4Py5Fl
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0064神も仏も名無しさん垢版2017/04/27(木) 22:24:52.78ID:iI4Py5Fl
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0065神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 21:50:52.48ID:IjNod4o6
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0066神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:08:30.62ID:IjNod4o6
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0067神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:13:00.16ID:IjNod4o6
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0068神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:13:38.56ID:IjNod4o6
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0069神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:21:55.74ID:IjNod4o6
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0070神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:25:52.96ID:IjNod4o6
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0071神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:38:27.51ID:IjNod4o6
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0072神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 22:41:34.09ID:IjNod4o6
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0073神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 23:24:46.43ID:IjNod4o6
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0074神も仏も名無しさん垢版2017/04/28(金) 23:27:30.56ID:IjNod4o6
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0075神も仏も名無しさん垢版2017/04/29(土) 23:41:55.24ID:RkwxkJaq
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0076神も仏も名無しさん垢版2017/04/29(土) 23:43:09.08ID:RkwxkJaq
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0077神も仏も名無しさん垢版2017/04/29(土) 23:43:44.77ID:RkwxkJaq
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0078神も仏も名無しさん垢版2017/04/29(土) 23:45:10.56ID:RkwxkJaq
e
0079神も仏も名無しさん垢版2017/04/29(土) 23:45:41.71ID:RkwxkJaq
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0080神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 21:35:48.98ID:tCz+v0dp
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0081神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:04:18.34ID:tCz+v0dp
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0082神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:10:12.02ID:tCz+v0dp
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0083神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:17:29.26ID:tCz+v0dp
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0084神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:19:51.09ID:tCz+v0dp
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0085神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:34:30.24ID:tCz+v0dp
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0086美魔女垢版2017/04/30(日) 22:45:12.46ID:i9EkoLRf
宜しくお願いいたします。👯
0087神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:53:12.47ID:tCz+v0dp
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0088神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:55:52.86ID:tCz+v0dp
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0089神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 22:59:18.18ID:tCz+v0dp
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0090神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 23:05:56.09ID:tCz+v0dp
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは二重らせん構造になっていて、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0091神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 23:28:44.40ID:tCz+v0dp
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0092神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 23:31:46.25ID:tCz+v0dp
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0093神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 23:33:30.72ID:tCz+v0dp
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0094神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 23:42:45.02ID:tCz+v0dp
e
0095神も仏も名無しさん垢版2017/04/30(日) 23:43:15.53ID:tCz+v0dp
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0096神も仏も名無しさん垢版2017/05/01(月) 07:25:53.62ID:dZTX/JPl
余談だが、先日、爆笑問題の田中がやってる番組でバックに不動明王の像を置いてるのを見かけた。バカかと思う。
不動明王(シヴァー)は実は一番中心になって東大震災を起こした張本人といわれている。
こいつによってそうゆう因縁でもないのに不正に障害者にされたものもいる。また古代から不正にひどい陰謀を
たくまれてきた者もいる。赤不動、青不動、黄色、白、黒とあって、家のは赤だからあるいは白だから大丈夫と
言ってるのもいるが、全部同じで百面相でごまかしただけ。共産党の悪化したみたいにみんなで引きずり
落としあいになってしまう、また何らかの形でからかわれるようにばっかもなる。オーム教と同じ。
さっさと何処へでも納札してすててこい!アホッ!!
0097神も仏も名無しさん垢版2017/05/01(月) 22:52:49.23ID:o9K/ss2W
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0098神も仏も名無しさん垢版2017/05/01(月) 23:02:55.15ID:o9K/ss2W
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0099神も仏も名無しさん垢版2017/05/01(月) 23:10:21.85ID:o9K/ss2W
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0100神も仏も名無しさん垢版2017/05/01(月) 23:11:56.35ID:o9K/ss2W
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0101神も仏も名無しさん垢版2017/05/01(月) 23:21:20.12ID:o9K/ss2W
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0102神も仏も名無しさん垢版2017/05/02(火) 22:58:32.92ID:GEkFMxHY
e
0103神も仏も名無しさん垢版2017/05/02(火) 22:59:24.95ID:GEkFMxHY
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0104神も仏も名無しさん垢版2017/05/02(火) 23:02:30.08ID:GEkFMxHY
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0105神も仏も名無しさん垢版2017/05/02(火) 23:15:53.44ID:GEkFMxHY
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0106神も仏も名無しさん垢版2017/05/02(火) 23:37:48.67ID:GEkFMxHY
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0107神も仏も名無しさん垢版2017/05/03(水) 23:22:44.65ID:JmInvgnM
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0108神も仏も名無しさん垢版2017/05/03(水) 23:28:18.39ID:JmInvgnM
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0109神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 21:20:23.77ID:5NFftJEO
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0110神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 21:24:05.06ID:5NFftJEO
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0111神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 21:24:52.74ID:5NFftJEO
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0112神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 21:30:27.65ID:5NFftJEO
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0113神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 21:40:05.53ID:5NFftJEO
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0114神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 22:25:43.95ID:5NFftJEO
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0115神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 22:31:28.97ID:5NFftJEO
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0116神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 22:56:01.63ID:5NFftJEO
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0117神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 23:31:03.95ID:5NFftJEO
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0118神も仏も名無しさん垢版2017/05/04(木) 23:31:41.16ID:5NFftJEO
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0119神も仏も名無しさん垢版2017/05/05(金) 23:16:20.85ID:lbEfzrgC
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0120神も仏も名無しさん垢版2017/05/05(金) 23:21:38.70ID:lbEfzrgC
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0121神も仏も名無しさん垢版2017/05/05(金) 23:25:45.19ID:lbEfzrgC
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0122神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 21:45:04.38ID:fI1cTuX9
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0123神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 21:45:41.28ID:fI1cTuX9
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0124神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 22:06:13.97ID:fI1cTuX9
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0125神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 22:39:00.36ID:fI1cTuX9
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0126神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 22:46:02.12ID:fI1cTuX9
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0127神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 22:55:58.21ID:fI1cTuX9
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0128神も仏も名無しさん垢版2017/05/09(火) 23:24:10.41ID:fI1cTuX9
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0129神も仏も名無しさん垢版2017/05/10(水) 21:55:24.61ID:s6eEn+bR
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0130神も仏も名無しさん垢版2017/05/10(水) 22:21:19.99ID:s6eEn+bR
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0131神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 22:15:59.03ID:37t4BCli
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0132神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 22:20:31.89ID:37t4BCli
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0133神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 22:22:50.32ID:37t4BCli
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0134神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 22:49:54.60ID:37t4BCli
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0135神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 22:56:51.69ID:37t4BCli
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0136神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 23:02:24.44ID:37t4BCli
e
0137神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 23:02:37.45ID:37t4BCli
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0138神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 23:04:33.94ID:37t4BCli
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0139神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 23:08:23.42ID:37t4BCli
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0140神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 23:20:51.23ID:37t4BCli
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0141神も仏も名無しさん垢版2017/05/11(木) 23:35:48.33ID:37t4BCli
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0142神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 20:50:41.27ID:ELPt50Oh
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0143神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 21:07:55.46ID:ELPt50Oh
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0144神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 21:16:37.47ID:ELPt50Oh
e
0145神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:07:49.51ID:ELPt50Oh
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0146神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:13:00.22ID:ELPt50Oh
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0147神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:28:40.96ID:ELPt50Oh
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0148神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:36:07.82ID:ELPt50Oh
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは二重らせん構造になっていて、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0149神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:42:43.39ID:ELPt50Oh
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0150神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:47:57.82ID:ELPt50Oh
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0151神も仏も名無しさん垢版2017/05/12(金) 22:53:59.26ID:ELPt50Oh
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0152神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 21:06:05.29ID:SkChL8Sh
e
0153神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 21:06:22.78ID:SkChL8Sh
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0154神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 21:21:05.15ID:SkChL8Sh
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0155神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 21:29:18.41ID:SkChL8Sh
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0156神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 21:42:21.39ID:SkChL8Sh
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0157神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 21:55:49.04ID:SkChL8Sh
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0158神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 22:03:11.64ID:SkChL8Sh
e
0159神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 22:03:31.97ID:SkChL8Sh
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0160神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 22:45:20.77ID:SkChL8Sh
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0161神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 22:52:45.57ID:SkChL8Sh
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0162神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 23:04:39.79ID:SkChL8Sh
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0163神も仏も名無しさん垢版2017/05/13(土) 23:16:40.11ID:SkChL8Sh
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0164神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 21:50:08.29ID:Qnx4bFUv
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0165神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 22:07:08.65ID:Qnx4bFUv
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0166神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 22:21:52.48ID:Qnx4bFUv
e
0167神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 22:22:32.48ID:Qnx4bFUv
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0168神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 22:47:36.63ID:Qnx4bFUv
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0169神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 23:12:26.32ID:Qnx4bFUv
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0170神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 23:14:20.07ID:Qnx4bFUv
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0171神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 23:24:42.29ID:Qnx4bFUv
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0172神も仏も名無しさん垢版2017/05/14(日) 23:37:23.98ID:Qnx4bFUv
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0173神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 20:56:18.97ID:dw04H+ai
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0174神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 21:13:32.75ID:dw04H+ai
e
0175神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 21:14:00.90ID:dw04H+ai
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0176神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 21:52:38.57ID:dw04H+ai
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0177神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:03:25.33ID:dw04H+ai
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0178神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:05:37.70ID:dw04H+ai
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0179神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:12:54.56ID:dw04H+ai
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0180神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:13:22.44ID:dw04H+ai
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0181神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:25:20.09ID:dw04H+ai
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0182神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:44:55.10ID:dw04H+ai
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0183神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:45:35.38ID:dw04H+ai
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0184神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:49:14.88ID:dw04H+ai
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0185神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 22:56:44.49ID:dw04H+ai
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0186神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 23:17:44.71ID:dw04H+ai
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0187神も仏も名無しさん垢版2017/05/15(月) 23:21:06.95ID:dw04H+ai
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0188神も仏も名無しさん垢版2017/05/16(火) 21:50:39.26ID:JcG9N6gW
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0189神も仏も名無しさん垢版2017/05/16(火) 22:14:23.74ID:JcG9N6gW
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0190神も仏も名無しさん垢版2017/05/16(火) 23:02:46.25ID:JcG9N6gW
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0191神も仏も名無しさん垢版2017/05/16(火) 23:09:19.77ID:JcG9N6gW
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0192神も仏も名無しさん垢版2017/05/16(火) 23:11:13.55ID:JcG9N6gW
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0193神も仏も名無しさん垢版2017/05/17(水) 22:18:03.52ID:ombuVYH4
e
0194神も仏も名無しさん垢版2017/05/17(水) 22:19:00.98ID:ombuVYH4
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0195神も仏も名無しさん垢版2017/05/17(水) 22:49:05.69ID:ombuVYH4
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0196神も仏も名無しさん垢版2017/05/17(水) 23:09:46.97ID:ombuVYH4
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0197神も仏も名無しさん垢版2017/05/17(水) 23:51:51.84ID:ombuVYH4
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0198神も仏も名無しさん垢版2017/05/18(木) 23:00:38.43ID:r7Ct3Mtm
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0199神も仏も名無しさん垢版2017/05/18(木) 23:07:24.49ID:r7Ct3Mtm
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0200神も仏も名無しさん垢版2017/05/18(木) 23:23:15.36ID:r7Ct3Mtm
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0201神も仏も名無しさん垢版2017/05/18(木) 23:42:49.03ID:r7Ct3Mtm
e
0202神も仏も名無しさん垢版2017/05/18(木) 23:46:53.26ID:r7Ct3Mtm
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0203神も仏も名無しさん垢版2017/05/19(金) 22:25:21.20ID:BHy+tMmI
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0204神も仏も名無しさん垢版2017/05/19(金) 22:45:23.09ID:BHy+tMmI
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0205神も仏も名無しさん垢版2017/05/19(金) 23:22:26.43ID:BHy+tMmI
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは二重らせん構造になっていて、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0206神も仏も名無しさん垢版2017/05/19(金) 23:24:56.15ID:BHy+tMmI
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0207神も仏も名無しさん垢版2017/05/19(金) 23:31:07.80ID:BHy+tMmI
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0208神も仏も名無しさん垢版2017/05/20(土) 22:26:48.57ID:luH/UlEO
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0209神も仏も名無しさん垢版2017/05/20(土) 22:31:29.78ID:luH/UlEO
e
0210神も仏も名無しさん垢版2017/05/20(土) 22:31:55.94ID:luH/UlEO
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0211神も仏も名無しさん垢版2017/05/20(土) 22:50:33.15ID:luH/UlEO
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0212神も仏も名無しさん垢版2017/05/20(土) 23:46:40.54ID:luH/UlEO
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0213神も仏も名無しさん垢版2017/05/20(土) 23:47:59.44ID:luH/UlEO
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0214神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:04:05.09ID:P0hL179V
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0215神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:11:26.79ID:P0hL179V
e
0216神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:23:02.64ID:P0hL179V
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0217神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:28:51.30ID:P0hL179V
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0218神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:43:27.30ID:P0hL179V
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0219神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:45:59.27ID:P0hL179V
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0220神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:50:46.63ID:P0hL179V
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0221神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 22:54:07.06ID:P0hL179V
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0222神も仏も名無しさん垢版2017/05/21(日) 23:14:41.42ID:P0hL179V
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0223神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 22:10:35.27ID:HBvtqQq6
e
0224神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 22:11:05.52ID:HBvtqQq6
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0225神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 22:19:36.70ID:HBvtqQq6
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0226神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 23:22:12.94ID:HBvtqQq6
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0227神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 23:28:58.84ID:HBvtqQq6
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0228神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 23:33:20.00ID:HBvtqQq6
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0229神も仏も名無しさん垢版2017/05/22(月) 23:38:56.24ID:HBvtqQq6
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0230神も仏も名無しさん垢版2017/05/23(火) 22:31:46.39ID:zea+LfkT
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0231神も仏も名無しさん垢版2017/05/23(火) 22:36:42.85ID:zea+LfkT
e
0232神も仏も名無しさん垢版2017/05/23(火) 22:37:34.70ID:zea+LfkT
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0233神も仏も名無しさん垢版2017/05/23(火) 22:56:29.26ID:zea+LfkT
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0234神も仏も名無しさん垢版2017/05/23(火) 23:26:13.13ID:zea+LfkT
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0235神も仏も名無しさん垢版2017/05/23(火) 23:27:06.45ID:zea+LfkT
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0236神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 21:42:25.57ID:uLl3XH6h
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0237神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 21:43:00.50ID:uLl3XH6h
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0238神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 21:49:39.28ID:uLl3XH6h
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0239神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 22:27:28.65ID:uLl3XH6h
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0240神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 22:43:30.59ID:uLl3XH6h
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0241神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 23:10:50.56ID:uLl3XH6h
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0242神も仏も名無しさん垢版2017/05/24(水) 23:32:59.68ID:uLl3XH6h
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0243神も仏も名無しさん垢版2017/05/25(木) 23:04:14.53ID:8eolUbej
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0244神も仏も名無しさん垢版2017/05/25(木) 23:12:05.58ID:8eolUbej
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0245神も仏も名無しさん垢版2017/05/25(木) 23:28:19.20ID:8eolUbej
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0246神も仏も名無しさん垢版2017/05/25(木) 23:31:48.18ID:8eolUbej
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0247神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 21:41:22.64ID:On+PYX2d
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0248神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 22:08:37.95ID:On+PYX2d
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0249神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 22:12:41.58ID:On+PYX2d
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0250神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 22:23:38.43ID:On+PYX2d
e
0251神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 22:24:04.16ID:On+PYX2d
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0252神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 22:31:52.89ID:On+PYX2d
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0253神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 23:23:30.12ID:On+PYX2d
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0254神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 23:36:27.74ID:On+PYX2d
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0255神も仏も名無しさん垢版2017/05/26(金) 23:49:29.29ID:On+PYX2d
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0256神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 21:30:42.28ID:DDhoKBIc
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0257神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 22:01:53.74ID:DDhoKBIc
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0258神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 22:07:26.77ID:DDhoKBIc
e
0259神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 22:07:50.51ID:DDhoKBIc
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0260神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 22:34:52.84ID:DDhoKBIc
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0261神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 23:16:26.03ID:DDhoKBIc
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0262神も仏も名無しさん垢版2017/05/27(土) 23:45:57.22ID:DDhoKBIc
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは二重らせん構造になっていて、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0263神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 14:28:23.09ID:5MiyRqGY
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0264神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 14:53:57.21ID:fCbZf2KX
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0265神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 15:00:14.79ID:fCbZf2KX
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0266神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 15:03:33.31ID:fCbZf2KX
e
0267神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 15:26:25.37ID:fCbZf2KX
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0268神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 15:34:59.03ID:fCbZf2KX
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0269神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 15:40:25.69ID:fCbZf2KX
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0270神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 16:31:47.22ID:fCbZf2KX
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0271神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 16:48:17.14ID:fCbZf2KX
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0272神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 16:56:57.92ID:fCbZf2KX
e
0273神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 16:57:23.03ID:fCbZf2KX
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0274神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 17:47:26.28ID:fCbZf2KX
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0275神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 18:04:59.28ID:fCbZf2KX
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0276神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 18:29:16.96ID:fCbZf2KX
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0277神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 19:33:55.70ID:fCbZf2KX
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0278神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 19:36:18.71ID:fCbZf2KX
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0279神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 21:09:37.72ID:fCbZf2KX
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0280神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 22:30:07.42ID:fCbZf2KX
e
0281神も仏も名無しさん垢版2017/05/28(日) 22:30:33.90ID:fCbZf2KX
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0282神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 21:40:52.54ID:vYazSIkr
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0283神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 22:01:26.72ID:vYazSIkr
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0284神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 22:21:37.03ID:vYazSIkr
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0285神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 22:28:42.98ID:vYazSIkr
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0286神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 22:33:50.73ID:vYazSIkr
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0287神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 23:14:55.96ID:vYazSIkr
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0288神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 23:24:03.43ID:vYazSIkr
a
0289神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 23:24:27.55ID:vYazSIkr
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0290神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 23:27:05.18ID:vYazSIkr
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0291神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 23:44:26.84ID:vYazSIkr
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0294神も仏も名無しさん垢版2017/05/29(月) 23:52:55.45ID:vYazSIkr
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0295神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 20:42:05.27ID:JGdNJAs+
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0296神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 20:42:29.97ID:JGdNJAs+
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0297神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 20:59:16.68ID:JGdNJAs+
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0298神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 21:07:43.31ID:JGdNJAs+
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0299神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 21:25:02.85ID:JGdNJAs+
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0300神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 21:41:53.51ID:JGdNJAs+
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0301神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 22:31:13.89ID:JGdNJAs+
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0302神も仏も名無しさん垢版2017/05/30(火) 22:55:26.50ID:JGdNJAs+
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0303神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 00:51:14.66ID:8RiCHQY0
カマタリ
0304神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 19:59:56.64ID:hXYp35/G
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0305神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 21:41:02.12ID:hXYp35/G
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0306神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 21:52:15.11ID:hXYp35/G
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0307神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 21:57:31.07ID:hXYp35/G
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0308神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 22:01:37.69ID:hXYp35/G
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0309神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 22:07:15.00ID:hXYp35/G
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0310神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 22:21:02.70ID:hXYp35/G
a
0311神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 22:21:19.91ID:hXYp35/G
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0312神も仏も名無しさん垢版2017/05/31(水) 23:40:29.30ID:hXYp35/G
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0313神も仏も名無しさん垢版2017/06/01(木) 22:10:34.03ID:8ES5Q1XX
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0314神も仏も名無しさん垢版2017/06/01(木) 22:25:29.33ID:8ES5Q1XX
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0315神も仏も名無しさん垢版2017/06/01(木) 22:37:18.75ID:8ES5Q1XX
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0316神も仏も名無しさん垢版2017/06/01(木) 22:41:24.99ID:8ES5Q1XX
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0317神も仏も名無しさん垢版2017/06/01(木) 23:52:02.16ID:8ES5Q1XX
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0318神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 20:24:02.25ID:vDqz7Az0
k
0319神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 20:25:15.78ID:vDqz7Az0
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0320神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 20:41:43.95ID:vDqz7Az0
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0321神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 20:57:57.72ID:vDqz7Az0
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0322神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 21:03:07.79ID:vDqz7Az0
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは二重らせん構造になっていて、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0323神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 21:19:00.20ID:vDqz7Az0
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0324神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 21:41:02.61ID:vDqz7Az0
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0325神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 21:51:09.78ID:vDqz7Az0
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0326神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 22:14:01.72ID:vDqz7Az0
c
0327神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 22:14:43.39ID:vDqz7Az0
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0328神も仏も名無しさん垢版2017/06/02(金) 22:17:25.15ID:vDqz7Az0
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0329神も仏も名無しさん垢版2017/06/03(土) 22:38:29.10ID:icwGkrtZ
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0330神も仏も名無しさん垢版2017/06/03(土) 22:40:05.33ID:icwGkrtZ
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0331神も仏も名無しさん垢版2017/06/03(土) 22:45:16.70ID:icwGkrtZ
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0332神も仏も名無しさん垢版2017/06/03(土) 22:53:38.15ID:icwGkrtZ
b
0333神も仏も名無しさん垢版2017/06/03(土) 22:54:02.18ID:icwGkrtZ
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0334神も仏も名無しさん垢版2017/06/03(土) 23:32:44.62ID:icwGkrtZ
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0335神も仏も名無しさん垢版2017/06/04(日) 00:02:46.82ID:kZ33lyBF
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0336神も仏も名無しさん垢版2017/06/04(日) 21:48:37.52ID:1hcy17Ac
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0337神も仏も名無しさん垢版2017/06/04(日) 21:53:35.45ID:1hcy17Ac
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0338神も仏も名無しさん垢版2017/06/04(日) 23:15:26.97ID:1hcy17Ac
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0339神も仏も名無しさん垢版2017/06/04(日) 23:20:23.43ID:1hcy17Ac
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0340神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 21:44:15.25ID:Q82HcEPY
a
0341神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 21:44:33.80ID:Q82HcEPY
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0342神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 21:53:07.95ID:Q82HcEPY
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0343神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 22:00:38.45ID:Q82HcEPY
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0344神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 22:28:00.71ID:Q82HcEPY
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0345神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 22:28:32.95ID:Q82HcEPY
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0346神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 23:01:08.64ID:Q82HcEPY
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0347神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 23:06:39.20ID:Q82HcEPY
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0348神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 23:14:13.52ID:Q82HcEPY
a
0349神も仏も名無しさん垢版2017/06/05(月) 23:14:36.73ID:Q82HcEPY
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0350神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:07:21.90ID:3mZMZnU3
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0351神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:11:08.23ID:3mZMZnU3
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0352神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:19:35.63ID:3mZMZnU3
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0353神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:31:12.68ID:3mZMZnU3
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0354神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:31:34.85ID:3mZMZnU3
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0355神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:38:26.13ID:3mZMZnU3
人間はなぜ生きるのか。
人間はどこから来て、どこへ向かうのか。
人間世界にはなぜ悪が存在するのか。
善悪の彼岸と人間の業、人間存在の根本、そして、2度の世界大戦はなぜ起きたのか。
人間の直面する苦しみと苦悩、その解決と救済はあるのか。
このような問題について、基礎から学んでみませんか。
哲学、文学、宗教、あらゆる角度から人間について考えてみませんか。
人間はいかに生きるべきか。人生の指針をもう一度学びなおしてみましょう。
0356神も仏も名無しさん垢版2017/06/06(火) 21:56:02.91ID:3mZMZnU3
宗教というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
狂信、妄信、洗脳、お金や財産を取られる、人生が狂う、教祖が超能力で宙に浮かぶ、
教祖が書いた本を強制的に買わされて嘘のベストセラーに協力させられる…etc
どれも否定的な負のイメージばかりですね。
私も「新興宗教」と呼ばれるものについては、皆さんと同じイメージを抱いています。
それは正しいでしょう。
一方、伝統宗教と呼ばれるものも、念仏や題目を唱える、座禅をする、葬式と墓の管理をして
高い戒名を売る。江戸時代の檀家制度そのままの形骸化した仏教でしょうか。そこで
「人間はなぜ生きるのか」、「人生はいかに生きるべきか」、そんな質問をしたら、怪訝な顔をされて
不審がられるだけですね。まともな答えは返ってこないでしょう。
科学が進歩して、物質文明は発達し、経済的に豊かとなり、長寿健康な世の中となると
人間は宗教を必要としなくなりました。旱魃も飢饉も貧困もなくなり、人間は神に祈る必要がなくなってきたのです。
0357神も仏も名無しさん垢版2017/06/07(水) 21:32:30.80ID:SaRDhs2l
もう少し広い文脈で言うと、宗教とは「文明の基本原理」であるのです。
東洋文明は仏教の文明ともいえるでしょう。仏教という宗教によって国家の
災厄を除き、安定を願う「鎮護国家」の思想に基づいて国が統治され、宗祖たちが
それぞれの宗派の教えを大衆に説き、仏像や寺院が建立され、美術や芸術も生み出されていく。
西洋文明はいうまでもなくキリスト教文明です。キリスト教を中心にスコラ哲学や
ルネサンスの芸術が生まれ、「天地創造」や「最後の審判」、「受胎告知」、聖母子画、
「最後の晩餐」などの絵画が描かれ、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、バニヤンの
『天路歴程』などの文学が生まれたわけです。中東の文明はイスラム教文明です。イブン・シーナーや
イブン・ルシュドの哲学、代数学・幾何学が研究され、美しいイスラム建築が栄えたわけです。
しかし、これらの伝統宗教もそろそろ寿命を迎えました。その理由はテクノロジーの発達した
世界全体に広がる現代の科学文明を支える基本原理としての機能を果たせなくなっているからです。
これらの伝統宗教は使命を終え、私の創始する「大統一理論」に吸収され、統合されていく運命にあります。
今ここに誕生した新しい「大統一理論」が東洋文明・西洋文明・中東文明を融和し、新しい
「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理となるのです。それこそが
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立を乗り越え、世界平和へと向かう人類の救済理論となるのです。
そして、サイエンスとテクノロジーの時代に、人間の生きる意味を教え、人生の指針を与える
精神的な指導原理となるのです。
0358神も仏も名無しさん垢版2017/06/07(水) 22:17:09.87ID:SaRDhs2l
現在、物理学では、ニュートン以来の古典力学から、量子力学、特殊相対性理論、
一般相対性理論、素粒子物理、宇宙物理にいたるまで、統一的に説明できる「大統一理論」の
構築が進められています。数学も数論・代数学・幾何学・解析学・確率統計学などの
統一的な理論の模索が進められています。私が提唱するのは、宗教を統一的に総合する
巨大理論の構築により、東洋文明・西洋文明・中東文明を含めた包括的な「世界文明」の
基礎原理となるすべての法則の大統一理論の構築なのです。それはまた、宗教の教えの中に
サイエンスとテクノロジー、経済学、法学、政治理論などの物質世界の法則を包含し、
人間存在がどこから来て、どこへ向かうのかまで、明快に説明するかつてない試みであるのです。
世界文明の基礎原理としてのあらゆる法則性の解明。それこそがまさしく私の提唱する理論の
本質であるのです。この教えの完成と普及こそが、まさに世界恒久平和を実現する人類の進歩の
大団円でもあるのです。それは宇宙の運動法則の解明でもあり、人間の生きるべき指針と指導原理ともなるのです。
人間の生きるべき道、守るべき規範を、あなたも基礎から学んでみませんか?
0359神も仏も名無しさん垢版2017/06/07(水) 23:12:08.67ID:SaRDhs2l
(問)宗教とはもっと根源的な問題を扱います。 貴方のはやはり宗教ではなく何でも相談屋です。

