数学を初めとした理系の学問と哲学について 

1132人目の素数さん2018/05/19(土) 03:10:23.11ID:xoGGPCWd
数学と哲学は(開)近傍にある、もしくは、そこに類似の学的構造がある
ということは無いのかと考えて、数学板にスレを建てました。

ピタゴラス、デカルト、ライプニッツ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、
ホワイトヘッド、フレーゲ、クリプキ、ゲーデル、パスカル、ベルクソン、
ブール、パースetc.と、数学者と哲学者と兼ねた人物が多かったり、
数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多いのではと思い、
共に高度な論理性と抽象性が要請される点など、両者には共通の構造が
あるのか否かをここでじっくりと考えていきたいと思います。

224132人目の素数さん2018/07/12(木) 14:29:18.37ID:0iQVYdHR
数学が実在的か否かはともかく、とりあえず数学は人々に客観的なものであると
認知されている。それに対し、カントやニーチェの哲学では客観性=真理性
そのものの存在に対して否と言う。カントであれば、真の客観性や真理性は、
ブラックボックスとして「もの自体」という未知の領域Xにあるものと措定されるし、
ニーチェであれば、真理のすべてはパースペクティヴや解釈の違いによる現れの違いに
過ぎず、真理だと呼べるものは、この世界や宇宙には何一つ存在しないと述べている。

古典論理やライプニッツ、デカルトの近代数学の完全性などは、その真理の保証人
として、暗黙裡に神を前提としているのだろうけど、ニーチェの場合は「神は死んだ」と
なるので、そういう真理性の保証人となるような絶対真理みたいなものはない、と
いう立場になる。すべての真理はその主体との相関項で現れる相対的な暫定的なもの
(暫定・相対的な真理。だからその観点だと、数学も真の客観性を表すものでなく、
相対的で道具的、あるいは、有用・有効性の中において捉えられるものだという
解釈になる。

複雑な現代数学などは、むしろ、この相対的な真理性の方に入ってくるのではないかな
と感じているのだけど、違うのか。ゲーデルの不完全性定理もこっちに入りそうだけど。

225132人目の素数さん2018/07/12(木) 18:50:49.27ID:CrCdmH1A
ポエム乙

226132人目の素数さん2018/07/12(木) 20:25:53.23ID:PMn2+JSK
哲学がポエムとはレベルの低い無教養な認識だな

227132人目の素数さん2018/07/12(木) 22:39:19.74ID:CGSPnKjh
ポエムに失礼

228132人目の素数さん2018/07/13(金) 02:17:02.88ID:1uz/QrFw
ラッセルもゲーデルもプラトンのイデア論を源泉とする数学実在論者だから、
彼らの哲学的な立場では、数学は「イデア(真実在)」にあるようなものだと言えよう。
その意味は、数学を用いる人間という相関項や心がなくても、
それとは独立に数学自体が存在しているということだ。

