川上哲治を語れ PART2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2013年10月28日、永遠に眠る。享年93歳
通算成績:打率.313(歴代5位)、MVP3回(1941・1951・1955)、首位打者5回(1939・1941・1951・1953・1955)、本塁打王2回(1940、1948)、打点王3回(1939・1941・1955)
ベストナイン6度(1951年・1953年・1955〜1958)1953年に日本シリーズMVP
・前スレ
川上哲治を語れ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1133014743/ 元NHKアナウンサーの羽左間正雄という人が書いた「打撃の神様 川上哲治」
という本を今読んでいるがなかなか面白いな。
33ページに出ている若き日の川上の写真がとても格好いい。
バットを構えてとてもりりしい若武者のような感じで写っている。
やっぱり大スターだったんだなと感じざるを得ない特別なオーラが出ているよ。 大正生まれだから名球会に入れてもらえなかったんだよな。
カネヤンとどう折り合いを付けてたか気になるわw >>7
週刊ポストに、名球会から大正世代を排除したのは長嶋と書いてあったが、本当かね?
理由は川上と一緒になりたくないからだと。 >>1前スレ
2005.11.26〜2013.11.10 名球会より野球殿堂の方が権威あるだろ
名球会なんて私的な団体だよ、言ってみれば昭和40年会とか48年会とかいう集まりと大して変わりない 何で長嶋は川上をそんなに嫌がるのかね?
長嶋を解任したのは務台だしそもそも解任されても仕方ない成績しか出せな
かったわけだし。初年度など球団初の最下位という不名誉な記録だった。 >>12
V9戦士の衰えが誰の目にも明らかとなり若手への切り替えを決断した1980年に正力亨オーナーと
長嶋「申し訳ありませんが今年は1年掛けて若手を育てますので優勝は期待しないで下さい。」
正力「分かった。只、最下位とか言うのは止めてくれ。何とかAクラスには入ってくれ。」
との会話があって、8月までBクラスに低迷していたものの(例の週刊誌記事が出たのが丁度その頃)
9月に急浮上しAクラス3位に滑り込み、オーナーとの約束を果たしたのに突如解任という結果には
同情の余地があるにせよね......。
要は純粋に監督能力面で長嶋よりも藤田の方が上と判断し、藤田が日本一という結果を残した事で
一応ながら実証されたというのに過ぎないのでは無いかと。
川上なんて毎年日本一を逃すと首筋が涼しくなるって立場(その辺が別所殴打事件や広岡事件の
伏線ともなっている様にも)だったし、それに比べりゃ長嶋はまだ恵まれていた方じゃ無いかと。 何か新スレになってから天皇金田の名前出てたので
前スレの対決編まず最初はその天皇からやってみる
川上vs金田正一
年齢差の大きい、セリーグ開幕して高校中退で入ってきた金やんだが
当時既に球界の顔となってた川上に対して「やい哲!打てるものなら打ってみろ!」
と言ってたらしい(本人に聞こえるようなものかどうかは定かでない)
主に晩年の対決だが金田が全盛期迎えつつあるまでに川上を苦にしたという記録はない
老練と新鋭の対決は新鋭に軍配上がったのではないか?
しかしその新鋭金やんもやがて衰えくると優勝を意識するようになり
巨人に移籍して川上の軍門に下ることに・・・
巨人在籍時は起用法でいろいろ不満ありそうだが表立ったトラブルはなし
徹底した管理野球の前には天皇の口答えして勝手することが許されなかったんだろう
きっちり400勝して引退してまもなくロッテの監督になりすぐ優勝するものの
その年は川上がV10逃して辞任した年、監督同士での対決はならなかった
その後名球界など球界を川上とは違った裏の面から支配してきた金やん
成績や認知度ともに甲乙つけがたいので初めて引き分けという形を採用したい >>13
川上は日本一にならないと自分のクビが危ないからと思ってやっていたわけ
じゃないよ。
現にV9の半ばV5かV6あたりで巨人が圧倒的に強いためペナントの盛り上がり
に欠け人気がやや下がりその時点でそろそろ後進に道を譲ろうかと考えたこと
もあったらしい。
まあ、大鵬の全盛期に国技館に空席が目立ったようなものだけどな。
かえってダンゴレースになったV9の年や翌年のV10を逸した年のほうがペナント
は大いに盛り上がった。 広岡の退団の時は子供が学校でいじめられるとかあって辞めようと思ってたらしい。昭和41、42年頃。 川上の追悼本出たというのにもう過疎ってレスないのかよ
それじゃ来月のお別れ会やるまでこのままな感じでいきそうだな
てか16レスで止めるというとこは狙ってるのか?
その追悼本いろいろ書いてあったけど
誤解してたことがけっこうあった
ようはマスゴミの作った川上の印象に踊らされすぎたわw
千葉茂とのこととか青田昇とのこととか
千葉とはV9達成後に会談してるとこが載ってたけど特に犬猿の仲とかそんな感じもしなかった
川上曰く千葉はひねくれ者らしいがw
なんかそういうとこに関しては野村と姿重なるわ
青田とも青とか哲っちゃんとか仲のいい先輩後輩な感じでいたことがわかる
1リーグ時代はよく2人で野球談義したり時に当時監督の三原も交え夜遅くまで熱こもった議論したとか
けど似たような成績出した時の年棒の違いやそれによる球団との対立が川上との対立に摩り替えられ
それで大洋出てたったみたいなことになってる事実が悲しい
あとすぐ上のレスに出てる子供って長男のこと?
死んだ際に顔出しでよく出てたが・・・
その長男とV9戦士の1人柴田とは幼い頃からの顔なじみだとか 千葉は特に川上のこと嫌ってないだろ。
千葉が野球解説やっていたころ聴いていたけど川上のこと「哲っちゃん」とか
呼んで親しげな雰囲気だったよ。 >>12
川上が球団を去るきっかけの
子ども向け野球教室担当への左遷に
長嶋も一枚噛んでそうだし、
解任劇以前に確執があったんじゃない?
長嶋って巨人にしては大甘なノルマ、Aクラスで続投を懇願したり、
張本残留への口添えを拒否したり、
世間一般のイメージと異なり小物っぽい。 >>19
川上さんは子ども野球教室自体は嫌いじゃないでしょ。
巨人を去ったあと16年も続けていたんだから。 >>20
個人的な好き嫌いはさておき左遷は左遷でしょ。
何度もチームを優勝に導いた功労者への扱いじゃあない。 俺は追悼本読んだので川上を支持するわ
捏造だとか川上否定して叩くならまず追悼本読んでから
ここは違うとかここはこうだったとか言ってくれ >>21
三原脩さんは最終的に日ハムの球団社長になったけど川上さんはそういう
権力志向はあまりなかったのでは?
好きな野球の解説をしたり少年たちが健全に育つように野球技術のみならず
精神指導もした。
それで満足していたんだと思える。
ドロドロとした権力の世界は実はそれほど好きではなかったのではないかな?
終戦直後は熊本に戻り農業に従事していたほどだし権力志向、中央志向の
薄い人で権力にも執着しないタイプの人だと思ってるよ、基本的には。 だいぶ前に「遺言」を読んだが、本当に遺言になってしまった。
批判も多いが川上は日本野球の近代化に果たした役割は大きい。
投手の分業制やスイッチヒッター、打順の役割の明確化などで
常に新しい戦略や戦術を切り開いた。 川上のマイナスイメージが増幅したのは、新宮正春、玉木正之、織田淳太郎ら
長嶋狂信者のスポーツライターのせいもあるだろう。こいつらは長嶋が解任されたのは
川上のせいだと恨んでるから、話半分に聞いておいた方がいい。 >>17>>22
追悼本を購入してくれたのか。40年以上のジャイアンツファンで
川上哲治の愛好家を自称する自分としては川上を少しでも理解してくれたのは
ありがたい。
だが人間には光も影もある。困っている選手を助け、対立した相手でも支援を
求めれば相談に乗る度量と上司にペコペコ頭を下げ、部下にいばりまくるという姿。
どちらの姿も本当だと思う。
一方的にいい、悪いときめるのでなく、人間だからこういう面もあると考えたほうが
語っても話が続くと思う。前スレ約8年持った。このスレも持ってほしい。
>>25 指摘の通りだが全国的に一番広めたのは新宮正春。
川上は勝つことだけに執着し、勝利者の名誉を独り占め。ファン無視で選手からも
嫌われて危機に陥ったプロ野球を救ったのが長嶋。
長嶋は常にファンとプロ野球の未来を考えていた。権力に執着した川上とは
違う。
こう書いて、川上の一般的なイメージになった。実際どうだったかは
みんなの知ってのとおりだけど。 >>26
「上司にペコペコ頭を下げ」というのは水原に対してのことを言っているのか
ね?それはちょっと違うんじゃないのか?
川上が変わったのは大リーグの視察に行ってからだろう。
大リーグの視察で「選手は監督に絶対服従」という光景を目のあたりにして
上司と部下の関係を学んだそうだから。
それまでは水原に事あるごとに楯突いていた川上が大リーグ視察後、すっかり
おとなしく協力的になった。 新宮正春って長嶋家の犬だろ。一茂は素質が凄いから試合に使えって騒いで、起用しない野村を叩いてた。
長嶋が川上より優れている点って、新宮、柏英樹ら取り巻きのマスコミ関係者の多さだな。やっぱり
マスコミを味方につけた方が何かにつけてイメージアップに都合がいい。川上はマスコミを敵に回したのが痛かった。 長嶋は監督に向いてなかったんだよ。打撃コーチとしては
一流になれたのにミスターなんて神格化されたため監督に祭り上げられた。
ゼネラルな視点がないひとは監督に向いていません。
川上は人間としてはクズかも知れないが監督としては超一流。 >>29
「人間としてクズ」だと?
長嶋政権でクビになって長嶋に次の職場をあっせんしてもらおうとしても
相手にされなかった元コーチが川上の元を訪れたらその場で森かなんかに
電話をかけてすぐに決めてもらったそうだよ。
他球団に移る選手も自宅に招いて労をねぎらってご馳走したりと以外と
人情に厚い人だったようだがな。
「人間としてクズ」というのは言い過ぎだし川上さんに対して失礼だ。 「川上は人間のクズ」説を主張するアンチが拠り所にする『巨人軍に葬られた男たち』は、著者の織田淳太郎が大の長嶋信者な上、川上サイドに全く取材していないなど
客観性に乏しく、一方的に川上を誹謗中傷する意図が感じられる本だ。 川上がクズなことは丹波哲郎が言ってたじゃん。
丹波哲郎
「軍隊時代に上官だった川上哲治からリンチを受けていた。 終戦後に川上が
『あのときは仕方なかった』と頭を下げて廻り、巧みな処世術をするのを見たとき、
川上の本性がわかった」 スレ違いだが長嶋って屑エピソードしかないな。
義理人情や男気を見せた話ってなんかあったっけ? 織田淳太郎が何を書こうが、湯口事件での川上の発言は
マスコミ相手に語ったものだから関係ない。
「プロ選手としての心身が虚弱だった」
「良くなりかけていたのに、マスコミが追う。マスコミにも責任がある」
「巨人こそ大被害をこうむった。大金を注ぎ、長い年月をかけ愛情を持って育てた選手
せめてもの救いは女を乗せて交通事故というようなカタチでなかったことです」 >>32
その丹波哲郎自体がかなり胡散臭い存在だろ。霊感商法で金儲けしてるところは細木や江原と大して変わらん。
>>34
だから、その川上の発言のソースって織田淳太郎の本だろ。 丹波哲郎が胡散臭いことと内容の真贋は何の関係もない。
胡散臭いヤツは嘘しか言わないと思い込んでるとしたら馬鹿すぎる。
織田の本がソースだろうとマスコミ相手に話した事実が変わるわけではない。
このツッコミも馬鹿すぎる。 >>36
だから、どこのマスコミ相手に喋った発言なんだ。教えてくれ。そもそもどういう
文脈でそのような発言をしてるのかわからん限り、良いか悪いか判断できない。 >>36
お前やはりアンチ川上なんだな。
他のスレ行ってやったら?
「人間としてクズ」なんて発言自体がクズ。 誰って、川上が巨人を代表して公式に発表した声明なんだけど。
噛みつくのは構わないが、何の根拠もなく否定されてもねえw 俺はアンチじゃないけど。
川上は人間としてはクズかも知れないが監督としては超一流。
って書いてるだろう? >>35
最初に発言を載せたのは日刊スポーツの紙面。織田はそれを引用しただけだな。 追記。
当時湯口の死を比較的大きく扱ったのは日刊を含む朝日新聞系だった様だ。
朝日新聞も湯口の死をノイローゼ気味だったと掲載。 >>40
アンチと何も変わらないよ。
アンチサイドの情報を鵜呑みにしてものを言っているところがな。 まぁマスコミなんて実際言った内容と記事になった内容が違うなんてのも日常茶飯事だからな。
それを逆に利用した格好で国会議員にまで上り詰めた江本なんてのも居る訳で(w)。
>>40
言わんとしている事はよく分かるけどさ(w)。
「例え長嶋信者とかが主張する通りの人間性だとしても.....。」って事でしょ。
川上とは因縁浅からぬ関係だった広岡について田淵や東尾辺りが
「人格なんてどうでも良い。選手にとっては優勝させてくれた監督が一番良い監督」
みたいな事言っていた(これもマスコミ補正のきらいもあるけど)のを思い出した。 なぜそこで「長嶋信者とかが主張する通りの人間性だとしても・・」とか
長嶋信者の主張などを受け入れる必要がある?
