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開けば憑依、読めば霊障、にほんブログ村幸福の科学カテゴリ ・アメリカ
アメリカ合衆国では、トランプ大統領の登場に当たり、マスコミから非常に厳しい批判が続きました。大統領への就任以降も、トランプ批判は鳴りやみません。その筆頭は、CNNという国際的な大きなテレビ局です。
そこのニュース番組のメインキャスター、アンカーマンの一人などは、本当にトランプ大統領と敵対し、対立しているように見えます。しかし、彼はおそらく、生命の危機は感じていないだろうと思います。これが、アメリカ合衆国です。
・ロシア
もし、ロシアで、CNNのような代表的なテレビ局のニュースキャスターが、プーチン大統領のことをずっと批判し続けたらどうなるでしょうか。
それは、確実に暗殺されるでしょう。過去、すでにそういうことはありました。
・中国
もし、中国において、CNNのように、中国政府、あるいは習近平主席の間違いを糺したらどうなるでしょうか。もちろん、そのメインキャスターは牢獄行きとなると思われますが、劉暁波氏のような最期を迎えられれば一番よいほうでしょう。
実際にはその前に粛清されることが多く、おそらく、その会社自体も国営化され、消されていくだろうと思います。
しかし、その習近平氏も、過去に六回以上の暗殺未遂に遭っています。中国の歴代の指導者としては、最も暗殺を恐れている指導者とも言われているようです。そうであるからこそ、強い指導者を演出し続けているというのも、確かなことなのでしょう。これが中国です。
・北朝鮮
それから、北朝鮮ならどうでしょうか。そもそも、CNNのようなものなど、存在不能です。北朝鮮の映像に映っている人を見てください。たいてい、本当に笑っているのは金正恩氏ただ一人です。これは、完全なる全体主義国家です。社会主義的全体主義といってもよいでしょう。
中国の状況は、北朝鮮に次ぐものの、やや、権力闘争が許されている面もあって、少しは緩いのですが、これを変えるには、まだ時間がかかるように思います。
このようなものが、現実に置かれている状態なのです。
したがって、国防ということ、国を愛し、国を護るということは、各国の持っている権利ではあるのですが、もう一つ、「その護るべき国は、『世界正義』に照らして正しいか」という基準があることを忘れてはなりません。 ・日本
では、日本であればどうでしょうか。
日本でCNNのようなところが安倍首相の批判をし続けたらどうなるかというと、おそらく、安倍首相はCNNの代表者を会食に呼び、一緒に食事をして、何とかなだめ、ゴルフに連れていこうとするでしょう。
しかし、それでも批判をやめなかった場合は、閣僚の誰かに辞めてもらい、最後は自分自身が退陣するというかたちになると思います。これが日本です。
そのように、それぞれの国によって対応は違うわけです。したがって、「自分が、今、生まれ直すとしたら、どういう国を選ぶか」ということを、よく考えてみてください。
各国の事情を知った上で、「もう一度生まれ変わりたい」という国には、やはり、その背景に「神の正義」があると思わなければなりません。
それは、つらい選択ではあるけれども、「自国を防衛する」ということにおいては、防衛するに足る国家であるかどうかという神の目から逃れることはできないのだということです。これを、私は言っておきます。 4 人類は今、重大な岐路に立っている
「自由と民主主義」の国にある「政教分離」の問題
現在ただいま、大事な問題点は収斂されてきています。
一つは、社会主義的全体主義国家。国家が決めたルールどおりにしか、政治も経済も動かないような全体主義国家です。そして、「言論の自由」「表現の自由」「出版の自由」「報道の自由」も含めた自由が著しく制約されている国家です。
もう一つは、そういう自由もすべて認められている、自由で民主主義的な国家。問題点はまだまだたくさんあるにしても、自由で民主主義的な国家のなかで「正義」を探す試みということです。
言葉を換えて言えば、これから先、2017年以降には、日本を基調とした「自由と民主主義」の国家体制が、いまだ世界のリーダーとして引っ張り続けていくのか。
それとも、北朝鮮や中国のような、報道の自由もなく、言論の自由もない全体主義国家が、恐怖によって世界を支配するのを受け止めるのか。
今、そういう選択肢が来ています。2017年は、その「重大な年」の一つです。 これから来るものに対して、心を引き締めてください。勇気を持ってください。
いろいろな意見が飛び交います。迷うことも多いでしょう。反対の意見も数多く出るでしょう。国際世論も沸騰するでしょう。
しかし、迷ったら、最後は私の言葉を聴いてください。これが人類を率いてきた者の言葉だからです。
私は、本来、神の言葉が成就する国家の運営を実現できればよいと思っています。しかしながら、今、そういう国は世界に見当たらないのです。
確かに、自由と民主主義の国は、個人の人権を弾圧したり、人々を簡単に殺害したりする国よりは、はるかによい国かもしれません。ただ、自由と民主主義の国のなかにも、もはや神の言葉を感じず、神の教えを過去のものにしているところも数多くあることを知ってください。
そのキーワードが、「政教分離」です。政治と宗教を分けることが、自由と民主主義の国のなかでもよく行われています。
それゆえに、イエス・キリストが「人を殺すなかれ」と教えても、キリスト教国同士で戦争ができるのです。つまり、政教分離をしているために、政治をするのは神ではなく、国民に選ばれた人たちであるから、人が殺せるわけです。それが政教分離です。 「政教一致」の「一神教」が抱える問題点
その一方で、「政教一致」、「祭政一致」といって、「神の教えを国の政治と経済体制等に反映しよう」としている国家もあります。イスラム教の諸国も、おそらくそういう考えでありましょう。
もし、現在、本来の神の心がそのままに地上の政治に反映されているのならば、これは正しい結果になるはずです。
ところが、ムハンマド降臨以降、千四百年がたった今、イスラム教国の指導者には、ムハンマドの心がストレートに分からないのです。そのために、過去の経典に照らして、現在の人々が自分たちに有利な政治や経済政策を取っています。
「祭政一致」、「政教一致」といっても、ここに問題点はあるわけです。
また、イスラム教国においては、君主制との連携が強いせいで、民主主義制度を嫌うところが数多くあります。それで、イスラム教国から移民として欧米に入った人たちが、ときどきテロリストになって世界を騒がせているのです。 もちろん、イスラム教徒のなかには民主主義を認める人たちもいますが、急進的な「原理主義者」といわれる人たちは、民主主義を認めません。
彼らは、「神が言うとおりに人間は生きるべきだ」と考えているからです。しかしながら、現時点のイスラム指導者たちには、神の言葉が聞こえていません。ここが問題なのです。
もし聞こえているならば、彼らも反省したり、考えを変えたりすることもできるでしょう。ただ、聞こえていたのは古い古い「古典の時代」です。
その時代の言葉に基づいて現代の政治や経済を判断しようとしてもできません。なぜならば、何も語られていないからです。
あるいは、イスラム教徒による自爆テロがありますが、「コーラン」のなかで、神は、「人を殺すなかれ」と説いています。人を殺してはならないし、傷つけてもならないと教えているのです。
にもかかわらず、彼らはなぜ戦争をするのでしょうか。それは、「自分たちの神は本物で、それ以外の神は偽物だ」と思っているからです。 20神も仏も名無しさん2018/06/15(金) 02:47:40.26ID:kjchUBFx
しかし、「一神教がすべてではない」ということを、どうか知ってください。
例えば、それぞれの民族や国には、歴史的にその民族や国の神といわれる方がいます。私はそれを認めています。その意味で、インドのような「多神教」というのは現実にあって、数多くの神がいるわけです。
そのときに、もし本物の神は一人だけで、あとは全部偽物だとしたら、戦争ばかりが起きるでしょう。要するに、ほかの民族、ほかの国に教えを弘めるために、外国を占領していくことが正義になるからです。
さらに言えば、キリスト教にしても「一神教です。それゆえに、かつてスペインやポルトガルも、地球を一周して植民地をたくさんつくりました。いろいろな国の宗教を潰し、植民地化していったわけです。
ただ、それでも世界を押さえられないでいます。それは神のせいではなく、神の教えを受けて活動している人の認識力の問題なのです。 5 地球神エル・カンターレからのメッセージ
今、私は、あなたがたに言う。
キリスト教に言う「主なる神」。
ユダヤ教に言う「エローヒム」。
イスラム教に言う「アッラー」。
中国の幸氏が言う「天帝」。
さらには、日本神道ではその姿も知られていないが、
中心神である天御中主神の上にいる「天御祖神」。
すべては同じ存在であり、一人なのです。
確かに、それぞれの宗教は、
民族性や文化性の違いによって考え方が違っているかもしれません。
しかし、もとなるものは一つであって、
さまざまに魂を磨きながら、
この地上で修業している仲間であることに変わりはないのです。
また、民族の壁を超えるために、
「転生輪廻」という仕組みもつくりました。
今は日本人であっても、過去世は日本人ではなく、
ヨーロッパ人であったり、中国人であったり、
韓国人であったりすることもあります。
もちろん、その逆の場合もあるでしょう。
そういう魂経験をしながら、
あるいは、転生の過程で男女両方の経験もしながら、
人間は、理解する器を広げようとしているのです。
今、私は、最後の、最終の、すべての法を説くために、
この日本という国に生まれました。
私にわかる範囲で、すべてのことを明かします。 あなたがたは今後、
宗教を理由にして国際戦争をしてはならない。
あなたがたは、無神論か有神論かということで、
宗教を信じるか信じないかによって、
戦争を起こしてはならない。
金正恩よ、神を信ぜよ。
核兵器を捨て、ミサイルを捨てよ。
習近平よ、神を認めよ。
神の下の自由と民主主義を認めよ。
それが、地球神の言葉である。
また、イスラム教国よ、
あなたがたは一神教を名乗っているが、神の声が聞こえているか。
聞きたいのなら、私の言葉を聴きなさい。
そうすれば、イスラム教徒とヨーロッパの人々が、
移民を契機として、テロ合戦をすることはなくなるであろう。
私は、そんなことは勧めてはいない。
民間人が、自動車で爆弾と共に他の民間人に突っ込むことなど、許していない。
さらには、
母や子がダイナマイトを巻いて、大勢の人のなかで自爆テロを起こし、
何万人もの人を恐怖に陥れることを、認めていない。 あなたがたに言う。
真の神の言葉を知って、
人類はその違いを乗り越えて、
融和し、協調し、進化し、発展していくべきである。
これが、地球神エル・カンターレの言葉である。
二度と忘れることなかれ。
あなたがたの心に刻むのだ。
人類は一つである。
これから、地上的な争いを乗り越える神なる存在を信じ、
その下に、
自由と民主主義を掲げる世界を続けていくことを選び取るのだ。
もう一度言います。
北朝鮮に必要なのは「信仰」です。
中国に必要なのも「信仰」です。
インドに必要なのは、さまざまな神の上にいる神の存在です。
イスラム教国に必要なのは、アッラーとは誰かを知ることです。
私は、その違いを超えて人類を愛し、受け入れています。
信じることを通して、愛とは何かを学んでください。
それが、私のメッセージです。 🌟 大川隆法著 『信仰の法』
第6章 人類の選択 ー 地球神の下に自由と民主主義を掲げよ
>>452-471 あとがき
トリビアな情報の奔流に押し流されている、今日の日本人や全世界の人々に告げる。
これが現代の「聖書」にして「コーラン」である。
キリスト教、イスラム教のあとに続く、地球規模の世界宗教の教えの核心である。
いずれ、あなた方は、「神の名」を呼ばなくてはならなくなるであろう。
その神の名を教えるのが本書の使命である。
「信じる」というころは、「永遠の生命」である。自分自身をも、「愛する」ということである。
2017年 12月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法 精神科医がおすすめする 心を浮かせる名作映画 (1)
《本記事のポイント》
アメリカの心理学会がメンタルにいい映画ガイドを出している
映画から「ポジティブ情報」「ネガティブ情報」が伝播する
『僕と妻の1778の物語』で描かれた「ユーモア」
仕事や人間関係に疲れたり、落ち込んだりした時、気分転換のために映画を見たくなります。その時、せっかくなら名作を見たいもの。
しかし、精神医学の立場から観たときに、同じ「名作」と言われるものの中でも、気持ちを浮かせるために「観るべき名作」と「観てはいけない名作」が分かれるといいます。
辛口評論家のお墨付きとも、動員数とも違う基準ですが、観る側にとっては大事な観点と言えます。
本記事では、国内外で数多くの治療実績・研究実績を誇る精神科医・千田要一氏に、「映画とメンタルの関係」、そして「名作映画の"診断"結果」について聞いていきます。
アメリカの心理学会が出す映画ガイド
精神医学の立場から言うと、映画には、いい意味でも悪い意味でも、「単なる気晴らし」では済まないところがあるんです。内容によって、観た後の精神状態が大きく影響されます。
実はアメリカでは、メンタルにいい映画を推薦するガイドブックが発刊されています。
そのガイドブックには、『フォレスト・ガンプ/一期一会』は「自制心が身につく」、『バットマン ビギンズ』は「勇気が奮い起こされる」といった、作品名とメンタル面での効能が書いてあります。
発刊しているのは、「ポジティブ心理学会」という機関。「ポジティブ心理学」とは、ロンドン大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学などを中心に研究されている心理学の最新分野です。
向こうでは、自分の気持ちの状態や、伸ばしたい資質などに応じて、映画を「治療」に使う習慣があるんです。
一方、「精神医学的に推奨できる映画が存在する」ということは、逆もあり得るということ。どんなに評価された作品の中にも、「メンタルにとってマイナスと"診断"される」ものがあることは、知っておいたほうがいいでしょう。 「ポジティブ心理学会」も、人々をネガティブな映画からブロックするために、本心では『精神に悪い映画』のようなガイドブックを出したいところでしょうね。
もちろんそんなことをすれば、「ネガティブキャンペーンだ」ということで、訴訟を起こされてしまうかもしれませんが(笑)。
映画から「ポジティブ情報」「ネガティブ情報」が伝播する
映画が、メンタルに影響を及ぼすメカニズムはシンプルです。
ストーリーや映像が表現する「ポジティブ情報」と「ネガティブ情報」が、そのまま観る側のメンタルに伝播します。
特に、映像で描写してしまうと、活字や漫画に比べて、「ネガティブ・ポジティブ情報」の伝播力が跳ね上がります。心理学的には、良くも悪くも、ビジュアライゼーションというのは重要なんです。
たとえストーリーの一端にポジティブなものが含まれていても、あまりにも残虐な描写があった場合、そちら側が潜在意識に染み込んでしまう。
「サブリミナル効果」みたいなものです。普通のテレビ番組のコマの中に、本人が気づかないスピードでコーラの写真が挟み込まれる。
すると見ている方は、なぜかコーラが飲みたくなる。
もし残虐なシーンが潜在意識に染み込んでしまうとどうなるか。
普段は穏やかな人でも、仕事でキャパオーバーになった時、つい奥さんに暴力をふるってしまったりするわけです。仲のいい人に、つい暴言を吐いて、人間関係を壊してしまったりする。
映像の力ってあなどれません。「実写化してはいけないもの」って、あるのではないでしょうか。 https://togetter.com/li/1052127
↑
これってどこの新興宗教?
信者が何十時間も何日も何日も必死に祈ってなおかつ多額の献金をしないと
日本に原爆が投下されるだの
北朝鮮が攻めてくるだの
未曾有の地震や災害が日本が襲うだの脅してくるようなのは
力ノレ卜宗教と言われて世間に断罪されても仕方がないと思う
教祖が災害の予言をする
信者の祈りと献金次第でその災害は回避されるといって多額のカネ集め
災害が起きなければ教祖と信者のおかげ
災害が起きても
「本来起きるはずの災害よりはだいぶ縮小された」
などと教祖と信者のおかげ
あるいは災害が起きたら
「信者の祈りと献金額が全く足りていないせい」
と教祖が信者を叱りつける題材に回す
こんなインチキ儀式の繰り返しで
信者は
「世の中を動かす使命を担っているのはここの教祖と信者なのだ」
という選民意識を持つようになるらしい 「何がポジティブなのか」の研究
ここまで読んで、「映画の中のポジティブ情報・ネガティブ情報って、いったい誰が決めるんだ?」と思う方もいるでしょう。
実は心理学では、「人の幸福感にとってプラスになる感情とは何か」という分類の研究も進んでいます。
2000年代に入って、ペンシルベニア大学の研究チームが、古今東西3000以上の宗教、哲学、思想などの文献を網羅的に研究し、人間を幸福にする6つの美徳を統計解析して抽出しているんです。
その結果、「ポジティブ・エモーション」は、「知恵と知識」「勇気」「人間性と愛情」「正義」「節度」「精神性と超越性」といった要素に分類されています。
逆にネガティブな情報だと、「怒り」「憎しみ」「嫉妬」というのもありますが、他にも「うつ(気力がなくなってしまう)」「極度の不安症」「強迫性障害(極端なこだわり)」「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」など、いわゆる精神疾患に相当する感情でも分類できるでしょう。
日本人は物事をファジー(曖昧)にしたいところがあり、映画をそういう項目で分解することに違和感があるかもしれません。ただ、思考回路が「二元論」の欧米では、割とすっぱり分けちゃうんですよね。 『僕と妻の1778の物語』で描かれた「ユーモア」
例えば、『僕と妻の1778の物語』という映画があります。
SF作家・眉村卓と2002年に大腸がんで死去した妻・悦子の間にあった夫婦愛の実話物語です。SF作家である牧村朔太郎(草g剛)は、妻の節子(竹内結子)と仲睦まじく暮らしていました。
ある日、節子は腹痛に襲われます。大腸がんに侵され、余命1年であることが告げられたのです。しかし朔太郎は、「笑うと免疫力が上がることがある」という医師の助言から、毎日1編ずつ妻のために笑える短編小説を書くことを決意します。
それ以降、朔太郎は苦心惨憺しながら、1778もの物語を紡いでいきます。
その結果、奥さんの寿命がなんと5年近くも延びてしまうのです。
このエピソード自体、「映画を含む物語にどれだけの効用があるのか」を示しています。「笑える短編小説」の「ユーモア」は、先の分類で言えば「精神性と超越性」に入ります。
こうして上向いたメンタルが、ガンの進行を遅らせることも、最近の免学研究では証明されています。
私たちも、この映画を観ることで、「ユーモア」や「愛情」といったポジティブな気持ちを得ることができます。節子のような、免疫が高まる効果もあるはずです。 精神科医がおすすめする「沈んだ心に効く名作映画」(2)―嫉妬に学ぶ? 嫉妬に狂う?
《本記事のポイント》
マイナス映画には人生の教訓はあるか?
映画「アマデウス」で描かれた「嫉妬」
映画の感情は社会を駆け巡る
仕事や人間関係に疲れたり、落ち込んだりした時、気分転換のために映画を見たくなります。その時、せっかくなら名作を見たいもの。
しかし、精神医学の立場から観たときに、同じ「名作」と言われるものの中でも、気持ちを浮かせるために「観るべき名作」と「観てはいけない名作」が分かれるといいます。
辛口評論家のお墨付きとも、動員数とも違う基準ですが、観る側にとっては大事な観点と言えます。
本記事では、国内外で数多くの治療実績・研究実績を誇る精神科医・千田要一氏に、「映画とメンタルの関係」、そして「名作映画の"診断"結果」について聞いていきます。 マイナス映画には人生の教訓はあるか?
前回は、メンタルにいい影響を与える映画とは何かについてお話ししました。しかし、これは、映画の中に「不幸」「戦い」「狂気」などが一切入ってはいけないということではありません。
ドラッグで苦しんだり、人間関係で苦しんだり、というのが人間の現実です。それを描かず、一方的にポジティブなことばかり言っても通じないことは、私自身、治療をしていてもよく実感しています。
『僕と妻の1778の物語』でも、主人公が妻の病気に悲嘆に暮れるからこそ生まれる感動があるわけです。
ただ大事なのは、マイナスの描写をそのままにしないこと。それを人生の教訓や、次の幸福に「昇華」させるための「解毒剤」が入っていることが大事なんです アマデウスで描かれた「嫉妬」
『アマデウス』という映画があります。敬虔な信仰心に生き、人々からも尊敬される作曲家アントニオ・サリエリの前にある日、天才作曲家であるモーツァルトが現れます。
礼儀知らずのモーツァルトは、他の作曲家から軽蔑されましが、サリエリだけは、モーツァルトが神の寵愛を受ける最高の才能を持つことを見抜いてしまいます。自分が凡庸だという自覚と、モーツァルトへの嫉妬に苦しむサリエリが、大きな悲劇を引き起こしていきます。
音楽、ストーリーの斬新さ、美術など、非常に優れたものでした。ただ、もし観客がサリエルの嫉妬に共感して、「こういう人生があるんだなぁ」というだけで終わったなら、考え物です。サリエリの嫉妬の感情を、ただ受け取ってしまうことになるからです。
本当なら、「嫉妬を克服した描写」や、そうでなくても、「どこで考え方を間違えたために、嫉妬に狂ったのか」という教訓を得られる「解毒剤」が欲しいところ。
ただし、嫉妬の怖さや、克服方法についての知識をちゃんと持っている人は、反面教師として学びにすることができるでしょう。
映画の感情は社会を駆け巡る
こうした映画のメンタルへの影響は、観た本人に留まらないことも、指摘しておきます。
ポジティブな感情や、ネガティブな感情は、人間関係を通じて社会に伝播していくのです。これはハーバード大学医学部のニコラス・A・クリスタキス教授らによる「ソーシャルネットワーク理論」と言われます。 例えば、ある人が幸福になると、その幸福は友達には15%、友達の友達には10%、友達の友達の友達には6%伝播します。ネガティブな感情は、さらに強く伝播すると言われています。また、行動も伝染するため、肥満さえも伝染すると言われています。
一人の社会的なつながりのある人が10人だとすると、一人は数千人に影響を与えることになります(感情伝播は3次レベルの友達まで影響するため、単純計算すると10×10×10になる)。
10万人がある映画に強い影響を受けると、億単位の人に影響を与えることになりかねないということです。
今政府も、日本の「メンタルヘルス」「ストレスマネジメント」を大きな課題にしています。あまりにマイナス情報の多い映画がヒットしたりすることは、その動きと逆行しているとも言えるわけです。
繰り返しになりますが、精神医療から観れば、映画は「単なる個人の憂さ晴らし」では終わりません。映画業界の人たちも、その社会的責任があるでしょう。
次回からは、具体的にオススメできる映画をご紹介していきます。 精神科医がおすすめする 心を浮かせる名作映画(3)―「他の人ができることができない」と悩んでいる人へ
本連載では、国内外で数多くの治療実績・研究実績を誇る精神科医・千田要一氏に、悩みに応じて、心を浮かせる力を持つ名作映画を処方していただきます。
世の中に、人の心を豊かにする映画が増えることを祈って、お贈りします。
