池谷公二郎
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沢村賞投手、奪三振王池谷公二郎について語りましょう 引退後は4年間の広島コーチを除くと、
日本テレビ系解説者と巨人コーチを行ったり来たりと、
すっかり読売グループのメンバー テイクバックの時の腕の動きが独特なんですよね。
この人一代限りの投球フォームですよ。
球の握りが打者に見えるんじゃないかと思ってしまいます。 何かの雑誌で「大野は僕を左にしたようなフォームですね」 池谷の後11は
高木 12→11→12
紀藤 55→12→11 知名度も割と高いほう
引退した時の報道じゃ当初は「地元テレビ局の解説者」と言われてたのが、
翌年開幕前になると「日本テレビ解説者」にレベルアップ
実績知名度からしてローカルでは勿体無いとの判断で、オフに日テレが囲んだのかな 沢村賞のシーズンは290回もなげている。
この頃のカープは金城、外木場、池谷、高橋里と
毎年、最多勝投手を出しているが翌年の成績は大幅に落ちる。
その年に調子の良い選手を後先考えずに酷使していて、
鶴岡監督のような投手を壊す起用法だ。 コーチではあまり良い話を聞かない。
杉本と同じような印象 広島の投手コーチ時期豊田に「広島のダメ投手コーチ」と酷評されていた。
川島を育てられず紀藤の酷使等有能な面が見当たらなかった。 >>15
なのに巨人は読売グループの人事異動とやらでコーチ起用 すぐに潰れるフォームだったし、
すぐに潰れる使い方をされた V2の頃は北別府、山根、福士に次ぐ四番手の先発投手になっていた。 >>11
自分の記憶では日テレ解説になたのは引退後すぐではなく、
かなり後で「何で?」と思ったがちがうのか?
こういう時はたいていスポンサー絡みらしいが 100勝以上している投手で被本塁打率が柳田豊に次いで高い >>20
当初は濃人渉に代わる広島テレビの解説者と報じられてたのが、急に話が広がった感じ。
86年開幕前の巨人オープン戦の最終戦にて日テレの解説者が紹介された時、
本人は不在も実況アナウンサーから「以上ご紹介した方々以外に、実はもうお一方、
池谷公二郎さんにも加わって頂くこと」 途中で送信してしまった。
「池谷公二郎さんにも加わって頂くことになりました」 とつけ加えていた。 今は主に広島ローカルだが、引退後は日テレで計4度の解説者契約をしてるんだよな
スタッフに余程気に入られていたんだろうな 親分の山本浩二が日テレ野球解説陣のボスだからだろ
子飼いのノムケンもねじ込んでたし >>19
79年はまだ、古葉監督が最も信頼?してたのは池谷と琴別府 >>25
ミスター赤ヘルも最初の解説はNHKだった
なのに2回目以降は日テレ
「コージさん日テレは居心地がいいですよ」と子分が親分に勧めたのかもね 大リーガー相手に全球直球勝負
この頃はもう130キロ台のストレート投げれなかった ズームイン朝初登場
脇田アナ
「池谷公二郎を復活させるしかないでしょう!」 >>28
原も最初はNHKだった。 2度目以降もNHKの解説就いたのは1968ドラフト組以降の世代だと他に星野とか梨田とか山田久志とか 54年優勝時
古葉監督が最も信頼していたのは池谷と北別府
翌年は三本柱からも洩れていった
王さんが引退際して「池谷の球威についていけなくなった。」は
54年の池谷だったとしても全盛期と比べるとかなり落ちていたと記憶しているが、
これは私の何十年にもわたる謎の一つだ NHKでやってるコロナ患者に池谷氏の姿
裸でうつ伏せ、紙オムツ姿で何かを診察していた
ベッドでは安静状態
医師は極めて難しい状況だと
重症の中でも危険度のレベルは高いらしい >>38のあと>>24の番組に戻り花束をもらったとか >>39
え!?
回復したんですか。それは良かった。 後藤正治の名著 『スカウト』では
受けた恩や義理を忘れない男っぽい奴、と書かれている 同い年の佐伯金城の方が好きだった 実績も遜色なかったのにな
古葉は変なトレードばっかりしてた アバウトなコントロールで快速球を投げ込む渡辺久信系
だから渡辺久信同様に球威が衰えたところで終わってしまった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています