97年の巨人が落合残留、清原不獲得だったら
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第1次長嶋政権を81年82年くらいまで続けさせてそれでも優勝できなくて
無能の烙印を押していたら2次政権なかったかもね Jリーグ対策の長嶋現場復帰みたいな感じもあったしあんま関係してないかも >>167
開幕前に
球場が広くなる?きっちり打てばそんなの関係ないと言ってたけど
さすがにきつかったな
特に落合みたいな広角タイプはモロ影響受ける >>163
サード落合の送球と言えばサイドスローだった
サイドだから強い送球じゃないけど結構正確 落合がプライド捨てて、代打兼選手兼コーチなら
1二仁志
2遊川相
3中松井
4一清原
5三ルイス・とんでもない期待外れ
6右広澤
7左清水
8捕村田
9先発 斉藤雅樹(大幅劣化)ガルベス、桑田、槙原、小野、岡島、ヒルマン(投げれず)
リリーフエース入来
やっぱりどうやっても97年は無理そう 原もそうだけど最初の監督の時に解任されたせいかやたらと全権とか
そういうのを要求するよね。 取り上げようとしたら機嫌損ねる
長嶋にしても原にしても他球団でそういうことを要求する監督は
何様なんだろう。 メジャーと違いフロントに任せれば馬鹿が多いから
滅茶苦茶になるのはわかるけど
実際、現場が編成権持ってもダメなことが多い 1997年の巨人は、原がまだ現役で落合残留の上清原獲得だったら少しは良くなったんだろうか。 >>167
その分ボールがよく飛ぶのでそれは意味無かった。
それでも飛ばせないくらい衰えた。 >>172
清原との競争から逃げたようにしかみえなかったな。
ポジション争いで負けても年齢からすればカッコ悪いことではないし
むしろ師弟関係の強化にもつながっただろうにな。
清原が番長面しはじめたのは落合にも責任がある。 西武なら清原でなく捕手の伊東を強奪する計画は巨人になかったんだろうか? 1997年の巨人は、仁志を外野コンバートした、上で器用な落合を2番が最適だった。
落合を本職の二塁に回帰させて、原が現役なら
最強だったのでは?
2 二 落合
3 右 松井
4 一 清原
5 左 広澤
6 三 原 石井浩郎が四番でフルシーズン活躍。
ジャイアンツ優勝。 中軸が不良在庫化しだした時期だったので特に変わらなかったと思う 原って、1997〜98年頃まで現役続行するわけにはいかなかったのかな?
1999年まで居れば、2000本安打達成できたのでは。
落合は星野が自著で「根はとても素直な奴」と述べていたんだな。 巨人の場合は弱点は捕手で村田真一がいる限りむりだった
むしろここにどうして最初にメスを入れなかったか疑問 長嶋はずっとうちのアキレス腱ですからというてたな
水面下では古田とか谷繁に声かけてたらしいが >>182
いうだけで何もしてない。しかもコーチが山倉って・・・・・・・・・・・・ >>181
一応90年代は即戦力捕手やトレードで一軍半レベルの捕手を補強してたが結局村田真が生き残った
可能なら田村、伊東、古田クラスをFAで獲得したかったが引き留めにあった FAは仕方ないが良いバッテリーコーチを招へいしようという考えはなかったの
かな? キャッチャーは弱いけど自分の子分の山倉は6年もコーチに置いておき
可愛がる
これでは本気で強化しようとしてない 山倉でコーチできるなら俺でもできると思った。 だって困ったら
外角低め投げろと連呼するなら素人でもできるだろう トレード
91オフ 高田⇔藤田
92シーズン中 中尾⇔大久保
ドラフト
90 吉原
91 松岡
92 村田善
93 柳沢
94 織田(一時捕手コンバート)
95 原俊
90年代前半を抜きだしてみたが、ううーむむむ・・・ww 落合って日ハム移籍決まってから真面目に取り組んでたんかね?怪我の影響はあるだろうしユニフォームが変わったからそう見えるって部分があるにしても体型がダルんとしちゃったじゃん
そりゃ現場でやる時は真面目にやってたんだろうけど、そもそも準備段階がおろそかでは何もならないwbcのメジャーリーガー的な >>12
これはどうだろうか、劣化版清原とは言うけど広沢なんか固定で使ってたら当時の清原より成績残したんじゃない? 有田とか中尾のようなインパクトはない捕手補強・・・・長嶋政権
山倉を早期解雇して優秀なバッテリーコーチを招へいという考えはなかったの
だろうか?堀内山倉を6年もやらせたことが低迷につながったけど自分の
子分だから替えなかった
俺の中では山倉は12球団最低の捕手だった気がする。ようは投手の能力が
高かったからもっただけで
南海とか日本ハムの捕手ならリードが悪いと早急に替えられただろう >>190
巨人の水に馴染めなかった広沢は。ハウエルもダメでヤクルトとはかなりギャップが
あるのかと感じた。 ジニーもダメだったな。余程巨人はやりにくいのだろうか。 ラミちゃんは上手くいったか。あの人は柔軟性あるからどこへ行っても適応するんだろうけど。 ペタジーニは不慣れな外野守らされたりしてたからな
だけど打撃成績は否定されるような数値じゃないはずだが 清原が邪魔で
4番ファーストで固定しとけば 勝手に3割40発撃ってたな
その辺の使い方が昔から下手 ラミレスは4番レフトにうまくはまったから
気分よく野球できたんだろう やっぱり、「落合残留かつ清原獲得」が巨人にとってはベストだったのでは?
単純計算で、96年の戦力に清原がそのまま加わるわけだから連覇は堅かった。
清原も、落合がいることで気持ちが引き締まってキャリアハイを叩きだしただろうし。 そうだね
ナベツネがDH導入しなければ新リーグと恫喝して強引に導入させて
落合残留清原獲得がベストだったね けど清原、巨人の優勝の芽が完全になくなって帳尻合わせのように打って
数字的には前年と変わらない数字だったんだよね?斉藤雅樹の劣化酷かったし
清原よりもヒルマンの期待外れのが痛かった。 >>199
あとマック→ルイス&カステヤも痛かった
>>188
なんで89年に2位古田で行かなかったかね?
あのころは中尾で凌いでいたが、村田真一が次期正捕手確定なんて風潮なかった
ろう? >>187
ノムも同じこと言ってるぞ
結局構えたところにきっちり投げ込めないならリードも糞もない マックは肩の弱さが原因で、前年限りでクビになったというけど、実際どの程度の弱肩だったんだ?
イチローや飯田よりは若干見劣りがする程度なのかどうか。 マックの送球は山なりだったからなあ
そこが弱肩と呼ばれた原因かもね
イチローや飯田はそれこそ時代を代表する強肩の名手なので
比較したら大抵の外野手は見劣りしてしまうと思うw 1996(130試合) → 1997(135試合)
チーム打率 本塁打 .253 147本 → .251 150本
チーム防御率 3.47 → 3.69
前年の優勝と比べて大幅に落ちたわけじゃないんだよな >>204
前年以上に首脳陣と選手の間に亀裂が入ってたように思える 打撃と足と肩すべてが超一流じゃないとメジャーリーガーになれないと
当時言われていたから現役バリバリのマックをみてそうでもないと思ったな
後年イチローが行ったら足と肩はメジャートップだったしね
あの頃はメジャーの誇張が凄かったわ 普通にミッチェル見たら打つだけでもメジャーだと思わなかった? フランコとかやたら持ち上げられてたけどバリバリメジャーって言ってた割に3割はともかく本塁打10本はガッカリしたわ 個人的にメジャーの凄さを感じたのはパリッシュのホームラン
チャンスじゃ弱かったけどスイングと飛距離がとんでもなかった >>210
何ヵ月も前の書き込みにレスするならアンカー付けろよ >>180
原は余力は相当残してやめた、と自ら言ってた。
今思えばたしかにまだやれたな。
しかし、もう世の中が原を求めてなかった。
95年というのはそういう年だった。
落合が大復活、松井が大成長、ヤクルト4番の広沢もいて、という状況で巨人軍の4番を長く打ってきた者としてのプライドが許さなかっただろうし、長嶋監督が居場所を与えなかった。
FA制度がなかったら、2000年前後までプレーできたかもね。
その間に30本前後打てる年も2~3回あっただろうね。
そうなると長嶋茂雄の444本を抜いてしまう、、 >>200
当時、古田がすごい捕手になるなんて見抜けなかったでしょうに。
肩は強くてまあまあ良さそうな捕手。ただし、打撃は何も期待できない、そんな評価でしょうね、当時は。
巨人の捕手で、これはやっぱり本物だな、と思えたのは中尾。次が有田かな。
ただ、その中尾と交換したデーブが大爆発。
打撃が良くていい感じで育ちつつあった村田真一がしばらく2軍に行ったりして表に出てこなくなった。
しかし、その間に腐らずに一生懸命練習して戻ってきた。
村田真一はそういった努力する姿だとか人望によって藤田監督に愛され、長嶋政権でも正捕手の座をつかんだ感じだった。
選手の中で長嶋監督に一番近寄っていけたのが村田真一。
村田の父が癌でもう長くない時に、長嶋は予定をキャンセルして父と食事してくれたらしいからね。 原は長嶋ユニがすでに似合ってなかった
大島康徳のドジャースユニみたいな 現役のエネルギーを指導者に回した原は偉い
結果的に95年での引退を自分で将来に活かした訳だし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています