阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
他球団の端境期に繰り上げ優勝しただけの情けないチーム日シリV3のしてもシリーズ童貞の広島と長嶋・森・黒江等のいない巨人相手だし。 不人気だったのは
上田監督に魅力が無かった事に尽きる。
それまでの日本シリーズ3連覇を達成した
水原監督、三原監督、川上監督と比べて
カリスマ性に欠ける。 上田が日本一になれたのは西本遺産のおかげ
その証拠に第二次上田政権はたった1度しか優勝してない、あれにしても
ブーマーという宝くじに当たったようなもの じゃあなんで西本遺産で近鉄は優勝できなかったんだ? 上田さんは日ハムで優勝できてたら評価違ってたんだろうなあ
仰木はともかく、東尾に負けるようでは 身も蓋もないけど、ちょうど巨人が弱くなったからだよな
V9時代はボッコボコだったんだし >>6
飛ぶボールと圧縮バットが禁止されたからだよ。
80年優勝
81年飛ぶボール圧縮禁止 最下位 >>6
山田・福本・加藤に相当するものがいなかったから。 西本さんは近鉄でも阪急みたいな野球をしようとして飛ばないボールを使ってた。
ただ全く駄目だったから逆の発想でスーパーラビットを使ったら勝てた。 大橋よりも阪本のほうが総合力では圧倒的に上なんだがな
たかがワンプレーで、しょうもないトレードとかして
阪本がそのまま居たほうが、もっと楽に勝てたんじゃないのか マルカーノと大橋の二遊間は日本史上最高の守備力だったって
言う人もいるほどだから 83年は佐藤を先発に回してバンプを取らずにマルカーノを残留させていたら優勝争いしてたかもな >>18
あの年首位から何ゲーム離されたと思ってるんだ
その程度のタラレバで優勝争いできる訳ないだろ むしろオリックス1年目の方が優勝できた可能性が高かった >16
ほんとだ凄いいっぱい盗塁してるな
巨人のなんとかって言う遊撃手みたい その後貧打の川相が来た 阪急は岡村の退場と上田監督の抗議という
日本シリーズ史に残る大事件を起こし
日本プロ野球の英雄である長嶋監督を二度も倒したから
敵役のイメージが定着してしまった。 初めて日本一になった1975年から、前期優勝→後期最下位→POで勝ってのインチキ優勝
更に日本シリーズでは日本中が応援していた広島に1勝もさせずに優勝(V9巨人には一度も勝てなかったくせに…)
その後も>>22の件が続き、とにかく阪急は空気が読めない、日本中を敵に回す嫌われ者
そしてそのイメージは、空気を読めない合併で日本中を敵に回したオリックスにしっかり受け継がれている 阪急が巨人倒して日本一といってもしょせんは長嶋ジャイアンツだからな、川上巨人
なら別だが。 V9巨人に一度も勝てなかったこと
黄金期西武に勝てなかったこと
を考えると阪急は雑魚専チームなんじゃないかと
ただ雑魚には強いのでAクラスには入ってくる >>25
黄金期西武に最も善戦したのは阪急だぞ
むしろ雑魚に取りこぼして優勝できなかった 福本 弓岡 蓑田 ブーマー 松永の打線もなかなかだったぜ >>25
森監督時代の1986〜1988年は確か、阪急戦勝ち越しには到らなかったと思うけど、西宮球場で森西武は勝ち越せなかったから。 上田監督って前半首位快走&後半失速V逸、のパターンばっかりだったな
87 89 96 98 全部そう 上田監督の投手起用法だと特定の投手に負担をかけ過ぎて後半戦に息切れする >>25
稲尾無双の西鉄や100万$の内野や杉浦無双の南海も追加で。 上田監督の投手起用法は前後期制向きなんだよな
1シーズン制で少数精鋭投手起用法は通用しないわ 76年日シリは戸田、78年日シリは佐藤義と稲葉が、ぞんざいな扱いを受けている。
山田と足立に依存し過ぎ。 上田阪急と言えば高卒の投手が恐ろしく育たなかったな。星野位か。
主力投手は山田、今井、佐藤義則、山沖と尽く大学・社会人出身。 >>35
即戦力を求めた社会人と
前任者の遺産で目先の結果を追い求めてきた様なやり方が落合中日と共通するものがあるなw >>29
87年は前半戦終了時ダンゴ状態、8月後半から9月頭まで西武と南海との三つ巴。9月末から西武スパート、阪急失速。 >>36
人気出なかったのも共通するな
ただウエさんは記者受けは良かったけど この球団は基本的にアマチュアの大スターを取らない傾向がある。 西武の黄金期はローテーションを崩してでも
その時の良い投手を無理に先発させないと
いけない事情があった。だから西武戦は頑張るんやけど、その後にしわ寄せがきてしまうんやね。
若手投手が台頭せず、カモのチームを作れなかった。 獲らないって言うかドラフトの重複指名はほとんど外してなかったっけ?>阪急 >>41
どんな事情?
西武グループへの対抗心とか? >>43
西武に勝たないと優勝出来ないから的な感じだと思う。
川上巨人にも他球団はエース級をバンバン当てて無理して勝とうとしてたから。
逆に巨人は大洋や阪神、中日に負け越しても他の球団から貯金を作ってたから負けなかった。 1977年までの西宮球場は、競輪のバンクを設営する関係で、外野のかなり広いエリアにかけて、芝がなかった。
外野手にとって、さぞかし守りにくかったんじゃなかろうか。
黄金時代の外野手は、そんなん、ものともしなかったろうけど。 西本監督自身が持つ詰めの甘さと焦り過ぎ。
西本監督本人が認めている。 >>46
個々の力だけで組織力の巨人に立ち向かっても勝てる訳がなかった
スペンサーが局面ごとの傾向と対策についてメモをとり、相手の嫌がる一手を独自で研究してたころ、
巨人は同じことをとっくに組織として機能させていた 江本がトレードで阪神に行って
「大雑把で甘い野球だな」と思ったそうだ
そんなだから阪神は優勝できなかったんだろうな 一応ファンサービスの努力はあったが
90年代のヤクルトと違ってメディアとの連携戦略は上手くいかなかった… >>40
高野(東海大−ヤクルト)のハズレ1位だが、野中(中京)は高3の時点だと、水野に次ぐ存在だった。 >>47
野村克也 西本さんは本物の野球好きの職人やけど
人間教育はおろそかやった
だから西本さんからの指導者も少ない
梨田ぐらいか
川上さんはまず人を教育した
だからよくONがいたからというが、3連覇ぐらいはできても
9連覇は無理
西武の森にしても3連覇が精一杯だったのが結論 上田監督は松永、石嶺、藤井と野手を育成するのは上手かったけど投手育成はホント下手だったな >>46
単純に力の差でしょ
V9時代の9年間の日シリは第7戦までもつれた事も一度もないし
それどころか第4戦終了時で2勝2敗になった事すらない
異次元レベルの強さ >>39
「俺の談話でブレーブスに興味を持ってくれて球場に足を運んでくれるのであれば、取材にはいくらでも協力する」という姿勢でマスコミに接していたからね。>上田さん
あと記者からの人望があったのは記憶力のすごさも一因とのこと。担当記者の所属社・名前だけでなくベテランになると以前の担当球団・家族構成・趣味まで覚えていて、それを会話のきっかけにしていたとか。 >>55
記者や球団重役とかは
大事にしてたんだなw
選手には冷淡だったが 阪急ファンだったけどスレ開いたら長嶋大好き巨人ファンばっかでびっくりだわ V9の頃迄はドラフト導入前に好きなように選手を獲得できた遺産が残ってたってことかね >>46
1971のシリーズしか観てないけど
しかも日テレのダイジェスト版
動かな過ぎるよね
大熊の凡プレーに福本をもっと早く出すとか
際どい判定にも抗議にも行かない
あれじゃ短期決戦には勝てないよ >>57
所詮は関西の悪役球団だからな
悪役でも魅力があればまだしも、何の魅力もないからな >>60
チームとしては魅力もあったと思うけど、何せ読売の大宣伝の前ではねえ(´・ω・`)
肝心の関テレからして、当時の関西のトップ人気だった南海が毎日放送とガチガチだった事から、その頃は阪急よりは人気があったって程度ながら
阪神戦獲得に躍起になる有り様だったし。 80年代の阪急って少なくとも神戸では南海、近鉄より遥かに人気があったけどな
大阪ではまったく人気なかったのかな? 神戸は南海も近鉄も電鉄のエリア外
そんな土地で人気面でも負けてたとしたら、阪急はもっと早く身売りしていた 近鉄には関根・根本、南海には鶴岡・杉浦みたいな球界に幅を利かせる人材がいたけど阪急には皆無。 どれだけ凄かったの!?というスレでも人気がなかったという話題ばっかりなのが悲しいなw 完全にチームが完成されていたので、フロントは梶本監督でも勝てる!と気楽に構えていたけど、やっぱりお人好しではチームは勝てないを地で行った
采配振りで、フロントが慌てて上田監督を呼び戻したんだよね。
ただ当時上田監督は西武からも誘われてて、根本監督の後釜というのが既定路線と思われていたので、阪急監督に戻ってくる事になった際は
「えっ!西武じゃ無くてウチに戻って来るの?(゚д゚)!」
というのが選手達の反応だったという。
という。 結果論だけど川上Gを倒せる可能性があったのは69年だけだった。
例の岡村退場の試合に勝てていたら王手までいったと思う V9時代巨人相手ではなくなってから、なんで日シリで勝てるようになったの?
単に西本が無能で上田が有能だったから? >>70
単純に阪急が強くなり、相手が弱くなったからだと思う。 長池が「選手として長嶋さんがいるうちに一度でいいから日本一になりたかった」と言ってたんだよな
それだけ高い壁だったんだろ 阪急はむしろ1975年以降の方が強かったかもね
マルカーノが加入したし山口高志も全盛期だったし
マルカーノは守備も良かったからな >>71
阪急が山口高志とマルカーノ&ウィリアムスの加入で投手力並びに守備・機動力が大きく強化された一方、巨人は長嶋・森の引退並びに残された主力選手も
高齢化で、V9時代に比べ明らかに戦力が落ちていたからね。
攻撃力だけでもV9時代の水準を維持する目論見で張本を獲得したのは良いが、「守っても安打製造機」と揶揄された張本がオーダーに入った事で、外野守備
力に至っては高田・柴田・末次のV9末期と比べても明らかに大幅悪化していたし。
一方、阪急は長池の急激な衰えこそあったものの、代わって代打屋高井が指名打者でようやくレギュラーに定着した事で、長池の穴を全く感じさせなかったし。
勿論、巨人が川上監督→長嶋監督、阪急が西本監督→上田監督に変わったというのも無視出来ない要素だろう。 >>75
同意。長嶋巨人は野球が雑だった。とくに投、守でスキがありすぎた。
福本らにあんなに走られたというのはV9時代にはなかったこと。かつての自分たちの野球を阪急にやられていた感じがした。76年の第二戦の5失策、中沢や投手に打たれるのも以前では考えられないことだった。
あとは選手長嶋がいなくなったのが大きいな。大試合に強い長嶋の存在は相手にとっては精神的脅威だっただろう。 長嶋巨人もアレだけど、75年の古葉広島も結局4連敗だったからね。
まともに戦えたのは結局広岡ヤクルトか。 ヤクルトと言えば大杉のHRな
大杉本人が「あれはファウルです」と言っていたw あの抗議の中断はとにかく長くて萎えた。
数年前にCSの特集でこの試合のフル放送があったので改めて見たが、金子コミッショナーに対して上田監督も無礼な口の聞き方をしていた。
「コミッショナーの私が頭を下げてもダメか」
「審判代えてくれるのならやりますよ」
再開後、ルーキーの松本を送り出したのにはさらに萎えた。もうやる気がないんだと感じた。 >>80
今なら、5分経ったところで退場させるんだろうが、この当時は審判の立場も低く、弱腰だったんだろうね。
足立をダメにしただけでなく、何とか抑えてたけど体力の限界に近かった松岡に程よい休養を与えたな。 金子さんはこの後に江川問題が起きて
「阪神との三角トレードをお願いする」とか要望して
ボロクソに叩かれて辞任したし何かついてないね
辞任後はプロ野球の新聞記事を見る事さえ避けてたらしい >>78
それいつの話?
俺が見たテレビ番組の特集のインタビューでは、
「私はあれはホームランと思っているんですよ」とはっきり言ってたぞ? たけしがネタで「大杉さん、ファウルと言ってたよ」というのは聞いたことあるけど
大杉本人がファウルと言ったのは聞いたことがないな。
大杉がプロ野球ニュースの解説者をやってた当時のオフ企画で
上田と対談してたが、その時も相譲らずだった。 客もレフトの蓑田だか大熊だかもみなファウルと言い切ってるからファウルだろうな 大杉は次の打席で完璧なHRを打ってるからな。
カッコ良すぎだわ リアルタイムで見てた人に聞きたいが、前後期制っていうのは面白かったのか? リアルタイマーではないけど、最初の頃は目新しかったのでPOも含めてそこそこ盛り上がったらしいけど
段々デメリットの方が目立つようになったから10年で終了したんでしょ
Jリーグも何回か2シーズン制やったけど長続きせず結局1シーズン制になってるし 前後期制は前期優勝チームが圧倒的に有利
後期で主力(特に投手)を休ませる事ができてポストシーズンに全力を出せるからな 面白くないから廃止になったと言えるしね>前後期制
逆にDHは導入後ずっと継続しているから「DHはあった方がいい」で
一致しているんだと思う
導入してしばらくは元プロでも意見は割れてて江本は「DHは認めない。」派で
坂東英二は「投手の打席なんて無駄。DHがある方がいい。」と書いていた 前期日程の雨天中止分は、順位に影響しないものについては後期閉幕後に振りかえられたりした
年によってはプレーオフの真裏で「前期最終戦」なんてこともあった >>91
日シリ敗戦の3日後から前期消化試合をやった1980年近鉄。
規定打席にギリギリ到達した小川と梨田、規定投球回にギリギリ到達した久保は必死だったろうが、
他の選手はさぞモチベーション低かっただろな… >>84
ああ俺の見てたのそれだ。
上田が「絶対ファウル」と主張して、
その話が終わって大杉に振られたら、
「私はホームランと思ってるんですよ」
と答えてた。 >>80
金子「僕がお願いする。それでもダメか」
上田「やる言うんですからね、しんばん(ママ)代わってくれれば」
金子「あんたどうしてもそれをつっぱるのか。コミッショナーが頭下げて頼んでもダメかね」
上田「しんばんに対して言ってもらったらどうですか」 >>94
あの状況で『僕がお願いする』は、火に油だよね。水戸黄門の印籠のつもりだったのか? >>85
メジャーなんかじゃあれぐらい大きい当たりは、
「そこまで飛ばした」ってことで審判は手を回すらしいね。
まあ今はリクエスト制度とかでビデオ判定になるんだけど。
とにかく抗議が長すぎて流れが変わったのは確か。
もう少し監督としては冷静であるべきだったと思う。 前期後期制は年間一位がプレーオフに進出できない可能性があるのがなぁ。例えば98年西武とか。 >>96
ほんとかw
アメリカ的な雑さというか・・・ >>95
まあ、売り言葉に買い言葉、になるわね。
金子鋭もおかしな人物だったよ。
この日シリの直後の巨人ボイコットドラフトでは、江川の交渉権抽選の時、完全に不貞腐れてて、封筒の束を放り投げてた。 >>89
73〜82年の前後期制の時代、阪急が前後期制覇した76、78年を除く8年間のうち、前期の覇者がプレーオフに勝ったのは73年南海、75年と77年の阪急、79年近鉄、82年西武の5チームとそれほど圧倒していたわけではない。
やはり驚いたのは73年南海の死んだふりだよな。 >>97
もっと悪いのは、年間勝率Bクラスや最下位のチームが日本一になる可能性があるからな
2シーズン制は今のCS制より遥かに酷いシステム >>97
阪急初日本一の75年も
年間勝率1位は近鉄だったな
73年リーグ優勝の南海も
年間勝率は3位だったし
前後期制の恩恵にあずかった
73年リーグ優勝ともし日本一になっていたら西本御大は勇退してたかな?
阪急球団上層はオーナー以外反西本みたいだったから73年勇退も実質更迭っぽい感もしたが 70年代はパ・リーグ暗黒の時代と言う感じで
「黒い霧」「西鉄・東映の身売り」「東京スタジアム閉鎖」と存亡の危機だったので
客を呼ぶ為に色々な事をした
「ライオンズとオリオンズの遺恨」というプロレス
ロッテは陸上の飯島を代走専門選手として入団させた
前後期制の導入も人気上げる為の手だった
途中でリスタートした方が客が集まるはずだって思ったんだろうが
あまり効果はなかった 阪急はうまく戦えば71年から79年まで
9連覇してるんだろ
まあ勝率的に75年は近鉄と大差で思い切り前後期の恩恵預かってるが
あの当時のパ・リーグで阪急9連覇してたらただでさえしょぼい動員が大変なことになってそう >>102
75年後期の阪急はなんと最下位だったから。
逆に79年は年間勝率は阪急のほうが近鉄より少しだけど上のはず。 >>104
71〜79年の9年間で、前期・後期・PO・日シリも合わせたら
阪急は全部で16回も胴上げしてるんだよな
阪急が強すぎたので2シーズン制を導入したと言われてるが、
逆に阪急の胴上げ回数が増えて見てる方は「また阪急…ウンザリ」
という印象が強くなったのでは まあ前後期制の10年間で6球団すべて1度はリーグ覇者になれたんだ
リーグの活性化という観点なら一定の効果はあったんじゃないかな >>106
75年ごろかな、山田とか加藤英司とかノドに自身のある連中が吹き込んだ「ああ勇者」というレコードがあったな。
歌詞がたしか、
一点やってもいいんだよ、二点をとるからさ〜
とか、
たまには負けてあげようか、敵も勝ちたいよ〜
とかすごい思い上がった内容だった。
それだけ当時の阪急は無敵の強さだったんだけどね… >>105
近鉄74勝45敗11分、阪急75勝44敗11分。1ゲーム差で阪急が上を行くが、プレーオフは3連敗だったかな?
山田、加藤がタイトルを手にした最後の年。 >>122
あのときほど悔しかったことはない
3タテ食らうとは……
高橋直樹、山口哲治はトラウマ >>109
すごい歌詞だな
今だったら大炎上だなw すまん、「ああ王者」だったか、勇者じゃなかったんだな。記憶は頼りにならんな。
あのころの選手ではモジャモジャの森本が強烈な印象。76年の日本シリーズ第七戦ではトレードで出されることが決まっていたなか、ライトから逆転2ラン。 南海の身売りの時は「あの惨状じゃ身売りもするわな」って感じだったが
阪急の身売りは「まさか!?」って反応だったね
西武黄金時代ではあったがまだ「70年代の帝王」ってイメージが残ってたし >>115
今思えば、最終年のカレンダーは超経費削減の品物だった。その頃から、店じまいに入っていたのかも? 小林不公平
三和銀行の圧力
身売りの原因は主にこの2つ >>115
しかもメディアは南海身売りの方を大きく取り上げたんだよなぁ
Aクラス常連だった阪急よりも弱小南海の身売りの方が大きく扱われて驚いたわ まぁ本拠地は移転しなかったからね
南海の場合は8月下旬に新聞にスクープ記事が載ってからだから阪急に比べると余韻に浸る期間が長かった 南海の身売りは早いうちにバレたが阪急の身売りはずっと隠し通されていた
阪急の身売り先はオリエント・リースと言う当時あまり知名度がない企業だった
南海には福岡移転もあった
見返せば福岡移転は大正解だね
「ぜひ来てほしい」ってところに行った方が良いに決まっている しかしなにもあの10.19の日に発表することはないでしょうが。
近鉄の逆転優勝がかかっている日というのに。
もう少し空気を読めよ、と思ったな。
あの日は阪急のオーナーの無神経さと、夜の試合の有藤監督の抗議中断の二つに立腹した。 でもあの日発表じゃなかったら大した扱いにならなかったでしょ 俺もブレーブスというチームは好きだか阪急東宝グループは大嫌いだわ
サヨク企業だしな >>125
東証一部上場企業の、経営に関わる情報のプレスリリースなんて、しっかり情報統制されてて、何月何日何時に公表するかあらかじめ決まってるんだから、野球のペナントレースの状況「ごとき」で動かすもんとちゃうわ 南海の身売りの理由は川勝傳が亡くなったこと
1988年4月に亡くなったら速攻で売られた 阪急は今は実質的にはタイガースの親会社なんだが。
株主総会では毎年監督の采配にケチつける質問が出るんだろ。 今の球界の盛況ぶりを見る限り売却したのは失敗だろうな
オリックス以降球団売ったのは親会社が破綻したダイエーと経営者がアホの近鉄横浜だけだしな
近鉄とか大赤字で世論もなんか知らんが野球は儲からないと合併に味方したけど、そもそも大赤字だした近鉄の経営がただただ不味かったんだし オリックスが買収したとき、かつての日拓のように短期間で売却するだろうと思ったが、結局平成の期間持ち続けるとは予想外だった。 オリエントリースの新社名「オリックス」が一挙に世間に認知されたのは球団のおかげ。
なつかしいな、あのバブル時代。 >>131
オリックスがここまで大企業に成長するとは思わなかった >>130
球界が盛況つっても、「但しオリックスを除く」じゃんw
不人気お荷物球団のブレーブスをさっさと手放して、
超人気優良球団のタイガースを手に入れたんだから阪急は大成功でしょ >>125
あなた、自分に返信しているよ。
器用なかただね。 あの身売りがなければ、最終戦後の上田監督のスピーチで「きょう引退する山田、そして福本…」と言われることなく、福本は翌年も現役を続けられたのに。 球団名に企業名を入れられるメリットは大きくて
楽天やDeNAみたいな新興企業が知名度を上げるために参入してくる
リアルタイムでは知らないけど日本ハムも買収当時はそんな感じだったらしいね >>136
まだ福本の話のネタに騙されてる奴がいるのか。
あの時点でコーチ就任要請されてたし、
阪神から選手としての誘いもあったんだろ。
普通に引退してたはず、
それは自分で言いたかったのに先に上田に言われたってだけでしょ。 福本が現役を続けたとしてもブルーサンダー打線でどれだけ戦力になれたかは疑問
「あのとき山田と一緒に辞めてりゃよかった」という結論にしかならないはずなので、身売りとともに引退で正解だったと思う 逆に山田はブルーサンダー打線をバックに投げてれば300勝できたんじゃないかと思ったりする 福本は最多二塁打の記録を作るために引退を延ばしていた。その年終盤に記録は達成していたから辞めてもいいとは思っていただろう。
最後の数年はほとんど盗塁がなく、衰えは歴然としていたから。 黄金時代を1975〜1977として西武黄金期より10年以上前
こと細かく語れるのは50代後半ぐらいからか 黄金期阪急より
暗黒南海の方が人気があったという事実 >>144
身売りの年は3番ブーマー、4番石嶺以外ダメダメだった記憶があるぞ >>146
松永首位打者争ったやん
藤井も20発
逆にブーマーが長期欠場してなかったか あのころ、ダンプ松本や橋本聖子らがメンバーとなって「阪急ブレーブス好きやねん会」というのがあったよな。 >>140
山田が門田や藤井の外野守備に対してキレる気がする。 山田は王者阪急の恩恵を受けてた投手でしょ
損をしたのは松岡弘あたり
ヤクルトじゃなくて常勝チームの投手なら200勝できてたと思う >>146
石嶺も前半戦不振で、後半巻き返した。
この年の阪急はスタートから出遅れて、最後までエンジンがかからず、シーズン終了した。 身売り前数年間に限れば南海はまぁ見れる程度にお客は入ってた。
阪急はデーゲームの西武戦とか特需ゲーム以外は以前と大差無かった。
しかし球場施設の改善とか熱心だったのは後者。
だから余計にファンの少なさ、ヤバさが露呈してた。 身売りとホークス→福岡、ロッテ→千葉、日本ハム→北海道と
いい感じでフランチャイズを分散したのが最も効果的だった
阪神がいるのにパに阪急南海近鉄の関西三球団はどう考えても無理があった >>153
それを言ったら巨人がいたのにヤクルト・大洋・日本ハム・ロッテ・西武が23区近郊にひしめき合っていた80年代なんてそれこそ無理そのものだったな。 >>152
あと、話題をあおろうといろいろと施策していたよな。
72年福本がシーズン106盗塁を記録した年は脚に一億円の保険をかけたり、
83年は福本、蓑田、バンプと馬を競走させたり、特大のブーマーパンを発売したりしたが、
保険はともかく83年のは受けなかった。 大体パの全球団が関東か関西だけってのが異常だったんだよ。
そりゃ客入らねーよ。 >>153,154
人口・市場規模が大きく違う。
京阪神圏が都市圏人口1700万(ニューヨークとほぼ同規模)でここ30年来横這いなのに対して、首都圏は今や都市圏人口3500万人(ダントツ世界一)に達し、
範囲・人口・経済規模等々日々拡大中という(´・ω・`) ロッテ水谷則博のカーブを全然打てなかったバンプ・・ バンプというと、怠慢プレーに上田監督が激怒して采配拒否して試合を休んだ事件を思い出す。 あれだけ強くてあれだけ人気無かった。
「強ければ人気出る」と言ってる経営者は無能。 >>173
巨人、阪神、中日、広島、西武それ以外よりは人気あったでしょ
人気ない、人気ないて馬鹿の一つ覚えみたいでうるさいんや 明らかに金田監督時代のロッテや仰木監督時代の近鉄より人気が無かった様な(´・ω・`) >>162-163
誰にレスしとるんやwとりあえず落ちつけ 76年〜80年
プロ野球大百科の表紙
80年
紀文のCM 小林繁と子供4人
1人だけが阪急のユニフォーム >>165
未来の書き込みにレスするとは、超能力者だな、ワロタ。
111もそうだったが。 >>163
んー、70年代は知らんが80年代は
ヤクルト>>大洋>>>阪急>ハム>近鉄>ロッテ>南海
ってイメージだわ。阪急以下は目糞鼻糞だが
何だかんだでセリーグ&在京球団はファン多かったと思う でもパで三番目、在阪球団では初めて動員100万(主催者発表ではあるが)を達成したよね>阪急 ヤクルト、日本ハム、ロッテと飲み物や食品系は宣伝のメリットが大きいのか
球団を手放さないね もはやここまで認知されたらメリットは無いだろ・・・
ただ球団手放すことによるデメリットだけはある
阪急や近鉄なんかは球団手放す事でマーケットでは好材料と受け取られて株価が上がったが・・・
(この場合ロッテは関係ないけど) >>169
いや、目糞鼻糞っつっても南海>阪急は絶対無いわ
不人気パリーグの中でも特に不人気の象徴的存在だったのが南海とロッテ
南海なんか少年ジャンプのジャンプ放送局で
「弱くて人気のない南海を応援しよう」という企画があったぐらいだぞ >>173
ないない
だってパの覇者だったホークスだよ?
いくら低迷しても藤原満とかスター選手はいたし、阪急や近鉄ごときと同じにするのは失礼 >>152
アストロ食堂には一度ぐらい行っておけばよかった >>174
だから「70年代は知らんが80年代は」って書いてるやん
80年代は全然西宮の方が入ってたよ 80年代の南海は弱い、貧乏、客が入らない上に久保寺の件とかもあって暗黒チームという印象だわ >>176
貴方のいうとおり。70年代はともかく、80年代は阪急のほうが南海より観客数は多い。
ノムさんが去ってから南海はずっと下位に低迷したからさすがにファンも見放したかな。
http://baseballstats2011.jp/archives/50078578.html 球団をもっていることは宣伝効果もあるし、会社の信用度も上げるからな
メリットないとか言ってるアホは不勉強 この時代のパ・リーグより今のBリーグの方が客入ってるだろ? >>178
でも最後の最期、消滅直前は南海>阪急
だった感じ。あくまで目くそ鼻くそだが。
あ、これ最後のホームゲームの客入りについてじゃないっすよw
あれだけだと南海>>>>>>>阪急になっちゃうから。 >>190
ありがとう
この人分析力確かやね
阪急が阪神に観客動員勝ったこと1度だけあるんやな
1953西宮球場に照明灯が設置された年
阪神が1975、1979、1982これらの年に約30万人づつ伸ばしている これで完全に勝負あったって感じ
昭和40年代まではそこまで差がない
1975は田淵ホームラン王、長嶋監督就任、赤ヘルブーム
1979は江川問題、小林繁大活躍
1982は掛布の2冠王
昭和40年代阪急西本監督も人気なかったんやな 近鉄監督になって人気出た不思議 >>193
主催者発表
大阪ラスト 32,000
西宮ラスト 37,000
どちらも内外野無料
ただ満杯になってる大阪球場のほうが見映えはええよな テレビ中継もあったし
阪急は身売りが急だったのでテレビ中継も間に合わなかった
翌日のスポーツ紙は日本シリーズを差し置いて1面 >>181
南海はシーズン中に身売りの噂が出て、福岡移転が確実視されたから
普段球場に行ってない人とかも大阪球場に詰めかけたんだろうな
阪急は簑田とアニマルがいなくなった上に、開幕から不調で観客減&
身売り発表も10.19だった
しかしそれでも年間の動員数は阪急の方が上だから、
逆に言うとこの頃の南海がいかに普段入ってなかったかが分かる >>182-183
だからアンカーのレス番w
PCかスマホ壊れてるんか? >>183
最後の3試合(土曜日・日曜日ダブル)は、裏日本シリーズだったからね。しかも、松永敬遠の首位打者封じ。 >>176
藤原満がスター選手なんて言ってる時点でもうねw
門田や香川ならまだしも 南海と阪急の最後のホームゲームはあまりにも試合のシチュエーションが違いすぎて気の毒だった
かたや100%ガチンコ、かたやウルトラ消化試合 >>190はどんなに確かな分析力を見せるのか?
プレッシャーかかってますw 阪急は西武戦の入場客が近鉄、南海より多かったのは確か
ただ西武戦を盛り上げようとする気運が近鉄、南海より低かった アニマルは集客に貢献したけど、球団人気に繋がることはなかった
あと同じ入場者数でも西宮の1万人と藤井寺の1万人では、収容人数の多い西宮がみすぼらしく映るのは仕方のないことだった >>202
森監督は阪急西武戦はパリーグのTG戦と言ってたよ >>178
序盤から好調で優勝争いに最後まで絡んでいた89年のオリックスが
序盤から低迷していた88年の阪急より客入りが減ったのが気になる >>206
発表は100万人維持してたけど 滅茶苦茶少なかったよ
保険会社へタダ券配るの止めた?
門田獲得して反感買った(門田本人も福岡行かなくてバッシング)
阪急ファンがソッポ向いた(身売りする状況じゃなかったのに身売りしたから)←これが一番?
10.19近鉄への判官贔屓
こんな何やかんやで白けてた印象 >>194
山田・福本が引退してV3戦士が佐藤だけになったのも大きいんじゃないかなぁ。 アニマルが飽きられて祭は終わった
夢から覚めたかのごとく西宮に閑古鳥の日常が戻った アニマルは風貌やパフォーマンスは面白かったが肝心の実力がなぁ
クローザーなのに145kmも出なかった記憶があるんだが なんか一人、
アンカーのレス番、滅茶苦茶なの居て
何が何だかわからない >>192 >>195 >>198
この、ずっと未来にレスしてるバカは最初に間違えたのを指摘されて意地になって
「え?間違えてるんじゃなくてわざと未来にレスしてるんですけど何か?」
と言ってるつもりなんだろうなw小学生かw どれも等しく12レス分ズレてるから、別のブラウザを使ってるかこいつのブラウザがバグってるかのどちらか
おそらくこいつは自覚していない 1984年の阪急最後の優勝は
ブーマーの三冠王と西武の主砲の田淵の衰えが主因かね
この優勝の時は相手が地味な広島だったので日本シリーズも
イマイチ盛り上がらなかった 西武がベテランの衰えや江夏のゴタゴタで勝手にこけたイメージが強いのが残念 >>218
試合自体は盛り上がったよ
東京マスコミが馬鹿にしてたからね
50周年優勝出来なかった馬鹿Gの嫉妬
これに親戚阪神のマスコミも乗っかる
監督問題を大きく取り上げ散々嫌がらせで読売をバックアップ
西宮が平日開催だったのが更にツイてなかった
不入りで叩かれる
土日西宮だったら満員になってたと思うよ
平日広島でも満員になるだろうし 75年以来の顔合わせとなったが、そのときとは比べものにならないくらい盛り上がらなかった。
75年は結果は一方的だったが、第1戦と第4戦の延長戦での息詰まる攻防、とくに第4戦の広島外木場の200球の熱投はうなったな。
それ以上にこのシリーズは山口高志の豪速球が話題をさらった。6試合中5試合に登板、MVPは当然だった。
対して84年は山田、福本、山本浩二に衰えが見られたな。第1戦の福本の守りにそれを強く感じた。福本は75年第5戦ではシェーンの大飛球を走りながら背面で捕球する神業を見せていただけに。
山田も膝を痛めながらがんばったがシリーズ3敗のワースト記録だった。 >森監督は阪急西武戦はパリーグのTG戦と言ってたよ
デイリースポーツの中川優がそう言っていたのは覚えている
阪神が巨人戦に燃えるように阪急も西武戦に燃えるとも言っていた
ただし上田監督はまったくそう思っていなかった ID:HSQ9L6cs
ずっと未来にレスしてる奴ってお前の事だよ
お前が使ってるブラウザか何かのレス番がぶっ壊れてるぞ >>174
熱狂的ファンの数はそこそこいたかもだけど、南海の場合弱すぎてバカにされてるってのがイメージ悪い
しかもそこそこいたはずのファンはちっとも球場に来ないし 野村さんが阪急の情報を巨人に流していたという話は
フェアプレイの精神に反するでしょう。 >>226
ホンマか?
どないしたらええねん
スマホで投稿してるだけやで >>212
第2次上田阪急時代は西武の黄金期と重なるが、
その期間の対西武戦の成績を見るとトータルで僅かながら勝ち越していたぞ >>204
じゃあ、しょうもない思い出話をすると
俺は博多出身で、当時はクラウンライターライオンズだったが
ある日親父が今日を野球を見に連れて行ってやろうというので楽しみにして
タクシーで平和台球場に向かおうとしたら、タクシーのラジオから
1回表阪急の猛攻で試合は7点先制放送が流れたので
その場でタクシーを降りて試合観戦も流れた。
黄金期の阪急は本当に面白くもおかしくもないくらい強かった。 >>ID:HSQ9L6cs
お前には俺のレス番が232に見えるのだろう
だがそう見えてるのはお前だけで、このレス番は220だ
原因は知らんが、レスを返したいときはそいつのレス番から12を引いてアンカーを付けろ >ID:HSQ9L6cs
ま、阪急なんてほんとくっそ人気なかったし
京都に移転したって人気なんか出るわけないよなw >>174
藤原満がスターってw
南海レギュラー中心選手だっただけじゃん 自分にとってはスターだったんだろう。
それはそれでけっこうなことだが、自分の感覚を世間一般の感覚と勘違いしているんだろうな。
だから南海の観客数>阪急の観客数なんて平気で書き込むんだろう。当時を知る人からすれば間違いとすぐ気づくんだけどね。 人気がないと定説だった阪急、アマの有望選手にも阪急を志望する選手など聞いたことがなかった。
数少ない例外が、81年の甲子園優勝投手の金村(報徳学園)。阪急入団を熱望していると聞いて、あのときは耳を疑ったものだ。
まあ金村は長池のファンだったらしいが。
結局クジで近鉄が指名して入団。
オリックスになってからは90年、長谷川(立命館大)、そして戎(育英)が相次いで志望したのでおどろいた。 もし阪急が金村を引き当てていたら、ポジションはどうなっていたんだろう?
三塁には松永がいるから外野かなぁ。 このスレ、阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
なのにお前ら80年代の話ばっかりしてんな
まあ70年代をリアルタイムで覚えてるのはもう50代後半だろうからしゃーないが そもそもパの球団を希望する選手自体が少なかった
80年代になると西武を希望する選手は多くなった
阪急はパの中では良球団なので指名されたら入団する選手は多かったって感じ >>229
しゃあないよ
2、3人しか書いてないから
その80年代すら知らない奴が居るしw >>209だが、だれも75年の日本シリーズについて書いてくれないのが悲しい。 上で藤原満がスターだと書いたヒトは
水島教あぶさん好きなんかなw
野村監督以降の南海でスター(知名度)なら
普通は門田やドカベン香川をイメージするから いやぁタイプ的にって意味やろ
中距離ヒッターで一発もある 藤原といえば、76年に門田、加藤英司、吉岡と首位打者を争ったな。
この年の首位打者レースは三割を少し越えたくらいの低い率での争いだったが、藤原は最終戦、途中交代せずに最後まで出場した。たしか4の2で惜しくも吉岡を抜けなかった。最終的には3割2厘だった。 >中距離ヒッターで一発もある
シーズンキャリアハイが10本で
二桁越えはそれのみだと寧ろ短距離じゃね
wikiみてきたが打率3割越え4回に
三振は少ないが併殺打は多くて
出塁率も.350越え2回のみで通算は.320
ノムの好みに仕立てられて中途半端になった感がある
門田のインタビュー記事でノムの「スパイ指示を嫌って従わず睨まれたが従ってた選手は先に消えていったから己れを通し続けて良かった」
藤原辺りの事かな? 自分は西本監督時代も知っているジジイ世代だけど
何度も優勝しながら伝説にならない球団だったなぁ 黄金時代の阪急は選手それぞれが自分の仕事をまっとうする、ふだんは仲が悪いが試合になるとまとまる。昔ながらの職人集団というイメージだった。
長池は、私生活のことを記者に聞かれても「野球とは関係ないので」と話そうとしなかった。もう少しファンサービスというものを考えていればもっと人気が出て知名度もアップしたと思う。
自分はそういう時代のプロ野球のほうが好きなんだが。 長池、土井、大杉
この3人やったら長池が一番人気あったやろ
昭和40年代パリーグ
野村、杉浦別格
有藤、山崎人気選手 長池も衰えるのが少し早かった気がする。
75年から数字が落ち始めた。あの年は近鉄とのプレーオフ第二戦の八回に起死回生の逆転ホームランしたのが印象的だったが。
本人いわく、「DHになってから野球が終わりました」。
76年以降は、78年後期の近鉄戦で鈴木から代打逆転満塁ホームランしたことしか記憶にない。 >>228
金村が入団した年に、松永がレギュラーになり、島谷が引退。金村が入団していたら、松永が外野手になったかも?
まあ、どこのポジションを争うにしても、金村は松永に勝て無い。 >>245
松永ショートやろな
弓岡セカンド
でも金村自身が大した事なかったからな
サードを空けるほどの価値はなかったやろな
近鉄でもやっとこさ定位置確保した感じやし >>244
1976年の時点からだから32歳の若さで衰えだしてるんだね>長池 長池は練習の虫と云われる位
懸命だったのが仇になって
故障で衰えて終わったな
最後は死球骨折で選手生命終了した掛布と通ずる >>242
左肩にあごをのせるバッティングフォームは人気だった。 その長池の家に外車が並んでるのに憧れて阪急入りを目指したのが金村
掛布もそうだが手首を骨折すると致命的だわな
清宮は大丈夫やろか 長池のキャリアハイは73年かな。
このとしは三冠王も、という声がかかるくらいだったが、最終的には打率が落ちてダメたった。
長池は法政大学時代、南海から栄養費をもらっていて、卒業後は南海入りが既定路線だった。
しかし、ちょうどその年からドラフトが始まり、このときは各球団が希望する選手に順位をつけた名簿を提出(いまの比例代表の選挙みたいだな)、順位がかち合ったときは抽選というシステムだったらしい。
で、南海は二番、阪急が一番だったため阪急が交渉権獲得して入団したらしい。 ドラフトでは色々な選手の運命が変わったからね
田淵は巨人にしか入らない気だったのに阪神に指名されて
葛藤したけど阪神入団を選択した でも長池は青田コーチの指導を受けて内角球を打てるようになった、プロのスイングができるようになったのは青田さんのおかげです、と話している。阪急に入ってよかったと思うよ。
青田さんの指導をからだにしみこませるためにキャンプでは毎日千球の打撃練習をしたらしい。これでは故障するのも無理はない。 長池、wiki見て驚いた、意外に俊足なんだな。
年間盗塁21個とか18個とか普通にやってんだな
ってか加藤秀司も24盗塁したり二桁盗塁6度もしてんだな。
あの強かったころの上田阪急。日本シリーズで対戦するセリーグに解説者が
「球団盗塁数はリーグでダントツに多いですけど、1番から9番まで
よ〜くオーダー見てください、走れる選手は1番の福本、2番蓑田にせいぜい後ミッチェルぐらいですよ、
この3人が塁に出たら気をつければいいのだけれど日本シリーズで対戦する
セリーグの各球団は、「阪急=走る」ってイメージで塁に出た高井から加藤まで
全走者警戒しすぎてる」という言葉をいまだに覚えてる 2番に蓑田か、そら強い筈だ
83年西武の9番石毛みたいなもんだな >>256
あ~そう、揚げ足取りなさんなw
外国人でありながら背番号1のウイリアムスねw
そう。簡単に背番号1を外国人に与えるあたりが阪急らしいねw バルボンやマルカーノは日本語ペラペラになったし
ブーマーも長年活躍したし外人には居心地がいい球団なんだと思う >>257
揚げ足取りってそういう時に使わなくね? ていうか3人も走れる(盗塁王になってもおかしくない)選手がいたら、十分だろ 長池は実際には、意外と小柄だった。
西武のコーチやってた頃は、引退してかなり年数経っていたけど、体格はむしろ華奢な方に見えた。 >>262
掛布もそんなに大きくなかったし体格的にそんなに恵まれていないのに
ホームランバッターをやっていた事が体に負担をかけてしまって
30代前半で衰えてしまったのかもしれんね >>233
あぶさんは30巻代あたりのコーチ時代の藤原満知ってその後初期あたりの現役時代を読んだけど、後に成績見て2桁は一度だけで盗塁数多いの知って驚いたな。 掛布は誰がどう見てもデッドボールでの手首骨折が原因でしょう
阪急も水谷や蓑田が頭部デッドボールから急激に劣化したよな >>261
>ていうか3人も走れる(盗塁王になってもおかしくない)選手がいたら、十分だろ
普通ならね。しかし当時の阪急は福本と蓑田が走る選手で
かろうじてウイリアムスも程度だからね(78年盗塁11個失敗10回)
だからね。
1978年年間199盗塁。二桁盗塁この3人にたいして
同じ200盗塁近くで1997年西武と比べてみても
松井62個大友31個高木大成24個垣内12個奈良原13個と5人いた
1978年阪急 福本70個蓑田61個ウイリアムス11個 掛布は84年以降打率が残せなかった上に翌年に日本一になってしまったから手首骨折関係なくバーンアウトしてしまったのかも。 高井がいた阪急にとってはDH導入は黄金期への後押しになったね ヒックスというブーマーを超える超極端なクローズドスタンスの助っ人を覚えてる人いる?
案の定一発はあったが低打率で1年で解雇されたけど >>264
んなことあるやろ
試合の大半休んでるだけの指名打者には理解できんだろうけど
ただ、それを差し引いても選手生活後半の掛布は不摂生だったのは事実やね
しかも阪神という超絶重圧の強いチームの主力でしかもサード固定、
そんな中で家に脅迫電話やカミソリが来るんだからまぁどうやってても
選手生命は長くはならんかったかもしれんけどね 門田はアキレス健を切ってDHで生きながらえたからな
もしDHが無かったら引退だっただろうね >>271
スレチだがそのとおり。
不摂生に慢心だったのは事実。
それどころか飲酒運転で捕まっちゃうんだから。
プロ入りのころは野球大好き、練習の虫で若くしてスター街道をばく進したものだから、勘違いしてしまったのだろう、残念だ。 結果的に、門田と掛布のトレードは成立しなくて良かった
お互いに 掛布についてはケガ以前に
評論家時代(第二次政権前)の吉田義男が、
「近年の掛布はたるんでる。特に守備。
自分が監督だったころ(第一次政権)と比較すると手抜きが目立つ。」」と指摘してたな >>269
高井にとっては代打本塁打の本数が減ったけど。
たしか77〜79年は代打本塁打はゼロだった。
あれがなければ通算30本はいっていた。
高井といえばやはり74年オールスター戦で松岡から放った代打逆転サヨナラホームランだな。
だれもがそう期待したなかでそのとおり打つんだから、鮮やかだった。 >>230
山口高志はヤクルト蹴って阪急だよ。
ヤクルトは下位指名だったけどね。
それに関西に住んでいると、親会社の阪急のイメージは悪くない。 山口は関大四年のときのドラフトのときは「絶対にプロに行かない」と言っていたなかでのヤクルトの強行指名、たしか四位だったから。
のちに知ったが、ヤクルト側は契約金として白紙の小切手を山口側に提示したらしい。「好きな金額を書いてください」というこれ以上ない条件提示。
それでも初志貫徹して社会人入り。本人は、当時は身体も小さくてプロで活躍できると思っていなかったと語っているが。
関大四年のときは全日本、明治神宮大会を制覇。神宮大会では山下大輔の慶応をノーヒットノーランに封じたのをはじめ、先発した試合は全試合完封というすごさだった。 ヤクルトは至れり尽くせりの選手に優しい球団なので入団しても失敗はしなかったと思う
プロ野球選手で組合を作ろうとした時もヤクルトの選手だけは当初は参加しなかった位だから 長池も日本シリーズで外木場だったと思うが頭部死球あっただろ
あれから成績が落ちた印象があるが 水谷も蓑田も耳付きヘルメットでは無かったんだよな
長池の時代は知らないけど耳付きヘルメットは無かっただろうから
頭部デッドボールが原因で劣化した可能性は大だろうね >>280
ヤクルトか電鉄に入社→球団に出向って途は選ばしてくれんかったんかな? 山口が入団する際、阪急は野球を辞めたあとでもグループ内で60歳まで雇用することを約束したらしい。
松下電器という大会社を辞めて入団するからということだったらしいが、もちろん山口の破格の実力を考慮してのことだっただろう。 >>286
長池は当初は耳当てなしだったが、晩年になって耳当てを付けた。
簑田は若手時代は耳当てありだったが、耳当てなしに変更。 >>282
高校野球では72年の選抜から耳つきヘルメット着用が義務づけられた。
そのきっかけは、プロで70年に阪神の田淵が広島の外木場から頭に死球を受けた事故があったから。
ただプロは高校野球とちがって義務づけられてなかった。 田淵は1983年の死球で終わったね
落合が「田淵さんは天才だけど球を避けるのが下手」って言ってたって話 竹之内にしても田淵にしても公式戦で東尾と対戦する機会があればもっと死球対策を練っていたのかな。 >>280
睨んで参加させなかっただにきまってるじゃないですか(笑) >>286
田淵や長池の頭にぶつけるって外木場ろくでもねえな オリックス時代の門田が西武工藤に頭部にぶつけられて
怒って相手ベンチに殴り込みに行こうとしたが
チームメートが何とか止めたとか 門田も最後まで耳あて無しだったよな
そこで怒る怒らないレベルで済んで良かったなぁ 落合が東尾に報復ピッチャー返しやったのは有名だけど
門田も東尾に似たような事をしたらしいね >>275
広岡も掛布の守備をみて
広岡 あんな手袋ばかりしていたらミットにはいる
ボールの感覚がなくなりますよ
素手でとらないと
掛布自身、晩年はアベレージを意識する打撃に
変えようとしたがファンがホームランを求めるがあまり
無理に腰をいれた打撃に変えたために
どうしても守備がたるみ勝ちだった
でも驚異的なリストの強さがあったのと
優勝という目標が、緩み勝ちな心を押さえていた
と掛布は言ってた
だから日本一前後はもうリストの強さだけで
打っていたので打球が反対方向ばかり
あの骨折がなくても翌年はホームラン激減は
予測できた
だからこそ吉田義男は日本一翌年の4番を岡田にして
掛布はクリーンアップからはずそうとした
しかし結局色々あって外せなかった 掛布の話などスレチだろう。
阪急の話をしようや。
>>277
74年のドラフト、あのときはまさかだったなあ。
予備抽選の結果、本抽選の指名順は一番近鉄、二番阪急となった。
イの一番の近鉄の指名は「松下電器、投手」、だれもが山口だと思っただろう。それがまさかの山口のチームメートの福井保夫だった。
すかさず阪急が山口を指名、これが翌年からの阪急三連覇につながっていった。
近鉄の敵前逃亡と当時いわれた。超目玉の山口を指名したら契約金など高額が予想されるため球団の財政事情を考えて山口指名を回避したらしい。
福井はプロでは2勝したにとどまった。近鉄にとっては痛恨の判断ミスだっただろう。 「高い契約金を避ける為に指名を回避」って当時のパがいかに暗黒時代だったか
象徴する話だな >>298
もうね、日本語が下手過ぎて、誰がどこの部分をしゃべったのか全く伝わらない駄文 >>295
どちらかと言うと、言われるほど山口高志はドラフト時では
前評判ほど良くなかったんじゃないのかな?
もともとプロ入り前にピークを迎えてたし身体能力というか素材的には169センチと恵まれない体だし年齢も大学経由の社会人だから24歳と歳も行ってるし
入団したとしても短命だと思われたのでは?(実際に実働4年程度だし)
ちょっと当時のドラフト事情が判らないから推測で書いたけど山口自体の素材はプロでは?と疑問符だったのでは? >>299
全くの見当違い
おおむね>>295氏の言うことが当時の評価 >>299
あの投げ方では投手寿命は4,5年が限度という評価こそあったけど、それまでの間は確実に勝てる逸材との見立てでスカウト評は一致していたんよ。 あの年のドラフトは山口が超目玉で、高校の四天王(銚子商土屋、横浜永川、土浦日大工藤、鹿児島実定岡)も騒がれていた。
当時のことを知らない人もいるんだな。 >>302
そんな昔の、結果的に大したことなかったドラフト軍団のことなんか知らん奴多くて当たり前だろ >>303
土屋正勝・工藤一彦・定岡正二が大したことないってねぇ。一応はプロで成功したといえる面子じゃ無いの? >>304
戦力にはなったって程度でどう見てもビッグ4ってほどじゃない >>302
当たり前だろ
1974年のドラフトの記憶がある奴なんて、当時11歳でも今年56だぞ
5chで一番多いのは70年代生まれの現在40代だが、50過ぎるとガクッと少なくなる
殿堂板でもそれは変わらん
このスレも阪急黄金時代のスレなのに、すぐに80年代の話をし出す奴が多いだろ >>304
そりゃ那須野・染田よりは成功だわな
だからって、それがどうしたと言うんだい? スレのタイトルと住人の年齢層があっていないな。
「80年代の阪急ブレーブスを語ろう」のほうがいいんじゃないのか。
俺は上田阪急V3のころの話をしたいんだが。山口の豪速球もまぶたに焼きついている。 >>309
80年代の話は阪急&オリスレですればいい
>>306
今の40代はとにかく人口が多いから、50過ぎても5ちゃん続ける人も多そうだな >>304
おっ、阪急の4番水谷の選手生命を断った土屋じゃん
先発ローテーション入りしていた定岡・工藤と土屋を成功者として同列に並べるのはどうかと思うよ >>310
そんなスレあるのか。
それなら80年代の話はそっちのスレですればいい。
阪急の黄金時代を知らないヤツが当時のことを推測で書いたり、バカにしたような書き込みをするんじゃないよ。 オリックスがやってる復刻も80年代以降ばっかりで
黄金時代の70年代は1回だけ、60年代以前は一度もやってないからな
これも今球場に来てる世代が40代が一番多いからだろう
しかし、80年代ユニももうやり尽くしたから今年は70年代ビジター辺り来るかも 南牟礼の頃でもそんな感覚だったのね
ttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5375
9年目の91年に中日ドラゴンズへトレードとなる。本人曰く、
「人気のセ・リーグで野球ができる喜び」に満ち溢れていたという。
「阪急時代はね、ダブルヘッダーでお客さんの数が、7人、9人なんて日もよくあった。
それに比べて、セ・リーグはお客さんが多いからね」
豪快に笑いながら、次々と当時を振り返る。 オリックスは必死にブレーブス色を消してたくせにしれっとブレーブスの復刻してんのほんと腹立つわ
バファローズなんだから近鉄の復刻だけしときゃいいんだよ糞球団 近鉄ユニの復刻なんてする意味あるのか
表向きは合併だけど実態は吸収だぞ ああ、確かに兵庫とブレーブスBWが大阪とバファローズに吸収されたな 吸収&移転なんだから、本来ならこれを機に由緒あるブレーブスの名を甦らせるべきだった
バファローズなんて下らない配慮を施すことはなかったんだ >>318
宮内「ブレーブスファンは球場に来ない人が多い。そういう人達はファンとは言えない」 宮内よ
ブルーウェーブファンは球場来てたのか?
バファローズファンも球場来てたのか?
自分の球団経営センスのなさを棚に上げて言い訳ばかりするなよ 悲しいのは強い阪急が対岸の阪神人気には全く影響を及ぼさなかったこと
せパの2リーグ制は自民党と社会党そっくりだった 阪急には明確なライバルが終始いなかった
企業イメージを重視し「東京がなんぼのもんじゃい」みたいな下品なイズムを下地とせず、劣等感や反骨心を露わにすることを嫌った >>321
阪神だって1985年まではそこまで人気あるかという感じだろ。 >>323
>阪神だって1985年まではそこまで人気あるかという感じだろ。
↑
これは恥ずかしいを通り越すレベルだぞ。
当時を知らないとかそういうレベルの書き込みではない
ここ2,3年の最近のことしか知らないのに昔のこと語るレベルだぞ >>325
ID:GIXQTpLU
↑
コノ人「伝統の一戦」とか知らないんだろうね〜〜w
というか1985年までは阪神も阪急同様の人気だと思ってるところが物凄く見当違いw 84年の優勝以降は、優勝狙い言うより
エンタメ追求に変わった
代表例がアニマルレスリー
ブーマーも飛距離ばかり追い求め阪急の強さだった
つながりは消えた
福本の後継者もイチローがくるまで皆無だったし
身売りは必然だったのだろう 阪急同様とまでは言わんが、巨人戦以外はアルプススタンドもガラガラだったよ85年まで
当時の映像見ればわかる 俺のイメージは阪神村山 阪急上田
それから阪神甲子園 阪急西宮競輪
阪急沿線の関学の学生は阪急には目もくれず阪神を応援していた >>329
全くの見当違い
アニマルは元来ああいう資質の人間で球団主導のプロジェクトではない
ブーマーは選球眼も優れており状況に応じたチームバッティングも器用にできた
イチローはイチローで福本は福本、先代でも後継でもない 昔はネットによる年間チケットなんてなく
大半が前売りだったから空席は普通だった
スレチだけど、83年の巨人優勝のときの
後楽園も前半は三塁側がガラガラで、試合
が進むごとに客が入り優勝時には超満員だった
それだけチケット売りに余裕があった
84の日本シリーズもそうで
西宮は空席と観客が半々ぐらいにしか
見えなかった
85の阪神も超満員が増えたのはシーズン終盤のみで
前半は2万そこらも普通だった
その原因は年間チケットやネット予約者の
ない時代だから 江夏が現役時代を回顧して今の甲子園は毎日お客さんが一杯になる、と感慨深げだった 客が入らないわ、テレビ中継も無いわで
昔のパリーグ選手の給料が安かったのは当然っちゃ当然か 上田監督は阪神阪急の日本シリーズを提案していたし、阪神コンプレックスを隠さなかった 雄太郎さんが新潟弁と関西弁と九州弁のハイブリッドでしゃべってるなw 近代野球で時代遅れとも言える浪花節野球を続けた西本の不器用な生き様 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
A宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
B色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
C清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
D高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20) ※日曜日になると風俗店に行っている 南海は本拠地で飛ばないボールを採用していたのにあのチーム防御率だったのか・・ >>346
飛ばないボールはただの香川だ
なんかもうわけわからん 西宮もオリが本拠地にしていた頃まではラッキーゾーンがあったからね(両翼91m)
ラッキーゾーンが無い状態だと両翼101mくらいあった記憶があるが 佐藤義、星野、山沖、W伊藤のころの投手陣好き過ぎる 俺は山田、今井、佐藤、山沖しかいなかった時代が好きだ
星野が出て来るまでこの4人+1人(永本や宮本、小嶋ら)で回すという少数精鋭(というかコマ不足な)投手陣
永本、宮本、小嶋のうち誰か一人でも主力に定着できればちょっとは違ったのにな >>349
昔だとあれでも大きい方
今だと文句なく小さい球場 フィールドシートて滅茶苦茶高いな
ワシは西宮球場で今でいうフィールドシートぐらいの位置を子供会無料で観てたわ >>354
でも、>>347の動画みてると
めっちゃ広く見えるが?? >>356
当たり前だろ大昔はラッキーゾーンなかったからなの。
初優勝の頃はすでにラッキーゾーンが出来て小さくなってる。 そういや東京ドームが誕生する前まで日本で一番HRが出難いと言われたのがハマスタだったよな
大洋の和製大砲・田代なんて本拠地がハマスタじゃなきゃHR王取れてると言われたものだw 阪急として最後のリーグ優勝した84年に松永のサヨナラランニングホームランを生で見たのは良い思い出 サンテレビで阪急戦よく放送してたけど
84年といえばゲスト?のアメリカ人(白人)がバンプを擁護してたのが記憶に残っている 阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
スレでひたすら80年代の話をするバカ共 阪急も江夏をドラフトで入札していたんだよね。
もし江夏を引き当てて入団していたら、日本シリーズで川上巨人に一度は勝てていたかな。
となると山田を指名することはなかったのかも。 江夏、山田、江川、山口カルテット
V10してしまう 江川は「絶対に大学に行く気だったので高卒時点では巨人の指名でも
プロ入りしなかったと思う」と言っていた >>364
いや、それは後出しジャンケンだよ。
たとえ高校時点でプロ入りの意思がなくとも
申し訳ないが当時の巨人と阪急では雲泥の差。
プロ入り拒否を押し切られてなんだかんだで円満に入団したと思う。 江川の後出しって多いよな。
オールスターの連続三振は振り逃げで10連続狙ってたとか。
どんどん増えてそのうち実はメジャーからスカウトされてましたとか言いそうw >>364
だったら桑田みたいに最初から大学へ進学するってドラフト前に公言しておけば良かったのにな。 >>367
慶応行くって公言してなかった?
あれはドラフト終わってからか? 巨人の一位指名を拒否したのは小林秀一1人だけ
桑田と同じで強行指名すれば入団したかもね
小林の拒否理由は「プロになるとアマ野球で指導者ができなくなるから」
プロアマが険悪だった時代だからね
プロアマが和解した現在みたいな状況なら入団したと言っている 江川の父親が学歴に強く拘ってたらしいから
恐らく大学行かないという選択肢はなかったんじゃないかな。 ブーマーが三冠王を獲った後にメジャー球団に誘われたと言ってるが
これも眉唾な感じがする
日本のプロ野球を経験した選手が戦力になると思われるようになったのは
阪神退団後のセシル・フィルダーがメジャーでホームラン王を獲った後位からだと思うし >>371
いやいや、誘われたとしても必ずしも
「一塁手でレギュラー」とは限らない。
クロマティ同様代打要員で誘われたのでは? 阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
スレで隙あらば80年代の話をしようとするバカ共 一応最後の優勝を果たした84年までは黄金時代じゃないの? 80年5位
81年2位(PO出場せず)
82年4位
83年2位(首位に17G差)
これで黄金時代w笑わせんなw おじいちゃんは
阪急70年代スレでも作って引き籠もってりゃいいのに >>376
89年代じゃなく70年代が黄金期なことを理解できない哀れな知恵遅れだな >>377
89年代?
悔しくてプルプル震えながらタイプミスとか笑える 5ちゃん全体が70年代回顧よりは80年代回顧の方が盛り上がる傾向にはあるけどね。
アイドル回顧でも天地真理、山口百恵、ピンクレディより
松田聖子、中森明菜だもんね。 >>376
何言ってんのお前?このスレこそまさに70年代スレだろうがよ
阪急オリ総合スレがあるんだから80年代の話はそっちでしろや
尤もあそこは90年代のイチローオリファンばっかりだから
80年代厨も十分ジジイだけどなw >>381
何を笑われたのかもわからないくらい顔真っ赤にしちゃってるのウケる 重複スレが放置されてるから、80年代の話がしたい奴は
このスレ使えばいいんじゃね?オリファンも来ないだろうし
↓
【昭和】阪急&オリックス【平成】12
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1553261609/ >>382
第3者だけどさw
いやいやwwお前が1番顔真っ赤だぞww >>374
阪急黄金時代って普通どう考えても70年代の事だし、スレ主もそのつもりでしょ
80年代を含めるのは流石に無理がありすぎるわ
「上田監督時代の阪急を語るスレ」なら80年代の話題も全然OKだけど そのとおり。70年代、とくに75年から77年までの日本シリーズ三連覇の時代こそまさしく黄金時代。
当時のことを知らない、80年代以降(西武黄金時代)のことしか知らない奴らが偉そうにしているんじゃないよ。
長池、山口、足立とかの話でもしてみろや。 テレ東のスポーツTODAYだったか
それでわ ナゴヤ球場の ちゅうにちー きょうじんの試合を
おいおい きょうじんはますいだろと当時ですら 当時思い出すのは巨人ファンだった俺が羨ましかったのは、
巨人どころかセリーグには山田みたいなカッコいい投げ方のアンダースローがいなくて
TVで日本シリーズで観てて「いいなあ〜こういうピッチャー巨人にも現れないかなあ」と思ってたところ
足立なんてまた山田に似たアンダースローが出てきて完封されちゃったこいとか
山田をトレードで獲るには誰を出せばいいかなあ?新浦?小林?いやいや出せない出せない〜
とかよ〜く妄想で考えたなあ 山田、足立の両輪を中心に、
75年山口高志加入、77年稲葉と佐藤義則加入、78年今井雄太郎が台頭
75年米田退団、76年竹村失速(大沢親分に殴られたためか?)トレード、戸田トレード
投手の顔ぶれも変わったが新加入の投手が活躍してプラスの面が大きかったな。稲葉が活躍したのは失礼ながらびっくりだった。まあ本人もびっくりしていたけど。
左が白石しかいなかったのがよく指摘されたけどな。 8 :神様仏様名無し様:2018/01/04(木) 17:39:11.82 ID:rvALKxDs.net
1972昭和47年度 に山口高志がもし阪急に入団してたら
73南海優勝はなかった
一度くらいV9巨人に勝ったかも
王対山口高志22才の 対決見たかった 山口高志は瞬間風速的には物凄いインパクトあったんだけど、こと成績に関しては並み
当時は今と違って投手分業制も確立してなかったのもあるが、当時物の少年野球雑誌での評価が
「球威があるのにそれだけでは勝てない」みたいなこと書かれてた覚えがある 速球一本やり、高めの球がとにかく伸びた。コントロールは良いとはいえず球数が多かった。投球にムダがあったから。
やはりハイライトは75年の日本シリーズだろうな。 >>391
それに加え73年に石井茂雄が移籍、そのオフ梶本が引退。75年宮本幸信が移籍。
これだけ顔ぶれが変わっても投手陣の質が落ちなかったのは、主力以外だけでなく竹村戸田や水谷児玉の中堅の健闘もあったからだろうね。 1977年当時、中継ぎに三枝って投手いたんだけど、
勝ちゲームだろうが点差開いてる大敗してる負けゲームだろうが
いつも投げてる中継ぎのスペシャリストってイメージだったんだけど
調べたらこの年しか活躍してないんだね(翌年も77年同様4勝も防御率5点台)
阪急三枝投手で検索したらこんな記事が。同じような思いの人いるんだね
https://ameblo.jp/hankyubraves/entry-10148694982.html 散々スレチの話題で荒らした挙げ句、注意されたら逆ギレw
まさしくバカ親から甘やかされて育った80年代のクソガキの成れの果てだな >>398
自分の携帯の番号「サイグサ」で覚えてるわ 南海ファンだけど 77年の開幕戦
初西宮球場で山田のブロマイドが当たり後ろに座ってた子に1枚あげた
お返しにお菓子を貰いました
ファウルボールがお腹に当たって運ばれた人も居ました >>399
死ねなんてそんなこと書くんじゃねーよ、このクソガキャ、なめとんのか? >>405
社会のクズ、ゴミ
お前こそ存在価値などないただの害虫。
死ねさき言えないのか、仕事何してるのお前?コミュニケーションもできない、ひきこもりだろうな。あわれだな。 >>1
川上巨人、森西武に比べたら全然大したことないよ
そもそも75年の優勝はインチキだし、76-77年の日シリも相手が長嶋巨人だから勝てただけ
チームに何の魅力もなかったから人気も全くなかったし >>410
後期最下位
それでも年間勝率が1位ならまだしも、年間勝率も2位
貯金はわずか5で、年間勝率1位の近鉄とは8ゲーム差も開いている
2シーズン制の10年間の優勝チームで、前後期どちらかで最下位になったのはこの年の阪急だけ。
どう見てもインチキです。 >>411
リーグのレギュレーションの上では何も問題ないですやん。 >>409
>76-77年の日シリも相手が長嶋巨人だから勝てただけ
なんで?どこなら勝てたとかどこなら負けたとか、バカなの
あんた人にケチつけるの趣味だろ? あーん?阪急がシリーズで負けたのは審判が巨人贔屓だったからとかセリーグ贔屓だったからとか
散々ケチつけるのは阪急ファンの十八番でしょ? >>411
意味不明の理屈だな。
後期最下位になったら前期優勝が取り消されるルールでもあったのか? 1973年野村南海が死んだ振り優勝した事に対する上田監督の意趣返しにも思えたけどな>1975年後期最下位
実際は前期優勝に大きく貢献した山口高志辺りが、後期シーズンに入ると疲れ等が見えてきたので、「なら全部負けたってエエわ(`・ω・´)」
と後期シーズンをまるまるプレーオフに向けての再調整に当てたというところだろうけど。 現役時代をさほど知っているわけではないが、山田久志は洗練されたスタイルを持ったピッチャーだとは思う。
ただそれに比例してプライドも高そうで、あまり好きじゃなかった。
上田監督はいかにも気の小さそうな人で、監督としては二流だと思う。 >>417
なんかここまで全然的を得てないコメントも久しぶりに見た
あの当時のエースは皆プライドの塊。なにも山田だけじゃなく、
江夏も堀内も草も村田も東尾もそう。ここで山田限定で語る事から当時を知らないんだろうなあ〜と感じとれる
上田が気が小さい?気が小さい人が広島コーチ時代に寝業師と言われた
根本陸夫と球団方針で言い合いになって喧嘩別れで辞めない 黄金期の時の上田監督なんて、相手チームがまんまと術中に嵌まった時のドヤ顔が実に向っ腹が立った位なんだが(´・ω・`)
上田本人はドヤ顔の積もりでは無かったろうけど、常に自信に満ち溢れているって印象で気が小さいなんてとんでもないわ。 監督としての実績だけで殿堂入りした人を二流扱いねえ…
同時に殿堂入りした関根潤三氏が選手+監督+解説の合わせ技で選ばれたのとは
対照的 >>421
「KANSAI CLASSIC 2019」OBゲスト決定
https://www.buffaloes.co.jp/news/detail/00002287.html
5月18日(土) 近鉄バファローズOB 梨田昌孝氏
5月28日(火) 阪急ブレーブスOB 山田久志氏
5月29日(水) 阪急ブレーブスOB 長池徳士氏
5月30日(木) 阪急ブレーブスOB 福本豊氏 >>422
おーー。
山口高志が出てこないのが寂しい。 今年の復刻は70-71年のユニだからね。
西本監督時代のユニの復刻は初めて 俺が本腰を入れて野球を見だしたのは阪急がオリックスに身売りした年から。
あのブルーサンダー打線は松永が全てだったと思う。
松永が1番にいる、ということが相手に与えたプレッシャーは果てしなく大きい。
あれだけの打線を擁し、投手陣もそれなりのものがありながら
優勝できなかったのだから、上田の責任は免れない。
細かいことに一喜一憂する様を見るにつけ、器量不足としか言いようがない。
スレを荒らすのは本意ではないので、場違いならここまで。 >>425
上田はオリックス・ブレーブスと同じ事を
日本ハムでもやらかしたのは汚点
しかも2度も シリーズ3連覇で野球頭脳と采配能力の高さを見せ付けながらも「西本遺産で勝った」との評価から逃れられなかった上田監督としては、今度は
西本監督みたくなりたかったんだろうけど、育成・チーム作りという点では一定の成果を収めながらも、それをリーグ優勝以上の成績に繋がられ
なかった面は上田監督も心残りかもしれないな(´・ω・`)
黄金期の阪急や上田監督が編み出した戦術や作戦(使用球に霧吹きで水を噴き付けて飛ばなくするとか、野村南海が取り入れた無線でのサイン
伝達に妨害電波で対抗するとかのインチキ紛いも含めて)が、日本プロ野球でのデフォの作戦となったり(ギャンブルスタート(内野フライで数度
生還した記録もある程の福本が三塁走者の時に多用していた)とか)球界内外に知れ渡ったりで、上田監督の作戦が相手ベンチに読まれやすくなった
面も大いにあったかと思う。 日本プロ野球界屈指の名将とされる三原監督も近鉄監督の時に、西本監督時代の阪急相手に優勝まで後2勝まで迫りながら優勝を逃した事が
あったが、西本監督に依ると「もう前の日本シリーズで対戦した際に三原さんのやり口もよーく分かりましたからね。こちらとしては「どうぞどうぞ、
何でも仕掛けて下さいな。」と全てお見通しで、最後まで余裕でしたよ。」との事で。
阪急・オリックス第2期並びに日ハム時代の上田監督も、近鉄監督時代の三原さんと似たような立ち位置だったんじゃないかなあ・・・・・・。 福本で1点とる野球が福本が衰えて
後継者も育たなかったのが、育成優勝できなかった
理由だろう
藤井とか石嶺とか一発やはいたが
福本と山田の衰えが直接チームの戦力低下には
つながった
でも藤井とか石嶺の成長が身売り以降のORIX
ではブルーサンダーとして西武や近鉄と
対等に渡り合えた 又「後は福本の後継者さえ見つかれば!」という執念が、野手としてはそれ程他球団のスカウト達から評価されていなかったイチローを見出したと言えるかも。
イチローの台頭がブルーサンダー打線の解体後になったのは少々残念だが。 福本より、投手陣の高齢化と山口高志の怪我じゃないかな?急速に劣ろえたのは。
黄金期以降も松永や蓑田が出てきて野手の世代交代は上手く行ってたのに投手の世代交代が。
山田、足立、今井雄と主力は軒並み30台、20台は山口ぐらいしかおらずそれも腰の怪我で再起不能に。
次の世代の投手陣の中心になるべき三浦、松本、関口、白井とエース候補が軒並み挫折。
特に三浦は2年目でオールスターに出たぐらい順調に来てたのにそこからぷっつり勝てなくなった。怪我した
わけではないのにね。阪急の三浦と南海の藤田学、この2人なんで急に劣化したか俺の中でいまだに謎。 >>432
三浦って今はゴルフのティーチングプロをやってるんだな
ティーチングでもプロだからかなりの腕前なんだろうな 竹村は毎年2桁コンスタントに上げてたのに大沢監督にぶん殴られてから急に勝てなくなったね。
内角のブラッシングボールでのけぞらせて外のスライダーで打ちとる量産型東尾。
殴られてからビビッて内角攻めができなくなった。近鉄デービスに殴られても内角攻め止めなかった本家東尾
のようなメンタルは持ち合わせていなかったようで。 >>432
阪急三浦はあまりにも早く1軍で起用したのが原因では?
当時は今以上に高卒2年目から1軍抜擢は珍しいぐらい早すぎる。
同期の1位松本投手とともにMMコンビや球界の玉三郎と言われたのが
逆に不人気球団阪急をはやし立て早期1軍につながったのか?
当時の投手陣は山田、今井、稲葉、佐藤義則、山口と二桁投手が5人いて
それほど急がなくともといいのでは?見ていたが。
なんとなく高卒1年目の三浦を客寄せパンダ的に大事過ぎるほど大事に起用してた印象
先発して5回まで投げさせ勝ち投手の権利を得ると上田監督が出てきてスパッと変えるイメージ なんとなく阪急には他球団御法度の高卒1年目から1軍で起用する流れがあり
それでドラフト1位の高卒投手が数人消えた(失敗した)イメージがある
三浦、榎田、野中 黄金期のクジ順ドラフトの時は割とくじ運も良かった気がする。
山口は全体の2位、佐藤義は全体5位、松本は全体3位。
ところが入札ドラフトになってからハズレにハズレ続けてずるずる戦力ダウンしていった。
榎田、野中も誰かのハズレ1位だろ。育成以前に2人とも実力がドライチには足りなかった。多分、どこのチーム
行っても結果は同じ。極めつけは野茂イヤーの大豊作年でハズレ1位で取ったのがパンチ佐藤。 >>438
>榎田、野中も誰かのハズレ1位だろ。育成以前に2人とも実力がドライチには足りなかった。
いや、その割には当時のプロ野球ニュースは煽る、煽るw
1982年のドラフト時、と言うか春のキャンプ時では高卒投手豊作年と言われ
阪急榎田、南海畠山、ヤクルト荒木大輔、中日平沼(平沼だけ2位)の高卒即戦力4人衆と言われた
(この年1番のアタリの巨人斎藤雅樹は即戦力呼ばわりされてない) 翌年の1983年も高卒投手当たり年といわれ
1年目から活躍されるであろうと
巨人水野、阪急野中、近鉄小野、あたり出てきて、阪急は将来投手王国だなって思ったんだけどね
(この年高卒1位は西武の渡辺久信が1番アタリかな) 榎田は練習に遅刻して叱責を受けた挙げ句速攻で首になってたな。
榎田も野中も荒削りではなくどちらかというとまとまったタイプだったが
阪急以外ならどうだったかな。 まーた始まった
阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
スレでひたすら80年代の話をするバカども 選手を殴って育てるのが西本野球
選手を褒めて育てるのが上田野球 しかし上田野球の方が極めて管理野球色が強いという(´・ω・`)
練習等で選手を厳しく鍛え上げて実戦では選手を信頼するのが西本さん
選手を褒めておだてて伸ばして実戦では細かなサインプレー、チームプレーで選手を縛るのが上田さん
という感じか。 >>444
上田も凡プレーを犯した選手にはミドルキックからの右フック連発で半殺しにしていた
容赦のなさは西本の比ではない 球団vs選手だと
選手側に立つのが西本
球団側に立つのが上田 地方の阪神ファンだった頃の自分は、長嶋なんかが率いる巨人に勝てないのが
悔しくてたまらなかった。そんな自分にとって黄金期の阪急ブレーブスは
調子こいてる巨人を日本シリーズで懲らしめてくれる、ウルトラマンか何かのように思えた。 >>449
当時の大多数の日本人のイメージは全く逆で
正義のヒーローである長嶋巨人や広島カープに
日シリで空気読まずに勝ってしまう阪急は悪の組織
今で言うなら国際大会で韓国が優勝しちゃった時のような何とも後味悪い感じ >>450
韓国のような卑怯な手は使ってなかったけどな >>450
うん、確かに日本シリーズで周囲の人達は殆ど巨人を応援していた。
だが父親(阪神ファン)に巨人=真の悪、長嶋=バカと教育されていた
自分には、悪の巨人にやられる阪神が情けなく、その分阪急ブレーブスが
神々しく見えたのです。 >>447
そこが広島出身なところだね
広島の監督は歴代ほぼ全員が
「フロントが監督やってる様な」のしかいない >>450
アンタこそ当時生きてないやろ?
丸わかり >>228
ファーストにしてブーマーを取らなかったと思われる 金村を外して、山沖を獲得したのは当時の戦力考えたら大正解。補強ポイントは投手だったから。
でも山沖を一巡目に指名する球団がなかったのが意外。プロ入り前の評価は高くなかったのね。 >>429
そういうことはシーズン最後の阪急近鉄4連戦の前に言って欲しかったw 阪急黄金時代のパリーグのモットーは「パリーグの灯を消すな」
一見まともだが、優勝したら悪者扱いされる「暗黒の時代」だった 阪急嫌いのアナウンサー植草貞夫
その自宅が阪急沿線だと知ったときは、さすがに呆れた 鈴木啓示の自宅が阪急沿線にあったから、別に気にならないな。
野村克也も西宮在住だった時期は阪急沿線だった気がする。 当時FA制度があったら、ほとんどの選手がホークスか阪神に行ってたと思う
山田久志だけは中日に行ってたかもしれないが
球団愛とかなさそうだもん >>468
中日関係者が全員極左思想てわけではないだろうし、巨人関係者が全員自民党シンパてわけでもない。
>>469
阪神沿線は高級住宅街多いわな。 間違えた、阪急沿線だ。
阪神沿線なんか住みたくねえw >>472
それどころか巨人の草創期スタッフには共産党崩れが多く在籍していたという。
どうやら嘗てのフジサンケイが労組関係者を扶桑社に配置転換(事実上の左遷)のと似た意味合いで、嘗て警視総監としてアカ取り締まりを
行なっていた大正力が、そう巨人軍を活用していた模様。 確かにw
当時の南海とかありえんわついでに言うと阪神もない
まあ当時なら金払いよかった巨人中日西武じゃね
広島も意外とよかったんだっけ 80年代あたりまでは西武以外のパの球団にはみんな行きたくないが
その中でも行きたくない球団の筆頭はロッテと南海だろう 南海ロッテ、暗黒時代の阪神は行きたくないと明言されることが多かったように思う。
近鉄阪急も似たり寄ったりだった。
金村くらいか、長池に家に呼ばれて約束までしていたとか書いていたな 阪急黄金期の南海なんて球界屈指の貧乏球団じゃねえか
しょぼい年棒、劣悪な環境、粗末な待遇
そんな南海にも劣る太平洋やクラウンからならともかく、阪急を捨てて南海はないわ でも今のホークスをみてたら、やっぱり球団ブランドって大きいと思う
バカにしてる低迷期のホークスの人たちがコーチや解説者で呼ばれて、阪急の人たちは山田久志や福本豊以外は全員パッとしない、佐藤コーチだって名が売れたのはコーチになってからだしね >>482
南海は身売りの年が観客動員記録の91.4万人で
西武は所沢移転初年が136.5万人、以後順調に動員を伸ばし続けて
南海身売りの年は189.2万のダブルスコア >>482
南海が西武より客入ってたってw
観客動員数調べんでもそれだけは200%あり得ないと誰だって分かるわw
お前、前も80年代は阪急より南海の方が客入ってたとか嘘を垂れ流してたよな?
何でそんなすぐにバレる嘘をつくん?
妄想>>>現実になっちゃってるヤバイ奴か? >>486
そいつ
南海スレのコイツかもなw
108: 07/24(水)22:24 ID:J8SFlxz2(1) AAS
ほんとそれ
ドラフト制度は南海の弱体化のねらいもあったんやろな 80年代の南海が人気あったとかほざいてる南海ヲタ、完全に基地外やん 漫画のあぶさんは人気があっても大阪球場はいつもガラガラだった >>490
70年代までは南海の方が人気あったが、80年代は近鉄の方が人気あった
79-80年と89年に優勝したし、86、88年も西武と優勝を争ったからね ttps://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190620-01&from=related_info_column
上田は監督をやりたくて野心満々だったんだなw
広島を退団したのは根本との確執etc. とか云われていたが
ホントは監督昇格の可能性が無くなったからじゃないのかw そうやね
甲子園もそうだし香枦園なんかも凄い高級住宅地 日頃弱者の味方を気取っているマスコミが、プロ野球に関しては例外だと思い知った 日本シリーズで巨人軍に負け続けてた時代の阪急の投手陣の通算勝ち星の合計は遥かに巨人軍を凌ぐ
しかしシーズン不調でも、日本シリーズには強い高橋一三堀内の両腕エース
V9時代の
米田 梶本 足立光弘(日本シリーズのエース)石井茂男 山田 〉〉〉〉城之内高橋一三 堀内 渡辺武夫(メリーちゃん)倉田
1976〜 1984
足立光弘(日本シリーズのエース)山田 山口 佐藤義則今井 〉〉〉〉〉〉〉堀内 新浦 小林 ライト 高橋義昌浅野
高橋一三が移籍し堀内が衰え出してやっと日本一になれた 上田は阪神監督に擬せられたこともあったが、やらなくてよかった
この人に甲子園は似合わない
この人は西宮競輪の灯が似合う 今、巨人以外の選手はやたらヒゲ伸ばしてるけど、75年の日本シリーズで森本潔を見た時はド肝を抜かれた。
メガネに長髪にヒゲ。今のアゴヒゲとか中途半端にしか見えない。 >>499
山本晋也みたいで実に怪しいなw>森本
ポルノ映画の監督をやっていそうだ ドラフト指名拒否回避で大学・社会人重視のスカウト方針に依る点もあろうけど、とにかくレギュラーも控えも加齢臭&所帯じみた
オッサン揃いだったのがなあ(´・ω・`)
若手で美男子だった簑田も入団時で既に所帯持ちだったしなー。
上田監督もプロ入り後も弁護士を目指した様なインテリなんだけど、見た目は顔が浅黒くドヤ顔が目立つ工事現場の監督って風情
だったし。
阪神に比べての阪急の不人気は関西マスコミの宣伝力の差に依る点が九分九厘だと思うけど、それにしてもなー。
後、当時の西宮球場はやたらオレンジが目立つ色彩だった様に記憶しているけど、これがカクテル光線に照らされると実に目に悪そうで。 地味な選手たち(社会人野球出身が多い)
オレンジ色の場末感あふれる球場
競輪用のバンクが無造作に置いてある
応援団長は社員
強いのになぜ人気がないのかと思っていたが、
看過できない問題も多かったのは事実 穴吹南海や仰木近鉄は、西武を意識した試合をしていたが
上田阪急は全く、西武戦を意識していなかった いやいや、80年代に毎年西武と互角に試合してたの阪急ぐらいなんですけど。 穴吹南海や仰木近鉄は、西武に勝ってガッツポーズを披露したり
マスコミを通じて口撃を仕掛けたりと、パフォーマンスに長けていた
しかし上田阪急は全く「阪急西武戦」を盛り上げる術がなかった 阪急側から見て
80 15-11
81 17-8-1
82 13-12-1
83 10-16
84 15-8-3
85 12-13-1
86 12-11-3
87 12-12-2
88 12-12-2
89 13-12-1 >>503 >>505
全然違うわ
504や506も書いてる通り、当時の西武と対等に戦えてたのは阪急だけ
試合自体も好ゲームが多くて、80年代のパリーグで一番盛り上がってたカードは
間違いなく西武ー阪急戦だよ
それに、西武と互角に戦ってたのに優勝が1回だけというのは
それだけ西武戦に力入りすぎて他のチームに取りこぼしてたって事じゃねーか いくらいい試合をしても、仰木近鉄のマイクパフォーマンスに
いいところを持っていかれてたじゃないか
上田阪急もマスコミが喜ぶようなネタを仕込んどけよ!、 > 仰木近鉄のマイクパフォーマンス
何それw
大沢親分ならわかるけど >>502
競輪用のバンクのせいで、楕円状に剥げている外野の芝は悲惨だった。
あんな芝でよく守れてたな。
人工芝になって解消されたけど。 リアルタイムで見てた人に
「西武のライバルは?」と聞けば100人中90人が
近鉄と答えるだろうよ >>512
実質は西武が森監督になり、近鉄の采配の主導権が西鉄出身の仰木-中西両コーチラインに移ったとされる1986年からだね。
すっかり邪魔となった鶴岡南海出身の岡本監督と、2年間の酷使で投手寿命終了寸前だった石本を体よく処理する目論見もあってか翌1987年は
(新人阿波野が15勝したにも関わらず)最下位に転落したけど。 >>506
対戦成績は互角でも優勝争いのデッドヒートが無かったから、近鉄と比べて阪急のインパクトは弱い 俺も西武黄金時代のライバルと聞かれたら近鉄と答えるだろう。
三つ巴を制した89年に伝説の88年にかなり追いつめた86年と
三たび西武と最終盤まで競り合ったインパクトは強い。
84年阪急Vが西武を競り落としてのものなら
もう少し印象も変わったんだろうけど。 おいおい、「阪急が西武戦に力を入れてなかった」という話が嘘とバレて
「阪急が西武と優勝を争わなかった」という話にすり替わってるじゃねーか、近豚ちゃんよ >>518
その3チーム以外のファンはそんな細かい事は知らねえんだから
黄金期西武のライバルはどこですか?って聞かれたら普通は近鉄って答えるだろ
それ以上でもそれ以下でもない 1986年なんて阪急だけ全5チーム負け越し無しだったし、西武近鉄共に下位チーム相手に取り零しが多かったりとかなりグダグダな状況だったんだが、阪急がそれに付け
込んで首位戦線に迫るでも無く・・・・・と往年の万年優勝候補に成り下がったかの様な
試合運びが目に付いたな(´・ω・`)
チームの総合力では西武に次ぐ安定感があったのは事実だと思うけど、何か熱くなれないというか何処か妙に冷めた雰囲気が漂っていた感じだったねえ(´・ω・`) >>519
は?最初に「そんな細かい話」をし出したのは>>503なんだが?
で、それが真っ赤な嘘とバレたから必死に「アバウトな話」にすり替えてるんだろ? >>520
的確だねえ。
戦力は整っていて安定感はあったから、
西武のベテラン勢が衰えた84年はあっさりVか。
身売りしてオリックス元年のブルーサンダー打線はアツかったが。 こうして見るとファンの気質は基本的に今も昔も変わってないみたいね
オーナーの熱意だけでもってる現状である以上
オーナーが死んだらまっさきに売却されるのは必至だが
新オーナーも苦労は絶えなさそう 相変わらず阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?スレで
80年代の話ばっかりしてるバカばっかしだからな >>524
「強かった、でも不人気だった」
もう何書いたってこれ以外の展開にはならないのは過去スレ見りゃわかるだろ
それでも黄金期にこだわるなら何か新しい話題を見つけてこい >>525
アホか
話題がないからっつってスレチの時代の話を延々と書く方がルール違反だろうがよ
80年代の話がしたけりゃ総合スレでやれや ホークススレやライオンズスレは弱かった70年代の話でも
リアルタイマーが結構書き込んでるのに、
阪急は黄金時代だったにも関わらずリアルタイマーの書き込みが極端に少ない
というのが当時いかに阪急の人気が無かったかが分かるな >>526
書き込める人がいないのに書き込むな言うたらスレ落ちるやんけ ?別にいいやん。人がいなくて落ちるなら仕方ない
つか、殿堂板の過疎スレを無理矢理延命させる必要あるんか? >>525
強くてもそれが嫌われるくらいだと
「悪名は無名に勝る」
って感じで後世まで残るんだが強くても無名だから全然語られないのよね
後期川崎ロッテの
「弱いのにアンチが多い」
の逆パターン >>530
当時の川崎ロッテのあれはアンチとは言わないと思うけど
ただただ、「弱くて不人気」では? 狭山のロッテ合宿所には強いところにたまに勝つと抗議の電話が入り
負けるとそこと優勝争いしてるところから抗議の電話が入りの繰り返しだったそうな 狭山?
浦和じゃないのか
ロッテ合宿所は
浦和工場敷地にグラウンドと共にあった 別に阪急が強かった時代なんて無いでしょ。たまたま他球団の弱い時代が重なっただけ。 長島第一期政権が阪急の黄金時代なんだがVナイン時代の川上に飽き飽きしていたからジャイアンツは人気があったな。叩かれるようになったのは江川問題のあとから >>533
浦和に行く前だね
それまでは一軍本拠地より更に流浪してた と言うかヤクルトが近鉄にマニエルをトレードしたのが良い迷惑だった >>537
まあ大杉にやられたな
足立が大杉に完璧に打たれてのに
あれはファールだったと粘着したせいで
凋落が始まったとも言える
ヤクルトと言うか大杉君にやられたとはっきり負けを認めれば凋落することもなかったんじゃないかな >>538
へぇー だな
江藤慎一がカネやんに引き取られて
復帰した時は浦和の合宿に単身住まいだったそうだからロッテ資本が入った頃かそれ以前からなのかな? >>540
梶本じゃ監督の荷が重すぎた。その間に近鉄日ハム西武が台頭した 上田はさっさと敵前逃亡した感
長池大熊ら西本時代の主力引退で
世代交替期に梶本は尻拭いをさせられた様なものだ
結果を出せなかったのを見越した様に球団からの要請で復帰したが
さすがに一次政権時の様に上手くはいかなかったなw 1984年の二次政権唯一の優勝はブーマーの三冠王と
西武の田淵、山崎の衰えが重なったおかげだね >>543
>長池大熊ら西本時代の主力引退で
どちらかと言うと、3大バカと言われた山田福本加藤英が健在の頃が強かったんでは?
日本シリーズでヤクルトに負けはしたが、あの年が常勝阪急のピークで一番強かったと思う 70年代は6回リーグ優勝してるけど前後期制度だったからあまり強いって感じが残ってないんだよね
あの時代はパ・リーグ全般が人気がなかった 前後期制を導入していた10年間、都合20シーズンで阪急は9度優勝
次点がロッテの4度、近鉄の3度なのでやっぱりこの時期も阪急は断然強かったということ 関西地区とか九州とか仙台みたいなパ・リーグのフランチャイズがある区域だとパ・リーグの動向を追いかけてた人もいるから前後期の歴代優勝してるチームは覚えてるだろうけどね
西武が日本シリーズの常連みたいに出てくる時期までは全国的には地味だったと思うよ その西武戦ですら
アニマル全盛期とか一部の試合を除いては客入り芳しくなかったからなぁ 長嶋が浪人してた時代が一番視聴率良かったらしいよ80年代の中盤前後
関西地区はわかんないけど九州にいた自分も毎晩ナイター中継とプロ野球ニュース見てた ファンの絶対数が少ない上にそのファンが根っから野球好きじゃないのが多かったのが不運だった
宮内が
「俺みたいに西宮に通い詰めてから一人前の文句垂れろ」
って言ったのも解る 「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」という本が出ていたな。
元になったのが読売新聞での連載(関西の一部地域限定)
というのが面白いが。 全盛期はあったが巨人や西鉄みたいな黄金時代は無いんじゃないかなと思う あったかもしれないが世の中でそれを詳しく語れる人が少ないのが不幸
南海や西鉄や近鉄の話なら腐るほど語り尽くされてるのに パリーグに人気が出たのは、ソフトバンクのおかげ
ソフトバンク誕生以前のパリーグは、人気、実力の両面でセリーグの後塵を拝していた >>555
なんかソフトバンクの名前出すところから最近のことしか知らないニワカっぽいなw
この人、堤オーナー西武がクラウンライターから買収したころの事知らないんだろうな 阪急の二回目の優勝の年の終盤戦に
他球団が南海に優勝させようとして
南海戦に力を入れていなかったそうですね。
南海がパリーグの巨人的な存在だったという事なのかな。 昔の大阪はマジに産業の都だったな。東京はまた違う感じの都市だった >>545
ただ大杉にやられたね
上田監督に乗せられてなのか知らんが足立までが後年あれはファールと言っていたのはガッカリだったよ
打たれた瞬間しまったという顔してたじゃないか 野村とスペンサーがタイトル争いした時も
他球団が野村に加勢しているんだよ。
創立してから弱い時期が長かったから
格下に見られてアンフェアな仕打ちを受けていたのかな。 パで長池とホームラン王争いをしたライバル大杉に打たれる皮肉 >>562-563
66: 神様仏様名無し様 2019/09/17(火) 21:26:35.50 ID:yp1WlaOx
>>65
大丈ブイ >>560
はぁ?
三塁側ベンチにいた上田監督の位置からはよく分からなかっただろうけど
足立は一番分かる位置にいたのだからそりゃそう言うでしょ
ましてやあの時ヤクルトのベンチにいた人もファールだったよって言ってるのにw レフトは簑田だったかな
至近距離で球の行方を追ってたからそらもう激昂しとったな パリーグ創立から阪急初優勝までの間に
Aランクが南海、西鉄、Bランクが大毎、東映、
Cランクが阪急、近鉄という印象が
選手、関係者、マスコミ、ファンに固まっていたんでしょう。
Cランクの阪急が強くなっていく事への抵抗が強かった事が伺えます。
弱い球団から強豪に上り詰めたのは日本では
阪急が初ですから快挙でした。 西本 「阪急ブレーブスと近鉄バファローズはワシが育てた」
西本「オリックスバファローズはワシは育てとらん」 オリックス・バファローズになったのは2005年。
西本御大逝去は2011年。 >>520
福本 阪急は広島との日本シリーズで負けたことより話題性のなさや
観客の閑古鳥がほんまに堪えたみたく、そこから勝てなくてもエンタメ性を
強くすることを考えたんや
なぜ阪神は人気あるのか
確かに老舗とか理由はあるだろうが結論は川藤や掛布や岡田を
代表とするように個性派がおおかった
阪急は勝てたけど個性派が少なかった
蓑田にしても松永にしても本来は冗談飛ばすしおもろいのわかってたけど
野球には結び付かんかったのとメディアが野球巧者という
言葉で窮屈になったんやね
俺もそうやった
だから引退したら本音出そうと張り切ったんや笑
で阪急もこれでは身売りやとまずアニマルを獲得した
彼のパフォーマンスで勝てなくても客は入るがようやくわかったが
阪急は身売りしORIXに変わった
でORIX時代は宮内さんが更なるエンタメ性を出せと葉っぱをかけて
まずパンチ佐藤をドラフトでとり、ある意味では土井さんもその一つやった
デカ高橋智なんてのもいたな
で完成形がイチローやった
確かにチームはあまり勝てなくなったが客は倍々で増えたんや
そして今も続いてる
清原や中村のりもそのエンタメ追求の一環やった 山田の話では自分のアンダースローは手首を立てて投げるとか言ってたが全く投げ方が想像出来ない。 70年代に金やんロッテと阪急のカードはパリーグの黄金カードだった
しかし破天荒の天才金やん率いる有藤村田リー木樽成田らの個性派ロッテオリオンズは
むちゃくちゃでも圧倒的に楽しく痛快な人気チームだった覚えがあるのに
阪急は有楽町阪急の優勝バーゲン以外全く印象がない
by都民 阪急はリーグ優勝10回、日本一3回の名門球団なのに優勝パレードは一度もなし・・ >>574
そんなの関係ねーよ
ただただ単にネットもない時代娯楽がTV一人勝ちの中阪神は巨人戦と言う視聴率において
ドル箱カードを持っていた、阪急は持ってなかっただけ
>結論は川藤や掛布や岡田を
代表とするように個性派がおおかった
そんなことねーよ。阪神は巨人戦があればこそ。そこでもしも阪急がセリーグなら
川藤より代打世界記録保持者の高井、当時シーズン盗塁数記録の福本など世界記録保持者が2人
雑誌メンズクラブで単独モデルとして出たイケメン蓑田、
投手陣もセリーグにはいない美しい投球フォームのアンダースロー山田、
藤川球児にも勝るとも劣らない個性派フォームの剛腕山口高志、完全男、酒豪の今井雄太郎
個性派は揃ってた >>575
その目の前にある機械で山田の動画を調べたらどうだ? >>578
掛布を除けば、阪急の選手の方がこの時代個性実力ともずっと上だったよね。
この時代交流戦が無かったのは残念だな。在阪パ3球団が阪神をくそみそに
やっつけただろうに。 >>580
なお翌年には阪神タイガースの一員になっている模様 その時代に交流戦あったら西宮でも98%を阪神ファンに埋められそう・・・ 黄金期の選手が悉く監督になってないよな
なっても山田みたいにイマイチだし 交流戦があったら、朝日放送のアナウンサーに猛烈に悪人扱いされただろうな 阪神ファンからすると元阪急の選手には苦い思い出が多そうだが
やっぱりチームに合う、合わないってのはあるんだろうな 加藤秀司はパのチームでは活躍するがセのチームでは調子を落とすの繰り返し
阪急→広島→近鉄→巨人→南海 上田監督とは喧嘩ばかりと聞いたことあるが行くとこ行くとこ加藤はもめていたんか? >>587
割合活躍していた近鉄でも球団・首脳陣を批判して、淡口とのトレード名目で巨人に放出されたと言われているしな。 阪急と阪神の日本シリーズなんて、想像しただけで恐ろしい
大阪マスコミの阪急叩きが目に浮かぶよ >>586
>加藤秀司はパのチームでは活躍するがセのチームでは調子を落とすの繰り返し
あの頃はセの方がパリーグよりレベル高かった。加藤以外のトレード選手見て見れば一目瞭然。
セからパに行く選手は大体活躍しパからセに行く選手は成績が落ちる
日本シリーズも阪急がヤクルトに敗れたあたりからしばらくセリーグが日本シリーズ勝ち続ける
その当時オールスターも5年だか連続でセリーグが勝ち続ける
江本もいい加減だなあ思うのは、当時セリーグがパリーグよりレベル高いと言いつつ
理由がパリーグにはDHがあるから。理由は忘れたがDHがあると選手が育たないと。
今、交流戦でパがセを圧倒してるがそれには当時と真逆でセにはDHないからと言ってる >>588
大した守備でもないのに守備に就かないと打撃も駄目になると言い張って指名打者を拒否したり、そのくせ制度のないセでは丸で活躍できなかったりとか色々と面倒くさそうだな >>591
近鉄では同年代の選手が少なかったのも孤立した原因かもね。
年の近かった鈴木、小川、平野といったところは加藤の在籍中にちょうど引退。
もしもう一年残ってたとしても完全に浮いた存在か。
南海では孤高の存在だった門田の唯一の話相手だったんじゃなかろうか。
社会人からの先輩福本や同い年の山田と3人でチームを支えた阪急時代が
やはり加藤にとっては理想の環境だったんだろうな。 1985年の近鉄打線は走れる選手が大石しかいない
機動力皆無打線だった クロマティのさらばサムライ野球でも巨人時代の加藤秀司の話題が出てくるんだよね
あまり好意的な意見じゃなく
「あの加藤って移籍してきた男はなんなんだ、過去にどんだけヒット打ったか知らないが
あまりにも横柄な態度じゃないか」って王に言ったとか >>594
クロマティにそう言われちゃうくらいだから、近鉄時代よりももっと浮いていたんだろうなあ。
自分よりずっと若い選手しかいない。高橋直樹と有田修三くらいしか話し相手いなさそう。
王監督にだけは敬意を払ってたかもしれんけど(打者として) >>587
のちに2人は日ハムで監督とコーチの間柄となったけど、やっぱり揉めたのかな >>596
上田からコーチのオファーがあった時は加藤本人が驚いたって言ってたね。
仲は悪くてもその打者としての能力はちゃんと評価していたってことだろう。
3年コーチを務めた後に辞めた理由はわからないが、案外落合の起用法とかで
衝突したのかもしれないね。 西本阪急時代の戦力で川上読売に勝てる監督はいるのかな?
米田梶本は67年初戦でコテンパンにやられてから苦手意識を拭えないままだったし打の長池や森本らも肝心なところで不発が続いた印象。
福本も堀内に苦手意識を持ってあまり走れなかったし守備が良いはずの大熊や阪本や山口らもやらかしで投手に負担をかけた。
71、72年はむしろ戦力的には阪急有利と言われたけど西本は短期決戦に向けての意識改革がどうも上手くいかなかった 西本監督自身が、短期決戦に弱いのは自分も舞い上がってしまうから、みたいに言ってた。
何とも正直な人だなあとも思ったけど、まあそういう人だからこそ選手には慕われたんだろうけど。 >>598
過去に巨人に勝った事のある三原や鶴岡だったらどうだったのだろう? 当時のyoutubeなんか見ると審判の判定が一々ジャンパイアだよね。
あれでは日本シリーズで巨人と対戦するチームはかなりのハンディを負っていると言わざるを得ない。 訂正
yourubeで当時の日本シリーズを見ると、 三原、鶴岡が勝ったのはON時代ではないからね。
稲尾も杉浦もON砲には通用しなかった。 広岡西武の日本シリーズ対策(東尾をリリーフ役にしたり強気な松沼兄を初戦先発etc)は西本阪急の失敗をよく研究した産物だと思う >>604
広岡は、西本を最高の指導者(育成ができる)である、と敬意を示していたので
それだけに、ではなぜ西本は短期決戦でいつも負けてしまうのかと言う事も
色々考えていたのかもね 黄金期阪急は、応援マーチもおそろしくカッコよかった
スローテンポなだけでも珍しいのに曲調も重厚で、当時小学生だった自分には衝撃だった
今でも無意識に口ずさんでる時がある、ちな虎 79年の日シリの投手起用を手厳しく批判してたよ
井本、鈴木が十分計算できたのに無理して敗退したって >>608
80年のオールスターではパ選手の中で福本だけがトランペット応援されてた(他の阪急選手もかもしれんが) >>597
エエでは人望が無かったし
阪急時代からの懐刀的存在だった
住友平辺りの進言とかで消去法で起用のかもw
長池を筆頭に西本門下生を住友以外は疎んじていた空気があったし
そこらの風評wを解消するアリバイつくりだったりしてw
選手より球団側に付いてた御仁だから
阪急時代はコーチを殆ど球団任せで受け入れて起用していたし
ハムでも同じく 上田は松永や石嶺や佐藤義や星野あたりからは慕われてるんじゃないの? >>613
佐藤はオリックスコーチ退団後出した本、上田が亡くなった時
上田さんが一番の監督だったと答えれていたから慕っていたのだろう 単純に上田が監督になってから入団してきた選手達は良いんじゃね? >>611
まあでも黄金期はそういう上田監督と選手たちの間に
いい意味での緊張感があったんじゃなかろうか。
無能な監督なら阪神みたいになるだろうけど。 >>615
上田に限らず
選手にとっては使ってくれる監督は良い監督だしなw
西本時代からの選手で上田に重宝された生え抜きは住友以外だと
中沢と高井が居たな
二人とも西本時代には控えとしても
干され同然な使われ方だったが
高井は不信任投票にペケ印が響いたのかな >>617
ただ、高井に関しては西本監督時代の最後の2年間(72,73)については
結局力を認められてかなり使われている様にも見えるんだけどどうなんだろう。
高井本人としては西本監督には最後までずっと干されてたって感覚なんだろうか。 >>615
ハム監督時代は落合と広瀬以外の選手は上田シンパじゃなかった? >>618
71年からスペンサーと上田が
コーチ就任して翌年から上田がヘッドになってるから起用進言とかをしていたのでは
一塁は石井晶や加藤が居たとは云え
上田たちが加入以前は代打でも大して使われなかったのは御大たちに嫌われてたとしか思えんわなw おまいら勝ってなことばかり言ってるよな。
単純に高井に力がついてきたから起用が増えていっただけだろw
しかも阪急が西本監督の頃はまだDH制はなかったし。 どこかのスレに書いてあったが、初の日本一になった1975年の阪急はなぜか
太平洋クラブ相手に8勝1分17敗と大負け。この年のライオンズは確かに打線は
強力だったが、だからと言ってこんなに負け越したのは何とも解せない。 75年は前後期合わせて64勝しかしてないから
そんな事もあるだろう 2シーズン制て、そういうもんだからな。
前期優勝すれば極端な話、後期は全敗しても何ら問題ないわけだからな。
それでプレープフを勝ち上がればパリーグ優勝で日本シリーズへ進出できるんだから。 これどう思いますか?書いた本人は当たり前だと主張
↓
殿堂板「変えたほうがいいルールや決め事」 にて
2019/12/02(月) 17:55:13.50ID:OowhLA5V
>>560
そもそも日本シリーズに興味を持たれなくなることの何が問題なんだ?
日本シリーズなんてたかだか7試合しかないんだぞ
たった7試合のためにペナントの数十試合を犠牲にするほうがバカげてる 元々阪急が強過ぎてペナントレースが盛り上がらない、という冴えない理由で
始めたものだしな、二シーズン制って。結局阪急の黄金時代に終止符を打ったのが
強い阪急の生みの親の西本監督の近鉄だったって言うのが何とも。 「今阪急があれば」って、あるじゃん。超人気球団阪急阪神タイガースが 阪急神戸線、特に三宮〜西宮北口あたりはプロ野球で集客するのが難しい地域だと思う。
同じ西宮市内に甲子園があるのが、ますます集客を難しくしている。 根本さんがチーム編成して上田さんが監督するチームを見てみたかったなぁ
森さんの西武並みかあれを超えるチームになったんじゃないかな >>634
大洋時代はパっとしなかった投手の竹村が
阪急に来て二桁勝ったりとかもあったしね 弱くても人気の阪神と強いのに不人気の阪急
被害者なのにマスコミに叩かれたのは阪急ぐらいか 東京の阪急百貨店が有楽町だけでなく新宿や渋谷や池袋や吉祥寺にもあったら
優勝バーゲン目当ての女性ファンが増えていたかもしれない
(後に西武の人気を作ったのはこれだ 阪急優勝で東宝の舞台や映画が安くなるなら祭りだったかも。 稲葉、島谷 ⇔ 森本、戸田がすぐ思い浮かぶが
阪急はトレードも上手かったと思う >>640
逆に中日は素っ頓狂なトレードが多かったんだよね
80年代に入ってからの落合のトレードは中日が得したと思うけど 中日は田尾と西武の杉本とのトレードもあったな。
これで、前年終盤まで優勝争いして2位だった中日は5位に沈み、前年3位の西武は優勝した。 阪急から
ヤオウイルスを
中日に蔓延させた佐藤公博を知らんふりで黒い霧もとい野球賭博を批判したり日シリで審判に暴行侮辱行為をはたらく阪急だから強くても人気が無かったんだよな あんなファールをホームランていう審判なんて批判されて当たり前 71年の日本シリーズダイジェストみると全部の判定に阪急の選手が怒ってて笑う
あとみな守備下手すぎ 全員ロートルみたいな動き 朝日放送・植草貞夫「阪急が強いからパリーグはつまらない!」 阪急が強いというより他球団が揃って端境期だっただけなのでは? 阪急が強い時代は10年ほど続いたわけだが
他球団はみんな端境期だったわけだね 阪急は71年から79年まで2シーズン制の半期優勝も含めると9連覇だったからな。 >>650
3連覇の後、70年に4位だった時は、また元の弱小阪急に逆戻りするだろう
と思った人も多かったのかな。それから9シーズン、常に1位か2位だもんな。 1976年に六度目の挑戦でようやく巨人に勝った
V9メンバーが劣化した事とは対称的に阪急にはマルカーノや山口他が加入して
強化されたからだろうけど 高井さん河村さんが指名打者ですら
常時でれないくらいレギュラー
揃ってたんでしょ。
あと練習量が凄すぎて高卒選手にも
容赦なかったとか
福本豊さんが、壊れたらそれまでの
選手やと、割りきってたって
ラジオで話すくらい
過酷な練習だったそうで。 阪急は弱い球団から強い球団になるという
野球界の階層を打破した初の球団なんですよ。
それゆえにいろいろな嫌がらせもあったようです。 >>658
これか
なぜ嫌われたのか? パで阪急を優勝させないための包囲網ができていた/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190916-00000003-baseballo-base
6日からの南海─東映3連戦も不可解だ。東映は中軸の張本勲、毒島章一をスタメンから外し、3連敗。
張本は打率が下降気味だったので、タイトル狙いの時期の“いつものこと”だったかもしれないが、
毒島は翌8日の阪急戦ではスタメンに戻っていた。
投手も初戦が今季2勝の伊藤、2戦目が今季初登板の石井だった。
特に石井は、打撃投手として一軍に帯同していた選手だったらしい。
この3連勝で南海は阪急に0.5ゲーム差まで迫った。
さすがの西本監督も「こんな馬鹿な話があるか。こんな馬鹿なことをする奴は誰も相手にしなくなるし、
ほかの仕事についても馬鹿にされるだけや。自分で自分の誇りを傷つけているのやないか」と吐き捨てるように言ったという。 >>659
西本さんが融通利かないガチンコだから嫌われたんだろうなw >>660
入幕してから全戦ガチンコで通した大乃国がヤオ力士から集中砲火を喰らったようなもんかな >>659
「タイトル狙いの時期の“いつものこと”」
ハリーはその頃からこんな事言われてたんだな >>662
こんな事もあったそうだ
張本の守備の酷さは有名だったからな
https://news.goo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20190828-03.html
そこで、「オレが悪いとしたら、どこが悪いのかはっきり言ってくれ。お願いだ!」
と訴えた。
ここでは「いや、ハリ、そんなことはないぞ」となって抱き合うのが、もしかしたら巨人かもしれないが、
東映ではそうはならない。
守備面で構えがないからスタートが遅い、カバーリングが悪い、個人記録を追い過ぎる、など言いたい放題になったらしい。
当初は神妙に聞いていた張本だが、最後は、
「確かに俺は思い当たるようなプレーをしたかもしれん。だが、これらのことはだれだって大なり小なりやっているじゃないか。納得いかん」
と言い残し、部屋に戻ってしまったという。
この鉄板の流れは吉本新喜劇、いや、東映新喜劇か。 西本監督だったら多分ハリーの様な選手は放出だっただろうな
近鉄で土井を放出した時と同じように タイプは違うが
三原翁もハリーを忌み嫌っていたな
日本プロ野球の打撃人を5人挙げればに
ハリーを入れていない
5人選ぶなら川上大下中西長嶋王
3人選ぶなら大下長嶋王
1人選ぶなら大下
これを三原が他界後に
ハリーは三原さんたちと話して決めたと捏造w
ソースはBBM社プロ野球80年最強打撃職人 >>502
西宮球場の完成当時は現在でも通用するスタイル
80年以上も前にフィールドシートに観覧席を覆う屋根
競輪で芝生もそうだけどスタンドもいびつな形になったのは残念無念 >>665
意味不明。
誰が何を「話して決めた」のか? 野村克也がクイック投法をやりだしたとか大嘘なのがよくわかる記事。
実戦で本格的にやり出したのは天下の巨人軍なのである。 78年か79年が一番最強だったと思う
78年なんかダイヤモンドグラブ賞8人受賞
この記録は抜かれてないんじゃない? 1992年
投手 郭
捕手 伊東
一塁 清原
二塁 辻
三塁 石毛
遊撃 田辺
外野 秋山 平野 佐々木誠 >>669
さすがに史上最強は無理がありすぎ。
シリーズでは巨人に惨敗してるのに。
ソフトバンクに負けた去年の巨人が最強と言い張るようなもの。 だな。そもそも観客が多いと舞い上がって普段のプレーが出来ない
とか言ってる時点で全然最強ちゃうやんと。 そもそも72年よりも71年のほうが強かったと思うけど。
まあ、こればかりは個人的な主観であるからどっちが正しいとかはないのだろうけど。 >>674
「無観客試合なら勝ってた!」とでも言いたいのかなw 巨人の血がほとんど入っていない黄金時代は珍しく貴重である。
西鉄黄金時代も西武黄金時代もパリーグでありながら監督は現役時代は巨人一筋だった人間だから。
巨人が優勝しなくても結局は巨人の血、DNA、頭脳が球界の頂点にあるシーズンが多い。 上田は広岡、関根の弟子みたいなもんじゃないの?
まあ関大に一般合格する位だし、地頭は賢い人間だったのだろう
西本に関しては人間力の賜物だと思う 根本広島の広岡関根上田の毎日ケンカしてそうな超豪華首脳陣知らんのか そうだとしてもそういうパターンは(上田が)巨人の血が入っているとは言わないわな。
そこまで巨人の血と言ってしまうと巨人経験者と同一チームでやったことがある人間全てが巨人の血が入っていることになる。 広岡と上田の接点なんて記憶にないから調べてみたら広島ではこの二人は入れ替わりだったそうじゃないか。
結論としては広岡と上田の接点は無い。
嘘、ねつ造、デタラメはやめたまえ! 去年京セラドームで福本さん、今坂団長に握手してもらったのはいい思い出
バルボンも見た事あるぞ マルカーノももし存命だったらバルボンみたいに今も日本に住んでいたのかもしれないな
山田久志は「私にとって最高の外国人選手はマルカーノです」と言っていたとか 東尾は、対戦した外国人で印象に残っているのは、マルカーノやブーマーと言っているね。 バンプがあんなだったので、衰えが見え始めていたとはいえ
マルカーノを残しておいた方が良かったんじゃないかと思ってしまう マルカーノは阪急最後の2年間は2年続けて2割6分台で15本程度だったから、外人でこの成績では切られて当然だわな。
バンプがダメだったのは結果論であって。 >>690
まあ確かにその通りなんだけど、ヤクルトで打つ方は好調だったから
ついついそう思っちゃったんだよね。上位球団の阪急と下位に低迷する
ヤクルトとでは状況も違うだろうけど。 西本監督時代からの阪急ファンだった義父に、
「この前亡くなった野村が、プロ野球の歴代ベストナインを数年前に選んだ際、
福本以外で阪急からもう一人選んだのは誰がわかります?」って尋ねたら
迷うことなくスペンサーを挙げていた。 ブーマー全盛期に解説の西本が「スペンサーとどっちが上ですか?」と聞かれて
「スペンサーは打つ以外の点でも凄かったですからねえ」と
スペンサーの方が上だと言う口ぶりだった 西本はスペンサーと一緒にやっていた。
西本とブーマーには接点がない。
対戦どころかブーマーが来日したときには既に西本は監督業も引退していたし。
まあ、そういうことだな。そういう二人を平等に比較なんて出来るわけない。
ただ、スペンサーが素晴らしい外人だったのは確かなんだろう。 チームの体質の改善やチーム力の底上げという点に於いてはスペンサーに軍配が上がるかな。 自責点に関するいわゆるスペンサールールってのもあるからね >>689>>690
82年オフに加藤、マルカーノ、島谷、高井、大橋という黄金時代のクリーンナップや主力メンバーが一気に4人もいなくなったんだよな。 >>698
他にも山口、白石、河村とかもだね。チーム刷新は確かに効果もあったけど
黄金期を知る者には寂しい事ではあった。 >確かに効果もあったけど
個人的にはたった一回のリーグ優勝よりも加藤英が阪急で2000本安打してくれた方が嬉しかったな。 桃園の誓いではないが、我ら3人引退する時も同じチームで同じ時にってね。
隆盛を誇る西武に対して阪急に殉ずる三人で終われたらドラマチックだったのだが。 だけど最後は南海で2000本安打して終われて救われたと思う
門田にとっては同世代の加藤が来て良い刺激になったらしい 上田は実績のある衰えたベテラン(阪急生え抜きでも)に冷たいんだよな。
加藤やマルカーノの他に米田や簑田なんかも放出されたからな。 マルカーノって改めて成績見直したら凄いよね
セカンドの助っ人なら歴代でも横浜ローズ、シピンの次くらいじゃないか >>704
西本時代からの実績あるベテランに
冷たいんだよな
西本遺産で勝っていると陰口を叩かれたりしたから余計に意地になって
ベテランを切り捨てるw
監督復帰した時に加藤大橋島谷ら
まだ充分やれる主力を戦力外にしたが
西武が台頭して思うようには勝てず
結果西本遺産で勝ったと余計に印象付けてしまったなw
育成して勝つ事は出来ないタイプ ハム監督時代は意識的に若手優先にしたのは育成コンプレックスがあったからだな >>704
山田久志の連続開幕投手もあっさりと打ち切ったからね
前年15勝なんだから山田を継続するのが筋だった >>703
門田さんがレフト守るなんて言い出すもんだから
往年の好守強肩を話でしか知らないファンとしては
いろんな意味でハラハラしたなあ
そんなに達成したけりゃ加藤がレフトやれよ!なんて思いながら 上田阪急が西本遺産による黄金時代なのは否定は出来ないが、では上田では無かったら、西本が続投していたとしたら、
3年連続日本一を含む4連覇はあったのかは疑問だな。 さんざん言われてるが容赦ない非情采配ができたから上田は勝てた 一時期引退寸前に追い込まれた佐藤義や関口の復帰を我慢強く待ったり、衰えた今井や弓岡を5年ぐらい起用し続けたりしたから
非情采配一辺倒という訳でも無い >>712
そんなことがさんざん言われていたんだ?
特に上田が他の監督に比べて非常采配だとは思わないけどな。
具体的な非常采配の例を一つや二つ出してくれると有り難いのですが。
>>713
弓岡は衰えて5年もする前にショートは小川に変わっただろ。
脚は健在だったから代走では起用され続けてたけどな。
今井は投手力が薄いから起用せざるを得ないじょうきょうだった。 >>713
西本時代からの選手じゃなかったからなw
例外は早くに引退して懐刀的存在になった住友や西本時代干され気味だった高井中沢や今井 >>706
シピンよりは上、の印象
個人的な印象はあてにならんかもしれんが 上田の最大の失敗は後継監督を育成しなかったこと
自分が長いこと監督することしか興味がなかった どうせオリエントリースに売却されるんだから阪急閥の人間は切られてたでしょうな マルカーノは元々守備が上手いので取った位で守備力もあったからね
マルカーノ&大橋の鉄壁の二遊間が構築できた ヨネカジ時代の不遇さというか語られなさよ
後に初優勝迎えて連覇するんだから黄金期に該当しますよね
あと山田久志が嫌いな先輩として名前をあげてたのは誰でしょうか? 黄金期阪急は確かに強かったが
大杉には見事に粉砕されたな >>703
加藤が巨人にトレードされたころにファーストでの守備を見たことがあるけど、
守備範囲は極端に狭いしショートバウンドを後ろに逸らすしヘボかった記憶しかない。
巨人の編成は何をみて獲得したのかと思ったよ。
>>704
大抵のチームは年俸総額に制限を設定しているだろうから、
コスパの悪いベテランから放出されるのはしかたがない。 石井が影が薄い?
投手の石井なら強烈な個性派だがw >>726
あれだけの実績があってコーチ止まりなのは人間性に問題あったからなのか クローザーの山口がシリーズ前のケガで戦線離脱したからあのシリーズは苦しくなるのは当たり前。 >>729
土井が辞めた後のオリックスで監督候補の1人になってた。
晩年の佐藤ヨシを復活させた功績が大きいと思う 1985年の阪神優勝の時に投手陣を建て直したのは米田ピッチングコーチの手腕だったと言われている
権藤は「肩は消耗品だ」という思想だが米田は「ある程度の投げ込みはするべきだ」という思想
壊された人と壊されなかった人の違いかもしれないけどね
濃人って今見直すととんでもない監督だな
週ベ回顧によればロッテで優勝した時すら評価は低かったそうだ あのシリーズは山口が使えなかったのが痛かったのは確かだけど、上田の采配が鈍かったな。
第4戦は複数の采配ミスがある。
一番有名な局面は最後山田に替えないで今井続投だけど、6回の4失点時にファーストを高井から大隅に替えていれば
少なくとも杉浦タイムリーの4点目は防げていたはず。
大隅ならあの杉浦の打球は処理出来ていたと思う。 >>719
西本→上田
川上→長嶋
鶴岡→蔭山
広岡→森
育成ではないかも知れないけど
こういう引継ぎが出来ればベスト
なんやねん上田→土井って それは上田のせいじゃないだろ。
オリックスという阪急色一層が目標だった球団のせいだろ。 78年の日本シリーズは山口以外にも稲葉とか佐藤とかもあまり使われてない
なんかあったの??
ヤクルトも森ヘッドは白石静を嫌がってたみたいだがあまり使ってこなかったとか
言ってたそうだ 大杉にホームラン打たれたあとなぜかシーズンでほぼ活躍してない新人の松本が投げてるよな >>737
西本は無能
毎日阪急を日本一に出来なかった ヨネカジ石井があれだけ打たれては打つ手が無いだろ。
米田や石井はたまに好投したけど梶本はほぼ良いとこ無しで終わったぞ 78年は近鉄に10勝14敗で負け越してるんだな。
まだマニエルがいない近鉄にこれでは実はヤバいレベルだよな。 >>740
>白石を嫌がってたみたいだが
後年(西武の監督も辞めて何年かた経った頃)、広岡が取材インタビューで言っていた記憶があるけど。
あと、佐藤は不調だね。先発して早い回に降板が数回あった。
公式戦最終戦のロッテ戦では7失点とかだった。
稲葉は体調不良とか聞いたことがある。
白石は8月中旬に登録抹消になって以来のシリーズ登板だった。
だから投手陣はボロボロで、すでに圧倒的な戦力を誇る阪急では無くなっていた。 79年はまだ強い阪急だったが、長い間勝ち続けた疲労が80年一気に噴き出した感じ >>733
濃人 渉 出身地広島市 選手歴 広陵中学校 広島専売局
名古屋金鯱軍 (1936 - 1937, 1939 - 1940) 大洋軍 西鉄軍 (1941 - 1943)
広島鯉城園 グリーンバーグ 結城ブレーブス (1946 - 1947) 金星スターズ (1948)
監督・コーチ歴 日鉄二瀬 、江藤愼一、古葉竹識、寺田陽介、吉田勝豊らを育て「濃人学校」
中日ドラゴンズ (1960 - 1962) 東京オリオンズ ロッテオリオンズ (1964 - 1971)
7年でAクラス6回、優勝1回 高木守、権藤博を抜擢
色んな事をやらかしてるが、最後は故郷広島でTV解説。弟子の古葉の優勝を見届ける。 古葉の半分だけ姿を出すのも濃人の影響らしい。
権藤の肩を数年でこわしたものこの人(でも権藤は恨んでない、これもすごい話)
村山実となぜか仲良し。 >>748
ここら辺はさ、やはりアフターケアがいいんでしょう。
星野もそうだった。鉄拳制裁しながら、その鉄拳を振るった相手は可愛がる
高木チャンネルで観たけど慶彦曰く監督の古葉はニコニコ笑いながら殴ってくるらしい、
だから笑顔の裏があって怖いと。しかし違う番組で江夏が言ってたが
江夏が抑えで出てきて慶彦がサヨナラ負けにつなぐエラーをした時に
古葉が江夏に向かって「慶彦連れて飲みに行って来い」ってポケットマネーから金出す度量があったから
あの江夏から慶彦までの変わり者をまとめられたんだと思う。
そういうのは濃人さんも古葉が真似する辺りあったんじゃないのかねえ? 上田
1次政権 安定した戦力を運用
2次政権 西武の壁に阻まれたが世代交代をした
日ハム 弱くてどうしようもない状態から優勝争い2回した
野村や森より優秀だろう。 野村なんてヤクルト以外ダメ >>746
79年もさらにチーム力が下降線だったよ。
下降線でもそれまでが強過ぎたから強さの貯金、片鱗がまだ残っていた感じかな。
特に印象的だったのが近鉄戦最初の6試合が1勝5敗の時点でパリーグの最強チームは近鉄になったとパリーグファンは感じただろう。
そして前期中盤以降マニエル欠場でチーム状態が悪くなった近鉄をもう追撃して追い上げる中、近鉄3連戦に3タテできず2勝1分けに
終わったのも痛かった。
あの引き分けは痛かった。 79年は高志が使えなかったのがやっぱ大きいかったわな
打線は秀司、高井、マルカーノ、島谷中心にがんばってた、活発
長池はご臨終w >>752
大橋やウイリアムスが不調で、山口の故障が癒えなかったのと併せて
チームの守りが段々衰えて来ていたんだろうな。 対ヤクルト第4戦の6回表の4失点の中に大橋の記録的にはエラーになってないエラーがあったしな。
ショートゴロを2塁ランナーが気になってお手玉してオールセーフになって大ピンチになってしまうプレーね。 >>753
ダイヤモンドグラブを7人出した1978年だが失策は122とリーグワーストを記録しているんだよね。
元々超積極的な守りのせいか記録上の失策が案外多いチーム(1976年も123失策でリーグワーストを記録している)だったから一概には言えないけど、
守りの要である筈のショート大橋が補殺、刺殺、失策、併殺、守備率と全ての守備成績が明らかに悪化しているのが気になる。
特に守備率は入団以来.960以下が、東映時代の1971年(.956)しか無かったのに、この年、.948と自己ワーストを記録。
打率1割台の打撃不振より打席数が入団以来最も少なかった1976年以上に打席数も減らされているので、補殺数、刺殺数、併殺数
の低下についてはもう少し吟味する必要があるけど。 >>755
1976年のパ・リーグでは太平洋が120と阪急とほぼ同じくらいのチーム総失策だが
こっちは一人で30失策してるパのエラー王がいたりで同じ次元では語れないな 1978年ヤクルト
失策 ヒルトン21(二)、大杉10(一)、ショート3人で19、
二遊間ひどくないか? 大橋は全盛期を過ぎてるとは言え上記よりは… >>757
だから広岡は山崎裕之を獲得しようとしたんだろう
交換相手が「ロッテに行きたくない」とゴネて頓挫したけど 勿論、1978年時点での阪急は依然日本一に相応しい強さだったし、大橋も依然優秀なショートだったけど衰えの兆候が記録に現れ出したのに象徴される様に、
前年までの絶対的な強さや信頼感では無くなりつつあったという事ですわ。
又、それは勝った広岡監督からしても「まだまだウチは未完成のチームで日本一に相応しい強さでは無い」と痛感し、山崎獲得に乗り出したという訳でしょう。 ちなみに八重樫が「今だから言える」みたいな感じで語っていたんだが
日本一の次の年に最下位になったのはシーズンオフに稼がせてくれなかったのが原因だそうだ
初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_087395/?p=4
八重樫 そう。優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがあったんだよね。
でも、それが終わるとすぐに競技場を借りて秋季練習が始まったんです。
普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、
選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんですよ。それなのに約1カ月間、猛練習。
広岡さんは来年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、
キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているから、
ベテランの人たちはみんな怒っていたよね。 >>760
そういうチームは日本一になったからって選手たちの自由にさせたらさせたで結局翌年はBクラスだな。 >>758
安田猛だったっけ?確か巨人ファンの松園オーナーに直訴したとか >>763
そう
前年15勝の安田を出す気だったんだからマジで欲しかったらしい
ロッテとしては放出する気満々だったので山崎が浮いてしまって
そこに西武が山崎を獲得したいとオファーして獲得 >>763
安田もそうだけど、
山崎裕之、岩崎忠義「ロッテ」−西井哲夫、渡辺進「ヤクルト」
西井、渡辺両選手が球団幹部に残留を直訴。
結局、家族主義というか甘いというか。これじゃあ連覇は無理だよね。 安田は翌年以降まったく活躍しないし西井は結局ロッテ行き >>760
八重樫とか曲者系の奴は大抵広岡を嫌うよな
まあ嫌われても仕方ない奴ではあるんだが
若松田淵みたいな素直な人間は割と広岡を信奉してる 広岡やヤクルトの話が何の関係があんだよ?
阪急スレだろうが >>751
そうなんだ
とにかく79年のプレイオフは悔しかった 泣きました
76年からファンになってから
あれだけ完敗したの初めてだったから 阪急は西武できる前はパリーグでは待遇良いほうだったのかな??
親会社はお金持ちそうだけど >>770
パでは良かったはす
あと強いチームだった事もあって
アマの有望選手も「パでも阪急なら入団しようか・・」って感じで
入団してくれる選手が多かった こういう年齢層が高い板で「近鉄って大きい=お金ある」と思えるオツムってある意味羨ましい 桑田真澄は小学校の卒業文集に将来野球選手になって巨人か阪急か西武に入りたいと書いていた
そういう所敏いな おカネがあってもカネを出してくれるとは限らない訳で。
近鉄なんて万年最下位時代に千葉監督が「しみったれ精神」と揶揄したそのものの体質で、弱小時代から野茂や岩隈の時代に至るまでその手の逸話が
枚挙にいとまが無い程。
しみっ たれ [0]
( 名 ・形動 )
〔動詞「しみったれる」の連用形から〕
@ 金品を出し惜しみすること。けちくさいさま。また、その人。
A 考えや気持ちが狭いさま。
B 見ばえがしないこと。貧弱なさま。また、貧乏でみすぼらしいさま。
C 醜女。
(三省堂 大辞林 第3版より) >>774
80年3月卒業の彼が巨人と阪急はセバ最強チームだったからわかるが
西武? 当時斬新で綺麗な球場でプレーしたかったのかな? 江川は「阪急は好きなチームでしたが絶対に大学に行く気だったのでお断りしたんです」
「あの時は巨人の指名でも入団しなかったと思います」と言っていた >>777
西武一年目で最下位だったからね ちょっと不自然だな
無知な四年生の私は南海より弱いチームがいてくれてよかったと思ったもんだw >>778
甲子園に出た時にランニングがてら山田久志の家見に行ったら
山田に食事に連れていってもらったそうだな >>781
それ、プロアマ規定に引っかかるんじゃないの? >>778
>「あの時は巨人の指名でも入団しなかったと思います」
それは今だからそう言えるのであって、
実際あの当時の巨人に指名されたら最初は大学行くと言いながら
最終的には巨人入団してたと思う
プロ拒否を打ち立てて最終的にはいとも簡単にプロ入り表明した西武工藤や最近では日ハム大谷のように。 江川が周囲やマスコミに翻弄されたであろう事は認めるが、かと言って江川本人の証言をまるまる信じる訳にもいかない >>782
?
技術指導されてなかったら問題無いが 太田幸司のファンで太田幸司を追いかけているうちにパ・リーグの露出のなさを思い知って野球やるならセって決めたんだろ江川 >>778
絶対、嘘。ありえん。政治家まで動いてたんだから。 まあ、礼儀正しい大人の回答をしたまでだろ。
「阪急なんて言うパリーグの不人気チームなんかに行くわけねーだろ!」
と、言えとでも? 西武ができる前は阪急ってセと合わせても金持ち球団だったのかな??
昭和50年代は広島は年俸がわりと高いイメージあるのだがマツダが好調だったのかな >>789
「すすめ!!パイレーツ」の中で、パイレーツが77年のドラフトで指名した選手が
「わしゃ巨人か阪急か、経営のしっかりした球団に行くだ」
と言うシーンがあった
実態はともかく、一般的にそういうイメージはあったんだろう >>789
79年だか80年
年俸総額12球団一位だったと思う でも収入は下位クラスだったんだろう?そりゃあやってられんわ。 1972年だけ国税庁が発表した各球団の有料入場者数によると
阪急は1試合平均2900人(1円でも料金を払った客の数)にしかならない。
公称だとこの年の観客動員数は38万人(1試合平均約5800人)だから、単純計算では2倍に水増しされている事になる。
これではもちろん大赤字で、儲かる競輪が優先されたのも仕方ない >>785
?
いや、ダメなんじゃないのかな?
じゃー技術指導は一切しませんが食事まではOKですよね?という話になる
去年で言えば奥川君や佐々木朗希君にそう言って接触したプロ関係者いないよね? >>793
すごいなその事実w
しかしよくそんな情報探し出してきたねえ 南海の身売りについては「あの惨状じゃ仕方ない」って反応だったが
阪急の身売りについては「嘘だろ?!」って反応だったよ
阪急は優良企業のイメージでパの帝王の座は西武に奪われたが
Aクラスは維持していたからね >>790
地元の無名の巨漢をドラフト外で獲ろうとしたら
タケノ花と「人間しんぼうだ!」に横どりされたんじゃなかったっけ
さておき
そのセリフ 「江川みたいなこと言って!」と猿山にツッコまれてたが
実際には江川は阪急に入らず そしてその阪急は… 初の日本一になった昭和50年阪急
シーズン総合成績 64勝59敗7引き分け
日本シリーズの相手は初出場の広島
色々とモヤモヤが残りそうな日本一だな
翌年は文句なしの成績だが >>799
いや、強いチーム、常勝が続くチームはこういう接戦のペナントレースは
必ず優勝してるイメージ
V9の巨人も西武黄金期も毎年圧倒的にペナントレース勝ってるわけではない >>799 近鉄のほうが総合成績(71勝50敗)では上だが、前後期PFで阪急が勝利。
びっくりしたのは、1976年の野村南海、71勝56敗。悪くないし、後期も阪急に2ゲーム差。 79年の130試合総合成績は優勝した近鉄よりも阪急の方が上だからね。
130試合の勝率で見ても結局は阪急がパリーグ4連覇だ。 >>792
巨人戦の放映権料が0だからね
セリーグの球団以上の年俸払えるなんて奇跡 >>793
その他の11球団の有料入場者数も教えて
巨人以外で1万人超えてる球団あるかな? >>803
どうしてお前は広岡と上田が広島で一緒にやった事にしたいの?
そんんば事実は無いのに >>808
話が飛び過ぎててまるで何を言ってるか判りません。
訛ってたwとは? 「そんな事実は無いのに」が
「そんんば事実は無いのに」 に、なっていたタイプミスを訂正しただけ。
それだけどこと。 >>811
ありがとう
大橋 今こんな顔になってるんや ベースボールマガジンが阪急ブレーブス特集号だな
西本幸雄監督生誕100周年と言う事で 色々面白い話が書いてある
西本は自分を抜擢してくれた恩人
杉浦に南海入りの話をつけてくれたのも西本
王が「2000本安打を諦めるな。ロッテへの移籍話もあるから」と勧めてくれた
上田にコーチとして呼ばれた時は驚いた
【一聞百見】今だから話せる「勇者の三番」広島トレード秘話 元プロ野球阪急ブレーブス選手・加藤秀司さん
https://news.livedoor.com/article/detail/18030691/ 二軍監督とガチでケンカしたのに
ずっと二軍でいいって意外だな つうかブレーブスでのあまりの猛練習振りに、「こらアカン、ワシには良う付いていけんから早よブレーブスからおさらばや。」とばかりに
悉く二軍監督に食って掛かってたって感じだなw
ところがそんな態度を、西本監督は自信家且つ向こう意気が強いプロ根性の持ち主として高く買い、松下在籍時から加藤を打撃の天才
と認めていたもっさんは「えらい自信やなあ。ワシあんな自信無いわ。」と益々練習にのめり込むようになりと、全てが好循環に働いたと
・・・・・・・・歴史ってそんなもんかもしれんな。 実際、バッティングは天才的だったのだろう。
そうじゃなきゃドラフトで3回も指名されない。
しかし1975年〜1977年まで3年連続でダイヤモンドグローブ受賞しながら
なぜか?1978年は受賞してない、この年ファーストで加藤秀司が受賞すれば
前人未到の「9人全員阪急の選手」の偉業だったのに
なんかこういう人だから、ゴールデングラブは
マスコミ投票だし当時のマスコミ連中と衝突してたのかな? 元々はスカウトが加藤を見に来て同じチームの福本にも目がとまって
それで「ついでに獲ろう」になった
それが大当たりになるんだから面白い >>818
単に打撃成績が悪かっただけ
ゴールデングラブって打撃成績が左右するからね
ほんとはダメなんだけど
あと一度守備が上手いと評価されると延々と受賞する
ハッキリ言ってワシらが投票するのと変わらない 75〜77年のパ・リーグの記録を見てみると、意外だったのだが
一塁手のレギュラーが定まってないチームが多かった。
加藤は当然3シーズンとも一塁で100試合以上出てるんだけど
他チームだと日ハムの小田が3シーズン続けて100試合以上出てる以外は
76年の柏原(南海)ジョーンズ(近鉄)77年のハンセン(クラウン)
しか100試合以上出ている一塁手がいなかった。
加藤が3年連続ゴールデングラブだったのもそういう事情だったんだな。 加藤が巨人に移籍した時に当時の監督の王が「今の守備力では130打席しか与えられない」
と当時は130試合だからつまりは代打だと。
年齢的に衰えはあっただろうが比較的ベテランの最終的な守備位置な
一塁手でこう言われたんだから若い頃も上手くはなかったんだろう そりゃあ巨人とのシリーズのあの第7戦で、ファーストゴロから本塁悪送球の1点は痛かったからな。
その後逆転して日本一になったから良かったものの。 野村橋本片岡のPLOB座談会のPLベストナイン特集で一塁は即断で清原に決まってたのが悲しかった
加藤秀司はなぜか外野手扱いでその外野すら
福留吉村新井で埋められベストナインから外されるという冷遇ぶり そりゃあPL学園時代での活躍度は清原の方が遥かに上だろ。 >>822
松下電器の監督が「阪急は加藤にどこを守らせるつもりだ?」と言ったって話もあるからね
若い頃から守備は苦手だったようだ ファーストで守備固め出されてたし・・・外国人打者みたいなもんだね 71〜75年まで5年連続で二桁盗塁してるし
(通算でシーズン6回)最高で24盗塁してるし
足は遅くないのよ、むしろ俊足の部類?しかもファーストで
ファーストで俊足と打率と長打を兼ね備えてたのは歴代で
飯田徳治さんは別格として、2番手は加藤なんじゃないの?
もちろん打撃特価の王とかバースは除いてバランスで考えたら、あっ!守備か・・・ 守備が下手な強打者
川上、榎本喜八、江藤慎一、張本 こうして見ると、加藤の才能を存分に引き出し心服されている
西本監督ってやっぱりすごかったんだな 加藤の移籍って色々なチーム内でのトラブルがクローズアップされるけど
それは守備がアレだけどめちゃくちゃ打つから我慢して使ってたのが以前ほど打てなくなり
その他の問題とあいまって我慢の限界値まできた、
ってのがホントのとこだろうな それでも打てて守れてたら違っただろうな。
中村ノリが生きながらえたのは守備の力が大きい。
あれでもし加藤レベルどころか、水準級の守備力だったらとっくの昔に無職になってた ファーストの守備といえば高井もかなり下手だったような 張本がシーズン史上最高打率がかかった打席で
「さてどうするか」
と一塁を見たら高井が入ってたので即セーフティーを仕掛けたと言ってたなw 新庄がメジャーでそこそこ試合に出れたのは守備が良かったから
守備だけならイチローより上かもと言われた程だったからな 高井は「代打でしか使えない」と判断された位だから
いかに酷かったか分かる
DHには賛否両論あるが個人的には導入して良かったと思う >>834
移籍先のカープからしたら自軍のチーム事情から
バランスいいトレードだと思っただろうね
山本浩二、衣笠と主力2人とも右打者だから、ここは同格の実力の水谷より左の加藤がチーム的にはバランスいいと。
実際、左右の違いあれ打力長打力年齢守備力走力と互角だと思う 広島は82年の加藤の打率2割3分台は何とも思わなかったのかな?
1年だけの不調と判断したのかな。 >>842
そうでしょう
当時はなんで水谷なん?
て思ってたもん
損だなと これは阪急ってより広島の方の事情でしょうね。
それとも戦略?ある程度の出血は覚悟で連覇するためには血の入れ替えは必要と考えるのか?
江夏⇔高橋直樹も実力的には不可解、前値二桁10勝したとはいえ9敗防御率4点台の高橋と
球界を代表する抑えになった江夏とのトレードがいきなり決まったからね
まあ噂通りのお家の事情があったのかもだけど 江夏は日本ハムを放出された時も34セーブしたのに日本ハムが「江夏を放出する」と
宣言してのトレードだったし首脳陣にとっては扱いにくい選手だったんでしょ 古葉が守れない水谷に対して、DHのあるパリーグをすすめた。
当時は水谷にうらまれたけど、移籍後即打点王。しかし翌年頭部デッドボールでほぼエンド。この年広島と日シリだったので、フルスペックだったら広島は勝てなかったかも。
広島は、大物トレードは苦手、この他にも高橋直、高沢など失敗多い。 >>846
「守れない」って理由で水谷を放出して代わりが同じ位に守備が下手な加藤っても
よく分からんな >>837
下手以前にあんなチビが一塁手では高い送球が捕れんわ
使う方がおかしい スレ違いな話題だが西山秀二は広島にしては上手いトレードだった
大学No.1捕手の瀬戸が控えになるんだから捕手は分からんね
阪急の話に戻すと加藤は自分は恵まれた三番だったと言っていた
福本がいつも塁にいて三塁にいれば犠牲フライで打点を稼げる
四番に長池がいるから敬遠もされずにすむ >>846
もし、84年の水谷が前年と同等の成績だったら、まだDH制の無い当時の日本シリーズではどこ守るんだ? 広島は内角攻めブーマー封じは徹底できたが、全盛期の水谷だったら多分無理。
シュートや内角にはめっぽう強かった。
さすがの古葉も後悔してただろう。選手生命を伸ばすためパに出したのだが、自分と同じ死球を受けて選手生命を縮めるとは、何たる皮肉。 84年のシリーズの阪急の敗因は公式戦最終戦から日本シリーズ第一戦までが中13日と
間隔が空いてしまったのが原因だよ。
これによって試合勘が鈍ってしまった。 小山乃里子が関西圏で唯一阪急を公式に応援していた
リスナーから阪急を応援すると危ないですよと忠告されたらしいけど
(某球団のファンに睨まれるから) >>850
あれは広島がうまいというより南海の相変わらずのヘタクソだろう
あと西山が不祥事の端役という事情もあった 木戸って捕手が自動車事故したとき乗り合わせてたのが畠山と西山
西山はすぐにトレードで出され畠山も打者転向後すぐに首
木戸は知らんが クルマ持ってて事故ったのは畠山だろう
自損事故だが寮生はマイカー禁止だったので不祥事扱い
木戸はドラフト外の一年目球界最低年俸ってことで板東の本でも紹介されていたほどで
クルマ持てる身分じゃない >>822
1986年だったと思うけど、やくみつるが加藤の守備のひどさを散々ネタにしていた。
江本とか野村といった解説者も、あの守備では中畑に危機感を与えることはできない
と酷評していた記憶がある。 近鉄ではデービス一塁で加藤はDHだったからね
1985年の近鉄は走れる選手が大石しかいない野球盤打線だった それは、阪急が強かった1978年もチーム盗塁数199個と他球団からしたら盗塁数抜けてたが
その年の日本シリーズヤクルトとの対戦で誰だったか解説者が
「阪急は選手全員が走るイメージありますが、一人一人よく見て下さい。
走る選手は福本と簑田、あとせいぜい6番打つてるウイリアムぐらいですよ、まあ福本と蓑田、二人だけ気をつければ大丈夫」と言われてた。 加藤英司の話に戻るけど、掛布と落合が阪急の加藤英司さんのバッティングを参考にしたと言っているのを聞いたことがある。
阪急ファンの私からすると他球団の大打者がそう言ってくれるのは少し嬉しい。 落合は「無死または一死三塁で、加藤さんはいとも簡単に外野フライを打つ」という理由で参考にしたと著書で読んだ覚えがある 犠牲フライの数が歴代二位なんだよね>加藤
一位は野村だけど打席数の差を見れば実質一位は加藤だった
福本、大熊の1,2番がいたことも大きかったんだろうけど 加藤はセリーグではまるで振るわなかった。
高橋直樹もセリーグに行った途端振るわなくなって、西武に移籍すると、また活躍し始めた。
逆に、田尾はパリーグに行くと不調になった。
リーグに特化した選手っているのかな? 田尾は天才肌に見えて相手の傾向や癖をかなり重視する打撃だったんで
パではそれがゼロからやり直しになったんで辛かったと言ってたな 加藤の場合は広島に来た前年の打率が2割3分台だったから、特にセには通用しなかったと言うイメージは無いけどな。
私個人的には。
2割3分台の打者がどこへ行こうとダメで当たり前でしょ。 江藤慎一、大杉、張本、落合はセ・パどっちでも対応していたね 加藤が広島行った83年はたしか肝炎かなんかになっちゃったし
巨人行った86年は年齢がいってるし
この2年だけで通用しなかったと断じるのはむずかしいと思う。 加藤も指導したことがある小笠原もセパ同様の成績を残したね。 加藤英は広島時代山本浩二派閥と衣笠派閥に交互で誘われてどっちにもいい顔するがため断れず結果毎日飲むようになって肝炎で潰れたらしい 飲むときは飲むけど毎日のように飲みに行くわけではなかったのでは? 関東のガキンチョ南海ファン(動機は不明)としては
川崎でレフト前見て うわっうめえ! と
翌年はファースト開いたから河埜とのツープラトン見たかったけどね 加藤、高橋、高沢らがセリーグで活躍しなかったのは、当時1980年代、
賛否や異論あるだろうが江本は「セリーグの方がレベル高い」と言ってた。
「そりゃセでパに行った人とパからセに来た人見れば一目瞭然でしょ、
セからパに来た人はほとんど活躍し一方は前年より成績落とす」と。
「あれは指名打者のせいやね、だんだんレベルが低くなってきた」と今と真逆のこと言ってたの憶えがある 江本はDH反対派で門田がHR王をとった時もコラムで
「DH制で生きながらえてとったタイトルは認められない」と書いていた
ちなみに宮本上原はDH賛成派
セも「DH制」採用すべきか、宮本氏と上原氏が激論
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200411-24100736-nksports-base 高橋慶彦や宇野なんかはパに来て振るわなかったじゃん。
でも江本のようなセリーグ御用評論家連中はこの二人は衰えていたからだとと言い訳するのだろうが。
だったら加藤英や高沢も同じ理由なんだがセリーグ御用評論家はパからセへの移籍でダメだった選手はパは
レベルが低いからというダブルスタンダードな発言をするのである。 中日時代の落合は活躍していたけど、ロッテ時代より成績は落ちていたから、当時は
セリーグのほうがレベルが高かった面はあったのかも知れない。
当時はパリーグは、閑散とした客席でお客が他のことをして遊んでいたり、どこか
荒廃したイメージがある。ロッテ時代の落合は、そんな中で三冠王を取っていた。 落合はロッテの最後の2年間だけ突出しているだけで、プロ入りしてからの毎シーズンの成績を
見ると中日に移籍して落ち込んだという印象にはならない。 加藤英と同じ年にパからセへ移籍したマルカーノとレオンは成績が少しUPしているくらいだ。
パよりもセの方がレベルが高かったらこの現象は辻褄が合わないだろ。 加藤英にしても広島で6月に肝炎で登録抹消されるまでは打率2割7分くらいで8本かなんか打っていたし、
前年の2割3分台からは向上していた。 どうしても加藤の相手は水谷だから、
マルカーノとかレオン出すならマニエルはどうなんだ?て話になるし
高橋直樹の相手は江夏。高沢の相手は高橋義彦だから引き分け
宇野の相手も新人王獲った横田があの程度だし引き分けでは?
さすがに慶彦の代わりの高沢や宇野の代わりの横田が大活躍してたら考え変わるが
当時はセの方がレベル高かった ベテラン選手の数字が落ちたとかでリーグのレベル差をはかるのはただの馬鹿だろ
落合とか38歳で100試合そこらで.340 37本二冠王とかセがレベル低いとかなるぞ 当時もオールスター・日本シリーズとパが優勢だったからねえ。
只、今ほどの絶望的なまでの格差では無かった。 >>891
ありゃ1973年に終わっている。
以降は、阪急黄金期からセのカープ連覇を挟んで西武の絶対王朝確立とパが優勢に推移していた。 いやいや西武が出て来るまでの阪急がヤクルト負けた辺りからパが劣勢だな
日本シリーズも4年連続で敗退してるし、阪急スレだしそのころのこと言ってんだろ 広島は高値で売りぬいたつもりだったろうがトレード負けしてる。結果論だが…。
江夏(チームで浮いてた)、水谷(古葉さんの温情でDHのあるパへ)
慶彦(松田Jrとの確執)などそれぞれ傷物でピークから下り坂。
高橋(直)、加藤英、高沢、水上はパリーグ向きの選手。
残念ながら環境が恵まれてた。特に加藤英は福本、大熊、蓑田が前にいたし。 >>885
確かに中日1年目87年落合の.331 28本は83年の.332 25本と酷似してますね。
85年86年だけが2年連続三冠王のずば抜けたシーズンだから落ちているように見えるけど、
落合と言う打者は中日1年目がデフォというか元々本来の成績なんだろう。
最初の三冠王の82年も.320台で32本だったしね。 ベテランになってセ→パの移籍で結果が良くなかったのはパリーグ出戻りの張本と落合かな。
張本はロッテ1年目は.260台しか打てなかった。しかもこの年のパリーグは稀に見る打高投低だったのに。
加藤英のパターンでパのレベルは低いとするならば、この張本の結果ではセはレベルが低いとする見解でなければおかしいでしょ。
まあ、結論としてはどっちが上とか下とかはない。
江本信者には何を言っても江本の見解を信じるんだろうけどね。
信仰心とはそういう物だから仕方ないw >>896
35歳で交換相手も同レベルのレギュラー同士の加藤英と4
0歳で戦力外の張本を同列に語るのはさすがにそれは無理があり過ぎでしょ
なんかどうしても当時はパの方が上じゃなきゃ気が済まないみたいだけど
同トレードで考えなよ。 結論としてはどっちが上とか下とかはない。 と、書いてあるでしょ。
むしろあなたが「なんかどうしても当時はセの方が上じゃなきゃ気が済まないみたいだけど」 に見えますよ。 加藤英と水谷を同列に見ているからそういう偏った評価になるんだよ。
加藤は前年打率.230台。一方の水谷は前年3割打者。
確かにプロ通算成績では加藤の方が各上だが、その当時の状態を見れば水谷の方が油が乗り切っている
円熟期であり、加藤は急激な衰えが始まっているコンディションだったのが分かるだろう。
そんな中でもむしろ加藤は打率を3分近く上げてるんだが。 上田監督もこのトレードが成立した時点で内心は大成功だと喜んだことだろう。
トレード前の直近2年間の成績を見れば(下記参照)急激な衰えを隠せない加藤から安定感のある水谷に替わって手ごたえを感じたはず。
阪急側は本音とは裏腹に加藤の通算打率の高さを売りに水谷プラスもう一人を要求するも広島側は拒否したそうですね。
確かに通算成績からすると阪急側の水谷プラスもう一人は常識内の要求に見えるが、広島側も82年の打率2割3分台が少し心配だったのかもしれない。
加藤英 水谷
81年 .314 17本 .337 23本
82年 .235 21本 .303 18本 加藤秀と水谷のトレードの話にばかりなるが、
高橋直樹、金城、それと日本シリーズで出てきた西武松沼兄やんらアンダースローが問題だな
高橋直樹、金城はあまりにもモーション大き過ぎて走られ放題、日本シリーズで出てきた
松沼兄やんは対中日戦の矢沢に「セリーグなら走られ放題」
とアキレス腱断絶して鈍足になった矢沢に走られ言われてる
日本シリーズとか短期決戦はまだしも、長いシーズン行われるペナントで
こういう投手が投手勝利、防御率上位に普通にいるのがおかしいとまで言われてた 結局セリーグ側の選手の意見、セリーグヨイショの解説者の意見を鵜呑みにしているだけじゃん。
テレビやテレビに出ている人達は人気がある方をヨイショするのは彼らはそうしなければ生きていけないので仕方ないが。
逆に人気がない方を持ち上げて人気者の悪口を言えば仕事を失うわけですから。
「テレビで○○が言ってたから。」
これではテレビに影響されてトイレットペーパー求めて長い列に並んじゃう連中と同類、同レベルと言わざるを得なませんね。 そもそも2勝4敗でシリーズ敗退したチームの選手が勝ったチームの選手をディスるのはいかがなものかと思うけどw
またそれを発信してしまうマスゴミ。
「人気が正義」という路線を行くマスゴミの数の暴力。 長池も急激に衰えたので、早めにトレードしておけばよかった
長嶋引退で主砲を欲しがっていた巨人なら、高値で売れたはず
長池も通算成績はずば抜けていたから、相応の選手を要求できる 82年に日本シリーズで敗退した中日の近藤監督が、我々はパリーグなんかと違って人気がある!とカメラの前で憮然としながら悪態ついてた。
みっともないと新聞に投書が載ったくらい。 黄金時代は高井が指名打者に入る試合が増えていったから、右の代打の切り札として長池は貴重な戦力だったよ。
また長池はそういう起用でもふて腐れる事無く現役最後まで任務を全うした選手に見えたからね。 ライオンズは土井正博より先に長池を獲ろうとしたって話だよね
長池が拒否したんで流れたとか >>902
考えが偏屈過ぎ。それでパを持ち上げれば、ウンウン言って嬉しそうに納得するだけじゃん。
日本シリーズで負けたくせに、とか。偏見だけだろ。
1994年日本シリーズの巨人対西武。
結果は巨人が4勝2敗で日本一になったのだが、それよりやっぱり西武強いなあ〜と思ったのは、
屋敷の第2戦最終回の同点を阻止したダイビングキャッチ。
これに対しての西武森監督のコメント。あまり変に伝えないで欲しいを条件に「あれをあのダイビングキャッチを超ファインプレーとか言ってるうちは、日本シリーズでなくペナントレースなら20回戦って13回は勝てる」と。
日本シリーズの結果はともかくそれほど当時の西武は強いと思ったけど、あんたのコメントはただただセにたいしてのコンプレックスだけじゃん。 だから私は一貫してセもパもどちらが上とか下とかは無いと言ってるだろ。
パの方が上なんて言ってないし。
とにかく、何が何でもパはレベルが低いと結論付けている人と一緒にしないでくれ。
それから、セの方が上だったと言う意見は個人的な主観だからそれを全否定するつもりはないよ。
同じ過程で同じ結果の事象を見ても、見る人によって評価が変わるなんて事はスポーツ観戦だけでなく
様々なジャンルで起こり得る事であり、そういう議論はむしろ健全といえると思う。
ただ、自分が主張している意見の正しさの理由が「テレビで○○が言っていたもん!」では、
小学生の主張では許されるかもしれないが大人がそれではちょっと恥ずかしいではありませんかw >>904
だとしたら交換相手は誰になるんだ?
野手だったら高田や末次レベルならブレーブスや長池サイドも納得するだろうが
あの当時の巨人なら平気で一軍半や二軍選手を交換相手に指名しそうだから最後には破綻しそうだ 長池を巨人はとらんよ。金銭ならありだが。
あの時代の川上巨人は同一リーグのクリーンナップ引き抜きをやってた。
去年の丸みたいな感じ。
阪急としても、永久欠番寸前の選手を出すのもおかしいし、そこまで馬鹿じゃないでしょ。
でも結局永久欠番の話はうやむやになったけど。 長池と上田監督は同郷なんだけど実際の仲ってどうだったの? >>912 上田と当時の阪急各選手のエピソード少ないな。
鶴岡さんと長池の話は有名だけど…。
西本が育成したんで、あまり口は挟めなかったのは分かるが。
選手と話をしないの最たるものが福本の引退話だろう。
選手に厳しいのは分かるけど、上田のキャラが薄いな。情が薄いのか。 阪急:長池(外野手)、当銀(外野手)、白石(投手)
巨人:小林(投手)、新浦(投手)、淡口(外野手)
くらいの交換要員で成立していたのではないか?
長池を出すのだから、それなりの選手を要求できる
小林、新浦はブレイクする前だったし、淡口も実力はありながら常時出場できていなかった
から、放出に踏み切る可能性はある だから長池は衰えてからも右の代打の切り札や加藤や高井が調子が悪いときにたまにDHに入ったりと
貴重な戦力だったと何度言えば分かるのかね。
しかもそういう起用法でも監督批判とかをしてチームの和を乱す人じゃなかったし、控えに降格してからも
貴重な重要な戦力だったんだからトレオード要員になるわけないだろ。
いい加減に長池トレード妄想ゴッコは辞めたまえ。 上田は山口を可愛がってた印象がある
ことあるごとに「たかし たかし」と言っていた
長池とは合わなかったのかもね >長池とは合わなかったのかもね
( ゚Д゚)ハァ? 長池はDHで起用されることに不満だったらしい
張本も同様の不満を持っていたから、当時は「守備に難があるからDH」というように
単純に割り切れない打者がいたのだろう
だから、張本と同様に、DHのないセリーグに移籍するのはひとつの選択肢だ そもそも長池はDHで調子が狂ったというよりはDH元年の前年の74年から成績が下降線になってるから、
仮にDHの無いセに移籍したしたとしも阪急でやり続けたよりも出場機会が増えたり成績が向上したとは思えないけどな。 DHで起用されることに不満っていうけど守備がイマイチなんだから仕方がない
守備固めでよくウイリアムスと交代させられてな >長池はDHで起用されることに不満だったらしい
こういう書き方だと誤解を招きそう。
長池はDHは難しいという趣旨のコメントをしただけで、起用不満とは少し印象が違うと思うけど。
起用不満と言うと何か首脳陣批判のニュアンスに感じ取る人もいるかもしれないだろ。 指名打者は元レギュラーほどリズムつかめず打率を落とすのが普通だからな
割り切れてたのは門田石嶺ら少数
石嶺にしても門田のあおりで守備についた年は37本塁打で打点王とってる 加藤秀司、長池、高井と阪急には守備が下手な強打者が3人もいたんだな
ロッテ監督時代の金田が「阪急には長池の他にも高井というDHに適した選手がいる。
どちらかがベンチの控えでは勿体ない。是非とも長池をウチに譲って欲しい。
見返り?村田・三井・弘田・有藤以外やったらOK」と口に出した事もあったとか >どちらかがベンチの控えでは勿体ない
まさにそういうチームの事を「層が厚い」と言うのではないか。
だから強いんでしょ。
敵監督からすれば阪急のそういう戦力を削ぎたいと思うのは自然だろうね。
でも、阪急側からしてみたら加藤、高井、長池の3人で一塁手、DH、代打の3ポジを回す考えだから
長池は余剰人員にはならないのだよ。
しかも当時の阪急はパリーグ一の投手力だったから長池を放出してまで投手は必要なかったし。
また、長池と同等以上に代打の切り札を任せられる野手なんてそういないし。
結局、長池を放出して阪急にプラスになることなんて見いだせないでしょ。 >>928
巨人でも淡口や山本巧児がレギュラーじゃなかったしね
江本が「淡口は常時出ていれば3割はかたい選手だ」と書いていた V3時代の阪急は、米田、水谷孝、戸田、大石、森本など主力投手、レギュラーを
放出している。米田は球史に残る大投手だし、森本は日本シリーズで本塁打を打った。
その一方、稲葉、島谷など有力選手を補強して、戦力を充実させている。
相手球団と条件さえ合えば、長池、加藤、高井クラスでもトレードに出す可能性はあった。
DH初年度のロッテは、DHを打つ選手が定まらず苦しんだから、純粋に長池が欲しかったんだろう。
近鉄が四番打者の土井、衰えは出ていたが元首位打者の永淵を放出したのだから、長池を
獲得しようとする動きは当然あったと思う。 長池を放出するのなら、外人はDH専門タイプの打者を獲得しただろう。
マルカーノとウィリアムスという内外野の守備を固める意味を持つ外人二人を獲得した事は長池放出の可能性は低いことを意味している。 米田は上田監督にあまり登板させてもらえなくなったことに不満を持って、自分から希望して移籍した
シーズン途中の移籍というのは異例だね あの時代、山田、足立、山口、竹村、戸田の5人の10勝投手がいれば先発ローテーションの駒は十分過ぎるからな。 年俸が高い事と若返りで出場機会減少したベテランが引退前1〜3年だけ他チームに移籍して終了する
日本ハムの選手でこのパターンがやたらと多い
柏原、島田誠、古屋、田村・・ そのパターンなら西武も多い。
西武黄金期の主力選手でプロ入りから現役引退まで西武一筋だった人なんて少ないでしょ。 阪急オリックスも、現役最後のご褒美みたいにタイガースに1、二年行かせてもらうのは属国みたいで嫌い >>940
かと言って阪急オリックス一筋じゃあ引退後の仕事に困ってしまうからしゃーない。巨人だけど簑田や藤田は移籍して良かったと思うわ。 石嶺なんてセリーグへ行ったら守備に就かなきゃいけないのを分かってて移籍したもんなあ 金石なんか広島、日ハムで一線で活躍しながら
最後の1年、巨人で全然戦力にならなかったのに
自宅には巨人時代のユニフォームを額縁に入れて飾ってるからね 石嶺、山沖、星野と、隣の芝生が青く見えたのだろうと察しはつく。 元巨人の何々ですと言えるかどうかで 引退後の収入が変わるからなあ >>944
するとトレード組には砂場だな
まっ もちろんもろもろ承知してるが セ移籍を拒否したと言うと
近鉄→阪神のトレード話を断った栗橋茂
南海→巨人のトレード話で「俺はホークスに命をかけてきた。その俺をいらんと言うのか?」と
激怒した山内孝徳 スレの趣旨と話題がズレてきているからそのくらいで辞めておけ。
トレード関連でも阪急に在籍した選手の話ならまだ分かるが。 当時の阪急で、仮に巨人へ移籍できる話があったとしても、巨人へ行きたがる選手が
どれだけいたんだろうかとは思う。
川上時代、巨人は他チームのベテランを盛んに補強したが、「使い捨て」のような印象
しかない。また、年俸もON(+金田)だけ高くて、他の選手はそれほどでもない。
その後ほどセリーグの人気球団に移籍するメリットはなかったように思う。 >>949
いっぱいいただろw
山田なんかホイホイ出て行ったはず。
星野仙一に会うたびに「お客さんの多いセでやりたい」とその話ばっかりだったらしいから。
山田と星野は現役時代からそういう話をしてた縁で後に中日コーチに呼ばれた。 >>949
福本も出たがってたはず。
巨人の年棒の話してるけど、当時の阪急の方がシブチンで有名ではなかったか?
福本あたりはそれを不満に思ってて巨人に行きたいとか言ってたはず
巨人で毎年あれだけの成績残せばもっと貰えると愚痴をよく言ってなかったか? >>950
>>951
そうだったのか。
今のようにFA制度があったら、山田・福本・長池あたりは巨人に取られていたかも知れないな。
他の主力選手もセリーグに取られるのだろう。
巨人の戦力はすごいことになっていたな。 >>952
長池は無いわ
外野守備考えたら川上監督なら取らない
張本入れた長嶋監督ならわからんが 逆に巨人から来た柳田という打者は全く使い物にならくて80年の1年だけで巨人へ返品されたな。 阪急だともしFAがあれば一番可能性が高かったのは加藤じゃない?
不仲だった上田監督の復帰が決まって
巨人も引退した王の後釜として獲得に乗り出す大義名分もあったし ていうか、なんで移籍先は巨人しか考えられないんじゃ?
お前らは実は巨人ファンなの? >>954
柳田と一緒に来た笠間も全然だったし、その後に来た藤城もサッパリ
巨人から阪急に来て活躍した選手っていたっけ?
オリックスになってからは高田とか勝呂なんかが優勝に貢献してくれたけど >>957
ブレービー島野。
大活躍したけど選手とは違うかw >>954
柳田は女性スキャンダルでほとぼり冷ますために巨人が出しただけ >>954>>957
あんたら、スーパーのおばちゃん並みに都合良く考え過ぎだよ
柳田のトレード相手の永本はどうなんだ?
藤城の交換相手の笹本は大活躍したのか? 山田って引退後に出した本では、大好きな阪急が身売りしたショックを書いていたけど本音は巨人に行きたかったのかな 仮に巨人に行きたかったとしても、大好きな阪急が身売りしてショックなのは別におかしくないでしょ。
現実は阪急一筋でプロ現役生活を終えたのだから。
それとも、巨人に行きたい気持ちがあったた人が阪急が大好きで身売りしてショックなのはおかしいとでも? wikiがソースの後付けファンたちが、相変わらずあほなことを言ってるな。
黄金時代の阪急は、500人の観客の前で
山田が投げ長池加藤が打ち、福本が走っていたんだよ。
満員の客の前で試合したいに決まってるだろ! 清原がルーキーの86年の西宮球場の西武戦は超満員五万何千人と新聞発表されていたぞ。
関西のラジオでは今の西宮はタイガースより入る、と言われた。 >>950
山田は巨人トレードの話が出て
東京の住まい探ししてたみたいだね >>357
阪急は巨人との日本シリーズに勝つ為にラッキーゾーン無くして西宮を広い球場にしておいた方が良かったのでは?
そうすりゃON砲のホームランを封じて投手戦に持ち込んで福本の機動力と外野守備力をより生かす事ができただろうし。 南牟礼がこんな回想をしている。
80年代でもこんなもんだった
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/5375
9年目の91年に中日ドラゴンズへトレードとなる。
本人曰く、「人気のセ・リーグで野球ができる喜び」に満ち溢れていたという。
「阪急時代はね、ダブルヘッダーでお客さんの数が、7人、9人なんて日もよくあった。
それに比べて、セ・リーグはお客さんが多いからね」
豪快に笑いながら、次々と当時を振り返る。 ロッテの村田兆治もセリーグに行きたい、と上役に直訴してニュースになったものな 南牟礼は阪急・オリックスで通算本塁打4本だったのに、中日に行って2年続けて6本打ったよな。 いい記事だ
西本幸雄さん生誕100年…阪急教え子の福本豊氏と加藤秀司氏が思い出語る(上)「何してんねん」殴られた でも―優しかった
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200425-04240278-sph-base >>973
たかだか2年連続だか知らないけど
年間6本打っただけで、
天下取ったみたいに言われてもねえw
まだ二桁とかなら解るけどさw 南牟礼はほんと中日のキャラが合ってた
阪急の暗さの中では埋没してた感じだったが >>975
プロ10年で通算2本塁打の選手が移籍したら2年続けて6本打った事は、単純に凄いと思うけど。
しかも移籍してもレギュラーではなくて半分も試合に出ていないのに。 >>973
6本打ったのは移籍したシーズンのみ
2年連続じゃない >>968
で、ロッテ戦は何人だったと思う?
wikiソースでしか語れない後付けパリーグファンはみっともないから黙っていたほうが良いよ >>977
すまん、500人は盛った。
50人だった。 >>982
他人の書き込みをウィキ見て確認しているのはあなたでしょw >>971
南牟礼
こんな捏造言う奴大嫌い
お前が一軍に出られたとき
ダブルヘッダーなんか年に1度あるかどうかしかも消化試合限定
昔はデフォルトでダブルが組まれてたからな 実際87年4月の観客動員で甲子園より西宮のほうが多かったのよ
随分話題になったよ あの記事自体がかなりいい加減な記事だよな。
まず、ウィリアムスと南牟礼は阪急在籍接点ないし。
鉄壁の外野陣に食い込んだなどと書いてあるけど、1シーズン200回も打席に入ったことがない選手がおこがましい話だ。
これは南牟礼の発言ではなくて、この記事を書いたアホが書いた事なんだろうけど。 西本幸雄さん生誕100年…阪急教え子の福本豊氏と加藤秀司氏が思い出語る(下)「全部ONにやられた」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-04250184-sph-base
加藤「大胆さがなかったんかな。ああ見えて、采配はオーソドックスで手堅かった」
福本「マージャンが好きやったけど、後ろで見とったらとにかく堅い。テンパってても、すぐ降りる。スクイズ失敗【注2】も堅くいき過ぎて裏をかかれたんやな」
加藤「(79年日本シリーズの)『江夏の21球』もな。あれは雰囲気で分かったよね。外されるって」
福本「ものすごいチャンスやから。これは点入るで、勝つで、って応援してたんやけどなあ」 日本シリーズで勝てない西本が監督をやり続けても3年連続日本一は無かっただろうね。 >>989
加藤は阪急時代は、阪神の掛布みたいに勝負強くてホームランもヒットも打てて活躍してたけど、トレードに出されてからはイマイチで残念だった。
3番加藤、4番長池、5番森本のラインナップは好きだったな。 1975年の前期優勝後、阪急百貨店でのサイン会に行ったな。
福本、加藤、長池に色紙へサインをもらったわ。 >>760のヤクルトと違って阪急はサイン会等の副収入を稼がせてくれたんだな
だから強い時期が継続したとも言える 箕田は、この選手がセ・リーグにいたら人気者なのにねぇ、としょっちゅう徳光等にバカにするように言われていた 箕田が巨人に来たとき、
鈴木啓示が「巨人向きの顔やな。アリとは大違いや」とからかって言ってたな。
アリとはやはり巨人に移籍した有田のこと。
近鉄で鈴木専属の捕手だった。 このスレッドは1000を超えました。
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