229学術2018/07/13(金) 10:11:26.21ID:m/ul6yQL
数学より 1 の方が。第一に優先事項だ。高価で、可能性は大きい。

230学術2018/07/13(金) 10:12:00.16ID:m/ul6yQL
哲学者はもう1を手に入れることができないのかどうか。

231学術2018/07/13(金) 10:12:34.28ID:m/ul6yQL
1は売られてしまってもう見つからないのだろうね。

232学術2018/07/13(金) 10:13:26.68ID:m/ul6yQL
1 デイ a

233学術2018/07/13(金) 11:19:10.21ID:m/ul6yQL
ヤング ボエイム 死戦記 は掛けましたが。

234学術2018/07/13(金) 11:19:40.19ID:m/ul6yQL
文系だった時期あるから理系の方がよくできるという評価でした。

235学術2018/07/13(金) 11:22:04.52ID:m/ul6yQL
高等中学 付属 総合/専門カリキュラムだったけど。趣味は環境ビジネス。

236132人目の素数さん2018/07/13(金) 16:19:52.90ID:EynZ8gRm
数学が相対的に正しいかを問題視することは、例えば、√2 は有理数か無理数か? というように、
対象として数学的に見ても、大昔からあった無理数の存在性を問い返すのと同じようなことだわな。
有理数だけでは数学の理論体系の範囲はかなり狭まるから、通常は相対的に正しいかどうかは問題視しない。
いうまでもなく、数学が出来る人の中で、√2 が無理数であることに異論を唱える人は殆どいないだろう。
ニーチェとほぼ同時期に、数学者同士でも無理数の存在性をめぐる有名な論争があった。

237132人目の素数さん2018/07/13(金) 17:30:42.66ID:1uz/QrFw
ラッセルは数学の持つ必然性を説明するために、数学を論理学に還元しようとした。
それを現在の区分から言えば、正確には論理学と集合論への還元にあたるが、
ラッセルは集合論において、集合という外延的な存在者を認めず、命題関数という
内包的存在者を根本概念とした。これにより、数や集合という存在者を認めず、
個体と命題関数、命題だけを存在者として認めることにより、数学に解釈が与えられる
ことになる。また、論理学と集合論の公理さえ認めれば、数学の公理や定理をそこから
演繹することができる。こうした試みは「論理主義」と呼ばれ、ヒルベルトの
「形式主義」、ブラウアーの「直観主義」と並んで、20世紀初頭の数学の哲学の
代表的な立場の一つだった。

238132人目の素数さん2018/07/13(金) 20:38:17.77ID:1uz/QrFw
ここにラッセルの判断論を図式にまとめてみよう

関係<R>が対象<a>と<b>を関係付けているとき、そうして構成される事実を
<R (a,b)>と表記する。ここで()は、関係が作用する範囲を表すだけで、
独立して存在できる対等のまとまりを表していないが、<>で括られた部分は
独立して存在することができる。

「オセロ」、「デスデモナ」、「キャシオ」、「愛する」、「信じている」
という表現が意味する対象や関係をそれぞれ、<o>,<d>,<c>,<L>,<B>とする。

オセロが「デスデモナはキャシオを愛している」と信じている、という事実は
どのような構造をしているのか。

239132人目の素数さん2018/07/13(金) 20:38:41.02ID:1uz/QrFw
ラッセルの理論によれば、それは次の事実αである。

<B (o,<L (d,c)>)> ……α

つまり、<o>と<L (a,b)>という2つのものを<B>が関係付けていることになる。


また、別のラッセルの理論によれば、

<B (o,L,d,c)> ……β

となる。(対象と関係の一つ一つに<>を付けるべきだが、式が煩雑になるので省略)

240132人目の素数さん2018/07/13(金) 20:39:16.19ID:1uz/QrFw
αは<L (d,c)>というオセロが信じている内容となる命題という部分を持ち、
これはαから独立して存在することができる。またオセロがもっと複雑なこと、
たとえば「デスデモナはキャシオをその若さゆえに愛している」と信じたとすれば、
命題となった部分の構造が複雑化するが、信じるという関係<B>は、オセロと命題の
間の二項関係のままである。

一方βは、そうした命題という独立して存在可能な部分を持っていない。
<L (d,c)>というものが仮にあったとしても、それはβの構成要素でなく、
その外部にあってβを真にするような事実である。そして、オセロの信じることが
複雑になればなるほど、関係<B>が関係付けるものの数も増える。そこでこの理論は、
多項関係理論と呼ばれる。

241132人目の素数さん2018/07/13(金) 21:09:38.16ID:1uz/QrFw
>>236 ふーん、そうなんだ

ただ、ラッセルやゲーデルの数学の哲学的立場は、数学実在論だと思うよ。
つまり、数学的な真理はアプリオリに実在している。だから各々の偉大な
数学者は、その数学的な真理をアプリオリを発見したのであって、
それを発明、創造したのではないだろう。たとえ、それが数学者同士での論争の末に
決着がついたものであれ、それはアプリオリに数学的な命題や真理としてあった、と
想定してみてもいいだろう。

242132人目の素数さん2018/07/13(金) 21:12:24.30ID:1uz/QrFw
たとえば、ギリシアの3大作図問題の一つに、角の3等分問題がある。
この場合、与えられた量の3乗根を求める必要があるためコンパスと
定規だけでは作図不可能であることが知られている。

「定規とコンパスを使って作図」とは、(1)定規は2点を直線で結ぶ(目盛りは使わない)、
(2)コンパスは円を描く、(3)あくまでも手順は有限回である、ということを意味している。

さらには、「作図可能」とは、全ての角において作図可能ということであり、
例えば、直角( 90度)のような特定のケースだけ、作図可能であっても答えにはならない。
1837年に、フランス人数学者ピエール・ローラン・ヴァンツェルによって解決されたもの。

それで、頂点の数が素数の正多角形で正3角形と正5角形はコンパスと定規で作図可能
なのはユークリッドの時代から知られていて、それから長い間、コンパスと定規で
作図可能なのはこの2つの図形だと考えられたいた。でも、ガウスは正17角形も
コンパスと定規で作図可能なのをある朝知った。つまり、ユークリッドの時代から
2000年も経て、その数学的真理を発見した。

だから、数学は創造ではなく、アプリオリに存在する真理の発見だと考えてみても
いいだろう。

243132人目の素数さん2018/07/16(月) 08:59:27.11ID:ElPddkbV
>>237-242
数学は、神が独立に人間の精神の中に認識出来るように創造した、という広く広まっている見解をいいたそうだ。
ゲーデルは無神論者かどうかは正確には知らないし、取り敢えず、ゲーデルの数学実在論ではこの見解は通ると思う。
だが、ラッセルの哲学に則って、仮に、神が独立に人間の精神の中に認識出来るように数学を創造したとする。
すると、ラッセルは有名な無神論者だったから、ラッセルの哲学に則った上での見解では矛盾が生じる。
論理に一貫性がなくなるから、背理法が適用出来る。
よって、ラッセルの哲学に則ると、神の代わりに或る何かxが存在して、上の見解(仮定)は
或る神とは異なる何かxが存在して、数学はxが独立に人間の精神の中に認識出来るように創造した、という見解になる。
この神とは異なる何かxは何か? というと、xは神を創造した何かいわゆる神の創造者と解釈することになると思う。
なので、ラッセルの哲学に則ると、数学は、神の創造者が独立に人間の精神の中に、認識出来るように創造した
という見解になるであろう。この神の創造者(x)に基づき、X={ {x} | {x}⊂{x} ではない } という集合を構成する。
1):{x}∈X とする。すると、Xの定義から {x}⊂{x} ではないことになるので、矛盾が生じる。
2):{x}∈X ではないとする。すると、Xの定義から {x}∈X という条件も満たすので、やはり矛盾が生じる。
1)、2)から、何れにしても矛盾が生じる。この矛盾はXを構成したことから生じたから、背理法が適用出来る。
従って、背理法により、構成した集合Xは構成出来ないことになり、集合Xは存在しないことになる。
このようにして、ラッセルのパラドックスと同じようなパラドックスが生じる。
ラッセルの哲学の数学実在論に則ると、このパラドックスはxの存在性を仮定したから生じたから、
ラッセルの哲学の論理としては、背理法により、数学を創造した何か(数学の創造者)xは存在しないことになる。
従って、ラッセルは数学実在論者ではないといえそうだ。
上の議論では、人間は哲学することがある生物であること、及び人間は神を認識することがある生物であること、というごく自然な2つのことを仮定した。

244132人目の素数さん2018/07/16(月) 09:29:17.99ID:pQGTt/Gy
理神論の神はほぼ数学と神が同義

245132人目の素数さん2018/07/16(月) 10:23:52.27ID:ElPddkbV
>>244
数学と神が同じ意味としても、人間は哲学することがある生物であることを仮定すれば、
文章の表現の形は変わるが、>>243と大体同じ議論になる。このときは、>>243のx(数学の創造者)は「数学」になって、
同じようなパラドックスが生じる。そして、数学は存在しないという結論に至る。
これでは、数学の概念や定理などを発見しようがなくなるから、
やはり、数学と神が同じ意味だったとしても、ラッセルは数学実在論者ではないといえそうだ。

246132人目の素数さん2018/07/16(月) 14:07:01.85ID:pqCdpuwH
人間を形而上の存在として扱うのは違和感がありますね
仮に言語が形而上の存在であるとして
人間は進化の過程でたまたま言語という存在を探り当て獲得したのが正解でしょう
人間は根元的に山師だと思う

247132人目の素数さん2018/07/16(月) 14:55:53.55ID:ElPddkbV
哲学をする上で、人間を形而上の存在として扱うかどうかは、立場の問題に過ぎん。
ラッセルは論理学者だから、ラッセルの哲学を考えるにあたっては、
論理的に議論を進めるのがよいだろう。

248132人目の素数さん2018/07/16(月) 15:07:35.03ID:pQGTt/Gy
数学というイドラもスピノザの神もかなり早い時期に考察されてる

249132人目の素数さん2018/07/16(月) 15:24:03.70ID:ElPddkbV
哲学の板にもここと同じ名前のスレが以前からあったから、
哲学の板にあるこのスレと同じ名前のスレで議論するのがいいんじゃないか?
神学の話は詳しくは知らん。

250132人目の素数さん2018/07/16(月) 15:32:31.46ID:ElPddkbV
哲学の板で見つけた、このスレに該当するスレは
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1529226578/l50

251132人目の素数さん2018/07/16(月) 16:05:49.95ID:pqCdpuwH
私は言語普遍性を信じる立場ですので
宇宙人が知的生命体であれば同じように言語を獲得するでしょうし、数学を獲得するでしょう
人間語と宇宙人語で相互に翻訳可能なはずです、細かいレトリックを除いて

252132人目の素数さん2018/07/16(月) 22:24:30.21ID:pQGTt/Gy
数理的に記述された物理法則がねじ曲げられるようなマンガちっく異世界だといいね

253132人目の素数さん2018/07/17(火) 03:57:11.48ID:4Z8Jdwkb
>>243
ラッセルは哲学者でもあるので、プラトンのイデア論のような考え方を支持していますよ。

まず、私が数学実在論というのをどういう意味や観点で述べているのかを
説明してみます。たとえば、地球は地球上に人類がいなくても、いなかった時代でも、
地球として実在していますよね。つまり、地球を認識する主体が宇宙に存在していなくても、
地球は実在している。人間がいない時の呼称は、もちろん地球とは呼ばれてはいないけれども、
今の地球と呼ばれるものと同じ惑星が実在していた。

数学実在論もそれと同じです。たとえ数学を扱う人間や主体が世界にいなくても数学は常に
実在している。地球に類人猿しかいなかった古代においても数学は実在していただろう、
という観点です。あと、数学実在論はその源泉として、プラトンのイデア論がある
という考え方は、イデア界という一種の完全な天上世界が想定されていて、そこにこそ
すべての本質や真実在、数学的真理があって、私たちの感覚器官で認識できる物や概念、
現実世界は、その完璧なイデア界の不完全な投影図に過ぎないというのが、プラトンのイデア論です。

つまり、数学や論理の一部に矛盾があることは(ゲーデルの不完全性定理、ラッセルのパラドクス)
、イデア界の完全性を破綻させ矛盾に追い込むものでなく、むしろそのことで斉合性を
得られると考えられます。なぜなら、私たちの住むこの世界や人間、人間が構築する概念は
不完全であり、完全なる真の世界はイデア界にこそある、という理路だからです。

254132人目の素数さん2018/07/17(火) 03:57:44.42ID:4Z8Jdwkb
私たちは五感で捉えられるこの世界や宇宙を完全なもの、普遍で現実そのものだと認識するけれど、
たとえば、目の見えない人や耳の聞こえない人のように感覚器官が一部制限された人たちの
ことを想像してみるとイメージが掴みやすくなるかもしれない。その人たちにとって、
この世界や宇宙は五感を自由に使える人たちと比べると、不完全な形で表象されている訳です。
それと同様のことが五感を使える私たちにも言えて、五感以上の感覚器官やセンスデータが
付与されれば捉えられるようなイデア界のような完全なる天上世界があるにもかかわらず、
それを五感や身体という、ある意味で、感覚器官が一部制限された状態にある人間には、それを
十全には認識できないと思考実験してみれば、私たちの五感だけでは世界の実在を完璧に捉える
ことが出来ない、と言えなくもないだろう。

このように言うと神秘主義的な話に聞こえるけど、実はそうでもない。たとえば、
棋士とAIが電脳戦を戦って、AIの差す手があまりにも斬新で将棋の定石や歴史にないものであり、
名人でもそのAIの指すアルゴリズムや意味を解読できないような一手があったりする。
そして最終的に、そのような奇手を放ち続けるAIが名人に勝利したりする。
このことの意味は、人間の既存の認知機能では解析出来ないレベルのAIのアルゴリズムや
ゲーム戦略がブラックボックスとしてAIには実装され、実在している、ということが分る。だから、
人間の脳に将来AIチップでも埋め込まれることになって、その認知機能が拡張したり、
人間の知能が飛躍的に高まれば、これまで分からなかった種類のアルゴリズムが解読できるように
なるかもしれない。そして人間には解析出来ないそれらの高度なアルゴリズムは常に最初から
実在しているのだけど、認識する人間の側が不完全であるので、それを現状では解読できない、
という理路になる。これが少し形而下的に表現したプラトンのイデア論のイメージ。
神はややこしくなるので、話から割愛しました。

255132人目の素数さん2018/07/17(火) 08:25:05.34ID:X4upAgnh
>>253-254
数学実在論は、
@:認識出来る数学は無条件に実在することが仮定されていて、不完全な人間は数学を認識出来るに過ぎない、
という考え方か。どうやら、数学実在論では、認識出来る数学の存在性の証明は出来そうにないわな。
つまり、「数学の無条件な実在性の仮定」の「仮定(されていること)」を外して、数学実在論を、
A:認識出来る数学は「無条件に実在して、」不完全な人間は数学を認識出来るに過ぎない、
という考え方だと書き直すことは出来そうにないわな。
(もし出来るなら、「数学の無条件な実在性」の証明をして、@をAに書き直してみてほしいが)。
ここに、@とAとの間には、数学の無条件な実在性が「仮定されているか否か」という点において、
微妙なニュアンスの違いがあることに注意してほしい。
例えば、コップがあると仮定することと、コップがあると断言することが違うように、
仮定するのと断言するのとでは意味が違うだろう。
まあ、認識出来る数学の無条件な実在性の仮定の問題に帰着するだろうな。

256132人目の素数さん2018/07/17(火) 09:12:14.83ID:7109nXNx
>>254
バカが治って真っ正面から数学理解できるようになるといいね

257132人目の素数さん2018/07/17(火) 20:42:50.76ID:4Z8Jdwkb
>>255
イデア界の実在の証明なんて出来る訳もないので、あまり厳密に考えないで、
一種の思考実験や仮想現実くらいに受け止めればいいのかと思われます。

「欲望の時代の哲学〜マルクス・ガブリエル 日本を行く〜」
http://www.dailymotion.com/video/x6ou6zm

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2018/1/13
マルクス・ガブリエル (著) 清水 一浩 (翻訳) ベストセラー1位- カテゴリ 講談社選書メチエ


思想界では、新しい実在論がブームになっているらしい。上記の動画では
科学的な一元論や近代合理主義、高度資本主義が人々を抑圧する装置として
作動していると分析し警鐘を鳴らしている。多元的実在をすべて包括するクラス
としての世界は存在しないと、この哲学者は述べている。なぜなら、
そうした世界が存在するには、それが存在する意味の場が必要になり、
論理的な構造上、すべての実在を包括する世界自身は、その意味の場に入れないので、
それは意味をなさない、すなわち世界は存在しない、という理論になっている。

ラッセルもタイプ理論と記号法、クラスについての考察で似たことを述べている。
幾つもの命題関数を包括するクラス自身をそのクラスの要素として、他の
命題関数と同じように「ある」とはみなせないし、そうみなしてしまうことで、
それが言明として無意味になると述べている。張り紙禁止と書かれた張り紙は、
その言明をクラスとしての自分自身には適用しないことで、それが無意味な
矛盾した言明になることを暗黙のうちに回避している。

つまり「ある」においては、それに対応する別の階層の型があるという観点で
ラッセルの型理論の考え方だろう。オブジェクト指向のプログラミング言語でも
クラスの概念が使われているけど、そこでも類似のロジックが使われていると
言えるだろう。ラッセルは、このようにクラスの記述は、不完全記号であると
述べている。

258132人目の素数さん2018/07/18(水) 10:03:26.75ID:DMWNfifE
>>257
半年前に国内でも広まった新しい実在論の話があったのか。
その実情の背景には、行き過ぎた工業の発展や人工知能(AI)の進歩により、個人の意味が問われたことがあるようだ。
だが、そういう時代の流れに乗らずに、レトロな生活をしている人も多くいる。
例えば、生活で使える環境にあるにも関わらず、今でも、パソコンやインターネット関連の製品は勿論のこと、
スマートフォンや携帯電話すら持たずに生活している人はいる訳でな。首都圏にもそういう人はいるようだ。
例の実在論の話は、そのような人にとっては、何かのきっかけでその話を知るまで、分からないんじゃないかね。
まあ、頑張ってな。

259132人目の素数さん2018/08/05(日) 13:31:03.28ID:wNKi0yjO
>>256
お前がなw

260132人目の素数さん2018/08/10(金) 03:19:51.25ID:hnq8c+rp
千万億兆

261132人目の素数さん2018/08/12(日) 22:35:19.63ID:QuPwMlRp

262132人目の素数さん2018/08/27(月) 00:16:27.71ID:bJeqE9wU
型理論ってラッセルが考案したんだな、知らなかった
圏論学ぶ哲学者がいるって聞いたけど、どんな風に使うの?

263132人目の素数さん2018/08/27(月) 07:42:45.56ID:+T2CRNT3
ポモを読めばわかるよ

264132人目の素数さん2018/08/28(火) 10:17:38.10ID:z+5Mu9ST
それで分る訳ないだろwww

265132人目の素数さん2018/08/28(火) 12:36:47.29ID:JqxjnIEP
数学用語使ったポエム風に使うんだよ

266132人目の素数さん2018/08/28(火) 12:54:25.11ID:SG0fimrZ
数学できない人専用スレ

267132人目の素数さん2018/08/29(水) 19:42:23.27ID:orHYF4Nk
ttps://note.mu/kuragem/n/n19ac075929cb
考えない日本の私 ? さとり世代として
くらげ 2018/05/22 07:35

「和を以て貴しと為す」というのは非常に美しい言葉ですが、
近代の日本人はこれを曲解して、
「全体の調和のためなら個人は犠牲になっても良い」という意味に捉えています。
「全体」のために犠牲になる個人、というとまるで戦時中のようですが、
結局のところ、日本は今でも戦時中の全体主義を引きずっているような側面があるように見えます。
先ほど、「日本は今でも戦時中の全体主義を引きずっている」と書きましたが、
正確には、「日本人は本質的に全体主義と相性が良い」のだと思います。
日本の教育課程では、理系科目を別にすれば、「論理」をほとんど扱いません。
理系科目にしたところで、問いに「論理的に答える」手法を扱うだけで、
「何かを論理的に考える」または「何かを論理的に主張する」といった手法は扱いません。

268132人目の素数さん2018/08/29(水) 19:42:39.48ID:orHYF4Nk
「どうしてこのような状況に陥ったのか」については、知識がないので議論することができませんが、
現状の問題として、日本人は論理的な思考や主張の手法を
(少なくとも中等教育まででは)あまり身に付けることができない、という事実があります。
全体主義は、目標と、そこに至る道のりがはっきりとしている時には機能するように思われます。
明治維新以降、日本には常に目標がありました。
それは例えばいち早く西欧に倣って近代化を達成することであり、
国体を護持し領土を拡張することであり、焼け野原から復興することでした。
しかし、日本はここに来て、はっきりとした目標と道のりを失ってしまったのです。
日本が掲げた目標は、どこかでは既に達成されていたか、
あるいは達成の手法が外部から指示されたものだけでした。
目標と、道のりがはっきりしていたわけです。

269132人目の素数さん2018/08/29(水) 19:42:55.66ID:orHYF4Nk
むしろ、さとり世代の特徴は、
「最初からいろいろなことを受容して、諦めている」という部分にあるのではないかと思います。
校内暴力や学生運動といったムーブメントが再び起こらないのも、
いろいろなものを「諦めて」いるからです。
不満があってもそれを変化させる方向にはエネルギーを使わず、受容し、
諦めることにエネルギーを使っているのです。
まさしく、ある意味で悟っているのです。

270132人目の素数さん2018/08/29(水) 19:43:11.88ID:orHYF4Nk
こうしたさとり世代の特徴は、「考えない日本」の極致のようなものだと思います。
私たちは考え方を知らず、考えることをしない社会に生まれて育っています。
何かを変えるためには、自分の頭で物事を考えなければいけないし、その能力は私たちにはない。
ついでに言えば、何かを考えないと明日食べるものがないわけでもない。
成熟した先進国にあって、考えない私たちは、物事を「そうである」ものとして受け入れる外ない、
ただ漫然と毎日を過ごす満足した豚です。
日本の本当の絶望は、少子高齢化とか人口減少とか経済の低迷などではありません。
本当の絶望は、誰も、そういった課題を解決する道のりを立てられず、
仮に物事を考えられる誰かによって策が立てられたとしても、
その実行を決断できる頭脳がないことです。
私は、このことに思い至る度に、すごく嫌な気持ちになるのですが、
それと同時に「まあ日本の将来なんてこんなもんだろう」と諦めている自分も存在し、
そしてカラオケにでも行ってこんなことはすぐに忘れてしまうのです。

271132人目の素数さん2018/08/29(水) 19:47:07.62ID:orHYF4Nk
>日本の教育課程では、理系科目を別にすれば、「論理」をほとんど扱いません。
>理系科目にしたところで、問いに「論理的に答える」手法を扱うだけで、
>「何かを論理的に考える」または「何かを論理的に主張する」といった手法は扱いません。

>現状の問題として、日本人は論理的な思考や主張の手法を
>(少なくとも中等教育まででは)あまり身に付けることができない、という事実があります。

272132人目の素数さん2018/08/29(水) 19:47:36.56ID:orHYF4Nk
数学科に入ったら先ずは既存の数学を理解するため必死に勉強するしかない。
これって、考えていることにはならないのでしょうか?

273132人目の素数さん2018/08/29(水) 20:15:40.17ID:Lae4VpBD
エネルギーを使った模範として校内暴力や学生運動があがるような文を書くような人の言うことを鵜呑みにする必要はありません

274132人目の素数さん2018/09/08(土) 17:29:57.20ID:BE8iXyFU
sm33818635

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