(答)何でもできないと現代では逆に困るでしょう。
私が提唱しているのは「すべての物事に共通する普遍的な原理であり、文明の基礎となる
大統一理論」です。
これを学ぶことにより、「誰かに相談するのではなく、自分ですべての物事を解決できるようになる」のです。
つまり、すべてには「法則性」があるのです。
自然界に存在する力は「強い力」、「弱い力」、「電磁気力」、「重力」の4つですが、
これは元々、一つの力でした。ビッグバンから10のマイナス44乗秒後に10の37乗度という超高温・超高圧の高エネルギー状態の時に
「弱い力」から「重力」が分かれ出ました。10のマイナス36乗秒後には10の28乗度まで温度が下がり、「弱い力」から「強い力」が
分かれ出ました。10のマイナス11乗秒後には10の16乗度まで温度が下がり「弱い力」から「電磁気力」が
生まれたわけです。ほんの一瞬の出来事ですが、遡れば力は統一されるのです。
さて、この出来事は聖書・仏典・古事記・コーランにはどのように書いてあるでしょうか?
残念ながら書いていません。つまりキリスト教も仏教もイスラム教も自然科学や資本主義経済、テクノロジーを説明できていないのです。
数学や物理学・化学・工学・医学も包含した「統一的な指導原理」ではないからです。
それでは「新しい世界文明の統一的な指導原理」にはなれません。
人類が東洋・西洋・中東という文明圏の枠を超えるには「新しい乗り物」に乗り換えなければなりません。
中古車を下取りに出して新車を買い替えなければなりません。
もう一度言いますが、「何でも相談屋」ではなくて「相談しなくても自分で解決できる方法」を
教えるところです。「大学」のようなところだと考えても言いでしょう。
しかし相談しなくてもいいレベルにはなるには「教師」と「テキスト」がいるでしょう。
「教師役」が「私」で、「テキスト」が「経典」です。そして、ここで募集しているのは「生徒役」になる人です。
別に怖くはありません。出るも自由。入るも自由。興味があれば入学し、合わないと思ったら退学すればいいだけです。
0360神も仏も名無しさん垢版2017/06/07(水) 23:15:25.23ID:SaRDhs2l
(問)カネのないメンヘラが集う場所が宗教だからな。いくら新しい宗教作ってもメンヘラが
長くい続ける場所は社会には存在しない。それが真理。

