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人類永遠の救いです [無断転載禁止]©2ch.net
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0050Maria垢版2017/07/26(水) 21:16:14.72ID:0NBcqphW
一流の打者達が誰しも天才と呼ぶ孤高の大打者 

落合博満氏曰く
「オレは天才なんかじゃない。本当の天才は前田智徳。打撃フォームがシンプルで無駄が無い。野球を始める子供達が是非参考にすべき教科書のような打撃フォーム。」
と絶賛しております。

また、イチロー選手や松井秀喜選手も天才打者と絶賛しております。
山本浩二氏は
「トップの位置がピタッと決まって軸がブレないし、フォームも崩れない。相手ピッチャーに関係無く、
全て自分のスイングで処理している。」
と述べており、入団当初から教える事がなかったとのこと。
0052Maria垢版2017/07/26(水) 21:22:55.58ID:0NBcqphW
12: 「ぶーん」と飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 2015/01/27(火) 00:49:39.38 ID:2vVnUPgNa
極限まで無駄を削ぎ落とした死ぬほどシンプルな動きなんや
あの打ち方ができたらそら打てるわってフォーム

ただ、あの動きを実践するのはホンマ難しい
自分をビデオで録画してみりゃわかるけど、どんなに真似しても前田ほど綺麗にできん

それを実戦のバッターボックスでやるんやで

16: 「ぶーん」と飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 2015/01/27(火) 00:50:34.49 ID:hrS8GOUk0
>>12
俺らができんのはわかるけど、プロにも賞賛されるくらい難しいってことか
0054Maria垢版2017/07/26(水) 21:30:53.82ID:0NBcqphW
栗山英樹は「ゆっくりバットを引いてタイミングを取ることで、一連の動きをすべて『動』から『動』にできる」
「何百回も目いっぱい速く振るのはどうしてもブレが出てくる。遅いスイングなら確かめながら振れるので、
極端に言えば、バットがどこにあるのか全部わかって、同じように振れる。
ゆっくりなスイングで振るということは確実性が増す。ゆっくりなスイングで遠くへ飛ばせる、速い打球が打てるというのはある意味『究極の理想』のはずなのだが、
そこに向かっているということなのだろう」と分析している。また、そのスイングで長打を打てることについて、栗山は「(前田は)下半身の使い方が非常に優れていることと、
力が外に逃げない理想的なスイングプレーン(スイング軌道)によって、無駄なくボールに力強さを伝えられている」と続けており、
前田のバッティングについては「究極のシンプル。『シンプル・イズ・ベスト』といわれる意味の、
本当の意味が前田選手なのかな、と思います」と評している。
0055Maria垢版2017/07/26(水) 21:33:03.87ID:0NBcqphW
@頭の位置が動かずに首から下だけ回している
A腰は回転を始めているがグリップはトップのままという「割れ」ができている
Bバットが体に巻きついてヘッドが最後まで遅れて出てきている(インサイドアウト)
C左肘が体の前をスムーズに抜けている
D軸を回しきった深いフィニッシュ

バッターが「こうしたいな、こうできたらいいな、」と思ってるほとんどのことを体現しているから
「理想のバッティング」として語られている
0056Maria垢版2017/07/26(水) 21:41:29.24ID:0NBcqphW
この点をポイントに前田選手の過去の打席を改めて見てみると、どの打席も同じ様に打ってる様に見えるのです。
どんなシーンも同じフォーム、同じタイミング。同じVTRなんじゃないかって思える程なんです。
トップの位置もブレていないし
軸もしっかりしていて一切の無駄が無いことが分かります(*´∀`)
そのためバットも最短で出てくるため
どんなボールでも対処可能というわけです


この点が他の打者と決定的に違う大きな点ではないか
実績豊富な他のプロ野球選手からも賞賛される打撃フォームの真髄がこれなんじゃないかと
思うわけです(*´∀`)
0058Maria垢版2017/07/26(水) 21:47:43.39ID:0NBcqphW
「正確な日時は忘れたけど、浜松での試合だった。
外角のストレートをライトに運ばれたんだ。これは衝撃的だった。」

調べてみると1998年の5月に行われた試合である。
この衝撃で山本昌は打ち込まれノックアウトされた。
左のスリークォーターである山本昌にとって、
左打者への外角低めのストレートは勝負球、生命線ともいえる投球である。

「左打者への外角低めのストレートは100%打たれない自信があった。
0059Maria垢版2017/07/26(水) 21:49:46.55ID:0NBcqphW
打たれたとしてもバットに合わされてレフト方向に打たれた場合だけ。
そのあと、ジャイアンツの松井秀喜と小笠原道大に同じようなコースを打たれたことがあったけど、
二人のはレフトスタンドのあたりで、しかも東京ドームでの一発だった。
だから二人のホームランは理解できた。
でも、前田に打たれたのは未だにどうやって打ったのか、どこが悪かったのか理解できない」

左打者が左投手の外角ギリギリの球を引っ張ってライトスタンドに運ぶ。
よほど超人的なパワーがあり、尚且つ長いリーチを持っていないと不可能と思える
0060Maria垢版2017/07/26(水) 21:51:01.97ID:0NBcqphW
それを決して長距離打者と言えない、しかもアキレス腱の故障から復帰して3年目の、
まだ足を引きずる場面も珍しくなかった前田がライトにホームランする。
打たれたほうの衝撃は想像できる。
因みにこの年の前田は100試合に出場するのがやっとで、本塁打は15本だった。

「ぼくは左のいい打者が出てきたときは、だいたい外角のストレートで勝負した。
松井や鳥谷敬なんかがそうで、彼らは最初は打てなくて2年ぐらいは楽な打者だった。
でも、前田には通じなかった。」
0061Maria垢版2017/07/26(水) 21:52:50.17ID:0NBcqphW
山本昌の代名詞と言えるスクリューボールは、身につけた当初は右打者専用だった。
左打者に使うにはコントロールが難しいからだ。
だが、決め球の外のストレートを引っ張ってホームランにするような打者が現れては、
使わない訳にはいかない。

「だからぼくが左にもスクリューを使うようになったのは前田の存在が大きかったね」

痛打の記憶もあるが、会心の投球もある。
ものにした「左のスクリュー」を、前田に2球続けた事がある。

「2球とも自打球が足に当たって試合が中断した。3分くらい中断になったんじゃないかな。
さすがに前田も嫌気が差したみたいで、3球目はバット振らずに見逃し三振になったよ」
0062Maria垢版2017/07/26(水) 21:54:11.51ID:0NBcqphW
先発投手の山本昌と代打に回るようになった前田は対戦の機会がなくなった。

二人の最後の対戦は2007年である。

「すれ違いになっちゃったからね。引退する前に一度は対戦したかったよ。

彼の若い頃、市民球場で打撃練習の様子を観察したのを思い出すなあ。

準備運動しながらしっかり見たことがあったけど、鬼の形相だった。

その怖しい顔も忘れられないが、芯でとらえたい感じの打球音も忘れられない」
0063Maria垢版2017/07/30(日) 12:23:56.61ID:vShnLDMO
仏教の目的はたった一つ

苦の消滅です
0064Maria垢版2017/07/30(日) 12:28:55.78ID:vShnLDMO
修行僧達はこの苦しみを断ち
苦しみの無い世界
涅槃に到達することが最終目的です
0065Maria垢版2017/07/30(日) 12:31:51.75ID:vShnLDMO
人間とゆうのは様々な欲に縛られてるわけです
物欲であったり金銭欲 地位欲 食欲 名誉欲

欲があるから人は煩うのだ 悩むのだと
そう考えたお釈迦様は王子という身分を捨て修行し

解脱して悟りを開きます
この世の苦しみからの解放 それが解脱です

お釈迦様は無駄なもの(煩悩)を捨て人間としてシンプルに生きようとしたのです
欲を捨てることにより真の自分を解放したのです
0066Maria垢版2017/07/30(日) 12:44:38.93ID:vShnLDMO
その煩悩、苦しみの尽きた境地を涅槃(ねはん)といいます。仏教徒が目指すゴールです。

仏教では、善と不善とを明確に区別しています。
善とは過失がなく、よい結果をもたらすもの。
不善とは過失があり、悪い結果をもたらすものです。

私たちを煩わせ、悩ませ、苦しめる不善のはたらき。それが煩悩です。

「もろもろの悪いことをなさず、もろもろの良いことを行い
自らその心を浄くすること。これが諸仏の教えです」
0067Maria垢版2017/07/30(日) 12:49:55.52ID:vShnLDMO
煩悩を捨てさったお釈迦様によるダンマというシンプルな教え
お釈迦様は簡潔に分かりやすくシンプルに教えていましたが

後世の人間により複雑で分かりにくい教えへと変化していきました
http://www.dhamma.com/ja/
0068Maria垢版2017/07/30(日) 12:59:26.96ID:vShnLDMO
お釈迦様は天才です
十代の頃から勉強もスポーツも万能の天才少年だったのです

天才ゆえに人にシンプルに説明することが出来ました

http://www.j-theravada.net/kogi/kogi6.html
0069Maria垢版2017/07/30(日) 13:03:18.99ID:vShnLDMO
お釈迦様は王子の身分で金銭的にも
物質的にも恵まれていました

ただ人間にとって、ものごとが上手うまく行っているときほど見えない穴もまた大きく掘られているのです。 
豊かになればなるほど、同時にその穴もまた大きくなっていくのです。 
ですから、幸福というものは物質的なところで掴むものではなく、精神的、心で掴まえる豊かさこそが真の豊かさと言えるのです。 
お釈迦さまはそのことに気づき、出家をされて心の豊かさを追い求められたのです。
0070Maria垢版2017/07/30(日) 13:05:16.48ID:vShnLDMO
はじめて世間に出たお釈迦さまは、最初にみすぼらしい身なりをした老人に出会います。

 「こんなふうにして毎日毎日遊んでいたところで人間というものは皆この老人のように老いていくのだ。 
いまはこうして老いを忌いみ嫌うけれど、自分もまた老いて、みにくくなっていく存在だ」お釈迦さまはショックを受けます。

 次に、お釈迦さまは病人に出会います。
0071Maria垢版2017/07/30(日) 13:06:55.09ID:vShnLDMO
それまで病気らしいことは一度も経験しなかったお釈迦さまはここでもショックを受けます。

 「なるほど人間というものは自分が健康なときは病人を見て忌み嫌うけれど、
自分もまたいつかは病気にかかってそれが原因で死んでしまうこともあるのだ」
病気になったら、億万長者と言われようがどんなに高い名誉に包まれていようがそんなことは全く関係なく、
無価値になってしまうのです。
 次に、死んだ人を目撃して「ああ人間というものはただこれだけの存在なのか。 
ただ死ぬためだけのために一生を頑張って生きているものなのか
0072Maria垢版2017/07/30(日) 13:18:04.29ID:vShnLDMO
お釈迦さまは若くしてこのような人生の実相というものを洞察し、それでは人間として避けることの出来ない、
こうした苦しみからどうしたら脱却して生きていく方法があるのだろうか−真理の道を追求しはじめたのです。 
最後に出会ったのは出家者でしたが、この出家者を見てお釈迦さまははじめて自分の求める道、方法が分かってきたのです。 
そこからお釈迦さまの求道、修行の旅は始まり、そしてついに真理を見つけるのです。

 「ついに解かりました。 すべての悩み苦しみを乗りこえた真理を見つけました」と、お釈迦さまは言います
0073Maria垢版2017/07/30(日) 13:20:21.83ID:vShnLDMO
仏教というのは、お釈迦さまが真理を見つけたとおなじように、私たちひとりひとりもまた真理を掴めるよう修行する方法を説くものです。
 現在では我々の想像できない、見方をまったく変えた確かな方法で世の中を、そして自分を見る方法。 
それが、Vipassanâ  で vi (明確に、詳細に)という言葉と、
 Passanâ (観察する)を合わせてヴィパッサナー冥想法と呼んだのです。

 ヴィパッサナー冥想は決して苦行ではありません。
 心身ともリラックスさせることがまず大事です。 これはあくまでも実践方法なのです。
 お釈迦さまは、心を清らかにして解脱を体験する方法としての冥想法を勧めているので、他の瞑想法とはちがって、
どんな人にでも簡単にできる方法を指導しているのです。
0074Maria垢版2017/07/30(日) 13:27:31.77ID:vShnLDMO
涅槃とは欲望の炎が吹き消えた境地の事です
歴史上 そこに到達したのはお釈迦様だけでしょう

後世 涅槃とは釈迦の死に際し極楽浄土の意味で用いられてますが
本来は欲望の炎が消えた境地の事です

http://kusyami.com/kusyami/k_nehan.html
0075Maria垢版2017/07/30(日) 13:58:57.28ID:vShnLDMO
http://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201301/article_30.html

比丘(びく)よ、この舟から水を汲み出せ
汲み出せば、速く進むだろう
貪欲と怒りを断ち切れば

涅槃に到達するだろう

この舟」とは「自分」のことです。「水」とは「煩悩」のことです。

舟から浸水した水を汲み出せば、舟は沈むことなく、舟は軽くなって速く目的地に到達します。

そのように、自分から貪欲や怒りのような煩悩を汲み出せば、涅槃に速く到達できるのです。
0077Maria垢版2017/07/30(日) 14:06:59.49ID:vShnLDMO
西洋の文明の、物理学、哲学、心理学、経済学など、
どれほど進歩しても、2600年前にお釈迦さまの説かれた

哲理を証明するだけで、
今後進歩すればするほど、仏教に近づくだけであることが
書かれています。

孫悟空がキント雲で世界の果てを目指しても、
お釈迦さまの手のひらから外へは
抜け出せないイメージそのままです。

仏教は、お釈迦さまが仏智を体得し、
宇宙の真理を説かれたものです。
つまり、三世十方(いつでもどこでも)を貫く真理を

説かれたものということであり、
信じる信じないの一宗教的なものではないということなのです。
0078Maria垢版2017/07/30(日) 14:11:18.81ID:vShnLDMO
「まさか物理学より広い世界観はないでしょ?」
とあなたは思っていませんか?
天才的な物理学者たちは、
驚くべきことを発見しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

●2000年前に物理学を先取り
20世紀の爆発的な科学の進歩によって、
ミクロの世界から大宇宙まで、
物理学は急速に自然のしくみを解き明かしました。
その現代物理学の柱が2本あります。

■相対論
まず一つ目は、時間と空間の関係を解明し、
現在はカーナビなどに使われている『相対論』です。

光に近い速度では、時間がゆっくり進み、
空間はゆがんでしまうという想像を絶する理論です。
たった一人で作りあげた天才、アインシュタインが、
何と、物理的な考えを究極に突き詰めていくと、
仏教に説かれる概念と、
酷似したものがあると言っているのです。
さらに、次のようにも言っています。
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です
0079Maria垢版2017/07/30(日) 14:13:06.02ID:vShnLDMO
■量子論
もう一つは、ミクロの世界を解き明かし、
パソコンや携帯電話、半導体などに使われ、
現代生活になくてはならない『量子論』です。
その内容は、

「すべての物質は波であり、粒子である」という、
これまた想像を絶するものでした。
ところが、量子論をつくった代表的な3人、
ボーアと、ハイゼンベルク、シュレーディンガーも、
東洋思想を学んでいます。


量子論の父、ノーベル賞物理学者
ニールス・ボーア(1885〜1962)
原始物理学論との類似性を認識するためには、
われわれは仏陀や老子といった思索家が
かつて直面した認識上の問題にたち帰り、
大いなる存在のドラマのなかで、

観客でもあり演技者でもある我々の位置を
調和あるものとするように努めねばならない。

波動方程式によって
ミクロの世界を
波として説明したシュレーディンガー(1887〜1961)
は著書の中で、波動方程式が、

東洋の哲学の諸原理を記述していると語り、
次の言葉も有名です。

西洋哲学は東洋思想の輸血を必要としている。
0080Maria垢版2017/07/30(日) 17:04:16.16ID:BJI069Ya
ミクロの世界を、粒子として説明した、
ドイツのノーベル賞物理学者
ハイゼンベルク(1901〜1976)は、
日本のすごさの原因を次のように考えています。
過去数十年の間に、日本の物理学者たちが
物理学の発展に対して

大きな貢献をしてきたのは、
東洋の哲学的伝統と、「量子力学」が、
根本的に似ているからなのかもしれません。


その代表、中間子論により日本初のノーベル賞を受賞した
湯川秀樹(1907〜1981)は仏教から多くを学んでいます。

「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた。」
0081Maria垢版2017/07/30(日) 17:07:31.62ID:BJI069Ya
世界初の原爆を開発した責任者、
語学の天才オッペンハイマー(1904〜1967)
は語学に堪能で、仏教も学んでいました。

「原子物理学の発見によって示された人間の理解力は
必ずしもこれまで知られていなかったわけではない。

また、べつだん新しいというわけでもない。
我々の文化にも先例があり、仏教やヒンズー教では
中心的な位置を占めていた。

原子物理学は、いにしえの智慧の正しさを例証し、
強調し、純化する。

「ブーツストラップ(靴ひも)理論」により、
素粒子「クオーク」を用いず、
最新の実験結果を説明した

カリフォルニア大学物理学科長
ジェフリー・チェ(1924〜)
は、仏典の説く宇宙モデルと、
自分の理論が同じ概念であると知り、
愕然としたと言います。

「1969年のことです。
当時、「東洋哲学」の勉強をしていた高校生の息子が、
大乗仏教について私に話してくれたときの驚き、
悔しさはいまでも鮮明です。
私は、仏教とはおそろしく非科学的な感じの概念と
思っていましたから、

私の理論との結びつきにひどく狼狽しました。
それから、ずいぶん時間はかかりましたが、
当初の狼狽や当惑は、
やがて、畏怖(いふ)の念に変わっていきました。」
0082Maria垢版2017/07/30(日) 19:21:12.95ID:BJI069Ya
また、素粒子の世界だけではありません。
1980年代後半に生まれた『複雑系』の研究をし、
シュレーディンガーの主著の日本語訳でも知られる

中村量空(なかむらりょうくう 1948〜2001)は、

「私が仏教の縁起に関心をもったのは、
複雑な世界の実態を説く縁起(因縁果の道理)の世界観が、

現代の複雑なシステムの理解に強いインパクトを
与えるだろうと思ったからである。
人や物の結びつきを説くこの世界観に立てば、
何らかのパースペクティブ(見通し)が得られるにちがいない。

そこから現代科学の探究する複雑なシステムを見れば、
どんなイメージがわいてくるだろうか。
縁起のアイデアを現代科学に生かそうという試みは、
むしろ新鮮な刺激を

サイエンスに与えてくれるような気がする。」
と述べています
0083Maria垢版2017/07/30(日) 19:23:58.45ID:BJI069Ya
「従来は、宗教と科学というと、
両極端にあり、対立するもの、
そして相容れないものと考えられてきた。

たしかに、「ニュートン力学」のレベルの科学は、
宗教とは相容れない。

そして、一般の人が心の中に持っている
「科学」という概念は、
実はほとんどの場合
「ニュートン力学」のレベルにとどまっている。

だから、宗教と科学が対立して見えるのだ。
20世紀に入ってから、科学は大きな変容を遂げた。

アインシュタインの「一般相対性理論」や、
素粒子の物理学である「量子力学」など、
従来の「ニュートン力学」の概念を
大幅に塗り替える理論が確立したからだ。

とくに「量子力学」は、少し深く読むと
宗教的な概念と決して矛盾しないような
解釈が可能になってくる」
0085Maria垢版2017/07/30(日) 20:44:06.58ID:CrzIpfsJ
あるところに、
お釈迦様が多くの人たちから
尊敬される姿を見て、
ひがんでいる男がいました。
 

「どうして、あんな男が
みんなの尊敬を集めるのだ。

いまいましい」
 

男はそう言いながら、

お釈迦様をギャフンと言わせる
ための作戦を練っていました
0086Maria垢版2017/07/30(日) 20:46:09.08ID:CrzIpfsJ
ある日、その男は、
お釈迦様が毎日、同じ道のりを
散歩に出かけていることを知りました。
 
 
そこで、男は
散歩のルートで待ち伏せして、
群集の中で口汚くお釈迦さまを
ののしってやることにしました。
 
 
「釈迦の野郎、きっと、
おれに悪口を言われたら、
汚い言葉で言い返してくるだろう。
 
その様子を人々が見たら、
あいつの人気なんて、
アッという間に崩れるに違いない」
 
 
そして、その日が来ました。
0087Maria垢版2017/07/30(日) 20:49:31.03ID:CrzIpfsJ
男は、
お釈迦さまの前に立ちはだかって、
ひどい言葉を投げかけます。
 
 
お釈迦さまは、ただ黙って、
その男の言葉を聞いておられました。
 
 
弟子たちはくやしい気持ちで、

「あんなひどいことを言わせておいて
 いいのですか?」

とお釈迦さまにたずねました。
 
 
それでも、お釈迦さまは
一言も言い返すことなく、
黙ってその男の悪態を聞いていました。
0088Maria垢版2017/07/30(日) 20:51:02.82ID:CrzIpfsJ
 
男は、一方的に
お釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、
しばらく後、
その場にへたりこんでしまいました。
 
 
どんな悪口を言っても、
お釈迦さまは一言も言い返さないので、
なんだか虚しくなってしまったのです。
 
 
その様子を見て、お釈迦さまは
静かにその男にたずねました。
0089Maria垢版2017/07/30(日) 20:56:13.54ID:CrzIpfsJ
「もし他人に贈り物をしようとして、
その相手が受け取らなかった時、
その贈り物は一体誰のものだろうか」
 
 
こう聞かれた男は、
突っぱねるように言いました。
 
 
「そりゃ、言うまでもない。

相手が受け取らなかったら
贈ろうとした者のものだろう。 
 
わかりきったことを聞くな」
0090Maria垢版2017/07/30(日) 21:01:23.02ID:CrzIpfsJ
お釈迦さまは
静かにこう続けられました。
  
 
「そうだよ。

今、あなたは私のことを
ひどくののしった。 

でも、私はその ののしりを
少しも受け取らなかった。
 
だから、あなたが言ったことは
すべて、あなたが受け取ることに
なるんだよ」
0091Maria垢版2017/07/30(日) 21:04:59.79ID:CrzIpfsJ
人の口は
恐ろしく無責任なものです。
 
 
ウワサとか陰口というものは、
事実と違って、
ずいぶんとでたらめなことが

よくあります
0092Maria垢版2017/07/30(日) 21:09:06.68ID:CrzIpfsJ
自分を非難されるようなことを言われたら、
たいていの人が、ダメージを受けます。
 
 
傷ついて落ち込んでしまったり、
腹が立ってイライラしたりすることも、
あるでしょう。
 
 
でも、お釈迦さまは、違いました。
 
 
人前で恥をかかされることを言われても、
ちっとも動じません。
 
0093Maria垢版2017/07/30(日) 21:12:44.38ID:CrzIpfsJ
その場を立ち去ることもせず、
じっと相手の話を聞いているのに、
口応えもしません。
 
 
それでいて、まったく
傷ついたり怒ったりしないのです。
 
 
お釈迦さまは、
相手の言葉を耳に入れても、
心までは入れず、
鏡のように跳ね返しました。
 
 
ですから、
まったくダメージを受けないのです
0094Maria垢版2017/07/30(日) 21:15:47.00ID:CrzIpfsJ
言葉は時として、
人の心を傷つけることのできる
ナイフになります。
 
 
しかし、

心がナイフより固くて強ければ、

痛くもかゆくもないのです。
 

ひどいことを言う相手を責めても、
仕方ありません。
 
  
それより、
自分の心を強くする方が、
簡単で効果的です。
0095名無しさん@まいぺ〜す垢版2017/08/04(金) 12:28:34.69ID:Ts6yCHjm
仏教の世界には
1日一食は聖者(釈迦)の食事
1日二食は人間(日本人)の食事
1日三食は獣(白人)の食事

という言葉があるそうです
0097名無しさん@まいぺ〜す垢版2017/08/04(金) 12:46:04.55ID:Ts6yCHjm
仏教的な観点からすると、

 

食事=他者の命を奪う行為

 

自分の生命維持に必要な分だけ、他者の命をいただくと言う意味で

一日一食は聖者の食事

と考えると、納得せざるをえません
0098救世主 ◆17EvbjXN1fGz 垢版2018/02/05(月) 18:18:29.25ID:sXCFlW4Q
呼んだ?
0099名無しさん@まいぺ〜す垢版2018/04/30(月) 10:00:18.61ID:TCZIApYa
ユニークで個性的な確実稼げるガイダンス
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

27GNE
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