天地真理ちゃん
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ネオン街の究極が個室付き浴場であり、女の終着駅である
売春防止法が施行されるまでは自分の意志ではなく働く娼婦が多かった
親の借金のかたで身売りされた娘が否応なしに働かされた
その悲劇が近松もの「曽根崎心中」、「心中、天の網島」に描かれる
生島治郎はそういう女と52才で再婚し「片翼だけの天使」を書いた
娼婦は自分を悪女にし自分の誇りを犠牲にして男に尽くす天使ともいえる
その天使に男にしてもらったやつはどれだけいるか
だが男はその体験を生涯の汚点として自分の記憶から抹殺したがる、まさに男の欺瞞の最たるもの
悪魔は翼を失くした天使であるが、片翼だけの天使は、人間そのものの姿でもある
その救済は神によってしか果たされないだろう、名は体を現す、聖書の中に二人のマリアが登場する
一人は清純の象徴・聖母マリア、もう一人は、イエスによって七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア
カトリックでは「悔悛した罪深い女」とされたが、イエスの復活に最初に立ち会った人物だった
聖母マリアは天を現し、マグダラのマリアは地を現す、天と地を両方もったマリアこそ
まさに神に最も愛された女性であった 危険なレッスン観たけど結構しっかりマンコ触って本気でオナニーしてるように見受けられたぜ『あの真理ちゃんが!!』
80年代中盤の真理ちゃん歌唱をyoutubeで幾つか観ればそのお色気ぶりにビックリうっとりする なんだかんだご本人もエロに振り切ってたんだろう ナベプロは、興行においてはヤクザと縁を切り、所属する芸能人に対して月給制にするなど
画期的な近代化を芸能界に初めてもたらした事務所だった
いくら売れっ子になっても月給は徐々にしか上げないが、人気がなくなっても、一度上げた給料は下げない
しかしそれでは事務所が赤字になるので子会社に移ってもらい給料も下がるらしい
天地真理の場合、デビュー前5万円だった給料が、ヒットしてからいきなり300万円になったそう
(1000万というのは彼女の冗談だろう、なぜなら人の給料を詮索されるのはうんざりだから)
彼女の場合、特別待遇だったらしい、渡辺晋社長は天地真理に不動産の購入を勧めた、渋谷松濤のマンション
6000万円は事務所が特別ボーナスとして出したのではないか、300万円は、2年半の休養後まで続いたらしい
1979年6月10日にラジオレギュラー出演でのカムバックするときは渡辺ワークショップ所属に代わっていた
ところが同年12月発売の「愛・つづれ織り」がヒットしなかったので300万円から減らされた
彼女の浪費癖が言われるが、それが始まったのはやはり休養中からだったと思われる
うつを晴らすために好きなものを派手に買いまくったり、男性経験も自分なりにうつを克服するためにしたのだろう
もともと胃腸が丈夫な彼女は食べることに生きがいを見出し太った
「愛・つづれ織り」を夜のヒットスタジオで歌ったとき、司会の井上順に真理ちゃんじゃなく
「丸ちゃんだ」とからかわれていた
後年、「恋愛経験は25過ぎからだった」とか、「休養前は処女だった」とテレビのワイドショーで
告白し、司会者を慌てさせる場面があった
たしかに「愛・つづれ織り」を歌う天地真理の目つきは休養前の目つきとは違っていた 当時の歌手たちは紅白出場がレコード大賞より価値があったらしい
天地真理が75年紅白に落ちた時、ソニーの酒井政利に「大みそかはどこか施設に慰問に行きたい」と連絡
落選の疎外感を同じ世間からの疎外感を持つ恵まれない子供たちと共有したかったのだろう
大みそかは仕事だけど、指定したホテルに一応出かけて天地真理と会って慰めた酒井
なぜ天地真理は落選したか
女性歌手24人中6人がアイドルで、それぞれ強力なヒット曲をひっさげての出場
アイドルと演歌の中間的な立ち位置のルミ子と昌子は天地真理と同じ程度の売り上げだが外せない
そして、ほとんどヒット曲のない大御所、演歌勢がそれ以外の席を占めている
天地真理は、木枯らしの舗道12.5万枚、愛のアルバム9.1万枚、初めての涙5.8万枚、さよならこんにちは3.5万枚
オリコン売り上げからすれば堂々と出演資格はある
そこで考えられるのはNHKのアイドル歌手に対する評価だ、売り上げ順にすれば出場歌手のほとんどが
アイドルになってしまう、それは紅白のコンセプトからして受け入れられない
だからアイドル枠というのを設定しているのだろう
さらに天地真理のフォーク人脈がNHKの気に入らない、当時のフォーク勢は反体制的で
紅白を認めなかったし、NHKもかつてのグループサウンズのように嫌悪した
さらにナベプロの弱体化(アグネスも3回出場しかしていない)もあったのだろう
事務所枠というのがあってナベプロ枠は減らされたのだろうと思われる 天地真理の女性としての名誉のために言うのだが
決して彼女は女の命である貞操を軽んじたのではないだろう
主治医が彼女を面談したとき、一目でこの人はとてつもない清純なひとだとすぐに分かり
あまりにも天地真理が真面目で、歌ばかりに懸命な生き方が
うつ病を招いた大きな原因の一つだと
少しは気楽になって人並みに遊ばないとうつ病は治らないよと説得したことは簡単に予想できる
自分を変えて見なさい、事務所の方々も協力してくれるでしょう
例えば、好きなものをどんどん買いなさい、恋愛もしなさい
年齢からして、もう、あまりにも堅く身を守っているのはやめなさいとか
天地真理はいつもひとに説得されて腰を上げるタイプ
それで、その気になって、事務所の世話で男性を紹介されて、つきあったとか 紅白視聴率は1962年の調査開始以来、80%を超えた年は 3 回しかない
おそらく61年以前も80%以上あった年はあったと思われる
そこから1984年までは70%以上を記録した(ただし1969年 69.7%、82年 69.9%)
1962年 第13回 吉永小百合初登場 80.4%
1963年 第14回 舟木一夫初登場 81.4%
1972年 第23回 天地真理初登場 80.6%
特筆すべきは、しばらくなかった80%越えが、当時人気絶頂だった国民的アイドル
天地真理初登場という話題によって復活したが、それが最後の紅白80%越えになった
天地真理が落選した75年の女性出場歌手を見ると、岩崎宏美、「人恋しくて」の南沙織、キャンディーズ
桜田淳子、アグネス、山口百恵、「冬の駅」の小柳ルミ子、西川峰子、八代亜紀、「北の宿から」の都はるみ
はオリコンシングル年間ベスト100に入っているから順当なところだが、それ以外の歌手はヒットがない
天地真理の「木枯らしの舗道」も100位に入っているが
面白いは、この年のオリコンシングル年間1位、100.2万枚の「昭和枯れすすき」のさくらと一郎が無視されたことだ
「貧しさに負けた、いえ、世間に負けた、この街も追われた、いっそきれいに死のうか・・・」
藤圭子が「私の人生暗かった・・」と70年に紅白で歌ったのはまだましだったということか
藤圭子は前年、前々年はヒットがなくて落ちたが75年に復活した、タレントが自分しかいない
個人事務所的なところから、演歌の老舗・新栄プロに移籍したとたん当選し翌年も出た
南沙織は7年連続出たが、76年「哀しい妖精」8.7万枚、77年「街角のラブソング」4.0万枚は
明らかに沖縄に米軍基地の75%があることのNHKの政治的配慮という特別扱いがものをいった
しかし78年は満を持して起死回生のヒットを狙った資生堂CM曲「春の予感」が7.6万枚に終わったことで
人気の限界を感じ、また紅白落選可能性が高いとの危機感からマスコミに引退を発表(3度目の正直)
この辺のところは百恵と同じでセルフプロデュースの長けた決してぶざまな姿を見せない利口さを発揮した
75年オリコン年間アルバムベストテンは、1位、2位陽水、3位小椋佳、4位たくろう、5位、6位かぐや姫
7位陽水、8位カーペンターズ、9位ダウンタウンブギウギバンド、10位グラシェナスサーナ
75年紅白には誰も出ていない、NHKも視聴率が70%台ということで強気で、体制批判的な歌手は出さなかったし
フォーク勢もテレビに一切でない反商業的ポーズを崩すことはなかった
ただNHKはかつてグループサウンズ全盛の頃、唯一出場したブルーコメッツのように
フォーク全盛時代にも唯一チェリッシュが連続してでた、一応世相に配慮したかのように 「初出場の時のことは今でもよく覚えています。衣装は前から着たかった白のパンタロンスーツ。
『心も白、衣装も白』という気持ちを表現したかったんです。デビュー曲では出られず、3曲目の
『ひとりじゃないの』で出られたので、『これでやっと私も(一人前)の歌手になれた』という感じでした。
当日はレコード大賞で大衆賞をいただいていて、車で東京宝塚劇場へ。紅組のトップだったので、
オープニングに出た後すぐ着替えに行ったんですが、それが何と階段の下。慌ただしかったけど、
頑張んなきゃという思いでいっぱいでした。歌い終わった後にハプニングがあったんです。
美空ひばりさんが突然私の隣に来て『大丈夫だったわよ、堂々としていたわよ。』と言って
下さったんですよ。台本にないことでNHKの方も驚いちゃって、本当に光栄でした。
だから初出場といえばひばりさんのイメージが強いですね。(紅白はデビュー前からよく
見てました。こたつでみかんを食べながら(紅白)見て、除夜の鐘聞いて、というふうに。
思い出しますね。その時のみかんの味だとか。母との会話だとか。やっぱり紅白は家庭の味ですよね。
NHKウィークリー・テレビステラ臨時増刊号『紅白50回』より デビューしてオリコンシングルベストスリーに入るぐらい人気が出ると歌手は仕事に忙殺され
事務所も最大限収益を伸ばすために歌手の喉に苛酷な無理強いをさせてしまう
すると数年でそれまで人気を支えてきたその歌手の音色美が劣化して来て
それと連動して人気も落ちて来る
たいがい音色美の劣化は、その歌手の調波構造の変化、とくに倍音の減少という形で現われる
例えば、藤圭子は前からあった声帯の謡人結節の悪化に伴い声が出なくなり
デビュー4年9か月でこの結節の除去手術を行ったが、それまでの豊かな倍音が減少した
南沙織もデビュー2年3か月でアルバム「20才まえ」の中の「港のように」で
それまで瑞々しく豊かな倍音に変調の兆しを見せた、さらにデビュー4年
LAでアルバム「シンシアストリート」を制作した時、アメリカ人スタッフに
徹底的にそれまでの日本的アイドル歌手独特の甘ったれた声を直され
それまでの調波構造が変化してしまった(おまけに南沙織の英語は訛っていると指摘され
本人もショックだったらしい、南沙織の英語はフィリッピン養父仕込みだから)
天地真理もやはり喉の使い過ぎで、デビュー3年11か月後にリリースした
「さよならこんにちわ」に倍音の減少がみられる
しかし、それから4年後「愛・つづれ織り」で休養復活したとき、さすが天地真理
だいぶ本来の豊かな音色美を取り戻した、「初恋の二コラ」「私が雪だった日」もよかった
このときアルバムも出せばよかったのに、返す返すも惜しいことをした 「さよならこんにちわ」は天地真理主演のミュージカル「君よ知るや南の国」一か月公演直後にリリース
天地真理の最大の魅力である、やさしく柔らかく厚みがあって伸びやかな音色美はクラッシックが
基礎にあってのこと、例えば、言葉の立ち上がりの緩やかな発声法は、クラッシックならではの音圧の軟らかさを生む
短前打音とポルタメント、チョーキングの絶妙な使用法
自励型ビブラートを主に使う(演歌歌手がよく使う強制型ビブラートではない)エンマコオロギのように
子音、母音、半母音をきちんと発声する
天地真理の調波構造は、基本周波数 0~4 kHz までの倍音がよく満遍なく出せる
逆に4~5kHz台の倍音は非常に弱く(ここがよく出ると小柳ルミ子や松田聖子のような
サイレン的に響く音色になる)天地真理の柔らかさを生む
さらに低音では非常に多くの倍音が出、またそれだけでなく
6kHz~9kHzの鼻から上に共鳴したような、かすかに高い声も出る
芹洋子の声が天地真理の音質に近いものがある(芹洋子は地声だが)
天地真理は倍音をコントロール出来る、音色の揺らぎ、時には純音のように
語頭ハミングの絶妙な使用、テンポ、ルバートが少なく、楽音的強調(デフォルメ)はなく
それでいて庶民性があり、表情付け、盛り上げ方が上手い
言葉と音の表現のバランスが良い、表現は控えめだが豊かさがある 紅白出場というのは当時、歌手にとって最大の名誉、これでやっと一人前の歌手の仲間入りを果たしたことの証明であった
それは演歌歌手にとって今日まで続くステータスで、出場したことでコンサートのギャラが跳ね上がる
フランク永井が首つりし、家族が早く発見したのが功を奏して一命をとりとめたが重い後遺症が残った原因も
直接には元愛人に隠し子の養育費を払わないと世間にばらすと脅されていた(後で狂言だったと判明)と言われるが
3年前、白組最多出場26回を誇っていたのに落選し、今年も復活はなかったのが原因だとも言われた
また美空ひばりが天地真理初出場の年を最後に、次の年から紅白は出ないと、紅白卒業宣言したのも
美空ひばりの興行を取り仕切っていたのが山口組で三代目とは親しくしていたからNHKとは対立し
どうやら73年は落選しそうだということで落選の屈辱を避けるために先手を打ったという
最後の花向けに天地真理へのエールを送ったことは、アイドル歌手に対して最初で最後のことだった
だから天地真理が75年に落選したことの心理的影響はその後の彼女の人生の行方を決めてしまうほど大きかったのではないか
紅白落選は彼女に歌手としての考え方の変化をもたらしただろう、紅白が私を否定するなら私も紅白の権威を否定する!
それで、それまでも反商業的な姿勢で純粋に見えたフォーク勢に、これをきっかけに、より接近し反体制的考えに染まる
だからその後の一連の彼女の首をかしげる言動の原因はそこにあると思われる
そこにそれまで蓄積した疲れと人気低落による気落ちが加わり、自分ではまともな言動だと思っていたが
体制側の人間たち(テレビ局、ナベプロ、等々)には天地真理が狂ったように見えた
アイドル歌手が反体制的態度をとるのはあり得ない異常事態だから 天地真理はおかしいのではないかと周りに疑われ始めたのは
74年夏、文化放送の公開生番組ハローパーティーにゲスト出演したとき、突然、司会者の
マイクを奪い取ると、「私はね、いつまでも皆の真理ちゃんでいたいの」等と発言した時から
また生放送「ちびっ子のど自慢」のゲスト審査委員のとき、真理は歌い終わった子供にコメントするとき
信じられないひどい言葉を投げかけ、その子は泣いてしまったとか
さらに優勝者にカップを渡すとき、片手で「はいよ」という感じで渡してしまったという
そして76年暮れのラジオスタジオで、「私、今から美容体操するからみんな出て行って」と叫び始め
事務所がすぐ病院で検査を受けさせるが異常なしだったが
77年ナベプロ新年会では、列から一人はみ出して全くの無表情だった
そして、ラジオで自分の曲「二月の風景画」をかけるとき、「私この曲嫌いなの」といってしまい
抗議が殺到する、数日後、病院で再検査、そのまま港区三田の東京専売病因に入院
病名は主治医と相談して「甲状腺機能障害」にするが、本当は「うつ病」だった
入院は1か月だったが、その後,2年半にわたって休養生活に入る
しかしその間、キックボクサーの沢村と同じ群馬県の三枚橋病院の精神科で見たとか
地方の精神科に入退院を繰り返してたとかのうわさもある
ただ彼女には幻覚や妄想はないから、よって統合失調ではなく、気分障害の躁うつ病だったと思われる
精神医療には今日までもいろいろな問題点がある
そもそも人の精神を医学で診断できるのかという根本的疑問もある
なぜなら人の心は常に変わるもので固定されたものではないから
しかし心神喪失の疑いある犯罪者への精神鑑定は法律上どうしてもしなければならない
そこから精神医学の権力・権威は確立され
正常人の狂気のスケープゴートとしての精神病患者という位置づけ
また競争社会における競争さえする資格のない人間としての位置づけを与えてしまう 天地真理がなぜ壊れたか、それをひもとくカギは、悪魔の証明の責任転嫁、紅白落選、精神疾患とその差別の三つにあるだろう
第一の悪魔の証明とその責任転嫁は、週刊誌等に書かれた「個室付き特殊浴場」スキャンダルだ
そういうところにいたのではという疑惑は、彼女の側からすれば、その証拠を出してから報道して、ということになる
そういうところにいなかったという不在証明は悪魔の証明であって本人には出来ない、できないのなら黒だという論法は責任転嫁だ
天地真理は大阪万博の電気通信館で司会のアルバイトをしていたが、なんでわざわざアルバイトで大阪までいくのかとか
週刊誌側にいわせれば、一年年齢をサバ読んでたこと、映画監督・斎藤耕一の妻・天路圭子と出会って
天路の経営するスナックで、ヤマハ音楽教室のレッスン料を稼ぐために、夜、ギター弾き語りのアルバイトしていたこと
ナイトクラブ専属歌手の事務所に一時、在籍していて、そこの名簿に名前とケバイ写真が載っていたこと
(実際は、歌手として活動はしていなかったが)などが、疑惑の、もっともらしい理由とされた
まさか、権威ある大学病院で、処女膜存在証明書(写真付きで)を出してもらうわけにはいくまい
小泉今日子が「なんてったってアイドル」で調子乗ってたのがカチンときたやつが「小泉はエイズだ」と
うわさを流し、それに対して小泉が大学病院でエイズ陰性証明書を印刷したTシャツを記者会見で公開したが
くしくも元祖アイドルと最期のアイドルが同じような性的なスキャンダルに襲われたのは何かの縁か
天地真理は大人の態度であしらった、自分の方にも年齢詐称の非があったこと
たとえスタッフが決めたことだとしても、自分も了承したこと、そのお陰で人気を得たこと
もし正直な年齢だったら今の人気は得られていないかもしれない、そう考えたら
このスキャンダルは自分の年齢詐称の罪への罰として甘んじなければならない、と
幸いなことにそのスキャンダル後も人気は低下するどころか、ますます上昇した
天地真理は自分を信じてくれたファンに感謝し、いっそうファンとの絆を実感しただろう
しかしそれも束の間、3年後には人気は低落し、世の中の非情さを噛みしめた
そして、その3年前のスキャンダルがボディーブローのようにじわじわ蘇って彼女を蝕んでゆく悪魔のように 二番目の紅白落選は、ルミ子はしょうがないけど、自分より下の沙織にまで負けたのが悔しくて
もともとフォーク志向だった彼女は、落選をきっかけに、よりフォーク勢に接近して、彼らの価値観に影響を受ける
クラシックからフォークへ、国立音大中高時代、クラシックを通じて、彼女は西欧とりわけドイツの古典音楽
教養の素晴らしさを学び、それを尊崇することを身に着けただろう、しかしそういう世界は日本の現実とは
あまりにもかけ離れた鹿鳴館文化に見えた、高校生の年代は社会や時代に目を開かせる年代
当時、反体制こそ若者の良心の拠り所という雰囲気があった
戦後民主主義の騎手たち(大江健三郎とか)はオピニオンリーダーとして活躍していた耳目を集めていた
愛国心は右翼だけのもの、それは戦争を反省していない連中のもの、その否定から戦後は始まった
その音楽的表現がフォークだった、ピアノを通じてクラシック芸術の至高性を感じていても
それは過去のものに見えた真理、本当は永遠なものだが、そこを理解するには、宗教や哲学も学ばなければならないが
そこは音楽高校の限界、現代社会のとば口に立ち、これから生きるための指針にはせっかく学んだクラシックは
役に立たないと感じた真理はフォークに現実と音楽の融合を見た、これこそ私の音楽だわ
そしてデビューしてアイドルとして大人気になったが紅白に落ちて、デビュー前の志を思い出して
遅れて来た反体制的、アナーキー的なドン・キホーテとして芸能界を天地真理の名前を使って切って行く
時代はすでに、一部の連合赤軍のような過激派だけしか反体制を叫んでいないのだが
それは30代以降になっても彼女にはアダルトビデオ、バラエティーでの自虐的な言動で続いてゆく いくら人気があっても新人歌手には徐々にしか月給を上げないシステムのナベプロがなぜ天地真理に対してだけ
特別扱いしたのか、特別扱いするほど特別な人気があったことは確かだが、それでは他の歌手に不公平ではないか
それは、ナベプロが天地真理には特別扱いせねばならないはっきりした理由があるからだ
上述のようにナベプロと日テレの確執の犠牲者が天地真理で、その種(年齢詐称)を作ったのもナベプロだったから
女性としてこれ以上の名誉棄損は考えられないスキャンダルが72年4月に出て、真理は苦渋の涙を流した
ナベプロは真理を傷つけた罪悪感で、せめて特別待遇でその責任を取ろうとしたと思われる
真理の心の傷は大丈夫か、いつも見守るスタッフ、それに対し順調に仕事をこなす真理を見て安心しつつあったのに
突然、心の病で真理は入院するはめになった、ナベプロはあわてた、そして罪責間は頂点に達した
一方、「てまり」が数年で閉店した理由が、いつもファンが押しかけ、そのせいで逆に常連に迷惑かけるからと言うが
母親としては、娘の看病のために店をたたんだんだと思う
人を憎むくらいなら、自分が犠牲になろうとする真理は、社会の非情さを自ら背負おうとした
社会というのは人の欲望を満たそうとする競争の場であって、女性には苛酷な世界
女性の本質は家族の中で愛を育むことにあり、いくら芸能界でも非情さは変わらない
社会の非情さは、いくら争ってても同じ日本人じゃないか、という共通項によってのみ解決される
しかし当時の真理は、フォーク志向の反戦平和、反体制的だったから、愛国心は持ちようがなかった
彼女のやさしい心はズタズタに引き裂かれた
そして精神疾患という診断が、差別という、新しい苦しみを彼女にもたらし、それが彼女をさらに崩壊させた
30代以降の、栄光の天地真理の自己否定とも言える、数々の言動は、声が出なくなって
歌手としてはコンサートも開けず、生活のために、やむなくしたことと言うが、それだけでは
理由にならない、精神疾患者というレッテルが、彼女をさらに崩壊させたということができる 被告の人生を左右する裁判で裁判官が判断するのは、合理的な根拠があって、だれもが理性的に納得できる
必然性がなければならないが、年600件ほど不起訴になるという精神鑑定は、いくら複数の精神科医が慎重に
時間をかけても、主観的、経験的に判断するしかないのだから、必然的な判定はできない、どうしても恣意と
偶然性が紛れ込む、その矛盾は、精神医学の権威によって強引に押し切るしかない、ここに法と結び付いた
精神医学の恐ろしさがあり、また一方で、心神喪失者による犯罪の犠牲者の家族は、その怒りを精神障害者
全体へ、連帯責任として、向ける、また社会も社会防衛的見地から、そういう人たちを排除しようとする
他方、精神を病むような人は生真面目という精神医学の知見があり、統計上犯罪率も正常人と変わらない
しかし極一部の心神喪失者の犯罪があまりにもセンセーショナルで、世間に精神疾患者に怖い印象を与える
これらが精神疾患者への差別の元凶となる、人の精神は、決して個人の中にだけあるのではなく
他者との関係、家族、会社、地域、社会、国家との関係の中にもあるわけで、それらとの個人との
相互関係としてのいわば共同精神もある、そこに亀裂(コミュニケーション不可としての精神病)が走ると
外面的には修復可能(現代社会の匿名性)だが、社会に差別が或る限り、真に元通りにはなりにくい
社会の競争が激しいところでは、政敵を精神病者扱いして排除するのは常套手段
いくら脳神経科学によって心、精神を理解しようとしても、精神と物質(神経伝達物質とか)とは
全く正反対の概念なのだから、科学からその橋渡しはできない、そこを強引に理解しようとするのが
精神医学であって、科学の越権行為、だから精神病者というのは、科学時代の魔女狩りとも言える
魔女という、もともと存在しない想像の産物を、現実の人間に当てはめた悲劇が歴史上にあった
病んでいるのは、狂気に陥っているのは、社会の方じゃないのか、との疑問も成り立つのに
それを主張すれば、狂人扱いされるのが世間である、天地真理にも多分に当てはまる YOUTUBE 「TBSモーニングジャンボ504107」 天地真理デビュー4年、父との再会( )内は司会者
初めて会いました(会いたくなかったんですか)はい、会いたくはありませんでした、母は自分の好きなようにしなさい
って、私、ヨーロッパから帰って来て、どうしても会いたくなったの、それで東京の方に出て来てもらって、一緒に
食事しました、(あ、そう、お会いしてどんな感じでした、会うまでって、すごくドキドキしたでしょう?)、ええ
(ねえっ!)なんか、とても悲しいことなんですけど、あのー、一人の男の人としか見えなかったことが
やっぱり少し悲しかった、何かもっとお父さんだと思えると思ったら、何か以外とクールに、あら〜、ボーっと
見ちゃうような、何か、育ての親(生みの親より育ての親と言いますね)やっぱり、一緒にいないとプツンって
切れてしまう、でもね、とってもいい方でした、(もう再婚して、お子さん、つまり真理さんの義理の弟さんになるのかな
いらっしゃるんですってね)はい、そうです(最初交わした言葉は何ですか?)最初は涙でした
涙が出ちゃって、(そうでしょうね、お父さんもたまんなかったでしょうね)はい、(やっぱり、待つ間、相当照れくさくて
お酒飲んで待ってたらしいですね)ええ、あの、お酒飲んでね、最後、よっぱらっちゃってね、お店で大声出すんですよ
だから、恥ずかしくって、でも私よく考えて見たら、お酒を飲まずにはいられなかったんじゃないかなって思います
(どんな話をなさったんですか)私、聴いていました話しを、だいたい(どんな話?)何か、どんな話だったかな〜
何課ね、最後よっぱらっちゃってね、自分の好きなものあげるって言うわけ、そんでネクタイをね、私に下さったの
そいで、酔ってお酒がついているネクタイをね、しょうがないから、帰って来て、クリーニング屋さんに出して
テーブルの上に置いておいたの、そしたら、ウチの母が会いに行ったこと知ってるわけ、あっ、このネクタイ
誰のって言うわけ、斎藤のよ、って言ったら、ウチのお母さん赤い顔しちゃってるの、ウフフ
そんなことがあったりとかね、(お父さんの方はね、2歳でしょ、すごく真理ちゃんのこと、ずっと、自分の娘っていう
気持ちで、ずっと、いらしたんじゃないかしら、デビューしてからテレビでも見られるし) <続き>あのー、昨日もね、岡山から新幹線で帰って来たんですけど、若いお父さんがね、赤ちゃんを抱いてたの、すごくお父さんって
子供がかわいいんですね(特に女の子はかわいいんですよ)だから、ずっと見ててね、わー、男の方が何かそういう愛情が強いのかなー
なんて、分からないのね、そういうの私はね、ずーっと見てたんですけどね(会って良かったと思いますか?)・・・・はい、
良かったと思います、(これからも機会があれば会うかしら)、うーん、もうたぶん、
会わないと思います(どうして?)わかんないけど、うーん、何となく、そんな気がします
(真理ちゃんの描いていたお父さんのイメージと、実際お会いした感じと、どうですか、食い違いがありました?)
あのー、とっても心のきれいな人、あの、素直な方、(そういうところはイメージどおり?)
よかったーと思って(そうですか)(今度は4月19日、サンプラザホールリサイタル、来月は
日劇で一か月間ミュージカル「君知るや南の国」)
2歳で離婚といっても恐らく円満に離婚していることが、真理ちゃんの話から伺える
離婚による子供の人格形成への悪い影響は最小限度に収まっているように思われる
母子家庭で幼稚園で給食を作って生計を立てていたという、しかも幼稚園の敷地内の
四畳半の宿舎に母娘が暮らしながら小二の時にクロイツェル製アップライトピアノを
買ってもらい、お嬢様学校の国立音大中高へ通っても、臆することなく楽しく過ごせたのも
恐らく、母の実家が裕福で援助してもらってたか、父が裕福で相当な離婚慰謝料をもらったか
してたのだろう、デビューして芽が出なかったら国立音大に入り直して、幼稚園の先生に
なるつもりだった、それも環境から来る自然な選択だったと思われる 天地真理の両親はなぜ離婚したか
上述の再会の話から推測すれば、これは仮説にすぎないが、夫の浮気というありきたりの原因が考えられる
というのは、根本的な考え方(善悪)の不一致とか、夫が働かないとか、夫の暴力とかが原因ならば
憎悪の果ての離婚だろうから、どうしても妻の方に怨恨が残るだろう、しかし上述の、元夫のネクタイを見て
顔を赤らめた、という情況からすれば、元妻の方は、今でも元夫を憎からず思っているということになる
しかも、それを真理の方も微笑ましく思っている、というのは娘が父親のことに触れるのをタブー視したり
嫌悪したりして、真理を育ててれば、「心のきれいな、素直な方」と真理に言わせることは不可能
なぜなら真理は母親と母娘舟で一緒に世間の荒波を乗り越えてきて、母の父親への印象が真理の父親へ
の印象になっているはず、幼児期の母親の子供への刷り込み、そういう思い込みでもって再会してるはずだ
元妻は再婚もせず、恐らく元夫しか男を知らないのだろう、だから夫のものを見て顔を赤らめた
離婚の原因は父親の浮気というが、そういう軽薄な夫ではなく、実は本気で、だからその浮気相手と
結婚したくて、真理の母親と離婚した、今父親は再婚して子供もいるというのは、その浮気相手のことではないのか
真理の母親も、自分に不誠実な自分勝手な話に最初は感情的になったが、夫に愛情がなくなったのならしょうがないと
夫の方も、愛人つくるほど、男として甲斐性があり、裕福で、多額の離婚慰謝料を奮発したので
(真理をお嬢様学校に入れられるほどの)受け入れた、ということじゃないのか
これが離婚慰謝料も少なくて、だから真理の学費などは、母親の裕福な実家の援助だったとしたら
出戻り感覚になってしまい、いかに実の親への甘えといっても、自活できていない
親の援助に頼らざるをえない情けなさ、という感情が支配的になり、離婚した夫への恨みが
どうしても湧いてくるに違いない、そうすれば真理の性格にも反映し、母子家庭の暗い雰囲気の
中で育てられ、明るい屈託のない、お嬢様学校に進学しても、同級生と楽しく
学園生活を過ごすことは出来なかったと思われる 天地真理の顔のつくりは、母親のそれと比較すると、あごの形が違う
女性の横顔で、鼻の頂点からあごの頂点へ直線を引き、その内側に唇が納まっていれば美人だといわれるが
天地真理はみごとにその条件をクリアしている、しかし母親はあごが引っ込んでいる
ということはあごに関しては父親の遺伝子を強く受け継いでいることになる
真理はデビュー前から口元の愛らしいことをよく人に言われていた、それは父親ゆずりだろう
ということは写真は一切ないが、父親はかなりの男前だったということが推測される
真理の最大の特徴と言われるアップターンノーズは、母親ゆずり、口元の可愛らしさと相まって
少女漫画の主人公の鼻のように、また西洋人の子供の鼻のように誰にでも可愛いと思わせる
大人になってもアップターンノーズの女性は、西洋では大人気だという
他のアップターンノーズの女性芸能人と言えば、研ナオコや樹木希林がいるが、両者とも
口に締まりがないから美人ではない芸能人の代名詞的存在だ、口元が可愛くないと鼻も生きない
真理の鼻は不快ではなく、きれいな形をしていて、肉厚の鼻は金田正一が対談の時に言っているように
官能的、ルミ子の鼻は逆に薄く貧相に見え、沙織の鼻は男っぽい
しかし、鼻はその人の感情や人格、すなわち内面を現すものではない
逆に一番その人固有のもの、精神を現すに近いものは目であろう、人は人と面と向かうとき
自然に目を見るのは、その人がどういう考えを持っているか、どういう感情をしているか
を知りたくて見るわけで、眼は心の窓と言われるくらい、その精神は目に一番現れることを
直観的に皆知っているからに他ならない、人だけでなく動物でもそうである
真理の目は恐らく小さい頃から可愛い、可愛いと愛されてきて、早稲田大学フォークソングクラブに
高校生準会員として入った時も早大生が皆、一目見ただけでワッと寄って来てあっという間に
皆のアイドルになってしまったエピソードからわかるように、人間そのものを信頼している人の目
デビューしてからも東京という自分のホームで活躍できるという安心感が彼女をもっと輝かした
逆にルミ子の目は遠く博多から背水の陣で来て、成功を義務づけられた悲壮感が彼女を泣き顔にさせた 上述に、目がその人の精神を現すに一番近いと言ったが、具体的に言えば、それは、その人の持つ常態的な眼差しであろう
常態的眼差しはというのは、その時々の、いろいろ変化する人間の精神状態に伴う眼差しではなく
もっとその人が普段から持っている、心の奥の思想、信条、気分、性格などから来る眼差しだ
口も喜怒哀楽を現すが、口の場合、顎の骨格によって、だいぶ修正されざるを得ない、なぜなら、笑顔のステキな人は
その顎の骨格から来ていることも多く、作り笑いで人を欺けるからである、すなわち意志の力によって笑顔は作れる
だからテレビCMでは芸能人の笑顔のオンパレードでもって、大衆を洗脳し、いかに商品を買わせようとするかに賭ける
昔は、こぶしでもって、人を支配したが、今は笑顔で人を騙して支配する、自ら支配されたがるように仕向ける
だが、まなざしは人を欺けない、上述のようにルミ子の眼差しは泣き顔の眼差し、沙織は疑念の眼差しが常態的
沙織は初めから芸能界自体に距離をおいて、女学生が歌も歌っているというスタンスを最後まで崩さなかった、そういう
醒めた眼差しをしていた、真理はルミ子と沙織の中間的なスタンス、芽が出なければ幼稚園の先生になるつもりだったから
その気楽さ、自然な姿勢が、真理の眼差しを善きものにした、青春時代特有の未知な世界へ果敢に挑戦する不安、とまどい
それを突破する人への根本的信頼、愛する気持ちなどが、真理の眼差しを形成する
元に戻って鼻の話をすると、沢口靖子も上を向いているが、かわいい感じはしない、鼻翼が薄いから
真理の鼻は西洋人の幼児の鼻がそのまま大人の鼻になったような可愛さがある
ジョーンバエズが真理と対面した時、ジョーンバエズが真理を一目見るなり、駆け寄って
ハグしたという、西洋ではアップターンノーズは幸福を呼ぶ鼻と言われているから 「ヤングレディー」昭和48年3月号によると、天地真理の1970年4月時点でのプロフィールでは
体重53s、身長160pとある、公称158pの天地真理ではあるが、おそらく160pの方が正解だろう
当時1970年の日本人女性の平均身長が154pで、酒井政利が言うように、160p以上だと
大女に見られ流行歌手としては成功しないきらいがあったというから、少々サバ読んだのだろう
真理と長嶋茂雄が対談した時も、「真理ちゃん、思ってた以上に背が高いね」と言われてたし、
あの魔法使いサリーのような、頭が大きく見える、こんもりした髪型も、体とのバランスを保つためには
ある程度、身長がなければ、頭でっかちで子供のような体型になってしまうが
真理はそう見えない絶妙なスタイルを確保しているのは、やはり160pはあったからだと思われる
https://i.imgur.com/R1Dsueo.jpg
麻丘めぐみは公称162pだが、天地真理と並んだ上の写真を見るとめぐみと真理は同じくらいありそう
さらに公称174pの野口五郎と比較しても、160p以上、真理はありそうだ
真理の首は本人も言うように短いというが、小二からのピアノの練習で、首がやや前に曲がってしまった
せいでもあろう
天地真理は「かわいいアヒルちゃん」というあだなも持っていた
アップターンノーズはファニーフェイスで、そういう風に幼児期から人にいつも見られていると
人に合わせて、そういう性格が出来てしまう、くそ真面目は似合わない、おちゃめな性格になる
天地真理のおちゃめな性格は、彼女のトークのはしばしに垣間見られ、大衆に幸福感を与える
人気絶頂の頃はスターとして光り輝いていたので、本人も自分がおちゃめだとあまり気づかなかった 天地真理のおちゃめなところは、例えば「愛の渚」のセリフでも、74年9月の九段会館コンサートのトークでも
また、TBSの冠バラエティー真理ちゃんシリーズのおしゃべりでも、うかがうことが出来る
それだけでなく、彼女の歌全般の底に流れている明るさは、おちゃめな性格があってこそ
だが彼女の生い立ちは決して恵まれてはいなかったのは周知の事実、大宮で生まれ、2歳で両親が離婚
調理師免許を持っていた母親と二人で、中野、上北沢、練馬区桜台、神奈川県座間市相模台など転々とする
母子家庭の疎外感で家庭を暗い雰囲気にしないために母親が意識的に明るく振る舞い、真理にもそうやって
育てたことは想像に難くない、もちろん別れた父親も離婚慰謝料として多額の資金援助はしていたのだろう
天地真理のおちゃめな性格は、ときどき暴走して、ファンを惑わす、彼女のアンビヴァレントな発言が
いつどこでという肝心なことが分からないから、真偽は定かではないが、5chの中に転がっている
例えば、やしきたかじんの番組で「アイドル時代はホテルに入る時間がないからカーセックスばかりだったわ」
とか、「昔、彼氏と彼所有のセスナで空を飛びながら自動操縦にしながらセックスした」とか
明石家さんまの番組で「新婚旅行のとき、飛行機の一番後ろの席でHしたわ」とか
上沼恵美子の番組で「アイドル時代は処女ではなかった」とか、「全盛期の頃、スター(沢田研二?)と
車で地方のモーテルに行ったとき、脱輪して動けず、レッカーを呼んだが、口止め料として
10万円を渡した」とか発言したとか
しかし逆に天地真理は、朝のワイドショーで昔のVTRが流れたとき、「あの頃はまだアレだったのー」
と突然言い、司会者が「えっ」と聞き返すと、「男知らなかったのー」と言い放ち、司会者が絶句して
「天地さん!、聞かれたことだけ答えて下さい!」と言われたとか
1994年、46才のとき、発売された本「スリムになるってステキなことね」の中で
「初めての恋愛は25才過ぎてからだった」と告白するとか、どっちなんだ!とファンならずとも気になる
前者の貞操を軽んじる発言は、2003年のそのまんま東とかデヴィ夫人が出たケロンパが司会の例の番組で
「1000万!」発言と同じノリで、飛ばしたバラエティー向けのジョークだと思いたい 真理ちゃんのおちゃめな暴走はエスカレートして、前穴だけでは飽き足らず、後穴にまで及び
「私のおならはすごーく臭いの」と5chでは真偽のほどは分からないがラジオで言ったことになっている
『私は歌手』CDボックスの「100の質問」26番目で得意料理はと聞かれて、さつまいもと
なるほど、やっぱり、麻丘めぐみも姉の歌手活動を応援するために母と一緒に上京したが、貧しくて
ジャガイモばかりおかずにしてたという、その麻丘めぐみは、アイドル時代、真理と話したことがなくて
「笑っていいとも」で真理がなぜか宙吊りになっているのを見て「あ、こういう人だったんだ」って思ったそう
また「ごっつええかんじ」で東野幸治とプロレスやるYOUTUBEも残っている
リングに上がった天地真理は白雪姫のコスチュームだったが、そのときの真理の弁では
「ちょうどそのとき、生理だったので水着を着るのが嫌だった」と
ちなみにその時、女優の篠原涼子もプロレス出てた
「さんまのスポーツするぞ」では、リレーで歩いているような走りで、ごぼう抜きされたり
ハチのぬいぐるみも着ていたりした
またこれは2003年の例のケロンパ司会の「1000万円」発言のバラエティーだろうか
そのまんま東が、やしきたかじんの番組で、「楽屋の真理さんに挨拶に行ったら、ちょうど
着替え中で、パンツ一丁で、別に隠すこともなく、堂々と、にっこり笑って、「あら
東さん、こんにちわ」だもん、びっくりしたなんてもんじゃないですよ、失礼する間も
なかったよ」と恐ろしいことを言ったことになっている、おまけに、やしきたかじんも
「天地真理はもはや、別の生きものだからな」と、しかし、これはどう見てもおかしな話
東が共演したバラエティーは2003年の「1000万円」のとき以外にもあるのか
ないとすれば、そのとき真理は近所のスーパーに行くような普段着で出演して、そのまま
「着替えを持ってきてないから」と「恋する夏の日」を歌ったけど、そうなると楽屋で着替えていた
という話は辻褄が合わない、それに着替えるのにパンツ一丁になるわけがないだろう 真理ちゃんの崩壊ぶりは、吉永小百合のまつたけ句の披露、弘田三枝子の顔面崩壊ぶりに匹敵するだろう
いや、それ以上かもしれない、というのは、AVに出た芸能人は小松千春は本番だったが、島田陽子、鈴木早智子
嘉門洋子、西本はるかなどはイメージビデオ止まりで、畑中葉子はロマンポルノにすぎなかったが、天地真理は
非本番だたとしてもれっきとしたAVだった、しかも清純な国民的アイドルが、という衝撃はぬぐえない
https://www.avaruaru.com/ero/132599.html(「危険なレッスン」)
最初は83年12月にセミヌード写真集から始まった、2003年の上述の1000万円発言バラエティーでは
なぜヌードにという質問に、「ナベプロから移った事務所がヌードやりなさい、と言ったから」と
あっけらかんと言う、全く何も考えない、その場その場で人の言う事に従ってしまう真理の性格が出ている
渡辺ワークショップから、エヌエンタープライズに移ったのが82年9月だという、ここで
「私が雪だった日」83年2月リリースしている、ところが真理はこのあと爆弾発言をしている、「移籍した
事務所の社長が×××だったの」これはヤクザということだ、知らずに入ったらびっくり
紹介したのはナベプロだろう、ナベプロしかない、解雇するに当たって移籍先を紹介するのは恒例のこと
ナベプロも知らなかったのだろう、ナベプロは真理に二つの罪を犯した、一つは年齢詐称させたこと
もう一つはヤクザの事務所を紹介したことだ、真理は他に行く宛てもない、しょうがないと受け入れたのだろう
その後の移籍先も(スムーズクリエイツ、サムシングリアル、有限会社ケイワイ)もヤクザだろう
なぜなら、1998年の武闘派といわれる後藤忠政の誕生パーティーに真理が挨拶だけする動画が残っているから
その時も、まだヤクザの事務所にいて、社長に言われて参加したのだろう、全く場違いな光景だ
他の芸能人は皆すねに傷を持つものばかり
https://www.youtube.com/watch?v=bYUOgQ0_aug
しかし、1994年9月29日に、第二十回「日本歌手協会・歌謡祭」にも真理は出演、この年は秋篠宮ご夫妻が
会場で歌謡祭をご覧いただいた名誉な会だったそう、真理は平成の初めには毎年のように参加してたそう
https://www.youtube.com/watch?v=bnjU1ZduiW0 秋篠宮ご夫妻がご観覧した歌謡祭にヤクザの事務所に所属する天地真理が出演する
これ以上スリルある場面はないだろう、さすが天地真理と言える
下駄の雪のように踏まれても踏まれてもどこまでもついて行くファンを試すように裏切り続けた彼女だが
同時に商業的に作られた偶像とその報酬の一切を削ぎ落し(元夫の事業再建にかなりの彼女の資産が使われたことは
想像にかたくない、それが離婚の原因にもなっただろう)残されたものは、200曲ほどの作品だけだった
しかしその作品群は、みんな完成度の高い珠玉の作品だった、その質の高さがファンをつなぎ止めた、また
50年の歳月はファンも成長させた、その成長が逆に彼女を救って「今が一番幸せ」と、またCDボックス
「私は歌手」の100の質問ラストの、好きな言葉は?と聞かれて「愛です」と、きっぱり言うほど
ファンとの絆を確信する彼女であった
天地真理は、よりよい歌唱でさえあれば必ず人がいつかは評価してくれると確信を持って歌って来た
自分の後に出て来たアイドル達が歌唱とは違う面で評価され人気を得て行くのを見て
じくじたる思いを抱いていただろう、しかも時代を経るにつれてそういう傾向は強くなっていった
人気と実力とは無関係だと気付いた瞬間、自分のかつての偶像を自ら破壊し、かせいだお金も
あぶく銭に思った天地真理はそれに執着することはなかった
青春は自分探しの旅だと言われるが、真理の場合、早くからピアノこそ私だと、音楽家の
アイデンティティーを確立していた、一世を風靡して、その自己同一性が誰も到達できない高み
最強のものとなって、どんな危機も(人気低落、精神疾患、ヤクザ事務所所属、アダルト路線
数々のおちゃめな暴走)そのアイデンティティーを壊すことはなかった「私は歌手」 「私は歌手」という強いアイデンティティがあったからこそ、うつ病に苦しんだ時も自殺しなくて済んだ
藤圭子は同じ病を患って、また眼も見えなくなって、命より美を選んで、新宿のビルから飛び降りてしまった
天地真理はどこまでも、泥水をすすっても生きる意志があった、山城新伍が2003年のバラエティで
「でも天地真理はたくましいよ、天地真理ここにありだよ」と感嘆したように
南沙織が「さよならシンシア」と銘打って、調布市市民福祉会館で1978年10月に引退コンサートしたとき
自分のことを「一人の歌い手」と呼んだのに対し、真理は堂々と「私は歌手」だと主張したのは
国立音大高校のウィキの出身者欄で、真理は音楽関係ではなく、芸能関係者扱いされているように
当時、同じ音楽でも芸術の道ではなく芸能の道へ進むことへの冷ややかな眼に対する反発だったろう
芸能界へ進むことに同級生たちは皆反対したという、音楽は良妻賢母のたしなみ程度に考えて
上流の夫や子供の前でモーツアルトのピアノソナタを弾くのを夢みながらレッスンを受ける
お嬢様たちには、母子家庭の真理のどうしても音楽で自立したいハングリー精神は理解されなかった
だから真理にとっての本当のライバルは、同じアイドル歌手ではなく国立音大へ進学した同級生たちだったろう
その眼を意識しながら歌手をやってきた真理は否応なしに自分の歌の質を高めることに情熱を燃やした
真理の歌の作家たちも、そのことを理解するのにやぶさかではなかった、自分たちも音楽大学出身者として
芸術と芸能のギャップに苦しんだから
かつて「歌屋論争」というのがあった、現・東京音楽大学首席卒業の淡谷のり子が今の歌手は歌手でなくカスよと
それに嚙みついたのがアイドル発掘の最大の功労者・酒井政利で、歌謡曲のあり方についての根本的な論争をした
大衆の支持なくして歌謡曲は成り立たないが、芸術性も追求しなくてはならないという矛盾は
天地真理にもあった、淡谷のり子はクラッシク畑の出身で、真理と同じフルファルセットで正統な歌い方だった
そのクラッシク系譜の最後の末裔、しかも完成形態が天地真理だったと言っても過言ではない アイドル歌手にも二種類あるだろう、それは、歌手本人にふさわしい等身大の歌で勝負して成功した人と
非等身大の歌をあえて歌うこと、すなわち歌を人気のため、自分の実力発揮のための手段にして成功した人
前者は、南沙織、天地真理、アグネス・チャン、麻丘めぐみ、桜田淳子、松田聖子等々であろう
後者は、小柳ルミ子、山口百恵、中森明菜等々である
南沙織は、デビューするにあたって、スタッフの念頭にあったのは、カルメンマキのような
何の飾りっけのない、清純な個性だけで勝負する、それでいてアメリカ的な自立した女性像を盛り込むことだった
天地真理もその歌を作るに当たって作家が真理の人間性、声質、歌い方をよく観察して真理のために作ったもの
真理の歌が性的なものを全く感じさせないのは作家たちがあえて真理の清純さを生かしてそうしたもの
作家たちはプロなわけで、もし歌声に不純さが出れば、それに気づかないわけがない、そうなればここまで
清純な曲は作れまい、作家の耳はごまかせないし、大衆もそれを直観的に見抜く力を持っているだろう
それだけでなく真理は音楽高校で身につけた歌のお姉さん的な歌唱をするからそれも生かした
だから当時、学校のホームルームで歌ってもよいお墨付きを得たのは、舟木一夫と天地真理だけだった
小柳ルミ子は、なぜデビュー曲が「私の城下町」なのか、大ヒットしたからいいものの、等身大ではない
それ以後もその路線はずっと続く、それはなぜ首席卒業してまでも宝塚に行ったのか、ということと
つながっている、宝塚も手段なら、「私の城下町」も歌手としての実力を試す手段だった
山口百恵はデビュー曲は桜田淳子と同じような清純アイドル路線だったが、淳子に敵わないと知って
あえて、アイドルの隙間、インパクトを狙って青い性典もので勝負をかけて、それが当たった非等身大歌手
その後も、青い性典ものから、ツッパリものに転換してまた成功した、自己の鬱屈した生い立ちを
逆手にとってドスを効かせて表現して見せた、それだけじゃなく、日本的抒情歌や清純アイドル的歌も
混合させたところが上手かった、歌では非等身大、ドラマや映画では清純、等身大と棲み分けて 「私が、これを歌うんですか!?」当時、14歳の山口百恵が、デビューしてセカンドシングル「青い果実」
の歌詞を見せられて放った言葉である、ここには、自分が憧れた天地真理のような清純な歌を歌えない疎外感
歌は、厳しいアイドル歌手の競争に打ち勝つための、人気を得るための手段として自分は甘んじなければならない
という運命を受け入れた瞬間である、その後、百恵は、歌は人気のための手段、非等身大の世界
その疎外感から自分を取り戻す世界としてドラマや映画、という二元論的な芸能活動をすることになる
百恵の代表曲として認知された「秋桜」や「いい日旅立ち」も保守的な日本的抒情歌として
自由を謳歌するような青春を歌ったものではなく等身大とは言えまい、「夢先案内人」
「乙女座宮」「しなやかに歌って」などが辛うじて清純な等身大の歌だったがさほど大ヒットしていない
1975年8月末に開催された「第一回百恵ちゃんまつり」のライブLPの中で、「思い出のグリーングラス」
を歌い、その途中で「15歳で私は恋人と言える人を見つけ、その人について行くことを決めた」
と宣言している、その人とはイケメン三浦友和、百恵は15才で自分のそれまで得た力を使って気に入った男
を自分のものにする、すなわち三浦友和をロック・オンした、それは青い性典ものが、疎外された百恵の姿
ではなく、内に秘めた性欲でもあることを証明しただろう、百恵は生い立ちの労苦から
幸福とは何かを若い時から真剣に考えた、それが、女の幸福は、貞操を守り通すことだと
それは、自分の父親への憎悪、それは百恵が有名になるとホリプロから借金したり、百恵の親権を
取り戻すために裁判をしたりした父、百恵は多額の金銭を渡して縁を切った父への憎悪から
悟ったものだったろう、それでもまだ百恵は医者という父親を持った、私生児とはいえ出自が明らか
な自分だったのでその点には悩むことはなかったが、南沙織は、自分の父親を知らないまま結婚し
由緒ある寺の住職の家系の篠山紀信の親戚つきあいに終生苦悩することになる
沙織は、母親が生きている間に自分の父親の情報を聞き出して、現地にまで行って
出自を明らかにする努力をすべきだった、有名人なのだからその力はあったはず 渡辺ワークショップからエヌエンタープライズへの移籍は、解雇ゆえではなく、真理の方から辞表を書いたからだろう
というのは当時、ルミ子も「真理ちゃんは言うのよね(事務所に色々と注文付ける)」と後年証言してるし
森田公一も「ナベプロと真理との考え方、方向性の不一致があった」と証言していたように
紅白に落ち、フォーク勢に知恵を付けられた真理は、しだいにナベプロに不信感を募らせていったに違いない
もともとフォーク志向だった真理は、しかしあまりに可愛い顔をしていたので、事務所はアイドルとして売った
そこにすでに内面と外面のギャップがあり、最後までそのギャップは埋められない、同じようなパターンが
久保田早紀で、あまりに美人顔なので、シンガーソングライターは似合わなかったが、彼女は自分の内面性を
強調する方向を貫いたから一発屋で終わってしまい、今は教会音楽の世界へ没入してしまった
70年代は歌番組が毎日でもあったような時代で、しかも、当時の楽屋は男女別になってはいたものの、大部屋で
みな一緒だったらしい、10代の売れっ子のアイドル達がおしゃべりに花を咲かせている所へ、ヌーっと
真理が入って来ると、皆に緊張が走り、直立不動で、「おはようございます!」と夜でも挨拶しただろう
皆、天地真理のようになりたいと、憧れの存在だったが、真理の機嫌はいまいち、新曲出すたびに売り上げ落ち
焦りとイライラで、その矛先は、同じナベプロのアグネスに向かう、なんで事務所は私というものがありながら
完全にかぶっているこいつを私に対して刺客に送り込んでんのか、わざわざ香港から連れて来てまでも!
それにアグネスの素人っぽい化粧しない清楚さは、真理のケバケバしさを余計目立たせる皮肉か!
それに「草原の輝き」なんか私の「ひとりじゃないの」の歌詞の「あなたの肩越しに草原も輝く♪」のパクリだ!
アグネスは日本の歌謡界の事情、真理の爆発的人気時代を体験していない、きょとんとした態度
つい爆発した真理は「お前!目つき悪いんだよ!」と暴言、それに対しアグネスが
「ワタシハ、オナカガ、スキマシタ」と返答したかどうかは分からない
真理の最大の擁護者ナベプロに不信感を持つということは
そのまま真理が自分の首を絞めることになることに真理は気づかなかった 美は女性にこそふさわしい、なぜなら女性において自然性と精神性の調和(美)が発揮されるから
男性は、精神性の方が自然性より優っているもの、例えば男性に求められるものは、たくましさ、勇敢、誠実など
いつの時代でも、生命という自然性を司る女性は男の理想主義の暴走を引き止め、社会のバランスを取り戻す役目だ
オペラ界でもその主役はいつもディーバだったように、その美の観念は芸能界をも支配し、既述のように68年から
90年までのオリコンシングル3位までに入った歌手は男16人女46人(ただし、シンガーソングライター、演歌を除く)
で圧倒的に女性歌手が多い、それだけ女性アイドル市場は大衆に求められ、テレビで汗臭い秀樹や自己陶酔の五郎や
二ヤケたひろみよりテレビの華として皆が可愛らしく美しい女性歌手を求め、それ故に競争が激しく激戦だった
それは天地真理の成功によって、色めき立った業界が、真理を見本として、戦略を立てた結果であろう
例えば「真理ちゃん自転車」は20万台以上売れたと言われるが、一台24900円で合計50億円以上となる
当時シングル1枚500円で換算すると1千万枚という計算になる、それ以外のグッズの入れると途方もない額に
また大店法が74年に施行して、大型商業施設が次々にオープンされ、その開店記念に華を添えるに
ふさわしいものとしてやはり女性アイドル歌手は引っ張りだこだったように女性アイドルはつぶしが効いた
しかし女性アイドル歌手の元祖であったと同時にその頂点でもあった天地真理以後、女性アイドル歌手たちは
青田刈りされ、へたでも許される単に可能性を売るだけの存在になってしまった、中三トリオに典型的に
見られるように聴衆はその大人になってからの成熟を見ないまま、百恵のように21才で引退するか静かに衰退する
しかないアイドルたち、80年代絶頂を迎えたアイドル、90年代に入ると、そのからくりに気づいた大衆はしらけ
アイドル時代も終わった、今は居直ったAKBグループが恋愛禁止、卒業という非人間的、機械的アイドル
将棋の駒のようなシステムでAKBという枠、形式だけが存続するという姿になり果てた
アイドルだけではなく、一般に流行歌手の流行の寿命は70年代に比べて、それ以後の歌手は長い
例えば、松田聖子、中森明菜、B‘z、それは70年代まではファンは卒業や就職や結婚を期に辞めた 単純に曲に恵まれなかった。
水色の恋、ちいさな恋、ひとりじゃないの、虹をわたって、恋する夏の日
5曲しか聞ける曲ないよ
落ちぶれんの当然 愛のアルバムや木枯らしの舗道など、むしろ売れなくなっての時代にこそ佳曲が有る。 私は空いっぱいの幸せ、恋人たちの港、恋と海とTシャツとが好き
それより前の曲ももちろん好き
ちなみに最近ファンになりました このスレ、人気あるね〜
天地真理は天使の歌声
人を幸せにする 1000なら
来年天地真理のシングルが50年ぶりにオリコン1位になる!!!!!!!!!!! このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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