■女性が騙されたと訴え出ても軍は通報も立件もせずそのまま慰安婦として使用した。
軍が業者に甘く、誘拐を大目に見ていたことがわかる
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『漢口慰安所』図書出版社,1983年
女は昨日午後、内地から来たばかりで、今日検査を受け、あしたから店に出すことになっているが、検査を受けないと駄々をこねて困っているという。
私は女を呼び入れさせた。赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを
慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……
翌日、昨日の女が同じ二階回りと業者にともなわれてやって来た。……今日は覚悟してきたのか、おとなしく診察台に上がった。袖で顔をおおい、脚は緊張して固くなりぶるぶる震えていた。
〔その翌日〕女の泣き声が聞こえてくる。窓から外を見ると、隣りの戦捷館の洗浄場の窓から、昨日の女が身を乗り出して吐いていた。


○海原治(のち防衛庁官房長)談。
「民間のピー屋が日本人主体なのに、こちらは朝鮮人が主だった。

軍医の話では「初検診でバージンや小学校の先生もいたので聞くと、 女衒から軍の酒保でサービスするとだまされてきたよし。

帰ったらとすすめたら、前借金があるので返してからでないと帰れないと語った」

とのことだった」 (秦郁彦「慰安婦と戦場の性」p100)

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