もしも江川卓が1988年以降も現役を続けていたら?
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上手く行って200勝いけるかどうかだろうな。
晩年は下半身の怪我が増えていたし。 クオリティスタートで完投に拘らなければ150勝は上乗せできたと思うよ 江夏みたいにリリーフ転向でも面白かったな
藤川みたいになったかもしれない 日本シリーズで無様にリリーフ失敗しておいて何言ってんだか この江川キチガイは別に江川好きそうでもないんだよな
江川を利用して今の選手を叩く懐古てだけ 江川引退年の1987年
江川 3.51(8位) 13勝5敗 166.2回
西本 3.67(9位) 08勝8敗 130.0回
その後、西本は38勝を挙げている。
仮に西本と同等の成績を残したとすると、
通算 3.10 178勝107敗 となる。
(通算 3.02 135勝072敗) 西本の1987年までの成績
1987 3.16 122勝093敗
(通算 3.20 165勝128敗)
※江川より1歳年下、3年早くプロ入り
江川は引退後の借金問題を絡めた方が面白そうだ。 現役時に借金を背負っていたら200勝は確実だったでしょう。
名球会入りで金になるからね。キングカズなみに現役にこだわり
300勝を挙げたかも知れない。 >>8
全て成功するクローザーがいるなら教えてもらいたいですね >>10
問題は西本は衰えても抑えられる投球スタイルだったのに対して、
江川はストレートが衰えたら替えが効かない投球だったことだな。
晩年の新変化球挑戦は毎回微妙な結果だった。 どっちみち肩がぼろぼろですぐ引退していた
西本は体は元気だったし >>14 >>15
ほんとにそうなの、
という点は、追究しがいがあると思うんだけどね。
まあ、そういう現実的な話は別の機会に置いといて、
88年以降、巨人の投手陣が強固になるので出番が
減る可能性が高い。借金、離婚なんてフラグが立って、
エース保証があるなら阪神に移籍、40くらいまで投げて
200勝したかもね。 工藤や山本昌のようにのらりくらりと積み上げて200勝という例もある
毎年10勝する必要もなく休む年は休む隔年投手で十分だ。
10年やれば平均7勝で200勝に到達。江川にとって簡単なことだろう。 ただそのやり方で200勝投手になったところでインパクトは薄くなる。
現役を長くやればやるほどショボい晩年のイメージばかりが記憶され
全盛期の記憶が薄くなる。江川が神格化されることはなかっただろう。 江川が山本昌工藤みたいなトレーニングや努力するわけねえだろ >>14
江川は制球とカーブの投手だよ。速球派だったのは1983年までじゃないかね。 江川の投球術、制球力は卓越している。
年齢を経てもカバーできる投手だ。 バブル期で選手年俸が上がっていたとはいえ飛躍的に上がるのはFA後にずれるから
あの時期にタレントになるより生涯年収は十億近く下がったのではないかな 来年も続けたら二桁勝てないと思ったから辞めたというのが結局真実だと思う。
>>20
それでもここ一番ではそれなりのストレートを投げられたんだよ。
どんな投球術や技巧派の投手でも基本のストレートがどうしようもなくなったら抑えられなくなる。 記録(または金)のために長く現役を続けて数字を積み上げる選手がいる。
そういう選手はクソだと思うしそんな記録はゴミクズも同然である。
エゴで若手の出場機会を奪い潰している老害だ。
プロはチームに貢献できなくなった時点で辞めるべきだ。
2桁勝てなくなる前に引退した江川は絶対的に正しいのであり
30本を打って引退した王もまた立派である。 >>20
>速球派だったのは1983年までじゃないかね。
違う。82年の前半戦まで。
後半戦に入る前に肩を痛めた。 江川からすれば二桁勝てないのならというプライドもあるし、
今なら芸能界でかなり稼げるという利点もあったな。 15勝で年俸5000万そこらで現状維持の時代だからモチベーション上がらないだろ 江本や小林繁星野あたりがタレント解説者でめっちゃくちゃ稼いでたからオレならもっといけると思ったんじゃないの 江川の時はちょうどバブルに突入だからタレントはもうかっただろうな >>25
王は通算打率3割を下回るのが嫌だからだろ 最終年王は去年の中田より恐らくwar低いだろ
30本塁打以外は打率最下位で守備走塁も
恐らく最悪クラスの貢献度
王にしては出塁率も高くない
まあ本塁打が目立つだけで引退して当然の数字じゃね 江川が引退した1987年はバブルの最盛期。
ビジネス・芸能のうまみ、将来指導者への道も
保証されていることを考えれば、引退は必然・不可避と言える。 江川は計算したんだろうな。
このまま10勝を5年続けたとして、いくら稼げるかはすぐに答えが出せる。
いっぽうで芸能人になってサイドビジネスなどを手掛ければ
いくら稼げるかを計算し比較した。答えは明白であった。
そして辞めるならバブル最盛期のいましかないと決断した。 王も江川も、打率最下位、防御率最下位という
不名誉な記録を達成しているが、その割に他の成績が
良かったというのは一流の証か。
打率.236 30本 84点 出塁率.342 ※引退年
防御率5.28 11勝 7敗 117奪三振 ※引退2年前
王の本塁打記録更新を狙うバースに対して真っ向勝負
したのはこの年である。 救援転向すれば上原みたいに結構やれたんじゃないか?
まあ、フォークかスプリット覚えなきゃいかんかったが あのまま続けていても、
斉藤、桑田、槙原が
活躍したから
江川の出る幕はないと思う。 >>37-38
絶対無理。
江川は肩作るのに球数投げなきゃいけないタイプだったから、
毎日投げ込みやって逆に先発時代よりも球数が多くなるわ。
リリーフには向いてないし、本人が絶対にやりたくないと言ってた。
83年だかにリリーフで起用されたが、ぶち切れてボトル1本空けて愚痴ったらしい。 >>39
江川がいたら90年の日本シリーズで4連敗しなかったんじゃないか 江川て日本シリーズではあまり活躍してないんだよね。 江川は連投がきかないタイプだから
毎試合のように肩をつくる過酷なリリーフは無理だろうな
中1週間で100球メドの過保護起用ならかなり結果は出せると思う
いまならそういう起用もしてもらえるだろうが当時は難しいな 工藤や昌は高卒だから有利すぎる
江川は大卒と浪人だし >>39
むしろ斎藤が先発、リリーフのどっち付かずになり、 20勝投手にならなかった気がする。 >>43
大学のときは連戦連投だったので、
プロ入りするときにはもう肩が壊れていたのだろう。 >>45
斉藤は藤田監督かどうかが全て
王監督のままで江川もローテーションにいたら使われなかった 88年頃の斎藤の動画とか、今見ても
かなり良い球投げてるんだよね。
この年も先発ローテやってりゃ、軽く10勝しそう。
87年とか本当にダメダメだったんだろうか。 悪いなりにものらりくらりと10勝はし続けていたろうから200勝は達成出来ていただろう。 最後まで野球を続けるという人生観の人ではなかったからね。
江川の人生観を変えれるだけの切欠が何かあればよかったのだが。
工藤公康はチームメイトの死が切欠で最後まで野球を続ける決心をしたね。 いまの年俸なら江川は5億円プレーヤーだし
のらりくらりで200勝する道を選んでいただろう 今の時代なら江川はボロボロになっても現役続けてるだろうなw プライドの高い選手なので給料が一桁高い時代であってもユニフォームは早く脱いだと思う。
31歳でやめたけど今だったら35くらいでやめていたと思う。40まではやってなかったと思う。
恐らく新庄みたいになっていたかも。いや新庄みたいなフーテン肌でもないので何かしら
やっていたかなとも。 あれだけの代償を払ってでも巨人に入りたかった江川
今でも巨人に入りたかっただろうか?
日本の野球の中心は巨人からメジャーに移った。
そんな状況でも巨人でのらりくらりやっていただろうか? >>5
下半身の怪我?チンk?そんな報道見た記憶ないんだが。 >>54
今は長嶋監督じゃない上に野球が娯楽の中心の時代じゃ無いから別のスポーツや業種に就いているかも。 江川は陸上の10種競技やってたらオリンピックに出られたと思う
大学スポーツといえばラグビーだが江川の体格、走力なら間違いなく日本代表だね
早慶戦のスター選手で華々しい活躍をしたに違いない
大谷がフィジカルエリートといわれているが江川のほうが下半身のパワーがはるかに上 100m11秒台らしいからな
真面目にトレーニングしたらもっとはやくなっただろうし 制球良かったから技巧派に転向出来たと思うよ
スプリット修得してスライダーやカーブを交えるスタイルで行けたかと
プライド高そうだから本格派を捨てたくなかったんだろうな 江川は手が小さくて変化球が苦手。
ただそれが功を奏してあのストレートを投げられた。 東京ドームで投げてみたいとは思わなかったのかな?
未練もなかったのかね。 >>40
江夏みたいに意識変えられなかったのか
まあ、上原も一年救援やった後
「もうやりたくない」
と言ってたくらいだしな 江川ぐらいになるとタレントで引っ張りだこだから
野球より金の江川はそっちにひかれた 江川はボールの速いカーブ投手
そして制球も素晴らしかった いや江川はまだやれた。故障して13勝なんて出来るわけがない。
悪いなりに続けようと思えばできたはず。
やはり理由を付けてやめたかっただけだと思う。
肩に針を打ったら云々の話も東尾がこの野郎がと怒ってた。
針を打ってダメな箇所なんて心臓以外にどこがあるんだと吐き捨ててたな。 >>73
星野仙一は見抜いていたね 「なんで引退するかわからんな 体力的には余裕でまだまだやれる」 40までやれば200勝できたな
東尾みたいな技巧派で >>53
ないない
10勝してれば1億はもらえるんだから絶対しがみつくよ >>54
本人はあの時は"自分としては阪神でもよかったの。でもどうしようもない状況だったの。"
と言ってた。別に阪神でも良かったと。つまり巨人に愛着はなかった。
ただ、前年のアメリカ留学あたりから金が動いてたろうから、もうどうにもならんだろ。
今ならメジャーへ行くだろ。それは全ての野球選手の本能なんだから。 今みたく球数が100球か120球くらいでいいのなら45歳くらいまで出来るぞ下手したら。
故障してるのに200球とか甲子園での阪神戦で投げてキチガイかと思ったよ。
今の選手だったらその時点で選手生命は終わりだ。 でも太りやすい体質の人だったから果たしてどうだか。
なべQとか野茂とか伊良部とかもぶくぶく太ってしまって中年太りを克服できなかった。
32歳であの体型を維持出来ていた所は自己管理は結構よく出来ていたのかなとは思う。 >>66
意識の問題じゃないから。
投げ込まないと肩ができない体質だからリリーフには絶対向いてないの。
無理してやらせたらもっと短命に終わった てるわ 勝ち試合限定、1イニング限定登板のなにがいいかというと
肩を作るための投球を最低限に抑えられるということだ
むかしはリリーフエースが同点、負け、7回あたりからでもなげさせられていた
ということはいつでもいける準備をほぼ毎試合していなければならない
だからむかしのリリーフはすぐに潰れることが多かった
藤川や故障持ちの佐々木が長持ちした理由だ >>80
太り過ぎが低迷の原因だと王監督時代はダイエットさせられてたな。
その頃は体脂肪率が21.8%で西本の二倍近くあった。
引退する年は少しずつ太り始めていたから、
あのまま続けていたら一気に太ったかもしれん。 >>1
上原みたいな頭の柔らかさがあったら、救援でやれたんじゃないの?
先発としてはどうなんだろう?
北別府みたいな内外の出し入れが出来るわけでもないから、キツかったろうな 松坂みたいになってたかもな。ああなってしまったら終わりもう投げられない。
いや江夏みたいに腹で投げていたかなともw 100球でいいのならもっとビュンビュン飛ばすだろうしね。
現代とかの投手完全分業制の時代で江川を見てみたかったもんだね。 >>84
頭の問題じゃないって。
投手にはすぐに肩ができるタイプと何十球も投げ込まないと肩が仕上がらないタイプがあるんだよ。
これは7生まれ持ってきた筋肉の特徴だからどうしようもない。
だから83年だったかに藤田にリリーフで使われて激怒してその日はヤケで大酒飲んだんだから。 >>86
今でもエースクラスならなんだかんだ120球は投げさせられるよ。
江川は基本的に飛ばすと5回持たないことが多いから、
100球だろうが自分の計算通りに上手く調整して投げるだけで特に変わらない。 でも考えてみたら江夏ってあんなに太っても投球は安定してたね。
やはり下半身が強いんだろうね。太い脚してたからな。 江川も高校2年までは良く走り込んで下半身が強靭だったけどね
3年以降はサボるようになって手抜き投球しないともたなくなったね
江川も松坂と同じで根っからの練習嫌いでやらされないとやらないタイプ >>86
そもそも江川は「100球肩」と呼ばれていた。
時代を先取りしてたんだよ。
「中4日じゃ苦しい、中5日欲しい」と言い出したのも江川。 中4日で100球肩が馬鹿にされた時代
中6日で100球3点以内に抑えて称賛される時代
かわればかわるもんだ >>95
打者のレベルが違いすぎるからな。江川の時代は徹夜明け出てくる選手が大量にいた >>96
今もそうだよ
プロ野球選手の体力は半端ないから徹夜してもパフォーマンスはあんまり落ちない
銀座にいけば現役選手が飲み歩いてるのをみられるぞ
あと打者はレベル落ちてるな 流石に昔ほど遊んでいるのは少数だよ。
80年代は巨人西武の選手なんか全員徹夜で遊んでいたけど、
今は草食系になってるとOBに馬鹿にされてるぐらい。
打者は統一球で絶滅しかけたけど少しずつ戻って来てるな。 オールスター9奪三振を自らやめている所に江川の性格が出ている。
本人はあれは10奪三振を狙ったのだと言っているけど僕も大方の記録放棄説が本当の
所だと思う。 あれは著書で言ってたけどついうっかりカーブを投げちゃっただけだよ。
ストレートを投げておけば絶対に三振だったのにと後悔してた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています