好成績なのに叩かれたり不本意なシーズン扱いになってる成績
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1992年 野茂
3年連続最多勝と自己ベストの防御率も
前半の不振と西武戦の重要な試合で打たれたことで印象の悪いシーズンだった 87、88年落合はリーグの主砲としてはトップクラスの成績を残してるのに期待値が高い分、叩かれた。
特に88年。
逆に94年はレギュラーになってから最低の数字も
長嶋がさかんに落合効果と言ってフォローしてくれたり
10.8でホームラン打って優勝したことでめでたし、めでたしみたいな感じになった。 1997年 平塚克洋
135試合.293 本17 点68
あの頃の阪神選手としてはむしろ出色
なんだが、何故かからかいの例に使われてるw 1985年 レオン・リー
3割30本100打点超えもチャンスに弱いとの理由で大洋をクビに
移籍先のヤクルトも1987年に3割20本を打ちながらクビ
こちらは年齢が理由でもあったが 1999年の松井秀喜は初の40発もこの年躍進した高橋由伸に存在感の部分で食われて影が薄かった印象
もっとも松井と高橋は次の年以降は差が開く一方になるのだが >>7
斎藤は全然叩かれてないよ
むしろ実質エースとか言われてた 大洋松原とか、殆ど顧みられないな。
真弓も岡田より上なのに下みたいな扱い。 91年の池山
打撃の方はまずまずの成績で守備では守備率とRFでリーグトップクラスの数字を残したが年俸は現状維持。
タイトルホルダーの広沢と古田は大幅アップしたけど。 松原は守備以外は成績見ても打率本塁打足肩 全てよく分からんので
ベスプレ、パワプロで作成するのに困る 2011の坂本勇人
高水準ショート守備にフル出場、前年とほぼ同等の打撃貢献
加藤球でプロ野球全体の打撃成績が大幅低下したにもかかわらず不振扱いで年俸ダウン >>14
中西太や山内一弘が3冠王未遂している所を見て来た豊田泰光が文句を言いたくなるのも解かる。 >>4
レオンが移籍した先がスワローズじゃなくて別のチームだったら
ペナント争いに大きな影響を与えたと思うんだけどね。
黙っていても3割30本を期待できる選手なんて滅多にいないのに。 1989年郭源治 前年より成績下がったから年棒ダウン
今ならダウンはないかな
1982年の江川は要所で打たれていて1の1992年野茂と似てるね 86年の原って年俸ダウンになったんだっけ?
たしか吉村に年俸抜かれたんだよね? >>17
82〜83年頃の江川は
小学館の学習誌(○年生)まで
「16勝で最多勝じゃ巨人エースの名が泣くぞ!?」
とか見出し付けてたw
実際、数字すら関係なく81年以外は最多勝届かんで
80年代から江川に限らず20勝投手自体が減り始めるけど
90年代以後の球界事情を知り得ぬ記事に。 2001年の松井秀喜
首位打者を獲得しているのに。 89年の石毛
打率、本塁打は前年よりダウンだが98四球で4割近い出塁率
一番打者でこれだけ出塁率があれば合格だがチームも優勝逃がしたこともあり年俸もダウン その四球が多かったのは知っているけど1989年の石毛って
全然活躍した記憶ないな。唯一覚えているのはオールスター前に
日本ハム戦で決勝HR打っていたこと。
個人的には石毛の衰えが見えてきた年ってイメージがあるわ1989年
俺だけじゃなく監督の森もそう思っていたのか翌年から
一番を辻が多くうちことが増えて石毛は6番を打つことが増えた。 >>12
二塁打をひたすら放ってホームランもそこそこ多くて右打者
立浪を右打者にしておっさん臭くしてスター性を抑えて一塁にコンバートした感じ
守備は駒田とか愛甲の上位互換
安定した180度開脚捕球技術を持ち、ゴロ捌きも上手い 松原は1塁・3塁じゃなければB9を10回位受賞している筈の選手 2005年の松坂
完投15 完封3 投球回215 防御率2.30
14勝13敗だったけど、沢村賞クラスだしキャリアハイ 2001年の松坂も
完投12、投球回240で断トツ
防御率もパ・リーグの中では良いほうだし、沢村賞で文句なし 今年の坂本はペナントでは歴史に残るショートとして大活躍したけど
最後の最後でミソをつけたな 92年の中込伸
同年のセリーグで投球回やWHIP、
防御率見るとNo.1なんだが… 2002年のイチローは初めて首位打者逃した年なので仕方ない >>10
真弓が岡田より下なんて思った事一度もないし阪神ファンはだいたい真弓>岡田な気がする 85年の打撃3部門の成績なら岡田の方が全て上だね。 そうかなあ
あんま真弓は語られてない気がするなあ。 2011、2012の低反発球時代
大谷翔平という二刀流選手
パ高セ低 >>31
200イニング投げて9勝8敗って異常だな 2016藤浪
それまで順調に育ってダルマー路線に乗ったと言われてる中
かなりがっかりされたが今思えばそれなりの成績だった
ていうより2015は違反球並の打低環境だったので評価されすぎてた面もある 1987年のバースの1985、1986年のブーマーは落合に負け無冠だから
物足りねえって言われていたわ
バースは衰えたとかいう人もいた。
王の1971年は後半スランプで二冠なのに不本意な年、1972年も前半不振で
二冠なのに三割割ってたので王にとっても不本意な2年間らしい。 >>36
岡田だって現役時代を語られてるのはバース掛布と一括りがほとんどでたまにルーキーの頃のブレイザー関連の話くらいやん 松中の三冠王もセギノールと本塁打同数だ五輪でライバル離脱したからだとかケチつけられてたな 松中といえば2006かな
首位打者 OPSトップなのにホームラン激減で全く評価されなかった 2001(讀賣)松井秀喜
本塁打・打点は意外に伸びなかったが打率は崩さずに首位打者を獲得
実はこの年に東京ドームの看板直撃本塁打を3本打ったり、自身唯一の
1試合3本塁打を3打席連続でやったりしていただけに意外だったが… 岡田は85のイメージが独り歩きしてるだけでその他の年は平凡だよな
二塁ならまあまあくらい 岡田は監督時代もそう
なんとなく落合原と並んで語られることが多いが全然レベルが違う 清原のG1年目
ホームランと打点は数字だけは十分及第 中日移籍1年目の落合
.331の打率は立派だが40ホーマーどころか30ホーマーもクリアできず打点も100以下
っていう書き方をすればスレタイと逆の意味になるが好成績といえば好成績 49と同じような書き込みが続いてしまった!
リーグが変わる1年目は大変ということですわ そう考えるとからくりに里帰りしたガッツ一年目は凄いな。 清原に関しては散々西武末期と巨人初年度は成績変わらん言われてるんだけどな
ただ前半戦終了時点の成績.215 13本はあまりにひどい
V逸がほぼ確定的になった後半に帳尻しただけ
叩かれて当然かと 2006松中も文句言われるのは当然だと思うわ
それぞれ求められてる役割があるもん
打率がよかろうと長打求められてる選手なのに20本以下は物足りない 山崎武も3割残してホームラン10数本になったら給料下げられたことあったな 2005年だったと思うけど、ガッツが37本塁打打ったのに3割割った(それでも.280)からって現状維持だかマイナスだかの査定受けたよな >>56
今年の山田が下がるようなもんか
厳しいな
てか今年の山田が特に物足りないと感じなかったんだよなあ
そこまで期待されてるわけじゃないってことかな >>57
この年のロッテは球団初の最下位だったし、本塁打や打点も大きく減ったからそういう評価だったのかもね!翌84年も本塁打、打点は増えたのに初のスランプ(とはいえ最終的に.314打った)現状維持だったのも解せない。 >>58
山田って今年の内容でもoWARは小笠原のキャリアハイ以上なんだよな
二塁手で足も速くて選球眼も良いんだから当然といえば当然だけど ガッツは18本塁打でも3割でプラス査定だから、率を期待される立場なんだろうけどね
でも2005年は打率・出塁率は例年を下回ったし三振も多かったけど、自己最多本塁打に92打点だからなあ 北京オリンピックのGG佐藤
打撃は良いほうだったし、準決勝の落球も勝敗に大きく関わるプレーじゃなかった 2001年の広島
勝率で横浜を上回りながらこの年だけ勝利数で順位を付けたためにBクラス 川藤の代打成功率はその後の
インスタント神様よりむしろいいのに
目立ってただけみたいに扱われてる。 50年の王
ボロボロ(前後の年と比べ)のシーズンなのに打点王獲るあたりなかなか メジャーでの松井稼頭央は当初の期待からは物足りない成績で終わったけど
後にメジャーに挑戦した内野手を見るとかなりやれた方だと思う。
松井稼よりも上といえるのは井口ぐらいで2010年代に挑戦した内野手なんて試合に出るのがやっとのレベル。 >>64
2010の龍虎争いも見くびるなやVやねんよりも勝ててないんだよな 落合なら1983、84年
ともに前半不調で後半帳尻合わせ
83年は首位打者取るもチーム初の最下位
84年は無冠 落合は85、86の前後の2年は3割30本前後の数字でも物足りなさがあったのか。
89年も最終的には3割2分、40本クリアして打点王も、10月に入ってからの帳尻が凄かった 日本時代のイチローも3割4分台の年は物足りなさ感じたな
首位打者だからすごいんだけど 逆に1994の落合は大したことないのに10・8のホームランとタイムリーで持ち上げられすぎ
シーズン中にもっと打ってりゃあんな接戦にもならなかっただろーに 1983の腹
たぶん打点王だということは知られていないんでは イチローはオリックス時代もシアトル時代も本拠地が投手有利だからな
2004年はホーム打率.338ビジター打率.405
中日は2009年も2012年もパ・リーグなら優勝できた
実際2007年はセ・リーグ二位から日本シリーズで圧勝したし
阪神も2008年ならパ・リーグで優勝できたな 1971年の門田
主に3番打者として3割31本120打点で打点王だが目の前で打点をカッ攫われた野村克也4番打者兼監督にホームラン狙いはせんでええと叩かれた 2009年松井秀喜
ワールドシリーズで確変したけど、レギュラーシーズンでは冴えなかったってイメージが些か強い感
成績は打率.274、本28、点90。指名打者選任でスタメン落ちがしばしばあったが、そんな中で28本塁打で本塁打率はリーグ上位だった
実はメジャーでキャリアハイの31本塁打を放った2004年よりも本塁打率が高い 単にこれ以上上がり目が無かっただけだろ。96年に巨人を退団した落合と同じ。 >>67
「イチローと比類、ひょっとしたら上回る選手」
「日本プロ野球歴代史上最高のショート」
みたいな感じでメッチャ注目された上にマスコミが超絶シビアなニューヨークだったもんな
まだ試合にも出てないのに「ロサンゼルスに豪邸購入」みたいな記事も出てたし、年俸もまだ1000万ドルプレーヤーがそこまで多くない時代に750万ぐらいだったっけ
最初からロッキーズとかアストロズで年俸も抑えてたらあそこまでボコボコにされることはなかったろう 中日 木俣 1974年
チームが優勝して捕手として3割2分も打ったのになぜか非常に影が薄い
MVP票もほとんど入ってなかったと記憶
20勝したのに沢村賞を星野に持ってかれた松本幸行も同様 首位打者になった年の西武和田
チャンスには酷い成績でこのころから高級アイス呼ばれに 江川原掛布あたりって
成績が良くても悪くても
とりあえず叩かれる事が多かった印象 1981年の掛布、生涯最高の3割4分打ってたしか打率3位か4位だったと思うが、
HRが23本と少なかったせいで活躍した印象があまりない。 >>86
四番を任されるようになってからヒットではファンが満足しなくなって
きてホームラン狙いになって自分本来のバッティングができなくなった。
そのせいで選手寿命も短くなったと後悔してた。 江川の頃はエースなら中4日で20勝しろやの風潮がまだ残っていた >>78
守備に一度もついてないのよね
インターリーグのDHなしの試合では使えない
おまけに相手先発投手が左だとベンチ待機もしばしば
「率」ほどには評価されなかったのは、使い勝手の悪さゆえのことだろう 1971年の王
本塁打・打点の二冠王に加え得点・出塁率・長打率もリーグトップだったが
前年まで8年続いていた40本塁打と打率3割がともに途切れて「残念」感たっぷり >>84
たしかMVP票で王に次ぐ得票数は星野と高木守道だったような。
あの年の中日の貢献度評価はあとでみるとおかしい。
リアルタイムで見てた連中には納得だったのかもしれないが。 >>83
それ以来星野松本は星野が死ぬまでずっと不仲になったらしい
マスコミ懐柔してタイトル貰ったと批判したら追い出された星野は許せないとかなり恨んでいたとか 2003年の清原
規定打席には足りないが、打率.290で本塁打26本は主軸としては一応及第点な気が
この年36歳にしては頑張った 若手時代の阿部慎之助
打撃で好成績を残しても「リードが〜」と叩かれていた >>90
後年王が打率3割なのに本塁打40本に届かなかった
と記録の手帖で終わった扱いされてたな
長嶋政権一期目が振るわなかった原因のひとつに
王が川上政権ほど働かなかったからだとも。
リアルタイムじゃなくて記録の手帖を何年分かまとめた本で読んだけど >>95
子供の頃、不細工過ぎて顔隠してるのかと思ってたらキャッチャーってそういう仕事なんだなって途中で理解した >>96
「打率3割なのに本塁打40本に届かなかった」のは1978年ね
.300だがリーグ15位で、16年続いていた「打率ベスト10入り」が途切れた年でもある
1971年は打率.276で、前年まで3年連続獲得していた首位打者から転落
(その代わり?3年連続で逃していた打点王を奪還したが)
1971年の最終戦の結果を伝える新聞に、
最終打席で本塁打が出ずに連続40本塁打が途切れガッカリ、の王の写真が
使われていたような、漠然とした記憶(のようなもの)がある 2001年のゴジラ松井とかそんな感じかも
3割3分越えの打率で首位打者になったのに、本塁打は36本と、前年までの2年連続40本から数を落としたから、当時はそこまで褒め称えられていなかった記憶
シーズン途中は清原あたりに本塁打数で負けてた時期もあったような >>99
テキトーなところで8月1日時点
江藤24本塁打、清原20本塁打、高橋20本塁打、松井19本塁打
他チームではペタジーニ27本塁打、ロペス21本塁打、山崎20本塁打、稲葉20本塁打 >>99
たしか長嶋監督勇退発表の日のゲームで
3本打ってようやっと36本になった記憶
しかもその試合でも負けてるっていう 常に変わらない姿勢を保つメンタルコントロールに定評がある松井も、2001年中盤あたりまでの本塁打数の伸びなさには内心焦りがあったのかも
江藤、清原、そして日本時代には唯一ライバルの打者として意識したらしい高橋にも途中までは負けていたとなるとね >>103
前半の70試合で15本、後半70試合で35本か >>104違った
前半70試合で17本、後半70試合で33本 2001〜2002前半の松井は、新たな高みを目指して打撃改造して率は上がったけど、副作用で打球が上がらなくなったとかか? >>4
これでチャンスに弱いってどういうことなんだろうな
ファンは怒らなかったのかな 89年パリッシュ
40本100打点超えもチャンスに弱いとの理由と打つだけで走れない守れない奴はいらないと野村に言われてクビ 今パリッシュが阪神にいたら
野球の神様になれるわ。 05年の阪神
まあ自分たちが悪いんだけど、
相当強いチームですよあれ 同年シーズン勝率1位からプレーオフ敗退したソフトバンクも流石にかなりの強さだった
2位から下克上のロッテも戦力は充実していたが、PO・シリーズと短期決戦の爆発力で勝ったというべきか 1試合平均の得失点差2000以降のセ・リーグ優勝
1.42 2000読売
0.81 2001ヤクルト
1.47 2002読売
1.38 2003阪神
0.47 2004中日
1.36 2005阪神
1.18 2006中日
0.94 2007読売
0.69 2008読売
1.09 2009読売
0.13 2010中日
0.06 2011中日
1.25 2012読売
0.62 2013読売
0.31 2014読売
0.39 2015ヤクルト
1.31 2016広島
1.37 2017広島
0.49 2018広島
0.63 2019読売 1試合平均の得失点差2000以降のパ・リーグ優勝
0.34 2000ダイエー
0.18 2001近鉄
1.29 2002西武
1.67 2003ダイエー
0.47 2004西武
1.91 2005ロッテ
0.85 2006日本ハム
0.26 2007日本ハム
0.62 2008西武
0.97 2009日本ハム
0.16 2010ソフトバンク
1.38 2011ソフトバンク
0.42 2012日本ハム
0.63 2013楽天
0.59 2014ソフトバンク
1.19 2015ソフトバンク
1.06 2016日本ハム
1.08 2017ソフトバンク
0.97 2018西武
0.43 2019西武 1試合平均の得失点差2000以降のパ・リーグ二位
0.31 2000西武
0.41 2001ダイエー
0.37 2002ダイエー(0.04 2002近鉄)
0.23 2003西武
0.66 2004ダイエー
1.13 2005ソフトバンク
0.65 2006西武
0.72 2007ロッテ
0.22 2008オリックス
-0.08 2009楽天
0.26 2010西武
0.44 2011日本ハム
-0.01 2012西武
0.06 2013西武
0.81 2014オリックス
0.24 2015日本ハム
1.10 2016ソフトバンク
0.91 2017西武
0.74 2018ソフトバンク
0.13 2019ソフトバンク 1.91 2005ロッテ
1.36 2005阪神
1.13 2005ソフトバンク
一年目の楽天と20試合のソフトバンクより交流戦で6試合の阪神の方が一試合平均の得失点差では上
それでも日本シリーズで大差ってことはセパのレベル差とも言えるけど >>4
>>108
バースが活躍しすぎてショボく見えたんだろうな
3割打って引退のモッカも 逆に貧成績なのに評価が高かったのが89年の中尾
打撃成績は自己最低レベルで盗塁阻止率も平均的
だけどリードの部分がかなり評価されてB9、GG、カムバック賞を受賞して大幅年俸アップ 西武時代のマルちゃんが
「守備が悪くて日本シリーズで使えない」とか言われて切られたけど
西武はその後数年日本シリーズに出られなかったな
■マルちゃん移籍でチームHRが貧化してる。
■98日本シリーズのハマスタは代打出場のみ
守備や連覇より興行とオーナー指令優先で
松阪の獲得資金調達のため放出されたんじゃね?
2004の再編騒ぎ振り返るとあまり思惑通りでもなかった感じだが
いやマルティネスが森繁派だから切られたんだろ
森繁の片腕でドミニカルート仕切ってのはマルティネスだしな 江藤智は最初のHR王を獲得した時に「まだ未熟だ」「物足りない」など評論家から手厳しく言われていた >>112-117
2012年の読売も四月に五連敗を二回したが、その後はリーグ優勝決定まで三連敗なし(消化試合で四連敗)
しかしCSではホームでいきなり三連敗
CSがたまたま不調の時期だったというより、やはり強い相手との短期決戦は公式戦とは別物だろう
といっても2005年の阪神はかなり強いのは確か
他の年に出ていればね 落合が32本塁打、99打点で初めて三冠王になった時、豊田泰光か誰かから「本塁打や打点が少ない」と言われ、
それを知った落合が「三冠王を獲ったことが無い人に言われたくない」と言ったんだっけ? >>121
マルティネスの年俸9000万で破格な選手じゃなかったよ。
代わりに取ってきたシアンフロッコ8000万、ブロッサー7000万で年俸削減の意図は
なかったと思われる。
東尾がいかにも投手族らしい思考で決勝タイムリーエラー一回したら
即刻守備に見切りを付けた。
あと98年オフにドーム化とともに両翼センターともに削ってフィールドを拡張して
より守備力重視の方向に進んだことも解雇の一因。 逆に不振だったのに叩かれなかったり、よくやったと言われる成績は?
94年の落合? >>129
93年の佐々木誠も、.277 7本なのに、オフのトレードでなんか成績は叩かれなかったどころか、移籍先で年俸アップ >>129
リアルタイムで見てて、全然不振という感じはなかった。
つーか打者としては優勝貢献ナンバー1だろ。 >>129
ダイエー移籍後の秋山
西武時代より全ての面で成績が低下するが、移籍初年以外はあまり叩かれなかった >>134
良いところで打ったからね
開幕戦&10.8は言うまでもなく、
終盤のヤクルト山田から打ったHRとか
でも負けが込んでいた秋口頃は、それなりに叩かれてた印象もある。 ベイスターズ移籍後の駒田とか
白化したと言われた中村ノリとか
どちらも本塁打が激減、かといって
打率が上がったわけでもなし >>139
打率3割丁度だと掛布にしてはやっぱり寂しいかな。最低でも3割2分は打たないと。 本塁打・打点・得点・出塁数・塁打・四球・出塁率はキャリア3番目以内に入ってるけどね >>129
91年の清原かな
打率が2割7分ギリギリで年俸も現状維持だった筈 >>134>>137
いやー、年俸4億で終始.280の低空飛行だったけど、
長嶋が三顧の礼でつれてきて、.280でいい、っていてたから、叩いちゃ行けない雰囲気になってたな >>138
中村ノリは03年に怪我して以降は成績的に低迷して、オリックスで清原とのコンビで注目された06年は規定打席未満の率.230くらいで本塁打12
打率を.290台に乗せ、ナゴヤを本拠地にしつつ5年ぶりに本塁打を20本台に乗せた翌07年は当時のノリの成績推移を考えればかなり健闘したって印象だったな >>143
いやー、でも「これが4番なんだな」と思えたぞ。
原が30本打つより存在感あった。 存在感があったというからには、得点圏打率や勝利打点が高かったのか?
全然詳しくないがwarやらrcwin?やらの数値は優秀なのか?
>>148
ファンの間ではかなり叩かれてるのを見たが…
これまでの貢献度もあるし、嫌われてはいないって感じかな >>149
94年の落合は得点圏.242、勝利打点10。
開幕ホームラン、終盤の山田から打ったホームラン、10.8の先制ホームランと印象に残るホームランは多かったが。
打てなくてもチームが勝ってたこともあってか長嶋が「落合効果です」とさかんに持ち上げてた。 落合は92年から衰えが見えてきたし年齢もあってそりゃファンも最初から割り引いて考えるだろう でも落合が巨人の4番だとなんか安心感あった。
4番は落合に任せて、あとの選手はもっと楽に…みたいな 落合は98は年齢で見たらあんなもんなのに異常に叩かれ過ぎだったかと 97年は清原のお陰でさほど叩かれなかった気がする
>落合 94年の落合は、桑田が1-0で完封した時のソロHRとか、
あの10.8決戦の先制HRとか、なんか価値ある一発が多かったんだよな。 印象じゃないの?
実際の数字は>>150なんでしょ? まあでも勝利打点以外でもここぞの価値ある打点はあるか この年から3年連続首位打者のパウエルはチャンスに弱いという理由で評価されてないからねえ…
本人の責任だけではないが好機に打つのはやはり印象を左右する >>154
>>157
暗黒チームが優勝しかけるところなのにブレーキかけたから。
多分当時でいういつものハムや阪神という低迷か、今みたいに普通にCSに短いスパンで行ける程度な強さならそこまで言われなかったかと 原辰徳なんか、試合がほぼ決した後のダメ押し本塁打が多かった印象だけど、
それでも得点圏打率だけは高かったからな。
つまり得点圏打率もあんまアテにならない。 >>158
桑田じゃなくて槙原かな?
ttp://2689web.com/1994/GT/GT22.html
勝負強さを数値化するのは恐らく難しいのだろうけど、
通算で見ても単年で見ても原より落合の方が上なのは間違いないよね
かの94年で見れば、落合は15本しか打ってないのに
>>150とか打ってる訳だからね。
原の印象的なHRで有名な物の一つは日シリ満塁弾だけど、
悪い言い方をすりゃ、それまで18打席無安打だったのは自身の力量だし、
「流れを変えた」といっても既に前日の香田(或いは加藤のアレw)
で変わったともいえるし、5戦当日だって既に勝ち越していたので
逆転弾だった訳でもない。ヤクルト戦のバット投げはカッコよかったけど、
9回表に同点弾打つくらいなら、他の4番打者だってやってる。
最下位から一気に首位戦線に立ったシチュは良いけど、
結局は優勝した訳じゃないしね。
そんな原が好きでしたw >>161
パウエルの場合は巨人時代の落合と真逆で
結局4番に座ってる間にチームが優勝できてないというのが評価に繋がらない理由な気もするねぇ
もちろんパウエル1人の責任じゃないけど優勝チームの4番とそうでないチームの4番は印象変わるね
そしてパウエルが中日のコーチになるのか 試合がほぼけっした後のダメ押し満塁本塁打
0−0の緊張を終盤打ち破るソロ本塁打
打点なんか関係なくどっちの方が価値あるかは言うまでもない。 >>102
2001は松井の打球が上がらなかった
実際シーズン途中の8月前半ぐらいに
「今年は30本いかないかも」
と弱気なコメントもあった
この年は清原の巨人時代のベストシーズンで打点は僅差の二位
総合的に清原が松井を上回った年
その割に優勝逃して長島監督勇退のせいか清原
をねぎらう声は少なかった >>162
中日時代のパウエルの得点圏打率 ()は年間打率
92 .270(.308)
93 .266(.317)
94 .304(.324)
95 .382(.355)
96 .310(.340)
97 .245(.253)
95年以外は年間打率>得点圏打率
同時代のアベレージタイプの外国人打者ローズとは真逆の傾向だな >>164
いやそれは「印象はアテにならない」だろうww。
原って、風貌がともかくアレだから、頼りにならなそうという雰囲気を醸し出してて、何度いいとこで打ってもそっちは忘れられ、打たなかったとこのみ覚えられてるんだよ。
阪神/西武の田淵も風貌でそういう扱い受けてたと思う。
晩年の落合が逆パターン。
若くてカッコいいのは頼りにならん、偏屈っぽいおっさんはイザという時に頼りになりそうっていう願望/先入観/偏見が「印象」を相当左右するんだよ。
実際には原は相当にしたたかな悪人(褒めてる)な訳だけど。 もちろん、全盛期でもトータルでも比較して落合>原に異論はない。 >>170
見事に優勝争いしてた年は打ってないな
確か05年のサブローが繋ぎの四番と呼ばれて持て囃されてたが、もしあれが最下位チームの四番だったら真っ先に戦犯扱いだろうなあと思ったり あの年のカモメは交流優勝と33-4ですべてが許された空気じゃなかったか 94年の落合と00年の江藤って少し似てると思う
期待されてた成績よりはしょぼかったかもしれないけど
移籍一年目でチームが優勝して日本一にもなったから
「まぁFAでとって良かったな」って雰囲気で終わった 同じ状況でも村田は優勝タダ乗り野郎とネットでは罵られてたな >>177
移籍1年目
落合 129試合 .280 15 68
江藤 127試合 .256 32 91
村田 144試合 .252 12 58
村田は成績が低すぎるので叩かれて当然だと思う 村田の時は違反球だし…
まあそれ考慮しても物足りなくて叩かれたのは妥当だと思うが 同情が多かったね
同情される様になったら、
プロとして失格みたいに思う人もいるとは思うけど 村田初年度は解説評論やってた落合が
「この数年の巨人のサードを考えたら充分だろ」って言ってたな
小笠原が駄目になったあとはライアルとかやってた >>180
叩かれる以前に原自体が最早過去の存在になっていた。97年の広沢みたいな感じ。 2008年の松坂
18勝、防御率2.90の成績も
イニングが物足りないとか運に恵まれ過ぎた成績とかいろいろ言われてたな 新井と村田はメタメタに叩いて問題ないという空気があったよな >>110
ノムは基本外人嫌いと云うか
ブレイザー以外は信頼していなかった感が強い
中日ジョイナス高木も外人嫌い
対して星野は外人の扱いが巧かったの
成功した一因
正に人たらしの妙w >>174
バウエルは見た目の数字より
肝心な場面ではからきしのイメージが
強かったからな
94年の10.8と96年のナゴヤ球場巨人優勝胴上げ試合でチャンスに併殺打チェンジ
アソコでタイムリーだったら流れを変える事が出来たかもで戦犯扱いwが目立ったのと
どうでも良い場面では打ちまくり
(勝利に繋がらなくとも得点圏打率は稼げる)
来日中打点も70を超えたのが1回のみ 下手に目前まで優勝の可能性があったから余計にイメージ悪いんだろうなパウエルは
95年みたいに低迷しっぱなしだったらお前は頑張ってくれたのに申し訳ない…ってイメージになっただろう 4番タイプでもないのに4番を打たされたのが妙な力みにつながった
ゴメスが同時期にいたらまた違ったのかも
ステアーズが4番うてれたらな
大豊や山崎は長打力あったけどまだ山崎はのむさん覚醒前で4番タイプではなかったから
大豊も パウエルって飛ばす力はあった
たまに150m級のホームランを打ったと思えばライト前にポテンヒット打ったりとつかみどころのない打者 96年はパウエルとコールズの打順を入れ替えれば良かったのに
1番パウエルと4番コールズで >>183
横槍すまんが、97年の広沢は息を吹き返した年。
落合抜けて気合い入ってたらしい。
清原よりも松井よりも頼りになったぞ。 来日一年目のバースがクビも検討されてたってマジ?
後から成績だけ見ると長打率リーグ1位に、本塁打は
本塁打王に1本差の3位。 シーズン終了後の解雇じゃなくてシーズン最初の調子が上がってこない時期
バース、アレン、ストローターの野手3人登録のところ
投壊現象をなんとかすべくどうしても投手のオルセンを登録したくて
バース、ストローターの選択でストローターを解雇。
オルセンが一軍登録されるときもバース、アレンの選択でアレンが二軍落ち。
後半戦のバースはものすごい追い込みぶりでこの年終了時点での解雇は検討されず。
翌年のオフに、父親死去で一時帰国したのを扱いにくい選手扱いされたり
安藤構想では脚に怪我を負ってる岡田の二塁はもう無理と判断されて、
そうなるとポジションが被るバースが過剰になるねって感じで戦力外も検討された。
その後の安藤辞任、吉田再任で首がつながったあとの活躍は言わずもがな 安藤は自分が希望しながらバースには理不尽だったからね
本職のファーストではなく外野を守らせ打順もたらい回し
安藤はストローターを買っていた
しかしストローターが不振で最初は三振ばかりだったけど徐々に順応してきたことで後半は3番固定に
フロントにバースを評価していた職員がいたかららしい
で翌年は野手の外国人獲得はなく5番に固定
しかし父親の葬式で一時帰国を安藤は思わしくなく解雇を検討した矢先に解任
吉田監督は裏からバースの打撃を評価し残留を要請したことが神様への1歩につながった >>118
あと年俸と監督やフロントの好み
もとい好き嫌いも
>>4のレオンは大洋では近藤貞雄
ヤクルトは関根が監督だったが
二人とも好き嫌いが結構強い
関根も大洋監督時代にある外人選手を
野球選手の顔じゃないと貶してぞんざいに扱って腐らせ退団
ソースは当時の渉外担当牛込氏の著書 同じリー兄弟でもレロンリーはロッテ一筋だったがレオンリーは移籍ばかり
成績悪く移籍ばかりではないからやはり人間性なのか
しかし80年代初頭のロッテ打線はスゴすぎる
渇の張本にリー兄弟に白任天に有藤
そして落合
これでも近鉄や西武の打線に負ける訳だから
スゴすぎる >>200
その顔触れがそろってロッテに在籍していたのは1980年のみ
リー 127試合.358(首位打者)33本塁打90打点
レオン 128試合.340 41本塁打116打点 この2人は凄いが
有藤 107試合.309 22本塁打64打点
張本 102試合.261 12本塁打39打点
落合 57試合.283 15本塁打32打点
白 76試合.216 5本塁打21打点 ロッテって伝統的に長距離砲でもアベレージ先行型が多い印象。打率.250で40本塁打の選手を輩出しないイメージ。 高橋由伸のニックネーム「ウルフ」って
定着しなかった失敗扱いだけど、
当時の野球ファンなら誰でも知ってる程度には
知られてたよな >>202
ロッテ(前身球団含む)でシーズン40本塁打を記録したのは別当・レオン・落合(2度)だけ。
いずれも当該シーズンに.330以上の打率を記録し、リーグ2位以上にランクしている。 >>203
え?千代の富士じゃん?
でも、まあいいのかなー、って思ってるうちに長嶋監督自身が使わなくなったのよ。 >>203
これじゃない感は凄かったけど、当時の長嶋監督に対する注目度は半端じゃなかったから、まあみんな知っていたよね 長嶋監督はウルフの引退特番に出たほどウルフとの関係が深いから
あえて二代目「ウルフヨシノブ」を襲名させたと思う。。 週ベの高橋由伸のニックネームのアンケートの得票一位はモスラだったか >>203
日テレだけが繰り返し言ってたから野球ファンは「知っていた」だけでそんなのなんの意味もないだろ 2000年代くらいのネットだと
長嶋茂雄って、監督としては馬鹿扱い、
選手としても「世間では過大評価」とされてたよな 長嶋は元の成績だけでも超一流だが
近年は傑出度やセイバー系指標の浸透で
更に評価されるようになった感じ 長嶋は1969年、不本意なシーズンだったと新聞の手記で述べてるね
打率.311 32 115打点で打点王、日本シリーズ、MVPだけど、
風邪で4月何試合も欠場で出遅れて、4月終わりで打率.118、シーズン初本塁打は5月 84落合
3割30本打ってるが三冠王としては物足りないと言われてた 俺なんか学内模試なら学年でずっと5位以内を続けていて、ようやく1位をとった直後の生徒会役員選挙で僅差で落選して「○○の時代は終わった」とか言われて卒業までの一年間はむちゃくちゃ不本意だったわ。 92年の佐々岡
200イニング近く投げて12勝もMVPの次の年だから物足りなく見えた。
新人の年からの成績で下回ってる同期の西村にもこの時点での推定年俸で逆転された(西村7000万、佐々岡5500万) ユニフォームデザイン一新後の掛布
中日時代の落合
アキレス腱断裂後の前田 >>200
亀だけど、弟は日本になじもうとしたり後年オリックスの監督代行務めたりしたのに対し
兄は陰気と聞いたけど当時のチーム内の評価は違ったのかね 松中は晩節を汚したり三冠にケチついたり秋の風物詩だったりするので通算成績自体が軽んじられてる気がする 1984年の山本浩二は最終的な成績はまずまずだが、前半はスランプで今年で引退とか言われてたんだろ。
当時はかなり叩かれてたのかな? >>225
こういうことがあるくせに入る時に球団選ぶなとか言う人がいるのが信じられんよ >>235
スレ違いだけどこのころのヤクルトは羽振りがよかったな 去年の岡本和真
前年より成績ダウンだけど年齢を考えたらかなり成績残してる方 岡本は打てない期間はとことん打てなかったから妥当じゃないかな 2019阪神大山
76打点
三塁守備指標1位なのに
カスみたいな扱い、ファンの態度もひどい。 >>234
前年夏場以降失速の戦犯だったし
2年不振が続いたら引退ムードにはなるわな 86年頃の原
自己ベストと言って良いシーズンに限って、
シーズン終盤に怪我した上にV逸。
優勝した上で40本ならMVP行けたかなぁ
バースの三冠王には流石に阻まれるか 当時の読売グループ最高指導者務台に結婚披露宴のスピーチか何かで
1986年は原のせいでV逸したみたいなこと言われたんだっけ 86年の原は得点圏で.230しか打てなかった。
この年の印象で原はずっとチャンスに打てないと言われ続けることになる。 巨人ファンやマスコミに3年連続V免は許されないというムードがあった上で
この年のチャンスの弱さや故障(しかも欠場後に8連勝するなど)が重なって原の選手イメージが決定付けられてしまった 既出だろうけど、2001年の松井。
首位打者は獲ったけどホームランが減って、コレジャナイ感が強かった。
36本という数字だけを見ると、
そんなに悪いと感じないかもしれないが、
実際には終盤に帳尻会わせでギリギリ30本に乗せた感が強くて、20本位しか打ってない印象の物足りないシーズンだった。 >>248
途中まではこりゃ30本いかないぞ、ヤバいぞって感じだったしな >>248
8月末で25本塁打
チーム内でも清原江藤の後塵を拝していたのね メジャーデビュー年の城島
1年目の成績だけなら松井秀喜の上をいく
なぜか、「松井大活躍城島いま一つ」の扱い
メディアが悪いんだけどな >>251
捕手でメジャー1年目に規定打席到達して打率291で本塁打18本は上出来もいいとこだわな
今NPBのレギュラー級捕手でメジャー行ってこれと同じ成績出せる奴はいないだろう 今だと内野手で1年目の松井稼レベルの成績ならまずまずの評価、井口レベルなら神レベルの評価をされると思う(日本人の評価)
現実的には日本人内野手でメジャー契約勝ち取ることすら困難になってきてるから挑戦する内野手すらいなくなってる。 中島とか西岡とか明らかにメジャーレベルじゃないだろって奴らが行かなくなったのはいいことだな >>255
西岡は同意だが中島は行くにふさわしい状態だったのでは?
(向こうでケガしたらしいし) 落合の中日1、2年目
ロッテ時から大きく成績を落としたので不本意扱いだった
この時期はスロースターターで調子の波が激しく四番を外れたこともあった 3年目の1989年も同じようなペースだったけど消化試合で数字を爆上げした。 1年目はオールスターまではホームランのペースはよかったがその後打率は良いがホームランだけ出なくなって30本に届かず
2年目は前半不調で6月からは4番を外され終盤に4番復帰したが3割を割った 80年代後半のセは全体的に低調で、西武近鉄阪急あたりが引き上げたパとのレベル差がある「セカンドリーグ期」だったからなんでレベルが下がったのに成績が悪いの?とも >>257
87、88はバースも大きく成績下げてんのに
落合だけセリーグ来たから成績下がったか言われてんのが
なんか不思議
二人とも毎年.350 50本打つような選手じゃなかったってだけの話だろ 単に87からボールが飛ばなくなっただけだろうな
バースも88年最後までいたらかなりしょぼい成績だったろ
4月2本だし 88前半の落合は酷かったよ
後半はチャンスに強くて調子取り戻してたけど >>265
中日のシーズンの成績と連動してたんだろうね >>62
あれはGGを未経験のレフトで使った星野のせい。 87、88は悪い悪いと言われながらもOPSリーグ1位 小笠原くらいの迎え入れ度なら3割30本で「よくやったあ」だけど、
3割6分50本のお化けのような好成績からすると、「なんで?」となる >>264
球が飛ばないなら飛ばないなりに
いい成績残したと思うけどな、バース。 81〜84年基準で考えたら中日時代は年齢の割には十分活躍した方。 2005年の小笠原は自己ベストの37本塁打も3割切ったことで不本意な年扱い。
今思うと札幌ドーム本拠地で37本は凄いと思う。
札幌本拠地で30本打ったのって日本人では中田が1回あるだけでしょ。 小笠原は札幌移転後も東京ドーム興行で本塁打を荒稼ぎしていたのは流石だ 3割当たり前のアベレージヒッターが3割切るとホームランをそれなりに打ってても不本意な年扱いになる印象。
30本40盗塁で最多四球ながら、打率.280だった年の張本とかそんな感じだったんだろうな。 >>277
その年の張本は、1961年(初首位打者)から1974年(最後の首位打者)までの
14年間のうちで、打率出塁率は最低、OPSは下から2番目なので、
まあ打撃面では「不本意」の部類かもしれない。 >>16
近藤貞雄がレオンが中日に移籍したら厄介だが(この年のオフ、モッカの退団に伴って)、ヤクルトだったら別に影響ないと著者で書いてた。 昭和35年稲尾和久
20勝7敗 243回 2.59
稲尾にしては物足りなさが半端ない 1997年 高津
抑え失格で中継ぎに回ったがリリーフ投手としては自己ベストの防御率だった >>279
バースやブーマーが西武にいたら
どんな成績残したろうな・・・って想像しちゃうけど
南海に行ったらって想像してもあんまりワクワクしないわな >>256
え?中島の場合、いつ行っても実力が全然足りなかったのに? 97年の清原は帳尻合わせただけ
巨人のV逸がほぼ決まったオールスター前の数字みて オールスターまでの清原の成績
1986(西) .252 11本
1987(西) .254 14本
1988(西) .279 16本
1989(西) .254 17本
1990(西) .308 20本
1991(西) .236 13本
1992(西) .240 18本
1993(西) .290 14本
1994(西) .320 14本
1995(西) .237 15本
1996(西) .262 17本
1997(巨) .218 15本
打率は過去ワースだがそこまで酷いわけじゃないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています