映画館の思い出
良い思い出、悪い思い出、おかしかったこと等々、語りましょう! 懐かし洋画系なんで、とりあえずそうだな…
昔、池袋にあった文芸座とか。
青砥駅前にあった京成名画座とかを思い出すなあ。 エアコンが装備してなかった夏場の昭和の時代
入り口に冷房完備なんて大げさな看板を出してインチキなことしてた
中に入ったら天井に大きな扇風機が設置してあった キチガイ楽しそう(笑)
55 名前:この子の名無しのお祝いに :2021/01/10(日) 18:25:26.94 ID:IPu7Ppq6
>>49
お前が荒らしてんだろうが!もうバレバレだわwww バァーカ!知恵遅れ!
いつもの人が書いたレスのコピペ貼ってチョロチョロと
二行程度ほどの大した事言えない低能クソ返しレスしてる無能の池沼キチガイ荒らし!
56 名前:この子の名無しのお祝いに :2021/01/10(日) 19:15:43.08 ID:IPu7Ppq6
池沼の>>49よ
この際ハッキリ言うけどスレ立てたのは俺なんだから自分が立てたスレを
荒らすわけなんてねぇーだろ!www やっぱりお前は真正のキチガイでもあるし
またどうしようもないバカでもあるなwww
それでは猫ほどの脳ミソの容量しか持たない知恵遅れが頭ひねって一生懸命
考えた結果いつものバカの一つ覚えでもある他人が書いたコピペ糞返しレスを
ご覧くださいwwww 下記に注目(笑)
↓ >>7
相変わらず人が書いたコピペでレスしてクソ返しする事しか出来ない無能の
知恵遅れwwww 少しは少ない脳みそ使って自分が考えた煽り文句の一つでも
書いてみろよ!www まあ最初からお前には無理な話か...www
生きてても何の価値も無いSEXの出来損ない 知的障がい者 >>7
自分にアンカー打ってるよこのバカwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 今の時代、映画館の思い出をレスする人も減ってしまった。
10年前だったら、もっと多くのレスが寄せられたと思う 浅草のなんていう映画館は忘れたが
名画座。基本邦画だったが洋画もあったな
中に入るととにかく足元にゴミが散乱
時々足の甲の上をネズミが走っていった感触があった
なによりびびったのは、空いてるのに両サイドで立ち見
これはホモが相手を誘ってる合図らしく、積極的な爺は席に来て誘うこともあったとか
一度後ろの席で揉めてる雰囲気がして振り向くと
爺が殴られ木の様に倒れた時もあった
そんな環境ではあったがお目当ての映画の時は行ってました 浅草東映にはよく通った。
煙草の吸殻で一杯になった空缶がよく座席の下に放置されてたが、たまに小便の
入った缶が倒れて悪臭が漂うこともあった。
そしてそれが普通のことだったw 浅草の東京クラブだったか、3本立て見に行ったのだが初回1本目が「大脱走」
幕が上がって始まった〜と思ったらいきなりマックィーンがバイクで走ってやんの
驚いたのなんのw
浅草では途中から上映することがままあるらしい
すげーな >>13
いや、それは二番館や三番館ではフツーの事だったよ。
最終回上映の終了時間が夜9時半くらいに設定されていて、そこから逆算してタイムテーブルが決められていた。
で、朝の上映開始は朝10時頃と決まっていた。
従って、最初の回の映画は、途中から上映されるのが当たり前だった。
自分は、松竹の『ゼロの焦点』を、ラストの犯人逮捕を最初に見てしまい、
次の『二階の他人』、次の次の『三匹の侍』を挟んで、その次に『ゼロの焦点』の殺人事件と捜査過程を見た。 三ノ輪にあった映画館、スクリーンにツギがしてあった >>14
えっ、そうなんですか!?
名画座巡りは結構したけど、途中上映なんて初めてなので驚きました。
さらには生まれも育ちも東京の友人が
「浅草はちょっと特殊でね、午前に入る客のほとんどが仮眠目的なんだ。そこで劇場側も考えてね、
いきなりクライマックスから上映してそんな客の目を覚まさせてやろう、という魂胆なのさ」と。
当時地方の田舎から上京したばかりの自分はすっかり感心して信じてしまい・・・
あのやろぉーーー! >>16
「午前に入る客のほとんどが仮眠目的だった」というのは正解。
工場勤めの夜勤労務者が多かった。
いや、それどころか、場末の小汚いコヤでは、午後から入館する客だってほとんどが就寝目的だったりした。
(当時はネット喫茶なんてなかったから)
だからこそ、客のほとんどはまともに映画を見ておらず、
だから、「とりあえず午前中からコヤを開けておく」という事が優先された。
自分は、イングマール・ベルイマン監督特集の三本立て『沈黙』『処女の泉』『夜の儀式』を、そういうコヤで見たが、
自分以外の客は間違いなく全員が寝ていた。 はー、すると友人の言ったこともあながちデタラメでもなかったのですね
(劇場側の意図はともかく)。
いろいろ合点がいきました、ありがとうございます。
それにしてもベルイマンの3本立てなんて私も寝てしまいそうな・・・w 浅草の中映、名画座はまだマシでしたよ
新劇場が、女装爺とホモの素で。
椅子にも虱がいるとか言われてました 浅草名画座にソフト化されていない「徳川一族の崩壊」目当てに初めて入ったときは、臭さと汚さのあまり逃げたしたくなったε=┌( ・_・)┘
浅草中映はそんなことはなかった といっても見逃したジャッキーチェンの映画を1回見に行っただけだけど
「地区封切」(=浅草と錦糸町では今まで上映したことはありません、の意)の貼り紙が懐かしい 浅草名画座、土曜日のオールナイト3本立てとかよく行ったなあ。
3本だと朝まで持たないから、最初の1本だけ再上映するのだが、最後の上映は
思いっきり中抜きしてあり、4時半頃に客を追い出す為、エンドロールがはじまる
と、即幕が下ろし電気が付く。
夏はいいのだが、冬場は始発の時間まで間があり、地下鉄のシャッターが閉まって
いて、開いてる喫茶店を探して時間を潰さねばならなかった。
文芸坐の帰りにマツコみたいなオジサンに「映画見てきたの?お腹すいてない?」と
誘われたことも何度かあったが、エイズが騒がれ出した頃でとても怖かった。 今ではシネコンで色々な映画を一ヶ所で見れる状況が当たり前になったが多数の映画館が入ってるビルに観に行く時はプラスの興奮感があったな 2000年前半から東京に仕事で10年いた
東の方に住んでたし自然と浅草の新劇場に行ったけど
汚いし臭いしネズミがスクリーン横のカーテンのぼるんですよ
で。爺さんがハイカップ片手にサバ缶食うんですが
サバ缶の匂いって広がるんですよね。だんだん慣れて私も柿ピーボリボリ
食ってましたけど。2階やトイレはマジのホモが待ち構えてて地獄だったそうです
映画行ってる一般人も帰ったら即、服は洗濯機入れる言ってたから相当汚かっただろな
用事があっていった高田馬場や池袋の名画座綺麗で
ああ、東京の、名画座って汚いとこばかりじゃないのかって思いました
(当たり前)コロナ騒動で「あの新劇場の昼寝爺たち大丈夫か。。」と
思って検索したらなんと私が東京離れた直後閉めてたのんですね
行っててよかった!のかよくわからんけど・・・ 浅草のあの劇場ビルか 末期は松竹が買って自社では使えないバカを送り込んできたけど、結局は売っちまった 恵比寿駅近くで、本圧映画とかいう館名じゃなかったかな?虚おぼえだ、
そこでいとこに連れてもらったのがフランス映画だった。
もちろん、今はないが、その館名だけが知りたい。 >>26
稼ぎ時に休みになる映画館なんてあったん? あなたと映画くらいなら一緒にいくがセフレは無理だ
一生続く
俺は結婚相手を探して今から結婚しなければならない。
だいたい20年前に同じ理由であなたは逃げたんじゃないのかw 20年くらい前の映画館のこと
よく行ってた近くの映画館は隣がパチンコ店だった
映画を見ていて途中でシーンとする場面では、隣のパチンコ店の店内放送や音楽がうっすら聞こえてきてた
ノーテンキなアクション映画ならまだいいが、シリアスな真面目な映画でのパチンコ店の音は殺意を覚えたなw
いつも客がガラガラだったし、今は駐車場になってる 大阪にローズ劇場といってゲイ映画館があったんだが、美少年のボーイショーもやってた
その子 (続き)
舞台に上がってた子と10年付き合って、いまは一緒に暮らして5年になる 昭和の頃の映画館は一度入場したらいつまでも居て良かった
当時、連日テレビのCMでやってたバックトゥザフューチャーが見たくて見たくて日曜日に朝から入場
感動して見終わってもう一度見るためにそのまま席を確保
結局一日で4回見て帰宅
さすがに少し疲れたけど気分は最高だった
飯も食わず一日中硬い座席に座っても平気だった若かりし日 なんば高島屋の向かいにあった映画館でバックトゥザフューチャー2を見に行った。立ち見で一番うしろでずっと背伸びしながら見たのを覚えてる 邦画のスウィングガールズで客席から拍手が起きた経験
観に行ったのは公開日から1週間後くらい
客席は7割から8割くらいで結構入ってた
映画はすごく楽しめたんだが、まさかエンドロールで客席から拍手が起きるとは思わなかったけど、つられて自分も拍手したよ
今のところ劇場で拍手体験をした最初で最後の映画 >>40
「ロッキー4 炎の友情」では確かに拍手した あれは丸の内ピカデリーだったよ ラストじゃなくて、「♪ハーツオンファイアー」〜「ドラコー!」のところね! 新し過ぎるが、満席のプリンス品川のIMAXで上映のT-34 レジェンド オブ ウォー終演時にほぼ全員で拍手したくらいかな。 「踊る大捜査線」公開初日初回見に行った。超満員。
エンドロールの時織田裕二の「Love Somebody」が流れ始めると
音楽に合わせて観客が手拍子を打ち始めた。
事前にネット上で関係者がぜひやってほしいと宣伝していたようで
ファンがそれに応えてやったらしかった。 地獄の謝肉祭っていうまあスプラッタで血肉グチョグチョの映画を観てた時
階下の焼肉屋から焼肉のいい匂いが漂って来たのはまいった、スクリーンの中の
血肉が美味そうに見えちゃって。 >>39
自分は、浅草東宝で繰り返されていた「ゴジラシリーズ・オールナイト」で、
円谷英二ら常連スタッフのクレジットに拍手する者が現れ始めた頃を知ってる。
やがて、拍手するのが当たり前のような雰囲気になっていった。
各作品のゴジラ登場の場面でも拍手が起こるのが定番だった。 それはファンが集まるイベントなので一般の拍手とは違うのではなかろか。
洋画の名作イベントで翻訳戸田奈津子でブーイング出るのが伝統のような >>39
スウィングガールズといえば監督が矢口史靖
彼のデビュー作品の「裸足のピクニック」を
平日に中野武蔵野ホールで観た
上映が終わってロビーでスタッフらしき人が
帰る客らに何度もお辞儀をしてた
そのスタッフらしき人が矢口史靖だと知ったのは
たいぶ経ってから >>47
園子温なんか、無名時代は、自分の作品の上映時にはほとんど中野武蔵野ホールにいたよ。 今は無き日勝文化2でモンキーシリーズ3本立てを2往復見たこと。確か公開順で酔拳、蛇拳、笑拳だったと思う。
朝から入って見終わったら夜になってた。
昼飯はこれも今は無き100円バーガー。 夏場の三番館はクーラーが入っているとはいえ
満員状態だと熱気が勝ってほとんど効かなかったな
だけどガラガラ状態だと効きすぎるくらいだった
自分を含めて三人しか客がいなかったときなんかは寒かったなぁ 昔は休憩中に売り子がアイスクリームを売りに来る映画館があった
売上げを増やすためかクーラーを全然効かせない鬼畜な映画館だった 2番館のテアトルはイスがボディソニックだった思い出。 >>52
あったー!記憶の底から甦ってきたわw
ちょっと小さくて甘さがくどい人口甘味料使ってんじゃないか
って思う味だったような。 夏休み大汗かいて自転車で向かい
館内汗が冷えて震えてたような記憶だな 26年間渋谷を拠点として活動してきた映画館「アップリンク渋谷」が5月20日に閉館すること
を発表。長引くコロナ禍が影響したとしています。 >>57
最後までアップリンク渋谷に残ってた従業員や、いまも吉祥寺で働いている者たちっていうのは、浅井のイエスマンなのかねえ。 >>39
新宿バルト9で井口昇監督の電人ザボーガーを、公開2日目の昼間の回を観たら
ラストで客席から拍手が起きた。(勿論、つられて自分も拍手した)
舞台挨拶があるとか関係者が来ているワケでもなく、
純粋に観客が映画に対して拍手を贈ったんだろうなぁ >>59
中年になった主人公の部屋に警備員の制服が吊ってあったの、あまりに
リアル過ぎて強烈に覚えてるわ 今はない町の映画館
夏や少し長期の休みに学校から割引券が配られた
建てつけが悪くてあちこちから光が漏れていた
お手洗いに行く通路を並んでいたのは18禁映画のポスターだったな
これは普段外に飾っていたのを引っ込めたんだろうな 昔、京成電鉄が経営してる京成名画座ってのがあってね。バーニング観てて、バンボロの焼けただれた手が効果音と共にバンッ!って出てきたら、後ろの兄ちゃんがビクッとなって俺の椅子思い切り蹴飛ばしてた 小学生低学年のとき館内放送で呼び出されたことあるよ
母ちゃんが傘を持って来ただけだった 後ろの奴が膝を前の椅子に付けた状態で貧乏ゆすりしてさ
前に座ってる俺の背中に響いて。
中学位まではドキドキで何も言えなかったけど
成人してからは振り返って「オイ!」って言えるようになったな
あと、視界の隅のほう(斜め前方席)でずーっとパンフレットでパタパタうちわ代わりにやってる奴がいて
飲み終わったジュースコップ投げつけた事がある
よく喧嘩にならんかったもんだ >>67
タイル貼りで溝が通ってるだけで自分のしっこも隣の奴のしっこも全部
一緒に流れる奴だな
トイレが綺麗になって映画館の風情というものは激変したな。 あれズボンを履いてたら分からないが太腿にもションベンの飛沫が飛んでるよ 宇都宮にあったメトロ座ってのが
すべてを甘受している映画館だつたなぁ。
とにかく、作品だけは名作ぱかりだった。
70年代だけど。 >>68
小便器が無くてタイルの壁に放尿するやつか >>67
昭和の頃の映画館なんてそんなもん
今のシネコンと違って食べ物や飲み物の持ち込みはOKでさらに喫煙もOKだったな >>75
ゴマンといたワ。
てか、それが当たり前だった。 まだラジカセが出始めた頃、ミュージカル映画を隠し録りしたことがある
デパートで出す大きな紙袋に入れて持ち込んだ >>12
>浅草東映
仮面ライダーのプロデューサーだった平山亨(1929〜2013年)は新人社員時代、新作が封切られると
よく先輩から「浅草東映に行って観客の反応を見てこい」とリサーチに行かされたそうで
映画界が盛況だった頃は本社ビルにある丸の内東映じゃなくて、浅草がマーケティングリサーチの場所だったらしい
(今のリサーチは新宿バルト9になっているようだが)
六区映画街の一番奥に鎮座するように建っていたから目立つんだよなぁ。 日本は昔も今も低学歴層が分厚いからな、高卒層がつまんなさそうにしていないか調べているんだろう >>78
74だが昔仙台にあった東宝劇場で「エイリアン2」を見たが
前の席の奴が吉野家のテイクアウトの牛丼を食っていたぞw >>68
昔楽天がプロ野球に参入して最初の年にホームの宮城県営球場(当時)に観戦に行ったが
外野の芝生席のトイレがまさにそのスタイルのトイレだった 上野東急という洋画専門の映画館があった
ポルノ映画全盛時代のとき用足しに便所に行くと
エロに興奮した二匹のガキが大便所でシコシコやってた
半扉なんで丸見えだった >>84
隣の男の人に突然手が延びてきておチンチン触られたり
更にフェラチオされたりしなかった?
あっそれは世界傑作劇場だったなw もう映画館には何十年も観劇しに行っていない
家で存分に鑑賞できる時代になったからな 1965年の特別鑑賞券が400円だった頃が懐かしい 日比谷映画劇場、スカラ座、みゆき座、ニュー東宝、スバル座
松竹セントラル、東劇、テアトル東京、テアトル銀座
洋画を夢中になって見た映画館が懐かしい >>88
「宇宙戦艦ヤマト」の艦長沖田十三のセリフみたいだな >>86
昨年、緊急事態宣言が明けてからランボー5を観に行ったが
やはり映画は映画館の大スクリーンで見るべきだなぁ、と実感したよ >>88
何故、そこで有楽座と丸の内ピカデリーが出てこない?w テアトル東京では「ベン・ハー」を見たな
中学校の時の映画鑑賞教室の一環として連れて行かれた
70ミリ映画を初めて見て感動した思い出がある 解体される前の帝劇でシネラマを初体験した
スクリーンが三等分されてるのが気になった
あれは映写するカメラが3台あったからだとあとで分かった >>93
テアトル東京で映画観たかったな
地方在住だから願い叶わなかった 歴史映画上演のとき途中で休憩時間があったのかどうか記憶にない
あれだけの大作ならあったと思うが全然覚えていない
オレもジジイになったんで忘れてしまったよ いま東京都内にまともな映画を上映してる映画館なんてあるの? >>97
定員を抑えて再開してるよ
てかまともな映画って何よ?
カルト団体が作った教祖様の映画か? 上野、浅草から映画館がなくなって映画が衰退していったのは確か テレビが普及し始めたから映画の観客動員数が減ったんだ
アメリカではそれで客を呼び戻すためにシネラマや70mm映画を製作して活路を見出した >>100
一方、日本では映画そのものの内容で外国映画に勝つことは不可能と判断し、日本人にしかウケない映画、つまり人気のある男優女優の顔見せ興行メロドラマばかりを作ることに決まった
あと、ついでにロマンポルノ的なものでガス抜き(アダルトビデオが無かった時代の動くエロ本を供給するという意味と、セックスシーンさえ入っていれば前後のシナリオはどうでも良いので自分の好きなように撮りたい制作陣のガス抜きという意味の両方) 朝鮮人が監督するようになってから邦画は質が落ちたんだ >>99
浅草は同意だが、上野はどうかなぁ?
東宝系のメジャー洋画の上映館が、上野パークなんて小さいハコだったし… 場末の三流映画館は3本立てのものが普通だったな
封切館を終えてたらいまわしにされる映画ばかりだった
次の映画上映のあいだおばさんがおせんべいやキャラメルなどを売りに回っていた 三ノ輪にあった映画館はうしろの席でルンペンが横になって寝ていた ニュース映画や記録映画で退屈したら振り向いて映写室の窓に映る画を見てた
昼間でも寝に来てるようなおっさんがいたな >>109
三八式歩兵銃を構えた片腕の映写技師はいなかったか? 邦画初のシネマスコープ映画「鳳城の花嫁」を見た思い出
スクリーンの端にツギがしてあった
場末の映画館ならではの光景であった >>111
上の方に結露によるカビが生えていなかったか? 昔の下町には封切りを終えた映画を3本立てで上映してる映画館が至る所にあった
時代劇もの、刑事もの、アクションもの、空想科学映画など組み合わせがバラバラで
それでも低料金で観れたんで楽しみに映画館に通ったもんだ
映画上映途中でフィルムが切れてしまい場内は大騒ぎ、続きのフィルムが届くまで
何分もかかったという懐かしい子供の頃の思い出だ 年末の恒例映画である忠臣蔵上映のときは料金が高くなった >>113
何分では届かんだろw
昔は35mmフイルムで上映してたんだよなー
昔と言ってもヱヴァ序くらいまではフイルムが主流だったか
映写技師は失業したのか? 館内の広さも大きい映画館の魅力と思うから
名古屋の名鉄東宝でスクリーンのサイズは同じでも
客席の半分を削って小さい映画館を増設した時は
心から落胆した
東宝洋画系のメイン館の座から降りてしまった感じがしたな 夏場、冷房完備という看板を出してた下町の映画館
中に入ると天井にでかい扇風機が設置してあるだけ
まだクーラーが普及していなかった昭和30年代の光景だったよ スクリーンの両脇にスピーカーを置くようになったのは1970年代になってからだ
すでに音声はステレオになったいたから 東宝の特撮映画上映のときに必ず最初に立体音響という字幕が出た
子供だったからどういう意味か分からなかった
あとでステレオ音声であることが分かった 昔は映画上映の前に必ずニュース映画、次週上映される予告編から始まった あの頃は入れ替え制もなかったからヒマな奴は一日中映画館の中にいた >>123
ニュース映画/記録映画/CM→予告編→本編1→本編2→本編3→休憩
みたいに次の映画が休憩無しに始まるとこが多かった 映画館で入場券係の人たち
ラムネやおせんべいを売ってたおばちゃんはみんな亡くなっていないだろうな 真ん中へん一帯の1番見易い席が指定席で小さな白いカバーが目印だった 案内係もいて銀の懐中電灯で足元を照らして案内していた >>126
お亡くなりになっていたり
ご存命でもボケていたり寝たきりになっていると思う 研ナオ子は日比谷スカラ座の窓口で当日券売りのバイトをしていたそうな。 映画が全盛期の頃は常に満席、それでも見たいから立ち見で観劇したもんだ 舞台に寝転がって観てたw @妖怪百物語
夏場のことだが館内の窓とカーテンが開けてあったことがある
隣のビルとの隙間が狭いから光は入って来ない
満席だったから窓枠に座って観るガキもいた >>131
消防法違反だ!!!!!!!!!!!!!客を危険に晒してまで数百円の利益を取りたいのか!!!!!!!!!!!!!!激怒 >>133
1人くらいいるんじゃね?
ただ誰も発注しなくなっただけで >>133
そんな事はまず探してみない事には分からない 美大生とか数人雇ってゴリゴリのペンキ絵を描いてもらったらいい
配給から激怒した奴が来るかも知らんけどw >>133
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/498301
↑俺青森だけど89歳の映写技師の人看板描いてるよ
>>138
この前の読売新聞の日曜版に銭湯の背景絵を描いている30代の女性の記事が載っていたよ
その他にも何人か銭湯の背景絵の画家さんいるみたい エスカイヤクラブのcmは映画館でしか見たことがない。 銭湯の壁の上の方には上映中の映画のポスターが貼ってあった
女湯は知らん 銭湯の休憩所には近所の映画館のポスターが貼ってあった
今週の映画が女性の裸体のポスターだと
目が釘付けとなり下半身が大変なことになってしまった
1960年代後半の懐かしき中学生時代だな 下町の三流映画館の広告は字幕だけだった
みんな3本立てで写真などついてなかった ゲーム募集+雑談+
ウォッチパーティーする映画募集
『ネットクソウト侍』
(20:00〜放送開始)
htt://www.twitch.tv 前の席に外国人が座ってたのね。
英語でしか通じないギャグシーンでその外国人だけデカい声で笑ってたり
主人公が拷問されるシーンでは「オーゥ!オーゥ!オーマイガー!」って
言いながらポップコーン食ってたりして。映画よりも外国人のリアクションが面白かったわ 田舎の映画館、ときどき土曜の夜にはエロ映画をやっておっさん連中を集めていた
新聞に折り込み広告が入るので少年の身としても興味津々だった 昔は上映中は客席は真っ暗だった
今は始まってもパンフレット読める明るさ >>149
ええ!
昔の方が禁煙やら時計やらでやたら明るく無かった? 今はスクリーンが明るいから客席も明るい
昔は本当にスクリーンが暗い劇場があった >>147
そういえば「スピード」
あれ笑うとこそんなに無いと思うけど
客の外国人がけっこう笑ってたのは覚えてるな
英語ジョークがけっこうあったのかな 家の表通りに面した壁面に映画館の上映ポスターを貼らせていた
謝礼は入場券
「ビラ下券」と言っていた
炎加代子主演の映画ポスターは上半身裸の彼女が振り向いているもので、衝撃的だった
子供だったからその映画は観ていないが 中学生の同級生らとマトリックスリローデッド観に行ったんだけど、エロシーンでオナニーした 新宿のミラノ座、新宿東急は多くの人の記憶に残ってるだろうし、
自分もマトリックスの新作観たら、ミラノ座で旧作観た事思い出した。
そんな超メジャーな所だったけど、ミラノボウルのボウリングゴロゴロの音が
結構響いてたよね。
「映画館ってこれで良いのだろうか?」と考えさせられたなぁ ミラノ座でグーニーズを観てプラザでBTTFを見た。
今思えば物凄い贅沢だよな。 前の年はミラノ座でグレムリン、プラザでゴーストバスターズ。84年から85年は神ってたな >>159
ミラノ座でバットマンを観てプラザでBTTF2を観た。
大劇場のハシゴなんて今じゃ難しいだろうなぁ ゴッドファーザー3を歌舞伎町で観た
座れないだろうと思ってたから指定席買ったけど結構ガラ空きだったよ ゴッドファーザーは3作とも睡魔にまける
退屈極まりない 人生初の映画館鑑賞をしたのが、『E.T.』だったな。
そこへ行く途中で、これまた初体験だったマックでハッピーセットを買ってもらって、それを持ち込んで食べながら観てた。あの時のハンバーガーの温かさは、今も忘れられない。 >>165
自分は浅草東映に東映まんがまつりを観に行った時に売店で作っていた焼きソバ。
(売店でも売ってるが休憩時間になると係員が場内に売りに来る)
これを喰いながら観るのが楽しかったが、焼きソバを売っているのは浅草だけで
銀座の丸の内東映には無かったので、子供心にダサい映画館だと思った。 池袋の東映系、日勝文化2でジャッキーチェン特集蛇拳、酔拳、笑拳モンキーシリーズ3本立を100円バーガー2個買い込んで朝から夜になるまで
見た思い出 梅田東映ホールでイレイザーヘッドを見たとき、
売店のおばちゃんが
あんな映画、そりゃ客はいらんわなー
って大きな声でしゃべってた 広島のボロ映画館のひとつだった、OS東劇でゴジラ復活祭を観に行った(1983年
お客も老若男女程よく入ってて、三大怪獣地球最大の決戦が始まったのだが、
途中でフィルムが切れたのか、暫く真っ暗に
場内は仕方ねーなー、みたいな失笑とざわざわした雰囲気に包まれた 90年代末期のシネコンで、潰れたところ、多い。時の流れは早い。 ミラノ座も新宿プラザももう無いんだよな
どっちも思い出の映画館やわ 2000年代にド田舎から東京に住み
インディ4をなるべくデカいスクリーンで妙味と調べて
新宿プラザ行ったなあ
でもその十年位前に旅行で東京訪れた時、
夜新宿でトゥルーライズを観た
デカくて、ああだから映画館を劇場って言うんだなあって今日思い出した
あれはプラザだったんだな 妙味→ネットで調べて、ね。
プラザ、2008年で閉館てことはギリギリに行ってたんだな レイダース、グレムリン、グーニーズ、ロッキー4→ミラノ座
ゴーストバスターズ、BTTF、ダイハード、プレデター→新宿プラザ ミラノ座ではリーサル・ウェポン、グツドフェローズも見たの思い出した >>171
彼女がいなかった俺の心の拠り所だった
上映時間までロビーの椅子に座って缶コーヒーを飲みながらタバコを吸って待つ
あの頃はもう帰ってこない.. ミラノ座のスクリーンは丸の内ルーブルよりも大きかったなぁ
フェイスオフを両館で見比べたけど、ミラノ座のほうが迫力を感じた スクリーンが暗くて冷房の効きが悪かった広島宝塚劇場
休憩中にアイスクリーム売りのおばさんが通路を巡回 トゥルーロマンスを一緒に観たあの子
やっとけば良かった >>175
ミラノ座はガラガラのブレードランナーとスターシップトゥルーパーが記憶にある 名古屋
シネマA
グランド劇場
中日シネラマ
名宝劇場
熱田旗屋
鶴舞劇場 渋谷東宝(今の渋東シネタワー)でBTTFを観た
スクリーン大きかった シネコンでまだ自動発券機じゃなかった時代。
悪いことしましょ!という映画を見たかったが、チケット売り場で
「えーと・・・悪いことしましょ!大人1枚」と言うのが嫌で結局行かなかった。 日劇がヒューリックホール、大阪松竹座が芝居小屋に転換したように、大劇場も存続出来なかったものか。 今もそうかもしれないが、スピーカー越しの受付嬢とのやり取りがなつしいチケットをめくる音とか 少林寺が4Kリマスターで上映してるけど初公開から40年経ったのか、子供の頃観に行ったな アリー my Loveで男女共用洋式トイレが斬新とされていたけど、地元駅前の映画館もそうだった。
08年に閉館して思い出に・・・ 2日寝ずにインセプション見に行った
LSDしてる感覚になったわ 中学の頃バックトゥザフューチャー3は立ち見でターミネーター2は階段に座って見たわ、賑やかな時代だったな 3本立ての場末の映画館があった頃はのどかでよかった 1999年くらい。映画「死国」のポスターが映画館に、大きく貼ってあって、チケット買うにも気が遠くなるほどの長蛇の列。みんな、列に並びながら、500円くらいで買える簡単なストーリーが読めるパンフレットを読んだりして、っていう、あの時代は、あの時代にしかない良さがあった。子供だったけど、その感覚は忘れてない 高校時代、今の嫁と「死霊のはらわた」を観に行った。
途中で後ろのアベックの女が「見えんから頭下げて!」と強く言うてきたから、嫁はすぐさま頭を下げたんや。
けど嫁は174cmの高身長、座高も高いから下げたところで意味がなかったみたいで、今度はその女が嫁の席を後ろから蹴り上げてきた!
その行動にとうとうブチキレた嫁は「大概にせえやぁ!!」言うてコーラをその女に顔面に浴びせたんや!
そしたらその女も負けじと、持っとる缶コーヒーを嫁に投げつけたけど、わしの頭に当たって泣きそうになって、映画より嫁とアベック女が怖かった言う話や 昔は真夜中までオールナイトとかやってたけど今も都会ではそんな映画館あるの? ケビンコスナーの「ティンカップ」当時つき合ってた外国人の彼女と観に行った
そしたらさ、何しろ熟年カップルの物語だし、俺らはまだ20代前半。彼女は最初から
「あーーつまんね」て英語でぶつぶつ。
中盤でいきなり「もう出よう!」て腕掴まれて外にでた。同時上映も観れず。別れてだいぶ経ってラストまで観て、けっこう面白い映画と思うけどなーと思った。当時は「あーあ」と階段降りたけど流石外国人女性は強引だよな。今となってはいい思い出なのかなあ、、、 雑談→ゲーム版ハリポタ
ホグワーツ・レガシー~体験入学~
14:43~
ttp://hideuri.com/ny6eR4 昔の映画館は前のやつの頭とかで見えにくかったりしたよな いまは無き梅田のローズ劇場を知っている人は少ないだろうな >>202
昔の映画館の男子トイレの小便器には丸い消臭剤が置いてあったな
それでもトイレから通路側に匂いがしてたの覚えてるなw >昔は真夜中までオールナイトとかやってたけど
はあ?
オールナイトは朝までだろ >>207
10代のころにそこで踊っていた子と今は一緒に住んでいる コマーシャルと幾つかの映画の予告編が終わった後に、
上下左右いっぱいにスクリーンがぐわーんと広がる
テアトル東京のような大劇場は2度と復活しませんかね
(スーパーシネラマしか勝たん)
2階最前指定席が休日の初回上映は自由解放されるので、
朝から並んでゲットし、引き続き2回目を1階席で観賞できた
古き良き思い出
スターウォーズ冒頭のスターデストロイヤー登場のド迫力に
客席がどよめきました 2000年代にシネコンが増え始めてから映画を見に行くのが苦痛になった
社会がテーマパーク化してきている 一方ミニシアターの映画は新しい才能ある作家が生まれなくなって閉塞感で窒息しそうになる
ゴダールの言うように映画は死んだのか ポテトチップスとか売ってる自販機ももう映画館にないな もうおまいらめんどくさいから上野のエロホモ映画館でもいっとけ 昔の映画館はビールとか持ち込んでも何も言われなかったな 立川の北口の映画館によく行ったがしょんべん臭かった
人気映画は立ち見でびっしり、上映中に3人くらいは
急に倒れて運ばれてたよな、普通にある日常だった。
たまに、ほか弁食いながら見てたやつがいた。
誰だって❔それは私です。3本立てだから腹減るんだよ。
昔3本立てよく上映してたが、途中休憩なしぶっとうし上映だからな
ありえんわ5時間連続とか当たり前の時代だった。 人間の集中力って1時間半が限度らしいが休憩なし3本連続って見終わった後どんな感じなんだろう 浅草東宝ってもうないのかな?と思ったらとっくの昔になくなってた
90年代末にはじめて行って昭和30年代そのまんまなムードにびびった
没落した往年の大女優という感じでよかった
スーパーのパックのお惣菜を持ち込んで食べてる客層にも驚愕した スーパーとかには無いカルビーとかと違って中身の見える袋入りのポテチが売ってたなあ。 池袋の日勝地下でホモやらショタの痴漢に遭ったという証言多し。
わたしは遭わなかったけど。 中学生の時ショタ趣味の変態にチンポ触をられたことがある。
そっと顔を見ると小学校の時の担任だった。
小沢という奴だった。 どんな顔だった?
小児愛者って独特の人相をしている人が多い 感情を発散させずに溜めこんでいるから鬱屈した人相になるんだろうな
あと劣等感が人一倍強いはず 一口に小児愛者といっても、男⇒男の子と男⇒女の子では違うだろ
この場合はいわゆるショタというやつか >>232
そんな狂気じみた顔じゃない。
小心そうな田舎の親父に過ぎない。 神戸新開地の新劇シネマ
昭和末期
タバコ吸ってるやつが多くて、モクモクしてた。
映写機の光の筋に煙が照らされてきれいだった。
見たのは、戦争の犬たちともう一本
もう一本が何だったのかは忘れた。 浅草新劇場は2000年前半までそんな雰囲気だったよ
足の甲の上をねずみが走ったり、スクリーン横の垂れた布ねずみよじ登ったりしてたな
上映中サバ缶つまみに飲む爺いてあの匂いが広がってた
まあ一番びびったのはホモの巣で
上映中なにやら後ろが騒がしく振り返ったら
おっさんが殴られて棒が倒れるようにスローモーションで倒れた時かな
ホモが普通の人誘って殴られたような感じたった 2000年代に町も人も小綺麗になっていってつまらなくなったな
チェーン店、ショッピングモール、シネコン、アウトレット、駅の再開発はどこも同じ チェーン化で同じものばかりになるからホントにそうだ。
独自性がなくなった。昔は1軒1軒看板からして違っていた。
今は「左角にセブン右角はエネオスのスタンド」なんて場所が複数ある。
だから道歩いててもどこだか分からなくなったりするよ。 下北沢の名画座たまに行った。小田急から何やってるか看板で確認して。 三条まゆみの「若妻襲われる」を神田の映画館で観賞中
隣に座ってきた小倉一郎に似たホモのおっさんに
ずっとチンポコをモミモミされてたわ 子供は発展場みたいなところにはいないし
少年趣味のゲイにとって映画館は欲望を満たす
絶好の場所だったかもね。 ジャニ―喜多川は80代まで性暴力を続けたらしいが、映画館にいた性犯罪者達は今どこに逃げ込んでいるんだ そういえばロリコンが集まる撮影会はあるけど男のショタコンが集まる撮影会ってないね。
ジャニーズJrのコンサートに男が集まるってこともなさそうだし。 まぁジャニ社長の場合は絶対権力の元に犯罪してたが
映画館のモーホー共はそこまで悪質ではないがな
被害者は逃げようと思えば逃げられた場合が殆どだろう 幼稚園くらいだと思うんだけど初めて観た映画がスーパーマンだったんだけど
字幕も読めなくて親が小声で教えてくれるんだけど、地球の周りをぐるぐる回り始めたところでなんとか時間を逆に回すロジックを何とか教えようとする父親を最近思い出した 昔の映画館の思い出といえは前の座席に座る人の後頭部
昔は床の傾斜あまりつけられなかったのかね 公衆トイレって80年代頃まで臭くて汚かったよな
どうやって改善されていったのか
ヤンキーが減ったこととも関係しているのか >>246
テアトル東京のスクリーン近くの10列くらいは後ろの方が低かった。 >>165
映画館って皆さん素敵な思い出を持ってる方が多いですね。
僕は11歳の時父に連れて行ってもらったコメディ映画『ビーン』
(Mr.ビーンが美術館の学芸員としてイギリスから渡米する話)
が思い出深いです。
普段あまり笑わない父が息が出来ないぐらい爆笑しているのが印象的でした。 映画によっては、爆笑するようなシーンで声を出して爆笑するかどうか迷うんだな。
しかし回りの様子を見てそんなシーンで声を出して爆笑する人が多いと、
いいんだなと思ってその後自分も声を出して爆笑するとか…
そんな館全体のライブな一体感みたいなモノが魅力だったよ、昔の映画館は。 小学校高学年の頃
映画館内に貼ってある新作のポスター
わくわくしながら
眺めるのが好きだった
立ち見どころか通路まで一杯の人で溢れた映画
日本公開69年ディズニーの「ラブ・バッグ」 >>251
たまーに一人だけ、周囲がひくくらい爆笑してる人いたよね
記憶にあるのは90年代の「三銃士」の映画 因みに俺は、昔は食い物飲み物持ち込み大丈夫だったので。ビール何本か買って観ながら飲んでいた
そこまで混んでなくてリラックスして飲んでいて酔いもありいつの間にか自分の家にいるような気になっていった
そして屁が出そうになり、運の悪い事に静かなシーンの中、片尻を浮かし大音量で放屁した
屁をした瞬間、あれ、、ここ家じゃなく、映画館、でした、よ、ね、、、?みたい顔が真っ青というか真っ赤になり。勿論周囲の人々は無反応であった。
しかし、思ったろうな。さっきから缶ビールプシュプシュ開けておまけに何の遠慮も無く人前で屁を垂れるこの野郎どんだけ極悪人だよ、と。きゃつらは。 豆チョコみたいなの売ってて誰かそれを開けると匂いが広がってたね
缶ビール飲んで空き缶足元に置いといて、それに足が当たってカランコロン倒れると焦った記憶