ビートルズがやってくる!やあ!やあ!やあ! [無断転載禁止]©2ch.net
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はっきり言って甘ちゃんなんだよな
ビートルズって
通ならストーンズさ!
フラウンシュガー!ユーガッタムーヴ!
逝けよ!逝けよ! ちゃんと歌詞を歌えよ
♪Hey (hey) You (you) Out of my cloud ‥
Get off of my cloudだろ ♪ I can't get no satisfaction ‥
私は不満足を得ることができない 青盤はオールドブラウンシューではなくレインを入れるべき
選曲がジョージだからこうなったわけだが、
最低だよジョージ まさにジョージのギターは冗談そのもの Pete Bestは、Best of the beatlesというレコードを出したことがある もう53年も前の作品だなんて信じられない!!
でも、この映画の中のビートルズ4人の何て自由なこと
映画の中で描かれる時代は古くなっても、この4人の持つ格好良さは今でも十分キラキラしてる シャインアライト最高や!
やあ!やあ!やあ!なんてクソや! 「書を捨てよ 町へ出よう」
なんか寺山修司みたいなセリフがあった気がする 学校から飛んで帰ってテレビにかじりついて観た記憶がある 土曜日だったのかな ビートルズ
昔は四人のカブトムシ達って紹介されてたな(笑)
ちなみに最高傑作はヤーブルースかアイムザウォラス 昔、東銀座の松竹セントラルで観た
女の子たちがスクリーンに向かってキャーキャー絶叫して
うるさかったのを覚えてる ビートルズ世代はみんなジジィ、ババァだよ
それも理解できない低能児がいるんだなw あの頃のビートルズの東芝赤盤レコードは何枚も買った
最初はモノラル盤でしか発売されなかったんだが
この映画のサントラ盤が国内初のステレオ盤で発売されたんだ ビートルズのイメージは恋する二人
メロディが哀愁があっていい
映画もいい、この頃こそビートルズ
この後に長髪になるのは、違うな そういやアルバムA hard day’s nightにはリンゴのリードボーカルの曲がないな。
その埋め合わせで映画では長めのソロ場面なんだろうか。 リンゴが初めてヴォーカルを担当したのは「ビートルズ’65」での「ハニー・ドント」が最初
これがまた聞いていて恥ずかしくなるようなコミカルともいえない駄曲だった ア・ハード・ディズ・ナイトでジョンがリンゴを慰めるように歌いだす
「恋におちたら」はほんとうにカッコよかった
そのあとのポールとのデュエットでのこの曲の美しさは初期の代表曲 >>28
1stアルバムのBoys、2ndアルバムのTwanna be your manはリンゴが
リードヴォーカルで、初期のライブでもよく演奏されてましたがなw
つい最近Netflixで観たやで
リンゴかわE 東芝レコードはビートルズ、ベンチャーズという人気バンドのおかげで莫大な利益を得た >>36
アホちゃうか?
ビートルズとベンチャーズを同等に語るな
アホやから教えたるが、
横綱・ビートルズ、ローリング・ストーンズ
大関・レッド・ツェッペリン、クイーン、ピンク・フロイド、ブルーススプリングスティーン
関脇・マドンナ、プリンス&ザ・レボリューション、ドアーズ、イーグルス
前頭筆頭・スティーブミラーバンド、ジョンクーガーメレンキャンプ、ハート
前頭・マイケル・ジャクソン、U2、ブライアンアダムス、
ジョーンジェット、キンクス、ザ・フー、その他
十両・ベンチャーズ、ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクル、、、 >>36が、東芝の話をしてるのに
見当違いの洋楽厨が、必死の形相で湧いてきてる ビートルズの登場でプレスリーの人気が急落したのも事実
レコードがまったく売れなくなった あの当時、プレスリーが好きだなんて言ったらバカにされたもんな
みんなビートルズ一辺倒だった 羽田に着いた時、メンバー全員がハッピ着て降りて来た時は驚いたね >>41
そうだね
ミーハーはみんなビートルズだったね プレスリーはバカだから作曲はできなかったし、
つまらないマンネリ映画のサントラ盤しか出せなかった
それに比べてビートルズは自分たちで作曲して次々にヒットさせた
ファンがビートルズ支持にまわったのも当然だ ビートルズはちょっと評価され過ぎだね
ミーハーはみんなビートルズビートルズという オデオン盤は何枚も買ったよ
LP、コンパクト盤、シングル盤とね 国内初のLPジャケットがカッコよかった
モノクロの4人の顔半分が写ってる奇抜なデザインだった ビートルズのレコードは中古レコード店でも高く売れた
それにひきかえプレスリーのレコードなど二束三文だったよ 何回見ても飽きないよね
これはもうビートルズとか何とかっていうより
ロックの歴史っていうか
言いたいことやってやりたい事やる
初めて若者が好き勝手にやって大人をうちまかしちゃった映画じゃないか
当時の人はビックリしたと思うよ
アイドルとか歌手とか、言うこと聞いてハイハイっていうのが当たり前だった時代
全てのロックの始まり 今までの常識を変えた映画
4人とも全然緊張感というものがない
新世代の若者の強さだったよ とにかく新鮮だった
みんなマンネリ化したプレスリーのつまらない映画に飽きていたからね この映画に限ってだけど、意外にポールのキャラが目立ってなかったと思った。
ヌーベルバーグとサイレントコメディとビートルズがミックスされて監督の才気を感じた。 ビートルズを誉めるためにエルビスを貶すのは理解出来ないわ。エルビスだって大佐の命令で映画出なきゃならなかったのだし、やりたいことが出来なかった悲劇の大スターよ。 プレスリーはバカだったから大佐には逆らえず
イエスマンの金稼ぎの犬だったんだよ エルヴィスの主演映画はくだらないものばかり
歌えて女にもてて最後はハッピーエンドの内容
これの繰り返し
あれじゃいくらファンでも愛想を尽かすよ そもそもビートルズはプレスリーを崇拝しているんだけどね ジョンなどは徹底的にプレスリーをバカにしてたじゃん
おまえ、アタマおかしいんじゃねえのかw 還暦どころか、古希前後のジジイどもが
小学生並みのいがみ合いをしてるな
「ハートブレイクホテル」の頃は、ジョンはじめ皆エルに夢中だったが
兵役から戻って、映画路線に転じるようになると
ビートルズメンバーだけでなく、ミュージシャン志望の多くの連中が、興味を失った
ただ、エル個人へのリスペクトは、ずっと続いていたよ
さらっとまとめるなら、そういうところだ ↑
リアルタイムを知らない低能児が聞きかじりのこと書いてるだけ プレスリーはジョンにバカにされたことを恨み
当時のニクソン大統領にビートルズ追放を嘆願した小物
あれでプレスリーのファンは遠のいた >>61
60だが、プレスリー映画は、ロードショーで観たし
「プリーズプリーズミー」は、日本発売前から知っていたよ
いい歳こいて、どこまでムキになってるんだ とっくに亡くなってるけど天国で元気だったらいいね
もし生きてたら今年で105歳だったみたい リンゴがジジィに入れ知恵され、街をあてどもなく歩くシーンが良かった あの当時のミュージックライフは毎月
ビートルズ関連の記事ばかりトップで載ってた
星加ルミ子が単独で4人に会えたのも凄かった >>68
ミュージックライフには、よくソノシートの付録がついていた
ジョン、ポールのメッセージや
来日したハニーカムズの肉声トークとかが収められていた 星加ルミ子がインタビューのために渡英したとき、お土産としてブライアン・エプスタインに本物の日本刀を渡したって話好き。
空港では模造刀のフリをして切り抜けたそうな。 兜のミニチュアを手にした4人と星加ルミ子が着物姿で
真ん中に写ってる写真が表紙だったMLを所有してる人はまずいないだろうな 来日記念特集号でも彼らへのインタビュー記事と写真満載で何回も読んだ思い出がある
星加ルミ子との再会、加山雄三、湯川れい子が面会したのも興味深い内容だったな ジョンが当時流行のイヤミのシェー!ポーズをした写真も載ってる
凧を持ったリンゴ、カメラをプレゼントされてご機嫌のジョージ
4人の写真がたくさん満載されてたな みなさんよくご存知ですね
リアルタイムのビートルズ世代なんですか? リアルタイム世代だが、田舎まで映画は回ってこなかったので当時は見てなかった とにかくビートルズの出現は衝撃的であり、新鮮だったね
プレスリーが飽きられていた頃だったから、よけい支持を得たんだ ミュージックライフでは、アメリカ公演のときに
プレスリーと会ったときの様子が、大きく特集記事になっていたね
もっぱら映画ばかりのエルビスに、ジョンが聞く
「昔のスタイルには戻れないの?」
「映画のスケジュールのためさ。でもいつかはやるかもしれないね」
「じゃあ、それを僕らで買おうじゃないか」
と、かなりくだけたやりとり
やがて、みんなで即興の演奏が始まったが
ドラムがないため、所在なさげなリンゴに、エルビスが
「メンフィスにドラムを置いてきたんだ。済まなかったね」
と声をかける
リンゴは、エルビスをとてもフランクな人物だと再認識
エプスタインとパーカーは、カードゲームに興じる
外では、ファンたちが遅くまでずっと騒いでいた
「エルビス・イズ・キング!」
「ウイ・ウォント・ビートル!」
ざっと、こんな感じだった 実際はその時、ジョンがエルビスの現状について言った事で気を悪くしたらしい
その後、エルビスはビートルズナンバーでもポールの作ったものはカバーしているが、ジョンのものはしていない >>74
いや ちょうど1週間前にNHKのBSでやっててそれで初めて見たのよ
つかストーンズとかプレスリーとかダシにしないと語れない
ここの老齢幼児たちはなんとかならんのか ↑
また、ビートルズ全盛期を知らぬガキがねたんでるw >>79
私もあの世代の人間だが、大抵の人は、映画も音楽もごく普通に楽しんでるよ
ただ、このスレには、プレスリーを叩かずにはいられないという
気の狂った老いぼれが、なぜか一匹常駐しているんだ
こんな過疎スレ、しかも映画板でだぞ プレスリーは入隊前で終わった歌手
それを知らずに知ったかぶりするガキどもが笑える 53無名画座@リバイバル上映中2017/07/25(火) 17:49:23.26ID:jn2Rh7KS
とにかく新鮮だった
みんなマンネリ化したプレスリーのつまらない映画に飽きていたからね
56無名画座@リバイバル上映中2017/07/26(水) 10:34:18.65ID:pY1lUxbN
プレスリーはバカだったから大佐には逆らえず
イエスマンの金稼ぎの犬だったんだよ
59無名画座@リバイバル上映中2017/07/26(水) 18:33:41.57ID:8xvN1Q+T
ジョンなどは徹底的にプレスリーをバカにしてたじゃん
おまえ、アタマおかしいんじゃねえのかw
61無名画座@リバイバル上映中2017/07/27(木) 02:06:04.68ID:fw89BO3A>>63
↑
リアルタイムを知らない低能児が聞きかじりのこと書いてるだけ
62無名画座@リバイバル上映中2017/07/27(木) 07:27:09.16ID:ZKccqNlp
プレスリーはジョンにバカにされたことを恨み
当時のニクソン大統領にビートルズ追放を嘆願した小物
あれでプレスリーのファンは遠のいた
64無名画座@リバイバル上映中2017/07/27(木) 10:32:36.96ID:5yXUS2Fz
入隊前のプレスリーも知らぬガキ
笑わせるぜ
80無名画座@リバイバル上映中2017/07/29(土) 01:44:53.80ID:V+gM4ESa
↑
また、ビートルズ全盛期を知らぬガキがねたんでるw
82無名画座@リバイバル上映中2017/07/29(土) 10:09:16.11ID:OhuSpAvw
プレスリーは入隊前で終わった歌手
それを知らずに知ったかぶりするガキどもが笑える
これを読み返して、恥ずかしくならないか? アホジジイ ニクソン政権の時期にはビートルズはライブやめてる。
エルビスはと言えば、68年にカムバックした。
伝説のテレビショーで強烈な復活劇を演じている。 あの時、期待して見たよ
最初のトラブルでおッと思ったがすぐにつまらないギターマンに移りガックリした
スコッティ・ムーアなどを交えた会話と歌がダラダラ長すぎ
恋にしびれてもヘンなアレンジで聞いていられなかったし
全体的にエルヴィスも落ちぶれたな〜、というのが感想だった
のちにおこなったラスベガスなどのショーなどあほらしくて見ていられなかった プレスリーのことはスレチだから別にスレ立ててやってくんない? プレスリーはビートルズの出現でロックの王座から蹴落とされた
それが内心面白くなかった MLでもビートルズ登場以降はエルヴィスのことはまったく無視していた ビートルズのおかげで英国の歌手は続々とアメリカへ進出し成功を収めた
それまでは英国出身の歌手はまったく相手にされなかったからね リチャードレスターってアメリカ人なんだよね。
この映画や「ジョン・レノンの 僕の戦争」などの皮肉が効いたギャグセンスは
イギリス人っぽいと思えたけど、ちょっと以外だった。 エプスタイン死亡後にアップルレコードを立ち上げた4人
この名前の由来はリンゴからきているもの
星加ルミ子がリンゴに「あなたの名前は日本語でappleという意味よ」と教えた
これからアップルという社名になった >>93
2作目の、「4人はアイドル」を映画館で観たが
リンゴスターがリンゴをかじるシーンで
大勢の女客が
「ここは笑わないといけないシーン」、と言わんばかりの笑い方をしてたな
軽い作り笑いなら、よく見かけるが、
「作り大笑い」は、とにかくウザかったわ 同じ監督が撮りながら、1作目は快作、2作目は凡作
この違いは何だ
1作目はドキュメンタリーフィルムかと思わせるシナリオがいいんだろうな 「ヘルプ!」でリンゴが捕まりズボンが脱げていくシーンでは
女の子たちが「キャー!」とすごい悲鳴を出してた ハード・ディズ・ナイトもヘルプもプロをゴミ出しにしてしまった
今考えるとバカなことをした
両方とも初公開のときのプログラムだったのに >>93
アップルレコードの第一号が
メリーホプキンの「悲しき天使」だったかな メリーホプキンはマシュマロ娘のキャッチフレーズで売り出した
1970年に来日したこともある ヘルプの頃がビートルズの絶頂期だったな
発売される曲が全米1位の連続だった 66年来日のとき、ジョンが解散をほのめかしていた
その場に居合わせた星加ルミ子はエプスタインに
「絶対にこの事は口外するな」と口止めされた
それが4年後に現実となってしまった ヘルプの頃、メンバーは結構いっぱいいっぱいだったんじゃない?
まだ4人に団結があったとはいえ コンサート活動をやめてから4人はバラバラ状態になってしまったんだよ
レコーディングのときに顔を合わせるだけでね オノヨーコという糞ババァがジョンを狂わせ、ビートルズ解散の原因になった プレスリーを引退同然に追い込んだビートルズは凄いと思う ミュージックライフでもエルヴィス対ビートルズの特集が行われていたな ヘルプ!に次ぐ3作目の映画製作企画もあったけど
制作側とメンバーの意見の食い違いでご破算になった ビートルズは常に最先端を走っていた
同年代の他のアーティストとは別次元だった アイ・フィール・ファインの冒頭のハウリングをカットせず
そのままレコード化したことは画期的な出来事だった レコーディングの時たまたまハウリングしたのをジョンが面白がってそのまま残したんだっけ あれは誰もが度肝を抜かれた演出だったな
カヴァーしたベンチャーズも同じく冒頭にハウリングを入れてる アイフィールファインは、発売初日に買ったが
あのころは、ハウリングなんて言葉は知らんかった
「最初の変な音」とか言ってたな
アイフィールファイン/シーズアウーマンのカップリングが
世界で最初のダブルA面だと、当時の先輩が言ってたけど
本当かどうか、今もわからない Day Tripper/We Can Work It Outが両A面って話はよく聴くけどその説は初耳 両A面はカムトゥゲザー、サムシングの組み合わせだけだろ シー・ラヴズ・ユーのステレオマスターテープを紛失した奴の罪は重い 冒頭の電車でbox席に乗り合わせたオジサンをからかうのに、突然四人が電車の外に出て自転車で電車を追いかけるシーンが印象的。 >>122
シー・ラブズ・ユーはシングル盤で発売だから、ステレオミックスは作ってなくて、残ってるのはモノラルのマスターテープだけ
マスターを作る素材となったマルチトラック録音テープは廃棄されている
"抱きしめたい"なんかはそれが残ってたから、66年になってステレオを作ることができた つべでシー・ラヴズ・ユーのオリジナルステレオ音源が聞けるぞ
本物のマスターテープでの再生音だ またちょっと違うように聞こえるステレオ版も別にアップされてるし、非常に怪しい
デジタル技術を駆使して色々できるから 色んな昔の曲をenhance版と称してアップしてるのもあるが、明らかに別楽器を追加録音している >>4
rainが1967-1970に入るわけないだろ 初期の録音はステレオといっても
楽器とヴォーカルが左右に分かれているものが多い
中央に音がないヘンなステレオだ 会社にステレオ版も作れと言われて、ジョージ・マーティンがやっつけ仕事で出したもののようだな
モノラル版を作るのに、ヴォーカルと楽器のツートラックを作ってから、最終的に両者のバランスを取ってひとつにする
そういうモノラル製作途中のテープをステレオだと言ってそのまま出したような‥
ビートルズの連中もモノラル版の作成には立ち会ったが、ステレオには関与してなかった
(ハード・デイズ・ナイトのLPだけは初期でもちゃんとしたステレオ録音になっているが) デビュー当時のビートルズは軽くみられていた
どうせすぐ消える連中だと判断されて
制作側も真面目に録音しなかったんだろう ビートルズの人気が持続するホンモノの感が強まってくると、彼らの録音テープは一切廃棄するなという指示が出た よくリハーサルのテープが破棄されなかったよな
それだけはEMIのスタッフに感謝せざるをえない
シー・ラヴズ・ユーのミスもあったけど ビートルズを新人テストで落としたDECCAの審査員はクビにされた ビートルズを拾ってやったEMIは大儲け
同じ英国の二大レコード会社だが、DECCAは大損した ビートルズで大失敗したDECCAは仕方なくローリングストーンズと契約した
でも、ビートルズには遠く及ばない質の悪いバンドだった デッカが選んだのはビートルズではなく、ブライアン・プール&ザ・トレメローズ
ビートルズのデビュー曲、ラブ・ミー・ドゥの不発ぶりにくらべ、彼らはドゥ・ユーラブ・ミーで見事に全英No.1のヒットを勝ち得たのであった 全英よりも全米のほうが権威があるだろ
バカかよ、おめえは >>138
仕方なくではなく、起死回生を計ってではないかな。
ストーンズのデッカとの契約にはジョージの推薦があったらしいが。
ストーンズのデビュー当時は黒人R&Bのカバーバンドでしかなかったが
レノン&マッカートニーに刺激されたストーンズのマネージャーが
ジャガー&リチャーズのケツを叩いて曲を書かせるようになり、ヒット作が
出るようになるとバンドリーダーのブライアンはバンドで居場所を無くしていき、
ドラッグに救いを求めるようになる。 今I wanna be your manを聴くとストーンズバージョンの方が
サイケっぽくてかっこよく思えるな、個人的には。 そもそもビートルズ人気に便乗しただけのバンドだぞ
あんなのビートルズがいなかったら英国の田舎バンドで終ってた >>144
地方のリバプール出身のビートルズが流行の先端を走り、
首都ロンドンで下積みしてたストーンズがそれに続くってのは面白いよね。 ドイツで下積み時代を送ったビートルズ
そのお礼の意味もかねて抱きしめたいとシー・ラヴズ・ユーを
ドイツ語で録音した
最初この2曲を聞いた時の違和感といったらなかった さぁ、皆さんご一緒に
♪Sie liebt dich, yeah, yeah, yeah
Du glaubst sie liebt nur mich
Gestern hab' ich sie gesehen ‥ ポールは外国語しゃべるの大好き
コンサートでもカンニングペーパー見ながら各地の言葉をしゃべる
武道館コンサートでDon't moreと言ってるなと思ったら、日本語の「どうも」だった
ドイツ語版二曲でもポールの声ばかりがデカい ドイツ語で録音する日、4人とも嫌がってレコーディングスタジオに現れなかった
エピソードは有名 ポールは来日する毎に日本語上手くなってる
オッス!オッス! 2013年福岡公演では「還って来たバイ、フクオカ」とか言ってた 今、生きてるのはポールとリンゴだけか
二人とも老人になってしまい時代の流れを感じる ジョンは早死にしすぎた
射殺した野郎は死刑になったんだよね なってない
仮釈放の申請のたびにヨーコが反対してる
(自分が狙われそうだから) かってキース・リチャードが「あいつを釈放しろ、俺が射殺してやる」と息巻いたことがあったな ジョンは高音が出せなかった
だからハード・ディズ・ナイトの中間部をポールが受け持ったんだ 「のっぽのサリー」のポールの絶叫ぶりは凄かった
プレスリーの野暮ったい時代遅れの歌い方とはダンチだった BSでやってたロンウッドとポールの対談よかったな。 コンサートのエンディングは必ずポールの「のっぽのサリー」だった "have some fun tonight"の歌詞があるからな
コンサートで今夜楽しんでくれってなもんだろう
いい加減に違う曲にしようと、やはりシャウトする"I'm Down"を作った 日本公演もエンディング曲は「アイムダウン」で締めくくった ビートルズのライブはジョンがリードヴォーカルの曲で開幕、
ポールがリードヴォーカルの曲で締めがお約束だからな。
リンゴのリードヴォーカルの曲の時はトイレタイムかな? スポーツ競技場でコンサートを行ったのはビートルズが最初
シェイスタジアムを満員にした記録が残ってる ビートルズがコンサート活動に嫌気をさした原因はフィリピンで暴行されてからだ
あの出来事で4人ともやる気をなくした 当時のニュース映像で逃げまくるリンゴを見た
あれはひどかったよ レコーディングのみに重きを置いた4人はしだいにバラバラになっていった >>168
もう65年頃にはツアーにはうんざりしてたと思う。
絶叫で自分の楽器の音程すらわからず演奏力が低下していくのではないかという不安、
海外に行っても騒動になるから自由に外出もできずコンサート以外の時間はホテルにカンヅメ、
地元有力者の子弟に面会させられ愛想を振りまくのを強要されるなどが続いて
次第にツアーにはやる気を無くしていった。数万人収容の球場でコンサートが行われるようになったのは
できる限り興業利益を上げたいプロモーターとコンサートの数を減らして疲労軽減したいビートルズ側の妥協によるもの。 サージェントのようなサイケ路線になってから狂い始めた ホワイトアルバムもクズ曲ばかり集めた最悪のレコードだった。 はっきり言ってビートルズは「ラバーソウル」までで終わってたな >>175
ジョンレノンはそこまででおおむね終わってる
ポールは75年くらいまでは生き延びた
ジョージはむしろラバーソウル以降が本領発揮 「リボルバー」のアメリカ盤ではジョンの曲が2曲もカットされてた
それでジョンが激怒したのは有名 Yesterdayとかsomethingとかシナトラが歌ってもピッタリくるようなスタンダードはジョンは作れなかった、というかジョンの歌はジョンが歌わないとピッタリこない気がする イマジンが全米1位になれなかったのが不思議だ
誰もがカヴァーしてるのに >>180
ベトナム戦争が終わってから反戦運動を歌っても流行らないよ ジョージには作曲する才能は二人に比べると低かった
「サムシング」のみだもんな
「マイ・スィート・ロード」はシフォンズの「イカした彼」のパクリだったし 作曲ではジョンとポールに敵わないから差別化を計ってインド音楽に手を出したんだろ。
ビートルズナンバーでシタールの音のするやつは駄作でしかないな。 全アルバムの中でシングルカットされたら間違いなくNo.1ヒットになってた曲
ノーリプライ、ミシェル、ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア
なぜこの3曲をシングルで発売しなかったのか? 解散後にシングル発売されたオブラディオブラダも、
ホワイトアルバム発売時にシングルされてたら大ヒットしてたと思う
あと、オールマイラビングとかベイビーズインブラックとか
ガール、マジカルミステリーツアーも ビートルズ65から、「ノーリプライ/エイトデイズアウイーク」をシングルカットしたのは
日本だけなのか。
豪華シングルと思ったが、売上げは、「R&Rミュージック」にかなわなかった >>185
イエスタデイもシングルカットしてないよ、本国では ハード・ディズ・ナイトの7曲はすべてシングル盤で発売されてチャートインした
ヘルプでは映画挿入曲2曲と裏面のイエスタディのみ ポールの声が好き
ジョンの声も大好き
でもジョージの声は寒気がする 4人とも美声はいないよ
それがビートルズの玉にキズだ インマイライフはポールの曲だけどジョンが盗んだ。
悪ふざけだったんだけど
だからジョンの曲としては異質
これを名曲とか言ってる人はバカじゃないのかと思うよ。 初期は過去のヒット曲をいろいろカヴァーしていた
とくにツイスト・アンド・シャウトを初めて聞いたとき
ジョンの激しい絶叫した歌い方にはしびれた 東芝の赤盤17pステレオコンパクト盤を今も持ってるよ
抱きしめたい、シー・ラブズ・ユー、
ツイスト・アンド・シャウト、プリーズプリーズ・ミーの4曲入りだ ビートルズのレコードは中古レコード屋でも高く買ってくれたが
プレスリーのレコードは二束三文だった ポールは初期から個人のみで録音してたな
ティルゼアウォズユー、イエスタディなど ビートルズの作品で全米第1位になったのが
ピーターとゴードンの「愛なき世界」と
エルトン・ジョンの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」だ >>199
そもそもデビュー曲からして
リンゴはドラム叩いてないからな ピートベストを追い出した3人は薄情者だな
一緒に苦労を共にしてきたのに ピートを追い出すのに一番反対したのが入れ替わりで加入するリンゴっていうね まあ正直、ピートだったらあそこまで売れてなかったな
リンゴは特にアメリカで売れるのに重要だった 別のバンドに居たリンゴとはハンブルクでもよく知ってたし、ドラムの腕も評価してた
ピートは、誰かドラムが要るから取り合えず声かけ
話もあわなくて馴染んでいなかったし、ドラムも良くなかった
(ハンサムだったけど) なお、ビートルズのピート・ベストだったってんで、クビになったあとベスト・オヴ・ザ・ビートルズというレコードを出した ドイツに出稼ぎに行ってた頃の音源がポリドールから発売されたことがあった
最初はモノラル盤でそのあとステレオ盤が出たんだ
シングル盤の「マイ・ボニー」は最初ビートルズと明記されて売り出され
それを信じて買ってしまった連中も多かった スプートニクスのジミー・ニコルも、一時一緒だったらしいな
スプートニクスが来日したとき、ニコルもジョンについて語っていた
ただ、不思議なことに、当時あれほどビートルズの話題は溢れるほどあったのに
ニコル在籍の詳しい話は、知りたくても、どこを探してもほとんど見つけられなかった リンゴの代役でオーストラリア公演をしたとき
ファンが絶句した
こんなフランケンシュタインみたいな奴がリンゴの後釜になるのか、と リンゴが病気したときの臨時のコンサート用ドラマーだっただけだけどね ジミー・ニコルはスプートニクスにも居たことがあるというだけで、呼ばれてはいろいろなところで太鼓を叩く、スタジオ・ミュージシャン的な存在だった ビートルズはクロード・チアリの前座だった
「夜霧のしのび逢い」のヒット以来、日本に入り浸りで帰化までしてしまったギタリストの智有蔵人
若いころにフランスでロックバンドを率いていたとき、その前座で売り出し前のビートルズが演奏したことがある 売れないときに結婚してくれたシンシアを捨ててあの糞ババァと一緒になったジョン
あのとき小野洋子の顔をみて愕然としたよ
なぜジョンはあんなドブスなんかと結婚したのかと >>217
これが不思議な話でなあ
良妻賢母のシンシアはジョンにとっては
うんざりだったみたいで
浮気しまくっていた中でヨーコはジョンがダントツ断然で夢中になった女なんだな
知性と品格と芸術性のある女が必要だったんだな、ジョンには
ちなみにジョンの育ての親のミミ伯母さんは
シンシアとは嫁姑の争いが絶えなかったのに
ヨーコとはウマが合ったそうだ ジョンはヨーコに洗脳されてしまったんだよ
メンバーもヨーコなど大嫌いだった >>216
ティーンの歌手ヘレン・シャピロの前座で国内を回っているときのこと
レノン・マッカートニーで作った曲"ミズリー"をどうぞ歌ってくださいと進呈したが、そんな"惨め"な歌は私に合ってないと断られてしまった
だが、そのドサ回りの最中に"プリーズ・プリーズ・ミー"が大ヒット
後半にはシャピロを上回る歓声でビートルズは迎えられるようになった
前座の方が受けるなんて‥シャピロの心底や如何、人気商売の悲哀であります ヨーコは自身のセレブな家系を息子のショーンにも知っておいてもらいたいと思い、
8/18、NHKのルーツ探求番組"ファミリー・ヒストリー"に出演する ファッションセンスのまるでないブスババァなんかテレビに出るなよ お前が何を言おうと放映されるのだ
もう収録済みだ
セレブ婆ぁに何を盾つくか、この貧乏人め あのドブスBBAがビートルズを解散に追い込んだ元凶だからな
ファンから憎まれて当然だ 若い頃のオノヨウコは角度によっては柴咲コウに似てなくもない。
しかしジョンのアルバムジャケットでのフルヌードは見たくなかった。 ヨーコは英語で言うとオーシャン・チャイルド、な
♪ half of what I say, is meaningless ‥ よくもまァ、あんな糞ババァのヨーコの歌をレコードにしたもんだ
聞いていて気持ち悪くなる ジョンがヨーコと会わなかったらビートルズは解散をしなかったはずだ 歌う時のアクションはプレスリーのほうがうまかったな
あの腰をクネクネさせるセクシーな歌い方は真似できなかった ジョン・レノンはステージで身障者の真似してたけどな
"stomp your feet, crap your hands ‥ エルヴィスのデビュー当時、テレビカメラは下半身を写さないように局からお達しが出た エルヴィスは兵役で西ドイツに居たとき、ものすごい美人の14歳の米軍人の娘とパーティーで知り合って下半身がうずいたので嫁にすることにした ジョンは除隊後の映画「GIブルース」を観てプレスリーは終わったと確信した 当時、ドイツが東西に分断されていたように、日本も矢張り、東日本人民民主主義共和国と西日本民国とに分れていた 除隊後のエルヴィスは声がなめらになってうまみを増したが
入隊前の野性的な魅力はなくなった
ジョンはそれが気に入らなかった は?ビートルズのライバルってエルビス・プレスリー?
笑っちゃうわ
はっきり言ってビートルズってストーンズの足下にも及ばないじゃん
悪魔を憐れむ歌、これでビートルズの負けだから 「悪魔を憐れむ歌」ってこれ、正しい訳なの?
違うよな。
「シンパシー(フォー・ザ・デビル)」だから、
悪魔への「シンパシー」の歌なんだよな。 「抱きしめたい」もな、手を取りたい、だからな
"Norwegean Wood"は何だっけ というか「家具」は言いすぎか、「ノルウェー製の木(材木)」か
彼女は俺に部屋をみせてくれた
[「素敵でしょ? Norwegean Woodなの」
だからね 日本人はジョンよりポールの方が好きだね。
でも欧米だと、ジョンの方が人気があるらしい。 ヨーコって、なんで眼鏡をわざとずらしてかけてるの?
あれでカッコいいと思ってるのかな 老眼鏡はずらして掛けるけどな
手元を見るとき以外は必要ないから インタビューでショーンのことは好きだけどヨーコには
正直今でも許せない気持ちがあるっていってたぞ >ジュリアン
ジュリアンは幼少時、父ジョンに
「あの時酒飲んで帰らなければお前は生まれることはなかった」と
望まれない出生だったみたいなこと言われて、ずっと心の傷になってるようだが。 そのひねくれたジュリアンを可愛がってくれたのがポールだった
子供の頃、いつも遊び相手になってくれたという ♪Hey, Jule don't make it bad
Take a sad song, and make it better‥ 最初はjukianを励ます歌で、Hey,Juleだった
そのまんまだとあんまりなのでJudeに変えた 「ヘイ・ジュード」はビートルズ最大のヒット曲、9週間連続第1位を記録したが
プレスリーの「冷たくしないで」の11週間連続第1位の記録は破れなかった プレスリーは軍隊で空手を習得し、映画でも披露していたな プレスリーのアクションは持って生まれた才能
あれだけはビートルズもかなわない 色んな歌をとっかえひっかえ歌える歌唱力もエルヴィスだな
いったい何枚のレコードを出したのやら
ありがちな歌い手だったけど、ビートルズが出てきた時は全然毛色が違った
自作自演が凄い、演奏する姿もかっこいい
日本もその後、グループ・サウンズでなくては夜も日も明けぬようになった リトル・リチャードの前座もやってたビートルズ
いろいろ苦労があったが、それが報われた ドリフターズに前座もやらせたビートルズ
内田裕也も出てた 武道館公演での前座はひどかった
とくに望月浩なんて見ていて恥ずかしかったよ エレキギター弾くというのが知られていた男の子ね
アイドル歌謡が確かに場にそぐわなかった 日本公演のあとフィリピンへ行ってひどい目にあわされた
それ以降、コンサート活動をやめてしまったんだ ビートルズは世界中でコンサートを行ったが
エルヴィスは一度も海外ツァーをしなかった
これがファンをなくした敗因だ
なお、ハワイはアメリカの州なので論外 ♪ジエン ナツバラ ハウンド〜グ
crying all the time 何を言うちょるのか分からん
老害と思わず有益なものと思ってくれと言っているだけなのに、自演がどうのこうのという意味が分からん >>271
相手にしてはいけません
>>270は、プレスリーアンチの、
「ガキ」とか「低能児」とかのボキャしかお持ちでない、孤独な悲しい老人です プレスリーは除隊後、映画1本のみに絞ったのが間違いのもとだったな
コンサート活動を行えばまだまだ人気は保てた その点シナトラは器用だった
映画とコンサートを両立していたもの シナトラが「サムシング」をコンサートで取り上げたとき
これはレノン、マッカートニーの作品だろ?と言って
ジョージはまったく無視されたw プレスリーはジョンに馬鹿にされたことを根に持って
ジョンの曲は意地でも歌わなかった小物 プレスリーもマンネリ化してた映画について本人が台本を叩きつけて激怒した
こんなくだらない内容の繰り返しなどもういやだ!とね
しかし、トムパーカーには逆らえず渋々映画に専念してた ポールがエルヴィス初期の持ち歌をカヴァーしてるディスクがある
ザッツ・オール・ライトやアイ・ガット・スタングなどは
ポールのアレンジでまったく別の歌になってる ジョージもプレスリーにはまったく興味を示さなかった むしろジョンが一番プレスリーに興味しんしんだったのでは ビートルズのリボルバー
ジョンの曲はトゥモローは良いんだけど他は駄曲だね
聴いてると恥ずかしくなるわ
だから、アメリカ盤リボルバーはトゥモローだけ収録されて、
他のジョンの曲は外された ジョージはチェット・アトキンスのギターテクニックに興味を示していた ジョージは作曲ができなかった頃、ジョンに曲を提供してもらった
ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット 、すてきなダンスがそれだ そういやリボルバーの一曲目に収録されてるTAXMANはジョージ作だけど
リードギターはポールが弾いてるんだっけ? ビートルズの駄作アルバムはホワイトアルバムとマジカルだよな ヘルプ!のB面はイエスタディ以外、つまらない駄作ばかり B面1曲目のアクトナチュラリーはカントリーナンバー
このLP唯一、リンゴがヴォーカルを担当してる 日本では「ヘルプ!」から厚手見開きジャケットになった記念すべきレコード いやいや、駄作アルバムは「BEATLES FOR SALE」だろ。
64年のクリスマス商戦に間に合わせるため、ツアー活動の合間を縫って
急拵えされた作品でなく商品というべき物。
メンバーも曲作りするひまがなかったのかカバーナンバーでの穴埋めが目立つ。 映画ヘルプの元題は、あなたを抱く8本の腕、だったな 日本独自のアルバム「ビートルズNo5」はなぜかモノラルで発売された
内容もドイツ語の抱きしめたい、シーラヴズユーの他は寄せ集めのLP エド・サリヴァン・ショウ出演時の視聴率が80%を記録したことは有名
あのエルヴィスの記録を大きく上回ったんだから 1964年アメリカ上陸したときの熱狂ぶりはハンパじゃなかった
インタビューもずば抜けたコメントばかりで
まさに新人類の登場だったもの レノンは撃たれたとき
どう思ったんだろうね
俺、撃たれたんだと思ったんだろうか?
なにも分からないで死んだんだろうか?
走馬灯はビートルズ時代のポールとのけんか 救急車で運ばれてる途中まではかすかに意識があったみたい
でも大量出血でまもなく息絶えた ↑
それは、あなたの想像でしょ。
不確かなことを真実みたいに言わないで ジョンの死をいちばん悲しんだのはメンバーでもなく、ヨーコでもなく
友人のエルトン・ジョンであった ジョンの死に真っ先に駆けつけてくれたのがリンゴ
ポールもジョージも知らん顔だった リンゴはアメリカに住んでいてジョンと交流があったんだよ。
ポールもジョージもイギリスに住んでいてすぐに駆けつけられない状況だった。
それにしても、ジョンが射殺されてポールが真っ先にやったことが
自宅の警備員を大量に雇ったことだったってのは、当時のビートルズファンの間で
「こいつ、とんでもない勘違い野郎だなw」「お前にジョンのカリスマ性はない」
って反応だったことも付記しておこう。 リンゴのアルバムにも参加して曲も提供したし
解散後、何かとリンゴとは交流してたんだよ ホワイトアルバムの録音時、ポールがリンゴを侮辱して怒らせてしまい
スタジオを飛び出したリンゴがジョンの家へ出向き
自分はメンバーから孤立してる、とこぼしたリンゴを慰めたのがジョンだった キャロル・キングがビートルズの楽屋をおとずれたとき、むちゃくちゃ歓迎してくれたのがポール、
無礼な態度をとってキャロルを傷つけたのがジョン ジョンとポールはエゴのかたまりだった
その煽りを食ったのがジョージとリンゴ
解散後の二人は伸び伸びと独自のキャラを打ち出した アイ・ウォナ・ビー・ユア・マンは当時まったく売れなかった
ストーンズのために提供してやった曲 ステージで、からかう様に障害者のモノマネをしたのがジョン・レノン
(YouTubeで視聴可能) ピーターとゴードンの「愛なき世界」はポールの作曲
でもこの1曲で終わった一発屋だった ボビー・ライデルが来日したとき、この歌はボクのためにビートルズが書いてくれた
などと自慢してたな あとでそれは嘘だと分かった
でもライデルの歌い方は声量があっていい ビートルズがアメリカに上陸した時点でアメリカンポップスは終わった ビーチボーイズはビートルズを筆頭とする
ブリティッシュ勢によく対抗してたと思うが。 ビートルズ旋風が吹き荒れる中でサッチモのご老体が
「ハロー・ドーリー」を全米1位に送り込んだ ビーチボーイズ独特の裏声唱法を真似したポールの「バック・イン・ザUSSR」を
初めて聞いたときには驚かされた 「ラバー・ソウル」からカヴァー曲は歌わなくなったな カヴァー曲を取り入れてた初期のアルバムも独特の味わいがあって好きだ カヴァー曲である「ツイスト・アンド・シャウト」は全米2位にランクされた
オリジナルのものよりカヴァーしたビートルズのほうがずっといい ツイスト・アンド・シャウトは楽器とヴォーカルが
完全に左右に分かれて再生される、真ん中に音がない
ヘンなステレオ方式だよな ところでThe Fab Fourっつービートルズのコピーバンド知ってる?
ちょっと凄いよ。たまたまこないだ、つべで観てぶっ飛んだ。
一見の価値あり。 あれで食っていけるんだから楽だよな
他にもコピーバンドがあるぞ 「ファブ・フォー」っていうビートルズのコピーバンドが
昭和35年にタイムスリップし、まだビートルズが
現れてないのをいいことに他人の褌で天下とろうとする
僕はビートルズって漫画があったな。 ビートルズが当時の若者に与えた影響はとてつもなく大きい
あのモップヘアも世界中の若者が真似た >>277
エルビスオンステージでイマジン歌ってるやん 『僕はビートルズ』全巻持ってるわ
ビートルズの豆知識の勉強にもなる 日本の汚らしいグループサウンズとやらもモップヘアしてた
似合わないのに本当にみっともなかった くだらんレスばかりやな
はっきり言うがビートルズなどストーンズの足元にも及ばん
ビートルズ、特にジョージの曲は気持ち悪すぎやろ。
歯の浮いたような声、下手くそギター、パクりメロディーwww
サムシング、サムシング言ってるアホは馬鹿しかいないしな。
キモいんじゃジョージは。 ローリングストーンズを初めてMLで見たときの驚きは忘れられない
全員そろってブサイクばかり
白人にもこんなひどい顔したのがいるのか! という感想だった ビートルズヲタってそんなもんだ
曲じゃ勝てないからなw
悪魔を憐れむ歌、ホンキートンクウィメン、ブラウンシュガー・・・
ビートルズには作れまい。
とにかくストーンズの勝ち
ビートルズがストーンズより出来てるとこはカバーヴァージョンかな
ツイスト&シャウトとミスタームーンライトは認めるわ >>333
マジレスするけど、あんた毎日湧いてきて
常に、ビートルズ以外の誰かをけなしてるな
もう手遅れかもしれないが、実生活で友達一人作る努力をしたら? アメリカでは当初、ヴィージェイからもレコードが発売された
フォーシーズンズを輩出したマイナーレーベルだ ビートルズのおかげで英国のバンドは得をした
その人気に便乗してアメリカ上陸できたんだから >>340
ハーマンズハーミッツ、デイブクラークファイブ ハーマンズハーミッツのようなおちゃらけバンドが何曲も1位を獲得したときは
呆れてものが言えなかった 英国ではトップスターだったが、アメリカではまったく通用しなかった歌手
それがクリフ・リチャード イギリスのアーティストは本国と日本ではウケたが諸外国ではまったくダメだった ヘレン・シャピロ、アルマ・コーガン、サンディ・ショウ
これらも日本だけでウケた歌手 ベイシティローラーズはレッツゴーヤングの常連だったw ジョン・レイトンなんて歌手もいた
霧の中のジョニーは日本で大ヒットした >>347
わが国では大脱走とさらばシベリア鉄道で永遠に語り継がれるだろう人な トゥモローネヴァーノウズ
アルバムリボルバーのオリジナルより、
アンソロジー2のほうが数倍いい ダスティ・スプリングフィールドの「この胸のときめきを」は彼女の大ヒット作
これはプレスリーも好んでカヴァーした
他に「二人だけのデート」もヒットした >>346
ビートルズは売れっ子ヘレン・シャピロの前座やってた
アルマ・コーガンはジョンの憧れの人、恋人 ポケットトランジスター、グッドバイジョーは日本でもカヴァーされてたな メチャ忙しい最中にこの映画をこなした制作側とビートルズ
短期間とはいえ、完成度の高い映画になった 脚本家がメンバーの言動を観察してから書き上げたのが大きい
演技してないんじゃないかと思わせるドキュメンタリーぶりが良い 若いって素晴らしいことだ
何の苦もなく後世に残る記録映画を完成させたんだから 仲間関係がいちばんうまくいっていたのはヘルプ!までだな ポールに主導権を奪われたジョン
起死回生の一曲がア・デイ・イン・ザ・ライフ
が、ジョージ・マーティンの横やりで中間部をポールに任せた
結果、曲は傑作だがジョンは大いに不満
ビートルズ解散の一因になる始末 ジョージ・マーティンはポールヲタでジョンを見下していたからね >>362
許せないよね
ポールにジョージ、りんごなんて そこらへんにいるもん 流石にそこらへんにいるってことはなかろうがジョンの代わりは本当にいないもんな アメリカではジョンは危険人物としてマークされていたからね
CIAが絡んでる噂もある 自由の国だからですよ
自分もイギリス人でよそ者、ヨーコさんもよそ者
それを分け隔てなく自由に受け入れてくれる場所だって
ジョンは言ってましたよね
今はトランプの出現でそれすらおかしくなってますけど ジョンは子供の頃教会合唱団に受からなかった(´・ω・`) あと三ヶ月ちょっとでジョンの三十七回忌か
亡くなってからとうの昔になってしまったな 2020年は没後40年になる
ジョンの場合は生誕、死亡が分かりやすい リンゴがビートルズに拾われなかったら、一生くすぶった生活で終ってたな リンゴの分際で最近はファンにサイン求められても断ってるらしいな。
なんでも自分のサインした物がネットで転売されるのが気に食わないとかで。 「ラブミードゥー」でクビになったベストは気の毒なドラマー ホワイトアルバム制作中にポールがリンゴのドラムにイチャモンつけて
リンゴを激怒させたエピソードは有名 ジョン・ポール・ジョージは家で飲み食いさせてたのに
恩知らずだとピートベストのオカンが言ってた >>379
飲食を提供する店をやってたんだから、それくらいやるっしょフツー ジョン、ポールの両巨頭の間でも気の強いジョージだからやってゆけた いちばん年長だったリンゴはおとなしすぎた感がある。 来日したとき、ジョンが当時流行の「シェー!」をやったときの写真がある
これをそばであきれた様子で見ていたリンゴの顔が面白い ビートルズ世代はみんな60を超えた老人ばかり
必死にレコードを買い集めた青春時代だった あの当時はビートルズのLPがバカ売れした
他のアーティストなどはビートルズのように売れなかった >>387
ジョンのシェーは星加ルミ子あたりの振り付けで演らされているだけの感じ
対して現皇太子のシェーの写真は本人がやりたくてやっている ポールがホテルを抜け出して二重橋を散歩する写真は貴重
いっぽう、ジョンは骨董品屋で買い物をしていた ホテルに閉じ込められてたビートルズに会えた著名人は
星加ルミ子、加山雄三、湯川れい子の三人だけ 日本で買って帰った福助人形はsgt.peppersのジャケット写真に写っている 初期のアルバムはいま聞いても新鮮そのもの
楽器編成がシンプルでいい オリジナルとカヴァーで制作された初期の2枚はいいね >>392
加山雄三は、自分の新作LPをプレゼントに持参したね
ビートルズがさっそくかけて聴き
「アロハ・レイ」がよかったと、言ってくれたらしい 湯川れい子などアポなしでビートルズの部屋へ侵入した
でもメンバーは快く受け入れてくれた
とくにいちばん気を使ってくれたのがポールだったという 「君のリズム感はすごいが、どうやって身につけたんだい?」
「僕は…(中略)…セントルイスブルースを子守歌に育ったのさ」
こんな風なやりとりだった
加山雄三は、当時も今も、我の強さは相変わらずだが
たとえ相手がビートルズでも、同じ姿勢だったのはよかったな ホテルの部屋でスキ焼をやってメンバーに振舞ったり、凄いグループに面会してるという意識が加山雄三には欠如しているな
イギリスの人気者だくらいなもの
その後、回想をテレビで喋っているのを聞いてもそんな感じだ 加山雄三の音楽面の仕事は、玄人には評価されてるけど大衆には理解されなくてちょっと残念 加山雄三は東芝専属の歌手だったし、
ビートルズのレコードは当時EMIと契約をしてた東芝から発売されてた
その関係で加山雄三はビートルズに会えたんだ 加山雄三は学生時代にプレスリーの「やさしくしてね」をワイヤー録音をしてた
なかなか上手な歌い方だったよ >>386
できなかったと言うより、やらせてもらえなかっただろう 加山は東芝から「BEATLESが来るから会わないか」と打診された時、「面倒臭いし会わなくてもいいや」と断った
妹さんか誰かに「とんでもない!云々」と説得され、それで会うことにしたと あの頃の加山雄三はベンチャーズに傾倒していたからね
エレキをいじり始めたのもベンチャーズがきっかけだった
ウォーク・ドント・ラン‘64にはしびれたと言っている エレキの若大将のジェリー藤尾の扱いといったら…
当時はビートルズは悪者だったのかね? あの映画の中でのレコード店は東芝レコードばかり陳列されてた
ヘルプ!のジャケットもあったな 伊東ちなみがAV店でやっちゃいました
はムーディーズのジャケだらけだった >>409
できなかった
リンゴは優れたドラマーだが、当時の彼にはビートルズとしてヒットになる様な曲を作曲する能力は無かった まあ特に必要もなかったんじゃない?
リンゴ本人が作曲できないのをコンプレックスに感じてたわけでもなさそうだし リンゴは今、気の会った仲間を都合のつく時間によんで、
楽しく曲を作って一緒にツアーをする・・・夢見たいな生活を送っているね。
来年くるみたい
リンゴ・スター最新インタビュー - リンゴ・スター http://www.universal-music.co.jp/ringo-starr/news/2017-09-14-interview/ >>417で言ってるデビッド・リンチ主催のコンサート
ポールとリンゴが出てるけど、TM瞑想のチャリティーなんだね
http://tm-meisou.jp/paul-mccartney/
イーストウッドとか、マーチン・スコセッシとかすごいな ビートルズのメンバーは全員、声が悪い
とくにリンゴの声は太いからよけい目立つ ジョンの声には聴かせるパワーがある(ヤア!ヤア!ヤア!では特にその魅力が押し出されている)
ポール・マッカートニーの声はロックでも生き、バラードでも活きるから凄い
ジョージはあまり高いキーは出ないが味のあるジョージ節
リンゴはおとぼけキャラに合った声 音域は無いが音程は狂わない
流石全世界 多世代にファンを持つビートルズ 歌のうまさではプレスリーのほうがいいね
ビートルズは歌い方が下手くそだった ビートルズの中ではリンゴの歌声が1番好きだな
カントリー感あって ビートルズはアビイロードとかリボルバーとかサージェントとかジャケ写が有名なアルバム多いけど、ストーンズのジャケ写はそんなに世間に浸透してないよね
CD化のときにUSとUKで統一されなかったからだろうか ジャケで洋楽ファンじゃなくてもなんとなく知ってるのって
ベルベットのバナナくらいじゃないの
スティッキーフィンガーズやクリムゾンの宮殿だってそうは浸透してない >>426
ストーンズはフォトジェニックじゃないからなぁw ストーンズは粘っこくて好きになれない
トム・ジョーンズも同じねちっこい歌い方で嫌いだ >>428
なるほど、そういう問題もあるのか
>>429
ソニックユース聴いたら嫌悪感で死んでしまいそうやな ブライアン・ジョーンズもキース・リチャーズも角度によってはまあまあかっこいいじゃんね ミックジャガーとマリアンヌフェイスフルは
まるで、美女と野獣だった ビートルズは決していい男たちではないが
ブサイクなストーンズよりもはるかにマシだ ビートルズのルックスの売り方はカワイイ路線だったからね ストーンズの全米1位は「サティスファクション」1曲だけ
ビートルズの20曲には遠く及ばない ビートルズのルックスに可愛いポールと精悍なジョージがいたのは大きかったと思う
他に愛嬌のリンゴ
セクシーでワイルドなジョン
これだけ個性が1人1人あって4人が集まるとさらにフォトジェニック
才能だけでなくルックスもアイドルの要素みんな揃ってたわ
他のグループには絶対なかった奇跡の調和 >>1
ビートルズのどこがアマちゃんよw
みんな中卒のドのつく不良だよ
特にジョンなんて学校時代からみんな震え上がるくらいのテディーボーイ
実はストーンズの方が大卒でインテリだったってのは今じゃみんな知ってる
要は50年前は、そんな情報も分からず
ビーのマネージャーのエピーとストーンズのマネのアンドリューの両戦略にマンマと世界中がハマったワケね ビートルズは作曲ができたが、ストーンズは作曲ができず
ジョンとポールに曲を依頼したぐらい才能がなかった >>443
ちゃんと調べてみな
BEATLESはリンゴは知らぬが、ポール、ジョン、ジョージ、けして中卒じゃねえぜ
そして奨学金を貰い勉強したりもした
>>444
音楽性の高いのは勿論BEATLESの方だ リンゴは中学中退程度でしょ。
四人の中ではジョンが最高学歴な筈。
大卒程度じゃないの?ジョンだけが。 最高学歴といっても美術学校で最低の成績
素行悪いわ まともにレタリングのクラスには出ないわ
先生の歴史に残る名言
「この子は将来どうにもこうにも見通しがない子です」w
>>446
ジョージってまともに高校出たの?
だって16歳そこそこでハンブルグ行っちゃってるでしょう
ジョンより2つも年下だったワケだから ビートルズは全員不良の集まりだぞ
ジョンなどは孤児院出身だから性格がひねくれてしまったんだ 洋楽スレでもビートルズはチンピラ集団だったとかいう
老人がいるが、なまじ年寄りだから当時持ってた優等生イメージが覆ったときの
ショックをいまだにひきずって奴らは実は…っていい続けてるんだろう
ド不良ってのは窃盗繰り返して少年院出たり入ったりみたいな奴だろ ストーンズは現役
ビートルズは解散して一人は撃ち殺され、一人は病死
どっちが上か分かるよな ジョンレノン語録
「60年代、ストーンズがビートルズより上だったことは一度もない」 現役とは言えど・・・
60年代のアーティストで過去の栄光にすがらずに今も第一線で活躍してるのってボブ・ディランくらいでしょ とにかくビートルズは別格
他のバンドと比べるなんて失礼だ あの当時、ビートルズが尊敬するか、または同等に見てたのって
ディランとせいぜいビーチボーイズ位じゃないかなあ?
他アーティストとも交流はあったし仲良くはしてたみたいだけど
だってビートルズは同じバントに最強のライバル最高に尊敬出来る天才がいたしね
ジョンにとってポール ポールにとってジョン それ以外入れない領域
正直、他のアーティストと比較されたり褒められた処で何とも思ってなかったと思う あとはポールにメンバーに気を配れるだけの器量があったらな・・・ ジミヘンが、ポールに「マイルスとトニーウィリアムスとバンド組むから、お前も入れ」って
電報があったそう。事務所の人がそのままポールに取り次がなかったからお流れになったけど、
実現してたら後のジャズ・クロスオーバー史が塗り替えられ、ポピュラーミュージックも今とは
違ったものになっていたかも ビートルズ解散最大の原因はあのブスBBAのヨーコだ
あいつさえ現れなければ四人がバラバラになることはなかった 解散当時はヨーコが悪者になって原因を作ったって言われてたけど、彼女は幾つかの要因のひとつに過ぎない。
どっちにしてもジョンはヨーコにぞっこんだったしジョージだって自分の可能性の方がビートルズより大切だったわけだし。 んなことはない。
Let it beを観れば分かるが、ヨーコと関係なく
ポールとジョージの仲は既に修復不可能なほど悪かった。 リーダーはジョンなのにポールがでしゃばりすぎたんだよ スランプ中のジョンを激励するわけでもなかったし、ジョージのことは相変わらず見下してたしな おれがリーダーだ、と露骨になったポールに3人が愛想を尽かした エプスタインが死んでからバンドの方向性は4人の多数決で決めてたのにあるとき突然ポールが「俺に2票くれ」って言い出した話好き >>475
このスレには
プレスリーとストーンズとオノヨーコに親を殺された
そう思ってるジジイが、一匹常駐しています ホモスタインの急死で独自のレコード会社を立ち上げたから 国内初発売の東芝オデオン赤盤を所有してるファンはわずかしかいない プレスリーがビートルズを恐れてアメリカから追放しょうと
当時のニクソン大統領に直訴した話は有名 ポールがリーダーシップを取ろうとして他のメンバーと軋轢を生じたのが
ビートルズ解散の主な原因だわな。
ただ、あの当時のポールのメロディーメーカーとしての才能は物凄かった。
今でも名曲として奏でられている曲はほとんどポール作曲のもの。
…その才能も解散後のRed Rose Speedwayあたりで枯渇しちゃったけどね。 ビートルズ末期のポールは確変状態だった
あのときのNo.1ヒットはすべてポール作によるもの
ジョンとしてもお株を奪われ面白くなかったはず ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 影響 評価
https://ameblo.jp/kaikosumiiyoshi/
有名ミュージシャンがビートルズへの影響を語ってるんだけど、
かなりポールに偏ってるのが意外っちゃあ意外
まあジョンに比べ長生きしていることもあるんだろうけどリスペクト振りがすごいわ ボブ・マーリー&ウェイラーズのベーシストがポールに影響されてたってのがまた
「よく僕はレゲエのグルーブを作ったと言われているよね。
ベースはレゲエにおいてはとても大事な楽器なんだよ。
音楽はもちろんボブマーリーのものだけど、演奏をリードする主体的なベース演奏は
ビートルズのいかしたベースプレイヤーからのものだって言えるんだ。」 ジョンは「ヘルプ!」までで終わっていた
それ以降はポールの独壇場になっていった https://www.youtube.com/watch?v=kSwUzM_nTGM
↑
これ、海外の著名人、アーティスト500人に訊いた
「Lennon OR McCartney レノンとマッカートニーどっちが好きか?」
欧米になるとジョンの人気やリスペクト度がハンパないよ
>>486
そのサイトでは日本人ミュージシャンが多いよね ポール派が多いようだが
大まかにいうと、欧米では芸術家や著名人はジョンの人となり個性を支持
ミュージシャン的にはポール支持って感じかな?
それにしても「レノン=マッカートニー」って
もはや一つの代名詞みたいに、みんな知ってる世界の共通語だねコリャ ポール・マッカートニーはやっぱり天才的な音楽家だよなあ ジョンはあのババァのために貴重な時間を台無しにした
あのババァと出会わなければもっといい曲を書いていた
息子に言われて、ようやっとまたやる気を出したときには殺されてしまった >>488
そっか、自分は「ラバーソウル」までと思うんだけどね
「ガール」や「ひとりぼっちのあいつ」の歌声、曲、最高だったじゃんね!
あの後アイドルやってる事への苦悩と薬とあの女性との出会いで
どんどんつまらなくなっていった
ポールはそんなジョンにもう一度立ち直って欲しくて懸命だったのに
それが独りよがりの、どんどん悪循環になってしまったよね何とも切ない ヘイジュード、ゲットバック、ロングアンドワイデングロード
みんなジョンへの呼びかけであった ワシはサージェントペパーとホワイトアルバムとアビーロードがすきやな。 >>489
ミュージシャン的にはポール派が多いね。
個人的にはジョンの毒はきつい年齢になってきたけど、
二人が出会ったのが奇跡だね。
ジョージの東洋精神趣味、リンゴのノーマルさも素晴らしい個性だ 去年パラマハンサ・ヨガナンダの映画を観に行ったよ。
ジョージがかなり熱く語ってた。
「あるヨギの生涯」は、イエスの海洋地形学の物語や、サンタナのキャラバンサライの原点になり
スティーブ・ジョブズのIPadに唯一はいっていた本だそう
俺も読んだけど面白かったな というより世間がおかしくなったからコンサート活動をやめた ジョン・コンサートしても儲からない
疲れるだけ
ポール・コンサートはファンの暴走が危険
フィリピンは二度とごめんだね
ジョージ・う〜ん、ジョンとポールに従うよ
リンゴ・バーバラとの結婚はカラダ目当てだ >>496
そん中のポールの短編『I WIL』
短いが素晴らしいバラード
あんなの作れたら凄い フィリピンで暴行されたのがコンサートをやめる原因となったんだ ビートルズは世界あらゆる国でコンサートをおこなった
日本にまで来てくれたのは有難かったね
当時の日本に来るアーティストは人気のなくなったカスばかりが来てたのに
ビートルズは人気絶頂の時に来てくれたんだもの >>504
この映画を作った4年後には、もう「ホワイト・アルバム」だものね
とんでもなく凄いバンドだったと思うし
60年代っていう時代の変化も目まぐるしかったんだろうね
日本公演のすぐ後の8月には傑作「リボルバー」発売してるしツアー止めちゃったからホント良く日本に来てくれたと思うわ >>504
>人気のなくなったカスばかりが来てたのに
もしかして、何も知らないガキ? 日本公演のチケットを低価格におさえてくれたのも好感が持てた
より多くみんなにコンサートを聞いてもらいたいとの思いからだった
それにひきかえデーブクラーク5などは莫大な出演料をふっかけてきた
これで来日公演の企画は取りやめになった
生意気だよな、ビートルズ人気に便乗しただけの連中なのに >>508
アニマルズ、シルビーバルタン、チンクエッティ、ハーマンズハーミッツ、ビーチボーイズ
みんな、絶頂の頃に来ていたね
ハーミッツなどは、その年の全米1位を何曲も出していた
当時の日本のプロモーターが、かなり敏腕だったのかもしれない ビーチボーイズはブライアンウィルソンが来なくて
代わりにブルースジョンストンが加わって日本舐めてる思ったが
後に別の事情あったと知った ブライアンウィルソンはホモがばれるのを恐れて来日しなかったんだよ ビートルズは別格だったけど
来日して意外に評判がよかったのは、ハニーカムズとスプートニクス
残念だったのは、アストロノウツ。空席多く、ベンチャーズとは大差がついてしまった
ボビーソロもパッとしなくて、前座のウイルマゴイクが好評だった ボビー・ソロはいい加減な歌い方で日本の聴衆をバカにしすぎた
当時のコンサートを聞きに行った福田一郎が激怒したのは有名な話
その反面、ウィルマ・ゴイクは真面目に歌って好評を得た あの時の模様はミュージックライフに詳しく載っている ハニーカムズは、ヴォーカルのデニスと女性ドラマーのハニーが人懐っこくて
日本人受けがよかったね
ボビーソロは、まあ真逆だったかな 福田一郎がベタ誉めだったのがピーターポール&マリーと
ブラザースフォー、コンサート以外でも真摯な態度とマナーだったそう 来日歌手でお行儀のよかったのがニール・セダカとパット・ブーン
逆に問題を起こして評判を落としてしまったのがポール・アンカ 薬物所持してたアーティストもいたよな。ビーなんとかってバンドに。 ブラザーズフォー、ベンチャーズ、コニーフランシスなどは
日本が大切な稼ぎ場所で、何度も来日しているから
いい加減な態度はとれなかったというのもある
ビートルズは短い滞在で、マスコミやファンとの接触もきわめて少なかったけど
印象は悪くなかったね 絶頂期のビートルズをナマで見れた人は人生最高の宝物を思い出とした
誰にでも自慢話ができる幸せな人 ハッピ姿でタラップに現れたビートルズには驚かされた 公演のたびにホテルに缶詰め状態にされればストレスがたまるのは当然
それがコンサート活動をやめた原因の一つだ アメリカ上陸にあたってのホモスタインの戦略はズバリ当たった アメリカで大儲けしたとき、税納でひと悶着あったのは誰も知らない このスレは勉強になるなあ
アニマルズとかフランシスとか来日してた何て始めて知りました
でも今も懐かし洋画板にいるような人達だから
当時もやはり洋楽派というか世間では一部のファン層の人達だったのかなあ
あの頃、洋モノ派ってやっぱりお洒落っていうか熱烈な感じ シルヴィ・バルタンはお寺の木によじ登るお転婆ぶりを発揮して
関係者をあわてさせた >>528
恋の喜びに輝いていたんでしょう
♬
誰よりも私が一番 幸せなの >>526
われわれ当時の世代の者は
得られる情報が、一部の雑誌など極めて少なかったから、必死に食らいついていたんですよ
ビートルズ来日の前年の昭和40年に
海外アーチストの、すごい来日ラッシュが始まった
トップバッターは、ピーターとゴードン
前の方で出ているほとんどのアーチストが、この時期に来ている
このブームは、ビートルズ以降も、ウォーカーブラザーズの頃まで続きました 日本のファンにいちばん衝撃を与えたのがビートルズとベンチャーズ
エレキブーム、モップヘアが増えたのもこの時代から >>532
えー
ピーター&ゴードン来てたの!?
いゃあ観たかったでつ
タイムマシーンがあったらなあ♪ アニマルズは公演途中でステージをすっぽかして帰国してしまった ビートルズ以外の来日した英国のアーティストはどれもカスばかりだったな >>536
あの当時、ビートルズ「以外」のカスじゃない英国アーティストって
ストーンズくらいじゃないのかい?
