〇東京スタジアムの思い出はありますか?

大森---------
東京球場は、他の球場より外野が狭くて場外ホームランが出やすかったんです。試合中、道ばたで子どもたちがグローブを構えて、ボールが飛んでくるのを待っていましたね。(笑)
当時は硬球なんて珍しかったからキャッチした子はちょっとしたヒーローでした。

青木---------
タダ券もかなり出回っていましたが、試合も後半戦になると、チケットが無くても行けば入れてくれました。

大森---------
スタンドにスイカを持ち込んでスイカ割りしてる人もいたし、子どもたちは内野と外野の間で鬼ごっこをしてたね。
球場のすぐ傍に住んでいた鳶の頭が、私設応援団長でね、鳶の出で立ちで纏(まとい)を持って応援に来ていた。
観客の飛ばすヤジも、いかにも下町って感じで、それを聞いて転げ回って笑ってる人とかいて…。そういうのを観てるのも面白かったですよ。

青木---------
南千住駅のホームから見る夜の東京球場は最高でしたよ。高い建物がなく低く暗い下町の屋根が続く中で、
スタジアムの光が空に向かって「うわぁっ」と明るく輝いているんです。その眺めは今も忘れられないね。

大森---------
「光の球場」って言われてたもんね。試合が終わって照明が消えると、そこに集まってた虫が、いっせいに民家の灯りに群がるんだよね。
それで球場の近所の家々は大変だったんだよ、ほんとに(笑)。

〇思い出深い選手はいますか?

青木---------
電車で通って南千住駅から歩いて通う選手が多かったから、選手は町中で見かける身近な存在でしたね。
試合後には、うちの店でアイスクリームを買って帰っていったり、今では考えられないほど庶民的な感じで。
そういえば、アルトマン選手は背が高かったね!

大森---------
青木屋さんでコッペパンを買って、うちでたぬき蕎麦を食べて行くんだよね。
たぬき蕎麦を食べて試合に出たら、ホームラン2本打ったことがあって、それからはたぬき蕎麦ばかりでしたね。
石黒選手が頼むものもいつも同じで「石黒定食」と呼んでいました。榎本選手は目が合った時しか注文しないとか、選手ごとに癖がありましたね。

大森---------
オレ達の背番号3番は長嶋じゃなくて、榎本だよ。地元ではロッテファンは今も多いと思いますよ。やっぱり気になるんですよね。

青木---------
スタジアムの思い出を語れるのは私たちの世代までだけど、地元の少年野球チームに「オリオンズ」っていう名前が今も残っているよね。

〇今、もし東京スタジアムがあったら?

青木---------
交通の便が良くなってるから、お客さんも結構来るんじゃないかな。球場があるっていうだけで、賑やかでいいね。
今でも、年配のタクシー運転手なら「東京球場」と言えばここまで連れて来てくれます。

大森---------
ホームランの出やすい球場だから、お客さん喜ぶんじゃない?
残ってたら、面白かっただろうなあ。

http://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/0708/