【仰木監督・イチロー】1995年・1996年のオリックス【がんばろうKOBE】
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阪神大震災のあった1995年にパ・リーグ優勝、翌年の1996年に日本一を達成したオリックスについて語るスレです。 最終的な成績はたいしたことなかったけど
95年の7月8月連続月間MVP
96年の優勝決定試合で起死回生の代打同点本塁打
日本シリーズ第1戦でも代打で四球を選んだだけで仰木監督から
「ナイスフォアボール」と絶賛されたDJ あと甲斐に抜かれたけどわずか3安打でシリーズMVPのニール 仰木監督は三塁コーチで手をグルグル回してるイメージがあるわ
あとパンチ佐藤がデッドボール受けてすぐ走り出したの見て大笑いしてたし
いい監督だったわ > 神戸の人達が心から、喜びを爆発させた。
> 仰木監督の胴上げにファンが手を振り、声をからしてバンザイを繰り返す、
> そんな光景を顔をくしゃくしゃにしながら、見つめている男がいた。
> 「よかった、神戸の人に少しでも、希望と勇気を与えられて…」
>
> 宮内義彦、オリックス・ブルーウェーブのオーナーだ。
> > 神戸の街をどん底に陥れた1月17日…。
> 人々は傷つき、破壊された町並みに呆然とした。
> 「市民球団」オリックスも試合の開催そのものをどうすべきかーと悩んだ。
>
> そのとき宮内オーナーの”鶴の一声”が飛んだ。
> 「大赤字は覚悟のうえ、とにかく神戸で試合をしなさい。
> それが”市民球団”としての使命です」と。
> 球団内では「こんな時期に野球をするなんて不謹慎ではないか」とか
> 「傷ついた神戸の人が球場に来てくれるだろうか」の声があったが、
> すべては宮内オーナーの一言で決まった。
> > 阪急ブレーブスを買収したのは1988年の暮れ、
> 市民球団として神戸にやってきたのは1991年からだった。
> 「今までのプロ野球は”ファンのためのプロ野球”という意識が薄かった。
> 私は市民球団として、地元に愛されるチームにしていきたい」
> と宮内オーナーは、選手とファンが一体化していくチーム作りを
> フロントにお願いしていった。
>
> 少年野球の指導、ファンにグラウンドキーパーを体験してもらうなど、
> 他球団にはないイベントを次々と打ち出し、選手とファンとの距離をどんどん縮めていった。
> 「ファンサービスの効果は何年後に出るかは分かりません。
> ただ、できることは今後も何でもやっていこうと思っています」
> 地道な努力が、グリーンスタジアムに多くのファンを運ぶ結果となって表れている。
> > もちろん、イチローという”プラスアルファ”も大きかった。
> イチローの存在は神戸だけでなく、全国のスタジアムにも多くのファンを運んだ。
> 「イチローは王、長嶋と並ぶスーパースターだと思っています。若くて、さわやかで、
> しかも自分の力を鼻にかけることなく、努力を怠らない。素晴らしい選手にウチは巡り会えました」
>
> しかし、宮内オーナーの自慢はイチローだけではない。
> FA制度の導入で「数十億円もの大金をかけないと優勝できない」とまで言われた
> 球界の”通説”を見事に打ち破ったことだ。
> > 「強さの源は”自助努力”だと思っています。ウチのメンバーはイチローを始め、
> ファームで鍛えてきた選手ばかり。馬場、勝呂、渡辺、高田、鈴木はトレード組ですが、
> 彼らも、前のチームで決してレギュラーだったわけではない。
> 外国人だって、際立って高年俸とは言えないでしょう。
> それでも、チームの姿勢次第で勝てるということです。
> もちろん、仰木監督の手腕に負うところは大きかったですが」
>
> これからも、自前で選手を鍛え、育てることで、
> 毎シーズン強さを持続できるチーム作りを続ける方針だ。
> > 自身も大の野球好き。今なお、草野球チームのエース。
> サウスポーから繰り出すカーブは切れ味鋭い。
> 「ファンの皆様に野球の素晴らしさを満喫してもらって、
> 今年だけでなく、毎年、毎年グリーンスタジアムが満員になるような
> ブルーウェーブにしていきたいですね」
> と”夢”を語った宮内オーナーも神戸で生まれて、育ったー。 仰木監督はドラフトでごみしかとらないガン細胞だった
野手ではニールが長くいすぎたなニールは日本の外国人のトップだったらしくていつも神戸に外国人選手を集めて飲み会を開いていた >>12
これで日シリで勝ってたら完ぺきだったんだけどな
小林とオマリーの対決なんて懐かしいわ 2024年にお札の柄が変わるらしいが、将来イチローが万札になる日もくるだろう
まあ死んでからだから、本人も俺らも見ることはないだろうけど 仰木が野村貴仁について語っている対談等を読んだんだけど、仰木の言ってることに強烈な違和感を覚えた
メッツのバレンタインから持ちかけられた当時メッツにいたペタジーニと野村のトレード話を断って野村を巨人へ出した話にしろ
先発や抑えを希望する野村に左リリーフの戦略上の必要性だの、自分の言う通りにしてたら給料が上がるだのと仰木が説いても野村が納得しなかった話にしろ
使う側の都合に立った話しかしていなくて選手の気持ちを考えてないというか 監督が選手の気持ちを考えるわけないじゃん
そういう仕事じゃない >>18
三原脩が
「アマは和して勝つ、プロは勝って和す」
って言ったのと同じだ
ゆとりは黙ってな >>18
野茂やイチローの恩師ってイメージで勝手に聖人君子と思い込んで
勝手に幻滅しただけじゃない? 95年優勝決定翌日の記事
> ここまでの道程は決して平たんではなかった。
> まず監督として手がけたのは「プロとして存在感のない影の薄いチームをアピールする」ことだった。
> その上で、試合に勝つ方法を選手へ浸透させていかなければならなかった。
> 勝つためには非情さも必要だ。
>「チームはさびると死ぬ」との信念がそうさせた。
> 試合に出られない選手がつむじを曲げても知らん顔した。
> ホームランを打って自分とハイタッチしない選手もいた。
> そのたびに「いいんや、それで」と心の中で繰り返した。 仰木は三原仕込みのスター選手偏重、並の選手冷遇だから
聞く相手によって評価変わるよ アンチ仰木
野村 高橋智→土井に恩義あり
星野 藤井 中嶋 本西 小川→起用法に不満
光山 加藤哲→近鉄OB対談ではっきり嫌いだったと言い切る
吉井→オリックス復帰までアンチ仰木
権藤→近鉄で揉めるまでは飲み友 大スターや目に掛けた選手は大事にして、大スターまでは行かないが実力があり戦力として有用な選手は酷使して使い潰すとかかね 中西太だって仰木と揉めてたぐらいだから
和解はしたそうだが アンチ仰木ではないが田口壮も一度この打者はこの投手が苦手と判断すると
挽回のチャンスを与えてくれないみたいなこと言っていたな
山本和範の最初の近鉄在籍時代に酔っ払いながら
お前投手クビ明日から打者やれ
と言い放ったのも仰木だっけ? 権藤と仰木は一応和解しなかった?
時が解決したというか
権藤は仰木の殿堂入りパーティに来ていたはず
仰木って米崎をサヨナラエラーで干したらしいし、選手によっては結構シビアなことするよなと思う
そこが勝負師何だろうけど
話が盛られている感あるが、その試合の後米崎が仰木と料理屋で鉢合わせしてこっぴどく怒られたか、逆に今日は飲んで忘れろやって2つ話が出ているw 野村が首脳陣に対する不満をあからさまに表に出すことに腹を立てた仰木がセーブポイントの付く直前で野村を交代させたけど
対する野村は「何やその程度か、どうせなら二軍に落としてみろ」とベンチで叫んでたみたいね その頃から覚せい剤というか興奮剤使ってたのかね
>野村 仰木さんは現役時代に1試合6安打のパ記録を作ったんだけど
BW監督時代に大島公一が5安打したら途中交代させて
6安打目の機会を与えなかったw
のちに城島健司が記録して現在はパ・タイ記録 仰木を全面的には肯定できないけど
病を抱えながらオリックスバファローズの初代監督を受けたあたりは
やはり尋常の人ではないなとは思う >>29
両方とも合ってる
米崎があまりにも落ち込んでいるので金村が仰木の奥さんを誘って飲みに行ったら、後で仰木監督が来て米崎を呼び出し、説教する一方でビールを飲ませていた 1995年のON監督対決懐かしいね!
N監督が空気を読まずに日本一になった事。
あの時は、阪神大震災が起こった年なのにね。
O監督とN監督ご冥福をお祈りします。 意外とエグいことするし周りに敵が多いってのも三原さんに似てるな >>18
仰木は適材適所が売りの監督なんだからしゃあない
特に仰木は抑えが最重要と見抜いてたし
そこに野村を使わない選択肢は無仰木にはかったんだろう 近鉄時代は5番まで打順を固定してたイメージだけど
オリックス時代はよく変わっていた 土井の時は固定されたんだよな藤井
仰木になってから併用起用になった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています