(日本史)時代変化と自然災害の関係(人文社会学)
自然災害や疾病が発生した結果、時の政権が不安定化し、時代が終焉する。 国家・官吏(役人)が時代を変更した理由とは? @支持率の低下 災害による大衆の不満から時の政権※が支持が得られなくなる為 Aイメージ戦略 時代を変えることで災害による大衆の暗いイメージを変える為 B民主化 災害対応で生じた各時代の国家システムの持つ欠点・短所を改善する為。 ※昔は政党といったレベルで無く、幕府や王制や王朝(外国の場合)で 変更されている。 関連スレ >自然災害の発生と感染症の流行周期を科学する >h ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/disaster/1585755472/ ■飛鳥時代 592年-710年 ↓ →白鳳地震(天武地震)684年(南海トラフ巨大地震) →701年5月8日(5月12日)(大宝元年3月26日) 大宝地震 - 丹波(後に丹後に分国)で地震うこと三日(『続日本紀』) (9年後に奈良時代となった) ■奈良時代 710年-794年 ↓ 途中の745年6月1日(6月5日)(天平17年4月27日) 天平地震 - M7.9。 岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京※に復都(『続日本紀』) 762年も美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)の地震があったが地方なので 無視されている。 ※平城京・・・奈良の平城京 ↓ Wikiより補足 延暦3年(784年)11月、平城京より長岡京※へ遷都 ※(京都府の南西・長岡京市) 延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に遷都 この直後に富士山が噴火している為、2回の遷都は 多数の地震の前兆現象や前震により、遷都した可能性 があるかも知れません。 ↓ ------------------------------------------------------------------- 延暦16年(797年)、征夷大将軍として坂上田村麻呂が東北地方の蝦夷を鎮圧 蝦夷平定後、陸奥国に胆沢城造営、鎮守府設置 延暦16年(797年)、続日本紀完成 →797年(延暦16年)8月14日、南海トラフ地震があった可能性が 保立道久により指摘されている。 (8世紀末に南海トラフ巨大地震があった 保立道久の研究雑記 2016年3月1日) ↓ 延暦19年-21年(800-802年)、富士山が噴火(延暦大噴火) ↓ 延暦25年(806年)3月17日、桓武天皇崩御 ------------------------------------------------------------------- ↓ ■平安時代 794年-1185年 ↓ 1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M7.4、死者多数。 法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。 鴨長明が『方丈記』で詳述。 滋賀県文化財保護協会によると、長浜市の塩津港遺跡はこの地震(堅田断層によるとする)液状化でできたものという --------------------------------------------------------- 文治地震Wikiより抜粋 地震は元暦年間に発生したが、 この天変地異により、翌月の8月14日に文治に改元されたことから、 一般には、元暦ではなく文治を冠して呼ばれることが多い。 この改元について『百錬抄』では「十四日甲子、有改元、依地震也、(地震による)」 と記述しているが、 異説もあり、『一代要記』には「八月十四日改元、依兵革也、」とあり 兵革によるともされる[1]。 しかし中世の日本においては合戦や政変によるものより、 地震や疫病流行など自然現象のもたらす災害による改元の方が多かった[2]。 [2]. 矢田俊文 『中世の巨大地震』 吉川弘文館、2009年 --------------------------------------------------------- ■鎌倉時代 1185年-1333年 ↓ →鎌倉大地震(1293)相模トラフ? (想定される理由) 半世紀前に鎌倉地震(1241)も発生しており、 鎌倉に幕府を設置するのはマズイとなった可能性?) ↓ 建武の新政 1333年-1336年 (想定される理由) 当時の役人が鎌倉に1340年過ぎに再び鎌倉地震が来ることを暗黙に想定し、 それ以前(1333年)に幕府を京都に移動させたのでは無いか? 研究課題とさせていただく。 ↓ ■室町時代 1336年- ↓ →享徳地震(1454)(三陸) 13年後に戦国時代となった ↓ 戦国時代 1467年- ↓ ■安土桃山時代1573年- ↓ →天正地震(1586)(東南海?) (17年後に江戸時代となった) ↓ ■江戸時代1603年-1868年 ↓ 幕末に列島各地で巨大地震が多発し、明治維新となった。 →善光寺地震(弘化大地震)(1847) M7.4 洪水死者約1万-1万3,000人 →嘉永小田原地震(1853)M6.7 死者約20-100人 ※黒船来航(くろふねらいこう)とは、嘉永6年(1853年) 外国軍(黒船は軍艦)が自然災害の混乱に乗じて、 偵察・けん制に来るのはよくある話だそうです。 (戦乱などのけん制、外国にとばっちりが来ないように) →伊賀上野地震(1854)(伊賀・伊勢・大和地震 M7 死者約1,800人 →安政東海(1854)M8.4 死者2,000-3,000人 →安政南海(1854)M8.4 死者1,000-3,000人 ↓ 安政の地震の後で、鎖国が中止となっている。 (鎖国1639年-1854年) ↓ 幕末を迎え、14年掛かって、 明治維新となった。 (幕末 1853年-1868年) ↓ 補足 ※江戸が260年と長く続いた理由 ×1740年代〜1840年までの一連の地震は小規模で、被害が少ないものが多かった。 ×この時期の巨大地震は東北や九州など地方で発生し、江戸周辺で少なかった。 地方では政変や政権交代が存在した可能性あり※(研究課題) ×多大な犠牲者は出した八重山地震は当時、琉球王国の為、無関係。 ■明治時代 1868年-1912年 ↓ 1889-1911まで全国各地で巨大地震が多発し大正時代となった。 →(九州)熊本地震(1889)M6.3 死者20人 →(中部)濃尾地震(1891)M8.0-根尾谷断層 死者・行方不明者7,273人 →(北陸)石川・富山地震(1892) 死者2人 →(南関東)明治東京地震(1894)M7 東京湾北部地震(南関東直下地震) M7.0、死者31人 →(東北)庄内地震(1894)M7.0 山形県庄内地方 死者726人 →(北関東)霞ヶ浦地震(1895)M7.2 死者6人 →(北関東)茨木沖地震(1896)M7.3 →(東北)明治三陸(1896)M8.2 - 8.5 死者・行方不明者2万1,959人 →(東北)陸羽地震(1896)M7.2-秋田県と岩手県の県境 死者209人 →(東北)宮城県沖地震(1897)M7.4 →(沖縄)石垣島東方沖(多良間島沖)地震(1898)M7 →(関西)紀伊大和地震(1899)M7.0 奈良と三重の県境 木ノ本,尾鷲で死者7名 →(中四国)芸予地震(1905)M7.2 死者11人 →姉川地震(江濃地震)(1909) M6.8 死者41人 →喜界島地震(1911)M8.0 死者12人 ↓ ■大正時代1912年-1926年 ↓ →大正関東地震(関東大震災)(1923)M7.9 (死者・行方不明者10万5,385人) 太平洋戦争(15年戦争)の遠因と言われている。 ↓ 6年後 ↓ ■昭和時代1926年- ↓ →日本海中部地震(1983) Mj7.7 日本海に大津波、死者104人。 ↓ 6年後 ↓ ■平成時代1989年- →東日本大震災(2011)Mj8.4 (死者・行方不明者約2万2000人) ↓ 8年後 ↓ ※補足(最大のヒント) 令和に元号が変更されたが、崩御では無い。 ■令和時代2019年- >>13 参考文献 >図説 関東大震災 (ふくろうの本) | 太平洋戦争研究会 |本 | >>13 参考 >日本を暗黒の時代に突き落とした関東大震災から96年 > >2019/09/01 - 96年前、亥年の9月1日正午前に起きた大正関東地震で、 >10万人を越す犠牲者と国家予算の3倍もの経済被害を出し、 >大正デモクラシーの時代は、軍国主義の時代へと移り、 >太平洋戦争へと突入していきました。 >>1 【日本歴史大辞典】には[地震]という項目があって面白いですよ。 >日本の地震について歴史的記録が残るのは最近の千数百年にすぎない。 >しかし、活動度の高い活断層による地震の再来間隔が1000余年、 >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば >それらの記録の意義は小さくない。 >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば >海の巨大地震の間隔が100〜200年という数字を考えれば 以下の他、沢山の地震が挙げられていました。 明応地震(1498年) 天正地震(1586年) 宝永地震(1707年) 安政地震(1854年/1855年) 東南海/南海地震(1944年/1946年) 江戸時代の災害も酷かったようですね。 >新しい大都市江戸も災害には悩まされた。 >3代将軍徳川家光のときの江戸は度々の地震で被害を出している。 ↓ この他、【日本歴史大辞典】の[地震]だけでも大量の情報が記載されています。 読むと面白いですよ。 徳川 家光(とくがわ いえみつ) ○江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年 - 1651年) ○2 代将軍秀忠の次男(嫡男) ○母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江、乳母 は春日局(福) ○1623年に将軍に就任し、江戸幕府の体制を確立させた。 ○1635年に、2 代秀忠の出した武家諸法法度を改定し、大名の参勤交代の制度を加えた。 >>22 >歴史地震第21号(2006) 59頁 > >江戸時代の震度計 ― 震動の客観的基準を必要とした人々 - >h ttps://www.histeq.jp/kaishi_21/P059.pdf > 江戸時代前期 >将軍徳川家光から家綱に至る寛永・慶安・正保期は >大地震が度々江戸を襲った。 >例えば正保四年五月十四日(1647.6.16)の地震の際には >「在江戸之諸大名 其外御旗. 本之面々群参 是地震付而也」 >と『江戸幕府日記』が記している >慶安二年(1649)には、地震が頻発する中で、 >非常の際に登城すべき要人や、御門での対応について、 >老中から申し渡しがなされた ちなみに活動度の低い活断層なんかは、5000年〜1万年くらいですからね。 >しかし、活動度の高い活断層による地震の再来間隔が1000余年、 産総研のデータもそうなってますが、活断層が2000以上ある為に、 平均3000年の場合×2000のどれか一つ=1.5年に1回の地震という計算になりますし、 平均5000年の場合×2000のどれか一つ=2.5年に1回の地震という計算ですからね。 2〜3年に1回というのは、当たり前と言えます。 >天水桶や手水鉢は、いわば、必要が生んだ江戸時代の「震度計」 江戸時代は水桶を「震度計」として使ったという。 >天水桶の水こぼるれば御機嫌伺い とは何か? 地震災害の程度に応じて、(各藩主による公的な対策が必要かどうか) 使者を向かわせるということ。 >元禄十年十月七日(1696.11.20)の地震では、下谷の対馬藩邸は >天水がこぼれる程ではなかったので御機嫌伺いしなかったが、 >本所の津軽藩邸や青山の肥前鹿島藩邸は天水がこ >ぼれたので使者を派遣したという。 対馬藩・・・九州の長崎県対馬市 津軽藩・・・東北の弘前藩の別称であり、陸奥国の弘前(現:青森県弘前市) 肥前鹿島藩・・・九州の肥前国鹿島(佐賀県鹿島市)に置かれた佐賀藩の支藩 >元号 >漢字文化圏に見られる紀年法の一種。 >一定の元(起算点)を定めて年数を数える方法。 >漢の武帝の建元元年(紀元前140年)に始まり、中国・朝鮮・日本でも行われた。 >新羅では中国の元号がそのまま使用された時期もあるが、日本独自の元号が使用 >現在使用されているのは日本のみ >元号には呪術的な要素があり、それを改めること(改元)は災異を除き、 >世を一新するなどと考えられた ○701年 元号の成立(大宝律令には公式文書に元号を使用することが規定されている。) ○ほぼ9世紀まで祥瑞(しょうずい)または瑞祥(ずいしょう) による改元 が行われた。 瑞祥改元・・・主に奈良時代に行われた。天が王の治世をほめて出現させた得意な動植物や 自然現象をいう。霊亀、慶雲など。 ○10世紀以降 明治まで ・災異改元(災害などの災異をとりのぞく改元)・・・・中世にしばしば行われた。 ・代始改元(天皇即位) その他、中国などでは革命改元が行われた。 ○明治 一世一元制 ○1947年 皇室典範の制定で昭和天皇の元号制定権が消滅 ○1979年(昭和54年) 元号法が制定され、皇位継承の際に改元すると規定。 内閣が決定権を持つ。 災異改元(災害などの災異をとりのぞく改元)が行われた背景 ○当時、「災異は天が為政者を戒めるもの」(「日本三代実録」序) として重視されていた。 ○(地震後に)被災地の租税減免などの救済措置を命じる詔を発した例も多い。 奈良時代:瑞祥改元・・・天が王の治世をほめて ⇔ 中世:災異改元・・・「災異は天が為政者を戒めるもの」(「日本三代実録」序) →逆の理由になった背景として、同時期に災害が頻発した為。 災害(地震や噴火・洪水など)の静穏期・活動期で検索! 日本史と同様に年号、元号には多数の書籍が出版されている為、参考にして下さい。 ○瑞祥改元の例 飛鳥時代・・・慶雲(けいうん・きょううん)など 奈良時代・・・霊亀(れいき)、神亀(じんき)、宝亀(ほうき)など ↓ 平安時代・・・歴史書には災異改元が多数あり、文献を見て下さい。 >>34-40 情報ありがとうございました。 「改元」「元号」「災異説」を知る上で欠かせないキーワードを補足させて下さい。 キーワードその1 ブリタニカより抜粋 「〜略〜 改元の理由としては、祥瑞、災害をはじめ、代始、 あるいは辛酉・甲子などの革命説によることがあった。〜略〜」 【祥瑞改元(しょうずいかいげん)】 【災異改元(さいいかいげん)】 【革命改元(かくめいかいげん)】 関連【辛酉革命(しんゆうかくめい)】 関連【甲子革令(かっしかくれい)】 【代始改元(だいはじめかいげん)】 キーワードその2 日本歴史大辞典より抜粋 讖緯説(しんいせつ)に基づく、辛酉革命説や甲子革令説による革命改元などがある。 1.関連【経書(けいしょ)】 2.関連【緯書(いしょ)】 3.関連【讖緯(しんい)】 4.【讖緯説(しんいせつ)】 ●キーワードその1 【祥瑞改元(しょうずいかいげん)・瑞祥改元】 主に奈良時代に行われた。天が王の治世をほめて出現させた得意な動植物や 自然現象をいう。霊亀、慶雲など。 →宗教的かつ迷信的なもの ×天が為政者を褒めて、動植物や自然現象により使者を使わす ×科学的には当然デタラメ ×為政者寄りで大衆の支持が無く、飛鳥時代〜奈良時代までしか使われず。 △但し、現代でも、宗教と迷信も必要 ●キーワードその1 【災異改元(さいいかいげん)】 (日本歴史大辞典より) →元号を改元で改めることは災異(災害)を除き、世を一新すると考えられた為。 →基本的には宗教的かつ迷信的なものだが、 ◎災害や公共社会に対する配慮があり、かなり民主的 △政治学や国民統治としての社会心理学上は現在でも多少の意味 ×科学的には当然デタラメ ×科学的には当然デタラメ ・・・当たり前ですが、説明しておきます。 災害(台風、地震、噴火、洪水、雷等)は地球科学的な、 地理的・環境的に発生するものであり、改元しても、災害が減少することは無い。 >元号を改元で改めることは災異(災害)を除き、世を一新すると考えられた為。 ●キーワードその2 1.【経書(けいしょ)】○本物 @広辞苑より 孔子など中国古代の聖人が述作したとされる書。 儒学の経典。 四書・五経・九経・十三経の類。経籍。 ●キーワードその2 2.【緯書(いしょ)】→×××××偽物 @広辞苑より 経書に付託して禍福・吉凶・祥瑞・予言(しん)を記した書物。 経書に対していう。 詩緯・易緯・書緯・礼緯・楽緯・春秋緯・考経緯(以上七緯という)など。 孔子の作というが、前漢作の偽作。 のち禁書となり、いまはいつ文(ぶん)を伝えるのみ。 【緯書(いしょ)】 ↓広辞苑のレベルでも偽作 >孔子の作というが、前漢作の偽作。のち禁書となり >孔子の作というが、前漢作の偽作。のち禁書となり >孔子の作というが、前漢作の偽作。のち禁書となり >孔子の作というが、前漢作の偽作。のち禁書となり >孔子の作というが、前漢作の偽作。のち禁書となり ●キーワードその2 3.【讖緯(しんい)】 @広辞苑より (「讖」は予言、「緯」は緯書の意) 未来に来るべき兆または吉凶を書きしるした書 4.【讖緯説(しんいせつ)】 @広辞苑 中国古代の予言説。陰陽五行説にもとづき、 日食・月食・地震などの天変地異または緯書によって運命を予測する。 先秦時代から起こり漢代から盛行、弊害が多いので、晋以降しばしば禁ぜられた。 4.【讖緯説(しんいせつ)】 ・・・今から千数百年前の太古すらデマ扱いで禁止になった禁書による説 ↓ >先秦時代から起こり漢代から盛行、弊害が多いので、晋以降しばしば禁ぜられた。 >先秦時代から起こり漢代から盛行、弊害が多いので、晋以降しばしば禁ぜられた。 >先秦時代から起こり漢代から盛行、弊害が多いので、晋以降しばしば禁ぜられた。 >先秦時代から起こり漢代から盛行、弊害が多いので、晋以降しばしば禁ぜられた。 >先秦時代から起こり漢代から盛行、弊害が多いので、晋以降しばしば禁ぜられた。 ●キーワードその2 4.【讖緯説(しんいせつ)】 A日本歴史大辞典から一部抜粋 緯(い)とは、経糸を意味する経、すなわち経書に対して 横糸で、前漢に流行した天人相関説、陰陽五行説、 災異瑞祥説、占星術などによって、経書を解釈したものである。 〜略〜讖緯説は日本にもいちはやく伝わり、〜略〜 陰陽道、神道、平安仏教など日本の広い範囲の文化にも大きな影響を及ぼした。 ●キーワードその2 4.【讖緯説(しんいせつ)】 B日本史辞典の冒頭より 歴史の変革を陰陽五行説の知識によって予言する思想 漢代末期から盛んとなり、6世紀ころ暦とともに日本に伝えられ、 「古事記」、「日本書記」の歴史観となった。 4.【讖緯説(しんいせつ)】 C世界史辞典より 後漢代に盛んに行われた予言的な学説 〜略〜 祥瑞(しょうずい)・凶兆を唱え、迷信を助長した。 後漢代に盛んに行われた予言的な学説〜略〜 祥瑞(しょうずい)・凶兆を唱え、迷信を助長した。 祥瑞(しょうずい)・凶兆を唱え、迷信を助長した。 祥瑞(しょうずい)・凶兆を唱え、迷信を助長した。 祥瑞(しょうずい)・凶兆を唱え、迷信を助長した。 ●キーワードその2まとめ 【讖緯説(しんいせつ)】 ・・前漢に流行した天人相関説、陰陽五行説、災異瑞祥説、占星術などによって、 経書を解釈するデタラメな説 関連【讖緯(しんい)】 関連【緯書(いしょ)】・・禍福・吉凶・祥瑞・予言(讖しん)を記したデタラメな書物 (本物の古典)関連【経書(けいしょ)】・・孔子など中国古代の聖人が述作したとされる書 以上のまとめ 【讖緯(しんい)】→デタラメな予言 【緯書(いしょ)】→デタラメを書いた本で禁書 【讖緯説(しんいせつ)】→デタラメな予言と書の説 「古事記」と「日本書記」が少々、心配になりますが、 キリスト教や西洋史などにも後世の人文科学からすれば、デタラメが多く、 まったく同様の為、古代の世界史と似たようなものです。 ということで緯書(いしょ)に関しては、数ある古典の中でも、デタラメ中のデタラメの為に 文書が散逸して、一部しか残っていないそうです。 ・・・その点が、宗教の経典の類とは異なる点。 古典というのは、科学的には迷信でも、社会心理や公共などで理にかなっている 側面があったりしますからね。 以上、>>42-59 まで文献から引用し(陰陽ではありませんよ!) 補足説明が終了致しました。 古典と科学の相違というのはよくあるのです。 以上、>>42-59 まで文献から引用し(陰陽ではありませんよ!) 補足説明が終了致しました。 古典と科学の相違というのはよくあるのです。 次に「キーワードその1」の後半部分を説明しましょう。 【代始改元(だいはじめかいげん)】 ←これは通常の世代交代ですからOKですね! 【革命改元(かくめいかいげん)】 関連【辛酉革命(しんゆうかくめい)】 関連【甲子革令(かっしかくれい)】 次に、日本でも行われた、【革命改元(かくめいかいげん)】 と関連する【辛酉革命(しんゆうかくめい)】【甲子革令(かっしかくれい)】 について解説致します。 