「発達障害」のサクセスストーリーから学ぶ
今回は、「他の人が当たり前にできるのに、できないことがある。そんな自分が嫌になってくる」という人に、オススメの映画を処方いたします。
当院にも、「とろい」「のろま」「KY」などと周りから責められ、うつになって来られる方が少なくありません。
他の人ができることができない――。この状態の最たるものは、いわゆる「発達障害」と言われるものです。
例えば、「アスペルガー症候群」や「自閉症」の方は、対人関係において「間」を読むことや、表現が苦手で、暗黙の了解が分かりません。また、同時に複数の事柄を進めることができません。
また、「注意欠損・多動性障害(ADHD)」の方には、時間が守れない、物忘れや仕事のミスが多い、片づけが苦手、計画性に乏しい、といった特徴があります。
本人も、周りの方々も、こうした不得意な凹みの部分にばかり目を向け、悩みを大きくしてしまうことがよくあります。また、日本社会は「出るくいは打つ」ムラ社会なので、そういう子供たちがいじめの標的になってしまうこともあります。
程度の差はあれ、「自分は周りに比べて明らかに何か欠けている」と悩んでいる人は多いでしょう。
そんな人が、幸福感を取り戻し、成功する方法は、「自分の長所や潜在能力に目を向けて、自尊心を高める」ことです。 「グッド・ウィル・ハンティング」(★★★★☆)
まずご紹介したいのが、「グッド・ウィル・ハンティング」です。
アメリカの南ボストンに住む、ウィル・ハンティング(マット・デイモン)は、マサチューセッツ工科大学(MIT)で清掃員のバイトをしています。
彼は、悪友たちとつるんで、たびたび警察沙汰の事件を起こし、社会不適応のレッテルを貼られています。孤児で里親を渡り歩き、虐待までされたトラウマのあまり、一種の発達障害(サヴァン症候群)のようになっていたのです。
しかし実は、彼は数学の天才でした。
ある日、ウィルは人目を盗んで、MITの掲示板に書かれた難解な数学の証明問題をこっそり解き、出題者のランボー教授(ステラン・スカルゲールド)を驚かせます。
ランボー教授は、彼の身元引受人になり、週2回、彼と共に研究室で勉強します。同時に、ウィルを更生させるため、様々な心理学者にセラピーを受けさせます。
その中で、精神科医のショーン・マクガイア(ロビン・ウィリアムス)にだけは、徐々に心を開き始めます。
マクガイア医師の情が通ったカウンセリングを通して、ウィルは次第に社会性を取り戻し、たぐいまれなる数学の才能を発揮できる研究職に就けることに――。
「発達障害」などにより、際立って不得意な部分のある人は、逆に、得意なものも際立っていることが多いです。そのため、「発達障害」という名称に「障害」という言葉が使われているのは適当ではなく、「発達凸凹(でこぼこ)」と改称すべきだと言う専門家もいます。
実際に、エジソンや坂本竜馬は「注意欠損・多動性障害(ADHD)」であり、アインシュタイン博士などは「アスペルガー症候群」だと言われています。 「フォレスト・ガンプ 一期一会」(★★★★☆)
次にご紹介したいのが、「フォレスト・ガンプ 一期一会」。トム・ハンクス主演で、アカデミー賞6部門を受賞した名作です。
競争社会、成果主義のアメリカにおいて、劣った知能の持ち主が「純真な心」、「周囲の人々の協力」、「幸運」で成功を勝ち取る感動ストーリーです。
主人公のフォレストは、「知能指数(IQ)」が75です。これは、「平均レベル(>80)」と「精神発達遅滞(<70)」の間にある「境界域」に当たる知能になります。普通の小学校に入ろうにも、校長先生に一度断られたり、クラスでもいじめを受けたりします。
それでもフォレストは、「何事にもまっすぐに向き合う」ことに優れており、アメリカン・フットボールや、軍隊生活、卓球などにおいて、異常な才能を開花させ、驚くような成功を重ねていきます。
フォレストも、ある部分に大きな欠点を抱えながらも、心根において際立った長所を持っている例と言えます。
実際に、現代の心理学では、「情動指数(EQ)」という尺度が開発されています。これは、「IQ」とは異なり、「自分の感情をコントロールする能力」「相手の気持ちを察する能力」「チームを率いるリーダーシップ能力」などから成るもの。
そしてこの「EQ」の方が、「IQ」に比べて、3倍も成功に関わっているというのです。これは言い換えれば、道徳性・人間性であり、「教養」ではなく「修養」に当たる部分でしょう。
また、これらとは別に、お金を儲ける能力である「フィナンシャルIQ」やスピリチュアリティ指数である「SQ」というものも、存在しています。
フォレストの場合も、「IQ」は低かったのかもしれませんが、「EQ」や「フィナンシャルIQ」は高かったのでしょう。
他には、以下のような映画がオススメです。
サムサッカー(★★☆☆☆)……ADHD
レインマン(★★★☆☆)……サヴァン症候群(自閉症)
ザ・コンサルタント(★★★☆☆)……サヴァン症候群(アスペルガー症候群)
娘の恋人(★★☆☆☆)……識字障害、自閉症
脳男(★★☆☆☆)……サヴァン症候群(アスペルガー症候群) 「人前で話すのが苦手な人」へ――精神科医がおすすめする 心を浮かせる名作映画(4)
今回は、「対人緊張が激しい」という人に、オススメの映画を処方いたします。
この悩みも、前回の記事( http://the-liberty.com/article.php?item_id=12977 )で取り扱った「他の人ができることができない」という悩みに近いかもしれません。
「周りよりも、人と話すのが苦手」という悩みの原因として、一つには、前回ご紹介したような「間や空気を読むのが苦手」という場合もあります。
一方、意外と多いのが、逆に「気を遣いすぎてしまう」というケースです。それが極端まで行ったのが、「社交不安障害」「スピーチ恐怖」「吃音(どもり)」「赤面恐怖」「視線恐怖」と言われる症状です。当院にもそうした悩みを持った方が多数来られます。
もちろん、克服する方法はあります。その時の心の変化を追体験できる映画をご紹介します。 (1)「英国王のスピーチ」(★★★★☆)
まずご紹介したいのが、2010年のアカデミー賞で主要4部門を受賞した超名作、「英国王のスピーチ」。これは、史実に基づいてつくられた映画です。
英国王室のアルバート王子(コリン・ファース)は、小さい頃から吃音症でした。妻(ヘレナ・ボナム=カーター)や子供たちの前でさえ、滑らかに話すことができません。王の代理などとして公衆の前でスピーチをしても、散々な結果に終わります。
妻に説得され、王子は、言語療法士のライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)の元に訪れました。ローグの治療法は、他の医者に比べて少し変わっていました。
発音の練習など、表面的な治療は行うのですが、吃音症の原因をつくった子供の頃の記憶など、個人的な話を聞き出すのです。
王子は最初、「平民」であるローグに、身の上の話をするのをためらうのですが、二人は次第に友人として心を通わせていきます。
そんな中、父王が亡くなってしまいます。一度は、兄が王位に就き、王になることを恐れていた王子は安堵します。しかし、異性問題で兄はすぐに退位してしまいます。
王子はとうとう、「ジョージ6世」として即位。彼が最も恐れる事態となります。王位継承の際のスピーチでも、大失敗してしまい、周囲を不安にさせるのでした。
そんな王を待ち受けていたのは、ヒトラー率いるナチスドイツとの戦争でした。ジョージ6世は、不安におののくイギリス国民を励まし、心を一つにするため、緊急にラジオの全国放送で演説をすることになります。
はたしてジョージ6世は、吃音症を見事克服し、名スピーチによって国民を鼓舞することができるのでしょうか……?