(答)まあ、一つのたとえとして、「大学」、「学校」という表現を使いました。
もう一つのたとえを使うならば、「休憩所」、「休息場所」といっても良いでしょう。
人生は山登りのように、つらい、疲れる、大変なことなのです。
そこで、荷物を下ろして休む「休憩所」のようなところが必要になるわけです。
弱肉強食の競争社会で敗れた人、負けた人、はじき出された人、疲れて苦しんでいる人。
そういう人が休む「休憩所」のようなところだと思ってください。
金銭だけがすべてではありません。
必要のない人などいないのです。
誰もが差別されず、平等な場所です。
0361美魔女垢版2017/06/07(水) 23:17:14.75ID:tXtfTMzL
>>1
数十億スグ儲かるもんね✨裏山
0362神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 21:08:02.89ID:tzZ1uTTq
(問)「大統一理論」を教えてほしい

(答)大統一理論とは、簡単にいえば、
人間存在の運動法則+自然の運動法則+経済の運動法則+法律・政治の運動法則
のようなものです。
人間存在の運動法則=宗教
自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらすべてを統一的に統合する理論のことです。
0363神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 21:14:39.71ID:tzZ1uTTq
私が言っているのはこういうことです。
人間は平均で70年か80年、長くても100年しか生きられない。
つまり人間は生から死へ移行する存在です。
そのときに、生から死へ移行するときに、「魂の安全な乗り物」として「宗教」を考えるわけです。
つまり、人間にとって最も大切な「魂」が悪であるとか不正であるとかに汚されずに、
善と正義に満たされて、こちらの岸(物質の世界)からあちらの岸(霊界)にまで安全に渡る「乗り物」として宗教を考えるわけです。
この「乗り物」のことを「原理」と呼んでいるのです。この「原理」の中心は
魂の善悪についての宗教的な原理ですが、それだけではありません。つまり産業革命以来、サイエンスとテクノロジーが進歩するとともに、
帝国主義により西洋諸国がアジア・アフリカを植民地支配しました。2度の世界大戦もありました。
ソビエト・中国で共産主義が広がり、今もそれは残っています。
そのような時代に「善悪」とは一体、何でしょうか?つまり外国に侵略されて土地を奪われたり、
植民地支配されたり、戦争で人が殺されたりするときに、どうやって善悪を守るか、という問題があるのです。
だからこそ、
@人間存在の運動法則=宗教
A自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
B経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
C法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
を統一的に説明する「世界文明の基本原理」として世界人類70億人の指導原理が必要なのです。
それを説いているのは、世界70億人で私1人です。
0364神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 21:22:49.76ID:tzZ1uTTq
(問)聖書類には、テクノロジーの事などバカらしくて書いてないだけです。
宗教とは、社会問題ではなく、心魂の問題です

(答)ここに書いてあることの文脈を見れば結論は明らかになるでしょう。
つまり、帝国主義的な植民地支配、あるいは、侵略戦争というものが現に存在します。
つまり軍事力によって悪い国が善良な国を侵略し、力によって永続的に支配し、資源やエネルギー、
土地や人を収奪し、悪逆の限りを尽くすということです。
宗教というものが善悪の原理である以上、こうした悪について明確な答えを用意できないということは
明らかに欠陥です。
ではそうした明らかな国力の格差をつくり出すのはどのような要素でしょうか?
@経済力、A自然科学とテクノロジー、B政治力・軍事力、C法律・制度の近代性
以上のようなものです。
だから、「宗教という魂の善悪の原理」を中心にして、その上さらに
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
をも併せ持った総合的な理論を構築する必要があるのです。

そうした「一つの原理」「一つの法則」があれば、戦争や侵略、植民地支配のような
大きな悪を未然に防ぐことになるのです。
魂の善悪と国家の善悪を両方維持する理論が必要なのです。
そこまで考えて初めて善悪は完結します。
悪をなしてはならない。
悪をなさしめてもならない。
こうした考え方に基づいているのです。
0365神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 21:23:21.46ID:tzZ1uTTq
(問)宗教の問題が絡んだとしてもあなたのおっしゃる様な問題は、まさに政治の問題では無いかと
思うのです。政教分離です。これは政治だけの問題です。新しい宗教なんて要らない。ほしくない。

(答)私の説く法則・原理が総合的といっても、私は政教一致を説いているわけではありません。
私が説いているのは、「政教分離」です。
というのは、政教一致だと特定の宗教が政権を取った場合に他の宗教を弾圧する可能性があるからです。
そのため、近代的な法律システムはみな「政教分離」の原則に従っています。
私は宗教もまた民主的なルールに従うべきであると考えます。
人がどの宗教を信じるかは基本的に個人の自由である。
その結果、より善い宗教が多くの人の評価を得て、より栄える。
金銭を巻き上げるような悪い宗教は人が離れていく。
それでよいと思います。

あなたが経済や政治を世俗の問題と捉え、つまらない瑣末事と考えるのも無理はないでしょう。
以下の問題
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
これらは、私の言う「国家間の善悪」を左右する要素です。もちろん、本来は
それぞれの専門家がやるべき仕事です。しかし、「魂の善悪」という宗教を中心に
これらの要素を適切に取り入れ、それぞれにふさわしい位置を与えることで
無用な悪を減らせることができるのです。侵略戦争や植民地支配によりもたらされる害悪は
巨大で取り返しがつきません。それらを未然に防ぐのが上記の@ABの理論です。
いわば「総合理論」です。
0366神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 21:27:54.71ID:tzZ1uTTq
もう少し、わかりやすく、端的に言うと、こういうことなのです。
18世紀にイギリスで産業革命が起きました。これにより、近代工業国とそれ以前の
農業に基礎を置く国家には、明らかな「国力差」が生まれました。
その結果どうなったかというと、西洋的な近代国家=欧米列強はアジア・アフリカを
侵略し、植民地支配しました。日本は江戸時代まで農業に基礎を置く国家でしたが、
明治以降、西洋的な近代国家になりました。
近代国家とそれ以前の国家は何を原因として国力の圧倒的な格差ができたのでしょうか?
それこそ、まさに、以下の要素、
@自然の運動法則=自然科学・テクノロジー
A経済の運動法則=資本主義経済の法則性とあるべき姿
B法律・政治の運動法則=基本的人権と自由民主主義のあるべき姿
であったのです。つまり、近代的な憲法と法律システム、議会制民主主義という政治システム、
資本主義経済による経済的豊かさ、サイエンスとテクノロジー、これのものが一体となって
圧倒的な国力の格差をつくっていたのです。圧倒的な国力差があると人間も国家も悪いことを企むものです。
その結果、強い国が弱い国を支配する帝国主義が蔓延りました。自己の運命を他人に委ねることほど
危険なことはありません。つまり、上記@ABの理論を持つことで、他の国から侵略されたりすることを防ぐのです。
そうすると、侵略戦争や植民地支配というものはなくなります。そうすると、悪いことをしようとする人や国が存在しても
実質的に悪いことをすることは不可能になります。そうすると、この「総合理論」は悪いことを未然に防ぐ
統一的な理論、「魂の善悪」と「国家間の善悪」を統一的に説明する唯一の理論、世界平和をもたらす「世界文明の指導原理」ともなるわけです。
0367神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 21:58:58.17ID:tzZ1uTTq
(問)でしたら、今世界にはびこってる大きな悪を善に変革し、証明して見せてください。