【革命革令思想】 日本歴史事典より 古代中国で王朝の交替を正当化するために生まれた【讖緯説(しんいせつ)】 の一つ 〜略〜 辛酉革命・甲子革令として、十干十二支の組合せにより、 辛酉の年には天命が革(あらた)まる、王が交替する、甲子の年には制令を革まるとされた。 辛酉革命・甲子革令の日本の例 右大臣 菅原道真の交替などがあるが、 >昌泰(しょうたい)は延喜(えんき)と改元され、以降1864年(元治元)に至るまで、 >原則として、辛酉・甲子の年に改元が行われた。 >>65 意味としては、改元の年だけ合わせた、ということでしょうが、 西暦900年から西暦1864年までなら、150年までの1000年近くやってた ってことですね。 デタラメといっても、古典ですからね。一種のルールとしたのでしょう。 >古代中国で王朝の交替を正当化するために生まれた【讖緯説(しんいせつ)】 の一つ >>37-67 普通に大量に情報あるわけで、バカバカしい。 >日本の災害/防災 年表「災異改元」 >h ttps://www.bosaijoho.net/2020/02/06/日本の災害-防災-年表「災異改元」/ >・昌泰から延喜へ改元、三善清行の進言により災異改元始まる >……… 901年9月5日(昌泰4年7月15日) >・延喜から延長へ改元、干ばつと疫疾による ……… 923年6月3日(延喜23年閏4月11日) >・承平から天慶へ改元、地震と平将門の乱 ……… 938年6月27日(承平8年5月22日) >・天暦から天徳へ改元、干ばつによる ……… 957年11月26日(天暦11年10月27日) >・天徳から応和へ改元、前年の平安遷都初の内裏火災による >……… 961年3月10日(天徳5年2月16日) >・応和から康保へ改元、干ばつによる ……… 964年8月24日(応和4年7月10日) >・天禄から天延へ改元、薬師寺、北野天満宮の焼失による天変? > ……… 974年1月21日(天禄4年12月20日) >・天延から貞元へ改元、内裏の火災と地震による ……… 976年8月16日(天延4年7月13日) >・天元から永観への改元、炎旱と再建1年後の内裏また火災 ……… 983年6月3日(天元6年4月15日) >・永延から永祚(えいそ)に改元、ハレー彗星出現による ……… 989年9月15日(永延3年8月8日) >・永祚から正暦へ改元、「永祚の風」による ……… 990年12月1日(永祚2年11月7日) >・正暦から長徳に改元、−改元の効なく、天然痘の流行政界上層部へ > ……… 995年3月30日(正暦6年2月22日) >・長徳から長保へ改元。はしか歴史上初めての大流行、藤原摂関政治の終焉のきっかけに >……… 999年2月6日(長徳5年1月13日) >・長久から寛徳へ改元、感染症の大流行と干ばつ ……… 1044年12月22日(長久5年11月24日) >・永承から天喜へ改元、疫疾(感染症)熾ん(大流行)による ……… 1053年2月8日(永承8年1月11日) >・天喜から康平へ改元、大極殿火災、摂関政治の終焉 ……… 1058年9月25日(天喜6年8月29日) >・康平から治暦へ改元、三合の厄と干ばつ ……… 1065年9月10日(康平8年8月2日) >・承保から承暦へ改元、白河天皇、悲嘆・痛恨の改元 ……… 1077年12月11日(承保4年11月17日) >・寛治から嘉保へ改元、天然痘、はしかが大流行 ……… 1095年1月29日(寛治8年12月15日) >・嘉保から永長へ改元。東海・東南海地震、南海地震と連動して起こる > ……… 1097年1月9日(嘉保3年12月17日) >・永長から承徳へ、叡山の強訴に天変地異重なり時代は騒然、たった1年で改元 > ……… 1098年1月2日(永長2年11月21日) >・承徳から康和へとまた改元、平安朝末期の混乱に巨大地震からむ > ……… 1099年9月21日(承徳3年8月28日) >・康和から長治へ改元、伊勢大神宮の怒りによる天変? ……… 1104年3月15日(康和6年2月10日) >・長治から嘉承へ改元、彗星の出現による ……… 1106年5月20日(長治3年4月9日) >・天仁から天永に改元、天下静かならざるによる ……… 1110年8月7日(天仁3年7月13日) >・天永から永久へ改元、朝廷の無力を暴露 ……… 1113年9月1日(天永4年7月13日) >・永久から元永へ改元、国の生産高半ばの耕地を失う大洪水と干ばつと > ……… 1118年5月2日(永久6年4月3日) >・元永から保安へ改元、鳥羽天皇、在位4回目の災異改元で御謹慎 > ……… 1120年5月16日(元永3年4月10日) >・天治から大治へ改元、疱瘡(天然痘)の流行による ……… 1126年2月22日(天治3年1月22日) >・大治から天承へ改元、去夏以来、炎旱殊甚 ……… 1131年3月7日(大治6年1月29日) >・天承から長承へ改元、疫病と火災、凶事重なる ……… 1132年9月28日(天承2年8月11日) >・長承から保延へ改元、インフルエンザと飢饉と ……… 1135年5月17日(長承4年4月27日) >・天養から久安へ、ハレー彗星の出現で凶事改元 ……… 1145年8月19日(天養2年7月22日) >・久安から仁平へ改元、鴨川洪水、車馬通行できず ……… 1151年2月21日(久安7年1月26日) >・平治から永暦に改元、武家政治の時代へ変革のとき ……… 1160年2月25日(平治2年1月10日) >・永暦から応保へ改元、疱瘡(天然痘)の流行による ……… 1161年10月1日(永暦2年9月4日) >・応保から長寛へ改元、はしか流行による ……… 1163年5月11日(応保3年3月29日) >・嘉応から承安へ改元、異常気象続く ……… 1171年6月3日(嘉応3年4月21日) >・承安から安元へ改元、天下静かならず、疱瘡朝廷へ侵入 ……… 1175年8月23日(承安5年7月28日) >・安元から治承へ改元、大極殿火災と天変による、太極殿再建されず > ……… 1177年9月5日(安元3年8月4日) >・養和から寿永へ改元、養和の大飢饉起こるが源氏方改元せず > ……… 1182年7月6日(養和2年5月27日) >・元暦から文治に改元。大地震起こり、平家滅亡し、 >・朝廷兵革後の“文治”による統治理念示す ……… 1185年9月16日(元暦2年8月14日) >・元久から建永へ改元、赤斑瘡(麻疹:はしか)の流行による >……… 1206年6月12日(元久3年4月27日) >・建永から承元へ改元、天然痘の流行と台風災害による ……… 1207年11月23日(建永2年10月25日) >・建暦から建保へ改元、関東地方の災害に朝廷が気を効かして改元? > ……… 1214年1月25日(建暦3年12月6日) >・建保から承久へ改元、炎旱と鎌倉、京都の火災による ……… 1219年6月3日(建保7年4月12日) >・貞応から元仁へ改元、はじめて関東で雨乞いの伝統儀式“七瀬祓い”行われる > ……… 1225年1月7日(貞応3年11月20日) >・元仁から嘉禄へ改元、疱瘡(天然痘)の流行による、改元最短期間記録 > ……… 1225年6月4日(元仁2年4月20日) >・嘉禄から安貞へ改元、大内裏全焼し荒れ野に、その上はしか大流行 > ……… 1228年1月25日(嘉禄3年12月10日) >・安貞から寛喜へ改元、台風横行の災い ……… 1229年4月7日(安貞3年3月5日) >・寛喜から貞永へ改元、寛喜の大飢饉による ……… 1232年4月30日(寛喜4年4月2日) >・天福から文暦へ改元、2年続きの京の旱天 ……… 1234年12月5日(天福2年11月5日) >・文暦から嘉禎へ改元、政治、経済すべての実権を失った朝廷の厄逃れか > ……… 1235年11月8日(文暦2年9月19日) >・空を嘉禎から暦仁(りゃくにん)へ改元 、鎌倉で水損、京都で天変、流星空を舞う >……… 1239年1月6日(嘉禎4年11月23日) >・暦仁から延応へ改元、わずか2か月半で改元と最短記録更新、おまけに災異改元の理由見あたらず? > ……… 1239年3月20日(暦仁2年2月7日) >・延応から仁治へ改元 ……… 1240年8月12日(延応2年7月16日) >・宝治から建長へ改元、閑院内裏焼く ……… 1249年5月9日(宝治3年3月18日) >・建長から康元へ改元、赤斑瘡(麻疹:はしか)の大流行による > ……… 1256年10月31日(建長8年10月5日) >・康元から正嘉へ改元、太政官庁の炎上による ……… 1257年4月7日(康元2年3月14日) >・正嘉から正元へ改元、大飢饉と大地震による−改元頻度が高い鎌倉時代 > ……… 1259年4月27日(正嘉3年3月26日) >・建治から弘安へ改元、飢饉が続き疾病(感染症)流行による >……… 1278年3月30日(建治4年2月29日) >・正応から永仁へ改元、正応鎌倉地震に不吉な影をみた ……… 1293年9月13日(正応6年8月5日) >・乾元から嘉元へ改元、彗星と炎旱(日照り)による ……… 1303年9月24日(乾元2年8月5日) >・嘉元から徳治へ改元。神社仏閣に不吉なこと連発 ……… 1307年1月26日(嘉元4年12月14日) >・延慶から応長へ改元、三日病(風疹)の大流行による ……… 1311年5月25日(延慶4年4月28日) >・応長から正和へ改元、天変地震によるというが天皇家の両統(家)対立が原因か > 内乱を招いた後醍醐天皇とそれを予言した花園天皇 ……… 1312年5月5日(応長2年3月20日) >・正和から文保へ改元、京都で地震、余震8か月続く ……… 1317年3月24日(正和6年2月3日) >・正中から嘉暦へ改元、近江北部地震と疫病による ……… 1326年6月5日(正中3年4月26日) >・嘉暦から元徳へ改元、インフルエンザ大流行による ……… 1329年9月30日(嘉暦4年8月29日) >・暦応から康永へ改元、天変、地妖による ……… 1342年6月9日(暦応5年4月27日) >・康永から貞和へ改元、大雨に止雨祈願 ……… 1345年11月23日(康永4年10月21日) >・文和から延文へ改元、兵革:幕府の内紛収まり南朝との動乱終結願う > ……… 1356年5月7日(文和5年3月28日) >・延文から康安へ改元、兵革:動乱の終結願う、大地震襲来、感染症の流行 > ……… 1361年5月12日(延文6年3月29日) >・康安から貞治に改元、兵革、疫疾、天変、地震による ……… 1362年10月19日(康安2年9月23日) >・貞治から応安へ改元、南北朝動乱と干ばつ。前代未聞、僧兵ども御所内で合戦 > ……… 1368年3月15日(貞治7年2月18日) >・永和から康暦へ改元、兵革:南北朝の動乱集結願う ……… 1379年4月17日(永和5年3月22日) >・至徳から嘉慶へ改元、疾病による ……… 1387年10月31日(至徳4年8月23日) >・康応から明徳へ改元、兵革:北朝方の悲願2年後になる ……… 1390年4月20日(康応2年3月26日) >・文安から宝徳へ改元、洪水、地震、疫病による ……… 1449年8月25日(文安6年7月28日) >・宝徳から享徳へ改元、疱瘡(天然痘)の流行による ……… 1452年8月19日(宝徳4年7月25日) >・享徳から康生へ改元、平和を願い改元するも ……… 1455年9月15日(享徳4年7月25日) >・康正から長禄へ改元、山科家礼記、大乗院寺社雑事記から干ばつを読む > ……… 1457年10月25日(康正3年9月28日) >・長禄から寛正へ改元、寛正の大飢饉起こる ……… 1461年2月10日(長禄4年12月21日) >・文正から応仁へ改元。関東で起きた幕府の内紛、改元すれども全国へ波及 > ……… 1467年4月9日(文正2年3月5日) >・応仁から文明へ改元 ……… 1469年6月17日(応仁3年4月28日) >・文明から長享へ改元、戦乱による ……… 1487年8月18日(文明19年7月20日) >・長享から延徳へ改元、三日病?流行 ……… 1489年9月25日(長享3年8月21日) >・延徳から明応へ改元、疫病禍7年続く ……… 1492年8月21日(延徳4年7月19日) >・永正から大永に改元、戦国時代の戦乱を改元で停止願う、高野山全焼 > ……… 1521年10月3日(永正18年8月23日) >・享禄から天文へ改元、前代未聞、戦乱集結の改元を将軍が申請、なぜなのか > ……… 1532年9月8日(享禄5年7月29日) >・天文から弘治へ改元、戦乱の収まることを期待 ……… 1555年11月17日(天文24年10月23日) >・永禄から元亀へ改元 ……… 1570年6月6日(永禄13年4月23日) >・元亀から天正へ改元、戦乱による。信長、改元で平和宣言 ……… 1573年9月4日(元亀4年7月28日) >・文禄から慶長へ改元、慶長伊予、豊後、伏見地震による。覚めたい秀吉の悪夢 > ……… 1596年12月16日(文禄5年10月27日) >○江戸時代(〜1867年) >・慶長から元和へ改元、豊臣氏滅ぶ「元和偃武」 ……… 1615年9月5日(慶長20年7月13日) >・正保から慶安へ改元、年号(正保=焼亡)のせいか、将軍日光社参へのお清めか > ……… 1648年4月7日(正保5年2月15日) >・明暦から万治へ改元、明暦の大火による ……… 1658年8月21日(明暦4年7月23日) >・万治から寛文へ改元、御所、大内裏、公家屋敷焼く ……… 1661年5月23日(万治4年4月25日) >・寛文から延宝へ改元、京都寛文13年の大火による ……… 1673年10月30日(寛文13年9月21日) >・元禄から宝永へ改元。元禄地震による ……… 1704年4月16日(元禄17年3月13日) >・寛延から宝暦へ改元、上皇の崩御、前将軍の死去と大地震 > ……… 1751年12月14日(寛延4年10月27日) >・明和から安永へ改元。大火あり、明和九(めいわく:迷惑)で > ……… 1772年12月10日(明和9年11月16日) >・天明から寛政へ改元。京の9割を焼いた史上最大の大火“どんぐり焼け”による >……… 1789年2月19日(天明9年1月25日) >・文政から天保へ改元、江戸己丑の大火と文政京都地震と …… 1831年1月23日(文政13年1月10日) >・天保から弘化へ改元、江戸城本丸炎上による ……… 1845年1月9日(天保15年12月2日) >・嘉永から安政へ改元、黒船来航、内裏炎上、大地震と災異多く > ……… 1855年1月15日(嘉永7年11月27日) >・安政から万延へ改元、不吉な江戸城本丸御殿ふたたび炎上 …… 1860年4月8日(安政7年3月18日) >・元治から慶応へ最後の災異改元 ……… 1865年5月1日(元治2年4月7日) >>67-75 により本スレと下記、関連スレの証明も自動的に完了! >関連スレ >自然災害の発生と感染症の流行周期を科学する >h ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/disaster/1585755472/ 大方の皆さんの予想通り、 ・昭和への改元は、大正関東地震への災異改元 という要素あり ・令和への改元は、東日本大震災への災異改元 という要素あり ということでしょうねえ。 ↓改元してから、新型コロナウイルスが来てしまったのですが、平安時代とかと 違って、現在は法律で決まっている為に、1〜2年で改元とか、出来ないでしょうねえ。 >・嘉保から永長へ改元。東海・東南海地震、南海地震と連動して起こる > ……… 1097年1月9日(嘉保3年12月17日) >・永長から承徳へ、叡山の強訴に天変地異重なり時代は騒然、たった1年で改元 > ……… 1098年1月2日(永長2年11月21日) >・承徳から康和へとまた改元、平安朝末期の混乱に巨大地震からむ > ……… 1099年9月21日(承徳3年8月28日) >>67-79 の通り、 「自然災害」・「疾病」・「戦乱」・「飢饉」などにより改元されていますね。 そりゃ、王朝の為の瑞祥改元とは、国民の支持率が段違いでしょう。 ◇◆◇ 創価学会と「大蔵商事」◇◆◇ 大蔵商事とは、創価学会第二代会長・戸田城聖が作った金融会社である。この会社は経 済力のある学会員から資金を集め、貧しい会員に貸し付けていた。要は高利貸しである。 池田大作はこの会社の稼ぎ頭で、20代で取締役営業部長を務めたほどだった。池田の取 り立てには容赦がなく、債権回収のために病人が寝ている布団をはぎ取ることまでした。 ここでの働きが認められたことが、彼が後に第三代会長に上り詰めるきっかけとなった。 その後、創価学会は金を貸して利ザヤを稼ぐような回りくどいことはやめた。宗教のお 布施ならば、元手はほとんどかからず、しかも税金までかからないのだから当然である。 しかし、高利貸しの経験はお布施の集金にも役立った(創価学会では「財務」という)。 かつては「身ぐるみはいで御供養しなさい、金とケチると仏罰を受けます」が財務納金 を呼びかける際、学会幹部の決まり文句だった。また「貧しいものほど、宿命転換する ために多く金を出すべき」とも指導していた。金貸し根性は相変わらずだったのである。 【災異思想】-[天人相関説]の一種 抜粋>>35 ,>>45 ○前漢中期の儒学者 董仲舒(とうちゅうじょ) BC176〜104頃 ○自然界の災異を、君主の横暴、専断に対する天の譴告(けんこく)であるとして、 この思想に理論的根拠を与えてから、この思想は漢代を通じて広く流行した。 ○ただし後漢になると、因果関係が逆になり、自然の異変から人事を予言する 讖緯(しんい)説に展開していった。 >【災異改元(さいいかいげん)】 > (日本歴史大辞典より) > →元号を改元で改めることは災異(災害)を除き、世を一新すると考えられた為。 【天人相関説】-[天人感応説]ともいう。 ○人事と自然現象(天)との間に対応関係があり、人間の行為の善悪が自然界の異変 (吉祥や災異)を呼起す、という思想。 ○漢代の儒家が盛んに唱えて、広く流行したものであるが、 特に、政治のよしあしが天に感応して天変地異の現象となって、現われると説く。 ○天人の相関は陰陽二気の原理によって、たとえば、天と人とにそれぞれ陰陽二気が あり、人の陰気が動けば、天の陰気が応じて動く、というように、相互の陰陽が感応し合う からである、と考えた。→【陰陽説】 >>79 > >>67-79 の通り、 >「自然災害」・「疾病」・「戦乱」・「飢饉」などにより改元されていますね。 >そりゃ、王朝の為の瑞祥改元とは、国民の支持率が段違いでしょう。 【陰陽説】 万物の根源を陰と陽との働きによって説明する二元論。 関連-中国思想 関連-易学 関連-陰陽五行説 広辞苑によると日本に伝来して陰陽道となったが、 この場合はオンヨウまたはオンミョウと読む。 【陰陽五行説】-抜粋 ○陰陽説と五行説が結合したもの。-中略-儒学とともに日本に入り大きな影響を与えた。 ○一切の万物は陰・陽二気によって生じ、 五行中、木、火は陽に、金、水は陰に属し、土はその中間にあたるとし、 これらの消長によって天地の変異、災祥、人事の吉凶を説明する。 【五行説】 万物の根源を木火土金水の5元素におき、それらの関係、消長によって、 宇宙は変化するという自然論的歴史観。 関連【五徳終始説】-戦国時代の陰陽家が王朝の交代の主張に用いた。 関連【五行相生説】(ごぎょうそうせい) 関連【五行大義】(ごぎょうたいぎ) 【五行大義】-陰陽五行説を集大成した書。 隋(ずい)から日本に伝わり「続日本紀」に陰陽道の必読書としてその名が記された。 【讖緯(しんい)説】>51-57 【災異思想】>81 【天人相関説】>82 【陰陽説】 >84 【陰陽五行説】 >85 【五行説】 >86 【五行大義】 >87 ↓反社が立てたトラップ(罠)のスレと思われますので、踏まないようにして下さい。 >【世回教師マITL-ヤ】 グレタに天恵、コロナは天罰 →念の為、キーワードを解説致します >コロナは天罰 →中国の儒学による【災異思想】と思われます。迷信ですので注意して下さい。 >【世回教師マITL-ヤ】・・・・※2ch〜5chを通して、やたらマイトレーヤと記載され注意! ○マイトレーヤ(西暦270年〜350年頃)→インドに実在した仏教の思想家 ○中国の漢字表記で「弥勒(みろく)」のこと。 ○英語でMaitreyaと表記するが本来はサンスクリット語 ○インド仏教の【唯識派】の開祖、仏教の【唯識説】。 ○後の伝説で【菩薩】として神格化され、兜率天(とそつてん)上に居る【弥勒菩薩】とされ、 これと同一視された。 ○著書「弥勒の五法」として中国とチベットに伝えられているが、内容が異なる。 >【世回教師 は【教師の夜回り】、【世回り】、【世界】の2〜3点を掛け合わせた造語と思われます。 注意して下さい! >グレタに天恵 【天恵】天が人間に与える恵み は良いとして、グレタは不明です。 @ギリシャのクレタ島(ギリシャ文化に関連?) Aグレタ・ガルボ(Greta Garbo)(1905-1990) →→アメリカ映画に出演した伝説的なスウェーデンの女優 Bその他? >>85-88 仏教の修行に関しても五行がありますが、それらは 【陰陽五行】の五行、【五行説】とは全く異なる為、注意して下さい。 