この物語では、心が体に影響する「心身相関」が一つのテーマになっています。幼い頃に受けた虐待や、父親の厳しい躾、左利きを無理やり右利きに矯正されたこと、兄弟との関係――。様々な辛い記憶が、彼に恐怖心を植え付けていました。
それを克服する鍵となったのは、目を背けていた過去と向き合うこと、王を支える人々との愛や友情、そして、国民を励ましたいという「奉仕の心」でした。
こうした心因性と思われる問題に悩んでいる人は、自分に置き換えながら、この映画を見ていただくことをオススメいたします。 342神も仏も名無しさん2018/06/17(日) 01:58:19.31ID:sIdzwLxP
(2)「コヨーテ・アグリー」(★★★☆☆)
次にご紹介するのが、2000年に公開された「コヨーテ・アグリー」という作品です。
人気ソングライターになることを夢見る女性が、対人恐怖を乗り越えて、成功へとステップアップしていく姿を描いたサクセスストーリーです。
片田舎のニュージャージーからニューヨークに出てきた21歳のヴァイオレット(パイパー・ペラーボ)。人前で歌うことがどうしてもできないため、自身のデモ・テープを持って売り込みに回ります。しかし、ことごとくボツに。とうとう所持金も底を尽いてしまいます。
途方にくれた彼女は、クラブ・バー「コヨーテ・アグリー」で職を得ることに。しかし、そこは女性たちによる過激なダンス・パフォーマンスを売りにするバー。最初はあっけにとられていたヴァイオレットですが、あることをきっかけに、人気バーテンダーになっていきます。
しかし、彼女の本来の夢は、「ニューヨークの歌姫」になること。一度は夢を諦めかけた彼女ですが、周りの叱責や励ましを経て、再びギターを手に取ります。
そしてある時、ついに一本の電話が、彼女にチャンスを運んできます。ただしそれは、観客にライブで歌を披露しなければならないというもの。当日、彼女はやはり舞台の上で、頭が真っ白に。しかしその時、驚くようなことが起きます――。 ヴァイオレットも、精神医学では「社交不安障害」と診断されます。しかし、彼女の障害の背景には、「死別した母親も、社交不安障害だった」という思い込みがありました。
実際は勘違いだったのですが、「自分にも病気が遺伝している」という自己暗示が、彼女を縛っていたのです。
こうしたネガティブ暗示で、不幸になってしまっている方は、当院に来られる方の中にも多くいらっしゃいます。
また、ここではネタバレさせませんが、クライマックスの舞台で彼女が恐怖心を克服するシーンも見ものです。
そのシーンに関連して、恐怖を感じているものを克服する「暴露療法」という方法をご紹介したいと思います。それは、本人がストレスに感じているものに少しずつ挑戦するというもの。
例えば、電車でパニックになる人は、乗る区間を一駅ずつ伸ばして行きます。スピーチが苦手な人なら、話し相手を1人、2人、3人……と増やしていきます。
エマーソンというアメリカの有名な思想家の名言で、「あなたが恐れていることをしなさい。さすれば、恐怖は必ず消え去ってく」というものがあります。
その言葉の通り、恐れていることに、少しずつでも挑戦することで、案外、恐怖心が消えていくということがあります。
他には、以下のような映画がオススメです。
プリティ・プリンセス(★★★☆☆)……スピーチ恐怖で劣等感の塊の女子高生(アン・ハサウェイ)が、最後にはヨーロッパの王女になる現代版「シンデレラ」物語。
青い鳥(★★★★☆)……ある日、某中学校に赴任してきた吃音症の教師(阿部寛)が、生徒たちのいじめ問題に取り組み、人生で本当に"大切なこと"を問いかけた意欲作。 「夫婦のいざこざが絶えない人」へ――精神科医がおすすめする 心を浮かせる名作映画(5)
今回は、「夫婦のいざこざが絶えず、家庭が憩いの場にならない」という人に、オススメの映画を処方いたします。
(1)「ストーリー・オブ・ラブ」(★★★★☆)
まずご紹介したいのが、1999年に公開されたアメリカ映画「ストーリー・オブ・ラブ」です。
作家のベン(ブルース・ウィリス)と、クロスワードパズルの作成者のケイティ(ミシェル・ファイファー)は結婚して15年になります。しかし今では、ほとんど口もきかず、たまに口を開けば言い争い、という険悪な夫婦関係です。
普段、子供たちの前では仲のいい夫婦を演じていたのですが、お互いの気持ちは冷め切っていました。そこで、子供たちが夏休みのキャンプに出かけたのを機に別居生活を始めます。
別居生活の数週間、彼らはお互いのこれまでのいい点、悪い点を回想していきます。
子供たちのキャンプが終わるその日、結局、ベンとケイティは、お互いのいい点を認め合ってやり直すことにしました。ケイティがベンのいい点を"弾丸"のように並べていく最後のシーンは感動的で、思わず涙してしまいます――。
ジョン・ゴッドマンという、夫婦関係を研究している心理学者がいます。彼によると、夫婦の日常の会話を15分ほど記録すれば、その夫婦がうまくいくか分かってしまうそうです。
というのも、「会話の中のポジティブワードが、ネガティブワードの5倍以上ある夫婦は、関係が良好になる」という法則があるというのです。逆に、ポジティブワードが5割を切ると、5年後には8〜9割近くが破綻するといいます。
夫婦関係がマンネリ化してくると、次第に、お互いの悪いところばかりが目に付いてしまいます。しかし、その中でも、ポジティブな面に目を向けることが重要になってきます。 (2)「しあわせはどこにある」(★★★☆☆)
次にご紹介するのは、2014年に公開された「しあわせはどこにある」(イギリス・ドイツ・カナダ・南アフリカ映画)です。
精神科医のヘクター(サイモン・ペッグ)は、美人でしっかり者の恋人クララ(ロザムンド・パイク)と一緒に、ロンドンで何一つ不自由ない生活を送っていました。
しかし毎日、患者たちの不幸話を聞き続けるうちに、自分自身の人生も価値の無い物のように思えてきてしまいます。
そんなある日、ヘクターはその答えを求めて旅に出ることを決意。
イギリスを旅立ち、中国からチベット、アフリカ、そしてアメリカへと巡って行きます。行く先々でとんでもないハプニングに巻き込まれながらも、彼は各地で出会った幸せのヒントを手帳に記録してゆきます。
波瀾万丈な旅の果てに、ヘクターは本当の幸せに気づいていくのです。
人生は「慣れ」との闘いです。ヘクターも、日々の生活に慣れてしまい、刺激を求めて世界を旅しますが、実は、平凡な日々の生活の中に「感謝」すべきことがたくさんあったのです。
精神医療に「内観療法」というものがあります。これは、日本発の療法で仏教(浄土真宗)をベースにつくられたもの。人生を振り返りながら、「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つを、丁寧に思い出していきます。
その中で、自分が与えられたこと、してもらったことがいかに多かったかに気付くのです。
この療法は、刑務所でも行われているところがあり、「内観療法を体験した出所者の再犯率(約30%)は体験していない人(約60%)の半分」という調査結果もあります。
犯罪に手を染めてしまう人は、小さい頃から自分が愛されていないというイメージがあります。それで、社会に仕返ししたくなるのです。
しかし、丁寧に人生を振り返ってみると、最初は「与えられたことなんてない」と思っていても、次第に親など周りの人が、不器用なりに愛してくれていたことに気付きます。
愛情を多く注がれていた人に比べ、そうでなかった人は、与えられたことを一つ発見した時の、精神へのインパクトが大きいのです。
こうした視点は、夫婦関係においても鍵となります。 (3)「男が女を愛する時」(★★★★☆)
次にご紹介するのは、1994年に公開されたアメリカ映画「男が女を愛する時」です。
教師のアリス(メグ・ライアン)は、パイロットのマイケル(アンディ・ガルシア)と、はた目からは幸せそうな家庭を築いていました。
しかし、仕事柄、留守になりがちなマイケルと、次第しだいにすれ違い始めます。愛しているからこそ、本音で話し合うことができなくなっていったのです。
アリスはさびしさを紛らわすために「アルコール依存症」に陥っていきます。そんな中で、夫のマイケルも精神的に追いつめられ、二人の関係には暗雲が漂い始めます。
しかしあるきっかけから、アリスは自分が言えなかった本心をマイケルに伝えることができるのです。
互いの心を見失っていた夫婦が、ぶつかり合いながらも相手の存在意味を再確認してゆくその姿は感動ものです。
コミュニケーションをおろそかにしていると、夫婦であってもすれ違いはじめ、本作のように何かの依存症になってしまうことがあります。 夫婦関係円満のポイントとしては、前項まででご紹介した「感謝」ともう一つ、「理解」があります。「理解は愛だ」という言葉もあります。