(答)歴史を見れば、その答えがわかるでしょう。
人間の文明というものは、少しずつではありますが、前進しているはずです。
2000年前には地球の人口は3億人でした。西暦1600年頃は6億人くらいです。
しかしイギリス産業革命から人口は急速に増えはじめ、20世紀初頭には18億人、
現在では70億人も生きています。身分制社会から近代革命が起きて市民制社会、
民主主義社会になりました。その間、法律というものが発達しました。「基本的人権」という
非常に大事な概念が生まれました。これにより不当に逮捕投獄されたり、裁判も証拠もなしに死刑にされたり
することがなくなりました。思想・学問・言論・出版・報道の自由や信教の自由、居住移転の自由、
職業選択の自由、法の下の平等など、すべての人間にとって守られるべき人権が確立しました。
共産主義国家や独裁国家を除いてね。
資本主義経済により人類は豊かになり、科学技術によってあらゆるものが自動化されて便利な世の中になりました。
これは進歩と言ってよいでしょう。
しかし、精神的には一進一退、あるいは、堕落や頽廃も生まれてきていることは事実です。
0368神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 23:07:25.95ID:tzZ1uTTq
a
0369神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 23:07:44.54ID:tzZ1uTTq
あなたのおっしゃる蔓延る悪とは何でしょうか?
イスラム国やテロリストか?北朝鮮か?中国共産党か?
いずれにしても人間の善悪は人間の心から生まれます。あなたとは何かというと、あなたの心で考えていること、
口から出た言葉、身体によって行為されたこと、その一つ一つの蓄積されたものが、「あなた自身」です。
あなたが善い思い・善い言葉・善い行為をなせば、あなたは善人です。
あなたが悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなせば、あなたは悪人になります。
基本的には、世の中にある悪を変革するのは、優先順位からすれば後の事になります。
まず、人間にとって為すべきは、自分自身が善い人間となることです。
その上で世の中や社会が善くなるように変革することはよいでしょう。
しかし、あなた自身が悪い思いで満ち、悪い言葉を語り、悪い行為をしていながら、
世に蔓延る悪を変革しようとしても本末転倒になってしまいます。
私は個人の魂の善悪から始まり、国家の善悪、世界の向かうべき方向性までも説いていますが、
それを実現していくのは長い時間をかけて100年、300年、500年、1000年、数千年という
長い道のりになります。その中で一進一退、栄枯盛衰、前進もあれば失敗もあるでしょう。
しかし、第一義的には、善悪というのは、個人の魂の問題です。
0370神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 23:17:39.62ID:tzZ1uTTq
自然科学者や脳科学者は人間の精神や心、魂というのは脳の中にある神経細胞、
ニューロン、1兆個のグリア細胞が電気信号的に反応して思考が成立すると考えている
ことでしょう。そして神や霊魂というのは古代の迷信であり、未開の社会の迷妄か何かのように
笑い飛ばすかもしれません。しかし左にあらず。
人間が為した行為の集積というのは、唯の一つもなくなりはせずに、一つ残らずが支払い続けるか、
報酬を受けるかするまで、その影響は残り続けるのです。
それというのも、宇宙の主宰者である神は、善悪を統括する法則性となって働き続けているので
善い魂は神聖な特別な場所に移され、悪い魂は地下深くの暗い世界へ行き、似た者が似た者に対して
為すのがふさわしいことを、相手から為されたり、相手に為したりするからです。
あなたがどんなに小さくなって地の底の深くに隠れようとしても、どんなに空高く飛び上がって
神の裁きの手を逃れようとしても、あなたが為した行為に相応しい償いを一つ残らず支払い終えるまでは、
神の裁きがあなたの為した行為を忘れることはないのです。
社会や世の中の変革といっても、こうした事実を無視しては何の意味もなくなるのです。
第一に重要なことは、「個人の魂の善悪」の問題なのです。
0371神も仏も名無しさん垢版2017/06/08(木) 23:38:24.85ID:tzZ1uTTq
くどいようですが、あなたとは何かというと、あなたが心で考えたこと、
口から出した言葉、身体によって行為したこと、このすべての集積があなた自身です。
その一つ一つが善か、悪か、という2つの類型に分けられ、一つ残らずが
少しの狂いもなく記録されて、そのすべての集積が「あなたの存在そのもの」になります。
あなたの生まれた家柄、受けた教育の程度、学問の有無、職業・地位・年収・財産、
名誉などというのは、あなたが死ぬと同時に「あなた自身の存在」から切り離されて
分離されます。というよりも、生きているときから「あなた自身の存在」(魂)と、
あなたの現世における属性は、別個のものであったのです。
しかし、往々にして、人間は、「現世における属性」の方を自分自身だと思い込んでいるのです。
そういう人は、物質に引き寄せられた、重い、鈍重な性質が魂の中にしみ込んでしまい、
たとえ地位と名誉のある尊敬された人物と世の中で思われていたとしても、
残念ながら、死後には、地下の暗い世界に落ちて行き、苦しい思いをすることになります。
だから、まずは、あなた自身がそういう人間にならないことが第一義的に重要です。
あなた自身の存在は、あなた自身の思いと言葉と行為によって形成されます。
だから、善い心と言葉と行為を為すように心がけ、悪いことをしないようにすることが
第一義的為すべき事です。何が善で、何が悪を教えてくれるのは、私の書いた書物だけです。
0372神も仏も名無しさん垢版2017/06/09(金) 22:56:31.26ID:FrjdomPM
(問)抽象論ですが、何がどうなる、と言うのでしょうか。

(答)宗教の基礎というのは、それほど変わりません。
人間の善悪というものを明らかにして、悪いことをなしてはならない、
善いことを為しなさい、あらゆる善の根源である神を信じなさい。
こういうことを教えます。

難しいのはこれからです。
善悪というのは何でしょうか?
これがわかる人がいないのです。
つまり状況が変わると、その都度、善悪を自分で判断しなければならなくなります。
歴史は一回性のものだとよく言いますね。アインマーリッヒカイトであると。
つまり、人間は誰でも、歴史の一回性に遭遇し、そこで善悪を判断する状況に置かれます。
はっきり言っておきますと、その一回性の状況で善悪を判断することは難しいですよ。
誰でも抽象的な善悪を理解することはできます。
しかし具体的な歴史的状況の中で善悪を判断し、実行することは難しいのです。
0373神も仏も名無しさん垢版2017/06/09(金) 23:02:18.45ID:FrjdomPM
例えば、あなたが生きている世界は、こういう世界です。
ある人はこう言っています。「現代の文明は科学の文明である。文明の進化の
極にあるのは科学である。科学においては、物質のみが実在であり、実験で証明できるもののみが
科学的に存在するものである。したがって神とか霊魂とか科学で証明できないものは中世・古代の
人間が考え出した作り話であり、妄想である。霊魂などというものはない。
人間の精神とは脳の神経細胞とニューロン、シナプスが電気信号的に反応するものである。
1兆個のグリア細胞こそが心の正体である。人間は死ぬと無になる。よって、死後の世界とか、
善悪の応報であるとかは、昔話の迷信に過ぎない。」
これは無名の人物の話ではなく、現在も生きているイギリス王立科学協会の重鎮の実際の発言です。
また、キリスト教会に行くと、こう言うでしょう。「神は光あれ、と言って天地を創造した。大地も海も
高い山脈も動物も植物も人間も、神が7日間かけてつくったものである。宇宙の創造は7日間で終わった」と。
これは旧約聖書の創世記にそう書いてあるからです。
科学というのは16世紀頃から急速に発展し、地球が太陽の周りを回転しているということがわかりました。
また、リンゴが木から落ちるのと、月が地球の周りを回転するのは、基本的に同じ力が働くからだ、とわかってきました。
月が地球の周りを回転しているのに、宇宙の彼方へ飛んでいかないのは、遠心力と同じだけの
引力によって月が地球に引っ張られているからだとうのです。しかし、20世紀の初頭に地球の周囲の時空連続体が歪んでいて、
その歪みにそって月は動いているだけだ、という説明の仕方に変わりましたが、そこはまあ、よいとしましょう。
大事なことは、現代では、こういう意見が同時代に併存していることです。
あなたは何を真実と信じ、どのような原理に基づいて生きていきますか?
0374神も仏も名無しさん垢版2017/06/09(金) 23:12:22.71ID:FrjdomPM
また、あなたの隣りにある国は13億人の人口がありますが、この国は共産主義の国です。
マルクス主義というのは、資本家階級が労働者階級を搾取しているから、労働者は
暴力による革命を起こし、共産主義を実現しなければならない、と教えます。
共産主義は宗教はアヘンであると教え、毛沢東は文化大革命により共産主義思想にそぐわない
儒教・仏教を徹底的に破壊し、寺院は破壊され、チベットは侵略されて、多くのチベット仏教徒が
殺されました。中華人民共和国はチベット・ウイグルは中国の一部だと主張して
領土を手放すまいとしています。ところで、あなたは中国は沖縄も中国の一部だと言ってるのをご存知ですか?
そのうち、日本列島も中国の一部だと言い出すかもしれませんよ。ハワイから西は中国の領土で
ハワイから東はアメリカの領土である、と言い出しているのをご存知でしょうか?
その時に何が善悪になりますか?チベットの仏教徒やウイグルのイスラム教徒は中国に侵略され、
寺院を破壊され、ダライ・ラマの肖像を持っていると逮捕され、拷問を受けたり、投獄されたりしていますよ。
その時に何が善悪になりますか?ただ仏に祈ることでしょうか?それで平和が維持できますか?
愛する家族を守れますか?それとも、近代的な価値観である基本的人権や民主主義、法治主義、
資本主義経済を守るために、自衛権を行使しますか?その自衛権は同じ価値観を共有する国同士が同盟して
集団的に行使すべきもではないですか?そうしたことを、あなたは仏教の寺や、キリスト教の教会で
質問して適確な答えが返ってくると思いますか?
そう考えると、私が考えるような「総合的な指導原理」が必要だと思いませんか?
0375神も仏も名無しさん垢版2017/06/09(金) 23:19:54.41ID:FrjdomPM
端的に言えば、国力の格差、軍事力の格差が、圧倒的な悪を生み出してしまうのです。
歴史を見てみましょう。西洋諸国が400年以上、アジア・アフリカ・中南米を植民地として
支配していました。宗主国は植民地から搾取し、奴隷的に支配し、あらゆるもの奪い、
悪どいことをしました。では何が国力の差を生み出すのか。近代的な法律制度、民主政治、
資本主義経済、サイエンスやテクノロジーです。それにより兵器の質と量、その効率的な運用システム
に格差が生まれます。その圧倒的な格差は、善悪の応報システムを機能させないほどに
国家を動かしてしまいます。つまり強い国家が弱い国家を一方的に支配して、悪いことをしたら
仕返しされるというシステムを機能させなくするのです。その結果、強い国はずっと悪いことをし続けます。
帝国主義の時代はそういう時代でした。現代はどうでしょうか?中国という共産主義国家がありますね。
中国はチベット・ウイグルに侵略して宗教・文化の破壊・民族の浄化を行っています。
日本に攻めてきたら、どうしますか?チベット仏教の僧侶が仏に祈って助かりましたか?
ウイグルの民がイスラム教の神に祈って、何か変わりましたか?
善悪は守られましたか?善悪を守るためには、ただ魂が救われる教えを説くだけでは駄目なのです。
善悪を守り、維持するためのシステムをつくらないと、いつまでたっても、悪の支配は継続します。
悪をしてはならないとともに、他人に悪を為さしめてもならないのです。
侵略をしてもならないし、侵略を為さしめてもならないのです。
自国を守るためには、近代的な法律・政治制度、資本主義経済、テクノロジー、すべてが必要なのです。
それにより初めて善悪が守られます。
0376神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 21:21:54.19ID:b4VdBhfS
e
0377神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 21:23:02.22ID:b4VdBhfS
(問)指導原理って何ですか?それが、人間だけを指導するんでしょうか?

(答)多くの新興宗教では、教祖が神様で、それを崇め奉り、その結果、教祖が
すべての金と財産と女性を独占する、ミニ独裁国家、ミニ北朝鮮状態になっているでしょう。
だから世間一般から狂信妄信と非難され、狂気の世界と思われているのです。

実際、私から見ても狂気の世界としか言いようがない。

それらの教祖神様と、私の決定的な違いは、「法則性」あるいは「理法」というものがあって、
私自身もその法則性のもとにある、ということです。
というよりも、私とは関係なく、その「法則性」は宇宙の太初から存在しています。
私はただ、その「法則性」を発見しただけです。
この「法則性」は釈迦、キリスト、マホメットなどが発見した道、受けた啓示と基本的に
同一のものです。
ただ彼らはこの「法則性」の宗教的側面のみを見ていましたが、私はこの法則性の
哲学的側面・自然科学的側面・法律政治制度的側面・経済現象的側面・芸術的文学的側面も
すべて見ているという違いはありますが。
それはまあ、よいでしょう。

大切なことは、私自身もこの「法則性」(理法)に従って生き、それに反したときは
罰則(ペナルティー)を受けるので、そうしたことはできないということです。
0378神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 21:31:52.91ID:b4VdBhfS
人間だけを指導するというよりも、人間が存在するよりも、はるか以前に
その「法則性」(理法)は存在していました。
なぜなら、その法則性は神と呼ばれる宇宙の主宰者の属性のうち最も主要なものだからです。
時間よりも以前にその法則性が存在します。ゆえにこれを実在と呼ぶのです。

虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙が量子トンネル効果によってポテンシャル障壁を乗り越えて
実数の時間の中に出現した時に、時間というものが宇宙に生じました。
その後、宇宙は坂を転がる雪だるまのように急激に大きくなり、インフレーションという
急膨張が起きました。これはヒッグス場において、偽真空からエネルギー障壁を乗り越えて真真空の状態(秩序)に
ポトリと落ちたのと一緒です。物理学者はこれを「真空の期待値が生じた」と言っています。
そのとき自発的対称性が破れて、ヒッグス粒子が生じました。これにより、高速で飛び回っていた陽子・中性子、電子などの素粒子は
ヒッグス場のプールに沈んだように、ヒッグス粒子に邪魔をされて、動きにくくなりました。
この「動きにくさ」こそが質量の正体にほかなりません。
0379神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 21:34:17.87ID:b4VdBhfS
さて、この宇宙の誕生から137億年以上が経過しましたが、現在の宇宙は膨張が減速しているでしょうか?否。むしろ加速しているのです。
加速している理由は宇宙の物質の70%を占めるダークエネルギーという真空のエネルギー(宇宙の斥力)によります。
しかし、その正体はまだわかっていません。したがって宇宙の未来もまだわかっていません。
もしダークエネルギーが減少したりするとどうなるか?空に投げ上げたボールがやがて落ちてくるように
物質の重力によって宇宙は収縮に転じ、銀河同士が衝突したり、合体したりします。そしてビッグバンの瞬間と同じように
特異点と呼ばれる超高温・超高エネルギーの一点に向かって潰れていき、灼熱の状態になって、
宇宙そのものが消滅します。これを専門家はビッグ・クランチといいますが、
さあ、その時、時間というものは存在しますか?時間は実在していたでしょうか?ビッグ・クランチが仮に137億年後に起きるとして
宇宙には274億年の時間は実在していたでしょうか?存在していないのです。時間というものは。初めからね。
つまり時間というものも、神が高度な目的のもののために創造した仮の形式なのです。
高度な目的とは何でしょうか。先程、あなたは法則性なるものは人間だけを指導するのか、と問いました。
基本的にはそうですよ。しかし、動物や植物を無視するのか、ということが言外に問われていることのようですね。
より低次なるものは、より高次なる目的のために、昇華されることで、その本来の役割を果たします。
人間が動物や植物を食べるのも、肉体という生命を維持するためです。しかしそれは高次の目的ではありません。
それは宗教であるとか、哲学・文学・芸術・学問などの精神的文化、優れた政治的統治、より高次の者が低次の者を導くという
中に、昇華されてこそ初めて高度な目的を果たしているといえるのです。
0380神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 22:04:27.98ID:b4VdBhfS
地球の生命が40億年ほど前に海洋から生じたことはよく知られているでしょう。
海洋の底の熱水噴出孔に生命に必要なアミノ酸が集まって、単純な真核生物が生まれました。
やがて、単純な生物から、より複雑な生物が進化して、生命は海洋から陸上に上がりました。
植物が光合成により二酸化炭素から酸素をつくり出し、動物が陸上で生きることができるようになりました。
やがて哺乳類から人間が生まれて高度な文明を築きました。人間は70億人もいます。
生命の本体であるDNAは涛dらせん構造bノなっていて、ャAデニンとチミャ刀AグアニンとャVトシンという
塩基対が文字情報として一つの意味を形成しています。ヒトのDNAの塩基対には30億文字の情報が
書かれています。ヒトもチンパンジーも、ショウジョウバエも、アカパンカビも、シロイヌナズナも、
ゲノム情報は80%から90%以上以上は同じであり、遺伝暗号表(コドン)はほぼすべての生命に共通である。
つまり地球上の生命は一つの始祖から分かれてきたのであり、生命のごく初期に獲得した機能を
そのまま利用してきたということがわかっています。
0381神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 22:15:21.00ID:b4VdBhfS
DNAの二重らせん構造は、二本の鎖がらせん状に絡み合うように合成され、生命活動に必要な
タンパク質をつくり出します。この二本の鎖の合成は一方向的に行われ、基本的に逆流はしない
ことになっています。専門家はこれを「セントラルドグマ」といいます。その過程は
転写と翻訳という機能によるのですが、これはまあ、細かいのでここではいいでしょう。
「遺伝子は自分自身と同じものを複製する」と単純に考えればいいでしょう。
重要なことは、一本の鎖は古いのですが、一本の鎖は新しいために、「半保存的複製」が
可能であることです。コピー機で文書をコピーすると原本と比べて黒いしみや文字が
大雑把になるなどのエラーが生じます。さらにコピーのコピーのコピーのコピーになると、
さらにエラーが蓄積されます。これを保存的複製といいます。一方、DNAの二重らせん構造では
一方の鎖は常に新しいため、必ず半分は原本になります。よってエラーが貯まることはありません。
これを半保存的複製といいます。よって、20億年経っても、30億年経っても、常に同じ遺伝情報を
子々孫々に受け継いでいくことが可能なのです。さて、こうした優れた機能が偶然に生じた
アミノ酸が集まって、タンパク質を合成し、複雑な機能を有する生命が、まったくの偶然で生じるでしょうか?
何らかの神的意志が働かない限り、生命が生じる可能性は極めて低いのです。
0382神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 22:45:02.12ID:b4VdBhfS
1953年にハロルド・ユーリーという化学者が人工的に生命をつくれるかを実験しました。
フラスコとガラス管をつないだような密封された空間に原始地球に存在したと思われる
水、メタン、アンモニア、水素などの気体を入れて、火で熱し、雷のような火花放電を
生じさせてアミノ酸やタンパク質が生じるか実験しました。しかし、結果として茶色っぽい
粘々したものはできましたが、生命はおろか、タンパク質にもなりませんでした。
アミノ酸が複雑な有機構造を形成し、タンパク質になって、それがロバストな散逸構造にならないと
生命は生じません。仮にそれが実験室で再現できたとして、40億年前の地球にはそうした装置はなく
実験を行う科学者もいないのです。そうした状態で偶然に生命が生じるでしょうか?生命が生じたとして
その中になぜ、DNAの二重らせん構造や複雑極まる30文字のゲノム情報、セントラルドグマや
半保存的複製のような高度で優れた機能が備わったのでしょうか?そうした機能が偶然生じる可能性は
統計的に何%でしょうか。そして生命の種が40億年もの間、一度も途切れることなく進化し、遺伝情報を受け継いできた
のも偶然でしょうか?途中、巨大隕石が衝突して地球全体がマグマのようになったり、あるいはスノーボール・アース
といわれるように何度も地球全体が氷の塊になったことがあるのに。
石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料も生物の遺骸が地層に長い間蓄積されて生じたものです。
それをエネルギーとして使用して人間は70億人も増えました。その化石燃料も何億年もかけて地の底でつくられたのです。
そうすると、人間が高度な文明を作るために神が、あるいは神的な意志がそのための環境を用意し、材料を用意していた
と考える方が自然なのです。もしそれが偶然に生じたとすると、宝くじに連続当選するほどの
少ない確率になります。それを信じる方がむしろ不自然なのです。
0383神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 23:10:14.22ID:b4VdBhfS
(問)「法則性」(理法)が人間とはかかわりのないと言うのは、どういう意味でしょうか?

(答)法則性(理法)というものが、人間とは関わりがないというのは、次のような意味です。
例えば、ある新興宗教の教祖が、自分の恣意によってまったくデタラメな教えを説いたとします。
例えば、こういう教えです。「教祖である私は神であるから、私とエネルギーを交換することによって
あなた方は救われる」と、こう言って、女性信者と肉体関係を迫ったとします。
こういうデタラメな教えが新興宗教の中で説かれているとしましょう。
もちろん、そんなことしたら刑法上の強姦罪、強制わいせつなどの犯罪になります。
のみならず、宗教的にも罪です。むしろ宗教では、女性に触れるという行為のみならず、
女性を見て心の中で邪な思いが生じた時点で罪になります。

つまり、今の世の中の新興宗教では、教祖の説いた教えが「法則性」(理法)である、
というのと同じです。白いものも、教祖が黒と言ったら、教団内では黒と信者は信じます。
つまり客観的で絶対的であるはずの法則性が、教祖の恣意と独断でねじ曲げられているのです。
そんなものは法則性でもなければ、理法でも、正しい教えでもありません。

また権威ある人、例えば、一流大学の教授、学士院の会員などが言うことは何でも正しいと
盲目的に信じてしまう人がいます。しかし、大学教授が言ったから正しいのではありません。

法則性(理法)とは、権威ある人や権力者が言ったから、そうした法則性があるのではありません。
アメリカ大統領やローマ法王、中国共産党主席、日本国総理大臣、最高裁長官が言ったことが
正しいとは限らないでしょう。
法則性(理法)とは、人間が言ったことに関わりなく、人間が発見しようと、しまいと、そんなことに関わりなく
厳然として存在するものです。
0384神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 23:46:47.88ID:b4VdBhfS
e
0385神も仏も名無しさん垢版2017/06/10(土) 23:50:22.39ID:b4VdBhfS
例えば、自然の法則とは、人間の中の権力者が勝手に変更できないはずです。
中国共産党主席がいくら「水は低い所から高い所に流れろ」と言っても、
権力者の命令に関わらず、水は自然の法則に従い、高い所から低い所に流れます。
また時速100kmで走る車は、どんなに人気のある映画俳優が乗っていても、
ブレーキを踏んで急に止まることはできません。いくら人気スターが「すぐ止まれ」
と言っても「慣性の法則」にしたがって車は等速直線運動を続けますから
壁に激突してしまうわけです。物体は自然の法則に従って動いていますから、
権力者や権威者がどんなに命令しても、自然の法則をねじ曲げるわけにはいきません。

同様に、人間の魂にも、善悪の応報の法則が働きますから、悪いことをすれば
苦しみという悪い結果をもたらします。逆に、善いことをすれば、魂の向上という
善い結果をもたらします。
新興宗教の教祖様が、いくら、私は最高の悟りを得た、最高の覚醒者だと名乗ったところで
信者から金銭や財産を毟り取っていたり、豪邸に住んで、美味いものを食べて、何人もの女性と
淫らなことをしていたり、デタラメな教えを説いて、名誉欲と承認欲求を肥大化させている
だけなら、残念ながら、そういう人は、宗教的には盗人と同じですから、
来世においてかなり苦しい罰を受け続けることになります。

法則性(理法)とは、人間性を超越した、善悪の法則なのです。
0386神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 00:27:38.38ID:A9aNTVy4
(問)結局、「法則性(理法)」とは、どのようなものでしょうか。

(答)法則性(理法)とは、一言でいうと、以下のようなものです。

人間は自由意志により、心の中で考え、口から言葉を発し、身体によって行為します。
心の中の思い、口によって語られた言葉、身体による行為、その全ての蓄積が人間の存在のすべてであり、
人間の「存在」そのものです。

心で悪いことを考え、口から悪い言葉を発し、身体によって悪いことをすると、その人は
悪い人間となり、生きている間は世の中から非難され、死後には地獄に落ちて苦しみます。
魂が不正や悪から解放されるには、苦しみや悲歎を通してでなければ、容易には魂にしみ込んだ
悪が離れることはないからです。悪いことをしないことが第一です。しかし、悪いことをしてしまったら、
刑罰を受けて罪を償うことが、その魂にとって次善の道となるのです。それによって魂が悪から解放されるからです。

心で善いことを考え、口で善い言葉を語り、身体で善い行為をするとき、その人は
善人と呼ばれます。善人であれば、生きている間は世の中で賞賛を受け、死んでからは
魂が神々のいる天上の世界に移されます。そこで正義の報酬を受け取るのです。
それは魂が善、正義、節制、真実、温和といった徳で満たされて、幸福で、神聖な世界で
ともに善き人々ともに住むという報酬です。

宇宙の主宰者である神は、このように、善には向上と幸福という報酬を与え、
悪には苦しみと刑罰による懲らしめを与えることで、人間が神に向かって向上していく
進歩の世界をつくっているのです。
0387神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 03:46:48.13ID:S/C1dTzD
>>377
指導原理が暴走している可能性は?
0388神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 20:44:36.07ID:GqWdTZ+z
(問)結局、「法則性(理法)」とは、善と悪はこれこれです、と言う道徳教育だということですか?