関連スレです、よろ。 >(鴨長明)方丈記(地震津波竜巻台風) >h ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/disaster/1592909761/ >>1 そういえば、総裁選あったね。 >@支持率の低下 >災害による大衆の不満から時の政権※が支持が得られなくなる為 >Aイメージ戦略 >時代を変えることで災害による大衆の暗いイメージを変える為 >B民主化 >災害対応で生じた各時代の国家システムの持つ欠点・短所を改善する為。 > >※昔は政党といったレベルで無く、幕府や王制や王朝(外国の場合)で >変更されている。 >>97-98 貴様らのようなネトウヨ及び反社会的勢力は本スレでは禁止しています。 退散して下さい。 >日本の災害/防災 年表「災異改元」 >h ttps://www.bosaijoho.net/2020/02/06/日本の災害-防災-年表「災異改元」/ 「防災」というキーワードだけで色々と分かるのがスゴイ 3.11でも「地名」の教訓は勉強になりました。 >月と地震発生の関係については, Schuster (1897)以来数多くの統計的研究が行われ, >両者の間に有意な相関 ↓ ↓100年遅い件 ↓ >大地震は満月か新月の前後に起きやすい」東大研究者らが発表 >>105 昔は暦が太陰暦(月の29.5日の運行がベース)でしたからね。 だから月と地震の相関関係が、神道関係の予言者?に予測しやすかったのでしょう。 太陰-太陽暦から、グレゴリオ暦になり、と太陽ベースになったので、 そのノウハウが太古のものになった、と。 >>105 日本でも1930年/1956年/1985年/1990年/1996年とか多数研究発表されている上に、 1956年は論文で知れ渡り・・・1976年には教科書レベルの話だし・・・ >>107 学問的に分かり切った、当然の内容を、トンデモサイトとか、 都市伝説で、したり顔で語ってやがったのか??? >>108 そう。 なんなら、4大文明とかで紀元前5000年前とかの エジプト、メソポタミア(イラク)、インド、中国とか、 アステカ、インカ帝国とかでも知っていたかも知れないような内容。 >>109 ただなあ、まだ勉強不足だと思うんだよ。 29.5÷2=14.75日で新月と満月とか言ってるだろ? おれは÷3もあると思ってる。 >>105 国民に、新月と満月に注意して下さい!とか 世界各国の大統領とか、補佐官とか官房長官とか総理が言う訳にもいかないだろう。 という判断なんじゃね? 逆に国民から占星術か!と言われて怒られそうだもの。 >>111 待て待て、その観点から言えば、「占星術」には まだまだ、公表されていない、「統計学」的な真実が多数あるんじゃ無いの? >>112 あるな、太陽の運行、惑星の運行、月の運行に関係してそうな何かあるよ。 天文学でも、天体の運行とか、やたら気にしているからな。 惑星直列がどうした、とか。 重力バランスとかの話だろう。 ま、その一つが、「ミランコビッチ周期」とかだけどね。 >>113 実は「地震」と「地球潮汐力」も関係があるわけで・・・ だから、地震発生する「時間帯」に偏りができるわけで・・・ >>114 東海地震、東南海地震、南海地震が、過去5回連続で「12月に来ていた」 ってのも衝撃だったね。それも偏りの一種でしょう、天文学的な影響かはともかく。 だからといって次回も12月とは限らないんだが・・・ >>115 3.11と2.13と3.20だって、考えてみなよ。2月と3月だぜ? >>116 12か月あるカレンダー上で明らかに「統計的な偏り」があるね。 つまり、日本海溝沿いで、最近は、その辺り(宮城周辺)に発生しやすい 何らかの理由がある、と考えられそうだ。 >>117 ○「緯度と経度」 ○「重力」 ○「地球の自転の影響」 ○「太陽との公転軌道上の位置関係」 ○「日本海溝」のプレート間応力の掛かる向き(方向) あたりを入力すれば、月の偏りは簡単に出せるのかも知れないね。 >>118 それでもう論文が5本書けそうだね(もう出てるんじゃないか?) それで日本海溝が3月で向きが90度ズレている南海トラフが12月・・・ あれ結論出ちゃってないか? 360度=12カ月で3カ月=90度ってね。 >>119 とチリやニュージーランドは緯度が同じくらいだろ? で、日本の緯度と何度ズレているんだ? さらに言えば、チリ地震やNZ地震が起こった月、時間帯、日はいつだ? 2010年のチリ地震と3.11の日本との違いとか。 >>120 天文学×地震学で論文を10本も書かせる気か? そんなテーマなんか、もう沢山出てるんじゃ無いか? そうすると、ハレーすい星や、日食や月食のレベルで、自然災害を捉えることが 出来てしまうじゃないか? >>121 現状でもほとんど予測できているわけで・・・ >>122 前兆現象が起こることから、予測したいね。 現状はまだ前兆現象に頼っているだろう? >>123 群発地震や余震群に関しては、月の運行を考慮することで、 発生の期待値を挙げられる、ことが分かった感じだけど。 つーことは>>82 の一部について自然科学的に証明することが可能となる、ってことだね。 >【天人相関説】-[天人感応説]ともいう。 >○人事と自然現象(天)との間に対応関係があり、人間の行為の善悪が自然界の異変 >(吉祥や災異)を呼起す、という思想。 >○漢代の儒家が盛んに唱えて、広く流行したものであるが、 >特に、政治のよしあしが天に感応して天変地異の現象となって、現われると説く。 >○天人の相関は陰陽二気の原理によって、たとえば、天と人とにそれぞれ陰陽二気が >あり、人の陰気が動けば、天の陰気が応じて動く、というように、相互の陰陽が感応し合う >からである、と考えた。→【陰陽説】 >>125 これ、改まって読むと、311追悼特集を沢山見たからか、 「人災」と凄く関係がありそうにも受け取れるね。 >人の陰気が動けば、天の陰気が応じて動く、 >政治のよしあしが天に感応して天変地異の現象 昔は明かりが少なかったわけでしょ? だから地震で電気が発生して光が出るってのも、何千年前から、分かっていたんだろうね。 西洋の学問書には200年以上前に記載されていて、日本で1820年過ぎに書物が 出ていたそうだから。 >>127 西洋の書物や学者で、よく言われているよね。 つまり、西洋人として現象やメカニズムが分かり、書物や論文に記載したのは、 西暦XXXX年が初めてだけど、人類として、初めてか、どうかは分からない、なんてね。 >>128 古代XX文明は、分かっていた可能性がある、とかな。 古代XX人は、XXという知恵や道具を使いこなしていた、とか。 研究の結果、ある程度、そこまで推測がつくわけだ。 >>127 新聞で個別には出ているんだけど、何故か、体系的な知識として 学問書以外では公表されることは無い、という。 >>130 何故か、煙に巻こうとするからな。 「人類が自然災害に打ち勝つ」 のと 「リスク」というのと。 「完璧な減災」が出来ないからね。 >>131 例えば「地名」と「行政」との問題だよね。 良い処をアピールしたいわけであり、災厄っぽい地名はノーサンキューなわけで、 それが人災、と言われると・・・だから、あっちの仕事は難しいんだな。 >>132 「理想郷・ユートピア」論争みたいな話になってきたな。 理想郷など無い、と。 >>104 でも触れたけど、自然科学と人文科学は表裏一体という側面がある。 >「防災」というキーワードだけで色々と分かるのがスゴイ >>134 防災を考えると、「哲学」や「思想」に帰着されるんですね。 自然災害を予測しよう、とすると「経験主義」になると思うんだ。 >>136 実際の自然災害の前後の関係性などから、判断し、 あとから理論が追い付いてくる、という立場ですね。 ここでの理論(地震学や火山学)は哲学用語で言えば「人類の叡智」のことで、 「叡智界」と言ったりするそうです。 >>137 数千年前の古代文明の中の人達は、月明かりで生活しているから、 すぐに「月と地震の関係性」やら、 「生活と月」、「生活と太陽」の関係性に気付いたと思う。 >>138 仰る通りです。例えば「稲作」など[農耕文明」は 太陽による一年周期が基本となるわけで、そこに四季が入って来ます。 だから、古代文明にとって、暦作り、カレンダーが人類の生命線と言える位、 大切なものであり、それは現代でも変わりません。 >>139 うん、だからインカ文明とか、アステカ文明とか まったく知らないし、興味も無いんだが、太陽の陰で時刻を知る時計、とか 月によるカレンダーとか、まあ、色々な装置があるじゃない? あれって、現代生活でも、基本中の基本といった所があるね。 >>140 「経験主義から生まれた人類の叡智」ですね。 これは「実在論」というらしいですよ。 >>141 その「実在-論」だけどね。 例えば、光は、発光現象であって、色々な(光子)を放出する仕組みによって 光が出るわけだ。 最初は、「経験主義」による「現象論」から、フォトンという「実在」に辿りついたわけ。 >>142 例えが、現代に近すぎますが・・・おっしゃる通りですね。 古代の雷のような現象・・・電流の存在が、電子(エレクトロン)によって「実在」が証明され、 現在の人類が、エレクトロニクスとして使いこなしているのと同じですね。 >>143 君が期待しているより、もっと驚くべき方向へ話が飛躍するんだよ。 >>145 そう。昔のエライ学者は、派があって、実在派、とか、経験主義、とか 思想の違いで、分かれていた。 >>149 そう。「物」だけじゃないんだよね。「実在」って。 「物のみ」、「物と魂」(デカルトだったか?)、「魂のみ」 と3通りの学者に分かれていたんだよ。 >>150 うおおおおおお!!!!、つまり、「ある」ということですか? >>151 誰が、「霊魂」とか「エクトプラズム」とか「よく分からない世界の話」 をしている! >>152 貴兄でしょ! しかし・・・ここまでの話の流れからすると・・・ >>153 そう、むげに否定できない。 というよりも、むしろ、偉い学者の言う通りなんじゃないか? とう気がしてきたんだよ。 >>154 つまり「自然科学的」か「自然哲学的に」か分かりませんが、 かつて「原子論があった」のと同様に、「よく分からない存在」も 存在が証明されるであろう・・・ということですね。 >>155 そう。「古代文明が信頼に足る叡智界」のものである、 と分かった以上、デカルトか誰か知らないが、信じる必要があるかも知れない。 >>157 「力学」や「解析学」の祖であるニュートンが晩年、そっち系にハマった、 というのも、ボケた老人学者の戯言、かと勘違いしていたが、 そっちが真実・・・「究極の真理・・に近い」、と考える方が良さそうだ。 >>158 本スレッドのタイトルに相応しい話題になって来ましたね。 災害と天文の関係性から、まさかの、「怪しい世界の肯定」になろうとは? >>159 時の為政者が禁じた、ということは、そこに一定の真理が含まれていた という可能性もあるわけだ。 実際、現代でも、これらの理論を哲学界は否定していない。 >>160 そういえば物理学で量子論が誕生した時に、 >>161 「量子哲学」が誕生した。 自然科学の進歩に対応して、「哲学」が進歩したのだ。 >>1 に戻って考えて見ると、深く考えさせられる内容ですね。 実際、311以降の国内を見ても、大分改善された点が多いように感じます。 民主化かは分かりませんが、各人や組織の意識が変わって、 改善された点が多いんじゃ無いでしょうか。 >>163 その通りだね。かなり改善されたと思う。 ITなどの進歩で世界中の災害がすぐにグローバルに伝わることがあって、 日本のみならず、世界中の防災への意識が変わった。 >アメリカ版緊急地震速報 オレゴン州で開始 5月には西海岸 以下のスレでも、自然災害の度に、天保の改革とか、 少しずつ改善されているのが分かりますね。それが民主化なのかな? >(相馬藩)飢饉と災害と大量死(幕藩体制崩壊まで) >>165 実際に「封建社会」が終わって明治時代になり、民主化された と言って良いだろう。 もちろん国内だけじゃなく、世界中でそうなった。 封建領主や封建的な王様が居なくなったわけ。 中国やロシアだって、議会制度でしょ? つまり封建時代と比較すれば、民主的に 行っているわけだ。 >>166 そういえばそうですね。その観点では民主的と言えるでしょう。 社会主義で議会制民主主義って >>中国やロシアだって、議会制度 >>167 現代の民主主義だって、横暴だと、叩かれているでしょう? >>168 確かにどこの国でも、大臣も、大統領も、首相も、叩かれていますね。 まあ、国民の召使なんて、言われますからね。 トランプ大統領も米国民に仕えていたそうですから。 >>169 あれ?そういえばそれも本スレと被るね。 トランプ大統領なんかもコロナ騒動が無ければ、続投したんじゃ無いか、って言われるし。 ま、古代からの一種の法則みたいなもんだからね。 >自然災害や疾病が発生した結果、時の政権が不安定化し、時代が終焉する。 >>170 意識的に@変更することで、イメージ変更>>1 のAを行っているんでしょうね。 これが>>81 における >自然の異変から人事を予言する讖緯(しんい)説に展開していった。 となりそうです。 >>171 現代の統治システムも古代の理論書そのままで、実はあまり変化が無いんだね。 進歩しているようで実はたいした進歩は無いのかも、目先を変更しているだけでね。 案外、封建社会も民主的だったのかも知れないし。 >>172 「唯物論」と「唯心論」について勉強して、また語りあいましょう。 心?魂? 超自然的な何か? ダークマター? ●日本の過去の首都の移転の歴史(地震などの頻発により遷都された) 奈良(大和)→大阪(摂津や河内)→京都 →滋賀県(大津京)→京都→鎌倉 →(室町)京都→江戸→明治京都→明治東京 の>>67-75 とか The economic value to the UK of speaking other languages ランド研究所 ケンブリッジ大学 read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる