自分以外覚えてなさそうな試合の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1988年10.19 ロッテ‐近鉄
1994年10.8 中日‐巨人
こういうよく語られる有名な試合ではなく、
ほとんどの人は覚えていない、でも自分の記憶の隅には何故か引っかかって
覚えている、そんな試合の思い出について語っていこう。 数年前の中日オリックス戦で荒木が指を骨折した試合
オチは荒木に当てた東明が打球直撃で降板w 小笠原が手首に死球を受けてベンチに下がり、患部に紫色のスプレーをして出てきた、とある日シリの試合。 渡米前の岩村が甲子園でバックスクリーンにホームラン放り込んだ試合
ベチッという打球音と「真芯に当たるとああいう湿った音がするんですよ」という解説が妙に印象に残った 1999年の9月の広島-中日
福留が落球してサヨナラ負け 93年8月に湖東スタジアムで行われた
ウエスタンリーグ、阪神−オリックス
阪神三苫が8回途中までノーノーの好投で
鈴木一朗の連続試合安打が25で途切れる。
ライトの佐藤和弘はうつろな表情でブツブツと独り言をつぶやいてて
ヤジるのも気の毒なぐらい哀愁を漂わせていた。
同じ湖東スタジアムの試合では95年の阪神−中日が
中日は大豊、山崎など、阪神は亀山、新庄、八木など
二軍戦とは思えぬ豪華なラインナップだった。 1989年生で見た西武‐ダイエー戦、清原がサヨナラホームラン打って西武が勝利
打たれたダイエー先発の山内孝は清原に打たれる前、アウトにしていたが良い当たりを
連発されていて既に電池切れ、限界に達していたみたい。
でホームラン打った清原がダイヤモンドを1周して帰ってきた
ホームベースに何を思ったのか滑り込みスライディング
この頃からいけないことやっていたのだろうか 1994年9月10日の巨人×広島@東京ドーム
FA移籍した落合が唯一、先発四番を外されて五番だった試合。四番も絶不調だった吉村。
巨人は8月末から失速していて、この試合でも5−19とボロ負け。10.8へと繋がった。
四球→安打を5回繰り返して5点を奪われた中継ぎ岡田、三振してバットを叩きつけてたデーブ大久保、敗戦処理でやる気がなさそうに滅多打ちされた
ジョーンズが記憶に残っている。 せっかく阪神時代のパリッシュが普段点を取れそうにもない巨人の投手から満塁ホームランを打ったのに
先発がその頃の阪神で唯一勝てそうなキーオだったのにピリっとせず
じりじりと点差を詰められて延長サヨナラ負けした試合 交流戦初年度。東京ドームで、パ・リーグ日本人投手31年振りの本塁打を打った岩本勉。しかし、小久保とローズに本塁打を浴び、敗戦投手。
もし勝利投手になっていたら『まいどー』を連発しただろうな‥ 1994年6月に東京ドームに見に行った広島戦
岡崎のスリーランで逆転
9回表に石毛が出てきて相手ファンが拍手してセーブ失敗
9回裏に元木がサヨナラヒット 1997年横浜‐ヤクルト戦
最終回横浜鈴木がやたら伊藤からファールで散々粘って内野安打も
ローズが凡退してヤクルトが何とか勝利
鈴木がやたらバックネット方向にファールしていた記憶が残っていたんだが、
シーズン終了後、何かのインタビューで鈴木が、その打席で打撃の感覚がよくなった
みたいなことを言っていた 95年夏のナゴヤ球場近鉄オリックス戦
カード初戦、DJが終盤に3連発を放つも近鉄が逃げ切る
翌日、イチローがプレーボール直後にホームラン、田口凡退の後、3番DJが前日からの4打席連続本塁打
試合はそのままオリックス勝利
ちなみに3連戦最終日は岐阜での試合、その試合でもオリックスが勝ち、このカードはオリックスの2勝1敗だった 86年秋の阪神浜田球場での教育リーグ(二軍オープン戦)
スコアは7-17の惨敗ながら吉川、中谷と
見どころのある若手がいて将来楽しみと思ったが…… 2014年中日オリックスウエスタン最終戦
オリックスが9回に勝ち越すもその裏中日が逆転サヨナラ
なお、この試合でホームランを打った堂上剛裕は数日後戦力外通告を受けた模様 中1の時に生まれて初めて観に行った中日の試合、東京ドームの巨人戦。
小松が見たかったのに今中とかいう聞いたこともない無名が出てきてガッカリして、クロマティにホームラン打たれて火だるま。
それなら落合か宇野のホームラン見たいと思ったら2人とも6回くらいでさっさとベンチ。
試合は9対1で惨敗、ヒーローインタビューはガリクソン。
すげーガッカリしたのを覚えてる。 2002年教育リーグ巨人二軍‐三星ライオンズ
巨人の高野がどでかいホームランなど放ったが9回引き分けで終了
巨人のピッチャーはチョンミンテって韓国人投手
こんな試合に投げさせられたことにプライドが傷ついたのか打たれて機嫌が悪いのか
試合後、サインせがむファンに対し大声出して拒否していた。
あと野村の参謀で有名な松井優典が何故かスタンドにいて試合を見ていた。 83年ぐらいの阪神−ヤクルト
ヤクルトが小刻みに得点して5-0で迎えた7回裏に
阪神が7点を奪って大逆転したが
山本和行が9回表にマルカーノに3ランを打たれ再逆転を許す。
その裏一死一、三塁のチャンスも佐野が三ゴロ併殺で試合終了。
サンテレビの放送席に招かれたファンが
「1試合で2回負けたような試合でした」と語ったのが
まさにこの試合の総括だった。 2003年5月、神宮球場のヤ−広戦。
ヤクルト2点リードで迎えた7回表、三本間に巨大な蛾が飛来して試合が中断。
再開直後、ヤクルトの先発ホッジスがこの中断で調子を狂わされたか、
緒方に2ランを浴び同点に。
審判が蛾に気づいて捕まえるまでの一部始終を三塁側スタンドから見ていたが、
後ろで守っていた鈴木健が明らかにビビっていたのが笑えたw
ちなみに試合はその裏ヤクルトが広島リリーフ陣を打ち込んで勝利。 82年秋季オープン戦、巨人−阪神
槙原と源五郎丸の先発で巨人が初回2点を先制し、
スポーツ行進曲が流れる中、
2回裏二死二塁から松本のセンター前ヒットで
吉田が本塁タッチアウトになった場面から中継開始。
しかし、3回裏に友人が遊びの誘いに来て仕方なく家を出たので、
その後どうなったかいまだにわからない。 89年開幕直前巨人のオープン戦、東京ドーム、相手は日ハムだったか
オープン戦では絶不調だった巨人だが、原が4号5号HRを連発して、
13-4くらいのスコアで巨人が勝った。原のHRは一本は珍しくライトスタンドへ。
原の右打ちを評して、解説の誰かが「今年の原は違います」と言っていた。
予言は6月頃までは当たっていたのだが(´・ω・`)
巨人自体は開幕から好調で6月頃より独走→日本一になったのは周知の事実 >>9
吉村が大怪我からの復帰後初ホームランを打った試合だな 1975年度 川崎球場 デーゲーム 大洋ホエールズ対中日ドラゴンズのチケットを新聞屋にもらった
祖母につれられ、市営バスに乗っていった
試合は13対2くらいで大洋圧勝
当時速球の中日鈴木孝政が見たかったが、ぼろ負けだから諦めてた…
調整登板??か鈴木孝政が出てきて、敵大洋観客までも大歓声
まさかワンサイド敗けで鈴木孝政がみれると思わなかった 落合の巨人1年目のオープン戦、東京ドームでの試合。
落合の打法が、ユニフォームの社会の窓のあたりに、グリップエンドをつけて構えており、今までの落合とは全く違った。
しかし開幕戦になったらもとの神主打法になっていた。
あの時の試合のビデオ持ってる人いないかなあ。 愛甲のオープン戦初登板を川崎で見た
1981年対南海
先発は望月
落合がホームラン打った
スタンドガラガラ
川崎に野球を見に行ったのは三度目だったが、一度目はゴールデンウィークだったので客席もほぼ満員(立ち見すらいた)
二度目はオールスターで超満員だったので、実数100人ぐらいのスタンドを始めて見たときの衝撃ったらなかったわ 82年の阪神−巨人6回戦
スコアボードを映すオープニングで阪神がすでに3点先制していたが
CM中に佐野の3ランが出て6-0。
結構雨が降っててノーゲームを願ったけれど試合は成立し、
山本和行の2ランまで出て阪神が13-0の圧勝。
当時の読売テレビは独自の字幕を使ってたはずなのに
なぜかこの時は日テレの字幕だったのが印象に残ってる。
同じ年の大洋−巨人最終戦
結果論だけど「巨人が勝っていれば優勝だった」という試合で
デーゲームに弱い江川が一発病でやられたから
そこそこ有名かもしれないが、
ハマスタなのにTBSやフジでなくテレ朝が中継してたのが珍しい。 2004年秋のよさこいリーグ近鉄ダイエー戦
実はこの試合が近鉄バファローズ最後の試合
二軍の試合なのに、ダイエーは杉内や星野が投げてた 93年オフの日米野球
・・・と言っても米選抜が当たり前となった時代では
珍しいドジャース単独チーム。
個人的にDストロベリーが来日すると聞いてwktkしたが、新人王の
ピアザが話題の中心で、苺は試合に出ていたのかさえ分からない(´・ω・`) >>20
捕手の吉田孝?
あんな引退寸前の大ベテランが秋のオープン戦に出たの? 最後のご依頼は、2ちゃんねる野球殿堂板「自分以外覚えてなさそうな試合の思い出」スレにお住まいの、>>20様仏様名無しさんからのご依頼です。
82年秋季オープン戦、巨人−阪神
槙原と源五郎丸の先発で巨人が初回2点を先制し、
スポーツ行進曲が流れる中、
2回裏二死二塁から松本のセンター前ヒットで
吉田が本塁タッチアウトになった場面から中継開始。
しかし、3回裏に友人が遊びの誘いに来て仕方なく家を出たので、
その後どうなったかいまだにわからない。
どうかその後の試合の展開を教えてもらえないだろうかというもの。 >>31
間違いなくタッチアウトにされたのは背番号9の吉田孝司
>>32
ナイトスクープかよw >>28
二つ目の試合は裏でプレーオフの西武ー日ハムをTBSが中継していた
フジテレビは何を放送していたかは知らない 2003年神戸でのオリックスダイエー戦
ダイエーはマジック2で優勝がかかっていた
序盤から点の取り合いで、5,6回の反撃でダイエーが逆転
しかし7回、山崎に逆転満塁弾を打たれ再びリードを許す
それでもダイエーは9回に追い付き、延長に突入
そして最後は西武が敗れ、ダイエーのマジックが1になった直後に岡本が後藤にサヨナラ被弾・・・ ワールドカップの裏で行われた横浜対オリックス
観客動員数5000人以下 昭和49年の夏ごろのNHKで放送された中日球場の、中日ー巨人。長嶋が放送に入る前に本塁打を打った。試合は6ー6の引き分けだったと思う。 83年の阪神-中日
初回先頭の宇野を追い込みながらセンター前に打たれる。
さらに平野の送りバントを野村が一塁へ悪送球して中日が先制。
送球が走者と交錯したとして抗議した際、
暴行事件から復帰した島野コーチに「島野、お前は出てくんな!」とヤジが飛ぶ。
なおも無死三塁から田尾のセンター前に抜けそうなゴロを
平田が飛びついて一塁でアウトにするが、その間に平野が生還。
その裏、二死からバースのソロで1点返すが、続く満塁で平田はライトフライ。
2回裏に真弓のタイムリーで追いつくが、その後の勝ち越しのチャンスに一本出ず、
逆に5回表一死一、三塁から谷沢にレフトポール際に3ランを打たれる。
その裏、一死満塁で平田に早くも代打川藤を起用するが二ゴロ併殺で無得点。
5回終了時に六甲おろしの合唱するが、
今日の試合みたいにリードされてて、チャンスを逃した直後だからむなしかった。
あとはお互い8、9回に1点ずつ取り合うも
バースの2本目のアーチも空砲で結局中日が7-4で勝利。
試合終了は21時57分で、帰宅したら0時前になったプロ野球初観戦の思い出。 2000年8月1日 ロッテVSオリックス
ロッテの先発は黒木だったと思う。
巨人ファンなので、どちらのチームにも大して興味は無かったけど、
絶好調のイチローの打率が試合前のスタメン発表時点で4割を超えていた。
その後、打率は徐々に落ちて最終的には.387で8月下旬に怪我離脱したから、
日本最後のイチロー4割の瞬間だったかも。
オリックスが勝ったような記憶。 大洋の増岡が初完投勝利したナゴヤ球場の試合をなぜかテレビ神奈川でやってて、見たな >>30
日本側も巨人・ダイエー連合チームで
テレビ中継もなかったような。 バークベックが来日初登板の中日戦で
6回無失点の好投で7-0と快勝した試合
キャッチャーから返球されてすぐ投げるなどテンポも良く、
外国人投手はハズレばかりの横浜にしてはいいのを穫ったと思ったが 1984年5/3
広島−阪神 @広島
9回、掛布が劇的逆転満塁弾。
大喜びの勝ち方なのに、虎党の記憶からはすぐに消えた。
翌年の感激が忘却に拍車をかけたようだ。 2014年の中日VSオリックスのオープン戦
中日は旧応援団が解散、オリックスもなぜか応援団が来ておらず、両チームとも応援団不在という珍事w
さすがに交流戦ではオリックスの応援団はちゃんと来ていたが オールスターで伊良部が159km/hを投げた試合
当時の日本最速記録を更新した…筈だったのだが、
何故か実況席がそれに触れることがなく、観客席も特に湧いたりすることもなく、
全くスルーする形で試合が進行してしまった。TVの前でポカーンとした記憶がある。
あれはTVと球場で表示されるガンの速度が違っていたのだろうか。
その後、クルーンが更新するまで日本最速は158km/hとされていた。 1982年8月下旬の月曜日にやった巨人ー大洋
11PMナイターでやったので生中継なし
巨人がワンサイドで勝ったが、江川がまだ無名の高木豊に満塁ホームランを打たれている 20年くらい前か
拝啓石井が巨人の代打で逆転サヨナラHR打った試合
巨人の楽勝モードが、リリーフ槙原がボコられて逆転されて
川相が10球以上ファウル粘って出塁して石井弾
東京ドームで見てたんだが、どんどん客が減って
最後は一番前でかぶり付きで見れた このスレおもろいな
2006年3月29日、宮城球場での楽天vsオリックス。
天気は雪。気温1℃。オリックスの先発は41歳吉井。
清原が「あれほどの人にこんな環境で投げさしたらあかん」と怒っていた。 後楽園球場の巨人戦、 当時試合終了まで20:54〜リレーナイターがあった
放送開始直後の音楽が流れてオープンの最中に、新浦の完投勝利だった♪
要するに、民放〜リレーナイターのCMの間がハイライトだった
放送はヒーローインタビュー新浦から始まった 82年8月の阪神−巨人
1回裏一死満塁から岡田のホームラン性の大飛球をもぎ取って
犠牲フライの1点にとどめ、
直後の2回表無死一、三塁から逆転3ランと一夜限りの島貫祭り 2008年夏の中日広島戦
中日のワンサイドゲームで山本昌が198勝目 2005年ごろメッツ‐ヤンキース戦
ヤンキースの先発がランディージョンソン
メッツの打者はオリックスにもいた投手の具台晟、投手だから突っ立ってるだけかと
思いきやライトオーバーの二塁打。メッツのベンチの選手は皆苦笑い。
そのあとの打者の内野ゴロで、ホームに誰もカバーがいないと見るや具は二塁から
ホームに一挙生還 明け方ボンヤリ見ていて二度びっくりした試合 77年の巨人−阪神
延長10回表 一死満塁のピンチで一塁側巨人応援団が半分やけ気味で
「三振!三振!」コール。
そうすると2者連続三振で0点で終わり、結局引き分け。 って、もう>>53で出てたか。
22時過ぎて太鼓メガホンが使えなくなった後、拍手しようにも寒くてみんな手袋してるから音がしなかったのと、オリックスファンが3人しかいなかったのが記憶に残る。 山本浩二が明らかなアウトのタイミングなのに三塁打になって
サイクルヒットを達成した「掛布、疑惑のタッチ事件」
の翌日の83年5月1日、阪神−広島
広島3点リードの3回、7番降格していた真弓の三塁打を足がかりに
1点を返し30イニングぶりの得点。
6回には藤田平の通算1999本目のヒットも出て、
本拠地での大記録達成に期待がかかるが、
最終打席凡退で翌々日の後楽園に持ち越し。
広島5-2阪神で迎えた9回裏、2点を返しなおも一死一、三塁で
雨も強く降る中、掛布の一塁線を破る打球に
ライトがクッションボールの処理を誤って二者生還して逆転サヨナラ。
掛布の公式戦唯一のサヨナラ打は
1ヒット1エラーかと思うような「疑惑の三塁打」だった。 日テレの中継で三塁打クイズがあった年
巨人福王が三塁打打ったのに
福王に投票している人が誰もいなかった 2004年9月の札幌ドーム日本ハム近鉄戦
近鉄パウエルが完投勝利まであと1イニングというところでスコアボードに明日明後日の試合がストで中止だと発表される
なお試合はそのままパウエルが完投勝利 80年代後半、西宮球場の内野2階席で観た試合。
最後、あれは誰だったか、熊野だったか山森だったか?
逆転満塁ホームランで決着したんだけど、
ガラガラの2階席では歓声に包まれることもなくて、
遠い向こうの方で何か騒ぎが起こってるのをぼーっと眺めてる感じだった。 1981年8月、平和台球場での阪神×大洋戦。
阪神・佐野仙好が左中間サヨナラ2塁打を放ったが、
お立ち台でヒーローインタビュアーがサヨナラ本塁打と勘違いし、
佐野自身も訂正を指摘することなく淡々と受けていた。 >掛布の公式戦唯一のサヨナラ打
これマジ?
特に勝負弱いタイプでもないし、むしろそういう場面では敬遠されたんかな 2004年の5月か6月だったかな、ナゴヤドームの中日阪神戦
中日が1安打で勝利、最後は大西のサヨナラ犠飛(このイニング無安打でサヨナラ勝ち) 試合ではないが、平成元年のドラフト会議(野茂、与田、佐々岡、佐々木、古田ら)について、
週刊ベースボールが「今年は不作」と書かれていたこと >>69
野茂に加えて元木(笑)大森(笑)までいたのに?
俺の記憶だと社会人高卒大卒のそれぞれの注目トップがその3人で
(・・・という内容で報道されていた)
90年シーズンが始まったら、
与田やら佐々岡やら石井やらも凄いやんって印象だったんだけど。 >>67
オールスターでサヨナラホームランはあったけど、
公式戦のサヨナラ打は1本だけ。
確かにサヨナラの場面で回るのをあまり見た記憶がないが、
85年ヤクルト戦で3-4の9回裏二死満塁で内野フライで試合終了ってのは見た。
その前の7回裏一死満塁からファーストライナー併殺と合わせて覚えてる。 >>70
野茂、大森、元木の括りとは別に、
社会人三羽烏で野茂、与田、潮崎って括りもそういえばあったっけ。 2000年前後だったと思う
中日対巨人のナゴヤドームの一戦で、打者松井秀喜に対しワンポイントで前田幸長がでてきた
結果は松井らしい弾丸ライナーの超特大ホームラン
打たれた前田は、半笑いのような泣きそうな表情で、まるで子供が親に叱られてシュンとなってる感じだった
投手の心までをも粉々に粉砕する松井の打球の破壊力に、このような稀有な打者をリアルタイムで観れる幸せを感じたのを覚えている 1988年川崎球場ロッテ‐西武戦
この頃の西武は常勝チーム 一方ロッテは今のロッテみたいな弱小チーム
しかしこの日はロッテが10点以上の差をつけて西武に完勝
なぜこの試合が印象に残ったかというと、この日は鳴り物応援が少なかった(またはなかった?)
プラス、ロッテベンチの側にスピーカーがあったのか、
あろうことか、ロッテ選手のヤジが全部文化放送のラジオ中継を通して筒抜け!
西武選手がロッテの選手に散々やじられまくっていたが、一番やじられていたのが清原で
村田兆治にデットボール当てられた直後“バチが当たったwww バチが当たったww ”
とヤジを飛ばされていた。
しかし西武選手の中で唯一ヤジを飛ばされていなかった選手が1人いて
それが石毛。石毛はロッテ選手に一目置かれていたのかな? 願わくばもう一度あの放送を
聞いてみたい。 85年4月の中日−阪神
阪神 000046
中日 02100
という試合展開にブチ切れた一塁側の中日ファンが一斉に席を立ったが、
終わってみれば
阪神 000046011=12
中日 021006100=10
と一時は追い付く有様で、帰った客はちょっと後悔しただろうな。 1982年6月の日本ハムー阪急
阪急が初回に8点先制、その後両チーム1点ずつ取り合いこのまま終わるかと思いきや、8回裏に日ハムが7点返し、結局9-8であわや風呂試合
その2日後、このカードをNHKが中継したが、阪急が序盤で7点先制も中盤で日ハムが5点返すという似たような展開
最後は山田が何とか逃げ切った >>74
石毛はドラフトでロッテの指名を拒否している >>20
ttp://i.imgur.com/y9dU4an.jpg
>>28
>>37
ttp://i.imgur.com/MQATbld.jpg
これがテレ朝最後のハマスタ大洋戦
裏のCXはゴルフの東海クラシック(THK制作CX系列全国ネット 解説:岩田禎夫、実況:吉村功) >>78
いつか図書館で縮刷版見に行こうと思ってたけど
アップしてくれてありがとうございます。
吉田がタッチアウトってのが記憶違いでゴメン。
オープニング見て「山倉じゃなく吉田か」と思ってたけど出てなかったね。 試合ではなく珍プレー好プレーの思い出なんだが…
ある日、グラウンドをカマキリが歩いており、それをカメラがアップで写していた。
するとやおら近づいてきた村田審判がいきなりドーンと踏みつぶしたw
ヨタヨタしながら退場するカマキリさんをカメラが追って、そのままフェードアウト。 >>19然り>>80然り、グラウンドに乱入した虫には悲惨な運命が待っている… 1996年8月10日横浜−阪神
3回表に山田がレフトに力なく放った打球を鈴木尚典が薄暮で見失い、
慌てて石井と高橋眞裕が追いかけて
どこに落ちるかと思ったらまさかのホームラン。
さらに満塁からマースの内野ゴロで2点を先制。
その裏一死三塁で点の取り合いになりそうな雰囲気だったが無得点に終わり、
結局2-0のまま阪神勝利。
序盤でアップアップだった横浜関口は完投して12奪三振ながら援護なしで、
7回の打席で代打出してやれと思った。 追記:その試合は阪神が延長戦に11点取った翌日だった 1999年7月、ナゴヤドームでの中日ー広島
後にわかった事だが今中慎二最後の先発試合
2回で6点を取られて降板、もう表舞台から姿を消して久しいこともあって嫌な予感がした
チームは首位を快走していただけに寂しさだけが残った 88年のオープン戦、G-T。
打者・岡田彰布が一塁へ駆け込んだ際に一塁手と交錯し、ものすごい海老反りに。
頭からベース付近に突っ込み、首が折れてないのが不思議なほどな格好となった。 94年夏頃の千葉マリンロッテダイエー戦園川対渡辺トミオのマッチアップ
1回裏にロッテが併殺崩れの間に1点先制しそのまま1対0で終わったクソ試合 >>68
中日ファンなら結構印象に残ってる試合じゃない?
大西の優勝宣言もあったし 2003年4月某日の甲子園T−C
先発伊良部が乱調で早々降板
8回表終了時で広島6点リード
自分の後方にいた阪神ファンの兄ちゃん同士が
乱闘になり警備員に連れて行かれた
彼らの熱い思い(?)が伝わったのか
8回裏に代打攻勢的中で9点あげる大逆転劇 >>89
阪神ファンなら覚えてるんちゃう?
その年の阪神はミラクルな試合ばっかやってたもんなぁ。 2000年のロッテ対ダイエー
富山での試合、ロッテはノットとかいう外国人の初登板で、4回6失点くらい取られてボコボコにされ、ボーリックが審判への暴言で退場になって、バットをグラウンドにぶちまけたり、とかトラブルもあったが、
非力で有名な酒井が満塁ホームラン打ったりして追い上げ、最後サブローのサヨナラタイムリーでロッテが逆転勝ち
北陸の田舎者がロッテに興味を持ち始めた試合 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
7H59D 2004年のナゴヤドームオリックス西武戦
松坂がノックアウトされて勝ち投手マック鈴木w ドラゴンズが序盤にカープに大量リード
故障持ちの先発小松を大事をとって5回を過ぎた辺りで降板させるも
中継ぎが不調で徐々に得点され逆転負け
試合後の星野監督のコメント「アホらしゅうて」 87年7月23日 新潟県営鳥谷野球場 G7-0D
気温35度の猛暑のデーゲーム、桑田が無四球完封した試合
高校野球の県決勝戦で使う様な球場だった。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています