§フセイン体制崩壊で「シーア派パワー」が勃興する

 イラクには90年代からたびたび訪れたが、イラク戦争前のサダム・フセイン体制はアラブ社会主義を唱える
バース党という世俗的(非宗教的)支配であり、スンニ派、シーア派という宗派の違いが政治の表面に出てくる
ことはなかった。スンニ派であれ、シーア派であれ、イスラムを強調するような考え方をとれば、すぐに秘密警察に
目をつけられただろう。

 2003年のイラク戦争でフセイン体制が崩壊した途端、イラクで人口の6割を占めるシーア派の存在が急激に
表面化した。「シーア派パワー」がどっとあふれてきたという印象だった。バグダッドが陥落した後、バグダッド
郊外にあるシーア派地区のサドル・シティによく取材に行った。特に金曜日礼拝を取材に行くと、見たこともない
ような群衆がシーア派モスクに集まり、モスクの前の広大な空き地を埋めて一斉に礼拝をした。

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 フセイン体制下では、シーア派民衆が新しいモスクを建設したり、古いモスクを修復したり、拡張したりすることは
厳しく制限されていた。シーア派民衆がモスクからはみ出して大規模な金曜日礼拝をすることも認められて
いなかった。見渡す限り人で埋まったサドル・シティの礼拝は、フセイン体制のくびきを解かれたシーア派が、
数の力を誇示しているかのようだった。

 バグダッドが陥落した直後は、政府やバース党の事務所への略奪が横行した。シーア派のモスクの説教で
「略奪はイスラムに反する。盗品を戻せ」という説教があった。すると、モスクに併設した倉庫は、人々が運んで
来た略奪品であふれかえった。文字通り無政府状態が続いていたものの、10日、2週間とたつうちに治安が
回復してきた。フセイン体制の下では幾重にも張り巡らされた秘密警察が治安と秩序を守っていたが、体制が
崩壊した後、それに変わって出てきたのは部族と宗教(イスラム)である。