「よくわかりました」(後)

開幕から低迷しても応援してきたファンの声援や同情も9月の11連敗あたりから次第に批判へと変わり高まってきていた。
まだ采配を揮っていない就任時でさえも長嶋への不安はあった。政権発足時「クリーン・ベースボール」を旗印に掲げたが、これには
前任者・川上哲治の堅いイメージを払拭しようという意図があり、その証拠に「川上派」とされた牧野茂が退団、藤田元司は大洋へ、
バッテリー部門に就くと予想された森昌彦も球団に残らず引退した。牧野に代わる参謀に関根潤三、バッテリーコーチは置かず
投手コーチ補佐に淡河弘を据えた人選を見ると長嶋が川上管理野球を“クリーン”にすべく意地を張っているように見られても仕方なかった。

采配面では開幕3連戦、いきなり3戦で延べ15投手をつぎ込み2敗1分け。まだ3試合だというのに「これからは総動員」と発言しナインを
惑わせた。4月12日はオープン戦の肉離れで代打に回っていた王を出し忘れ、連続試合出場を648で途切れさせた失態もあった。
1億円助っ人ジョンソンはメジャーでも74年の43本塁打以外は20本塁打未満の中距離打者だった二塁手。日本野球や風土になかなか
馴染めなかったカルチャーショックもあったが球団と首脳陣が大きなものを求め過ぎたのと不慣れな三塁守備で打撃を大きく狂わせた事も
否めない。

一貫しない采配は戸惑うナインにも影響し個人成績にも表れた。3割打者と20勝投手がともにゼロだったのは36年以来39年ぶり。
打率リーグ10位の王を除いて規定打席に到達したのは打率.264で21位の土井正三と、同.262で24位の柴田勲だけ。チャンスメイク
出来る選手がおらず王も打撃三冠で6年連続の打点王を守るのが精一杯だった。
投手部門でも堀内恒夫は入団以来10年連続の2ケタ勝利を挙げたものの10勝は自己ワーストで、18敗はリーグワースト。
数少ない収穫は打者での淡口憲治と投手の横山忠夫に2勝11敗の新浦壽夫。新浦は登板の度に相手スタンドから歓声が起きたほどで
新浦本人も「あの年は投げたくなかった、球場に行くのも嫌だった」ほどだったが、この経験と翌年投手コーチとなる当時評論家の杉下茂との
出会いが翌年に生きる事となる。現役時代はミーティングの感想文に「よくわかりました」とだけ書いていた長嶋も、監督となっての
この屈辱には人心把握術など監督業の難しさを自身でも身をもって“よくわかった”1年だった。そのオフ、王の負担を軽くするために
張本勲をトレードで獲得。他にも加藤初獲得のトレードや高田繁のウルトラコンバートなどの大改革。コーチ陣でも長嶋が選んだ淡河は
退団し広岡ヤクルトへ移り関根、宮田も二軍へ配置転換された。 (了)