中華思想の基で中国王朝は周辺諸民族を他者化(自他の区別をつけるもの)し、
夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)と蔑む一方、冊封体制(事大朝貢体制)
によってその世界観を具現化し、また同時に夷狄の教化に当たった。
中国王朝のこうした世界観は周辺諸国では否定的に受け取られることが多く
日本でも聖徳太子の書「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」のように、日本の天皇と中華皇帝を対等に扱う書簡を送ることや、
南北朝期の懐良親王が明の太祖からの朝貢を促す書簡を無礼と見なし、使者を斬り捨てたことに表れるように、中華中心の華夷観を否定し対等外交を志向する向きが強かった。
それに対し朝鮮では中国王朝に従い、積極的に中華文明つまり儒教及びそれに伴う華夷観を受容し、
中華に同化することで自国の格上げを図る道を選択した[注釈 1]。朝鮮は本来の華夷秩序においては夷狄に相当するものであったが、自らを「中国王朝と共に中華を形成する一部(小中華)」と見なそうとしたのである
兵庫県議 野々村 政務費不正で泣き乱
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2024/01/25(木) 18:18:44.93ID:FIjkZmOB0
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