で、この山本浩二氏ですが、この人については昭和43年のドラフトでは、田淵幸一、
富田勝両氏と並んで法政三羽ガラスの一人としてドラフト1位で鳴り物入りで
広島に入団したものの、私の子供の頃の記憶ではあまり、パッとした選手ではありませんでした。
実際のところ、この人が突然、花開いたのは昭和50年からで、それ以前は、
本塁打は20本前後、打率は.250程度の普通の打者でしたね。
(当時は、広島の「山本」と言えば、山本浩二選手ではなく、左の強打者で
四番打者だった山本一義氏でした。)

ところがその後、広島は、古葉新監督の下、快進撃を続け、この年、悲願の初優勝を達成するわけですが、
その原動力となったのが、3割30本を打って首位打者のタイトルを獲得した山本浩二選手だったわけですね。
で、先日も述べましたように、元々、それほどの選手ではなかった山本選手が、この年を境に突然、打ち始め、
さらにリーグを代表するような本塁打王になったのには、おそらく、このルーツ監督との出会いが大きかったように思います。
(あるいは、ルーツ監督がアメリカから持ち込んできた何か・・・、たとえば、サイン盗みのようなものがあったのかもしれません。
つまり、相手のサインを知ったことで、もともと、ヤマ張り打者だった山本選手の洞察力に磨きがかかった・・・と。
この辺は、ここ数年の外人監督の躍進とだぶって見えるような・・・。)