(答)しかし、あなたは道徳教育と揶揄するような善と悪を知っていても、現実の人生では
実践することができますか?
あなたが今生きている現実の人生というのは、自動車の免許を取った後に実際の道路で
走るようなものです。大切なことは現実の人生で生きながら、事故を起こさずにいることは
結構しんどく大変なことなのです。毎日深夜まで働きながら、疲れ切って眠い目をこすりながら
運転するわけです。途中わき道から突然自転車が飛び出してきたり、子供や老人が出てきたり、
不測の事態が生じます。

あなたが言っているのは、自動車の教習所で交通ルールを習って、そんなことなら知ってるよ、
というようなものです。自動車免許の試験なら誰でも合格します。
あなたが善悪の道徳を馬鹿にするのは、教習所の免許の更新で退屈なビデオを見せられる
免許更新者のようなものです。「そんなことは知ってるよ」と誰もが言うでしょう。
しかし交通事故は無くならないでしょう?知識として知っていても実行はできないのです。

現実の人生では、とんでもない悪人が出てきたりします。ある日突然、親が死んだり、配偶者が死んだり、
会社が倒産したり、病気になったりします。突然、がんですと宣告されます。人に裏切られたり、
騙されたり、天敵のような人間が突然出てきて、進退窮まる状況に追い込まれます。
その時、あなたの心には怒り、憎しみ、欲望、羨望、嫉妬、猜疑、不信が起こりませんか?
平静な心を保てますか?あなたはただ世の中に出ていないから、善悪など道徳教育のようなものと馬鹿にする心が起きるのです。
人生で苦労すれば、それがいかに困難か知っていますから馬鹿にする心は起きません。
0389神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 20:59:29.79ID:GqWdTZ+z
現代ではテクノロジーが発達して交通事故が減ったので、例えとしてはピンと来ないかもしれません。
自動衝突回避ブレーキやエアバッグ、カーブミラーや交通標識のおかげで事故はだいぶ減りましたからね。

あるいはこういうことかもしれません。
政治学者で政治資金規正法の知識はあるけれども、実際、都知事になると政治資金で
美術品や娯楽小説を購入したり、飲食や日常品を買ったりすることです。
善悪の知識はあっても実行はできないのです。

あなたは学校で友達がいじめられているときに、助けてあげられますか?
もし助ければ、自分がいじめの標的にされるかもしれないという時に。
いじめは悪い事です。それは誰でも知っています。しかし、自分がいじめの標的になるかもしれない
時に、自分を犠牲にしても、友達を助けてあげられますか?
いじめは悪いことで、友達を助けることは善いことです。
それは誰でも知っています。
しかし、実行はできますか?
自分を犠牲にしても友達を助けることができますか?

会社でとんでもなく悪い上司が、部下を理不尽に虐めていたら、あなたは
そんなことは止めるべきだと言えますか?上司はあなたに不利なことをしてくるかもしれません。
あるいは地方に左遷されたり、リストラの候補にあなたを入れるかもしれません。
それでもあなたは困っている人を助けるために「理不尽なことは止めてください」と
言えますか?善か悪かは誰でもわかります。実行が難しいのです。
0390神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 21:11:23.02ID:GqWdTZ+z
(問)善と悪は、相対ですね。 善は悪があるので善があり、善は、悪が無ければ、善も在りません。
善は悪に依拠しているものです。悪はその逆です。つまり、善悪は、存在していません。
そのような相対の者に依拠したあなたの言い分、むなしくひびき、だけですね。

(答)あなたはいろいろな宗教を外から眺めて、まるで空飛ぶ絨毯のようにA地点からB地点に
自動的に届けてくれる便利な機能だけ探し求める人のようですね。
残念ながら、そんな便利な魔法のようなものはないですよ。

大切なことは知識と実践・実行が伴うことです。
あなたに足りないのは実践・実行ではないですか?
いろいろなものを評論しているよりも、新しいものを創造する、実践する、
実行するという気魄がなければだめなような気がします。

何か便利な魔法のような教えを探していても、そういうものは存在しません。
どの宗教も、いやしくも人類を導く教えは、すべて日々の実践、節制、離欲、
自分で自分の道をつくり、切り開いていくことを説いています。

他人との議論や論争、言葉の上での弁論や、議論の勝ち負けに終始している人は
何一つ善を実践も実行もすることなく、人生が終わってしまいます。
残念ながら、人間には2種類しかいません。
1人の悟りを得た人間。これは元々、悟っていた人です。こういう人は生まれてくるときに
忘却したものを思い出すだけの人です。悟りとは想起です。
もう一つの種類の人は、残りの数億人、数十億人の人全部です。
こういう人は、悟った人から、教えを受けて、もしくは、その著作を読んで、その境地に
幾分か近づくような人です。こういう人が完全に自力で悟ることはほぼ不可能です。
可能性としてはあっても、現実はほぼ無理でしょう。
その残りの人全部もそれぞれ素質に差はありますが、悟った人に依存するという意味では同じです。
0391神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 21:51:31.69ID:GqWdTZ+z
善悪は相対的であるというのは、置かれた状況や事情、その他、比較考量すべきものを
総合的に判断した上で、何が善で、何が悪であるかを、考えなければならない、という
意味では、相対的であるともいえるでしょう。

しかし、あなたの言葉から判断すると、善と悪は反対の概念であるから、それぞれが相手に依存して
概念が成立するという意味で相対的であり、善悪は(本来)存在しない、と言っているようですね。
あるいは、アウグスチヌスか何かのように、神は善であるから、悪は存在しない。
悪は善の欠如である、というような意味でしょうか?
この議論はあまり本質的でありません。
なぜなら、善悪は存在し、善を行い、悪を避けよ、ということと、
悪は善の欠如であるから、存在しないということとは、結局、言葉の表現の違いでしかなく、
結論は同じようなものになるからです。悪は善の欠如であるから、存在しないと言っても、
実践倫理上は、善の欠如である悪を避けて、善を実行せよ、という同じ教えに帰着するからです。
善悪は相対的で、反対概念であるから、互いに他に依存して存在しているから、実在しない、というのは、
結局、概念上の抽象論での空理空論です。

宗教上・実践上は、善悪は客観的に実在していて、それは「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪は、あなたの「存在そのもの」になります。
あなたが思い・言葉・行為で為した善悪の蓄積はすべて、あなたの「存在そのもの」であり、
「魂そのもの」になります。
あたかも、人間の後ろに影が付き従い、影から逃れようとしても、どこまでも
あなたの足元に影がついてくるように、善悪の蓄積されたもの(業)は、
あなたの後ろから追いかけてきて、逃げようとしても絶対に逃げられません。
悪に対する報い・償いをすべて支払い終えるまで、悪の行為の集積は消えません。
同様に、善に対する報償・報酬も、たとえどんな小さな善行でも、見逃されることなく、
あなたに善い報いを与えてくれるでしょう。善悪とはそういうものです。
0392神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 21:56:48.37ID:GqWdTZ+z
(問)儒教は善悪があるという教え。 老荘は善悪は相対的だから、善悪なんかない。
自分たちに善があると思うから、正義と正義の戦いになるから、善悪なんかないんですよと。

儒教といっても、いろいろですね。
孔子以前の儒教は、歴史・学問・書などを学び、堯・舜などの古の聖王の道に学ぶというようなものです。
孔子は礼という君臣の秩序・しきたりを重視し、君子は道徳をもって政治統治を行うべきと説きました。
そして仁(他人への優しさ)や恕(真心)を説きました。そして学問を奨励しました。
孟子は、戦国時代に義(正しさ)を説きました。そして人間には生まれつき「惻隠」、「羞悪」、「辞譲」、
「是非」の心が備わっていると説きました。それが生まれた後の学問修養により仁義礼智につながるのだとね。
荀子は、これとは逆に、人間の本性は生まれつき悪であるから、礼によって教育しなければならず、
先王の道に従うことが政治の道だと言いました。
朱子は理という一種の観念論を説き、王陽明はこれとは逆に「知行合一」という実行を重んじる立場を取りました。

以上を総合すると、孟子に限定すれば、儒教は善悪を説いたとも言えますが、
後段の正義と正義の戦いには儒教はつながらないと思います。
むしろ儒教は科挙などの役人の試験科目になり、政治との癒着・腐敗の原因になったということが指摘できます。
君臣の秩序や礼のしきたり、忠孝の道徳は、皇帝の専制政治を補強する理論にもなったでしょう。
その腐敗と停滞が西洋列強に侵略・半植民地化される原因になりました。
0393神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 22:13:15.88ID:GqWdTZ+z
老荘思想は、善悪は相対的だから、善悪はない、というのも精確ではありません。

老子が説いたのは、「無為自然」の「道」に従い、人為的な計らいや権力を求めての争い
を避けて、水のように固定的なこだわりを持たずに流れるように自由な精神を持つということです。
足ることを知り、他人と争わず、無心・無欲で柔軟で朴訥で控えめで謙虚に生き、
したたかな処世哲学で生きていくことを説くものです。
道というのは万物の根源で、宇宙の森羅万象の元であり、その道に従って無欲に
無為自然に生きるということが徳であるという教えです。

よって、多くは、森林や人里離れた土地に隠遁し、世捨て人のように生きる、
あるいは、政治的立身出世ではなく、権力から遠ざかり、竹林で賢人同士が集まって
少数社会を形成するという方向に行ったようです。

あなたがいう自分に善があるから、正義と正義の戦いになるというのは、
キリスト教とイスラム教の戦い、あるいは東西文明の衝突たる世界大戦のことではないですか?
少なくとも日本・中国・インドなど東洋で宗教戦争は起きていないですよ。
0394神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 23:02:07.44ID:GqWdTZ+z
(問)宇宙全体を神が創造したというのはとても考えられない。
古代宇宙人=神仮説ならありうる。

(答)地球外生命が地球の生命をつくったというのも、結局、卵が先か、鶏が先か、
という議論と同じなのです。循環論法に陥ってしまいます。

宇宙のどこでも構わないのですが、
なぜ生命が生じたのか、そこが問題なわけです。

ビッグバンで生じた宇宙は途轍もない高エネルギー状態で、超高温・超高密度でした。
宇宙空間が指数関数的に膨張し、38万年後に宇宙が晴れ上がると
光が直進できるくらい温度が下がりました。
重力によってガスや塵が集まり、恒星が生まれました。
水素が核融合し、ヘリウムに変わるときに膨大な熱とエネルギーを生み出します。
恒星の中心では原子核の燃焼が進み、炭素・酸素・ネオン・ケイ素と燃え尽きていき
やがて最後の燃えカスである鉄のコアができていきます。
しかし鉄はこれ以上エネルギーを取り出せない最後の燃えカスです。
やがて恒星は自分自身の重力で潰れていき、収縮していき、超高圧の状態になり、
最後に超新星爆発を起こします。もしその恒星が太陽の8倍以上30倍未満の質量であればね。
こうして鉄などの元素が宇宙空間に散らばるのですが、やがて重力によって集まり
星の材料になります。こうして鉄などの元素が初めからある星が出て来ます。
そして鉄よりも重い元素ができていき、やがて大気の層ができ、雨が降り、
海洋ができる惑星が出て来ます。

さらに生命の材料となるアミノ酸やタンパク質ができるのですが、
どうやって生命が誕生したのか。
これは現代の科学でもわかりません。
地球であろうと、それ以外の惑星であろうと、生命がどう誕生したのか。
原始生命がどう誕生したのか。材料があって雷が火花を発して生命ができた?
その生命の中にDNAの2重らせん構造が偶然にできた?その確率は?
ここが科学の限界です。
0395神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 23:04:18.08ID:GqWdTZ+z
i
0396神も仏も名無しさん垢版2017/06/11(日) 23:04:43.21ID:GqWdTZ+z
(問)生命を作った神が生命じゃないとしたら、何なんだ?
その神自体は生命ではないが何かを作ったりする意思を持つことができるのか?

(答)ここで言っている生命とは、物質の生命のことです。

しかし、神とは物質ではありません。

神というのは宇宙を創造し、万物を創造し続ける法則性です。

宇宙そのものが誕生した時、その宇宙の大きさは、素粒子のように小さかったのです。

最初の生命は非常に単純な下等の生命です。
徐々に複雑な生命が誕生していきました。

それらの生命は、人間という高等な知的生命が高度な文明をつくるのに必要な材料として用意されたのです。
大脳が発達したから人間となったのでありません。
人間という高度な知的存在(魂)が宿るのに相応しい条件を持った器がつくられたのです。
すべては神から分かれた魂が、神へと近づいていくために用意された環境なのです。
0397神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 21:10:36.90ID:4DY0/Ju2
(問)世界創造神は基地外じみている。
科学がここまで発展した以上すべてを神が作ったというのはナンセンスだろう。
宇宙はあまりに広大で無限に多くのことが起きている。
その神はどこにいるんだと
世界の外か?

(答)あなたの言葉こそまさに現代に存在する問題の核心をついています。
科学がここまで発展したのに神はどこにいるのか?魂などどこにあるのか?
多くの人こう考えています。比率で言うと70%くらいでしょうか?

プラトンの「ティマイオス」を読んだことはありますか?
宇宙形成者(デミウルゴス)はイデアの世界を眺めながら形のない質料から
この世界を形成した、と言っています。この場合、世界=宇宙はせいぜい太陽系です。
旧約聖書の「創世記」には、神は光あれと思念し、7日間で世界を創造した、と記しています。
2000年以上前の神と宇宙(世界)の認識です。

しかし、現代では、地球の属する太陽系は天の川銀河の辺縁に属し、秒速220qで回転しています。
しかも銀河は数えきれないほど無数にあります。
時間はおよそ137億年から138億年まで遡れます。非常に永い時間、永遠に近い長さですね、人間には。

しかし、地球から望遠鏡で130億光年離れた恒星を見ることができます。
つまり130億年前の光を我々は見ているのです。じゃあ、宇宙の始まりのビッグバンは見えますか?
望遠鏡で見えるのは、宇宙誕生から38万年後の晴れ上がった後の宇宙です。
それより前は超高温・超高密度のため光(電磁波)は直進できません。
それ以前の宇宙はどうだったか?粒子加速器による実験によって超高エネルギー状態をつくり出して
宇宙の始まりを再現しています。2012年にヒッグス粒子が発見されましたね。
その何年か前にホーキングは「私はヒッグス粒子が無い方に賭ける」と言っていましたが。
しかし、ありました。ビッグバン直後の1000兆度の超高温の宇宙で真空の相転移が起こり、
ヒッグス粒子が宇宙空間に凍りつきました。それにより電子やクォークはヒッグス粒子に邪魔をされて
動きにくくなりました。これが「質量」の起源です。これによりクォークはくっつき
その周りを電子が回るようになって原子核ができたのです。
0398神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 21:14:47.52ID:4DY0/Ju2
ウクライナの物理学者ビレンケンは量子重力理論によって宇宙の創成を考えました。
宇宙誕生の瞬間は宇宙の大きさは素粒子のように小さかったはずです。
これ以上分割できない「プランク長さ」、10のマイナス33乗というミクロな宇宙です。
ビレンケンが考えたのは、その前の宇宙です。実数の時間が始まる前の
虚数の時間で進行するド・ジッター宇宙というものを考えたのです。
この閉じた宇宙では真空のエネルギー(宇宙項と呼ばれる斥力)が満ちていました。
素粒子のようなミクロの世界では量子トンネル効果ということが考えられます。
つまり本来であれば超えることができないエネルギーの障壁をわずかな確率でもって
トンネル効果により障壁をくぐり抜けることができるのです。
こうして実数の時間に登場した宇宙は、無限大に近い超高温、無限大に近い超高圧です。
そしてインフレーションと呼ばれる指数関数的な膨張を引き起こします。
ヒッグス場の量子のゆらぎの中で自発的対称性の破れにより偽真空の状態からポテンシャル障壁を超えて
真真空の状態にポトリと落ちます。これが真空の相転移、ヒッグス粒子の誕生です。
この誕生直後の宇宙は真空のエネルギーに満ちています。その後しばらく真空のエネルギーは一定のままありますが、
過冷却により急激に無くなります。この時に潜熱の解放が起こり宇宙は火の玉になり、急激に膨張します。
これがインフレーションです。宇宙空間が膨張するにしたがって温度は冷えていきます。
すると高速で飛び回っていたクォークが集まって陽子や中性子になり、電子をつかまえて原子になります。
もちろん水素です。やがてヘリウムができます。38万年経つと宇宙が晴れ上がり、光が直進できるようになります。
0399神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 21:20:46.42ID:4DY0/Ju2
こうした宇宙物理学は科学の中だけに存在するのでしょうか?
ベルギーのルメートル(1894-1966)という神父は、宇宙を過去に遡れば
宇宙は銀河も星も、原子や原子核も、圧縮・合体したような超高温・超高圧の
「原初原子」という状態であったと考えました。彼は神父であると同時に
博士号も持っていました。宇宙創成は宗教の問題でもあるのです。

つまり現在、大きさもわからないほど巨大な宇宙空間も、137億年も時間を遡ると
素粒子のように小さな空間でした。巨大な空間が一点に収縮するはずですから
ものすごい超高温・超高圧の高エネルギー状態です。
だから130億光年も離れた恒星も、時間を遡れば、我々の隣りにある空間です。
その証拠に宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が宇宙空間を漂っています。
これはビッグバンの残り火です。我々の地球も、130億光年先の銀河も、遡れば
素粒子のように小さな同じ空間にあり、隣り合っていました。現在は離れてしまいましたが。

しかし現在の巨大な宇宙空間には、光の速度で進んでも130億年かかる距離があります。
気の遠くなるような広大な空間ですね。130億光年彼方の銀河は、130億年前の光です。
同じ空間の中に130億年の時間が横たわっています。
つまり現在と130億年前の時間が、同じ時空連続体に同居しています。
そう考えると物理学では時間はどのように定義されますか?
まだ現代の科学では定義できていないのです。

となると、この「137億年の時空連続体」を、神という意識体は
まるで「一瞬」のように、虫かごのように「小さな空間」として
認識しているはずです。

すると、「広大で無限」に思える宇宙空間も、「永久で無窮」に思える137億年という時間も、
神の「意識」の中に仮に存在しているものとわかります。
「宇宙のどこに神がいるのか」ではなく、「神の意識の中に宇宙空間も時間も(仮に)存在している」のです。
0400神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 22:15:40.30ID:4DY0/Ju2
神は宇宙空間のどこかにいるのでもなく、宇宙の外側にいるのでもありません。

神は法則性として宇宙全体に遍満し、宇宙を統括しているのです。
宇宙万物はすべて法則性の下にあります。

この法則性は物質の中に働いている自然の法則だけではありません。

人間の魂の中に、善悪の法則として働き、すべてを記録しています。
人間が心の中で思ったこと、口に出した言葉、身体で為した行為、
それらの集積が魂を形成します。
魂の本質は善悪の業の集積です。

そして死により肉体は滅びますが、魂は肉体のもとを去り、来世に赴きます。
心の中の思い・言葉・行為による善悪の業に基づいて、来世の法廷で
善悪を判定されます。
善い思い・善い言葉・善い行為をなし、善業功徳を積んだ魂は、天界において褒賞を得て、
悪い思い・悪い言葉・悪い行為をなした悪人は、地獄に落ちて、長い苦しみを受けます。
地獄における苦しみは、辛いものですが、それによって魂はより悪い罪から解放されて
善い方向に矯正されるのです。

神の本質とは、こうした善悪の法則のことです。
0401神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 22:18:22.04ID:4DY0/Ju2
神にとって130億年が一瞬であっても、人間にとってはそうではありませんね。

時間というものも、まだ物理学では定義できていません。

我々は時間という言葉を無意識に使っていますが、その正確な定義を知っている人はいません。

円周率の「π」というのは誰でも知っていますね。3.141592…と続く円の直径と円周の比率です。
アルキメデスもニュートンもガウスもこの円周率πを何となく使っていました。
円周率πは3.141592…と、どこまでも続いていくので、これが無理数であることはわかっていました。

しかし、ドイツの数学者リンデマンは1882年にπが「超越数」であることを証明しました。

整数を係数とする多項式の方程式の解とならない無理数(超越数)だったのです。
その後、数の体系では超越数の方が多いことがわかってきました。

同様に我々は時間の定義を知らないまま、時間という概念を使っています。

重要なことは「この宇宙は神のうたた寝でみてる1沫の夢」であったとしても
人間にとってはそうではないということです。

現在の宇宙は、「安定的に存在」しています。そして少なくとも地球は「生存可能領域」(ハビタブル・ゾーン)となっています。
これは何を意味するでしょうか?
0402神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 22:19:06.12ID:4DY0/Ju2
つまり現在の宇宙、その中でも太陽系は、人間のような高等生命が安定的に存在し
生存可能な領域として存在しているということです。少なくとも「地球」はね。

これは偶然そうなったのではなく、「目的」があってそうしたのです。

人間という被造物が、創造主を目指して、魂の向上と進歩をなし、高度な文明を築く
という目的のためにね。

人間以外の生物は、本能に基づき、生存をしている。
しかし、人間だけは、宗教を信仰し、文学や詩を創作し、歴史を記録し、
法律を制定し、社会を営み、絵画・彫刻・音楽などの芸術をつくり、
政治と経済の営みを営々と行って来ました。人間は文化を築き、文明を築いてきたのです。

また女性・子供・高齢者・病人などの弱者には特別の保護と福祉を考えて、
戦争や災害の時には自己犠牲さえも厭わない人もいました。こうしたことは
人間にのみ特有のことです。

我々は「歴史」ということを学びます。
この「歴史」というのは、「高度に意味のある物語」なのです。
弱い者には保護を与え、宗教を信仰し、高度な文化をつくる。
時には信仰のために迫害を受けたり、戦争で祖国を守るために自己犠牲により国を救うということもありました。
そうした歴史の中で徳の勝利と悪徳の敗北がどのように実現されるか、
また、人間がそのような歴史の流れの中で善と悪をどのように選択するのか、
そうした中から意味のある教訓と善の褒賞と悪業の報いをどのように配置し、実現するのか。

そうした目的があって、この宇宙は創造され、地球も存在しているのです。
0403神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 22:23:53.47ID:4DY0/Ju2
c
0404神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 22:24:54.81ID:4DY0/Ju2
人間にとっての時間は「うたた寝でみてる1沫の夢」ではありません。

人間存在の本質は、20種類のアミノ酸や、それらが集合してできたタンパク質、
60億個の細胞の方ではなく、眼には見えない「魂」の方です。

この魂は煙のように吹けば飛ぶようなものではなく、「実体」のあるものであり、
「実在」により近いものです。

あなた方が「実在」であると思っている肉体の方は、80年から100年しか存在できない
「仮の存在」です。死ぬと分解して二酸化炭素やメタンになってしまいます。
またDNAの二重らせん構造に書かれているアデニンとチミン、グアニンとシトシンのゲノム情報も
親から受け継ぎ、子から孫へ情報を伝えていきますが、あなた個人にとっては
やはり80年から100年しか存在できないものなのです。

あなた自身の本質は、やはり「魂」の方なのです。
魂とは何かというと、「善と悪の業の集積」です。これは「実在」し、死後にも存続します。
善い思い・善い言葉・善い行為を積み重ねると、その人は生きている間は善人と呼ばれ、
死んだ後には天界において善業功徳の褒賞を受けます。
悪い思い・悪い言葉・悪い行為を積み重ねた人は、生きている間は悪人と非難され、
死んだ後には悪い所(地獄)に落ちて炎で焼かれます。

これらは「うたた寝でみてる1沫の夢」であってほしいと思っても、そうはなりません。
人間の後ろに影が付き従うように、どこまでも追いかけて、その人のもとを離れません。

あなたの本質は魂であり、煙のように風に吹き飛ばされて消えてしまうものではなく、
善悪の業が集積し、あなたの魂を形成しているのです。そしてこの善悪の業は必ず報いをもたらします。
善には褒賞と名誉を、悪には苦しみと悲歎を。
0405神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 23:13:40.92ID:4DY0/Ju2
「法律」と「宗教」の関係について見てみましょう。
人間が増え、社会や国家を形成するようになると、法律というものが必要になります。
個人が何をするかは基本的に自由ですが、他の人間の生命・財産・基本的人権など、
尊重すべきものに害悪を加えない限り、という条件が付されるようになります。
法律の根源は刑法です。「殺してはならない。傷害してはならない。盗んではならない。」
そして法律に違反した場合には、裁判によって裁かれ、刑罰が科されます。
そうすることで社会の秩序を維持し、人間の善悪を規制したのです。
やがて社会が発達し、経済的に豊かになってくると、民法、商法などの法律が整備されます。
財産の所有権、売買の契約、金銭の貸し付けと利子、損害の賠償、結婚・離婚や
親子の関係、相続、株式会社の制度、商行為の規制など、民間におけるルールの整備が
整ってきます。そして、法律を順守している人間を善、法律に違反している人間を悪とみなします。
石器時代のように人間がムラに住み、狩猟や漁業で生きている間には法律はあまり必要なかったかもしれません。
しかし、農業が発達し、食糧を備蓄し、商業や貿易が莫大な富を生み、社会が発展してくると
人間も増えて様々なトラブル(紛争)が生じます。そのような紛争を調停し、法的利益を守るために
法律が制定され、法治国家が成立したのです。
0406神も仏も名無しさん垢版2017/06/12(月) 23:41:59.20ID:4DY0/Ju2
我々、現代人の善悪の概念は、まさにこの法律から来ます。
法律に違反したことがない人間は善人、法律に違反した人間は悪人。
こう考えるのが普通です。
実際、法律に違反した人間は、逮捕され、刑務所に入れられ、隔離されます。
犯罪者は、実際、悪人です。

しかし、宗教が説く善悪はより根源的です。
日本人であれば犯罪を犯して刑務所に入るのは人口の1%未満でしょう。
残りの99%の人間は善人でしょうか?
法律的には善人ということで扱われます。
しかし、宗教的には、法律に違反していない人間の中にも悪人がいると考えられます。
それは心の中で罪を犯している人間です。
罪には2種類あります。
一つは法律的な罪。
もう一つは宗教的な罪です。
宗教においては、心の名に潜む欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、虚偽、傲慢、エゴイズム、
放縦、欺瞞、猜疑心、敵意、害心、羨望、その他、道徳に反した悪い思いは
すべて罪になる、と教えます。
殺人や傷害などを犯さなくても、心の中で怒りや憎しみが生じたら、法律的には罪ではなくとも、
宗教的には罪になります。
金銭や財産を盗んだら窃盗罪になります。
しかし、泥棒になることの不名誉のために、盗むことを思いとどまったら、法律的には無罪です。
しかし、財産や金銭への欲望を募らせ、それらを熱望し、心の中の善を蔑ろにしていたら
それは宗教的には罪になります。
宗教においては、それらの宗教的な罪を、「業」と呼んだり、「悪業」と呼んだりします。
これらは煙のように消えるものではなく、風に吹き飛ばされてしまうものでもなく、
滅びる性質のものでもありません。それらの「業」は、実体のあるものであり、
積み重なり、魂の実体を形成していくものであり、死後も存続するものです。
そして、悪業に対しては苦しみという報いをもたらし、善業に対しては神により近い性質のものになる
という褒賞をもたらすまで、消えることなく残るものです。
0407神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 20:19:14.51ID:7oriCAlK
哲学においては「実在」とは何か、ということが長い間考えられてきました。
実在とは、恒常であるもの、常に存在し、変化しないもの、不変のもの、滅びない性質のものです。
一方、実在しないものとは、変化するもの、滅びる性質のもの、転落するもの、
苦しみの原因となるもの、有為転変するもの、消滅するものです。
我々が生きている間に求めるもの、それは地位であるとか、名誉、権力、金銭、財産、
その他何でも、欲望の対象となり、これこそが我が物であり、我が所有であり、
私の自我であると思いなし、人々から賞讃され、心地よい、心に適うものであると
思い込んでいるものです。多くの場合、それらは物質の性質を持つもの、地上における
現世的なるものです。そして、それらを多く得た者が羨ましがられ、それらを得ない者は
失敗者・敗残者と思われています。

しかし金銭・財産・名誉・地位・権力などは、物質であったり、地上に特有の物であったりします。
それらは滅びる性質のもの、変化するもの、転落するもの、有為転変し、
やがては他人の手に渡り、地上から跡形もなく消滅するものなのです。
それらは生じては滅びるものです。つまり実在ではないのです。
生じては滅びる性質のもの、変化し、有為転変し、やがては消え去るものに
しがみつき、これこそが我が物である、我が所有である、私の自我であると
思いなすところに苦しみが生じ、悩みが生じ、争いが起こり、転落をすることになるのです。
このような人は、魂が常に肉体と共にあり、肉体とその欲望から生じる快楽に惑わされ、
その結果、肉体的なものだけを実在するものであると誤認をし、飲んだり、食べたり、
肉体に快楽を生じるものだけを追い求めて、肉体的な欲望や物質にたえず縛られて、
魂の中に肉体的な快楽への欲望や貪り、執着や放縦が魂の中にしみ込み、
重い鈍重な波動が魂の中に刻まれ、物質のみが真実に存在するものであると思い込むようになるのです。
その結果どうなるかというと、魂は肉体や物質に近い性質のものになり、眼には見えない叡知的なるもの、
理法や善悪、道徳、倫理とかいった意識が希薄となり、神や来世の存在を
信じなくなり、肉体の欲望や快楽に従うような不正で貪欲な人間になっていきます。
0408神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 20:27:28.54ID:7oriCAlK
実在とは何でしょうか?
神こそが唯一の実在です。
神というのは宇宙に満ちている法則性、善悪の理法のことです。
しかして、神の本質とは、智慧であり、慈悲であり、正義であり、真実であり、
永遠の創造であり、謙譲であり、節制であり、温和であり、勤勉であり、
その他、一般に徳と呼ばれるものです。
神や法則性、徳と呼ばれるものは恒常であり、変化しないもの、常に存在し続けるもの、
滅びない性質のものであり、実在と呼ばれるものなのです。
0409神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 20:35:19.25ID:7oriCAlK
それにもかかわらず、魂が肉体という牢獄に宿ると、人間は実在である神や徳について
考えることなく、肉体の生存に必要な物質、食べ物、金銭、財産といったものを得るために
生きていくようになり、次第に魂が肉体と同化し、欲望が肥大化していきます。
そして、地位や名誉、他人を支配し、権力をふるい、自分が偉いのだという傲慢な心が生まれ、
他人を見下すようになります。
そして、肉体の快楽や享楽を第一に考えるようになり、神や来世を信じる心、
善悪の道徳、魂の中の叡知的なるものを見る目が失われ、心が曇って来ます。
そして肉体や物質こそが実在するものであり、神や来世、善悪の業の果報などを
無知蒙昧の迷信であり、嘲笑するようになってきます。
こうして価値観の顛倒が起こり、物質と肉体こそが実在であり、より多くの
快楽を与えるものこそ、価値のあるものだと考え、享楽的で俗物的な考え方に染まっていくのです。
しかし実際には、肉体も欲望の対象となる物質も、無常であり、変化するもの、
滅びる性質のもの、移り変わって、やがては消滅するものであるのです。
無常であり、滅びる性質の肉体や物質に愛着を感じ、しがみつき、執着をするから
苦しみが生じ、悩みが生じ、苦悩が生じるのです。そして無常であり、滅びる性質の肉体に
愛着をし、しがみつくところに苦しみが生じ、肉体の欲望の対象となる地位や名誉や財産こそが
我が物である、我が所有である、私の自我であると考えるようになります。
しかしそれらは生じては滅び、変化するもの、転落するもの、無常であり、苦しみを生じるものであるのです。
肉体も物質も実在でありません。80年後には消滅しています。滅びる性質のものであり、虚しいものです。
つまり仮に存在し、やがては消えていくものなのです。
0410神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 21:54:52.40ID:7oriCAlK
つまり宗教が教える悪とは、肉体から生じる欲望であり、快楽を貪り、享楽的に生きること、
物質や名誉や地位や権力に執着をし、それらを得るために争い、他人を陥れ、
謀略によって他人を騙し、金銭や財産を貪ること、こうしたことなのです。
そうした肉体的な欲望は、重く、鈍重で、粗い波動のものであり、そうしたものになずんだ魂は
肉体と強く結びつき、不浄な、罪深い魂となって、来世では地獄に落ちて、長く苦しむことになります。
なぜならそうした魂は、肉体に縛りつけられ、まるで釘で打ったかのように肉体と同化し、
肉体的な欲望を満足させるために、肉体が喜ぶ快楽や享楽こそが真実であると思い込み、
肉体と同じ習慣になずみ、ついには魂そのものが肉体と同化した物質的なものになってしまうからである。
そうした魂は不浄で罪に汚れた悪しき魂となって、ひたすら欲を満たすために快楽や享楽を
追い求めるようになって、決して神に近い清浄な天の世界には到ることができないのです。
神に近い天界に行くことができる魂とは、生きているときに、神と来世を信じ、
善悪の道徳を守り、戒律に従って悪をなさず、善行と他者への貢献に生きた人だけなのです。
また、実在に近い、智慧とか、正義とか、節制とか、慈悲とか、謙虚とか、
穏和とか、徳と呼ばれるものを実践し、徳人と呼ばれるような人間がそうした世界に帰るのです。
そうした善行功徳は決して滅びることはありません。
なぜならそうした徳と呼ばれるものこそが神の本質であり、実在に近いものであるからです。
0411神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 21:55:27.22ID:7oriCAlK
1つの法則。

1人の師。

1つの世界。
0412神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 21:56:04.27ID:7oriCAlK
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0413神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 22:12:08.61ID:7oriCAlK
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0414神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 22:14:06.33ID:7oriCAlK
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0415神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 22:39:14.33ID:7oriCAlK
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0416神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 23:07:03.73ID:7oriCAlK
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0417神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 23:28:06.44ID:7oriCAlK
e
0418神も仏も名無しさん垢版2017/06/13(火) 23:28:29.62ID:7oriCAlK
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0419神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 21:11:58.63ID:3MCPcHJt
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0420神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 21:40:32.89ID:3MCPcHJt
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0421神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 22:04:37.44ID:3MCPcHJt
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0422神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 22:11:03.57ID:3MCPcHJt
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0423神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 23:42:39.86ID:3MCPcHJt
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0424神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 23:42:59.58ID:3MCPcHJt
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0425神も仏も名無しさん垢版2017/06/14(水) 23:45:08.98ID:3MCPcHJt
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0427神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 00:35:10.81ID:RVurx5hV
著作が完成してんならアップしてリンク貼れよと。

お前の家に行かないと買えないの?
0429神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 07:43:44.61ID:S2vsQm3B
山梨の日◯宗の総本山である、身◯山久◯寺の内部の僧侶らが、憲法違反を犯したらしい!
今、弁護士らが介入して、法の下に勝負してるらしい!
0430神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 21:35:42.04ID:ubIh8nnT
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0431神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 21:36:25.91ID:ubIh8nnT
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0432神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 21:36:53.07ID:ubIh8nnT
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0433神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 21:40:52.39ID:ubIh8nnT
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 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0434神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 21:41:41.70ID:ubIh8nnT
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0435神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 22:32:07.25ID:ubIh8nnT
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0436神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 22:37:26.93ID:ubIh8nnT
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0437神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 22:41:35.30ID:ubIh8nnT
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

※関東地方のお住まいの方。もしくは関東地方に継続的に通うことが可能な方。
 初期メンバーは、このような方を想定しております。
0438神も仏も名無しさん垢版2017/06/15(木) 22:54:35.62ID:ubIh8nnT
「新しい宗教の誕生」



21世紀が明けてすでに10年以上が経ちました。20世紀以来のサイエンスとテクノロジーの進歩、
経済の発達は、人類の物質面での生活を著しく豊かに便利にしてきたことは多くの人が指摘する
とおりです。一方、人間の精神の中心ともいえる宗教についてはどうでしょうか?
2000年以上前の仏教・キリスト教、1400年前のイスラム教などの伝統宗教が形骸化し、現代のテクノロジー
の発達から乖離する一方、数多くの新興宗教が信者から金銭と財産を収奪し、社会問題となっています。
このような状況に鑑み、私はここに新しい第4の宗教を創始しようと考えます。

 開祖=私
 教典=私の書いた著作(すでに完成)

私はここに盛大な祭祀を起こし、世界文明の指導原理となる新しい宗教を創始します。
伝統宗教に満足できない人、新興宗教で奪われ続けている人、物質生活に物足りなさを感じ、
精神的な指導原理を求めている人、私の提供する学びの場に参加してみませんか?
私の創始する宗教の会員となって、新しい世界文明を創始していきましょう。

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