もちろん男女は違うので、違うところを同じにしようとすれば、トラブルにつながっていきます。同じにはできないけれど、「理解」することはできるのです。
他には、以下のような映画がオススメです。
「31年目の夫婦げんか」(★★★☆☆)……夫婦カウンセリングを通じて、離婚寸前の熟年夫婦が本音を打ち明け合うという物語。本作では「セックスレス問題」も取り上げています。
「振り子」(★★☆☆☆)……転職活動でうまくいかない夫を支え続ける妻が、ついに脳梗塞で倒れます。
夫は、妻をぞんざいに扱ってきた態度を悔い、必死に介護しますが、あとの祭り。精神医学では、妻のような行動パターンを「過剰適応」といい、相手に合わせすぎて病気になってしまったケースです。
「理想の結婚」(★★★☆☆)……オスカー・ワイルドの戯曲『理想の夫』を映画化したもの。1895年、ロンドンの社交界。政治家のロバートは、美人で聡明なガートルードと誰もが羨む理想的な夫婦。しかし、妻に完璧を求めすぎたため、夫婦関係にすきま風が吹き始めます。
どんな人にでも欠点はありますが、長所のほうに光を当て、短所は補い合う関係こそ、理想の人間関係といえるでしょう。 「なぜか自分のことを好きになれない人」へ――精神科医がおすすめする 心を浮かせる名作映画(6)
今回は、「なぜか自分のことを好きになれない」という人に、オススメの映画を処方いたします。
(1)ギルバート・グレイプ(★★★★☆)
まずご紹介するのが、1993年のアメリカで公開された「ギルバート・グレイプ」です。レオナルド・ディカプリオがアカデミー賞にノミネートされた、名作です。 青年のギルバート(ジョニー・デップ)は、生まれてから、アイオワ州の退屈で小さな町を出たことがありません。
父親が自殺したショックで過食症となった母親、重い知的障害を持つ弟アニー(レオナルド・ディカプリオ)、二人の姉妹の面倒を見ながら、長男として生計を立てるために働かなければならないためです。
その日その日を精一杯に生きる中で、ギルバートの心には、すっかり穴が空いていました。自分の幸せについて考えられなくなる一方で、人妻と不倫をするなどして、その穴を埋めようとしていたのです。
そんなある時、トレーラーハウスの故障で、しばらく町に留まることとなった少女・ベッキーと出会います。天真爛漫なベッキーと接していく中で、「自分が幸福になりたい」という気持ちに蓋をしていた、ギルバートの心に変化が起き始めます。
しかし、家族への責任から、ベッキーの「一緒に旅に出よう」という誘いを断ってしまったギルバート。
心に余裕がなくなった彼は、様々なトラブルを起こすアニーに対し、ある時、ついに手を上げてしまいます。
ぎくしゃくしていた家族との関係はどうなるのか。そして、ベッキーとの恋の行方は――。
自分の夢や恋愛を差し置いて、家族を支えるギルバートのように、傍から見て「もっと幸せになれよ」と言いたくなる人は時々います。「相手の反応で自分の幸不幸が決まる」「自分が不幸になっても、過剰に誰かを支えないといけない」という考えを持っているのです。
そうなる理由の多くは、心の中に、「根本的な安心感」や「愛されている実感」がないこと。これを心理学では、「安全基地」と呼んでいます。舟で言う、「錨」のようなもの。
この「安全基地」がない人は、他にも、自分に暴言を吐くようなパートナーを求めてしまったり、恋愛依存症になったり、物やギャンブルに依存したりすることがあります。
そこから抜け出すために、ギルバートの場合は、「いい彼女を見つけて自分を肯定できるようになる」といったことがポイントとなりました。
また、自分の中でいいところを見つける「ほめ日記」をつけたり、感謝の習慣をつけたりすることが大事です。宗教の信仰などを通して、「神仏に愛されている」実感を持つことなども、有効です。 🌟 あなたに贈る言葉@
真実の世界に目覚めよ
この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。
言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。
あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。
−「目覚めたる者となるためには」より
🌟🌟 大川隆法著 「伝道の法」より 🔥 大川隆法著 伝道の法
🔥 第一章 心の時代を生きる
ーーー人生を黄金に変える「心の力」
1 「心とは何か」が分からなくなっている現代社会
「心とは脳の一部である」とする現代の「常識」
本章では、「心の時代を生きる」という一般向けの題をつけてみました。仏法真理に初めて接する方には、「心の話」をしたほうが分かりやすいだろうと考えるからです。
やはり、宗教の使命として、第一段階はこのあたりであって、「心の話」を通じさせるところから始めないといけないでしょう。「難しい話はいろいろあろうけれども、そこまでは行けない」という人が多いのではないかと思います。
ただ、テレビドラマなどを観ていると、「心とは脳の一部なのだ」ということを平気で言っているので、それが常識になりつつあるのかもしれません。
こうなると、医学も、よいのか悪いのか分からない感じがします。人間を診ているうちに、パソコンをいじっているように見えてくるのでしょうか。まるで、そうしながら、「この部分が心だ」などと言っているようなのです。
確かに、脳が壊れたら機能が失われるので、そのようにも見えるのかもしれませんが、これは、「人間機械説」でしょう。ところが、こうしたことがけっこうまかり通っています。
また、分解的、分析的な見方をすると、電極をつけたり、電気ショックを与えたりして、「ここを押すと何が出てくるか」を調べ、「この場合は、こうなる」というようなことを言うわけです。 しかし、私たちには、どうしてもそのようには見えません。もし、そう見え始めたとしたら、いろいろなものが引っ繰り返ってきているのだと思うのです。
要するに、学問にしても、実際の仕事にしても、「引っ繰り返った世界」を見ているのではないでしょうか。
高度な学問を勉強しているうちに、「心は、頭のこのあたりにある」と感じるのであれば、ここには何かの間違いがあると思います。非常に残念でなりません。
勉強をしすぎた人が、「心というのは、頭の一部分にあって、コントロールをし、判断をしている」と思っているのであれば、やはり、何かがおかしいでしょう。
あるいは、「『心は胸のあたりにある』『もう少し下の、お腹のほうにある』などと感じる人が、゛古代人”に見える」というのであれば、何かが倒錯していると思います。
つまり、心に響くものが分からない時代に入っている可能性があるわけです。 学問の世界に流れる”汚染水”の正体
その意味では、非常に基本的であり、初歩的ではありますが、ここは、宗教としての、”最初の戦い”の部分だと思います。
もし、「心なんて、ない」と斬ってこられたら、宗教としては、「開く扉がない」に近いでしょう。
「人間には、心なんかない。何を言っているのだ。脳の作用じゃないか。あれは、神経の作用だ。そんなものは、脳のあたりに電気作用か何かが働いて、そういう風に感じているだけなのだ」
と、自分で言っているような人たちを説得し、その後の世界について説明するのは、とても難しいと思います。
ともかく、”頭がいい”という人が、だんだん、そのようになっていくわけで、仏教の言い方では、これは、「邪見」、もしくは「悪研」という言葉になるでしょう。
要は、正当な見方、正しい見方(正見)とは違う、逆の見方に染まっているわけです。
「そういう見方が、正統派の学問である」ということで固まっているのであれば、大変な間違いだと思います。
特に、日本の教育としては、「文部省」と「科学技術庁」が一体になって「文部科学省」となったため、すべての学問に対して、科学的な見方がされるようになりかねません。
その場合、いわゆる正見、正しい心理に基づく見方ができなくなる可能性があるわけです。 例えば、歴史や宗教について、「考古学的な裏付けがないものは真実ではない」というようなことになれば、「神武天皇などは、ただの伝説だ」ということになるかもしれません。あるいは、「聖徳太子はいなかった」と言い出す人もいます。
考古学的な証拠というものは、それほど簡単には見つからないからです。
しかし、聖徳太子については、本人が訳したとされる書物まであるわけで、そのほかにも、戦った相手も分かっていれば、系図も遺っています。
奥さんの名前から子供の名前まで全部出ているのですが、そういう人に対してさえ、「これは、つくられた人格であって、歴史上の存在ではない」などと言う学者が出てくるわけです。
その意味では、学問において、そうとう”汚染”が起きているでしょう。そして、流れている”汚染水”は、基本的に、心というものや魂というもの、あるいは、あの世の世界につながる考え方を否定していくものだろうと思います。
これを突破しなければいけません。
やはり、信者のみなさまがたも、伝道などにおいて、心の存在を相手にお伝えする際に、極めて難しい思いをなされていることでしょう。
例えば、「心は存在していない」とか、「コンピュータのようにキーボードを叩きさえすれば、いろいろ替わるものが心なのだ」とか思っているような人にとっては、感情的な善悪の問題などは存在しないに等しいわけです。
要するに、「操作すれば、そうなるだけのことだ」と思っているのです。
確かに、「塩をなめれば塩辛く感じ、砂糖をなめれば甘く感じる」ということはあるかもしれません。しかし、人間の精神作用は、それほど単純なものではないでしょう。
同じものを見ても、人によって違うように感じることはあります。 2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来
自分の心を変えることで未来は変えることができる
また、人間は、「考える力」によって、いろいろなものを変えていける存在でもあるわけです。これは、「考え方次第」ということでもあるでしょう。
例えば、人間の目には、水晶体というレンズに当たるものがあって、これを調節してピントを合わせます。ところが、それを「不随意筋」という自由意志では動かせない筋肉で行っているため、いったん目が悪くなった場合、もう治らないとされるわけです。
要するに、コンタクトレンズを入れるか、眼鏡をかけるかして、人工的に光の屈折率を変えないかぎり、ピントが合わずに字が読めないなどと言われています。だいたい、こういう考えが蔓延しているのではないでしょうか。
ところが、私のように、自分の「思いの力」で水晶体や不随意筋を、Wいじる”人が出てくると話が変わってきます。
「ああ、そうですか。じゃあ、ちょっと元に戻さなきゃいけない。戻れ、戻れ、戻れ、戻れ」と言っていると、一週間ぐらいしたら元通りに戻ってくるようなタイプです。
まるで、トカゲのしっぽの再生のようですが、そういう”再生力”がある人間が出てくると、話は変わってくるでしょう。
実際に、「自分の体で、自由にならないところがあるはずがない。早い遅いの違いはあるにしても、本人が支配者なのだから、『自分の体の一部を、このように変えたい』と思えば、そのとおりになるに決まっている」と思うことで、目が治ってしまうような人もいるわけです。
常識にとらわれている人は、かなり驚くでしょうが、現実にそういうことはあります。
したがって、よく気をつけないといけません。実は、「真実がそうなっている」というのではなくて、「そのように教え込まれて、信じ込んだために、そうなっている」ということが、さまざまな現象として起きているのです。
しかし、人間には、自分自身を変えていく力があります。もちろん、肉体も変わりますが、自分の心を変えることによって、いろいろなものが変わっていきます。
つまり、「人生が変わっていき、人間関係が変わっていき、未来が変わっていく」ということが起きるわけです。 そういう意味では、他人から断定的に、「もう、おまえは終わったのだ。駄目なのだ」などと言われて、「そうだ」と思ってしまってはいけません。「レッテル貼り」というか、スタンプでも押したように、「自分は、こんな人間なのだ」と思い込んでは駄目なのです。
例えば、「自分は貧乏人だ」というスタンプを押してしまい、「貧乏に生きるのが普通だ」と思っている人は、それ以上、変わりません。
しかし、「いや、どんな人にだってチャンスはあるのだ」と思っている人は違います。
やはり、「仕事で成功するには方法があるはずだ。例えば、野球で成功している人をよく観察して研究したら、今まで打てなかった球が打てるようになるかもしれない。
それと同じく、お金儲けが得意な人をよく観察すれば、何か秘訣があるはずだ。自分の身近なお金持ちを見て、その人と自分との違いを観察しよう。そして、違いが分かったら、そのなかで、いいところはまねをしてみよう」と思うことが大切です。
また、「まねをしていったら、五年、十年するうちに、いつの間にか自分も同じようになっていた」ということは現実にあります。そのように、人生は変えていくことができるのです。 過去に遡って人生を黄金色に変えた松下幸之助氏
なお、私もこれまでは、「基本的に、過去は変えられない。終わった歴史的事実は変えられないけれども、未来は変えられる」と説いてきました。
確かに、一般的な考えとしては、「過去は変えられないけれども、未来は変えられる」というのは、そのとおりでしょう。
しかし、宗教的には、もう一段、ジャンプする余地があって、実は、過去であっても変えられます。過去は変えることができるのです。
例えば、私の次男の大川真輝が『大川隆法名言集「創造的」になりたい”あなた”へ123の金言』の講義を横浜正心館で行った際、次のような話をしていました。
「成功者は、みな、若いころに、いろいろ苦労したり、失敗したりしています。
ところが、共通項としてあるのが、大成功したときに、自分の惨めだったはずの過去について、『そのおかげで、自分は成功できた』というような言い方をすることです。
不思議なのですが、大成功者は、みな、そうなのです。
しかし、それには理由があります。
実は、人より少しだけ成功したとか、少しだけ出世したぐらいでは、過去までが変わって見えることはないのですが、人生が根本的に違ったように大きく成功への道に入った場合、過去もすべて美化されてくるのです。
松下幸之助氏にしても、幼少時に苦労をしています。父親が投機で失敗して、小学校も卒業できなくなり、丁稚奉公で大阪に出されました。
学校も行けずに苦労して、いろいろこき使われ、雑用をしながら、だんだん、自分で会社をつくっていったわけです。
そして、三人ぐらいで始めた会社が大きくなって、やがて、何十万人も雇うような規模になり、世界に工場を出すまでになりました。
すると、今度は、「私が偉くなったのは、学歴がなかったからです。」というようなことを、彼は平気で言うわけです。 こうしたことは、普通の人であれば言えないでしょう。少しだけ成功したぐらいの人には言えません。例えば、「小学校中退だけど、やっと大学卒の人と同じぐらいの収入になった」というぐらいの人では、こうしたことは言えないのです。
そのくらいの成功で、「私は、小学校を中退したから成功しました」というのは難しいと思います。
ところが、彼は小学校中退にもかかわらず、大学卒や大学院卒の人を採用して雇い、部下にして、製品をつくらせて、ほめたりボーナスを出したりする立場になったらどうでしょう。
やはり、世界的に有名になり、「TIME」の表紙を飾ったりすれば、違うわけです。
「私は、小学校を中退して学歴がなかったから、成功できたのです。
「勉強していなくて分からないから、分からないことは人に訊いて、自分より賢い人を使おうと思いました。そして、賢い人をどんどん登用して、能力を引き出してやったら、こういう風に成功したのです」
「自分は病気がちで休んでばかりいるから、自分が休んでもできるように人に任せて事業部制でやったら発展しました。経営者がたくさん育って大きくなりました」
このような松下幸之助氏の言葉がありますが、現在がよくなるだけでなく、過去にも遡って、全部がザーッと変わってくるのです。 ネズミのキャラクターで大成功したウオルト・ディズニー
ただし、こうしたことは、成功のレベルによるのかもしれません。
例えば、ウオルト・ディズニーのような方でも、あれほど大成功してしまえば、「世界のディズニー」であり、ディズニーのことを知らない人は、まずいないと思います。
電化製品が入っていない国や地域で入るかもしれませんが、普通に電化製品が入っているようなところであれば、たいがいディズニーのことは知っているでしょう。
さて、そのディズニーに関しては、「若いころに貧しくてボロアパートに住んでいたため、穴からネズミが出入りしていた。
彼は、そのネズミをジーっと見ながら、『これをキャラクターにしたら、どうなるか』と考え始め、ミッキー・マウスを思いつき、大金持ちになった」という伝説的な話があります。
しかし、普通であれば、思いついたとしても、今で言うWゆるキャラ”ぐらいではないでしょうか。「ネズミのゆるキャラを売って、お金を儲けました」という程度なら、個人で商売をしても、ありえるかもしれません。
ただ、「自分の店で、世界で初めてネズミのキャラクターの商品を売って、黒字になって儲かりました。そして、生活が楽になりました」というレベルでは、すべてが黄金色に輝くことはないでしょう。 やはり、事業が大きくなって、デイズニーランドのようなものがたくさんでき、毎年、何千万もの人を動員するようになって、関連事業も次つぎと増え、世界中に広がっていくようになると、違います。
今度は、その「貧しくて、ボロアパートに住んでいて、ネズミと友達だった」ということが、すべての成功のもとに見えてくるわけです。
もちろん、一般的には、ネズミが出入りするような部屋に住んでいれば、そうはならないでしょう。
例えば、司法試験に受からずに、司法留年をして、さらには、大学を卒業しても受からずに、三十歳まで、「また落ちた。また落ちた」とやっている人の場合、ネズミがチョロチョロしていれば、
おそらく、「このネズミに邪魔されて、勉強に集中できなかったから、また今年も落ちてしまった。このネズミのせいで、いつまでたっても受からない」というようなことを言うと思います。そのように、同じ条件でも変わるわけです。
ともかく、普通の状況をはるかに超えて大きな成功をした場合は、過去に遡ってまで、すべての経験が「光」になってくるということがあります。
例えば、広島の原爆で身内を失くした方であっても、大きな成功をしたら、「おかげさまで、私はとても頑張るようになった」というように、全部が変わるでしょう。
あるいは、東日本大震災で身内を失った方であっても、その経験を、自分が成功した原因として考えるようになるわけです。
そういう意味で、過去も現在も未来も、実は変えることができます。要するに、人間は、考えの力で、思いの力で、すべてを変えていくことができるのです。 3 「心の操縦法」を知らない現代人に伝えたいこと
心を認めないのは、ハンドルのない車に乗っているようなもの
実際に、心というものが実体としてあり、この心のあり様が、自分の人生を変え、未来を開いていきます。そして、その事実を知った人には、ちょうど、車のハンドル操作を覚えた人が道を自由に走れるようになるのと同じことが起きるわけです。
逆に言えば、「心がない」と思っている人は、ハンドルがあるのを知らずに車に乗っているようなものでしょう。
しかし、アクセルとブレーキだけで、ハンドルがない車に乗せられたら、たまらないと思います。アクセルを踏めば前には進みますが、そのままではどこかに激突するでしょうし、ブレーキを踏んでも止まるだけです。
これしかないのであれば、基本的に運転などできません。真っ直ぐな道路を走り続ける以外に、方法はないわけです。
しかし、自分の前にも後ろにも車がいるなかで、アクセルとブレーキだけしかない車で真っ直ぐに走り続けるのは「恐怖」でしょう。私も、できれば避けたいと思います。
やはり、アクセルとブレーキは要るにしても、ハンドルがあるために運転ができるようになるのです。
ところが、このハンドル部分を、「ない」と思っている人がいます。あるいは、「ハンドルを動かせるのは自分だ」ということを知らない人がいるわけです。 そのため、「あなたの思いで、今、そうなっているのですよ」と言われても、それに気がつきません。「あなたがハンドルを右に回せば車は右に曲がり、左に回せば左に曲がって、まっすぐにしたら、まっすぐ進むのですよ。
『中道』というのは、まっすぐに走ることを言うのです。仮に、ハンドルを右に回しても左に回しても、簡単に何かに激突するでしょう。どちらでもいいですが、死のうと思えば、すぐに死んでしまいますよ」と言っても分からないのです。
ただ、実際はそうであって、人間は、死のうと思えば簡単に死ねます。例えば、ハンバーガーだけを一年中食べ続けたら、体を壊して死んでしまうでしょう。あるいは、ステーキでも同じだと思います。
関係者がいたら許していただきたいのですが、たとえ、そのお店の方であっても、毎日は食べられないのではないでしょうか。それは、さすがにたまらないはずです。牛丼屋で働いているからと言って、三食とも牛丼を食べ続けていたら、やはりどこかで病気にもなるでしょう。
ともかく、たとえて言えば、「ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。もちろん、ガソリン等の燃料を入れる部分もあれば、空調等の機能も付いているけれども、基本的には、そういう感じなのだ。
そして、運転している人間が『魂』と言われる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は『肉体』である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ」ということになります。
さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる「心」という部分です。このような人生観が大切なのです。 私が数多くの霊言や教えを説き続けている理由
ところが、そうしたことを知らない人は、「オートマチックの車が、人工知能を載せて、勝手に動いている」と考えているのかもしれません。
あるいは、遠隔操作ができて、自分がその遠隔操作をしているように思っていることもあるでしょう。もしくは、「インプットされた情報に基づいて目的地まで動くような車の、その機械の部分が自分だ」と思っている人が大勢いるわけです。
しかし、これは、現代教育によって生じた間違いにほかなりません。こうした考え方を変えた方が幸福になれるのです。 どちらの選択もできますが、自分自身が、「幸福になるか、不幸になるか」の決定権を持っているのであれば、「自分にとってよいほうを選んだほうがよい」と述べているのです。
「あの世などと言っても、そこへ行って帰ってきた人などいないじゃないですか。それを信じるなど、バカげている」と言う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
私も、毎年毎年、あの世の霊人からの言葉や思想を数多く紹介しています。さらに、その収録映像を上映していますが、私は漫才師ではないので、演技であのように延々とできるものではありません。
また、過去のこととはいえ、私は東大法学部を出ており、あえて詐欺師の仲間になるようなことをしなければいけない理由はないのです。
今でいう大学入試センター試験ぐらいのものであれば、片目をつぶってでも解けるほどにはできましたし、どんな道ででもしっかりと生きていける資格や才能もあると思っています。
そのような人間が、「これは大事だ」と思い、それまでの仕事も辞め、今、教えを説いているのです。
したがって、人をだまさなければいけない理由など何もありません。それでも、そういうルートを辞めてまでも、「これを説かなければいけない」と思ったのは、「多くの人が間違った道を歩んでいて迷っているから、これを救い出さなければいけない」と思ったからです。
そのために、今、教えているわけです。そして、本を出しているわけです。 説かれた教えがすべて記録として遺っている幸福の科学
なかには、すぐに人を疑う人もいるでしょうが、私の場合、自らがしようと思って行うというよりも、本当に天命としてこの道に入っています。
新しい宗教のなかには、いわゆる詐欺、ペテンの類も数多くあるでしょう。たが、そういうところはあまり大きくならず、小さいものが多いようです。
一部には組織的な知能グループのようなところもあるでしょうが、長い間には、やはり、評判や人の信用等を通して、いろいろと明らかになる面もあるのではないかと思っています。
私の説法は、本として出しているだけでなく、CDやDVD等でも出されており、すべて記録が遺っているので、何も隠していません。本にする際には、言葉がきれいになるように、「てにをは」等の直しを入れる程度であり、基本的にはすべて遺っています。
幸福の科学の第一回座談会から今までのものが遺っているので、インチキは一切ありません。証拠があるのです。
よそのところのように、ほかの人にいろいろと書いてもらったりするようなこともなく、実体験したこと、自分で考えたことを書いています。
この実体験ということについても、昔の江戸時代のころであれば、農家のおばさんなどに、突如、霊の声が聞こえてきて、「神様がかかってきた」などと言うのがよくあるパターンでしょうが、
私の場合は、一応、この世の学問をキチッとした上で、「これは、確実にある」と、理性・知性を持って判断して出しているものなのです。
「幸福の科学から出ているものは、非常に知性的で、論理的で、合理的だ」とも言われています。その意味では、当会には理系の方も大勢来ていますし、社会的に知性のある方も数多く集ってきています。
それどころか、経営者がテキストとして使っているケースも数多くあります。経営そのものについて教えるとともに、人間の心のあり方について説いています。この「人間学」の根本のところを教えていることが役に立っているわけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています