世界最大の数学者は誰だと思う?
世界最高の数学者といえば、だれでしょう。
三人ほど挙げてみて下さい。まず三大数学者を決めましょう。
やはりガウスは入るのでしょうか >>340 単にフランス語でもともと書いていたかどうかの違い 何をもって最大と呼ぶのかは分からんけど、最大の物理学者なら近くに候補がいる
俺が大学時代に履修した素粒子物理学の先生は、めっちゃでかかった
体積最大であり、みんなで「歩くグラビトン」って呼んでいた ヒルベルトは本人が天才だったというよりも
弟子を上手に育てた、やる気にさせた
という点では大きいかな。 ヒルベルトは数学者として何がすごいのか分からん
無知な俺に教えてくれ
ヒルベルトプログラムとかヒルベルト23の問題とかが有名だが、こんなもん現代数学では何の価値もないよな?
不変式論とか関数解析の業績はあるが、「20世紀最大級の数学者」等というほどではないと思う
あと、ヒルベルトの前後の世代に、ヒルベルトよりもすごい数学者っていくらでもいるじゃん?リーマンとかポアンカレとか >世界最高の数学者
身長の記録がないからわからないw 記録に残ってないからどうしようもないがたぶん次の順番
1位 掛け算を考えた人
3個までは意識できてそれ以上はいっぱいと捉える動物もいるが人間は多数でも判断できる
そしてその数量の足し算引き算は自然と身についていったかもしれないが掛け算は誰かが考えたことだろう
2位 割り算を考えた人 人の仕事を喚起すること
人に仕事の場を作ることは立派な業績だぞ
それに価値があるとかないとか
後世からじゃなんとでも言えるからな
>こんなもん現代数学では何の価値もないよな?
じゃあ無理数の発見も
三平方の定理も中学生でも知ってるから価値ないのか >>355
前半と後半で内容がかみ合ってないぞ
大丈夫か? >>356
大丈夫って心身の状態がか?
全然大丈夫だけど 「前半」では
ヒルベルトプログラムや23の問題を提唱し
数学者たちに研究対象の指針を示した(活動の場を造った)ことについての価値判断のことを言っていて
「後半」では
そのプログラムや23の問題の中の問題そのもののの価値のことを言っている
どちらも>>350が言ってることに対応して書いただけ
初等幾何などどれだけ現代数学で姿を見ない「古い」分野であっても、
教科書に載っているどれだけ中学生にとっても常識的な事柄であっても
それを最初に定式化した人は大学者だ たしかに前半について説明不足だな 補足するわ
ヒルベルトの「数学研究作業者」としての仕事はリーマンやポアンカレより劣る(?)としても
ヒルベルトのプログラムや問題を大々的に提唱した自体が
リーマンやポアンカレが積極的にやろうとしなかった、
従ってこの2者に対して「研究作業者としてではなく広い意味での数学者として」「すごい」ことの加点要素となる仕事になっている
勿論それをもってしてもなおリーマンやポアンカレの方が広い意味でも「すごい数学者」であるのではという議論の余地はあるが abelian
Noetherian
Artinian
Jacobian
Hessian
Tannakian
以外に形容詞化してる人いる? >>360
いや、ヒルベルトプログラムなんて現代では顧みる価値ないでしょ
ユークリッド幾何学も、5次方程式の解の公式だの角の三等分だのもそう
なんで現代の価値観で判断しちゃいけないの
仮に、グロタンディークやセールの業績の大半が陳腐化したとしたら、俺は躊躇いなく「どちらも大したことない」と言うよ
あと、簡単(中学生でも分かる)なら重要でないなどとは一言も言っていない
微分積分は高校生でも分かるけど明らかに重要だし、ガウスもオイラーも頑張りゃ高校生でも理解できるが、どう考えたって大数学者 ガウスは日本では超有名だが
他国では日本ほどは有名ではない
少なくとも3人選べと言われても入らない
逆に日本でこれほど有名なのは何が原因なのか
やはり小学生の時に等差数列の和の出し方に気がついて
先生を驚かせたエピソードがあるからか
あれは数学者の業績としては関係ないし
高校生で知っているのはガウス記号と複素平面くらい
そのことからガウスがすごいという発想にはならないだろう
他の人よりはるかに有名という理由には弱すぎる
日本では数学科の人以外でも理系の人ならガウスがすごい数学者というくらいまで知られているのはなぜ ガウスは19世紀最大と言われる
19世紀は近代数学が爆発的に発展した時期だから
19世紀最大なら歴史上最大の候補になりうる。
ガウスの円周等分論がなかったらガロア理論もなかったかもしれない。
しかもガロアは「代数方程式の根号による解法」という古い有名問題に拘っていたが
ガウスは円周等分論の正しい・「数学的に重要な」応用
である整数論的応用まで行っていて、これは現代数学に通じる
つまりガウスこそあの時代において現代に至るまでの流れを
パースペクティブに見通していた稀有の大数学者だったってこと。 上記は日本人の典型的欠点が凝縮されている。日本人は天才を匂わせてすごそうな
雰囲気を匂わすだけであり、彼らは河東の天才性に関する「契約相手との共通認識」
を形成できない。日本人の話し方は次のようである。
河東泰之の天才小話(中学生のときはすでに大学数学、白人から褒められた〜、国際的な賞を受賞された〜)→
「すご〜い」→天才っぽい雰囲気の形成→天才であると感じて欲しい→終了。
日本人の話し方は記憶行為と引用行為、実況行為や伝聞行為ばかりである。彼らの発言には、審判や判断が存在しない。
日本人は「中学生で大学数学を勉強することは天才であるのか」、「殺人鬼の子孫である白人から賞を受賞することが
天才であるのか」を審判、判断したい、または日本人は河東の天才性に関する彼らなりの根拠や正当性を知りたい。
一般人の価値観では、中学生が大学数学を理解することは天才でなく「早熟」であるように思える。しかし、日本人の
学者気取りは天才であるように「匂わしてきた」。彼らの言葉遣いは非常に雑である。
学者と呼ばれる人間の言葉遣いが雑であるとき、日本人は彼らの言語能力や知的能力を疑う。審判能力が低いので、
彼らは天才でない不良債権を天才と呼び、醜いデザインの日本人をイケメンと呼ぶ。
https://oreranitsuite.com/2019/09/25/%e6%b2%b3%e6%9d%b1%e6%b3%b0%e4%b9%8b%e3%81%af%e5%a4%a9%e6%89%8d%e6%95%b0%e5%ad%a6%e8%80%85%e3%81%a7%e3%81%aa%e3%81%8f%e5%b9%bc%e7%a8%9a%e3%81%a7%e6%9c%aa%e9%96%8b%ef%bc%88%e3%81%be%e3%81%9f%e3%81%af/4/ >>368
くだらん
すでに答えがあるものに対して正解を書いただけだろ
テストを作った人もいるわけだからオリジナルの考えでない
そんなものが世界最大であるはずがない フェルマー
ニュートン
オイラー
フーリエ
ガウス
コーシー
アーベル
リーマン
ポアンカレ
ヴェイユ
セール
グロタンディーク
ドリーニュ
岡潔
小平邦彦
岩澤健吉
志村五郎
佐藤幹夫 最大であることを体重で決めるなら、あるいは身長で決めるなら、。。。
上に有界だろうから、最大元は存在するだろう。 >>380
宇宙ヒモみたいな巨視スケールの
宇宙論的形而上学的リンガをヒンドゥー教徒が論じることがある。 各国とも自国の学者を推したがるものであるから、
ドイツならガウス、フランスならコーシーとかラプラスとかラグランジュかな。
イギリスなら、。。。といった具合になるのではなかろうか? ガウスを崇めるドイツも
コーシーをたたえるフランスも
アルキメデスの足元には皆でひれ伏す ガウス、オイラー、ニュートン。
この三人で決まりだろう。 フィールズ賞のメダルに誰の肖像が彫ってあるか知ってる? 3大は難しい
だからその2倍で考えてみる
つまり6大数学者
ニュートン
ライプニッツ
アルキメデス
ユークリッド
ガウス
オイラー
次点としてというか2軍の6人
コーシー
ヒルベルト
リーマン
ガロア
ポアンカレ
アーベル 未来は我々には未知であるといふ。
近々、文明が核戦争で終焉するというのならあるひは。