【悲報】元日ハム高橋直樹、成績のわりに知名度が低すぎる
あいつは解説者もやってたが無能だったな
典型的な昭和の投手ってかんじ 日本シリーズで負けまくったヒゲか
すっげー手投げみたいなサイドスローだったよね 球が遅くて、直球の被打率が悪かったからシュートやチェンジアップに頼ってたチキン野郎
案の定変化球打ちが出来た巨人にぼこぼこに打たれて、
セリーグじゃ全く活躍出来なかった >>5
引退後は日本テレビの解説者になったけど、
当時はそれを見越して巨人が入団させたという話も囁かれていた。
パ・リーグ経験が長かったせいか、日テレではロッテ戦を担当したり、
読売テレビと福岡放送へも派遣されるなど重宝がられていた。 コンビニ経営で失敗した時に
聞いてた話と違うとか本部を訴えて
1500万ぐらい賠償金勝ち取ったんだっけ?
コンビニ経営で騙されたり、同系列店を近隣に立てられたりして潰れるのはよくあるが、
裁判に持ち込める財力や余力がなくて泣き寝入りするしかないんだよな 先日地元駅の小さいロータリーのトイメンにわざわざもう一店出しやがってドン引き
さておき
モノマネがしやすかったな このチョビヒゲメガネくんは オランダ発祥のコンビニ、スパー。
今もあるかは知らないけど、昭和59年頃には既に展開していた。
ところが北関東だと潰れたスパーに新しいオーナーを次々と入れ、潰れて荒れ果てた店も目立った。
退職金を投入した人もいて裁判が相次いだ。 >>15
ホットスパー→ココストアになってたな
今は潰れた所以外はファミマになってる なるほど、あれだけ日本シリーズでコテンパンに負けたのはセリーグでまったく通用しない予兆でもあったわけか >>10
直樹は早大〜日本鋼管だったのも
あるだろうな
小正力の慶應閥ほどじゃなくとも
早稲田も親会社含めたラインはあったし
V9末期に巨人入りした小川邦和は
大学の2年後輩でノンプロも日本鋼管w そんなに知名度低いか?
他の100勝投手並みの知名度だと思うが 広島、巨人時代の扱いが酷すぎた。
特に広島時代。もうちっとチャンス与えられなかったか? 結構前はメジャーの解説でよく見たな
年齢の割に若く見えた 野茂がメジャー行った頃の解説はマッシー村上かこの人かって感じ 東映時に入団したため日本ハムで生え抜き扱いされず。
エースで看板選手だったのに 松沼兄と区別付いたの?
眼鏡に髭に、投げ方まで似てた。 兄やんは現役時代はメガネかけてなくて
髭も森政権になってから
だから高橋直樹と時期は被ってない
投げ方も高橋直樹がゆったりとしたフォームなのに対して
兄やんはかなり内側にひねってその反動で投げるフォーム セに来るって聞いたときは楽しみで仕方がなかったんだけどな >>28
天理の瀬は明治大学に
さておき
まちがいで松永は1年、ヒデは2年いただけだからな 日本シリーズで打席に立ったとき、めちゃめちゃバット短く持ってた 大沢親分から、お前がファイターズを引っ張っていかなきゃダメなんだ!と叱咤激励された一週間後に、カープへトレード通告… DHがないから、自分に打順が回ってきたら早い回から代打出されて降板しなければならなかったことが度々あった
ことがセに馴染めなかった理由の一つだったらしい 1985年阪神唯一の日本シリーズ制覇
第6戦西武先発はこの人、いきなり初回5番長崎に満塁ホームランで試合を略決定づけてしまったのは鮮烈に覚えてる。 >>35
大沢親分は過大評価され過ぎ
木田や工藤も使い潰しているし
大社オーナーに気に入られて永く球団に居座れたから優勝も出来ただけ 1試合で勝利投手とセーブの記録が付いた最初で最後の選手か 1977年あたりに、新生児命名ランキングに直樹が上位に来てたけど、なぜ?
高橋直樹であるはずもなく、杉浦直樹でもない。 田淵の現役最終試合、最後の1イニングだけマスクを被った時にマウンドに居たのが高橋直樹だったな 味よしネタよし器量よし
新婚さんいらっしゃいの時間によく見た 西武巨人で投げて原にHR打たれたっけ。
打たれ終わった後がに股で固まってたのにわらた 近鉄 鈴木啓二
阪急 山田久志
ロッテ 村田兆治
西武 東尾修 フランチャイズ・プレイヤーとして名球会入り資格200勝を達成した投手って意味か 早稲田出身だと1番勝利多いんだよな
100勝以上してるのが 高橋直樹 和田毅 小宮山悟の3人しかいない >>36
パリーグ出身投手がよく言う言い訳だね
だったら立ち上がりを良くすればいいだけ 高橋直樹に限らず
パで実績上げてからセに移籍して
同等以上の活躍した奴なんているのか? >>59
若生智男・加藤初・下柳剛・・・
あといるかな 吉井理人もかな
ヤクルト時代に先発転向で3年連続二ケタ勝利 >>60
平井正史も
移籍初年度に2桁勝利で
カムバック賞その後も
セットアッパーで活躍 打者では山本雅夫
いや中身はなにも変わっちゃいないのに変に扱いが変わった セ・リーグではアンダースローがあまり通用しないようなイメージがある。 >>69
1970年代だと上田二朗、金城基泰、坂井勝二、こないだ亡くなった三沢淳
ヤクルトでそこそこやってた会田照夫、渡辺孝博とかいるけどな >>70
その頃のパリーグでは山田久志、足立光宏、高橋直樹、二科時成、とかエース級。
その後は松沼兄、最近では渡辺俊介 セで20勝した金城(広島)
パに移籍して数年してセに戻って来たら
高橋同様盗塁フリーパスで使い物に
ならなくなってた 田尾が江川とのYoutubeで当時の与那嶺監督に右の下手投げ相手の代打で使うから、って入団年に一軍に置かれて
実際小川邦和からが初ヒット打った話してたね、まあ横手投げと下手投げの厳密な違いはここは置いといて
セの下手投げで一番成功したのは秋山登かね 高橋直樹ってホームラン打たれた瞬間の写真見ると
外野振りむいて膝ついて「やられた!」みたいに口開けてて
おまけに眼鏡が不気味に光っていて口髭蓄えてて
大正時代や昭和初期の人間が20世紀後半プロ野球に紛れて野球やっている錯覚に陥る >>77
自分も不確かだけどもう3年くらい前じゃないか?
遠回しに大沢監督への不満を口にしていて、大沢時代のエースというイメージだっただけに意外だった 江夏とろうとしてたけど 高橋だけはトレードはないと言って話が違うじゃねーか みたいな感じだったらしい 野球殿堂投票で意外に得票少なかったし、大沢親分は
サンモニのイメージほど野球関係者には評価高くなさそう つっても監督としても選手としても大した実績無いし妥当なとこじゃないの 西武時代に日本シリーズで投げていたころは、もう30代後半だったんだよな
それでも、松沼兄と並んで先発投手に起用されていた
変則投法は短期決戦に有利と見られていたんだろうな 82年 第3戦先発
83年 第2戦先発
85年 第2戦先発 >>81
風貌から親分と持ち上げられてたが
実際はメディアとオリオンズ時代の永田中村やハムの大社ら球団オーナーに気に入られて地位を築いた政治的な御仁だし
監督退任後もハムでGM的な立場にいたがチームは強くならなかったし 79年20勝した時の秋に家族対抗歌合戦に出てたわ来年も頑張れみたいな事を審査員の水の江瀧子から言われてた >>86
それだけ聞くと選手としても監督としてもスケールダウンした星野仙一みたいだ
南海OBからの受けも悪かったから、オリオンズで指導者でキャリア積んだんだっけ? 親分が監督として一般に人気があるのは水島新司のおかげ
ドラフトで土井垣を指名して口説いたり
あぶさんでもいいキャラだったな 大沢監督、高橋直樹、景浦安武 三者の絡み話もあったな。
オールスターホームラン競争で安武は投手役に高橋直樹を指名。
慣例では野手が投げる球を打つが、本業投手が投げるので、大沢監督が困惑。
安武は直樹の球をボカスカスタンドに放り込んで、大沢監督が打たれすぎと直樹を叱咤。
直樹は安武との事前話し合いで、要求する場所に全球見事に投げ、ホームランアシストした。
それを知った大沢親分が針の穴を通すコントロールの直樹を褒めたって話。 >>91
「そうともよ パでそれをできるのはうちの直しかいないぜ!」
と手のひら返しの大沢監督に
山田「聞こえてまっせ!」
兆治「どうせぼくらはノーコンですよ」
ドッ(汗)
お約束 いや御大盤石の展開である 故大島康徳フィーチャー回でも大沢親分はよく書かれてたな
>あぶさん あぶさんでヘマをした高橋直に「飯抜きだあ」って言ってたが
小学生じゃないんだから ヒゲなし直ちゃんは打たれた瞬間にマウンド上で「外出禁止だ〜〜」と嘆いた >>89
オリオンズへ移ったのは
当時の10年選手制度の絡み
一軍登録実働10年でボーナスか移籍を選べるが南海はボーナスを払う気が無いから移籍
まぁ長嶋杉浦の大学先輩って立場をフル活用し球団首脳に気に入られながら立ち回ったイメージとは違い
実は極めて政治的なお方
同じ様なタイプは武上と大下剛史 同じ打者に連続でホームランを打たれたらひげを剃る。 プロ野球の口ひげ第1号はヒゲ辻か。
三森に口ひげ!「そることもない」藤本監督風に 年俸は3倍超
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/843656/?page=2
高橋直樹にも触れてるが、この記者森本潔は知らないのか。
グラサンパーマに口ひげはプロ野球選手というより
ヒッピーかミュージシャンにしか見えなかったw >>99
ロッテの有藤に一試合で二本打たれて、ヒゲ剃ったね
昔、フジテレビの夕方のニュースで見たよ >>101
いっぽうの有藤も、同じ投手から連続三振したら眉毛をそると決めていた 有藤が山にこもった際、人恋しさに負けて修行なかばで下山したりすることのないよう
片方だけつけ眉毛をした、というのは有名な話 >>100
森本潔ってレジー・ジャクソンの真似かと思ってたけど、
あのスタイルこっちの方が早いみたいね >>110
おれはレジー・スミス来日のニュース見て
「なんだ森本じゃん」と思った 森本を見た時に山本晋也かと思った
西本監督は巨人や野村監督みたいな
ヒゲ、長髪禁止みたいな思想はなかったんだな 北海道日ハムのメインユニに青カラーが採用されたみたいだけど高橋直樹の現役時代以来かな? あの超絶にダサいビジター用がたいていの選手にわりと似合ってしまったという不思議 あの新ユニ、韓国代表と十数年前の西武を足して2で割ったようにしか見えない 色をたくさん使ったユニフォームとかが似合うイメージ 四天王+直樹+山内新一 という投高のパの時代
直樹のこといえば山内新一などもっと地味やで
星野と一勝しか違わないのに 鈴木、山田、東尾、村田みたいな球団一筋のエースが皆200勝超えとなると格落ち感は否めないか
ホームランソーセージで高橋直樹のカードよく出てきたわ >>117
山内新一は初め巨人最後は阪神という人気球団に在籍してたのにな
全盛期が南海だったからか 外角低めスライダーのコントロール主体の投手やからね
投げ方も特徴なく。デイゲームに遮光眼鏡かけていたくらいか
山陰出身で言うことも地味 まじめか 連投失礼
北別府に近い投手かと思うがいかんせん当時のパリーグ 山内新一は阪神移籍前年(83年)にボコボコに打たれてたけど
阪神移籍初年度はそこそこ頑張ってたよな
小林繁の引退と野村収の衰えがあったのに4位で踏み止まれたのは
新人池田親興と山内新一のおかげだった >>121
「あぶさん」の1巻
中モズ合同トレの初日に皆の前で「山内です どうかよろしく…」
などと加入の挨拶しているシーンを見ると歴史的でついおおっとなってしまう
巨人ではもうひとつだったがやはり大物あつかいだったんだな >>112
自分は泳げたいやきくんを歌っている人だと思ってた 生年は子門真人が1944年、高橋直樹が1945年でほぼ同じだけどね 山内新一
山内和宏
山内孝徳
山内+松原(福士)←→富田
だったのね
72年には長島の衰えが顕著だったから 福本がルーブロックの通算盗塁記録を破ったときの投手でしょ。
1000盗塁のときも高橋だったような。 南海の青井要
プロ初登板のしかもわずか1イニングの間に達成されてしまった
記録達成の映像 小川・立石の二遊間がいま見ると泣ける >>129の訂正
河野旭輝のもつシーズン盗塁記録を破った際の投手が高橋でした。 >>132
??
相手投手は森ですね。
当該試合のスコアテーブルからしても、確かに森繁和。
名球会コミックスではヒゲに眼鏡の投手が描かれてたものだから、高橋直樹と思い込んだようです。
(コミックの描写は間違いか) 江夏を取るためとは言え、日本ハムは高橋直樹を出したのはどうだったろう?
チームのエースだし、人物としても高橋のほうが優れていて、若手選手の模範にもなる
高橋のほうが年上だが、現役生活は高橋のほうが長かった
日本ハムで最後まで大切に使ってあげてほしかった 悲願の(日本ハム球団として)初優勝に足りないラストピースがリリーフエース
この年22勝した木田ですら4Sと先発救援掛け持ちで酷使された。
そこに江夏がやってきて優勝、本人はMVP
文句なしのトレードだと思うんだが、逆張りで否定する奴初めて見たわ 大沢親分も古葉監督から高橋直樹じゃないとトレードに応じないと言われての
究極の選択だったんだし。
そのお返しで別件で進めていたトレードで「ウチの高橋出すんだから、そっちの高橋
くれ」つうて(江夏放出の一因とされる大喧嘩をやらかしたとされる)高橋里志を古葉
の「いや、江夏と高橋は犬猿の仲だから・・・」と言ったのを聴かず、逆に「使うのは俺
だ!プロに仲良いも仲悪いも関係ねえだろ!」と一喝!して獲得したけどなw
大沢親分曰く「2人ともよく働いたよ。まあ仲は悪かったけどな(笑)」と。 80年ぐらいのミラクルガールてドラマに出てるよ
日本ハムが春のキャンプをしていた
徳島県鳴門球場
ソレイタと岡持が練習していたところに
ミラクルガールに属していたメンバーから2人が高橋投手に聞き取り
14:20ぐらいから
https://youtu.be/HurRC3ElOUs 西武に移ってから再び活躍したのでパリーグ向きの投手だったんだろうね 広島では、当時36歳ということできつい練習を課されてなかったらしい
57年途中に西武に移って、広岡監督の指示でハードトレーニングを課されたら、身体がふた回りほど大きくなって、選手寿命が伸びたというのが、広岡本に書いてあった 昔は革新的だったかもしれませんが今の広岡さんは投手の酷使について「若いころは投げれば投げるほど伸びる。靱帯は筋肉の一種だから鍛えることができる」と無茶苦茶なことを言っています 広岡さんって好投してる投手をアクシデントもないので途中で引っ込めてしまいリリーフが
打たれて負ける試合がままあったので当時疑問に感じていた。
今思えばかなり先進的な野球をしていたんだなというのが実感する。 >>135
放出された効果で高橋氏も3度優勝経験積めた
日本シリーズはセリーグとの相性悪が響いたが 広島はどうもパリーグのチームとのトレードは上手くいってない印象 >>150
西山秀二
ホークスからGETして正捕手 広島は獲って厳しかったら数年で見切る潔さがあるね、高沢も1年半、加藤秀司や水上は1年でパへ。
津野は中日へだったけど、やはり1年。 >>150
大和田明
西鉄で芽が出ず広島でクリーンナップ
大下剛史
活躍したのは1シーズンだが初優勝に貢献
出身地というのもありハムOBというよりはカープの人 >>153
江夏豊はともかく、福士敬章は
野手のその傾向には納得する パリーグのあやしい喫茶店のオーナー顔として
当時は近鉄の村田(左アンダースロー)、西武松沼兄やん、
そして高橋直樹(いずれも右アンダースロー)と
言われていた。今の若い人は若干個人経営喫茶店が
今は廃れている時代だからピンと来ないかもしれないが。 どいつもチョビヒゲの地味顔ってだけじゃねえか あ いいのか 顔はインテリ風だが
投げ方はダイナミック、良い意味で野蛮な感じ >>141
広岡監督は高橋直樹を重用していたね
ローテーションに入れていたし、日本シリーズでは必ず先発させていた
ベテランだけど、まだ活躍できるという見込みがあったんだろうね 高橋直樹はMLB野茂中継の解説者として一定の知名度があると思うけどなぁ >>155
村田辰美はアンダーでもサイドでもないぞ?
さておき
セントラルならさしずめカープの木下かな
いや 通り越してヤバいバーのマスターかなあ 日本シリーズで投げたから、そこそこ知名度は上がったと思うけどね
技巧派だったので、あまり印象に残らなかったのかも知れない >>137
その時佐伯を広島に返したな。
さすがに衰えは隠せず、打撃投手やスカウトになったが。 1985年ウェイトトレーニングの効果で球威が増して完投重ねて復活
しかし西武の新監督森の構想から外れて、巨人へ移籍もチャンスほとんどもらえず
広岡が残念がっていた。広岡政権が続いていれば高橋も永射も西武でもう少し
続いたかも。 直さんも41歳だったし流石に構想外になったのは仕方ない。
今みたく選手寿命も延びてなかった時代だしね あのフォームは杉浦をベースに色々混ぜて完成したものらしい
東京ドーム開場直後のOB戦でオレンジユニを着てるよね 生涯最高の成績を残した1979年にタイトルが欲しかったですね。
34歳で20勝、250回は凄いですよ。
この年は週刊ベースボールの表紙にもなっている。 高橋直樹は真正アンダーというよりサイドに近いアンダーだよね 腕を横へ振り絞るようにして投げていたね
松沼兄のほうが典型的なアンダースローに近かった 走者三塁にいてワインドアップして投げてたら、簡単にホームスチールされそうだった。 体勢が低いだけでボールは上の方に掲げてるのでアンダーと思ったことはない 高橋さんと同時期に活躍した南海の山内投手も
20勝を二回したけれどタイトルとは無縁だった。
当時は鈴木、山田、東尾、村田、成田等
一流投手が揃っていましたね。 当時の野球名鑑に阪急キラーと紹介されてたけどそんな強かった印象ないなあ
あの悠長なフォームだと福本にバンバン走られてそうだし 阪急ファンだった俺からすれば阪急クィラーと言えばロッテの水谷則博が思い浮かぶわ
西武に弱く阪急に強い水谷の存在は強く印象に残ってる、あの変則投法から繰り出されるスローカーブも
それに水谷実雄が土屋に破壊された試合(1984開幕戦)で珍しく阪急戦で先発KOされたのが水谷則博だったしなぁ 直さん今の時代だったら50歳近くまで続けられたかも。 巨人の歴史を彩った選手の一人。
他には岩隈久志選手やエリック・ヒルマン選手、加藤英司選手や松原誠選手など
巨人OBは多彩です(・_・;) 成績の割に知名度低いのは高橋でなく山下(西武)な。 高橋直さんや山内新さんがもう一歩でタイトルに届かなかった中で
今井さんが最多勝を二回も取ったのは凄いですよ。 ちょっと落ちるけど仁科や永射も不人気80sパではなかなかの好投手だったのに知名度が低い
スポーツが野球一択だった昭和ならプロに入れる時点で地元の名士なのにな
八名さんや一茂ぐらい引退後に露出しないと無名だよ
富樫もバスケファン以外は「はぁ?」な存在なんだし 仁科はロッテのコーチや寮長も長年務めたのに、晩年は全く消息が表に出ず、訃報も公にはなかった。
永射は一般層への知名度はともかく、晩年まで露出も結構あったんじゃない。 ここら辺の選手ってよくセニョール・パでいじられていた気がする そういや仁科や三沢って高橋直樹と同タイプだよね
3人ともアンダーぽいサイドでよく似てる >>194
野村監督就任後、純粋なアンダーからサイド気味に変えて、途端に勝つようになった。輝きは1年で終わったけど。
>>195
それ日本共産党 >>189
仁科と永射なんて比較にならないだろ
永射は実力の割に知名度あった方 野手のレジェンドで野球を観ない人達からの知名度が低いのは
門田博光とアロンゾ・パウエルか
元の血統とはいえ一茂の知名度があまりにもエグ過ぎるんよ
うちの母だってつい最近までヤクルトの村上を知らなったし
他の競技を舐めるわけじゃないけどメジャースポーツの野球やサッカーで
こんなに知名度に格差が生まれるのは変だよね
MLBの選手は1000人以上知っててもKBOやCPBLの選手は10人しか知らないというのは
あるあるだけど 晩年巨人だったからNHKの解説の仕事とかありつけたかと。
でも同時期在籍していた加藤は全くそういうのが無いな。
(逆に西本元監督人脈で2000本まで生き永らえた) 加藤ヒデのなんとかして二千本達成はリーグの功労者に対する慰労かな
胃ろうのような感じもしたが 高橋直樹は一般で早稲田に入ったインテリだからというのもあるんじゃね?>解説者 今年の巨人は松田や長野みたいな超ベテランを獲得しているが
高橋直樹や加藤英司、有田といった超ベテランを続々と獲った1985年のオフが思い出されるな >>205
それって今年も優勝できないってことか?
あかんやん 現役時のYouTube動画がいつもメッタ打ちKOされた試合ばっかでいい場面無かったがようやく83年の日シリ第5戦が再upされてた
(このゲーム自体も救援の東尾・森繁が打たれてサヨナラ負けだけど) イチローや松井秀喜が渡米した時にNHKでメジャーの解説やってたから「実績の割に知名度が低い」割に知名度は高いと思う 巨人ファン的には有田の補強なかったら槙原の開花はなかった 高橋直樹は良い投手だった
当時は名を馳せていた
晩年広島にトレードになってやる気をなくして使われなかった
ただ江夏の戦力ダウンを補えるとは思わなかった
しかし当時、池谷と北別府を先発の軸に回していたが高橋直樹が入団すればエースは確実と思っていた
東京の日ハムのエースの自分がなんでこんな地方球団にという気持ちがあったのだろう 高橋直樹・加藤秀司・井本隆
セ移籍組全滅だったな、江本がセのレベルの方が上と言っていたのも一理あると思った 野球やってて早大政経に入れる超インテリ男
それが荒くれ者の巣窟東映に入るんだから、本人の違和感は
相当だったろう 元気な内にテレ東のサンドの野球居酒屋に出て欲しいな
例のコンビニ経営は語れるだろうか NHKの日曜午後に後楽園の日本ハム-阪急をやっていて、
高橋直樹 vs 山田久志のアンダースロー対決はかなり見ごたえがあった。
実際0-0だったか1-1くらいの緊迫した投手戦で、最後は日本ハムミッチェルが
バックスクリーンに飛び込む超特大ホームランを放ち、山田がマウンド上でガックリ。
当時パリーグにはさほど興味がなかったが、その試合だけは一瞬たりとも眼を離せなかった。 民放でも日曜のデーゲーム高橋が投げてるパの試合やってた
当時午後2時15分から3時45分と中途半端な時間帯でやってた記憶が youtube での落合と東尾との対談の中で
東尾がエース同士の投げ合いでは絶対に先にマウンドを降りたくないという話をしていて
相手エースについて鈴木啓志、山田久志、村田兆治という名を挙げた後、
一呼吸おいてから 「高橋直樹」 の名を挙げてた。
あの時代、高橋直樹もエースとして見られてたんだな。
(鈴木、山田、村田より少し格下扱いかもしれんがw) メジャーの解説もやってから、そんな地味な印象はない
坂井勝二のほうが実績の割に地味 高橋直樹は山内新一とともに四天王よりやや下の扱いだったな
世が世であればとは思う 東映・日本ハムのエースは短命なイメージがある
その中で高橋直樹は息長く活躍したと思う >>222
一三が其処ゝ生き永らえたし佐伯和司、成田文男も
最後の一花を咲かせたな >>213
広島が江夏を出すという情報聞いた大沢が広島の松田オーナー、古葉監督と交渉した時
松田オーナーが「高橋直樹を出すなら、江夏を出します」って言って大沢は「高橋だけは」
と思ったが江夏を欲しかった為トレードに出された 広島から西武へ移籍した時の交換相手である古沢憲司さんが先日お亡くなりになりましたね。
御冥福をお祈り致します。 >>228
古沢憲司と言えば「がんばれタブチくん」のイメージ パセリ農家の精神力は異常。捨てられるために育ててどんな気持ちなの >>227
セリーグにホント向いてなかったという不思議な投手でもあったな 社会人とセリーグにいた3年で31勝出来たんじゃねえかなw >>226
やはり広島から日ハムへ行った高橋里志氏も追加しておく。 >>155>>156
今なら中日→楽天の阿部
若い頃に高橋直、松沼兄の球を受けてた伊東が中日ヘッドの時にマスターの愛称をつけた 明らかにサイドスローなのになんでアンダースローの括りになってるんだ? 東映、日拓指導者時代に土橋正幸に殴らなかった数少ない投手
>>213
大沢が江夏を獲得しよう松田オーナー、古葉に交渉したら高橋出してくれたら
出しますよと言われて放出された。 花井悠は西鉄の野武士達とは合わなくて現役時代ストレス性の下痢が続いてたが、
同じような人種の高橋は暴れん坊の群れ内で上手く振る舞ってたのか >>238
土橋はあんないかついナリで金田正泰みたいに選手に殴られまくってたのか 生え抜きエースの高橋直樹よりも
巨人から移籍の高橋一三のほうが
知名度が上だった
当時のパの選手の悲しい現実… 高橋一三は今の時代なら現役を続けて200勝達成してたと思うわ
まだまだ遅球が通用してたのに辞めたのは勿体無いよな 広島時代の話は全くと言っていいほど残ってないな
巨人時代は仕方ないが 117勝で11位タイか
1.若林 210
2.別所 164
3.山田 152
4.小山 144
5.山本昌 140
6.黒田 140
7.工藤 137
8.佐藤義 126
9.米田 123
10.鈴木啓 120
11.東尾 117
11.高橋直 117 >>246
パの名球会カルテットで村田兆治だけ入ってないんだな
1982~84年ほとんど働いてないからか、誕生日がシーズン閉幕後だから
誕生日を考慮してたらそれも不利に働くかもしれんが 村田は防御率のタイトル取った引退前年も自軍の超絶貧打の所為で7勝止まりだったしな マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。 プロ野球で唯一、同じ試合で1勝1セーブを記録してる
ルール改正でもう絶対にない ライオンズの東尾修だって知名度を上げたのは
関東移転後にチームが優勝するようになってから
福岡時代には20勝を2度マークしていたが 江本のつべで伊東勤がゲスト回、
全然自分を信用してくれないエースのHさんと違って、
サイン通りに投げるって言ってくれた高橋直樹さんには感謝していますと伊東が
東映時代に同僚だった江本も高橋直樹さんは良い人だって言ってた かつての敵チーム・西武への移籍で優勝を味わえた
日ハムのエースでは西崎もそうだったね