当時知らないけれど、上のレスいっばい読んだら66年頃の状況考えたら
それ相当のアーティスト来日してるんだって認識したんだけどなあ
自分が無知なだけかな あの頃のイギリスはまだまだアメリカには太刀打ちできなかった
それを打ち破ったのがビートルズだ アメリカ初上陸でのインタビューで新世代の発言は衝撃的だったな >>536
またあんたか
煽りたいだけなら、洋楽板にでも行ってくれないか
こんな、ほぼ高齢者のスレで、カスとか雑魚とかの言葉使う奴は、情けなくなるわ 当時のイギリスの歌手はヘレンシャピロ、ジョンレイトン、クリフリチャードだけ
どれもアメリカでは通用しなかったもんな >>535
アニマルズの来日時にはヤクザなプロモーターが言葉の通じない彼らにも通じてしまうほどの態度の悪さだったと言う
後年のエリック・バードンの述懐では「主宰者側の態度に身の危険を感じて帰国した」と言っている""
(日本刀で脅されたらしい)
>>543
日曜の昼間にテレビで”ロッテ歌のアルバム”を見ていたら、ヘレン・シャピロが出てきて”悲しき片思い”を歌い始めた
今日のゲストは凄いなと思った クリフ・リチャードのテレビがあるというので見たら、
ひとりでギターを抱えて出てきて讃美歌というか、キリスト教の歌ばかり歌ってた
大変な人気者だが、浮いた噂のひとつも聞こえて来ないのは不思議だと思ってた‥ ヘレン・シャピロは、やっと売れ始めたと思ったら
ビートルズのブームでかすんでしまった。それでビートルズを快く思っていない
というのが、MLの記事だが、今から思うと、MLも10代の読者向けに、いろいろ盛っていたね MLの執筆者って福田一郎、鈴木道子以外はいい加減な連中ばかりだったぞ
当時などガキだったから本気にしてしまい、後から嘘記事だったのもたくさんあった ガキ相手といえば、レコードジャケットの解説も、ひどかったな
プレスリーの「監獄ロック」か「悲しき悪魔」だったかの解説で
DJ高崎一郎(だったと思う)が
「エルビスは、みだらな行動はせず、いつも男友達4人と遊び…」
とか
「税金逃れに寄付をする歌手はいますが
エルビスは、寄付をして、税金もちゃんと納めているのです」
とか
本人も、書きながら恥ずかしかったんじゃないかな >>547
いや、ビートルズはヘレン・シャピロの前座として国内を回ってた
それでいつもお世話になってるシャピロに"ミズリー"の曲を進呈したんだけど、こういう"惨めな"のは私に合わないと言って受け取ってもらえなかった
ところが、ツアーで回ってる途中でビートルズの"プリーズ・プリーズ・ミー"が全英No.1ヒット
メインのシャピロより前座のビートルズがファンを熱狂させる事態に‥‥シャピロは面白くなかっただろう いや、貼ったんではないが、同じことをまた書いてしまった MLの執筆者がいかにいい加減な連中か
ML質問箱という読者向けのコーナーがあって、プレスリーの
ミーン・ウーマン・ブルースに関しての質問に
「エルヴィスが月の光を浴びてギター抱えて歌いだすシーンにはしびれたよ」と
大嘘をついた自称音楽評論家がいた
後年、どんなシーンかを見たら酒場でジュークボックスの伴奏で歌う場面だった
あの嘘つき野郎の名前、なんていったか忘れてしまったが
ほんとうにろくでもない執筆者ばかりだった
あの頃はあれで飯が食えた楽な時代だったんだな〜 >>553
まあ、いろいろ楽しませてくれる読み物でもあったけどね
来日中のハーマンズハーミッツが、読者の人生相談に答えるというのもあった ビートルズはジョン・レノンが作詞をして、ポール・マッカートニーが作曲をするという紹介の仕方だった
これはある程度根拠がうかがえるビミョーな誤解だとは思う
ジョンは詞が先行、ポールは曲が先行するタイプではあった >>555
黛敏郎が題名のない音楽会でビートルズを特集する時に必ずそれ言ってた
ろくに興味もなかったんだろう 執筆がいい加減なのはMLだけではない
落流鳥の訳とか マイボニーって曲針を落とすとジョンの声でもポールの声でもない
ジョージでもリンゴでもない、ジャケがビートルズ仕様になっていて
ビートルズ(小さくwithトニーシェルダン)とあってポリドールの便乗商法 あの当時の洋楽担当の関係者はいい加減な連中ばかりだった
こちらはまだ青二才だったからすべて信用してしまった 今年7月に出版された「ビートルズ語辞典」という本を読んでるんですが結構面白い。
69年ジョン「ジョージは行動的な平和主義者だし、ポールは理知的な平和主義者だし、リンゴは・・・平和に暮らしているよ」 高崎一郎、木崎義二なんていう評論家もいたな
シングル盤の解説によく名前が載っていた 前の方で出ている、その国のトップクラスの売れっ子は
日本でも、大体例外なく売れていたね
クリフリチャードの「サマーホリデー〜太陽と遊ぼう」は、二番館で観たけど、満員だった
「アイドルを探せ」も、連日盛況だった イギリス勢のブリティッシュインベージョン、フランスの可愛い女の子歌手達、イタリアのカンツォーネと呼ばれるポップス群
アメリカもたじたじとなりながらもポップスのヒット曲は産み出し続けていた
アメリカもヨーロッパも日本も一緒になってポピュラー音楽の黄金時代を堪能していた
そんな1960年代だった ナットキングコールが亡くなり、エラフィッツジェラルドなどのジャズが、日本では廃れてゆく
そんな転換期だったね
タンゴやボサノバも、アルフレッドハウゼやゲッツジルベルトなど
新しいスタイルに変わりつつあった気がする やっぱりアメリカン・ポップスとかの時代から
リバプール・サウンドに変わっていく端境期というか
その頃、日本に「ROCK」なんていう言葉があったかどうかも分からないけど
映画の中の破天荒なイキイキした彼らひっくるめてビートルズは社会を変えたんでしょうか?髪型、ファッション、大人にヘコヘコしてなく「若者文化」というか とにかくビートルズがすべてを変えてしまった
常に時代の最先端を突き進んでいた
ポピュラー音楽史上のレジェンドであることは間違いない 英国の歌手たちはビートルズのおかげで得をした
それまでは英国国内でしか名が知られていなかったからな クリフリチャードなど英国以外の外国では日本でしか受けいられなかった ビートルズが解散して47年
そのころまだ生まれてなかったけど
2回もポール観られて幸せ ポールは作曲する能力もなくなったし
あとは死ぬのを待つだけの廃人 >>572
確かにそうだがストーンズも捨てがたい
ゼップとかフーとかキンクスとかフロイドは糞だが ビートルズがカヴァー曲を入れなかったアルバムはハードディズナイトから始まった
そのあとビートルズ65、ヘルプは何曲か入れてたがラバーソウルから本格的に
オリジナルのみのアルバムになっていった 当方若造なのですが、ビートルズ以前のバンドって何をレコードにして売ってたんでしょう?人の曲? 1曲ぐらいは、日本語歌詞で唄ってほしかったね
適当そうなのは、エイトデイズアウイークあたりかな >>575
ビートルズ以前に売れていたのは
プラターズ、フォーシーズンズ、エヴァリーブラザーズなど、どれも米国のグループだった
みんな、自前の曲で売れていたよ アルバム全部をオリジナル、演奏も全部自前と尖がっていたが、それでビッグネームになったと言うのが大きい
それ以前のビッグネームと言えばプレスリーだが、自作自演ではなかった
バンド全体としてはオリジナルも演ってたし、カバーも演ってた、色々だ バンドとして。カバーだったり、曲をもらって音楽活動をやっているうちに自然と曲作りもできるようになると言う事はよくある
ただ、ビートルズはデビューの時から結構オリジナルが多い段階に達していて、しかもヒットさせたものだから、自作自演の印象が強烈だった カヴァー曲も取り入れてた初期のスタイルのほうが好き
楽器編成もシンプルで聞きやすい カヴァー曲を担当するときは誰が歌うかみんなで決めてたのかな
ジョンによるカヴァーがいちばん多いけど ツイスト・アンド・シャウトのジョンの絶叫ぶりの歌い方
のっぽのサリーのポールの絶叫ぶり
どちらも最高にしびれた カバー曲についてはライブバンド時代から各メンバーの十八番(おはこ)と言うものがあった
後(のち)になってもそれを演っていたというパターンだ 本家チャックベリーや、ビーチボーイズの「ロックンロールミュージック」
プレスリーの「のっぽのサリー」
シルビーバルタンの「ツイストアンドシャウト」
みんな、曲のイメージがだいぶ違う
ビーチボーイズの「リトルホンダ」は、ホンデルス、パットブーンが競作したが
パットブーンだけが、だいぶ感じが違ったな 「マネー」はジョンのドスの効いた歌い方がすごくいい >>578
ふむふむ ありがとうございます
たまに見かける「ビートルズが世界で一番最初の自作自演バンド!」って文句は誇張なんですね >>585
ビートルズ・カヴァーの元曲を集めたCDを買って聴いてみたが、ビートルズのがイイんだ、これが ロール・オーバー・ベートーヴェンも本家チャック・ベリーよりも
ビートルズのほうがずっといい ビートルズの全曲213曲中
カバーは24曲
カバーの掘り出し方もビートルズは飛びぬけていたよね
「ボーイズ」なんて女性コーラスグループの曲で女の歌詞なのに
「そんなの関係ねえ調子がいいしノリもいいから、もーらっちゃおう!
リンゴ歌えー」みたいなのが又ピタリ!と、きちゃうんだからね カム・トゥゲザーもオリジナルよりビートルズがいい。 上の方の数レス、ビートルズの方がいいという、気持ちはわかるが
だいぶ刷り込みが入ってると思う
「いい」というよりも、ビートルズの方が「好み」なんだろうな
スタイルの違いなんだが、ファンはビートルズのスタイルが耳に心地よいんだろう
バルタンの仏語版「ツイストアンドシャウト」なんか
じっくり聴いてみると、かなりいい味しているぞ ビートルズはアレンジがうまいからオリジナルよりもよく聞こえるんだ のっぽのサリーだってアメリカのアーティストとまったく違う歌い方
ポールのものすごい絶叫ぶり、バックの演奏もしびれる リンゴが初めてヴォーカルを受け持ったのはアイ・ウォナ・ビー・ユアマンだっけ? アイ・ウォナ・ビー・ユアマンは弟分のローリング・ストーンズに、お前ら曲が不足してるだろ歌えとプレゼントした曲だけど、自分たちのアルバムの埋め草にもちゃっかり使ったわけだ
ストーンズのも聞いてみると、これがなかな良い ストーンズのなんてちっとも良くないじゃん
リンゴのヴォーカルのほうがずっといい ビートルズを越えたバンドはストーンズだけなんだが。 このお手軽っぽい曲を、なんとかストーンズ風にしてしまおうと頑張っとるねぇ
最後のほうの演奏なんか随分迫力が出ている リンゴで思い出したが
「カートライト兄弟」のローングリーンが、確か
リンゴーという曲を唄ってたな
ほとんどがセリフで、最後の方で、リンゴーリンゴーとハモる
誰か、覚えてるかな 西部のガンマンにリンゴ・キッドという有名なのが居たからな
本名は名字のほうがリンゴだったんだが 「リンゴのテーマ」という曲がシングル盤で発売されたことがある
楽団のみの演奏でヴォーカルは入っていない
これはビートルズの「こいつ」であった 楽団によるビートルズカヴァー曲をLPで発売したのが
ホリリッジ・ストリングスが最初 >>609
国内盤では映画のビートルズの写真が使用されてた MLでまだ洋楽のカヴァーで食ってた歌手にビートルズが登場して間もない頃
ビートルズについていろいろな感想を聞いた特集コーナーがあった
みんなそれぞれ素直にビートルズに好意的な意見を述べてた
ところが後からパラキンに入った九重佑三子という元アバズレがえらそうに
「嫌いではないわね」と上から目線でぬかしていたっけ >>612
コメットさんに対してアバズレとは失礼な 好きとか嫌いとかは、人それぞれ
もちろん、「嫌いではない」程度も多い
ましてや、MLの活字見ただけで、なぜ「上から目線」とわかるのか
こんなことで血相変えるお年寄り、「好きではないわね」 そうムキになるなよ、高齢者
本当のことを書きこまれてイライラするなw プレスリーのカヴァーをした歌手はけっこうまともに聞けるけど
ビートルズをカヴァーした連中はロクなのがいないね 確かに「成功した」とまで言える人いないね
しいていえば「涙の乗車券」のカーペンターズがチャートもあがったし
オリジナリティを生かしつつ、また別の良さを生かした感じかなあ
あとのカバーが上手くいかないのは、やっぱり元曲が良すぎるのと
ジョンの曲の場合、ジョン・レノン自身のカリスマ性が強いので
詩共々、彼自身が歌わなきゃ意味がない
ボヴ・ディランも彼以外が彼の歌を歌っても何の意味ないのと一緒かなあ >>618は日本のカヴァー歌手のことを言ってるんだが
意味が理解できないようだな
スレの流れを読めば分かるだろう
外国のカヴァー歌手はみんな上手に歌ってるじゃねえか ほとんどのこのスレの住人は
自分の遠い記憶を披露し合って、楽しんでいる
煽り合いなら、よそでやっていただきたい
ところで、教えてほしいんだけど
ポール以外に、サウスポーのギタリストって、どんな人がいるの? サウスポーのギタリストか
ポールよりジミのほうが先に浮かぶな 左利きギタリストならジミヘン、
左利きベーシストならポール。 カートコバーン、ジミヘン、アルバートキング、トニーアイオミ、松崎しげる、etc.
考えてみるとレフティギタリストに比べてレフティベーシストって少ないね。ポールしか思い浮かばないや。 親のしつけができてないと左利きになる
貧乏人の子供に多くみられる
昔の言葉でいうとカタワものだ ジョンとポールの右左に開いた蝶の羽のような比率
その横のジョージ 後方のリンゴ 正に奇跡のような構図 これがビートルズ >>627
1940年代生まれですか?
大人の分別が身につくといいですね、わずかな残りの人生で ギターを始めるとき、右でも左でも同じだ
どちらもムズカシイ
左利きだけどギターは右でやってるわん 左利きは天才が多いよね。
ダビンチ、モーツァルト、ピカソ、ジミヘン、ポール、
アインシュタイン、ビルゲイツなどなど。 保存してあった1966年 5月号雑誌「スクリーン」
当時の懐かしいリアルファンの声
この旗の下に集まれわが友よ読書コーナーから↓
「私、あるカッコイイ男性を見つけたの。
ジョン・レノン君よ!
ポール程足長くなくても決して短くない足。
ジョージ程でなくても、ハンサムなのは事実。
リンゴー程の美声でなくてもイカシタしゃがれ声。
四人の中でもスバ抜けて知的で男性的で引き締まった顔。
リーダーの貫禄充分(ジョージ君なんかまるでモヤシよ)
彼がサエないなんて言う人、どこに目があるの?
そんな人は豆腐の角に頭ぶつけた方がましよ」
(神奈川県++市○○ 小林○○ >>630
その方がいいよ
僕は左利きでギターも左で始めちまいました
おかげで弦楽器の選択肢が少ない 値段も少し高い
ちなみに天才とかいう単語とは縁がない 書き込みを見てウチにも何か面白い物は無いかと探してみたらMusic Life 1974 8月号を発見
「ビートルズに関する懐古秘録」 星加ルミ の連載記事があった。
この人はアビーロードスタジオでジョージマーチンさんとザ・ビートルズの4人に会ってるんだな
ルバプールのタクシーは皆ビートルズを知らないと。でもキャバーンは知ってると
で、キャバーンの前に行列していた若者に4人の実家の住所を教えてもらえる程、若い年代層には身近な存在だったみたい。
少女に「リンゴの家にはママの妹がいて、いつ行っても歓迎してくれるわよ」と言われ星加さんが行ってみると実際に
紅茶とビスケットの手厚いもてなしをうけて来たらしい。
他の3人の実家は留守だったと。
まあ和服着た東洋人が行っても警戒してドア開けないだろうけど。
スタジオに戻った星加さんはジョージマーチンさんに「何故、そんな事をしたの?」と不審がられたという
当時はこういう他国の習慣やカルチャーが流布してない時代だったんだろうね
記事には翌年6月にザ・ビートルズが来日したと書いてある。
もっと、面白い話がいっぱい載ってた。あの時代だから多少盛ってたり勘違いとかあるのかもね。 左で箸を持ったら親に怒られたもんだ
それだけ左利きは忌み嫌われた 親が歯医者とかね。子供の頃かわいそうな目にあった子を知ってるよ
歯医者のユニットや器具は大学の実習からして右利き用しか無い 読者投稿欄に平気で住所乗せてるんだよな
ストリートビューなんて発想もない >>634
今だったら一介のとりあえず公式に出版してる雑誌の記者が
プロダクションもマネージメントも通さず
勝手に道にたむろってるファンに聞いて
アーティストの家に突撃取材なんて考えられないよなw
ゆる〜い時代だったんだろうね
でも65年くらいの勲章もらった位から多分そんな事も出来なくなったと思われ >>637
'60年代のストリートビューがあったら面白がって一生懸命見るわ レコード譲ります、譲ってくださいのコーナーがあった時代だからね
かなり、吹っかけてる奴もいたな 自分の顔写真も載せていた時代だったし
今のように個人情報がなんとかというもんじゃなかった カヴァー歌手とじっさいに会って質問したり話し会うコーナーもあった クィーンが大好き!
スージーQが大好き!
私は14歳。誰かさん、お手紙ください。
〒○○○ 新潟市+++++ 高○昌子
14歳の昌子ちゃんも、今は56歳か、、、、
MUSIC LIFE 1975 三月号 MLリーダーズ・スクエアーより >>645
スージーQとはよく聞く言葉だ
1930年代のダンスステップの名前から始まって、クリーデンスクリアーウォーターリバイバルのレコードもあるが、ここで言っているのはスージー・クアトロのことなんだろうな スージーQならジョンがロックンロールでカバーしていたな。CCRのもカバーだな。オリジナルはホーキンスが1957年にリリースしたもの。 多分、1975年に14歳だった彼女は当時はフレディ・マーキュリーがホモだった事も知らなかったんだろうなぁ。 まだ下積み生活のビートルズに最初に注目したアメリカの歌手がデル・シャノン
「悲しき街角」のNo.1ヒットで有名な歌手だ 僕はレットイットビーでビートルズを知りました。
角川映画の悪霊島のテレビコマーシャルで頻繁に流れてた。
悪霊島のコマーシャルのレットイットビーで身震いした。
ビートルズ、初めて買ったアルバムはオールディーズ。
帯にビートルズの傑作シングルと名曲と書いてたので買った。
だけど、レットイットビーはなかった。
でも良い歌ばかりでちょっと満足感。
でもレットイットビーを越える歌はなかった
レットイットビーと張り合えるのはポールの、
マルオブキンタイアーだけだった。 ビートルズの末期はポールのワンマンショー
これで3人は嫌気がさした EMIと「年に2枚アルバムをリリースする」って契約結んでたけど66年はリボルバーしか出せてなくて苦肉の策がベスト盤のオールディーズなんだったよね
後追い世代の自分には馴染みがないな〜オールディーズは >>654
その頃(70年代半ば〜80年代後半)日本でビートルズの代表曲というと
「イエスタディ」「ミッシェル」「レット・イット・ビー」辺りが定番とされてた時代だからね
ジョンの事件のその日だって日本ではテレビで、それらの曲流してたほどだもの
今ほど「ラバー・ソウル」や「ホワイト・アルバム」も評判高くなかったし
あの当時は海外の情報がやっぱり限られてたしね
>>656
赤盤、青盤や、その前の「ヘイ・ジュード」ベスト・ステレオLP盤が出た頃から
ベストとしての価値が降下したよなあ 楽曲として素晴らしいと感じた曲がベスト
その時代を過ごした、思い入れのある曲がベスト
人それぞれだけど、若い人にとってビートルズは、どうしても前者になるだろうね https://www.youtube.com/watch?v=imYGd8jqT2k
A hard days Night ビートルズがやってくるヤアヤアヤア! 全編フル
今じゃタダでこの映画が気軽に観れる時代になったなんて30年前の自分に教えたい
字幕ないけど、このスレの人らなら、み〜んなセリフ頭に入っちゃってるよね ハード・ディズ・ナイトのA面は7曲全部いいけど
B面6曲はすべてつまらない曲ばかり
しかしこれが最初のカヴァー曲なしのLPだったな B面の「ぼくが泣く」は速いテンポで好きな曲だ
これは日本では「恋する二人」のB面にカップリングされてた 当時のポピュラー曲の長さは、2分台が多かったな
3分超えると、少し長め
ビートルズの「ぼくが泣く」や、マーシーブレーンの「ボビーに首ったけ」は、短かった
えらく長かったのは、「朝日のあたる家」や、「ライクアローリングストーン」
6分ぐらいだったか 一周回って最近のポップスも短い方がいいみたいな空気ある レイ・チャールスの「ホワット・アイ・セイ」は長いので
たった1曲のために両面を使っていた
当時としては異例の1曲シングル盤だった >>662
確かに地味な曲多いけど個人的に初期のジョン爆発って感じで大好きだなあ
>>660
どこをどう切り取ってもおシャレな映画!50年以上も前の映画とは全然思えないヨ ハードディズナイトの試写会には有名人がたくさんつめかけた >>660
6分10秒くらいの電車の中のビートルズと
紳士とのやりとり何度見ても超笑える w
イギリス的ユーモアが満載だよね
うちらが徐々に、その爺さま紳士の歳に近くなるとはねえ 全世界にビートルズ旋風が巻き起こった1964年は東京五輪の年でもあった >>671
「僕が64になったとき」
あの頃は、自分にはどれだけ遠い未来の話かと思っていた
実際は、あっと言う間だったな >>672
ラヴ・ミー・ドゥは、日本では1年半遅れたね
プリーズプリーズミーや、アイソーハースタンディングゼアは、1年
追いついたのは、夏ごろから
それでも、いつも本場より2〜3週は遅れてヒットしていた 学校に洋楽通がいて、そいつが「いまイギリスで凄いグループが出てきた」と
教えてもらったのがビートルズとの出会いだったよ
「抱きしめたい」を聞いたときはなんか騒がしい曲だな、と思ったけど
「シー・ラヴズ・ユー」を聞いてなんてカッコいいんだと大ショックを受けた
それからビートルズのレコードを買いあさった青春時代が懐かしい ビートルズの登場は世界を変えた
男の長髪が多くなったのもビートルズの影響だ >>578
>ビートルズ前の自作曲バンド プラターズ、フォーシーズンズ、エヴァリーブラザーズなど
ビートルズがこれらに比べて爆発的人気を獲得したのは、なんでだろう
以前のバンドはどちらかとコーラス・グループ的な感じ?
ビートルズは4人ともグッド・ルッキングのアイドル性、次から次への良曲
自作バンドという形態の爆発力! そして何と言ってもあの「長髪」と「自由さ」!
音楽をも超えて、カルチャー、ファッション、生き方において新鮮だったんだろうな ビートルズは今までのパターンを変えた画期的なバンド
何といってもいちばんの強みが自作自演できたこと
これにはどのアーティストもかなわなかった それに4人全員ヴォーカルが変わるから
アルバム1枚聴いても宝箱みたいに
次から次へと色んなタイプの曲が飛び出すね
「ツイスト&シャウト」みたいに男らしいシャウトで男をシビレさせ
「オール・マイ・ラヴィング」では美メロと甘詞で女の子を鷲掴み 初期はほとんどジョンのヴォーカルが主体であり、ポールは二番手だったが
中期から後期にかけてはポール主体になっていった デビューLPのハーフシャドーのジャケット写真
あれがカッコよかった
あの髪型にセーターを着た姿は、当時のニューヨークあたりでもてはやされていたビート族を彷彿とさせた
このグループは何かバックボーンとなるものを持っていると勝手に感じていたものだ
髪型も襟無しジャケットも、写真も、マネージャーによるあざとい売出し手段だとは知らなかったんだもの 皆さん洋楽ロックはどのくらいまで追われてましたか
ニューロックで離れたって人も多そうですが ビートルズ中期から末期にかけての伸ばし過ぎた長髪と髭が
メンバーの終結を暗示していた >>684
当時洋楽ファンだったティーンエージャーは
別に、ロックを追うなどとは誰も思っていなかったよ
贔屓アーチストや曲を、楽しんでいただけ
R&R、R&B、ソウルと、ジャンルの認識はもちろんあったけど
あとの時代になって、馬鹿みたいにロックロックといわれだした ビートルズ登場前のアメリカンポップスには夢があった。 ベトナム前と後の違いというのもあったんじゃないですかね
「アメリカン・グラフィティ」に描かれていたように アビーロードはビートルズのアルバムというよりポールのアルバム
だから嫌いだ もはやスレタイから遠く離れたレスの応酬でワロタわ。
おまいら、レットイットビーのB面のユー・ノウ・マイ・ネームって名曲知っている?
知らねーだろうなあ。 存じ上げまへんわぁ
>>692 はんは随分お詳しいんやねぇ その記憶ももうすぐ消える
雨の中の涙のように・・・ 具体的な対象を評価してその共通項を抽出する(抽象)
その結論だけをポーンと書き記されても抽象的でサッパリ分からん ポール自身もホワイトアルバムは駄作だとコメントしている。 B面といえば、アイドルを探せのB面が、
どこかで聞いた曲だと思ったら、メリーさんの羊だった B面どころかホワイトアルバムのC面、D面も聴いたことがある アイドルを探せのB面は♪ダン・テ・ブラ‥と歌うやつじゃなかったっけ
メリーさんの羊風でもあるが、メリーさんの羊とはちょいと違うメロディーだと思いながら聴いていたが
https://youtu.be/KMU7Kl5qchg?t=137 「アイドル」という言葉はずっと天地真理からと思ってた レコード時代のB面はシングル盤の場合、
どうでもいいような曲ばかり組み合わせてあったな
両面ヒットなんていうシングル盤はまれにしかなかった
プレスリーの「ハウンドドッグ」と「冷たくしないで」がいい例だ 昔のシングル盤はすべてモノラル盤で発売されてた
いつからステレオ盤で発売されるようになったんだ? 昔のシングル盤って‥シングル盤自体が絶滅して久しいだろ >>706
日本で新たにシングルするときは
ヒット曲同士を組み合わせることもある
ヘレン・シャピロの、悲しき片想い/子供じゃないの
ビートルズだと、オールマイラヴィング/ラヴミードゥ 海外盤と日本のシングル盤の組み合わせはまるで違う
日本人向けに合わせたものがほとんどだった その後、ビッグネームとなったビートルズはそう言う事を許さなくなった
初期の頃は米キャピトルはLPの出し方も好き勝手にやってた
それを日本にも流してもらってた イギリスとアメリカのアルバムは内容がまったく違ってた
日本はザ・ビートルズ!、ビートルズNo.2(2枚ともモノラル)で独自編集していたが
3枚目のハード・ディズ・ナイトからイギリスの内容をそのまんま発売していた
あと5枚目のビートルズNo.5(モノラル)も日本独自の編集だったな 本国で既にLPを2枚出している時点で、アメリカや日本でレコードデビュー
人気急上昇グループとは言え、ポッと出の新顔
日米ではLP2枚から曲を抜き取ってシングルヒット分も加えて1枚のLPを作ることとなった
これがボタンの掛け違いの発端
日本はビートルズNo.5というのを出して発表済の曲目はほぼ整理がついたが、アメリカはその後もズレまくり、英国と同じになったのはリボルバー以降に持ち越された 英国も日本もLPは14曲でまとめていたのに、なぜかアメリカだけは12曲と少ない
これはどうしてなんだ? ケチッたことをしたもんだ ガキで金がなかったから、170円のレコード針ばかり使ってたな アメリカではキャピトルが販売権を握っていたけど
アメリカデビュー当時はヴィージェイというマイナーレーベルからも発売されてた イギリスのバンドがアメリカで当たるわけがないんだから、キャピトルとしてはレコード販売を傘下のマイナーレーベルに任せていたわけだ
任されたヴィージェイとしては少しでも売り上げがあがるようにと、『ビートルズ対フォーシーズンズ』という二つのグループの曲を混ぜた企画物のLPを作ったりもしていた
ところが本国で人気爆発のビートルズを無視できないとして、キャピトル本体がレコードの製作販売に乗り出して来たわけだ 「抱きしめたい」の爆発ヒットでキャピトルがレコードの生産が間に合わず
RCAに助けを求めたのはあまりにも有名なエピソードだ ビートルズ大成功の裏でRCAの看板歌手プレスリーのレコードはまったく売れなくなった プレスリーはつまらないマンネリ化したサントラ盤しか発売しなかったからね
ビートルズのような新鮮味がまったくなかった
レコードが売れなくなったのも当然 プリーズ・プリーズ・ミー、ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット
これらもヴィージェイレコードから発売されてた ビートルズだというのに‥‥売れなかった
やっぱり売り出しにはイメージ作戦とか雰囲気づくりが大切なんだな
マイナーなところからチョロチョロっと出してても注目されない イギリスでは、ブライアン・エプスタインのレコード店に、ビートルズのレコードってありますかと言ってやってくる女の子があって、彼らに注目した、となっているけど‥
これもどうやらエプスタインが広めた「話」らしいし エプスタインの功績ってすっごく大きいと思ってるんだよね
色々な経緯があってマージー・ビート紙とつながりがあるところから
キャヴァーンを見たのが始まりらしいけど
やっぱねえ、ビートルズのとんでもないステージの
ハチャメチャぶりに魅かれたっていうのは本当だろうけど
やっばりねえ、ホント、これは変な意味じゃなくて
「ジョン・レノン」だったと思うよ
もしビートルズの中にジョンがいなかったらエピーは多分全てを投げ打ってまで
ビートルズのマネージャーにならなかったと思う
そこがまた人と人の出会いというか歴史が動いたスゴイところだと思ってる アメリカ初上陸のときに空港の熱狂的なファンの出迎えも
ホモスタインの仕掛けた作戦だった
バイト料を惜しみなく使った頭脳的なやり方だった そうだとしても…そういう工作をしてもオツリが来るくらいの実力がBEATLESにはあった 映画の話はもはや無くなってザ・ビートルズの話題ばかり
私としては嬉しい
そこで、そんなザ・ビートルズ好きの人達に聞きたいんだけど
彼らの後輩、アップルレコードのバッド・フィンガーに思い入れのある人いる?
ポールやジョージが初期には楽曲提供もしていたけどオリジナルの楽曲も素晴らしくて
でも、悲しい事にけいやくもんだいで2人も自殺しちゃったね ♪ Day after da〜y という曲しか知らない ザ・ビートルズか
普段の会話で、ザ・ビートルズとかジ・アニマルズとかは言わないな
なぜか皆、ピーナッツだけはザ・ピーナッツと呼ぶ 日本語に冠詞は無いから普通わざわざ言わない
中国語にも冠詞は無いから、甲売虫、披頭士、披頭四楽団などと呼ぶが冠詞は元より付けない 単複の区別もないのだがビートル「ズ」と言うのは愛嬌だと思って勘弁してくれ ビートルズには「ザ」が必要だよ
他のバンドはどうでもいいけど
バンドには二種類のバンドがある
ザ・ビートルズと、それ以外のバンドだ たった7年間に世界を制覇してアッという間に消えて行った偉大なバンド
何十年もダラダラやってるどこかの腐れバンドとはえらい違いだ ビートルズが登場する前のグループはただおとなしく歌ってるだけだったが
ビートルズはシャウト唱法をふんだんに入れて若者を熱狂させた
これは今までなかった画期的な演奏スタイルだった
あのプレスリーでさえ絶叫はしなかったもの ジョンの張り裂けんばかりに歌う「ツイスト・アンド・シャウト」にはしびれた
最初、まるで気が狂ったんじゃないかと思うぐらいの衝撃を受けたよ
あの頃はそんな時代だった ツイスト・アンド・シャウトは全米2位にランクされてオリジナルよりもヒットした ツイスト・アンド・シャウトも、ジョンが風邪をひいていなかったらまた少し違った印象のボーカルになっていたんだろうな
てか、初期のLPでは、どうも声が違う人が歌ってた‥
メンバーの交替があったのかなぁと思ってたよ
風邪ひいてデビューLP録音してたとか知らなかったから ノドにくるので、ライブでも最後に持ってくるようにしていたとか 録音の時、風邪で高熱でフラフラになりながら
最後に録音した曲だっけ
しかも上半身裸でときた
反則!!それであの声で歌われたらブライアンじゃなくとも惚れてしまうわ! ツイスト・アンド・シャウト
あれはヴォーカルと楽器が完全に左右に分かれていて不自然なステレオ録音
どんなやり方をして録ったんだろう 売り出し中のビートルズはメジャーレーベルで録音できなかった
質の高い録音設備のない安いスタジオで歌と楽器を別々のマイクで収録したから 当時の安っぽいスタジオと機材だと位相ずれが生じるから
左右に分けていたという理由もある
ただ現在のProToolsよりも味のある音なんだよな 多くのマイクでなるべく別々に録音するほうが手のかかったやり方なんだけど、
ビートルズデビュー時はまだ2チャンネルレコーダーだったから、一度には歌と演奏を左右のチャンネルに録音することしかできなかった
(ダビングしてチャンネルを一つまとめてから空いたチャンネルに追加録音したりはしてたけど)
レコードはモノラルしか作ることを考えてなかったけれど、歌と演奏の音量バランスを見て最終的に1チャンネルのモノラルマスターテープを作るやり方だった
ところがレコード会社が、急にステレオレコードも作れと言って来た
言われて困ったジョージ・マーティンは、モノラルを作る一段階前の歌と演奏が両チャンネルに分かれているテープをそのままレコード化して、ハイこれがステレオ盤ですとやった
そういうわけで初期のステレオ盤は歌と演奏が左右に別れてるだけのものになっている
、 ビートルズの正規のステレオ録音はハード・ディズ・ナイトが初めてだった。 2つに完全分離のステレオ盤。たとえばイエローサブマリン等を聞いて違和感が在ったのだが
カリフォルニア大学の広い体育館でのパーティーで聞いた時
物凄く良い音響に聞こえた。今で言うサラウンドとも違う何かサッカリン臭いキッチュな感じ。
広い場所で大音量で聞くべき盤だったんだなと当時は思ったけど
アメリカ人でも家庭ではそんなに大きな音では鳴らさないよな ビートルズはコンサート活動をやめてからの録音は下手な小細工をしすぎて
かえってくどくなってしまい
初期のシンプルな曲調さが失われてしまった それでもサージェント・ペッパーはエポックな作品だよ。
今では当たり前のエフェクトや音の加工の原型になった功績は絶大。
あのサウンドはライブでは再現できないけど。 レボリューション
最初の絶叫がなければ名曲
絶叫はツイストアンドシャウトだけにしとけ
分かったか、ジョン。 あの曲はジョンがシングルで発売しょうとしたが
3人に猛反対されて取りやめになった
これでジョンの立場がますます苦しくなった曰く付きの曲だ シングルになってるだろ
いい加減知ったかぶりはやめろ
シングルにしようとして出来なかったのは、
アクロス・ザ・ユニバースだ
いい加減にしろ >>755
レボリューション9がアルバムから外されようとしたというエピソードと
勘違いしていないか? >>755
〜だった
〜だ
知ったかうざいんだよ
消え失せろボケが。
しかも間違えと嘘ばかりだし >>756
シングルと言ってもB面な
A面はヘイジュード サムシングはカム・トゥゲザーの組み合わせだったんだよ
2曲とも全米1位になり、両面ヒットしたんだ ビートルズ最後のアルバムはその2曲以外聞く価値のないものばかり
すべてが終わったことを証明していた ビートルズ最後のアルバムとあるから一瞬「レット・イット・ビー」と
思っちゃったw
「アビーロード」ってB面は良くないですか?ヒア・カムズ〜もあるし
まあジョンはB面は酷評してたけどファンはB面評価の方が高いという ジョージなんて作曲の才能がなかったからね
唯一、サムシングのような閃きがあっただけ
ソロになってからのマイ・スウィート・ロードはパクリがばれて大恥かいたし ジョージのボーカル曲はすべてカットするわ
リンゴのボーカル曲も
いらんねん、あの二人は。
ビートルズはジョンとポールのバンドや 結構良スレだったんだが、ちょっといやな流れになってるな
ビートルズ板の連中が湧いてきてるのか ちょっと軌道修正します
元々このスレは「ア・ハード・ディズ・ナイト」映画を語るスレなんです
この映画の中で「キャント・バイ・ラブ」が流れる中
4人がただっ広い広場で遊びまくって転げまわって飛んで跳ねる名シーン!
なんという粋で格好イイ、パワフルなシーンなんだろう
アレって勝手にビートルズ4人を遊ばせたのを撮影したんだろうか??
上からもアップもスローモーションもこま送りみんな駆使してる躍動感
リチャード・レスターの編集が見事としか言えないくらい素晴らしい! リハーサルシーンでジョンがふてくされた
リンゴをなだめるように歌いだすIf I Fellがカッコよかった >>767
『ヘルプ』もそうだけど、ああいう場面、手法はアイドルのプロモビデオやビデオクリップの原点だよね 「涙の乗車券」は、映画よりも前に発売され、ヒットしていた
どのシーンで流れるのかと思ったら、スキー場だったな >>771
あーそうだったったですね
曲が先で映画が後かあ〜リアルじゃないんでその辺の時系列分からなかった
しかし、それこそ後のPVの先駆けですよね
その後のファンにはみんなあの雪山で遊ぶビートルズとシンクロしてる
ヘルプは映画としてよりPVのシーンだけがどれも秀でてる
♪が伏線になって画面に表れるところ最高 写りこんでしまった電線を五線譜に見立てたとは聞いたが、あれを「伏線」と呼ぶのを私は初めて聞いた 64〜65年あたりは、月2枚ごらいのペースでシングル出たけど
映画の前後は、少し間隔が開いていたね
一作目のあとは、暮れ近くに、マッチボックス/スローダウン
そのあとが、アイフィールファイン
ミスタームーンライトとカンサスシティから、ヘルプの映画までも少しあいた
映画のだいぶあとで、恋を抱きしめよう
感覚的には、だいぶ待った気がする >>776
エリナー・ブロン 昭和13年生 イギリスの女優 エリナー・リグビーの名前の元になったとも
レオ・マッカーン 大正10年生 オーストラリア出身 昭和21年渡英 平成11年没 教祖は青い珊瑚礁とオーメンで見たな
召使い?の人はジャガーノートと三銃士(レスター監督)
でもって、なんか似てると思ったら今の007のタナーの父ちゃんだった エリナー・ブロンはその直後オードリーの「いつも2人で」にもコミカルな主婦役で
出演しててこの頃売り出し中だったんだろうなあって思った リンゴがポストに手を入れたときに指環に噛みついた女だろ ヘルプ!の日本初公開のときのタイトルが「4人はアイドル」だった。 >>782
"Eight Arms To Hold You"のタイトルになる予定だったので、"4人はアイドル"の邦題になったんだろう
ところが原題は"Help!"に変更になってしまった 4人とも1965年頃がいちばんノッていたんじゃないかな? ビートルズがうまくいっていたのはやはりジョンが主導権を握っていたからだ
ポールがのさばり始めてから4人の間に亀裂が入った >>784
チャート1位は定番位置、勲章、シェイ・スタジアム、正に人気絶頂期なんだよね
しかし特にジョンやジョージの内面フラストレーションがどんどん溜まり
薬もやり出し実は迷走し始めた時期でもあり
ジョージ曰く「64年65年、世界はビートルズを中心に回ってた。僕らだけが正常に思えた」と言ってたので怒涛の日々の中コントロールが保てなかったのも頷ける ヘルプの映画以降
恋を抱きしめよう、デイトリッパー、イエスタデイと
曲風が明らかに変化し始めたから
このころから、もうステージ演奏との決別を意識していたのかも コンサート活動中止になる前に日本に来てくれたのはじつにラッキー
あのフィリピンでの暴行事件さえなければ、まだコンサートもやってたはず 後の歴史を考えればギリギリ・セーフだよねえ
プロモーターがエプスタインと熱心に交渉してくれて良かったわ
しかしその後の全米ツアーにMLの星加さんとカメラマンの長谷部さんが
ずっと一緒に同行出来たってのもスゴイよな アメリカから二誌イギリスから二誌、
日本からはML誌の世界でたった三誌だけが許されたっていうんだから奇跡だ マジカルミステリーツアーはどうなの?
イエローサブマリンは昔にサンテレビで見たよ! 来日にとき、ジョンがホテルを抜け出して骨董品屋で買い物したのが不思議 当時の毎日グラフにその模様が載っているね
二重橋の前を散歩するポールの姿が ポール、私と見た朝焼けを忘れないで
そんな女の手記が、週刊誌に載っていたな くすぶってる時代はストリップ劇場の伴奏もやったビートルズ
やがて世界中を制覇するなんて夢にも思ってなかっただろう トニー・シェルダンのバックバンド時代によく録音できたよな
しかもステレオで ヤァ!ヤァ!ヤァ!とヘルプ!って日本語吹き替え版ってあるの?
イエローサブマリンは昔テレビ埼玉で吹き替え版を見た。(録画もしてたがテープは既に無い)
レットイットビーはレンタルビデオ(英語音声・字幕無し)とファンクラブの上映会(英語音声・字幕付き)で。
MMTも字幕版だな。
アニメ・ザ・ビートルズは12chで日本語版で放送してたのを録画してた。こっちもテープは既に無いが。 70年代半ば頃(?)テレビで映画『ヘルプ』吹き替え版を放送したのを覚えている
ジョンの声を広川太一郎が担当したという記憶 リアルの人に聞きたいんですがビートルズ旋風ってビートルズが離陸した後
日本のビートルズ熱は嵐のように去り、それと同時に日本ではGSとか怒涛の様に
ブームが来たって本当ですか?
というのも67年頃の雑誌のお便りコーナーで「ビートルズが好き!」って投稿に
編集者が「まだ日本にビートルズ・ファンがいた何てスゴイ」みたいに書いてる
結局日本では本当の洋楽派、ビートルズ・ファンだけが残ったという事でしょうか? wiki見れば書いてあると思うが、ヤアにも吹き替えあったよ。
どっかの動画サイトで綺麗な映像に合わせて上がってた 女の子がキャーキャーと熱狂するアイドルビートルズ時代は64年だなぁ
最初の頃はそれこそ人気爆発、中学生あたりがシビレてた
65年はもう大物感がひしひしと‥
66年以降はビートルズが先を行き過ぎて、ミーハーはついて行けない感があった
それでも、今時ビートルズファンなんてとは大げさな物言いではある
64年当時のビートルマニアとは行かないけどファンには違いはないだろう >>803
そんな極端なものではないよ
音楽評論家や編集の連中は、
自分の意見や感想を、さも歴史的事実みたいに言いたがるやつも少なくない
変化があったといえば
あのあたりから、日本語カバーのポップスが激減して
自前の曲を唄うのが、少しずつ増えたことかな
GSも、その一環かもしれないね グループサウンズはみんなビートルズを真似した連中ばかりだったよ
しかしどれもダサかった ビートルズ登場から日本の若者はグループサウンズ派とフォークソング派に分かれていた
じつにいろいろな連中が出てきてレコードを出したんだが
どれも低俗な奴らばかりで聞く気もおきなかった 当時は日本のレーベルでなく洋楽レーベルでレコードを出してた
なぜなんだろう? ありがとうございます!
リアルの方々の声が聞けて嬉しかったです本当に感謝します
やっぱりそんな極端ではなかったんですね
来日公演で社会現象になり普段知らない人でもみんな大騒ぎ
その一過性の騒ぎが終わっただけってことですね
67年の雑誌は某映画雑誌で、それまでバンバンとthe Beatles載せていたのに
ピタッと載らなくなり、でも考えたらあの後ツアーも止め新曲も中々リリースせず
そんな彼らに「解散」の噂も出てみたいで当時の海外の情報など今のように日本に
入らない時代 それより日本のミーハーの関心は目の前のGSに
洋楽派はよりロック&フォークの追及に分かれて、みんな曲がり角時代だったのかな 熱狂が過ぎ去った後には、ビートルズももう終わってしまうのかなとの観測はあって当然
まだまだこの後も名曲を発表するなんてのは後から振り返って言えることで、その時には分るわけがない
気の早い業界人なら、ビートルズなんてもう終わりさくらいは言っただろう ビートルズ旋風が一段落しても発売するアルバムはすべてNo.1を続けていた
それだけビートルズは格が違っていた いまだにビートルズのディスクは内容を変えて再発売されても売れるからすごい 私は小学生の時ヘイジュードを聞いて不思議な感じがした
ピアノで弾いて見ると音階が変だ
人生で初めてミクソリディアンというスケールを知った 初期はジョージに曲を提供していたジョン
脇役だったジョージにスポットライトをあててやった思いやりがあった >>818
中学の時「ビートルズなんてガチャガチャ煩いだけ。あんなの音楽ではない」と言った音楽教員がいた
彼は卒業式の時、エレクトーンで厳かにヘイ・ジュードを弾いていた ヘイジュードはあと少しでプレスリーの記録を破れたのに惜しかったな
冷たくしないで 11週間連続第1位
ヘイジュード 9週間連続第1位 でもビートルズは全米1位回数が20回、プレスリーは16回
これでビートルズのほうが上だということを証明した 日本のヒットチャートは、7〜8割ぐらいを東芝が占めていたね
ビートルズ、クリフリチャードなどの英アーチストは、オデオン
ビーチボーイズは、キャピトル
ベンチャーズがリバティー、PPMはワーナーか
ステーツサイドというのも、あったな あの頃の東芝レコードは売り上げがダントツだったよ
人気アーティストばかり抱えていたもの
邦楽部門では加山雄三、ワイルドワンズもいたし 今や東芝はテレビ、パソコンからも撤退を決めて、一般向けの商品はほぼ無くなるハメに シナ、チョウセンなんかに技術流出するからいけないんだ
みんなどこの大手も同じことやって自滅してる ビートルズのスレにまで来てシナだチョウセンだやめれや
他で思う存分やれや 日本人なら朝鮮人、支那人なんか大嫌いだからな
あいつらを擁護してるのは支那人、朝鮮人だけだ 823だけど
米国アーチストは、キャピトルやリバティーなど
誰がどこになるのか、何か理由か仕組みがあったのかな
東芝が、適当に振り分けていただけなのか? オデオンとかのレーベルは日本だけの事だから東芝レコードがやってた事だろう
このレーベルだとこういう音楽ですよと、日本のファンにわかり易くイメージしてもらうんだろう オデオンはヨーロッパのアーティストだけに使用していたんだよ >>834
あんた、ひとつ前のレスだけ見て書き込んでるの? 昔はシャンソンなどはエンジェルレーベルで発売されてた Expressというのは日本人アーティストだけかな? キャピトルやワーナーは、米国の実際のレーベルで
ビーチボーイズやキングストントリオは、米キャピトル所属だったから
米国のアーチストは、東芝でもほぼそのままのレーベルだったかと思われる
全部が全部そうかはわからないが。
ただ、オデオンだけは、当時の東芝ディレクターが
ヨーロッパにあったレーベルから、適当に採用して命名したと後述している
ビートルズ中心に洋楽を売り出すために、あえてこしらえたようだ 東芝オデオンレーベルのレコードがすべてアップルに改名されて新たに発売されたが
中古レコード屋ではオデオン盤のほうが高く買ってくれるぞ 同じオデオンでも赤盤と黒盤二種類あるけど、なんでだろう 朝日のあたる家や、アイフィールファイン
あのあたりの時期は、赤と黒がえらく混在していた 東芝が生産に間に合わなくて他のメーカーに頼んだ結果
赤盤のほかに黒盤が生産されたんだ 勉強になるなあ そうなんだね
オデオンの赤盤のオークション高値率は今では半端ない人気だものね
それで東芝の担当になった石坂さんが70年代に入り
「もっとビートルズを売りたい」という事で全シリーズあの国旗帯シリーズに統一したと書いてあった。70年代以降の次世代ファンはみんなあれから入ってるよね LPはすべて赤盤だったよ
コンパクト盤、シングル盤は赤盤、黒盤が半々だったけど LPは生産分すべてを購入したらそうだったのか
コンパクト、シングルは全て買い占めたつもりだが全て黒だったorz 赤はそうでもないけど
黒のシングルは、心なしか、分厚いのと薄いのとでバラつきがあった気がする あの頃のレコード売り上げは東芝が断トツでトップだったな
ビートルズ、ベンチャーズを抱えていたことが大きかった ビートルズは英国の電機メーカーであるEMI傘下のパーロフォン・レーベルでレコードを出していた
EMIはビートルズによるレコード売り上げ利益をCTスキャン(コンピュータ断層撮影)の開発に投入して成功
おまえらの中にもビートルズのおかげで命が助かった人もあるだろう 最初はカス扱いされてたけど、人気、売れ行きナンバーワンになったもんで
メジャーに昇格されたビートルズ
やはりレコード会社の儲けにつながらなくてはダメなんだよ >>849
こういう知ったかジジイは
べつの工場だとなぜ、盤の厚さが均一にならないのか、説明できない 初期のキャピトル盤は英国とは独自の選曲で発売していた
セカンドアルバムのジャケットはセンスがあっていい 宇多田ヒカルって東芝だっけ
洋楽保守本流メーカーとしての最後の華だったんだな ベンチャーズが人気爆発する前のレコードジャケットには
ヴェンチュァーズと表示されてたんだよ ラジオの洋楽番組は、いっぱいあったけど、必見は二つだった
木曜は、小島正雄さんの
「9500万人のポピュラーリクエスト」
日曜は、前田武彦さんと木元典子さんの
「東芝ヒットパレード」
前田さんは、数年後に、えらく人気が爆発したな 高崎一郎のキャンディベストヒットパレードもあったぞ 戦時中は"進め一億火の玉だ"と言っていたのに、戦後20年も経って"9500万人のポピュラーリクエスト"とは、と思ったが‥
朝鮮や台湾が抜けたからな 小島正雄さんは、キャッシュボックス誌の原本を見ながら喋っていたね
そのせいで、当時まだ無名だったソニーとシェールを、ソニーとチャーと呼んだり
ボブディランを、ボブ・ダイランと発音していた時期もあった 政治評論家小浜利得「何だあのペートルズとか言うやつは」 レスリング協会会長の代議士が
プロレスの表彰式で、「デスリング」と言ってた death ring、この指輪をしている者はカイリ教団により生贄とされる >>863
正力松太郎も「あんなペートルとかいう訳のわからん奴らには武道館は貸さん」とw キャピトル盤とオデオン盤もこんなに違う
Meet The Beatles!(Capitol) Meet The Beatles!(Odeon)
1 I Want To Hold Your Hand 1 I Want To Hold Your Hand
2 I Saw Her Standing There 2 She Loves You
3 This Boy 3 From Me To You
4 It Won't Be Long 4 Twist And Shout
5 All I've Got To Do 5 Love Me Do
6 All My Loving 6 Babyi It's You
7 Don't Bother Me 7 Don't Bother Me
8 Little Child 8 Pleas Please Me
9 Till There Was You 9 I Saw Her Standing There
10 Hold Me Tight 10 P.S. I Love You
11 I Wanna Be Your Man 11 Little Child
12 Not A Second Time 12 All My Loving
13 Hold Me Tight
14 Pleas Mr. Postman Meet The Beatles!(Capitol) Meet The Beatles!(Odeon)
1 I Want To Hold Your Hand 1 I Want To Hold Your Hand
2 I Saw Her Standing There 2 She Loves You
3 This Boy 3 From Me To You
4 It Won't Be Long 4 Twist And Shout
5 All I've Got To Do 5 Love Me Do
6 All My Loving 6 Babyi It's You
7 Don't Bother Me 7 Don't Bother Me
8 Little Child 8 Pleas Please Me
9 Till There Was You 9 I Saw Her Standing There
10 Hold Me Tight 10 P.S. I Love You
11 I Wanna Be Your Man 11 Little Child
12 Not A Second Time 12 All My Loving
13 Hold Me Tight
14 Pleas Mr. Postman The Beatles Second Album(Capitol) The Beatles Second Album(Odeon)
1 Roll Over Beethoven 1 Can't Buy Me Love
2 Thank You Girl 2 Do You Want To Know A Secret
3 You Really Got A Hold On Me 3 Thank You Girl
4 Devil In Her Heart 4 A Taste Of Honey
5 Money 5 It Won't Be Long
6 You Can't Do That 6 I Wanna Be Your Man
7 Long Tall Sally 7 There's A Place
8 I Call Your Name 8 Roll Over Beethoven
9 Pleas Mr. Postman 9 Misery
10 I'll Get You 10 Boys
11 She Loves You 11 Devil In Her Heart
12 Not A Second Time
13 Money
14 Till There Was You 東芝は9500万人のポピュラーリクエスト、リヴァプールの若者たちという
オムニバスLPも発売していた
いずれもモノラルでニワカ向けの寄せ集めレコード ビートルズと同じ英国の歌手をすべて網羅してた東芝オデオンは大儲けしたな
ストーンズだけしか抱えていなかったキングなどを大きく引き離していた オデオンのアーチスト
ビートルズ、クリフリチャード、アニマルズ、デイブクラークファイブ
ピーターとゴードン、ゲリーとペースメイカーズ、ホリーズ、マンフレッドマン
ハーマンズハーミッツ、フレディとドリーマーズ
もっといたはずだが、思い出せない。ヘレン・シャピロもそうだったかな
アルマコーガン、ジョンレイトン、マットモンローがいる >>873
おお、ありがとう、忘れてた
「大脱走」で、一番の男前だったな マット・モンローは「007ロシアより愛をこめて」で一躍名が知られるようになった
英国のベテランシンガー ビートルズ人気に便乗して発売された曲
ドナ・リン「夢見るビートルズ」
https://www.youtube.com/watch?v=Y2xuvm3vZQo
いかに当時のビートルズが凄かったかが分かる 007映画の一世風靡ぶりも大したもんだった
ジョージが曰く有り気に「俺たちプライベート・フィルムとか観るんだぜ」
インタビュアーが「‥どんな」と問うと、「ジェームズ・ボンドだよ」
なんかそういうフィルムがあったなぁ
そりゃ、あの四人が街の映画館にも出かけられないわ >>875
当初の邦題は、危機一発だったな
せっかくの名曲なのに、ジャケットはコネリーのベッドシーン >>877
雑誌などで見るだけだけど
ジョージは、いつも
「俺たちはすごい」式のコメントばかりだな
やはりガキっぽいのか >>877のは完全に冗談を言ってるんだよ
何か秘密のエロいフィルムでも観てるような口ぶりでね ヘルプから厚手見開きジャケットになった
その前のビートルズ65も見開きだったが、ペラジャケだった >>881
そのカラーライズはあまり違和感ないね
ジョンのリード・ヴォーカルにポールやジョージがハモるって
改めてとんでもない贅沢なグループだったんだなあとそれ見て思う やはりビートルズはジョンのリーダー時代が最高に良かった ポールあってのビートルズ
ジョンの才能はアイアムザウォラスで枯れた
事実上のラストアルバム、アビーロード
オォ!ダーリン!最高や!
ジョンの曲はジョージの曲と同様でクソやった ポールあってのビートルズ
ナンバーワンもポールのほうが多い ポール・マッカートニーはホントに音楽家だよね
天性のミュージシャンでありシンガーだな のっぽのサリーのジャケットだけ見ると
ジョージが、えらくいい男に見える 襟なしのスーツを初めて定着させたのもビートルズ
音楽、ファッション、ヘアスタイル、すべてをぬりかえた画期的なバンド デビュー55年を記念して有楽町インフォスでビートルズのいろいろな品を展示するぞ >>891
70年代の雑誌によると72年から73年辺り、デビュー10周年を記念して
全国で「ビートルズ・フェア」が開催され、
なんと最初の伊勢丹では5万人を動員したとのこと。考えればいつもビートルズ。
70年代前半にリバイバル・ビートルズ・ブームが日本で起こり
(すわわち、このスレにいるリアルより少し後のビートルズ・エイジ2世確立のとき
もう既に解散してしまったビートルズへの片思いに似た郷愁が湧き出して
赤盤青盤などのヒットから生まれたものらしい)
多分、ポールやリンゴの来日公演に毎回一番熱くなってるのもこの世代かも >>896
ゼップ、フロイドは一時的だが越えたし。
70年代のイギリスの若者はビートルズよりクィーン
アメリカ人はビートルズより、イーグルス、ブルーススプリングスティーン&Eストリートバンド
総体的に見てビートルズより現役のローリング・ストーンズ
ビートルズを神格化しないほうがいいよ >>898
シャキッとせんかいっ!
BEATLESは神格化、伝説化されてもそれに相応しい存在さ!w OK? >>896
色々な要素を総合すると、確かにそーだよな! いろいろな歌手からカヴァーされてる数をみれば一目瞭然だろ
ビートルズのみがダントツで多いじゃねえか 影響力という面から見ても凄い。東西の多くの様々なアーティストがビートルズの影響を受けている。
ポップス、ロック、そしてクラシックの分野のアーチストも。 >>888
英国の伝記作家だか書いてたけど
「ポールはあらゆる音楽的才能の塊だった
逆にジョンはあらゆるオリジナリティの塊だった」
その2人の奇跡の調和、異なる個性が重なって
ビートルズの大成功が生まれたと書いてて言い得て妙だと思ったよ
性格も個性も全然違う2人が「俺たちは絶対世界の頂点になる!」 って
音楽が好きっていう最大の共通点を共有したのがビートルズだよな ジョンとポールが出会わなければビートルズは誕生しなかったわけだが
もし、出会わずに別々の行動をとっていたらどうなっただろう ポピュラー音楽界は何事も起こらず、廃れるのみだった、
逆に、もっと素晴らしいグループが注目されて革命を起こした、
‥Ifなんて言えば、どんな可能性でもあるわな
あなたやわたしだってこの世に生を受けたのはほんのはずみなんだもの 私の叔母の旦那がイギリス人なんだけどビートルズが出た時
「白人でもバンドやってもいいんだ」とみんな驚いたと当時の話していた
叔母夫婦はもう他界されてる。もう少し当時の状況を聞いておけば良かった。 >ポピュラー音楽界は何事も起こらず、廃れるのみだった
だが、ビートルズ以前の、50〜60年ポップスの時代が
アメリカが最も繁栄していたんだな
ビートルズの登場と歩調を合わせるように
ベトナム戦争をはじめ、世界が激動していった ポピュラー音楽界の歴史に燦然と輝くビートルズ
その名声は永遠に消えることはない ピート・ベストって、まだ生きてるの?
下積み時代に苦労を共にしたドラマーなんだけど ハンブルグでの仕事が入ったからとにかくドラマーが要るってことで声を掛けただけだからな
キャバーン・クラブをやってる人の息子だと言うので目についた
その後、EMIのオーディションに受かってレコードデビューする事になったが、そうなるとドラムを何とかしなくちゃならない
馴染まないヤツだし
かつて知ったるリンゴ・スターってのがいいな
よし、ピートを辞めさせる工作をしよう(ポール)
‥まぁ、そんな感じだから 〜ジョン・レノンは後になってこの解任について語っている。
「僕らは卑怯者だった。僕らは嫌な仕事をブライアンに肩代わりさせたんだ。」〜 ピートはメンバーを恨んでると思うよ
大金持ちになるはずだったのに、あいつらが阻んだってね 場末のライヴ芸人から一躍世界的スターに登りつめた4人
アメリカ初上陸時のふてぶてしいインタビューが人格を表していた あの会見で
「ハイ、もう初めてアメリカに来てドキドキしてます。
やっとアメリカに来れて光栄です。」なんて
ペコペコしたインタビューしてたらビートルズの魅力は半減してただろうし
アメリカのメディアもつまらんとソッポ向いたろうね
清潔感は出しつつも、エブスタインが初めて見て魅かれたあの強烈な個性を
そのまま封印させなかったのはスゴイと思う ジョンとジョージはいつも何か変わったことを言おうと手ぐすね引いている
リンゴもトボけたことを言う
ポールだけはそういうところが全くなく、いつもマジメなことばかり エド・サリヴァン・ショーに出演したときの視聴率が
プレスリーの記録を破ったのもすごい あのときのジョンは「抱きしめたい」を随分くずしていい加減に歌ってな >>921
それも含めて、世界的に人気が爆発したのは
二度目のアメリカ公演のときだけど
一度目のときは、どんな感じだったんだろう
われわれ当時の世代にも、あのあたりが情報不足なんだな (( ) z
____( )) z
∧_∧ /__ o、 |、 ドトールは丹念に真心込めて提供
( ´・д・) | ・ \ノ
旦 o) | ・ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あの多忙のなかで映画撮影したんだから、4人ともクタクタだったと思う
まさにタイトル通り ビルボード1位から5位まで独占した偉業はいまだに破られていない
これはとてつもない大記録といえる >>923
出迎えの人が大勢いて「大統領でも出迎えてるのかと思った」って
ジョンが言ってたのってアメリカ初上陸のときだったのでは? アメリカのジャズのマイナー・レーベル(ヴィ.ジェイ.レコード)から、
すでにアメリカ国内で発売されていたアルバム『INTRODUCING THE BEATLES』が、まったくヒットしなかったことに、マネージャのブライアンは、マイナー・レーベルの限界を感じ、メジャー大手のレコード会社のキャピトルと契約するために
アメリカへと向かった。
↑上の時点ではマイナー・レーベルからレコードは出てたけど
ポールは「僕たちは全米で1位になるまで絶対アメリカには行かない」と
言ってたそうだから、1964年の2月がビートルズの初全米上陸だよね シングルA面ならビルボードNo.1になっていたと思われる楽曲
・オールマイラヴィング
・ユーキャントドゥザッド
・ノーリプライ
・ベイビーズインブラック
・ドライブマイカー(ジョージのギターは冗談そのものだから無理かな?)
・ミッシェル
・デイトリッパー
・ストロベリーフィールズフォーエバー
・マジカルミステリーツアー
・バックインザUSSR
・オブラディオブラダ
・オー!ダーリン テレビ全世界同時放送のときジョンとポールで曲を争ったことは有名
結局、ジョンの「愛こそはすべて」が決まり、ポールはふてくされた
その恨みが末期のアルバム「レット・イット・ビー」で爆発した 全世界同時中継"アワ・ワールド"でやる曲として、"愛こそはすべて"に対して"ユア・マザー・シュッド・ノウ"はお話にならない
"音楽家"ポールとしてはいくら何でもこれは認めざるを得ない
この件の恨みが映画"レット・イット・ビー"に反映とか、あんまり分かり易すぎて短絡的な"煽り"だわ 全世界同時中継のとき、ストーンズらも参加した
ジョンはギターを持たずガムをクチャクチャ噛みながら適当に歌っていた
態度が悪いな〜と思ったよ 全世界の人が見守る生中継で新曲レコーディングというから、す、スゲェと思った
ところが流石に対策は講じていて口パクだったというが、
まぁ、ビートルズの絶頂という感じだったな >>908
「ミスター・ロンリー」(英語: Mr. Lonely)1964年全米1位曲の
大ヒットで知られるボビー・ヴィントンはビートルズに感謝してるんだって
「ビートルズには感謝してるよ、だって彼らの出現のおかげで
それまでのアメリカのライバルのソロ・アーティストがみんな売れなくなっちゃって
その中で僕だけが大ヒット飛ばせたんだよ。得した気分さ(笑)」
なんてコメントも残してるそうです。ちょっとユーモア入ってるね
たしかに、ビートルズの出現で大きく音楽シーンが変わったかも ビートルズの登場であおりを食った歌手はたくさんいた
その筆頭がプレスリーだ
いままで王者として君臨してきたのにその座を蹴落とされたし
レコードもまったく売れなくなってしまったんだもの プレスリーは、ずっと以前から映画にシフトしていたから
ビートルズ人気のあおりとは、あまり関係ない
シュープリームスや、サイモンとガーファンクルは、ずっと売れ続けていた
ビートルズのあおりというよりは、
時代とともに、受け入れられる音楽スタイルが変化したことだろうね
ビーチボーイズなども、キャリアの後半は、相当に変わったし なんか知らないがビートルズアゲしたい為
エルビスをクサす阿呆がいるよな。
ジョンはエルビスで衝撃を受けてバンド始めたのに、
先人に対するリスペクトが無いのは情け無い。 ジョンは映画に走ったエルヴィスを軽蔑していたからな エルビスプレスリーなんか、ほとんどの人は興味ないし、
ビートルズのライバルとも思ってない
なのに必死でエルビスプレスリーを叩く馬鹿ってなんなの? ジョンが失望したのは映画ではなく、
エルビスが軍に入隊したことだよ。
クサす為にウソついちゃいけないよ。 >>943
>>945
ジョンオタのじいさんだよ
最初は、ただのプレスリーアンチかと思ったが
叩く相手が、ストーンズ、オノヨーコと変わり、あげくの果ては、ポールも叩く
今はまた、プレスリー
友達も話し相手もなく還暦過ぎると、こうなる プレスリーが偉かったのはちゃんと兵役義務をはたしたことだ
それを歪曲してうそをつく>>946はチョンだろ
うそはチョンの国技だからな アリは兵役を拒否したヘタレだった
だから王者を剥奪されたんだ プレスリーのアルバムがバンバンつべにUPされてるぞ
いずれも最新だ エルヴィスがビートルズより優ってたところは声だ
ビートルズの4人はみんな悪声だが、エルヴィスは歌手の声だったからな ポールはシャウトが音楽的なんだよ
何十年か前に日本に来た時、一曲目が Figure of 8 だった
すごくよかったよ
歌詞もジョンへの愛が感じられる
だからダブル旋律にしたんだろうな。ジョンがいたらこう歌う筈と言わんばかりに。 そんな事言い出したら、エリック・バードンはどうなる デイジーミスリージー、スロウダウンにおけるジョンのシャウトは可愛い その後、バッド・ボーイやリーブ・マイ・キトゥン・アローンが出てきた
ジョンお得意のシャウトものをいくつも録音してたけど全部出すこともないと思われてたんだろう
結局出したけど リンゴの声は太いからあまりヴォーカルを担当させてもらえなかった ジョージ・マーティンは当初四人を歌わせ誰をリードボーカルにするか考えた。
候補はジョンかポール。ジョージは不安定でリードをとるのは無理と判断し、
ジョンかポールのどちらか一方にしようと思った。だが、彼らはシンガーではなく
バンドのボーカリストだから無理にリードボーカルを固定する必要は無いという
結論に達して、コーラスをふんだんに取り入れた歌唱スタイルにすることにした。 その成果がてきめんに表れたのが「シー・ラヴズ・ユー」なのだ シー・ラヴズ・ユーのオリジナルステレオテープを廃棄した馬鹿がいた ステレオというかミキシング前のテープだな
ステレオ盤を作るつもりがなかったんだから初期の頃はバンバン捨ててた
ビートルズが大物になってきてから「ビートルズの録音テープは一切捨てるな」と指令が出た 初期のシングル盤でだけ発表された曲はモノラルマスターしか残ってないのが普通だが、"抱きしめたい"だけはステレオがあるのが不思議だった
これはたまたま、ミキシング前のテープが残っていたので、のちにステレオが作れたとのことだ シー・ラヴズ・ユーのオリジナルステレオ音源はYouTubeで聞くしか手立てはない EMIはDECCAに比べると録音技術が遅れていた
優秀なスタッフがいなかったせいだ レコードの原盤をつくるための音源としてのマスターテープ
これさえあればレコード生産は続けられる
マスターを作る素材とした録音まで残しておく必要はない
使わない余計なものを抱えておくのは、キミ、企業経営を圧迫するものだよ
アーティストは次から次に現れては消えてゆく
みんな残して置けなんて言うのかい、馬鹿な
(by経営者) アーティストの質によって大事に保管される場合と破棄される場合があるんだな
駆け出しの頃のビートルズはそれだけ軽くみられていたわけだ
先を見なかったEMIの関係者は愚かだった ナーニがヒットするのかしないのか、これ、ミュージシャン本人たちにもサッパリ分からんのよネ
一応全部イッショ懸命にレコード作ってんのだけどネ
未来が分かれば苦労しないっての
LPの埋め草でテキトーに吹き込んだ曲が大ヒットってのもあるしね
ハーマンズ・ハーミッツのミセス・ブラウンのお嬢さん、
モンキーズのデイ・ドリーム・ビリーバーとか‥‥ クラシックの分野なら元のテープを大事に保管している
ポピュラーでは格下扱いだから仕方ないということか クラシックなら巨匠の残した歴史的名演とか言って長いことレコード売れるからねぇ
(巨匠でないと残さないんじゃないの?)
ポピュラー音楽なんてのはコンテンポラリーなもんだとの認識だったでしょ
デジタル記録となった現在、廃盤となった曲のデータをどうしているのか知らないけれど クラシックは1954年から本格的にステレオ録音を開始していた
だが、ポピュラー界がステレオ録音を始めたのは1958年頃からだった
とくにマイナーレーベルではまだモノラルのままで運営していたんだよ アメリカはミュージカル映画を1950年代早々からステレオで収録していた ポールの資産はオリンピックを4回開けるとか言ってたけどね
今この瞬間にも世界のどこかで確実にビートルズの曲が流れ、彼らの声や演奏を聴いている人が何千人もいる
おそらく何千年もこの状況は続くだろうから、ガッポガッポじゃないかな 湯川れい子曰く「イエスタディ」の印税だけで左うちわ 寝て暮らせるって言ってた
平尾先生だってカラオケ印税だけでも年数千万円の印税だって言われてるからね
ちなみに80年の時点でジョンの印税は1日だけで!4,000万円だと当時の記事
「贅沢な車も乗り尽くしもう金なんかいらない。今は平和と静けさだけがただあればいい」と言ってた40歳のジョン・・あらゆる意味で実年齢よりずっと悟ってたね 次スレ、誰か立てる?
当時の話題なら、いくらでもあるけど ビートルズ掲示板よりこちらのほうがずっといい
あのスレはキチガイばかりだから >>983
プレスリーの悪口は勘弁してほしい
まるでビートルズとプレスリーが同格みたいだもん
ビートルズと同格ってローリング・ストーンズだけだし 質の悪いストーンズなんかと比べるな
ビートルズに失礼だろ こういうバカがいるからスト−ンズファンは見下されるんだ そもそも、このスレはストーンズage、ビートルズsageのスレだし
ビートルズファンは勘違いしすぎ
だからビートルズファンは嫌われる ザ・ビートルズの時代にツールスがあったらな
アビーロードスタジオでWAVES使われたら台無しだけどなw 全米1位の回数にかけてビートルズの足元にも及ばないストーンズ
しかもビートルズに曲を提供してもらったストーンズ
これでどちらが上か分かるよな ストーンズの顔写真を見たときの衝撃は忘れられない
あまりにもブ男揃いだったからね www
いや、確かにBEATLESはキャラクターとしてルックスが良かったよね 1000ならローリング・ストーンズの方がビートルズより格上! このスレッドは1000を超えました。
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