平成元年の巨人軍を語るスレ
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斎藤 20完投 20勝7敗 245イニング
桑田 21完投 17勝9敗 249イニング
槙原 14完投 12勝4敗 159イニング 巨人はロッテより弱い と言ったとされる発言に固執して、近鉄を悪者にしたてあげようとする態度が、権力による弱いものいじめで嫌いだった。 駒田が怒っていたね。おもしろいのはその2年前の日本シリーズで「西武はたいしたことない」と言って工藤を本気にさせてしまったのが駒田。 槙原 17先発4救援 150.2イニング 14完投 12勝04敗4セーブ 防御率1.79
斎藤 30先発0救援 245.0イニング 21完投 20勝07敗0セーブ 防御率1.62
桑田 30先発0救援 249.0イニング 20完投 17勝09敗0セーブ 防御率2.60
合計 77先発4救援 644.2イニング 55完投 49勝20敗4セーブ 防御率2.0382 あまり固定メンバーでなかった気がするが
1三 中畑
2遊 勝呂
3二 篠塚
4左 原
5中 クロマティ
6一 岡崎
7右 駒田
8補 中尾 6番岡崎 7番駒田がいいところで打っていた
クロウはもはや神の領域 あんな外人2度ととってきそうもないw
今年もよくわからん外国人きたね 呂が変わりに一時期出てきたけど満塁でピッチャーゴロとかww全然ダメだった。 今みたいな補強つぎはぎでなく、迫力はなかったが、最終的に負けたって試合ばかりだった
試合巧者でもなかったが、やはりピッチャーが良かったからまとまりがあった 噛めばカムほど味がでる
まあ落合中日みたいもんだな 第2次藤田巨人で見てて面白かったのはこの年だけだった。 駒田の満塁ホームラン
有田のサヨナラタイムリー
ああスルメ野球やなあと感じた瞬間だった 井上真二が1ヶ月ほどブレイクした年。
キーオでおわた 川相は打率がすごい低かったのに2番に固定されてた。 >>18
この年小学生だったが周囲の野球熱も高かった
なお翌年から急低下 アニメ「童夢くん」とタイアップしてたな
そしたら見事に日本一になった
アニメ的にも最終回を巨人優勝シーンで終わらせる事が出来て万々歳だったな 井上が順調に来たら、松井も落合もなかった気がする
吉村もだけど肝心なときに怪我する 斎藤雅(読売) 30先発(30登板) 245.0回 防御率1.62 20勝(07敗) 勝率.741 20完投 奪三振182
西本聖(中日) 30先発(30登板) 246.2回 防御率2.44 20勝(06敗) 勝率.769 15完投 奪三振096
桑田真(読売) 30先発(30登板) 249.0回 防御率2.60 17勝(09敗) 勝率.654 20完投 奪三振155
阿波野(近鉄) 28先発(29登板) 235.2回 防御率2.71 19勝(08敗) 勝率.704 21完投 奪三振183
この年から沢村賞の選考対象はパの投手も含まれるようになって競争率単純に2倍になったが
全7項目クリアの斎藤雅の大ブレイクがなければ、選考は6項目クリアの西本・桑田・阿波野の3者でもめたかも
それにしても130試合制でこのレベルの争いはすごい
この年の斎藤雅はMVPまでかっさらってもおかしくないほどの成績 >>10
当時2ちゃんがあったら高田ヤクルトや野村広島みたいなわんわんおスレが立ってたよな。 中尾のトレード相手は西本だった
藤田と星野は師弟関係 キャンプで1、2塁間にロープを張って右打ち練習させてた。 先発投手陣は完投ばかりなので、基本的には抑えが要らないチームだった。
それで鹿取の出番が減り、西武へのトレードに繋がったな。
でもこの年は広田が一応は抑え役を務めてたな。 藤田って不思議にツキがある。たまに白幡とか使うとポテンヒットとか。 鹿取放出は痛かったな
西武黄金時代を手助けしてしまったし
後々思えばリリーフがたりなくて苦労することに
>>33
鹿取とのトレードで獲得した西岡は、移籍一年目(1990年)はそこそこ働いたけど、
それ以降はイマイチだったし、そう考えると鹿取放出は勿体なかったね。
ただ、鹿取本人にしてみれば西武に行って良かったんじゃないかな。
あのまま巨人に居ても、先細りだったかもしれないしね。
ちなみに、この年(1989年)は角も日ハムに放出したね。
つくづく、リリーフ不要な体制だったんだな。 >>31
全試合の半分強を完投とか今からしてみればめちゃくちゃだよな >>34
水野とか、ちと位置付けが曖昧ではあったけど
そういう投手もいたからね。
>>32
そのツキも、90年シリーズ以降は急激に低下したというか…
色々と巨人独特の政治の世界があったと今になってなら分かるんだけど
実際のところ後期はしんどかったんだろうねぇ。視聴率主義に走った日テレのネガキャンも半端なかったし。
抑え投手の育成も、第二次後期には切実になってきつつあったんだけど
石毛とか、ああいう気弱な投手は監督が藤田のままなら、もう少しなんとかなったんではないかと思える。 92年の前半の低迷のときはネガキャンがはんぱなかったな
視聴率回復は長島しかないという流れになったんだろうか ツキを呼び込む試合のリズムの良さはあった
試合が早く遅くのリズムでなく、野手とピッチャーの連携が本当に良かった
試合が長くてもダラダラしてなかった
それがツキを呼び込んだと思う 中尾の獲得は、本当に藤田さんらしいなと感じた
藤田さんはまず、ストイックだけど群れない西本さんをどうしようかと考えた
確かに西本さんはドラフト外で、負けるな根性で開幕ピッチャーを勤めたりしたが半面、野球に必要なチームワークが薄かった
江川は色々言われるが、派閥でもチームワークの現れ
ドラフトの紆余曲折が仲間を作るとなったのだが
でキャッチャー山倉のさぼり癖
これも警戒した
山倉に刺激を与え、村田の教育係として目を付けたのが中尾だった で藤田さんとはNHK時代の師弟関係である星野に連絡した
西本なら、個性的である意味星野の現役丸写しの西本なら合うだろう
その代わり中村が成長し外野手しかしなくなった中尾を再生させるためにも欲しいと
星野は手を挙げ賛成した
中日も、小松以降近藤や上原が伸び悩んでたため恰好の教科書に西本はなれると踏んだ
でトレード成立
かと思われた
しかし西本は、巨人が好きだ
中日なんて行きたくない
来年やれる
と言ったが藤田さんは、中日なら江川はいない
巨人だと江川がいる
と説得し成立 中尾も西本も、溶け込むのに時間はかからなかった
元々個性派揃いの練習熱心な中日に、西本はピッタリだった
で巨人時代になかった仲間まで出来た
で20勝
一方中尾も、今までの巨人キャッチャーになかった内角攻めで、斎藤や桑田が成長
さらには出番が少なくなった山倉がさぼり癖が減り、村田の後々正捕手になる教科書が中尾のリードで出来た 中尾西本交換がなければ、89年や90年は中日だったかも。
西本は、88年に桑田が開幕ピッチャーになったのを相当悔しがった
東京ドームこけら落とし最初で、しかも江川引退の後だけに間違いなく自分だと思った
ところが桑田
秋のキャンプに手応えをつかみ、来年こそ藤田巨人開幕ピッチャーをやろうと必死だった
しかし藤田さんは、西本のストイック過ぎる性格が、どちらかと言えば仲良しグループの巨人投手陣に合わないと見た
しかし西本は、来年15勝てますと残留を希望した
そこで藤田さんは
『巨人再生のために捨て石になってくれ』
捨て石と言う言葉に西本は愕然とした
でトレードを受け入れた
しかし中日は、本当に西本に温かかった
宇野が麻雀に誘ったり落合が遊びに誘ったり
これで西本は一気に溶け込んだ 前年8勝しかしてないのに開幕投手になれると思ってたんだw 江川引退で定岡も加藤もいなくなったんだから、桑田より西本だろ
87年も開幕完封なんだし 広島の大野はこの年も防御率1点台だったのか。凄いな。 >>43
西本がいなけりゃそれこそこの年の中日は困るだろ。 >>45
江川がいないなら俺と思うだろう
あのころの桑田なんてまだヒョッコとしか見ていなかったと思うし まあ江川や定岡もいなくなり、斎藤、槙原、桑田と一気に若返った投手陣の中で
西本が居座り続けても浮くだけだわなぁ。 放出した投手が移籍先でいきなり20勝でそれが原因で
自分とこが優勝できなかったとかなったらけっこうみっともない
斎藤が20勝してくれてかつ優勝もできてよかったな
面目は保たれた 西本のストイックさは、巨人だと一匹狼扱いされたが、中日の若手投手陣にいい影響をもたらした
代表が当時若手だった今中であり山本昌
で一気に若返った巨人投手陣で、一番年長者の斎藤に自覚が生まれた 槙原(26)
宮本(26)
斎藤(25)
水野(24)
香田(24)
桑田(21) 今中や山本昌の成長には、西本は入って来ると思う
斎藤の成長は、中尾は入って来ると思う 後半に宮本が出て来て、凄いピッチングをするのを見て、
いつの間に豹変した?と驚いたな。
これでピッチャー陣に幅が出た リーグ優勝と日本一の胴上げ投手は宮本だったね。
宮本が一躍脚光を浴びた年だった。
香田もこの年に台頭した。
香田といえば、やはり近鉄に3連敗して後が無くなった日本シリーズ第4戦での完封が光るね。 そして更に意外な?木田の台頭も。
でも若い陣容だったんだな。90年シリーズでは、勧善それが裏目に出た感じだったけど。
藤田さんも、どうする事も出来なかったんかな。 宮本は新人時代の凄いカーブが見られなくなったのは残念だった。 >>33-34
鹿取はこの年は思い出すような間隔でしか登板しなかった。
結果、肩を休めることができて、それが西武での活躍につながった。
トレード成立時に堀内がそう予言してた。 結局先発至上主義の反面
中継ぎや抑え軽視だったツケが、連覇以降の不振につながったんだな
で石毛が台頭してきた92年中盤から後半にかけて、また勝ちだした 斎藤の例ではないが
石毛も、藤田政権が続いていれば大成したかもしれないな。 結果論になるけれど、先発至上主義の反動を考えたら、保険の意味でも
鹿取を残しておくべきじゃなかったかな?
年齢的に限界と見たのか、是が非でも西岡が欲しかったのか。 藤田政権が続いてたなら、松井も落合も来ない
多分ずっと生え抜きで原は4番のまま
そう考えたら、あれが潮時だった気がする
石毛橋本の方程式って遺産も作った訳だし >>63
ねえよ
石毛は92年に投げすぎた
あれで実質終わってる
93年は橋本出てきてイニング少ないくすんで活躍できたが
球威はすでに落ちてた
藤田が続いたら橋本を抜擢したかどうかびみょうなんで
石毛の負担はいまだ大きかったはず 監督引退当時、既に
「このチームは、このままではいつか駄目になる」と言ってたから
現在の惨状は予想していた事かと >>12
クロウは今にして思えば、王監督への最高のプレゼントだったね。
まあ、それをフルに生かせたかどうかは別にして。
巨人の外人獲りの駄目さ加減はここんとこ更に勢いを増してきたな。
ボウカー?
今思えばトマソンなんか、巨人にしては良い外人だよな。 名前は忘れたが、クロマティもスミスもスカウトは一緒だった
そのスカウトが何かでクビになってから、ほとんど失敗の繰り返し この年、藤田ではなく広岡が監督になってたら、どうなっていたかな?
広岡は理論は藤田よりは上だが、人心掌握はイマイチだからな。 森がいない広岡はきついかもしれん
特にバッテリー面で >>70
この前後の外人はそれなりの結果残してるね。
カムストック、サンチェ(故人)もそうだし、前のホワイトもそう。 俺がヤリ逃げで有名な河内勝澄@エンザントレイズだ。
客をだまして金をパクるテクニックを教えてやるぜ。
人をだまして、うまく逃げ切るテクニックを教えてやるぜ。
人生は楽しんだもん勝ち。
だまされたバカどもがいいカモだ。
俺のテクニックを教えて欲しけりゃ連絡よこせ 仲良しクラブっぽかった巨人だけに、広岡は不向きだったと思う
ただ次が長嶋では無かったと思う
ナベツネが実権を握った故の人選
務台辺りなら、広岡もあったと思う >>63
先を見据えて、とはいうけれど
やっぱりその場その状況での状況で動くことになってしまうからねぇ。
たら、ればで斎藤、槙原、桑田…という完投できる投手があんなに居なければ
鹿取を残すとか、リリーフ陣の扱いもまた色々と違ったんだろうけども。
第一次の時も角という存在もあったけど、やはり基本は完投主義。
それが王に切り替わってから、藤田の頃ほど完投できなくなって継投という問題を突きつけられ
えらく困ってたわな。ピッチャーカトリが流行語になる位で。
>>71
まあ王までのつなぎという前提を考えたら、広岡という芽は薄かったんだろうけどねぇ…
まあでも管理野球に徹すれば当時の陣容なら、藤田が日本一1回、リーグ優勝1回、2位1回のところ
日本一2回、リーグ優勝1回位にはしてそうだけどな。
何よりも、あそこまで西武が最強となる事なく後々、巨人も苦しまなくて済んだかもしれない。 広岡巨人 vs 森西武の骨肉の闘いは観たかったねえ。
管理野球で巨人を再構築して、かつて自分が育て上げた連中が主力の森西武最強軍団と激突なんて
なかなか見ものだ。 広岡だとどんな野球しただろうね
原とか中畑はめちゃキャンプでしごかれそうだな もし平成元年に広岡巨人が実現していた場合のスタッフ予想
監督・広岡達朗
ヘッド・黒江透修
投手・宮田征典
高橋一三
打撃・長池徳士
松原誠
内野守備・近藤昭仁
外野守備走塁・松本匡史 松本は楽天コーチ時代にノムさんに高い評価を受けてたね 巨人はロッテより弱い、あれっていつだった?
一言も言ってないのに当時自分はそれを信じて憤慨してたわ 中畑辺りは反旗を翻しそう
東尾みたいに
原は割と切り替えがうまいから、石毛みたいにうまくやりそうな
少なくともショート勝呂はないな
キャッチャー 中尾
ファースト 中畑
セカンド 篠塚
サード 原
ショート 川相
レフト クロマティ
センター 緒方
ライト 井上
あたりか
1緒方2川相3クロマティ4原5駒田6中畑7中尾8井上 >>82
>松本は楽天コーチ時代にノムさんに高い評価を受けてたね
ヘッドとしてまったく使い物にならず、
格下で経験もない橋上にとって替わられたが。 >>86
えっ、マジですか。
楽天監督就任直後のミーティングとかで松本の野球理論に感慨受けたとか言ってたの
になあ。 >>85
原をサードのまま置かなかったかもしれん。
でも藤田でなければ斎藤の覚醒もなかったろうし、宮本や香田の台頭も考えにくい。
結構、苦しいことになってたかもしれないな。広岡時代の西武、まだ割とムラがあったし >>85
中畑は、1年早く前倒しで辞めてたかもしれんな。
でも藤田と同じような結果になってたかもしれないとも思う。
それだけ森西武は強固なものがあったし、広岡もヤクルトでの実績があるけど
一時のカンフル剤的なもので、チームを強くするのはというと… >>71
広岡は、ヤクルトとか黄金期以前の西武とかなら上手くやれても
巨人のように常に衆人環視のキツいチームでは、簡単に理論にボロがでそうではあるな。
広岡と藤田は、野球理論は大して変わらない
守りを大事にし、基本に忠実を求めるのは
結局束ね方の違いだと思う
強権発動の広岡と一蓮托生の藤田
だからそんなに変わらない結果になるかもしれないが、原のコンバートはないと思う 広岡は強権発動による選手の反発感を煽らせ、勝てるチームにした
ヤクルトや西武は
ただそれは、反発する位の野性味や荒々しさがあってこそ
東尾や大杉みたいな、一癖ある選手がいてこそだった
どちらかと言えば、大人しいお坊ちゃんが多かったジャイアンツだけに、萎縮の可能性も否定は出来ない あの時代だとチーム内部からの反発は勿論、
OB連中に思いっきり足引っ張られる可能性も大だろうしな。
巨人の監督だとさすがに一筋縄ではいかないと思うわ。 西武だとOBはいないようなもんだしな
巨人だと対立してた川上が邪魔してたかと
野球の川上、水泳の広橋、相撲の北の湖は早く死ねって感じだ。
老害晒しすぎだろ。 6番岡崎、7番駒田だったかこの年は。
この二人はあまり左を苦にしなかった記憶がある。 この年に近鉄は野茂をとるわけだがくじ引きで前の7球団がみんなはずれって凄いよな。 阿波野と野茂と小野で巨人の3本柱に匹敵するかとおもってたら阿波野がすぐ劣化した このシリーズ優秀選手賞だった阿波野と香田が、
後に相手チームに移籍するんだから分からんもんだわ。 阿波野は優勝して燃え尽きた感じだったな。優勝への意気込みが凄かったからな。 アニメのどうむくんの方は西武との日本シリーズだった。 >>59
88年終盤にスクリューボールで大ブレイク。この年ヤクルト尾花投手の代役で初の球宴にも選出。 原をレフトにした意味がわからん。サードなんて取って投げるだけじゃん。 原はアキレス腱が悪かったから下半身に負担がかかる内野はきつかったよ (右)緒方
(遊)川相
(二)篠塚
(左) 原
(中)クロマティ
(三)岡崎
(一)駒田
(捕)中尾
(投) ―
こんな感じだったかな?少し迫力不足だけどあの投手陣だからねえ…、余裕だわな。 >>99
お前みたいな負け惜しみ言うやつ必ずいるよな笑 すいません。
辰徳はこの時点で、既に不倫済みでしたw 松田雄作が亡くなった歳だな。
亡くなる数日前に病棟で日本シリーズを見ていてお医者さんに原がホームランを
打つよと言って予想通り満塁ホームランが出た話が印象的だった。 王さんは気を使って原を4番で使い続けたけど吉村で固定したほうがよかったな人気も負けてなかったし。実力は上だったんだから。そうすればもっと優勝できた。 吉村なら毎年 打率320前後 30本前後ぐらいに勝負強さも発揮できた あんな事故がなければ >>116
入団5年目くらいまでのヨシノブ。
ただし、吉村は86年ごろから事故の影響とかで守備(肩)に不安があった。
打では勝ってるけど、送守ではヨシノブが圧倒勝ち。
ヨシノブは当時はGGの常連だった。
この年は前半はガリクソンもいて4本柱だった。
後半開始で槙原がリタイアして、前半の独走ムードが怪しくなった。
で、穴が開いたローテに宮本と香田が入って翌年に。 外国人選手が皆口を揃えて怖いバッターだと言っていたのが吉村。
中でも郭泰源が日本シリーズで何処に投げても打たれるような気がして怖かったと
話していた。 この頃の巨人は
1番打者とショートが固定できないのが悩みの種だった。
松本と河埜の次が出てこなかった。
88年当時の、やくみつるのマンガで
勝呂のショートをベンチで岡崎とジュンキが眺めてる
その後に後ろにいて、川相がその背中を見てる
なんてのがあった。
ショートだけ固定してなかったから、ベンチに控えが多かった。
当時の川相はスイッチをやったり外野を守ったり。
結果的に最下位が4人抜きでレギュラーに。
89年の日本一は斉藤と川相の存在が大きかった。
その後はサードが固定できなくて、結局、江藤まで不在。
1番は仁志まで。
考えてみたら、原から自前のサードは出てきてないね。 ショートだけは川相ー二岡ー坂本と隙間がないが
1塁 2塁 3塁の生え抜きは乏しい 巨人も阪神と並ぶ外様依存症球団だからなw
昔は純血&生え抜き中心だったのに、外人マンセーになってからは有望な生え抜き若手の芽を摘んだもんな。 >>115
その事故で駄目になったもうひとりの栄村というのも、やっぱり有望だったの?