全くないと思うよ。 >>41
日刊スポーツだけに掲載されたの?じゃあ公式に発表された声明ではないじゃん。
実際にはお悔みの言葉も述べていたが、>>34の部分だけを大きく取り上げて意図的に捻じ曲げられた可能性もあるね。 なんで伸びてるのかと思ったらクズどうこうの話題かw
そういや追悼本の大下と川上の話の中にもそんな言葉出てきたな
川上曰く「戦後すぐや2リーグ直後の選手には選手と呼べないクズが多かった」とか
普通にクズ呼ばわりしてて吹いたわ
けど打撃の神様レベルくらいの求道者になると多少動けないとそう言いたくもなるのか >>46
確かに川上の説明下手による誤解もあったようだし、日刊以外の掲載があったは確認していないけど、
その後読売系以外のマスコミ、特に男性向けの総合週刊誌(文春・新潮等)が
弟との経緯から川上を批判していた石原慎太郎を担いで、巨人を批判したんだよな。
もっとも、この件は川上よりも中尾碩志(輝三)による部分が大きいが。
中尾は前川八郎や鬼の武宮敏明からも著書や取材でこき下ろされている。
日刊が大きく扱ったのは、
当時記者だった佐々木紘一氏が高校時代から湯口をマークしていた経緯もあったからかな?
www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20100517/bbl1005171512003-n2.htm >>43
>アンチサイドの情報を鵜呑みにして
ん?
日刊スポーツだって>>41も書いてるしWikipediaにも載ってる
公式声明だけど。 >>44
>「人格なんてどうでも良い。選手にとっては優勝させてくれた監督が一番良い監督」
そういうこと。川上は大正力の犬みたなクズだったけど、優勝チームの指揮官として
9連覇した偉大な監督だよ。現役時代のわがままだった自分を棚に上げて、
監督批判を許さなかったというのも勝てるチームを作る上では必要なことだったからね。
川上が人間としてクズだって事実に反発してるヤツがいるけど、
人格者じゃ強いチームは作れないよ。三原マジックだって死屍累々の上に築いたもの。 wikipediaなんてかなりいい加減だぞ。誰でも書きこめるんだから。 >>50
人格なんてどうでもいいんだったら一般的に人はついて来ないよ。
あなたは「人間のクズ」みたいな人格の上司について行けるの?
そういうことですよ。 実際、自軍の選手が亡くなった時、公式の場でお悔みの言葉も述べないで、>>34みたいな
ことだけを言ったとしたら、マスコミの袋叩きに合って監督辞任に追い込まれると思うよ。
誰かが亡くなった時、表向きだけでもお悔みの言葉を述べるのは人間が生きていく上で最低限の常識でしょう。
これは性格が良い悪いという以前の問題。織田の本に書いてある通りだったとしたら、川上は人間のクズ以前に
社会不適合者ということになる。そんな人間が何回も日本一になって、球界のドンとして君臨できるかね? その事件については専用スレがあるからそちらでやれば?
しつこいよ。
「人間のクズ」とか書いている人間もアンチなのだろうね。
そういうことを書く人間の人間性こそどうなのだろうか?
それからね、アンチならアンチスレをたててそちらでやるのが最低限の
礼儀だろう。そういう最低限のルールを弁えろよ。 >>51
君がWikipediaの内容を間違いだと証明しない限り、それは「正しい記述」と判断される。
>>52
俺ならついて行かないかも知れないが、実力者に従うヤツならついて行くかもな。
長いものには巻かれろって言うだろう?
>>53
君のようなウブな人は騙されやすいから気をつけた方がいいぞ。
そんなクズでも実力さえあれば君臨できるのが世の習いだよ。
>>54
だからアンチじゃないってw
川上は人間としてはクズかも知れないが監督としては超一流。
って書いてるだろう? >>55
wikiは誰でも書き込めるし偏った記述も多いよ。
自分も書き込んだことあるくらいだから信用はできないね。
気に入らない人間についてネガティブなことを書き込んでいる連中もいる
でしょう。
ネットの言論をそのまま信じるのは危険ですよw今更そんなこと知らない
人がいるとも思えませんがねw 空気読まずに
川上vs大下弘
終戦後いきなり20本の本塁打を打った大下は川上にとっての未知なる脅威だった
そのおかげで打率がさがった時期あったが本塁打王とってからは打率も安定してきた
そして監督代わった頃のスランプから脱して.377という驚異的な打率を残す川上
しかし大下はその上をいく当時日本記録となる.383をマークしまたしても川上を上をいった
また巨人と西鉄がシリーズで対戦することになっても大下を中心とした西鉄の勝利
川上は面目丸つぶれ状態だが、追悼本の当時の対談では
大下は「川上さんの影響が大きかった」と持ち上げ
川上は「大下の元で活き活きとプレーする西鉄若武者が羨ましい」といったことを返してる
また大下は川上がライバルというより最大の目標と言っており
川上がユニフォーム脱いだ1年後に有言実行とばかりに大下も脱いだ
監督同士では対戦することなかったが、こればかりは雲泥の差が出てしまった
藤村、西沢のように同じリーグの終生のライバルではないが川上を語るにおいて外せない
青バットの大下
この対決は稀代のスラッガー大下のほうに軍配をあげることにする >>56
そんなことくらいは知ってる。正しいものもあれば間違いもある。
全て間違ってるわけじゃない。当該箇所が間違いというなら証明しろと言ってるだけ。 >>35
軍隊時代の話は、丹波先生だけじゃないだろう?
軍隊時代は人間の屑だったが、歳をとるうちにだんだん人間もできてきたって感じじゃないの? >>57
大下さん早死にしたよな
脳梗塞だか脳の病気で倒れてからリハビリうまくいかずに最後は致死量の薬飲んで
自殺みたいな死に方したというのが何とも・・・
戦後のヒーローの1人なのに、しかも当時のガキんちょには赤バットより青バットのほうが断然人気あったようだし
勿体わ
思えば川上と長きに渡りライバルだった人達はなぜか早死にしてしまう
友であり高めあったライバルでもある吉原さんの戦死とエースと4番同士の立場だったスタルヒンの事故死はともかく
大下さん、西沢さん、この人達も早い
藤村富さんは90年代まで生きたけどそれでも早い気がした
ライバルでいうなら茂やん哲っちゃんと言い合った千葉茂さんの00年くらいが一番長いか?
高校やプロでもあまりクローズアップされてないが、幾多の名勝負があったはずであろう
野口二郎さんも含めたらたぶんこの人が一番長生きしてるはず 川上自身が述べたことはほぼないだろうけど
若林忠志って阪神初代のエースも若くして亡くなってるな
プロ野球創設時からいた川上よりも先輩格にして阪神初代エース
1リーグの頃はバリバリ対戦してたんだろうが
七色の変化球という投球に対して打撃の神様はどう攻略してたんだろな・・・
ちなみに先の追悼本では対戦して打てそうにないと思った投手はエース若林でなく
西村幸生の名前をあげてる(若い頃ならという前提だが)
実働年数少なすぎでピンとこないが初代巨人キラーと言える人 【熊本】“打撃の神様”川上哲治さんに県民栄誉賞11/20 18:45 更新ttp://www.kbc.co.jp/top/news/lbi/kbc_0009.html
「打撃の神様」の偉業がたたえられます。
熊本県は、先月93歳で亡くなった人吉市出身の元プロ野球選手、川上哲治さんに県民栄誉賞を贈ることを決めました。
川上さんは、プロ野球の巨人で「打撃の神様」としてファンに親しまれ、監督としてもV9を達成しました。
県民栄誉賞は、川上さんで8人目です。 今までの受賞者と比べても川上さんの実績がずば抜けている
V9辺りで受賞すべきだったし、もう遥か昔に受賞してると思っていた 今月発売の新潮45の坂井保之氏の「川上さんが遺した哲学」は必見。川上に対する
見方がかなり変わると思う。
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/newest/ 川上哲治氏お別れの会ttp://www.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/5003483381.html?t=1386025946424
プロ野球の巨人で現役時代「打撃の神様」と呼ばれ、ことし10月に亡くなった川上哲治さんのお別れの会が、
東京都内で営まれました。
川上哲治さんは熊本県生まれで、戦前から巨人の4番として活躍し、昭和31年にはプロ野球史上初の通算2000本
安打を達成するなど「打撃の神様」と呼ばれました。
監督としても前人未到の日本シリーズ9連覇、いわゆるV9を果たすなど球界に大きな足跡を残し、ことし10月28日、
93歳で亡くなりました。
お別れの会は2日東京都内のホテルで営まれ、V9時代の中心選手だった長嶋茂雄さんや現役時代に名勝負を繰り
広げた杉下茂さんなど球界関係者を中心に多くの人が出席しました。
会ではまず出席者全員が黙とうをささげた後、巨人のOB会会長の王貞治さんが「バッティングを追及する姿は今も
後輩たちに進むべき道を示しています。9連覇は川上監督でなければ成し得なかったと言い切れます。
野球界に残された大きな影響力はこれからも生き続け、野球ファンの間で長く語り継がれるでしょう」
とお別れの言葉を述べました。ttp://www.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/5003483381_m.jpg
そして遺族を代表して長男の川上貴光さんが「これまで父が縁を頂いた方に集まって頂き父をしのんで昔話をして
下さったことは、人の心のつながり、家庭の輪、チームの結束を大切にした父の本望です」とあいさつしました。
祭壇には巨人の帽子をかぶっている川上さんの笑顔の写真や、バットやユニフォームなどゆかりの品々が飾られ
参列者全員が順に花を供えて川上さんをしのんでいました。12月02日 18時32分 知られざるエピソードを織り交ぜて語った長男貴光氏の謝辞が良かったね。
監督としてあまり結果を出せなかった昭和30年代の終わり頃はマスゴミに
相当叩かれて奥さんも大変みたいだったな。難病を患って入院し川上さんも
奥さんの病状を慮って監督を辞する決心までしていたとは・・。
口数は少なく気の利いた喋りもできないけど奥さんや子ども思いの良き
家庭人でもあったようだ。
まあ、そこで辞めていたらあの空前絶後のV9もなかったわけだが・・。 川上さんが小林繁やプロレスの高田が結成した
「新党さわやか」の黒幕的な存在として
報道された事が、文化勲章まで届かなかった理由
として考えられるのではないか。 >>77
この記事許しがたい物があるな
普段はこいつの記事緩く笑って、流しているけど
今回は酷すぎる >>78
たしかにひどい記事だが枝葉の部分はともかく、派閥を作ってはみ出した奴
気に入らない奴を追い出したというのは川上が監督だったときにさんざん
マスコミから言われたことで江尻もそのひとりということだと思う。
実際、川上が気に入らないから追い出したのは広岡と城之内の二人だけだ。
そのふたりも本人にそうとう問題があったことは確かだ。
派閥を作って読売の意光を傘に黒幕として君臨している。よく言われたことだが
何の根拠もない。川上は実際にはそんなに権力に執着していなかったと思う。
むしろ終身名誉監督になった長嶋の方が読売にすり寄っているように見える。
しかし、江尻の記事は相変わらずメチャクチャだな。だいたい、王が巨人の
選手をコーチに呼ばなかったのは川上の教えなんだが。
晩年影がうすかったのは権力に執着していないからだし、そもそも、監督として
ONが川上を超えたというのは単なる老害を自覚していないだけだと思うが。 >>79
おおむね同意
王が外部からコーチを呼ばなかった部分なんかは王がダイエーの監督をやる遙か昔からそういうことはしない方がいいと川上が語っている話で勉強不足も甚だしい
ただ長嶋にすり寄ってるのは読売でしょ、その目的も功労者長嶋に対する尊厳と言うよりは巨人が球界を引っ張っていくための武器=長嶋から松井秀喜への継承の為の
長嶋はそんなに馬鹿じゃない、今の満足に口も利けない、バットも片手でしか握れない自分がファンの期待に応えられていない事はよくよく自覚しているよ、なのに渡辺恒雄と安倍晋三という二人の妖怪が身勝手な欲望の為に気の毒な老人を引っ張り出してしまっただけ >>83
監督で成功する以前の川上の人生は結構興味深いけど、川上の話なんて死ぬほどつまらないよ >>30
8時半の男、宮田が川上を訪ねた時、即座に西武の根本管理部長に電話してコーチ就任を依頼したとか
「川上」に依頼されれば誰でも言うことを聞く、という重みのある存在だったからとも言える。
また牧野コーチを登用するなど、能力有る人間をOBで有る無しにかかわらず用いたのは新しい感覚だった
彼が開拓した新しい戦術、起用法などがV9に結びついたことは想像に難くない
その一方、与那嶺を解雇したり容赦ない面もあった
別所、堀本など個性豊かな選手とは合わなかった
広岡との確執は別の理由だったろう。広岡野球=川上路線踏襲、だから野球ではなく性格的なもの?
川上はかなり記憶力に優れ、頭の良い人間だった
それに比べ、長嶋はアバウトな人間、監督には向かなかったね
原はフロントが支えてる感じだね 1996年頃の週刊ベースボールによると、川上に代わって藤田元司が新たな球界のドンになっていたらしい。
その藤田も川上より先に亡くなったし、現在は球界のドンにふさわしい存在が見当たらない。 >>39
中日の加藤が交通事故で爆死した件も絡めての質問だったんだよ www.webdoku.jp/tsushin/2013/10/31/120000.html
川上野球について書いてある V9時代 巨人軍左腕は高橋一三、新浦寿夫以外誰か居たかな?
V9時代日本シリーズで新浦は登坂なし
もしかして高橋一三が衰えるまで新浦を育てる気は無かったのか?
ノーコン時代の新浦の速球だったら、全盛期の堀内高橋一三の球速と遜色無いのでは…
だったら敗戦処理で将来の日本シリーズのために使うべきだったと思う ベースボールマガジン『ジャイアンツ80年史』という本で、
川上が「王、藤田ときたから、次は国松あたりで」と言って、ナベツネに「君の話はもういい。長嶋君を戻す」
と一蹴されたと書いてあったが、本当かね? 今の選手のほうがレベルが高い、と断言し続けた川上
金やんとは対象的
長所も短所もあるが野球については功績最高クラス >>95
三宅久之はテレビで、ナベツネから直接聞いた話として、川上は広岡を推していたと言ってたよ。 青田「哲 俺も野球辞めて農業やのうかと思うちょるんだが」
川上「肥は濃さが重要なんだ (ペロッ) お前もちょっと舐めてみろ」
青田「・・・・ 今NHK総合でやってる川上V9の特集って土日にBSでやってたやつか?
どうせなら川上個人の特集が見たかったな
藤本定義や藤本英雄や中島や三原や水原との選手目線での監督との関係性
同僚の青田や千葉や別所や中尾や与那嶺との関係性の掘り下げも見たかった 2015年03月11日(水) 21:00〜22:54 BS朝日
昭和偉人伝 2時間スペシャル 『川上哲治・辻静雄』
ttp://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/
>日本野球発展に尽力した名指導者・川上哲治と日本の食文化の礎を築いた辻調理師専門学校創設者・辻静雄。
>それぞれの世界の発展に貢献した2人の知られざる姿と功績に迫る! まあ川上は野村・落合・イチローに連なる悪役で、あくまでも主役は大下・長嶋・山本浩二・清原だよ。そして脇役が飯島・王・衣笠・秋山となる。 打撃は「神様」だけど、守備は「仏様」のように動かなかった。
というレスを昔読んで爆笑した。 打撃の神様・川上哲治は打撃の神様でもない。 「過大評価の典型の一人」
打撃の神様と形容される打者に
川上哲治がいます。
戦前・戦後の巨人で4番を努め
日本プロ野球初の2000安打を達成した打者です。
しかし、打撃成績を見る限り、「神様」と形容するにはあまりにも行き過ぎなように思います。
客観的に分析・証明してみます。
以前書いた打撃3冠総合指標
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-11606452590.html
打撃の神様と言われる川上氏の
打撃3冠総合値を弾き出してみます。
(0.313・1000−41.4・10)+(0.157・1000)
=56
打撃3冠総合値・・56
左打者で7500打数消化し、通算打率は0.313を残しています。
そして、打点はご覧のとおり、良いペースで、かなりのクラッチヒッターであったこともわかります。
しかし、本塁打ペースが41.4という非常に悪い結果が出ており
41打数に1本 即ち
1試合4打数あるとすれば11試合に1本
110試合に10本という、お世辞にも打てるとは言えないペースです。 打率は良い、打点ペースもそこそこ。
しかし、それを打ち消すかのように、極端に
本塁打ペースが弱い。
川上のような打者が
なぜ打撃の神様と形容されるのか、不思議でなりません。
なぜ???
日本プロ野球史上初の2000安打達成打者だから?
7500打数で通算打率0.313だから?
首位打者5回獲ったから?
3割回数13回だから?
川上哲治氏が打撃の神様と誇張して言われるのは
安打数や打率のところだけを見て
ああだこうだ言われているだけのような気がしてなりませんけどね。
上記リンク先でも分析しているように
同時期に活躍した、藤村富美男や大下弘のほうが総合的に能力は高いです。
川上哲治を持ち上げるなら、同時期に活躍した2人を持ち上げたほうが有意義です。
そういう能力的に川上哲治より上の打者を差し置いて
川上哲治=打撃の神様
と形容するのは、あまりにも行き過ぎた行為だと指摘したいです。
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-12042556902.html 張本が現れるまでは通算打率日本一だったから
そこが大きいでしょう。
全体の平均打率が低い時代に突出していた。 川上は神様じゃないよ。
本当の打撃の神様は
大下だね。
ホームランが、
平均十二本ぐらいの時代に、
二十本打ってる。
ボールを遠くに飛ばす才能は史上最高だった。 川上哲治氏も大下弘氏も子供大好きみたいだね。子供好きに悪い人はいない。人間として尊敬するよ。 昭和30年代の初めまでは、通算本塁打数は、
1位 青田 265本
2位 小鶴 230本
3位 藤村 224本
4位 西沢 212本
5位 大下 201本
代表的な長距離打者でもこのくらいだった。
通算本塁打181本の川上は、決して少ないほうではない。
かつてはアベレージヒッターが四番を打つケースも多く、川上はその
突出した存在であったと言える。 >>119
あれは最初から川上批判ありきの本だから、話半分に聞いておくべきだと思う。 湯口の件で批判されるのは川上よりも中尾碩志の方だろうな。
あの鬼の武宮敏明ですら湯口の件では自著で中尾を批判しているし、
自分が寮長を離れていて関わりが少なかった事をも悔やんでいた。 川上監督は少年の打撃指導するのが上手かった。
親孝行の大切さも教えていた。 20勝・3割を計算できるのは藤田・長島のみの戦力でドジャース戦法を導入したのはいいけど、
王がとんでもないレベルに育って、柴田高田らが出てきて、
投手も城之内堀内高橋一三と揃ってきたんだから、ダイナミックな戦法に鞍替えすれば良かったのに。 柴田、高田、黒江、土井などは名選手なのだが、強打者とまでは言えない。
V9巨人は、松竹や大毎の全盛期のような強打者が並ぶ豪華打線を組む
には至らなかった。特に五番打者が安定しなかった。末次が育ってきたころ
には長嶋が衰えて、ONすら不安定になってきた。
それでいて勝ち続ける任務を背負った川上監督は、打線全体として力を
発揮する野球を続けるしか仕方なかったのではないか? BS朝日 7月14日(木)19:00〜20:54 ザ・ドキュメンタリー「伝説の名監督 川上哲治〜王・長嶋が今語る!不滅のV9秘話〜」
番組では王貞治氏、そして長嶋茂雄氏にインタビューを敢行。
「ON」は川上哲治という人間をどうとらえていたのか?
さらに柴田勲氏、黒江透修氏らV9レギュラーメンバー、さらに数々の名勝負を繰り広げた星野仙一氏、野村克也氏などライバルたちの証言から浮き彫りにし、9連覇を成し遂げた川上ならではの人心掌握術に迫る。
ttp://www.bs-asahi.co.jp/documentary/ 当然知られた内容も多かったけど、それなりに興味深く見たわ。
長嶋があれだけ川上について語るのを見られたのは貴重じゃないかな。
野村や星野が監督としてのお手本等評している中、
お兄ちゃんみたいだっていうのも何か可笑しくて良かった。 巨人の星でやたらと人格者として描かれたのは球団の協力を得るにはそのほうが
都合よいから? 川上・藤村・大下・小鶴が凄いのは食料・薬物・器具・ウェアが皆無でスポーツ科学が確立していない時代に
独自のトレーニング法を編み出してあれだけの成績を出せた事
ドーム球場や150後半の速球派が多い過保護で弛んだ今でも十分通用出来る >>122
著者の織田淳太郎は藤田の日本一は全部長嶋遺産のおかげと抜かす基地外長嶋信者だしな。 九州の鉄道の調査していると、人吉行きたくなる。
川上哲治球場を見て、球磨焼酎でも飲めたらね。一度、博多から宮崎への高速バスで通ったが。熊本からも鹿児島からも離れていて、よくこんな土地からあれだけの人が出たもんだと思った。元阪神ーオリックスの野田浩司の多良木もこの辺りだよね。 昔は夏になるとNHKで川上哲治の野球教室を必ず放送していた。 川上は選手時代は自分勝手だったのに、自分が監督になると選手のわがままを
許さなかったw >>138
過去の自分を反面教師にしたんだよ、きっと >>138
広岡、落合も同じだね。ただし、3人ともわがままは許さなかったが
監督としての責任は取った。これができない表面だけ真似た連中とは
ちがう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています