南海ホークス19
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
【前スレ】
南海ホークス18
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1562298560/ 雨傘番組の「歌謡ナイター」の出演者が
月亭八方というのが何ともはやw 子供の頃近所だった大阪球場の外野席が7回以降入場無料だったからよく見に行ってたわ
入場したら友達と柵よじ登ってバックネット裏まで行って観戦してたけど周りの大人たちは何も言わなかったな
さらに出待ちで選手達と握手してもらった上に友達は佐々木誠から折れてたけどサイン入りバット貰えて羨ましかった 雨傘番組を生でやる、ってアナはともかくタレントはそんな事できるのか?
今日雨だから来てや〜ってこと? この頃の八方はザ・パンダのブレイク前で暇でいつもスタンバイOKだったんだろうな >>1
野村乙也
948神様仏様名無し様2017/04/02(日) 14:25:21.02ID:q1z0NM5L
昔は南海ファンの多くはセリーグは巨人ファンだったけど
それは何か根拠がある?
949神様仏様名無し様2017/04/02(日) 14:54:53.10ID:5CNILa1H
南海と巨人は対立の歴史だから全くそんな事実はない
・1948 別所引き抜き事件
・1949 三原ポカリ事件
・1958 長嶋横取り事件
・1959 杉浦一人で巨人を4タテ
その他、巨人と何回やっても勝てない南海と揶揄される
950神様仏様名無し様2017/04/02(日) 15:34:52.10ID:NtM1YA3v
1961の円城寺事件もな
951神様仏様名無し様2017/04/02(日) 17:36:15.78ID:ux0fjxw6
>>948
またお前かよ。
952神様仏様名無し様2017/04/02(日) 18:59:15.44ID:mBZsOMZD
なんで毎回いちいち構うの?
例のダニ(上記で言うところの948)が現れても相手にせず
下記のスレに コピペして(晒してやって)下さい
【アンチ】巨人・悪の歴史【虚塵】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1377597552/l50 南海太郎か 久々に登場の名前
西中島で生田教室というアナウンサー学校やってたな
多くの教え子がテレビ局にいてる
もう亡くなっているやろ 南海太郎はリポートだけじゃなく解説者的役割もやっていたと聞いたことがある。
今のMBSフィールドキャスターの狩野恵輔みたいなものかな。 暗黒時代の復刻飽きた。
100万ドルの内野陣でパリーグ3連覇、選手権は水原巨人に4度敗れた、復刻ユニフォームとかやらんのかな? 佐々木誠が監督で甲子園出場決定
甥の佐野がベイスターズでキャプテン決定
一族にバブル来てるな 野村さんが亡くなる前に南海との深い確執を解消して和解してほしい
好き嫌いは別としてさすがにメモリアルギャラリーに野村氏の名前が一切無いのは無理があるし不自然かつ大人気ないと思うの ・社会人野球の監督で都市対抗野球出場
・高校野球の監督で甲子園出場
佐々木誠すげぇ 阪神も掛布や田淵と和解したのに、確かに南海は大人気ない。 鹿児島もかつては鹿児島実、樟南、鹿児島商の3強だったが
近年は神村学園などの台頭で勢力図が変わったな。
鹿児島工、鹿屋中央なども出場したしな。佐々木率いる鹿児島城西がどこまで勝ち進むか >>22
軟化すべきなのは野村側の方でしょ
南海よりホークスメモリアルでの展示の申し入れがあったが沙知代と相談の上でお断りしたと語っていた
沙知代なき今では大きな障害はなくなったと見ていいのに 王門田と3人でメモリアルセレモニーに出てたし
あれで雪解けしたって解釈してもいいんじゃないの もう鶴岡も川勝もいないし親会社も変わってるんだから和解できそうなもんだけどな
鶴岡と言えば息子が山本姓に改姓したのは確執でもあったのかね
江本が山本泰について「カーブ打ちが上手くてプロでも通用するんじゃないかと思っていた」と
書いていた >>20
先日旅行のついでに久しぶりに立ち寄ったが別に気にもならんね
何度来ても背筋のびますわ
息子は相変わらず怪訝な顔してるが wikiによると沙知代が電話で全部断ったらしいね
ノムは許しても執念深そうな沙知代は死ぬまで根に持ってそうだしノムにも念押ししてそう
監督時代門田やらに電話でノムの言うこと聞けだの口出ししまくってたらしいな おばはん死んだしカツノリが説得したらどうや
南海もさらに恥だが孫さんにあいだに入ってもらえばよい 野村監督は一流の指導者なのに、精神的にもろいところがあるのではないか?
だから、あんな女性に入れ込んで、采配にまで介入させ、南海を追われる結果になった
女に惑わされず、「南海の野村」を全うしてほしかった >>31
鶴岡も野村への接し方で後悔した様な事を何かで書いていたらしい。
図太い性格だと思ったら、実際は逆に繊細な性格だったと。 >>31
>「南海の野村」を全うしてほしかった
80年まで南海にいたら正史よりも1年早い79年前期終盤頃に3000試合出場達成
80年前期に3000本安打達成・最終的に3100試合以上出場して、谷繁に抜かれる
事もなかっただろうな >>33
本塁打は680本前後、打点は2050前後まで伸びたかも? 鶴岡は杉浦ばかり可愛がり、なんで野村に冷たかったんやろか?
相性かいな? 端から見る限りは野村はケツを叩けば叩くほど働きそうなキャラには見えてしまうな
その点親分は浅はかだったのかも知れない >>36
野村 お情けで採ってやった、さらにクビになりかけを一度救ってやった
杉浦 裏切り者に流されず約束どおり入団してくれた 四連投四連勝で悲願達成
入団の経緯からして違うからな 野村と違っていつもにこにこと穏やかで愛想いい杉浦
そのあたりも親分に気に入られたアレやろうな 山陰の寒村から来たネクラ野郎とはそもそもソリが合わなかったんだろうよ 国貞や広瀬は同郷というのもあるけど、
叱られ役としても相互理解があって重用した面もあったから、
野村にも同じように接して失敗に気づいたのがかなり後だった、
という感じだな。 >>38
あと杉浦は六大学出身者
鶴岡は大卒ばかり可愛がり
同郷(広瀬)や身内子飼い(飯田岡本)以外の非大卒には冷淡だった しかし野村ほど見た目と人間がイコールな者もなかなかおらんわな
それでも兼任監督の頃まではエモや高畠が言うようにパッションがあったようだが… 昨今の野村の人物像はヤクルト監督時代以降の話
南海時代は基本シャイだがバイタリティもあった
王や長嶋もそうだけど、解任される経験ってのは人を変えるんだろうな 鶴岡の時からそうウジウジしてたんだから
そうなる予兆はいくらでもあったんやろな 野村は逆に富田を放り出したな
大卒で残したのは藤原チャイくらいか 鶴岡の息子の山本泰(元PL学園他監督、元近鉄スカウト)は
父との関係が色々言われた野村に対してどんな感情を持ってたんだろう?とふと思った。 >>46
富田は持っていない選手だったね。
せっかく3番で結果出すも、翌年門田に奪われてしまうし、トレード相手の山内が20勝。 富田 野村 ジョーンズ 門田の打順の並びは胸躍ったがね
富田は川上さんが長嶋の衰えを見てくれといって断れなかったとは野村の弁
六大学の三羽烏だが興国出でエリート臭くはなく良い感じだった
藤原は大卒とはいえ近大なので野村の反感なかったのかね
近大の有藤とのコンビを見てみたかった 富田はユニフォームやソックスを洗わない汚な好きで
そのせいで長嶋や大沢にも嫌われてしまった 野村が「次世代の南海の四番」と期待したのが山本雅夫だったが
そこまで伸びなかった
評論家時代に「育成のやり方を間違った」と書いていた 南海が予定通り有藤指名だったら、富田はロッテだったのだろうか?
阪神が予定通り富田指名が、本人には最善だった気もする。 富田は巨人に行ってあまり伸びなくて、遠回りになってしまった気がする。
南海で主軸打者としてじっくり育ててほしかった。
サード富田、ショート藤原、セカンド桜井でよかったのではないか? >>52
山本雅夫は面倒見が良い親分肌で豪快な性格だったが、プロ意識には欠けていた。
1981年にレギュラーに定着しかけて翌年も期待されたが、キャンプ中に肩を痛めたのに治療に専念せず遊びに精を出していたとか。この故障はシーズンにも尾を引き散々な成績に終わった。 富田藤原桜井なら黄金の内野陣やなあ
山本雅夫は未完の大器と言われたがレギュラーは
岡本圭右との争いに勝ちきれなかった
山本は巨人に行ってから妙に勝負強くなった気がする
大阪球場で代打山本のコールで味方応援団がため息ついていた記憶がある 山本雅は毎度オープン戦で大活躍して期待をもたせ実戦ではやはりだめかという印象が強かった
巨人移籍前に左キラーとしてじんわりと頭角は現してきてはいたけど >>53
もし阪神だったら
レギュラー確実だったろうな
当時の阪神三塁手は朝井大倉後藤と
打力イマイチだったから
ただ富田がレギュラーだったら
掛布の台頭が遅れたかもたが
富田のプロ入り時の南海三塁手って
誰だったっけ? >>58
国貞だったと思う。反野村派の急先鋒だったためか、野村が監督兼任と共に
古葉とのトレードで広島へ >>59
国貞って広島では確か二塁手だったよな
一塁手が衣笠 遊撃手が三村
三塁手は後に日ハムで富田の交換相手だった井上弘昭 富田や藤原が入った頃は
セカンドプレイザー ショート小池 サード国貞
まだ鶴岡さんだか年齢的にそろそろ新陳代謝しても良いメンバー
セカンドは桜井が来るまで山本忠夫や古葉やったかな 大阪スタヂアムとかいうロマンの塊
JRA場外、アイススケート場にゲーセンビッグキャロット、はじめていったカプリチョーザもあそこだった
横の通りには古本通りにバイク屋もあったな
試合後選手たちは普通に歩いて出てきて気さくにサインにも応じてくれた 大阪球場の古本屋(あるいは今で言うオタロードの手前の古本屋だったかも)で
今はご禁制の○○ヌード写真集を買ったのは内緒だw
南海が福岡へ行った後だが なぜか、ノムさん監督解任の記事が載っていた女性週刊誌が何冊か古本店に置いてあって、しばし見入ったことを思い出すな
サッチーは伊東芳枝名義と伊東沙知代名義の所に分かれていて、克則は私生児として書かれていたな 土井勝先生の料理教室が大阪球場に有った。先生、南海ファンでね。
今の土井善晴先生の親父さん。 だんだんお父さんにそっくりになったな
土井勝さんの家は阿倍野の帝塚山の久保田の創業者の家の
近所やった 今はもうないはず
晴明が丘南小学校の裏やな 南海電鉄が経営撤退を表明しているみさき公園が今後もどうなるのか未だに確定してないみたいだな。
タイムリミットは3月末なのだが >>68
引き取り手が見つからなければ閉園の可能性が高い
今の所は厳しい状況かな 「としまえん」ですら閉園って話になっているから昔ながらの遊園地は厳しいね みさき公園と違ってあんな都会の住宅地に
ここまで遊園地なんかが残ってた事が変だったからなぁ
(開業当初はまだまだ住宅地じゃなかったからだろうけど) そういや狭山遊園地も阿倍野プールもなくなったな
大阪球場近接のアイススケート、ボーリング場にプールもよく行ったわ あべのガーデンプール ラサプール ユニチカプール
エキスポランド あやめ池 ドリームランド キャッスルランド
阪神パーク 玉手山遊園 すべてなくなりました
残るは生駒山上とひらかたパークか 新生西武抜かれるまでパの名門南海が優勝回数
多かったのになぁ。
80年代西武って西鉄の優勝5回を新聞、野球雑誌などはカウントしてたの? >>76
関係ないけど、
西武と西鉄太平洋の回数含んでない理屈で言うと
ダイエーソフバンが南海の回数含んでない事に
なるから怖いよな。 99年のリーグ優勝時は大半のメディアが「ダイエー初優勝」だったな
さすがに最近は南海時代も加味するようになったが >>78
ダイエー優勝と日本一の時、テレビで九州福岡では西鉄以来って伝えられてたなあ。
まるでダイエーが西鉄の後継球団扱いやん。 95年にオリックスが優勝した時も「球団創設7年目で初優勝」というメディアがいくつかあった
「オリックスになって初優勝」はまだしも、「球団創設7年目」は明らかにおかしい罠。
今年DeNAが優勝しても「初優勝」と言うメディアは流石に無いだろう
この20年でファンとメディアの意識も大分変わった 日本の野球機構はだめやね。
大リーグでは地域密着型で前身の歴史を大切にしてるけど。 今の時代ならロッテも第一回日本シリーズ優勝のオリオンズのニックネームは残しておいたかもしれないな MLBも1950〜70年代は移転の繰り返しだけどな しかしプレマネ時代のノムのトレードの眼力は凄いね
江本、山内新、松原
これだけでも名監督だわ 鶴岡御大がダイエーにOB会の管理を依頼したのは良かったな。
近鉄のOB会は解散しちゃったが。 >>81
サッカー協会も地域密着という割に野球なら○○、サッカーなら○○といった地場系ファンを大事にしなかったな。
アンチ野球ばかり大事にしてた。 わしの目が黒いうちは絶対に身売りはないと言っていた川勝氏が亡くなった年に身売りというのも寂しい話だな
そして野村の騒動の際も庇いきれなくてすまんと謝ったとか
最後にいろいろあったとはいえ野村の球団に対しての功績は計り知れない >>88
Jリーグは100年構想という川淵のヨタ話をいい加減に捨てるべきだな。
あれのせいでボロチームが大量に湧いて各地で自治体や地銀にたかるという事態になってる 野村が球団引っ掻き回したのは確かだが
野村が監督でなければもっと早いタイミングで
Bクラスが定位置になっていただろうなとも思う Jリーグができた頃に批判されたけど
チーム名に企業名を付けられることは悪い事じゃない
暗黒時代のパ・リーグはそのメリットがあったので買い手が見つかって潰れずにすんだ
何でもメジャーやサッカーを真似すれば良いってもんじゃない
モータースポーツではチーム名にスポンサー名を入れて当然だしね ただ、現実的に日本で今後何かプロスポーツ興す時に会社名入れるのは難しいだろうね
中国とかだとまだ出来そうだが >>91
鶴岡が野村時代のメンバーを率いていたら
どこまでやれたか興味ある
鶴岡も自由競争の恩恵に浴した一人だしな
川上巨人はそれまでの遺産と采配でV9までいったが水原も三原もドラフト制以降は優勝出来なかった
ただ三原はお荷物近鉄を優勝争いまで持ち込んだりヤクルトでは後の日本一の主力を見い出していたが
鶴岡はそこまでやれなかった感 >>92-93
来シーズンからのプロ化を目指してるラグビーがどうなるか気になる
完全なプロリーグではなさそうなので企業名残りそうだが、
むしろラグビーチームは企業名の方がしっくりくるんだよな
まあ慣れなんだろうけど 86-88年までの南海は若手が出てきて金はないけど夢はあった
スレチになるが正確は89年まで
田淵が監督になってからはすべてご破算に >>96
佐々木・湯上谷・若井・岸川・西川・吉田豊・・・・
確かに夢もあったし一瞬だけ優勝争いするだけの力もあったよね・・(´・ω・`) >>71
ほんのちょっと前まで、みさき公園は
USJみたいなデカいトコにうちは勝てないのはわかってるから
小さいお子さんとその家族に特化する!(きりっ)
って感じで成功してるって結構紹介されてたんだけどなあ。実際はたいして
利益もあがってなかったんだろうか 岸川 藤本博 吉永 広永 若井 山口裕とか
それぞれが中途半端に終わってしまった 昔、みさき公園のこうや号にホークスのペナント、トロフィー、色々展示物置いてたのにどうなったの、パークスに移したのかな? 西鉄グループのホームページもライオンズのこと載ってし、
南海グループのホームページもホークスの歴史の事載せてほしいなぁ。
まぁ、パークスに記念館あるだけでも良いよな。 山口裕はオープン戦が絶好調の年があって首位打者盗塁王いける
と思っていたらペナントでは全くダメだった 金田さん、村山さん、長嶋さん、野村さん、みんな子供のころのあこがれのスターだった
とても悲しい ユニフォームとか引き取って展示すればいいね
所有権はカツノリなのかな? 出す本出す本で必ず悪口を書かれていた城島岩隈のコメントが気になる 「自分勝手で真面目に守備をしない酷い選手だった」と言われたハリーはどうコメントするのだろう 94歳 杉下茂
92歳 関根潤三
87歳 広岡達朗
86歳 中西太,吉田義男
85歳 小山正明
84歳 【野村克也】2/11死去,小玉明利
83歳 長嶋茂雄,広瀬叔功
81歳 米田哲也,権藤博
79歳 王貞治,張本勲,板東英二.足立光宏
78歳 【高木守道】1/17死去
76歳 松原誠,土井正博
75歳 長池徳士,柴田勲,村上雅則,安仁屋宗八,大下剛史,八木沢荘六
74歳 島谷金二,外木場義郎,高田繁
73歳 山本浩二,有藤通世,山崎浩之,田淵幸一
72歳 若松勉,江本孟紀,松岡弘,平松政次,谷沢健一,鈴木啓示,藤田平,福本豊,大矢明彦,堀内恒夫,門田博光
71歳 江夏豊,加藤秀司,山田久志 >>112
92歳 杉山光平
88歳 岡本伊三美
76歳 大石弥太郎
72歳 佐藤道郎、山内新一 警視庁などによりますと、11日未明、東京・世田谷区の野村さんの自宅から119番通報がありました。
家政婦が浴槽の中でぐったりしている野村さんを見つけたということです。
野村さんは病院に搬送され、その後、死亡が確認されたということです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000175933.html 星野と法政三羽ガラスとは星野冨田田淵とは接点あって
山本浩二とはそんなにはなかったな >>117
仲悪いからな
浩二が現役時代は激賞してたけど サッチーが生きていたら
もしかして葬式にも行きづらかっただろうけど
普通に行けるよな >>117
北京五輪の時に星野監督・山本コーチだったけど接点がないのは意外
どういうつてで山本コーチになったんだろう? まだ存命中と思われる南海黄金期(〜68年)の主力選手
岡本伊三美
杉山光平
宅和本司
マッシー村上
林俊宏
渡辺泰輔
小池兼司
樋口正蔵 叩かれるのを承知であえて言うわ。
南海ホークス関係者からすればこいつはクズだろうが。
何でこんなクズが崇め奉られてんだよ。くだらねえ。
地獄で自称コロンビア大卒(失笑)が待ってることだろうよw たとえ悪人だとしても
死んだ時点で多くの人がいい人を亡くしたな…と思わせた(だました)時点で
その人の勝ちなんだよ
それをああだ、こうだタダ文句を垂れるだけで説得力のある批判を書けない時点で
君は負け組だ。たとえ正義は君にあろうともな >>120
後に野村自身が、江本・江夏・門田を三悪人と呼んでたところを見ると
鶴岡の影響は野村の奥底に浸み込んでたんじゃないかと思わせる ミヤネ屋で野村の訃報を伝えた時、監督解任時の新聞紙面が出ていたけど、
(どこの新聞かテロップを見逃した)
その新聞では岡本伊三美(当時関西テレビ・フジテレビ解説者)を候補としていたな。
実際は引退したばかりの広瀬が残留昇格したが。 追記すまん。
グッディではダブル不倫にまで言及していた。 >>131
当時は大沢親分にも声がかかったと言ってたな
当時はハムの監督をやっていたので断ったということだった >>131
岡本監督ならもう少しましな成績で済んだんじゃないのかな。
広瀬監督ってのは最悪の人選だったと思う。 数年前、ソフトバンクの始球式に呼ばれて「ホークス」と「和解」したとされる。 最後に野村さんを生で見たのは2年前のホークスとジャイアンツのOB戦だった。 確か3年ほど前に病気で半年近く公の場に姿を見せてなかったよな。
あの時点で駄目かもと思ってたから、寧ろよく持ったと思う。
車椅子になったのはあれの前後だろうな >>112
元阪急他の今西錬太郎が去年のCSで始球式やってたのには驚いた >>112
77歳に末次利光と森本潔
75歳74歳に木俣達彦 井上弘昭 竹之内雅史 ノム逝ったと聞いて来た
広瀬氏は監督向きの人じゃなかったのか
>>112
86歳 バルボン(来月に87歳)
74歳 高橋直樹(今月15日で75歳) 野村が西武で3000試合出場した時の映像がNHKで流れてたが、二塁へ盗塁しようと走ったメイを刺して
故ドカベン香川から花束もらってたな。初めて見たような >>132
ノムの妄言だろ、あれ
前妻はイトウサチヨから電話攻撃されていて精神的に参っていたとノム専任マネの杉浦が証言しているし、
離婚後は息子に渡していた養育費さえも阻止して追い討ちをかけた
まあ生れも育ちも正反対である2人が結びついた時点でまずかったが(前妻とは恋愛結婚じゃない) 「野球狂の詩」の映画版に兼任監督時代のノムさんが本人役で出て
原作通り水原勇気と対戦してるな 水島御大もカメオ出演してるんだよね、意外といい演技だったりもする >>146
過去スレで出ていたけど、
養育費は阻止されても口座を地方銀行に変えてまで送金し続けていたらしいな。
前妻の長男は週刊誌のインタビューで、遠征先で何度かこっそり会って、
その中で結婚を報告したと話していた。
一方で沙知代の弟の伊藤信義氏のインタビューも載っていたと記憶。
団とケニーの実父になる前の夫を伊東家でを供養したりとか、
その後の著書でも語られたエピソードだった。 >>112 広岡がしぶとく生き延びそう
ああいうのはしぶといはず こうなると岡本さんが南海では最長老かな
メディアに出る人はぐっと減るな >>152
前妻も病気でとうに亡くなっているんだよね…息子の思い出の中で、
父が何週間ぶりに帰ってきたと思ったら母と自分に対して「離婚しないとサチヨにころされる」と言い玄関で土下座した、
というのがあった
ノムはともかくサチヨが美化されるのはおかしいと勝手に思っている 野村を解任することで筋を通した南海球団がその後低迷、球団売却の憂き目に遭い、
一方野村が称賛されるというのは何だかなぁ。
まあ、反応見てもリテラシーのないクソゴミしかいないというのがよくわかるね。
>>126
意味不明なんだがw >>156
南海はあんときに球団ごと売っぱらうべきだったな。 昨日テレビで大阪のあぶさんって南海ホークス居酒屋で皆川睦雄の奥さんと中継繋がってた
主人が200勝できたのは全部野村さんのおかげでサインに首振ると必ず打たられてたとか
はなむけの言葉だとは思うけど同期入団で寮の部屋まで一緒でウマが合ってたんだろうな 皆川はノムと必要以上に関わらないことで友情を保ってたんだろうね 野村が西武で3000試合出場を達成した時の相手が古巣の南海戦で、肩が衰えきってたはずの野村が
二塁へ盗塁しようとしたメイを刺すシーンがあったけど、メイってそこまで足遅かったっけ? >>161
ファンブックでは「黒い重戦車」って形容されてたが
戦車ならまあ速くはないんじゃないの
しかし 今なら5メーター手前でアウトなフレーズw >>161
NPBでは盗塁20 盗塁刺8 成功率.714
だからそんな遅くはなかったんじゃない。 >>145
その3000試合目の西武の先発が松沼兄
試合で空気を読まずボコボコに打ちまくった
のが門田 >>164
二打席連続特大ホームランに野村が恩返しとはこのことか?もうエエやろって言ったらほなら二塁打にしときますわって話好き 西武時代は島田誠にトリプルスチールされている…映像も残っていて捕球後の動作は速いが、いかんせん肩が…
ノムさんに対して生意気なことするな、と先輩選手からシメられたそうだ >>159
ノムが兼任監督だった時の南海選手で
巨人に(コーチだが)招聘されたことあるのは皆川だけ?
山内新一とか現役選手で巨人から南海に行ったのはいたけど、75年に球団初の最下位に落ちた巨人フロントがノムをトレード獲得しようとしたら長嶋が断ったらしい。
現役時からあまり円満でなかった森と似たオーラ持つノムは長嶋も使いたくなかったのか… 1980年のオールスター
https://youtu.be/E52VYkomwNw?t=1808
野村最後の年で映像あるわ、
広島に行った江夏がピンチで出てきて投手の山内新一が打席に立ち三振で試合終了 >>168
タマ切れで山内新一が代打の時か
これはなつかしい 逆に野村南海のピッチングコーチは、巨人で20連勝の記録を持つ松田清氏がやってた。
東京出身巨人OBで関西に全く縁が無かったのによく引っ張って来れたのが不思議。野村理論に有ってたのか?
この人も日テレのスポーツニュースにちょくちょく出ていたが故人になられている。 なんばパークスには野村が一切いなかったことになってるの? >>167
長嶋が2回目の監督に高畠に打撃コーチに要請したことがあったが
先に話があった他球団の要請を受けた為実現せず 松井を見て欲しくて声をかけたんだったな
先に王ダイエーへの入閣が決まっていて、そこで指導をしたのが小久保 >>166
島田誠(日ハム)「肩が弱い野村さんだからやってやろうと思った!」(ドヤ顔)
福本(阪急)「オレ達が肩だけじゃなく、クイック投法を編み出した野村さんから盗塁するのに
どれだけ苦労と工夫を重ねたと思っとるんや!若造が図に乗るな!」
相手がノボセモンの九州人だったせいもあるな。 西武野村3000試合出場の花束を、ルーキー香川が渡してた。
そりゃあの体で透析までしてたら持たんよな。 島田誠か 大沢ニセ親分の差し金やないかな
皆川さんとか山内新一とか山形や島根の高卒には
シンパシーなのか優しかった気がするね 島田こそ、テスト入団からレギュラー取った立身出世伝なのにな。
RKBラジオで番組持たなかったら日本ハムの監督になっていた。梨田の時。 >>176
松原明夫も鳥取の高卒だから同じような思いがあったのかな。
松原は無口なのでおとなしいヤツと思っていたら、ある試合での闘志むき出しのスライディングを見て強気のリードを心がけるようにしたという話は有名だね。 >>174
福本も、野村が起用法から雑念を抱いて引退を決意した試合で、容赦なく4個の盗塁を決めているがねw
オマケに蓑田3個、笹本、八木各1個と計9個の盗塁を許した >>155
>>ノムはともかくサチヨが美化されるのはおかしいと勝手に思っている
俺もそれだけはスゲー違和感ある
マスコミも散々バッシングしてたくせに今更美化しやがって…
南海を私物化してたし、ノムが阪神在籍時には脱税で逮捕されてたしどう見ても毒婦やんけ 周囲に流されない偏屈者の門田が、サチヨの介入で野球をやる環境ではないと造反するぐらいだからな
かつての盟友広瀬も、サチヨを「あのオバハン」と呼んで忌み嫌っていたし
ロッカールームに盗聴器が仕掛けられている、と選手の間でまことしやかに噂されていた
でも俺が女の執念を末恐ろしいと感じたのは前妻とその息子に対する仕打ちよ
ミッチーサッチー騒動のとき、根も葉もない噂が降りかかってきたことを理由として、文春に息子の手記が載ったことがある…息子さんは立派なもので「面識のない人(サチヨ)を噂だけでとやかく言えない」と
前妻は82年にクモ膜下出血で亡くなっている 世界三大ウザい女房
野村沙知代
馬場元子
オノ・ヨーコ >>185
令和版だと工藤静香とか入ってくるんだろうな >>148 >>184
阪急オリスレは可変スレタイだが、3年前にスレタイが
【西本上田】ブレーブス&ブルーウェーブ【仰木】8
だった時、スレの最後の方で上田さんが亡くなった・・・ 安倍の嫁はん 税金使うからサッチーより質が悪い 史上最低の女
サチヨは定岡に帰りのバスでビンタしたりひどかったな
門田と江本と西岡三四郎が抗議して門田以外はトレードになった >>191
武家社会確立の内助者からか
北条政子はその2人ほど悪く言われんな
一部同類視点の向きもあったが >>194
関西テレビ ザ・ドキュメント 2004年3月30日放送 「帰らざる黄金の日々 南海ホークスへの鎮魂歌」
https://www.ktv.jp/document/040330.html >>180
引退西武だからスレチになるが、雑念持った経緯教えて 1980年9月28日、阪急後期10回戦ダブルヘッダー第1試合(西武球場)の8回裏、西武1点ビハインド1死1、3塁の場面で8番野村に打順がまわり、根本監督は左の代打鈴木葉留彦を送った
犠飛の日本記録を持っていて、外野までフライを狙い打てる自負があった野村はカチンときた
そして鈴木に対して「打つな、失敗しろ」と念じ、見事ゲッツーに倒れて西武は敗れた
心の中で「ザマアミロ」と叫んだ野村だが、冷静になったとき「味方のミスや、チームの敗北を願うようになってはおしまいだ」と考えて現役引退を決意した
長嶋解任の余波を受け、王ともども寂しい雰囲気の引退セレモニーだったが、その後のファン感謝デーの紅白戦ではナインの演出もあってランニングホームランを記録、満面の笑みでホームインする野村の写真が残っている >>171
ホークスギャラリー作る時に野村家へ打診はあったみたいだけど
沙知代が断固拒否とたとかでこんなことに
本当は沙知代が死んだ後にノムさんがOKだしてくれたら展示出来たんだろうけど
ノムさんも「南海を追い出された」思いが強くて結局亡くなるまでそのままに
でもソフバンが福岡でやった復刻イベントは喜んで参加してるから
南海への愛憎は複雑だったんだろうな >>200
苦肉の策として引退したブレイザーのヘッドコーチ就任ににスポットを当てたんだよな。 そういやブレイザーを監督にしたのは
野村時代への回帰なの?
鶴岡広瀬のやり方への決別? >>203
単純に阪神の監督をやってちょっと人気が出たための客寄せパンダ >>182
百歩譲って野村は野球好きなだけの人で
サッチーは悪党だったとしても、
悪党の女にほれてしまったのだから仕方ない
男が女に、女が男に惚れた惚れない。おなかを痛めて産んだ子供は
女は何があっても可愛い、これはもう理屈じゃどうしようもないw >>182
百歩譲って野村は野球好きなだけの人で
サッチーは悪党だったとしても、
悪党の女にほれてしまったのだから仕方ない
男が女に、女が男に惚れた惚れない。おなかを痛めて産んだ子供は
女は何があっても可愛い、これはもう理屈じゃどうしようもないw ノムさん死去のニュースでなんばパークスでインタビューしてたテレビ局は居なかったの? 電鉄の広報が対応しなかった 実質拒否 大人げないよな今も
プレイザー監督就任の経緯は確かに不明 意味も不明
広瀬さんがあまりにも向いていなかったからだろうがね
野村解任のあとがせめてブキさんだったらと悔やまれる >>209
まだ和解してなかったのかよ
ノムとホークスとは和解してOB戦にでてたのに
こりゃなんばホークスにノムが飾られる日は永遠に来そうに無いな >>200
ウチの亡くなった親父が生前、「野村はどれだけ複雑な感情はあれど、鶴岡の葬儀には出席すべきだった、心底見損なった」って言ってたわ
まぁあの頃サチヨも生きてた筈だから行くなって言ったかも知れんけど >>211
とりあえず参列して、その場はちょっと決まり切った顔と言葉で取り繕って
その仮面のすぐ裏でとうとうくたばりよった、ウヒヒって気分でも良かったと思うけどね >>209
広瀬以外に候補いなかったんかね?あまりの弱さにガッカリした記憶あるわ >>209
ブレイザーはあまりにも奔放になりすぎた広瀬野球からの脱却…が建前で本当は204が言うように客寄せパンダでしょうな >>209
後任は穴吹 岡本伊三美 杉浦の誰かで良かったろうにな
広瀬になったのは鶴岡と同郷だったのと当時他球団も監督が野村広瀬と同世代に若返りしてた影響かな
(長嶋古葉江藤に少し上の吉田秋山) >>209
広瀬の采配とか空気感とか全くわからんけど
結果うんぬんのまえに当時から見ても
誰がどうみても監督としての資質は全くなかったの? 葬式の日と阪神のオープン戦がバッティングしてたのと違うの?
あと鶴岡云々よりも取り巻き連中に会いたくない人がたくさんいたんだろ
その後鶴岡の家に行って息子には普通に会ってたし
なんで親父さんは俺のことあんなに嫌ってたんだって息子に聞いてた >>216
穴吹代行がそのままやれば良かったが
やっぱり当時の流行としても若いスター監督が欲しかってんだろうね
だとすると杉浦か広瀬しかいなかった
その時はまだ杉浦は近鉄のコーチしてたな、後任決める時にはまだやめてなかったはず >>216
木塚とか小池とか三浦などが監督候補になった事は無いのかな? >>210
野村個人と電鉄だけの問題に済まず、多くの人と金が動いた解任騒動だから…政界やら財閥やら裏社会やら
川勝オーナーは最後まで野村を慰留させるつもりだったのに、それでも「女をとります」と明言されてしまった
電鉄としてはスジを通したのに、原因を作った野村から勝手に悪者扱いされたらね… 杉浦監督以降しか知らない人間だけど、広瀬さんってそんな監督向いてなかったの?江夏柏原が抜けたし誰がやってもどうしようもなかったとかじゃなくて? >>220
その3人は鶴岡派って印象が薄いと云うか贔屓されていなかった傍流な感
他には中日コーチになった森下とか
三浦って三浦清弘?
野村広瀬より若いし候補にならんでしょ(黒い霧の時ミソ付けてるし) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%A5%87%E6%99%B6
森祇晶(Wikipedia)
キャッチングも優れており、現役時代全体を通じて、わずか42個のパスボールしか記録していない[1][2]。
城之内邦雄は、敵チームのサイン盗みに対抗して、サインと異なるボールを投げても平然とキャッチングしてくれたと語っている[3]。
また、盗塁阻止の能力も優れており、クイックモーションの名手・堀本律雄とバッテリーを組んだ試合では、1960年から1962年の3年間に阻止率.706(51企図に対し36盗塁刺)という驚異的な数字を残し、
特に1960年6月1日の大洋戦では一試合5盗塁刺(企図された5回全てを刺す)を記録した[4]。1971年-1972年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでもクイックモーションを活用し、堀内恒夫とのバッテリーで盗塁王・福本豊の足を封じ込めた。
試合外での情報収集にも熱心で、日本シリーズ対策としてパ・リーグで絶対的な強さを誇っていた阪急の話を聞くために、西宮にあった南海の正捕手・野村克也の自宅を訪ねて泊まり込み、情報収集とあわせて野球について徹夜で2人で語りあったという。
これをきっかけに2人は親交を深め、盟友とも言えるほどの関係を結んでいく。また、ほかの名捕手の例に漏れず、森も現役時代は「ささやき戦術」の名人であったという。
>>199
詳しく教えてくださりありがとうございました。 広瀬は選手としては天才だけどな
石毛オリックスのような状態だった
三浦は佐藤公がらみで南海追放
三浦なんかなるわけない 投手なら皆川さんやろな
巨人コーチやってたかな 広瀬は選手としては天才だけどな
石毛オリックスのような状態だった
三浦は佐藤公がらみで南海追放
三浦なんかなるわけない 投手なら皆川さんやろな
巨人コーチやってたかな >>218
対応したのは学生野球の指導者やプロのスカウトを務めた長男の泰と
ミズノの重役の次男の秀樹のどちらなのかな? >>216
関係ないけど
まさか、王、田淵が監督になるとはなぁ、
人生何が起こるか分からへん。 以前、NHKで広瀬と広岡でW解説の中継があり
内容は忘れてしまったんだけど突然広瀬がトンデモ理論を語りだし
隣りにいた広岡が呆れて「広瀬さんおもしろいことをお考えで・・」って嫌味を言いながら失笑してたことがあった
それを聞きながらこんな人が南海の監督をやってたのかって落胆した記憶がある >>226
前回五輪の1964年は開幕から4割継続で
90数試合で途切れたと聞いたから追ってったら
代走出場ばっかなんでWikiの記事見たら
6月のゲームで指か手ェ痛めて打席立てなくなってたのか
負傷なきゃクロマティより先に年間規定4割は達成したか
http://2689web.com/1964/hawks.html ノムも1001と同じワシが育てたタイプだよなあ
選手の好き嫌いがはっきりしているし >>220
木塚はもうその頃には球界を離れていたし
小池は広瀬の懐刀、広瀬がダメだった時点で一蓮托生
三浦に至っては黒い霧で謹慎食らって放出された立場
積極的に起用する理由がない >>210
> まだ和解してなかったのかよ
サチヨが死んで足枷が無くなった段階でソフトバンクのほうは王さんが先頭に立って積極的に和解へ動いたのに対し、南海のほうは球団所有当時の当事者たちも死んでしまい、かといって今の社員のなかでも積極的に働きかける事が出来る人がもう残っていなかったんだろうね。
働きかけられる人が電鉄に居ればすぐに和解へ至ったんだろう。
因みに和解へ持っていったソフトバンク。ノムが一番喜んだのはセレモニーよりも球団が捕手の甲斐に「ホークスの19番」を付けてみないかと声をかけたことだったんじゃないかと。
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20200210-01
死ぬ直前にホークスで「19番の功績」を再評価してもらえたのが最高の栄誉だったのでは。 広岡さんは穴吹さんを評価していたな
いい練習しているって
広瀬さんは長嶋と共に天才だと野村さんは言っていた
だから何も考えないんだと 川上が「他の打者が長嶋と同じ打ち方をしたら打率1割も行かない」と言っていた
極端なアウトステップ打法で凄く変則的なんだと >>236
南海巨人のOB戦もよかったな
あれのおかげで形の上でもミスターと和解できた
あれがなくても追悼コメントは出してたんだろうけど
やはりあれがあるのとないのでは違う
森とミスターは和解したんだろうかね 確執があった中で野村が最後まで和解できなかったのは
鶴岡と城島ぐらいか 巨人は「そんなに森が不満なのか」って位に次々に捕手を獲得したが
森は手段を選ばずライバルを次々に潰して行った
巨人が田淵獲得を熱望したのは有名だし週ベ回顧によれば
1969年頃に南海に野村のトレード獲得も持ち掛けたそうな
田淵がもし巨人に入っていたら森に潰されたかもしれない >>242
と言っても田淵の時点でが森も晩年に近かったからなぁ
ポジション奪われてもキャリア的にそんなに影響は無かった >>241
川上も出来れば森を外したかったんだろうな >>227
皆川さん巨人コーチ時代に西本聖と衝突して、
「和解ゴルフ」なんて訳の分からんもの公開でやってたな 田淵は阪神で良かった
ただでさえお人好しの性格だから
絶対に森に潰されてた >>242
一応釣られてやるが、ワンちゃんのロッカーに外野手用グローブでも置くつもりか?
>>245
アンダースローのアンタにオーバースローの俺の何が分かる!って言われたらしいね
まぁ、球に気持ちが籠ってないから今のはボールと球審にいわれて、
怒るどころか感銘してしまうような人だしな。 新旧三悪人の中だと杉浦だけちょっと違和感あるな
他の5人はそれなりに手を焼きそうな要素が想像できるんだけど 外部から監督候補を頑なに招聘しない体質だったのもな。
鶴岡の影響力があまりにも大き過ぎたというのもあったけれど、勇退するタイミングで
その当時フリーな人材を探すことすらしなかったのも。
妥協して広瀬の後釜でブレイザーを呼び戻した時くらいか?それでもブレイザーは
南海在籍経験者だったけど 杉浦さんは普段の紳士然とした姿から酒席での変貌ぶりの方が伝説的。
新人時代の1958年オフには中西・豊田に対し「来年はお前らには絶対に負けないぞ!」と啖呵を切る豪胆さを見せたり、ダイエー代表時代も坂井保之氏の話によるとオヤジギャグの連発やマスターや他の客のモノマネをやったりするお茶目な面も披露していたとか。 旧三悪人は若い一時期の遊びが主ではないかね
その中でも杉浦さんはよくもてたし女好きだったからな
引退してからも堺の翁橋あたりにお気に入りの店あった
新三悪人は頑固な実力者というある意味誉め言葉 >>249
69年オフに青田昇を呼ぶという話はあった 生え抜きなり途中で球団に関わった選手が監督になる方が
ファンは愛着がわく
オリなんて石毛とかシュルツとか迷走している間に
よけいにファンが居なくなった
生え抜きでなく愛されるのはよほど実績あげないと無理 横浜みたいに頑なに外様中心で行くところもあるけどね 問題は広瀬以降の監督選び。既にBクラスかつ最下位あたりに定着しつつあったのに
それでも意固地に外部招聘せずOBから次期監督を選ぶ古豪ゆえのプライドが悪い方向に出てた。
他球団の監督経験者でもブレイザー時代のヘッドコーチだった与那嶺(中日監督歴あり)くらいか? スレチだが、田淵も野村と同じくらい凄まじい女性遍歴なんだよね
最初は20歳ぐらいの女子大生に手をつけて婚約破棄、次は年上の人妻(博子さん)と結婚したが、この博子さんは内助の功を抜いた沙知代信子タイプで、かなりの出しゃばり女房だったとか
最後は世間を騒がせたドロ沼離婚に終わったが、気に乗じて博子さんは小説やらレコードやらヌード写真を出し、果ては梶原一騎の愛人に
いしいひさいちに家庭内での情報を売っていたらしいが、本当かどうか… >>240
富田勝
引退後も「大卒のスターが嫌いな野村に干された」と愚痴っていた >>260
富田は江夏を手懐けた野村や大沢ですら匙を投げたからな。 >>254
鯨・ベイスは暗黒時代が殆どだから負け癖が付いているOB要らんわってなるのは解かるけど阪急は黄金時代があるからなぁ。 生え抜きは秋山登・土井淳・山下大ちゃん、休養代行の田代だけか >>263
その黄金期にどう見ても指導者向いてそうな奴がいなかっただろ
結果的に他チームにも誘われないのばっかだし 日本ハムは東映色の強い選手を次々に放出して
ミスターフライヤーズの毒島すら関わらなくなった
東映の選手で監督をやったのは土橋位だね 横浜は安易に他チームの優勝監督持ってきてるだけだろ
行き当たりばったりで全部失敗してる
それ以外は内部昇格か
このチームが弱い根本的な理由がそこにある 南海は野村監督時代までは、巨人と並ぶ名門球団だったから、監督純血主義になった
のも理解できなくはない
野村時代があと25年くらい続いていれば、その間に後継者を育成して、さらに純血
主義を続けることができた ダイエーへの球団売却が無ければ、杉浦の次の監督は長池の予定だったらしいけど
福岡移転で退団してしまった。監督云々をおいても慰留して欲しかったな。
佐々木や岸川がさまになったのはやっぱり長池の指導のおかげだろう。 野村克也が南海追放になった経緯を
南海の内部事情を本当に知ってる人に証言して欲しいんだが
もうこれだけ時間が経過してると無理だな
野村側の恨み節ばっかりだ 南海の裏方長だった杉浦正胤(通称コスギさん)なら詳しいと思うがね
この人は南海時代の野村の側近で、ミッチーサッチー騒動の時にテレビ出演して沙知代の裏話を暴露した
現在はジュニアホークスで最高顧問を務めているから健在だと思うが、死者に鞭打つようなことは無理だろうね >>258
ミヨ子ここにお座り!
>>267
駒田や仁志がチームの緩い雰囲気に呆れ返ったそうだしね
大差で負けているのに自分は猛打賞だとかで笑ってるヤツがいる、巨人ではありえないとか
ユニフォームをグラウンドに放り投げて上半身裸で練習してる若手に
お前ら甲子園でも同じことできんのかとか
それで大抵皆そのぬるい雰囲気に抗えずに去っていくことになるんだけど
中畑だけは最後まで染まることはなかったらしい。
>>272
コーチとして優秀な人材は多いけどね >>274
西武からダイエーに行った秋山も似たような感想だったみたいね
ダイエーではチームの空気がぶったるんでいたって >>275
ロッカールームで将棋とか指してたらしいね
ただ強豪チームのやり方をそのまま押し付けると、
田淵や土井の様に総スカンを喰うわけで難しいよね。 野村がサッチーと出会う前から野村に対するクーデターの動きはあったわけだし
野村の解任ネタを探る連中がサッチーとの一件を槍玉に挙げてみたら
想定していた以上にサッチーが悪玉だったという説を唱えたい >>259
いや。別に恨みとかはないけど沙知代のことがありながら盲目的に支持してる連中が
バカだなぁ(失笑)と思うだけ。ここ見れば分かるじゃん。
>>194の動画のコメントも野村の言うことを真に受けて鶴岡の悪口コメントに
いいねがつけられてるし。
いかにもリテラシーのないサルが多いかが分かるわ。
ちなみに、俺は野村解任当時は幼少時で後になって顛末を知ったクチで、
沙知代を知ったのも90年代にテレビに出るようになってからだけど、
あんなの一目見たら胡散臭いって分かるだろうがw まあ、こんな感じでアホしかいないから、マスゴミがB層を牛耳るのも訳ないわなw
南海ファンですらこんな感じだから、讀賣や阪神のファンは何をか言わんや。 プロ野球の歴史を俯瞰的に見れる人じゃないと、鶴岡と野村の関係を白黒で決めつけるよ
野村の功績を免罪符にして語るバカもいるしね
また沙知代との夫婦仲が世間的に良いイメージで広まった以上、それを覆せることは無理な話
天上で高笑いしてそうだな、あのオバハン 南海フロントと阪神フロント共にヤル気ないと
言われてるけど、
南海は親分時代にパリーグの覇者として築いただけでもマシな方じゃない?
それに比べて阪神は..... 巨人のサンドバッグ。 「優勝すると給料をあげなきゃならないから2位で終わってくれ」と言われたと
江夏が暴露してたなw>阪神 サチヨについてはいろんな感想あるけど
南海時代は愛人でそれ以降は正妻 扱いや批判の違いは当然かと
ただ奥さんがグランドにでしゃばるのは正妻でもどうかと思う
昔某ヤクザの親分が撃たれて跡目争いがあったときに姐さんが
口出ししたので「女は黙っとれ」と言った某有名幹部が干されたとかもあったね しかも心臓に発作を抱えてた当時の江夏に
「もしマウンド上で何かあっても全て自己責任、球団は関係ない」と
念書を書かせた上でのお話 >>280
わりと久米もBのマスコミ人と見られてたかも
――
広島カープファン・久米宏が日本一のカギを探る150時間の独占リポート!特番放送
https://tabetainjya.com/archives/carp/post_5961/ 遠井江夏田淵で阪神相撲部屋と呼ばれていたからな
ぶったるんだ環境なのは想像がつく そもそも蔭山が死んで飯田がダメだとしても次が現役選手にやらせるんだ?
当時のプロ野球の空気感として稲尾と村山がなったからうちもと対抗したのか?話題作りのために
OBで有力なやついただろ。引退する気だった杉浦でもいいし
野村が今辞めたら俺が追い出したみたいになるから一年だけ伸ばしたけと >>283
しかし、それは江夏しか言っていないから怪しい。
ピッチャー1人だけではわざと優勝逃すのは無理なわけやし。真実は、球団社長が選手たちの緊張を緩めるために、もし優勝出来なかってもよく頑張ったっと意味で言ったのを江夏が誇張したものだよ >>290
金田監督も了承してるも
金田が八百長したみたいに言ってるからなぁ
当時からスポーツ新聞で金田と江夏は最悪の関係とか面白おかしく言われ続けてたらしいが、あまりにも一方的 >>279
>90年代にテレビに出るようになってからだけど
野村がやってた少年野球チーム「港東ムース」の選手へ
対するクソババァっぷりは吐き気がするレベルだったな >>290
権藤正利が金田監督を殴った事件も、江夏だけしか目立った証言がない
>>291
両者は初めから不仲だったわけではない、と江夏は認めている
「オジキ」「ユタカ」と呼び合う関係だったのが、金田の本人のいない所で貶すやり方が気に食わなかったらしい >>270
杉浦監督の次は、藤原満さんと今まで認識してましたゎ。 >>292
港東ムース出身のGG佐藤は喋らないだけで色々知っていると思うw
まあ選手以上に保護者への口出しがヤバかったという話は聞いたことがある 井端も港東ムース出身だったか
まぁ感謝してますよ的なコメントにいつも終始してるけど あれと同じことを南海でもやってたのは容易に想像できるし
そりゃ反感食らうと思うわ 井端はリトルリーグで対戦したときに
相手監督だったノムさんに見い出されたのであって
ムース出身ではない >>294
同じく初耳 長池はするもんだ
130安打もしながら引退させられたのに結局監督にならずじまい…
この引退「チャイ」って言いたくなるだろうな 藤原って即引退する成績じゃないよな。数字に見えない衰えが顕著だったのだろうか 野村なきあと
1977年の解任の時の南海のサッチーの介入はどこまであったのか
野村は被害者ヅラしてるけど解任やむなしだったのか
死ぬ前にリアルな話として誰か語ってほしいわ
門田とか藤原とか柏原とか >>295
GGは沙知代から殴れたという話していた >>298
いや、その後ムースに引き抜かれて、
僅かな期間だけど在籍はしてたって聞いたことはあるけど 沙知代はマジ基地の鬼だった
そして港東も鬼のような強さだった 在籍していたのは1週間くらいで何かを教わったってことはない
っつってたね サチヨは今でも毒婦扱いだよ
表向き批判されてないだけで 野村に心酔していた江夏も現役引退して何十年か経ったあと、プライベートの時にふと解任騒動の昔話になって「あの時は金しか残らなかった」と返されて一気に冷え切ったという
>>300
江本曰く「飛ぶボールの影響か、藤原の特技であるポテンヒットが成功しなくなったから」らしい
まあ江本の言うことだからね、アテにならんが 藤原はレギュラーだった年でも
三振40以上したシーズンはない
当てるのは非常にうまかった >>306
そういやさんまがテレビ朝日と揉めて出禁になった原因もサッチーだったな 藤原と言えば77年の仙台宮城球場で顎を負傷したのが印象に残る
あれがなければ前期優勝を狙えたかも知れない 誰が仲良い悪いなんて知らないうちに関係修復してることもあるから眉唾だな
散々犬猿の仲と言われてた野村門田も全然そんなことなかったわけだし 野村門田不仲の真相は、門田はもともと気が優しい性格で
一方的に勝っている試合とかになると
「相手ピッチャーが可哀そうや」とか言い出すらしい
それで、野村は門田には散々、厳しいことを言い続けて発破をかけた
野村自身も、門田はずっとカッカしながら野球をやっていたんだろうと思うと後に語っている
すると、門田がトレード志願しているとマスコミに出てしまった
その時、野村は、これには心底、しまったと思ったという まぁ門田は門田で嫁さんにDVしてたって噂あったな
最近全然見ないけど >>311
傍から見て、冗談の一つも言いあわないから
中が悪いのかと思ったら、少なくとも仕事上は
「あいつはこういう事は最低限やってくれる」と意外と互いに信頼がある関係もあれば
良く酒とか飲みに行ってるから、仲がいいのかと思いきや
大事な相談とか全然してなかったとかいう先輩後輩の関係もあるし、
そういうのはいちがいに言えないよな >>314
あれほどの選手なのに全く指導者として声がかからない時点で想像がつく 今こそ「南海ホークスメモリアルギャラリー」に野村克也の記録を
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200216-00000001-friday-base
グラウンドには当時の南海電鉄、吉村茂夫社長の姿もあったが、
ファンからは「よしむらー、お前もダイエーに買うてもらえー!」という声が上がった。
これらの人々もすでに鬼籍に入った。野村克也は8年前に引退し、
当時は解説者だったが「私は西武ライオンズのOBなので」とコメントをしなかった。 >>309
それ以降は、テレ朝系列局でさんまが司会だと
たまに制作協力にテレ朝の関連会社(テレビ朝日クリエイト・テイクシステムズ・テレビ朝日映像など)が入っていても
ABCの制作著作になっている事がほとんどだな。 野村が南海追放された原因は
野村側の意見だとサッチーとの交際ということなんだが
https://www.sanspo.com/baseball/news/20150407/npb15040711000001-n1.html
不倫だけが原因で追放されるとはちょっと考えづらい
何せものすごい成績を残したレジェンドだし、不倫ごときは他の選手も普通にやってるだろう
サッチーが南海球団に相当迷惑をかけたと考えるのが自然だ
「野球を取るか、女を取るか」というのは、頼むからあの女とは切れてくれという最後通告だよな 田岡一雄夫人、オノ・ヨーコ、馬場元子、高谷典子(隆の里夫人)等
出しゃばる女房ってのはトラブルの元だよ
>>321
東尾が梓みちよと不倫していたのは有名だけど
だからと言って何も無かったからね >>323
オノがいなければビートルズはもう少し続いたかもしれんが
ジョンはパッとしないままヘロイン中毒でさらに早死にしていただろうし資産も残らなかったと思う >>321
「不倫が原因」ではなく「不倫相手が現場に土足で上がり込んで選手にまで介入したのが原因」でしょ。
ところで、さっきまでNHKでやってた野村克也特番はみんな見たかい? 司会が坂本九、江本孟紀、稲尾さん、張本勲、若いな! 金田が取りにいかなったら
南海野村で現兄を終えてたんかね
そっちの方が良かったかもな
通算本塁打645本 >>324
ああ見えてジョンは選民的かつ差別的…早逝しなければ何処かで汚点を残しただろう
でも似通った部分が多いな、ノムサッチーとジョンヨーコ ヤクルトユニフォームです葬ってくれと言うのは本人の遺言らしいな 選民的かつ差別的なのは
ポールの方が強いんだけどねぇ >>323
田岡三代目のお嬢様と仕事でお知り合いになったことある
とても落ち着いた女性だった あまり知られていないかもしれないが
南海をクビになった時の野村に一番早く電話してきた選手は門田らしい >>332
92年ヤクルトに目の前で優勝決められた試合で
ハウエルのホームランで試合中にショック死した阪神ファンの遺体を
球場外のパーラーアルプス付近にしばらく放置されてるのを見た時以来の衝撃だわ 花とかで包まれてるのかと思ったら流石にドン引きしたわ >>333
対立エピソードばかり出てくるから不仲みたいに思われるけど週ベの対談で
>「江本(孟紀)、江夏(豊)、門田が南海の3悪人や」と野村さんが言えば、
>「そんなこと言うから、仲が悪いと思われるんですよ」と門田さんが返し、
>「われわれ、仲が悪いと思われてんの?」(野村)
>「ムチャクチャ思われてますよ」(門田)と笑い合うひと幕も。
当人同士はそんなもんかなと 野村の門田エピソードって
ホームランでの有名な王とのやり取り
試合中親父に電話かけて喧嘩してたこと
試合中門田が毎日10本近くサイダーばかりに飲んでたこと
引退直前にヤクルトに誘ったこと
これぐらい? >>336
娘と観戦に来てた警備員の50代の男性で
回りに警察や救急隊員とかおらず完全放置されてたから
単なる酔っぱらいが倒れてると思って平気でその横で友人とキャッチボールしてたわ… >>340
なんでそんな日にそんな場所でキャッチボールなんかやるんだよ。
捏造エピソードってのはもう少し上手くやらんとあかんで。 >>337
真の反野村は三浦・富田・西岡・高橋里・ジョーンズあたりだろうけど、そいつらは(物故者が多いせいもあるが)殆ど取材されていなかったな。
彼らに比べたら今岡や大豊との不仲なんて可愛いレベル。
あと鶴岡時代からのベテラン連中も野村の方針には違和感を持っていたかもしれないな。
杉浦を反野村派に入れるかどうかは微妙だけどな。
杉浦からは絶縁していたかもしれないが野村は常に杉浦を史上最高の投手と絶賛していたからよりを戻したかったかもしれない。
杉浦がもっと長生きしていれぱ広瀬みたいに自然と和解できたのか、どうだろうか? 三浦は黒い霧で処分を受けた立場でシンキングベースボールの方針撤回を迫る造反行為
富田は汚好きでユニフォームを洗わない
西岡は門田江本と共にサッチーの介入を糾弾
高橋はサボろうとしたところを見つかり暴行を受ける
ジョーンズは二日酔いで日本シリーズで緩慢守備連発
西岡以外は嫌われても当然でしょ
高橋もやられたことは同情の余地があるが発端は自分 あの頃の古葉さんとか長嶋さんとか若手に暴行しまくってたじゃん。しかも殴られた本人が自慢話にしてるし。 西岡については「俺がリードしなければ三流投手」と言ってたんだっけか
逆に江川については
「良い時の江川の球だとどんな配球でも打ち取れてしまう
捕手はただのキャッチングマシーンになってしまい捕手の喜びを
感じさせてくれない投手なのだ」と書いていた 結局金田も野村も言い方違うけど
ワシが一番すごいってことを言ってるだけだからな
自己顕示欲の塊だよ >>345
その世代の指導者の行動を、今の価値観でMeToo運動のごとく告発すると、
大半の人物が真っ黒になってしまうな。 >>341
当時の内外野自由席は団体予約以外すべて当日売りで
翌日の最終戦の当日券を求めて徹夜覚悟で並んでたら
試合中に前倒しで内野自由席だけ一部売り出す事になって無事購入。
で、暇になったから友人とキャッチボールで暖を取ってた。
それがショック死した方の遺体の側だった。
翌日の新聞見るまで酔っぱらいが寝てるとしか思ってなくて
本当にすまんかった。
購入時点でわずかに残された阪神優勝の可能性もなくなり長い長い夜だった。 >>345
70年代の監督で選手に手を上げなかったのは野村と広岡ぐらいだろうな。(高橋への制裁は例外中の例外)
吉田や金田も極力鉄拳制裁は避けてる節はあったけど。
知将上田や紳士の別当ですら選手にポカリが当たり前で、長嶋なんか選手から恐怖の対象だった。
逆に西本はイメージほどは殴らなかったらしいが 高橋里志はどれだけの男なんだろうな 江夏ともたしか仲悪かったよね
おそらく能力も見抜いていたのに野村が放り出すんやからね
金やんは自軍の選手には手をあげない 相手選手には足蹴り
西本さんは羽田平手打ちのイメージ強い
ところで西岡三四郎好きやったな 稲尾のようにマウンドマナーよかったし 高橋里志は無断で帰宅しようとしたんだから
殴られても致し方なし、クビになっても当然 ノムは確か小泉恒美という左打者も殴っているな
どういう理由か忘れたが >>348
そりゃあの時代のパリーグの選手だからね
謙遜なんてしていたら注目されないまま終わり
昨今の野村の知名度は本人のセルフプロデュースの成果だよ >>354
弱小だった西武元年、明らかに衰えてきていた野村が松沼兄やんを新人王に導いたからな 高橋里志は、二軍の試合で登板後
チームメイトから労いの言葉をかけられないことに腹を立て
球場をあとにしようとしたら
たまたま二軍を視察しに来ていた野村に見つかって激高され
殴るわ、蹴るわでボコボコにされる
通路で鉢合わせとか、どんだけ運が悪いんだよw 今選手に恐れられる怖い監督なんているのかな
明らかにチームをビリビリさせてたのは星野が最後か
その前なら伊原や怖かったらしい
工藤や栗山や真中や由伸あたりは友達感覚だろ >>352
西本は戦場で陸軍中尉として指揮を執った経験もあると思う…
大毎時代、榎本喜八が同僚を誤ってバットで殴ってしまい、茫然自失になっている所を目を覚まさせるためにバシッとやったようだが、そういう風にムチを使うタイプじゃないか
かなりオッカナイ人だったことは間違いないが、星野やセゲオみたいに感情豊かなタイプでなく何でもかんでもポカポカ殴ったわけでもない 野村ってなぜか西本が大好きだったよね
どっちかというと野村が嫌いな俺についてこいの鶴岡タイプだと思うが
かと言って知的な感じの上田は嫌いみたいだったし
野村が鶴岡を批判してたのは褒められたかったのに
褒めてくれなかった悔しさというかその裏返しだろ 監督解任された年のオフの正月にでかでかと「頑張れ」と一言だけ書いた
年賀状を送ってきてくれたり、現役最終年にオールスターに選出してくれたりしてるからね
野村が唯一「あの人の元で野球をやってみたかった」と言ったお人でもある >>360
阿部が監督になったらそんな感じになりそうだね ノムさんは母子家庭だったから鶴岡親分はまさに父親のような存在だったのに
その親分にたった2回褒められたことを生き甲斐にし死に物狂いの努力をして認められたかったのに
辛かっただろうな三冠王まで取った自分の存在を完全否定された時は もちろんノムさんは西本監督の能力を認め人間的にも好きと公言しているが手厳しい意見も述べている
配下選手の人間教育は疎かだったため教え子で指導者として大成した者はいない日本シリーズで一度も勝てなかったのもそのせいではないかと
ノムさんが唯一無二で心服していた指導者は川上さんただ一人だろうな >>367
日本シリーズの岡村退場事件のとき、乱れたチームの統制に努めなかった姿勢は当時でもマスコミや評論家に批判されていた
川上と西本は同じ大正9年生れだが、容貌も幾らか加味されているとはいえ、川上のほうがドッシリ構えていた
でもノムが他者を評価して己れの株を持ち上げるスタンスは嫌いだ 鶴岡の野球は時代遅れとノムは批判していたが、
違う見方をすればMLB式のモチベーターを重視する監督と考えればかなり優秀ではないかと思う
逆に選手とコミュニケーションをとらず駒を扱うようなタイプの監督は絶滅危惧種だ >>367
>教え子で指導者として大成した者はいない
マニエルがいるよ
西本を「日本の父親」と慕っていた >配下選手の人間教育は疎かだったため
お前が言うなの典型 ベースボールマガジン来月号は南海ホークス特集のもよう 暴力野球やモチベーター監督を否定してる割には
鶴岡型監督の星野をやたら評価して次期監督に推薦したり
よくわからん
チームによってそういう監督の方が合うってことを認めてるようなもんだろ 高橋里志は近鉄時代に仰木(当時コーチ)にもぶん殴られたらしい >>370
マニエルはどちらかといえば広岡の影響を受けてそう
指導する側になって初めて彼の凄さ、正しさが分かったって言ってるし
そういやノムって原にはやたら厳しいけど、実際のところどう思ってたんだろ ヤクルトユニフォーム姿で葬られてるし
一応ホークスと和解したと言っても
野球人としての故郷はもう南海じゃなくてヤクルト
なんだろうな
完全にお客さん扱いだった巨人南海OB戦より
ヤクルトOB戦の方が楽しそうだったし 客観的に見てもヤクルト監督時代が一番幸せそうだしな。
あんなに号泣してくれる教え子がいるのはヤクルトだけだし。
野村は不仲になる前から鶴岡・飯田の軍隊式野球の体質が嫌だったんだろな。
だから監督になるやいなやブレイザーを呼んで鶴岡野球の否定というか上書きに走った。
実際には鶴岡もデータを重視していたし、また八百長に対する毅然とした対応も鶴岡から受け継いだが。
野村の弟子の古葉が広島で鶴岡式野球を引き継いだのは興味深い 94年最終日まで横浜と最下位争いしてたけと
9回裏の逆転サヨナラがなく最下位だったらその時点で辞めさせられてただろうな
それぐらい野村はもうああみたいな雰囲気はあった
球団内部にも ヤクルトレディ様からの苦情が半端なかったからな
そういう意味では松園が言った
「巨人が1位ならウチは2位でいい」は正しいのかも知れない >>380
ヤクルトレディ様からの苦情
どんな苦情だったんですか? >>378
聞いた話だと巨人相手に勝つと巨人ファンがヤクルト不買して売れ行きが悪くなるらしい
でヤクルトおばさんが本社に苦情を言ったとか まあノムさんの鶴岡親分への態度や評価は感情的になりすぎてるので難しいもんがあるね
テレビ番組のインタビューで鶴岡親分について語る時
その時ノムさんはもう70ぐらいなのにナレーターの言うように
親から愛情を注いで貰えなくて拗ねてる子供の表情そのものだった >>325
それさえなかったら野村兼任監督は南海をあんな形で辞めることはなかっただろうな >>379
元スカウト部長の片岡宏雄氏
存命中にコメントしてほしいわ
著書読んだが片岡氏の方が真実と思える でも片岡側にも古田の指名を巡っての記憶の齟齬があるからな
その分野で超一流だけど性格に難ありという点で悪いけど似た者同士だよ >>378
嫌というか鶴岡に可愛がってもらえなかった反動が大きかったのかも
だから真逆のデータ主義により力を入れたんじゃないか
>>386
杉浦「野村とまともにつき合うな。つき合ったら腹が立つだけだぞ。だから何を言われても深く考えないようにしろ」
悩む後輩のためとはいえ、かつての同僚にここまで言われるとは >>376
原に対しては父親(貢)と息子(辰徳)の関係に嫉妬してそうな気がする
父親のいない自分という意味で 江夏もそうだったが野村も強烈な父性を求めていたんだろうよ。
その権化みたいな鶴岡の下で結果を出したらきつく当たられたのでスネてしまった。
で、結果的にその父性を最も持ってたのがサッチーだったと >>391
そういう事だろうな
根底にあるのは親父に褒められたかった
結局はそれだけのこと
なんであんなに憎まれてたのか理解できなかったんだろ 野村は選手としてあれだけの実績を挙げたし、兼任監督になってからは、給料も高くなって
チームを差配できるようになったのだから、「誰かに認めてほしい」なんて思う必要もなかった
のにと感じる。ONに比べれば知名度は低かったかも知れないが、野村が一流選手であることは
誰もが知っていたし、何より自分自身がわかっていたはずだ。
誰にも頼らず孤高に生きてほしかった。 >>376
こんな事を言ってるね
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/30732?page=6
もう一人は、「父のように尊敬していた」という近鉄時代の恩師、故・西本幸雄氏である。
西本氏との出会いをマニエルは、「監督が選手に敬意を払って接する姿に心打たれた」と話している。
そして時を経て、フィリーズの球団関係者は、監督マニエルをこのように評す。
「チャーリーは選手に恥ずかしい思いを絶対にさせない。フィールドでもフィールド外でも、
チームを全力で守ってくれるんだ」
だからメジャーでは選手として実績らしい実績のないマニエルも、選手からの信頼がとても厚い。
以前赤鬼は、自らの監督像を、「日本での経験に裏打ちされたもの」と語っている。そしてこう続けた。
「いまではヒロオカのやり方も少しは理解できるよ。性格は合わないけどね」
「赤鬼」の中には、今も日本が生きているのだ。 >>387
スカウトの目利きなんて大差ないよ。
育成が機能して監督が起用する前提、結局現場次第なんだよ。
それより明らかにスレ違いのヤクルトの話する人間はどっかいったら? 葬式の時はヤクルトのユニフォームを着せてくれと言い残していたなんて
話を聞くと結局最後まで自分を解任した南海を許さなかったんだと思う 南海は出発点だが嫌なこともたくさんあった
阪神は監督を引き受けたのは失敗だった
ヤクルトはいい思い出しかない
・・・ヤクルトユニをチョイスしたのはこういう事らしい 心の拠り所として求めた女性に父性もあったってのは面白い意見だな
カツノリの教育法とか見ると確かに沙知代は男親っぽい >>396
一応和解したとはいえあくまで和解したのはホークスとで南海ホークスとは和解してないという事かな
和解の儀式の巨人南海OB戦でもヨロヨロの野村に対しては観客席から嘲笑失笑が漏れててなんか居心地悪そうだったし一方ヤクルトOB戦では本当に楽しそうな笑顔だった ヤクルト糾球団50周年イベントは野村克也のための物のようだった
呼ばれなかった広岡に「私を誰だと思ってるんですか」と手記で恨み節を書かれる位 >>395
いや大いにあるやろ。阪神の暗黒時代の原因の一つは低レベルの目利きしかないスカウト達が居たからだけど >>400
広岡が野村死去のコメントで嫌味を言うわけだ >>400
「私には招待状すら来なかった」と怒ってたな>広岡
大笑いした まあ、広岡はどうしても西武のイメージだからな。
西武のイベントには呼んでもらえるやろ。反対に西武は野村を呼ばないやろ。 >>400
あれは一種の生前葬みたいなもんだと解釈してる。
だから何を口走るか分からない広岡を呼ぶわけにはいかなかったんだろうと >>405
そもそも松岡とか安田とか大矢とかは呼んだのか? >>398
鶴岡や西本は野村にとっては父性の象徴でもあり
乗り越えなければならない壁みたいなものだったのかもね。 関根は行ける状態じゃないから
それ以外は全員死んだから最古参は広岡か
広岡も足が悪いんだろ >>393
野村の承認欲求の強さは底なしだったんだよ、多分。
そして何より、「野村はわしが育てた凄い選手や」と鶴岡が周りに自慢することを一番欲していたんだと思う。 >>404
無表情でバット振り回して
家の中を ガン!ボカッ!ガツ!ドカッ と破壊するさまが思い浮かんだ >>412
それが
「三冠王?ちゃんちゃらおかしいで!貢献したんはスギだけや!」
では ねじまがるわなあ
孤高つらぬいたんはカドさんだけや >>414
蔭山死んで気持ちが昂ってる時の発言だけど
鶴岡に監督再就任頼みに行ったのも杉浦でも広瀬でもなく野村だろ
野村の何がそんなに気に食わなかってんだろ
まだ当時はムースとか言われてアホキャラで嫌味な感じは全くなかってんだろ
野村も鶴岡さんは野村は俺が育てた自慢の選手やと褒めてても良かったのにコラムに書いてたな >>415
鶴岡にしてみればノコノコ俺に頼みに来やがって、お前も蔭山を見捨てたのかって心境になってしまったのかも
ノムと蔭山が無二の親友であることを承知の上で 出来が悪い子の方が可愛いと言うじゃないか
鶴岡さんはこと親分気質が濃厚な人だからこそ陥りがちなアホで自分に尻尾振って懐いてる選手がむやみやたらに可愛かったのだろう
例えば国貞や広瀬みたいな(広瀬はもちろん天才的な選手だが頭の方はノムさんがセンスだけでやってるというようにお察しの通り)
ノムさんはみんなも御存じのように不器用で照れ性で愛情表現が下手くそな人間だからな
誰よりも鶴岡さんからの父性愛を欲していたが甘えることができなかった
言葉や態度より野球の数字で自分が親分にとって一番愛される男になろうとしていた
だが鶴岡さんにとっては自分がテスト生から拾い上げた路傍の石のような存在であったはずの野村が
どんどん自分の範疇を超えた選手として成長し得体の知れない何かになりつつあるのに焦りを感じたのだろう
鶴岡さんは決して器の小さい人間ではないけどな
南海球団において絶対的な存在である自分を初めて脅かす存在になりうるものを目の当たりにして人間の本能として恐れを抱き始めた
それがノムさんに当たりがきつくなり始めた本当の理由ではないか? 蔭山が死んでなかったら
鶴岡が産経と既に契約していたら
飯田が一年で辞めてなかったら
岡本二軍監督ではなくヘッドコーチから飯田後任の一軍監督に昇格さていたら
わざわざキャッチャーの野村に兼任監督させてなかったら
野村じゃなく杉浦を監督にさせていたら
いろいろ人事面でもしもが多いな
やはりなんでわざわざ野村に負担が大きそうなプレイングマネージャーをさせてたのかよかわからん >>415
野村ひとりで直談判へ行ったわけではなく、複数の幹部選手と共に訪ねた
鶴岡は自責の念から気紛らわしに珍しく深酒をやってベロンベロンに酔っ払っていたところへ…というワケ
そこで一体どういう会話の経緯があって「ちゃんちゃらおかしい」発言が飛び出したのかは不明 広瀬の仲人は引き受けたのに野村前夫人との仲人は
引き受けなかったと聞いた
たしか後援会関係の人の娘さんと聞いたがそのあたりから
何かあったのかと
ところでミナミのあぶさんを最近ニュースで見て思い出したが
堀井ジュニアはまだ店やっているのかな >>418
当時は野村を含めた村山や稲尾、小玉といった昭和フタケタ生れの青年監督がムーブメントだった
またプレーイングマネージャーという役職も目新しいものだった部分もあるし、明るい話題で黒い霧事件を払拭させる狙いもあった >>419
三冠王の僕が慰留に来てるんですよみたいな態度がうっかり出ちゃったのかもな >>424
叱ってはいるが深い愛情がこもってる
鶴岡親分は野村のいいところはと記者に聞かれて
自分を食わせて貰ってる野球という職業に対し感謝を心を忘れていないことと答えた
これこそ野球人としての野村克也という男の本質を全て言い表している
この二人は本当はわかり合えたはずなのだが何のボタンの掛け違えだろうか それだけ蔭山の死は大きかったんだと思う
親分にとっては片腕、そして野村にとっては親友だったわけだし
二人ともお前がカゲをカゲさんを殺したんだって内心思ってたんじゃないかな
野村は最後までカゲさんは自殺したんだって思ってたらしいし
ちなみに親分は一度も野村を飲みや食事に誘ったことが無いそうだ。 1956年のハワイキャンプで正捕手定着への契機になった、と鶴岡、野村の両者は主張している
また野村はブルペン捕手として帯同させたとも
しかし、当時の野球雑誌を読んでいたら、渡航直前におこなわれた若手主体のミニキャンプで、鶴岡は新しい正捕手候補の一人として野村を記者に紹介している記事があった
それも集まった記者に対して、野村の持ち味である打撃を見せるためにわざわざフリーバッティングを命じている
鶴岡が「松井、`島、小辻と競わせる」という主旨のコメントをしているから、早くから目をかけていたことは間違いない 師と慕っていた、認めて貰いたかった人に全存在を否定され
そして無二の親友にして理解者を同時に失ったんだから、どんな聖人でも歪まないわけないよな >>415
>何が気に入らなかったのだろ?
ノムって日シリではそんなに打ててなかったんじゃないか?
で、俺がテスト生から抜擢してやったのに4番打者が何で打てんのだ!みたいに不満が溜まっていたetc.
宅和も55年日シリで打ち込まれて巨人に逆転制覇されて以降干され始めたみたいだし >>388
人を嫌うのに理由は要らないとは言うが、大の仲良しだった杉浦が野村を嫌いだしたのはいつからで、何が原因なんだろか。
どうもよく言われるサッチーや野村の鶴岡批判がメインではない気がするんだよな。
杉浦だって隠し子や亭主関白や現役後半に引退撤回を何度もやったりと全く粗が無い訳じゃないんだし。
あくまで勝手な推察だが、野村に対する「嫉妬」が原因じゃないかと思う。
杉浦は野村とは60年代半ばまでは同格の大スターだったが、その後は通算成績も知名度も解説者としての人気も大差を付けられた。
杉浦は低迷していたホークスをよくまとめて健闘はしたが、それでも野村ID野球の業績には圧倒的に及ばなかった。
これでは「面白くない」「あいつと顔を合わせたくない」とかなっても不思議じゃないよなあ 江本孟紀氏 恩師ノムさんと自身の共通点明かし、爆笑さらう
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200218-00000193-spnannex-base
番組では生前の野村氏が「私はイチローが好きではない。
彼の仕草や態度、物言いを見たりしていると、オレは人とは違うんだ、
特別なんだと思っているように感じられるからだ」と話していたことを取り上げ
「ただし、イチローを天才と呼ぶことには同意するしかない。
速球を待っていて変化球が来ても体がとっさに反応して打てるからだ」と
その技術については認めていたことも付け加えた。 >>428
それを勝手に否定されたと思い込むような所謂
「面倒臭い人間」がチームの主軸にいる時点で
鶴岡云々に関係なく遅かれ早かれ何かしらの問題は起きるよな
清濁併呑む、ってのは難しい事だがそれにしてもそれが出来なさすぎるのも問題 野村は鶴岡よりも
あの取り巻き連中が嫌だったんじゃないの? 杉浦も広瀬も鶴岡から褒められたことがないらしい
でも親分のように慕ってる
結局野村側の僻み根性が大きいわな
ミスターと川上も80年代ずっと不仲だったがいつのまにか解消されてた 鶴岡も野村の繊細な面に気付くのが遅過ぎたと、何かの文章で書いていたらしいが。 杉浦の場合は野村が監督に就任した矢先に引退を申し出たことがしこりになってるって説もあるね
お前も俺を裏切るのかと 杉浦は1969年限りで今度こそ引退しようとしていたが、
兼任監督に就任したばかりの野村から「今お前に辞められたら変なウワサが立つから辞めるな」と引き留められたらしい 杉浦は65年以降はリリーフがメインになったが当時の中継ぎ・抑え専任投手は非常に地位が低かったから屈辱だったろうな。
杉浦の跡を受け継いだのが佐藤ミチ >>435
スラムダンクの陵南の福田だっけ
アイツを思い出した
ぽけーっとした顔してるから図太い奴だと思い叱られ役にしたら
思ったりより繊細な男で遂に不満が爆発して監督を殴った奴
実は仙道の方が叱られ役に適してた
鶴岡親分も見た目で判断しちゃったのかな?
ノムさんと訣別したことを鶴岡親分も後年はかなり気に病んでみたいだね
南海OBの集いかなんかでまずないだろうが万が一野村が挨拶に来たらワシはどういう顔をしたらいいんだとこぼしてたとか
最晩年は阪神の監督で苦闘するノムさんのことを心配もしていたらしい 結局1977年の解任は客観的に見てやってることが酷すぎたので
解任されて当然の話なの?
野村はまるで被害者のように振る舞ってたが 野球をとるか、オンナをとるかってのも
おかしな聞き方だな
どっちをとろうが、サッチーの現場介入はNGであることには変わりないんだから
まあ、球団はサッチーとの縁を切ることを要求したんだろうが >>437
その野村とのエピソードはいつみても波瀾万丈で、杉浦が出演した時に自ら語っていたな。
あの番組はノムさんや大沢・豊田泰光など日テレとの縁が少ない人も割と出ていた。 >>440
野村に非があるのは当然だが南海のトラブルシューティングにも問題があった。
せっかく遺された野村の各種データがまるで活かされなくなり(さすがに破棄はされなかっただろうが更新されなければ価値がだだ下がりになる)
天才肌の広瀬による根性野球で戦力も集客もドン底に落ちた。
野村は何かと親会社からカネを引き出していたが解任以後は急激に渋られるようになり現場が荒廃してドラフトもさらに不利になった サッチーの現場介入を止めさせることに留まらず
交際まで断つことを要求したから自分は被害者だと言っているのでは
まあ、再三、警告はしていただろうが
聞かなかっただけなんだろうけどね >>440
今表に出てる事を考えれば仕方ない
沙知代がやり過ぎた ヤクルトOB戦の放送席、実況がタブチくんの息子で登板終えたヤスダくんと貴重?な画が見られた サチヨは采配に口を出したほか
前夫との間に生まれたダンやらケニーやらを連れてきて
現場にいる南海コーチに指導させたりしたんだろ
チームのムードだって悪くなりますわ ダンとケニーの件はプロアマ規定に引っかかる恐れもあったのに、サッチーはそれすらも
知らなかったのか? 引っかかるアマチュア組織のチームに所属してないからな 実の息子と実弟に憎しみの念を込めた暴露本を書かれるとは
今となっては「グッバイマミー」と「姉野村沙知代」はプレミア物だね そういやノムが自分の著書に必ずって言う程書いてる
年始の挨拶で鶴岡の自宅に行ったら自分だけ門前払い喰ったってのはどうなんだろ ノムさんも実兄と沙知代が死ぬ最近までずっと絶縁状態だったんだよな
ノムさんに野球を続けさせるため自分の大学進学を諦めて働いてくれた大恩人というべきお兄さん
沙知代はノムさんにとってかけがえなのない伴侶だったとはいえ
どんだけ自分の人生に犠牲を払ったのか 結局、沙知代の言うことには終始逆らえなかったということになるのかな
沙知代の意見は全部正当化、それに逆らうものはノムさん自身も縁を切ってしまう
沙知代教にどっぷりとハマってしまた人生に見える 野村さんは「考える野球」を実践できるくらい頭脳的な人なのに、沙知代夫人に何を
教えてもらい、何を頼る必要があるのかわからない。
ブレイザーのような一流のコーチを招聘し、選手の特徴を見抜く目も持っていたのに、
夫人に采配にまで介入させるというのは、理知と愚鈍が交錯するオウム信者のような
精神状態に見える。
一般のファンからすると、あの夫人の何がよかったのかさっぱりわからない。 >>455
解任前の南海の内部で一体何が起こってたのか
江夏、柏原、門田、江本、広瀬、新井、山内とか存命なうちに聞いてほしい
歴史的な出来事だろ
あと48年の南海のエースは山内新一だと思うが
なぜか江本がエース扱いされてるのがおかしい やっぱりジョン・レノンに似てるなあ
外野から見ると「あの女の何がそんなに良いのか」って感じが >>457
前年の実績がある江本に対してぱっと出であれよあれよと20勝した山内の違いでしょ 野村克也さんが亡くなったことについて、京都市西京区に住む兄の野村嘉明さん(87)は
「『救急車で運ばれた』という連絡がきょう午前2時すぎにあり、『亡くなった』と午前3時半ごろ
に聞きました。残念としか言いようがありません」と話しました。
克也さんの子どもの頃について「小学生のころから野球のセンスが抜群でした。おふくろに
『私が就職する代わりに、弟には高校くらい卒業させてほしい』と懇願し高校に通わせました。
よく頑張っていたと思います」と振り返りました。そのうえで「おふくろを支えるために2人で
頑張ってきました。弟が成功してくれたおかげで楽になったので、いい弟だったと思います。
『安らかに眠ってください』と言いたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200211/k10012280931000.html >>342
こっちは高橋里志のプロ入り時はまだ生まれてないんで引退後にカープ情報誌の連載で名前知った程度だが
南海出た後のエピソード追ってくと
本人の気性も相当な感じ、江夏との確執とか。
まぁ江夏ほどに活躍出来たわけじゃないけど広島行った後は先発に定着しタイトルも2度輝いたからノムに放出されたのは結果オーライじゃね?
ノムの弁だと自分の指揮に従えず
やむを得ず他球団に引き取ってもらった選手の大半は2〜3年で球界からもいなくなったことになってるから… 高橋里志は南海をクビになった後
1年の浪人期間を経て、広島からバッティングピッチャーとして声がかかった
かつて南海のコーチをしていた古葉が
高橋のコントロールの良さに目をつけていたのだろう
ところが、思ったより良い球を投げるので
やがて選手登録をされ、主力ピッチャーとして活躍する
しかし、ここでまた問題を起こす
投手交代されたことを不服として
ベンチ裏の鏡を割ってしまうなどの大暴れ
制裁などはなく、鏡の弁償だけで済むが
オフにトレードされる サッチーは擁護が困難なレベルの悪女で野村の挽回不能な汚点だとは思うけど
ただサッチーの存在により野村が完全無欠のスーパースターではなくなり人間味が出たとも言えるかもしれない。
家庭を含めて何もかもが完璧な人間だったらどんな正論を吐いてもここまで人気が出なかったかもな 話は変わるけど野村と鶴岡の仲が決定的に拗れたのは蔭山コーチの自殺同然の急死かららしいけどもし
蔭山コーチが急死しなかったらどうなったんだろうね 正妻と愛人という決定的な違いはあるが、
グランドに口出ししたのはヤクルト時代でも同じだが
選手も在京マスコミもなぜか南海時代には触れずサチヨを面白がっていたな
南海時代は杉浦や広瀬小池など野村の同僚が居て
さらに門田や西岡などの当時の若手も意見を言ったので
追放劇となった。
鶴岡さんも野村が若手の時から厳しすぎてああいうことになったんだろう
広瀬らと正月挨拶に行き、家に自分だけあげてもらえなかったというのはひどいな >>467
シチューションとしては新婚の野村(サッチーじゃない方ね)が奥さんを連れて
鶴岡の自宅に年始の挨拶に行ったら、すでに宴会の物音がしてる中
鶴岡本人がわざわざ出てきて、今年もよろしくな、じゃあなと
ウチに上がれよも無しにそのまま引っ込んだってことらしい。
好意的に解釈すれば新婚でしかも下戸の野村を酒宴に誘うのは悪いと
鶴岡が気を利かせたのかもしれない、監督の自分が誘うと断れないだろうしね
その件を聞いて真っ先に野村を慰めたのが蔭山 サッチーとの出会いがなけりゃノムさんは南海の非の打ち所のないスーパーレジェンとして名を残したか
だが全国知名度的には監督としても成功したと仮定したカープ山本浩二ドラゴンズ高木守道クラスだったかな
ノムさんがあのまま南海の監督を続け専任になってたとしても果たして日本一パリーグ制覇も可能だったかどうか
失うものも多くどっちが本当に幸せだったかは本人にしかわからんが
ノムさん自身は自分のあの生涯に悔いはないだろう 野村がどうしたにせよ南海って会社が傾いてくのは変わらないんだから
レジェンドが親会社の不振によって不本意にも戦えなくなるという
パターンに陥らなかったのはある意味幸せだったかもしれんな 身売りの時は親会社が不振でもなかった
すでになんばcityも軌道に乗り上向いていた
バブルの絶頂なので大阪球場自体が土地としては
経済的に注目されていた
ただ球団経営は赤字なので売ったということだろう
運輸大臣が値上げを認めにくいし >>456
南海のユニフォーム着たノムが単独で
週べの表紙になるのって昭和52年以来かね >>456
スゲー
こんな扱いON以外で野村ぐらいやろ 星野のときも大特集だったかな? ノムが早くに他球団で監督復帰して
香川が南海でなくそっち入団してたらどんな結果になったかな ネチネチ言われて更にダメな結果になりそう
今岡と同じく試合には出すが、全てに於いてボヤきの対象となるパターン >>471
鉄道の方で脱線事故を起こしてしまい、大手でありながらまだATS未整備区間があって、当時の運輸大臣から「鉄道事業を疎かにして野球なんかやっているとはけしからん」と怒られたのも一因 三大事故で中曽根にゴルァされて、川勝が就任
その川勝は難波の開発(なんばCITYなど)に傾注するほか
ホークスは絶対に売らないとの方針。
阪急の小林、近鉄の佐伯と共に中央への反骨精神が強かったから
運輸省からゴルァされた位で怯んで球団手放してたまるか、
という意地もあったのかな。 広瀬にマッシー村上を代打に送った件
どういう意図があるんだ
広瀬はだいぶん前に辞めるつもりだったが
代打がいないからと野村に請願されて何度も引き止められたらしいけど 阪急の小林は大分前に死んでいるからそこと一緒に語るのはおかしいだろ。あんたが言う小林とは一三ではなく公平のことか? 村上雅則 打数0388 安打089 打率.229 本08 打点036 南海を解任されて以降も野村との関係が比較的良好だった南海OBって、皆川くらい? 佐藤とも良好だったんじゃないか、後々稲尾にコーチとして斡旋したわけだし
修復されたのも入れていいなら広瀬も 大沢は野村の批判を鶴岡さん死んだときにしていたけど
現役時代は選手仲間に嫌われていたと聞いた
大沢を殴る会というのがあり、国貞や杉浦もはいっていたらしい
日ハムの監督になったときに「ニセ親分」「自称親分」とか
かつての同僚たちは笑っていたらしい 南海は70年代からなんば駅大改良に高野線の三日市橋本間をほとんど新線に切り換える複線化を自己資金でやってて金なかったんだよな
泉北高速も本来は南海泉北線になるはずが作れなくて後に莫大な資金を投じて買い戻すこととなる
そういや平野線も手放してしまったな
今はメトロの谷町線になって御堂筋線に次ぐ黒字路線だし 野村もテレビであの人は嫌いみたいなこと大沢に対して言ってたけど、
表面上の話でそこまで関係悪いわけではないって話もあったり実際はどうなんだろうね
柏原、江夏みたいな野村派引き受けたりはしてるけど お互いのコメント見る限り、性格、人格面では貶し合ってるけど
野球観や采配手腕に関しては認め合ってる感じ 今までのいきさつはともかく鶴岡親分の葬儀には参列しなきゃダメだったよなノムさん
もう亡くなられたんだから怨みは一旦水に流して入団とテスト生から抜擢された恩義はあるんだから
そこの筋は通さなきゃならんかったと思うわ
そりゃ大沢親分も杉浦さんも怒るわ 大沢も杉浦も
同窓会になるのを楽しみにしていたんだよ >>469
サッチーが表に出て来る前からノムさんのクール解説とかでお茶の間には馴染んでいたし
CMにも結構起用はされてるんだよね 野村は清原や桑田ほど実績を残した選手がコーチの口もないのは人格に問題があるから
ちゃんと人間教育を受けてなかったからと口酸っぱく言っているが
これはもちろん疑いもない事実ではあるわけだが
本人もヤクルト桑原社長が好奇心をおこさなければそうなっていたという事実を見逃す和氣にはいかない >>489
サッチーの圧力もあるけど間違いなくマスコミが騒ぐから避けたのだろう。
代わりにこっそり鶴岡宅に行って息子に挨拶したと聞いた >>492
大選手なのに指導者経験なし
榎本喜八、張本、平松
逆にそこそこの選手なのにずっとコーチをやっているのが
森山良二、真喜志、カツノリ コーチとして無能なのにコーチ歴が長い人
山村善則、高柳秀樹、杉本正 >>493
そういう事だな
稲垣や草薙がジャニーさんの葬式に行かないや
談志が小さんの葬式に行かないのと同じ
無意味に面白おかしくマスコミが騒ぐのを避ける意味もあった
鶴岡の取り巻きがまだまだ存命だったし >>483-484
岡本も皆川と共に、野村とは比較的良好な方だったという話が以前出ていた。
>>497
大沢や杉浦のように出て欲しかったという人もいる一方で、
出る意思を示すと今更どの面下げて…という人もいたかもしれないな。 ノムさん兄、家計支え弟に野球の道 貧乏経験「苦労がアイデア生んだ」と回想、
古里に納骨へ
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/165193 >>471
今の南海電鉄の決算見ると、読売新聞社より、よっぽど儲けてるんだよな。
「読売HD 平均純利益110億」 「南海電鉄 平均純利益180億」
子供のころ野村克也と村山実が区別つかなかった。 儲けは大きいが出る分も大きいのが鉄道会社の特徴
泉北高速を大阪府から買い取るため巨額投資したし次はなにわ筋線建設のため200億も出費しなければならない
高野線の50年以上走らせた骨董品ステンレス車もせっせと置き換えねばならん
近年は災害で橋が陥没したり山崩れなり駅が炎上したりで復旧資金もかなり費やしたからな
今回のコロナで南海大丈夫かと本気で心配してる それは虎の私鉄もおなじじゃないのか?阪急や阪神も通る道だ 野村は監督になって人間が変わったてよく言われるよね
サッチーの前から何かが変わったんだろ 野村は鶴岡から帝王学を受け継いでいる。皮肉な話だが・・ ノム兄に関しては何かのインタビューか著書でもう亡くなったみたいな書かれ方を見た記憶あったから、存命だったのには驚いたな >>503
根暗なイメージだけど、ああ見えて若手の兄貴分だった
それが監督になったらネチネチと細かいことを言うようになった >>485
そこで笑ってた連中はそこからかなり差をつけられてしまったよなぁ…
その後、大沢はかなり羽振りがいい生活を送っていたし 大沢は選手の時に六大学エリート風を吹かせて
高卒組にパシリさせて怒りを買っていた
キャンプや遠征で国貞にパンツを洗わせていたのは有名
南海で大沢の良い話は全く聞かない
長嶋や杉浦を入れるための入団だったのにと
杉浦さんも怒っていた 南海ファンは親分とは認めていない
水戸黄門のたまにでてくるニセ黄門や
芦屋雁の助演じるニセの八尾の朝吉のようだ >>509
クサは現役当時からエースの立場でありながらリリーフ登板しないことを叩かれていた
被本塁打が多かったのは勝負への美学を貫いたから、と言えば聞こえは良いが、自他ともに認めるマスターベーション投球と評していた
にしても、サチヨへのコメントは気持ち悪い >>511
金村にもボロカスにかかれてるね
なぜかローテーション無視して阪急や西武戦を避けて勝てそうな南海戦にやたら登板してたとか >>509
下はともかく上は今更だし
その中に本当に嫌ってる奴はいるか?というメンバーだったぞ >>504
晩年になって俺が選手をめったに誉めないのは鶴岡さんの影響とか
結局のところ自分にとって師匠と呼べる存在は鶴岡さんしかいなかったと述懐するようになったね
ノムさんの野球哲学が鶴岡野球の否定から始まってるけどベースになるものは鶴岡さんと認めるようになっていた カネの話になってしまうが相続の件で克則夫妻は陽一氏(前妻息子)とも接触してるのかな?
気配り抜群なあの夫妻なら上手くやれそうな気がするが。
克則には現場を続けていずれは監督も目指して欲しい。
第二の上田利治(選手実績が乏しい大監督)になって欲しい >>500
その分、南海には有利子負債があるだろ。
讀賣新聞は無借金経営に近い。 青田が入団時の柏原を酷評した話もよく書いていたね
ただ青田は長池を阪急の四番に育てた実績があるし
柏原はドラフト8位だったんだから
むしろその位の才能としか思われなかった選手を
ファイターズの四番にまで開花させた野村が凄いのでは >>516
ロッテのコーチに、その後東北放送の解説者を長く務めた土屋弘光がいるな。
中日の投手が星野仙一、捕手が木俣達彦、ロッテの打者が得津高宏、山崎裕之… 野村と門田の対談ってどんなことが書かれたの?
例の王とのやり取り以外にある? >>518
南海も大阪球場の完成前に甲子園を使っていたらしいが。 >>525
話の流れ的に南海退団後の話じゃね
西武引退後の評論家時代は理論派データ重視解説を売りにしてたけど
まだ胡散臭い目で見る人が多かったのも確か 桑田はなんでだろうな
本人はやる気ありそうだし現に横浜の監督候補だった
巨人に借金あるから他球団のオファーを受けるのは無理なのか?
ナベツネが生きてる限り 江本孟紀「俺に火を付けた野村監督の一言、沙知代さんとの確執と和解」
>その間、昨年12月に亡くなった野村沙知代さんが現場に口を出すようになったこともあり、
>チームがギクシャクしていました。それで、監督に直談判したこともあります。
>それも今では良い思い出ですね。
https://dot.asahi.com/dot/2018050100005.html?page=3
これはサッチーが亡くなった後の回想だから大分気を使って振り返ってるけど
実際には南海時代のエモやんとサッチーは相当ぶつかってたんだろうな
トレードに出されたのも、それが遠因だろうか 桑田は借金だけじゃなくてクズエピソードありすぎてどこの球団でも無理だろう
登板日漏洩なんて氷山の一角
体罰否定の指導論で素人あいてに人気取りしてるが球界関係者は誰も相手にしてない
立浪にも同じことが言えるな
中日のあれだけの功労者がいまだ何のポストも与えられてない
そういやコイツもPLか PL出身で指導者として実績残した選手って
存在する? 桑田は立浪を除くPLの後輩からかなり恨まれてるだろうな。 >>524
甲子園の照明完成前は阪神が大阪球場を使った時もある >>523
「あなたに3悪言われたおかげでこっちはユニホーム着る仕事無くなったわ(笑)」 尾花はあまりPL色がないな
甲子園常連校だった割には
確かにあまり名指導者を生み出してない気はする。 >>535
>>536
二人とも確かにPL色が薄いね
尾花は甲子園にも行けなかったからだろうけど
新井は甲子園で大活躍してるのにな 金森と吉村もコーチとしてはそこそこ頑張ってるかな
宮本慎也が監督になればPL出身者としては初かも 選手として抜群の実績を残してどこからも指導者としての声かけのなかった一番の大物って張本?
金やんやクサでも監督になってるし スタルヒンは若くして亡くならなかったら
藤本定義の下で阪神の投手コーチとかしたかもね >>544
山内監督が辞めた時だろうか。だとしたら韓国プロ野球の立ち上げに
関わっていたからかもしれないね。でもそれ以降はオファー無し・・・ >>542
門田の場合、引退してずっと健康状態が思わしくないって言うのがネックになってそうだな >>546
それと南海ホークスが無いのも影響してるんじゃないかな >>516
こういう映像が残ってる事を考えると大阪球場の最後のシリーズ映像とかもあるんじゃないかと期待する 野村ですら引退後10年もどこからも声がかからなかったわけだからな
サッチー云々があったにせよ
ヤクルトがもしミスターが監督受諾してたら野村のその後はなかったと思うわ
金やんの後にロッテあたりからもしかしたらオファーがあったかも知れんが >>540
榎本喜八もじゃね
本人はコーチやりたかったのに声がかからなかった
現役時代が変人すぎたからだろうけど
指導者として声がかからないと言えば
平松や立浪は893とのディープな付き合いの噂があるね 門田は職人肌に見えて天才的な部分もあるから性格的に指導者には向かないだろう
同じく天才肌の木塚忠助は東京オリオンズ時代にコーチをやっているが、その指導は「オレのノックを受けたければもっと上手くなってからだ」という非常に気難しいものだった >>545
八木沢が解任された時も依頼はされてたみたい。
既に韓国球界の重鎮だったから特定チームの監督になるのは難しかったけど >>554
あのときは早々に広岡GM就任がマスコミに漏れてたぞ 高木守道が第一回目の中日監督の時、広岡に「誰かいい打撃コーチいますか?」聞いたら張本を推薦され、臨時コーチを務めた 野村の現役時代のカラー映像&バックスクリーンからの映像(対江川 1980)見たが
44歳とは思えない迫力と動きだった。イチロー44歳はもっと衰えてスイングも迫力なかったイメージ。
打席では超リラックスの構えながら投手のボールが指から離れるとバットが一直線に出てくる感じ
基(大洋))のゴージャス・バージョンといった感じ。
こんな「すげー打者」と知ってれば「フン!偉そうに昔のレベルが低い時代に打てたとういうだけでしょ・・」という
俺の態度もなかった。
「江川の球なんて速くない。俺には打ちごろ(野村)」「なんで野茂なんて打てないんだ?球遅いじゃん(落合)」
野村&落合はやはり天才、天上人。彼らの指導に応える選手はそれなりの力量が必要だと感じた。 ノムさん落合も昔の方がレベルが高かったというわけだしな
この二人は現代野球に対応し指導者として成功したわけだからハリーや金ヤンのような老害でないから説得力ある
ノムさんによれば松坂やマーですら稲尾には遠く及ばない ?
野村は、稲尾はコントロール抜群だったけど、球威は大したことなかった
って言ってるけどな 野村自身は何故か打者としての自分の功績を強調しない。
配球が読めないと打てないヘボ打者みたいな言い方をしている。
650本もホームランを打った選手が、こと打撃に関して
その技術論みたいなものを語らず残さなかったのは残念。 稲尾のストレートは今のスピードガンで言えば145ぐらいだと言ってたね
でも物凄く回転が効いてて伸びがあるから球速以上に振り遅れる
上原のストレートに近いんじゃないか
そしてスライダーはピカっと光ってスッと消えると評される抜群のキレ
そこにこれこそ稲尾自身が一番の持ち球と自信を持っていたシュートがあるんでしょ
どれだけ凄いピッチャーだったんだろう
あのノムさんが数多く対戦した名投手たちの中でが最高の投手と評価したのが稲尾だからね
ちなみにノムさんが受けた投手で最高は杉浦さん >>558
んなわけねーだろ
50年代なんか日米野球に物見遊山で来てるメジャーリーガーに手も足も出なかったのに 稲尾の時はそもそも3、4番以外のバッターのレベルが低すぎる
チーム平均2割3分ぐらいだろ
どこも だな。とにかく全体のバッターのレベルが低かったから
いい投手なら力を抜いて投げても抑えられたしとんでもない成績を残す事が出来た >>522
土屋弘光プロ入りは明大→中日だったのよな
ルーキーイヤーのキャンプで頭部死球選手生命終了でそのまま球団スタッフスカウトコーチを経てロッテ入り
その後中利夫に請われて中日ヘッドコーチで復帰
西岡三四郎は実績から中日では期待されていたが全くダメで翌年ヤクルトで引退
寺田長谷川堀込小泉西岡etc.
南海から中日へ来たら皆ハズレ
何故なのか? >>558
カネやんはめちゃくちゃ思考が先進的だし、自画自賛する事はあっても現役選手を貶す事はやらなかった ノムさんも結局黒い霧事件を墓場まで持って行ってしまった
果たしてどこまで真相を掴んでいたのかは不明だが
長谷川繁男の死亡記事は今見ても不気味で怖い ノムさんのロッテ時代の話によればカネやんが現場にいるのはほぼ試合の間だけだったと言う話だけどな
ほとんどの時間がゴルフ三昧だったとか 野村がカツノリを球場で遊ばせていたのは批判の的だったが
王が美空ひばりや平尾昌晃の息子を球場や監督室に入れてあげていたのは
ファンサービスの一環として捉えられていた
何をやったかではなく誰がやったかという側面も大きかったと思う
球団内に反抗勢力がいたのなら尚更だ 敗戦後のバスの中で兼任選手である自分は棚に上げグチグチ選手批判をしていたいうのは広瀬さんの談かな
そこは兼任監督の辛い所だよな
監督も打てなかったじゃんってそりゃ選手も思うわな
現役へのこだわりそして自分がまだまだ主力級の戦力として計算できるという事情はあったにせよ
もう少し早く専任に移行する思考転換が必要だったかもな >>567
カネやんは現役時代も
ライバルを貶めたり姑息に陥れたりする様な事はしなかった
国鉄時代に権藤博の酷使を心配して
本人に忠告したり
張本や森 ノムとはその辺りが違う 西岡は中日のあとヤクルトで
巨人戦だったと思うが完璧なピッチングをしていた試合が
放送されていた
放出しないでほしい投手だった 監督になってから村山と江夏の関係もおかしくなったし
野村に監督やらせずに岡本監督で良かった
現役バリバリの野村に監督やらせたのが全ての不幸の始まり
今なら坂本に兼任監督やさらせるようなもんだろ >>571
野村本人も言っていたな。自分自身に送りバントを命じたが
バントが下手で上手く行かないので強打に切り替えゲッツー。
監督としての立場上、謝って済ますわけにもいかず
内心とても恥ずかしかったって。 >>561
野村が最高の投手と評したのは池永だよ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200213-02120084-sph-base
「監督、今までいろんな投手と対決したり、キャッチャーで球を受けたと思いますが、誰が一番でした?」と聞いたことがある。
あまりに直球過ぎる質問だったが迷うことなく「池永(正明)だ」と言い切った。 >>529
桑田は岩田健太郎のようなもんだ。
知識があっても現場で鬱陶しがられる存在 >>571
監督になって野村は変わったとよく言われるが、逆に広瀬は変わらな過ぎた
兼任監督になった野村に対して「今日は2打席だけでいい」「この場面で出番をくれ」と
同僚時代の感覚のままで接し続けたことで、采配に口出ししていると野村に判断されてしまった そらね 同期が上司になればお互いやりにくい
だから会社でも子会社に行かされたりヤクザなら舎弟に下がるわけ
野村も含めて打てなかった時 ヤジ将軍の大塚が
高給取りでも打てないんやからみんな気楽に行こう と
なごませたことがあった >>576
左では金田、右では稲尾と言い切ってる著書もあるのに、
別のところではあっさり別人を持ってくるあたりが、ノムのいい加減なとこ。
杉浦が「野村とまともにつきあうな」というのもわからんでもない。 西鉄の中西は兼任監督になってからは、あまり試合に出たくなかったらしい。
豊田が中西監督にスタメン出場を促したり、チャンスの場面で代打で出るように進言したが、
中西監督は消極的だった。
監督の自分が出て、凡打に終わると選手に示しがつかないという恐れがあったらしい。
野村監督は主軸打者で出場していたから、打てなかったときの精神的な重圧は大変なもの
だっただろうなと思う。 >>581
当時を知る人の回想だと「生涯打率が三割切るのを恐れてるんだろう」
とか周りは思ってたらしいが
そっちの面が強いか ノムさんがよく言ってた鶴岡親分に言われた言葉で
「何が三冠王だ!何がホームラン王だ!ちゃんちゃらおかしいわ!本当に南海に貢献したのは杉浦だけや!」
ってのがあるけど、本当かどうかはわからんが、本当なら酷い発言だとは思うが親分の気持ちも分からんでもない
野村ってシーズンでも二流投手からバカスカ打つだけで一流投手からは打てなかったし、日本シリーズでも殆ど目立った活躍が出来なかった
オールスターだって安打こそ歴代最多だけどあれだけ出場してて本塁打は数本 >>561
ttps://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/digibook/hakata/077/HTML5/sd.html#/page/11
上の記事に載ってる話みたいに多くの人は稲尾の一番の決め玉はスライダーと現役時代騙されてたが
ノムさんだけシュートと気づいて本人に言ってた話みたな 野村が鶴岡に疎まれてたのはキャッチングかな。
ワンバウンドを逃げるとか。 >>586
選手としてのピークがずれてるって事もあるだろうけど
村田や東尾はあまり得意では無かったのかな、この表見ると。
鈴木や小山から6本も打ってる年もあるが
二人ともこの年は20勝で別に不振ってわけでもないな。 >>580
池永の人間性はどうのこうの滅茶苦茶に貶したり
落合も野村と同じで、自分の言葉には自信たっぷりの割に内容がコロコロ変わる 杉浦の4連投で悲願の日本シリーズ優勝を成し遂げたんだから
親分は杉浦にだけは特別な感情を持っててもおかしくないんだよな >>590
単に大卒好き、高卒を下に見てる
それだけじゃないの?
蔭山は大卒だが高卒の広瀬にも当たりが厳しかったみたいだし 野村はその逆パターン
大卒の選手にはやたら厳しかった気がする アンチノムっていうのは
話の一部分だけをとって、それにつけこもうとしているだけで
理解力に乏しいんだと思う
以前、アンチが野村は変化球は麻薬だと言ってたのに
高津に変化球を覚えさせたのは矛盾しているって指摘していたが
野村は変化球を覚えると本格派は生きなくなってしまうと言ってるだけで
技巧派に変化球を覚えさせるのは何の問題もない
あまりのアンチの理解力のなさに笑った >>594
鶴岡が後年野村に厳しくしすぎたと後悔していたと
いう話が流れてるが同じ失敗(褒めたら伸びるタイプの今岡を厳しく指導して腐らせた)やってるのがなんとも言えん 親から虐待を受けた子供は親を怨み自分に子供が出来たらそのようなことは絶対にしないと心に誓うんだが
実際は過ちは繰り返されるものであるらしい
野村は反面教師として捉えた鶴岡野球の遺伝子をいつのまにか受け継いでしまっていた >>596
毒と薬は表裏一体、紙一重だな。
それは野村という人自身にも言えるだろうな。 >>596
野村の嘘スレの連中が世間の流れに逆らってむきになって野村を叩き続けているのは
ある意味微笑ましさみたいなのを感じる 本人が毀誉褒貶が激しいから批判を受けるのは仕方のないこととはいえ、
現役時代の成績を「記録員に金握らせて改竄してもらったに違いない」ってレスに
賛同がちらほらついてたのは流石に言葉が出なかった >>589
人間性の問題について触れつつ、池永の投球をみて勉強させられたみたいなのを
同じ文章で書いてたことあるから同じ事を話すときに
発言を途中でやめてたりしたから矛盾してるように見えるんじゃないかな。 >>601
監督として毀誉褒貶があるのは仕方ない
本人も満足のいく監督生活ができたのは
ヤクルト時代だけで阪神時代は大失敗で楽天も
満足のいくものではなかったと認めてる
しかし選手としての野村にまでケチつけるとは ヤクルト時代も確かに立派な成績だが首位と4位を繰り返してるからな youtube.com/watch?v=pYa2MV9A4hs
>>569
キャンプの間もテレビ取材のある時だけ球場に居たのかな?
あのカネやんがおべんちゃらとは言えここまでノムさんの事を褒めてたとは驚き 二冠王で減俸と言うのが凄いな
当時はホントにシブチンだったんだね
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200223-00698574-fullcount-base
一つは年俸の問題。前年、野村は3年連続の二冠王に輝きながら、年俸を下げられている。打率が.262(21位)と下落し、監督の鶴岡一人に「本塁打、打点がええのは当たり前や、打率があかん」と言われていた。 >>597
今岡は何をしてもケチをつけられた感じ
あそこまで言われるなら干されたほうがマシだった >>607
今岡に関しては完全に失敗したと言わざるを得ないよな
才能がある選手だからこそ厳しくしたんだろうけど >>597
新庄はうまく扱ってたのにね
性格的な相性かな 今岡はイメージと違って干されてはいないからな。
野村時代も規定打席に到達している ノムさんは最初は鶴岡親分にひたすら従順だったよ
どんだけ雷を落とされてもひたすら耐えて鶴岡親分の望む理想の野球選手を目指し切磋琢磨していた
少なくても三冠王すら否定されるあの事件までは
それに対し今岡は最初から反抗的だった
そこが全然違う 親分が「何が三冠王じゃ、ちゃんちゃら可笑しいわい」本当言うたの?
どういう経緯なのかが分からんけど。 親分は、杉浦に恩義を感じていたからね。でも、球団の評価は違ったんだよ。 ノムさん、人生最期の日本シリーズ、
ホークスジャイアンツの対決で。
4タテで60年ぶりの選手権優勝で良かったんと
違うかな。 野村の著作物等を見て南海時代住んでいたところをたどると
当初は初芝に秀鷹寮がありそこに居たが寮が中百舌鳥に移った
その後最初の結婚時には西宮の甲子園口 愛人宅は豊中刀根山という
経緯かと思うが 寮からはじめの結婚までの間に阿倍野に居たともいわれるが
どうなんでしょうか 野村は広瀬とは和解したみたいだけど、杉浦とは最後までとうとう和解できなかったね。 相手が亡くなっちゃうとなあ
長嶋と最後は普通に会話できるような機会出来たのは良かったろうな >>615
阿部野に住んでたかは知らないけど若手の頃は西長堀マンションという当時としては先鋭的な高級アパートに住んでいた
作家の司馬遼太郎が偶然隣の部屋に住んでてこれはかなり有名な話
ちなみにそのマンションは今も現存する 杉浦に対しては弔問には行かなかったが献花はしてたな
不器用な野村なりの精一杯の歩み寄りと解釈できんこともないかな
サッチー問題の真っ最中だったから、たとえ弔問であっても
マスコミに見つかればマイクを向けられただろうからな 鶴岡親分の時もマスコミを避けるためほとぼりが冷めてからこっそり自宅を訪ね泰さんに挨拶して線香を上げて帰ったという話がある
親分と杉浦さんの件を槍玉に上げ野村は薄情者と叩く者がいるが決してそんなことはない
むしろ情が深過ぎるぐらいの人間だった
いい意味でも悪い意味でも >>612
杉浦ら何人もその場に居合わせて
皆否定しない辺りほんとじゃないかな >>616
杉浦にとっても、ヤクルト以降の名声で野村がどんどんビッグになってしまって(まあその前からビッグではあるが)
内心和解を考えていても声をかけにくくなったのかもしれない。
広瀬はあまり深く考えないたちだから野村に再接近できたのかもな 杉浦にしたら野村が名声を得てビッグになったから(ヤクルト監督として成功しぼやきキャラが受け一躍メジャーな存在になったという意味で)
すり寄ったと思われるのは不本意であったろうしな
いろんないきさつで仲違いのような形になったが元々は毎晩一緒に飲み歩く程気の合う間柄だった
今頃むこうで仲良く酒を酌み交わしてるだろう 前妻との離婚の真相は今となっては永遠の謎になってしまった。
野村は前妻の不倫をほのめかしていたが思い切り当事者なので眉唾だし。
前妻やサッチーは亡くなり、団やケニーや陽一氏は幼少で事情を知らないし、克則はまだ生まれていない。
野村が兼任監督に就任した際、各種データの算盤計算や手書き清書を自宅で前妻に手伝わせたらしいし、
当初は前妻の元に選手の妻からいろんな請願(出番を増やしてくれなど)が来たらしいから
少なくとも70年の春頃までは夫婦はそこまで不仲ではなかったと思われるのだが 前妻とは離婚したが勝気な女性と再婚して
ずっとうまくやっていたってのは野村と落合の共通項だね
野球選手は姉さん女房が多いが2人とも姉さん女房 1960年代後半の報奨旅行も前妻と一緒に仲良く行ってたらしいからなあ
陽一氏の存在もあるし、どうして別居まで至ったのか
数年前に浮気されたとか言ってたけど、沙知代の策略に嵌められたようにしか思えん >>626
沙知代の弟の伊東信義氏はどこまで事情を把握しているかな? >>274
内川や村田のこと擁護してるか知らんが、その雰囲気に染まってる時点で
そいつらも同罪なんだよw >>337
掲載される前提での対談だからそらあ互いを悪く言うわけないがな。
だからリテラシーがないってんだよw
>>596
ここや世間一般の大多数のアホみたいにカスゴミに踊らされてるような奴のほうが
よほど理解力がないと思うがw
まあ、俺はさすがに選手時代の成績にまでケチをつけようとは思わんけど。 前妻の関係者(陽一氏を除く)からすれば「あんな奴とは二度と関わりたくない」かもしれないな。
マスコミが取材に行ったかどうか不明だけど訃報の時は前妻サイドのコメントが一切無かった。
テレビで離婚が原因で40年間絶縁していた野村兄が野村本人から「離婚の真相」とやらを聞かされて和解する場面があったが
肝心の真相とやらの場面がカットされていた。
仮に野村の主張が正しくても全面的にサッチーが糞な事には変わりがないがね 「奥さんに浮気されちゃって。それで頭に来て”出てけ!”ってなったんですよ。
知らぬは亭主ばかり。お手伝いさんが2人いたんですけど、
後で聞いたら彼女らは知っていたんですよ。私が遠征に行くと、
30分ぐらいすると必ず来てたらしいんですよ、男が。沙知代さんと知り合ったから
前の奥さんを捨てたという風に言われているけど、全然逆なんですよ」 >>634
まさしく死人に口なしだな、とこのセリフを見て思った
今さら陽一氏が元父が亡母に関して言うことに口を挟む面倒は起こしたくないだろう…表に出てきたのはミッチーサッチー騒動の時ぐらいだし オンナって、そんな状況で浮気するものなのかね
にわかに信じがたい この御時世にリテラシーとかいってマウント取った気になった奴がいるのが笑える >>635
陽一、ミッチーサッチー騒動のときに表に出てきた?
まったく記憶にない
初期あぶさんに出たのは覚えてる 前妻の息子、何の週刊誌だったがインタビューされていたが、ノムに好意的だったよ 昔の野球雑誌読むと一家訪問みたいな特集よくあって
週ベとか週刊サンケイスポーツ、週刊読売スポーツなど
ノムも前夫人と一緒に出ていた記憶があるから、そういうの読めば
何かしら分かるかもしれないね >>638
騒動真っ最中は出てなかったと思う
多少落ち着いてから(シダックス監督の頃?)
ノムさんを恨んでません
みたいなコメントしてたと思う 文春に掲載された手記でしょ
ミッチーサッチー騒動最中だったはず
・父のことは一切恨んでいない、男女のことは色々とあるだろうから
・サッチーとは会ったこともない、会ったことのない人間だからどうこう言えない
・母親が自殺したとか生活苦で野垂れ死にしたというのは嘘、あくまで病死
・母親の実家が裕福だったのでそこから援助してもらった、悠々自適な生活だった
・だから生活費の工面をしてもらおうとこちらから会いに行ったことはない
・父親とはヤクルト監督時代に久々に会った
手元にあるけどこんな感じの内容だよ
ただ、前妻の知人が、前妻がサッチーから慰謝料支払いの妨害を
受け続けたってことも同じ記事の中で書かれていた 陽一氏、多分葬儀には来てないよな
お別れの会には来るのだろうか 南海関係者はお別れの会に果たしてどれくらい参列するのか。沙知代が先に逝ったので参列しやすい環境にはなったと思うが。 さっきBS1の球辞苑特別編(テーマは奇策)で山内(孝)が牽制について
柏原が敬遠ヒットについて語ってた >>639
週刊文春のワイド記事になっていたがなかなか衝撃的な内容だった >>643
遺産相続権はあるはずだから、直接会うか弁護士を挟むかは知らないが克則と話し合いはするだろな。
既に非公開の場で会っている気もするが うちの父親は婿に来るとき実家の相続は放棄する旨サインしたらしい
そういうのって事前に決めてるんじゃない
まして資産、知名度がある場合は 前の奥さんは後援会関係と聞いたことがあるが
どんな筋なのかな
高島屋や電鉄のような本筋かタニマチ的な筋なのか
鶴岡が野村の前妻についてもあまり良い扱いを
していないのが気になる ノムさんが先に死んでてサッチーが生きていたら
遺産云々で悲惨なことになってそう
一円も渡すなとか言いそうだし 野村は死にたいとぼやき続けてきたけどあまりに急死だから遺書や遺言状の類いは作ってなさそう >>649
仮に野村がサッチーと知り合った時に鶴岡がまだ監督だったら
間違いなく鶴岡が介入してサッチーと完全に別れさせたと思う。
鶴岡は長い人生経験でサッチーみたいな女の性悪さはよく知っていただろうし
部下の野村はもちろん、サッチーも軍隊帰りで戦後の混乱期を生き抜いて凄みのある鶴岡には逆らえなかったんじゃないかな。
鶴岡は南海監督を辞めたら球団から完全に退いていたから(性格的に院政なんてのはやらない)野村の家庭問題に介入しなかったんだろう 相撲界では年寄株目当ての政略結婚があって
それがけっこう後に離婚したりするんだが
タニマチの紹介だとするとそれに近いものがあったのかもね 仮に前妻が生きていたら孤独な淋しさが身に応えてフラフラ会いに行っていたかも
サッチーが死んだあと、ネットのインタビュー記事か何かで「私は全くモテないから、知っている女は前の奥さんとサッチーだけ」とポロッと漏らしていたから >>652
昭和一桁にとって戦争帰りは怖い存在だったのか? 豊田によれば兵隊帰りの中でも特に予科練上がりはとても怖かったらしい
ただ鶴岡のような将校クラスは粗暴な一兵卒とは違い、畏怖の存在だったんじゃないかと サッチーの現場介入
鶴岡は全く関知してなかったのか?
それはそれで問題でOBとして苦言を呈するなりすれば良かった >>655
パンパン上がりvs復員兵じゃ勝負にならないだろ 野村が事あるごとに揶揄する鶴岡の精神野球
鶴岡に絶望した野村は指導者としてあるべき理想像として川上に傾倒した
川上の珍解説として有名な淡口はいい選手になります親孝行者ですから
親孝行と野球の上手さに何の関係があるのかと誰もが怪訝な顔をしたが
野村は川上はまさに真理を言い当ててると絶賛した
鶴岡の精神野球は否定するが川上のそれとどう違うのか
結局野村の評価基準はじぶんが好き嫌いの 野村が好きな西本野球と嫌いな鶴岡野球の違いがわからん
同じ協力なカリスマのもとでイケイケドンドンで選手をコントロールするやり方だろ 野村は熱烈な川上信者だが川上の人間性もあれで有名だから
実際巨人に行って仕えていたら鶴岡以上に大揉めして強烈なアンチになりかわってそう
西本みたいなカリスマ監督は元々好きなんだろう
野村も最初は鶴岡に恩返ししたいと一生懸命頑張ってたから
自分は好きだったのに嫌われたから怨み骨髄になっただけで https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200225-00000002-baseballo-base
これ見るとヤクルト監督とか濃人のあと鶴岡とか可能性高かったんだな
特に1970年のロッテ鶴岡監督はほぼ決まりかけてた
鶴岡はGMやりたかったんだな 鶴岡自身結果的に南海だけでプロ生活は終わったけど
監督引退後南海だけでずっと留まる意識はあんまりなかったのか 蔭山事件も元々鶴岡が産経か東京の監督になろうとしてたのが発端でしょ
条件を聞いたら南海の給料があまりにも安く抑えられてるのに驚いたとか
この後鶴岡は引き続き3年南海を率いたが惰性のようなものでかつての情熱はなかったろう 文春の記事をコピってきたが、生々しい部分もあるので…
・陽一氏が手記を発表した理由は、陽一氏がサチヨを恨んでいる、母(正子さん)はサチヨに夫(ノム)を奪われて自殺した、サチヨに学費の送金を止められて陽一氏が泣く泣く2人の自宅を訪ねた、と勝手に決めつけた憶測でマスコミの取材が殺到して迷惑していたから
・正子さんはホークスの有力後援者だった社長令嬢で3人姉妹の箱入り娘
・ノムと正子さんは、後援者と選手による食事会に於いてノムの一目惚れで交際が始まり、両親の反対を押し切って結婚した(注:鶴岡が仲人を引き受けなかった理由の一つか?)
・家庭でのノムは子煩悩で、よく陽一氏とキャッチボールや将棋を指したり、欲しい物は何でも買ってくれる、甘くて優しい父親だった
・正子さんは料理上手(注:現役当時の雑誌でもよく取り上げられていた)で、いつも7、8品の料理が並んでおり、おかげで陽一氏は好き嫌いが全くないという ・73年頃からノムは家に帰らなくなり、別居生活が始まったが、陽一氏が正子さんの口からノムへの愚痴やサチヨの存在を聞いたことはなかった
・離婚後は10年間ノムとは会わなかったが(サチヨの影響で)、正子さんは「あなたのお父さんであることに変わりないから、会いに行きたかったら、いつでも会いに行けばいいの」と話していた
・正子さんは82年にくも膜下出血の発作で急逝、その報せを聞いたノムから陽一氏へ電話があったが、葬儀には欠席した
・ノムがヤクルトの監督に就任したあと、ようやく再会ができて「陽ちゃん、ひどい父親で悪かったなあ」と一言、それから年に数回ほどノムから電話が入るようになる
・陽一氏は結婚相手をノムに紹介し、3人で食事会をしたが、やはりサチヨに気兼ねしてか結婚式には出席せず、後日こっそりとお祝いの品を渡してもらった
・陽一氏にとってサチヨは赤の他人、関係のない人だが、恨む気は全くなく、またカツノリとは一度も会ったことがない 正子さんの親友の話
・ノムと別居状態となった正子さんのもとへホテルのメイドと名乗る女性から「お宅のご主人が東京の彼女と一緒にいらっしゃいます」という電話がかかり、のちにサチヨの友人がかけていたことがわかる
・78年に協議離婚が成立、周囲は離婚に反対していたが、南海をクビになったノムがもう一度野球を続けられるために正子さんはハンコを押した(ロッテの監督だった金田が「私生活にケジメをつけないと野球はできない」とノムに話していた)
・陽一氏が関○学院に通学していた頃、ノムが同校へ陽一氏の学費を送っているのを知ったサチヨが、事務局にストップをかけて学費を取り返した
・ノムは内密に正子さんの親友に頼んで別の口座を作ったが、それもサチヨが調べ上げて送金を辞めさせ、仕方なく小さな銀行に口座を作って学費を送った >>616
孫の名前に「忠」が入ってるのは、ひょっとしてそこが心残りだったのかなて思ってみた
もしかしたら時間が解決していたかもしれないけど、杉浦が早く死んじゃったからなあ >>667
サンクス
不倫のことはわからんし一方的な主張だから断定できないけど、野村は陽一氏のことはずっと気にかけてたんだろうな
当たり前だけど
何であれだけ地位と名声を極めた野球人が沙知代みたいな悪女に取り込まれたんだ… 物凄く単純化して説明したら、サイコパスに籠絡され洗脳されたというか 野村は高野山関係と仲が悪すぎる
南海と高野山は切ってもきれない仲
サチヨ登場以前から良く思われてなかった
成り上がり者に対する偏見があったみたいだね
それと比べると大卒の鶴岡、杉浦らの扱いの良さよ
野村が大卒に対する当たりが強いのもこの辺りが関係していると思われる >>669
ノムは正子さんとの結婚生活に失敗して正反対のタイプであるサチヨを強く求めた、と陽一氏は見ている
ちなみに親友の話を付け足すと、カツノリ誕生後は親戚の家にまで「克也さんは返しませんから」「なぜ別れないのよ、育ちが悪いんじゃない」などとサチヨの電話があったらしい……
>>671
ノムは年に数回ほど正子さんや陽一氏を伴って叡山詣でをおこない、試合で得た賞金は全て護摩料に充てていたとか 来月の月刊ベーマガ南海特集やな。毎回同じような内容やけど買ってまう >>665-667
興味深い内容でした
ありがとうございます >>668
私も息子に忠の字もらったけど
今の10代には滅多にないからおそらくそうだろうね
克ちゃんの4年先輩で神宮でのプレイも見ている身としては
見過ごせない存在だな 忠克 ノムはいつ頃まで甲子園口住んでたん?
本人は南海沿線やなくて阪急沿線に住んでたから鶴岡に嫌われたんちゃうか?言うてたらしいけど、国鉄沿線やろw
大阪球場より甲子園や西宮球場が良かったんか? >>671
高野山なんて、高野山大学(坊さん育成の大学)
に勤務してたオッサンの息子が近所の子供を
殺したろ、数年前に。
野村はともかく、サッチーは許せんけど、高野山が野村にそんな
偉そうにできるほど立派な人、組織でもないだろうに JRになってマシになったが昔の国鉄はサービスは悪いし高いし電車も私鉄に比べてボロばっかで乗る気がしなかったのも確か
うちの親戚が熊取ニュータウンに住んでたが近くにある国鉄を無視してわざわざ南海まで乗りに行っていた
甲子園口の住民も昔は国鉄を無視して阪急に乗ってたんじゃね
関西ではなんといっても阪急が一番のブランドだし 吉本芸人も大御所レベルになるとこぞって豊中や箕面、阪神間に住むのを好んだし
南海沿線では浜寺に富裕層の居住地があったけど工業地帯の造成で消滅、格が下がってしまった 作家の山崎豊子が浜寺に住んでたのも遠い昔。
かつて観光地だった名残か、今でも浜寺周辺には宿泊施設がそこそこ
あるんだが、昔はともかく今は誰がつかってるんだろう・・ 甲子園口は前の奥さんの関連ではないかな。
当時の南海選手にしては珍しいね
帝塚山や浜寺や上野芝あたりに住む人が多かったが。
鶴岡さんも帝塚山に住んでいたが娘さんを列車事故で
亡くしたあと奥さんも体調壊して堺へ行ったんだっけ。 >>670
話を聞くと前妻はとても浮気をするタイプにみえないのだが
野村がサッチーとの不倫で叩かれる→言い訳として前妻の浮気を考える→何度も言い続ける→だんだん本当に前妻の浮気があったと思い込む
このパターンかもしれないな ケースは違うが楽天末期のインタビューではちょくちょくあったな
インタビューの回答がマスコミに答える内に変わっていって、著書でもその変わった(ウケた)内容になったり
完全な無意識ではないと思う 3月1日(日)
NHK BS1 22時〜23時
スポーツ酒場 語り亭スペシャル ありがとう野村克也さん
NHK BS1 23時〜23時55分
野村克也さんをしのんで〜楽天時代のドキュメンタリーを
アンコール放送 >>663
南海だけで終わった事で後世の評価もさほど高くならなかったのは無念だったろうね >>691
本人はやる気満々で何度も機会ががあり相手も熱心で条件も合ってたのに
それでもならなかったのは運命だな
特に鶴岡ロッテなら戦力もあったし阪急と熾烈な争いの時代迎えてそう 永田オーナーと上手くやっていけるか次第だね
小山や榎本のような一筋縄ではいかない奴らも多かったし 仮にサンケイに移籍してたら古葉大洋並みに悲惨な成績で晩節を汚していた可能性が高い 「週刊ベイスボウル」の表紙がヤクルト監督時代でなく南海現役ユニフォーム姿が表紙に
「俺たちはミーハーでないぞ?野村氏、南海時代から追っかけてきた」という同誌のプライドを感じた。
ただ一般が「南海 野村克也」にそれほど興味あるとは思えない。 >>693
そういう一国一城のベテラン相手よりも、オリオンズ監督の敵は永田ラッパなんだよね
現場介入は三木谷が比べ物にならないレベルだったらしい
でも鶴岡が傘下に誰をコーチとして置くか気になるな >>696
ああ見えて永田ラッパは
ファンや選手からは慕われていたがな
70年リーグ優勝の際
観客が乱入して
監督より先に胴上げされた
それを根に持った濃人は
後年永田の葬儀には参列しなかった
小山有藤ら当時の選手は当然参列 >>696
鶴岡はGM希望だろ?
むしろ永田と一緒に介入する側 >>699
60年代末だとオリオンズは球団も親会社も大赤字だからやれる事は限られる >>697
それは知っているよ、古き良き時代のシャチョーさんで選手とファンには慕われていた
でも西本以降の監督は現場の責任者として相当に苦労した話を聞いているから
>>699
尚更ダメじゃん
永田がヘソを曲げたらどうにもならん >>697
1974年のロッテVS中日の日本シリーズではもうオーナーではなくなっていたのに
客席に招待されたんだよね>永田
私財をつぎ込んで当時最先端の東京スタジアムを建設するほどの情熱があったからな なんでロッテは東京球場を使わなくなったんだろ?
でよりによってオンボロの川崎球場を使うことになった。 >>702
それは重光パパの元オーナーへの気配りという感じがするなあ
野球は仕切ってたのはもうオリオンズ出ではないカネやんだから >>703
大映が潰れて債権者の小佐野賢治が使いたいなら買い取れと言って
相場の数十倍の値段吹っ掛けたから
当時のロッテでは買えなかった 重光は「球団を手放さないのは岸(信介)さんとの男の約束だからだ」と言っていたそうだ
現実的には食品系や飲み物系にとって球団を持つことは宣伝のメリットが大きいからだろうけどね アメリカで商売しやすくなるんだっけ
野球チームのオーナーの社会的地位や信用は絶対的なものらしい
ロッテやヤクルトなんて今さら国内で宣伝する必要なんてないぐらいの巨大企業だしね >>703>>705
Wikiによると東京スタジアムの累積赤字は15億円もあったんだな
そりゃ買えないよね >>703
横浜スタジアムを本拠地にできなかった。 鶴岡さんはオリオンズに行く気が本当にあったのかね
同じパリーグに行けば男が下がると思うがね
国鉄なら下位球団なので気が楽だろう
監督を断った代わりに飯田さんを行かせたのではないか >>705
小佐野の説明ではロッテの試合はやればやる程赤字が積み重なる(ヤクルトや大洋主催は多少まし)ので
ロッテ球団が買い取って貰えないと維持が出来なくなるとの事だった。
既にスポンサー時代から10億以上注ぎ込んでいるのにガラガラのままだからロッテもこれ以上の投資は出来ず拒否した。
国鉄時代に東京球場で王に1試合4HR打たれたカネやんが「欠陥球場」とみなして嫌っていたのも大きい 鶴岡さんは戦後からチームの編成をはじめ選手裏方の世話までも全部やってた完全な家父長的存在だったからねえ
南海は鶴岡親分の大家族といえる球団だしそこから離れてまた新しいチームを作り上げるのは並大抵の苦労じゃないしどうだったのだろう
西本さんと鶴岡さんはまた違うしな
大毎時代は別として阪急近鉄と異なるチームのそれぞれの選手からあれだけ慕われた監督を俺は知らない
日本シリーズで対峙した江夏が自分の野球人生で西本さんの下に仕えられなかったのが唯一心残りと言われる程の監督 鶴岡は心臓を悪くして南海監督を退いたからまた現場に戻るのは難しかっただろうな。
阪神が鶴岡招聘のためにわざわざ後藤監督をクビにしたけど断った 西本は阪急も近鉄もどん底から優勝までもっていったのがすごい https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200227-00000001-baseballo-base
鶴岡がオファー受けたときのロッテはダントツ戦力だったんだな
永田の選手の首脳陣批判禁止とかも知らなかった
阪急は福本山田はこらからでちょうど戦力切り替えの過渡期の時期
南海の一年目は完全にブレイザー監督、野村捕手状態 >>712
西本御大はあの時代に珍しい編成にあまり口を出さない
文字通りの現場指揮官だったからなぁ
選手たち、特に野手の指導一筋だった 阪急は灰色の時代と言われていたが、球団も選手も気力が無かったわけじゃない
一時期は経理畑出身の人間が球団社長になってシブチン化するも、小林米三が西本の後ろ盾になってくれた >>716
裏ではなんとか本社に資金を入れさせるために交渉してた。
けどそれを見せないのも矜恃だったんやろね マニエルは西本を父親の様にしたっていたんだが
通訳を使わず西本は日本語で喋ってマニエルは英語で喋っているのに
2人の間ではコミュニケーションが取れていて
2人は笑いながら話し続けていたんだそうだ 南海ラストイヤーに学生だった俺がものごころついた頃から
西本さんはずっとじいちゃんだった
わっかるかな〜 川上にしてもそう
その頃の50代は今の80歳くらいの顔してた 天本英世は死神博士の頃はまだ40代だったんだからな そして南海ラストイヤーに明治の学生だった俺がものごころついた頃から
杉下さんもずっとじいちゃんだった
わっかんねえだろうな〜 >>385
著作権侵害を平気でやるネトウヨは死ね! 岡本伊三美もすごい爺さんだったな
多分当時は40代だったと思うけど >>713
もし阪神・鶴岡監督が実現していても、球団背広組・タニマチなどから足を引っ張られまくりで途中辞任は確実だろう。
親分の思いが全てに届く南海とは違う環境だし、藤本定義みたいに周囲を懐柔するとは想像できない。 西本さんも永田さんと衝突して監督辞めてるんだよね。
若かった……永田さんの顔に泥を塗ってしまったと、後年語ってるけど。 野村関連で高野山の話が出ていたけど
野村を説教したのは高野山の坊さんではなく
比叡山の阿闍梨じゃなかったか? 杉浦監督とダイエー中内オーナーは年が近いのかと思っていた >>728
永田が鬼籍に入った前後
孫がTBS社員で
『祖父を許してやってくれませんか』ってエピがあった >>719
で、球団より選手の側に
立つ人だったから選手からは慕われたが支持してくれたオーナー以外の上層部からは疎まれていた。
上層部と巧く立ち回り選手は駒と割り切った上田と真逆 >>732
西本監督は上田コーチを、自分には出来ない事が出来る奴
って思っていたのかもね。だからこそ後継者に指名したと。 >>729
そうだよね
タニマチの関係であり、野村は前妻と比叡山詣をよくしていた 野村の遺産は50億らしい。
克則夫妻と前妻息子は常識人だから問題無さそうだけど、団とケニーが厄介そうだな。
団もケニーもサッチーと絶縁していたのにちゃっかりサッチー遺産は相続して、しかも不動産の現金化を克則に迫って困らせているらしいし 団は自分で稼いでいるから大丈夫やろ、
問題はケニーやな >>736
団も自分がいくら稼いでいようが権利は権利として主張するでしょ ダンは野村とは正式な用紙なの?
ケニーなんかもそうだけど法律的に 南海最後の年の杉浦監督と今同世代なのはKK、デーブ、佐々木(大魔人の)、この辺りか
今時の50代前半世代にあんなナイスミドルいないよね >>729
高野山と関係があったのは南海で、野村は関係ない
野村が高野山から嫌われていた ケニーは例の騒動のあと
勘当にしたと
野村が正式にコメントしていたね。 >>741
和解したと言っても単に誰かが間に入っただけで
サッチーがケニーとは他人のノムさんと法律的に関係を持たせることまでしたのかとなると疑問 サッチーが亡くなった時に、05年に野村が仲介に入って関係修復したって記事はあったな
団のTwitterにも野村、サッチー、団、ケニーが一緒に映ってる写真があった
遺産騒動でまたバラバラになったら野村は泣くに泣けんだろうなぁ サッチーが先に死んでて良かったと思うわ
前妻の子供含めて絶対に揉めてた 藤子不二雄がAとFに分かれてどっちがどの作品を描いたかまで公表したのは
有耶無耶なままでどっちかが亡くなったら相続で地獄絵図になる事に
気付いたからなんだよね
ちなみにゆでたまごは半分半分でけりがついてるんだそうな
ゆでたまごはキン肉マンしかヒットが無いので揉めようがない >>745
オバQが長く復刻出来なかったのはそれが原因なんだよね なんばパークスに野村克也の記録が記されるかは克則次第だろな ぶっちゃけ撤去される方が早そう
あんな直射日光が差すところに杉浦のユニや優勝ペナント飾りっぱなしだし 出来た時はそれなりの規模だったのが年月を経るごとにドンドン展示物が減って小規模になってるそうだな
もう南海本社にもホークスの事に拘る人もいないだろうし野村の記録云々以前に閉鎖消滅も時間の問題だな どうせなら福岡ドームの王の記念館に併設させて
そこに南海ホークス記念館作って欲しい
ダイエー時代含めてもいいし
それなら誰もが納得するだろ 南海は本当に馬鹿な会社だな
みさき公園も手放すし
本業の鉄道でも浜寺公園に保存していた電車を雨ざらしでほっててボロボロになって撤去するし
そういやみさき公園にあった昔のこうや号のホークスの展示物のあったのも同じようになったわ
不死身のスレンレスカー6000系も保存する気ないとか言ってるし
自分達の先輩が築いてきた伝統や栄光をリスペクトする意志がゼロ
南海と高野山の親交が深いとか言ってる奴がいたが
南海は高野線という名前は田舎臭いから自分とこの不動産が売れないといってりんかんサンラインとか訳のわからん名称に替えて
高野山からクレームが来て揉めた過去がある
南海はもうダメだ
コロナで中国人や韓国人が来なくなって一気に経営が傾く >>732
山田とか福本とかの対談見たら西本さんについては
多く語るが上田さんについては何か距離がある感じがあるね 上田は勝つために鬼になったからそう思われても何とも感じないやろ 日本ハム時代の上田は大分変った感じ。
阪急時代だったらええで節なんて聞けなかっただろうし。
強くて大人な阪急と、低迷してた日本ハムでは
選手への接し方も変えないといけないだろうけど。 >>754
こないだ初めてみさき公園を見に行ったが(当方都民なので今まで縁無し)
老朽化がやや目立つとはいえあれだけ設備が充実したレジャーランドを残せない南海電鉄は馬鹿というか経営下手だと思った。
正直もったいなさ過ぎる。
ちなみに行った日は連休ではあるが家族連れや外国人観客などでかなり賑わっていて、とても閉園間近には見えなかった。
星野リゾートやアドベンチャーワールドなど専門他社に委託するとか、子会社化して人件費抑制したり売却するとか、関空と手を組むとか、平日営業を大幅縮小するとか
素人が見ても生き残りに向けて改善策はいくらでもあったはず。
これでは南海ホークスや狭山遊園が生き残れなかった訳だなと思った。
電鉄上層部は難波の自社施設で買い物させるしか頭に無いのかもな >>757
上田はハム監督になってから鉄拳制裁を今の子には合わないときっぱり止めた。(猛練習は変わらなかったが)
岩本・ガッツ・金子・西浦・金石・グロス・下柳などは上田に感謝してそう 野村克也さんがクイック考案は本当か? 江本氏が明かす真相
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200229-00000008-pseven-spo&p=2
あと、印象に残っているのはノムさんが長髪とヒゲを大嫌いだったこと。
ボクが南海に移籍した頃はまさにそのスタイルでしたからね。
キャンプ前にマスコミを集めてミナミの理髪店で断髪式をやらされましたよ。
ノムさんの言うことを唯一、素直に聞いたのがそれかもしれません。
解説者になってからも、神宮球場で広島の菊池(涼介)がヒゲを生やしているのを見て
「おーい、おまえ、ヒゲを剃れ」とやっていましたね。名前がわからなかったんでしょう(笑い)。
ただ、ノムさん自身がもともと嫌っていたかというと、そうでもなかった。
影響を受けた人がいたんです。サッチー様(沙知代夫人)ですよ。
この人が、長髪とヒゲが大嫌いだった。あと、プロゴルファーの杉原輝雄さんがノムさんの大親友で、
やはり長髪やヒゲを好まなかったそうです。
この2人の影響を受けて、ノムさんがボクに言ってきた。それが、後年になって知った真相です。 >>759
どう見ても野村には見えない
別所だよな >>766
南海特集なのに鶴岡を載せないんかね広瀬も省いてるし
江夏江本杉浦門田と全部野村を中心とした野村と各選手みたいな構成かね >>755
「勇者たちの記憶」は南海ファンの俺でも立ち読みに飽き足らず
購入してしまったほどの好著だが
上田さんがビックリするぐらい登場しない… ゼロではないけれど 野村が中心だからこそ野村の野球人生にいい意味も悪い意味も強烈な影響を与えた監督の鶴岡さん
同じ初代三悪人と称され野村が長嶋と並ぶ天才と認めた盟友広瀬
野村の恋人とまで言われ二人の共同作業で名球会入りを果たした皆川
この三人を抜いて野村南海を語れるわけないだろう
なら何で中途半端にここに杉浦だけは出てくるのということになる 週ベ、野村克也追悼号で
広岡は、野村を見い出した鶴岡の眼力を絶賛していたな テスト生に過ぎなかった野村の素質を見いだしたのはすごい眼力だけど
野村の内面は見誤まっちゃったよね 南海辰村の件で南海グループのええ加減さ見えたよな。 >>764
長髪ヒゲ禁止令はあぶさんでもチョロっと出てた
江本ほどじゃないが、野村も襟足が首にかかる程度まで伸ばしていた記憶がある 別所も最初から巨人に入団しとけば、
ゴタゴタに成らずに済んだのに。 別所も、あとから美化されているけど
知る人からすれば、変化球ピッチャーだったという話だからな 別所にとって巨人がよっぽど居心地が良かったんだろうな。 >>772
辰村が抱えた巨額負債で南海グループ全体が揺らいだ時期があったし
今も例の欠陥マンションのせいで南海グループに泥を塗ってる。
とんだゴミ会社 野村はあの時代に生まれた割に体育会系じゃなかったのかな 冨田は野村への当て付けだったんか
70年代の当時の長髪と髭選手って日本人だと誰がいたっけ? ヒゲだけだと阪神→近鉄のヒゲ辻、加藤秀や今井雄太郎も生やしていた
クラウンの浜浦は長髪と色付きメガネ 浜浦か 懐かしい名前やな
ノム相手に投げていた山内新一も偏光レンズでデイゲームは
ほぼサングラス
高橋直樹も髭メガネ 東尾も髪の毛は帽子からはみ出していた記憶あり
水上はもう少し時代後だったかね 髭嫌いはサッチーの影響みたいだが息子のダン野村は生やしてなかったかな >>784
ヤクルトに移籍したら、球団が外国人しか髭を認めていなかったから剃っていたな。
ヤクルト時代は髭なしの写真が広告に使われていた。
>>785
サッチーと絶縁状態だった頃かな? 巨人ではシピンが移籍して来たら髭を剃らされて髪も切らされたが
屋敷やガルベスは髭だったし基準がよく分からん シピンについては、巨人は特例で認めたけど、本人が自主的に内規に従ったという説もあるな。 別に移籍組には適用されないんじゃない?
屋敷はミスターがそらなくてもいいと言ってたみたいだし >>788
その前の大洋時代に一度長髪ヒゲを辞めようとしたが、球団の目玉が減って人気が落ちるからと幹部が続けさせた話がある
大洋1年目はヒゲも生やしてなくて巨人移籍後と変わらない風貌だった 陽ダイカンも巨人に行ったらサラリーマンみたいになっちゃった >>781
長髪だヒゲだという前に
ザッツ森本という感じ もしくは和製レジー・ジャクソン 西川のりおが 橋下に対して
弁護士の時にサングラスやったのに
なぜ巨人にはいったようにスタイルを変えてしまうのかと
変節として批判したことがある >>782
今井は覚えてないわ
福本もいっとき軽いパンチに髭だったよ 巨人の場合は、移籍組は特例で髭OKでも本人がチームに馴染もうと剃るのかもね
野村は正力松太郎の「巨人軍は常に紳士たれ」を支持していた
工藤公康も似たような方針でやっている
清原がまた似たような問題を起こしているし監督が指導しなければいかんのかもね
なぜ工藤監督は、茶髪もガムも禁止するのか
https://toyokeizai.net/articles/-/62449 工藤といえば「新人類」世代なのにファッションがダサい事で有名だった… >>797
工藤は堤オーナーや森監督に甘やかされて無茶苦茶してた清原をどう見てたんだろ? 清原が南海入ってたら身売りはなかったのかと今も思う
意中の巨人か父親がファンだった阪神以外やパ・リーグなら進路は日本生命と決めていたようだが
ドラフト直後PL学園内で桑田が巨人と裏契約をしていたと情報が流れ
清原の同級生が桑田を襲撃しようとする騒動になり
それを抑えるため清原は俺は西武で頑張ると誓いみんなを説得した
そう考えると南海に指名されたとしてもすんなり入っていた可能性は高い
岸和田出身で地元は久米田だからJR沿線民だが南海にも馴染みもあるだろうし
清原の家族は皆いたってまともで親元に近い環境で遊びを覚えず修練していれば
清原の野球人生はもっと変わったものになってたのかもしれない >>798
若い頃のチャラけてて舐め腐った印象が強いから、工藤は昔の自分を反面教師にしているかも 「清原は俺は西武で頑張ると誓いみんなを説得した 」
これからどうして以下のようになるのか意味不明。
「そう考えると南海に指名されたとしてもすんなり入っていた可能性は高い 」
パリーグでも西武という野球をする環境としては整った球団だし3年前2年前の連覇チームだったし、
ギリギリ入団という決意に至ったんだろ。
南海なんかに指名されていたら入団拒否しただろう。 訂正
4年前3年前の連続日本一で昨年も優勝している西武だからこそ 1985年ドラフト1位指名された西川佳明(法大)が「南海とロッテだけは嫌だった」とやってた。 大坪とか山川とか大久保とか吉村とか「二軍の帝王」は多かった。
大久保は広島の高校監督やってる。 >>747
「自称コロンビア大(嘲笑)」に批判的なコメントが多数じゃん。
こことは違ってまだまだ捨てたものではないかもしれんな。
ここはマスゴミに踊らされたアホしかいねえからな。
トイレットペーパーやらカップ麺やら大量購入してんだろうよw
印象に残ったコメント
その故蔭山氏を、故鶴岡親分のパワハラで自殺した、とか支離滅裂なことを公言して
蔭山氏の遺族の名誉を傷つけ、それを持ち出して故鶴岡氏や南海OBや球団批判をした
故沙知代夫人を南海ファンは絶対に許しませんし、その沙知代夫人を
そこまでかばう側面を持った故野村克也氏をもろ手を挙げて称賛できないんです。 >>809
蔭山氏が死んだときに沙知代はもう野村と付き合ってたの? BS1で20時からスポーツ酒場語り亭SP「ノムさん」 鶴岡が他のチームの監督はこんな年俸高いのか!
って驚いたっていうけど鶴岡ほどの人間がそれ知らないわけねえよなぁ >>755
上田さんは山田や福本にいちいち余計な事を言わず
大人扱いしたからじゃね? >>805
清原を引いたのが他ならぬ伝説の球界の寝技師根本陸夫
その腹心スカウトだったのが毒島章一
当時あり得ない入団を実現されてたのがこのコンビ
工藤公康だってこのあり得ない入団(プロ拒否を6位で強硬指名
毒島スカウトが清原家で契約金として白紙の小切手出して「好きな数字を書いてください」と言って
0書くたびに「ひとーつ、ふたーつ」と声上げて数えて、という話を板東英二がしていたのも聞いたことがある
他のパリーグチームとは比較にならんわな〜
笑っていいともでタモリの野球ネタ「毒島はどおしたあ〜」をやったとき
「毒島西武のコーチやってます」と冷静に説明されていたのがなんかおかしかったが
そのとき「あの人が清原取りに行ったんですよねー」と誰かが言ってた
ついでにふと思い出した 高校球児の親は金のことリサーチしているから
清原も山本功も南海に来るわけないよね
さて毒島は東映時代は広瀬の三塁打のライバルだったな
唯一フライヤーズの紳士と言われていた 実際に来てくれたかどうかは別にして、南海末期はくじ運も無かった
清原も取れず、立浪も取れず
どちらか1人でも取れていれば、観客動員が持ち直したと思うんだけどね
勿論、時代の流れだから遅かれ早かれ球団は売却されたろうけど >>820
親会社の資金力、有能なフロントのおかげも
あるよな。
工藤が横浜、阪神、オリックス、ロッテの監督やったらどうなるか
どれか、優勝させたら名将やろな。 短期決戦弱いからなぁ、親分の采配は。
工藤はその点凄いけど。 >>802
清原如きで南海がプロ野球チームを維持できたとは思えない >>817
東映日本一の時に反水原派が胴上げをボイコットしようとしたら、主将格の毒島が一声かけて引き戻したとか
また寄席が好きで談志と深い交流があった
ハリーが殴られた話は本当なのかな? 毒島は成績でも殿堂入りでもおかしくない
東映があのままあれば監督候補だろう
長池や藤原満も同様に運が悪い >>798
工藤はむしろそういうところも本人のキャラに合ってて人気があったと思う >>812
タニマチが多数いただろうから監督年俸が多少安くても問題無かったんだろな >>824
五輪のかねあいもあったかもだが ロッテの森田にまで 長池なら清原に死球の避け方を教えられてたかな
土井は清原にそれを教えられなかったことをずっと後悔していたそうだが
今から思えば清原は先天的に死球を避けれる男ではなかったかもしれない
地蔵のような鈍さだった 川勝が身売りを止めていただけで川勝以外は「球団なんて売りたい」という状態だったので
川勝が亡くなった売られるのは必然だった
清原が入っても変わらないしそもそも南海の交渉権じゃプロ入りを拒否して社会人に行ったはず
西武は当時の常勝球団だしPL卒の金森がいたから環境の良さでは十二球団最高な事は
PL関係者にも伝わっていたはず >>819
ここで何で何の関係もねえ王の話なんか持ち出してくんだよ。
バカかてめーw
本当にここはバカしかいねえのな。
だからマスゴミを鵜呑みする程度のオツムなんだよ。 >>833
むしろ川勝のせいでダイエーになるまで
選手は普通車で移動させられたりとかさせられてたからな
会社にとっても選手にとってもクソな存在だった 清原の場合、むしろ広岡が続投してたらどうなってたかだな
あのシステマチックな中でどこまで使われてたのかも怪しい >>835
栄養費1日300円で若手は球場前のマクドで夕食とかそんな感じだったらしいな 南海と近鉄は労組もガンだったしな。オーナー個人が愛着あったも本社の幹部や労組とかは
さして愛着持たず不良債権扱いして目の敵にしてた 80年代の南海なんてとはや保持してる意味ないだろ
経営視点からだったらナンバ球場取り壊して
大型商業施設作って方が儲かるのは当たり前の感覚 >>832
長池は秋山をモノにしてくれと
広岡に請われて西武に来たんだよな
長池と土井は西武打撃コーチとして
すれ違いで在任だったかな
長池は阪急西武以降は南海で佐々木誠岸川 横浜で鈴木尚佐伯 ロッテで福浦と弱小気味なチームでそれぞれ打者を育成してるな
西武のみで誰がやっても並み以上にはなる打者(清原稼頭央中島浅村ら)しか関わっていない土井よりは打撃コーチとしては上 >>833
よノムを黒歴史にしてる事で叩かれてるなんばパークスの南海記念展示スペースはノム関係以外の展示もお座なりだしな
南海はあれノム関係に限らず邪魔だから撤去したいんだろうな ホークスメモリアルは元々みさき公園内の旧こうや号を改造したスペースを使って展示していたものを
縮小移転したものだからな
特に力を入れていないのは明白 そのこうや号そのものも雨ざらしで錆びまみれになって解体したのが南海の仕事
一編成しかない南海の女王といわれた自社のフラッグシップと呼べる特急車両もこの有り様だからな
普通屋根ぐらいかけるだろちゃんと保存するなら
ラピートも南海のことだから引退したら全部スクラップだろうな これならメモリアルギャラリーの運営を
南海電鉄からソフトバンク球団か、同グループの企業に移管した方がまだましかとも思ったな。 南海がどうすることもできなかった貴志川線が岡山電気に譲渡した途端
有能プロモーションによりまたたく間に観光名所になったのは笑ったな >>849
なんでホークスのメモリアルをもはや関係のない大阪球場あとあるんだ?
ソフトバンクの王の記念館の横に設置すれば良いじゃん
ロッテとかも毎日時代からの記念館を全部マリンスタジアムに設置してるぞ みさき公園もどこか有能な企業に買い取って再生してもらいたいもんだが
さすがに僻地過ぎて引き取り手現れなかったな
動物だけはアドベンチャーワールドが受け皿になってくれたのがせめてもの幸いか >>843
長池さんは阪急で青田昇コーチに師事してインコース打ちをマスターして、ホームラン王になったんだよね 高卒時からの希望球団だった南海に入っていたら、どうなっていたことか 関西の人間じゃないけど、80年代後半に放送されてた大阪球場の南海戦が印象に残ってる
バックネット裏の低いカメラ位置からの映像とか凄く新鮮だった >>848
なんばパークスの展示品も雑に扱われているからね
とりあえず客寄せのために置いてある感じで、年代モノに対する管理ではないね そもそもシンボルカラーの緑の電車を塗り替えた頃から南海には不信感を持った
阪急のように自分たちの伝統に誇りを持ってないのか
そのくせ引退間際の車両を復刻版だと緑に戻してオールドファン相手に商売するから余計いやらしい
これはプロ野球にも言えることだが >>823
維持できたとは思えないが観客動員は目茶苦茶増えたはず
清原入団後の西武戦が阪神×巨人に次ぐ人気カードになったからね 特に阪急×西武 緑の電車やったら阪神にパクられたで
ttps://japan-railway.com/entry/2020/02/07/175109 >>823
地元出身の甲子園のスターが入ってタニマチにちやほやされて
微妙な成績にとどまった香川の二の舞になりかねん。大阪を出て縁もゆかりも無い関東のチームで良かったと思う
ただ、オーナーの堤が清原を特別扱いしてたのが誤算だった >>859
いやいや末期の南海は新規参入者を寄せ付けないオーラがあったんだよ
そもそも弱いわけだし
イチローも94年は動員を伸ばしたが
落ち着いたら下降していった >>345
西本が若手の頃、四球を3連発して長島に7回ひっぱたかれたと言っていた
江川には過保護だったのに 南海ではサボってたのに、広島で20勝してるぞ
>>353
> 高橋里志はどれだけの男なんだろうな 江夏ともたしか仲悪かったよね
> おそらく能力も見抜いていたのに野村が放り出すんやからね
> 金やんは自軍の選手には手をあげない 相手選手には足蹴り
> 西本さんは羽田平手打ちのイメージ強い
> ところで西岡三四郎好きやったな 稲尾のようにマウンドマナーよかったし 吉田博之とか矢野実は今どうしてるんだか本当に分からんのかな?
南海末期の功労者なのに >>354
野村は全然すごくない
凄いのは俺の眼力!ってヤクルトの片岡スカウトは言ってたな
その証拠が野村の成績はヤクルト以降パッとしてないって 片岡は大学時代のコネ絡みで黒須指名を敢行しようとしたら
その黒須が土壇場でプロ入りに尻込みして結局拒否
面子を潰されて著書で「どうせあんな奴プロで通用しなかった」とボロクソ
そしてこのことを野村に揶揄されたことで延々と野村を叩き続けた
言っちゃあなんだが片岡も人間的には野村とかなり似通ってると思うわ ルーキー時代の清原を見ての将来を予言した眼力はさすがと思ったが
器用すぎて大成しないのではないかと
ホームラン500本打って育成失敗って言われるのは清原はどんだけ逸材だったという話だが >>873
実際、黒須は通用しなかったと思う
プロ入り前に尻込みするようじゃ、メンタルで駄目だわ
黒須問題はドラフト前に「指名されたら行く」とスカウトに答えていたのかどうか
もし確認なしに強行指名して来たならヤクルト球団の調査不足
プロに行くと言ってたのに土壇場でひっくり返したなら黒須の不義理
批判は甘んじて受けないと仕方がない >>874
清原の場合は将来すごいバッターになるってどの評論家も言ってたと思うが? 右打ちでドームの看板ぶち当てれる男がホームラン王どころか
ついぞシーズン40本以上も打つことができなかったなんて思いもよらなかったわ 黒須の場合は就職先が第一勧銀だったから大学側からプロ入りにストップがかかったらしい
立教からは初めてだったんだそうだ。 >>878
第一勧銀には野球部無いから、野球続けるつもりなかったのか 清原はよく実家の電気屋ネタで大阪球場では野次られていたな
大打者には違いないが成績の突き抜けていない中途半端さは
土井正博に似ている気がする PL時代は甲子園で内角の厳しい球も腕を上手くたたんで綺麗にホームランにしていた
黄金期西武という最高の環境で野球を学んで劣化したとは考えられないが
落合の言う通り清原のピークは高校時代という超早熟バッターだった可能性がある >>882
最初から巨人に入ってればなとも思うな
ところで第一勧銀と興銀、当時はどっちが格上? 逆に明治の東瀬は安田信託内定していたが
他の内定者連中の会話に尻込みしてプロに行った
明治も立教も似たようなもんだがなと明治卒の私が 落合は才能だけなら清原>松井と言っていた
プロ入り後では間違いなくワールドシリーズMVPの松井が上だね
日本に残っていたら多分王の次位のHR数だっただろう 清原は落合と同じで
「ホームランにする」バットコントロールの巧さがずば抜けてた。
だから落合の評価も高かったんだろう。
秋山や門田みたいなホームラン打者の弾道はあるにはあったがそこまでではなかった。
だから西武末期くらいに体を回転させるのが下手になってからはダメになったね。
あれは死球の影響だから気の毒ではあるけど 【番長復活】清原和博、銀座で大荒れして警察沙汰に【画像あり】
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1583062661/
西武じゃなくて別のチームに入ってたらこんなことに
ならなかったんだろうか 野球の才能が無かったら本人のいう通りチンピラヤクザか柄の悪いというか喧嘩早い電器屋の親父になってた気がする。 元木はダイエーを辞退しているけど、
もし南海のままだったら入団していたような事を何かで言っていたな。
待遇が巨人とは天地の差だったにもかかわらず。 >>889
ケンカ早くはない、小心者。
取り巻きがいないとケンカも売れないタイプ。
野球の才能無かったら売ることさえできない。 元木も真剣に野球に打ち込んでたらまた違う未来があったのではと思わせる選手ではあった
イチローや松井も上宮時代の元木は憧れの存在たったらしいし
しかし元木の少年の頃のホークスは既にかなりダメダメの時代だったが
子供心にも惹き付けられる魅力が何かあったんだろうな >>893
努力してないって結果論だろ
ダイエーに行ってたらスーパースターになってたかもしれんし
巨人の中じゃ活躍する場がそもそもなかった FA新外国人逆指名でバンバン長距離を補強する巨人で生き残るために自ら器用要領系プレイヤーに特化させてしまったよな
元木もスラッガーとしての資質は十分あったのに勿体なかった そういう点では一番レギュラーになりやすそうという視点で南海を選んだ野村は元木とは対照的だな
野村も大の巨人ファンだったがそこの感情は押し殺した
そして当時の南海も常勝軍団の凄い面子だったが諦めず努力で自分のポジションを勝ち取るんだからな >>882
当たって騒いで出塁してオーレに返してもらえば楽だしなあ スーパースターになれる素材ではない元木大介様が900もろとこかい 元木は浪人してまで巨人に入りたがったんだし
ハワイでは草野球チームにしか入れずそのせいで
プロ入り時の能力は1年前より衰えてしまっていた
巨人云々のせいというより、自己責任だと思うけどな あれだけの藤田がなんで元木より大森を指名したのかわからん
原以外、それも原は長嶋を解任しなくても指名したこと考えたら彼の新人選びはやばすぎる
補強や再生は適してるけど
元木も今のソフバンなら案外入団したんだろうが真っ黒時代だしな >>902
大森に限らず第2次藤田時代のドラフトは酷いな。 元木入団の頃の巨人は原も衰えて松井落合加入前でかなり貧打だった記憶がある
そこでチャンスを掴んで主軸を打てないようじゃそれまでの選手だったのだろう >>902
大森は藤田と同じ慶應大で、ソウル五輪銀メンバーでもあったからな。 黒須(立大)の父親は興銀出身で「会社立て直し請負人」とまで言われた人。
東瀬(明大)の父親は京大卒で熊本市役所。
大森(慶大)の父親は損保会社の支店長。 >>902
そりゃ活躍できなかったのは単なる結果論だよ
実績見ても六大学のスーパースターで三冠王でソウル五輪のメンバー
大森と元木が巨人熱望して巨人が即戦力の大森を選んだ
それだけの話
活躍できなかったから大失敗はおかしい
オコエや清宮や佐々木もどうなるか知らんが活躍できなくても
それはスカウトが見る目がなかったとは言えない 古本屋で「週刊ベイスボウル 1980年10月号」を入手したら「球界に プリンスショック!」とあり
「どうやらプリンスは愛甲(横浜高)川村(松商学園)高山(秋田商)中島(柳川)宮坂(松代高)渋谷(同大)が
内定済みらしい。原(東海大)の可能性あり。西武以外のプロ11球団は西武に戦々恐々」とあった。
当時の西武の「イケイケぶり」が文面から見えた。 仮に立浪を引いてたとしても立浪はお断りします、になってただろ。
それくらいあの時の南海は環境がプロとは言えないレベルだった。
選手だって職場を選ぶ権利はある。 >>902
大学時代の大森は早稲田小宮山悟が悔し泣きしながら敬遠したという好打者
巨は慶応閥だし前年エースの志村亮に三井不動産に負けて振られてるから
ここでとらない選択肢はなかった
のと、当時は選手の希望に忖度するのが一般的な時代になってたんで
ダイエーになりたてホークスが強行しなきゃ元木は二位でとれる可能性が高かった 巨人は慶大閥が強くて上田みたいな二流でも一位指名してしまう
リアルタイムでも他球団のスカウトが「大森は一位レベルじゃない
巨人は一位元木 二位大森なら二人とる事も可能だった」と言っていた
大森が「高校生より下の順位は嫌だ」とか身の程知らずの順位縛りをしたんだよ
王の頃はけっこうドラフトで当てていたが藤田の二期はホントに酷かった 嫌がる愛甲を説得してロッテに入れた横浜高校渡辺監督は物凄く凄い
おかげで師匠落合に会えたし >>912
結局大森も元木もその後の実績を見たら
スカウトに見る目がなかったんしゃないの?
野茂や佐々木や与田避けて避けて大森と元木とか
だが巨人の歴代ドラ1を見ると結構良い仕事してると思うよ
4分の3は主力として活躍してる なんで第2次藤田政権時代だけドラフトが機能しなかったんだろ? 別スレで読んだ話だが高田繁は巨人のドラフト一位は勿論光栄だったが
「巨人は外野手の層が厚いので厳しいな」という思いもあったんだそうだ
高田がすぐにレギュラーになれたのは守備が良かったからだろうね >>917
ミスターこ欲しい欲しい病で活躍するポジションがそもそもなかった
あれだけ自前の選手無視して外部から取りまくると
そりゃダメだろ
青田が特に期待してた吉岡なんか育てれば原以降の松井と並ぶスーパースターになれてたのに 松井はあらゆる面で別格だったな
松井がまだ二年目か三年目くらいの時甲子園での阪神戦で
強烈なライナーと思った打球がグングン伸びて浜風を突き破ってそのままスタンドに入ったのを生で見た
到達時間は2秒か3秒くらいだったと思う
往年の中西太はこんな打球を放っていたのかのかと想像した
ぶっちゃけ長距離砲としての素質は清原よりも上を行ってるんじゃないかと思ってしまった >>916
元木の通算成績は軽く見られがちだが、普通に担当スカウトが万歳するくらいには成功だったと思うぞ 藤田元司第2次政権ドラフト1位
1988年、吉田修司(移籍してから活躍)
1989年、大森剛(2軍で活躍したが1軍では殆ど出番なし)
1990年、元木大介(内野の便利屋として長嶋監督が重宝)
1991年、谷口功一(投げ込み過多で故障)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/33867 93年以降明らかなハズレは三野と原ぐらいかな
あとは全員活躍
太田も日ハム行って開花したし 巨人の場合は指名すればほとんどは入団するわけだからな。
南海の場合は拒否されるというリスクも考えながら指名せんといかんかった。
山倉が入団していれば野村の後継者候補として英才教育を施したかもしれんし
武藤は何回の一位の時にプロ入りしてた方がよかったんじゃないかと思う。 高田は南海ファンだったと昔聞いたことがある
阿倍野の散髪屋の故人となったおっさんの話だったので
真偽のほどは分からない
その店には住友平も来ていたという 巨人の1位指名を拒否したのは小林秀一だけ
理由ははっきりしていて
「当時はプロとアマが険悪な仲でプロ入りするとアマで指導者復帰が難しくなるから」
今はプロとアマが和解して元プロのアマ指導者復帰も容易になったので
今の様な状況だったら入団したと言っている >>926
当時はアマ側も、指導者にさせたい人材をプロに入団させないために囲い込んでいたな。
有利な条件で入社・入学させたりして。 南海の末期は人気がない散々言われてたけど、
週ベの読者投稿欄では南海ネタが多かったからファンとまではいかなくとも
それなりに関心を持ってた人はそこそこいたんじゃないかな
4コマ漫画でもはた山ハッチ、高岡凡太郎、いわみせいじあたりに
よくいじられてたのが懐かしい >>926
そのドラフト(73年)があった年は巨人内部では湯口事件が3月に起こった影響もあってか、
1位の小林のみならず2位、3位、5位指名された選手からも入団拒否されてた。 >>909
立浪は南海志望してたよ。母親思いだったので地元希望だったし ノムですらアイツだけは扱いきれないって言わしめた東尾って凄かったんだろうな 打者に当てることを前提として投球を組み立ててる時点で頭おかしいからな
稲尾に打たれても打たれても投げさせられぶん殴られて教育された結果ああいう化け物になった 危険球ルール等整備されたの現代の野球だったら東尾は3年ぐらいでクビだったかな
本人は高校時代には自信のあったストレートがプロに全く通用しないことで野手志望だったが
チーム事情で結局投手を続けなきゃならなくなったからな >>933
稲尾だけでなく河村英文の影響も大きいと思われるな。
河村は南海でもコーチをしていたが。 「伊原VS野村」の対立は有名だが伊原は小学生時代から南海、野村の大ファンでファンレターを
野村宛に送ってたほどらしい。 伊原は野村をやたら老害呼ばわりしてたことが気になる
ジジイの野球理論はもはや最先端じゃない
先入観で凝り固まってるから改めもできないと手厳しいものだった
自分が尊敬していた存在だったからこそ認められなかった悔しさ怒りが増幅され完全否定に至るんだろうな
鶴岡と野村のケースもそう
可愛さ余って憎さ100倍みたいな >>935
マジレスすると、あれだけの制球力があるなら
その時代その時代のルールに合った投球するだろ あれだけの制球力があるのにぶつけに行くから最悪なんだよ
要は面倒なだけ デービスが東尾をぶん殴った後に外人選手への風当たりが強い時代なのに
上田監督や高田監督が東尾批判をしたな
「打者を狙って投げる東尾が何も処分されないのはおかしい」とね
DH制導入で投手が打席に立たなくなった事で報復される心配がなくなったから
ますます調子に乗ったんだろう >>929
南海は人気あったよ
黄金期を知ってる人がまだ元気だったからね
ファンじゃなくても名門として敬意を払っていた野球ファンは多かった
ただ弱かったから応援の仕様もなかっただけで >>939
正直今までどこで何してたんかと思った。 >>929
がんばれエガワ君だったかで、各球団が投手力、打撃力、守備力とウィークポイントをあげ、オチの4コマ目で穴吹監督が「ウチは全て力不足よ」と高笑いしていたなあ… 元木の後見人がかつて野村の側近だった杉浦正胤
この人は何者だったんだろう >>942
トンビは
「お前のところは狙ってぶつけてないとでも?」
と言ってたな >>932
そのトンビですら扱いきれなかった西武末期の清原 東尾はヘボバッターが俺からただで一塁出れたことをありがたく思えとか
俺に内角を抉られるのはそれなりのバッターだと認めてやってる証拠だから光栄に思えとかほざいてるからね
擁護しようのないクズ >>937
しかも、一度も返事が返ってきたことはなかった
というオチがあるw >>937>>938
そもそも、阪神監督時代に伊原を呼んだのは野村だった
阪神球団と伊原は縁もゆかりも無い
野村が呼んでくれと言うから福本をクビにして呼んだ
就任当初は野村が「日本一の三塁コーチ」と持ち上げてた
で、1年間監督とコーチの関係になるのだが
ここで決定的に対立して伊原は1年でクビになって西武に出戻り
内部のことだから、2人に何があったのかは当人のみぞ知る 野村の遺作にあったが
辻がヤクルトに移籍したとき、例の日本シリーズでの神走塁について聞いたところ
シリーズ前、西武の選手たちが巨人のビデオを見たとき
クロマティの緩慢な返球について
「あれなら、タッチアップで2塁からホームへ帰れる」「1ヒットで1塁からホームに帰れる」
という声が選手の中からあがっていたそうだ
結局、辻は伊原については何も言及しなかったことに野村は驚いたそうだw 野村は走塁の全権を伊原に任したらあまりにも走者を殺すからたまらず取り上げたと語ってはいる
伊原の走塁は徹底的に走塁の基礎をやらせた西武の選手だからこそできた賜物だろう
清原が八重歯が唇に突き刺さるぐらい殴られたのも伊原だった 城島は王や工藤相手でも時には噛みついていたし
それをいつまでも引きずり続けるようなねちっこさも無いから
あの件で今も野村を恨み続けてるなんてことは考えにくい
ノム「次は頭にいくでぇ、」「今度こそ頭だぞ!」 「当たったら痛いだろうナァw」
西本監督「先に野村にぶつけろ!」
達川 「危ないトコ行くけェ、気ィ付けとけや、」 >>950
そもそも清原が遊び人になったのは東尾の薫陶だろ 鈴木山田村田とともに四天王と言っても東尾は落ちるなあ
張り手をかます横綱みたいなもので・・・
山内新一と高橋直樹の方が印象は良い >>954
伊原がグルグル回さなかったら辻も三塁で止まってだろ
その伊原がクロマティと言うよりも川相が右向きで中継したのを見ていけると判断して回した
川相が左向きで辻を見てたら走れなかった
あれは伊原のファインプレーだよ 四天王で最高の実績を出してるのはクサだけどいまいち凄さがわからなかった
山田のシンカーにエロスすら感じる美しい下手投げ
村田の豪快なマサカリ投法40過ぎても150に迫る速球凄まじい落差のフォーク
東尾のケンカ投法スライダーシュートの左右のコンビネーション
ファミスタでもコイツらはめっちゃ能力高かった
クサだけはあんま印象に残ってない >>929
昔のはた山は12球団扱ったし 絵もそれなりに丁寧
ネタも他の漫画家より抜きん出ていた(他がつまらなすぎたという見方もあるが)
ただ 漫画はのし上がる手段でしかなかったというのが残念 クサは勝ち星稼ぐために強い西武や阪急や日ハムを避けて
勝てそうな南海戦ばかりに投げてたからな
自分勝手な人間だよ 引退のきっかけも大阪球場の南海戦でフルボッコにされ
ボールがフェンスに直撃した緑の痕を見てこりゃだめだと決意したくらいだからな >>960
伊原は、野手の捕球体勢が崩れたら本塁に突っ込めるよう
浅い外野フライでもハーフウエーではなくタッチアップしろと指導してたな 野村は革命家なのは確かだが他人の始めた革新的な理論は嫌悪するんだよな
2番強打者打線とかにも「V9巨人ではそんなことやらなかった」とか斜め上のことをこぼしてた >>967
逆に川上さんは晩年「今だったら全然違う野球をやる」と言ってたんだよな。
野村というのは古い型にはまって進歩しようとしないタイプだと思う。 野村は結局好き嫌いでしかものを言えない人間だからな
川上の親孝行名選手理論は手放しで賞賛
鶴岡を批判する上で散々引き合いに出してたサヨナラを打たれて直球もカーブも怒られた
どうしたらいいか訊いたらバカタレ勉強せいともっと怒られた話
鶴岡はまともなこと言ってるだけ
その場面は走者やカウント全て状況が一緒だったのか
監督がサヨナラ打たれてエヘヘと笑ってすませれるのか
お前が監督の時絶対古田に同じことやってただろと言いたい ヤクルト監督時代の後期に人間論とか教育論を語り始めたよな
あれもサチヨの影響(洗脳)なんかねえ… >>970
師弟の間柄でも微妙な関係の古田
新人だった嶋に「野村さんの言うことは黙ってハイ、ハイと言っておけばOK」と教えていたな 親分が杉浦ばかり可愛がるから性格が歪んじゃったんだよ
杉浦が打たれてもいつも怒られるのは野村だったらしいし 森や古葉と違い
阪神も楽天も辞めた直後に優勝したのがアシスト評価に 二番に強打者を置くって元祖は西鉄の豊田の様な気がする 大毎ミサイル打線も強打者が4人(山内、榎本、葛城、田宮)いたので、2番に榎本を
入れることもあったな どれとは言わないけど明らかに南海ファンと思えない書き込みがやたら増えてる。
他に適したスレがあるんじゃないの。 下らん書き込み増えたな西鉄系に野球オタクの爺さんいるから、そいつだと思う >>981野村乙也
わずか6週間で1スレ消化とか凄いな。新記録じゃね? 当時の週ベの読者投稿でものすごくよく覚えてるのがある
「大相撲の番付編成会議がホテル南海であったそうですが、
ホテル南海でやったのには何か深い理由があるのでしょうか?」 >>978
昔はかなりの打低だったので単純に上から打てる選手を並べるのが普通だったっぽい。
しかも野村もその時代に現役だったのだが。 南海ホークス身売りが明らかになった頃に南海龍が問題起こして廃業したんだよな >>983
単に大阪場所が開催される府立体育館から近い
というだけのことだろ。 >>984
今でもそれが理にかなってるという意見も根強いよね
打率・出塁率・長打率を総合的に勘案し、高い順から並べたら得点率が高くなるっていうのはシンプルな考え方
V9時代の巨人が2番には小技に秀でた選手を置くという風潮を作り上げた 野村も最初は門田を二番打者として育成しようとしていた ノムさんは阪急の黄金時代と言う小細工が巧みな2番打者の大成功例にもかなり影響を受けてたはず 広岡も二番強打者には否定的だね
巨人の「2番・坂本」をまねたら日本野球はダメになる
https://www.gentosha.jp/article/13492/ >>989
大熊は2番で福本のアシスト役になる前は1番5番6番でそこそこ打てる打者だったのに2番にされて打撃成績が落ちて
年俸下げられると気落ちしていたら貢献度を買われて昇給したのでヤル気になったと後年の記事にあったなw 「百万ドルの内野」時代の南海は、俊足で犠打も多い木塚を2番に入れていたので、
「小技に秀でた選手」を2番に入れるという考え方は、早くからあったと思う。
高校野球(旧制中学校野球)では、早くからそうだったのではないか? 入団当初の門田の起用のされ方は
稲葉に近いものがあった ヤンキースはジータが二番打ってたよね
一番ソリアノ二番ジータ三番ジオンビ四番バーニーウィリアムズ五番松井かポサダ >>990
広岡ってよっぽど巨人の監督やりたかったんだな
巨人の話ばっかり なんか、勘違いされているかもしれないが
野村の言っている2番打者は、ショボいバッターを置くって意味じゃないからな
クリーンナップの前なんだから
ホームランより、出塁率を重視だってことを言っている >>996
新井をそういう風にしたかったのかもしれないね。
皮肉な事に仰木監督の下で理想の2番打者新井が開花した。 藤原とのコンビも悪くなかったと思うけどな
野村が追放されてから下位打線に回されるようになっていったけど このスレッドは1000を超えました。
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