>>124
足のスペシャリスト。
いまの鈴木よりもしかしたら速かったかも。
ただこの事故で落ち込んだのか這い上がることはなかった。 栄村には中傷の手紙とかたくさん来て大変だったそうな
そりゃ落ち込むよな 将来の巨人の4番の有望若手の選手生命が実質終わったんだから まぁ怪我さえなければ、吉村は間違いなく球史に名を残す選手になったからな。
広島の前田とともに残念で仕方ない。 >>125-126
「東京ドーム元年」だから一軍抜擢されたってことある?
つまり広い球場だから、脚の野球を、ということで。
>>127-128
ケガさえなく、順当に行っていたらのちの落合獲得とかもなかった? >>129
栄村は、同型の選手が少なくて恵まれた印象。
バッティングはとてもじゃないが一軍レベルにはなかった。
吉村が順調だろうが何だろうが、獲れるものはガツガツ獲るでしょ、巨人のことだからww >>129
吉村のケガとクロマティーのデッドボール。
88年の、この2つのケガが無ければ王監督がクビになることは無かった。
第2次藤田監督が存在しなくて第2次長嶋政権も存在しなかった可能性が高い。
長嶋が監督をやってなければ(あのタイミングでの)FA制度も無かった。
すると落合のFA移籍は無かった。
87年に西本+中畑をロッテから要請されて断った経緯があったので
トレードでの移籍で巨人に入ってた可能性は高い。 落合―中畑トレード話あったなあ。わんこう発言発覚直後だったよね。落合が所ジョージの番組で「巨人の星をめざーすためー」ってうたわされてたな。 >>133
「所さんのいいかもしんない」
巨人の帽子被らされて唄ってたwwwww >>132
王監督は斉藤を信頼してなくて便利屋扱いしてたし。
初期の頃は期待してたんだが、弱気な性格が嫌だったポイ。
少なくても、開幕2戦で使うことはしなかった。
それでも力事態はあったんだから10勝クラスは行ったと思う。
ガリクソンはもう少し長くいたはずだし、それ以外にも鹿取の西武へのトレードは無かった。
結果的に西武黄金時代の手助けをしてしまった。
それを考えるに吉村のケガは日本プロ野球のその後に大きくかかわってるということになる。 王政権のままなら 鹿取 西本 角に頼ってただろうな
先発 桑田 槙原 西本 ガリクソン 水野 香田
救援 鹿取 角 斎藤 広田 宮本 王だったら優勝できたんだろうか。
このとし、なんか凄い苦しんで優勝したイメージが強い。
最後の古葉大洋3連戦までもつれ、胴上げして初めて優勝したを実感したというか。 終盤の広島戦で長島が原の飛球を取ってサヨナラ打を阻止していたら違った結果になっていた気もする。 優勝の3大要素
@斉藤の覚醒
Aクロマティーの神懸り的猛打
Bまさかの2番川相の固定
後半もたついた理由
@角を出して、ガリクソンを戦力外にした後に槙原の離脱でローテが回らなくなった→幸田と宮本の抜擢
A井上のリタイア(打てなくなるのは時間の問題だったかも)
西本⇔中尾のトレード以外は補強をせずに現有戦力での優勝だったのね。
川相の成長がおおきかったかなあ 岡崎 鴻野ジュンキの守備ってかなり不安だったし 確実性の岡崎 長打の鴻野は攻撃型のショートで守備はイマイチ
ドラ1の上田は守備専門
総合力の勝呂は細かいプレーが苦手でミスが多かった。
一番期待されてなかった川相が少ないチャンスをものにして不動の2番になるとは。 なんかみんなと印象ちがうなあ。この年は独走Vだったと思ったけど。80勝以上した記憶あるから。川相もずっと打率低いのにずっとスタメンだったから藤田がひいきしてると思った。.221本0くらいの成績イメージ。 >>142
それは中畑の最終年の成績
http://www3.lint.ne.jp/~lucky/brm/bin/team.cgi?YEAR=1989&TEAM=01&VIEW=HTML
巨人も勝ったけど広島も負けてなかった。
前半独走も後半は5割の勝率だった。 >>142
将来のチームの中心にと見込んだ若手を育てるには、何があろうと目をつむって徹底的に使い続けることが重要だよな。
広島あたりは、昔からそれが徹底されてるから選手が飛躍的に育つ。
巨人には珍しく、川相に関してはよく我慢して使ってたな。 吉村の勝負強さだけは強烈に覚えてる
あ、でも平成元年じゃ怪我しちゃってたのか >>144
打力は乏しくても、「守備が巧い」という光るものがあればね。 せっかく若手を使っても、ちょっと結果が出ないとすぐに見切って別の選手を…の繰り返しだから、巨人も阪神もなかなか若手が育たない。
まぁ、巨人も阪神も、常に勝利を求められる人気球団だけに、難しいところはあるんだろうけどねw >>139
井上はやっぱり、キーオから頭に死球を受けたことが大成を阻んだのかな?
その前から下降気味だったが。 >>143
9ゲームもつけたくせに胴上げは全日程終了までもつれたのか。
最後n連勝胴上げ、しかし展開次第では。というイメージがあった。
常にVやねんみたいな不安があったというか。
まして当時は混セ熱パなんて新聞を賑わしていたし。 王と選手陣が、しっくり行ってなかった感じだったからね。王政権中ずっと。
吉村の怪我が無かったところで、果たしてその後、上手くいってたかてというと疑問。
鹿取や角に頼りっぱなしの流行語にもなったような継投もいつまでも続けられなかっただろうし
第二次藤田政権を支えた投手陣の整備は王では無理だろうし、そもそもあの時の王では参謀にも恵まれなかっただろうし
と色々マイナス面が >>150
王 は プライド高い上に 自分の采配にアドバイスを求めない頑固な性格だったから、
個性派揃いの選手とうまくいかなかったんだろう。
黒江とか良い参謀に恵まれてればね >>148
事実はそうなんだろうけど、厳しい言い方だが、その程度の選手だったんじゃないの?
例えば、阿部の2年目。
ビンボールを食らったのに、ボールから逃げてない姿勢を見て
解説の達川が「この選手はすごい。ドエライ選手になる」と驚いてたことがあった。
当時は原はよくインハイの後には腰が逃げてるといわれてたしね。
それを考えると、2000年ごろの巨人の打者は皆、逃げてなかった。
清原を筆頭に、石井や松井も。ヨシノブも以外に向かっていってたし。元木ぐらいだったかも。
>>151
その頃は全体的に投高打低の時代だった。防御率1点台も多かった。
そもそも、アノ広島市民球場でさえ1-0の試合があったり。
88年の槙原など1点台で負け越し。
巨人は94年の優勝時まで3本柱頼みの投高打低。 黒江ヘッドはダイエー時代実現したな 案の定強くなったけど
黒江って巨人 中日 西武 ダイエー 横浜でヘッドコーチしたけど 黒歴史は横浜だけか >>154
横浜の暗黒力は異常だな。
藤田が横浜に行っても暗黒は治らなかっただろうな。 >>149
昔の巨人×広島は当たり方がとにかく悪かった。
巨人は最初に弱いとこ中心で、広島は移動疲れした時に当たる。
逆に広島は過酷日程。
んで、終盤に広島と当たるもんだから最後に詰められたりVやねんにやきもきするんだwww 広島は「のぞみ」運行前まで
移動日の制約とか大きかったもんな。
東京地区〜広島〜東京地区のような
日程の組み方は事実上、無理だったし。
この年印象に残ったのは緒方の髪形かな。最初ショート守ってエラー連発してた。 >>158
開幕序盤はショートが固定出来ずにいたからな >>139
遅レスだが
>
@角を出して、ガリクソンを戦力外にした後に槙原の離脱でローテが回らなくなった→幸田と宮本の抜擢
香田はシーズン序盤はローテ5、6番手で投げトータルで12試合先発している
宮本は前年にヒジの手術、リハビリ明けで抜擢というほどでもないのでは? 若いチームは
勢いに乗ると凄い手を付けられなくなる反面、
一旦ダメになると、儚く脆い、というのを
第二次藤田時代は見せつけられたな。特に投手陣に 宮本が復活したのは驚いたな。あのまま引退するかと思った。しかも胴上げ投手になったし。 宮本は不運な事故が原因で引退早まったね
谷間の宮ちゃん 長嶋政権でも重宝したしね (ヾノ・∀・`)ムリムリ
この年の西武は確かに苦労してたけど、
それでも巨人も終盤苦戦してたから、
頑張っても2勝4敗くらいで負けてそうな気がする。 加藤哲は「巨人はロッテより弱い」とは言っていないが「ロッテの方が強い」とは言ってた。パリーグを称えての発言だと思うし巨人もずっとつまらない試合して3連敗したんだから言われて当然だった。
むきになるほどのことではないよな。翌年はまたつまらない試合して4連敗だし。 >>155
歴代監督で上手くいったのが放任主義とも言われる権藤の時だけだからなw
三原も1年目こそ日本一に輝いて三原マジックと称されたけど、翌年からは最下位→2位→5位→2位
の後Bクラスの定位置に落ち着いて、度重なる休養の末、シーズン途中での辞任とボロボロにされた
し。 >>166
ただ、先発ピッチャーのレベルは日本一だったから、ペナントレースなら、西武といい勝負だったと思うよ。
いかんせん打線が確実性がなさぎた。
90年代前半の貧打の前兆はあった。今年の日ハムみたいだった。 今年の公ってパ・リーグ2位の打線なんだがな
田中を欠いてたから日本シリーズ貧打のイメージでもあるのか? >>169
レベルとしての話。
怖い打線ではないね。 デストラーデはトマウマだわな
あいつ日本シリーズに強すぎ 原シーズンも絶不調で日本シリーズも7番打たされてw不倫の罪悪感があったのだろうね。 日本シリーズ最終戦、引退する中畑がホームラン→万歳→客席の中畑夫人が映り涙をふく。 (あり得ない話だが)もしもこの年の1位2位の近鉄オリが
シリーズ出場辞退して、3位の西武と戦って、
近鉄に4勝3敗で勝ったからといっても、西武には勝てなそうだよね。
翌年みたいに4連敗とまでは行かなくても、
6戦目くらいで敗れていそうな予感。
巨人には(実質的に)槙原がいなかったしな。
この年前半の槙原がいたら、軸にして2勝は当てにしたかも。
ふと思い出したんだが、何でシリーズに
怪我上がりの槙原投げさせたんだろうな。
大した戦力にもならないんだから、代わりにファームから
元気な投手なり野手なりでも連れてった方が良かったんじゃないだろうか。 清原 石毛 秋山 辻 デストラーデと軒並み打ってたので苦戦しそうだね 正直よく近鉄は優勝できたな
ブライアント様様 だね くぼじゅんが東京ドームでホームラン打った選手にどーむくん人形渡してたのってこの年だよね?次の年かな?この人ってなんか広末とキャラかぶってない? 不倫の若大将って映画作ればいいのにな。主演原辰徳で。 >>179
ヒロイン・スミちゃんの日記がもとで、若大将、絶体絶命のピンチに!www >>182
本当にこの頃はそういう感じ。
負けて欲しい、でも負けないんだなあのチームは、って。 >>182
広島巨人戦は当時のゴールデンカードだったな
後楽園での試合より広島市民球場での
ロースコアでの投手戦ばっかり記憶に残ってる 広島といえば毎試合変わらないオーダー
一回表から2番の山崎隆三が送りバント 正田
山崎
高橋
小早川
長内
長嶋
ランス
達川
こんな感じだったと思うが >>187
ああ平成元年だったかスマン
ロードンだな
銀行員っぽいとか言われてた気がする >>186
89年の広島ベストオーダー
4正田
9山崎
5ロードン
3小早川
7アレン
6高橋
8長嶋
2達川
1川口 槙原ー大野のときは1点取られたら負けを覚悟したもんだ >>190
ファミスタでもベスプレでもこのオーダーだったなw 槙原この年も良かったけど86年のほうが迫力あったな。3連続完封とかしたし。 88年 10勝13敗 208回 187三振 防2.16
91年 9勝12敗 186回 152三振 防3.39
92年 12勝13敗 196回 159三振 防3.58
93年 13勝5敗 173回 175三振 防2.28
94年 12勝8敗 185回 153三振 防2.82
95年 11勝8敗 190回 145三振 防2.88
このへんかな 88年が壮絶なムエンゴだったな。
防御率がリーグ2位で投球回も200イニング越えてるのにギリギリ二桁勝利で3つも負け越し。 平田翼さん亡くなったね。当時ズームイン朝の野球コーナーよく出てたね。 ラジオ日本のジャイアンツナイターのイメージも強いな。平田翼さん。 >>196
この年(89年)の槇原は20勝いくと思ったんだがな。前半戦は全く隙がなかった。
初めてリリーフ登板したGW前の阪神戦でコールされたとき「マジかい...」と思った。
今思えば先発完投して合間にリリーフするなんて何という酷使だったのかと。 >>203
マジかい ってのは(後の槇原魔神時代の様に)信頼感がないって事?
そうではなく、酷使しすぎだろって事? むしろそのころの槙原の信頼度はナンバーワン
だからあえて過酷な役目を 藤田って昔散々バッシングされたせいでどんなことがあっても絶対優勝しなければと思ってたんじゃないの?
選手の疲労や後任の監督のことなんか考えてないだろ。表向きは柔和だったけど。 >>206
才能があればとことん使ってみるってイメージ。
でもあの頃は、信頼できる抑えいなかったよね。 まあ、あの年は絶対優勝が義務付けられていたからな。 絶対的守護神はいなかったからな
だから石毛は遅かった
石毛が早く出たら4連覇もあった 水野と広田だっけ うーん中継ぎならいい投手だったが 水野も広田もクローザー専門にしたとしたら、
球団史でも有数のクローザーになれたとは思うが、
先発が強力だった上に(故に)、藤田監督はクローザーを
作ろうという気はほとんどなかったからなぁ。 うーん、水野は先発なんだか中継ぎなんだか中途半端なまま引退したイメージ。
広田は安定感あったね。
むしろ、ヤクルトに行ってからのほうが球が速くてびっくりした。
途中、怪我があったけど、巨人がもっとうまく使っていればもっと大成したんだろうな。 吉田修司とか ダイエーで見事に花咲いたな
あのころの巨人は投手の層厚いから出番がなかったが
東野や金刃もそうなってほしい 投手は完投すれば次の日休みだったんでしょ。それだけであんな変わるんだから笑えるな。 >>212
広田は地元の広島が獲るものだとばかり思ってたんだけどな。
広島ならもっと持ち味を生かす使い方をしてくれたかもね。
ハッキリ言って、クローザータイプではなかった。 鹿取を出したのは西本のとき以上に失敗だったな。
この年、鹿取はほとんど投げていないのだから、肩は万全。
翌年の保険の意味でも残しておくべきだった。
今回の馬原が似た臭いがする。 鹿取の代わりは西岡だったからな
西武の黄金時代を助ける結果になってしまった >>217
西武以外、緻密なバッティングをしないパのバッターには、鹿取の散らすピッチングは有効だったな。 http://www.youtube.com/watch?v=Zw1454ALsR4
巨人入団3年前のクロマティ
自身初のプレーオフ出場を決めるウィニングボールを掴んだ瞬間(1分22秒から) 原の不倫直後のシーズンで打率.261入団以来最低の数字 シーズン前半戦と日本シリーズの後半4試合だけなら史上最強だったかもしれない。 89、90=12,13になりそうな感じあるけど
どうなるだろうか キャッチャーは中尾、山倉、有田が3人並んでベンチ座ってたのは変だった。 原日本シリーズでも序盤不調で7番降格。原の7番はあの時初めて見た。 >>240
しばらく続いた打率.000
そんな4番バッターは初めて見た。 さっきひさびさスタメン復帰の原が、サヨナラ打って爽やかに泣いてたけど
怪我が腰ってのは、やはり愛人とやりまくったからか(笑い)
画面じゃ爽やか若大将なのに(笑い) 若大将の下半身の青大将が狂ったように大暴れ!wwwww あそこでサボってれば日本プロ野球初の4割だったのにな
クロマティはスポーツマンシップをよく分かってる人だった
ところで、前年のヒーロー呂ガリ勝呂が全員この年あっさり消えたけど何が原因だったの?
山倉中畑も唐突に引退したし。水野もこの年からだよね、ぱっとしなくなったの。 ガリクソンはケガで開幕ローテ遅れ→他の先発無双
→ならガリーはいらねんじゃね?みたいな感じ。
呂は結局前年の前半だけだった。
水野は翌年はリリーフエースとして、
それなりに活躍したと言えるんじゃないかな。
先発陣が強力で完投ばっかしてたから、
登板機会は多くなかったかも知れんが。 斎藤と水野を配置転換しただけで投手王国完成には苦笑いしたもんだ 藤田さんも斎藤をなぜ先発にしないんだと内心思ってたんだろうね 王や皆川の意固地が、斎藤の才能を殺してた
藤田になり是正したに過ぎない 斉藤があと一人でヒットを打たれて完全試合を逃した上にその後サヨナラホー
ムランを打たれて敗れた試合がこの年の夏頃にあった記憶がある 完全ではなくノーノー未遂。
最終的にサヨナラHRを打ったのは落合。
9回1死から均衡を破ったのは音だったかなぁ。 その年トレードされた西本と投げあったんだよねその試合 井上真二が前半大活躍してオールスターにも出たのに失速したな。 この年は前半がかなりの高勝率で突っ走ったため、
多くの選手が後半よりも前半に好成績を残している。
桑田くらいかな、後半の方が良かったのは。
一部の記事によれば藤田監督は「ここぞという時は
やはり桑田しかおらん」と言っていたとか。 この年か次の年かなあ〜阪神が巨人に甲子園で3タテ喰らわして藤田監督が前に屈んだ時、首に多分水晶だと思うけどハートのペンダントをぶら下げてるのが見えた。 そんな中、馬鹿大将は相も変わらず大借金糞女とズッコンバッコンwww >>263
水晶ネックレスというと92年頃を思い出すが、それとは違うんかな。
たしか序盤の最下位争いから一気に首位まで突っ走っていた頃に
話題になっていたような。 違うな。阪神がめちゃくちゃ弱いときだから。誰か調べてくれ甲子園で3タテした年を。水晶って92年ころ巨人不調で選手らに禁止したんじゃなかった?よくわからん。 イニングのあいだに球場で♪サンクス40ネクスト40セントラルリーグってかかってたな。
じゃああと17年で終わりなんだセントラルwww
けっこう現実味あるよな。 それは失礼(´・ω・`)
だとするとスレタイの年かも。
球宴直前最後の3連戦は甲子園で3連敗だったよ。 ♪ホームランホームランナイター文化放送〜
♪まかせてちょんまげ〜ニッポンニッポン放送 藤田監督もまさか原が不倫してるとはおもわなかっただろうからなあ。
藤田とバッター原が同時に映った画面を思い出すわwww 藤田のみならず、全国民が騙されてたと言っても過言ではないな。
そんな罪深い男には、忘れた頃にとんでもない天罰が…www 女って金くれるからついていくんだろうけど原ばっかり非難がいって女は何もいわれない。
世の中ってそういうふうにできてるよなあ。絶対女を悪くいわない。おまえが断れよとかな。
原を試したらひっかかったから日記に書いたんだろう。 村山時代の唯一輝いたオールスター前巨人戦3タテ
最初がなんと、あの斎藤雅樹の12連続完投の新記録がかかった試合
この試合に投げた先発が、伸び悩みだった仲田幸司
しかし奇跡が起きた
仲田完封
しかも苦手で、先発わかった瞬間諦めるくらいだった斎藤を、村山が手塩にかけ育てた少年隊大野が3ラン
見事な勝利だった あんな出来た嫁さんを裏切るだなんて、考えられないクズだな、勃乗だけはw 原、野球教室で「明子さん僕の面倒も見てくださーい」とかのろけてたけど不倫真っ最中だったんじゃねーかwww それで横にいた岡崎が複雑な顔してたのが印象的だったけどそういうことだったのかw モーニング娘だかプッチモニの歌♪まるまるまるって曲は勝呂の応援歌パクってない?
アイケルバーガー現役集大成の一球が巨人Vの原動力になったな。 この年の原は日本シリーズ3戦まで活躍が微妙で波に乗れなかったよな 3戦どころか5戦の途中までノーヒットだったやん
19打席目が有名な満塁弾だった訳だが。
思い出映像によっちゃ「シリーズの流れを変えた」とか
表現してるのもあるけど、満塁弾が無かったら
巨人の逆転優勝は難しかったのかなぁ?
満塁弾が無かったとしても、スコア上は2-1で巨人の勝ちで、
前日の香田完封から3連敗後の2連勝という事だよね。 >>292
www
只、近鉄系百貨店での近鉄優勝セールで値下げ分の全額負担を押し付けられた卸業者が、
「近鉄が日本一になったら、こっちは赤ばかり増えて適わんわ!!」との怒りが充満して
いたとの話はある様だw
まぁ、史上最高の優勝セールを展開したと言われる阪急でも、話題になるのは優勝セール
の豪華さばかりで、肝心の球団人気は低迷したまま(それどころか北の湖と並んで「強
過ぎて人気が無い」と揶揄された程w)って土地柄だから、近鉄のそんなドケチなやり口も
経営上では間違いとは言えんが........。 引退試合原がホームラン打ってあの親子が「凄いね(涙)」って向き合ってたのを思い出す。
イチローや松坂が不倫しても嫁に同情しないが原の嫁さんはいい人そうなので同情する。 不倫だけなら「嫁さんは知らずに済んだ方が…」とも思うが、なんせヤクザの件があるだけに話は別w
暴露されて当然!www 30年前の今日、甲子園デーゲームでサヨナラホームラン打ったね。ほんとスーパースターだったのにあの女のせいですべてパーですねwいやあほんとに女は((((;゜Д゜)))ですねーw
あれから30年後の今日は長嶋監督、後輩の松井が国民栄誉賞をもらい自分は不倫監督の汚名を着せられどんな気持ちで2人を見るのだろうか。 因果応報w
悪因悪果w
自業自得w
馬鹿大将が元愛人や清武氏らを恨んでるとしたら、まさに馬鹿もいいとこw
全ては、てめぇの不道徳な行いが原因だろっての!www 加藤哲郎の失言?を、未だに、おかかえメディアの力で蒸し返す陰湿陰険読売グループ でも今日久しぶりにテレビでみたけど原はほんとに格好いいな。 その格好良さで、四半世紀もファンを欺いてた馬鹿大将w 藤田が存命なら原と国民栄誉賞受賞してキモい中継されたんだろうな 藤田も国民栄誉賞は無理だろ。現役時代の成績も監督時代の成績も物足りない。 >>307
貰ってないよ。野球人で叙勲の対象になったのは知ってる限りでは鶴岡、川上、長嶋、王、稲尾くらい。 今次の国民栄誉に近い野球人は誰だ?
野村、原あたりかな 球団歌が新しくなって出たけどいつのまにか消えたな。
♪走れジャイアンツそれゆけ我らのジャイアンツ〜って歌だったけど。 山倉と槙原はたしか同郷、大府市出身なのに呼吸が合わないと言われたのはなぜだろう。
槙原と中尾、有田?
2013週ベ名鑑によると、10.8ベンチからサイン出してたみたいだから槙原があれだけグダグダになったのか。 同郷であることと、個人間の相性にどんな相関関係を見出だしたいワケ!?ww そこで日本シリーズをやったんはあんたのとこだけでっせ? 80年代が終わったなあ。今にして思うとあれでジャイアンツ終わったなあ。 結局、井上はあの死球で選手生命絶たれたって考えていいの?
新人王候補→死球→代役緒方台頭、スター選手に、自身は…
たった1個の死球、大怪我というわけでもないのにこうも運命が暗転するものかね
応援歌かっこよくて好きだったんだけど 頭部死球で鼓膜破れて、9月以降を棒に振ったのだから、
大けがと言っても良いかとは思うが、
出場機会が無くなってそのままチャンスを失ったという感じかなぁ。 >>324
あの怪我がなかったら、どうなっていたろう?
3割30本はムリとしても、2割7〜8分、15〜20本くらいはコンスタントに
打つ選手として外野に定着していた可能性がある。
でも外野手でその数字では物足りない。それどころか後の松井の出番の障害に
なっていたことも考えられる。
まあ、いずれにせよ、その怪我でここまで落ちるとはその程度の選手だった
ということでは? 井上や吉村がケガをしなかったら、松井秀喜は阪神に入ってた 巨人は松井に入札しなかったろうね。伊藤智仁でいったんじゃないか? >>85
広岡は中畑を最大限評価してた記憶があるな >>330
長嶋が監督じゃなかったら指名はなかった。 井上はオールスター出たよね?前半12本くらいホームラン打ってなかった?
日本一のウイニングボール取ったのも井上だった。帽子飛ばしながらガッツポーズしてたな。 >>330>>332
編成が伊藤で決めていたのを直前に長嶋がひっくり返したはず。
>>331
1983年のシリーズの時は「中畑は最高のリーダーシップをとることができる選手だ。それに比べて石毛は...」
とか言っていたので、石毛に発破をかける材料としたのと同時に中畑を評価していたと思う。
あと山倉のこともかなり評価していた。「あの選手だけは何を考えているのか全く読めない。忘れたころにホームラン打つし」とw 中尾が西本と対決して見事ヒット打って西本が悔しがってた。 この年から巨人ファンになった。 とにかく原さんと駒田が好きだった。平成最初の年にこれだけ劇的な幕開けだったけど、平成になってからの日本シリーズは、意味不明なCSもできたし凡戦多いし、昔ほど熱狂出来ないな。
今年こそ劇的な日本一みたい! 緒方がツッパリみたいな髪型で驚いた。ズームイン朝で青田昇が男前とかいってそうなんだwと思った。 87年に1番2番打ってた駒田・岡崎が日本シリーズで主軸ってのも面白いよね。
3番岡崎、5番駒田で活躍した。 その翌年には打順が下がり
6番岡崎7番駒田で恐怖の下位打線を形成した
92年には5番駒田6番岡崎とまた打順が隣り合わせになった この年のG大独走の要因のひとつが酷すぎる大洋の不振だった… たしか4月終わった時点でクロマティ打率.500で8月終わった時点で.403くらいだった。 前年からこの年の10回戦辺りまでカード18連勝とかやってたな 原辰徳が阪神戦でホームラン打ったら、阪神ファンにボール投げ返されて、三塁側にまた投げ返したのってこの年だっけ? >>349
昭和63年8月下旬〜翌年6月上旬まで1年近く勝ってたんだよねえ
大洋が連敗を止めた試合は富山で新浦が完封した試合で
昔ようつべで試合後のダイジェストがupされてた >>350
そう。
この年の6月2日8回裏、中西からの16号逆転2ラン。 斎藤を先発につかうってオープン戦藤田が宣言してシーズン初先発では自信なさげに投げてた斎藤 こともあろうに斎藤の連続完投勝利記録を止めたのが
暗黒まっただ中の阪神という後味の悪さ >>352
サンクス! この年原辰徳成績悪かったけど、殊勲打多かったよね。前半はかなり飛ばしてたし。 その6月2日くらいまでが神だったな。
2ヶ月弱で16本まで打ってた訳だし。
肉離れの一ヶ月の離脱が無ければ、
あと4〜5本は打ってたとは思うけどね。 ドーム元年も3割30本クリアしてたし、懸念された球場の広大化(当時としては)への適応も
ばっちりだったからな。ほんと、あの肉離れが惜しまれる。 香田、阪神の二軍コーチには驚いた。中尾が阪神のスカウトやってるから彼が推薦したのかな。
阪神も秋山とか伸び悩んでいるから、かなり思い切った人事だな。 瞬間でも年間規定打席到達後に4割越えたのってクロウだけか?
バースイチローの時は? バースは4割越えたことなかったと思うわ、イチローも前半だけだった。 >>363
そう
http://2689.web.fc2.com/1989/GW/GW15.html
>>361
連敗を止めた試合はこれ。完封勝利
負けたショックで藤田監督が試合後の談話を拒否していた
ただこの年の新浦の巨人戦勝利はこの2勝だけでシーズン通算では2勝4敗とむしろ負けていた
http://2689.web.fc2.com/1989/GW/GW11.html 8/4の横浜の試合は援護が無かった桑田が8回裏にキレちゃって致命的な失点をしていた。
これに藤田監督が激怒して桑田を叱責した。だから談話拒否になったのだろう。 藤田監督は桑田に対しては厳しくもあり、
謹慎のときに優しさを見せるなど、
一番愛情をかけていた気がする。
同じことを斎藤にやったら、覚醒すらしなかったろうw >>368
説明が足りなかった
談話拒否をしたのは富山で大洋戦の年またぎ連勝が18で止まった試合
でも8月4日の拙攻試合も試合後桑田に怒ってそうではある >>370
8月4日の試合は怒ったとスポーツ紙に書かれていたな。
(縮刷版を持っているため、覚えている)
趣旨は13安打完封負けよりも、7回まで好投していながら
8回に3失点した桑田に雷を落とした様だが、
実際には打線の拙攻に怒っていたのではないかなという気もする。
↑にも書いたが桑田は厳しく接することで
反骨心を煽って結果を残すタイプ。
(だと当時は思っていたが、体罰反対論を
唱える昨今では、実はそうでもなかったのかも知れんが)
次回登板の首位攻防広島戦では
シーズン屈指の好投で3連勝を締めくくる
二桁奪三振完封勝利。 日本シリーズ巨人近鉄最終戦。あんなにプロ野球を見て泣いて笑った試合はない。正に至福の時だった。よき小学生の時の思い出。駒田 原 中畑 クロマティの花火大会たか最高だった。 富山での敗戦投手は槙原。前カードの中日3タテとうって変って打線沈黙で新浦に完封され、ダメ押し点を
内外野のお見合い?で失ってた記憶。
来年は新幹線開業記念で、久しぶりに富山→金沢の順の北陸シリーズがある。たいてい巨人はデーゲームの
北陸や東北に行くと雰囲気が変わって、守備ミスを多発して負けてた。札幌円山だけはそうでも無かったが。
九州はほとんどナイターだったし、大牟田生まれの原が平和台で打ちまくってたし。この年も珍しく流し打ちの決勝
3ランだった。 神宮で宮本が13奪三振の絶好調でプロ初完封するかと思ったが最終回に3ラン浴びてマウンド上で呆然としてた。 宮本って、いつもそんなパターンだよなw
三振多くて、完封目前で最終回に被弾。
でも最終的には逆転されるでもなく勝ってる。
ハマスタの優勝決定試合はスカッと完封だった。
因みに三連戦で桑田齋藤宮本の三連続完封という大人げなさw 広島でプロ初完封してヒーローインタビューで涙声だった宮本。 >>354
勝ち投手はマイク仲田。5-0。完封負け。
>>333
井上本塁打12本は昭和63年。 平成元年は斎藤雅樹のノーヒットノーラン目前の落合逆転3ランだな。 斎藤の球団別成績
対ヤクルト 6勝2敗 81回 70三振 防1.44 whip0.94
対中日 4勝2敗 47回 32三振 防2.85 whip1.10
対大洋 6勝0敗 55回 27三振 防1.31 whip1.15
対広島 2勝2敗 36回 30三振 防1.47 whip0.93
対阪神 2勝1敗 25回 23三振 防0.36 whip0.72 >>377
いや井上は平成元年だよ。
プロ初アーチがこの年の5月2日だもん。
S63年12本は有田(間違えの対象だったか分からんがw) ナンバービデオの熱闘日本シリーズで、原に満塁弾打たれた後、吉井が露骨に原をおちょくったポーズしててワロタ。第6戦とか紙一重の戦いだったんだね。この頃の日本シリーズは本当に熱戦が多かった。 第5戦の原の満塁弾から勝てるという雰囲気になったかもな
不思議と6戦目も負ける気がしなかった >>383
うんうん! 原の満塁弾で生き返った感じがした! 最終戦は最後に意地を見せられたけど完全に圧倒してたね! この年のオールスターで、結構巨人から選出されてたのに、スタメンにクロマティしか出さないし、初戦神宮なのに西本先発だし、
本当に星野仙一って嫌な奴だなって子供ながらにムカついた記憶。 上田がたまに試合出て打率も3割台で調子良かったが出番が増えるにつれてだんだん打率が下がってきた。 津末が3点ビハインドから代打逆転満塁弾を打った試合があった。
ドームのヤクルト戦だったはず。 >>387
8月2日(ヤクルト)の逆転3ランじゃないかな。 >>385
斎藤、槙原、桑田をオールスター全試合3イニングずつ放らせないだけマシだろ。 久米宏が徳光の番組に出て万歳三唱したのがもう25年前か。はあー、嫌になるな。 この頃までラジオの実況とかに、ビートたけしがゲストで来てたね。numberビデオに原の満塁弾の時に定岡とたけし軍団が「やったー!!!」と絶叫してた。 https://www.youtube.com/watch?v=kvbrv5r14bE
中華コンサルテレビタワー違法登山家クライマーマニア
中国ググルネット書記長喪失早検かずチャンネルチャネル日テレブランド会員スペシャルセンター もし巨人オリックスのシリーズだったら4-1くらいで一気に決めてたと思う >>394
つうかDH制が無いセ側主催試合での門田・石嶺の扱いが最大の問題かと。
恐らく門田をレフトで起用し、成績が今一つ振るわなかった石嶺を外したろうけど。
(三)松永(二)福良(一)ブーマー(左)門田(右)藤井(中)本西(遊)小川(捕)中嶋(投)ー
ってオーダーで。 オリックスは開幕10連勝だっけ?それで優勝できなかったのあのチームだけじゃね?
そういや神宮のオープン戦でみたオリックスはユニフォームがすごい格好いいと思った。神宮とマッチしてるよ、あれは。 そういえば開幕8連勝ってあったな。
ブーマーも開幕直後に5戦連発とかだったっけ?
巨人ファンである意味のアンチ西武(というか苦手意識)の俺は、
「西武の優勝は、もしかしたら無いかも?」ってちょっとwktkしたっけw
夏秋頃に「やっぱ西武怖い(´Д`;)」モードだったけど、
結局は西武でもオリでもなく、牛になった訳だけどね。
翌年の西武はやっぱり怖かった(。A 。) 西武は前年、昭和天皇が病気だったのにもかかわらずビールかけではしゃいだからな。 清原が平沼に暴行して何試合か出場できなかった年だな。あれがなければ西武が優勝したかもだし、そうなれば西武V9に結果的になっていた。 この頃の巨人で疑問だったのが
何でクロマティをセンターで
使ってたのかって事
まだ駒田か緒方にして
おけば良かったのに 駒田のセンターはねえ。
前年9月のナゴヤ球場で2つ下手な守備で後逸して、王監督に「帰れ!」と言われてさっさとタクシーで宿舎に帰って
しまった「事件」があったほど。
緒方は5月の甲子園でショートでデビューしたが、エラー連発して早々に見切られてた。でも外野はまだ不慣れだった
んじゃないかな? 巨人の外野手って下手くそな記憶しかない。
駒田のヘディング、松本アシストホームラン、栄村のあれ、クロマティの怠慢プレー、
内野手も原は下手くそだし河埜落球、淳基は暴投。
中畑と篠塚はうまかったな。 87年のクロマティの怠慢なプレーは
クロマティだけがクローズアップ
されるけど、中継の原や川相こそが
タラタラしてて、セーフになった
思わぬ走塁にテンパったんだろうけど。 巨人って昔から機動力や守備力ないよね。打力と投手力だけ西武とやるとはっきりその差が出てたよ。緻密さがないんだよ。なんか粗っぽいんだよ巨人。 >>407
V9時代の柴田&高田の機動力・守備力は(´・ω・`)
もっとも伝統的にパの方が機動力が高めだし、V9時代以降の巨人については同意だけど。 07年に伊原さんがヘッドで来てくれてから、守備・走塁は向上した。ラミレス以外はね。
89年は捕手のロートル3人の弱肩とレフトの原以外は平均点以上だったはず。特にショートを川相で固めたのが。 藤田監督就任時
9鴻野
6勝呂(岡崎)
4篠塚
7原
8クロウ
5中畑
3駒田
2山倉
1槙原(桑田抑え構想)
開幕戦
5中畑
6勝呂
4篠塚
7原
8クロウ
3岡崎(オープン戦.316で首位打者)
9駒田
2中尾
1桑田
最終的に
9緒方
6川相
4篠塚
7原
8クロウ
5岡崎
3駒田
2中尾
1斎藤
一番打者には
緒方 中畑 井上 駒田 白幡 鴻野 更には巨人史上初の捕手(中尾) >>404
王さんは満塁弾デビューの頃から駒田には目をかけていたんだよね…
同じく期待の大型若手稲垣(駒田・稲垣共に投手→野手)と師匠荒川道場に通わせたが二人とも長続きしなかった
吉村もあんな事になってしまった 日本一の瞬間、宮本がぴょんぴょん跳ねてそのあと中尾を抱っこしながら片手挙げて変だったw 優勝決定の大洋戦で中畑が二塁打
打った時、球場でウェーブ起きた時
中畑曰く「日本で初めて球場でウェーブを
起こした男」と自分で言ってたけど、
ホント?w ウェーブはその年の途中ぐらいから流行りだしてどこでやってた中畑うんぬんは
日テレ珍プレーの捏造 >>416
オレ、優勝決定の前の日も観に行ったけど、その時点でウェーブあった
よ。中畑に絡むかどうかは記憶にないけど。 6番岡崎って意外だったけど見事に当たったもんな。やっぱ藤田はすごいな。 >>419
当時観に行くのはすごい!
優勝決定試合も見に行ったの? たしか桑田斎藤宮本の3連続完封でフィニッシュだったかな。
>>419が見に行ったのは斎藤の試合? 二岡入団までの巨人のショートが決まった年だった
岡崎は河埜の晩年から毎年の様にショートのレギュラー争いに加わりながら、
鴻野や勝呂といった基礎体力や守備が上回るライバルに敗れ規定打席に届かなかった
しかしその勝負強い打撃力を買われ、一塁転向した筈の駒田をライトに廻してまでオープン戦から一塁起用、中畑が阪神戦で負傷してから岡崎はサードに定着した
そしてショートも前年レギュラー掴みかけた勝呂がミス等実力不足、結局前年まで外野やらされたりスイッチ挑戦したりしてた川相がショートに定着した
緒方も初めはショートを試されたが結果を出せず、非力ながら安定したプレーの川相がレギュラーとなった ただ、藤田監督が川相をレギュラー抜擢したのは選手としての能力は勿論、その野球に取り組む姿勢も評価されてだと思う
守備に関しては川相自身認めるように、レギュラー前半時代は池山の方が、レギュラー後半時代は野村の方がゴールデングラブに相応しかったと思う
長嶋監督が復帰した頃には若い元木の方が守備力が上になっていた
その元木が川相より先に引退するとは思ってもみなかった
自分としては岡崎レギュラー定着で心地よい秀逸なメロディーの応援歌が多く聴けるようになったことが嬉しかった 岡崎って45番時代からなんか存在感あったな。なんか目についた。 >>426同感です
45番時代から岡崎は脚も遅く、20本30本ホームランを打つ長打力もないし、
また篠塚二世と言われながらも篠塚程センスがあったわけでもなかった
篠塚と同じ肋膜炎にかかったから篠塚二世なんだと言われたりしてた
一方ライバル鴻野は俊足強肩で一発長打があり、
身体能力に秀でた選手を好む当時の王監督は期待してレギュラーで使った
しかし日本シリーズ等試合のポイントとなるところではクロマティ同様岡崎は臆せず勝負強く、
ここ一番の打席でポップフライを打ち上げ凡退する事が多かった原や、
明らかに力んで併殺打を引っ掛ける中畑に比べ、
脇役ながら頼りになる選手だった
若手でありながらまるでチームリーダーの様な貫禄と闘志で打席に立っていた 意外な 所で一発流し打ち〜
あ〜っと
驚くライトヘホームラン
焼け付く ベースに命懸ける男よ
山倉!
とどめだそれハチの一刺し 5月の大洋戦、6月の中日戦でサヨナラヒット。7月阪神戦で決勝満塁。
日本シリーズ第5戦で阿波野から逆転2塁打。
6番岡崎がやたら目立ってた。 第6戦でも貴重なホームラン打ってたよね
駒田が鬼の様に打ってたから
MVPになり損ねた
最終戦のテレビ中継でも岡崎か駒田か
MVPの選考が難しいとか
実況の一丁田氏と掛布 堀内が話してた この年の巨人のリーグ優勝決定試合より
近鉄のリーグ優勝決定試合の方が
関東のテレビ視聴率が高かったという記事を
当時の日刊スポーツの新聞縮刷版で見掛けた
確か近鉄(対ダイエー、10月14日)が29.5%(瞬間最高50.5%)
一方の巨人は28.5%(対大洋、10月6日)と僅差ではあるけど 胴上げ優勝は6年ぶりだったからね。その日は塾でみれなかった。
日本シリーズで生まれて初めて巨人の胴上げ優勝を生中継でみたね。
中学生で初めてだから当時の巨人ってほんと弱かったんだよな。 日本シリーズ第7戦は視聴率39.8%だったはず 巨人も日本一で日テレはウハウハだったろう 強烈に視聴率が急落したのは2007年中日日本ハムのシリーズくらいから 斎藤から逆転サヨナラ弾打った試合の
VTRがようつべにあった
8回に原がジャンプした大豊の
グラブにトスされてスタンドイン
したホームランがあった
打球の軌道が強烈な弾丸ライナー
とても坂本勇人にはあんな打球
飛ばせないな
球場の広さ使用球には違いはあれどね 日シリの原の満塁本塁打はシビレタ。実況はたしか吉田アナで「汚名返上!
名誉挽回!いま3塁まわって牧野ヘッドと抱き合っております!」という名実況
だった。打率は低くてもココという場面で打ったのは立派、MVPあげたかった
まぁ近鉄が投手の順番を間違えてくれたラッキーな面もあったが 自分も原に何かしら賞あげて
欲しかった 岡崎に優秀選手賞やるより
華もあったろうに
原は結局シリーズでは賞とは無縁のまま
引退したし >>405
原のサードはうまかったよ
特にスローイングは球界随一 シリーズ第6戦の一死一、三塁から
ブライアントの弾丸ライナー
あれよく駒田捕れたよ
下手したら弾いて外野転々だった
あの瞬間心臓止まりそうになったわw この年と次の年の巨人は今も俺の中では史上最高の巨人
藤田監督!!! この年の斎藤と桑田のダブルエースは最高だな ともに15勝以上 200イニング以上 20完投以上 槙原が怪我しなきゃ2人とも達成してたかも 斎藤はもちろんだが、この年の前半の槙原も凄かったからな。
もうマウンドで自信が漲ってて、先発で12勝、たまに抑えまでこなして4S、防御率1点台
ケガが悔やまれた。復帰してからしばらくは槙原本来の体全体を使ったフォームと速球が影をひそめて変化球投手になってたし。
その後はやや復活したものの、この年前半のような投球を見ることはついに無かった。 3本柱はもちろんだが、宮本と香田をローテ投手として育て上げたのも良かった。
前半はガリクソンもまずまず頑張った。鹿取に見切りをつけて広田を抑えに据えたのもさすがだった。
誰がやっても貧乏くじになると言われて引き受け手がなかなかいなかった王のあとを引き受け、
あれだけ強い巨人にした藤田監督。采配も選手起用、育成も俺の中ではプロ野球史上で最高の監督。 槙原は前半だけで12勝(規定投球回到達)、後半戦開始直後くらいに半月板やったわけだが
ケガさえなければ20勝いけそうな感触はあったと後に本人語ってた
斎藤、槙原の2人が20勝という可能性も大だった 槙原は完璧だったからな。ケガなければ20勝しただろう。 小早川が現役のころ1番すごいと思った投手は槙原らしい 巨人広島戦における槙原・桑田vs川口・大野の投げ合い好きだったな〜
投げ合う試合が毎回のように1−0か2−1なイメージだったw
当時巨人は力のある左投手を苦手にしてて、(左なら誰でも大丈夫と勘違いして阪神その他が出してくる二流の左はバカスカ打ってたがw)
この2人に仮に落としても3戦目に出てくる右の長冨か北別府を打って、3連敗は回避してた
ちなみに前半は一度負けた後広島戦を回避してたと言われる斎藤も、槙原がケガで欠けた後半戦は広島戦にも投げるようになり、
普通に完投完封やってます。 何処か89年巨人のシーズン
ダイジェストDVD作らねーかな
youtubeで動画探しても断片的なの
しかない 89、90の巨人はDVDでもう一度観たいな
後にも先にも最高の巨人軍だったわ 上田のまさかの決勝HR@ハマスタが
記憶に残ってる
もうテレビの中継も終わってラジオで
聴いていたら、あまりにも予想外の出来事で
びっくりしたw 90年のダイジェストならたしか公式VHS持ってるな。 89年ダイジェストもVHSで発売されているな。
さすがにDVD化は需要があまりないし無理か。 >>456
当時の代打上田のガックリ感と言ったらw
とにかく見た目が貧弱そうで打てそうな気が全然しなかった >>451
本当だ。斉藤は広島戦は回避して投げない、という先入観があったから、
結構投げているんだという新鮮な感慨
ttp://2689.web.fc2.com/1989/GC/1989GC.html >>460
斎藤の20勝を「広島戦逃げて投げてないだろw」と貶す他球団ファンがいたら、
ちゃんとデータ見せてやればいいよ
特に当時をリアルタイムで知らないクセにそんなウワサ聞いただけでドヤ顔で貶してくるのがいるからな
主にどこの球団のファンとは言わんがw
こっちのほうがすぐに見られる
http://www.my-favorite-giants.net/giants_data/result_year/1989.htm ttp://www.my-favorite-giants.net/giants_data/result_year/1989.htm この年の斎藤は広島戦5試合(5先発)で2勝2敗
3完投(2勝1敗)、1完封 この1完封、延長11回を投げ抜いての1−0サヨナラ勝ちなんだが、
最後決勝打打った打者を斎藤が抱擁するシーンを流しながら放送が終了
今でも覚えてる まぁ、特に前半戦の勝ちまくっていた頃に
広島を避けていたのは恐らく確かだろうけど、
11連続完投勝利なんてやってる内に自信もつけて、
後半戦は槙原故障もあって結構登板してたよね。
0-0のままムエンゴで西田にサヨナラHR打たれた試合もあれば、
M5を再点灯させた11回完封なんてのもあった。 その日NHKだったから延長戦も試合終了までやってくれた
書き込み5連投すまんw >>464
原だよね。この年3度目のサヨナラ安打
2週間前は桑田の10回完封を決着させるサヨナラ安打だった。 >>466
NHKだったっけ??
東京ドームの試合なのに? >>468
だったよ
当時はそんなこともあった
そうじゃなきゃ民放は最大延長9:24の時代に延長11回まで放送できるわけないよ >>465
先発として自信を付けさせている過程だった斎藤が自信を無くさないように
完全に自信が付くまで一度脚を絡めて打ち込まれた広島戦に登板させるのを藤田監督が避けた
というのはいろんな本や雑誌で読んだことあるから多分事実なんだろうね
ローテ見る限りじゃ意識して投げさせてないところまではわからんけど この年の日本シリーズの話思い出したんだが
3連敗した時、藤田監督のもとに球団の上層部が来て緊急会議
そこで4戦目の先発を香田と聞いたその相手が「香田?バカ野郎、斎藤か桑田にしろ!」と要求
藤田監督はその場だけ「はいわかりました」と答えて予定通りに4戦目香田を先発に
その香田が完封して逆転4連勝へのきっかけを作った
どんなことがあっても4戦目までは絶対に予定を変えない、と藤田監督は決めてたらしい
やはり巨人史上最高の監督、お偉いさんを欺いてまでも自分の選手を信頼して起用するというか
これが王監督や長嶋監督なら最善手という名目のもと、即座にエース級に切り替えてたろうし
あの加藤哲発言も、あれで巨人の選手が燃えたと言われてるけど、
駒田いわく、実際にはもし4連敗なら藤田監督が辞表をだすという噂が流れて、
そんなことだけは絶対にさせられないと燃えたんだと >>445
>>447
この年の槙原は素晴らしかったからな、怪我が惜しい
後半戦の最初くらいで怪我離脱となったが、その前から兆候はあったようで、
オールスターの時、広島の川口が「どうもマキの歩き方がおかしい」と言ってたと。
そんなこともあってか事前に槙原が脚を痛めてるのではという情報を得ていた広島は、槙原が後半戦最初の登板となった広島戦で
初回から執拗にバント攻撃、槙原の脚に負担をかける作戦に出た。そしてついに膝が悲鳴を上げる。
当時テレビでこの試合やってたが、投げ終わった後に「うわっ」と言う感じで槙原が体をのけぞらせる姿がリプレイされてショックだった。
この当時は「広島卑怯だな」と思ったが、プロ的に言えば「そんな状態で出てくるほうが悪い」ってことなんだろうな。 今年こそ槙原は違う!と思っていたが、
あの瞬間、やはり槙原は15勝できない器だったんだと
改めて思いがよぎった(´・ω・`) 基本的に勝ち運が無い投手だったんだろうね、最高が13勝だっけか
20勝狙えそうだなとすら思えたこの年は故障したしな
この前年1988もかなり良い投球してたが無援護続きで防御率2.16ながら負け越し
ただ槙原のピークはどこか、と言われれば間違いなく1989前半だろうね
その後1994には完全試合とかしたけど、ボールの勢いや質は1989が圧倒的だったし 球の勢いだけなら86年に怪我から復帰した時が一番凄かった
唸りを上げて…という表現があれほど当てはまる球は初めて見た
まあそれもシーズン最後まで持たずブロハードに打たれるわけだが >>469
揚げ足取るようで申し訳ないが、
巨人主催ゲームがNHKに開放されたのは2002年からだよ。 >>476
そうか・・・じゃ記憶違いかな
NHKで斎藤が抱擁するそのシーンを観た記憶があるから
NHKのスポーツニュースでのエンディングで流れたのかな 確か斎籐の完封は中継延長ギリギリだった覚えが。
抱きあった時点で「放送時間が残り僅かですが・・」みたいな言い回しで、
実況担当が小川アナか今井アナだった気がする。 >>478
放送局から勘違いしてたか、情報ありがとうです
そのシーンが凄く印象に残っててね
斎藤が延長11回無失点の力投してたし、
なんとか打ってくれと観てるこっちも力入ったしw そもそもからくりの試合だったか?と思ったらサヨナラだもんな
この年は中継終了間際落合にサヨナラやられた中日戦があったな
吉村アナが興奮していた >>478
ギリギリでなくそこそこ余裕あったと思う
斎藤の「プロ入り最高の投球」って談話も入った ようつべに日本シリーズ第7戦の中継と、
巨人日本一特番あって、懐かし過ぎて涙出そうになった。 この年の日本一チーム(最強チーム)は紛れもなく巨人だったけど、
西武が相手だったら、流石に四連敗とは思わんが、
やはり6戦くらいで負けていたんじゃないかという気もする オープン戦でアナウンサーが15年で1回しか日本一になってないと言ってた。 オープン戦の成績は酷く、ほとんどの評論家は優勝候補にあげてなかったんだよね
久米宏が坊主賭けるくらいだから
あの時のNステーションは月1くらいだったか黒鉄ヒロシ、糸井重里、川崎徹と久米宏のやりとり面白かった >>483
俺もそう思う。
当時の西武に巨人が勝てるイメージが全くわかない。 この年(1989年)巨人はオープン戦12球団中10位で
巨ヲタの吉田照美もやる気マンマンで
「今年巨人は最下位になるんじゃない?」とか言っていた。
終わってみれば8年ぶりの日本一だったけど。 この年の巨人は7月中旬までは間違いなく強かったな。
8月以降、特に9月以降は結果的には前半の貯金で逃げ切ったという感じ。
シリーズも相手がシリーズ経験の浅い近鉄だったから、
結果的には3連敗4連勝で日本一になれた。
日本一なのだから、結果的には一番上位のチームだった訳だけど、
「一番強かったか?」と問われると、そうでもない様な気もする。
槙原と原の怪我がなければ、かなり強かったかも。 金村義明のラジオで日本シリーズの事色々話してたよ まあ裏話は大体聞いた事がある内容だったけど 前年まで見てたがこの変わり様はまさにマジックだよね。最初から勝ちっぱなしなんだからw ガリクソンが88年東京ドーム開場記念トーナメントの決勝戦で
西武完封したんだよね?それ以来巨人は西武にオープン戦です
ら勝てない時期が何年も続いたんです。 長嶋監督就任1年目のOP戦で勝つまで、L軍には負け続けたね。
長嶋はL軍に対する苦手意識が薄いのかも知れない。
L黄金時代はちょうど長嶋の浪人時期と被っていて、苦い思い出もない。 オープン戦は弱々しかった。ヒット3本って試合ばっかり。初っ端の大分−下関−平和台で3連敗。下関では斎藤が高校生ルーキー
の谷繁に一発を浴び、解説の衣笠氏に「寂しいですね」とまで言われてた。まさかシーズンで、って事になったが。
ダイエーの初陣となった平和台は3点リードの9回裏にミス連発で逆転サヨナラ負け。
ただ、最終戦の西武球場で大敗したが9回2死から駒田がソロアーチ。この時TBSラジオ解説の田淵が「これで勢いが付いて巨人は
開幕ダッシュするかも知れない。優勝まで行くかも知れない」ってまくし立てていた。とてもオープン戦の惨状からは想像も付かない
お言葉だったが、全くその通りになってしまった! 5月頃だったか
クリーンアップが
クロマティ
原
西岡
でホームランが2.1.1とかでしょぼかった。
でも独走首位。 >>495
田淵の解説が当たるとはw
OP戦でのチーム順位は気にしていなかったのだけど、
原がOP戦終盤のヤクルト戦で4号5号(1本は右打ち)を連発したのを見て、
もしかして今年の原は行けるかも?と思ったら予想が当たった。
でも終わってみたら、怪我もあって、結局はいつもの原だった(´・ω・`) シャインニング「ソフ」[バーン」 中国大人社会配信カットサブリミナル 大前ソルトレイクタクシー
シャインニング「ソフ」「バーン」中国大人社会
シャインニング「ソフ」「バーン」中国大人社会[輸送会社 命令]獅獣代 正直、相手が近鉄で助かった。西武ならシリーズは失っていた。別所氏もシリーズ
まえ、近鉄投手陣は広島の川口・大野ほどスピードがない。巨人ナインは自身もって
戦えると語っていた 阿波野が1、4、7戦に登板すれば巨人は窮地におちいった筈。シリーズ勝敗の分岐点は
原の満塁本塁打いぜんに近鉄の投手起用に、巨人は余裕を取り戻すことができた
仰木は勝負師としては甘かった >>505
それよくいわれるけど、
4戦目の小野はいいピッチングだったし、どうせ香田の前に零封だったんだから、たわごとだよね。 Jリーグザスパクサツ群馬の吉田佳泰元選手が死去 ←高濃度汚染地帯でサッカーやってるwww
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信。これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある。書けばツイッターで速攻削除されている。
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
「致死量の放射能を放出しました」 2011年3月18日の会見で東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた
https://twitter.com/neko_aii/status/735089786575159297
「助けてください 南相馬市の女子高校生です まだ16なのに じわじわと死を感じてるんです」
https://twitter.com/butterfly_kouka/status/734722388852498432
「南相馬市の方で福島で頭が2つある子供が生まれている。TVでやならい真実を言う為に立候補したんです」。
http://www.youtube.com/watch?v=TId2blLTL3c&feature=player_embedded(演説動画)
2歳を過ぎたころ「放射能があるから砂は触れない」「葉っぱは触っちゃだめ」 / りうなちゃんは去年の暮れ、脳腫瘍のために亡くなった。
https://twitter.com/Tom oyaMorishita/status/648628684748816384
UFOや核エネルギーの放出を見ることはエーテル視力を持つ子供たちがどんどん生まれてくるにつれて次第に生じるでしょう。
マイト★レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト★レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト★レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。
福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。 原がホームラン打つ直前の外角の玉は巨人ファンのオレがみても完全なスト
ライクだったと思う。が、亡き牧野ヘッドの霊が助けてくれたのだろう 牧野ヘッドの霊というよりも
吉田眞一郎の亡霊だろ。 日本シリーズ3連敗して翌朝の読売新聞に9番川相にしたらと提案されていてその通りに9番川相使ってたな。
提案したのは劇ペンといわれてた記者。 NPO誇大広告ハローワーク指導員バイトレベル
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノック)
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題 週刊ベースボールマガジンで駒田と阿波野が対談してて、駒田曰くスコアラーの報告やシーズン中の映像と違って阿波野は球が来てなかった。
要はシーズンで投げすぎて疲れ果ててた。
斎藤雅が1990年の日本シリーズで打たれたのも同じ理由だろうっていう結論になってた。 去就が注目されていた元ソフトバンクの李大浩内野手が巨人に復帰することになった。
韓国の聯合ニュースが伝えている。李が契約するのは、プロデビューを果たした巨人。
4年総額1290万ドル(約14億5300万円)で韓国のフリーエージェント(FA)史上
最高額だという。
昨季プレーしたシアトル・マリナーズからFAになっていた李の所属先がようやく決まった。
アメリカ、日本、韓国の3か国でどこを選ぶのか、その去就に注目が集まっていたが、選んだのは
母国・韓国だった。2012年にオリックス入りするまで、プロデビューから11年プレーした古巣の
巨人と4年契約を結び、6年ぶりに韓国球界に復帰を果たす。
巨人は、昨季まで主砲として活躍した黄載鈞がメジャー移籍を決断。ロッテからの
4年契約を断って、旧金山・巨人とマイナー契約で合意したと伝えられている。
黄の抜けた穴を李が埋める形になりそうだ。
昨季マリナーズとマイナー契約を結び、メジャーキャンプに招待選手として参加した李は、
開幕メジャーロースター入りに成功。前半は代打の切り札として活躍したが後半に失速し、
107試合出場で打率.253、14本塁打、49打点の成績だった。 韓国にも巨人があるのね
てか何でこのスレなのよ(´・ω・`) ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
https://www.youtube.com/watch?v=W92K6qIuZak京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足マイナンバー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(放送大学森有消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNA消費者せんター相談CNN向け原文ママニュース >>513
90年の斎藤はシーズン終盤酷かったからね。
もっと策士の監督だったら、日本シリーズの先発メンバーから外していたかも知れない。 上田が6月8日のハマスタで、当時の延長制限12回表2死無走者で欠端から決勝となるプロ初アーチ!
これで首位を広島から奪還、フラフラした時期もあったが閉幕まで守り抜いた。
普段は不仲と伝えられていた原とクロマティがベンチ前で我が事の様に抱き合って喜んでいた。
これで前年から大洋戦15連勝?となったが、試合終了後の一塁ベンチで高木豊が泣いていた。 >>520
18連勝だね
この連勝はこれが最後で、次の大洋戦は新浦に完封されて止まった。
負け投手はたしか槙原だったが、槙原って
何となく大洋に弱かったイメージがある。
広島には圧倒的に強いから頼もしいだけど、
その辺は斎藤と反対だったなw すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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