赤ん坊の頃から背が今の身長に至るまで
毎日、夕飯の時間、間近で流れてくる煙草のケムリ吸わされ、姉妹は子供時代は喘息、私はアレルギー。大人になり二人とも難病を発病。
姉妹は、間質性肺炎の気があると伝えられ、

従姉妹(いとこ)が、赤ん坊の頃いた部屋は、三人の大人たちの煙草のケムリで充満した閉め切った部屋。その中で寝かされていた赤ん坊だった従姉妹。
数年後、重度域の難病となり副作用強度の治療を入退院繰り返し受ける。

ある日、夏の日、原発の手前に居た。その地に滞在していた。
帰宅し、激しい嘔吐。紅い斑点ができ紫色の大きな紫斑となり、身体から出る血がなかなか止まらない。
大きな医療機関を受診し、特発性血小板減少性紫斑病( ITP) との診断名。そして輸血。( 医師の話では酷い域に来ていたという)

そして医師から、どこに居ましたか。原発手前に居ましたか。どれくらい居ましたか。と急性放射線障害、被爆のように伝えられた。その時は、被爆の症状をまだよく知らなかった。
映画を見て、..なんだか似ているな..と思った。

同じ時期に無菌室に入院した患者さんは原発付近に住んでいた人で、ほか患者さんが原発作業員ではと話していた。